2021年3月31日水曜日

やり返すという対応法

 やられたら、同じ分だけ、やり返すという対応をする人は、強い精神力を有するタフな人物と見られるだろう。批判されたら同じように相手を批判し、嘲笑されたら嘲笑し返し、1発殴られたら1発殴り返し、2発殴られたら2発殴り返し、蹴られたら蹴り返す……こうした対応法の落とし穴は、双方の応酬がエスカレートしやすいことだ。

 先に1発殴ったのが相手で、同じ1発を殴り返したとしても、相手が同じ分だけ返されたと認識するかどうかは不明で、やり返されたことでカッとなって、さらに殴りかかってくることは珍しくない。言葉の応酬から始まって取っ組み合いに発展するのは子供の喧嘩によくあることだが、自制する力が伴っていなければ、やられた分だけ、やり返すという対応法は挑発行為となりかねない。

 やり返すという対応法は、他人と対等の立場に常に立っていようとする意志に基づく。批判されてもろくに反論せず、嘲笑されても黙ったままで、1発殴られて泣きべそをかくだけだったなら、なめられる存在となり、対等の立場に立つとはみられなくなる。だが、対等の立場にない者が対等に振る舞うと、相手を挑発する行為と見做されたりもする。

 やられた分だけ、やり返すという対応法は外交にも用いられる。強く批判されたなら強く批判し返し、経済制裁されたなら経済制裁し返すという外交で最近目立つのが中国だ。中国はEU関係者らや英国の政界関係者ら9人と4団体を対象に制裁を科し、また、米国とカナダの議員らにも制裁を科すと発表した。これは先にEUと米、英、カナダが対中制裁を実施したことに対する対抗措置。

 中国の主張は「ウイグルの人権問題を口実に中国に制裁を実施し、内政に干渉した」「噓と偽りの情報に基づいて一方的に制裁を実施した」など強硬で、譲歩する気配は皆無だ。世界2位の経済大国になり、欧米と対等の立場に立ったとの自負と、国内で愛国主義を煽っているので、欧米の主張に少しでも譲歩すればプライドを傷つけられた人々の怒りの矛先が中国共産党に向かいかねず譲歩できないのだろう。

 以前から指摘されていたウイグルにおける大規模な人権侵害を口実に今になって欧米が中国に対する批判を強め、経済制裁に動くのは、中国に対する警戒感の高まりを示す。欧米主導の世界秩序に対する現実的な脅威だと認識したのなら、封じ込めの動きの手始めかもしれない。だが、欧米企業との経済的な結びつきが緊密なので中国は欧米に対して強気に出ることができるし、欧米も経済的な関係を壊してまで中国封じ込めに動くことはできまい。

 やられたら、やり返す外交は他国と対等の立場に立とうとする主権国家にとって当然かもしれないが、自制心が希薄ならエスカレートしやすいことは子供の喧嘩と変わりない。欧米にとってウイグルの大規模な人権侵害は対中国の交渉カードに過ぎないだろうが、中国にとっては妥協の余地がなく、否定し続けなければならない。エスカレートしやすいのは中国のほうだ。

2021年3月27日土曜日

撤収できない米軍

 米トランプ政権がアフガニスタンのタリバンと和平合意を結び、今年5月1日までの米軍撤収を明記したが、バイデン大統領は5月撤収について「厳しい」とした。和平合意に対する批判ではなく、アフガン政府とタリバンとの停戦協議が難航する一方、タリバンと政府軍の戦闘が続き、自爆テロなどもあって治安が悪化する状況を踏まえた発言だ。

 米軍撤収を急いだ和平合意だったが、アフガン政府は弱体で米軍抜きの自力での治安維持は困難なため、タリバンの協力が不可欠だった。停戦協議で優位に立つことを狙ってタリバンは政府軍に対する攻撃を各地で強め、すでにアフガン全土の半分を押さえているとされる。米軍の削減が進む中で、実力で勢力圏を拡大したタリバンがアフガン政府との停戦協議で妥協するはずがない。

 アフガン政府との協議でタリバンは、イスラム法に基づいた統治体制の構築などを主張していると報じられた。かつてタリバンはイスラム法に基づく厳格な統治で知られたが、現在の支配地でも同様で、音楽を禁止するなど人々の締め付けを強めているという。一度はタリバン政府を崩壊させた米国は、多大な費用と軍人の損傷を重ねた後にタリバンの政権復帰を容認する。

 米軍を再び増派する選択肢はないが、タリバン単独のアフガン支配は容認できないバイデン政権は、タリバンを交渉に留めなければならない。米軍撤収後のアフガン和平に向けバイデン政権が行った新たな提案は、①米露中印パとイランを加えた和平協議を開催する(3月18日に露が中パと米も加え協議を開催し、アフガン政府とタリバンに直ちに停戦するよう呼びかけた)。

 さらに②アフガンの憲法作成や統治体制の案を米国が作成して提示、③アフガン政府とタリバンが国外で会談する、④90日間の暴力削減期間を設ける、⑤5月の米軍撤収を延期ーなど和平合意の修正に動いた。米国が憲法や統治体制の案を示すのは、アフガン政府とタリバンの統治者能力を見限ったということだが、統治者能力に欠ける勢力に任せるしかないのが現実だとすれば、和平合意が成立したとしても脆さは残る。

 脆さとは、米軍が撤収すればタリバンは自力でアフガン全土の制圧にいつでも動きかねないことだ。米軍という「重し」がなくなった状況でタリバンの動きをどう封じるかが和平協議のポイントだが、自力で単独政権を狙えるタリバンに和平協議で譲歩を求めることは簡単ではない。米国などが監視するアフガン政府とタリバンの暫定政府ができたとしても、実権はタリバンが握る。

 バイデン政権は米軍撤収を6カ月程度遅らせる方向で調整しているとの報道もあり、5月1日までの撤収の可能性は低い。圧倒的な武力でタリバン政権を倒し、アフガンを占領した米軍だが、アフガンの統治に失敗し、今になって「後は勝手にしろ」と投げ出すこともできず、体裁を整えてから引き上げようと難儀している。アフガンは、紀元前から多くの王国や帝国に代わる代わる支配されたり、自力で何度も王朝を起こしたり、侵略軍と戦ったりと戦いの歴史を積み重ね、米国よりもはるかに長い戦いの歴史を有する。

2021年3月24日水曜日

占いの根拠

  血液型占いは、血液型と人の性格に何らかの関係があるとするから成立する。だが、血液型は客観的に判定できるが、人の性格は茫漠としている。陽気だとか真面目だとか気が強いとか消極的だとか人の性格は多くの要素が重なり合って形成され、時には陽気になり時には陰気になり、時には強気になり時には弱気になるのは珍しくなく、様々な条件次第で人は異なる反応をするだろうから、性格の見え方は変化する。

 相手次第で強気に出たり、上司がいると積極性を出したりと人は性格を状況に合わせて変えたりもするので、人の性格をこうだと固定することは簡単ではない。ドラマや小説などでは登場人物の性格を固定して分かりやすくするが、現実世界で人の性格を「正確」に判定することにはかなりの困難を伴うだろう。また、見ている側は主観で判断するから、人の性格の客観的な判定は揺れ動く。

 2つの関係を論じるときに、一方が固定されているが他方は揺れ動く状況では確実なことは言えまい。正確に言おうとすれば、揺れ動く状況に応じて確率を示し、例えば、A型の人が真面目な性格である確率は◯%、O型の人が陽性である確率は◯%などとするしかない。その確率の根拠には主観ではなく確かなデータが必要だが、性格に関する科学的なデータは乏しい。

 血液型占いは、血液型という客観的に判定できる要素と、人の性格という茫漠な要素を組み合わせることで、占う側が幅広く解釈する=どうにでも血液型と人の性格をこじつけることができる仕組みだから生き残っている。この種の占いを試す人々はおそらく、遊び半分で楽しんでいるのだろうから、占う側に客観的な正確さなどは求めていないことも血液型占いを存続させている。

 血液型により人の性格に決まった傾向があるとすれば、例えば、A型の人の性格が皆似ているとすると、日本人の約40%=約5000万人が同じような性格だということになる(日本人の血液型分布はおおよそA型40%、B型20%、AB型10%、O型30%という)。5000万人を同じ性格だとするためには、人の性格を大雑把に分けて誰にでも当てはまるような判定をするしかないだろう。

 血液型占いを信じる人は、「A型は真面目タイプ」などと言われると、それに合致する誰彼を思い浮かべ、血液型と人の性格に関連があるとうっかり納得したりするが、それは聞き手が占いの御託宣に合わせて解釈しているだけだ。A型だけどチャランポランな誰彼のことを忘れている。さらに、誰にでも真面目な一面があるので自分がA型なら「そうか」と簡単に納得できよう。

 運勢、吉凶、性格など占いの対象は様々だが、共通するのは占う対象が茫漠としていることだ。だから占う側は何でも言える。そうした占いに何かの根拠があるように見せかけるために、血液型とか天体とか科学で解明されている事柄と結びつけたりするが、掌を見たり人相を見たりと更に解釈次第で何でも言える手法と結びつけたりもする。科学を利用する占いのほうが近代的な装いだが、根拠が皆無なことは同じだ。

2021年3月20日土曜日

事実の確認

 インターネット上には情報が溢れているが、それは①事実を正確に伝えている情報、②事実を誤って伝えている情報、③事実を歪めて伝えている情報、④事実と無関係に創作された情報、に大別される。その見極めは簡単ではなく、また、人は自分が好む情報を探す傾向があり、正確さが常に意識されているわけでもない。

 さらに、事実を正確に伝えている情報が常に正しいとは限らない。典型的なのは、誰かの発言を伝える情報だ。その発言の存在が事実で、発言内容を正確に伝えている情報であっても、その発言の意味する内容が正しいかどうかは別問題だ。

 例えば、政治家など著名人が「UFOを見た」と言ったと伝える情報。その発言が実際に存在し、発言内容を確認したならメディアは「UFOを見たと◯◯さんが言った」と報じることができる(UFOなら、その情報を見た人は発言を面白がるだけで、UFOの存在を信じる人は少ないだろう。だが、現実的な事項についての発言なら、発言内容を事実と受け止める人がいるだろう)。

 「UFOを見た」との発言の存在と発言内容を確認して歪めずに伝えたなら、メディアは事実を伝えたことになる。しかし、「UFOを見た」とメディアが報じることで、UFOの存在が確かめられたかのように受け取る人もいるだろう。意図的なミスリードでなかったとしても、結果としてはミスリードとなる。

 この種のミスリードを防ぐためには、メディアは誰かの発言を報じる時には、その発言内容を検証し、事実であることを確認する必要がある。だが、発言は当人の見解や主張を述べる場合が多く、客観的な事実認識に基づいていることもあるし、主観的な事実認識に基づいていることもある。偏った見解や主張であっても著名人の発言であればメディアが報じるのは、発言の存在という事実のみに基づく。

 メディアは、発言の内容を検証して客観的事実に基づかない見解や主張は報じるべきではないだろう。誰かが「UFOを見た」のが事実かどうか客観的に検証することは不可能なので、UFOの存在は確認されていないというのが客観的な判断だろうが、UFOが社会的に大きな関心事であるなら、UFOに関する著名人の発言がニュースバリューを持つ。

 「UFOを見た」との発言が事実であっても、本当に何かを見たのか、見たのは本当にUFOかなど確認すべきことはある。ただし、UFOの存在を肯定し、存在するとの認識を広めたいと考えるメディアなら、「UFOを見た」という著名人の発言を積極的に利用するだろう。

2021年3月17日水曜日

増植する言葉

 「よりそう」という言葉が増殖している。悲しむ人々や苦しむ人々の悲しみや苦しみに共鳴・共感しつつ見守り、時には励ましたりすることを意味しているようだ。よりそう行為は具体的ではなく、災害の被災者や事故などの被害者に同情し、精神的に支えるなど主に直接的な支援以外の働きかけを指して使われている。

 漢字を混えた「寄り添う」の本来の意味は「相手のからだに触れんばかりに近くに寄る」「ぴったりとそばへ寄る」で、「寄る」プラス「添う」だ。本来の意味での寄り添う行為は、ボランティアや募金活動などを行って被災者や被害者を具体的に支援することだろうが、よりそうは「寄る」ことよりも「添う」ことに重心が置かれ、忘れないとのメッセージの色が濃い。

 よりそうためには対象が必要だが、誰でもいいわけではない。寄り添う相手は自分が興味・関心を持った近くの対象だが、よりそう相手は、距離を隔てて存在する災害の被災者や事故などの被害者で、直接的な支援を行うことが容易ではない対象だ。被災者や被害者は同情される対象でもあり、人々の自然な同情心が刺激されて、よりそうことになる。

 被災者が被災者によりそうのではなく、被害者が被害者によりそうのでもなく、被災者や被害者に平穏な日常生活を続けている人がよりそうという構図。よりそうには、同情するが傍観している気配も漂う。被災者や被害者の間では、寄り添って助け合い支え合うのだろうが、よりそう側と、よりそわれる側には互いに助け合い支え合う関係はない。

 よりそうと似た言葉に連帯があるが、連帯はもっと積極的な精神的支援の意思表示であり、不正義による犠牲があったりすると時にはデモなどとなって現れ、連帯の対象は自国にとどまらず、国際的な動きとなったりもする。よりそうの対象は日本国内に限られ、被災者や被害者の窮状が伝えられても、よりそう人々がデモなどを行うことはない。

 よりそうと、寄り添う。ひらがな表記にすることでソフトな感触になり、直接的な接触感が薄れる。テレビ画面で被災者や被害者を見ながら同情している心境にふさわしい表現だ。同じく増植する「ふれあい」とも共通する距離を置いた間接的な接触感は、濃密な対人関係を好まない風潮の反映かもしれない。

 だが、よりそうことは悪いことではない。次々に自然災害や事件・事故が発生するのだから被災者や被害者も次々に増え、直接的に支援できる対象は限られる。被災者や被害者に無関心ではいられない人々が被災者や被害者に「よりそう」ことしかできなかったとしても、被災者や被害者の社会的な孤立感を薄めることはできよう。

2021年3月13日土曜日

目を合わせる

 京都や奈良など全国各地の古刹が保有する仏像を借り出して、東京などの美術館や博物館で展示する催しは年中どこかで行われている印象だ。日本は全国で古刹や仏像の数が多いことに加え、人気がある仏像をメインにした催しなら数年ごとに全国どこかで開催される。

 古刹から仏像を借り出す展示会が多いのは、動員数が好調だからだろう。人が集まるといっても、それは、ありがたい仏像を拝む信仰心からではなく、優れた彫刻作品を美術品や芸術作品として鑑賞するためだ。美術館や博物館で仏像に向かって手を合わせて熱心に祈っている人を見かけることはほとんどない。

 仏像は美術品や芸術作品として作家が創造したものではなく、仏教の信仰の具体的な対象として制作されたものだ。拝むものから眺め鑑賞する対象に仏像が変わったのは、仏教信仰の衰退の表れでもある。だが、信仰心に支えられて制作された彫刻や絵画などが、宗教とは離れて創作作品として鑑賞の対象になるのは日本に限らず世界的な現象だ。

 仏像は仏教が説く至高の価値などの表現であり、悟りを開き、真理に到達したという如来や菩薩、明王などが造形される。如来などは修行を経て人間が到達した姿とされるから、人間の姿で造形される。だから、肖像彫刻として鑑賞されることに抵抗が少ないのだろう。

 さらに「7世紀後半から8世紀にかけての日本に、様式上の創意はなかったが、実に美しい像が多く作られた」「鎌倉時代の代表的な作品は、それが菩薩像であっても仁王像であっても、人間の身体から出発して人間を超える。仏像の人間化は、必ずしも現実の人間の写実ではなくて、むしろその『理想化』である」(加藤周一『日本その心と形』)と優れた造形作品が多い。

 仏像には、ちょっと変わった鑑賞法がある。それは、仏像の顔の正面に鑑賞者の顔を持っていき、仏像と視線を合わせることだ。仏像の視線の方向は様々で、視線を合わせるために鑑賞者はしゃがんだり背伸びをしたりと動かなければならないが、視線が合った時に鑑賞者は仏像の強い眼力を感じ、仏像が何かを伝えようとしているような印象を受けるだろう。

 古刹の金堂に安置された巨大な仏像があると、正面に立って見上げた鑑賞者は仏像の少し下向きの顔と見合い、視線が合ったりする。慈愛に満ちた目と仏像の存在感に圧倒される感覚になるだろう。仏像と目を合わせることで人は、単なる美術品や芸術作品にとどまらない仏像の力を感じることができよう。

2021年3月10日水曜日

肥満とウイルス

  世界肥満連盟と聞くと、肥満者の権利を主張する国際団体なのかとつい早合点したくなる。肥満者が多い米国で、肥満者は自己管理ができていないと見られ、出世に不利だなどと以前伝えられたが、一向に肥満者が減ったようには見えず、出世のチャンスから遠い多数の人々は肥満になっても構わないと諦めているのかもしれないな。

 肥満者が減っていないとすれば、肥満であることで向けられる差別や蔑視などに対して反発し、肥満者は自己主張を行うだろう。肥満者に対する差別や蔑視はおそらく世界各国で似たようなものであるだろうから、世界の膨大な数の肥満者が立ち上がり、権利を主張するために組織を作っても不思議ではない。問題は、主導する人が現れるかどうかだ。

 だが、世界肥満連盟は、肥満問題の解決について取り組む各国の科学者らの研究団体。この連盟が、世界の新型コロナウイルスによる死者約250万人のうち約9割(約220万人)が、人口の50%超が肥満という肥満率が高い国に集中していたとの報告書を発表した。さらに死亡率は、肥満率が50%以上の国で50%未満の国より10倍以上高くなっていて、肥満者が40%未満の国では新型コロナウイルスによる人口10万人当たり死者が10人以下だったが、50%を上回る国の死者は同100人を超えていたという。

 肥満がなぜ新型コロナウイルス感染による死亡につながっているのか、その関係はまだ明確ではないが、肥満により免疫が弱まった人が多くなっている可能性を研究者は指摘し、「肥満は感染症が重症化する確率を高める」とする。心臓や呼吸器の疾患、糖尿病が重症化の危険を高めることは既に分かっているが、肥満も重症化や死亡につながっている疑いが指摘された。

 肥満とは、体重が多いだけではなく体脂肪が過剰に蓄積した状態(厚労省サイト)。肥満度の判定にはBMIを用いる。体重(kg))を身長(m)の2乗で割った数字がBMI。「脂肪組織に脂肪が過剰に蓄積した状態で、BMIが25以上のもの」が肥満だ(男女とも標準とされるBMIは22.0。これは、肥満との関連が強い糖尿病、高血圧、脂質異常症に最もかかりにくい数値とされる)。

 日本WHO協会によると、肥満は先進国と発展途上国の全てのあらゆる年齢層の人々に及んでいるそうで、2型糖尿病や心血管疾患、高血圧、脳卒中、各種の癌などの主要な危険因子とされる。肥満関連の疾病は世界中で死亡原因の上位3位に入っていると世界銀行。肥満は1975年以降、ほぼ3倍に増え、毎年400万人が肥満のために死亡しているという。

 肥満に伴う各種の人体への負担が感染症に対する抵抗力を弱めているのだろうが、新型コロナウイルスが怖いからと簡単に肥満体から抜け出せるわけではない。肥満率が高い国で死亡率が高いと指摘されても肥満者には何もできることはないだろう。肥満に伴う各種のリスクに新型コロナウイルス感染症が加わったところで、米国など肥満率が高い国で脱・肥満の動きが強まる見込みは少なさそうだ。

2021年3月6日土曜日

上級国民

  富や権力を持つ人々を上級国民と呼ぶのは褒め言葉ではなく、優位な位置にあることを皮肉ったり批判している。富や権力を持つ人々の言動に特権臭が漂った時などに、反感を感じた人々が用い、不公平が厳然と存在する社会に対する憤りを滲ませる。とはいえ、上級国民の存在は許せないと公平な社会への転換を求めて具体的な運動につながることは少ない。

 この言葉は古くから使われていたというが、流行語大賞の候補になるほど広まったのは2019年だった。元高級官僚の87歳男性の運転する車が暴走し、2人を死亡させたが、逮捕は見送られた。法の下の平等が歪められたと見え、この男性が死亡事故を起こしても特別扱いされたのは上級国民だからだと批判が巻き起こった。

 その上級国民でもある高級官僚が現役中も民間企業から接待を受けて、飲み食いしていたことが次々に明らかになった。総務省と農水省での複数の事例が報じられたが、他の省庁ではどうなのか。総務省と農水省の高級官僚だけが接待に応じていて、他の省庁の高級官僚は厳しく自己を律しているとすれば慶賀の至りだが、実態はどうなのか詳らかではない。

 上級国民になるには富か権力を手に入れることが必要だが、高級官僚になれば権力に関与することができ、退官後も業界団体や民間企業を渡り歩けば相応の地位を確保し、金を蓄えることもできよう。高級官僚にならなくても金持ちになることはできるが、権力に関与するためには、それこそ高級官僚を接待して親密な関係を構築して影響力を保つことが必要になる。

 金持ちになることは誰もが望むだろうが、企業で真面目に務めていても出世できるとは限らず、運やチャンスをつかむことが必要だったりする。一方、高級官僚になる道筋は明確だ。東大などを卒業して霞が関の中央省庁に入り、間違いを起こさずに勤めつつ細かな成果を積み上げ人脈を築いていけば高級官僚に近づくことができよう。上級国民になる道は、狭いけれど、誰にも開かれている?

 上級国民という言葉が社会に素直に受け入れられたのは、人々が日々感じている不公平感をうまく言い当てていたからだ。そこに上級国民は特別扱いされると見せつけられれば、反感はいや増す。貧富の差などはあっても、人としては皆平等である社会のはずなのに、上級国民が特権階層化している現実。上級国民よりも遥かに多数の一般国民(下級国民?)が納得し難いのは当然だ。

 日本を含め各国には古くから富や権力に関与する特権階層が存在した歴史がある。人間社会では特権階層の存在は避けられないのかもしれないが、民主主義や人権意識の定着とともに特権階層の存在に肯定的な評価は与えられなくなった。上級国民という特権階層に人々の反感や批判が向くのは、特権に付随するはずの責任感や倫理観が希薄だからだ。

2021年3月3日水曜日

二重マスクの効果

  マスクを着用する目的は、①風邪などに罹患している人がウイルスなどを含む咳やくしゃみのしぶきの飛散を減少させる、②ウイルスや花粉などが口に入ることを防ぐ、③タレントらが簡易な変装に使う、だ。①は、マスクの内から外に何かが出ることを防ぐためであり、②は外からマスク内に何かが入ってくるのを防ぐのが目的。

 ただし、マスクと顔には隙間があるので、ウイルスなどを含む飛沫のマスク外への放出もウイルスなどのマスク内への侵入も完全に防ぐことはできない。潜水マスクのように完全に顔と密着させると呼吸ができなくなるので、酸素ボンベなどが必要になる。医療用のN95マスクは密着度が高く、ウイルスなどの侵入を防ぐ効果は高いとされるが、息苦しいとも言われる。

 今回のパンデミックでは世界でマスク着用が一般化した。無症状の感染者が多く、感染を自覚しない人が日常生活の中でウイルスを含む飛沫を咳などで拡散させることが明らかになり、飛沫感染を抑止するために、誰が感染者か判別できないので全ての人にマスク着用が奨励された。今回のマスク着用は①の目的なのだが、②のウイルスの侵入を防ぐためにマスクを着用すると考えている人もいるようだ。

 スーパーコンピューター「富岳」のシミュレーションによると、吐き出し飛沫量は不織布マスクで80%カット、吸い込み飛沫量は70%カットとされる(布やウレタンなど他のマスクの効果はさらに低い。フェイスガードやマウスガードの効果は大幅に低く、吸い込み飛沫量に対する効果はゼロとされる)。不織布マスク1枚だけでも相当の効果があるようだが、更に高い効果を求めて二重マスクにする人が現れた。

 二重マスクについて米CDCが実験し、布のマスクをサージカルマスクの上に重ねた場合は空気中を漂うエアロゾルを92.5%遮断した(密着していないサージカルマスクのみでは42%、布マスクのみでは44.3%遮断)。1枚より2枚重ねたほうが遮断の効果が高いことは不思議ではないが、効果が高ければいいのなら、次は三重マスクか?

 マスクの遮断効果が高い場合、着用者の感じる息苦しさの度合いも強い。二重マスクにして息苦しいからと隙間を開けたりすると、二重マスクの意味がない。二重マスクにする人は顔とマスクに隙間を絶対につくらず、息苦しさが遮断効果の目安と考え、いっそマスクの縁を顔に両面テープなどで密着させるべきか(窒息しないようにね)。

 マスクを着用している時間は長い。通勤通学の車両内や建物内など外出中は着用を続けなければならず、複数の人が存在する空間でもマスク着用がほぼ義務化された様相だ。二重マスクなど遮断効果を高めるほど、息苦しさを感じ続ける時間も長くなる。ウイルスに対する不安が息苦しさを我慢させるのだろうが、二重マスクでも隙間からウイルスは入ってくるので不安は消えまい。