2022年12月31日土曜日

ロシア系住民の保護

 ロシアのプーチン大統領は12月22日、ウクライナで続けている軍事作戦の目的は「自分をロシア人、ロシア文化の一部と考えている人々の保護」だと述べ、ソ連崩壊で分断されたロシア人の統合を進める考えを示したと報じられた。ロシアの大統領が、旧ソ連に属した国のロシア系住民を保護することを主張するのはウクライナ侵攻を正当化するためだろう。

 「自分をロシア人、ロシア文化の一部と考えている人々」がどこの国に住んでいようと、彼らを保護する権利がロシアにあるのならば、ロシア以外の国にも同様の権利があることになる。例えば、ウクライナがロシア国内のウクライナ系住民を保護することを目的とする軍事作戦を行うことをロシアは認めざるを得まい(ロシアは特別だと主張するのかな)。

 かつてのソ連から独立した諸国にはロシア系住民が多く暮らしている。例えばバルト3国のロシア系住民の比率はラトビア29.6%、エストニア25,6%、リトアニア6.3%とされ、ウクライナには17.3%、ベラルーシ11.4%、モルドバ5.8%、中央アジアではカザフスタン30%、キルギス12.5%、ウズベキスタン5.5.%、トルクメニスタン4%、タジキスタン1.1%などとされる(2009年のデータ)。

 ロシア系住民の保護を目的とする軍事作戦をロシアが続けることができた場合、これらの諸国は常にロシアの侵攻の危険にさらされる。バルト3国はNATOに2004年に加盟したのでロシアは侵攻できないだろうが、ウクライナ侵攻がロシアに「許された」なら、ほかの諸国はロシアの「次の標的」になる。すぐに諸国はNATOに加盟することはできまいから、ロシアの侵攻に備えなければならない。

 国内では政府批判のロシア人を弾圧しているロシアが、他国に居住するロシア系住民を保護することを主張するのは奇妙な光景だ。ロシアは都合よくロシア系住民の保護を主張するが、居住する国に対する帰属意識を持つロシア系住民はロシア政府に敵対するだろうから、ロシア政府に従うロシア系住民だけを特別扱いする。

 ロシア系住民の保護を口実にロシアは旧ソ連の版図回復に動き出したとも見える。ロシア帝国からソ連邦に移行したが、大帝国としての振る舞いは継続された。そうした帝国だった過去への願望が受け継がれたが、欧米主導の国際社会からは傍に追いやられる立場であることもロシアは受け継いだ。帝国だった歴史からロシア人が逃れることができないとすれば、帝国を回復しない限り願望は続く。

 難民や移民ではなく合法的に他国に移住している人々は世界に多い。自国系の住民の保護を理由に他国に侵攻することが正当化されると、ロシアに限らず欧州各国や中国、インド、トルコなど多くの国も他国に侵攻する「権利」があることになる。そうなった世界では各地で侵攻が起きかねない。日本も日系人の保護を掲げて侵攻できることになる。そういえばナチスドイツはドイツ系住民が居住するズデーデン地方の統合を主張し、併合を認めさせた歴史がある。

2022年12月28日水曜日

知らんけど

 「知らんけど」は、何かについて語った人が最後に、真偽には責任が持てないよーと身をかわすように付け加える言葉だ。大阪などから広まったというが、いつか全国でも頻繁に使われるようになり、さらにはニュース番組でも使われるようになったなら、将来予測に類するニュースでキャスターやアナウンサーはカメラから目線を外して、「知らんけど」と付け加えるかな。

 例えば、ロシアがウクライナで23年の早い時期に新たな攻勢を仕掛けるとし、2月か3月か、早ければ1月にも大規模なロシアの攻勢が始まるおそれがあり、ロシア軍が20万人程度の部隊の投入を準備しているとのウクライナ側が発信した情報を伝えたニュースでキャスターやアナウンサーは、ロシア軍の大規模な攻撃に対抗するためにウクライナは欧米各国に砲弾の提供を求めているらしいとしたが、最後に「知らんけど」とつぶやく。

 国連機関は、各国の排出削減計画を積み上げても30年の排出は10年比で10.6%増えるとし、気温上昇を1.5度に抑えるなら45%減、2度なら25%減とする「パリ協定」の目標の達成が難しいとした。ウクライナ危機で天然ガスや石炭など化石燃料への回帰が起き、各国が目標通り温暖化ガスの排出を抑えても、30年の世界の排出量は52.4ギガトンと10年比で10.6%増えるらしいと説明したニュースの最後に、「知らんけど」と付け加える。

 中国政府はゼロコロナ政策を急に撤廃したが、都市以外にも全国で感染拡大が生じているという。撤廃以前から感染拡大が起きていて、それが表面化しただけだとの見方もあるが、労働者間の感染拡大で製造業など企業活動への影響が大きく、感染拡大が続くなら中国で人口14億人強の6割が感染する可能性があるらしいとし、人々は解熱剤や鎮痛薬や抗原検査キットの購入に懸命だと報じた後に、「知らんけど」と述べる。

 マイナンバーカードと一体化した保険証を利用するには、医療機関が新たなシステムを23年3月末までに導入する必要があるが、必要なシステムを導入していない医療機関が約6割もあって、厚労省は期限を延長するという。一方で厚労省は、マイナンバー保険証が使える医療機関で、従来の保険証を使う患者の負担を引き上げるらしいと伝えた後で、「知らんけど」と付け加える。

 天気予報でも、「明日の東京は雨になるらしいです、知らんけど」とか「再び冬型の気圧配置が強まり、北日本から西日本の日本海側を中心に大荒れの天気となる恐れがあるようです、知らんけど」とか、台風の進路予測などを説明した最後にお天気キャスターは「知らんけど」と小さくつぶやく。健康食品のテレビやネットのCMでは、「個人の感想です」と小さく書いてあるのに続けて、もっと小さな字で「知らんけど」と表示する。

 「知らんけど」は政界でも頻繁に使われるようになり、例えば、国家予算が年々膨張する日本で、税収増加の裏付けはなくても「国債を増発すればいい」の繰り返しが続くが、無理やり抑え続けてきた長期金利が上がれば、途端に借金で首が回らなくなる。政治家や高級官僚らは、心の中で「知らんけど」と呟き続けている。

2022年12月24日土曜日

杉田玄白の墓

 東京南部にある品川神社の境内に富士塚があり、その山頂からは東京湾へと続く街並みを見渡すことができる。神社の横手には板垣退助の墓がある。神社に墓地が併設されているわけではなく、板垣退助の墓は東海寺塔頭の高源院の墓地にあったが、関東大震災後に高源院が移転して墓だけが残ったという。

 板垣退助は土佐藩士で戊辰戦争では土佐藩軍を率いて転戦した後、新政府の参議になったが、征韓論を主張して敗れて参議を辞した。その後、国会の開設を求めて自由民権運動に邁進し、創設した自由党の総理に就任して全国遊説を行った。岐阜で演説中に刺客に襲われて負傷、その時に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったと伝わる。この言葉は板垣の墓の横の石碑に刻まれている。

 東海寺は江戸時代に創建された臨済宗大徳寺派の寺院で、かつては4万坪の広大な寺域を有していた。三代将軍の徳川家光が沢庵宗彭を招いて創建した寺院で、明治維新で廃寺となったが、塔頭の玄性院が寺号を引き継いだ。沢庵宗彭の墓は現在の東海寺と少し離れた場所にある大山墓地にあり、東京発の東海道新幹線の車窓からチラと見ることができる。近くには賀茂真淵の墓もある。

 沢庵宗彭は73歳で没したが、死ぬ間際に「私はぼろをまとった一介の僧に過ぎない。すでに荒野に捨てた身。自分の葬式はするな。香典は一切もらうな。死骸は夜間に密かに担ぎ出し、後山に深く埋めて墓をつくるな。二度と参るな。朝廷から禅師号を受けるな。位牌をつくるな。法事をするな。伝記や年譜を記すな。肖像画も無用」と言ったという。この言葉は悟りの境地によるものか、個人の性格によるものか不明だ。

 東京都港区にある愛宕山は自然にできた山で標高は25.7m。山頂には愛宕神社やNHK放送博物館などがあり、急勾配の石段は「出世の石段」と呼ばれ、江戸時代に曲垣平九郎が馬で駆け上って名をあげたことが講談などで語られる。愛宕山を貫く愛宕トンネルの虎ノ門側に栄閑院があり、そこに杉田玄白の墓がある。

 杉田玄白は若狭小浜藩の藩医。「前野良沢、中川淳庵とともに、江戸小塚原で行われた刑死体の解剖に立ち会ったとき、持参していたオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』の解剖図の正確さに驚き、翻訳を決意し、『解体新書』を完成」させた(小浜市の関連サイト)。また、辞書がないころの翻訳の様子や苦心譚などを82歳のときに書いた『蘭学事始』がある。

 ぶらぶらと街歩きしている時に、歴史を想起させる痕跡などに遭遇すると「へえ〜、ここに@@があったんだ」などと小さな発見が嬉しい。教科書や歴史書でだけ知っていた人物を身近に感じたりする。目的を決めず、アプリなどにも頼らずに、ぶらぶらする街歩きの楽しみは小さな発見にある。江戸時代や明治時代から人々が暮らしていた場所には歴史の痕跡がそこここに潜んでいる。

2022年12月21日水曜日

個別事例と全体像

 例えば、何かの感染症により体調不良を訴え、病院に搬送される人が増えているとし、懸命に治療に当たる病院の人々を映像で紹介するニュースは珍しくない。そうしたニュースで各地の感染者数や重症者数、死亡者数などが同時に示されるなら、視聴者は感染症の広がりの全体像と、懸命に治療にあたる病院での個別事例の両方を知ることができる。

 だが、個別の具体例だけが紹介され、全体像については示されないニュースは珍しくない。視聴者がうっかり、そうしたニュースで伝えられる個別事例が全体像を示していると誤解すると、ニュースが伝える個別事例が各地で発生していると受け止めたりする。ニュースが伝える個別事例が事実だとしても、連想される全体像が事実とは限らない。

 ニュースが伝える個別事例では悲惨さや深刻さなどが強調される。そうした構成が視聴者に強く訴えると想定しているらしく、ナレーションも重々しく視聴者の感情を揺さぶる口調になったりする。ニュースが伝える悲惨さや深刻さは、感情に動かされやすい視聴者に有効に作用するだろう。感情に訴えるニュースには注意が必要だ。

 個別事例と全体像の混同は、全体像が明確でない場合に生じる。例えば、悲惨な交通事故を報じるニュースは個別事例を伝えているが、全ての交通事故が同様であるとはいえない。交通事故が悲惨であることは確かだが、個別の事故の状況は様々であり、全ての事故がニュースが伝えた事故と同様とはいえまい。そのことを視聴者は知っているから、悲惨な個別の事故のニュースに接しても、その個別事例が全体像を示すとは認識しない。

 個別事例を視聴者に全体像だと認識させようと報道することは、世界でも行われている。紛争などで戦闘に巻き込まれたり、難民になった子供の写真を積極的に配信することを欧州メディアなどが積極的に行う。そうした同情を集めそうな写真は個別事例だが、全体像を象徴的に示す写真として扱われ、個別事例のイメージで全体像を塗りつぶすことに役立つ。その全体像はメディアが強調したいイメージ通りに構築される。

 悲惨さや深刻さなどを強調した個別事例を報じるニュースは、視聴者を感情的に揺さぶり、誘導することに効果的だ。淡々と事実だけを伝えるニュースより、悲惨さや深刻さを強調するニュースのほうが視聴者を誘導しやすい。さらに、限られた取材でつかんだネタを優先するために、取材した個別事例を強調して報じることは珍しくない。

 不安を煽るニュースは注目度が高いだろうから、ニュース報道の演出では視聴者の不安を煽る文言が多用される。悲惨で深刻な個別事例は視聴者の不安を煽る具体例ともなり、不安に駆られた視聴者は浮き足立ち、全体像の把握などに気が回らないだろう。ニュースは見るときに多くの人は受け身であり、ニュースを受け入れるだけで、個別事例と全体像の峻別など気にしないだろう。

2022年12月17日土曜日

カウントされない感染者

 日本は感染拡大の第8波の中にあり、新規感染者数が10万人を超す日は珍しくなく、死者数も200人台/日が続いている。累計の感染者数は2669万3664人、死者数は5万2868人に達した(12月15日現在。以下同)。ウイズ・コロナ政策に転換せざるを得ないとの共通認識が広がったのか、厳しい行動制限を求める声は少なく、テレビや新聞などは感染拡大のトップニュース扱いをやめた。

 日本人の5人に1人以上が感染した計算で、死者数も多く出ているのだが、社会は平静を保っていると見える。累計感染者数が100万人を超えたのは東京372万人(累計死者数6458人)、大阪239万人(6895人)、神奈川183万人(3352人)、愛知169万人(3274人)、埼玉147万人(2743人)、福岡124万人(2153人)、兵庫118万人(3069人)、千葉117万人(2824人)、北海道116万人(3710人)。

 欧米をはじめ世界ではウイズ・コロナ政策に転換した国が多く、マスクを人々が着用しなくなった国も多い。だが世界の累計感染者数は6億5108万人、累計死者数665万人と感染が終息する気配はない(感染者の統計対象を変更した国もあるというので、国際的な統計の正確さは損なわれている)。

 累計感染者数の最多は米国で9968万人(109万人)、次いでインド4468万人(53万人)、フランス3889万人(16万人)、ドイツ3691万人(16万人)、ブラジル3575万人(69万人)、韓国2800万人(3万人)、イタリア2471万人(18万人)、英国2428万人(21万人)など。日本より累計感染者数が多い国でもウイズ・コロナ政策に転換するなど、新型コロナウイルスの根絶は見込めないと各国は判断している。

 中国は公式発表で累計感染者数189万人、累計死者数5235人としている(だが、中国での感染拡大の実態を公式発表の数字は反映していないと見られている)。中国では大規模なPCR検査を人々に強制することで無症状や軽症の感染者を見つけ出し、強制的に隔離することで感染拡大を封じ込め、欧米諸国などに比較して中国のゼロコロナ政策は成功していると誇ってきた。

 だが中国は急速に従来のゼロコロナ政策を修正し、大規模なPCR検査をやめ、人々に頻繁に陰性証明を求めることもやめた。大規模なPCR検査をやめたので無症状や軽症の感染者を見つけ出すことができなくなったので、とうとう無症状の感染者数の公表をやめたと政府は表明せざるを得なくなった。理由を「正確に実際の数を把握できないため」としたが、これから中国政府の発表する統計が実態を正確に反映するようになるのなら慶賀の至りだな。

 PCR検査をやめたので中国が発表する感染者数は減るだろうが、感染拡大の実態は不明だ。病院に発熱者が詰めかけ、薬局に抗原検査キットや風邪薬、解熱剤などを求める人々が列をなしていると報じられた。中国政府のゼロコロナ政策もウイズコロナ政策も人々が信頼していないとすれば、人々は自衛策に頼るしかない。

2022年12月14日水曜日

互いに特別軍事作戦

 ロシアは今回のウクライナ侵攻を特別軍事作戦と称している。ウクライナ国内において現実に行われているのはロシア軍とウクライナ軍の戦闘であり、実態は戦争なのだが、ロシアは特別軍事作戦とする。戦争と特別軍事作戦の違いをロシアは説明していない。

 ロシアは、ウクライナのNATO加盟を阻止することやウクライナ西部におけるロシア系住民の保護を特別軍事作戦の目的だとする。国連が容認する戦争は①侵略に対する自衛戦争、②国連決議を得た軍事行動ーだけなので、ロシアはウクライナ侵攻を戦争と呼ぶことができないのかもしれない(ロシア国内で戦時体制を宣言しないためだとの説もある)。

 ウクライナの占領を目的にしていないとロシアは主張したが、ウクライナ侵攻を開始した直後のロシア軍の行動は首都キーフを陥落させる目的だったことは明らかだ。だが、それは失敗し、ロシアはウクライナ全土の占領を諦めざるを得ず、ウクライナ南西部の占領に戦略転換したと見える。だが、ウクライナ軍の攻勢に耐えているのがロシア軍の現状のようだ。

 ロシアはウクライナとは民族的に「近い」ことも主張していて、スラブ民族の大帝国(=ロシア帝国)の復活を目論んでいるとも映る。特別軍事作戦がロシアから離れた旧ソ連構成国の「回収」を意図するものならば、ウクライナ侵攻もロシアにとっては、独立国間の戦争ではなく、一種の内戦だと位置づけられる。

 12月初旬、ロシア領内のモスクワ近郊などにある2カ所の空軍基地や石油貯蔵施設がドローンによる攻撃を受けた。ウクライナ軍によるロシアへのドローン攻撃と見られ、ウクライナ外相は「ロシアがウクライナで何をしてもよい一方で、ウクライナには同様の権利がないという考え方は道義的にも軍事的にも誤りだ」と述べ、ウクライナ軍はロシア領内を攻撃する権利があると主張したと報じられた。

 ウクライナはロシア帝国内の部分ではなく、ロシアとは別の独立国であるとの意識を持っているだろうから、今回のロシア領内に対する攻撃はウクライナからは戦争における行為だろう。だが、特別軍事作戦を行っているロシアにとっては、ウクライア軍のロシア領内に対する攻撃は戦争ではなくウクライナから特別軍事作戦をやられたことになる。

 戦争とは違うというロシアの特別軍事作戦において、ウクライナでは多数の死傷者が確認され、ロシア軍においても死傷者数は相当になると報じられる。補給の軽視や作戦立案の稚拙さを露呈したロシア軍にとってウクライナにおける特別軍事作戦は、当初の目論見通りに現実は進行しないという貴重な経験をもたらした。「失敗」から教訓を得ることができれば今回の特別軍事作戦はロシアにとって意味あるものとなるだろう。

2022年12月10日土曜日

アナキストZXを悼む

 若い頃から「俺は野垂れ死ぬ」と公言していたZXよ。病室で家族に看取られて亡くなったことは、さて、無念だったのか、満足だったのか。病によって思うような活動ができなくなったと聞いたのは4年前だった。弱った姿を見られたくなかったのか同志や友人らの前から姿を消し、入院したことも知られていなかった。

 「野垂れ死ぬ」と言い続けながら何てざまだなどとは言わない。アナキストを自称し、公然と非公然とを問わずに内外の多くの活動に関わっていたというZXには、いつ撃たれてもいい、どこで野垂れ死んでもいいとの覚悟があったに違いない。アナキストを自称することは誰にでもできるが、アナキストとして生きることは気軽にできることではない。

 アナキストであることと野垂れ死の関係に必然性はないだろうから、野垂れ死を公言していたのは彼流の美学だった気配もある。国家権力とともに世間の常識をも否定の対象にすることを好んでいたZXだから、現代では忌避されるだろう野垂れ死を公言することが独自性の強調ともなっていたか。

 ただ、本気で野垂れ死を望んでいたとしても、人生は思うようにはいかないものだし、計算違いは人生にはつきものだ。野垂れ死ぬことができなかったとしてもZXの人生が否定されるわけではない。アナキストとしてのZXの活動については詳しく知らないが、ウイットとユーモアに富む会話をZXと楽しんだのは私だけではないだろう。

 坂本龍馬が「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」と言ったというのは司馬遼太郎の創作らしいが、ZXの「野垂れ死ぬ」も、自分の死に方ではなく自分の生き方を主張した言葉だろう。死に方で個性で主張しても、死んだ当人が得るものは死後の名声になる……はずもない。

 どう死ぬかをZXが真剣に考えていたわけではなく、不正や不平等などが横行する矛盾だらけの世の中を変えるために生きる意気を示したのだ。国家権力の廃止や個人の自由が「完全」に実現する社会を目指しても、そんな世界になる見通しは乏しい。アナキストとして生きることは、果てることなく続く闘争の場に立ち続けることであり、ZXは闘争の中で死ぬ覚悟を「野垂れ死」と表現したのだ。

 ZXよ、君の闘いは終わった。闘争の場に立ち続け、病に倒れたからといって君の闘いの価値が減じることはなく、アナキストとしての一つの生き方を全うした。「帝力、なんぞ我にあらんや」と信条としてのアナキズムは多くの人が持つだろうが、アナキストとして、それも公然とアナキストを主張して生きるのは、ひよわることが許されないという縛りを招く。君はアナキストとして生き、アナキストとして死んだ。

2022年12月7日水曜日

はて、面妖な

 忍者が出てくる昔の時代劇映画では、忍者の術による怪異な現象に遭遇した武士などが首を傾げて、「はて、面妖な」とつぶやくシーンがあった。空中に人影が現れたり、追い詰めたと思った相手が忽然と消えたり、夜の闇の中に浮かぶ火が現れたりと、それまでの常識では理解できない事態に直面して、警戒しつつ判断に困る時に使うセリフだ。

 面妖とは「まれなこと。奇怪なこと。不思議なこと。怪しいこと。不可解なこと」とされる。忍者の術だけが面妖な事態を出現させるわけではないので、現代でも面妖な事態は世界各地で出現し、人々は困惑する。科学の知識が発展・普及した現代における面妖は「まれなこと。奇怪なこと。不可解なこと」と感じる事態に対して使うのが適しているかもしれない。

 欧州で相次いでいる美術館での名画に液体などを浴びせたり、手などを接着剤で名画の横に貼りつけるなどの環境活動家の行為は現代の「はて、面妖な」出来事だな。化石燃料の新規開発停止など直ちに対策を講じて気候「崩壊」を食いとめろーとのアピールが狙いだと報じられている。どうやら、気候変動の危機なるものを切実に感じている人々が社会に問題提起するために名画をターゲットにしたらしい。

 オーストリアではクリムトの「死と生」に黒い液体が浴びせられ、英国ではゴッホの「ひまわり」にトマトスープが投げつけられ、オランダではフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」にスープがかけられ、ドイツではモネの「積みわら」にマッシュポテトが投げつけられ、さらには環境活動家が座り込んだりして各地で道路や橋が封鎖された。

 それらの行為を環境活動団体は「地球は死に瀕している。手荒な手段もやむをえない」とか「美しく貴重なものが目の前で破壊されるのを見たときの憤りを、地球が破壊されるのを見た時に同じように感じませんか 」とか「化石燃料で私たちの世界を破壊し続けるのか。決断は今しなくてはならない」とか「石油とガスの新規掘削は人類に対する死刑宣告だ」などと正当化する。

 気候変動の危機の感じ方はさまざまで人によって大きく異なるだろう。過激な環境活動家は彼らの危機感で過激な行動を正当化するが、行動で化石燃料の新規開発を停止させたいのなら、関連する企業や組織、行政機関などに対して抗議活動をするのが当然と見える。だが、名画を狙ったり、道路に座り込んだりする。世論を動かす狙いだろうが、名画に液体をかける行為の面妖さが際立った。

 環境活動団体のスポンサーは米国の富豪で、各国の環境活動団体の連携する活動を多額の資金で支えていると報じられた。どうやら名画を襲った過激な環境活動家は富豪のマネーに操られているらしい。現代では忍者の術ではなく巨額のマネーが引き起こす現象に直面して、奇怪で不可解で「はて、面妖な」と我々は首を傾げる。

2022年12月3日土曜日

変質した革命

 中国の各地で、コロナウイルス対策によるロックダウンなどに抗議する動きが発生し、中には共産党の独裁統治を批判する声も上がったと報じられた。ちょうど、習近平氏の個人独裁が固まりつつあると見られるタイミングで、人々が不満や批判を行動で示し始めた。独裁する権力が人々に妥協するには限度があるだろうから、融和策とともにいっそうの締め付け強化が行われる可能性がある。

 さて、中国共産党が独裁統治をいつまで続けることができるのかは不明だが、未来永劫に続けることができるものでもあるまい。共産党の統治に民意が素早く反映されるようになるとともに経済成長が続くなら、共産党の独裁統治はしばらく続くだろうが、強権で人々を抑圧し続けるとともに高度経済成長が終わったなら、人々の不満は蓄積する。

 中国共産党の独裁統治の終わり方は、いくつか考えられる。穏やかなパターンは①中国共産党の独裁が続くが、共産党が変質し、社会的には自由度が増す、②自由選挙が導入され、共産党が下野するーなどだ。共産党の既得権益が維持されるのなら共産党&党員は変化を受け入れるだろうが、下野した共産党の過去の所業は厳しく検証されるだろうから、共産党は厳しい立場に立たされよう。

 急激なパターンは①人々の不満の受け皿がなく、人々の不満が暴発して共産党が打倒される、②共産党内で路線対立が高まり、分裂する、③軍が権力を掌握するーなどだ。いずれも共産党の1党独裁統治は終焉し、長く続いた独裁統治の検証が避けられず、独裁統治に対する揺り戻しが起きて社会は混乱する。

 中国の未来は中国の人々が決めるべきだが、共産党の独裁統治によって人々は中国の未来を決めることができない。中国の人々が、おとなしく従っている間は共産党の独裁統治は続くだろうが、今回の各地での人々の抗議は、人々が時には声を上げることを示した。共産党の独裁統治が強権により人々を抑圧することに支えられているとすれば、天安門事件のように流血を伴う弾圧は繰り返されよう。

 革命戦争を戦った世代は、勝利して築いた革命体制を守るために革命体制の批判者らの流血を厭わないとの説がある。戦場に倒れた同志の死に報いるために流血を厭わず革命体制を守るという見方だ。今の共産党の幹部は革命戦争を実際に戦った世代ではない。おそらく今の共産党の幹部には革命体制は所与の体制で、死んだ同志に対する負い目といった気持ちはないだろう。

 戦場に倒れた同志が夢見た中国の革命は変質した。中国は、共産党の幹部とそれに関係する人々が特権階級化し、労働者らへの凄まじい収奪により輸出立国となって経済成長した。革命体制に歴史的な意義があったとしても、その歴史的使命はとうに終わっている。戦場に倒れた同志の死の意味を真剣に考えたなら、人民に君臨する革命体制(=共産党の1党独裁)を必死に維持することの愚かさが見えてくるだろう。

2022年11月30日水曜日

リスクをとる日本人

  30年以内に70%の確率で起きる可能性があるM7級の首都圏直下地震により、最悪の場合、死者が2万3000人、経済被害が約95兆円に上るとの想定を国の有識者会議が2013年に発表した。冬の夕方で風が強い場合、全壊または焼失する建物は61万棟で、うち火災で焼失するのは約41万棟となり、死者2万3000人のうち1万6000人は火災による死者とされた。

 負傷者は12万3000人、避難者数は720万人と想定され、約5割の地域で停電となり、都区部の約5割で断水し、開通するまでに地下鉄は1週間、私鉄・在来線では1カ月程度を要し、道路はガレキや放置車両などによって深刻な交通障害が発生する見込み。経済被害の約95兆円の内訳は建物等の直接被害が約47兆円、生産・サービス低下の被害が約48兆円。

 首都圏に住む人は誰でも首都圏直下地震が発生した時に、想定される死者や負傷者、あるいは避難者に含まれる可能性があり、停電や断水などライフラインの途絶に遭遇する可能性はさらに高いだろう。首都圏に住む人は、発生する可能性が高い現実的なリスクを承知で住んでいるといえる。

 時期は不明だが大地震が発生する可能性が高いリスクにもかかわらず、首都圏に住む人は多い。パンデミックでリモートワークが普及したことにより郊外などへの転出が増えたともいわれるが、大地震の可能性を理由にした首都圏からの脱出・転出は目立ってはいない。

 株式投資が少なく、貯蓄が多い日本人はリスクをとらないなどともいわれるが、実は日本人はリスクをとる人々だ。大地震が発生すれば生命の危険があり、生き延びたとしてもライフラインも公共交通網も寸断され、就業先も被害を受けるなど大地震後の生活が不安定化する可能性が高い首都圏に人々は集まり、暮らしている。

 大都市が大地震に脆弱だということは阪神大震災における神戸の被害が実証した。だが都市での生活は利便性が高く、就業機会も多く、歓楽街もあるなど魅力的で、魅力がリスクを上回ると感じて人々は首都圏に集まり、住む。火災で約41万棟が消失し、1万6000人が火災で死亡するという首都圏直下地震の想定にもかかわらず人々は、首都圏に住むリスクを引き受ける。

 とはいえ、東南海地震(南海トラフ地震)や千島・日本海溝地震などの発生も確実視され、被害は大規模になるとの想定も公表されている。さらに全国どこでも断層が動けば直下型の地震になる。首都圏だけではなく日本全国どこでも大地震のリスクがあるのだから、日本列島で生きる人々は皆、リスクをとって暮らしていることになる。リスクをとる日本人とは、首都圏に住む人に限られるわけではない。

2022年11月26日土曜日

戦争と誤爆

 報道により事実だと推定できるのは、▽ポーランド政府は11月15日、東部プシェボドフにロシア製のミサイルが着弾し、2人が死亡したと発表した、▽ポーランド東部プシェボドフはウクライナ国境から約7kmに位置する、▽同日はウクライナ全土でロシア軍による主にエネルギー施設を狙った約90発のミサイル攻撃があり、プシェボドフから南に約70kmのリビウにも攻撃があったーなどだ。

 ポーランドはNATO加盟国であり、北大西洋条約は第5条で加盟国に対する攻撃をNATO全体への攻撃とみなし、攻撃された国の防衛義務を負う集団的自衛権を定めているので、ロシアからの攻撃であれば集団的自衛権が発動される可能性が現実味を帯び、ロシアとNATOの開戦も想定される事態だった。ただ集団的自衛権の発動には加盟30カ国の承認が必要で、過去に発動されたのは同時テロを受けた米国のアフガニスタン戦争だけだ。

 ロシア国防省はすぐに関与を否定して「意図的な挑発行為である」とし、大統領府の報道官は「われわれは、狂ったようなヒステリックな反応を目の当たりにした。様々な国の高官が何が起きたのかなど考えないまま、声明を出した」と批判したという。

 米バイデン大統領は16日、G7とNATOの緊急首脳会合後、「軌道から考えるとロシアから発射された可能性は低い」と述べた。米国家安全保障会議の報道官は声明で、ウクライナの迎撃ミサイルが着弾した可能性が高いとするポーランドの分析を追認したが、「悲劇的な事件の最終的な責任がロシアにあるのは明らかだ」とロシアを非難した。NATOは共同声明で、ポーランドに落下したミサイルについてロシアが発射したとは断定せず、「ポーランドが進める調査への全面的な支持と支援を提供する」とした。

 ポーランドの大統領は16日、「ミサイルは旧ソ連製のS300で、ロシア側から発射された証拠はない。ウクライナの防空システムから発射された可能性が高い」と述べ、NATO事務総長も、ウクライナが発射した地対空ミサイルだった可能性を指摘した。一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、「我々のロケットではなかったことを疑っていない」と述べ、その後も、着弾したのはロシアのミサイルだとの主張を続けている。

 戦場をウクライナに限定することをロシアもNATO(含米国)も暗黙に了解している気配で、ウクライナ軍のロシア領土への攻撃もロシア軍のNATO加盟国の領土への攻撃も抑制されてきた。だが、ポーランドへのミサイル落下は、いつでもロシアがNATOを戦争に引きずりこむことができると示した(そうした決断はロシアにも難しいことだろうが、NATOに対する威嚇の材料にはなる)。

 戦争に誤爆はつきものだ。仮にポーランドに落下したミサイルがロシア軍が発射したものだったとすれば、全面戦争はともかくNATOはウクライナ支援を一層強化しただろう。それでロシア軍が劣勢になったとしても、いまさらロシア軍が撤兵するとは考えにくく、戦線の膠着状態が長引くかもしれない。それは、兵器や人命などのさらなる壮大な消耗線となる。

2022年11月23日水曜日

函館の温泉事情

 「渡島半島から青森北部にかけてマグマが地下にあり、温泉の熱源になっている可能性が高い。この地域には温泉が多く、日本でも有数の地熱地帯だ。この地域は通常の2〜3倍の熱量で、地下の浅いところに熱源があることを意味する」(鹿部町HP。一部修正)。渡島半島には駒ヶ岳、恵山、日本海の渡島大島の火山があり、青森には八甲田山、岩木山、むつ燧岳、恐山、十和田の火山がある。

 地下に熱源があるので渡島半島や青森には温泉が多く、青森県には酸ヶ湯、浅虫、蔦、奥入瀬、不老ふ死、大鰐、鯵ヶ沢、黒石、十和田湖畔、青荷、薬研など多くの温泉があり、秘湯と言われる温泉もあって、全国の温泉ファンに知られている。青森市内にも温泉はあって日帰り入浴施設が多くある。

 渡島半島にも温泉は多く、温泉施設がある市町村は多いが、全国から観光客が訪れる温泉街は湯の川温泉以外になく、温泉旅館があっても小規模な数軒があるだけだったりする(津軽海峡がなければ首都圏などから多くの温泉ファンが訪れて、もっと賑わったかもしれない)。その代わりに町営などの日帰り温泉施設が各地にあって、ドライブがてら温泉を楽しむことができる。

 函館市内では湯の川温泉が全国的にも有名で、熱源は5万年前に噴火した銭亀沢火山のマグマの余熱とされる(銭亀沢火山は、函館市の沖合2kmの海底にある火山)。また、函館山の山麓にある谷地頭温泉も温泉ファンには知られており、民営化されたが以前と変わらぬまま営業している(熱源は約100万年前に噴火した函館山火山のマグマとされる)。

 銭亀沢火山のマグマと函館山火山のマグマが熱源となって、その熱は地中で四方に伝わるだろうから、函館市内ではおそらくボーリングして地下水にあたれば温水が出てくる。だから函館市内には日帰り温泉施設が多く、天然温泉を使う銭湯もある。水道水を使う銭湯も各地にあるので、日帰り温泉だからと集客が容易だというわけではなく、日帰り温泉施設も増減を繰り返す。

 函館市では、湯の川温泉のホテル雨宮館、笑函館屋、ホテルかもめ館、KKRはこだて、大黒屋旅館、ホテルテトラ、湯元啄木亭、海と灯、ホテル万惣、湯の浜ホテルで日帰り入浴ができる。市街地で現在も営業している日帰り温泉は、昭和温泉、鍛治温泉、山の手温泉、乃木温泉、にしき温泉、湯元花の湯、北美原温泉、谷地頭温泉、花園温泉、湯元漁火館などで、函館東部の恵山や川汲にも日帰り温泉がある。

 日本には入湯客が多い箱根や別府、熱海、草津などをはじめ温泉が全国各地にあるが、北海道の温泉地数は日本で最も多く、延べ宿泊利用人数も日本で最も多い。昨年、道内各地を訪れた観光客のうち92.5%が道民だった。パンデミックによる行動制約の影響が大きいのだが、以前から道内観光客に占める道民の割合は大きかった。おそらく道内の温泉を訪れる人々の多くも道民なのだろう。冬の寒さが厳しい北国に住む人々への自然の恵みが、各地に多くある温泉なのかもしれない。

2022年11月19日土曜日

皆が監視対象に

 中国の北京市など主要都市で新型コロナウイルスの新規感染者が増えている。全土で1万人台半ばの新規感染者が連日確認され、各地では厳しい行動制限が取られている。中国政府はゼロコロナ政策を継続する方針で、徹底的に感染拡大を抑え込むことを目指す。PCR検査を大規模に実施し、人々は数日おきに検査を受けているという。

 ゼロコロナ政策では、①大規模なPCR検査、②感染者と濃厚接触者らの徹底的な隔離、③厳しい入国制限ーが行われる。PCR検査の結果が人々の移動の自由を左右する。例えば、北京市では施設や交通機関を利用するには72時間以内の陰性証明が必要で、市外からの訪問者は48時間以内の陰性証明が必要だ。人々は頻繁にPCR検査を受けることを強いられている。

 PCR検査の結果はスマホのアプリ「健康コード」に表示され、人々は頻繁にスマホの陰性証明の提示を求められる。陰性証明を得ている人も、スマホの移動データから感染地区にいた記録があったりすると感染リスクがあると当局に判断され、アプリがフリーズするので更にPCR検査を数回受けて陰性証明を得なければ、交通機関に乗ることができず、出張先で身動きがとれなくなった人も珍しくないと報じられている。

 感染者が出ると集合住宅や地区が閉鎖されるので、人々は閉じ込められる。感染リスクがあるとされた人々を社会から強制的に隔離することで感染拡大を抑え込むというゼロコロナ政策は、公式発表では欧米諸国に比べて少ない感染者数と死者数という成果と成功体験を中国にもたらした。新型コロナウイルスは世界から消えず、感染力が強い変異株の蔓延もあって、ゼロコロナ政策の限界が明らかになったが、ウイズ・コロナ政策に中国は転換しない。

 ゼロコロナ政策は変更できないのだという説がある。ゼロコロナ政策を解除した場合、6カ月で感染者数は1億1220万人、入院者数510万人、うち重症者数270万人、死亡者数160万人になるとの研究が米の医学誌に掲載されたそうだ。中国の国産ワクチンの有効性はファイザーなどより低いと言われ、ウイズ・コロナ政策に転換したなら、感染爆発が起きる可能性が高いので中国はゼロコロナ政策を続けるしかないとの説だ。

 問題は、防疫対策としてのゼロコロナ政策が人々(=人民)の管理に活用されていることだ。当局が徹底的に人々を監視し、施設などに隔離して閉じ込めて「社会の安寧」を保つことを中国はウイグルなどで行っているとされる。そうした当局の強硬策(「成功」体験)が中国全土においても適用されるようになった。

 中国政府の暴力がウイグル人などに向けられていた時、漢人など多くの中国人は座視するだけだった。権力の暴力に苦しむ人々が社会に少数でも存在するなら、いつか、権力の暴力は社会のすべての人々にも向けられるということを中国は示している。中国人は現在、皆がウイグル人体験をしている。

2022年11月16日水曜日

偶然と解釈

 例えば、「流れ星が消えないうちに願いごとをすると願いがかなう」とか「茶柱が立つと縁起がいい」などの俗信がある。流れ星も茶柱も珍しくはないが、滅多に遭遇しない出来事だから、吉兆とされ、願いとか縁起などと結びつけられた。それらの吉兆には確かな根拠がないことを皆知っているが、俗信は生き残っている。

 流れ星と願いがかなうことにも茶柱と縁起がいいことにも因果関係はなく、吉兆だとするのは解釈にすぎない。流れ星や茶柱を不吉な前兆だと解釈することもできるが、そうした解釈は広まらなかった。不吉な前兆としては「黒猫が前を横切る」がある。これは西洋の迷信が伝わったもので、昔の日本では黒猫に対する特別視はなかったという。

 滅多に遭遇しない偶然の出来事に何らかの意味を付与して解釈したのは、偶然の出来事を特別な出来事と見なしたからだ。特別な出来事にすると、そこには何らかの意味があると考えることができる。ただし、具体的な根拠はないので、運命や神など検証不能な何かを持ち出したり、幸運などと結びつけて体裁を整える。

 特別な意味がないものに特別の意味を付与することは広く行われている。意味を付与することは、その出来事を解釈することであり、それぞれの物語ができあがる。学術的な解釈には客観性が求められるが、世間で広く行われている解釈には客観性が希薄でも容認されるから、何にでも意味を付与することができよう。

 吉兆を求める行為に、おみくじをひくことがある。おみくじに運勢判断を委ね、大吉をひくと大喜びし、小吉などをひくと物足りなそうに引き下がる。凶を求めておみくじをひく人はいないだろうが、運勢の波があるとすれば凶もあって当然だ。凶が出ると再度おみくじを引き直す人もいたりして、運勢判断を求めながら、ひいた運勢判断を拒んだりもする。

 おみくじの運勢判断に一喜一憂するのは、日常の小さなイベントだ。大吉をひいた人は良いことが起きると期待し、凶をひいた人は心を引き締める。偶然手にしたおみくじに自分の運勢が記されているという演出が、おみくじの御託宣の効果を高める。おみくじを見て「そういう解釈もある」などと冷静な人でも大吉には喜んだりする。

 人間の力が及ばない偶然に対して人の対応は①事実として認識できることを受け入れる、②解釈して意味を付与するーに分かれる。偶然に人は無力だが、解釈して意味を付与することで偶然を人の秩序に組み入れることができる。おみくじは偶然を利用して、御託宣に権威を持たせる仕組みであり、人々は偶然に運命などの作用が働くと見て、おみくじを楽しむ。

2022年11月12日土曜日

「独自」との表示

 新聞社サイトなどで「独自」との表記がついた記事があるが、ごく一部に限られる。わざわざ「独自」と強調するのは、スクープだと大威張りでアピールするためかとも推察できるが、新聞なら1面に大見出しで掲載されるような記事は少ない印象で、どうやら「独自」とは他社に先駆けて、つかんだネタという印らしい。

 「独自」がごく一部の記事にしか表記されていないのは、ほかの多くの記事は独自ではないということか。発表ものなどは他社も同じように入手しているし、取材対象に各社の記者が群がっているような状況では、独自の情報を得ることは難しいだろう。「独自」と一部の記事に表記して他社と差別化しているつもりなのかな。

 各社の紙面やニュース番組が似たり寄ったりになるのは、起きていることを報じるという同じ立場に各社あるのだから当然だ。何かが起きて、現場に行ったり関係者を探して話を聞いたりと各社の記者が群がって取材するのだから、出てくる記事やニュースは同じようなものになる。横並びになるのはやむを得ないが、それがマスメディア不信につながったりもする。

 極端なマスコミ不信論ではマスメディアが揃って同じような記事やニュースを報じるのが「操作されている証拠だ」としたり、権力などの情報操作にマスメディアも加担していると主張して「マスメディアも大企業だからな」などと結論づけたりする。それらは客観性に欠ける情緒的な論でしかないのだが、似たり寄ったりの紙面やニュースに毎日接していると、つい共感したくなる?

 「独自」の表記に妙な違和感を感じるのは、独自の取材記事がたいそう少なくなっていることが強調されるからだ。歩き回って独自のネタを拾うのが記者の取材だーーとは大昔の記者イメージで、ネタがあるところに出かけて取材するのが現代。ネタがあるところに各社の記者が群がるので、似たような記事やニュースができ上がるのだが、「独自」は珍しさを強調しているようでもある。

 埋もれている問題を地道な取材で掘り起こして記事化し、社会に問題提起するという「独自」記事・ニュースこそ、発表ものが多い紙面やニュースを毎日見て飽きている人々の期待するものかもしれない。だが、そんな「独自」記事やニュースはそうそう多くはなく、小さなネタでも他社がつかんでいないなら、「独自」との表記をつけて自慢するマスメディアの光景は何やら哀れを誘う。

2022年11月9日水曜日

動物園にイヌやネコ

 今回のパンデミックでは外出が厳しく制約され、癒しを求める人々が増えたのか世界的にペットの需要が増えたという。だが、欧米などで対策方針がウイズ・コロナへと転換し、人々の生活がパンデミック以前に戻るにつれて、飼育放棄や動物保護施設に持ち込まれるペットが増えていると報じられた。

 保護犬や保護猫とは、飼い主が飼育放棄して捨てたり行政に持ち込んだり、劣悪な飼育環境から救い出されたり、繁殖引退、迷子になったりと様々な経緯で保護された犬や猫だ。動物愛護団体などが受け皿となって飼育しながら、譲渡会や保護犬・保護猫カフェやネットなどで新しい飼い主を探している。

 日本では50年ほど前には犬や猫の引取り数は年間125万匹ほどだった。そのうち返還・譲渡数は3万匹弱しかなく、120万匹以上が殺処分されていた。殺処分数は年々減少を続け、20年ほど前に年間50万匹を割り込み、10年ほど前に年間20万匹以下になり、5年前に年間5万匹を下回るようになった。

 最近の日本における年間の犬の引き取り数は27,635匹、猫の引取り数は44,798匹の計72,433匹だ(2020年度、環境省HP)。飼い主から引き取ったのは犬が2,701匹、猫が10,479匹だが、所有者不明は犬が24,934匹、猫が34,319匹。つまり引き取り数の81%は所有者不明だ。

 引き取られて殺処分されたのは犬が4,059匹、猫が19,705匹の計23,764匹。ほかに返還された犬が9,463匹、猫は255匹の計9,718匹、譲渡されたのは犬14,736匹、猫が25,130匹の計39,866匹だ。つまり処分される犬や猫の32%が殺処分され、54%が譲渡されている。50年ほど前に比べる殺処分数は劇的に減ったが、譲渡数の増え方は緩やかだ。

 ペットとして飼われる犬や猫は全国で1605万匹(犬710万匹、猫895万匹)という(2021年、ペットフード協会。インンターネットによる調査)。入手先は犬は「ペットショップで購入」が過半数だが、猫は「野良猫を拾った」「友人や知人からもらった」がそれぞれ3割前後となる。保護犬の譲渡は6%ほど、保護猫の譲渡は15%ほどとなり、入手先としては低位にとどまっている。

 ペットを飼いたい人が保護犬や保護猫の中から探すことが一般的になるためには、保護犬や保護猫との出会いの場を日常的に設置することが必要だ。例えば、各地の動物園に保護犬や保護猫の展示スペースが設置されれば、多くの人が保護犬や保護猫と対面することが容易になる(保護犬や保護猫の飼育管理や譲渡は動物愛護団体などが行い、動物園は場所を提供するだけ)。

2022年11月5日土曜日

人の心の中にある

 歌人としても知られる鎌倉三代将軍の源実朝には『金槐和歌集』がある。「おほ海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも」(大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも)などが人口に膾炙しているが、「神といひ仏といふも世中の人のこゝろのほかのものかは」(神といい仏というも世の中の 人の心の他のものかは)もある。

 神や仏に対する信仰には長い歴史があるが、神や仏の存在が客観的に実証されたことはなく、神や仏が実際に姿を現したこともない。神や仏は信じる人の心の中にだけ存在しているのだろうが、いくら強く確信したとしても神や仏の存在は、その人の心の中の出来事でしかなく、現世の人々を神や仏が救いに来ることも助けに来ることもない。それを詠んだのが源実朝だ。

 鎌倉時代は日本で仏教が独自の歩みを行った時代で、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗が広まった。仏教がいわば日本化して土着した時代で、その死生観などは大きな影響を与えた。そうした時代に、神や仏の存在を冷ややかに見ていた源実朝。刀をとっての剥き出しの暴力で権力を争う時代だったから、ある種の諦観めいたものを持っていたのかもしれない。

 神も仏も人の心の他にはない=神も仏も人の心の中にだけ存在するものでしかないーという認識は、脳内における思考プロセスの解明が進んだ現代においては目新しい認識ではなく、宗教の規範に強く縛られなくなって宗教離れが進む諸国においても珍しい認識ではないだろう。だが、神や仏の存在を信じる人々は世界になお多く、宗教が絡む対立も絶えることがない。

 神や仏は人間に超越する存在とされ、その存在を人間は信じるしかないとの考えもある。物理学や脳科学は現世を対象にしたものであり、死後の世界にも介入できるとされる神や仏が科学をも超越した存在だとすると、その存在は現世に生きる人間には窺い知れないものとなる。これは、信じる人には神や仏は存在し、信じない人には神や仏は存在しないという珍しくもない論になる。

 教祖を崇める新興宗教がある。神や仏に匹敵する特別な存在であるかのように教祖が振る舞い、その教えに帰依した信者は、例えば、懸命に献金したり、布教に励んだりする。しかし、そうした教祖も寿命には抗えず、何の奇跡も起こすことができず、現世を去る(=普通の人間であることを示す)。中には教祖が金に執着するなど俗人性を発揮したりもするのだが、教団が揺らぐことなく親族に「相続」されたりする。

 新興宗教の教祖や教団に金を貢ぐ信者の人々に見えている世界は、信仰を持たない人には想像もつかない因果などの物語に絡め取られて身動きがままならないものかもしれない。新興宗教の教義も「人の心の他のものではない」だろうが、鎌倉時代に源実朝が達した心境に現代の人々でも到達することが簡単ではないことを、あの和歌は示している。

2022年11月2日水曜日

被害者は同情される

 オレオレ詐欺(振り込め詐欺、預貯金詐欺、架空料金請求詐欺、還付金詐欺、融資保証金詐欺など)が問題化して久しいが、一向に減る傾向は見られず、現在も活発に行われているようだ。詐欺の手法が複雑化して、電話口でドラマ仕立ての寸劇が演じられることもあるとされ、うっかり騙されて大金を振り込んだり、訪ねてきた関係者と称する人物に金を渡してしまったりする事例がニュースとして頻繁に報じられる。

 ニュースとして報じられるのは数百万〜数千万円を騙し取られた事例が大半だが、中には複数回にわたって要求されて1億円以上も騙し取られた事例もある。大金を振り込みかけた高齢者に気がついて、注意を促したり親族に電話して確認させたりして、詐欺被害を未然に防いだ人が警察から表彰されるという地域ニュースも珍しくない。

 大金を騙し取られた人はニュースでは被害者として扱われる。オレオレ詐欺に騙された事例が頻繁に報じられ、行政などからしきりに警戒が呼び掛けられるのに、騙される人は相次いで現れるのが現実だ。おそらく手口は常に「進化」していて、ニュースでは報じられない新たな状況設定を被害者に信じ込ませ、大金を出すように仕向けているのかもしれない。

 大金を騙し取られた人の場合は事件として報じられる一方、詐欺の電話に騙されない人もいるだろうが、その実態は不明だ。おそらく騙す側は大量の電話をかけていて、ごく少数が騙されるのだろうと推察されるが、全国で多くの詐欺グループがどれだけの電話をかけているのかも不明で、オレオレ詐欺の全容は闇の中だ。

 オレオレ詐欺が問題化して20年以上になるのだから、全国の警察には事件化したオレオレ詐欺のデータが膨大に蓄積されているだろう。警視庁がサイトで手口を紹介して警戒を呼びかけるなど手口については分析が行われているのだろうが、膨大なデータを分析してオレオレ詐欺の全容を把握することはできていないように見える。例えば、被害者(騙された人)に共通する要素などが膨大なデータから抽出できれば、被害者になりやすい人に絞って警戒を呼びかけることができよう。

 膨大なデータを集めて、分類して分析するのは社会科学の基本だ。警察は個別事件への対応で手一杯なのだろうから、犯罪学などの研究者が警察が蓄積した膨大なデータを分類して分析することで、例えば、騙す側と騙される側などオレオレ詐欺の全容が解明されるかもしれない(問題は、日本の官僚組織が保有するデータの公開に積極的でなく、その保存に無頓着なことだ)。

 オレオレ詐欺の被害者は同情の対象となり、自己責任だと冷ややかに見られることは少ない。せいぜい数万円程度なら騙された側(被害者)が「マヌケなカモだ」と見られることもあるだろうが、数百万〜数千万円を騙し取られた人に対して同情心が先立ち、当人の責任を問うことは控えられる。オレオレ詐欺を仕掛ける側の卑劣さへの怒りが社会的に共有されているからだろう。

2022年10月29日土曜日

個人独裁と主権在民

 中国で習近平氏が共産党の総書記を3期目も務めて続投することが決定し、党の最高指導部(7人の政治局常務委員)は側近で固められた。憲法よりも優先する党規約は改正されて、習近平氏の絶対的な地位と権威を明記した。習近平氏の個人独裁が中国共産党において制度化された(共産党が独裁する中国では、共産党を支配する人が国家を支配する)。

 同じように個人独裁を制度化したのがプーチン氏だ。ロシア連邦憲法は2020年に大幅に改正され、▽現職大統領の任期制限を撤廃▽国防・国家安全保障・内務・法務・外務などの大臣の任免は大統領が行う▽大統領に首相の解任権▽大統領に検察官の任免権限▽大統領は退任後も刑事責任や行政責任は免責ーなどとなり、プーチン大統領は強力な権力を手に入れると共に、2036年まで大統領を務めることが可能になった。

 共産党の独裁支配だったソ連の継承国であるロシアは、大統領制を導入し、議会制度などを整え、民主主義体制に移行した。だが、主権者である人々はプーチン氏を長期にわたって権力者の位置に選出し続け、ついにはプーチン氏の個人独裁体制が確立することを許した。主権者である人々が、主権をプーチン氏に委ねたとも、人々が主権を放棄したとも見える(プーチン氏が主権を強奪したのだが)。

 個人独裁は、都合よく改正した憲法や独裁政党の党規約の改正などにより制度的には正当化される。だが実際は、反対者などを厳しく抑えこみ、異論を排除することが必要となり、国家権力の暴力が自国民に対して行使されることで独裁体制は維持される。独裁する権力にとって、独裁していることが正統性の証となる(権力を維持するためには、手段を選ばすに独裁を続けるしかない)。

 ソ連が崩壊し、東欧諸国の社会主義政権が続々と倒れて、ロシアや中国が欧米に比べて弱体だった頃、世界は政治的には民主主義、経済的には資本主義に塗り替えられていくと見えた。だが、民主主義はロシアに根付かなかった。経済的にもロシアや中国では独裁権力による経済統制となった。

 個人独裁のロシアと中国に対して、民主主義国(自由選挙により政権交代が行われる国)の欧米諸国は厳しい目を向けている。だが、欧米における民主主義は、国内での激しい対立や分断が続いたり、ポピュリストとも目される人物に人気が集まったりと、理念としての民主主義が現実にはうまく機能しなくなっているとの懸念が出てきたりし、制度としての民主主義の再構築が必要になっている。

 プーチン氏も習近平氏も、人々からの支持が全くなければ個人独裁までたどり着けなかっただろう。なぜ人々は強い権力者を待望したり、好んだりするのか。強い権力者に人々がさまざまな思いを投影し、それが支持となるのかもしれない。個人独裁のロシアと中国が今後、世界にどのような影響を与えるのかは不明だが、権力者の任期を強く制限することが必要であることをロシアと中国の個人独裁は示している。

2022年10月26日水曜日

函館周辺はバス旅の宝庫

 通勤や通学などに利用される路線バスだが、路線バスを乗り継いで長距離旅行したり、都市内や近郊などを小旅行したりするテレビ番組が増えた。公共交通機関として人々に身近な路線バスが、非日常としての旅行の手段にもなると周知させた功績は大きいが、いざ路線バスで旅行しようとすると、路線図や時刻表を手に行動予定を事前に決めることになる。

 テレビ番組のようにタレントが行き当たりばったりで行動すると、路線によっては乗り継ぎバスの待ち時間が長すぎたりするので、食事や観光、日帰り入浴などを組み合わせて旅行のルートを事前に決めるのがいい。ただし、運行予定時刻よりも遅れるのが路線バスの常だが、ほぼ時刻表通りに来ることもあるので、時間に余裕を持たせつつ時刻表に基づいて移動スケジュールは立てたほうがいい。

 列車を使った旅番組は以前から多かったが、路線バスを使って移動するという枠組みを認知させて、旅番組の新機軸を打ち出し、バス旅を周知させたテレビ番組。だが、列車なら車内にトイレがあることが多いが、路線バスにはトイレがないので、乗車して移動する時間は2時間程度が限度だろう。適当に乗り継いで、あちこちで観光したり食事したりするのがバス旅の魅力か。

 都市内に限定するバス旅なら1日乗車券を利用するのがいい。例えば、東京なら23区内の都営バスを1日に何回も乗車できる乗車券があり、休日などに「どこかに行きたい」と急に思い立った時に、予定を立てていなくとも自由に動き回ることができる。のんびりと眺める路線バスの車窓に映る風景は、旅先の風景だと思って熱心に眺めると意外な発見があったりする。

 長距離でも中距離でも市内に限ってもバス旅を楽しむことができるのが函館市だ。函館バスの路線網が市街地には密に張り巡らされていて、観光名所も含め各所に移動でき、食事や日帰り温泉(函館市内には日帰り温泉施設が多い)を楽しむことができる。市街地のバス移動には「市電・函館バス1日乗車券」が便利だ。市街地のバス路線に加え、函館市電の全線と函館山登山バスを利用することができる。

 函館バスの路線網は渡島半島をカバーしており、北は長万部、東は恵山御崎や鹿部、西は江差、南は松前に行くことができる。恵山御崎に行く路線バスは海岸沿いの道をくねくねと走り、太平洋の荒波と活火山である恵山の荒々しい風景を見せ、山中を走って川汲温泉経由で南茅部を経由して鹿部に行く路線では、間歇泉と柔らかい泉質の鹿部温泉を楽しむことができる。

 函館から長万部へ行く路線バスは駒ヶ岳を横目に見て国道5号戦を北上して噴火湾沿いを走り、江差に行く路線バスは鶉温泉を経由して日本海に至り、松前に行く路線バスは津軽海峡沿いに木古内や福島町(千代の富士ら2横綱の出身地)などを経由して春の桜で名高い松前城に至る。函館に接続する鉄道はJR函館本線といさりび鉄道(旧江差線)があるだけで鉄道旅のルートは少ないが、路線バスなら市街地を巡る細切れ移動から中長距離まで多彩な旅を組むことができる。

2022年10月22日土曜日

相手に非があるとの論法

 自分の行動が批判されたときに、自分の行動を正当化する手っ取り早い方法は、相手が先に何かを仕掛け、それに対応しただけだとして相手に非があると主張することである。相手が反論したなら対応は、①客観的に検証する、②頑に相手の非を主張し続けるーに分かれるが、自分が不利になる可能性があるので客観的な検証は歓迎されなかったりする。

 偶発的な争いなら双方が主張をぶつけ合って決着がつかないまま別れることもあるが、知り合い同士などでは禍根が残り、その禍根が新たな対立につながったりする。禍根が積み重なると相手の非を双方がいくらでも挙げることができるようになって、対立構造が続いていくことにもなる。こうした「相手に非がある」論法は国家も用いる。

 ウクライナ侵攻を始めたロシアのプーチン大統領はその理由を、第一にNATOの東方拡大がロシアの現実的な脅威になっている、第二に親ロシア派組織が占拠しているウクライナ東部でロシア系住民をウクライナ軍の攻撃から守るーなどとしている。西側諸国やウクライナ政府に非があるから、ロシアやロシア系住民を守るために軍事行動を始めたとする。

 侵攻直前の演説でプーチン氏は「西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に無遠慮に作り出している根源的な脅威」があるとし、「世界覇権を求める者たちは公然と平然と、何の根拠もなく私たちロシアを敵国と呼ぶ」、ウクライナに「私たちに敵対的な『反ロシア』が作られようとしている」「我が国にとっては、それは生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である」「NATO主要諸国は目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している」などの文言を並べて侵攻を正当化した。

 ミサイル発射を繰り返す北朝鮮は、米韓が軍事演習を行ったことや米軍が空母を日本海に展開したことなどへの対応だと主張した。北朝鮮軍は「朝鮮半島の軍事的緊張を激化させる敵のいかなる挑発も絶対に認めず、徹底的かつ圧倒的な軍事的対応措置を講じる」とし、警告の目的でミサイルを発射したのであり、緊張を高めたのは米韓日の側だとした。

 軍事が絡んで国家が「相手に非がある」論法を用いる時、そうした主張で説得しようとする対象は自国民だ。そうした主張に相手国が動かされることはないだろうが、相手に非があると説くことで自国民の感情を誘導し、政権への求心力を高めるとともに相手側への敵がい心を強める。戦時体制を構築することは国家権力にとって統治に都合がいい。

 個人でも国家でも「相手に非がある」論法は、話し合いなどによる和解よりも対立を続けることを優先するために用いられる。だから「やられたから、やり返す」「言われたから、言い返す」などの連鎖が続き、こうした連鎖の中では少しでも相手への配慮を見せることは禁じ手となる。「相手に非がある」論法を自ら修正することは、自己の正当性が揺らぐことでもある。

2022年10月19日水曜日

進化と雑種

  広島市で、特別天然記念物オオサンショウウオと中国原産の外来種チュウゴクオオサンショウウオの交雑個体が、今年5月に初めて見つかってから既に数十個体が確認されていると報じられた。交雑が進むと、日本固有のオオサンショウウオが絶滅するおそれがあると懸念され、同市は交雑個体を捕獲・隔離して飼育しているが、今後も交雑個体の確認は増えると見られている。

 同様の交雑個体は京都府や三重県などでも確認されているという。報道によると、オオサンショウウオは寿命が数十年と長く、飼育には広いスペースに加え餌代や水道代なども要する。交雑個体を隔離するのは日本固有のオオサンショウウオとの交配が進まないようにするためだが、三重県名張市での交雑個体の飼育数は約150匹になっていて、交雑個体を駆除できるように特定外来生物に指定するよう求める意見が出ているという。

 交雑とは「 遺伝子型の異なる生物の2個体間で交配すること。結果として生じる新個体を雑種という。異系統、異品種、異種、異属などの間で行われ、品種改良として人工的に利用される」(日本国語大辞典)で、雑種が交雑個体。外来動物との交雑個体は現在では排除や駆除の対象になり、特定外来生物に指定されると殺処分もある(人間ならば交雑個体は社会に受け入れられる?)。

 地球史における生命の歴史を考えると、全ての生命は太古から様々な遺伝子の交雑の結果で進化してきたのであり、「純粋」な生命は存在しない。交雑個体の概念は「純粋」な個体が存在するとの考えによって成立するものだ。その「純粋」とは、日本固有種のように特定の地域にのみ生息する生物種を遺伝子的に固定させて保護するための発想だ(血筋の純粋さという虚構を日本人は批判しにくいか?)。

 この「純粋」という考えを人間に適用したのが、アーリア人の卓越を主張してユダヤ人の大虐殺を行ったナチスだ。現在でも、白人の優越を主張する米国などの差別主義者らに「純粋」を重んじる思考は受け継がれている。現生人類はアフリカで誕生して世界に広がったとされ、「純粋」な人間は存在しない。差別主義者らの主張する「純粋」は近代〜現代を基準にした思い込みでしかない。

 外来種や交雑個体の殺処分を正当化する考えに欠如するのは、生命の尊重である。日本の固有種は保護されて細々と生き延び、大量の外来種や交雑個体が駆除・殺処分される状況は「日本の自然が守られて、よかったね」と喜ぶべきものではないだろう。皮肉にも、中国産のトキの繁殖が成功したとしても日本の固有種の復活ではないのだが、外来種の中国トキに対する批判は見えない。

 雑種がなぜ悪い? 交雑個体も自然界においては固有種などと同列に扱われるべき生命であろう。さらに、様々な遺伝子が混じり合うことにより様々な雑種(交雑個体)が誕生し、その繰り返しが生命の進化につながったことを想起するなら、過剰な現在の固有種の保護と外来種・交雑個体の駆除は再考を要する。特別天然記念物オオサンショウウオと、食用として人為的に持ち込まれた中国原産のチュウゴクオオサンショウウオの交雑個体はオオサンショウウオの進化の微小な1段階かもしれない。

2022年10月15日土曜日

駒ヶ岳という名称

 全国に駒ヶ岳という名称の山は多数ある。山の形が馬を連想させたので名付けられたのだろうが、各地で人々が同じような連想をしたのは、農耕や運搬などで馬が重要な役割を務め、身近な存在だったからだ。日常から馬が消えた現代人が山を見ても馬を連想しにくいだろうが、かつて馬が人々の大切なパートナーであった時代を想像することはできよう。

 北海道にも駒ヶ岳がある。渡島半島にある駒ヶ岳は標高1131mの活火山だ。七飯大沼国際観光コンベンション協会HPによると、▽かつては富士山のような円錐形の山容をしていたが、5万年から3万年前の大噴火により山頂部分が崩れ落ちた、▽1640年の大噴火により剣ヶ峰、砂原岳など複数の急峻な頂となだらかな裾野を合わせ持つ現在の姿になった、▽駒ヶ岳は見る位置によって様々な姿を見せ、四季折々の景色を趣の異なる姿で楽しむことができる。

 また、大沼国定公園情報発信システム運営協議会HPによると、▽駒ヶ岳はかつて富士山のような円錐形の1700mほどの火山だった、▽1640年(寛永17)の大噴火によって山頂部が崩壊し、火口原を取り巻く外輪山として主峰の剣ケ峯(1131m)、砂原岳(1113m)、隅田盛(892m)、稜線の駒ノ背(約900m)、馬ノ背(約850m)が形成された、▽1856年(安政3)の大噴火、1929年(昭4)の大噴火、1942年(昭17)に中噴火、1996年(平8)と1998年(平10)に小噴火を起こした。

 ▽駒ヶ岳は、くりかえし噴火した溶岩と火砕岩が交互に重なってできた円錐形火山(成層火山)、▽東方と南方山麓には、1640年の大噴火で火山体の一部が崩壊し、高速でくずれ落ちて堆積した(岩屑なだれ堆積物)。大小さまざまな丘が散在する「流れ山」地形を形成した、▽駒ヶ岳南麓の大沼や小沼は、この岩屑なだれが谷を埋め、河川をせき止めたりして成りたったもの、▽大沼や小沼の湖中に点在する大小の島々も、数度の大噴火の際の岩屑なだれがつくつた流れ山。大沼周辺一帯には多くの流れ山が分布している。

 噴火を繰り返す駒ヶ岳は、見る方向によって異なる山容となる。大沼公園など南側から見ると、平べったい台形で左上部に主峰の剣ケ峯が少し突き出ている。なだらかな山裾のラインが途中で途切れているように見え、かつての円錐型の姿を想像させる。東側や北側から見ると、山頂がえぐられたように見え、繰り返す噴火で形成された荒涼とした山肌が広がる。

 駒ヶ岳は函館山の山頂からも見える。その函館山は臥牛山とも呼ばれる。臥牛とは地面に腹をつけて座り込んだ牛のことで、全国の天満宮には臥牛像が祀られている。三方を海に囲まれた横長の函館山を牛が座り込んだ姿と連想したのは、牛が身近な存在であった人々だろう。

 円錐形でもなく突き出た山頂もない横長の山の形から馬や牛の姿を昔の人々は連想した。そうした山の形から犬や猫の寝そべる姿を連想しても不思議はないのだが、人間よりはるかに大きな山の形から、人間より小さな動物ではなく馬や牛などを思いか浮かべた人々。おそらく馬や牛に対する信頼がそこには含まれていただろう。

2022年10月12日水曜日

信教の自由が盾

 20XX年、3団体に分裂していた広域指定暴力団◯△組の構成員の多くが参加して宗教法人「統一◯△教」が誕生した。◯△組を全国有数の組織にまとめ上げた四代目組長(故人)を教祖とあがめ、生前の言葉を編纂した「教え」を聖典とし、信者は「清く、正しく」生きることを掲げている。

 すでに、寺院を買い取って宗教法人の認可を得た地方が全国各地にあり、それらを統合するとともに、さらに各地で寺院を買い取って組織化し、全国的な布教を目指すという。信者は◯△組を離脱したことになっていて、各自は生業を持つとともに、「お天道様に恥じない生き方」をしなければならないそうだ。

 預貯金口座の開設ができなかったり、家や車や携帯電話の契約にも苦労するなど暴力団の構成員の権利は厳しく制約されているので、偽装離脱ではないかと疑う声もあがったが、「信教の自由を、元組員だからと奪うのか」と激しく反発され、表立っての批判の声は小さくなり、マスメディアも信教の自由には抵抗できず、統一◯△教に対する批判を控えるようになった。

 誕生から半年も過ぎると世間の関心は薄れ、統一◯△教は新興宗教の一つと認知された格好だ。実態は暴力団だろうと見る人は多いものの、「触らぬ神に祟りなし」ということで世間の関心は薄れ、マスメディアの報道も消えた。広域指定暴力団◯△組の構成員は減る一方だが、統一◯△教の信者は増え続けた。

 統一◯△教が再度、注目されたのは信者の「布教」活動の実態をリポートした雑誌の記事だった。みかじめ料を飲食店などに要求することは無くなったが信者たちは寄進を要求するようになり、宗教活動と称して資金を融通して多額のお布施を要求するヤミ金融、先祖の因縁や悪霊を払うという特別な物品の高額売りつけや高額な開運みくじなどの販売に加え、全国の寺院で墓地を拡大するとともに墓石などの販売も始めていた。

 批判が高まると統一◯△教は信教の自由を盾に反論した。指摘された活動は布教に伴うものであり、「熱心な信者による行き過ぎはあったかもしれないが、それはごく一部だ」として真面目に布教を行う信者が大半だと主張した。さらに、同様の活動は多くの既成宗教や新興宗教も行っていると指摘されると、行政は動かず、マスメディアの批判のトーンも穏やかになっていった。

 ーー信教の自由に対する批判と反社会的な行動に対する批判を混同することは間違いだが、反社会的な行動に対する批判を信教の自由に対する批判であると強弁するのも間違いである。そこの見極めが曖昧なら、統一◯△教のように宗教法人を隠れミノにしてシノギなどの経済活動を行ったり、布教と称して政治活動などを行ったりする人々は後を絶たないだろう。

2022年10月8日土曜日

ライトバード衛星

 ライトバード(LiteBIRD)は、2028年の打ち上げを目指している宇宙マイクロ波背景放射偏光観測衛星だ。月よりも遠い宇宙空間で全天精査を行い、原始重力波を検出することを計画する。もし原始重力波が検出できれば、宇宙が超高温・超高密度の火の玉状態から膨張したというビッグバン以前に、素粒子よりも小さかった宇宙が異常膨張したという「インフレーション」仮説が証明される(以下の説明はjaxaサイトなどを参照・引用した)。

 ・宇宙マイクロ波背景放射(CMB)は宇宙のあらゆる方向から一様に地球に降り注いでいる電磁波。誕生から約38万年後の宇宙でやっと電磁波が自由に宇宙空間を伝わることができる(宇宙の晴れ上がり)ようになり、その頃の宇宙に満ちた電磁波が現在はCMBとして観測される。CMBの存在そのものが、ビッグバンの重要な証拠とされる。

 ・原始重力波とは、ビッグバンの前に起きたインフレーションの異常膨張で生じた重力波。重力波は超新星爆発などで生じた時空のゆがみが波として伝わる現象だが、インフレーションで生じた重量波は、天体の運動で生まれる普通の重力波と区別して原始重力波と呼ばれる。原始重力波の検出なくしてインフレーション仮説を証明することはできないとされる。

 ・CMBの偏光を観測することにより、ビッグバン以前の宇宙を探ることができる。原始重力波はインフレーションで生まれた後、晴れ上がりの時にも宇宙空間を満たしており、CMB偏光の分布に特殊な渦巻きパターンを刻印したと予想されているので、それを検出すれば、インフレーションが起きたことの証拠となる。

 ・原始重力波の検出に成功すればノーベル賞級の成果だとされ、各国が挑戦しているが、まだ検出に成功した研究チームはない。地上観測は行われているが、大気の影響による限界があり、全天観測が困難であるため、CMB偏光に特化した人工衛星による観測が必須と見られている。だが、欧米での観測計画は実現せず、日本のライトバード計画が唯一の2020年代に実現可能な衛星計画となった。

 ・インフレーションは一瞬(宇宙誕生後の1秒のマイナス36乗〜マイナス34乗という超短時間)の出来事で、素粒子よりも小さかった宇宙が異常膨張し、放出された熱エネルギーがビッグバンになったという。ビッグバン以後、宇宙の膨張とともに素粒子ができ、陽子や中性子、原子へと物質生成が進み、さらに星ができ、銀河や銀河団が形成され、やがて生物がつくられていった(インフレーションが起きる前の宇宙については、「ゆらぎ」があるだけの無だとの仮説がある)。

 宇宙は膨張を続けていることが観測されており、遡ると宇宙の全物質と全エネルギーなどが1点に集まっていて、ビッグバンという大爆発からずっと膨張を続けているというのが現在の宇宙論だ。この宇宙には始まりがあり、それが138億年前のインフレーションやビッグバンだとしたなら、空間や時間、運動なども宇宙誕生とともに誕生したことになる(存在という現象も誕生した)。

2022年10月5日水曜日

時代と世代と映画

 親から受け継いだ小さな工務店を社員50人の建設会社に成長させ、子息に社長の職を2年前に譲った友人は最近、「会社にはほとんど行かなくなった」と言う。子息が社長として成長し、「これからの時代は、あいつらが自由にやったほうがうまくいくだろう」と完全引退も視野に入れている。

 現役時代は仕事が最優先で、楽しみはカラオケと映画をたまに見ることぐらいだったという友人は、何の予定も入っていない毎日を持て余した。社長を退いた当初は、夫人の誘いもあって日本各地の観光地に旅行に出かけたそうだが、次第に出かけるのが億劫と感じるようになり、娘夫婦や友達を誘って旅行に出かける夫人を見送って、家にいることが増えた。

 映画を観に毎日出かけることができるようになったが、友人は「観たい映画がかかっていない」と映画館に行くことはほとんどない。代わりに、以前に観た映画のDVDを次々に買っていたそうだが、それが200枚を超え、適当に積んであるだけなので夫人から「片づけなさい」と厳命されたそうだ。

 邦画も洋画も新作が毎月公開されているというのに、友人は「観たい映画がかかっていない」と言う。映画が好きなのに、興味をひく新作映画がないと感じる友人。観たい映画をDVDで観て友人は満足しているが、友人の映画体験は、過去の映画体験をなぞることで止まっているといえる。

 映画は時代を反映する。最近のCGを多用した荒唐無稽のストーリーの映画にも、例えば悪役の設定などに時代の価値観が反映する。映画に現れる時代に対して、距離感や違和感などを感じる人は、その映画を素直に楽しむことは難しいだろう。若い人なら旧作の映画の時代感に馴染めず、老いた人なら新作映画の時代感についていけなかったりする。

 旧作も新作も映画なら何でも観るという映画ファンはいるだろうが、映画が時代を反映するので世代によって楽しむことができる映画が異なるとすれば、時代は変化するので、世代によって好む映画は分かれる。友人が旧作映画のDVDを見て楽しむのは、世代の制約とみなすこともできそうだ。

 アニメには興味がなく、お涙ちょうだいや恋愛ものにも興味がなく、突飛な状況設定に置かれた人々を描くだけのストーリー展開は好まず、荒唐無稽のCG多用の活劇には飽きたという友人は、「現実感があって、練られた脚本があって、役者の演技という芸の高さを見せてくれる作品がいい映画だ」という。観たい新作映画がないと言うのは当然だな。

2022年10月1日土曜日

新冷戦の姿

 ウクライナに侵攻したロシアだが、欧米から武器などの支援もあってかウクライナ軍の反撃が優勢となって、ロシア軍の劣勢が欧米メディアで報じられる。死傷者の増加で兵員が不足したのかロシアは部分動員令により30万人を徴兵して増員せざるを得ない事態に追い込まれた(実際には100万人を徴兵するとの見方もある)。

 30万人をウクライナ侵攻に投入できたとしても、ミサイルや長距離砲など遠距離からの攻撃が主体となった戦場で、兵員ばかり増やしても戦況の打開にはつながりにくいだろう。それでもロシアが兵員の増派に動くのは、ウクライナに侵攻したロシア軍の大きなダメージを修復するとともに、ウクライナ軍に対して反攻するためか。肉弾戦も辞さずとロシア軍が想定しているなら、悲惨な戦場になりそうだ。

 2月24日に砲撃や空襲などで始まったロシア軍のウクライナ侵攻の結末はまだ見えていない。ロシア軍もウクライナ軍も決定的な勝利を得られず、こう着状態になってダラダラと戦闘が続く可能性もあるが、もしロシア軍が盛り返して、ウクライナ東部から占領地を広げ、ウクライナ政府を瓦解させてウクライナ全体を併合したとすると、世界の光景はどうなるか。

 プーチン大統領は7月に、ウクライナ侵攻により「米国中心の世界秩序は根本的に壊れ、欧米は既に敗北した」と述べたという。当時のプーチン氏は勝利を確信し、ウクライナに対して「戦場でロシアに勝ちたければ試してみたらいい」と余裕を見せるとともに、「戦闘が長引くほど和平合意は困難になる」と戦闘では負けないと信じきっていたようだ。

 もしロシアがウクライナ侵攻で勝利してウクライナ政府を瓦解させたなら、欧米主導の世界秩序は揺らぎ始めるだろう。欧米は軍備支援と対ロ経済制裁などでウクライナを支えたが、その効果が限定的だったことが明らかになると、途上国の民主主義を嫌う強権的政府の多くは、すぐにロシアや中国に近づかないとしても、欧米との距離を保ち、自国の利益優先を剥き出して動くようになるだろう。

 かつての冷戦は米国とソ連による世界の分割支配だったが、そこにはイデオロギー対立という側面があった。ロシアが勝利したなら、ロシアと中国という権威主義国と欧米など民主主義国による世界の分割支配という新冷戦の構図がはっきりする。経済大国になった中国をロシアが資源面から支援するので、経済力でも欧米と中ロは互角になる(ウクライナ侵攻が終わった後に欧州はロシアの資源を限定的にしか買わないだろう)。

 冷戦と新冷戦の相違点は、第一に各国の経済体制が資本主義である、第二に国境を越す人や情報の移動が(制約はあるが)自由、第三に中ロの富裕層は欧米に資産を移している、第四に欧米などにおける中ロの情報戦が活発ーなどだ。類似点は①政治的に妥協が困難、②軍事力を常に誇示する、③中ロにおける政権の正統性が希薄(主権が独裁者にあるのだから、正統性はあると独裁者は主張するだろうが)ーなどだ。

 ただし、ロシアも中国も個人独裁の色彩が濃いので、プーチン氏や習近平氏が政治舞台から退出した後も独裁的な政治が続くかどうかは未知数だ。両国にも民主主義などの価値観を共有する人々が存在するので、集団指導体制に移行したなら、欧米との緊張緩和に動く可能性はある(プーチン氏も習近平氏も69歳。どちらかの国で個人独裁が終わって欧米と協調路線に転じれば、残った国は孤立する)。

2022年9月28日水曜日

利用される住民投票

 親ロシア派の武装勢力が占領するウクライナ東部のドネツクとルガンスクなどで、ロシアへの編入の賛否を問う住民投票が行われた。これは、ロシアが支配地域を併合するための儀式であり、「偽りの住民投票だ」と欧米各国は強く非難し、住民投票も併合も「決して認めない」とした。

 中国は微妙な反応を示した。欧米などのロシア非難には同調しない姿勢は堅持する一方、住民の意思を問う住民投票で地域の独立や他国への編入を決めることにも賛成できず、言葉を濁すしかない。ロシアのウクライナ占領地での住民投票を認めたなら、ウイグルやチベットなどにおける住民投票を求める声を否定できず、整合性が取れなくなる。

 中国はロシアと欧米の対立激化を眺め、言葉ではロシアを支援するが、欧米との経済関係に影響が及ばないように慎重に立ち位置を見定めてきた。トランプ政権以来の米国との対立が経済面から政治面まで広がり、欧州でも中国との関係を見直す動きが現れて中国は、言葉では欧米に対して強硬姿勢を維持するが、具体的な行動には強硬な姿勢は現れない。

 9月に習近平国家主席とプーチン大統領は会談し、結束していく姿勢を強調したと報じられた。ロシア産の天然ガスや石炭などの中国への供給拡大などで一致し、中ロ間の貿易額を24年に2000億ドルに引き上げる目標を確認したという。ロシアの行き場のない天然ガスなどを中国は買い叩いて購入し、一部は欧州に再輸出していると見られるなど、欧米の対ロシア経済制裁を中国はうまく活用している。

 ウクライナ東部などでの住民投票を欧米が「偽り」と非難するのは、投票が公正に行われたのか確認できないからだ。クリミア半島のロシアへの編入に賛成が9割以上だったという2014年の住民投票をG7は、正当性がないと認めていない。また、ウクライナ憲法では領土変更には国民投票を要することになっていることも、クリミアにおける住民投票の合法性を疑わせている。

 独立国家内の住民が独自に地域の独立を達成したのが、国連の暫定統治下にあったコソボだ。2008年にコソボ議会が独立を宣言し、米やEU諸国などが国家承認した。当時、プーチン大統領は「米欧が独立を承認したコソボとクリミアは全く同じ状況にある」とし、米欧が後押しした2008年のコソボ独立を引き合いに出してクリミア編入を正当化した。

 コソボで多数派のアルバニア系と対立するセルビア系住民が2012年にコソボ政府を認めるかを問う住民投票を行い、99.74%が「認めない」と答えたが、欧米などは無視した。住民投票の結果は「葵の御紋」ではなく、各国はそれぞれに支持したり支持しなかったり様々だ。つまり、自国の政策に好都合な住民投票の結果は支持するが、不都合ならば無視する。

 だから例えば、スコットランドの独立について「どちらでもいい」と各国は中立を保ち、住民投票を見守るだけにとどめる。もし、中国のウイグルやチベットで独立の賛否を問う住民選挙が行われることがあれば、米ロをはじめ各国は活発に公式・非公式に介入するだろう。中国の弱体化が自国にとって有利か不利かを各国は真剣に考える。

2022年9月24日土曜日

つけ足し主義

  ロシアや中国は最近、民主主義や自由など欧米の価値観を受け入れることへの反発を隠さなくなった。ロシアや中国には独自の歴史的に培われた価値観があり、それを優先すべきであるとする。もちろん、そこには民主主義や自由など欧米の価値観を受け入れたなら、現在の政治体制が揺らぎ、独裁的な権力の維持が難しくなるという現実がある。

 日本は民主主義や自由など欧米の価値観を1945年以来、社会の基本として受け入れた。日本にも独自の歴史的に培われた価値観があるのだが、それと欧米の価値観は激しく反発し合うことはなく、かといって欧米の価値観ですっかり日本社会が塗り替えられたというわけでもなく、日本独自の価値観と欧米の価値観はうまく「棲み分け」ているように見える。

 日本と現在のロシアや中国を比べると、ロシアや中国の独自の価値観のほうが日本の独自の価値観より強固なように見える。だが、欧米の価値観を受け入れながら揺るがない日本の価値観のほうが強固であるかもしれない。あるいは、政治制度だけに欧米の価値観を入れ、そのほかは独自の価値観を維持した日本の歴史的な、ある種の成熟の成せることであったかもしれない。

 外国からの価値や制度の導入について、日本は積み重ね主義、つけ足し主義だと加藤周一氏は論じた(「日本文化の特殊と普遍」=渡辺守章氏との対談、1980年。『加藤周一対話集①』所収)。関連する個所を以下引用する。

 ・日本で「能・狂言と初期の歌舞伎があるところに18世紀ころから人形劇が出てくる。ところが演じられる場所は移るにしても人形劇によって能・狂言が駆逐されることはない。前からあるものに新しいものをつけ足していくわけです。歌舞伎でも近松のころの浄瑠璃とは違った形の忠臣蔵などが加わってくる。さらに時代が下ると新劇まででて来て、いまや能もあれば人形劇もある、歌舞伎もやっていれば、新劇や前衛演劇もやっているという事態になった」

 ・「どんどん足していって、何にも消えない、一度できたものはね」

 ・「こういうことは、いろんな芸術のジャンルでも見られる。つけ足し主義、積み重ね主義であって、決して入れ替え主義じゃないが、もっと根本的には、価値の体系が入れ替わらないということだ。前の価値体系に新しい価値が加わって、価値が重層的になるだけだ。

 ・日本にも大きな制度上の断絶はあった。たとえば明治維新とか1945年。しかしそのたびに、新しい価値体系によって支えられた新しい制度が、古い価値体系によって支えられた古い制度に入れ替わったというんじゃない。制度は変わるかもしれないが、価値は重なっていくことがある。

 ・このことは、外国からの価値や制度の導入を容易にする。新しい制度を入れるときに同時に新しい価値も入れると、古いものとの間に対決が起こって、どちらかを拒否せざるを得なくなる。ヨーロッパがそうだ。つけ足し主義で、足りないところを外から入れると平和裡に導入が行われる。中国では近代化がどうして遅れたか。近代化すると、近代的な価値体系と制度が古いものと対決して血を流すようになるからだ」

 ・中国では近代的な価値体体系と制度が「いったん入ってくると徹底的に入ってきて、以前のものがずるずると生きのびることはない。中国型とヨーロッパ型が似ていて、日本型がその点では違う」

 日本が1945年以来、欧米の価値観を政治制度に受け入れたのは、明治以来、欧米の法体系、学問、文化などを積極的に受け入れて来たという下地があったからだろう。ロシアや中国には独力で近代化(欧米化)を実現できなかった過去があり、それが欧米の価値観を受け入れることへの反発につながっているのかもしれない。

2022年9月21日水曜日

国旗の意味

 米国の国旗である星条旗は、左上にある白星が州の数(現在は50)を示し、赤白13本の横帯は独立当初の13州を示す。人々は星条旗に向かって右手を胸に当て「忠誠の誓い」を唱えることが慣習となった。誓いの文言は「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」などと訳される。

 星条旗は米国の国家統合の理念を示すものであり、米国の人々の自由と正義の確保と分割せずに統一を保つこと、さらに共和国であることを人々が星条旗に向かって誓う。つまり、星条旗は米国の自由と正義と統一と共和国の象徴であり、単なる国家の象徴ではない。国家形成の理念は国により様々だが、何らかの理念を国旗で表現していることが多い。

 フランス国旗は青・白・赤の三色旗(トリコロール)で「自由・平等・博愛」を表し、イタリア国旗は緑・白・赤で「国土と自由、雪と正義や平等、愛国者の血と情熱や博愛」を表すとされる。ドイツ国旗は3色で横分割され、黒・赤・黄(金)は「勤勉・情熱・名誉」を表し、オランダ国旗も横三分割で、赤・白・青は「国民の勇気、神への信仰心、祖国への忠誠心」を表すとされる。

 ロシア国旗も横三分割で、白・青・赤は「高貴と率直と白ロシア人、名誉と純潔性と小ロシア人、愛と勇気と大ロシア人」を表す。ソ連時代には「鎌と槌の赤旗」が国旗だったが、ロシア連邦の成立で帝国時代の「白・青・赤」の三色旗が復活した。ちなみにソ連の国旗の鎌は労働者階級、槌は農民、赤旗は社会主義や共産主義を表すとされる。

 中国国旗は「五星紅旗」と呼ばれ、赤は共産主義や革命、大きな星は中国共産党、小さな4星は労働者、農民、知識人、愛国的資本家を表す。イギリス国旗は、イングランド・スコットランド・アイルランドそれぞれの十字架を組み合わせたもので連合王国であることを表す。バングラデシュ国旗は緑地に赤丸で、緑は国の活力と若さと国土、赤丸は太陽と独立のために流された血を象徴する。

 北欧のフィンランドの国旗は白地に青の十字架で、青は湖沼と澄んだ空、白は清らかな雪を象徴し、スウェーデン国旗は青地に黄の十字架で、青は湖、黄は黄金または輝く太陽を象徴し、ノルウェー国旗は赤字に白と青の十字架で、赤は情熱、青は海と国土を表すとされる。3国に共通するのは旧宗主国デンマークの国旗をベースにしていること。デンマーク国旗は赤字に白の十字架で、赤は祖国愛、白はキリスト教への信仰を表し、世界最古の国旗ともされる。

 日本国旗は、中央の赤丸が太陽、紅白の色がめでたさを表すとの解釈が多いようだが、公式な説明はない。日本の国家形成に理念があったなら、日の丸に何らかの意味が付与されていたのだろうが、明治維新に現代でも通用する普遍的な価値観(理念)は乏しく、国旗として法制化する時にも、何らかの理念を国旗で象徴させようとの試みはなかった。理念なき国家には理念なき国旗がふさわしい。

2022年9月17日土曜日

個別と全体の混同

 SNSには大量の書き込みが流れ続けている。発信者は企業や団体なども多くなったが、おそらく大半は個人によるものだろう。個人によって発信された書き込みは個人の見解を示すもので、個別の事例であり、社会の全体的な傾向を示すものではない。ある個人の見解を一般的な事例だと見なすのは適当ではないだろう。

 SNS上の個人の書き込みを社会の傾向や世論を現すものとして、引用して論じる文章が珍しくない。それらは自説を都合よく補強する材料としてSNS上の個人の書き込みを利用するのだが、報道機関の記事にもSNS上の個人の書き込みを引用して記事の趣旨を補強している例がある。以前なら人々に取材して個別の見解を拾ったが、取材の手間を省いてSNSを「活用」して記事を仕上げていると見える。

 ある個人の書き込みが社会全体の傾向を示すと判断するためには、その見解が社会の多数派であることや、少なくとも過半数をその見解が代表していることを示す必要がある。統計的な処理が欠かせないのだが、手間を省くために安易にSNS上の書き込みを引用するのだから、そんな手間をかけるはずもない。

 個別の見解と世論とされる見解は、一致することもあれば一致しないこともある。SNS上の書き込みを引用する場合には、個別の見解か世論を代表する見解かを区別する必要があるが、そこらを曖昧にすることでSNS上の書き込みの安易な引用は成立する。個別と全体をうっかり混同すると、歪んだ認識を持つことにつながりやすい。

 よく見かけるのは、中国や韓国などの反日的な雰囲気を紹介する文章や記事に、中国や韓国における反日的なSNS上のコメントを引用することだ。それらのコメントが一般的なものか少数なのかを読み手が判断することは困難で、反日的な雰囲気が中国や韓国の社会に蔓延しているなどと受け止めたりする。

 また、SNSに流れる大量の書き込みは、書き手の素性の判別が困難なことが多い。誰とも分からぬコメントに対して一生懸命に批判を返す書き込みも珍しくないが、SNSという空間だから可能になる現象だ。さらに、外国勢力が日本の世論の分断、混乱、不一致を拡大する目的で日本国内の個人を装っている可能性もあり、意図的に「ひどい」書き込みで荒らしている可能性がある。匿名性は武器になる。

 個人の見解の安易な活用は、テレビのニュース映像における街角の人々のコメントの利用にも見られる。それらのコメントも個人の見解であり、世論を示すものとは限らないが、ニュース映像に組み込まれると、社会の代表的な反応を取材したかのような印象を与える。放映前に編集作業が行われるので、視聴者が特定の方向に誘導される可能性も否定できない。個人の感想を紹介して、それが全体の傾向を現すものであると装うことは以前の通販番組などで使われた手法だが、現在は、個人の見解であると明記しなければならないと法規制された。

2022年9月14日水曜日

人生はジグソーパズル

  ある友人は「人生はジグソーパズルだ」と主張する。「1日を生きると、その日のピースが出来あがる。毎日の様々な色をした膨大なピースが組み合わされて、大きな絵となる。その絵は、その人の人生が描かれた作品だ」とする。生きている間は毎日、ピースが加え続けられ、死とともに個人のジグソーパズルは完成すると言う。

 友人の説によると、ピースは正方形の形だが、色合いは人によって日によって多彩に変化し、同じものは2つとなく、大きさは人によって日によって異なり、大小の差は大きいという。何か大きな出来事があったり、印象に残る何かがあった日のピースは大きくなり、平穏な1日で、すぐに忘れられるような日のピースは小さい。

 何も起きず単調な毎日の繰り返しであっても、ピースは同じ色にはならない。天候は変化し、季節も変化するので人が見る風景は都会であっても毎日変化しており、日本や世界で様々な出来事が毎日報じられ、それらの情報を人は様々に受け取り、関心を持ったり記憶するので、その日のピースの色合いは変わってくる。

 完成したジグソーパズルは人によって多彩な形になる。全体が長方形や正方形など規則性がある形になることはほぼなく、ある部分は突き出し、ある部分はへこむなど人の数だけ形が変化する。大小様々なピースが連なり、外周は凸凹とした線の不規則なジグソーパズルが出来あがる。同じ形がないのは、同じ人生を送る人がいないためだ。

 生まれた日にその人の最初の1つのピースが出来あがり、その後は毎日、1つずつピースが加わる。ピースは正方形なので、形成されつつあるジグソーパズルのどこに加えられてもよいが、どこにピースが付け加えられるかは人によって日によって異なる。同じような色のピースでも接続する場所が異なれば絵の表現は変わってくる。

 「あの時に、ああすれば自分の人生は変わっていた」などと人は回顧して夢想するが、毎日のピースが加えられて形成され続けるジグソーパズルから過去のピースを取り外すことはできない。最初のピースが置かれて、完成形がどうなるか無限の可能性の中から人は毎日、1つずつピースを加えて、それぞれのジグソーパズルを完成させるのだ。

 最後の日のピースが加えられて完成する人生のジグソーパズル。「俺のジグソーパズルがどんなものか見てみたいな。上下左右にバランスが取れた人生ではなかったから、俺のジグソーパズルはきっと歪な形だ」と友人。「好きなことだけやって生きてきたように他人には見えるだろうけど、俺なりに筋を通して生きてきたんだから、色調は整っているはずだ」と言う。

2022年9月10日土曜日

人権侵害の実態

 新疆ウイグル自治区で中国当局が、ウイグル人らに対する多様かつ過酷な人権侵害を行っているとの情報は以前から流れていたが、外国人の立ち入りが厳しく規制されていることもあって実態は隠蔽されていた。外国からの批判に中国は激しく反発するが、「どこでも自由に見てください」とは決して言わなかった。それは、自由に見られては都合が悪い実態があるからだろう。

 アムネスティは昨年公表した報告書で、中国政府がウイグル族やカザフ族などイスラム教徒の少数民族に対し、集団拘束や監視、拷問をしていたと批判した。拘束されていた55人への聞き取り調査を基にした報告書によると、▽新彊ウイグル自治区全域に精巧な監視体制を敷いている、▽実態は強制収容所である巨大な「再教育」施設群がある(施設内では、組織的に虐待や暴力行為が行われ、収容された人は厳格に管理され、宗教色を排除した単一の中国人国家の考え方と共産党の理念を徹底的に植えつけられる)。

 ▽2017年から数十万人が強制収容所に入れられ、数十万人が刑務所に送られた、▽取り調べでは、鉄製の椅子に座らされて手足を拘束され、頭部にフードをかけられる、▽生体認証データや医療データを取られた後、強制収容所送りになる、▽収容所内での最初の数週間から数カ月間は、一切の私語は認められず、監房内では常に座位を強いられる。

 ▽拷問では、殴打、電気ショック、独居拘禁、食事・水・睡眠のはく奪、器具を使った拘束、極寒の部屋での隔離などが行われる(丸1年も手かせ足かせを付けられていた人、拷問を受けている人を見せつけられた人、仲間の目の前で椅子に拘束されたまま尿や便をもらすこと三日三晩の人などもいたという)。

 ▽解放された後も少なくとも数カ月間は常に機器や人による監視を受ける(当局員に自宅に上がり込まれ、寝泊まりまでされて調べられた人もいる)、▽拘束後解放された人たちは移動の自由を厳しく制限される(至る所にある検問所の警官が街角を見回り、監視する)、▽イスラム教の宗教的・文化的慣習は過激主義的とみなされ、拘束の対象になる(イスラム教式のあいさつは許されず、コーラン、礼拝用マットなどの物品を所持することも事実上禁止)、▽モスクや墓跡などの宗教的・文化的遺産が自治区全域で取り壊された。

 こうした人権侵害は国連人権高等弁務官事務所が8月31日に初めて発表した報告書でも指摘された。報告書は「テロや過激派対策の名目で拷問や虐待など深刻な人権侵害が実施されている」とし、世界の企業に対して人権侵害を助長していないか再点検するよう求め、ウイグル族らの人々に対する人権侵害は「国際犯罪、特に人道に対する罪に当たる可能性がある」とした。

 中国は報告書の発表に反対を表明し、「反中国勢力が捏造した偽情報や虚偽に基づき、中国に非があることを前提にしている」「中国の法律や政策を歪曲し、誹謗中傷している」とした。だが中国の主張に説得力は希薄だ。それは中国が実態を隠しているとの疑惑が消えないからで、疑惑を晴らすには新疆ウイグル自治区において外国人の自由な検証を実現するしかない。それができない現状が中国の主張の信憑性を傷つけている。

2022年9月7日水曜日

カゼ薬で治す

  第七波に襲われた日本では連日、10万〜20万人台の新規感染者が出ていた。発熱外来を訪れる人は発熱が38度以上と高く、けん怠感を訴える人が多いと報じられた一方、感染者には軽症や無症状が多いともされ、陰性証明を取得する目的で検査を受けに行って陽性となって感染に気がつく人も珍しくないとか。

 感染者に占める軽症や無症状の人の割合は詳らかではないが、8割ぐらいとの推測がある(重症化や死亡者の割合は「高齢者は高く、若者は低い傾向」で、オミクロン株が流行の主体の2022年1〜2月には「重症化した人の割合は、50歳代以下で0.03%、60歳代以上で2.49%。死亡した人の割合は50歳代以下で0.01%、60歳代以上で1.99%」=厚労省サイト)。だが、第七波では連日、200〜300人台の死者数となっている。

 第七波の前の6月1日には日本の累計感染者数が約887万6千人、死者数は約30600人で死者の割合は0.0034%、7月1日には約935万5千人と約31300人で0.0033%だった。第七波が始まっていた8月1日には約1293万5千人と約32700人で0.0025%、同10日には約1490万2千人と約34300人で0.0023%、同20日には約1697万9千人と約36800人で0.0021%、同30日には約1879万7千人と約39600人で0.0021%。

 第七波が始まって死者数は大幅に増えたが、それ以上に新規感染者の増加数が大幅なので、累計感染者数に対する死者数の割合は低下している。とはいえ、絶対数としての死者数や重症者数が増えているので、医療体制にかかる負荷は増える一方だ。欧米の感染爆発を見て、日本でもいずれ感染爆発が起きると予想して医療体制の整備を急ぐこともできただろうに、厚労省の動きは鈍かった。

 ところで、仕事や海外旅行などで陰性証明を必要とする人はPCR検査などを受けるだろうが、陰性証明が必要ないなら無症状の人は検査を受けないだろう。軽症なら、感染を懸念する人は検査を受けるかもしれないが、「カゼか」と思った人は従来のカゼ対策で済ますかもしれない。PCR検査などを受けに出向かない人々は、新型コロナウイルスの感染者だったとしても感染者にはカウントされない。

 ちょっとノドが痛むとか、少しセキが出るとか、少し熱っぽいなどを感じた日が過去に何回もあったという友人はそのたびに市販のカゼ薬で対応したという。新型コロナウイルス感染を疑わなかったのかと聞くと友人は、「その疑いは頭の片隅にあったが、症状は重くなかったので、カゼ薬を呑んで様子を見ることにした」と言い、「カゼ薬で症状が治った」から「まあ、いいか」と済ました。

 友人が感染者だったかどうかは分からないが、ごく軽症の感染者であったとすればカゼ薬で対応することも可能だと示したことになる。市販のカゼ薬は、諸症状を緩和させるための解熱・鎮痛薬や抗ヒスタミン剤、鎮咳・去痰剤など複数の有効成分が配合されているが、カゼそのものを治す薬ではない。だが、諸症状をカゼ薬でやわらげ、治すことができるなら、新型コロナウイルスの初期症状か?と疑う人には市販のカゼ薬を服用する対応法もありそうだ(ただし、重症化する兆候があれば、すぐに医師に相談すること)。

2022年9月3日土曜日

噴き出るもの

 駅弁の「かにめし」で知られる長万部町に名物が一つ加わった。飯生神社の敷地内の松林の中で8月8日から、水が約30mの高さまで噴き出した。噴き出す勢いは衰えず、3週間以上も噴き出し続けている。噴き出したのは温泉だとみられたが、天然ガスが地下水とともに噴き出したとの見方もあった。見物人が連日集まってきているが、町は近くへの立ち入りを禁止し、火気厳禁だと注意喚起している。

 公表された検査機関の分析結果によると、「人体に影響を及ぼす有害物質は検出されておらず、低温泉水と推定される」(長万部町サイト。22日)。水温は21.5℃のナトリウム一塩化物・炭酸水素塩泉で、ヒ素が0.013mg/L検出されたが「温泉ではもっと高い値で検出されることが一般的で、人体に害となる数値ではない」とし、「食塩泉であることから、塩害(金属類が錆びる)の問題、また、鉄、マンガンが高いことから茶〜黒色の着色の問題が起こる可能性がある 」とした。

 分析結果に天然ガスについての記述はなかった。天然ガスの成分はメタン(CH4)が約9割を占め、ほかにエタン、プロパンなど複数の炭素化合物や窒素、二酸化炭素、硫化水素、硫黄酸化物などを含む。検査機関が分析したのは採水された噴出水なので、公表された分析結果には気体(ガス)に関する記述はない。付近で検出されたという可燃性ガスについては別の調査が必要だろう。

 30mもの高さまで水柱が噴き出し続けたことは、相当の圧力が地中に存在することを示す。マグマの上昇などの兆候は報じられていないので、可能性としては①地中に溜まり続けた天然ガスの圧力が高まり地下水とともに噴出した、②温泉水が地中で熱せられて沸騰した。水柱の噴出が続いているので、地中の圧力は継続しているとともに、何らかの圧力が供給され続けていることになる。

 地中で温泉水が沸騰して噴き出している実例がある。長万部町から噴火湾沿いに南東に車で1時間半くらい行ったところに鹿部町があり、間歇泉がある。大正13年に温泉を掘っている時に偶然発見されたという間歇泉は「自然の力だけで約100度Cの温泉を一定間隔で噴き上げ続け」「1回に噴き上がる量は500ℓほどで、約10〜15分ごとに約15m以上の高さまで噴き上が」る(間歇泉公園リーフレット)。

 噴き上がる仕組みは同リーフレットによると、①間歇泉の温泉は地面から26m下から湧き出ている。113度Cの温泉がゆっくりと上がってくるが、パイプの深さが26mもあるので、2.6気圧の水圧がかかり、沸騰しない、②100度Cを超える温泉が地表近くの水圧の低いところまで上がってくると、沸騰し始める。

 ③沸騰でできた気泡はパイプの中の水圧を下げるので、どんどん沸騰し、温泉の湧き出す量も増える。沸騰が激しく起こると、温泉が勢いよく、空高く噴き上がる、④しばらく噴き上がると、噴き出す勢いに湧き出す温泉の量が追いつかなくなり、水位が下がる。このとき、温泉の温度も100度C以下に冷やされ、パイプ上部に溜まるので沸騰は終わる。その後、また温泉がゆっくりと上がってきて沸騰し、噴き出すことが繰り返される。

 長万部町の水柱は噴き出し続けているので鹿部町の間歇泉とは異なるメカニズムによるものだろうが、自然の驚異的なパワーを見せつけることでは共通する。長万部町を含め噴火湾の地中に膨大な天然ガスが埋蔵されており、その開発が今回の水柱をきっかけに進んで、日本は天然ガスを自給できるようになりましたーというのは夢物語かな。

2022年8月31日水曜日

ワクチン4回でも感染

 ワクチンの効果は見えにくい。感染しないでいるのはワクチンを打った効果なのか、ワクチンを打たなくても感染しなかったのか個別には判断ができない。治験データではワクチンの感染予防の有効性が示されたとしても、全てのワクチン接種者に有効であることはなく、個人は「ワクチンが効くはずだ」と信じるしかない。

 ワクチンを打ったのに感染した事例があると「ワクチンを打っても感染したじゃないか」とワクチンに対する疑念が生じる。ワクチン接種で免疫を獲得するから感染しないとの図式が崩れたと見え、不信感が高まる。ワクチンを打っても感染するなら、新型コロナウイルスワクチンのように何度も打つことの意味はないと感じる人が出てくる。

 変異株の出現がワクチンの有効性を阻害しているとしたなら、変異を短期間で繰り返すウイルスに対してワクチンの有効性は、そもそも乏しいと判断せざるを得まい。新型コロナウイルスワクチンの効果は時間とともに低下すると報じられ、それが何回ものワクチン接種を正当化する。だが、3回も4回もワクチン接種した人が感染している事例が珍しくないなら、ワクチンに効果が本当にあるのかとの疑念を持つ人が増えるかもしれない。

 4回のワクチン接種を受けた岸田首相が新型コロナウイルスに感染した。軽症であることから「医師にも相談の上、首相公邸において自宅療養を行いながら、リモートで仕事を続け」た(首相官邸サイト)。だが、感染対策が万全であるはずの環境にいる人が感染を防ぐことができず、ワクチン接種による感染予防効果に対する疑問の声が上がった。

 一方、発症を予防する効果だけをワクチンに求めるから、ワクチン接種者の感染を問題視するとの反論がある。データでは「ワクチンを受けた人が受けていない人よりも、新型コロナウイルス感染症を発症した人が少ない」が「追加接種を受けても、発症等を完全に予防できる訳ではありません」、3回目接種については「国内外の報告により発症予防効果等が報告され」「オミクロン株に対しても、3回目接種に係る様々な研究において発症予防等の効果が一時的に回復する」(厚労省サイト)。

 さらに、海外での研究によるとオミクロン株流行期において「4回目接種による感染予防効果は短期間しか持続しなかった一方で、重症化予防効果は4回目接種後6週間経過しても低下せず維持されていた。」(同)。つまり岸田首相が感染したのは想定内のことであり、軽症であったのはワクチンの効果だった可能性があるということらしい。

 重症化を予防するというワクチンの効果も見えにくい。感染しても軽症で済んだのはワクチンの効果か、ワクチンを打たなかったとしても軽症で済んだのかは判断ができない。治験データで有効性が示されたとしても、個別の事例ではワクチンの重症化予防の効果はぼやける。だが、新型コロナウイルスに対してワクチン以外に現実的な対応策はないのが現在。ワクチンの効果を「信じる人は救われる」のならいいのだが。

2022年8月27日土曜日

外国勢力の影響力

 旧統一教会が自民党などの国会議員や地方議会議員たちと広範に接触し、関係を構築していることが次々に暴かれ、それらの議員たちは神妙な態度で「今後は関係を持ちません」などと釈明に追われている。こちらも新型コロナウイルスの陽性者と同様の「探せば見つかる」状況だったようで、ネタが「探せば見つかる」のだからマスメディアは張り切っている?

 旧統一教会が自民党などの国会議員や地方議会議員の選挙運動を手伝って、当選した議員たちを旧統一教会関連の催しなどに来賓として招いたり新聞など関連媒体に登場させて、旧統一教会の社会的認知をアピールするために利用していただけなら、自民党を支援する多くの宗教団体なども同じようなことを行っているだろうから、日本の政治の構造として特に警戒を要するものではないかもしれない。

 だが、旧統一教会が、選挙運動に関わって「当選させた」議員たちや自民党に影響力を有するなら、自民党(政府)の政策立案に関与することができる。報道によると、旧統一教会の関連団体である国際勝共連合の改憲案と自民党の改憲草案が、緊急事態条項や家族重視条項の新設などで一致しているという。自民党の改憲草案の制定過程の検証が必要だが、自民党に検証能力があるのか不明だ。

 自民党の改憲草案に旧統一教会が影響力を及ぼしていたとなると、日本の政治が韓国系の宗教団体の影響下にあったことになる。さらに、旧統一教会に韓国政界の影響力があるとすると、日本の政治に韓国の政治家が影響を及ぼしていたことになる。KCIAと統一教会の関係は以前から報じられていたが、現在の韓国における政界と旧統一教会の関係はまだ詳らかになっていない。

 米国では2020年の大統領選でロシアがSNSなど使って世論工作し、選挙に干渉したとの米国家情報会議の報告書が公表された。共和党のドナルド・トランプ候補を当選させるために民主党のヒラリー・クリントン候補に不利な情報を流すことなどをロシアが行い、米国における「民意」を歪めた。ロシアには、選挙を混乱させて民主制に対する不信感を米国で広める狙いもあったともみられ、米国内では強い警戒の動きが出た。

 日本でも、SNSなどを使って中国やロシアなど外国勢力の世論工作はおそらく大量に行われているだろうが、社会の警戒心は薄いようだ。だが、韓国政界が旧統一教会を使って自民党やその所属議員に対して影響力を行使していたとすれば、日本の民主主義が歪められたとともに日本の統治機能が損傷したことになる。

 自民党や所属議員に影響力を有していた旧統一教会は、多くの情報を自民党や所属議員から得ていただろうし、それは韓国に流れただろう。「日本は外国のスパイ天国だからスパイ防止法が必要だ」との主張は右派や保守派などから上がっていたが、皮肉にも旧統一教会が韓国のスパイだったとも解釈できる。外国勢力の影響力を日本政治から排除できるかが今回の問題で問われている。

2022年8月24日水曜日

過疎路線と乗り鉄

 商店や飲食店などなら、来店客が減って「店を開いていても売り上げで電気代さえ払えず、赤字続き」となり、周辺の住民も減り続けていて来店客数の回復が見込めない状況となれば、店を閉めるだろう。そうした判断は人々に同情され、地域を見捨てたと批判されることはおそらく少ない。

 だが、JR各社が赤字路線を廃線してバス転換を提案したりすると、強い反発が地域から上がる。乗客が減って、ガラガラの車両を定時運行することは赤字の垂れ流しとなり、鉄道事業会社としては、いつまでも続けることはできない。だが、国鉄だった鉄道の路線の廃線には「地域の過疎化を促進する」などの声が地域から上がる。営利事業ではなく公共サービス(事業)として存続を求められる。

 過疎化で乗客数が減って鉄道事業が成り立たなくなっているのだが、鉄路が維持されれば過疎化に歯止めがかかると判断する根拠は希薄だ。おそらく、乗客数が少ない鉄路が維持されても過疎化は進む。廃線をやめさせるのには沿線住民を増やし、乗客数を増やすしかないのだが、進む過疎化に地方は「無力」だ。沿線住民を増やすには移住者を増やすしかないだろうが、移住者に魅力がある地域づくりは進んでいない。

 JR東日本は路線別の収支を初めて公表、全66路線のうち35路線の66区間が2019年度に営業赤字だったとした。最も赤字額が大きい区間は羽越本線の村上〜鶴岡で、年間の運輸収入6億円を稼ぐために営業費用が55億円かかっているという。JR西日本は17路線30区間が赤字だとした(両社が公表したのは輸送密度が2000人未満の区間)。JR北海道は全21区間で営業赤字だったと発表、輸送密度が2000人未満の区間では141億円の営業赤字で、赤字幅は7億500万円拡大し、これは過去最大という。 

 国交省の有識者会議は、区間の輸送密度が1000人未満などを見直しの基準にし、バスなどへの転換も含め協議を進めるべきとする提言をまとめた。輸送密度1000人未満の区間はJR5社で61路線100区間になる(JR東海を除く)。ただし、①隣り合う駅間の1時間の乗客数が通勤や通学の利用ピーク時に上下線のいずれかで500人を超える線区、②拠点都市間を行き来する特急や重要な貨物列車が走る線区、③自治体が出資する第三セクターの鉄道ーは対象外とした。

 61路線100区間の内訳は、JR北海道は根室線の釧路~根室など8路線の9区間、JR東日本は五能線の能代~深浦、深浦~五所川原や只見線の会津坂下~会津川口、会津川口~只見などの29路線の50区間、JR西日本は大糸線の南小谷~糸魚川や山陰線の城崎温泉~浜坂、浜坂~鳥取など13路線の25区間、JR四国は予讃線の向井原~伊予大洲など3路線の4区間、JR九州は日豊本線の佐伯~延岡や指宿枕崎線の指宿~枕崎など8路線の11区間。

 公表された61路線100区間リストを見て、乗り鉄を自称する東京在住の友人は「絶景の路線がいっぱいじゃないか」とため息をつき、「乗客が少なく、のんびり乗車できるのもローカル路線の魅力で、都市での過密生活から解放された気分になるのが魅力だった」と言う。だがJR各社に過疎路線を支える力がなくなり、それらの廃線の現実味が増し、友人は「このリストの路線を重点的に乗りに行くぞ。すぐには廃線にならないだろうが、いつまで存続しているか不安だ」とし、「わずかでも収支に貢献できれば幸いだ」と付け加えた。

2022年8月20日土曜日

事実と解釈と意見

 情報リテラシーという言葉を見かけることが多くなったが、リテラシー(literacy)とは「読み書きの能力、識字力」のことで、新明解では「①読み書き能力(の程度)。②その時代を生きるために最低限必要とされる素養。昔は、読み・書き・そろばんだったが、現代では情報機器を使いこなす能力だとされる」。さらに、「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」との意味でも使われることがある。

 だから情報リテラシーは「情報機器を利用して、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出し、活用する能力」となる。必要な情報が何かを知らなければ、膨大な情報の中を漂い、不要な情報に引っ掛かったりする。何が必要な情報なのかを見分ける能力が備わっていなければ、情報リテラシーは低い。

 だが、必要な情報は多彩だ。客観的に正確な情報だけが求められるとは限らず、明らかなフェイクニュースや中傷、有名人の真偽不明のスキャンダル情報などを面白がって探したり、政敵やライバルなどを批判するため攻撃する材料を探し出したりもする。そうした行為においても情報リテラシーは駆使される。

 情報の最大の提供源はテレビや新聞、雑誌などのマスメディアで、マスメディアが報じる大量の情報の中から必要な情報を抜き出す能力がメディア・リテラシー。だが、現在はSNSなどインターネット上にも大量の情報が流れているので、メディア・リテラシーの対象は拡大し、また、メディアでの表現(個人の情報発信)も活発化したので、そうした能力も重視される。

 情報は大別して①事実を伝える情報、②虚偽を伝える情報、③解釈や意見を伝える情報ーに分かれる。情報リテラシーが高いと見える情報通が、実はメディアに溢れる解説者や評論家、ブロガーらの解釈や意見を事実と混同して受容していることもある。①(事実を伝える情報)と③(解釈や意見を伝える情報)を見分けることができなければ、情報リテラシーは低い。

 ①(事実を伝える情報)と③(解釈や意見を伝える情報)を混同するのは、事実を軽視するためだ。事実に基づいて自分で考える手間を省き、自分の感覚に合う解釈や意見を拝借する。多くの人はメディアに影響された意見を持つが、おそらく①と③を混同しているとの自覚はないだろう。

 解釈や意見には主観が混じるが、事実は主観を排除したものとされる(事実にも主観が混じったフェイクがある)。事実と解釈や意見が入り混じると主観と客観が入り混じり、主観が主導するから、リテラシーが高いことと正確な情報を得ることは必ずしも相関しない。正確な情報より、主観に合う情報や主観に都合がいい情報を抜き出すのにもリテラシーは活躍する。

2022年8月17日水曜日

「平和」と信仰

 「平和」という文言を掲げる団体や運動が旧統一教会の関連で多く存在し、正体を知ってか知らずか、接触を持っていた政治家たちが批判されている。うろんな宗教団体が、霊感商法などで多大な被害を生じさせたことを反省して、贖罪のために「改心」して平和のために活動するなら慶賀の至りだ。だが、そうではないことはミエミエだ。

 「鰯の頭も信心から」のことわざがあるように、何かを信仰している人々の精神のありようは傍からは理解しにくい。信仰の世界は俗世間を超越するのだが、宗教団体や信者が存在するのは俗世間だ。厄介なのは、俗世間に影響を与え、俗世間を変えようとする教義を有する宗教団体の活動だ。信仰は内心の問題だが、その活動は俗世間の問題となる。

 平和は信仰の問題ではなく、俗世間の問題だ。信仰がなくても平和を掲げる活動を行うことはできるのだが、宗教団体が平和を掲げる運動を行うのは、①信仰よりも俗世間の問題を優先させている、②俗世間を平和な状態に変えるとの教義がある、③宗教団体であることを見えにくくする偽装ーのいずれかであろう。

 平和を求めることに反対する人はいないだろうし、平和を求める運動に疑いの目を向ける人も少ないだろう。だが、平和を掲げる団体や運動は善意の正義感で動いているとの先入観があったりすると、批判的に見ることは抑制されやすくなる。さらに、戦争はすべて悪であり平和は絶対善であるとぼんやり考えていると、絶対善という価値判断は宗教と融和性があるので宗教団体の平和を掲げる運動などに取り込まれやすくなる。

 平和は穏やかな状態のことで、それを脅かす「心配や揉め事」がない状態が個人にとっての平和であり、「戦争や紛争、災害」がない状態は社会にとっての平和になる。前者の個人にとっての平和を宗教団体が信仰によって達成すると主張することは珍しくないが、後者の社会にとっての平和を主教団体が希求すると、俗世間においての活動を伴う。

 宗教団体の希求する平和と、社会通念としての平和が同じであるかどうかは不明だ。宗教団体が希求する平和の状態においては宗教団体の役割が重視されているだろうから、そうした平和な状態の俗世間で宗教団体は特別な位置を占める。おそらく社会において特別な位置を占めることを目的に、そこへ到達するステップとして平和を求める運動などが設定されている。

 抽象語としての平和には単一の定義のみがあると受け取られるが、実際は論者がそれぞれの意味を付与している。例えば、プーチン氏が言う平和とゼレンスキー氏が言う平和は同じ意味ではないだろう。平和は普遍的な概念であるが、個別で特殊な状況に適合した平和の概念もある。つまり平和の状態は人によって解釈次第で多様であり、誰にとって都合のいい平和かを見極める必要がある。

 宗教団体が掲げる平和が布教活動や勢力拡大活動の一環であることは容易に想像がつく。抽象語としての平和の意味だけだと思い込み、うっかり利用しようと接触した政治家たちは、あわてて関係遮断を表明せざるを得なくなった。さらに、普遍的な概念としての平和は大切だから、どんな団体であれ平和運動は立場を超えて支援すると言える政治家がいないことも今回、明確になった。

2022年8月13日土曜日

21世紀の治水

 治山治水とは「山を治め、水を治める」こと。山を治めるためには植林のほか水源林や保安林の整備、地すべりを防ぐ地盤改良、砂防ダム設置などが行われ、水を治めるためには堤防の整備のほか、河川改修、水路整備、治水ダム建設、調整池や遊水池や放水路の整備などが行われる。都市における治水事業では排水路の整備や透水性舗装、雨水貯留施設や地下河川の整備などが行われる。

 雨が多い日本で水害被害は繰り返されてきた。「2021年の日本の降水量の基準値(1991〜2020年の30年平均値)からの偏差はプラス213.4mm」で、「年降水量には長期変化傾向は見られない」が「1898年の統計開始から1920年代半ばまでと1950年代、2010年代以降に多雨期」があり、1970年代〜2000年代は年ごとの増減の変動が比較的大きくなっていた(気象庁サイト)。

 2010年以降は平均値より降水量が毎年増えている。だが、1950年代も毎年増えていて1960年以降は減少傾向になったので、多雨傾向がこの先も続くか、減少に転じるかは不明だ。また、世界の年間降水量は周期的な変動を繰り返しているが、北半球では1950年代、2000年代半ば以降に降水量の多い時期が現れている(同)。

 2022年の夏には北陸や東北、北海道などで豪雨被害が続いた。氾濫した河川や浸水被害の住宅などをニュース映像で目にすると、豪雨による水害被害が顕著に増えたとの印象を持ち、日本の治水対策が増加する降雨量に対応できておらず、綻び始めたと考える人もいるだろう。その地域の「平年の8月の降雨量が半日で降った」などと報道されると、急いで新たな治水対策を講じなければならないと考えるのは自然だ。

 日本の治水対策は、「気候変動に伴い頻発・激甚化する水害・土砂災害等に対し、防災・減災が主流となる社会」を目指し、流域治水の考え方に基づいて「堤防整備、ダム建設・再生などの対策を一層加速するとともに、集水域から氾濫域にわたる流域のあらゆる関係者で水災害対策を推進」することになっている(国交省サイト)。過去の降雨データなどに基づく対策から気候変動による降雨量などの増加を考慮した対策に転換した。

 流域治水とは「集水域(雨水が河川に流入する地域)から氾濫域(河川等の氾濫により浸水が想定される地域)にわたる流域に関わるあらゆる関係者が協働して水災害対策を行う考え方」(同)で、総合的かつ多層的な対策だという。だが、2020年から掲げられた構想で、その成果が発揮されるのは、法改正や地方自治体などとの協議・協力体制が構築されてからであり、かなり先になりそうだ。

 梅雨末期や台風シーズンなどに西日本などで水害被害が各地で毎年頻発し、有効に治水ができていないと見える中で、東日本や北日本でも水害被害が相次ぎ始めた。流域治水は間に合わなかった。治山治水は国の礎とも言われるが、まったく後手後手の状況で、流域治水の考え方が正しかったとしても、その効果が現れる頃には、「気候変動に伴い頻発・激甚化する水害・土砂災害等」がさらに増えているかもしれない。

2022年8月10日水曜日

最低賃金と公務員

 2022年度の最低賃金(時給)について全国加重平均で31円引き上げるとの答申が出された。この通りに改定されると全国平均の最低賃金は961円となり、都道府県別では東京都が1072円で最も高く(東京・神奈川・大阪の3都府県が1千円台)、最も低いのは高知県と沖縄県で850円だと報じられた。適用されるのは今年10月以降になる。

 最低賃金は「産業や職種にかかわりなく、都道府県内の事業場で働くすべての労働者とその使用者に適用」され、「パートタイマー、アルバイト、臨時、嘱託などの雇用形態や呼称の如何を問わず、すべての労働者に適用」される(厚労省サイト)。最低賃金の減額が認められるのは、試用期間中や障害により著しく労働能力の低い人、認定職業訓練を受けている人などだが、使用者が都道府県労働局長の許可を受けることが条件。

 米国などでは人手不足になると、より高い賃金を示して企業は人員を確保しようとするそうだが、日本では最低賃金はパートやアルバイトの募集で「標準」賃金となっていることが珍しくない。最低賃金だから上積みは経営者の裁量で自由であり、従業員を優遇しているとのイメージを最低賃金+αの募集で企業はアピールできるのだが、そんな経営者や企業は少なく、賃金には自由競争の原理はあまり働かず、最低賃金は「自然」に上がっていかない。

 最低賃金の引き上げを答申する中央最低賃金審議会(厚労相の諮問機関)で労働者側と経営者側が協議するのだが、経営者側は経営の苦しさを訴えて上げ幅を抑え込もうとする。企業などの賃上げ交渉と同じ構図で、最低賃金の上昇幅も抑え込まれてきた。その結果が先進国では低水準の最低賃金となっている。

 最低賃金は「産業や職種にかかわりなく、都道府県内の事業場で働くすべての労働者とその使用者に適用」されるのだが、公務員は別の賃金体系になっている。人事院が国家公務員の給与水準を勧告し、地方公務員の給与水準は自治体の人事委員会の勧告を経て給与条例が議会で成立することで引き上げられる(人事委員会が置かれていないところは都道府県の勧告等を受けて給与条例を策定)。

 公務員の給料は「級」と「号棒」の組み合わせで決まり、諸手当が乗る。例えば、国家公務員の行政職の1号棒で1級なら月額14万6千円などとなり、指定職の事務次官は月額117万5千円、特別職の内閣総理大臣は月額201万円などとなる。初任給は大卒の総合職なら2級1号棒で23万2840円、高卒の一般職なら1級5号棒で18万7920円。

 最低賃金を公務員にも適用するなら、例えば、パートやバイトから正社員、地方公務員や国家公務員から内閣総理大臣までの賃金体系が明確化する。公務員の「級」と「号棒」の組み合わせの代わりに、最低賃金の19倍が一般職の公務員の給与、最低賃金の210倍が内閣総理大臣の給与などとなる(最低賃金を公務員に適用するなら公務員にも争議権を認める法改正が必要だ)。そうなると最低賃金は経営者側と労働者側だけで決めるわけにはいかず、第三者の参加も必要になるだろう。

2022年8月6日土曜日

自然も観光資源

 函館は人気が高い観光地だが、星形の城郭の五稜郭や函館山山麓の元町の教会群、朝市、湯の川温泉などは市街地にあり、夜景に浮かび上がるのは市街地の姿で、グルメに人気の飲食店も大半が市街地にある。ほとんどの観光客は函館観光で見て回るのは市街地だけだろう。だが、函館は広く、市街地から少し離れると、太平洋や津軽海峡に面した海岸から豊かな山林まで、変化に富んだ自然が広がっている。

 函館の面積は677.87平方kmだ。東京都の面積(2,194.05平方km)のほぼ31%に相当するが、23区(627.53平方km)よりは広い。23区に隣接の調布市(21.58平方km)と武蔵野市(10.98平方km)と三鷹市(16.42平方km)を加えると676.51平方kmでほぼ函館市の面積に相当する。

 東京の区部では宅地が58.4%と多く、道路等22.0%、公園等6.3%などとなり、住宅や商業施設が建ち並び、人々が密集して住んでいる。函館は宅地が5.2%に過ぎず、山林が60.3%と過半を占め、原野・雑種地が6.9%、田畑が4.5%、その他(池沼や牧場、境内地、水道用地、ため池、保安林、公衆用道路、公園など)が23.2%となる。東京に例えるなら、千代田区と港区だけが市街地になって他は山林が広がっているイメージだ。

 函館市は、大正の頃までは函館山の山麓一帯とそれに続く陸地が市域(約19平方km)だったが、1939年に湯川町と合併、1966年に銭亀沢村と合併、1973年に亀田市と合併(約348平方kmに拡大)、さらに2004年に戸井町、恵山町、椴法華村、南茅部町と合併して市域を2倍近くに拡大した。現在の主な市街地は昭和半ばまでの函館市だった辺りだが、現在の函館市は「渡島半島の南東部に位置し、北側と東側は太平洋に、南側は津軽海峡に面し,三方を海に囲まれ、「函館山を要とし扇状に広がる平野部と段丘地形、さらに北東側に広が る山岳地で構成されて」いる(函館市HP)。

 市街地は函館市の面積の5%ほどで、そこに人気の観光名所が集中している。それらの観光名所を見たり、飲食店で海産物を食べたり、湯の川温泉を堪能して観光客は満足するだろうが、渡島半島の南東部を占めるほどに拡大した現在の函館市には未開発の観光資源が眠っている。例えば、恵山周辺だ。

 函館市の市街地からは津軽海峡越しに下北半島が見える。津軽海峡を吹き抜ける風が強いので、いつも波が立っているが、市街地から海岸沿いに東に車で行って汐首岬を過ぎた辺りから、波の大きさや強さが増す。対岸に見えていた下北半島は遠く離れ、津軽海峡を抜けて、太平洋の荒波が直接打ち寄せる状況になる。海岸沿いに点々と連なる小さな漁港の防波堤は高く積まれた消波ブロックに守られるが、太平洋から押し寄せる波が消波ブロックに当たって大きな白波となって舞い砕ける。

 活火山である恵山は溶岩ドームだが、数千年前の火山活動では山体崩壊により岩石がなだれ落ちたとされ、海岸沿いには方々に巨岩が海中からそそり立っている。海岸沿いの道路は細かく曲がりながら続くが、恵山御崎で巨岩に遮られて途切れる。巨岩と太平洋からの荒波に挟まれ、自然の荒々しさと雄大さを見せる。函館には自然という未開発の観光資源が眠っている。

2022年8月3日水曜日

謝罪する教皇

 カナダを訪れたローマ教皇フランシスコが謝罪した。カナダでは19世紀から同化政策として先住民の子どもを親から強制的に引き離し、寄宿学校では「白人」になるように教育したそうだ。だが、カトリック系寄宿学校では先住民の子どもたちが神父らから虐待を受けて数千人が死んだとされる。「多くのキリスト教徒が先住民に犯した悪に対し、謹んで許しを請う」と教皇は謝罪したそうだが、殺された子供は生き返らない。

 先住民の子供を「白人」らしくしようと教育したが、親から強制的に引き離された先住民の子供は反抗しただろうから、せっかく「白人」らしく教育してやったのにとカトリックの神父らはつい虐待したのか。寄宿学校の跡地からは多数の遺骨や墓が見つかっているというから、言い逃れも隠蔽もできずカトリックは謝罪に追い込まれた。白人が他人種を見下さず、対等の人間として接していたなら、起こらなかった悲劇だろう。

 カトリックが謝罪することは珍しくなくなった。聖職者による性的虐待と教会がそれを隠蔽し続けていたことが世界各国で次々に暴かれ、2014年に児童への性的虐待についてローマ教皇は謝罪し、対応の強化を表明した。さらに2018年に性的虐待問題に教会が沈黙していたことをローマ教皇は謝罪した。

 2019年にはローマ教皇は、男性聖職者による修道女の性的暴行について認め、問題に対処するためと前例がない特別会議を開催した。また、聖職者による性犯罪は機密扱いせずに調査に協力するとした。2022年には前ローマ教皇がドイツで大司教を勤めていた当時、性的虐待で告発を受けた司祭たちの職務継続を容認していたことが明らかになり、批判された。独カトリック教会では1946〜2014年に全国で3600人以上が司祭らから性的虐待を受けたという。

 カトリックの聖職者による世界各地での性的虐待などが、いつから始まっていたのか不明だが、おそらく相当以前から行われていて、教会などによる隠蔽も続いていたのだろう。告発の動きが広がったのは、カトリックの長い歴史に比べると「つい最近」のことだ。聖職者も教会も世俗の秩序に組み込まれ、世俗から超越することができなくなったことが告発の動きの背後にある。聖職者や教会を特別扱いする時代ではなくなった。

 神への人々の信仰に支えられていた聖職者や教会の権威が衰え、聖職者や教会に対する畏敬の念も衰えたのは、神への人々の信仰が揺らいでいるからだろう。聖職者の性的虐待などや教会の隠蔽が続いていたことは、人々から見れば神の正義が行われない世界であり、現実世界では神の正義が行われないと解釈するしかない。神は人々の苦しみには無頓着で人々を見捨てるという世界で、神を信じ続けることは簡単ではないだろう。

 神は君臨するものであり、信仰は人々から神への一方通行で、神から人々への働きかけは預言者を通して神の言葉を伝えただけと納得できるなら、神の正義が行われない世界でも神を信じることができるかもしれない。ただし、そうした神が存在するとしても、世俗の秩序に組み込まれたカトリック関係から今後も謝罪の動きはあるかもしれない。聖職者にも教会にも「免罪符」は無くなったからだ。

2022年7月30日土曜日

そういう考えもある

 特定の世界観に基づいた理論や主張を振り回したり、押し付けてくる人々がいる。特定の世界観の代表は宗教だろうが、理想とする政治や社会体制を特定の世界観に仕立て上げて賛同者を集めたり、反対者を批判・攻撃する政治運動もある。また、陰謀論に基づく世界観もあって、それぞれに壮大な理論体系を構築して勢力拡大に励んだりする。

 特定の世界観に基づく理論や主張は、例えば、1神教では全能の神の存在を無条件に認めることを基礎に組み立てられ、マルキシズムでは社会に階級対立があるとの認識が基礎になり、陰謀論では何らかの陰謀が進行しているとの認識が基礎になる。だから、いくら壮大で精緻な理論体系であろうと、基礎の部分を共有できない人々には受け入れ難い。

 それらの理論や主張を振り回す人々は、神を信じる必然性や革命の必然性などを言い立てたりし、賛同しなかったり反対する人と険しい議論や言い合いになったりする。特定の世界観に興味も関心もない人にはうるさがられるだけだろうし、特定の世界観の押し付けだと受け止められもする。

 それらの理論や主張を振り回す人々が知り合いだったりすると厄介だ。簡単には拒絶できず、気の弱い人なら曖昧にやり過ごそうとし、別の信仰や理論などを持つ人なら同意できないと穏やかに主張し、気が短い人なら言い合いになったりする。それらの理論や主張を振り回したり押し付けることに熱心な人々に出会うと、態度が強引だと見えたりし、そうした態度に反発を感じる人もいるだろう。

 自分の考えと違う理論や主張を冷静に聞くためには「そういう考えもある」と、同意も納得もしないが、相手が主張することは許容する態度が有効だ。特定の世界観を否定も肯定もせず、「そういう考えもある」と受け止める。否定でもなく肯定でもなく、特定の世界観に基づく理論や主張の存在は認める態度だ。

 同意も納得もしない主張や論理を許容するためは、それらを理解することが前提となる(理解できない理論や主張に対して、許容するのは屈服か自己欺瞞であろう)。理解しても全否定でも全肯定でもなく、部分否定でも部分肯定でもなく、「そういう考えもある」とするのは、そうした理論や主張や世界観を面白がることである。

 「そういう考えもある」との態度は相対主義と似るが、特定の世界観による理論や主張を理解はしても肯定も否定もしないのだから、相対主義ではない。何でも記事にしようという取材者の立場に近いかもしれない。カントを読んでも「そういう考えもある」、ニーチェを読んでも「そういう考えもある」、マルクスを読んでも「そういう考えもある」などと対応できれば世界を見る目は広くなろう。

2022年7月27日水曜日

夏を迎えて感染拡大

 夏を迎え日本では新型コロナウイルスの感染者が全国で急増している。7月23日には新たに20万975人が確認され、死者数も72人と増えた。感染者は22日に19万5000人、21日は18万6200人、20日は15万2000人と増加ペースが加速した。7月初めころの新規感染者数は2万人台/日だったが、15日に10万人を超えた。

 この急増の原因として、感染力が強い「BA.5」への置き換わりが進んでいることのほか、▽人々の外出が活発化(外出の自粛が減少)、▽イベントや旅行などが再開され接触機会が増加、▽ワクチン接種や感染で獲得した免疫の低下、▽冷房使用に伴い換気が不十分、▽子供や若者のワクチン接種率が低いーなどが指摘されている。

 さらに、市中には無症状の感染者が既に多く存在しているのだが、感染急増のニュースにPCR検査などを受ける人が増え、そこで陽性となって感染者とカウントされて感染急増を加速させ、それが大きく報道されてPCR検査を受ける人をさらに増やすという「探せば探すだけ感染者が見つかる」循環だと皮肉る人もいる。

 ちなみにPCR検査数は、6月28日は101,708件だった(翌29日の新規感染者数は2万3千人台)が、7月12日144,967件、7月19日224,068件、7月21日308,436件、7月22日318,534件と増えた(厚労省サイト)。7月24日は140,953件と減ったが、この日は日曜日(PCR検査は民間検査会社が過半を担っている)。日経によると、7日移動平均の感染者数と検査数で単純計算した検査陽性率は61.15%。

 世界に目を向けると、累計感染者数は5億7018万人(死者数638万人、7月25日現在)。国別の最多は米国で9041万人と突出して多く、次いでインド4390万人、フランス3362万人、ブラジル3359万人、ドイツ3033万人、英国2342万人、イタリア2066万人、韓国1924万人、ロシア1826万人、トルコ1552万人、スペイン1320万人、日本1137万人、ベトナム1076万人で、これらの諸国が1千万人以上の累計感染者数。

 日本以上に感染者が多い英国は2月に新型コロナウイルス対策の法的規制を全て撤廃し、欧州諸国も規制の緩和に動き、米国では全ての州でマスク着用義務が撤廃されるなど、パンデミック前の日常生活に復帰する政策を欧米は実行している。パンデミック終息の見込みがなく、重症化率が低いことなどから新型コロナウイルスとの共生を容認した(共生せざるを得ない現実に対応した)。

 夏のバカンスシーズンで人の移動が活発化している欧州では新規感染者が増加傾向で、過去2週間で新規感染者は約3割増加したが、各国政府には規制を再強化する考えはなく、人々も過剰な恐怖心を持たなくなったと報じられている。「人々の接触機会が増えれば新規感染者は増加する」ことは日本も世界も同じだが、欧米は新規感染者の増加にも落ち着きを失わない社会になりつつあると見える。

2022年7月23日土曜日

アフガニスタン

 外務省サイトなどネット情報にによると、アフガニスタンは「長年の他民族による支配の後、18世紀半ばドゥラニ王朝が成立」「1880年に英国保護領となるが、1919年に独立を達成」し、1973年に王制から共和制に移行し、1978年にクーデターで社会主義政権が成立した。「1979年にソ連の軍事介入のもとカルマル政権が成立」したものの内戦状態が続き、「1989年に駐留ソ連軍の撤退が完了」した。

 「1992年にムジャヒディン勢力の軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊」して暫定政権が成立するが「各派間の主導権争いにより内戦状態が継続」し、1994年頃から「タリバーンが南部から勢力を伸ばし、1996年に首都カブールを制圧、1999年までに国土の9割を支配」した。だが、2001年10月から「米英主導でアルカーイダ及びタリバーンに対する軍事行動」が行われ、「12月までにタリバーン支配地域が奪還」された。

 面積は日本の約1.7倍あり、人口は3890万人。気候は一般に乾燥気候で、首都カブール(標高1766m)の平均最高気温は7月で24.4℃、最低は1月で零下2.8℃。南西部での夏季の最高は常に40℃を超える。年降水量は約340mmで、その7割が1~4月に降り、7~9月にはほとんど降雨がない。南部のカンダハール(標高1010m)の平均最高気温は7月で32.1℃、最低は1月で5.5℃。最高峰はノシャーフ山(7485m)。

 民族はパシュトゥン人が4割以上を占め、次いでタジク人が3割弱、ハザラ人、ウズベク人など。少数のヒンドゥー教徒、シク教徒を除き、住民の99%がイスラム教徒で、その86%がスンニー派、9%(おもにハザーラ人)がシーア派。裾の長いシャツと幅の広いズボンが伝統的服装の基本である。主食は小麦のパン、副食品として重要なのは乳製品。チャイがよく飲まれる。

 イスラム教は7世紀後半に入ってきて仏教やゾロアスター教を消滅させ、深く根を降ろした。町にも村にもモスクがあって1日5回の礼拝が行われており、断食もかなり忠実に守られている。識字率が低く、読者層が限られるため出版は盛んではない。1998年にタリバンが政権を握ると、マスコミは制限され、テレビ放送も禁止された。

 GDPは192.9億ドル(2019年。1人当たりGNIは530ドル)で、主要産業はサービス産業、農業、牧畜、建設業、鉱業・採石業など(就業人口の推計65.6%が農業に従事=2004年)。主要な輸出品はドライフルーツが最も多く、次いで薬草、果物、鉱物、野菜など。主要な輸入品は食品が3割を占め、次いで石油、機械類、金属類など。

 アフガニスタンとは「アフガン人の地」という意味。天然資源に乏しいため、世界でもっとも貧しい国の一つである。アフガニスタンの主要産業は農業であり、自作農が多く、大土地所有は発達していない。生産量で最も多いのは小麦、次いで米、トウモロコシ、イモなど。ケシの生産量は2002年以降に急増し、2004年には4200トンになった。南部地域に多く、タリバンの資金源になることが心配されている。

2022年7月20日水曜日

ご飯を鍋で

 日本人の主食はコメ(米)だ。家庭では炊飯器を使って炊くのが一般的だろうが、パンや麺類などで食事を済ますことや外食などが増え、コメの消費量は減っている。1人当たりの消費量は1962年(昭37)の118.3kgをピークに減少傾向で、2000年に64.6kg、2020年には50.7kgとなった(農水省サイトから)。

 一方で炊飯器には7万〜8万円から10万円台などの高級モデルが登場し、話題となった。店頭には数千円のものから様々な価格帯の炊飯器が並べられ、廉価のものでもそれなりに美味しく炊けるというが、より美味しいコメを食べることができるとの期待が高級モデルを定着させた(食べ比べると、高級モデルで炊いたコメは確かに美味しいという)。

 美味しくコメを炊くことができる日本製の炊飯器の人気は国境を超えて米食文化圏に広がった。来日する中国観光客が増え始めた頃、日本で炊飯器を各自が買って大量にカートに積み上げて持ち帰る様子が報じられた。炊いたコメの美味しさが違うと気づいた人は高くても、いい炊飯器を買う(美味しく炊くにはコメの種類や状態に合わせた水分の微調整が必要だが、それらを高級モデルは行ってくれるそうだ)。

 炊飯器が普及する前、家庭では羽釜を使っていた(今でも羽釜で炊いている飲食店があり、それをウリにしたりしている)。歴史的に、日本では縄文時代後・晩期には水田稲作が行われていた可能性が高く、弥生時代以降、水田稲作が本格的に始まったという。当時は土器で茹でて汁がゆや固がゆにして食べ、奈良時代には固がゆの水分が更に少なくなったものを食べ、平安時代に土器製の羽釜が現れ、鎌倉時代に鉄製の羽釜が現れ、江戸時代中頃には鉄釜が普及した(米穀安定供給確保支援機構サイトから)。

 まだ20代で独身の友人は、昼食は会社近くで外食を楽しみ、夕食は飲み会がなければ街中華などで済ますことが多く、たまに早く帰宅してもコンビニで買った弁当などで済ましていた。ところが、パンデミックで会社の売り上げが半減して給料は減らされ、自由に使える金額が減って友人は外食を控えるようになった。コンビニで弁当やパン、カップ麺などを買う毎日だったが、食料品の値上がりが続き、友人は考えた。

 「このままでは金が足りなくなる。毎食の食べる量を減らすと腹が減って仕方がないし、毎日2食にするのもきつい。きちんと毎食を食べつつ、出費を抑えるためには、自分で調理するしかないか」とコメを買ってきて自炊することにした。だが、蓄えがあまりないので炊飯器を買うことを躊躇し、昔の人は鍋で炊いていたのだから、インスタント麺をつくる片手鍋でも炊けるはずだと調べると、ネットに鍋でのコメの炊き方が載っていた。

 「うまく鍋で炊くことができるようになったか」と聞くと友人は「試行錯誤して何とかコツはつかめました。上手に炊けるとコメって本当に美味しいと感じます」と言い、「コメが美味しければ、おかずは少しあればいいんですよ。いい漬物だけでも満足できます」。自分で弁当を作ることも考えているという友人は炊飯器に頼らず自分流の美味しいコメを食べて満足している。

2022年7月16日土曜日

選挙は政権選択

 例えば、候補者が公約として掲げる「経済を再生し、賃金アップと雇用拡大」とか「消費税ゼロ」、「出産無償化と教育無償化」、「ガソリン税ゼロ」、「最低賃金は時給1500円」、「高3までの全ての子供に児童手当15,000円」、「年金削減ストップ」などの主張に反対する人は少ないだろう。一方、これらの公約の実現可能性が非常に低いことも多くの人が知っている。

 今年の公約にはロシアのウクライナ侵略を受けてか、安全保障の強化を主張する文言が並び、「積極防衛能力を整備」とか「領海警備・海上保安体制強化法を制定」、「国防費はGDP比3%以上」、「自分の国は自分で守る」、「日米同盟を基軸に抑止力・対処力を向上」、「竹島・尖閣諸島侵略への軍事的対抗」などと勇ましい。一方、「軍事費2倍にキッパリ反対」や「外交の力で沖縄・南西諸島を戦場にさせない」などもある。

 公約には「希望がもてる日本に」や「平和のために正義を実現」、「国民の不安を取り除き、安心を届けます」、「強い日本を取り戻す」、「暮らしを守る」、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」、「もっと良い未来」、「正直な政治」、「身を切る改革」などの文言もあった。これらはキャッチコピーだな。

 「希望」や「正義」「不安」「強い日本」「守る」「外国勢力」「もっと良い」「正直」「身を切る」などの文言が意味するものは、人によって異なる。投票した人がイメージするものと、候補者がイメージするものが一致するとは限らない。かつて多くの政党や候補者が「改革」を公約したが、いまだに「改革」を公約に掲げる候補者や政党が多いのは、改革の意味するものが不明確なことも関係している。

 さらに、候補者が掲げた公約を実現するためには、国会で法律を成立させなければならない。法を成立させるためには国会で賛成者が過半数に達することが必要だ。つまり、過半数に達しない議員数の政党に所属する候補者が、どんな公約を掲げようと実現可能性はない。少数政党に属する候補者が掲げる公約は「言いっぱなし」の言葉で、おそらく本人も実現可能性がないことを承知していよう。

 今回の選挙には15政党が参加したが、うち5政党はそれぞれ得票数が20万票未満で当選者はゼロだった。そうした政党の公約は政治団体などのPRとも見え、選挙を自己主張の機会とする活動だった気配だ。こちらも「言いっぱなし」の公約だが、おそらく主張を公約に仕立ててを衆目を集めることが目的だろうから、実現可能性は初めから考慮していまい。

 選挙で有権者は候補者や政党の公約を比較して投票先を決めるーとする考えがあるが、それが日本の政治の硬直化を招いている。選挙は、それまでの政権与党に対する審判であり、それまでの政治に満足するなら与党に投票し、それまでの政治に不満なら野党第1党に投票する。それが選挙の意味であり意義である。

 候補者や政党の公約をいくら比較検討したところで、野党の公約の実現可能性はほぼないのだから、無駄な行為だ。選挙は政党の選択ではなく、政権の選択である(いわゆる政権担当能力が弱い野党を育てるには、野党に政権を担当させて経験を蓄積させるしかない。野党政権による混乱は日本の民主主義を強めるための代償だ)。

2022年7月13日水曜日

全体像の把握が欠如

 人々の生活圏でクマが目撃されると、ニュースになる。山村や農村なども人々の生活圏だが、大騒ぎになるのは都市部などにクマが出没した場合だ。山村や農村のほうがクマの生息圏と近く、おそらく山村や農村でもクマの出没はあるのだろうが、そこで大きなニュースになるのは人に危害が加えられたりしたケースだ。

 クマの都市部への出没は全国各地でニュースとなるが、最近多いのが札幌市でのヒグマの出没事例だ。札幌市では昨年、ヒグマが中心部の市街地に現れ、襲われて4人が負傷した。ヒグマが市内を逃げ回る様子や人を襲う様子は映像でとらえられ、全国ニュースでも大きく報じられた。ヒクマという大型動物が人の生活圏に「侵入」する危険性が強調された。

 今年も札幌市ではヒグマの目撃情報が連日伝えられ、もはやヒグマの生息域と人の生活圏が重なり始めたように見える状況だ。日本で最強の大型動物ヒグマが市街地に現れたなら人は無力で、逃げるしかない。それがヒグマに対する恐怖を掻き立てる(ヒグマより小型の月輪グマでも人を襲う攻撃力が強く、人は無力だ)。

 クマの生息数が増えているのかクマの生息圏が拡大しているのか定かではないが、市街地でのクマの出没が日常的になると、クマが人の生活にとって日常的な脅威となる。クマの生息数が増えて人の生活圏にクマが侵入しているのだとすれば、クマの駆除を求める人々の声は多くなるだろう(マスメディアの報道では、野生動物の駆除を主張する声は抑制されている気配だ)。

 クマの出没が増えて行政は、例えば札幌市は「放棄されたままになっている果樹や作物は、ヒグマを誘引」するとし、「ヒグマが出没する可能性のある地域では、必要の無い果樹は伐採する、伐採できない場合には果樹を電気柵で囲う、実っている果実を早目に収穫するなどの対策が必要」とする。さらに「市街地と森林との間にある草地や市街地につながる河畔林など、ヒグマの侵入経路となり得る場所の木や雑草を刈り取って見とおしをよくすることで、ヒグマの出没を減らすことができ」ると草刈りの重要性を訴えている。

 クマの出没増に行政の対応が追いついていないと見えるのは、クマの出没や目撃情報があってから動くという受け身の対応を続けているからだ。受け身の対応になるのは、クマの生息数や生息圏などの確かな情報を行政が把握していないことが影響している。全体像が把握できていないから、個別事例への対応で済ますしかない。

 クマの出没が増えているのだから行政はクマの生息数の調査を早急に実施し、より正確な生息データに基づいて対策を考えるべきだ。札幌市は数年前に近郊にヘアートラップと自動撮影カメラを設置してヒグマの生息状況の調査を行ったが、生息数や生息圏を把握する調査は行っていない。

 近づくと危険なクマの生息数調査は簡単ではないが、自動撮影カメラの設置個所を大幅に増やすとともに、積極的にクマを捕獲して発信器をつけて放す等の調査を毎年続けてデータを集め蓄積することはできるだろう。野生動物の生息数と生息域を人為的に管理することが、野生動物が増えた都市における生活に必要な時代になっている。

2022年7月9日土曜日

倫理観と科学

 集中豪雨によって大きな被害が出たとのニュースは、日本のみならず世界各地ですっかり珍しいものではなくなった。世界で集中豪雨が増えたと理解すべきだろうが、気候変動という問題意識がマスメディアに広がり、集中豪雨など「異常気象」に関連しそうな気象現象を選んで積極的に流すので、ニュース量が増えたのかもしれない。

 世界で集中豪雨が増えた場合、世界の年間降水量は①増える、②変わらない、③減るーに分かれる。集中豪雨は降水量の増加をもたらすが、集中豪雨を除いた期間の降水量が平年並みか多い場合は①、集中豪雨を除いた期間の降水量が減って集中豪雨で増えた分を相殺するなら②、集中豪雨を除いた期間の降水量の減少量が集中豪雨で増えた分より多ければ③になる。

 世界の降水量は気象庁サイトによると、2020年の世界の陸域の降水量の基準値(1991〜2020年の30年平均値)からの偏差は+20mmで「北半球は+16mm、南半球は+31mm」で、世界の陸域の年降水量は1901年の統計開始以降、周期的な変動を繰り返しているという。

 30年平均値を基準に気候変動を言い立てるのは、百年に満たない時間を生きる大半の人間の生活感覚に即したものだろうが、周期的な変動を気候変動として「異常だ」「危機だ」と騒ぐのは解釈の誤りだ。さらに例えば、数百年に一度という気象現象は地球史においては頻繁に起きる現象だろうが、人間にとっては異常な現象になろう。だが、それは地球史では異常でもなく危機でもないだろう。

 気候変動の危機を共通認識とすることが既定事項となりつつあるのは、欧州諸国がCO2排出削減を世界的に「強制」し、経済構造を変えて主導権を握るという戦略が成功したためだ。科学という「印籠」を振りかざされると、人々もマスメディアも批判能力が萎縮することはCOVID-19のパンデミック以降、日本では珍しくなくなった。

 気候変動の危機を主張する人々の言動には、科学を言い立てながら妙に倫理的な装いがつきまとっている。科学の主張に倫理観などの支えは必要ないのだが、「環境保護は正義だ」との前提があるようで、気候変動に対する客観的な検証をも、正義や倫理に反する行動であるかのように仕立てたりする。

 気候変動に関する議論から倫理観や正義感などを排除し、気象や将来予測に関する科学にはまだ限界があることを認識して、主観を廃した議論を積み重ねることが、気候変動のより正確な脅威を見いだすには必要だ。だが、気候変動の議論はもはや世界で、科学の分野から政治や経済の分野に重点が移ってしまった。

2022年7月6日水曜日

夏だけの短期移住

 関東から西日本各地で6月中から最高気温が35度を上回る猛暑日となった。梅雨明けが早く、太平洋高気圧に覆われる日が続き、もう真夏になった(梅雨前線は押し上げられ、北海道などでは雨の日が続いた)。熱中症で搬送される人も多く、秋の到来が平年並みとすると今年は猛暑に耐える日々が長く続く。

 北海道でも気温は年々上がる傾向にあり、内陸部などでは東京などと同様の猛暑日も珍しくなくなったが、湿度は低く、夕方には急に気温が下がりやすいので、東京などよりは過ごしやすい。そこで、例えば首都圏在住者から「夏の間だけ、北海道に移住したい」などの声が上がったりする。

 「夏の間だけ」というのは、冬の寒さと降雪を懸念しているのだろう。猛暑に加え集中豪雨や台風禍など暮らしにくさに通じる気象現象は全国でも起きるが、寒さや降雪は数カ月続くので、寒さや降雪に精神的ストレスを感じる人が冬の北海道で暮らすことを嫌うのは当然か。猛暑にストレスを感じる人は多いだろうが、猛暑が日本全国でフツーになりつつあるので「逃げ場」はない。

 夏は北海道で暮らし、冬は東京などで暮らすという生活を実現するには相応のコストがかかる。夏の間だけ賃貸できる家屋があれば北海道への短期移住者が増えるかもしれないが、そんな短期移住は毎日出社しなければならない会社員には不可能だ。リモートワークが定着している会社に勤める人なら、北海道への短期移住は可能かもしれない。

 リモートワークが定着している会社に勤める人なら、北海道に移住して「冬の間だけ」東京などで暮らすという生活が可能だ。東京で暮らす人なら、軽井沢に別荘を買うより北海道で住宅を買うほうが安上がりだし、行き来に要する時間も空路を使えば大差はない。食材の豊かさなどを考えると移住して北海道を本拠とする魅力は多い。

 猛暑を避けて夏の間だけでも北海道で暮らす人が増えれば、東京などで夏のクーラー使用が減り、省エネに貢献する。「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居は堪へ難き事なり」とは兼好法師の論だが、クーラーなしで東京などでの生活はもう成り立たないだろうから、居住人数が減ることが省エネに貢献する。

 北海道では人口減少が続いている(札幌市は人口増加で一極集中が進む)。パンデミック対策として普及したリモートワークが多くの企業で定着するなら、北海道などにとっては移住者を誘致するチャンスとなる。そのためには①光回線網を密に整備、②短期間の移住者向けの住宅を用意、③短期間の移住者の子供向けの教育環境を整備ーなどが必要となる。

2022年7月2日土曜日

国家の主権の根拠

 プーチン氏は主権国家を「米国など他国の影響力を排し、独自の判断ができる国」と定義し、主権を持たない国は「厳しい地政学的争いの中で生き残ることはできない」と述べた。ロシアがウクライナに侵攻したのは、米国などの影響力を廃し、独自の判断で行動できる主権国家だから可能だったのは確かだが、プーチン氏流の主権国家は国際社会で危険な存在であることをも明らかにした。

 プーチン氏の定義による主権国家として思いつくのは、ロシアのほかに中国、北朝鮮、イランなどだ。米国からの自国への影響力を排し、米国と鋭く対立することも辞さない国々だが、米国と対抗できるように軍事力の増強に励む国々でもある。また、強権的な政治勢力が独裁して、人々を抑圧しているように見える国々でもある。

 ロシアの影響力下にあるベラルーシなど旧ソ連の構成国やシリア、また、中国の影響力下にあるカンボジアなどは「他国の影響力」を排していないので、プーチン氏の定義による主権国家には該当しないだろう。「独自の判断ができない」国々をロシアや中国、そして米国は自国の勢力圏として重宝したり、利用する。

 ベネズエラとフィリピン、ミャンマー、ブラジルなども米国の影響力を排した国家運営を行っているように見えるが、現在の権力者や権力を掌握する軍が米国と折り合いが悪いだけで、政権が変われば親米国に変わる可能性がある。親米国では米国の影響力が強いとも映り、プーチン氏などには主権国家ではないと見えるだけだろうが、自前の軍事力で大国に伍することができない小国はどこかと軍事同盟を結ぶしかない。

 政権が変われば国家関係が変わるのは、米国がいい例だ。トランプ氏が大統領だった頃、米国は北朝鮮の独裁者との融和的な関係の構築を模索し、トランプ氏はプーチン氏との対立を望まず、ロシアとの対立が先鋭化することを自重したように見えた。トランプ氏が権力の座から去って米国は北朝鮮やロシアとの対立関係を容認する方向へ舵を切った。独自の判断ができる主権国家は、民主主義が機能していなければ権力者の判断に振り回される。

 トランプ氏は国家よりも自分を優先して考えていた気配があり、国家の主権と個人に託された権力を混同していた可能性がある。主権国家において民主主義は国家主権に枠をはめるが、中国などのように人々に主権がなかったり、ロシアなどのように人々の主権が限定的な国では、国家主権は権力者に従属する(国家主権の行使に対する人々の検証・批判は封じられる)。

 「米国など他国の影響力を排し、独自の判断」を行う国にはほかにトルコやインドなどがある。自国の利益を最優先して、大国にも簡単には妥協しない。独自の判断ができるのは、相応の軍事力に加え、歴史の荒波の中を生き続けてきた人々の気概があるからだとも見える。主権国家の主権は、どこからくるか。国によって様々であり、主権国家の態様は、プーチン氏が主張するような単純なものではない。

2022年6月28日火曜日

自己判断で追従

 英国でエリザベス女王の在位70年を祝う行事が先日行われたが、パレードなどを見る沿道の人々を映したニュース映像ではマスク着用者は皆無だった。英国は1月に規制の大半を撤廃し、マスク着用は法的義務ではなくなっていた。英国では、法的義務であった頃もマスクを着用しない人が多かったといわれ、マスクは嫌われていた。

 日本でマスク着用は法的義務ではないが、気温も湿度も高い夏を迎えて政府は「基本的な感染対策としてのマスク着用の位置づけは変更しない」が、熱中症予防のため「屋外ではマスクをはずしましょう」(厚労省サイト)と呼びかけ始めた。どんな時にマスクをはずしていいのか判断に困る人が多いと政府は見ているらしく、細かく「マスクをはずしていい」状況を具体的に例示している。

 政府は「屋外ではマスクをはずしましょう」と言っているのだが、まだ、歩いている人の大半はマスクを着用している。東京の繁華街など路上に人が密集している3密の状況ならば、感染予防のためのマスク着用に合理性はあろうが、人影がまばらな道を歩く人の大半もマスクを着用している。過疎化が進む地方都市などでも、歩く人の大半はまだマスクを着用しているようだ。

 日本で人々がマスク着用を続けるのはなぜか。その理由として、第一に日本人はマスクが好きだから着用を続ける、第二に周囲からの批判の目を恐れる(同調圧力に迎合する)、第三にマスク着用者が多いので大勢に合わせる、第四に新型コロナウイルスに対して過大な恐怖心を維持している、第五に政府の方針に反対する意思表示?ーなどが推察される。日本ではマスク着用に忌避感が乏しいことが影響しているのは確かだ。

 気温も湿度も高い夏を迎えて、マスクの常時着用の負担が増す状況になった。複数回のワクチン接種が進み、感染拡大の勢いが衰えているが、人々はマスク着用を続け、息苦しさに耐えている。これは、マスク着用を人々が選択していることを示す。パンデミックが始まって、人々は政府の指示(強制ではない)に従ってマスク着用を受け入れたが、それは人々が自発的に選択したマスク着用である。

 マスク着用を個人が判断すると、英国などでは人々がマスクを着用しなくなり、日本では大半がマスク着用を続ける。日本では人々が政府の指示に従順だと見えるが、常に政府の指示に人々が従順であるはずもないから、政府の指示に従順なように見えているのは、マスク着用が一般化した結果だ(政府の指示に従順な人々も多いだろうが、その割合は不明だ)。

 個人の自由意思による判断が尊重される社会で、政府の施策や方針を個人が是と判断して共有することも、批判して拒否することもある。前者の場合は、個人の判断の結果として政府の政策や方針に追従しているように見える。だが、「屋外ではマスクをはずしましょう」との政府の方針に人々が同調せず、マスク着用を続けている光景は、個人の判断が政府の方針よりも優先されることを示している。

2022年6月25日土曜日

科学的とは

 科学的な思考とは「実証的・合理的・体系的に考えること。また、そのような傾向にあること」だ。科学的な思考をする人ならば、学者の主張でも鵜呑みにせず、その主張を実証的・合理的・体系的に検証する。学者の主張の、受容できる部分と留保する部分、批判して受け入れない部分を見分けることができれば、科学的な思考を実現できているだろう。

 科学的な思考の反対は非科学的な思考だ。それは「実証的ではなく、合理的でもなく、体系的でもなく考えること。また、そのような傾向にあること」で、そうした思考をする人は主観だけで判断したり、思い込みや感情に判断が影響を受けたりする。非科学的な思考をする人の問題は、自分の非科学的な思考を自覚できないことだ。

 学者の主張が全て真理であると無批判に受け入れる人は、自分では科学的な思考をしているとの自負があったとしても、実際には非科学的な思考をしている。学者の主張が全て真理であるーということはなく、学者の主張は一つの仮説である。現実に観察される事象や実験結果を合理的に説明される仮説だけが共有され、体系を構築するのが科学だ。

 だが、学者の主張する仮説を評価することは研究者ではない一般人には簡単ではなく、学者の主張を一般人は「信じる」しかないのが実際だろう。学者の主張を検証しようとしても、大量の生データや複雑な数式などを見せられて、ほとんどの一般人は検証をあきらめるだろう。

 「信じる」という行為は科学的な思考ではない。科学的な思考では全てが検証の対象となり、学者の主張も他の学者からの厳しい検証・批判にさらされ、それに耐えて残った主張だけが共有される。科学的な思考には、批判的に考えることが不可欠だ。宗教指導者の言うことや神の言ったことを信者は受け入れる(=信じる)だけで、それらに対する批判は許されないのが宗教である。

 学者の主張を無批判に受け入れ、学者の主張を受け売りすることや、御託宣であるかのように学者の主張に盲従するのも非科学的な思考の結果だ。だが、学者の主張を受け売りすることが科学的な思考による行為であると振る舞う人は珍しくなく、多くのマスメディアも学者の主張を無批判に報じる。

 学者の主張の細部を理解せず結論だけを見て納得した気になって盲従する人は、学者は真理を言い、科学は真理の体系だと考えている気配だ。だが、それは科学への信仰であり、学者を宗教指導者だと誤解している結果だ。仮説と真理の混同が、科学や学者への崇拝につながる。

2022年6月22日水曜日

様々な主権国家

 プーチン大統領が若者との対話集会で、主権を持たない国は「厳しい地政学的争いの中で生き残ることはできない」と述べたという。報道によると、プーチン氏は、米国など他国の影響力を排し、独自の判断ができる国を「主権を持つ国」と呼び、「指導的役割を求める国なら主権を確保する必要がある。主権ある決定ができない国は植民地であり、その中間はない」とした。

 プーチン氏は自国ロシアは主権国家だが、米国の軍事力に頼るNATO加盟のドイツや日本などは主権国家ではないと批判した。他国に頼らず自前の軍事力で自国を防衛できることを主権国家の条件とするプーチン氏は、国家の主権は軍事力によって保証されると考えているようだ。だが、主権国家ロシアを支える自前の軍事力が他国への侵攻にも使われているように、軍事力は「祖国防衛」を口実に暴走する。

 国家の主権は「領域内において持つ排他的支配権」とされ、その権利により国家は①国民および領土を統治する、②他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う、③国家意思を最終的に決定する。主権国家は独立国のことであるが、米国の強い影響下にあって従属しているように見える諸国をプーチン氏は主権国家ではないとおとしめた。

 ロシア軍の侵攻を受けているウクライナは独立国であり主権国家だ。首都キーフの占領を当初目指したロシアの行動は、ウクライナという主権国家の存在の否定だ。ロシアにはウクライナに侵攻する権利があり、ウクライナには独立国であり続ける権利はないというのは一方的な主張だが、プーチン氏のロシアは国家主権を都合よく解釈してウクライナ侵攻を正当化する。

 台湾は前記の①②③を満たすので主権国家である。だが、台湾を独立国として承認する国家は少数だ。台湾は国家主権を現実に行使しているが、中国が台湾の独立を強く否定するため、台湾の国家主権は国際社会で「見ないふり」をされている。国家主権は他国からの相互承認により確認されるのが現在の世界だが、他国から承認されているウクライナの国家主権をロシアは否定した。

 ロシアのウクライナ侵攻を見てフィンランドとスウェーデンはNATO加盟申請に動いた。独自の軍事力が限られている国が軍事同盟に参加するのは主権国家による判断であり、米国の影響下に入るというのも主権国家の判断であろう。プーチン氏の主張する「主権を持つ国」の侵攻に対抗するため、欧州の主権国家がNATOに結集する状況になった。

 ウクライナの国家主権はロシア軍の侵攻に脅かされているが、人々がロシア軍に対する抵抗を続け、ウクライナの国家主権は維持されている。ロシアがウクライナ東部を完全に占領してもウクライナは解体せず、その国家主権は維持されるだろう。一方、プーチン氏が主導する主権国家は、独自の判断が誤った判断だと世界各国から批判されても、それを修正すると誤りを認めることになるので、勝利を目指して戦い続けるしかない。独自の判断の責任をウヤムヤにするのは主権国家に珍しくない。

2022年6月18日土曜日

男はすたる

 「男は強くなければならない」とか「女は優しくなければならない」などの男女の性差による固定観念は、女性の社会進出が進むとともに、個人の自由な生き方や多様性を尊重することがますます重視されるようになった現代の世界で時代遅れの考えだとされる。そうした固定観念は根強いだろうが、おおっぴらに振り回すことは難しくなる。

 男女の性差による差異が消えたわけではないが、性差による差異に基づく役割分担は、ある時代の社会の価値観を反映したものであり、社会の変化とともに見直しを迫られる。例えば、強権支配によって人々が特定の価値観に従わざるを得ない社会から、自由選挙が実現し、人々の権利や自由が保障されている社会に移行したなら、固定観念は変わるだろう。

 そもそも固定観念は大雑把なものだろうし、ある時代の社会の反映でしかないとすると、固定観念は時代とともに変化する。また、固定観念には個人差が大きい。生きている社会環境は人それぞれで、何を男女の性差と認識するのかは個人により異なるだろうし、さらには性差と個人差を混同する人もあろう。男女の性差が何かを厳密に検証するには、先入観や思い込みなどを排除しなければならず簡単ではない。

 ただ固定観念は他者を批判したり、牽制するときに、自分の主張を正当化するために便利に持ち出される。たいして重んじていない固定観念であっても、誰かを批判するときに便利であれば活用する人もいる。固定観念の縛りは社会に従おうとする傾向が強い人々には強く作用するので、他者をおさえつけるための道具として固定観念は重宝される。

 固定観念ではないが、「男は廃(すた)る」ものであり、「女は腐る」ものであるとの持論を主張し続けている友人がいる。ダメな男もダメな女もいつか自滅していくが、自滅の仕方が、男は廃っていき、女は腐っていくのだと力説する。廃り方や腐り方は人それぞれだが、その時がくれば男は一気に廃り、女は時間をかけて腐っていくと友人。

 「男が廃る」という言葉は、男としての面目が立たないとの意味で使われる。男としての面目が立たないとは男に求められるものが実現できない状況で、男の面目には時代の固定観念が反映する。強い男が求められる時代には強くあることが男の面目になるが、時代とともに男に求められるものは変化するし、過剰な男らしさが忌避されることも時代によってはある。

 廃った男も腐った女も忘れられるが、消え去るのではなく、それぞれにしぶとく生きていくのだと友人。ただ、男も女も固定観念にただ従うだけでは廃りも腐りもしないだろうが、固定観念などに縛られず独自の生き方を貫くうちに、それぞれに自滅する人がいて、それで男は廃り、女は腐るのだと友人は力説する。でも、固定観念に縛られずに廃った男や腐った女には、熟れすぎた果物のような魅力があるのだと友人は言う。

2022年6月15日水曜日

中華ナショナリズムの迷走

 国家意識は自国の個別利益を考える特殊主義的な観念で、天下意識は個別国家の利益を超えた普遍主義的な観念だ。中華民族主義(中華ナショナリズム)は普遍主義と特殊主義が融合した構造を持つ観念だが、それが現在の中国でどのような現れ方をしているのか。加々美光行さんの『裸の共和国』(世界書院、2010年)から以下、関係がありそうな個所を引用する(適時修正あり)。

 中国の「天下」観念は空間的限定性を持たない「大天下」だったから、それ自体としては空間限定的な「国民国家」に転化し得なかった。梁啓超や孫文の「中華ナショナリズム」観念の創造は、「天下」である「中華」を「民族」に接木したもので、「天下」観念は生き続けて普遍・特殊融合型の観念構造の一翼をなした。

 「天下」観念の発生は春秋期まで遡ることができる。隋唐の時代を例にとると、当時の長安や洛陽は中華「天下」の心臓部であると同時に国際都市でもあり、西はシルクロードを渡り、東は海越え野を越えて、多くの異域の人々が行き交う文明の十字路でもあった。異域の人々は先端的な文明に惹かれて、吸収しようと集まってくる。つまり「天下」は周辺部や外部に対し強制的に働くのではなく、むしろ自発性に基づいて求心的に働く。これが「天下」観念の重要なところで、その本質は武力で支配することではなかった。

 つまり「天下」観念は一見、内部と中心部が主体であるかに見えて、その実、外部と周辺部が主体をなす観念だった。重要なのは、集まる先や行く先を選ぶのは外部と周辺部の人々の主体的選択に基づくということだ。

 中国の現在の状況が問題なのは、「天下」観念の「向心性」が衰弱を始めている点にある。「中華ナショナリズム」が抵抗のナショナリズムであった限りでは、「天下」観念に固有の、この外部と周辺部からの「向心性」が働く余地があり、それが反侵略のメンタリティを持つ多くの外部の人々を中国が惹きつけた理由でもあった。

 中国の周辺部をなす新疆ウイグル地域、チベット地域、内モンゴル地域はイスラム教とチベット仏教の信仰が極めて強い少数民族の居住地域だ。チベット仏教もイスラム教も、「中華」の「天下」と同様の普遍主義の性格を持つ。チベット人やウイグル人などが抵抗の目的から民族主義を勃興させると、梁啓超らが反侵略の抵抗のために「中華ナショナリズム」の観念構造を形成したのと同様に、自己の抵抗的な民族主義を、普遍主義的なチベット仏教やイスラム教の信仰と接木し、普遍・特殊融合型の「仏教ナショナリズム」や「イスラム・ナショナリズム」の観念構造を生み出す可能性があった。

 問題は、そうした「仏教ナショナリズム」や「イスラム・ナショナリズム」などの宗教ナショナリズムが、中国国家の骨格原理をなす「中華ナショナリズム」と同じ観念構造をなすゆえに、相互に共鳴することもあるけれど、対立しあうものにもなるという点だ。毛沢東から歴代の指導者は、なべて「宗教ナショナリズム」と「中華ナショナリズム」を対立関係をなすものと見てきた。

 90年代移行、開発至上主義の展開とともに「中華ナショナリズム」が変質過程に入るにつれて、その対立関係は激化し、それがまた「中華ナショナリズム」を危機に陥れている。

2022年6月11日土曜日

天下と国家

 資本主義に移行して経済大国化した中国は、共産党独裁を堅持しつつ、国家の統合原理としてナショナリズムを強く打ち出し、人々にも愛国主義が広がっているように見える。そのナショナリズムや愛国主義は、対内的には少数民族の過酷な支配となり、対外的には攻撃性を強める。中国のナショナリズムや愛国主義が排他性を強めるのはなぜか。加々美光行さんの『裸の共和国』(世界書院、2010年)から以下、関係がありそうな個所を引用する(適時修正あり)。

 中国では「中国」や「中華」という観念は歴史的には元来、国家を意味する観念ではなかった。国家の観念はたとえば戦国時代の戦国七雄である秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓こそが王朝国家であったので、中国や中華はこの七国の上に天を覆って広がる「天下」を意味していた。

 こうした世界観の下では、どれほど「国家」としての王朝が滅びようとも「天下」としての中国や中華が滅ぶことはないと考えられてきた。 

 ところが19世紀半ば、西欧列強の侵略をこうむることによって、清王朝が滅びるかもしれないという危機がまず訪れ、史上初めて「天下」としての中国も滅びるかもしれないという強烈な危機感が覆うようになった。

 そうした危機状況を救う新たな統合原理として考え出されたのが「中華ナショナリズム」にほかならなかった。「中華民族」の概念は梁啓超が1902年に提起し、孫文がこれを革命運動の政治理念に変えて実践的に利用した。梁啓超は日本の文献の中から英文のnationの訳語である「民族」の概念を見つけ出し、これと本来「天下」概念である「中華」を結びつけて「中華民族」の概念を造語した。

 問題は「中華民族」の観念の中では依然、普遍主義的な「天下」観念は否定されておらず、生き続けているという点だ。「中華民族」の観念の下で、「中国」の観念はかつてのように「天下」のみを意味するのではなく、「国家」を意味すると同時に「天下」でもあるものになってしまった。

 国家意識は自国の個別利益を考える特殊主義的な観念で、天下意識は個別国家の利益を超えた普遍主義的な観念だから、「中華民族主義」の観念は普遍主義と特殊主義が融合した構造を持つ観念だ。ただ中国の指導者は、この「中華ナショナリズム」観念の構造を十分自覚的に把握できていない。

 中国は米ソ両大国と同じく、単一の国家として成立するには大き過ぎ、また非常な多様性を含む世界だから、中国が19世紀半ば以後の未曾有の危機に直面して、米ソ両大国と同様の普遍・特殊融合型のナショナリズムを生み出したのも不思議はなかった。

 90年代以後の中国の排他的民族主義の高まりは、中国の普遍主義である「天下」「中華」の観念を絶対善視する傾向が現れ、それへの異論を許さないリゴリズムの度合いを高めることになった。

 「中華ナショナリズム」は抵抗的性格を持続的に持つ限りで、その普遍・特殊融合型の構造はむしろ中国の絶体絶命の危機を救う奇跡的な力を発揮しえた。問題はその抵抗的性格を失うときだ。

 中国国家や漢民族の利益追及を優先する「民族主義」の観念が強まり、普遍主義的な「天下「中華」の観念が押しつけ的なリゴリズムを強めるとき、「天下」「中華」はその求心力を弱めて、その普遍主義が周辺や外部に受け入れられない度合いを高めてゆく。中国の場合、少数民族の民衆レベルで「天下」「中華」観念への拒否反応が強まる。

2022年6月7日火曜日

戦場のドローン

 ウクライナ軍は侵攻してきたロシア軍に対して、トルコ製の軍用ドローン「バイラクタルTB2」も活用して攻撃し、戦車など多くの戦闘車両を破壊したと伝えられる。同ドローン製造元の企業は「技術の進歩が戦闘手段に劇的な変化をもたらしている」とし、「最先端の地対空システムや先端的砲兵システム、装甲車を破壊することで成果を上げている」「全世界が顧客だ」と拡販を狙う。

 ウクライナ軍は同ドローンを使ってロシア軍の戦闘車両や弾薬貯蔵庫などの破壊に成功した映像を積極的に公開するので、ドローンを活用したピンポイント攻撃が非常に効果的だとのイメージが高まった。だが、ロシア軍の地対空ミサイルに撃墜されたドローンも少なくないと言われ、軍事用ドローンの使用で必ず戦場において優勢になることができるかどうかは不明だ。

 同ドローンは長さ6.5m、翼長12mで、ミサイルやレーザー誘導爆弾などを4基(計150kgまで)装備でき、巡航速度130km/h、運用高度5500m、航続時間は27時間、製造コストは1億〜2億円とされる。初飛行は2014年で、中東やアフリカなど諸国に販売され、リビアやシリアでは内戦で政府軍が敵対勢力の攻撃に使用したという。

 トルコ製ドローンを2020年のアルメニアとの戦争でアゼルバイジャン軍が活用した。アルメニア側はレーダーでドローンを有効に検知できず、また、ドローンを誘導する通信を遮断する機器を備えておらず、ドローンによる偵察と集中的な砲撃などの攻撃を連動させたアゼルバイジャン軍が優勢に戦いを進めた。停戦合意でナゴルノ・カラバフの大部分を得たアゼルバイジャンの勝利に寄与したとトルコ製ドローンは注目されていた。

 軍事用ドローンはミサイルなどを搭載して攻撃力を有するが、民生用のドローンでも偵察やミサイルなどの誘導に活用できる。ウクライナの戦場では米国製や中国製のドローンを双方の軍が偵察などに使用しているとされ、ウクライナは中国DJI社のドローンがロシア軍のミサイル誘導に使われていると批判、中国DJI社はロシアとウクライナでの事業活動の一時停止に追い込まれた。中国DJI社のドローンは世界の多くの軍事紛争地域で活用されているという。

 ドローンは戦場の様相を一変させた。偵察衛星による情報は断片的だが、戦場上空で飛行し続けるドローンはリアルタイム(即時)の戦力配置などの情報を提供する。ドローンの登場で、戦場で部隊や兵は常に見られている状況になった。今後の戦場においては、いかにドローンの偵察や攻撃を阻止するかが重要になり、ドローンに対する補足能力と攻撃力が勝敗を左右するかもしれない。

 戦場の上空に長時間滞在することでドローンは偵察やピンポイント攻撃の効果を発揮できる。だが、軍事用ドローンは大量の燃料を積載する必要があり、大型化する。それはレーダーに捕捉されやすくなることでもある。やがてドローンは自律飛行するようになり、AIなどで判断して敵目標を攻撃するとともに防御行動もできるようになるだろう。人間不在のドローンが地上の人間を殺傷することが戦場の日常となる。

2022年6月4日土曜日

死刑制度

 世界で死刑を事実上廃止した国は144で、存置国は55という(2020年、アムネスティ調べ)。事実上廃止した144カ国の内訳は、すべての犯罪に対して廃止が108カ国、通常犯罪のみ廃止が8カ国、事実上の廃止が2カ国。世界での死刑執行件数は18カ国で483件以上(中国と北朝鮮は件数不明)。死刑執行が多い上位5カ国は中国、イラン、エジプト、イラク、サウジアラビアと推定。

 死刑制度が存続している日本でも死刑制度の廃止を求める声はあるが、多数とはなっていないようだ。内閣府の死刑制度についての世論調査(2019年)によると、「死刑は廃止すべき」9.0%、「死刑もやむを得ない」80.8%で約9割が死刑制度を容認している(「わからない・一概に言えない」10.2%)。この種の調査は設問次第で調査結果を誘導することができることを勘案すべきだが、死刑容認が多数であることは確かそうだ。

 「死刑もやむを得ない」理由は、56.6%の人が「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」、53.6%は「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた(重複回答)。厳しく罰するべきだと見ている。だから「将来も死刑を廃止しない」54.4%と過半数。だが、「状況が変われば死刑を廃止してもよい」39.9%と4割になるので、死刑制度が盤石の支持を得ているとはいえない。

 一方、「死刑は廃止すべき」理由は、50.7%の人が「裁判に誤りがあったとき、死刑にしてしまうと取り返しがつかない」、42.3%が「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」、32.4%が「死刑を廃止しても凶悪な犯罪が増加するとは思わない」、31.7%が「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し、野蛮」、31.0%が「国家であっても人を殺すことは許されない」、28.2%が「凶悪な犯罪を犯した者でも更生の可能性がある」(重複回答)。

 加害者に犯した罪に相応する処罰を求める感情は自然なものだろうが、世界では国家が体制に抗う人々を処刑してきた歴史があるので、国家による処刑=死刑制度に対して懐疑的な人々が増え、死刑制度を廃止・凍結する国々が増えた。さらに、検察(国家)が都合よく誘導して死刑に持ち込むなど裁判には誤審がつきものなので、死刑が執行されることに対する警戒感も高まった。

 死刑執行された人間は生き返らないので死刑執行には慎重であるべきだ。だが、残虐な殺人を犯した人物に対する社会の処罰感情が根強い国や、被害者や家族らによる報復感情が尊重される国で死刑制度が存続しているように見える。さらに強権国家では国家反逆罪を独裁統治に活用するので、死刑が増える。

 死刑制度を考えるときには善悪の感情に左右されやすいが、善悪の感情を抜きに死刑制度を考えることは難しい。例えば、効率を最重視すると、刑務所に多人数を長期間閉じ込めておくのは莫大なコストがかかるので、死刑制度により受刑者数を減らしたほうがいいとなる。そうした考えの行き着く先は、ナチスのユダヤ人大量虐殺になる。

 死刑制度を廃止すれば最高刑は釈放なしの無期懲役になる。社会から隔離(排除)されることでは死刑と同じだが、無期懲役になった受刑者が必ず反省し、更生するとは限らない。むしろ釈放されることがないと開き直る可能性もある。死刑か無期懲役か、合理的に判断することは簡単ではなく、やはり善悪の感情が大きく影響しそうだ。

2022年6月1日水曜日

マスクと同調圧力

 欧米諸国などではマスクの着用義務を撤廃する動きが広がっているが、日本ではまだマスク着用が一般的だ。マスク着用が推奨に留まっていたのに日本で人々はマスクを着用し、実質的に着用が義務化されたような状態だった。だが、欧米に比べマスク着用に抵抗感がないと言われる日本でも、いつまでマスク着用を続けなければならないのか?との疑問が出てきた。

 そうした声は、政府に判断を求めるのだが、それはマスク着用について自分で判断して行動できないことを示す。例えば、3密の状態や環境ならマスクを着用し、3密でないなら外すーなどと自分で判断できるなら、義務でもないのだから政府の判断をいちいち求めはしない。マスク着用は、状況に応じて個人が判断すればいいのだが、そうした判断を躊躇する人々がいる。

 政府に判断を求めることを正当化するために持ち出されるのが、同調圧力だ。圧力といっても、マスクを着用しない人に対して人々が「マスクを着用しろ」と直接強制することは少なく、「世間の目が気になる」=「世間の目を気にする」意識から同調圧力の存在を言い募る(同調圧力があるからと、自分で判断することをせずに、流れに黙って従うことを正当化する)。

 同調圧力は便利な言葉だ。自分で判断することを放棄している人が、何やら同調圧力による被害者であるかのように装うことを可能にする。自分で判断することには責任も伴うが、同調圧力があるから仕方がないと、自己判断も自己責任も放棄できる。自分で判断せずに何ごとも政府の判断に従う人々が増えると、民主主義は形骸化する。

 個人で判断できるなら、同調圧力に抗うことができよう。マスクを着用していないことを咎めるような他人の視線は無視すればいいし、何か言われたなら、マスクを着用していない理由を説明してあげればいい。同調圧力に屈するのは、同調圧力に屈したい気持ちがあるからで、自分で判断することを放棄する口実にしている。

 同調圧力は、「少数意見を持つ人に対し、周囲の多くの人と同じように考え行動するように暗黙のうちに強制すること」とか「地域共同体や職場などで意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制すること」などと定義される。「暗黙のうちに強制」できるのは、少数意見を有する側が雰囲気に屈するからであり、その少数意見が放棄できることを示す。

 猛暑の夏を前に政府は5月25日、マスク着用が推奨される状況と必要がない状況を細かく説明した指針を公表したが、引き続きマスク着用が基本として推奨されることも示した。重症化率が低下した新型コロナウイルスと共生するなかで欧米諸国はマスク着用義務の撤廃に動き、日本では人々はマスク着用の判断を政府に求め、政府は基本としてマスク着用を推奨し続けた。日本における新型コロナウイルスとの共生は、同調圧力も加わって、一層息苦しいものになる。

2022年5月28日土曜日

告発する人と支援

 米ハリウッドの大物プロデューサーだったハーベイ・ワインスタイン氏は女性2人への性的暴行などで2018年に起訴され、2020年に裁判所は禁錮23年の実刑を言い渡し、収監された。大きな影響力を持つ大物プロデューサーという立場を利用して同氏は、多数の女優らにセクハラや性的暴行を行っていたとされる。

 同氏の長年に渡る悪行を暴いたのは2017年のニューヨークタイムズ紙。それをきっかけに、被害を受けたとする女優らが名乗り出て同氏を糾弾した。告発の動きは拡大し、他の有名俳優らの過去のセクハラなども明るみに出て、「#Me too」運動に発展した。セクハラ被害にあったのは女優だけではなく、少年の頃にセクハラ被害にあったと告発する男優も続出し、米映画界ではセクハラや性的暴行が横行していた気配だ。

 米国では富豪の投資家だったジェフリー・エプスティーン氏も多数の少女に対する性的人身取引罪で起訴されたが、2019年に拘置所で自殺した。同氏は過去に児童買春の罪で有罪判決を受けた人物だったが、ビル・クリントンやドナルド・トランプら政治家や投資家、俳優ら著名人と親しく、その一人が、エプスティーン氏の邸宅や私有の島にある別荘で未成年の女性に性的暴行を働いたとして告発、提訴された英アンドルー王子。

 米国と同様に日本の映画界でも、影響力を持つ強い立場の人物によるセクハラなどが横行していた気配だ。監督やプロデューサー、俳優らのセクハラや性的暴行に対する告発が週刊誌で最近相次いで報じられた。監督やプロデューサーらのセクハラや性的暴行は以前から一部で問題視されていたというが、表面化は封印され、是正しようとする動きは業界に乏しかった(過去の巨匠監督や大物プロデューサーも同類だったというから、業界の浄化が行われるはずもなかったか)。

 映画界や芸能界などでは枕営業が珍しくないと言われてきた。枕営業とは「仕事の利害関係者同士が性的な関係を築くことで、業務が有利に進むようにする営業手法」とか「地位・権力のある人と性関係を持つことで、業務上の便宜を図らせる営業手法」とか「販売員などが、契約成立の交換条件として顧客と性的関係を結ぶこと」とか「肉体関係によって顧客や仕事、利益を得ること」とされる。

 枕営業では一方は肉体を提供し、他方は何らかの利益を提供する。両者の合意の上での取引としての性行為であり、セクハラや性的暴行には該当しないだろうが、枕営業が例えば、映画界や芸能界にはびこっているとすれば、俳優やタレントらを強い立場の人が性的対象として見ることを助長するだろう。それがセクハラや性的暴行を見ぬふりをする業界にしてきた可能性がある。

 セクハラや性的暴行は密室などで行われることが多く、明るみに出すためにはセクハラなどを強要された人々が告発することが必要だ。同時に、そうした告発者を孤立させずに支援する社会でなければならない。誰と性関係を持つかは当人が決めることであり、奔放な性関係を繰り広げたとしても当人の自由だが、強い立場を利用するなどして性関係を強制する人間はゲス野郎でしかない。さて、この話題は映画化すると面白そうだが、業界内の抵抗を押し切って映画化するパワーが日本の映画界にあるのか不明だ。

2022年5月25日水曜日

竹中労と沖縄音楽

 沖縄出身の歌手やミュージシャンは現在多いが、沖縄には独自の音楽文化があり、それは素晴らしいものであると復帰前に日本人に知らせることに大きな貢献をしたのが竹中労氏だ。竹中労氏が紹介したのは島唄(沖縄民謡)だが、「安里屋ユンタ」が知られていた程度の周知度だった頃、沖縄に素晴らしい歌い手が多くいることを様々な媒体に書き、多くのレコードをプロデュースし、日本本土でも多くのコンサートが開催されるようになった。

 竹中労氏が紹介したのは、嘉手苅林昌、登川誠仁、照屋林助、知名定男、大工哲弘、国吉源次、山里勇吉、大城美佐子、知名定繁、金城睦松、糸数カメ、饒辺愛子ら個性豊かな優れた歌い手たちだ。竹中労氏によって初めて日本本土に紹介された歌い手も多く、その魅力を琉球フェスティバルなどで日本本土の多くの人々が知った。

 竹中労氏がプロデュースしたレコードでCDとして復刻されたものは「綾なす島の伝説 嘉手苅林昌①」「綾なす島の伝説 嘉手苅林昌②」「沖縄恨み節 大城美佐子」「辻のブルースと情歌の世界 糸数カメ・知名定男」「神々と潮騒の歌声 国吉源次・大工哲弘」「美ら弾き 登川誠仁」のほか、「日本禁歌集③ 海のチンボーラー 嘉手苅林昌・山里勇吉・宇根綾子・横目しずえ・大工哲弘」「琉球フェスティバル’74 日比谷野音ライブ」「琉球フェスティバル’91 語やびら島うた」などがあり、照屋林助とともに構成した「沖縄/祭り・うた・放浪芸」もある。

 これらのCDのほとんどはもう入手が難しいだろうが、その代わりに何らかの沖縄民謡を置いているCDショップは珍しくなく、三絃(さんしん)を弾きながら歌う歌手をテレビなどで見ることも珍しくなくなった。こうして歌などの芸能の力で沖縄は日本本土における存在感を高めたのだから、竹中労氏の存在を抜きにして日本本土における沖縄音楽を語ることはできない。

 竹中労氏は『琉歌幻視行 島うたの世界』(1975年刊)の「まえがき」で「1969年から、琉球弧を旅すること三十数度、ようやく島うたに関する一冊の書物を上梓することができた」とし、小沢昭一と照屋林助との鼎談で竹中労氏は「私が沖縄に行って最初に聞いたのは『辻町小唄』『海のチンボーラー』といった廓の唄なんです」、嘉手苅林昌と出会った最初は「そのころは大酒飲みです。ネジリ鉢巻で三絃わしづかみにして、べろんべろんに酔っぱらってね、魔のごとく歌いまくる」「次に会ったときに違うんですよ。うたい方も歌詞も。またその次はまるでちがっちゃう」。

 「変幻自在なんですね。私は唄というものは本来、そうあるべきだと思っていたのです」「整除された、洗練された形で民謡はうたわれるべきものなんだろうかという疑問を、私はずっと抱きつづけてきました」「それが沖縄にやって来た日から、ふっ切れちゃった。嘉手苅林昌だけじゃなくて、登川誠仁のうたを聴いても、実に気ままに唄っている。伴奏もおはやしもその場の即興です。つまり生きている」。

 商品化された音楽では歌い方も歌詞も演奏も固定化され、そこでは自由な表現は限定されようが、沖縄で竹中労氏は、「島うた四千といいますね。そう、湧いてくるとしか表現のしようがないんじゃないですか」と人々が自由にうたっていた状況を記録し、伝えた。うたが人々による自由な表現であり続けた沖縄に比べ、日本本土では民謡は商業音楽の1ジャンルとなり、歌い方も歌詞も固定化してしまった。

2022年5月21日土曜日

自分探し

 自分探しとは「それまでの自分の生き方、居場所を脱出して、新しい自分の生き方、居場所を求めること」とされる。自分とは何か。それが分からなかったり混乱しているから探すのだろうが、自分を見つけたと判断するのは自分であり、探している自分を見つけることができるのは自分だけ。それまでの自分と新しい自分がどう違うのか、見分けることができるのも自分だ。

 自分を見つけたと見分けて判断するのは、その人の主観である。客観的に自分を定義している人は少ないだろうし、客観的に自分を定義できるなら自分探しをする必要はない。定義できず、ぼやけている自分に満足できないから自分探しを始めるのだろう。自分探しは、それまでの自分に不満を持ったり、それまでの自分を否定したりすることで成り立つ行為だ。

 自分探しをするのは、それまでの自分と違った新しい自分があると信じるからだろう。だが、それまでの自分と違った新しい自分などというものが存在せず、存在するのは、それまでの自分でしかないのなら、いくら自分探しを続けても、新しい自分を見つけることはできない。「ない」ものは探しても見つからないから、自分探しという行為が続く。新しい自分とは、気持ちがリフレッシュされた自分かもしれない。

 新しい自分とは、自分が高く評価するに値する自分でもある。判断や評価は当人の主観で行われるので、その基準は簡単に変動する。だから、気分次第で新しい自分が見つかる(=見つかったという気分になる)。例えば、日常から離れて初めての土地に行ったりして環境が変わると、気分がリフレッシュされ、前向きの評価をしやすくなり、新しい自分がいるようにも感じることは珍しくない。

 自分探しは、「現在」の「ここ」に存在する自分ではなくて、どこかに存在するに違いない新しい自分を探すのだが、探すという行為は、①確かに存在するものを探す、②存在が不確かなものを探すーに分かれる。自分探しは、新しい自分が存在するはずだとの思いが強ければ①になるが、生き方に迷っているだけなら②になる。ただし、UFOや幽霊などを熱心に探す人もいるので、②であっても主観的には見つかることはあろう。

 自分探しは若者に似合う。中年になって様々のストレスに耐えられず、「自分探しの旅に出ます」などと言っても周囲は困惑するか諌めるだろう。まだ不安定で自己の確立が不十分な若者には自分探しが許容されるだろうが、中年には、自分が満足していなくても、与えられた位置で励むことが求められる。中年だって自分に満足せず、新しい自分を求める気持ちはあるだろうが、どこかに新しい自分があるとの確信は希薄だろうし、むしろ、与えられた場所で励むべきとされる。

 自分には広い多くの可能性があると感じるのは若さの賜物だ。新しい自分を探しあて、新しい充実した毎日が始まるなら喜ぶべきことだ。新しい自分とは気分や意欲が前向きに変化した自分だったとしても、それで生きることに積極性が出てくるのなら自分探しには効果があったということになる。ただし、気分次第で判断や評価が変わるなら、自分探しの旅は断続的に続くかもしれない。

2022年5月18日水曜日

補給を断つ

 沖縄県沖の太平洋で中国海軍が大規模な演習を行った。報道をまとめると、中国側の発表は、▽共同戦闘作戦の強化に向け台湾周辺で演習を行った▽東部戦区は海軍と空軍が5月6〜8日に台湾東部沖や南西部沖の海空域で演習を行った▽演習は「複数の軍隊の共同戦闘能力を試し向上させる」狙い。中国軍の東部戦区は台湾や東シナ海を担当する部隊で、軍機関紙は演習の目的を、海空軍などの「統合作戦能力をさらに向上させること」とした。

 台湾国防部は、▽中国軍の演習には爆撃機や戦闘機、対潜哨戒機などが使用された▽中国軍の対潜哨戒機や爆撃機など計18機が5〜8日に台湾の防空識別圏に侵入して台湾の南東空域まで飛行し、台湾空軍機が緊急発進したーと発表した。この演習は「西太平洋の海上大型目標を攻撃する訓練だった」との専門家の解説を台湾紙は伝えた。

 日本の防衛省は、▽中国軍の空母が艦載機の発着艦訓練を沖縄県南方の太平洋で3日から連続10日間実施した▽発着艦回数は200回を超えた▽これまでで最も日本に接近した海域での演習だったーとし、さらに▽空母を含む艦艇8隻は5月2日に沖縄本島と宮古島の間を太平洋に南下し、3日から沖縄県の沖大東島の南西約160キロから石垣島の南約150キロの海域で艦載機の発着艦訓練を行った▽海自の護衛艦が情報収集や警戒監視を行い、航自の戦闘機が緊急発進で対応ーと発表した。

 ▽中国軍の艦隊は、空母と空母を防御する中国版イージス艦のミサイル駆逐艦、中国海軍最大規模の最新ミサイル駆逐艦、燃料補給の高速戦闘支援艦などで構成され、「実戦的な艦艇の構成」(防衛省幹部)。演習の狙いは▽台湾有事を想定した大規模な合同演習だった可能性▽中国側から空軍の戦闘機が台湾に近づいたとされ、「海軍と空軍で台湾を挟み撃ちする作戦を想定した訓練の可能性」「台湾を包み込むように幅広い方向から攻撃できると中国軍が圧力をかけた」(同)。

 中国海軍の艦隊が宮古海峡を抜けて太平洋で演習を行うことはもう珍しいことではなくなったし、昨年10月には合同海軍演習を行った中国とロシアの艦隊が日本海から津軽海峡を抜けて本州の太平洋側を南下し、九州沖の大隅海峡を通って東シナ海に抜けた。中ロの艦隊が津軽海峡と大隈海峡をそろって通過したのは初めての行動。中国国防省は「他国の領海に進入しなかった」とし、ロシア国防省は「パトロールの一環として初めて津軽海峡を通過した」。中国は日本に対する軍事的な牽制を隠さない。

 今回の中国海軍の太平洋における演習は、台湾有事を想定したものという見方が妥当だろうが、ウクライナ情勢が微妙に影響した可能性もある。それは、中国軍が台湾に侵攻した場合、台湾に対する米国からの武器などの補給を断つ必要性が明らかになったからだ。ロシア軍に対して劣勢と見られていたウクライナ軍が有効な抵抗を続け、ロシア軍の「勝利」を阻止しているのは米国や欧州諸国からの武器の大量補給が貢献しているとされる。

 海に囲まれた台湾に中国が侵攻した状況で、台湾に武器を補給できる能力を持つのは米国だけだ。米国から台湾への武器などの補給を阻止するためには中国海軍や空軍が、台湾に近づく米国の艦艇や航空機を排除しなければならない。おそらく従来の中国海軍の太平洋における演習は、台湾への侵攻と米国艦艇の牽制を想定したものだっただろうが、ウクライナ情勢から、台湾への武器などの補給を断つ必要性が大きくなった。沖縄ー台湾間の連絡を断つことも含め今後、太平洋で中国海軍の演習は様々な想定で頻繁に行われるだろう。

2022年5月14日土曜日

敵の能力を見誤る

 世界の新型コロナウイルス感染者数は5億2011万人、死者数は626万人だ(5月13日)。発生源とも見られていた中国は感染拡大を制御していると自賛していたが、今年に入って変異株の感染が各地で広がり、感染者数113万人、死者数5205人との発表だ(5月12日)。上海で都市封鎖(ロックダウン)が長引いているように、ゼロコロナを掲げる中国において感染拡大の沈静化のメドは立っていない。

 首都の北京市でも感染が広がりかけているようだ。北京市は4月24日、防疫措置を強化し、新規感染者が多い朝陽区では全域でPCR検査を頻繁に実施するとし、都市封鎖が実施されることを警戒して人々が食料品などを買うためスーパーなどに押しかけたと報じられた。強権国家の中国における都市封鎖は厳しい取り締まりを伴うので、人々の外出はほぼ不可能になる。

 さらに北京市は4月25日、感染対策を大幅に強化すると発表、住民らを対象にした週内3回のPCR検査を市のほぼ全域に拡大した。感染拡大の封じ込めに北京市が必死になるのは、封じ込めに失敗すれば習指導部の求心力に響きかねず、習近平総書記の3選に影響しかねないとの危機感があるとマスコミは報じた。

 さらに4月29日から小中高校や幼稚園などが一斉休校となり、同30日にレストランでの店内飲食が禁止され、映画館も営業停止となった。公共の場所やホテルに入るには48時間以内のPCR検査の陰性証明の提出が求められる。5月4日に北京市は中心部の朝陽区の企業に原則在宅勤務とするよう求め、同8日には朝陽区で対策を強化するとし、「市民生活の維持に関係がない企業」には営業停止を求め、百貨店などは休業しているという。

 翌9日には同市南西部で市民の外出が禁止され、感染対策以外の全ての活動の停止が命じられた。ほかの地区でも在宅勤務が指示され、飲食店や公共交通機関は閉鎖され、道路や集合住宅、公園も封鎖されたという。こうした北京市の一連の対策は、感染者が増え続けている状況を示すが、同時に「ゼロコロナ」を維持・達成しなければならない地方行政の必死さを浮かび上がらせる。

 「ゼロコロナ」を維持・達成するために中国は、人々に対する厳しい行動制限で内需が落ち込み、経済活動が混乱・停滞するという代償を払っている。人々は不満や怒り・批判を様々な形で表しているが、そうした声はSNSなどに現れても、すぐに消されるという。行動制限や言論統制など強権による封じ込めに頼るしかなくなった状況が示すのは、強権統治の強さか脆さか、判断は分かれよう。

 世界では新型コロナウイルスとの共存に向かい、規制を緩めたり解除する国が相次いでいるが、中国は「ゼロコロナ」政策を堅持する。それは①武漢での感染封じ込めという成功体験の呪縛、②独裁する共産党の無謬性の維持ーなどに支えられるが、変異株の出現が中国共産党の思惑を打ち砕いた格好だ。

 中国が「ゼロコロナ」政策にこだわるのは、新型コロナウイルスという「敵」の能力を見誤ったことを認めることができないからだ。武漢での封じ込めという「初戦」の戦果にとらわれすぎて、変異株が次々に誕生して世界で感染を広げるという新型コロナウイルスの「実力」を中国は認めることができず、厳しい行動制限を各地で展開する。敵の能力を見誤って過小評価し、状況の変化に対応した対策を講じることができない中国。「ゼロコロナ」政策の成功をうたうには、もう感染の実態を糊塗するしかない?

2022年5月11日水曜日

抵抗する精神

 ロシア軍が国境を超えて侵入してきたことを受けてウクライナは2月24日、国民総動員令を発出し、18歳から60歳の男性に対してウクライナからの出国を全面的に禁止した。ウクライナ国内にとどまった男性が徴用されているのか、自発的な協力を求められるだけなのか詳らかではないが、広範囲の惨禍と大量の避難民という状況に応じて男性たちは行動しなければならないだろう。

 戦争は絶対悪である。だが戦争は世界各地で起き、根絶されることがないのが人間界の現実だ。戦争は絶対悪だから、戦争には関わることを一切せず、戦争が起きて徴用されたなら逃げるというのは有効な個人的な対処法だろう。だが、戦争から逃避する人々が多いほど侵略を行う敵対国に有利に働く。侵略に抵抗することも、戦争から逃げることも個人が判断することだが、総力戦に巻き込まれたなら国家の強制力が強く働く。

 出国が禁止されたウクライナで何らかの手段で出国した男性がいる一方、ウクライナに帰国する男性もいて、「家族や国を守る」ために武器をとってロシア軍と戦うという帰国男性の声が報じられる。帰国して戦うという行動をうっかり愛国心と結びつけて早合点する人もいようが、自発的に帰国して侵略軍と戦う人々の多くはおそらく、ウクライナの独立(主権)を守ることを考えている。

 うっかり愛国心と結びつけて早合点する人は、国家があって人々が存在すると解釈しているのだろうが、それは人々によるレジスタンスが希薄だった歴史の反映だ。さまざまな侵略に人々がレジスタンスを行ったという歴史があるなら、レジスタンスの精神は受け継がれているだろう。レジスタンスは、侵略や暴政に人々が立ち上がって抵抗する精神に支えられている。

 ウクライナは1991年のソ連からの独立後、たびたび政権の腐敗が指摘されたり、親ロシア派と親欧州派の政権争いが続いたりした。そうした中で独立国としての国家意識を人々は形成してきた。腐敗した政権や、対立する勢力の政府が主導する国家に対して人々は厳しい目を向けただろうから、国家の要請や命令にいつでも素直に応じるとは限らない。愛国心ではなく愛郷心が侵略や暴政に対する抵抗を起こさせる。

 国家の主権者は「我々だ」との人々の意識がレジスタンスを支える。また、戦争が総力戦に変化したので人々が戦争に巻き込まれる状況となり、人々の日常生活を破壊する敵に対して抵抗する精神が刺激される。ウクライナがロシアの傀儡国家になることは、ウクライナの人々から主権が奪われるということだ。主権者であることを維持するためにウクライナの人々は戦っている。

 日本では憲法の戦争放棄の影響もあるのか、絶対平和主義の声が珍しくなく、リベラル層からは戦争を忌避する声ばかりが伝えられ、戦争を現実的に考えず、侵略されたときの対応については論じることが封印されている印象だ。いつか日本が戦争に巻き込まれた時に、日本人が主権者として抵抗する精神を持っているのかが明らかになる。

2022年4月30日土曜日

未来は不安

 天変地異や事件事故・犯罪に巻き込まれることや、自分や家族の罹患、家族や近親者の不幸など人が不安を感じる要素は日常に多い。国によっては、活発に活動する武装集団や犯罪組織による襲撃や誘拐などを現実的な不安とする人々もいるし、政治や経済的要因などによる社会の混乱に不安を感じる人々もいるだろう。

 人が不安を感じるのは、①現実に起きていること(現在)、②起きるかもしれないこと(未来)ーに分かれる。①(現実に起きていること)は可視化された不安であり、②(起きるかもしれないこと)は可視化されない不安だ。ウイルスに対する不安は可視化された不安であるが、必ず感染するとはいえないので、感染するかもしれないという可視化されない不安でもある。

 可視化された不安に対しては、事実やデータを集めて不安の対象になる出来事の起きる確率を検討し、確率が高ければ適切に備えることで過剰に不安がることを軽減できる。不安は情緒を刺激し、過剰に反応しやすい。冷静になれないから不安に駆られるのであり、確率を検討することで情緒にとらわれることを抑制できよう。ただし不安から、確率を過大視する可能性は残る。

 可視化されない不安とは、まだ起きてはおらず、起きるかどうかが不明な事象に対する恐れや心配だ。事実やデータが存在しないので発生確率を検討することは困難で、推定するしかない。とはいえ、起きるかもしれないと強く思って不安を感じているのだから、確率を過大に推定する可能性は高く、過大に推定した確率が不安を鎮める効果は薄いだろう。

 可視化されない不安とは、未来に対する不安である。人にとって未来とは一寸先から数日先、数年先、長くても十年先ぐらいまでだろう(人には寿命があり、100年先とか1000年先などのことに現実的な不安を感じることはあるまい)。起きるかもしれないとの現実感が及ぶのが人にとっての未来であり、もし起きたならとの不安がついてまわる。

 そうした未来が不安なのは、現在や過去における多くの問題が未解決のままであることや、悪い状況になるとの予想や予測がマスコミなどによって振りまかれることも影響する。身近な不安を喚起する典型は天気予報で、大雨や熱波、台風、降雪などへの注意を促すのだが、気象災害が頻発していることから、脅かすように強く注意喚起するのが珍しくなくなり、人々の不安を煽ることに貢献している。

 人類が誕生して以来、人々は生存などの不安を日々感じて生きてきただろう。不安を意識するのは人として自然な自己防衛の反応だとすると、歴史とともに対象が変わるだけで不安を常に感じながら生きるのが人類か。不安を過大視せず、不安に押しつぶされないようにすることがバランスの取れた生き方なのかもしれない。

2022年4月27日水曜日

侵攻か侵略か

 ウクライナに軍を進めたロシアの行動を報じるときにNHKは軍事侵攻という言葉を使用する。侵攻の意味を辞書で見ると、「敵地に侵入して攻めること」「他国や他の領地に攻め込むこと」「攻めて相手の領地に入りこむこと」などとある。侵入したり攻め込んだりする国家の組織は軍だから、軍事侵攻は「被害を被る」「犯罪を犯す」などと同じ重言だ。

 ウクライナに対するロシア軍の侵攻をロシアは特別軍事作戦と称し、ウクライナ東部のロシア系住民を救うための行動であり、国連憲章に基づく自衛権の発動だと強弁するが、国連の決議を得ていない自衛権の発動に正当性は乏しい。歴史を振り返ると、他国に攻め入る軍事行動の多くが「自衛のため」などと正当化されていた。

 NHKが軍事侵攻と報じて軍事を強調するのは何らかの意図に基づくのだろう。その意図の説明がないので、軍事侵攻という言葉の妥当性を判断することは困難だが、特別軍事作戦という言葉を使うロシアへの対抗なのかもしれない。あるいは、軍事を強調して平和主義を訴える意図が隠れているのかも。

 実態は変わらず同じままなのに、別の言葉に言い換えて実態をごまかしたり隠したりすることは昔から行われてきた。メディアが統制され、人々の自由な発言が制限される独裁的な強権国家の発表には真偽が入り混じり、どの言葉が実態を正確に示し、どの言葉がごまかしなのか、外部から判断するのは難しい。それは軍事関係に限らず、例えば、経済統計などの発表数字にも疑念がつきまとう。

 独裁的な強権国家が真偽定かならぬ発表を行うのは、そうした国家の言うことは常に「正しく」なければならないからだ。人々の自由選挙などによる正当性がないので、体制の正当性を主張するためには、常に正しくなければならない。それで、それぞれの体制における正しさを常に優先し、事実は二の次三の次になって軽視される。

 特別軍事作戦とは他国に居住するロシア系住民の保護を目的とする軍事行動ということだろうが、それが許容されるなら、同様の軍事行動を多くの国が行うことができる。血統による民族意識が帰属意識を決定するなら、例えば、ロシア系住民が居住している国にとってロシア系住民の存在は危険であり、「ロシア系住民はロシアに帰れ」とロシア系住民を追い出す動きがロシアの周辺国で始まるだろう。

 今回の軍事行動はロシア軍によるウクライナ侵略だ。NHKは、軍事侵攻でもなく侵攻でもなく侵略とロシア軍の行動を報じるべきで、他のマスメディアも侵攻ではなく侵略と報じるべきだ。侵略という言葉を使うとロシアを刺激し、特派員の追放など報復されるかもしれないが、正確に実態を表現する言葉を使わないマスメディアは、権力のごまかしに加担していることになる。

2022年4月23日土曜日

より攻撃的になる

  民間人の処刑だと解釈できる事例などウクライナに侵攻したロシア軍の残虐行為が伝えられている。組織的に行われているのか兵士個々の判断による行為なのか定かではないが、戦争のおぞましさをリアルに伝える情報だ。今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の無力さを明らかにしたが、戦時において国際法などが無力であることも示した。

 国際法の出番は、戦争終了後に国際法廷が設置されたときだろう(国際司法裁判所の選択条項受諾をロシアと中国と米仏は宣言していないので、提訴されても応じる義務はない。国際司法裁判所は3月16日、ロシアに対して直ちに軍事行動をやめるように暫定的な命令を出したが、戦争は続いている)。だが、ロシアが敗戦国とならない限り、そうした国際法廷の設置は困難だ。

 戦場において残虐行為は、第一に他国に侵攻した軍や兵士によることが多い。サキの短編だったか失念したが、王に命じられて対立相手の畑を荒らしに行く兵たちが途中でも関係のない畑を荒らしていくので、村人がとがめると兵は「向こうの畑を荒らすことに正当性はないのだから、どこの畑を荒らしても同じだ」などと返答し、途中の畑を荒らして行った。

 他国に侵攻した軍や兵士には、侵攻を正当化する相応の大義名分が国家から与えられる。例えば、その地の人々を圧政から解放するためだなどと信じて、出掛けてはみたものの現地で人々の強い反発や激しい抵抗などに直面して、軍や兵は戸惑う。大義が希薄な軍や兵ならば、侵攻先で、倫理観を失って規律が乱れ、民間人の殺害や略奪、婦女暴行などを行ったりする。そうした例は歴史上に珍しくない。

 戦場における残虐行為は、第二に侵攻された側で報復感情が高まり、裁判によらずに侵略軍の捕虜を処刑することだ(これは戦闘行為による殺害ではない)、第三に宗教や思想などに基づく戦争で、対立相手の壊滅を目指す場合に大量の殺害が行われたことも歴史上に珍しくない(宗教的感情や思想などにより共存が否定され、大量殺害が正当化される)。

 当初はウクライアを簡単に制圧できると想定し、すぐに首都キーウの確保を目指していたようなロシア軍の行動からは、ナチズム云々との大義名分で押し切るつもりだったとみえる。だが、ウクライナ軍の抵抗に遭ってロシア軍の行動は制約され、ナチズム云々との大義名分はウクライナ人にも国際的にも共有されず、ロシア軍は異国(ウクライナ)内で「招かれざる客」になった。

 大義名分は色褪せ、異国(ウクライナ)での軍事活動による成果を国家から厳しく要求されるロシア軍において兵らの士気が高まらず、規律が緩むことは想像に難くない。そうした軍や兵士が、より攻撃的になったり残虐行為を繰り広げたりすることも想像に難くない。侵略戦争を遂行する軍や兵において規律が乱れるのは、侵略行為が倫理性を伴わないからだ。

2022年4月20日水曜日

情報発信から見えるもの

 社会に提供される情報が厳しく管理されている国がある。国内のテレビや新聞では体制を翼賛する情報が主に提供され、SNSなどインターネットにおける情報発信は厳しく監視・制約されて、体制に従順な声があふれる。政府批判はもちろん、政策や官僚の対応などを検証しようとする試みも排除されたりする。

 人々の批判を封じ込める国で政府は、独裁的な権力を確立している。その独裁的な権力は堅牢に見えるが、人心が離反すると政治的な権力はたちまち揺らぐので、独裁的な権力は常に人々を従わせつつ、監視したり懐柔して人々からの支持を得つつ、人心の離反を防ぎ続けなくてはならない。独裁的な権力を維持するためには相応の努力を要する。

 一方で、社会に提供される情報が基本的に自由で、政府に対する批判はもちろん、あらゆる出来事に対して大量の賛否の情報が渦巻く国がある。情報の提供が自由であるから、新聞やテレビなどマスメディアに加え個人もSNSで熱心に情報発信する。さらに、大量の情報には虚実が入り混じる。

 虚実が入り混じるのは、第一に個人が発信する情報には事実誤認や錯誤が含まれていたり、主観に適合する真偽定かならぬ情報が選ばれるからだ。第二に外国勢力による情報提供があり、国内の分裂や混乱を誘ったり、世論を当該国に有利になるように仕向けることがあり、第三に陰謀論などを主張するために捏造された事実の情報が流布されるからだ。

 情報は大きく、①事実を伝える、②意見や解釈を伝える、③創作物ーに分かれる。虚偽を伝える情報は創作された情報であって事実を伝えるものではないが、事実を伝えていると装う。そうした情報を受け入れてもらうために断片的に事実を交え、事実と創作された情報を混ぜ合わせ特定の見方に導く。これらは受け手を誘導することが狙いだが、事実ではないことを事実であると伝える情報もある。混乱させることが狙いだ。

 SNSが存在する現代の戦時において、情報戦の重要性は格段に高まった。現在のロシアのウクライナ侵攻においても、ウクライナ側とロシア側双方が大量の情報を世界に向けて日々発信する。双方の情報に事実も虚偽も含まれているだろうから、第三者が虚実を見分けるのは簡単ではないが、侵略者=ロシアの情報が厳しく検証されるのは当然だろう。

 ロシア軍が撤退した地域で多数の民間人の遺体が放置されていたと報じられ、ウクライナはロシア軍が虐殺を行ったと非難し、ロシアはロシア軍の撤退後にウクライナ側が配置したと反論する。実態は定かではないが、虐殺の汚名を着せられたとロシアが判断したなら、もっと激しく反論したり、ロシア軍の撤退時の映像などを示して否定するだろう。

 民間人の虐殺が行われたという場所はウクライナ国内である。ロシア軍がウクライナの国内で軍事行動を行っていたこと自体が否定さるべき行動であり、他国へ侵略した軍にモラルの低下が見られるのは歴史において珍しいことではない。

2022年4月16日土曜日

戦勝国と秩序

 第二次世界大戦が終戦したのは77年前の1945年だ。第二次大戦の戦勝国は、全体主義に勝利したとの道義的優越性を漂わせ、第二次大戦終了後の世界の秩序は勝利した連合国が主導した。戦争に勝った側が「正義」を独占する国際秩序だったのだが、戦勝国の行動がいつも「正義」に沿っていたわけではない。

 道義的優越性や「正義」の解釈は戦勝国だけが行うことにより、この国際秩序は維持される構造だ。戦勝国から5カ国が国連安保理で拒否権を持ち、国連を支配しているのが実態だから、5カ国の行動に対して安保理も国連も無力である。その5カ国は第二次大戦後にそれぞれ、道義的優越性など見当たらない醜い戦争や軍事介入を各地で行ったが、戦勝国が主導する国際秩序は維持されてきた。

 米英ソが中心となって形成された国連は、その憲章の前文で「言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」「正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し」「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し」「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ」「共同の利益の場合を除く外は武力を用いない」ことなどを決意して、国際機構を設けると宣言している。

 第二次大戦の大規模な惨害に直面したり体験した人々が戦争に対する強い拒否感を持つのは当然で、そうした感情は戦勝国の政治家も共有していたに違いない。それが平和共存を目指す国連を誕生させたのだが、やがて戦勝国の政治家は、国益を最優先することや国際的な影響力を高めるために自国の軍事力の行使を正当化するようになった。

 戦勝国主導の国際秩序は戦勝国の5カ国を縛らない。これが現在の世界であると世界は気付いていたが、安保理で5カ国が拒否権を持っている限り国連の改革は限定され、5カ国の地位に関する変更は不可能だ。それは5カ国が、国際秩序を無視して、思うがままに振る舞うことができることを許している。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は、ロシアの自衛のための戦争ではなく、国連決議を経た戦争でもない。国連が認めない戦争なのだが、ロシアの行動に対して国連は無力である。残念な事態だが、国連は5カ国が行った多くの戦争や軍事介入に無力だったので、今回が特別に国連の無力さを曝け出したというわけでもない。

 5カ国は第二次大戦後の国際秩序をそれぞれ自国に有利に活用してきたが、今回のロシアのウクライナ侵攻でその身勝手さが再認識されよう。5カ国は何をやっても罰せられることはないというのが現在の国際秩序なのだが、今回はロシアに対して米英EUと西側の同盟国などが制裁に動き、第二次大戦後の国際秩序に亀裂が現れた。形骸化した国際秩序を新たに構築する機会だ。

2022年4月13日水曜日

平均気温が上がったら

 日本列島は弓形の形をしていて、西日本から関東あたりまでが緩い右上がりで、関東から北海道までは急に立ち上がるようになっている。2022年の桜の開花予想日は、九州・四国が3月の中下旬、中国・近畿・東海が3月下旬(高山は4月上旬)、関東・甲信が3月下旬から4月上旬、北陸が3月下旬から4月上旬、東北が4月上中旬(角館は4月下旬)、北海道は4月下旬から5月上旬だ。

 大まかに見て、西日本から関東までが3月中に開花し、東北は4月に入ってから開花、北海道は4月下旬以降に順次開花する(東海や北陸、甲信の標高が高い地方では4月に入ってから開花する)。日本列島が弓形で逆L字形をしていることから、西日本から関東あたりまでは似たような気候だと想像できる。

 年間の平均気温(2020年)を見ると、九州は17度台(鹿児島は19度台、宮崎は18度台、沖縄は23度台)、四国は17度台、中国は15〜16度台(広島は17度台)、近畿・中部は16〜17度台、北陸は14〜15度台、甲信は山梨が15度台、長野が13度台。南関東は16〜17度台だが、北関東は15度台、東北は福島が14度台だが他の県は11〜13度台、北海道は10度台。西日本から南関東まではほぼ17度台前後だが、北関東から北海道まで平均気温が次第に下がるのは日本列島の形状からも想像できる通りだ。

 気候変動で地球が温暖化しているとの危機感が世界各国で共有され、気温上昇を2度未満に抑えることを目指していたが、最近では1.5度以下に抑えることが目標として掲げられている。地球温暖化は現実で、今後も気温上昇が続くのは避けることができないとの認識に基づいて、気温の上昇幅を抑えることが各国の努力目標となった。

 さて、平均気温が2度上昇すると、どんな変化があるだろうか。日本に当てはめると、西日本から南関東までの平均気温が19度台になり、鹿児島あたりと同じような気候環境になると予想される。北関東は17度台になり、東北は13〜15度台、北海道は12度台になる。数字だけでは小さな変化に見えるが、例えば、海水温の上昇によりサケやサンマ、イカ、ブリなどの回遊域が変化することは漁獲量に表れている。

 平均気温が上昇するだけなら、つい「暖かな日が増えるだけ」と簡単に受け止めたりするが、気象現象は複雑だ。例えば、地球のどこかで水分の蒸発量が増えると、どのような影響を周囲に及ぼし、それが気球規模の気象にどのような影響を与えるか。変数が多すぎて予想の正確さには限度がある。気温の上昇は植生にも影響を与えるが、植生の変化と光合成の関係など未知数だ。

 さらに日本では偏西風の蛇行の影響が大きく、それが低気圧や高気圧の動きとなって現れる。だが、偏西風の蛇行と温暖化の関係の説明は乏しいなど、温暖化の進行と日本における環境変化は仮説段階だ。温室効果ガスの排出削減が各国の計画通りに行われたとしても、平均気温が抑制できるのかどうか不明なのが現実だろう。平均気温の上昇が程度の差はあれ今後も続くとするなら、変化には対応するしかない。

2022年4月9日土曜日

政党の弁証法的成長

 2009年夏の衆院議員総選挙で大勝した民主党は政権を担ったが、「改革」の実は上がらず、米軍の普天間基地移設問題や消費税などで迷走し、政治資金問題などでの追及や党内対立の激化などで支持率は低迷、2012年に解散・総選挙で主権者の再度の支持を求めたが、大敗して野党に戻った。

 1度とはいえ政権を担ったのだから民主党が野党に戻っても、従来のような政権・与党を攻撃するだけに熱心な野党から、いつでも政権を担う準備ができている野党になることが期待された。だが、野党に戻った民主党は以前の野党のスタイルで、いつでも政権を担うことができる政党であると主権者に示すことができなかった。

 民主党も自民党も野党になったときに、政策論議を重視して「政権担当能力」を主権者に示すことは限定的で、スキャンダルなどで政権攻撃(=政権の否定)に励んだ。政治家として不適切な人物を排除するためにはスキャンダル追求を行うことは必要なことだろうが、それは国会審議において中心となるものではあるまい。激しい政権攻撃は政権への支持を減らす効果はあるが、攻撃した野党への支持を高めるものではない。

 日本では自民党の政権が長く続き、政権を担った経験がある政党は少ない。だから政策に影響を与えることが難しい野党は政権攻撃に励んで、それが日本における野党のスタイルになったのかもしれない。政権攻撃はマスコミ受けもいいだろうから野党の存在感をアピールするには重宝だ。

 政権攻撃に励むのは野党が現実政治において受動的な立場にいることと関係する。スキャンダル追求などの政権攻撃で能動的な姿勢にも見えるが、予算をはじめ提出法案の修正はほとんど行われず、実行される政策への野党の関与は乏しい。成立が見込めなくとも野党が独自に法案を提出することもほぼなく、政府・与党の動きに対応するだけの受身の姿勢のままでいる。

 政党が野党を経験し、与党も経験したならば、その二つの経験を積み重ね、いつでも政権を担うことができる政党に変貌すると想像するのは自然だろう。いわば政党の弁証法的成長だ。いつでも政権を担うことができる政党が複数存在することは日本の政治の安定感を高め、日本の民主主義の健全性をも向上させる。

 しかし、自民党は野党になったときに従来の日本の野党スタイルを演じ、政権から離れた民主党は従来の野党スタイルに戻った。政権攻撃だけではなく建設的な提案のできる政党が増えることが望ましいと以前から言われてきたが、人材の問題か政党組織の問題か、そうした政党は現れず、いつでも政権を担うことができる野党の不在が続いている。

2022年4月6日水曜日

グレタはどこだ

 EUは2月2日、原子力と天然ガス発電を環境にやさしい「グリーンエネルギー」として認め、「持続可能な投資」に分類できるとした。太陽光や風力など再生可能エネルギーだけに頼ることはできないのが現状だとし、温室効果ガスの排出削減に原子力と天然ガス発電が役立つと認めた。年内に全ての原発の運転を停止する予定だったドイツなどは反対を表明した。

 ロシアがウクライナへの侵攻を開始したのは2月24日。これで、欧州のエネルギー供給がロシアに大きく依存していたことが問題視され、ロシアからの原油や天然ガス供給に頼りながら脱炭素を進める戦略の見直しを欧州各国は余儀なくされた。再生可能エネルギーだけでは冬場の暖房さえ賄うことができない現実なのだから、欧州の各国政府は綺麗事の脱炭素にこだわってはいられなくなった。

 例えばドイツは、ロシア産ガスへの依存度を引き下げるためにエネルギー政策を大きく転換する方針を表明したが、石炭火力発電所と原子力発電所の運用期限を延長すると見られている。ロシアからのパイプラインに頼っていた天然ガス供給を見直し、初めてのLNG輸入ターミナル建設を決めるなど目先のエネルギー確保に懸命だ。

 再生可能エネルギーを大幅に増やし、石炭火力発電所などを停止することで脱炭素社会への転換を目指す欧州の戦略は挫折した。ロシアからの天然ガスや原油の供給に頼りながら欧州は、世界的に脱炭素の動きをリードしてきたが、実態は天然ガスや原油などの安定的な供給が脱炭素に不可欠だった。

 欧州が急ピッチで進める電機自動車(EV)の普及も、再生可能な発電は供給が不安定で、ロシアからの天然ガスなどに頼った発電に支えられているとすれば脱炭素は看板倒れ。慌てて原発をグリーンエネルギーだと認めて帳尻合わせに動いたところで、ロシアがウクライナに侵攻した。ウクライナの情勢が毎日大きく伝えられるようになり、エネルギー供給の不安が高まり、脱炭素の運動のニュースはほとんど消えた。

 欧州が脱炭素を強くアピールしていた頃に、欧州のマスメディアに頻繁に登場していたのがスウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリさんだ。戦争で正規軍を動かすと、戦車など戦闘車両や輸送車両などが大量のCO2を排出する。戦争となれば大量のCO2排出などに構ってはいられず、地球温暖化を促進するだろう。だが、活発に地球環境の危機を煽っていた連中も、リアルな眼前に出現した人々の生命に関わる危機を前に、反応が鈍い。

 グレタさんが関係する組織がウクライナ侵攻への抗議活動を開始し、ロシアからガスを買うなと訴えているそうだが、グレタさん本人の発言は聞こえてこない。学校に行かずに抗議活動するなどグレタさんは行動において独創性があったが、発想や思考において独創性が希薄だったことを思い出すと、戦争と環境保護の関係で言うべきことがなくても不思議ではない。環境保護活動は平時において活発化する運動であり、有事においては環境保護など二の次三の次になるから、黙っているのが賢明か。

2022年4月2日土曜日

戦争の記憶の伝承

 ロシアがウクライナに侵攻して以来、日本でも新聞やテレビなどは連日、ウクライナの情勢を大きく報じ、都市が攻撃されて破壊された様子や困窮する人々、国外に脱出して避難民となったウクライナ人の様子などを伝える。ニュース番組の他にワイドショーでも大きく扱われているそうだ。同様の情報はSNSで大量に発信されている。

 こうした情報の提供が連日続くのは、人々の関心が高いからだろう。新型コロナウイルスの感染に関するニュースに代わってウクライナでの戦禍の状況が大きく扱われ、ミサイルなどで建物が破壊されたり、空爆されたりして、嘆き苦しむ人々の様子を映像で見た人々はロシアの非道さに憤りを感じ、戦禍に苦しむ人々への同情心を高めるだろう。

 こうした報道やSNSなどの情報を日本で見ている人が、戦争の悲惨さを感じ、苦悩するウクライナの人々に共感することができるとすれば、ウクライナの戦時下における人々の体験や苦悩が日本人にも伝わったといえよう。ベトナム戦争などでも日本で大量の報道が戦禍に苦しむ人々の状況を伝え、日本でもベトナム戦争に反対する運動が広がった。

 テレビや新聞などで伝えられる外国の戦争を見ることは、戦争の断片的な小さな疑似体験に過ぎないだろう。だが、それでも日本人は戦禍を想像できようから、ウクライナの人々に同情し、その苦悩に共感することができる。テレビや新聞、SNSなどの断片的な情報だけでも日本人に、戦禍に苦しむ人々の記憶は伝わるのだ。

 日本では毎年8月15日前後にテレビや新聞に、戦争の記憶の伝承が薄らぐことを危惧する報道が現れたりする。それは日本が関わった戦争を特別視して、「二度と戦争はいたしません」と考えさせる狙いだろうが、戦禍の記憶の伝承は日本が直接関わらない外国の戦争の情報でも可能であることを、ウクライナやベトナムなどの戦争報道と日本での受け止め方が示す。

 なぜ、日本が関わった戦争の記憶の伝承をテレビや新聞は特別視するのか。戦争をしない国(戦争ができない国)=日本であることを強調するためだろうが、日本人が体験した戦禍の記憶の伝承に頼り過ぎていると、日本だけが平和であればいいとの1国平和主義に陥る。年月とともに戦争の体験者は減り、記憶の伝承は細るので、戦禍の記憶の伝承が危ういと日本のマスメディアは同じような報道を毎年繰り返す。

 日本のテレビや新聞がこだわる記憶の伝承とは個人の体験談の伝承だが、他人の体験談を受け入れるには共感する力が必要になる。共感する力がある人なら、日本人の戦争や戦禍の体験だけではなく、遠い外国の戦争で苦しむ人々の体験にも共感できる。戦争や戦禍に関する日本人の体験談を語ることができる人がいなくなっても、遠い国の戦争や戦禍を伝えることで日本のテレビや新聞は記憶の伝承を促すことができる。日本の人々にも共感する力がある。

2022年3月30日水曜日

韓国で感染爆発

 韓国は2020年来、大量のPCR検査で感染者を見つけ出して隔離する対策で、人口あたりの感染者数を他国より少なくすることに成功したので「K防疫」と称して誇ってきた。だが、2月から新規感染者数の増加に歯止めがかからず、受検者が殺到してPCR検査体制が回らなくなり、医療機関の迅速抗原検査でも感染有無を判断できることにした。

 感染を抑止しないPCR検査を増やしたところで感染拡大は抑えられず、韓国は感染爆発にお手上げと見える。K防疫の「成功体験」は人々にも共有されているらしく、検査希望者が医療機関などに詰めかけ、医療機関も保健所も業務が停滞しているという。PCR検査を増やせば増やすほど感染者が見つかる状況になったなら、PCR検査を増やすことは医療体制への圧力となる(政府はPCR検査数を制限)。

 韓国の累計感染者数は3月24日に1080万人となり、1000万人を超えた。人口は約5178万人なので、21%の人々が感染した計算(=国民の5人に1人が感染した)。死者数も増えており、ソウル周辺では遺体が大量に滞留していると報じられた。葬儀場は増加する遺体の安置空間の不足で混乱が生じ、保健福祉省は葬儀場に遺体の安置空間の拡張を命じ、全国の火葬場には営業時間を延長するよう指示した。

 世界で累計感染者が最も多いのは米国で8100万人台、次いでインド4300万人台、ブラジル3000万人台、フランスと英国、ドイツが2千万人台、ロシアとトルコ、イタリア、韓国、スペインが1千万人台となる。韓国以外の国は以前から感染者が多かったが、韓国は 2022年になって一気に感染者が増え、ベスト10入りした。

 新規感染者が10万人台、20万人台から30万人台、40万人台と増え、62万人を超えた日もあった。K防疫では感染拡大に無力だと新規感染者数の数字が明確に示す状況で、韓国政府は厳しい行動制限ではなく制限緩和へと動いた。例えば、濃厚接触者の隔離措置を解除し、私的会合の人数を8人に緩和し、飲食店などのワクチンパスポート制度を取りやめ、ワクチン未接種者の会食への参加を容認し、飲食店の営業終了時間を延長した。

 これらの緩和は大統領選の投票日の前に行われ、飲食店など自営業者の歓心を狙ったなどの批判のほか、医療関係者から「政府が防疫を放棄した」とか、感染拡大を放置して「集団免疫の実験を行っている」などの厳しい声が上がっているという。さらに大統領選の前には大規模な集会が連日開かれていて、それが感染拡大を後押ししたとも見られている。

 各国ともオミクロン株の感染拡大は長く続いているから、韓国の感染爆発もしばらく続きそうだ。こうなりゃ、人口の何%が感染すると集団免疫が得られるのか、世界に先駆けて試すしかないか。集団免疫を獲得したアカツキには、かつて誇ったK防疫の代わりに「K集団免疫」を世界に向けてアピールする?(集団免疫を獲得するまでに死者数はどこまで跳ね上がるのかは誰も知らない)。