2019年10月30日水曜日

ダビデ像

 ダビデは旧約聖書に出てくる人物。若い頃に敵の巨漢戦士ゴリアテと対決、ダビデの放った石が見事に額に命中してゴリアテを倒した英雄で、長じてイスラエル王国の王になった。実在したかどうか諸説あるようだが、モデルになっただろう人物は存在したようだ。

 そのダビデがゴリアテに立ち向かう様子を表現したのがミケランジェロのダビデ像だ。600年以上前に制作されたミケランジェロの代表作であり、世界的な傑作であるとの評価が定着している。

 ダビデが実在したとしても、写真があるわけではなし、どんな姿をしていたのかミケランジェロも知ることができなかった。ダビデ像の姿が本人に似ているかどうかは誰にも分からないのだが、ダビデ像を見た人は、素晴らしい造形に感嘆し、それがダビデの姿だと思うだろう。ミケランジェロは、典型としてのダビデ像を創造した。

 「ミケルアンヂェロはダヴィデの伝説そのほかの諸条件をすべてまもるとともにそのことごとくの形式をやぶって、唯一の内容を表現した」(『ミケルアンヂェロ』羽仁五郎著)のであり、「フィレンツェ自由都市国家の永遠の純真としかしまたその勤労民衆の力強さと、その自由のわかわかしさとしかしその希望と、その動揺としかしその不屈と、これらこそがそのままミケルアンヂェロその人であり、またかれがそこに芸術的表現を与えようとしたところのものであった」(同)。

 「ミケルアンヂェロのはじめからの意図により、ダヴィデはフィレンツェ自由都市共和制議事堂前面すなわちかのパラッツォ・ヴェッキオの入り口をまもりピアッツア・デラ・シニョリアの民衆集会の広場からの大階段の壇上に立てられたのである」(同)。強力な敵に立ち向かう姿が、周囲の敵に立ち向かう都市国家フィレンツェ共和国の精神を表現したものとダビデ像は解釈された。

 ダビデ像に付随した解釈は長い時間とともに希釈され、ダビデ像を鑑賞する現代の大半の人々は、そのような解釈を必要としない。そんな解釈が存在しなくても、鑑賞に耐える表現がダビデ像だ。都市国家フィレンツェ共和国の精神が無価値になったわけではないが、そうした解釈からダビデ像は「独立」して、表現のみで傑作と認められた。

 アートには何らかのメッセージをまとう表現が珍しくなく、メッセージ性によって評価されるアートも珍しくない。だが、メッセージが希釈された後でも評価される表現が成立しているかどうかが問われるのが、本当のアートだ。作者の制作意図から離れても、表現だけで成立していることが本当にアートと呼ばれる条件だ。

2019年10月26日土曜日

テクニカルやドローン

 一般向けに販売されているピックアップ・トラックの荷台に重機関銃やロケット砲などを取り付けた戦闘車両をテクニカルと呼ぶ。アフリカや中東などで各地の武装組織が、機動性に富む安価で相対的に強力な兵器として使用している。ISがテクニカルを連ねてパレードする映像はテレビなどの報道番組でよく使われていた。

 テクニカルが活躍するのはゲリラなどの武装組織が活動する、治安が保たれていない平坦な土地だ。正規軍の戦闘車両に比べるとテクニカルの攻撃力は劣るが、正規軍が不在だから治安が崩壊している。そんな土地で、銃しか持たない戦闘員や非武装の民間人に対してテクニカルの戦闘力は圧倒的だろう。

 一般向けに販売されているドローンも中東などで戦闘に使われているというが、軍事用に特化したドローンの威力を見せつけたのが、サウジアラビアの石油施設に対する攻撃だ。サウジの原油生産の大幅減少を予想して世界の原油市場は揺れ動いた。

 サウジは2017年、米国から計1100億ドルの武器を買う契約をし、88基のパトリオット・ミサイルを配備した(18年の武器購入額は650億ドルで、大半が米国から)。サウジは米国から大量かつ多額の武器を購入し続けており、防衛体制を固めていた。だが、1基が数億円とされるパトリオット・ミサイルは1機が数百万〜数千万円と推定されるドローンによる攻撃を防ぐことはできなかった。

 実際にサウジの防空用レーダーがドローンを探知できたのか、探知できたとしてパトリオット・ミサイルが発射されたのか詳細は明らかではない。仮にレーダーがドローンを探知し、ミサイルが発射されてドローンを破壊できたとしても、高価なミサイルを使って安価なドローンを打ち落とす構図は不合理だ。

 この「成果」で安価なドローンの攻撃用武器としての能力が確かめられた。航続距離が1000km以上になるドローンもあり、精密に目標を攻撃できるなら軍事施設に限らずインフラ施設や企業の工場なども標的になる。また、各国は小型ドローンの性能向上に励むだろうから、各種のドローンが大量に使われるようになり、戦闘の様相は大きく変化するだろう。

 テクニカルも正規軍の戦闘車両に比べると、はるかに安価だ。ピックアップ・トラックや小型ドローンなど民生品を武器に変えることで武装組織の戦闘力は高まり、各地で武装組織の活動を活発化させてもいる。高価な武器を装備する正規軍と、安価な武器で破壊力を高める非正規軍という非対称性が顕著になった。

2019年10月23日水曜日

地階に電源

 台風19号は広範囲に大量の降雨をもたらしたが、武蔵小杉の駅近くの47階建てタワーマンションで地下に浸水、配電設備が損傷して停電し、エレベーター停止や断水などで居住者は生活に大きな支障を被った。タワーマンションは地震や強風には耐えるとされるが、電気が失われると居住者は不便な生活に直面する。

 このマンションは、駐車場への浸水を防ぐことができず、地下の配電設備が機能を失ったと見られる。シャッターや土嚢などで地下への浸水を防ぐことができなかった事情は明らかになっていないが、タワーマンションが電気を失うと過酷な生活環境になることは証明された。

 20階以上のタワーマンションを含め高層マンションは全国に増えており、配電盤などは地下に設置されていることが多いという(1階や2階などに配電設備を設置すると分譲スペースが減る)。地下スペースも駐車場などに利用するため、浸水しないように地下を密閉することは少ないともいう。

 2011年3月に福島第一原発は地震による停電で外部電源を失い、さらに津波に襲われて浸水、地下に設置されていた非常用電源などが損傷し、全電源喪失に至った。メルトダウンが起き、やがて水素爆発で原子炉建屋などが吹き飛び、放射性物質が大気中に放出された。

 外部電源が失われた時にも非常用電源の機能が失われず、原子炉を冷却することができていれば、メルトダウンも水素爆発も防ぐことができたと見られている。巨大な津波を想定して非常用電源を海面から高い場所に設置していれば、あの事故は防ぐことができ、福島の復興も早かったかもしれないと想像すると、浸水が想定される地下に非常用電源を設置していた怠慢は非難に値する。

 現代の社会は電気の利便性に大きく依存している。電気が失われた時に社会は大混乱し、個人の生活環境も一変、いかに不便を強いられるかを北海道のブラックアウトや千葉の大規模停電が実証した。といって、もう電気に頼らない社会や生活に戻ることはできない。災害の中でも電気の安定供給を保つことは現代社会の最優先事項だろう。

 建物の地下に電源や配電設備などを設置することの危険性、脆弱性は明らかだ。地下に電源や配電設備などを設置したのは、洪水や津波による浸水を軽視していた現れだが、考えうる最悪の事態を想定しないのは設計のミスだ。そうしたミスで居住者や周辺の人々が苦しい生活を強いられている。

2019年10月19日土曜日

他国への侵攻

 イラク軍が1990年8月2日、クウェートに侵攻して数時間で全土を制圧した。クウェートに樹立された暫定政府の要請でイラク軍が進出したというのが当時のイラク側の説明。だが、クウェートの増産による石油価格低迷にイラクは我慢できなくなり、領土的野心もあってクウェートの属国化を狙ったなどとの解説がある。

 同2日、国連の緊急安保理は「イラク軍の即時無条件撤退を求める決議」を採択、さらに安保理は同25日にイラクに対する限定武力行使を認める決議、11月29日に武力行使を容認する決議を採択した。サウジアラビアを守るために米軍やアラブ連合軍が8月に派遣され、英仏やソ連も加わって多国籍軍が形成され、翌91年に湾岸戦争が始まった。

 トルコ軍が2019年10月9日、シリア北東部に侵攻して軍事作戦を続けている。敵対するクルド系民兵組織を排除するとともに、シリア国内に非武装地帯を設置してトルコ国内から200万人以上のシリア難民を移す狙いだという。トルコとの電話会談の後に米国はシリア駐留米軍を撤収させ、トルコ軍の行動を黙認し、クルド人勢力を見捨てた構図だ。

 国連安保理は同10日に緊急の非公開会合を開いたが、安保理としての声明を出すことはできず、欧州6カ国が軍事行動の停止を求める声明を発表した。16日にも安保理は非公開会合を開いたが、「深く憂慮している」との報道発表を出しただけ。隣国シリアからのトルコ軍の撤退を求める声明も決議も出すことができなかった。

 イラクもトルコも隣国に侵攻したことは共通するが、国際社会や国連の反応は大きく異なる。イラクに対しては国際的な批判が高まり、安保理もすぐに即時無条件撤退を求めたが、トルコに対して国際的な批判は出ているものの批判のボルテージは抑制的で、安保理も即時無条件撤退を求めていない。

 2つの侵攻の共通点は①自国の判断だけで隣国に自国軍を侵攻させた、②その軍事行動を支持する他国が存在しない、③その軍事行動の目的に理解を示す他国が存在しない、④軍事力で劣位な相手に対して侵攻した。2つの国に共通するのは、①強権的な指導者が独裁的に権力を掌握している、②欧米諸国やロシアなどと親密ではない。

 2つの侵攻の相違点は、第一にクウェートは産油国で英米などと密接な関係にあったが、シリアは英米などと敵対している、第二に米英などはサウジアラビアへのイラク軍侵攻を阻止する必要があったが、トルコ軍の作戦範囲はシリア内にとどまる見込み、第三に欧米はイラクと敵対したが、トルコとはまだ敵対には至っていない。

 欧米にとってアサド政権のシリアは、守る価値がない国なのだろう。守る価値がない国を守るために多国籍軍を形成して自国の兵士を危険に晒すことはできないというのは合理的な判断でもある。欧米にとってトルコは、イラクとは違って、欧米サイドから離反させたくない国で、まだ利用価値があると見ているようだ。だから、トルコの他国への侵攻も容認される。

2019年10月16日水曜日

電気自動車(EV)の試乗記

 独ダイムラーが電気自動車(EV)専用に開発した「EQC」の販売が始まっている(価格は1080万〜1200万円。航続距離は欧州WLTCモードで400km)。全長4761×全幅1884×1623mmと大柄で、多量のバッテリーを積んでいるため車重は約2.5トンもある。

 メディアに現れ始めた試乗記によると、「アクセルを踏むと無音でスルスルと走りだす」「圧倒的な車内の静かさ」で、乗り心地は「重厚でマイルドな心地良い快適感」。アクセルを踏み込めば「スポーツカーに匹敵する加速力」。「モーレツな加速をするのに快適な乗り心地を持つSUV」で、ガソリン車などから乗り換えても「違和感は皆無」と“いつものように”絶賛している

 独VWもEV専用車を発表したが、こちらは価格3万ユーロ(約350万円)未満と大衆路線で、2020年春から欧州で納車を始めるという(購入者には政府から補助金が出る)。航続距離は330km。28年までに約70車種のEVを投入し、全世界で2200万台を販売するとVWは、ディーゼル・スキャンダルをEVで払拭することを狙う。

 排出ガス規制が各国で強化されるので世界の自動車メーカーは急いでEVの品揃えを増やさなければならない。これは、市場(消費者)の選択による変化ではなく、政府の強制力で市場を変化をさせる試みだ。だから、すでに各国で複数のメーカーがEVを販売しているが、好調に売れてマーケットシェアを拡大している車種はまだない。

 米テスラがEVの成功例にあげられたりもするが、決算は赤字続き。まだ先行投資の段階が続いているのか、経営戦略がまずいのか、「夢」を売っているだけの会社なのか判断は分かれるが、試乗記ではテスラ車は概ね好評のようだ。ただ、テスラも高価な車であり、日本のメディアの試乗記で高価な車を酷評することはまずない。

 ところで、EVはガソリン車などと同じ基準で評価すべきなのか。自動車であることは共通するので、同じ基準で評価することは間違ってはいないだろう。だが、電気モーターだから瞬時にパワーが出るのでEVは加速が良く、重いバッテリーを床下に積むので重心が低く安定した挙動になる。ガソリン車などとEVの構造の違いを峻別して評価する試乗記は少ない印象だ。

 各国政府がEVへの転換を促すのは環境保護を優先させる政策の一環だ。EVに求められるのは、社会との調和を優先させることだ。スポーティーさよりもエネルギー効率を最優先した移動手段になることがEVのあるべき姿だろう。環境に優しいとともに、社会にも優しい車がEVであるとすれば、EVの試乗記にはガソリン車などと異なる評価基準が必要になる。鋭い加速や強烈なパワー、スポーティーな走りなどを重視することはEVに似合わない。

2019年10月12日土曜日

気候変動と都市生活者

 欧米では、気候変動の危機を訴える活動家の運動が活発で、英国ではデモ隊が道路を占拠して交通を妨害したり、欧州各国で小中高の生徒たちがストライキを行ったりしている。デモ隊が警官隊と衝突することも珍しくなく、過激派が紛れ込んでいるともされる。

 政府に地球温暖化対策の強化を求めるデモは世界各国でも行われているのだが、活発で、また過激化する活動は欧米に多い。豊かな生活を達成したから衣食住や安全などより気候変動を具体的な危機だと感じていると解釈するなら、温暖化に対する危機意識は、豊かさの裏返しでもある。

 日々の食料を確保することで精一杯という貧困の中で生きる人々や、治安が崩壊して怯えて暮らしている人々にとって、気候変動や温暖化が直面する危機であるとの現実感は希薄だろう。スウェーデンの高校生が学校を休んで政府に地球温暖化対策の強化を求める行動を行ったが、満足に学校に行くことができない世界の若者にとって、それは贅沢な抗議活動に見えただろう。

 気候変動や温暖化による影響は、地球に生きる全ての人に等しく及んでくるだろう。しかし、何が直面する危機であるかは状況によるので、気候変動に対する危機感には世界で地域差が存在する。さらに何らかの危機意識を求める傾向を持つ人は珍しくなく、状況が「悪くなっている」などと自己の主張を正当化するために危機感を持ち出す人も珍しくない。

 熱心に環境保護を訴える人たちは欧米に多いようだが、そうした人の大半が都市居住者だという仮説がある。先進国の都市部の豊かで安全な生活環境の中で暮らす人々が、気候変動や温暖化の危機に敏感に反応するのは、生活環境に自然が乏しく、それらの人々にとって自然は理想化されているから、危機の情報に敏感に反応するという見立て。

 都会から離れた自然に囲まれた環境で暮らしている人にとって、自然とは周囲に存在する具体的なものだ。豪雨や暴風は時にはあることだし、気候変動や温暖化による影響が周囲の植生に現れるには相応の時間を要するだろうし、植生が変化したとしても以前とは異なる草花が現れることでしかない。気候変動や温暖化による危機とは、自然の中で暮らしている人々にとっては「理論上」の話か。

 この仮説が現実を的確に説明しているとするなら、活発化する環境保護運動は人工化した環境の都市部に住む人々の自然に対する渇望かもしれない。その自然は現実のものではなく、理想化された自然である。理想を掲げる運動が妥協を拒み、過激化するのはよくあることだ。

2019年10月9日水曜日

不自由な表現

 表現とは不自由なものである。例えば、性器や性交をリアルに描く絵画や彫刻などの公開には、ほとんどの社会で何らかの制約を課されるだろうし、政治的な主張も政権(国)によっては厳しく制約を課すだろうし、宗教的な規範が厳しく日常生活を律している社会なら宗教的規範に反する表現は許されないだろう。

 さらに、明示されていなくても社会によって、自粛すべき表現というものがある。自由が尊重されている社会でも、世論の大勢に抗する表現には批判が集中したりして圧力が加わる。例えば、現在の欧米では環境保護派の影響力が強いので地球温暖化論を嘲笑う表現は批判され、LGBTの権利主張を揶揄する表現などには、「表現は自由だが、それを批判することも自由だ」と圧力が高まろう。

 とはいえ、自由な表現はどこにでもあるのも現実だ。権力に寄り添い、社会や宗教の規範から逸脱せず、社会の通念や倫理、世論などに従順な表現なら自由があるだろう。また、制約の中で発想していることに無意識な人は、制約が多い社会であっても、自由な表現が可能な社会だと思うだろう。

 表現の自由が制約されている社会、例えば中国でも、自由な表現は不可能ではなく、決意すれば何でも自由に表現できよう。ただし、自由な表現を遂行した人には様々な圧力が待ち受けているだろうし、時には社会から隔離されるかもしれない。そうした自由な表現は、自由を求める自由の象徴的な試みである。

 表現の自由が問題となるのは、社会との関わりにおいてである。どんな絵画や彫刻を創り、どんな文章を書こうと、それが個人の家の中に置かれ、外に出ていかない限り、表現は自由だ。自由な表現を社会の中に持ち出し、時には価値観などが異なる社会に持ち出すから、自由な表現が摩擦を起こす。自由は絶対的なものであることが望ましいだろうが、絶対的な自由の範囲は小さいのが現実世界だ。

 自由は表現だけにあるのではない。作品を鑑賞する態度も個人の自由であり、作品の価値をどう判断しようと個人の勝手なのだが、社会によっては、表現の自由も鑑賞の自由も許されない。例えば、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像。国家ぐるみの個人崇拝の象徴であり、作者の創作意欲だけで自由に彼らの銅像を制作することは許されず、敬意を表さない態度で銅像を見ることも許されまい。

 プロパガンダを目的に少女像を創ることは自由で、そのプロパガンダを広めるために少女像を展示することも自由、プロパガンダを表現の自由で隠蔽することも自由だ。だが、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像と同類で、アートとしては価値が劣る凡庸な表現の作品を表現の自由で擁護することは、自由を求める行為ではなく、自由の価値を汚す行為だ。プロパガンダ目的の表現の自由には、自由の方向を制限する特有の不自由さがつきまとう。

2019年10月5日土曜日

プロパガンダとアート

 思想や政治的主張などの宣伝がプロパガンダだ。企業が行う宣伝は、自社の商品を買うように促したり、自社に好感を持つように働きかけるが、プロパガンダは組織などが、人々の意識を一定の方向に向くように操作しようとする宣伝だ。ただし、宣伝であると受け手に意識させないよう装うことも珍しくない。

 プロパガンダの有力な手段の一つがアートである。例えば、共産主義国などでの政治メッセージを伝える大きな壁画や各種のポスター、絵画、彫刻、歌などは代表例で、斬新な表現などでアートとして評価された作品もある(ただし、大半はプロパガンダが陳腐化すれば葬られる)。アートは容易に政治に従属するものだ。

 どんな作品を作ろうとアートは自由なのであり、プロパガンダを目的とした作品であってもアートを名乗ることができる。ただし、アートを名乗るならアートとして評価されるべきだ。だが、プロパガンダを目的とするアートはプロパガンダの部分を同調者らが賞賛するだけで、アートとしての評価はなおざりになる。

 プロパガンダを目的とする作品は、アートとして評価に値しない凡庸な表現であっても、プロパガンダゆえに持てはやされたりする。これはアートという価値観を貶めているのだが、プロパガンダに作家が従属した時点で、アートもプロパガンダに従属する。

 プロパガンダを目的に制作された作品が、社会にアートとして承認されたり、アートとして受け入れられることは、プロパガンダの成功でもある。だから、あるプロパガンダを浸透させたいと運動する人々は、作品をアートとして社会に承認させることに励む。

 凡庸な表現でしかない作品を社会にアートだと認識させることは、プロパガンダを承認させ、拡散させるための重要なステップだ。そうした作品を見に行く人はアートを鑑賞する素振りでも、作品に付属するプロパガンダを意識し、凡庸な表現に気づいても無視するだろう(プロパガンダへの賛同者しか、わざわざ見に行かない?)。

 アートをプロパガンダとして利用する人々にはアートに対する敬意が皆無だが、凡庸な表現をアートとして流通させる社会にも、アートに対する敬意が欠けている。プロパガンダを剥ぎ取って、作品そのものを直視する姿勢がないのなら、アートを評価することは不可能だろう。つまり、アートに対する鑑賞眼が希薄か欠如している社会か。

2019年10月2日水曜日

武器はドローン

 サウジアラビアの国営石油会社の施設2か所が9月14日、ドローンによる攻撃を受け、生産が一部停止した。生産が止まったのは日量570万バレル分で、同国の原油生産の約50%分、全世界の5%分に相当するという。

 10機のドローンで2か所の施設を攻撃したとする声明をイエメンのシーア派民兵組織「フーシ派」が出したが、トランプ米政権とサウジアラビアはイランの犯行と主張し、18日にサウジアラビア国防省は自爆ドローン18機と巡航ミサイル7機による攻撃だったと発表した。

 民生用ドローンはすでに広く使われている。ドローンによる空撮影像を活用するテレビ番組は珍しくなく、農業では農薬散布など、建設業では測量や検査など、警備業では見回りや侵入者の探知などに使い、物流では配送への活用を目指しているほか、災害や事故の被害状況の把握に利用することが自治体などで進められ、災害や事故の調査に保険会社も利用する方向だという。

 軍事用ドローンの実用化では米国が先行し、高性能な各種の航空偵察用ドローンに加え、海兵隊は分隊ごとに小型の偵察ドローンを配備したという。各国も軍事用ドローンの開発を進め、特に中国の軍事用ドローンは技術的に米国に迫っているとか。中国は中東やアフリカ諸国などで軍事用ドローンの販売を伸ばしているとされる。

 軍事用ドローンは偵察用途を目的に開発されたが、やがてミサイルやロケット弾などを装備して攻撃能力を備えるようになり、さらには標的を狙って長時間飛び続ける自爆用ドローンなども開発された。すでに民生用ドローンに爆弾などを持たせて攻撃に利用することは中東などの紛争地で珍しくなくなった。

 小型のドローンは低空を飛行するのでレーダーでは捕捉できず、肉眼でも見分けにくい。銃火器で撃ち落とすには弾幕を張らなければならないが、当たるかどうかは分からない。ドローン操縦の電波を妨害する方法も考えられるが、周辺地区に影響を及ぼす可能性があるほか、自動操縦になったドローンには効果がない。

 軍事用ドローンにはAIが組み込まれ、操縦者からの電波が遮断された時には、その時々の目的に合わせて自律的に行動するようになるだろう。だが、敵の軍事用ドローンなどを探知し、その行動を妨害して無力化する防衛用のドローンも各国で開発されているに違いない。ドローンに対抗できるのはドローンだけか。