2023年7月26日水曜日

カタカナ表記と分断

 言葉は、人間が感じたり考えたり思ったりしたことを表現するための道具であり、人々の意思疎通のためには欠かすことができない。群れで生きる動物は鳴き声で様々な情報を伝え合っているとされるが、言葉の獲得で人間は社会性を発展させ、高度な文明を築いた。人間の知的営みの成果は膨大な言葉(文字)で残り、世界で人々が共有する。

 旧約聖書にある「バベルの塔」物語では、天に達するほどの高い塔を人間が建設していることに神が怒り、それまで1つだった言葉をバラバラにして人間を混乱させて建設を中止させたという。高い塔を建設するという共同作業は、建設部材や建設工法などの呼び名がバラバラでは工事に携わる人々が容易に理解できず、日常会話も不自由な状況にあっては不可能だろう。

 ある言葉が社会に定着するには、その意味するところが人々に共有されていることが必要だ。新しい言葉が社会に定着するには長い時間を要するのは、その言葉が意味するものを人々が共有するための時間が相当程度かかるからだ。だが、流行語などのように、その言葉の意味するところを人々が短期間で受け入れ、共有したかに見えても、飽きられるのも早いだろうから定着するとは限らない。

 中国文明の強い影響下にあった頃の日本では、新しい概念や技術などは中国経由で入ってきたので、それらを漢字で受け入れた。文明開花後の日本には欧米から大量の新しい概念や技術などが中国を経ずに入ってきたが、それらを漢字に翻訳して受け入れていた。新しい概念や技術などを漢字に翻訳する力が日本にはあった(ここで使っている「漢字」とは、日本語の中の漢字のこと)。

 カタカナ表記の氾濫を憂う声がある。そうした声が第二次大戦後の日本で顕著になったのは、欧米からの新しい概念や技術などの流入が大幅に増えて漢字への翻訳作業が追いつかなくなってカタカナ表記が増殖したからだろう。カタカナ表記で許されるとすれば、新しい概念や技術などを漢字に翻訳する努力は放棄され、やがて漢字に翻訳する力は衰える。

 カタカナ表記の氾濫を憂う声が絶えないのは、何を意味するのか不明なカタカナ表記が増えたからだ。カタカナ表記が意味するものを共有できない人々は、社会に定着していないカタカナ表記を振り回す人々にイラつく。欧米から流入する情報量が飛躍的に増え、新規のカタカナ表記を振り回す人々を見て、情報通ぶったりエリートぶったりしていると冷ややかだ(カタカナ表記を振り回す人々は、適切な日本語に翻訳する能力が当人に欠如していることも示している)。

 最近では行政関係でも新規のカタカナ表記が増えているが、それは英語に堪能な日本人が増えたからではない。新しい概念などを「輸入」してカタカナ表記で済ましているだけだ。カタカナ表記が増殖し、意味がよく分からないままに人々が暮らしている状況は、何やら「バベルの塔」物語を連想させる。意思疎通が軽視され、理解できない言葉が入り込み、人々がばらばらに分断されて統治される方向へ社会が向かっている兆しであるのかもしれない。

2023年7月22日土曜日

権力の正当性

 民主主義が成り立つ大前提は、主権を人々(人民)が持っていることだ。議会や裁判所などの社会制度を整え、人々による選挙を実施している国は世界に多いが、国家主権を人々が持っていないならば、どんなに体裁を整えようと民主主義は機能しない。さらに、民主主義が機能していると見られる国でも、例えば、議会によらず大統領令などで政治を動かしたり、議会を経ずに公金を支出したりすることが常態化すると民主主義が危うくなろう。

 軍などや個人が権力を握り独裁している国でも、議会制度などを整備し、人々に投票させる選挙を行うのは、民主主義国と世界から見られることを欲するからだ。それらの独裁権力は民主主義など欧米発祥の価値観を批判することは珍しくないが、独裁権力の正当化のためには議会や投票など民主主義的な仕組みを用いる。

 主権を人々が持っておらず、軍などや個人が独裁する国家では、権力は「力」によって維持される。だが、そうした「力」は国際的には賛同を得ることは難しく、独裁する権力の正当性には疑義がつきまとい、常に国際的な批判にさらされる。だがら、そうした独裁国の権力者は国際的な舞台に出ることを好まず、国内にとどまる。独裁国家の弱点は、外交のカードが威嚇と脅し、仲間褒めしかないことだ。

 主権を持っていない人々による選挙は、独裁する権力の決定にお墨付きを与えたり、追認したりする儀式だ。そうした選挙の結果として形成される議会も、独裁する権力の決定を追認し、お墨付きを与える役割しかない。そうした過程を必要とするのは、独裁する権力のある種の脆弱さを示す。脆弱さとは、民意を聞く姿勢を示さなければならないことだ。

 民主主義は主権者である人々(人民)が、権力に正当性を与える仕組みである。だから、現代の独裁する権力は、人々から正当性を与えられたという体裁を装う。帝国主義全盛の時代であれば、独裁することが独裁する権力の正当性であったが、貴族や王族、さらには軍の特権が否定されたのが現代だ。国家主権は人々(人民)が有することがフツーになった世界で、独裁する権力は独裁の正当化が必要になった。

 人々が自由に投票すると、独裁権力を必ず容認するとは限らない。それで独裁する権力は、人々が自由に投票したと主張しつつ、監視を強め、投票結果をあらかじめ用意した筋書きに合致させるために手段を選ばない。人々からの支持を偽装する現代の独裁する権力は、人々を抑圧することで権力を維持していることを自覚している。

 欧米などでは、自由投票の結果として分断や対立が強まる状況も見られ、民主主義の機能不全が論じられる。だが、分断や対立も人々の自由な意思表示の結果である。独裁する権力は人々の自由な意思表示を制約するので、分断や対立が現れるときには独裁する権力に対する抵抗などになる。

2023年7月19日水曜日

プーチン氏の戦争責任

 責任とは、人が自由意思による行為とその行為の結果に対して負うものである。新明解国語辞典は責任を「①自分の分担として、しなければならない任務(負担)、②不結果・失敗に基づく損失や制裁(を自分で引き受けること)」とする。また、違法な行為を行った人には法律に基づく制裁が課せられるが、違法とはいえない行為であっても道義上の責任が問われることもある。

 戦争責任は①戦争を開始した責任、②戦争を遂行した責任、③戦時期にとった行動に対する責任、④敗戦した責任ーとされる。第2次世界大戦では終戦後に、ドイツや日本の指導者らに対して①②③の戦争責任が勝者の連合国によって厳しく問われたが、例えば、広島や長崎の原子爆弾投下による大量虐殺についての責任は問われなかったなど、現実には戦争の敗者に対して追及されるのが戦争責任である。

 2022年2月にロシア軍はウクライナ侵攻を開始した。ロシアは戦争ではなく特別軍事作戦と称し、国連憲章で許される集団的自衛権の行使だと弁明したが、独立国であるウクライナに対する侵攻であると世界の大半の人々は受け止めただろう。だがロシアはウクライナの占領と体制転換を達成できず、東部や南部の占領地を維持するための防戦に方針転換せざるを得なくなっているのが現状だ。

 ロシアなりに大義名分を掲げてウクライナに侵攻したものの、目的を達成することができず膠着状態が続いている様子で、さらにロシア軍の損失は相当大きいと西側メディアは報じる。こうなると「名誉ある」撤退や休戦を模索するために外交の出番となるが、そのような動きはロシアからは伝えられない。

 現状での休戦やウクライナからのロシア軍の撤退は、ウクライナ侵攻を命じたプーチン氏のメンツをつぶし、責任問題につながりかねず、権力を一手に握るプーチン氏が決断しない限り外交の出番はないだろう。だが長期の持久戦となれば、ロシアとウクライナ双方ともに武器弾薬と人員の補給が戦況を左右するので、ロシアに国外における長期の持久戦を遂行する能力があるのかが試される。

 ウクライナにロシア軍が侵攻して戦闘が始まり、1年半近くも戦闘は継続しているが、休戦に向けた動きは見られない。ウクライナにおける戦争責任を考えると、プーチン氏には開戦責任と継戦責任がある。さらに、侵攻したロシア軍などによるウクライナ市民に対する残虐行為や子供達の連れ去りなどが西側メディアによって伝えられ、そうした戦争犯罪に対する責任もプーチン氏は問われる。

 とはいえ、プーチン氏が戦争責任を問われるのは、ロシアとウクライナが全面戦争になってロシアが敗北した時か、ロシアで体制転換が起きてプーチン氏が権力の座から追放された時に限られる。ウクライナの東部や南部のロシアによる占領が維持されたままでの休戦が仮に実現したとしても、プーチン氏が権力を握っている限り、その戦争責任が問われることはない(西側はプーチン氏の戦争責任を問題にするだろうが)。

2023年7月15日土曜日

撮り鉄と乗り鉄

 線路敷地内に侵入したり、線路沿いの市有地に侵入したり、特定の場所に群がる等の撮り鉄と称される鉄道写真マニアの迷惑行為が報じられるようになった。テレビや雑誌などで紹介された撮り鉄に影響されて、写真を撮る際のマナーやルールをわきまえない急造の撮り鉄が増えたのだろう。おそらく以前から同様の行為はあったのだろうが、撮り鉄が大幅に増えて目立つようになったか。

 乗り鉄も増えているようで、五能線など人気のローカル線では全国から乗り鉄が集まり、休日などには大混雑だという。只見線も全国からの乗り鉄で大混雑する路線だ。特に2022年10月1日に11年ぶりに全線で運転を再開してからは、マスメディアで大きく報じられたこともあってか、乗ろうとする人が集まって、日中には満席で通路に立っている人も多いと伝えられた。

 只見線は全長135.2kmで、福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ単線で非電化の路線だ。例えば、会津若松駅を午前6時8分発の列車は、只見駅に9時7分に着き、9時30分に出発して小出駅には10時41分に着く。会津若松〜只見が約3時間、只見〜小出が1時間11分。只見線区間には接続する路線が西若松駅からの会津鉄道しかなく、席がない乗客は4時間以上も立っていることを余儀なくされる。

 「深く連なる山々と、蛇行する水量が多い川が織りなす絶景を車窓から楽しむには、窓際に座るに限る」と、只見線が日本有数の赤字路線とされ、乗り鉄の姿もほとんど見かけなかったころから只見線に乗りに行っていたという友人。「通路に立っていたのでは車窓からの風景は一部しか見ることができない」と、各地の観光路線で何回も立ったままの乗車を強いられた友人は言う。

 休日の日中でも、1車両に多くても4〜5人しか乗車していなかったころの只見線の記憶を思い出したのか友人は「あのころの只見線は素晴らしかった。4人掛けのボックスを1人で占領して、足を投げ出し、夏には窓を全開して、絶景を堪能できた」。「春夏秋冬、どの季節にも只見線はそれぞれの絶景を見せてくれた」と懐かしむ友人は、乗り鉄が急増して只見線が混むようになってからは乗りに行っていないという。

 乗り鉄が増えて、テレビや雑誌などで紹介された路線に集中した結果として休日などには大混雑となり、古くから鉄道に乗ることを楽しんでいた乗り鉄は乗車を楽しむことができなくなるというパラドクス。鉄道に乗る楽しさを自分で発見したのではなく、情報として乗り鉄趣味を発見して乗り鉄になった人々には、急増した撮り鉄と同様に「ここがいい」との情報が示す場所に群がる。

 只見線の混雑は続いているようで、只見線に乗ることを諦めた友人は「休日でも閑散としたローカル路線はまだまだ多い」と、テレビや雑誌にあまり取り上げられない路線を探して乗り鉄趣味を満たしている。「人気となった場所や路線に集中するのは、経験が短く、情報に操られて、“いいところ”を自分で発見することができない撮り鉄や乗り鉄だ」とする友人は最近、「連中と一緒にされたくない」と自分が乗り鉄だとは言わなくなった。

2023年7月12日水曜日

評価されて喜ぶ

 英ロンドンで毎年開催されるインターナショナル・ワイン・チャレンジは世界で最大規模の酒類の競技会(コンペ)とされる。審査員は各国から集まった約400人のワイン専門家で、中にはワイン専門家としての最高資格保持者も含まれる。ここで受賞すると世界的な評価を得たことになり、受賞品は売り切れたりするという。

 このコンペに2007年から日本酒部門が創設された。普通酒や純米酒、純米吟醸酒、本醸造酒など複数の区分けがあり、区分けごとに審査されるが、それぞれに選ばれた日本酒の中から最高の日本酒が選出される。2023年の「チャンピオン・サケ」には湯川酒造店(長野県)の「十六代九郎右衛門 純米吟醸 美山錦」が選出された。

 世界で日本酒人気が広まり、米国などでも製造されているというが、まだ大半の日本酒が日本国内で製造されているだろう。その日本酒の評価を決めるコンペが英国(欧州)で行われ、そこでの受賞を日本酒メーカーは報道によると、「自分たちのやっていることが客観的に評価された。これからも自分たちの酒造りをぶれずに続けていく自信ができた」(湯川酒造店)などと喜ぶ。

 歴史的に長い時間を日本人だけが日本酒を愛飲してきたのだから、日本にも日本酒の評価を決める協議会(コンペ)が存在するのだが、日本のマスメディアは欧米で日本の何かが評価された場合のほうを大きく扱う。そこには欧米(西洋人)による評価を喜び、世界的な評価を得たとの無邪気さが漂う。

 協議会(コンペ)を開催して評価するという仕組みは、開催する側の評価基準(価値観)を評価される側に受容させることである。大袈裟にいうならば、開催する側の価値観で世界を統一する運動であり、評価する側が評価される側よりも優位に立つことにもつながる。欧州は様々な分野で自分たちの規格を世界標準にさせることに成功し、それが欧州の世界におけ得る影響力を担保している。

 協議会(コンペ)による評価は絶対的なものであると早合点する人もいるだろうが、陸上競技や水泳競技などタイムによって決定する結果と異なり、いわば審査員の採点を集計した多数決による決定である。審査員による評価を一定レベル以上に保つために審査員に対する評価も行われ、開催する側の評価基準(価値観)を懸命に追従する人だけが審査員になる。こうした厳しい審査体制のアピールが審査が客観的であるとのイメージにつながり、競技会(コンペ)への権威付与に役立つ。

 どんな日本酒の味わいを好むかは個人によって様々だろう。フランス料理に合うという日本酒より、居酒屋の煮込みや焼いたホッケ、おでん、刺身などに合う日本酒のほうを好む日本人も多いだろう。西洋人などの他人の評価に追従せず、自分の好みの日本酒を飲めばいいのさ。日本酒の評価まで西洋人に頼る必要はない。こうした競技会(コンペ)は、そうした見方もあるのだねと参考にする程度で済ましておけばいい。

2023年7月8日土曜日

宗教と現世

 神や仏など現世を超越する価値を掲げる宗教が活動するのは現世である。現世で苦しみや悩みを抱えている人々に対して、そうした宗教は神や仏を信心することで心の平安を得ることができたり、来世における救いが期待できることなどを説いたり、さらには来世における裁きの厳しさを説いて「正しく」生きることを説いたりする。

 現世で苦しみ悩む人々に対して、超越的な価値を掲げる宗教ができることは限られる。現世の問題に対応するのは政府や自治体など政治の役割であろう。とはいえ、ホームレスの人々に対して米国では支援活動を行うキリスト教系団体もあるというが、そうした活動を日本で仏教や神道系の団体が積極的に行っているというニュースは見かけない。

 巨大な寺院や教団施設を誇る宗教団体には相応の経済力があるだろうから、苦しんでいる人々の一時避難所を各地に構築することはできそうだが、そうした動きは見えない。超越的な価値をいくら掲げたところで、現世で苦しみ悩む人々を救うことはできないと自覚しているから何もせず、超越的な価値を説くにとどめている気配だ。

 現世で苦しみ悩む人々が来世を信じなければ、超越的な価値を掲げる宗教にできることはない。そこに、現世利益をもたらすと主張する新興宗教が活動する余地があるのだが、新興宗教が、例えば、ホームレスの人々の支援を積極的に行うわけでもなく、行政などに働きかけるのは影響力行使や自己利益確保が目的だと見える。

 日本では仏教が一大勢力で全国各地に寺院は多くあるが、熱心な信者はそう多くはないようだ。超越的な価値を掲げる宗教が日本で限定的な影響力しか持つことができないことについて、加藤周一氏は「日本のシステムのなかには正義の観念がない。神道は浄いと穢れだが、それは正義じゃないんですね。仏教も曖昧で、何が正義かということがなく、正義の観念がない」(「日本禅の世界」=『加藤周一対話集①』所収。一部修正。以下同)。

 「一般化すれば、どういう価値に日本人はコミットしているのかということです。この点は動かせないという全体的な価値、どういう価値の根拠があるのか」が分かりにくいと加藤氏は続け、「鎌倉仏教は、それぞれ別のものにコミットした。道元は道元の絶対的な真理にコミットしていた。日蓮は日蓮の法華経にコミットしたし、浄土宗は浄土三部経、つまるところ阿弥陀にコミットしていたわけでしょう。鎌倉仏教は日本史上の非常に偉大なる例外だ」とする。

 日本文化の形成に仏教は影響を与えたが、現世における価値観に与えた影響は限定的だ。仏教の超越的な価値は日本では来世のことと限定され、現世との関わりは希薄になった。仏教が現世に関わるのは、例えば、平安や安寧などを祈るだけであれば、現世における影響力も限られるのは当然だろう。来世における救済という物語が色褪せるとともに、宗教が掲げる超越的な価値も色褪せる。

2023年7月5日水曜日

権利の主張

 最近、日本のマスメディアでもよく取り上げられる言葉に「LGBTQ」がある。これは性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称で、Lesbian(レズビアン=女性同性愛者)、Gay(ゲイ=男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル=同性も異性も対象にする両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー=体の性と心の性が異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング=性的指向や性自認が定まっていない人)の頭文字を並べた言葉だ。

 性的少数者の権利主張に「寄り添う」日本のマスメディアだが、これは欧米メディアの影響と見える。欧米メディアがLGBTQの権利主張を肯定的に取り上げ、それが世界の潮流になったと見えたのか、日本のマスメディアは追随している光景だ。性的少数者の権利主張が無視されるよりも現状は歓迎すべき状況といえようが、流行りのネタを追っているだけと見えなくもない。

 LGBTQとひとまとめにされるが、LGBは性交渉の対象が異性に限られるとの「常識」に反する人たちであり、TQは性自認に問題をかかえる人たちである。LGBの人たちは同性を対象とする性行為と婚姻などの社会的な認知を求め、TQの人たちは肉体的な性に拘束されないことを求めている。それぞれは社会的な少数者だが、性別と性行為などにも多様性を求める主張で共闘する。

 これまでLGBTQの人たちが少数者とされたのは、性別は天与のものであり、異性間の性交渉により子を産んで子孫をつないでいくとの「常識」が強固だったからだ。その「常識」は自然なものと受け止められ、様々な宗教では異性間の婚姻は祝福されたが同性愛などは異端とされ、LGBTQの人たちは社会でひっそりと生きざるを得なかった。

 欧米でLGBTQの人たちの権利主張の動きが活発化しているのは、キリスト教の影響力が衰えていることも関係している。教会の聖職者による過去の性加害が各国で暴かれ、周囲の関係者が見ぬふりを続けてきたことも明らかになり、教会の権威は失墜した。皮肉にも聖職者に同性愛者などが珍しくなかったことが暴かれ、キリスト教の影響力が衰えるにつれ、LGBTQの権利主張が活発化した。

 一方、イスラム教圏では同性愛は現在でもタブーとされ、イスラム国などの宗教過激派がかつて支配地で同性愛者を殺害したことが報じられるなど、厳しい状況にLGBTQは置かれている。ロシアでは「非伝統的な性関係」に関する情報の流布は制限され、LGBTを肯定的に表現した広告や書籍、映画が禁止されるなどLGBTQは社会の安定を損なうと、その権利主張が封じ込められる。

 LGBTQの権利の主張は性愛や性別などと密接に関係するだけに特殊なものと受け止められやすいが、少数者が権利を主張し、社会的な容認を求めている行動である。この社会の多様性はどこまで拡大するのか、この社会の寛容さは少数者をどこまで包摂できるのかが問われている(もちろん、少数者の主張に異議を唱え、そうした権利に反対する権利は誰にでもあり、議論できる社会であることも試されている)。

2023年7月1日土曜日

飼い犬に噛まれた

 飼い犬に手を噛まれた飼い主の対応は①そのまま飼い続ける、②手放す、③殺すーに分かれる。①の場合も、何もせずに飼い続ける飼い主は少なく、厳しく叱って飼い主の順位が上であると確認させたり、シツケをやり直して従順になるようにしたりするだろう。②の場合は、誰かに譲ったり、飼育放棄の犬猫を保護するNPOなどに持ち込んだりする。③では、保健所に持ち込む。

 プーチン氏は愛犬家で、日本から贈られた秋田犬を飼っているとされるが、その様子が報じられることは現在では全くなくなったそうだ。特別軍事作戦でロシア兵に多くの死傷者が出ているという状況では、犬と戯れている様子を映させても親近感のアピールにはつながらないことは明白だ。プーチン氏が今も犬と戯れる時間を持てているのかは明らかではない。

 プーチン氏が飼っているのは犬だけではない。民間軍事会社ワグネルも「飼って」いた。プーチン氏は6月27日、「ワグネルに戦闘員の給料とボーナスとしてロシア政府が過去1年間で862億6200万ルーブル(約1450億円)を支払っていた」と述べ、「ワグネルの運営資金は国防省、つまり国家予算からすべて提供されていた」と続けて、民間軍事会社とされるワグネルが実際には国営軍事会社であることを認めた。

 そのワグネルがロシア南西部の軍事拠点を占拠し、首都モスクワに向けて進軍を開始したのは6月24日。モスクワまで200kmに迫り、武装蜂起で戦闘が始まると一気に緊張が高まったが、ワグネルは進軍をやめ、エフゲニー・プリゴジン氏はベラルーシに亡命することが報じられた。プーチン氏はワグネルの戦闘員に対し、▽ロシア軍と契約する▽ベラルーシに行くーとの選択肢を示した。

 プーチン氏は「飼って」いたワグネルに何をさせたか。今回のロシアによるウクライナ侵攻に協力する以前からワグネルは、シリアやリビア、アフリカ各地などで紛争に参戦していたが、その活動はロシア政府の利益に貢献するとともに貴金属などの採掘利権に関与して独自に利益を得ていたとされる。非合法の組織であるから、その活動に制約は少なく、残虐な非合法活動を辞さなかったとされる(戦争犯罪も含めて)。

 プーチン氏の私兵とも言えるワグネルが、実はプリゴジン氏の私兵だったことが今回の首都モスクワに向かった進軍で明らかになった。プーチン氏は「飼っていた犬に噛まれた状況」で憤懣やるかたない心境だろう。だが、ウクライナ侵攻に軍を大量動員しているのでワグネルを壊滅する備えは首都モスクワ周辺にはなく、また、プリゴジン側の要求を飲むこともできなかった。

 プーチン氏はベラルーシにプリゴジン氏とワグネルを預け、手放した格好だが、秘密にすべき様々な事柄をプーチン氏と共有しているワグネルとプリゴジン氏を放置してはおけないだろう。飼い犬に手を噛まれた人が独裁者だった場合、そのまま飼い続ける可能性は低く、代わりの犬はいくらでもいるから、「鳴かぬなら殺してしまえ」風に始末を命じる。独裁者が愛するのは、自分にいつも必ず従う忠実な犬だけだ。