2025年4月24日木曜日

日本語という非関税障壁

 20XX年、米国は日本の最大の非関税障壁は「日本語の壁だ」と批判し始めた。英語を準公用語に制定し、米国から輸出された製品の仕様書や使用説明書などは英語表記のままでも認めるように要求した。日本政府は当惑したが、その外交は米国の真意を探ることに終始し、どこまで譲歩するかの条件闘争だった。

 高率の関税を各国に次々と課して、ディールに引き込み、高飛車な交渉姿勢で次々と各国に要求を飲ませた2025年の第二次トランプ政権の成功体験により、トランプ政権後の米国政府の外交姿勢は、一方的に各国に要求を突きつけ、従わない国には制裁を課したり、さらには関税を引き上げたりするようになった。米国による安全保障の維持も交渉材料にするようになった米国は、各国に強気で臨んだ。

 米国製自動車の販売数が少なく、コメの700%関税など米国が障壁だと指摘した事項について日本政府は、米国には事実誤認や誤解があると国内向けには説明し、外交交渉で丁寧に説明して理解を求めるとの姿勢だったが、客観的な事実よりも主張を通すことに重きを置く米国は取り合わず、日本は譲歩に次ぐ譲歩を余儀なくされた過去があった。

 英語を準公用語にしろとの米国の要求に、日本国内では反発の声が湧き起こった。民族意識が刺激されたようで、日本語の維持は日本民族を意識するためには欠かせない重要な問題だとの主張が方々から現れ、日本語という「日本民族の精神形成に重要な役割を果たした言語を守れ」という機運が盛り上がった。

 一方で、表立って強くは言わないが、米国の要求を歓迎する経済人や評論家などもいた。英語が実質的に世界の共通言語になっているのだから、米国の要求を機会に日本国内での英語使用をもっと増やし、テレビ番組には必ず英語の字幕をつけ、英語に堪能な日本人を増やすことが日本の国際競争力の強化につながっていくとの考えだった。

 米国の要求を機会に、「われわれ日本人は日本語を本当に大切にしてきたのか」という視点からの批判も出てきた。テレビや雑誌、各種広告など日常空間ではすでに英語を主としたカタカナ語やアルファベットの横文字が氾濫していて、中央官庁の行政文書にもカタカナ語が増殖し、小洒落た飲食店や商店の店名は横文字ばかりという状況になっているのだから、日本人自身が日本語を粗末に扱いすぎていたという批判だ。

 英語を日本の準公用語にしろという米国には、中央省庁から地方自治体まで日本の全ての公的文書に英語版も制作させ、米国側で翻訳する手間を省き、政府間交渉も企業間交渉も全て英語で行うことを半ば義務化する狙いがあった。第二次トランプ政権の強硬な外交姿勢を引き継ぐ米国政府に振り回されっ放しの日本政府に妙案は浮かばず、国内の反対論をどう鎮めるかということに閣議の論点は移っていった。

2025年4月23日水曜日

終焉か再構築か

 グローバリズムは、人・モノ・カネ・情報が国境に関係なく世界を自由に動き回る現象だとされる。グローバリズムが進むと、やがて世界が1つの市場に統合されるとの期待もかつて現れ、歓迎された。だが現在、グローバリズムの進展によって惹起された様々な問題が各国で顕在化している。

 第二次大戦後、モノやカネの移動を自由にする方向へ各種の国際機構や条約が整備され、グローバリズムは着々と進んできた。インターネットの誕生は情報における国境の壁を無意味にし、各国間のビザ免除拡大などで人の移動の自由も拡大してきた。グローバリズムは冷戦後に始まった動きではなく、世界は1つの市場、さらには1つの共同体を構築する方向へと動いてきた。

 グローバリズムの進展に対して、現在顕著になっているのは国家主権の回復の動きだ。その代表が米トランプ政権で、グローバリズムの象徴ともいえる自由貿易体制に背を向け、高関税などで自国市場を囲い込み、米国1国の利益を優先する体制を構築しようとしている。欧州諸国で勢力を拡大する反移民・反EUの政党も国家主権の回復を目指す動きの現れだ。

 人の自由な移動はグローバリズムにより拡大したが、各地での紛争の多発などにより難民が増加し、豊かな国を目指す合法・非合法の移民も増加した。旅行者やビジネスパーソンなら、その移動先の国にとって負担にはならないが、難民や移民の殺到は負担増となったり、社会不安を招いたりする。米トランプ政権は大規模な移民の送り返しを始めたが、欧州も強制送還を容易にするように難民審査を簡略化する。

 グローバリズムにより自由に国境を越えて移動する「人」には、難民・移民は想定されていなかったのだろう。モノやカネは意思を持たないが、人は自分の意思で動くことができるので、紛争地や貧しい国の人々は動き始めた。歴史的に人類は移動を繰り返してきたのだが、国民国家の形成・広がりにより国境で管理されるようになっていた。難民・移民の増大を迷惑がるのも国家主権の回復を目指す動きだ。

 人やモノの自由な移動の制限を目指す国家が増え、グローバリズムの動きに揺り戻し(あるいは終焉)が見られる現在だが、カネや情報の自由な動きに対する反発・批判は現れない。カネや情報の自由な動きでは米国企業が世界市場で圧倒的な存在感を持っていて、カネや情報の自由な動きを制約することは米国の利益にならない。カネや情報においてはグローバリズムは健在だ。

 グローバリズムの動きを支えていたのは多国籍企業だ。サプライチェーンを各国に分散させて構築し、製品を世界で販売したり、マニュアル化されたサービスでフードチェーンなどを世界で展開した。制裁によりロシアがグローバル市場から排除されることにより、多国籍企業のグローバル戦略は後退を余儀なくされ、ロシアは国家主権を強化したようにも見える。

 グローバリズムは終焉するのか、再構築されるのか。再構築されるとしても、従来の延長上には戻らず、アメリカファーストのグローバリズムになるかもしれない。それが米国が世界から収奪する構造になるなら、米国の従属国以外は背を向けるだろう。変質したグローバリズムは世界の調和を目指すものではなく、新たな混乱をもたらすものになる。

2025年4月19日土曜日

市場原理と市場外的原理

 かつての冷戦は米国とソ連による世界の分割支配体制であった。米国とソ連の対立は資本主義と社会主義の対立であるともされたが、資本主義側には繁栄した国が多かったのに比べ社会主義の側ではソ連をはじめとして経済的に停滞した国ばかりだった。だが、社会主義の影響は資本主義国にも及び、富裕層への課税を強化したり、労働法制の整備や労働者の権利確保などに努めなければならなかった(それが厚い中間層の形成につながった)。

 やがて1991年のソ連の崩壊など社会主義の側で体制転換する国が相次ぎ、現実として社会主義による国家運営には限界があり、社会主義との優劣競争に資本主義が勝利したとの解釈が一般化した。社会主義側の「敗北」について加藤周一氏は次のように論じた(「20世紀と放送」内川芳美氏との対談、1997年=『加藤周一対話集⑤ー歴史の分岐点に立って』所収。適時修正あり)。

 「市場原理ではない市場外の原理を社会主義的だとすれば、資本主義は社会主義的原理を導入しなければうまく行かない。社会主義的な計画経済は市場原理、競争原理を導入するものだ。純粋社会主義というものは成り立たないし、未来がない。また、純粋資本主義というものもない」

 「実際に起こったことは、ソ連は資本主義的な原理をほとんど導入しなかった。資本主義側はヨーロッパでもアメリカやカナダでも社会主義的な要素を導入した。つまり市場原理に基づかない原理を導入した。資本主義が勝ったのではなく、資本主義と社会主義を合わせたものが勝った。資本主義側で合わせ、社会主義側で合わせなかったから、ソ連側が失敗して、アメリカ側というか資本主義側が成功した」

 「社会主義が競争原理を導入しなければダメなのは、能率が下がるからだ。資本主義の側で社会主義的=市場外的原理を導入しないとうまくいかないのは、市場の勝敗は短期的だという性質があり、長期的なものは市場原理に任せると成り立たないからだ」

 「長期的なもので典型的なものは、たとえば教育だ。学校にいる学生が本当に労働力になるのはだいぶ先の話になる。だから、短期的に今年の決算はと言われても、教育の効果は今年の決算ではゼロで、投資だけがあって利益はない。市場原理だけでは教育は成り立たない。教育というものは非常に長期的で、市場の短期的な計算と合わない」

 「米国には多くの大学があるが、私的財団と政府が大学に膨大なカネを投資している。儲かるからではなく市場外の活動だ。純粋の市場原理でいけば、米国の大学の大部分はなくなってしまう。大学がなければ米国の工業力は落ちるから、経済的にも米国は持たない」「メトロポリタン・オペラは各種の財団によって支えられている。入場券だけで運営できる=市場原理だけで運営できるオペラは全世界にただの一つもない。政府がやるか財団がやるかしかない」。

 ソ連の崩壊から中国は多くを学び、資本主義(市場主義)を散り入れて大幅な経済成長を達成した。同時に国内では富裕層が形成され、格差が大きく広がっているという。現在の米中の対立は、資本に従属する国家と、国家に従属する資本がせめぎ合っているように見える。

2025年4月16日水曜日

相対的な価値観

 1917年にロシアで革命により皇帝が退位し、1922年にロシアを中心としたソビエト社会主義共和国連邦が誕生した。ソ連は多民族からなる連邦で、共産党の1党独裁体制の社会主義国家だった。労働者階級が統治する国家だとされ、資本主義諸国の労働者や労働運動の活動家らの中には「労働者の祖国」とソ連を称する人もいた。

 20世紀においてソ連は、資本主義に代わる具体的かつ現実の階級闘争の成功モデルとして世界的な影響力は大きかった。だが、1990年にバルト3国が連邦から分離独立し、1991年にソ連共産党は解党され、やがてソビエト連邦は解体した。階級闘争を正当化する共産主義が影響力を持ったのはソ連などが存在していたからで、ソ連の崩壊後には共産主義の影響力は急速に衰えた。

 ソ連が健在だったころ、日本にも世界革命を主張する人々がいた。世界各国で革命を成功させることを夢想し、革命の根拠地を世界に確保しなければならない-などと飛躍して行動したグループもあった。世界を社会主義という1色に塗り替えようとした試みだったが、「万国の労働者よ 団結せよ」も「万国の革命運動よ 団結せよ」もうまくいかず、世界革命論も永久革命論もほぼ消えた。

 当時の世界は資本主義諸国と社会主義諸国が対立し、世界で影響力の拡大を競っていた。世界各国で労働者は人口の多数を占めるので、「最大多数の最大幸福」を求めるなら、労働者の利益を優先した政策が行われるべきだろう。だが、社会主義国では党や個人の独裁統治が行われ、資本主義諸国のほうが経済成長し、人々が豊かな暮らしを享受していたのが現実だった。

 社会主義国は現在も中国などが存在しているが、社会主義色は希薄となり、その国家体制が「労働者の祖国」などと憧れをもって見られることはない。最近では権威主義体制の国家と見られ、民主主義との対立が強調される。経済成長した中国や、強大な軍事力で領土を広げるロシアが権威主義体制の「成功例」であると見なす諸国もあるようで、影響力を持っている。

 民主主義は「人民が主権を持ち、人民の意思をもとにして政治を行う主義」であり、政党や個人が実質的に独裁するなど権力が一部に集中する権威主義とは国家主権のあり方が異なる。皇帝や王侯貴族の専制支配を打倒して民主主義が欧州で広がり、やがて世界にも広がったが、世界は民主主義1色に染められることはなく、かつての皇帝や王侯貴族の専制支配を想起させる権威主義が存在感を増している。

 欧米の論調に強く影響される日本では、民主主義は普遍的な価値観とされるが、中国の台頭やロシア、イスラエルの領土拡張を目指す軍事行動に歯止めをかけることができない世界で、民主主義は相対的な価値観になり、「そういう考えもあるんだね」程度の扱いになっていくのかもしれない。それは、権威主義が諸国の現実的な選択肢になっている世界の現実を反映している。

2025年4月12日土曜日

文明開化と和食

 ヘルシー(健康的)だとのイメージもあってか和食レストランが各国で増え、約18.7万店(2023年)と2021年の約15.9万店から約2割増加した(農水省)。地域別ではアジアが約12.2万店、北米が約2.8万店、欧州が約1.6万店、中南米が約1.3万店などとなる。アジアや欧州、中南米で店舗数は増えたが、北米では減少した。

 世界の和食レストラン数は2006年には約2.4万店だったので、17年間で約8倍になった。アジアや欧州では、日本食人気の高まりに加えチェーン展開する企業の進出等があり、北米ではコロナ禍の影響等があったと農水省。一方、訪日外国人数が増加しているが、様々な日本食を「本場」で食べることを目的にする人もいて、街中を食べ歩きする様子がTV番組などで伝えられる。

 外国人にも人気がある和食は寿司や天ぷら、すき焼き、ラーメン、ステーキ・焼肉、うなぎなどが中心だったが、味噌汁や枝豆、焼き餃子、焼き鳥、うどん、カツ丼、牛丼、カレーライスなど多くのメニューにも人気が広がってきた。世界の和食レストランで多くの和食メニューを提供するようになり、訪日経験がなくても様々な和食体験が可能になったことが影響しているようだ。

 和食に多彩なメニューが増えたのは明治時代以降のことだ。江戸時代には、武士は一汁三菜(飯と味噌汁に、おかずは漬物、煮物、豆腐、魚など3品)で、庶民は一汁一菜(飯と味噌汁に、おかずは漬物など)だったとされる。一方、外食文化が始まったのも江戸時代とされ、蕎麦、寿司、天ぷらなどが屋台で売られ、料理屋や高級料亭も誕生したという。

 外国人に人気の和食メニューの多くは明治時代以降に日本で定着したものが多い。例えば、すき焼きは牛鍋から発展したもので、西洋料理の普及拡大の先駆者的存在だ。和食の代表格のイメージがあるが、明治時代に定着したメニューだ。天ぷらは安土・桃山時代にポルトガル人が長崎に伝えたとされるが、江戸時代に普及し、明治時代に専門店などが登場したとされる。

 ラーメンは明治時代に横浜中華街で提供されたのが最初とされ、1945年の敗戦後に中国からの引き揚げ者が屋台で提供したのが広まった(中国にも麺料理があるが、

ラーメンに相当する麺料理はない)。焼き餃子も敗戦後に中国からの引き揚げ者が広めたとされる日本流の料理だ(中国では焼き餃子ではなく水餃子)。

 トンカツは欧州のカツレツ(コートレット、シュニッツェル)をもとに日本で天ぷらの調理法を活用して誕生した料理で、カレーライスは旧日本海軍が英国海軍を手本に、英国領だったインドのスパイスをシチューに加えた英国式カレーをメニューに加え、それが広まった。やがてカレーうどんなどカレー味のメニューが増殖している。

 カキフライやエビフライも明治時代に誕生したとされ、明治時代に入ってきたオムレツで飯を包んだオムライスが誕生したのは大正時代。コロッケのルーツはフランス料理のクロケットとされる。敗戦後には米国の余剰小麦の消費地に日本が仕立てられ、パン食やパスタや菓子類、ハンバーガーなど小麦粉を使った料理が広まり、パン食普及などで和食の世界は大きく変貌した。

 和食は明治時代以降、様々な外国料理の影響を受けたり、外国料理を取り入れて日本化させてきた。和食人気が世界で広がっているのは、和食が中華や西洋料理を取り入れた多国籍料理でもあり、無国籍料理でもあるので食のグローバル化の先頭に立つ料理だからだろう。

2025年4月9日水曜日

軽視された調査報告

 2019年に北海道立の江差高等看護学院の男子学生が自殺し、遺族は、学校側が教員のパワハラを放置していたとして北海道を訴えた。北海道が設置した第三者委員会は調査結果で、学生に対して複数の教員が行った4件のパワハラを認定し、北海道は遺族に謝罪した。だが、裁判で北海道は、第三者委が認定した事例はパワハラにはあたらないなどと争っているという。

 第三者委の調査報告を受けて道保健福祉部の幹部が遺族に直接謝罪し、知事も記者会見で謝罪の言葉を述べたのだが、裁判になると一転、パワハラが自殺に直接結びついたとは言い切れないとか、第三者委の調査は客観的なものではないなどとして、自殺の賠償には応じない姿勢となった。謝罪はパワハラを対象にしたもので、自殺に対するものではないとする。第三者委による調査は北海道では有識者から意見を聞く懇談会という位置づけだという。

 兵庫県では第三者委が調査報告で、▽知事の11件の言動はパワハラにあたる▽告発文書は公益通報にあたる▽通報者捜しを行ったことや、文書を作成した元局長の公用パソコンを回収したことは公益通報者保護法に違反する▽告発文書の作成と配布を理由にした元局長の懲戒処分は違法で無効-などとし、「組織の幹部は、感情をコントロールし、公式の場では人を傷つける発言や事態を混乱させるような発言は慎むべきだ」と提言した。

 第三者委の調査報告を受けて斉藤知事は記者会見で、「県の対応は適切だった」「誹謗中傷性の高い文書との認識に変わりはない」「当時としてはやむを得ない適切な対応だった」などと公益通報者保護法違反を否定したという。第三者委の調査報告が出る前と変わらない主張で、選挙で勝ったこともあり、知事は非をいっさい認めない姿勢を貫いている。

 フジテレビが設置した第三者委は調査報告で、▽中居氏のトラブルは業務の延長線上における性暴力であった▽フジ幹部が中居氏の利益のために動いた▽社長ら3人は性暴力への理解を欠き、被害者救済の視点が乏しかった▽社内のセクハラに非常に寛容な企業体質があった▽取引先との会食にアナウンサーや社員が「利用されていた」▽取締役会が機能不全で内部統制の構築・運用面でも様々な問題がある-などとした。

 第三者委の調査報告を受けてフジテレビ社長は記者会見で被害女性に謝罪し、「会社の対応や企業風土、ガバナンスなどの問題について大変厳しい指摘を受けた。一連の問題について第三者委員会からの指摘を真摯に受け止め、会社としての責任を痛感している」と述べ、第三者委の調査報告を尊重する姿勢を明確にした。

 第三者委の調査報告をフジが全面的に受け入れたのは、社会的批判が強かったからだろう。反省し、改革を進めるポーズを取る以外にフジに活路はなかった。地方自治体は民間企業とは異なり、スポンサーからの圧力はなく、権力を行使する主体でもあるので第三者委の調査報告を軽視することができた。それは社会的な責任をうやむやにすることもできると示している。

2025年4月5日土曜日

民族と宗教

 2018年にイスラエルで成立したユダヤ人国家法は、▽イスラエルはユダヤ人にとって歴史的な母国である▽民族自決権はユダヤ人の独占的権利である▽エルサレムはイスラエル国家の首都である▽ヘブライ語のみが公用語である▽亡命ユダヤ人を集め、ユダヤ人入植地の拡大を政府が奨励して促進する▽ディアスポラにおけるイスラエルとユダヤ人との関係強化に取り組む-などを明記した。

 この法律について中東調査会は、今回の法案では「イスラエル国内に居住するユダヤ人と離散したユダヤ人の表記が共に『the Jewish People』」とあり、「離散したユダヤ人は世代交代を繰り返しながら世界各地に住んでおり国籍、言語、身体的特徴の点で異なる」、イスラエルに住むユダヤ人と今もディアスポラにあるユダヤ人が法案中で同義に扱われているのは「政府がユダヤ人=ユダヤ教徒との認識を持っていることを意味する」と解説した。

 続けて、民族が宗教的な面から強調されていくことで「イスラエル社会においてユダヤ教徒でありながら、慣習や教義から外れる者はユダヤ人なのか」「パレスチナ人でありながらユダヤ教徒に改宗した者はユダヤ人なのかという問題が政治の場で大きな議論へと発展していく可能性も生まれる」とした。

 民族意識を刺激して国内の統制を進めるのは強権政治国の常套手段だ。漢民族の他に50以上の民族が暮らす中国は、人工的に中華民族を形成させ、中華民族との意識の定着を進める。国内が特定の民族意識で固められると、「我々」と「その他」の峻別が行われ、排外主義がはびこり、敵対したり対立する他民族(=他国)を敵視・蔑視する風潮が珍しくなくなる。

 民族の定義は「言語・文化を共有する人間の集団」「言語・人種・文化・生活慣習・歴史的運命を共有し、同族意識を持つ人々の集団」とか、「人種的・地域的起源が同一(または同一であると信じ)で、言語・宗教などの文化的伝統と、歴史的な運命を共有する人間の集団」「言語・宗教・風土・歴史・生活習慣などが共通する社会集団。同族意識を持つ」など宗教を加える解釈もある。

 神道やヒンズー教など特定の民族だけが信仰する宗教があるので、宗教を民族の要素に含める定義も成立しそうだが、神道を信仰する外国人は日本民族になるのか-という疑問が出てくる。ユダヤ教を信仰する人はユダヤ民族であるとイスラエルは宣言したが、これは欧米など世界各地のユダヤ人に向けて「我々」意識を高めてもらおうとの政治的なメッセージだ。

 民族意識は限定された人々に共有されるが、何らかの宗教の信者であるとの意識は民族を超えて共有される(例えば、仏教・キリスト教・イスラム教)。ユダヤ教を信じる人々をユダヤ民族とするなら、仏教民族とかキリスト民族とかイスラム民族も誕生しそうだが、仏教・キリスト教・イスラム教は特定の国家に属してはいない。イスラエルがユダヤ民族を強調するのは、中華民族と同様に人工的に民族意識を高め、統治に利用するためだろう。

2025年4月2日水曜日

米国の中流階級

 政治的な主張の違いによる対立が激しくなり、米国社会の分断は深刻だと報じられる。政治的な対立は選挙戦などで可視化されるので、対立構造は外部からも理解しやすい。自説に固執し、寛容さを失った人々がトランプ大統領を誕生させ、そのトランプ政権は世界の新たな分断を画策・実行している様相だ。

 分断は経済面でも顕著となり、▽米国全体の富の3分の1を所得上位1%の世帯が保有し、下位50%の世帯は2%しか持たない▽上位10%の所得が全体の51%を占める▽資産残高上位10%のシェアは7割を超す-など所得・資産格差が深刻化している(所得・資産格差の拡大を深刻な問題と見るか、当然視するかは政治的な立場により異なる)。高所得者層は不動産価格や株価上昇の恩恵を受け、低所得者層はインフレもあって生活を維持するための支出に追われる。

 所得や資産で格差の拡大が続き、富裕層が少しずつ増えるとともに貧困層が増大して中流階級は縮小している(貧困層に脱落する人が増えた。中流階級の割合は1971年の61%から2021年には50%に減少)。経済活動により得られた富の配分を多くの人々に行うことで厚い中流階級が形成されたのだが、人口比では少数の富裕層が収入を増やすには分け前を増やすしかなく、富の配分は偏るようになった。

 中流階級の減少は中流階級の解体へと進み、所得や資産で格差の拡大は続き、人口比では少数の富裕層への所得や資産の集中が続くだろう。こうした偏りは国際関係にも反映され、富の米国への集中を促すことが行われている。つまり中流階級の解体は世界各国で進むが、中流階級から流れ出す富の奪い合いで米国は先行している。

 持たざる人々の反乱は米国内では、例えばトランプ候補への支持拡大などとなって現れるが、政策変更を求める超党派の反政府の抗議活動としては現れない。チャンスは誰にも平等だとの神話が残存し、「敗者」に対して自己責任だと見られるのは個人主義が定着した社会だからだろう。

 富の偏在は、勝者総取りの様相を強める資本主義経済の到達点だ。製造業から金融や情報・IT産業に比重が移行した資本主義では、雇用総数は減少する一方、収益は拡大するので、富の偏在が促進される。金融や情報・IT産業は知的産業とのイメージが蔓延し、高学歴者が従事するとのイメージもあり、高所得が当然視される雰囲気もあるので富の偏在は是正されない。

 中流階級の解体により、少数の富裕層と多数の低所得者層に分かれた社会は、かつての貴族層が君臨していた社会を連想させる。貴族層の独裁を覆して民主主義社会が誕生したはずだが、自由選挙でも、所得や資産の不公平・偏り・歪さを是正する政策を主張する政治家や政党は政権を取ることができないのが現実で、中流階級に属していた人々は中流階級の解体に無力だ。