香港には18の区議会があり、主に公共交通や公共施設の運営、ゴミ回収など地域問題に関して行政に意見具申する諮問機関の役割で、何らの決定権も持っていない。そんな香港の区議会の選挙が世界的な注目を集めたのは、民主派から多くの立候補者があり、香港の「民意」が示されるとの観測からだった。
香港では首長の行政長官や立法会(議会)議員の選挙では立候補が制限され、実質的に親中派の支持を得た人物が有利となり、民主派は選挙以前に排除される。日本でも過去、大政翼賛会などが候補者を推薦する翼賛選挙があって軍部独裁を支えたが、中国共産党の締め付けが強まる香港では中国共産党体制翼賛の選挙が行われている。
その香港の区議会選挙で民主派が圧勝した。11月24日に行われた投票で、18区議会の計452議席のうち民主派が385議席、85%を獲得した。この選挙前の民主派の議席は約3割だったというから、この選挙を、長く続くデモに対する世論調査とみると、デモを支持する圧倒的な民意が示されたと判断できる。
民主派が区議会選挙で過半数を獲得したのは、1997年の英国から中国への返還後初めてという。得票率では民主派が57%、親中派41%だったが、小選挙区制度のため民主派が85%の議席を獲得した。投票率は前回の47%から71%に跳ね上がり、返還以来の直接選挙で過去最高。人々の関心が高まり、投票行動に人々が動いたことを示す。
香港で人々が選挙で意思表示することは制限されている。他の住民投票制度もなく、人々の意思=民意を表明する制度はない。大陸中国のように中国共産党の独裁統治に抑え込まれている人々なら、主権を持たない従順な「羊」として生きることに抵抗は少ないかもしれないが、香港の人々は英国の植民地統治の中で、人が自由に生きることの価値を知った。
香港の人々は政治への参加を求めている。だが、現在の香港の統治システムに民意を尊重する仕組みはない。憤った若者らはデモで政治への参加を要求するしか方法はない。だが、香港の政治を司る人々は大陸中国の共産党の指示に反する行動はできない。中国共産党も、世界が注視する中で厳しい弾圧を香港で行うことはできず、香港の人々の民意は宙に浮いたままだ。
自由選挙を行って、そこに示された民意に従って政治を行うという民主主義なら、政治の方向を転換することは容易だろう。だが、権力を占有して独裁する中国共産党が、民意に従うことは簡単ではなく、独裁を維持するためには民意を無視することが必要になる。諸悪の根源は独裁統治を続ける中国共産党にある。
2019年11月30日土曜日
2019年11月27日水曜日
少ない女性議員数
世界の議会(1院制または下院。日本では衆院)における女性議員の比率は24.3%だが、日本は10.2%と世界平均の半分にも及ばず、193カ国中165位だったという(2019年1月現在。列国議会同盟)。これはG7中で最も少なく、G20の中でも最下位となる。
また、日本の地方議会1788の女性議員の比率は12.9%だから衆院より若干多いものの、地方議会のうち約2割には女性議員が存在しないという(2017年12月現在)。青森県では48.8%とほぼ半数の地方議会に女性議員が存在せず、東京都では9.5%の地方議会に女性議員が存在しない。
女性議員が国政でも地方議会でも少なすぎると問題視し、女性議員を増やさなければならないとして2018年5月、「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が施行された。これは、国会や地方の議会選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に努力を求めるもの。ただし、政党に対する強制力はない。
努力義務というものは現実では無視されるものだ。つまり、国会議員は本気で女性議員を増やそうとはしていない(女性議員の「枠」を増やせば、その分だけ男性議員が減る)。これは、女性議員を増やさなければならないとの意識が実は強いものではないことを示す。
女性議員が少ないことの問題点として、女性の立場からの意見が議会に反映されないことが挙げられる。だが、個人の女性議員が女性の立場を必ず代表しているとは言えないし、女性議員が女性の地位向上を最優先するとの確証はない。自己の利益を最優先して行動する男性議員が多いように、女性議員も自己の利益を最優先するだろう。
女性議員にだけ女性の意識を優先して行動することを求めるのは個人の軽視であり、個としての女性を尊重しない差別意識から来る思考だろう。女性を尊重している口ぶりではあっても、数合わせだけのために女性議員を増やすことは、おそらく日本の民主主義に寄与するものは少ない。
国際比較では日本は女性議員が少ないとされ、日本における女性の社会的地位が低いことの証左であるとの印象を拭うために、女性議員を増やさなければと反応しているように見える。だが、女性が立候補できない制度なら改革すべきだが、意欲ある女性の立候補を日本は制限していない。立候補に消極的な女性を議員にすることに、どのような意義があるのか。
現在の政治は男性主導で行われており、女性の政界進出に制約があるのは事実だろう。議員としての能力は、おそらく性別差よりも個人差のほうが大きいだろうから、政党が候補者をもっと厳しく選別することで結果として女性議員が増えるなら、現在の政治風土の改革につながるだろう。ただし、問題行動が明るみに出る男性議員が多いのだが、女性議員が同様の問題行動をしないとの保証はない。
また、日本の地方議会1788の女性議員の比率は12.9%だから衆院より若干多いものの、地方議会のうち約2割には女性議員が存在しないという(2017年12月現在)。青森県では48.8%とほぼ半数の地方議会に女性議員が存在せず、東京都では9.5%の地方議会に女性議員が存在しない。
女性議員が国政でも地方議会でも少なすぎると問題視し、女性議員を増やさなければならないとして2018年5月、「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が施行された。これは、国会や地方の議会選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に努力を求めるもの。ただし、政党に対する強制力はない。
努力義務というものは現実では無視されるものだ。つまり、国会議員は本気で女性議員を増やそうとはしていない(女性議員の「枠」を増やせば、その分だけ男性議員が減る)。これは、女性議員を増やさなければならないとの意識が実は強いものではないことを示す。
女性議員が少ないことの問題点として、女性の立場からの意見が議会に反映されないことが挙げられる。だが、個人の女性議員が女性の立場を必ず代表しているとは言えないし、女性議員が女性の地位向上を最優先するとの確証はない。自己の利益を最優先して行動する男性議員が多いように、女性議員も自己の利益を最優先するだろう。
女性議員にだけ女性の意識を優先して行動することを求めるのは個人の軽視であり、個としての女性を尊重しない差別意識から来る思考だろう。女性を尊重している口ぶりではあっても、数合わせだけのために女性議員を増やすことは、おそらく日本の民主主義に寄与するものは少ない。
国際比較では日本は女性議員が少ないとされ、日本における女性の社会的地位が低いことの証左であるとの印象を拭うために、女性議員を増やさなければと反応しているように見える。だが、女性が立候補できない制度なら改革すべきだが、意欲ある女性の立候補を日本は制限していない。立候補に消極的な女性を議員にすることに、どのような意義があるのか。
現在の政治は男性主導で行われており、女性の政界進出に制約があるのは事実だろう。議員としての能力は、おそらく性別差よりも個人差のほうが大きいだろうから、政党が候補者をもっと厳しく選別することで結果として女性議員が増えるなら、現在の政治風土の改革につながるだろう。ただし、問題行動が明るみに出る男性議員が多いのだが、女性議員が同様の問題行動をしないとの保証はない。
2019年11月23日土曜日
アイデンティティ政治
アイデンティティ政治とは、「あるグループが尊厳をもって、周囲の社会に適切に認識されていないという主張に基づいて行われる政治」と米フランシス・フクヤマ氏は定義し、「ナショナリズムや宗教的な過激主義にも直結する、民主主義の最大の脅威だ」とする。
何かのアイデンティティを共有する人々がグループ(集団)を形成し、もっと正当に扱われることを要求して、社会から受けている不利益の是正を求めて政治的な行動をする……これは、昔から存在した行動であり、大規模になると、強権的な支配に対する不満を共有する民衆が立ち上がって政権を転覆させる革命になる。
強権的な支配に対する不満は幅広い人々に共有されるので、帰属意識としてのアイデンティティでは最も間口が広いものだろう。階級意識も間口の広いアイデンティティだったが、労働者階級の独裁=共産党の独裁と奇妙な論理が持ち込まれたこともあって、階級意識をアイデンティティの対象とすることは廃れた。
アイデンティティ政治におけるアイデンティティとは宗教や民族、人種、性的指向などに帰属意識を求めることだ。これらは出生や成育過程で個人に付与されたり、個人が獲得するものであり、特定のグループ(集団)に個人が同化する傾向にある。
フクヤマ氏は「アイデンティティを宗教や人種、民族に求める時、民主的な政治にとって非常に大きな問題が起こる」とし、「アイデンティティ政治家たちは特定集団の代弁者となるために、民主主義を支える機構である裁判所、メディア、野党などを忌み嫌う」と、アイデンティティ政治の危険性を指摘する。
人々が宗教や民族などにアイデンティティを求める結果として、多様化が進む社会では分断と対立が先鋭化したりする。なぜ人はアイデンティティを求めるのか。おそらく自己の存在が肯定される何かを自己の外部に求めるからだろう。民主主義社会で宗教や民族などをアイデンティティとする集団に細分化されるほど、民主主義は機能不全に見えてくる。
米国でトランプ氏の支持層として注目されたのが、製造業が衰退した地域で暮らす中低所得の白人だ。白人というアイデンティティに、政治的・経済的に不当な扱いを受けているとの認識が加わり、アイデンティティ政治の対象となる集団として認知された。アイデンティティ政治は分断や対立を明確化させるが、民主主義に付随するものだ。人々の多様な自己主張が尊重されるのが民主主義だから。
何かのアイデンティティを共有する人々がグループ(集団)を形成し、もっと正当に扱われることを要求して、社会から受けている不利益の是正を求めて政治的な行動をする……これは、昔から存在した行動であり、大規模になると、強権的な支配に対する不満を共有する民衆が立ち上がって政権を転覆させる革命になる。
強権的な支配に対する不満は幅広い人々に共有されるので、帰属意識としてのアイデンティティでは最も間口が広いものだろう。階級意識も間口の広いアイデンティティだったが、労働者階級の独裁=共産党の独裁と奇妙な論理が持ち込まれたこともあって、階級意識をアイデンティティの対象とすることは廃れた。
アイデンティティ政治におけるアイデンティティとは宗教や民族、人種、性的指向などに帰属意識を求めることだ。これらは出生や成育過程で個人に付与されたり、個人が獲得するものであり、特定のグループ(集団)に個人が同化する傾向にある。
フクヤマ氏は「アイデンティティを宗教や人種、民族に求める時、民主的な政治にとって非常に大きな問題が起こる」とし、「アイデンティティ政治家たちは特定集団の代弁者となるために、民主主義を支える機構である裁判所、メディア、野党などを忌み嫌う」と、アイデンティティ政治の危険性を指摘する。
人々が宗教や民族などにアイデンティティを求める結果として、多様化が進む社会では分断と対立が先鋭化したりする。なぜ人はアイデンティティを求めるのか。おそらく自己の存在が肯定される何かを自己の外部に求めるからだろう。民主主義社会で宗教や民族などをアイデンティティとする集団に細分化されるほど、民主主義は機能不全に見えてくる。
米国でトランプ氏の支持層として注目されたのが、製造業が衰退した地域で暮らす中低所得の白人だ。白人というアイデンティティに、政治的・経済的に不当な扱いを受けているとの認識が加わり、アイデンティティ政治の対象となる集団として認知された。アイデンティティ政治は分断や対立を明確化させるが、民主主義に付随するものだ。人々の多様な自己主張が尊重されるのが民主主義だから。
2019年11月20日水曜日
世界各地でデモ
香港で続いているデモは逃亡犯条例の改正案に反対するものとして始まり、「五大要求」を掲げる抗議活動に発展した。五大要求は▽逃亡犯条例改正案の正式撤回▽抗議行動の「暴動」認定の取り消し▽逮捕されたデモ参加者全員への恩赦▽警察の暴力に関する独立調査委員会の設置▽直接選挙の実現。逃亡犯条例改正案は正式に撤回されたが、他の要求は実現していない。
イラクでは10月に始まった反政府デモと治安部隊の衝突で300人以上の死者が出ている(負傷者は6000人以上)。ISの勢力が衰え治安が改善して平和になったものの、各種インフラの復旧は進まず、生活は楽にならず、物価は上がり、汚職や腐敗が蔓延し、武装グループは各地に存在している。
一連のデモの背後には特定の宗派や政党はおらず、指導者もいないという。失業や生活苦、政権の腐敗などに抗議する運動としてデモが始まり、各地に広がった。首都ベイルートでは数十万人規模となったが、政府に批判的だったスンニ派住民だけでなく、シーア派住民も数多く参加し、批判はイラク政府に影響力を行使するイランにも向けられているという。
レバノンでは、無料だった通信アプリに課税する政府発表に若者が反発、反政府デモに発展した。経済の低迷が続くレバノンで若者は失業や汚職に不満を持ち、政府や統治制度の抜本的な改革を求めているという。数十万人規模になったデモ隊は治安部隊と衝突した。デモ隊は、レバノンで多大な影響力を有するヒズボラに対する批判も隠さないという。デモに指導者がいないことはイラクのデモと共通する。
レバノンは国政選挙で宗教・宗派ごとに議席を割りあて、大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決まっていて、宗教や宗派のバランスを固定している。膠着状態が固定された政治と低迷する経済の中で、ヒズボラが社会に大きな影響力を持つとともに、各種の利権を握るという。
チリでは、地下鉄運賃引き上げへの抗議として始まったデモが拡大、生活費の高騰や経済的な不平等などに対する是正を求め、約100万人が参加するなどチリ史上で最大規模のデモに発展した。一部が過激化し、治安部隊と衝突、駅やビル、警察署などが燃やされたりし、首都には非常事態宣言が出された。死者は20人を超すという。
デモ隊に退陣を要求されたチリのピニェラ大統領は、地下鉄運賃の値上げ撤回や内閣の一新、独裁政権時に制定された憲法の改正草案の作成などを発表した。チリは南米で最も安定した富裕国とみなされていたが、非正規雇用が多く賃金格差が大きいなど、人々が抱える不満は高まっていて、改革を求める機運が高まっていたのだろう。
世界の多くの国で人々が抗議運動に参加している。共通するのは①主導的な集団や指導者が不在、②SNSで情報を共有、③若者らがまず動き始める、④一部が過激化。自然発生的に抗議運動が始まり、やがて様々な要求・不満を取り込んで参加者が拡大していると見える。だが、大きな相違点もある。香港のデモの本質は人々が主権を求める行動だが、他国のデモは主権者である人々が様々な改革を要求する意思表示だ。
イラクでは10月に始まった反政府デモと治安部隊の衝突で300人以上の死者が出ている(負傷者は6000人以上)。ISの勢力が衰え治安が改善して平和になったものの、各種インフラの復旧は進まず、生活は楽にならず、物価は上がり、汚職や腐敗が蔓延し、武装グループは各地に存在している。
一連のデモの背後には特定の宗派や政党はおらず、指導者もいないという。失業や生活苦、政権の腐敗などに抗議する運動としてデモが始まり、各地に広がった。首都ベイルートでは数十万人規模となったが、政府に批判的だったスンニ派住民だけでなく、シーア派住民も数多く参加し、批判はイラク政府に影響力を行使するイランにも向けられているという。
レバノンでは、無料だった通信アプリに課税する政府発表に若者が反発、反政府デモに発展した。経済の低迷が続くレバノンで若者は失業や汚職に不満を持ち、政府や統治制度の抜本的な改革を求めているという。数十万人規模になったデモ隊は治安部隊と衝突した。デモ隊は、レバノンで多大な影響力を有するヒズボラに対する批判も隠さないという。デモに指導者がいないことはイラクのデモと共通する。
レバノンは国政選挙で宗教・宗派ごとに議席を割りあて、大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決まっていて、宗教や宗派のバランスを固定している。膠着状態が固定された政治と低迷する経済の中で、ヒズボラが社会に大きな影響力を持つとともに、各種の利権を握るという。
チリでは、地下鉄運賃引き上げへの抗議として始まったデモが拡大、生活費の高騰や経済的な不平等などに対する是正を求め、約100万人が参加するなどチリ史上で最大規模のデモに発展した。一部が過激化し、治安部隊と衝突、駅やビル、警察署などが燃やされたりし、首都には非常事態宣言が出された。死者は20人を超すという。
デモ隊に退陣を要求されたチリのピニェラ大統領は、地下鉄運賃の値上げ撤回や内閣の一新、独裁政権時に制定された憲法の改正草案の作成などを発表した。チリは南米で最も安定した富裕国とみなされていたが、非正規雇用が多く賃金格差が大きいなど、人々が抱える不満は高まっていて、改革を求める機運が高まっていたのだろう。
世界の多くの国で人々が抗議運動に参加している。共通するのは①主導的な集団や指導者が不在、②SNSで情報を共有、③若者らがまず動き始める、④一部が過激化。自然発生的に抗議運動が始まり、やがて様々な要求・不満を取り込んで参加者が拡大していると見える。だが、大きな相違点もある。香港のデモの本質は人々が主権を求める行動だが、他国のデモは主権者である人々が様々な改革を要求する意思表示だ。
2019年11月16日土曜日
絶対の真理なのか
鉄やアルミ、銅、亜鉛など卑金属を貴金属に転換する技術などを探求する錬金術は欧州などで14〜15世紀に盛んだった。金属の種類を変える技術を確立しようとニュートンらも研究に没頭したという。多くの実験手法や化学的知識が発見された功績は残ったものの、現在では錬金術は疑似科学とされる。だが、当時は最先端の科学の試みであった。
当時は原子や原子核の構造が未解明で、錬金術師は金属を作り替えようと研究に没頭し、黒魔術などに加えカトリック、ユダヤ教、イスラム教などの宗教的信念とも錬金術が結びついて、人間が物質を変化させることができると研究に励んだ。おそらく、そうした研究者は最先端をいく科学者で、真理に近づく試みだと社会は受け止めていた。
真理を探求するのが科学であるとの受け止め方は現代でも珍しくなく、科学者の主張は絶対の真理であるかのように信じる人もいる。だが、科学は試行錯誤の積み重ねの歴史である。新しい知見が得られることで、それ以前の科学的な了解事項が覆されることは、錬金術や天動説などの例に見られるように何度も起きている。
常に上書きされ続けるのが科学であると理解すれば、科学的な真理も絶対的な存在ではないと見えてくる。だから、科学とは観察される事象を合理的に説明する体系であるとする科学者の言葉が説得力を持つ。新たな事象が観察されたりすると、新たな理論が必要になり、それまで正しいと理解されていた理論は色あせる。
例えば、膨張する宇宙の未来は①膨張を続ける、②膨張が止まり平衡状態になる、③膨張が止まると縮小に転じる、のどれかだと考えられていた。だが、宇宙の膨張は加速していることが精密な観測で明らかになり、①(膨張を続ける)が現在では主流の考えとなっている。膨張させているエネルギーが何かが未知なので「宇宙は膨張を続ける」が絶対の真理であるのかは定かではない。
絶対の真理とみなされるものに聖書やコーランなど聖典がある。伝えられる預言者の言葉は、正しいこと=絶対の真理と信者は受け止め、信仰する。ここでは絶対の真理は客観的な検証を拒否するものであり、絶対の真理を100%受け入れることが宗教行為として現れる。時には、絶対の真理とする宗教を支えとして人間は他者に対して非寛容になることは歴史が示している。
科学が示す「真理」は、客観的な検証に常に試される。常に不安定であるのが科学的な「真理」であるのだが、宗教の「真理」と同様に絶対的な存在であるとする人々が世界にはけっこう多く存在しているようだ。科学者の主張に沿って世界を作り替えようとする動きが勢いを増している。科学が示す「真理」を武器のように振り回しているとも見え、危機感を声高に言い立てることで、そうした主張を正当化する。
当時は原子や原子核の構造が未解明で、錬金術師は金属を作り替えようと研究に没頭し、黒魔術などに加えカトリック、ユダヤ教、イスラム教などの宗教的信念とも錬金術が結びついて、人間が物質を変化させることができると研究に励んだ。おそらく、そうした研究者は最先端をいく科学者で、真理に近づく試みだと社会は受け止めていた。
真理を探求するのが科学であるとの受け止め方は現代でも珍しくなく、科学者の主張は絶対の真理であるかのように信じる人もいる。だが、科学は試行錯誤の積み重ねの歴史である。新しい知見が得られることで、それ以前の科学的な了解事項が覆されることは、錬金術や天動説などの例に見られるように何度も起きている。
常に上書きされ続けるのが科学であると理解すれば、科学的な真理も絶対的な存在ではないと見えてくる。だから、科学とは観察される事象を合理的に説明する体系であるとする科学者の言葉が説得力を持つ。新たな事象が観察されたりすると、新たな理論が必要になり、それまで正しいと理解されていた理論は色あせる。
例えば、膨張する宇宙の未来は①膨張を続ける、②膨張が止まり平衡状態になる、③膨張が止まると縮小に転じる、のどれかだと考えられていた。だが、宇宙の膨張は加速していることが精密な観測で明らかになり、①(膨張を続ける)が現在では主流の考えとなっている。膨張させているエネルギーが何かが未知なので「宇宙は膨張を続ける」が絶対の真理であるのかは定かではない。
絶対の真理とみなされるものに聖書やコーランなど聖典がある。伝えられる預言者の言葉は、正しいこと=絶対の真理と信者は受け止め、信仰する。ここでは絶対の真理は客観的な検証を拒否するものであり、絶対の真理を100%受け入れることが宗教行為として現れる。時には、絶対の真理とする宗教を支えとして人間は他者に対して非寛容になることは歴史が示している。
科学が示す「真理」は、客観的な検証に常に試される。常に不安定であるのが科学的な「真理」であるのだが、宗教の「真理」と同様に絶対的な存在であるとする人々が世界にはけっこう多く存在しているようだ。科学者の主張に沿って世界を作り替えようとする動きが勢いを増している。科学が示す「真理」を武器のように振り回しているとも見え、危機感を声高に言い立てることで、そうした主張を正当化する。
2019年11月13日水曜日
時代相の反映
「歌は世につれ、世は歌につれ」と流行歌は世相を反映していると見なされ、過去の時代を描写する記事や著作などで当時の流行歌の歌詞が引用されることは珍しくない。その歌を知らなくても歌詞を読むだけで何らかのイメージが湧き出るように感じたりするので、流行歌の歌詞には時代の伝承という意外な役割がある。
とはいえ数多くの新曲が売り出されては消えて行く中で、どれが、その時代の世相を反映しているのか判断するのは困難だ。ヒットしたり長く歌い継がれた曲の中から後の世になって、時代の流れを見いだしつつ、関連がありそうな歌詞の曲を選んで関係づけているのが実際だ。
世相を反映するといっても、記事や著作などで引用されるのは歌詞の一部だけで、しかも反映しているのは時代の一部だけだったりする。書き手の意向次第で自由に曲を選択し、歌詞を配置できるので、曲や歌詞が書き手に都合よく利用されている気配だが、読者が共感を持って読むのだとすれば、説得力はあるのだろう。
流行歌の作り手は、時代を反映させようと意図しているわけではないだろうし、時代を反映させようと作っても歌い継がれなければ消えるだけだ。それに、下手な時代批評や時代をなぞる文言は、流行歌ファンをしらけさせたりし、たちまち色あせたりする。
作り手の発想に無意識のうちに影響を与えるのが時代の流れだろうが、時代の流れは様々あって複雑だ。いろいろな時代の流れを解釈次第で導き出すことができようが、そうした解釈を補強する材料として、論旨に即した流行歌の歌詞を引用することは書き手にとって便利だ。
現代の流行歌の歌詞も世相を反映しているのだろうか。ラップ調の曲が増えて歌詞の量も大幅に増えたので、時代を反映する歌詞を見つけるのは簡単そうだが、歌い継がれるラップが存在するか定かではない。パフォーマンスとしてのラップは時代を反映しているだろうが、個人のパフォーマンスは受け継がれていくものではない。
現代は、歌詞を自作する歌手が増えた時代でもある。それが歌詞の表現を多彩で豊かにしているかどうか判断しかねるが、それらの歌詞から、どのような時代の流れを後の世の人が引き出すのか。知りたいものだが、今の時代の流れの中にいる現代人には見分けが難しい。
とはいえ数多くの新曲が売り出されては消えて行く中で、どれが、その時代の世相を反映しているのか判断するのは困難だ。ヒットしたり長く歌い継がれた曲の中から後の世になって、時代の流れを見いだしつつ、関連がありそうな歌詞の曲を選んで関係づけているのが実際だ。
世相を反映するといっても、記事や著作などで引用されるのは歌詞の一部だけで、しかも反映しているのは時代の一部だけだったりする。書き手の意向次第で自由に曲を選択し、歌詞を配置できるので、曲や歌詞が書き手に都合よく利用されている気配だが、読者が共感を持って読むのだとすれば、説得力はあるのだろう。
流行歌の作り手は、時代を反映させようと意図しているわけではないだろうし、時代を反映させようと作っても歌い継がれなければ消えるだけだ。それに、下手な時代批評や時代をなぞる文言は、流行歌ファンをしらけさせたりし、たちまち色あせたりする。
作り手の発想に無意識のうちに影響を与えるのが時代の流れだろうが、時代の流れは様々あって複雑だ。いろいろな時代の流れを解釈次第で導き出すことができようが、そうした解釈を補強する材料として、論旨に即した流行歌の歌詞を引用することは書き手にとって便利だ。
現代の流行歌の歌詞も世相を反映しているのだろうか。ラップ調の曲が増えて歌詞の量も大幅に増えたので、時代を反映する歌詞を見つけるのは簡単そうだが、歌い継がれるラップが存在するか定かではない。パフォーマンスとしてのラップは時代を反映しているだろうが、個人のパフォーマンスは受け継がれていくものではない。
現代は、歌詞を自作する歌手が増えた時代でもある。それが歌詞の表現を多彩で豊かにしているかどうか判断しかねるが、それらの歌詞から、どのような時代の流れを後の世の人が引き出すのか。知りたいものだが、今の時代の流れの中にいる現代人には見分けが難しい。
2019年11月9日土曜日
特異な体型
人間の体型は痩せ型から肥満型まで幅広く、手足の長短、頭や顔の大きさなどが組み合わされて個性が形成される。体型には標準型とされるものがあるが、その数値は大量の測定結果の平均値で決めるしかない(標準値には客観性が不可欠)。
体型が問題とされるのは、健康との関連で疾病のリスクが高まると懸念される場合で、肥満などの改善が医者から求められたりする。スポーツ選手にも肥満型の体型に見える人がいるが、脂肪による肥満ではなく、トレーニングで筋肉が増えた結果だろう。
スポーツによって鍛えるべき筋肉の部位は異なる。水泳のように全身運動なら全身の筋肉が均等に発達するだろうが、スポーツによっては特定の部位の筋肉が際立って発達することは珍しくなく、また、体重が重いほうが有利になるなら太ることを厭わなかったりする。
そうして形成されたスポーツ選手の体型は一見、標準体型からかけ離れた特異なものとなる。勝つために最適な部位の筋肉を鍛えたという目的合理性を追求した結果だが、スポーツ選手だと認識しない人には、そうした特異な体型が奇異に見えたり、単なる肥満体型などと誤解されるかもしれない。
勝つために筋肉などで肥大させた肉体を持つスポーツ選手の代表格は力士だ。全体の筋肉が均等に発達した力士もいるが、体重を増やすために肉体が膨張し、かなりの肥満体型に見える力士も多い。取り組みでは俊敏に動き、凄まじい力を見せ、脂肪に満ちた肥満体型ではなく、鍛え上げた肉体であることを示す。
だが、力士をはじめスポーツ選手は、鍛えた肉体で勝利を得る一方、衰えや負傷など肉体の衰弱とともに勝利は遠ざかる。引退ともなれば、残るのは特異に発達した肉体であり、激しいスポーツを離れた平穏な日常では、そうした肉体は無用の長物と化す。
スポーツの世界に最適な肉体は、日常の世界に置かれると標準を逸脱した特異な体型となる。もちろん、どんな体型であっても個人としての尊厳が損なわれることはないが、もう勝利を目指すことがないのだから、無用で過剰な筋肉をまとった肉体となる。
体型が問題とされるのは、健康との関連で疾病のリスクが高まると懸念される場合で、肥満などの改善が医者から求められたりする。スポーツ選手にも肥満型の体型に見える人がいるが、脂肪による肥満ではなく、トレーニングで筋肉が増えた結果だろう。
スポーツによって鍛えるべき筋肉の部位は異なる。水泳のように全身運動なら全身の筋肉が均等に発達するだろうが、スポーツによっては特定の部位の筋肉が際立って発達することは珍しくなく、また、体重が重いほうが有利になるなら太ることを厭わなかったりする。
そうして形成されたスポーツ選手の体型は一見、標準体型からかけ離れた特異なものとなる。勝つために最適な部位の筋肉を鍛えたという目的合理性を追求した結果だが、スポーツ選手だと認識しない人には、そうした特異な体型が奇異に見えたり、単なる肥満体型などと誤解されるかもしれない。
勝つために筋肉などで肥大させた肉体を持つスポーツ選手の代表格は力士だ。全体の筋肉が均等に発達した力士もいるが、体重を増やすために肉体が膨張し、かなりの肥満体型に見える力士も多い。取り組みでは俊敏に動き、凄まじい力を見せ、脂肪に満ちた肥満体型ではなく、鍛え上げた肉体であることを示す。
だが、力士をはじめスポーツ選手は、鍛えた肉体で勝利を得る一方、衰えや負傷など肉体の衰弱とともに勝利は遠ざかる。引退ともなれば、残るのは特異に発達した肉体であり、激しいスポーツを離れた平穏な日常では、そうした肉体は無用の長物と化す。
スポーツの世界に最適な肉体は、日常の世界に置かれると標準を逸脱した特異な体型となる。もちろん、どんな体型であっても個人としての尊厳が損なわれることはないが、もう勝利を目指すことがないのだから、無用で過剰な筋肉をまとった肉体となる。
2019年11月6日水曜日
英語教育の目的は何か
日本政府は英語教育に熱心だ。経済界からの要請なのか、英語を駆使してグローバルに活躍できる日本人を増やそうと躍起になっているように見える。読み書きに加え、聞いて話す能力も高めなければならないと、あれこれと制度をいじる。
日本政府が英語教育に熱心になるのは、実質的な世界共通語に最も近くなったという英語の位置づけの変化が影響している。経済がグローバル化し、インターネットが世界を結ぶ現在、企業は初めから新入社員に相応の英語能力を要求する。そのために英語教育で多くの学生に「使える」英語を身につけさせることが必要になったと見える。
一方で、日本語という独自の言語による高度な文明を築いている日本では、日常において英語の必要性は乏しく、英語の高度能力は必要な人だけが習得すればいいとの考えもある(商売や学問などで英語が必要な人は日本では1割程度だともいう)。英語に流暢な日本人が増えれば外国からの観光客を歓待するために役立つだろうが、日本人が皆、観光ガイドになる必要はない。
英語教育の目的は何か。実用的な語学能力を習得することであるなら、語学学校がある。教育制度をいじるより、語学学校へ学生・生徒を通わせることに助成するほうが効果的かもしれない。大学や高校を語学学校にしたいのなら、入試よりもカリキュラムを全面的に変えたほうがいい。
英語教育の目的が揺らぎ、経済界などからの要望に影響されたため、あれこれと制度をいじることが続いていると見える。英語教育の目的が揺らいでいるから、過去の英語教育が効果を上げなかったと映り、その原因を調査・分析するにも視点が定まらない。あれこれ改正点を打ち出しても、目的が揺らいでいるから対処療法で済ますだけ。
学校教育で英語を習得できないことは批判されたり揶揄されたりするが、日本語の読解力や数学などの基礎的学力に乏しい学生・生徒は珍しくないとも言われる。だが、嘆かれるだけで、学校教育の見直しを要求する声は経済界などから明確には上がらない。英語教育の「成果」は見えやすいから、経済界などからの要求が強まるのだろう。
言語を身につけるには「習うより慣れろ」が有効だという。好きなハリウッド映画を繰り返し観たり、ビートルズの歌を全曲覚えて、聴く力・話す力を身につけた人もいる。学校教育をあれこれいじるよりも、地上波テレビに米国放送局の参入を認め、そのまま番組を放映させて誰でも英語に日常的に接する機会を広げたほうが、効果があるかもしれない(日本の植民地化を促進するとの批判が出てきそうだが)。
日本政府が英語教育に熱心になるのは、実質的な世界共通語に最も近くなったという英語の位置づけの変化が影響している。経済がグローバル化し、インターネットが世界を結ぶ現在、企業は初めから新入社員に相応の英語能力を要求する。そのために英語教育で多くの学生に「使える」英語を身につけさせることが必要になったと見える。
一方で、日本語という独自の言語による高度な文明を築いている日本では、日常において英語の必要性は乏しく、英語の高度能力は必要な人だけが習得すればいいとの考えもある(商売や学問などで英語が必要な人は日本では1割程度だともいう)。英語に流暢な日本人が増えれば外国からの観光客を歓待するために役立つだろうが、日本人が皆、観光ガイドになる必要はない。
英語教育の目的は何か。実用的な語学能力を習得することであるなら、語学学校がある。教育制度をいじるより、語学学校へ学生・生徒を通わせることに助成するほうが効果的かもしれない。大学や高校を語学学校にしたいのなら、入試よりもカリキュラムを全面的に変えたほうがいい。
英語教育の目的が揺らぎ、経済界などからの要望に影響されたため、あれこれと制度をいじることが続いていると見える。英語教育の目的が揺らいでいるから、過去の英語教育が効果を上げなかったと映り、その原因を調査・分析するにも視点が定まらない。あれこれ改正点を打ち出しても、目的が揺らいでいるから対処療法で済ますだけ。
学校教育で英語を習得できないことは批判されたり揶揄されたりするが、日本語の読解力や数学などの基礎的学力に乏しい学生・生徒は珍しくないとも言われる。だが、嘆かれるだけで、学校教育の見直しを要求する声は経済界などから明確には上がらない。英語教育の「成果」は見えやすいから、経済界などからの要求が強まるのだろう。
言語を身につけるには「習うより慣れろ」が有効だという。好きなハリウッド映画を繰り返し観たり、ビートルズの歌を全曲覚えて、聴く力・話す力を身につけた人もいる。学校教育をあれこれいじるよりも、地上波テレビに米国放送局の参入を認め、そのまま番組を放映させて誰でも英語に日常的に接する機会を広げたほうが、効果があるかもしれない(日本の植民地化を促進するとの批判が出てきそうだが)。
2019年11月2日土曜日
青函トンネルを移譲
JR北海道の経営不振は有名だ。全区間が赤字だが、鉄路の維持管理に要する多額の費用を削減することはできず、関連事業も頭打ち。2019年3月期の連結決算では最終損益が179億円の赤字で3期連続の最終赤字(売上高にあたる営業収益は1710億円)。放ってはおけないと国はJR北海道に19~20年度の2年間で総額400億円規模の財政支援をする。
最も赤字額が大きかったのは、乗車率が24%だった北海道新幹線で95億円。この乗車率は他の新幹線などと比べ低いように見えるが、乗客数で見ると、青函トンネルを特急が走っていた以前と比べて大差はない。つまり、この区間の鉄道利用の需要は、たいして増えても減ってもいない。
開業している北海道新幹線は、新青森〜新函館北斗間の約150キロ(札幌まで開業するのは2030年度末)。東京方面からきた東北新幹線は新青森から先はJR北海道の管理する区間を走る。駅は新青森〜奥津軽いまべつ〜木古内〜新函館北斗で、青函トンネルは奥津軽いまべつ〜木古内の間にある。青函トンネルの維持管理のためのJR北海道の負担額は年間41億円という。
青函トンネルは貨物列車も走り、その本数は北海道新幹線の約2倍になる。北海道各地で収穫される大量の農産物などを本州へ移送する大切なルートだ。軌道幅が異なるため青函トンネル区間では、貨物列車用の2本のレールの外側に新幹線用のレールを1本加えた三線軌条となり、すれ違いなどを考慮して青函トンネル区間では北海道新幹線の最高速度は抑えられ、高速列車という新幹線の利点が消されている。
青函トンネルは、北海道側から見れば本州への入り口(=北海道からの出口)であり、本州側から見れば北海道への入り口である。利用状況からすると、本州への入り口としての役割が大きいので北海道側の負担とし、JR北海道が維持管理を担当していることに不思議はないのだが、JR北海道の経営不振を考えると、青函トンネルの維持管理をJR東日本に移すことも考慮に値しよう。
その場合の問題点は、第一に北海道新幹線がJR東日本に移る、第二にJR東日本には負担増が大きく利点が少ない。後者については、新函館北斗駅までがJR東日本の区間になることで、首都圏などからの北海道観光を多彩に展開でき、東北の観光地と組み合わせたり、多様な観光列車を企画したりと集客を図ることができよう。北海道という人気観光目的地をJR東日本が自在に活用できる。
北海道新幹線がJR東日本に移ることで北海道民には心情的な喪失感があるだろう。北海道新幹線も鉄路も維持されるので実際の損失はないのだが、北海道の衰退の象徴とも見えるかもしれない。だが、本州側が管理することで青函トンネルが北海道への入り口としての性格を強め、本州側の視点での経済開発が始まるなら、北海道は失うものより得るものの方が大きいだろう。
最も赤字額が大きかったのは、乗車率が24%だった北海道新幹線で95億円。この乗車率は他の新幹線などと比べ低いように見えるが、乗客数で見ると、青函トンネルを特急が走っていた以前と比べて大差はない。つまり、この区間の鉄道利用の需要は、たいして増えても減ってもいない。
開業している北海道新幹線は、新青森〜新函館北斗間の約150キロ(札幌まで開業するのは2030年度末)。東京方面からきた東北新幹線は新青森から先はJR北海道の管理する区間を走る。駅は新青森〜奥津軽いまべつ〜木古内〜新函館北斗で、青函トンネルは奥津軽いまべつ〜木古内の間にある。青函トンネルの維持管理のためのJR北海道の負担額は年間41億円という。
青函トンネルは貨物列車も走り、その本数は北海道新幹線の約2倍になる。北海道各地で収穫される大量の農産物などを本州へ移送する大切なルートだ。軌道幅が異なるため青函トンネル区間では、貨物列車用の2本のレールの外側に新幹線用のレールを1本加えた三線軌条となり、すれ違いなどを考慮して青函トンネル区間では北海道新幹線の最高速度は抑えられ、高速列車という新幹線の利点が消されている。
青函トンネルは、北海道側から見れば本州への入り口(=北海道からの出口)であり、本州側から見れば北海道への入り口である。利用状況からすると、本州への入り口としての役割が大きいので北海道側の負担とし、JR北海道が維持管理を担当していることに不思議はないのだが、JR北海道の経営不振を考えると、青函トンネルの維持管理をJR東日本に移すことも考慮に値しよう。
その場合の問題点は、第一に北海道新幹線がJR東日本に移る、第二にJR東日本には負担増が大きく利点が少ない。後者については、新函館北斗駅までがJR東日本の区間になることで、首都圏などからの北海道観光を多彩に展開でき、東北の観光地と組み合わせたり、多様な観光列車を企画したりと集客を図ることができよう。北海道という人気観光目的地をJR東日本が自在に活用できる。
北海道新幹線がJR東日本に移ることで北海道民には心情的な喪失感があるだろう。北海道新幹線も鉄路も維持されるので実際の損失はないのだが、北海道の衰退の象徴とも見えるかもしれない。だが、本州側が管理することで青函トンネルが北海道への入り口としての性格を強め、本州側の視点での経済開発が始まるなら、北海道は失うものより得るものの方が大きいだろう。
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