2025年6月28日土曜日

大盛りが嫌い

  ラーメンの食べ歩きに熱中していた友人は気が向けば、平日は仕事帰りにどこかのラーメン店に寄り、休日には午前中に1杯、昼過ぎに1杯、夕方に1杯、夜に1杯と食べ歩きを続けていたという。訪れた店を途中から記録するようになり、600店以上のラーメン店(町中華を含む)の評価・感想記を持っているそうだ。

 そんな友人は65歳を過ぎ、会社勤めも辞めてラーメン店の食べ歩きを毎日できるようになったが、「食えなくなった」と残念そうに言う。たまに昼に出かけても1軒のラーメン店で食べると、お腹いっぱいになり、夕食を食べる気が起きないことが珍しくなくなったそうだ。加えて、濃厚な味には美味しさを感じることが少なくなったという。

 「歳をとったということだな」と言ってやると友人は、「量を食べられなくなったのは年齢が関係しているだろうが、食べ歩き経験の蓄積で俺の味覚が洗練されて、本当にうまい店しか認めなくなったのだ」と強がる。食べ歩いたラーメン店を思い出して友人は「うまい店も凡庸な店も、時には俺の味覚に合わず、まずいとしか感じられない店もあった」が「ラーメンのまずさにも段階がある。まずいラーメンを食べることも食べ歩きの面白さだ」とする。

 そんな友人はテレビの食べ歩き番組にしばしば出てくる大盛りやメガ盛りメニューを批判する。「腹がいっぱいになればいいというのは、邪道だ。俺の食べ歩き美学に反する。同じ味を食べ続ける大盛りは、仕事メシには適してるが、おいしさを求める食べ歩きでは対象外だ。たったの一口でも、これはうまいと感じさせる味に出合うのが食べ歩きの醍醐味だ」と力説する。

 海鮮丼を出す飲食店が増え、テレビでは刺身を山盛りにした海鮮丼が紹介されたりするが、友人は「あれは刺身を乗っけているんじゃなくて、切り身を積み重ねているだけだ」と手厳しく、「本当においしい刺身を食べた経験のない連中が、山盛りの切り身を乗っけた海鮮丼をありがたがっている。刺身はガツガツ食うものじゃない」と冷ややかだ。

 体を使って働く人々やスポーツ選手ら量を食べることが当然視される人々がいるし、成長期の若者も量を食う。「若い頃、お前は大食いだった。腹いっぱい食べる喜びを忘れたんじゃないか」と聞くと、友人は「食べ歩きを始めたのは30代後半からで、目的は量ではなく質、つまり味だ。量が目的なら、わざわざあちこちに出向く必要はない。でも、腹いっぱい食いたいという人を否定しないよ。満腹感を得ることも食事の楽しみの一つだ」。

 続けて友人は「おバカな舌を持っている連中が群がるから、飲食店は堕落する。大盛りやメガ盛りメニューは量を増やすだけだから、手間隙かけて新しいメニューを増やすより簡単だ」と批判し、「食べ歩きの楽しみは味との出合いだ。大盛りメニューよりも半盛りメニューを増やしてほしいな。そうすれば、いろいろな味を楽しむことができる。けど店にとっては手間がかかる割に売り上げが上がらないので、半盛りメニューは広がらないだろうな」と話を閉じた。

2025年6月25日水曜日

理想と現実

  エンジン車の新車販売を段階的に規制し、2035年にはエンジン車販売を事実上禁止するEUの計画は、各国メーカーにEVへの転換を強制するものだった。CO2排出量削減という大義名分には反対できないことと、自動車市場に新たに大きな市場(EV)が生まれることが約束されたとして各社は相次いで野心的なEV投入の計画を華々しくアピールした。だがEVの普及は遅々として進まない。

 CO2排出量削減へ向かってEUの人々が高い意識で行動し、EVへの乗り換えが順調に進むとの目論見ははずれ、各社は「EV一本足」の経営では危ういと判断し、EUの計画に対する修正圧力が高まった。ドイツの要求によりEUは、合成燃料を使うエンジン車の販売は継続的に認めると方向転換した(合成燃料は再生可能エネルギー由来の水素とCO2からつくられるものに限られる)。

 さらにEUは、乗用車などのCO2排出量規制を緩和した。各年ごとに排出量を基準値以下に抑えなければ罰金を科すとのルールを修正し、27年までの3年間平均で基準を達成すれば罰金を科さず、猶予期間を与えるとした。生産なら政治力により強制的に変化させることができるが、自由な市場に変化を強制することは困難だということをEUは証明してみせた。

 CO2排出量削減が地球環境のために早急に絶対必要ならば、こうした規制緩和は行われなかっただろう。だが、EVへの移行が遅く、各国の自動車メーカーの経営にも影響が出始めたという現実を前にしてEUは、規制緩和を求める自動車メーカーへの配慮を優先せざるを得なくなった。理想を掲げて政策を策定・推進するが現実に合わせて柔軟に修正するのは当然の判断とはいえ、理想が現実的ではなかったともいえる。

 CO2排出量削減が地球環境のために急務だとするならEUは、域内で生産されている大排気量車に対する規制を強めるべきだった。大排気量エンジンはC02排出量が多いのだから、EVが増えるのを待つよりも大排気量車を減らすほうが実際にCO2排出量を減らすことができた。だがEUは域内で生産される大排気量車を野放しにしている。

 世界の新車販売に占めるEVは22%(PHEV含む。2024年)と着実に増えているが、エンジン車と完全に置き換わるには相当の年月を要するだろう。EV普及が進まない要因として▽充電スタンドの不足▽航続距離の制約▽価格が高い-などが指摘されるが、どれも早急な解決は無理だ。米テスラは高級車として高価でも売れ行きを伸ばしたが、EVが高級車に偏るならば普及には限度がある。

 EVがもっと広く普及するには、高級車ではなく大衆車が中心とならなければならないだろう。通勤や買い物など日常的な使用に支障がない近距離移動に狙いを絞ったEVが、ガソリン車と同程度の価格で販売されるようになれば普及に弾みがつこう。欧州市場で中国BYDのEVが低価格で販売を伸ばし、テスラを抜いたという。CO2排出量削減という理想の実現に貢献するのが中国製の低価格EVだという現実に、EUはとまどっているようだ。

2025年6月21日土曜日

失ったもの

 2022年2月から始まったウクライナ侵攻におけるロシアの死傷者数が約100万人になったと英国防省が発表した。うち死者と行方不明者は約25万人で、ロシアにとって第二次世界大戦以降で最大の人的損失だとする。ソ連が行ったアフガニスタン侵攻の死者1万5000人、負傷4万人より圧倒的に多い(アフガン侵攻はソ連崩壊の一因になったとされる。ゲリラ側の死者は推定60万人)。

 多大な死傷者を出し続けているウクライナ侵攻だが、ロシアは停戦に動く気配を見せていない。ウクライナに対するドローンやミサイルによる攻撃が続いていると報じられるが、ロシア兵などによる攻撃も続いているだろうから、ロシアの死傷者数は増え続けるだろう。英国防省は「ロシア指導部は、国民やエリート層の戦争への支持に悪影響を及ぼさず、兵力の損失を補うことができる限り、多大な損失を容認する」としている。

 死傷者数が100万人に達するとはロシアは開戦前に想定していなかっただろう。もし死傷者が100万人にも達すると試算したなら、軍事力を行使することに慎重になったかもしれない。だが、ロシアはもう引くに引けない。ロシア国内の雰囲気が報じられることは少なく、厭戦・反戦の気配が漂っているのか定かではないが、国内が戦争支持でまとまる間は戦争を続けることができるだろう。

 ロシアがウクライナ侵攻で国際的に得たものは、侵略国との烙印だ。ロシアは軍事的に領土拡大を続けるのではないかとの疑念が欧州各国に広がり、信頼できない国だとの認識が定着したように見える。さらに数々の制裁を欧米などから課され、欧米経済と大幅に切り離され、頼るのは中国やインド、イラン、北朝鮮に偏るなど多くのものを失った。

 失うものがない時に人は、しばしば無責任な言動・振る舞いに及び、相手に反撃能力がないと見ると、いくらでも攻撃的になることがある。だが、失うものがあり、失うものが大きいと判断すると、慎重に振る舞う。失うものは、経済的な利益、名誉・名声、信用・信頼、影響力、人望、健康・生命など様々あり、どれを失うのかは状況によって異なるが、失ったものを取り戻すのは簡単ではないだろう。

 国家も同じだ、無責任な言動・振る舞いにより過度に攻撃的になると、失うものがある。ロシアやイスラエルは過剰とも見える攻撃を続け、人命や人権、他国の主権、国際秩序などを軽視する国家だとのイメージを定着・拡散させた。世界の人々からどう見られるかを軽視・無視する国家は民間人の殺害を続け、残虐行為を辞さない。残虐な国家だと世界の人々から見られることを気にしないロシアやイスラエルは多くのものを失っている。

 欧米諸国は、ロシアの残虐行為を非難するが、イスラエルの残虐行為に対しては黙るか支持する。欧米諸国がダブルスタンダードだとの批判は以前から多く、欧米諸国はイスラエルの行動を容認することで、人命や人権を尊重する公平な諸国だというイメージを完全に失った。ロシアが得たものは侵略国との烙印であり、イスラエルが得たものは強硬な軍事優先国家だとのイメージであり、欧米諸国が失ったものは世界平和に貢献する諸国だとのイメージだ。

2025年6月18日水曜日

対話と攻撃

 社会の分断が激しくなった時、最も大きい弊害は対話が成り立たなくなることだろう。分断が激しくなると、互いに自説に固執し、相手を否定することが自説の正しさを示すことであるかのような誤解が生まれ、相手を攻撃することに熱心になる。相手を否定したところで自説の正しさが客観的に証明されるわけではない。

 相手の主張を理解することで対話は成立する。相手の主張を理解することは相手の主張に同意することではない。相互の主張の違いを認識することから、相違点を浮かび上がらせることができ、どこは同調できるか、どこが食い違うのかをはっきりさせることで対話が機能し、相互の理解が深まる。

 分断が深刻化し、対立が激しくなると、相手の主張を理解することは「負け」であるかのような雰囲気が生まれ、相手の主張を理解することは放棄される。対話に勝ち負けはないが、対立が激しくなると感情が優先し、勝ち負けの意識が出てくる。スポーツならば、勝ち負けはあっても試合終了後に選手は友好的になることもできようが、社会の分断で対立している人々の間に「スポーツマンシップ」は希薄だ。

 対話ならば相手を説得することが可能になるが、相互に攻撃し合うならば、説得は不可能だろう。相手に対する説得と相手に対する攻撃は共存できない。説得が放棄され、対話の場が自説を展開するだけの場になると、相互に攻撃し合い、時には相互に憎み合う。聞く耳を持たない相手に対しては、どんな言葉も届かないだろう。攻撃し合うことで互いに感情的になり、余計に相手の言葉を理解することが難しくなる。

 分断に対して寛容の必要性を説く論調がメディアに現れる。だが、寛容さを失った人々が激しく対立し、分断が生じているとすれば、寛容が必要だとの論は正しいのだろうが、現実には無力だ。寛容さが存在すれば、承服しがたい相手の主張を冷静に聞き、反論することで議論が成立するが、相互に言い合う状況では、声の大きさや時には相手を罵倒することが優先される。

 分断が先鋭化すると、対話を求めることは弱さの現れであるとされたりする。だが、相手の主張を全否定することで自分の主張を正当化する行為は、対話における主張の検証を拒否しているとの弱さを内包している。言葉の応酬で相手を屈服させれば勝ちだとの「力の論理」が持ち込まれ、相手の主張を否定することでしか成立しない主張が盛んになる。

 主張は検証されることで「磨かれ」る。異論がぶつかり合う場である対話は主張が「磨かれ」る場であるが、互いに言い合うだけでは主張が「磨かれ」ることはない。分断が深刻になればなるほど対話の重要性は増すのだが、同時に対話が軽んじられ、声高に自説を主張することが重視される。行き着く先は、分断が亀裂へと広がり、憎み合い、殴り合い、傷つけ合い、共存が放棄されるしかないだろう。

2025年6月14日土曜日

希薄になった存在感

 かつて日本企業は、造船、鉄鋼、家電製品、半導体(メモリー)、自動車など世界市場で大きな存在感を示していた。だが、次々と韓国企業にシェアを奪われ、ついで中国企業も独自ブランドで世界への輸出を始め、自動車を除いて日本企業の存在感は希薄になった。自動車でもBYDなど中国企業の世界市場における存在感が高まっている。

 金融でも、かつて日本の銀行は時価総額で世界のトップ10に名を連ねていたが、今ではGAFAをはじめとする米国企業が上位に名を連ね、中国企業の名も散見されるようになった(じゃぶじゃぶと積み上がったマネーが米国などの株式市場に流れ込んでいることは勘案しなければならないが、日本が積み上がった世界のマネーの取り込みに遅れていることの反映でもある)。

 とはいえ、iPhoneに大量の日本企業の部品が使われ、半導体の製造過程で日本企業の素材や製造装置が不可欠であることなど日本企業の国際競争力が保たれている分野もあり、世界市場を相手に商売できる日本企業は数多いのだろうが、消費者の手に渡る商品という、直接見ることができる製品で日本企業の存在感が希薄になっているのは否めない。

 海外にもファンが多いというスタジオジブリが大幅な増益を達成するなど好調で、日本のアニメや漫画が世界を席巻しているかのように報じられ、日本に対する興味を高め、親近感をも高めているかもしれない。だが、それらが潤沢な利益を世界から日本にもたらしていると報じられることはない。音楽や映画などでは単発の「成功」があるだけだ。

 太陽光パネルやリチウム電池など日本企業が先駆けて製品化に成功した分野でも韓国企業や中国企業の後塵を拝するようになり、かつてソニーやホンダなど日本企業が技術開発の成果を次々とアピールしていた人型ロボットは現在、米中の企業の開発競争が激しくなっているとされ、日本企業の存在は見えなくなった。

 後発国が先進国の技術などを取り入れ、低い人件費など低コストによって低価格の類似製品を製造し、先進国など世界市場でシェアを伸ばすのは日本企業もたどってきた道だ。韓国企業や中国企業などが成長し、日本企業のシェアを奪うのは歴史的には自然な現象だろう。問題は、日本企業が経済構造の変化に対応できず、情報化経済の波に乗り遅れたことだ。

 SNSで日本企業の存在感はなきに等しく、ネットを介した各種サービスも外国企業の成功事例を追って国内で展開しているだけだ。世界で売れる商品・サービスを作ることができなくなった日本企業だが、人口減少で日本国内市場は先細りであるのだから、世界市場を相手にするしか成長の道筋は見えない。内部留保を積み上げて安心・満足している各企業の経営陣が総退陣した後に、日本企業の世界市場での活躍が再び始まる(と期待したい)。

2025年6月11日水曜日

TACO理論

 英語の「chicken」には「臆病者」「腰抜け」「臆病な」の意味もあり、chicken out は「おじけづいて、やめにする」だ。最近、この言葉で語られているのがトランプ大統領だという。TACOは「Trump Always Chickens Out(トランプはいつもビビってやめる)」の略語で、ウォール街のトレーダーや世界の投資家に広まっていると報じられた。

 この略語は英フィナンシャル・タイムズ紙のコラムニストが作ったものだ。トランプ政権が他国に「高関税を課す」などと高らかに一方的に宣言しても、株価や米国債の価格が下がるとすぐに撤回したり、引き下げるなど、二転三転する関税政策を皮肉り、すぐに方針変更するかもしれないからと「TACO理論」を紹介し、トランプ政権の方針変更を見越した取引「TACOトレード」を推奨した。

 記者からTACOについて質問され、トランプ大統領は「その言葉は絶対に口にするな」「最も気に食わない質問だ」などと不快感を露わにしたという。また、多くの事態が正常化に向かい、FRBは利下げを行い、景気後退は訪れず、関税にもかかわらずインフレ率は跳ね上がらないことなどが起きるかもしれず、TACOを前提としたTACOトレードが今後も続くことに賭ける投資家の存在が伝えられた。

 ディールが得意だというトランプ氏は各国に対して、最初に大きくふっかけて、びびった相手から譲歩を引き出し、実利を獲得する戦略なのかもしれない。そうした交渉スタイルは自国(というより自政権)の利益確保を最優先した外交なのだろうが、国際強調という建前を無視し、既存のアメリカ主導による国際秩序を蝕んでいく(米国は各国から信頼されなくなって行く)。

 トランプ政権にとって、譲歩に動く各国の反応や株式・債券など市場の反応に応じて、高関税などの要求を緩和したり、引っ込めたりすることはディールの内なのかもしれないが、側からはトランプ政権がビビっているようにも見える。だからTACO理論が生まれた。ふっかけた条件を緩和したり、引っ込めたりするのもディールの内だとトランプ政権が認識していたとしても、客観的にはトランプ政権がビビったと見られる。

 トランプ氏は、攻撃されると怒りが爆発して強く反撃し、口汚く罵ったりするが、笑われたり皮肉られたりすると戸惑い、質問を一蹴したりして、対応法が決まっていないように見られる。感情的に動く人物なので、ジョークのネタにされたりすると、巧妙にジョークで咄嗟に対応するなどということができず、怒りを爆発させるか、困惑して黙る。このタイプの政治家は日本にも多そうだ。

 ニワトリなど小型の鳥類は自然界では捕食者に狙われる存在だ。常に警戒心が強くなければ生き延びることができず、食われるだけだが、その様子から臆病者と連想したのかもしれない。トランプ政権の米国に対抗できる中国やEUは真っ向から反撃するが、大半の国は米国に対して、言い返すこともできず、条件交渉に持ち込むのが精一杯だ。臆病者のように振る舞うしかない各国と、強者を装うTACOのトランプ政権は似た存在だ。

2025年6月7日土曜日

並ぶ人たち

 日本各地で備蓄米を買うために行列する人々の様子がニュースで報じられている。開店の1時間以上前から行列に並ぶ人たちもいて、コメの争奪戦は日常化した。数量が限られる店舗では備蓄米を入手できない人もいたそうで、手に入らないとなると願望がますます刺激されたりし、「次こそは」と頑張って早くから行列に並ぶようになるのかな。

 商品棚からコメが消えた様子ばかりが報じられ、「早く買っておかないと、なくなってしまう」と浮き足だった人々が殺到して行列し、順に備蓄米を手にする。その様子は“絵になる”ので各社のカメラクルーが群がり、テレビや新聞などで報じられ、それを見た人々が、手に入るなら「買っておこうか」と新たに行列に加わるとなるなら、行列は絶えそうにない。

 52年前の1973年にも店舗の前に人々は行列をつくった。当時、大阪の千里ニュータウンで「オイルショックでトイレットペーパーがなくなるらしい」との噂が広がり、スーパーに人々が殺到してトイレットペーパーが売り切れ、それが全国に伝わった。生活必需品が手に入らないかもしれないとの不安に突き動かされた人々が行列をつくる光景は何度も繰り返されている。

 コメは日本人の主食であり、供給不足は政治問題となる。敗戦後の1946年には、東京各地で人々が「配給の組織を正して早く公平に食わせろ」「元気で働けるだけ食わせろ」などと要求した(NHK)。皇居前広場で行われた飯米獲得人民大会(食糧メーデー)には25万人が参加し、「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードが掲げられた。

 主食の欠乏に対する人々の怒りが暴動につながった例は世界では珍しくない。18世紀のフランス革命は、秋の収穫が激減して凶作に見舞われて食糧不足が深刻となったことが引き金になったとされ、2008年には穀物の価格が世界的に高騰し、エジプトなどアフリカ諸国や東南アジア諸国、南アジア諸国、南米諸国など主要穀物を輸入に頼る途上国で政府への抗議デモや暴動が頻発した。

 政府が減反政策を事実上続けてコメ不足を招いた日本で、主食の供給不足が問題化したのだが、人々は怒りを表さず、おとなしく行列に並び、やっと手に入れたコメを手にして、嬉しそうに報道のインタビューに応じている光景がテレビなどに現れる。コメが入手できなくなっても怒りが爆発する気配は希薄で、切迫感がないのは、コメがなくても代わりに食べる食料品が豊富にあるからだろう。

 おとなしく行列に並ぶ人々が示すのは、「食い物をよこせ」などの暴動は現代の飽食の日本では起こらないだろうということだ。腹を空かせた人々の怒りが政府打倒に発展することもなく、コメを奪い合うこともなく、おとなしく行列に並ぶ。人々が怒りを表してこそ政府も政治家も官僚も本気で構造改革をせざるを得なくなるのだが、既成の秩序におとなしく人々が従うことは、既成の秩序の延命を助けるだけだ。

2025年6月4日水曜日

権力者の自由

 米国の国際貿易裁判所は5月28日、国際緊急経済権限法を根拠にしたトランプ政権の相互関税や10%の一律関税などが、同法により大統領に与えられた権限を越えているとして差し止めを命じた。ホワイトハウスは「国家の緊急事態を適切に解決する方法を決めるのは、選挙で選ばれていない裁判官の役割ではない」とし、政権は上訴した。

 翌29日、米連邦控訴裁判所は、差し止めを命じた下級審の判決を覆し、トランプ政権が発動した幅広い関税措置は維持できるとした。決着は最高裁まで持ち越されると見られるが、最高裁の9人の判事のうち6人が保守派(うち3人は1期目のトランプ大統領が指名していた)なので、トランプ政権に有利な判決がでる公算が大きい。司法が行政に迎合するのは権威主義国では珍しくないが、米国でも同様の社会に近づきつつある。

 関税だけではない。トランプ政権は、不法移民の強制送還を始め、DEIを追究する政策を撤回し、政府職員の大幅な削減を実行し、ハーバード大などへの締め付けを強め、留学生の削減を始めるなど相次いで従来の路線・枠組みの変更を強行している。それらが法的な正当性を有しているのか定かではないが、いずれ最高裁が容認するとするならトランプ政権は独裁的な統治を民主主義国である米国で実現した。

 中国やロシアなど権威主義国では民主主義や法の支配・人権など西欧由来の普遍的とされる価値観は軽んじられる。個人独裁の典型の北朝鮮では西欧由来の価値観は見向きもされない。民主主義国であっても、議会や司法に縛られることなく、政権が自由に権力を行使できると何が起きるかを米国のトランプ政権は世界に見せている。

 ただし、米国では選挙により権力のあり方を決めるという原則は共有され、トランプ氏の3選出馬は不可能とされる。中国やロシアでは憲法を改正して習近平氏やプーチン氏の多選を可能にしたが、米国では現行憲法に規定された民主主義体制を覆そうとする動きは現れてはいない。自由選挙や法の支配などにより国家形成を行ってきた長い歴史があるから米国では、国の形の根本的な変更は容易ではないのだろう。

 自由選挙だけが機能して、議会も司法も行政権力に従属するトランプ政権の米国では、異論は攻撃の対象になり、客観性や情報の真贋は無視され、選挙により権力を掌握した政権を制御することが困難になっている様相だ。分断と対立が先鋭化した結果が、選挙の勝者が権力を振り回すことになるのなら、自由選挙は権力を掌握した人々の独裁を許すこともありうる。

 ヒトラーは自由選挙で権力を掌握し、やがて独裁体制を構築したように自由選挙は民主主義などの否定にも道を開く。このまま米国が「脱」民主主義に向かうとは思われないが、トランプ政権がやりたい放題に振る舞っている現状は、何ものにも縛られない自由を権力者に与えると、何が起きるのかを示している。分断と対立が、選挙の勝者による異論の排除に向かうとすれば民主主義は形骸化する。