2025年5月31日土曜日

不平等と分裂

  現在の世界では権威主義的な強権国家と自由・民主主義国家の対立が激しくなっている。冷戦期に東側陣営とされた共産主義国や社会主義国の多くは冷戦終了後に体制転換を迫られ、経済は資本主義で政治は自由・民主主義になったと見られたが、その政治における自由・民主主義は限定的で、国家管理が目立つ資本主義となった国が珍しくない。

 おそらく冷戦期の共産主義国や社会主義国の多くで1党独裁の残滓が権威主義体制を許容させやすくしているのだろう。人々が民主主義を経験した歴史が短い国では権威主義に対する抵抗は弱かったかもしれない(大正デモクラシーなど日本には人々が民主主義を求めた歴史があり、敗戦により日本は自由・民主主義体制の国に変わる以外に国際社会に復帰することが許されなかったから、日本国と人々は自由・民主主義体制を受け入れた)。

 自由・民主主義は西欧発の思想であり、独裁する権力による統治が歴史的に長かった国々では、それぞれの歴史観や伝統・文化などの影響を受けて自由・民主主義を「移植」しても、それぞれに変形したものになる。冷戦終了後の世界がどう変わるか当時、さまざまな論が現れた。権威主義的な強権国家がやがて増えるとの見通しがなかったのは、時代の変化を予測することの困難さを示している。

 加藤周一氏は、世界が資本主義に覆われると不平等が拡大することと、遠心的運動が世界の分断を進める可能性を示唆していた。「世界史の転換と歴史の読み直し」(網野善彦氏との対談=1994年)から引用する(『加藤周一対話集⑤ー歴史の分岐点に立って』所収)。

 「社会主義は一種の社会的平等を目指していたと思う。教育とか生活の必需品とか衛生とか、そういう領域での平等原理の強調だ。資本主義は、競争の規則はみんなが守るんだから、その意味では平等だが、競争の結果の不平等を前提にしている。勝ち負けが予想されないと競争してもしょうがない。自由競争の結果は不平等です。そういう意味では、自由と平等は対立概念だ」

 「各方面に、分散する遠心的運動と、求心的運動とが目立っている。ある種の国際的な機関の活動が、少なくとも第二次世界大戦の前に比べれば強くなった。しかし、国が分解し、旧ソ連をはじめとして分散的傾向も強い。それが同時に出ている。遠心と求心という両方の傾向が強く出ている」 

 「現在の転換期は、対立する二つの傾向が強くなって、どこかで折り合いをつけなければならない、その折り合いのつけ方が従来の折り合いのつけ方だと間に合わなくなってきた。従来はそれほど劇的な対立にならなかったものが、いまや劇的対立になって出てきて、手がつけられず、二つの傾向の調和をとることができない。そういう対立に何らかの新しいソリューション、調和、折り合いを見つけない限り、絶えず混乱か争いとなる」

 「思想的に言えば自由対平等、社会的にいえば求心的傾向と遠心的傾向、そういう対立関係を今までとは別の形に変えていかない限り、混乱や争いが深まっていく」

 現在は世界で分断や対立が目立つようになってきたが、権威主義国諸国も民主主義諸国も一枚岩にはなれず、入り乱れて勢力争いを続けている構図だ。冷戦期のような対立構造がわかりやすい時代が例外で、渾沌とした各国の勢力争いが続くのがフツーだとすれば、状況が常に流動する現代は特別に珍しい時代ではない。

2025年5月28日水曜日

観光経済の脆さ

 日本の2024年の名目GDP(国内総生産)は前年比2.9%増の609兆円で、初めて600兆円台に乗ったと内閣府(実質GDPは557兆円。速報値)。名目GDPは1973年に112兆円と初めて100兆円台に乗り、その後は約5年ごとに100兆円ずつ増え、92年に500兆円台に乗った。だが、その後は伸び悩み、さらに100兆円を上乗せするために30年以上かかった。

 GDPが伸び悩み続けているのは、過半を占める個人消費が長らく停滞しているためだ。社会負担比率が増え続ける一方、賃金は増えず、最低賃金も抑え続けられ、非正規雇用が増えるなど、人々の懐事情は楽ではない。ようやく賃上げ奨励や最低賃金引き上げに政府も動いたが、今度は物価上昇が始まり、人々の懐事情は相変わらず楽ではない。

 企業の利益から税金や配当を差し引いた内部留保(利益剰余金)は2023年度末に600兆9857億円となり、初めて600兆円を超えた。名目GDPに匹敵する額だ。賃金など従業員らに対する支払いを抑制してきた「成果」だ。だが、内部留保を積み上げず、従業員らに対する報酬に回していれば、個人消費はもっと活発になり、日本経済の低迷は長引かず、 GDPの伸びははるかに大きかったに違いない。

 2025年4月の訪日外国人数は前年同月比28.5%増の390万8900人で、単月としての過去最高を更新したと日本政府観光局は推計する。300万人超えは7カ月連続。中国76万5100人、韓国72万1600人、台湾53万7600人、米国32万7500人などに加え、英独伊など欧州からの訪日客が増えた。

 訪日外国人数は2013年頃から増勢が強まって初めて1000万人を超え、2019年に3188万人と伸び続けていたが、コロナ禍による世界的な行動制限で2020年に412万人、2021年に25万人にまで急落した。行動制限が緩和されて2023年に2507万人、2024年に3687万人と急回復し、その勢いは2025年に入っても続いている。

 ホテル・旅館業や飲食業、観光バスや観光タクシー、土産販売店、ツアーなどを企画・販売する観光業など訪日外国人を相手にするビジネスは活況を呈しているようで、訪日客による2024年の消費額は8兆1395億円になり過去最高になったと報じられた。円安もあって日本は「安い」国となり、増える訪日外国人の金払いの良さに期待がかけられている。

 こうした訪日外国人相手のビジネスが脆さを抱えていることは、先ごろのコロナ禍で実証された。国外からもたらされる消費は大切にしなければならないが、日本経済を着実に成長させるには、日本に住み、日本で生きる人々の消費を活発にすることが最優先だ。訪日外国人の消費に期待をかけなければならない日本の状況は、日本に住み、日本で生きる人々を「貧しく」してきた経済政策の結果である。

2025年5月24日土曜日

生ものが苦手

 友人は「最近、味覚が変わった」と言う。好き嫌いは若い頃から少なく、家庭でも居酒屋でも会食の場でも、出されたものは何でも食べていたという友人だが、還暦を迎えたあたりから、刺身や生卵、半熟卵、生肉などを食べても美味しいと感じることが次第に少なくなり、年月とともに苦手意識を持つようになったという。

 刺身や生肉などには生臭さを感じることがあり、レストランで半熟卵のオムライスを食べた時には、かすかに生臭さが漂っていることを感じて、「半分以上、残した」と友人。苦手意識を持つようになると刺身や生肉を咀嚼しても、ぐにゃぐにゃ、ぐにゅぐにゅとした食感に違和感を感じ、食べていても美味しさなどはあまり感じなくなったという。

 刺身など生ものが苦手という人は珍しくはない。日本食レストランが世界各国に増え、日本食が目当ての訪日外国人も増え、刺身や寿司などを好む外国人が増えているというが、生ものを日常的に食べる食習慣がある国は少ないそうだ。そうした食習慣の中で育った外国人が生ものに拒否反応を示すのは自然なことだろう。

 その昔、日本人が魚を生で食べると知って「日本人は未開人だ」と言った欧州の人がいたそうだが、食文化は身体に染み込んだものであるだけに、異なる食文化を理解するのは簡単ではない。とはいえ、和食人気の世界的な広がりとともに刺身や寿司などを食べる体験をした人々が増え、生の魚の味わいを体験して好むようになるのは特異な行動ではない。未知の味は食べてみなければ、美味しいか不味いかは分からず、チャレンジするしかない。

 TVの旅番組や街歩き番組などで出演者が美味しそうに刺身などを食べている場面を見て友人は、味覚を「戻そう」と刺身や寿司などを量販店で買って試してみたそうだが、「魚種の味の違いはわかるが、たいして美味いとは感じなかった」と、途中から醤油を増やして食べたそうだ。「美味いと感じなかったら無駄だ」と海鮮居酒屋や寿司店に行って試してみる気にはならず、卵かけご飯やレアステーキなどにはそもそも食べる気が起きず、試していないと友人。

 生ものに苦手意識を持つようになった友人だが、食中毒や細菌・ウイルスなどの感染を警戒するからではないと言う。以前は食べていた生もので食中毒や感染症にかかったことはなく、日本で提供される生ものは安全だと今でも疑っていないそうだ。一方で、何でも生で食べることを囃す雰囲気には批判的で、鶏肉や牛豚などの内臓類を生で食べるのは危険だと知っている。

 生ものに苦手意識を持つようになった友人だが、外食を好み、食べ歩きは続けている。「日本流の洋食や中華のメニューには煮たり焼いたり揚げたりしたものが多く、美味しい料理がいろいろある。和食にも煮もの焼きもの揚げものに美味しいメニューがある」と友人。洋食や中華を含め日本食の幅広さや奥行きの深さを実感しているそうで、刺身や生肉など生ものは避けても「美味しい料理の多さに感嘆している」友人は、食べることの楽しさを失っていない。

2025年5月21日水曜日

領土拡大を実現

 ロシアは、▽ロシア系住民の保護▽NATOの東方拡大を防ぐ▽ウクライナの「非ナチ化」-などを主張してウクライナ侵攻を正当化する。23年10月のハマスによる奇襲に対する反撃として始まったイスラエルのガザ侵攻はガザを破壊つくした様相だが、現在も続いており、住民を追い出してガザをユダヤ人の入植地にすることを狙っているとも見られている。

 この二つの侵攻に共通するのは、支配地の拡大を実現したことだ。ロシアはウクライナ東部を占領し、クリミア半島まで続く一帯を勢力圏に収めた。イスラエルはヨルダン川西岸でユダヤ人の入植地を拡大させていたが、ハマスを弱体化させてガザを管理下に置き、さらに防衛地帯を設けると主張してシリア南部を占領するなど勢力圏を拡大した。

 米国のトランプ大統領は、グリーンランドの獲得に意欲を示し、パナマ運河の返還を要求し、カナダを吸収して51番目の州にすることを提案した。これらの主張の本気度は定かではなく、ディールの材料として「ふっかけた」可能性が高いが、素直に受け止めると、領土拡大の願望の現れと解釈できる(軍事力を行使せずにディールだけで領土拡大を実現することは困難だろうが)。

 領土や勢力圏の拡大を目指す膨張政策は帝国主義とされ、実際に広大な領土・勢力圏を構築した帝国は数多い。1世紀のローマ帝国、4世紀の西ローマ帝国やビザンツ帝国、6世紀の隋、7世紀の唐、10世紀の神聖ローマ帝国、13世紀のモンゴル帝国、14世紀の大元、17世紀のオスマン帝国、18世紀のスペイン帝国や大清帝国、19世紀のロシア帝国、20世紀の大英帝国やオーストリア=ハンガリー帝国やドイツ帝国や大日本帝国やイタリア王国など、歴史を振り返ると世界各地に帝国が誕生して勢力を広げた。

 領土拡大を実行する国が21世紀にも存在することを示したロシアとイスラエルだが、領土拡大の願望は埋火のように世界各地に潜んでいる。例えば、中国の国恥地図ではカザフスタンやアフガニスタンからモンゴルを含めサハリンまで、南はシンガポールやマレーシアまでを領土としている。インドには、英国の植民地であったインド帝国の復活を主張する大インド主義があるという。それはパキスタン・バングラデシュ・ミャンマー・ネパールなども領土とする。

 周辺の領域(他国)に対して領有権を主張して次々と自国の領土とした歴史があるロシアは、力づくで周辺の領域(他国)に住む人々を従属させることを当然視する傾向があるという。バルト3国や中央アジア諸国など旧ソ連に属する諸国や東欧諸国がロシアに警戒感を持ち続けるのは、周辺への膨張衝動がロシアに根付いていることを知っているからだ。

 国境線の書き換えを伴わない各国の勢力圏の拡大は常に行われているが、領土の拡大を実現した国境線の変更は、ロシアのクリミア半島の編入が第2次大戦後の初めての例だ。中国は南シナ海のほぼ全域に対して管轄権を主張し、実効支配を進めている。ロシアやイスラエルの行動が容認された世界は新たな帝国主義の時代となる。

2025年5月17日土曜日

水産業とグローバリズム

 日本の漁業は「第2次世界大戦後、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと漁場を拡大することによって発展」した(水産庁HP。以下同)。「200海里時代が到来し、遠洋漁業の撤退が相次ぐ中、マイワシの漁獲量が急激に増大した結果、漁業・養殖業の生産量は昭和59(1984)年にピークの1282万トン」になったが、「主に沖合漁業によるマイワシの漁獲量の減少の影響により、漁業・養殖業の生産量は平成7(1995)年頃にかけて急速に減少し、その後は緩やかな減少傾向」が続いた。

 各国が「200海里水域の設定に踏み切り、我が国の多くの遠洋漁船が米国200海里水域等の既存の漁場から撤退を余儀なくされ、公海域においてもマグロ類を中心に多くの外国漁船が操業を始めたこと等から、国際的な漁業管理が強化され、我が国と条約非加盟国等との競合も激化したため、更に多くの我が国の遠洋漁船が撤退」した。沖合漁業でも生産量は減少し、沿岸漁業も「平成期には総じて漸減傾向」だ。

 2023年の漁獲量(養殖含む)は372万4300トンで前年比4.9%減となり、1956年以降での最低を更新した(海の漁獲量は282万3400トン、海の養殖業は84万9000ト)。世界全体の漁獲量は2億2790万トンで、日本は第11位だ(1位は中国で9170万トン、2位はインドネシアで2318万トン、3位はインドで1750万トン)。

 各国で水産業は厳格な資源管理や養殖の拡大などにより成長産業となっているが、かつては水産大国とも称された日本では衰退を続けている。「日本の排他的経済水域(EEZ)と領海を合わせた面積は約447万km2で世界第6位、海岸線の長さも約3万5600kmで世界第6位」(内閣府HP)と、日本には水産業に適した環境があるのに水産業は衰退を続けている。

 各国が200海里水域の設定を行う以前、日本は世界の海で自由に魚を獲っていた。持続可能性など考慮せず、獲れるだけ獲り、獲れなくなったら漁場を変えて獲り続けた。だが、200海里時代に移行し、日本の漁船は各国のEEZ内で自由に魚を獲ることができなくなり、世界各地で「大量に獲ってきて安く売る」従来のやり方は行き詰まった。

 200海里時代の前は、各国の領海以外の世界のほとんどは自由に操業できる「グローバルに開かれた」海域だった。日本の漁船はグローバルに活動し、漁獲量を増大させた。それが200海里時代となり、各国のEEZ内での操業が規制されて日本の遠洋漁業は「カツオ・マグロ類を対象とした海外まき網漁業、遠洋まぐろはえ縄漁業、遠洋かつお一本釣り」が主になったが、縮小を続けている。

 水産業において世界は、どこでも各国の漁船が自由に漁業ができるグローバル時代から、各国がEEZを囲い込む体制に移行した。各国が「境界」を拡大して自国が管轄する領域を拡大する行動は、関税を高めて自国市場を囲い込む最近の貿易をめぐる状況を連想させる。国家主権の拡大を求める動きは、グローバリズムを制約する最大の要件だ。

2025年5月14日水曜日

価値の順位

 経済成長を促したり、社会保障の充実を進めたり、人々の生活レベルを上げたり、国防や治安維持に万全を期したり、裁判制度を機能させたり、教育環境を充実させたり、交通網などのインフラ整備を進めたり、主食などの供給体制を維持したり、諸外国と交渉したり、国際社会で自国の価値を高めたり、景勝地の環境を保護したり、選挙の公正な実施を支援したり-などと国家は多くの責務を担っている。

 それらを常に同時に行うのが国家だが、状況によって優先順位は変化する。武装したギャング団が跋扈している国では治安維持が最優先されるだろうし、国内の農地が機能せず、輸入に食料を頼る国では食料供給の維持が最優先され、大地震や大規模な噴火などに見舞われた国では被災者の救護が最優先され、隣国などからの軍事的挑発が続く国では国防の優先順位が高まろう。

 国家にとっての優先順位とは価値の優先順位でもある。平時が続き、現実的な防衛上の脅威が過少ならば国防の優先順位は下がり、経済政策などが重視されたりするが、近隣で戦争が始まったり、他国との相互防衛条約が機能しなくなる不安が高まったりすると国防の優先順位が上がる(国防の価値が上がる)。それがEU諸国の現在だ。

 国家によって最優先する価値は異なるし、状況によっても最優先する価値は変化するものだが、変化しない場合もある。例えば、中国。今の中国にとって、常に最優先される価値とは、中国共産党の独裁体制を維持することだ。経済成長は中国共産党の独裁統治を正当化するために重要で、政治的・軍事的に国際社会で存在感を高めることは人々に誇りを持たせ、現在の体制の維持に役立つ。

 中国では主権は中国共産党にあり、自由や民主主義、法の支配など西洋由来の価値が低く位置付けられているのは、個人が主権を共有することを防ぐためだ。自由も民主主義も法の支配も中国共産党の独裁体制に都合がいい範囲で容認される。共産党の独裁体制の維持が常に最優先の価値であるという中国は、外から見て分かりやすい国である。

 国家にとっての価値の優先順位は国政選挙で政権党が変わったり、大統領が交代した場合に変わったりもする。その顕著な例が米国だ。トランプ氏は大統領令を連発して急激な政策転換を推し進めている。熟議やコンセンサスなどは影も見えず、国内の反対勢力は無力なように見え、諸外国は振り回されている。トランプ氏の行動は、米国において常に変わらない価値など存在しなかったと示している。

 自由や民主主義、法の支配は普遍的な価値だと西欧・米国は主張し続けてきた。だが、権威主義国の勢力拡大とトランプ大統領の政治は、普遍的な価値だとの説得力を損なっている。日本は普遍的な価値を尊重する国だと自認するが、それらの価値が常に最優先されているわけではない。日本には独自の最優先する価値があるとの合意形成はなされず、状況に応じて最優先される価値は変化し続ける。日本は何かの価値観で形成された国家ではなく、自ずから「まとまった」要素が大きいからだろう。

2025年5月10日土曜日

バカだと言うこと

 「おまえはバカだ」と言われて、怒らない人は①気が弱い、②そうだと認めている、③争いを避けることを優先する、④意見の相違を包容する人格者-のどれかだろう。面と向かってバカと言われては、怒る人が多いだろうが、バカだと言われたという現実を理解することに戸惑って呆然とし、返す言葉を失う人もいるかもしれない。

 何か失敗をした後で、「バカなことをしてしまった」と思う人は珍しくないだろうが、だから自分はバカだと考える人はほとんどいない。自分はバカだと思っていないから、失敗をとがめられて「おまえはバカだ」などと言われると、多くの人は怒り、相手が上司などで言い返すことができない時には、怒りを腹の中に溜め込んだりする。

 バカという言葉は強い罵倒語であり、言われた人は感情的に反発するので、他人に向かって言うのは控えるべき言葉だが、失敗や間違いの責任を負う人に周囲が怒りにまかせて、つい口にしたり、あきれ果てて、つぶやいてしまったりする。言われた側が反発して、「おまえこそバカだ」などと罵倒語に罵倒語で返したりすると人間関係はこじれていくばかりとなる。

 罵倒語のバカは、知能の低さではなく、失敗や間違いを責めているのだが、バカと言われた人が感情的に反発するのは、バカという言葉で自分の人格が否定されたと感じるからだ。自分はバカではないと思っているから、バカと言われて怒る。自分の能力に何かの劣等感を持っている人は珍しくないだろうが、それも個性だなどと受容して折り合いをつけているに違いなく、自分はバカだとは思っていないだろう。

 愚かな判断をしたり、愚かな言動を繰り返す人も周囲からバカだと見られる。適切な判断や適切な言動をしなかったり、できなかったりする人が存在するのは事実であろうが、そんな人も「自分はバカだ」とは思っていないだろう。「自分はバカだ」と思い、ある種の引け目を抱いたまま生きている人もいるかもしれないが、そんな人も「おまえはバカだ」と言われることは歓迎しないだろう。

 他人を見下し、自分は優秀で利口だと過剰に自負している人なら「世の中はバカばかりだ」と考えるかもしれない。そういう人にとってのバカとは、自分を高みに置くための比較対象の人々のことであり、自分と同格の優秀で利口だと認める人々以外の全ての人をバカとして見下す。だが、他人を見下す人は適切な判断ができなくなっているので、バカの一種である。

 世の中には様々なバカがいるのだが、自分がバカだということを自覚しないバカに「おまえはバカだ」と言うと、怒るだろう。バカという評価は不当だと怒る。誰に対しても「バカだ」と言うのは不当なのだが、失敗や間違いなどを厳しく批判しなければならない状況はある。様々なバカにバカという言葉を使わないで批判するには、説得することを意識して話すしかないだろう。

2025年5月7日水曜日

ルート66

 「ルート66」は、ナット・キング・コール(1946年)からチャック・ベリー(1961年)らジャズやロックなどジャンルを問わず多くの歌手やグループによってカバーされたヒット曲だ。米国内の国道66号線を旅する楽しさを歌う曲だが、日本を含む各国の歌手・グループもカバーしている。

 ルート66は、中東部のシカゴ(イリノイ州)と西海岸のサンタモニカ(カリフォルニア州)を結ぶ全長3755km(2347マイル)の国道で、8つの州を経由する(高速道路網の整備により1985年に廃線となったが、大半は現在も走行可能)。米国を横断するルート66は東西間の交通の利便性を高め、人気が高いルートとなり、沿道にはレストランやモーテルなどが増え、賑わったという。

 「ルート66」の歌詞は、西へ向かって車で行くならルート66がいいぜ-と始まり、セントルイスやジョプリン、素晴らしいオクラホマ・シティ、アマリロ、ギャロップ、フラッグスタッフが現れる-と沿道の主な都市名を次々と挙げ、ウィノナも忘れるな-と続け、キングマン、バーストウ、サン・バナディノもある-とする。音楽版のロードムービーの趣が漂う。

 この曲が作られたのは1946年で、第二次大戦中には軍需生産を優先していたGMやフォードなどビッグ3は乗用車などの生産を再開し、V8エンジンを搭載した大型車が売れていた時代だった。パワフルな車で米国内を旅行する欲求を刺激することに「ルート66」もいくらか貢献したかもしれない。行ったことがない都市名を耳にして、興味を持つことは珍しくない。

 ローリング・ストーンズは1964年のデビューアルバムで「ルート66」をカバーしているが、2024年にリリースされた「ウェルカム・トゥ・シェパーズ・ブッシュ」(1999年に英ロンドンのシェパーズ・ブッシュで行われたギグを収録したライブ盤)でも、この曲を演奏している。「不朽のロード・ソングは、ストーンズの初期のギグや最初のLPにつながるもので」「スリリングで緻密なハーモニーを奏でた」と解説文。

 この曲をローリング・ストーンズはデビュー前からレパートリーにしていたであろうから、おそらく数千回は演奏しているだろう。「ウェルカム・トゥ・シェパーズ・ブッシュ」での演奏はパワフルながらリラックスした雰囲気で、楽しみながら演奏している様子が伝わる。繰り返し演奏しても、洗練されすぎて上品にならないのが彼らの強みであり、ロックの魅力だ。

 日本に国道は459路線あり、1号から507号まで存在しているが「このうち48路線が欠番」で「欠番となっているのは59号から100号」(国交省HP)だから日本には国道66号線は存在しない。最長の国道は東京と青森市を結ぶ4号線で742.5㎞、2番目は東京と大阪市を結ぶ1号線で649.3km、3番目は京都と下関市を結ぶ9号線で614.6kmだ。「ルート66」にならって、日本でも国道を舞台にしたロードムービーやロードソングを作ることは可能だろう。

2025年5月3日土曜日

国家の承認欲求

 「我らは日本という国家に属する日本人である」との意識がいつごろから一般化したのか定かではない。隋や唐など現在の中国の存在は古くから知られていたが、欧米の存在が広く認識されるようになったのは江戸時代からだろう。藩が廃止された明治維新以降に日本という近代国家の形成が始まり、中央集権の国家の形成が進むにつれて、日本人との意識が徐々に形成されたと見るのが妥当か。

 日本という国家意識は、世界は広いことと、その世界で欧米諸国とともに存在するという意識とともにある。他国の存在を意識することは国家意識の形成の重要な要素であろう。同時に、他国を意識することは他国と比較することを促し、優劣を意識するようになり、序列の感覚も芽ばえ始めよう。

 歴史的に日本が比較する他国は隋や唐、元、明など中国大陸にあったが、それが欧米に変わった。欧米に対して日本は「遅れ」を意識し、近代化(西洋化)を急いだ。そこには欧米に対して日本の劣勢を意識し、国の序列が日本は欧米より下位にあるとの意識があっただろう。

 当時はまだ、欧米に対して日本の独自性を主張する状況ではなく、欧米に「追いつく」ことが最優先され、欧米と「対等」になることを目指していた。「対等」になるとは、日本が欧米から「対等」と見られ、そのように遇されることで実現する。20世紀に入ってから日本は国力を高め、軍事力を増大させ、「対等」と欧米から遇されるようになった。

 欧米と「対等」になった日本では優劣の意識は変化し、欧米から認められたいという承認欲求が、欧米に優越したいという意識に変化し始め、植民地の獲得で成長した欧州諸国に倣って日本も植民地獲得により経済的に潤うとの皮算用が現実的な目標に転じ、日本は占領して統治する地域を拡大する国策を推進し、歯止めが効かなくなって欧米の権益と衝突し、第二次大戦へと突き進んだ。

 日本人が日本という国家意識を持ったのは欧米を意識したからだが、「対等」になりたいとの承認欲求が、やがて欧米に優越したいとの意識に転じ、欧米など他国に対する優越をめぐる争いに発展した。欧米に対する承認欲求が優越願望に発展し、優越をめぐる国際競争が緊張の度合いを高め、第二次大戦に突入した。

 敗戦後の日本は経済発展で欧州諸国を凌駕する経済大国になり、承認欲求は満たされた。だが、欧米コンプレックスは敗戦国という現実とともに残っており、欧米が日本をどう見ているかということを過剰に気にする国となった。その反動で過剰に日本を強調したりもする。欧米に認められたいとの意識は敗戦後の日本に色濃く残っており、現在も欧米メディアの日本報道や評価には敏感に反応したりする。