2021年11月20日土曜日

米中による世界分割支配

 ソ連が崩壊して米国の1強時代になると見られたが、アフガンやイラクへの出兵など軍事力に頼った支配拡大を目指して米国は失敗した。米国では世界を単独で率いていこうとの気配は希薄となり、G20の誕生もあって世界は多極化するとの論が現れたが、大幅な経済成長を遂げた中国が国際政治においても存在感を増し、米中の2強時代との見立てが増えた。

 経済は資本主義で政治は民主主義というシステムが西欧流の近代化だが、資本主義を導入して成功した中国は共産党による独裁統治を強化し、西欧流の民主主義と敵対する姿勢を隠さなくなった。米中が政治や経済で全面的に対立するようになり、軍事的な威嚇行動も珍しくなくなって、米中の2強時代をかつての米ソ対立による冷戦時代となぞらえる論も出てきた。

 かつてのソ連と今の中国の類似点は、①共産党が独裁(共産党トップに権力が集中)、②相当の軍事力を有する(部分的には米国を凌駕する)、③西欧流の民主主義を否定、④国内では政権批判を許さない、⑤造反者に対する過酷な弾圧、⑥文化も統制する、⑦国内植民地を有する(中国ではウイグルやチベット、モンゴルなど)、⑧宇宙開発など国威発揚できる事業に熱心ーなどだ。

 相違点は第一に、経済規模(経済的にソ連は弱小国だったが、中国は経済大国)。第二に、世界経済との結びつき(ソ連の西側との経済的結びつきは弱かったが、中国は西側と経済的に緊密に結びつく)。第三に、同盟国(ソ連には東欧諸国など支配する同盟国があったが、中国には同盟国はない)。第四に、西欧文明との距離(ソ連は西欧文明の辺境に位置するが、中国は独自の文明圏に位置する)。

 さらに、ソ連は共産主義の「本家」だったが中国は思想的に世界に影響を与える何ものも持っていないというイデオロギー的な相違点がある。中国の専制支配と経済的な成功を羨む独裁者が存在する途上国は多いだろうが、ソ連の国際共産主義運動のような影響力は中国にはない。ソ連の存在はイデオロギーでは賛美されたが、中国の存在は経済的な成功だけが賛美される。

 かつての冷戦は米ソによる世界の分割支配だった。米国もソ連も同盟国や追随国を有し、欧州以外の世界各地で対立が時には戦争となって露呈していたが、現在の中国には同盟国も追随国もない。新冷戦とも言われる米中の対立だが、米国と対立して世界を分割支配することが現在の中国にはできていない。

 米国との対立が続き、欧州諸国なども中国に対する警戒感を隠さなくなった状況を受けて中国は自己主張を強めている。欧米主導による国際ルールや普遍的価値感にあからさまに異議を唱え、中国本位の価値観を掲げる。だが、その中国本位の価値観の強調が世界で孤立を強める結果になる。世界を米国と分割支配するどころではなく、中国は孤立感を深め、自己防衛に必死なのかもしれない。

2021年11月17日水曜日

温暖化論議と神の不在

 温暖化により地球環境が危機に瀕しているとの不安が、世界規模で広がっていると内外の報道からは受け取れる。この危機には科学的な裏付けがあるとされ、反対したり異論を主張する人々は、まるで異端者のように攻撃されたりしている。温暖化の危機が絶対的な真理とされたような光景だ。

 温暖化対策の様々な仕組みを「国際標準」にするため欧州が頑張り、欧州メディアの世界的な影響力もあって、人為的な温暖化の進行を止めるために人類は協力して対策を取らねばならないとの国際世論が形成されたかに見える。ローマ教皇も2019年、世界は気候の緊急事態にあるとし、温暖化対策と化石燃料使用削減に向け「劇的な措置」を講じるよう各国政府に求めるメッセージを発表した。

 そのローマ教皇を含む世界の宗教指導者がバチカンに集まって10月に会議を開いた。参加したのはカトリック・東方正教会・英国国教会を含むキリスト教諸教会、イスラム教(スンニ派、シーア派)、ユダヤ教、ヒンズー教、シーク教、仏教、儒教、道教、ゾロアスター教、ジャイナ教など。2月から会議を重ねて作成した共同アピールに署名し、公表した。

 COP26に向けた共同アピールは報道によると、「生態系危機」から地球を救うために具体的な解決法を打ち出すよう呼び掛け、▽CO2実質排出量ゼロの早い達成▽地球全体の平均気温上昇を1.5度までに抑える▽豊かな国や大きな責任を負う国は気候変動対策を強化する▽弱い立場にある国に財政支援を行う▽各国政府は目標を高く持ち、国際協力を強化するーなどを提言した。

 この会議の名称は「信仰と科学、COP26に向けて」。宗教者が集まったのだから「生態系危機」に対して信仰のあり方を問う会議にしてもよさそうだったが、実際は、現代では信仰が科学に従っていることが示された。温暖化の危機なるものには信仰が無力だと自覚しているらしく、「世界の信仰者が皆で祈って温暖化の危機を食い止めよう」などのメッセージは見当たらない。

 絶対的な神の存在を信じる一神教であれば、この世界を創造して支配している神は、人間が引き起こしたという温暖化の危機を解消することは容易だろう。しかし、一神教の指導者らも今回の会議で、神に向けたメッセージではなく各国政府などに早急な対策を講じるように求めた。温暖化の危機は、神から与えられた試練とも解釈できようが、宗教的に解釈することをせず、このメッセージは神の不在を強調したように見える。

 西洋文化圏ではキリスト教、中近東などではイスラム教など宗教は信仰にとどまらず社会的に大きな影響力を持つ。そうした宗教が温暖化の危機に、信仰の力をアピールすることもできず、科学的な主張に従って思考するしかできないことをさらけ出した。どうやら、人々が「祈っても救われない」のが温暖化の危機なるものらしい。

2021年11月13日土曜日

広辞苑によると

 一昔前のエッセイなどでは、ある言葉の意味を明確にするため「広辞苑によると」と前置きして、広辞苑の説明を使って言葉の定義を明確にする書き方が珍しくなかった。広辞苑は権威ある大型辞書とみなされており、その説明は客観性を持ち、共有できるとの暗黙の了解が社会に存在したから可能だった手法だ。

 言葉の定義は個人によって差異があったりする。例えば、民主主義という言葉は「人民が主権を持ち、人民の意思をもとにして政治を行う主義」(新明解)であり、主権者による直接選挙で議会が形成され、そこで国家の針路が決められることを具体的には意味する。だが、民主主義に善きものとする価値判断を付与して、過剰に民主主義を高みに置く論説は少なくない。

 制度としての民主主義と、善きものとしての民主主義は異なる。だが、その違いを明確にさせず、民主主義の定義を共有しない人々が民主主義を論じ合ったところで議論はなかなか深まらず、互いの民主主義観の差異を認識できれば上出来か。言葉の定義は自分も他人も共有していると思い込んでいると、共通して使う言葉に差異があることに気が付きにくいだろう。

 民主主義を制度として理解する立場なら民主主義の限界を議論しやすいだろうが、善きものとして理解する立場なら民主主義の限界という発想は否定されかねない。理想と同義語とみなして民主主義を善きものと高みに置いてしまうと、民主主義の限界を論じることは反民主主義的な思考だと即断する人がいるかもしれない。

 言葉の定義を明らかにすることで、曖昧さは減少する。独りで考えている場合には思考が散漫になることを抑制し、思考がたどる道筋を明確化する助けになる。複数で議論する場合には、常に言葉の定義を確認・共有することで議論の共通土壌が形成されよう。互いに異なる意味合いで同じ言葉を使っていると議論は噛み合わず、互いの主張や解釈を言い合うだけになる。

 多くの人は日常生活や読書経験などから言葉の定義(言葉が意味するもの)を獲得するが、その大半は感覚的な理解で、細かに辞書を引く人は多くはないかもしれない。だから「広辞苑によると」との表現が通用していたのだが、今はスマホで何でもすぐに検索できる世の中だから、広辞苑の“権威”は低下し、「広辞苑によると」との言葉も使われなくなったか。

 広辞苑を含め辞書に載っている説明は編者や協力者が書いたもので、同じ言葉でも辞書により説明が微妙に異なる場合があるが、大要は同じだろう。いわば客観的な言葉の説明といえるが、そこに個人は善悪などの価値判断を付与したりして使用する。無意識に言霊化している人なら、共有できる定義を言葉に見いだす行為を歓迎しないだろう。言葉の定義を明確化することは言霊化に逆行する。

2021年11月10日水曜日

英霊になったか

 世界的に名を知られていた作家の三島由紀夫が死んだのは半世紀前の1970年11月25日だった。場所は東京・市谷の自衛隊駐屯地内の総監室。バルコニーで自衛隊員に向けて演説し、「今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望する」(檄から)と呼びかけたが、応じる隊員はいなかった。

 バルコニーから総監室に戻った三島由紀夫は、着ていた楯の会の制服のボタンをはずし、正座して短刀で真一文字に腹を切り、介錯されて死んだ。三島由紀夫の頭には「七生報國」と書かれた鉢巻が巻かれていたという。三島由紀夫なりに真剣に日本という国を憂えての行動であったのだろうが、頼りにした自衛隊員には背を向けられた。

 もし、自衛隊がクーデターを起こして権力を握ったとして、日本という国が三島由紀夫が考える理想通りになったかどうかは不明だ。クーデターに成功した軍は独自の判断で動く。それを指揮するのは軍を掌握した将校で、三島由紀夫ら外部の意向がどれほど反映されるのかは定かではない。

 さらに、クーデターに成功した軍を掌握することは国家権力を掌握することだが、軍を掌握した将校が例えば国民投票を経る手順を踏んだわけではなく、客観的な権力の正当性は希薄だから、強権的な統治に向かう。国家権力の正当性を主権者の選択に基礎付けることができないので、強権で押さえつけるしかなくなるのだ。

 これは、民族解放を掲げる武装勢力についても当てはまる。武装闘争で国家権力を掌握したとしても、その民族解放組織が主権者である人々の意向をどれだけ反映しているのかは不明だ。武力で国家権力を獲得した組織・人々には、その正当性に対して疑念がつきまとう。民族解放闘争を無邪気に正義だと断定するわけにはいかない。

 三島由紀夫の作品「英霊の声」では、二・二六事件で処刑された青年将校の神霊が霊眼をひらいた青年に乗り移って語る。現人神である天皇を慕い、君側の奸を斬った青年将校らの行動を天皇は慰撫し、「今よりのちは、朕親ら政務をとり、国の安泰を計るであろう」と言い、「その方たちこそ、まことの皇軍の兵士である」と青年将校らを称賛する。

 二・二六事件で処刑された青年将校を三島由紀夫は英霊と位置付けたので、おそらく三島由紀夫自身も英霊になると想定しただろう。だが、一般に英霊は「戦死者の霊」を敬っていう言葉で、天皇の意向が働いて処刑された二・二六事件の青年将校らが英霊とされることに同意する人々はそう多くはないかもしれない。三島由紀夫の霊も英霊と見なされるか定かではない。 

2021年11月6日土曜日

50歳では321cm

 日本人男子の身長の平均値は、5歳で111cm、6歳で117cm、8歳で129cm、10歳で140cm、12歳で154cm、14歳で166cm、17歳で170cmだ(文科省の学校保健統計調査)。10歳代後半で身長の増加はほとんど止まり、25歳〜49歳の平均身長は171cmほど(厚労省)。

 5歳から10歳までに平均身長は29cm伸び、10歳から17歳までに30cm伸びているので、単純に計算すると、5歳から17歳まで毎年4〜5cmほど身長が伸びることになる。170cmは成年男子の平均身長とほぼ同じなので、身体的には10歳代後半で皆「大人」になるといえよう。

 もし、毎年5cmの身長増加がいつまでも続くならば、20歳で171cmの平均身長が30歳では221cm、40歳では271cm、50歳では321cmになる計算だ。だが、人間の身長の増加には何らかの抑制要因があるらしく、20歳を超しても身長が10歳代と同様に毎年増え続けることはなく、50歳で3mを超す人はいない。

 人間には身長が伸びる成長期があり、それを過ぎると身長の伸びは停滞する。もし、人間の10歳代の平均身長の増加データを根拠に、「30歳では221cm、40歳では271cm、50歳では321cmになる」と分析・予想する評論家や学者がいたなら、笑われるだけだ。データを駆使して客観性を装ったとしても、重大な見落としがあることは誰にでもわかるだろう。

 人間の成長期のデータだけで人間の一生を推しはかるのは、部分と全体の混同である。だが、部分のデータだけが判明していて、全体像が明らかではない場合に、部分のデータの数値から増加量や成長量などを計算し、全体像を予測する手法は広く行われている。特に未来予測では、そうした手法が活用される。

 現在と過去のデータ(数値)から未来を予測するときに、使用するデータの選択で予測結果は異なる場合がある。例えば、50歳時点での平均身長を予測する人が、10歳代の平均身長の増加データを使うなら「50歳では321cm」とするだろうが、20歳代のデータを使うなら「171cmぐらい」とするだろう。

 さらに、「50歳では321cm」と未来予測する側が、20歳代以降のデータを無視したり隠すことが、その主張を確かなものと見せるためには有効だろう。未来予測が高度な学問分野に関係すると、無視したり隠されたデータを見つけるのは素人には難しい。

 未来を知る人間は存在しないので、未来予測は事実ではなく解釈である。未来予測は傾向を知るために参考とするべきものだが、決定した事実ではない。さらに、使うデータによって未来予測の結果が左右されるので、誘導も可能だ。「50歳の平均身長が3mを超す」などの未来予測を、なんか変だなと見破らなければ、誘導された未来を信じることになる。

2021年11月3日水曜日

溢れるマネー

 米ニューヨーク株式市場は連日で過去最高値を更新し、11月1日にはダウ平均株価が一時3万6000ドルを上回った。景気の先行きへの期待感から買い注文が多いためと報じられた。企業の好決算が続いたが、需要の強さがさらに続くとの見方だ。買いが増えれば増えるほど株価は上がる仕組みだ。

 米WTI原油市場では先物価格が1バレル=80ドルを超える高値が続き、日本でもガソリンや灯油などの価格が値上がりし続けている。各国で経済活動が活発化して需要が回復した一方、減産を続ける産油国は増産に消極的で、供給増加の見通しが立たない。この冬が厳冬になれば原油価格はもっと上がるとの見方も出ている。欧州では天然ガス価格が急騰した。

 これらの価格上昇は、取引市場に多量の買いが入って相場を押し上げたのだが、投機マネーがどれだけ動いたかをマスコミが詳しく報じることはない。相場が上がり続けるとなれば、投機マネーが集まってきて、さらに相場を押し上げる。原油市場などでは実需や供給の動向が相場を動かす原動力だが、投機マネーの動向も影響する。

 原油などの先物市場に投機マネーが流れ込めば、相場を押し上げ、ガソリンや灯油の価格の値上がりを招いたり、電気料金などの上昇をもたらす。社会における需要や供給の動向とともに投機マネーの動向も分析しなければ、現代の経済の動向を正確に見ることはできないだろう。

 モノやサービスの売買という実体経済の規模をはるかに上回る大量のマネーがつくり出されて、積み上がった現在の世界。マネー(金融)経済の規模は実体経済の規模の数倍とも10倍以上ともされ、モノなどの需要供給だけではもはや世界経済を論じることはできなくなった。

 世界に溢れるマネーが米国の株に向かえば株価は過去最高になり、原油市場に向かえば原油高になり、天然ガス市場に向かえば天然ガス高となり、資源市場に向かえば資源高になる。実体経済が産出する剰余金であったマネーが金融市場では大幅な自己増殖が可能になり、やがて実体経済をはるかに上回る大量のマネーが蓄積された。

 膨大に積み上がったマネーは利を求めて動き回り、それが原油市場に流れ込むと相場を押し上げ、ガソリン高や灯油高を引き起こす。実体経済における需要供給の動向だけでは相場の変動を正確に理解することは難しく、実体経済がマネー経済に振り回されるという世界に我々は生きている。