2014年6月28日土曜日
売れる「ハスラー」
軽自動車の「ハスラー」が売れているという。当初の販売目標は月5000台だったが、受注が大幅に増え、増産体制をとったとか。そういえば、街中で見かけることも多くなった気がする。軽のクロスオーバーSUVとしては唯一の存在ともいえ、まさにニッチを狙って、当てた商品だ。
テレビCMではアウトドアレジャーのツールを並べ、海へ山へ、夏も冬も出掛けて遊ぶことを強調し、そのための移動の道具として、ハスラーがいい、ハスラーを使うと、アウトドアでの遊びの世界が広がるということをアピールしている。スノボもキャンプも釣りもやらなくても、ハスラーがあると楽しそうだなということはテレビCMから伝わる。
室内の広さとか最低地上高とか悪路での走破性といったハスラーという車そのものについての情報は、このCMからは伝わってこないが、ハスラーがアウトドアの遊びに便利な“道具”らしいということは、きちんと伝わる。その車を所有し、使うことで、生活がどう楽しくなるかを視聴者にイメージさせるのだから、優れたCMといえよう。
同じ車のCMでも、何を伝えようとしているのか迷走しているのが最近のトヨタだ。車離れの風潮に悩みすぎたのか、「クリエイター」連中がトヨタの車を題材に趣向を凝らし、一風変わったポイントでアピールしようとしていることは分かるものの、見せられた側は「で、何が言いたいの?」。何も残らない印象だ。
性能や装備などの情報がないことはハスラーのCMと同じだが、大きな違いは、トヨタのCMには、その新車を買うと、どんな生活が開けてくるのかという提案、アピールがないことだ。ただ、「クリエイター」連中の「どう? おもしろいでしょう? センスがしゃれてるでしょう?」といった気取りだけは見えてくる印象。
そんなCMを大金を費やしてテレビで流して、トヨタは何を狙っているのか。車離れした若者がそんなCMを見て、車って楽しそうだな、車があれば便利だから買おうと思う……はずもないだろう。“しゃれた”CMが話題になれば車にも興味を持ってもらえると期待しているのか。でも、数百円の商品なら、CMを気に入った消費者が試し買いすることもあろうが、車で試し買いは無理だろう。
トヨタのCMは、トヨタの車造りが行き詰まっていることの反映なのかもしれない。壊れないけど、突出した性能も個性もないから、車としてのアピールポイントがないので、CMでは“しゃれた”イメージを垂れ流す。が、消費者はそんなCMを見ても、トヨタ車を買う「必然性」は何も感じない。CMがあってもなくても、販売力で売れるのが実態だとすると、トヨタのCMはメディアに対する“批判封じ”の意味しか残らない。トヨタのCMはいつ、消費者に向き合うのだろうか。
2014年6月25日水曜日
伯剌西爾で世界杯
蹴球の世界杯争奪の大会が伯剌西爾で開催されている……「蹴球」は今でも高校などの部活動では健在だから判別できる人が多いだろうし、「世界杯」も字面から類推できるだろう。だが「伯剌西爾」となると、ほとんどの人は理解不能だろう。伯剌西爾はブラジルの漢字表記。「伯」と簡略表記されることもある。
国名をわざわざ漢字表記したのは、明治時代のころまで、西洋などの固有名詞さえ漢字で表記するという中国の表記法にならったため。その昔、日本には主に中国経由で情報が入ってきた。中国は表音文字を持たなかったため、すべて漢字に置き換えて表記せざるを得なかったのだが、そうした中国語の制約に日本人は気付かず、漢字に置き換えることが、情報の受け止め方であると理解していた。
これは明治時代になって、西洋から直接、多くの情報が入ってくるようになってからも続いた。民間はもとより、「歴史書を含めて、直接役に立つわけではない本を、太政官・元老院・左院等の権力体がみずからのイニシアティブによって翻訳している」(『翻訳と日本の近代』丸山昌男・加藤周一)ように、西洋の書物を大量に日本語に移し替えた。
その時に外国の人名、地名、国名なども当初は漢字表記していた。米(亜米利加)、英(英吉利)、仏(仏蘭西)、伊(伊太利)、独(独逸)、露(露西亜)など現在でも使われている。ただし、こうした日本の漢字表記は現在の中国語の表記とは異なるものが多い。日本語の発音と中国語の発音が異なるので、西洋語の音に漢字を当てはめるときに使う漢字が違ってくる。
明治の翻訳者たちは、抽象語の訳しかたで苦心・工夫したという(前掲書)。法律や政治、歴史、哲学、経済、技術など各分野で、日本語にはない新しい概念を中国語の漢字を引っ張り出して当てはめたり、日本語にも中国語にもない新しい概念は翻訳者が造語したりした。中国語の漢字を使った場合でも、中国語の本来の意味とは全く異なる新しい概念を表すようにしたケースもある。
そうした翻訳書を、当時の日本に留学していた中国人たちが読み、西洋の新しい概念を表す漢字表記を中国に持ち帰った。漢字というと、中国から日本が一方的に受け入れたという印象があるが、明治時代以降は中国が近代化(西洋化)のため、日本で西洋語から翻訳され、造語された漢字を受け入れた。社会主義、共産主義関係の用語の多くがそうだという。
さて世界杯だが、決勝トーナメント進出国が次々に決まっている。伯剌西爾、智利、哥倫比亜、宇柳具、和蘭、希臘、墨西哥、哥斯達利加など。亜細亜勢は不振で、まだ1勝もあげられず、全滅の気配。一方で、前回大会優勝の西班牙や英吉利の1次リーグ敗退が決まるなど波乱も起きた。出場する選手は入れ替わっているのだから、強豪国の国名だけでは通用しないところが面白い。
2014年6月21日土曜日
紫外線が強い
例えば、戦後の小津安二郎監督の映画などで会社勤め人を演じる笠智衆らは、背広姿で外出する際に帽子をかぶっていた。だが今では、背広姿のサラリーマンが帽子をかぶっている姿は珍しい。都市化が進み、地表はアスファルトで覆われ、クーラーを使用する車や建物から熱が吐き出されているので、帽子をかぶると余計に暑苦しくなったからでもあるだろうが、帽子には紫外線の直射から頭部を守る効果がある。
太陽光に含まれる紫外線が、年間で最も降り注ぐのは6〜8月だという。紫外線の強さは時刻や季節、天候などにより変化するが、一般に、太陽が高くなるほど強い紫外線が地表に届き、正午ごろが最も強くなる。薄曇りでも紫外線の80%以上が通過するというから、夏場の外出時には、肌の露出を抑え、帽子をかぶるなどの紫外線対策が欠かせない。
気象庁の観測によると、紫外線は、北から南へ行くにしたがって多くなり、年間の紫外線量は、沖縄では北海道の2倍になる。紫外線は波長の長さにより、UV−A、UV−B、UV−Cに分けられ、UV−Cはオゾン層などで吸収されるが、UV−AとUV−Bは地表に届く。紫外線の9割以上を占めるUV−Aも肌に影響を与えるが、 日焼けを起こしたり、皮膚がんの原因になったりするのがUV−B。
日傘を差していても油断は禁物。UV−Bは大気中での散乱が大きく、屋外では、太陽から直接届く紫外線量とほぼ同じ量になるといい、地面や水面、コンクリートなどで反射もするので、紫外線に曝されることを防ぐことはできない。また、標高が高くなるにつれて紫外線量は増えるので、高原リゾートでは紫外線対策は不可欠。
紫外線によって日焼けするのは誰でも経験することだが、紫外線を浴びた量が多すぎると肌がダメージを負い、シミの原因になったり、皮膚がんにつながるリスクがあり、眼に対しては角膜炎や白内障などの原因になったりする。ただし、紫外線を浴びることによってビタミンDが生成されるので、暗い部屋に閉じこもっているよりも、適度に日光にあたったほうがいい(おそらく、精神的にも)。
暑くてたまらない時期にも背広を着用せざるを得ない人に、帽子をかぶることを求めるのは酷だろうが、風通しがいい服装で外出する時には帽子をかぶったほうがいいようだ。帽子には様々なタイプがあるが、紫外線対策に有効なのはツバの広いタイプ(ベレー帽などは夏には向かない)。キャップなら真昼でも眩しくはないし、ソフトやサファリタイプなどにもツバが広いものがある。
ツバが広い帽子といえば、麦わら帽子だ。夏休みの子供たちの必需品でもあり、屋外作業にも欠かせない帽子だった。今でも数百円で販売されているが、町中で麦わら帽子をかぶっている子供を見かけることは少なくなった。かわりに、ストローハットという呼び名で、多彩なデザインの帽子が売られている。軽くて涼しそうで紫外線対策にもなるのだから、背広姿にも似合いそうだ。
2014年6月18日水曜日
分裂も選択肢
イラクで急速に勢力を拡大するイスラム過激派組織の略称は、日本のメディアでは「ISIS」と「ISIL」の二通りに分かれる。ISISは「イラク・シリア・イスラム国(Islamic State of Iraq and Syria)」のことで、ISILは「イラク・レバントのイスラム国(Islamic State of Iraq and the Levant)」。
レバントとは「東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはギリシャ、トルコ、シリア、キプロス、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域。現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル(およびパレスチナ自治区)を含む地域を指すことが多い」(ウィキペディアから)。
イラクとシリアにカリフ(イスラム社会の最高指導者に率いられた)国家を建設することを目指すというISISは、イラクで2006年にISIとして結成、自爆テロ事件などを繰り返し、シリア内戦に参戦して戦闘経験を重ね、最近はイラクのスンニ派地域で活動を活発化させ、制圧地域を広げている。独自の資金源を持ち、国外からの戦士や制圧地の刑務所から解放された囚人らも加わっているという。一方で、ISISが“強く”なりすぎると、過激組織間の離反が想定され、戦闘が複雑化するともいう。
このISISの勢力拡大で最も懸念されているのが、イラクが実質的に分裂することだ。人口の6割を占めるシーア派主導の現在の政府に対して、2割のスンニ派が多く住む地域がISISに制圧され、激しい宗派対立へとエスカレートするようなことになれば、統一国家としてのイラクの国づくりは破綻する。さらに2割のクルドは、油田があるキルクークを確保して、独立色を強める可能性がある。
こんなイラクが分裂することは悪いことなのだろうか。分裂させずに無理に一つの国家にまとめ続けようとすることにこそ、無理があるのではないか。多民族や、宗教・利害を異にする人々が穏やかに共存・共生するのが望ましいのだろうが、現実に殺し合いが続くなら、国家が分裂することも選択肢の一つである。だが、欧米は旧植民地での国家分裂は認めない。
そもそも今のイラクの国境線は、イラクに住む人々が自分で引いたものではない。この地域は歴史的に様々な帝国が入れ替わり支配し、現在はイラク王国として独立した時の国境線を引き継いでいるが、それも当時の英仏の意向を反映したものでしかない。住んでいた人々の意向を尊重したものとは言い難く、現在の形で1国として形成されなければならない必然性は希薄だった。
だが、国境線の引き直しは、旧植民地の境界を引き継いで独立した世界中の国に大きな影響を与える。民族や宗教の分布に関係なく引かれた境界線が多いからだ。イラクでみると、クルドが独立すると、トルコやシリア、イランなどに住むクルドにも影響を与えようし、イラク内のシーア派が独立するとイランとの宗教的一体感が高まろう。ISISの支配地が独立するなら、シリアは解体することになる。
旧植民地の境界が維持されることは、イラクのように石油利権に関与し続けることができるので欧米には好都合だろう。しかし、旧植民地の境界を引き継いだ独立国は、1国としてまとまるべき建国の理念も必然性も示すことはできず、権力を握った人々は、他の民族、他の宗教・宗派などを抑圧することで権力を維持する例が珍しくない。国内で殺し合いが繰り返され続けるのなら、分裂して、それぞれが国づくりを試みるのは現実的な選択肢だ。
2014年6月14日土曜日
革命第1世代
1枚の写真に、もっとも多い人数が写っているのは、何かの記念日に中国・北京の天安門広場に集まった人々を写したものだという。南北880m×東西500mの天安門広場は最大50万人を収容でき、接する長安街を含めると100万人にもなるという。その広い天安門広場に、民主化を求めて中国各地から学生や市民ら10万人が集まったのが1989年6月。
集まった人々は6月4日に人民解放軍により、広場から強制的に“排除”された。その武力鎮圧の時に多数が死傷したことは確かだが、死者数だけをみても、実態はいまなお定かではない。中国共産党の発表では「事件による死者は319人」ということだが、客観的な検証を経た数字ではないし、もっと多いはずという疑いが国際的には定着している。
ただ、どれだけの人々が死んだのかとなると、もう分からないというのが現実だ。数百人から、2000〜3000人、数万人までと推定される死者数は様々。天安門広場では死者は出なかったという見方もあれば、広場から人々を追い出した後に人民解放軍が死体を集めて焼却したとの見方もある。天安門広場の周辺、さらに北京市内で人民解放軍がどんな行動をしていたのかも明らかになっておらず、6月4日の死者数は歴史の闇の中に消えたままだ。
当時の中国共産党で、趙紫陽総書記ら改革派は「愛国的だ」と学生らを評するなど理解を示す態度だったが、李鵬首相ら保守強硬派との対立に敗れ、北京に戒厳令が布告された。だが、大規模な抗議デモが行われるなど中国共産党の“脅し”に屈しない姿勢を学生・市民らは続け、人民解放軍の武力鎮圧へと至った。
同じ中国人(習近平流にいうと、中華民族か)を人民解放軍が虐殺した。たとえ公式発表の319人という数字でさえ、そんな多数の人間が死んではならないことは明らかだ。ただの1人であっても、不当に無法に殺されてはならないのだから。なぜ、中国共産党の保守強硬派は、同じ中国人を殺すことに踏み切ったのか。
よく聞く解説が「革命体制を守るため」というものだ。革命体制とは、中国共産党の1党独裁体制のことである。革命体制は、国共内戦に共産党軍が勝利したことで成立した。しかし、内戦では共産党軍でも多数の人間が死んだ。内戦を経験したいわゆる革命第1、第2世代が、戦争で倒れた同志の死によって革命体制が成立したと思うのも無理からぬ面がある。それらの死は中国版の「英霊」なのかもしれず、英霊の死により革命体制は築かれたと、英霊は現代政治にも影を落とす。
民主化と、中国共産党の1党独裁体制は相容れない。内戦を経験し、同志の死を見てきた革命第1、第2世代の長老の影響力が大きく作用し、1989年に「革命体制を守るためには流血も辞さず」との決定に導かれたとすると、中国における民主化の困難さが推察できる。
革命体制を守るためには同じ中国人であっても殺すというのは、“正しい”革命思想かもしれないが、内戦の経験者は少なくなり、やがて、いなくなる。内戦を経験していない革命第5世代の習近平らは、「英霊との約束」に実感は乏しかろう。そこで、革命体制による既得権益を守るためには同じ中華民族の流血も辞さないと変化してきたように見える。これはこれで、厄介そうだ。
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