2018年2月28日水曜日

人間となりたまいし

 大雪に見舞われた1936年2月下旬の東京で、青年将校に率いられた陸軍兵士ら約1500人が、「尊皇討奸」をかかげて決起したのが二・二六事件。国家改造の断行を要求し、総理大臣官邸、大蔵大臣や内大臣らの私邸、各新聞社、警視庁、陸軍省、参謀本部などを襲撃・占拠したが、反乱軍とされ、原隊復帰の奉勅命令が出され、鎮圧された。

 信頼していた側近が殺傷されたとの報に天皇は激怒し、当初から反乱軍を賊軍とみなし、反乱部隊の鎮圧を求め、「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接、近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」とまで言い、徹底鎮圧を指示したという。

 当時は天皇が絶対的な存在であり、天皇制が日本の国体の中枢にある存在と見なされていた。決起した軍人らは、いわゆる君側の奸を排除し、政治体制を一新することで腐敗を正し、東北などの農村の困窮を救うことなどを掲げたのだが、彼らの意向を当時の天皇は問題にしなかったと伝えられている。

 そうした天皇の判断に疑問を呈し、人間としてではなく「神であらせられるべきだつた」と批判するのが三島由紀夫。有名な言葉が「などてすめろぎは人間となりたまひし」(『英霊の聲』)。

 こうした天皇(神)に期待する見方が成り立つには、①神は人間的な感情には支配されない、②神の判断は公平である、③神の判断は大局的な見地からなされる、との前提が必要だ。そこに、神は民の「至誠」に応えて判断するとの期待が加わるから、期待に反した神の判断に対しては激しく落胆することになる。

 「至誠」とは主観的な判断であり、公平な判断が何であるかも主観に左右されがちだ。つまり神(天皇)の判断が大局的に公平であったとしても、別の判断を期待していた人間にとって、それは期待に反した神の判断ということになる。そこに、神の判断を人間が批判できる余地が生じる。

 二・二六事件関係者を天皇の御名により反乱者として処断した態度に天皇の人間的弱さがあり、頼りにする重臣達を殺傷した行動を天皇が非難し、天皇の人間性によって処断したことは間違いで、天皇は公平無私の神格的な処断をなすべきだったという見方からすれば、「人間となりたまいし」と嘆くことになる。

 人間を神格化すると、その人間に神として振る舞うことを要求するようになる。人間的感情を露わにする神は神話では珍しくないが、それは神格化された人間には許されない。神格化された人間は人々の過大かつ様々な期待を押し付けられるが、全ての期待には応じられない。神に「裏切られる」人も出てくるが、そこで神を批判するためには相手を人間だと見ることが必要になる。

2018年2月24日土曜日

コソボが抱える闇

 コソボはセルビアからの一方的な独立宣言から10周年を迎えた。人口の9割以上がアルバニア人というコソボが、セルビア人が多数のセルビアから分離独立したのは自然なことのようにも見えるが、実際は、セルビアに対するテロを続けたアルバニア人組織KLAなどが欧米など西側諸国の支援(武力介入)を得て達成した独立だ。

 もともとコソボにはセルビア人が住んでいたが、徐々に東方へ移住、その後に隣接するアルバニアからアルバニア人が入ってきた歴史がある。セルビア人にとってコソボは民族の記憶(歴史)に関わる土地であり、セルビア人居住者が少数になったとはいえ手放すことはできないものだった。

 コソボのセルビアからの分離独立を欧米など西側諸国が支援したのは、民族自決の原理を尊重したからではない。スペインのカタルーニャやバスク、英国のスコットランドなど国内に分離独立運動を抱えている国は欧州にもあるのだが、各国は分離独立を認めない。コソボの分離独立は、セルビアが対象だから各国は容認した。

 ユーゴスラビア解体の過程で難民が流出し、戦闘における悲惨さが報じられたが、欧州各国は「無力」だった。一方では、セルビア側の残虐性が強調されて報じられ、「無力」感の裏返しとして各国でセルビアに対する処罰感情が喚起された。コソボ紛争においてもセルビア側の残虐性が強調され、西側諸国の武力介入を正当化しやすくした。

 紛争において当事者の一方だけが残虐で、他方は倫理的であるということはなく、報復の論理がエスカレートすることも珍しくない。だが、どちらも残虐で悪いと見るなら、正義感や人道主義などを刺激されても西側諸国は介入できない。介入するためには、それを正当化する仕掛けが必要になる。

 この種の仕掛けでは、どちらかの側の被害者としての側面を強調することが基本だ。コソボではアルバニア人が被害者で、セルビアが悪いという構図になり、西側諸国の武力介入を容易にした。そしてコソボは西側諸国などの支持を頼りに独立を宣言したのだが、経済は停滞したままで失業率は高く、この10年間に人口の1割が仕事を求めて出国したと伝えられている。

 KLAメンバーらが独立後のコソボの政治を主導したのだが、 KLAは欧州への麻薬流通で資金を得ていたともいわれ、紛争ではセルビア系住民を拉致・殺害し、臓器を売買した疑いも指摘されている。アルバニア人による犯罪組織はアルバニア・マフィアとして名高く、EUで広いネットワークを持つという。独立国のコソボはマフィアにとって楽園かもしれない。

2018年2月21日水曜日

中国のルンプロ

 2017年11月に中国・北京郊外の簡易宿泊施設で火災が起き、19人が死亡した。そこは出稼ぎ労働者が多く住む地域で、死傷者の大半が出稼ぎ労働者とその家族だった。低所得者が住む集合住宅の火災は各国で起きているが、北京では火災後に当局が公共の安全確保のためと違法建築の摘発・一掃を始めた。

 問題は、そうした違法建築に住む多くの出稼ぎ労働者らを強制的に追い出したことで、立ち退きに数日の猶予しか与えられず、代わりの宿泊施設の紹介などもなかったという。地域によっては、急な立ち退きを求められた人々が当局と小競り合いになったともいう。

 火災をきっかけにした違法建築撤去という当局の動きは、北京から下流人口を締め出すのが狙いだと疑う声が広がった。例えば、中国の大学教授ら100人余が連名で「転居先の手当てもなく、氷点下の寒空に放り出すのは人権侵害だ」などと批判する文書を発表したと報じられた。

 そうした声に反論したり封じ込めながら当局は撤去を続け、追い出された出稼ぎ労働者は去ったという。都市戸籍を持たない彼らの多くは、いつでも追い出されうる存在だと承知し、「居住権がない」から抗っても無駄だと諦めていたのかもしれないし、他の土地で新たな職を探すしかないと切り替えたのかもしれない。

 中国の出稼ぎ労働者は、低賃金の労働力として使い捨てられる存在だ。中国では人民は平等ではなく、都市戸籍と農業戸籍で区別(差別)される。都市戸籍を持たない出稼ぎ労働者は、都市での居住を認めろと要求することもなく、平等であるべき人民(人間)としての権利を主張することもないように見える。

 もちろん共産党の強権的な独裁統治が続く中国で、個人の権利要求は制限されるので出稼ぎ労働者が権利主張しても抑圧されるだけだろうから、権力に抗わずに個人的利益を優先して生きるのが出稼ぎ労働者の「生きる道」なのかもしれない。それは、世界有数の経済大国になった中国で、人民が解放されていないことを示している。

 中国の出稼ぎ労働者はルンペンプロレタリアートなのか。定義次第で如何様にも解釈できるが、貧富の格差が拡大した現在の中国に窮民革命論を当てはめるなら、出稼ぎ労働者が次の革命の重要な役割を担っても不思議ではない。だが、中国を変えようという意識がなく、社会に対する愛着も信頼もなく、国家の主体(主権者)との意識もなく、個人として生き延びることだけ考えているのであれば、彼らの権利が尊重される社会が実現するかもしれない次の革命は遠い。

2018年2月17日土曜日

雨が降っているから天気が悪い

 「雨が降っているから天気が悪い」とか「晴れているから天気が良い」などの言葉は正しい(間違ってはいない)であろうが、少し考えると「そんなこと、当たり前じゃないか」と気がつく。論理的な装いではあるが、表面的なことしか言っておらず、新しい発見は何もない。

 間違ってはいないから正しいと認めざるを得ないという言説は珍しくないのだが、底が浅く表面的であることを誰もがいつも意識するわけでもない。いちいち気に留めないし、科学的な装いであったなら、疑う気持ちも薄れがちだ。そこに「雨が降っているから天気が悪い」とか「晴れているから天気が良い」などの言葉がまぶされると、ありがたく拝聴することになる。

 この種の、否定できないことを積み重ねて、論を展開し、聞き手を誘導するやり方は意図的に行われると意外に影響力を持つ。途中に飛躍が含まれることが多いが、「当たり前」の積み重ねに挟まれていたりするので、気づきにくい。耳にしたり目にする言葉に対して、客観的な検証を常に誰もが行っているわけではないからだ。

 「天気が悪いから雨が降っている」とか「天気が良いから晴れている」などの言葉なら、奇妙な言い方だと気がつきやすいだろう。それは、天気の良し悪しは個別の気象現象から判断するもので、逆ではないからだ。現実をなぞっていることでは同じなのだが、「天気が悪いから雨が降っている」では、判断の結果が先に来ているので違和感を生じさせる。

 「雨が降っているから天気が悪い」式の言説は、社会問題や経済問題、国際問題などを専門家が論じる時にも用いられることがある。論じている問題に対する知識がある受け手なら、「こいつは当たり前のことしか言ってないな」と気がつくだろうが、判断能力が乏しければ鵜呑みにしたりもする。

 問題は、「当たり前」の積み重ねに飛躍が挟まれている時に、それに気がつくかどうかだ。「当たり前」のことだけ言っている論を受け入れることは、退屈ではあっても害はないだろうが、「当たり前」に挟まれている飛躍も鵜呑みにすると、偏った見方に誘導されることになる。

 「雨が降っているから天気が悪い」式の言説に含まれている飛躍を見極めるには、論じられている問題に関する知識を増やすことしかない。面倒で時間がかかるのだが、鵜呑みをしない判断能力を身につけないから、誘導されるのだ。「当たり前」を積み重ねて読み手の同調を促す言説に、うっかり誘導されたくないのなら自力で判断応力を身につけるしかない。

2018年2月14日水曜日

蛇行がもたらす影響

 北陸などが大雪に見舞われていた時、北海道の西の日本海で低気圧が停滞し、ほとんど動かずにいた。その低気圧が大陸からの寒気を呼び込み続けた。この冬は、北海道の東のオホーツク海では、低気圧がゆっくりと東から西へ動いていることが何回もあった。

 日本の天候を様々に変化させる低気圧や高気圧は通常、偏西風により西から東に流されて行く。冬に寒気や大雪をもたらす低気圧も通常は西から東に流されるので、北国以外では寒気や大雪も一過性の気象現象であることが多い。

 なぜ今年は、低気圧が東から西に動いたり、停滞したりしたのだろうか。考えられるのはブロッキングだ。これは、偏西風の蛇行が大きくなって低気圧や高気圧の東進を妨げる現象で、低気圧や高気圧が停滞するため、同じ天候が続く。

 偏西風の北側には冷たい空気があり、南には暖かい空気があるので、偏西風が日本の南側に大きく蛇行すると、日本列島は冷たい空気に覆われる。気象庁が1月下旬の寒波について「この要因は、偏西風の蛇行によりシベリア東部で蓄積した大気下層の非常に強い寒気が、北西の季節風の強まりにより、日本付近に流れ込んだため」とした。

 気象庁が発表した日本上空1500m気温図によると、シベリア東部で蓄積した強い寒気が塊のまま北西から南東に移動してきたと見える。Rストーンズのベロマークの向きを左右変えたような形の寒気が日本を覆ったのだから、偏西風が日本を中に入れたU字型に蛇行しているのだろう。

 偏西風は高度とともに強くなり、対流圏と成層圏の境界付近の高度10kmほどで最も風速が大きくなる(ジェット気流)。ただ気象庁は偏西風のデータを日常的には発表していない。ウィンドプロファイラ(上空の風)は発表しているが、これは高度1km、2km、3kmの風向と風速。偏西風の動きを知る参考にはなる。

 偏西風は分裂することもある。この冬、日本海寒帯気団収束帯ができたが、これは大陸から吹く北西の風が北朝鮮・中国国境付近の白頭山で二手に分かれ、北側を回る風と南側を回る風が日本海で合流するもので、上昇流を強め、帯状になった雪雲が発生する。これで大雪が降った。

2018年2月10日土曜日

豪雪は珍しくはない

 北陸地方では大量の降雪が続き、積雪量は福井市で平年の7倍以上の140cmを超え、金沢市も平年の約6倍になった。除雪が追いつかず、国道8号では最も多い時に約1500台が約10キロにわたり立ち往生し、60時間以上も移動できなかった車両もあった。雪下ろしや除雪中の事故も相次ぎ、物流もマヒするなど影響は大きい。

 福井市では24時間降雪量が最大66cmにもなったというが、このような集中的かつ大量の降雪では、除雪体制が整っている北国の都市部でも、除雪しても次から次と雪が降ってくるのだから、除雪が追いつかない。個人が行う自宅前の除雪も、いつまでも終わりが来ない様相になる。

 この大雪は1981(昭和56)年の「五六豪雪」以来、37年ぶりの大雪とされる。五六豪雪では日本海側で大雪となり、山沿いで降雪量が100cmを超え、着雪や強風による送電線切断や鉄塔倒壊が相次ぎ、漁船の遭難被害も多発、高山や福井では積雪が100cmを超え、山間部では300cmを超えた(気象庁サイト)。福井市や敦賀市の積雪は最大で196cmに達したという。

 雪の重みによる住宅倒壊などの被害が相次ぎ(全壊165棟、半壊301棟)、全国の死者は133人、行方不明19人、負傷者2158人と甚大な被害をもたらした。鉄道の運休などによって孤立する集落が多かったともいう。大量の降雪は大量の降水量でもあり、床上浸水732棟、床下浸水7365棟などの被害も生じた。

 世界でも降雪量が多い日本で豪雪は繰り返し起きている。例えば1963(昭和38)年の「三八豪雪」。約1カ月間、北陸地方を中心に東北から九州にかけて広い範囲で降雪が持続し、平野部での降雪が多く、最深積雪は福井213cm、富山186cm、金沢181cm、長岡318cmになった。 除雪が追いつかず鉄道も道路も機能を失い、孤立する集落が多数でた(同)。

 九州でも断続的に雪が降り、日田で39cm、阿久根で38cmなど平野部でも積雪が30cmに達し、山間部では100cmを超え、交通障害や通信障害、停電、農業被害が多く発生した。2月になると雪崩や融雪による洪水が発生した。全国での被害は死者228人、行方不明者3人、負傷者356人。住家全壊753棟、半壊982棟。床上浸水640棟、床下浸水6338棟。

 特別な名称はついていなくても豪雪は珍しくなく、例えば十日町では戦時中の1944(昭和19)年に「一晩に1丈5尺(4m半)も積もったの。汽車は3カ月も止まったし、食べものもなくなって」(『聞書 庶民列伝<上>』竹中労著)、1938(昭和13)年には雪の重みで劇場の屋根が落ち「死者69名、負傷者92名を出すという大惨事」「敗戦の年の雪地獄は、積雪4.25m、冬中の新雪の累計は驚くなかれ21m」(同著)と過酷だ。

 豪雪による死者数や住宅倒壊数などは以前に比べて少なくなったが、交通や流通網などへの影響は大きい。都市部が豪雪に見舞われるとマスコミの扱いは大きくなるが、北国では毎年、どこかが豪雪に見舞われている。豪雪への備えは除雪の体制を整備することであろうが、豪雪は定期的にあるものと考え、豪雪に強い交通環境を構築するなどインフラの見直しが必要だ。

2018年2月7日水曜日

交換価値から自由な通貨

 1万円札1枚の製造原価は約20円という。上質の紙に精巧な印刷を施している1万円札は、鑑賞の対象にもなりそうだ。だが、1万円札の価値は、鑑賞の対象になることにはなく、それで1万円分の商品と交換できることにある。

 20円ほどで製造できる印刷物の1万円札が、なぜ1万円の交換価値を持っているかというと、人々が1万円分の商品と交換できると信じるからだ。政府(中央銀行)が交換価値を保証しているから人々は信用するのであろうが、政府の保証というものに対する人々の信頼は常に変化している。

 インフレとは貨幣の交換価値が減っていく現象であり、政府が保証する交換価値を人々が疑い、信用しなくなっている現象でもある。その極端な例がハイパーインフレで、最近ではジンバブエで100兆ジンバブエ・ドル紙幣まで発行したがインフレは続き、自国通貨を放棄して米ドルなどを使用せざるを得なくなった。

 いつでも1万円札は1万円分の交換価値を持っていると、デフレが続く日本では思いがちだが、政府が保証する貨幣でも、その交換価値は不安定なものである。だが、仮想通貨に比較すると政府保証の通貨が遥かに安定しているのは確かだ。

 仮想通貨が投資商品として人気を集め、取引価格は急騰した。資金が流れ込むことで暴騰し、規制の動きなどで急落したりを繰り返している。どこの国(中央銀行)の保証もない仮想通貨には、交換価値の保証は全くない。だから、通貨ではなく金融商品なのだが、インターネット上での取引の利便性が評価されて擬似通貨とみなされている。

 もし1万円札が美術品として評価され、1万円札1枚が数万円で取引されるようになったなら、人々は1万円札を買い物に使うことはやめ、1万円札を売買するようになるだろう。1万円分の交換価値よりも1万円札そのものの価値のほうが高くなったなら、貨幣としての機能を1万円札は放棄する。

 交換価値から自由な通貨が、過剰な価値を持ったならば何が起きるのかを仮装通貨フィーバーは見せてくれている。通貨の名はあるものの通貨としての機能を失い、金融商品化するだけだ。仮想通貨は政府保証がある通貨ではないが、通貨と価値を考える材料を提供してくれている。

2018年2月3日土曜日

暴かれるセクハラ

 米英ではセクハラに対する女性からの告発が活発になっている。最近では米国で、共和党全国委員会の財務委員長のスティーブ・ウィン氏がセクハラ報道を受けて辞任した。同氏は米カジノ大手の創業者でトランプ大統領ともつながりが強い。また、治療と称して女性選手らに性的暴行を繰り返してきた米国体操連盟の元医師は40年から175年の禁錮刑に処せられた。

 英国では、企業幹部ら富裕層が集まった男性限定の慈善夕食会で、女性接客係に露骨なセクハラが行われていた実態が暴露された。接客係として雇われた100人以上の女性は露出度の高い服装などの着用が指示され、イベント中に多くの女性が体を触られたり、ホテルの部屋に誘われたり、下半身を露出して女性に見せる男性もいたという。 

 英政界では昨年、与野党議員十人以上のセクハラ疑惑が明るみに出て、保守党のファロン国防相が辞任に追い込まれた。BBCラジオの調査では、職場や勉強の場において不適切な言動から実際の性的暴行まで、性的嫌がらせ・暴行を受けた経験があると37%が答え、不適切な「ジョーク」「からかい」で嫌がらせを経験した人は25%以上。

 一連の報道は、米英でセクハラ行為が蔓延していることを示すが、告発の動きが活発化したことで更なる告発を促す環境になっていることも示す。セクハラ認識が「加害者」と「被害者」では異なることもあろうが、セクハラ告発された途端に「加害者」(大半が男性)は追い込まれる。セクハラ告発の活発化は、男性優位の社会構造が崩壊していることの現れでもあろう。

 セクハラ告発の動きは日本では活発化していないが、それは、セクハラが少ないことを示すものではなく、日本の男性優位の社会が強固であることを示すものだろう。セクハラ告発があっても日本のマスコミは「民事不介入」とばかり積極的には報じないが、そのマスコミでセクハラがどのように処理されているのか、いいサンプルが明るみに出た。

 それは、NHKを辞めてフリーになったアナウンサーのセクハラ疑惑だ。伝えられるところによると、「女グセの悪さは局内でも有名だった」という同アナウンサーは、支局での番組打ち上げの2次会で女性契約キャスターにセクハラ行為をしたことで、東京局への復帰の道が閉ざされたとか。

 不祥事を組織内に閉じ込めるためか、辞職させずに支局を転勤させていたのだが、フリーになった途端に過去のセクハラ行為が明るみに出た。「NHKにいればセクハラ癖の話も守ってもらえたのに」とは関係者談。セクハラ行為をした人物を組織でかばうのは男性優位の原理が健在であることの証左でもある。