神戸製鋼所や日産自動車などの不祥事が相次いで明らかになり、日本の製造業の高品質イメージが失墜したと憂慮する声が上がっている。だが、実態から遊離して信仰されていた高品質イメージなら、現実に裏切られるのは当然だろう。
日本にとって好都合だった「日本産品は高品質」とのイメージが崩れるのは、日本礼賛主義者にとっては悔しくもあり、「日本に誇りを持つ」イメージ戦略を傷つける。とはいえ、全ての日本製品が高品質だと、日本のものは何でも礼賛したがる根拠の希薄な願望を修正し、冷静に品質を見極める姿勢を育むには、いいきっかけになりそうだ。
一連の不祥事は、市場が頭打ちで売り上げ増加が見込めない中、コスト削減のため人員削減や非正規雇用化などが進む製造現場の疲弊の結果だともされる。一方で、製造工程での品質管理が徹底しているのに完成車の出荷前検査など「時代遅れ」の制度が続いていることの矛盾が現れたとする声もある。
製品は高品質だが、データや検査が偽装されていただけなら対策は容易だろう。データ表示や検査を法令に忠実に行うように徹底すればよい。だが、現場での品質管理能力が低下し、製品の高品質そのものが確保されていないのなら、問題の根は深い。製造工程のすべてにわたって検証する必要が出てくる。
こうした日本企業の不祥事は探るほどに明らかになってきそうだが、高品質イメージの企業の不祥事は世界でも起きている。例えば、独VWは、クリーンをアピールしてディーゼルエンジン車を売りまくっていたが、検査時にだけ浄化装置を作動させるという不正を行っていた。これは、会社の方針としてやったこと。つまり確信犯のやったことだ。
さらに、ディーゼルエンジン車の排ガス不正に関連してカルテルも疑われ、独の自動車業界ぐるみの不正だった疑いが強まっている。神戸製鋼所や日産の場合、現場に問題がある実態を経営陣が把握していなかったように見えるが、独VWなどのディーゼルエンジン車の排ガス不正は、経営陣からの指示あるいは了承なしに実行できるものではあるまい。
企業が内部留保を積み上げる一方、労働分配率が低下する現在において次々に暴かれる不正は、日本のみならず世界で企業は利益追及のために、偽装、インチキ、隠蔽を辞さない集団だと見なすべきことを示している。日本製品の高品質イメージが崩壊することを嘆くよりも、企業が社会的な責任に真摯に向き合う端緒に、今回の一連の不祥事判明がなることを期待すべきか。
2017年10月28日土曜日
2017年10月25日水曜日
上塗りされるイメージ
神戸製鋼所が品質データを改ざんしたアルミや銅製品、鉄鋼製品を出荷していたことが判明したが、長期にわたり組織ぐるみの不正が行われていたと見られている。日産自動車では無資格者による出荷前の法定検査が行われていることが判明、問題公表後も無資格検査を続けていたことが暴露され、新車の出荷停止に追い込まれた。
偽装といえば、東洋ゴムは免震ゴム、旭化成は子会社が地盤調査データ、三菱自動車は燃費性能データでそれぞれ偽装を行っていたことが、ここ数年、相次いで明らかになった。また、エアバッグ大手のタカタは世界的なリコールに追い込まれ、経営破綻した。
製造業企業ではオリンパスや東芝など経営陣主導による不正決算などがあり、日本の企業が「頭から腐る」ことは珍しくなかった。だが、製品を製造する現場は「健全」で、日本製品は高品質とのイメージは保たれていると見なされていただけに、相次ぐ現場での偽装などの不祥事は、日本の製造業全体への信頼を揺るがしかねないと懸念されている。
冷静に考えるなら、日本の製造業の製品が全て高品質であるというのはあり得ない。高品質の製品を提供する企業があれば、粗末な製品を提供する企業もある。日本の企業の製品なら高品質である……なんて現実離れしたイメージに浮かれているうちに、そのイメージに束縛されるようになっていただけだ。
製造現場で問題が放置され、隠蔽していた企業がある実態が暴かれたのなら、事実関係を精査して改善すればいい。だが、日本製品の高品質イメージが崩れるとの懸念に対する効果的な対策は乏しい。具体的事実から形成されたイメージであっても、時とともにイメージは抽象化するからだ。
抽象化したイメージが変わるのは、別のイメージが上塗りされた場合だ。不祥事を起こした日本の企業が、イメージ回復に失敗し、逆にイメージを悪化させることが多いのは、曖昧な説明だったり、次々に問題が出てきたりと、真摯に対応しているとのイメージを打ち出すことに失敗するからだ。
日本製品が高品質だとのイメージを世界で持続させるには、悪いイメージを発散する企業を「退場」させ、高品質の製品を提供する企業の比率を高めるしかない。しかし、神戸製鋼所などの大企業を「退場」させることは至難だろう。つまり、実態から乖離した「日本製品=高品質」イメージなら、別のイメージ(日本企業=信用ならない)に上塗りされるしかない。
偽装といえば、東洋ゴムは免震ゴム、旭化成は子会社が地盤調査データ、三菱自動車は燃費性能データでそれぞれ偽装を行っていたことが、ここ数年、相次いで明らかになった。また、エアバッグ大手のタカタは世界的なリコールに追い込まれ、経営破綻した。
製造業企業ではオリンパスや東芝など経営陣主導による不正決算などがあり、日本の企業が「頭から腐る」ことは珍しくなかった。だが、製品を製造する現場は「健全」で、日本製品は高品質とのイメージは保たれていると見なされていただけに、相次ぐ現場での偽装などの不祥事は、日本の製造業全体への信頼を揺るがしかねないと懸念されている。
冷静に考えるなら、日本の製造業の製品が全て高品質であるというのはあり得ない。高品質の製品を提供する企業があれば、粗末な製品を提供する企業もある。日本の企業の製品なら高品質である……なんて現実離れしたイメージに浮かれているうちに、そのイメージに束縛されるようになっていただけだ。
製造現場で問題が放置され、隠蔽していた企業がある実態が暴かれたのなら、事実関係を精査して改善すればいい。だが、日本製品の高品質イメージが崩れるとの懸念に対する効果的な対策は乏しい。具体的事実から形成されたイメージであっても、時とともにイメージは抽象化するからだ。
抽象化したイメージが変わるのは、別のイメージが上塗りされた場合だ。不祥事を起こした日本の企業が、イメージ回復に失敗し、逆にイメージを悪化させることが多いのは、曖昧な説明だったり、次々に問題が出てきたりと、真摯に対応しているとのイメージを打ち出すことに失敗するからだ。
日本製品が高品質だとのイメージを世界で持続させるには、悪いイメージを発散する企業を「退場」させ、高品質の製品を提供する企業の比率を高めるしかない。しかし、神戸製鋼所などの大企業を「退場」させることは至難だろう。つまり、実態から乖離した「日本製品=高品質」イメージなら、別のイメージ(日本企業=信用ならない)に上塗りされるしかない。
2017年10月21日土曜日
公約の効能
お題目とは「法華経の題目(「南無妙法蓮華経」と「妙法蓮華経」)を丁寧にいう語」だが、「ありがたそうに唱えているばかりで、内容・実質のない主張」(大辞林)という意味でも使われる。実質がないという点では選挙を前に政党がでっち上げ…いや、急いで作成した公約にも、お題目の雰囲気が漂わないでもない。
選挙で政党が掲げた公約を実現するには、政権を担うか連立政権に参加することが必要だ。つまり、選挙で第1党になれず、連立政権にも参加しない政党には公約を実現することは簡単ではない。候補者数が少なく、連立政権に参加するつもりがない政党の掲げる公約は、まさに「絵に描いた餅」であろう。
選挙には公約がつきものだ。政党にも公約がつきものであると思いがちだが、選挙の間際になって公約の制定作業を急いで始めるところもあって、選挙対策の標語でしかない。政党に確立した綱領があるなら、その現実化が公約となるだろうが、綱領がなく、行き場を探す候補者が寄せ集まった政党なら、集票狙いの標語がお似合いだ。
投票してくれた主権者と政党との約束と公約は見なされるが、拘束力はゆるい。選挙が終われば公約の出番は終わったも同然。そこらは主権者のほうも承知しており、当選すると公約を「忘れる」候補者を繰り返し当選させたりする。主権者は公約の実現をあてにしていないか、投票する判断基準に公約は関係しないのか知らないが、公約の影は薄い。
選挙に勝って政権を担った政党は、公約を着実に実現していると主張するだろうが、大まかな方向を示すだけなのが公約。具体的なことを掲げると、後から検証された時に「実現していないじゃないか」とすぐ分かるから、どのようにも言い繕うことができるようになっている。
各党の公約には、未来とか活力、地方再生、暮らし、安全・安心、社会保障、環境、誇り、平和、決断、無償化、減税、雇用、高齢者支援、景気対策、年金、医療、介護、原発、子育てなどの文言が散りばめられる。
政治家や政党が様々な課題に満遍なく配慮し、対策を考えているように公約は装うが、選挙の後、法案作成や法の執行など具体的な事柄になると官僚任せが実態だともされる。官僚は政党の公約に制約されないから、選挙の際の公約が集票狙いの標語になるのも当然か。
選挙で政党が掲げた公約を実現するには、政権を担うか連立政権に参加することが必要だ。つまり、選挙で第1党になれず、連立政権にも参加しない政党には公約を実現することは簡単ではない。候補者数が少なく、連立政権に参加するつもりがない政党の掲げる公約は、まさに「絵に描いた餅」であろう。
選挙には公約がつきものだ。政党にも公約がつきものであると思いがちだが、選挙の間際になって公約の制定作業を急いで始めるところもあって、選挙対策の標語でしかない。政党に確立した綱領があるなら、その現実化が公約となるだろうが、綱領がなく、行き場を探す候補者が寄せ集まった政党なら、集票狙いの標語がお似合いだ。
投票してくれた主権者と政党との約束と公約は見なされるが、拘束力はゆるい。選挙が終われば公約の出番は終わったも同然。そこらは主権者のほうも承知しており、当選すると公約を「忘れる」候補者を繰り返し当選させたりする。主権者は公約の実現をあてにしていないか、投票する判断基準に公約は関係しないのか知らないが、公約の影は薄い。
選挙に勝って政権を担った政党は、公約を着実に実現していると主張するだろうが、大まかな方向を示すだけなのが公約。具体的なことを掲げると、後から検証された時に「実現していないじゃないか」とすぐ分かるから、どのようにも言い繕うことができるようになっている。
各党の公約には、未来とか活力、地方再生、暮らし、安全・安心、社会保障、環境、誇り、平和、決断、無償化、減税、雇用、高齢者支援、景気対策、年金、医療、介護、原発、子育てなどの文言が散りばめられる。
政治家や政党が様々な課題に満遍なく配慮し、対策を考えているように公約は装うが、選挙の後、法案作成や法の執行など具体的な事柄になると官僚任せが実態だともされる。官僚は政党の公約に制約されないから、選挙の際の公約が集票狙いの標語になるのも当然か。
2017年10月18日水曜日
イスラエルが望むもの
米トランプ大統領は米欧がイランと2015年に結んだ核合意について、イランが合意を順守しているとは「認めない」とした。合意からは離脱せず、制裁再開の判断は議会に委ねるが、議会や関係国が合意の問題点を解消できなければ「合意を破棄する」と強調した。
米国はまた、ユニセフに脱退することを通告した。ユニセフに対し、パレスチナの加盟を認め、エルサレムの聖地「神殿の丘」の表記やヘブロン旧市街の世界遺産への登録などで反イスラエル傾向があるなどと批判していた。ユニセフは、政治的な偏向があるとか中国の影響力が大きくなったなどの批判が珍しくない組織だ。
この二つの動きを歓迎しているのがイスラエルだ。サダム・フセインが排除されてイラクが弱体化し、反政府運動が煽られ、さらに内乱が拡大してシリアも弱体化し、中東でイスラエルに対抗できる国はイランだけになった。対IS戦で軍事的な影響力を強めたイランは、核合意によって欧州などからの投資が増えている。
米国が核合意を破棄する姿勢をちらつかせてイランとの緊張が高まり、イランの行動に制約が増すことはイスラエルにとって好都合だろう。イスラエルは米国に続いてユニセフ脱退を表明した。ユネスコの姿勢が反イスラエル的というのが理由で、米国の脱退理由と重なる。
イラク北部のクルド人自治区で住民投票が行われ、独立への賛成票が9割以上になった。住民投票の実施にはイラク中央政府に加えトルコ、イランや米国なども強く反対したが、イスラエルは歓迎した。ISの影響力が失われつつある中東で、クルド人に独立機運が広がるなら新たな不安定要因になり、イスラエルにとっては好都合だ。
イスラエルが望むものは、平和と安定だろう。だが、パレスチナ問題が立ちはだかる。イスラエルには譲歩する考えは微塵もないので、イスラエルを敵視する人々は減らず、イスラエルを敵視する周辺国も存在し続ける。イスラエルにとって周辺国に混乱が広がり、弱体化することは大歓迎だろう。
イスラエルに敵対する周辺国は次々に、米国との戦争で政権が崩壊したり、反政府活動が活発化したり、内乱が拡大したりして弱体化し、イランには国際的な経済制裁が課されていた。イスラエルが何らかの影響力を及ぼしているのか、変化する状況をうまく利用しているだけなのか定かではないが、イスラエルにとって都合のいい状況に向かっていることは確かだ。
米国はまた、ユニセフに脱退することを通告した。ユニセフに対し、パレスチナの加盟を認め、エルサレムの聖地「神殿の丘」の表記やヘブロン旧市街の世界遺産への登録などで反イスラエル傾向があるなどと批判していた。ユニセフは、政治的な偏向があるとか中国の影響力が大きくなったなどの批判が珍しくない組織だ。
この二つの動きを歓迎しているのがイスラエルだ。サダム・フセインが排除されてイラクが弱体化し、反政府運動が煽られ、さらに内乱が拡大してシリアも弱体化し、中東でイスラエルに対抗できる国はイランだけになった。対IS戦で軍事的な影響力を強めたイランは、核合意によって欧州などからの投資が増えている。
米国が核合意を破棄する姿勢をちらつかせてイランとの緊張が高まり、イランの行動に制約が増すことはイスラエルにとって好都合だろう。イスラエルは米国に続いてユニセフ脱退を表明した。ユネスコの姿勢が反イスラエル的というのが理由で、米国の脱退理由と重なる。
イラク北部のクルド人自治区で住民投票が行われ、独立への賛成票が9割以上になった。住民投票の実施にはイラク中央政府に加えトルコ、イランや米国なども強く反対したが、イスラエルは歓迎した。ISの影響力が失われつつある中東で、クルド人に独立機運が広がるなら新たな不安定要因になり、イスラエルにとっては好都合だ。
イスラエルが望むものは、平和と安定だろう。だが、パレスチナ問題が立ちはだかる。イスラエルには譲歩する考えは微塵もないので、イスラエルを敵視する人々は減らず、イスラエルを敵視する周辺国も存在し続ける。イスラエルにとって周辺国に混乱が広がり、弱体化することは大歓迎だろう。
イスラエルに敵対する周辺国は次々に、米国との戦争で政権が崩壊したり、反政府活動が活発化したり、内乱が拡大したりして弱体化し、イランには国際的な経済制裁が課されていた。イスラエルが何らかの影響力を及ぼしているのか、変化する状況をうまく利用しているだけなのか定かではないが、イスラエルにとって都合のいい状況に向かっていることは確かだ。
2017年10月14日土曜日
典型としての人体
人間の誕生以前から神は存在していたとするのがキリスト教やイスラム教の考え方だ。神の姿は人間には見えないから、神がどのような姿をしているのか人間は知らない。イスラム教が偶像崇拝を禁じるのは、見えない神を人間が勝手に作り上げることは神への冒涜だと考えるからだ。
仏教には絶対神はいないが、如来や菩薩、明王など多くの尊い存在があり、仏像などでは人間の姿で表現される。古代インドの神々を取り込んだ天は異形の姿で表現されるが、彼らは後から仏教に取り込まれた存在であり、如来などを守る守護神の役割だ。
釈迦(シッダールタ)に始まる仏教で、如来は悟りを開いた者で最も尊い存在とされ、菩薩は悟りを開く前の修行中だが、衆生を救済する者のこと。仏道を妨げるものに立ち向かう明王は如来の化身ともされ、忿怒の形相で表現されるが体は人間のようだ(古代インドの神を取り入れたとされる)。
如来や菩薩などが人間の姿で表現されるのは、神ではなく人間だから。悟りを開いたり、悟りを開く修行中であったりする人間が如来や菩薩だから、その姿は人間の姿になる。ただし、生死を超越した存在で、衆生を救うとされるから、もう人間の世界を離れており、神のイメージに似る部分もある。
如来や菩薩を見た人間はいないし、その存在は確認されてもいない。だが信仰の対象として如来や菩薩は人の姿で表現される。信仰の対象は、神道なら個別具体的になるだろうが、仏教では如来や菩薩などと抽象的になる。だから仏像などで表現される時には人の姿であっても、様式化された典型をなぞることになる。
仏教が日本に入って数百年たち、鎌倉時代に新仏教が興り、仏像の表現に大きな変化が現れた。様式化された典型としての人体ではなく、個別具体的な人体といってもいいリアルな造形がなされ、表情は、永遠を眺めるのではなく一瞬をとらえた個性を表すものになった。
仏像にとって肉体(個性)とは何か。悟りの前では肉体の存在は無意味だろうが、如来や菩薩を表現した仏像で「肉体の復権」が行われたのは、“人間味”が増すことで実在感を増した如来や菩薩が共感されたからだろう。それは、特権階級ではない人々の活力が増した時代背景も関係しているかもしれない。運慶の作った仏像は多くのことを考えさせる。
仏教には絶対神はいないが、如来や菩薩、明王など多くの尊い存在があり、仏像などでは人間の姿で表現される。古代インドの神々を取り込んだ天は異形の姿で表現されるが、彼らは後から仏教に取り込まれた存在であり、如来などを守る守護神の役割だ。
釈迦(シッダールタ)に始まる仏教で、如来は悟りを開いた者で最も尊い存在とされ、菩薩は悟りを開く前の修行中だが、衆生を救済する者のこと。仏道を妨げるものに立ち向かう明王は如来の化身ともされ、忿怒の形相で表現されるが体は人間のようだ(古代インドの神を取り入れたとされる)。
如来や菩薩などが人間の姿で表現されるのは、神ではなく人間だから。悟りを開いたり、悟りを開く修行中であったりする人間が如来や菩薩だから、その姿は人間の姿になる。ただし、生死を超越した存在で、衆生を救うとされるから、もう人間の世界を離れており、神のイメージに似る部分もある。
如来や菩薩を見た人間はいないし、その存在は確認されてもいない。だが信仰の対象として如来や菩薩は人の姿で表現される。信仰の対象は、神道なら個別具体的になるだろうが、仏教では如来や菩薩などと抽象的になる。だから仏像などで表現される時には人の姿であっても、様式化された典型をなぞることになる。
仏教が日本に入って数百年たち、鎌倉時代に新仏教が興り、仏像の表現に大きな変化が現れた。様式化された典型としての人体ではなく、個別具体的な人体といってもいいリアルな造形がなされ、表情は、永遠を眺めるのではなく一瞬をとらえた個性を表すものになった。
仏像にとって肉体(個性)とは何か。悟りの前では肉体の存在は無意味だろうが、如来や菩薩を表現した仏像で「肉体の復権」が行われたのは、“人間味”が増すことで実在感を増した如来や菩薩が共感されたからだろう。それは、特権階級ではない人々の活力が増した時代背景も関係しているかもしれない。運慶の作った仏像は多くのことを考えさせる。
2017年10月11日水曜日
政治と希望
希望とは「ある事の実現を願いのぞむこと。その願い」「将来によせる期待。見通し」(大辞林)、「自分がこう成りたい、人にこうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」(新明解)とされる。つまり、何かの実現を期待することだ。
何かの実現を期待するということは、その何かは実現していない。また、状況が悪くなることを期待する人はいないだろうから、その何かは希望する側にとって良きことであろう。さらに、ただ待つのではなく、何かが実現することへの積極的な願望が希望という言葉には込められている。
政治にとって希望とは何か。実現していない政治的な何かを、現在の日本においてイメージするのは簡単ではない。自由選挙や民選議会、三権分立、法の支配、自由な言論、個人の尊厳や自由の尊重などは、世界的に見れば日本は実現されている国だろうから、さらに求められる政治的な希望とは何か、ぼやけている。
現在の日本において、政治における希望=実現していない何かに対する期待といえば、例えば、憲法改正が代表例だろう。一方に頑迷な護憲論があり、他方に国家権力を強めるための改憲論があり、憲法改正の論議は膠着状態だった。憲法改正を希望とする政治家がいて、護憲を希望とする政治家がいる日本。
主権者にとって政治における希望は、より良き政治が行われることだ(良きことの意味は様々で、立場によって異なる)。政治家にとって政治における最大の希望は権力に関与する地位に就くことだろうが、政治家でいることを最大の希望とする人も珍しくはなく、そうなると希望というより個人の欲望か。
欲望とは「ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち」(大辞林)、「精神的・肉体的に常により良い状態に自分を置きたいと思い続けてやまない心」(新明解)と、個人が強く出る。欲望で動く政治家も、希望を語って隠れ蓑にすることができるから見極めが難しい。
かなえるのが希望で、満たすのが欲望だ。誰かの希望が、傍からは欲望としか見えないこともある。政治や政治家には希望も欲望も混じり合っているものなら、うっかり政治や政治家の希望を語る言葉を鵜呑みにすると、彼らの欲望を満たすだけに終わるゾ。
何かの実現を期待するということは、その何かは実現していない。また、状況が悪くなることを期待する人はいないだろうから、その何かは希望する側にとって良きことであろう。さらに、ただ待つのではなく、何かが実現することへの積極的な願望が希望という言葉には込められている。
政治にとって希望とは何か。実現していない政治的な何かを、現在の日本においてイメージするのは簡単ではない。自由選挙や民選議会、三権分立、法の支配、自由な言論、個人の尊厳や自由の尊重などは、世界的に見れば日本は実現されている国だろうから、さらに求められる政治的な希望とは何か、ぼやけている。
現在の日本において、政治における希望=実現していない何かに対する期待といえば、例えば、憲法改正が代表例だろう。一方に頑迷な護憲論があり、他方に国家権力を強めるための改憲論があり、憲法改正の論議は膠着状態だった。憲法改正を希望とする政治家がいて、護憲を希望とする政治家がいる日本。
主権者にとって政治における希望は、より良き政治が行われることだ(良きことの意味は様々で、立場によって異なる)。政治家にとって政治における最大の希望は権力に関与する地位に就くことだろうが、政治家でいることを最大の希望とする人も珍しくはなく、そうなると希望というより個人の欲望か。
欲望とは「ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち」(大辞林)、「精神的・肉体的に常により良い状態に自分を置きたいと思い続けてやまない心」(新明解)と、個人が強く出る。欲望で動く政治家も、希望を語って隠れ蓑にすることができるから見極めが難しい。
かなえるのが希望で、満たすのが欲望だ。誰かの希望が、傍からは欲望としか見えないこともある。政治や政治家には希望も欲望も混じり合っているものなら、うっかり政治や政治家の希望を語る言葉を鵜呑みにすると、彼らの欲望を満たすだけに終わるゾ。
2017年10月7日土曜日
優れた政治家
優れた政治家の要件は何か。第一に高く豊かな見識を持ち、第二に論理的な思考力を有し、第三に人々の暮らしに精通し、第四に自分の利益より人々の利益を優先し、第五に強い情熱と意志を持ち、第六に意見や利害の対立を公平に調整する能力を有し、第七に人々を励まし、前向きの気持ちにすることができる。
しかし、そんな素質を有する人物は既に様々な分野で職務に励んでいて、人々から頼りにされてもいるだろう。優れた人物が、職を投げ打って政治家になることは社会にとって歓迎すべきことで、必要なことでもある。だが、そんな人物が必ず立候補するとは限らない。
優れた人間が立候補して当選し、優れた政治家になるのなら慶賀の至りだが、優れた人が当選しても、優れた政治家になる保証はない。さらに、優れた人だけが立候補しているわけでもないので、誰が優れた人なのか見分けるのは簡単ではない。
優れた人が政治家になるのだと政治家像を持ち上げすぎると、現実の政治家の言動に落胆することになる。人間の素質や能力は誰もが同じようなものであると見るならば、たまたま当選して政治家になった人が急に優れた政治家に変身する……はずがないと理解できる。
選挙は優れた人を選別するプロセスではなく、主権者の政治的な意思表示を行う機会だとの原則に立ち返るなら、候補者の中から優れた人や優れた政治家を求めるという過剰な期待を持たなくてもすむ。
優れた政治家を求めるのは、政治家にリーダーシップを期待するからだろう。それは主権者意識の希薄さと比例する感情であり、優れた政治家が増えれば政治は素晴らしくなるという幻想に支えられている。しかし、期待は裏切られる。選挙というシステムは、立候補者の資質や能力などを選別するものではないからだ。
自分と同じような資質や能力を持つ人が、たまたま当選したので政治家になっているのだと主権者が理解すれば、政治家に求めるものが見えてくる。判断を誤らないようにするためには自分ならどうするかを考え、それを政治家に当てはめれば良い。
しかし、そんな素質を有する人物は既に様々な分野で職務に励んでいて、人々から頼りにされてもいるだろう。優れた人物が、職を投げ打って政治家になることは社会にとって歓迎すべきことで、必要なことでもある。だが、そんな人物が必ず立候補するとは限らない。
優れた人間が立候補して当選し、優れた政治家になるのなら慶賀の至りだが、優れた人が当選しても、優れた政治家になる保証はない。さらに、優れた人だけが立候補しているわけでもないので、誰が優れた人なのか見分けるのは簡単ではない。
優れた人が政治家になるのだと政治家像を持ち上げすぎると、現実の政治家の言動に落胆することになる。人間の素質や能力は誰もが同じようなものであると見るならば、たまたま当選して政治家になった人が急に優れた政治家に変身する……はずがないと理解できる。
選挙は優れた人を選別するプロセスではなく、主権者の政治的な意思表示を行う機会だとの原則に立ち返るなら、候補者の中から優れた人や優れた政治家を求めるという過剰な期待を持たなくてもすむ。
優れた政治家を求めるのは、政治家にリーダーシップを期待するからだろう。それは主権者意識の希薄さと比例する感情であり、優れた政治家が増えれば政治は素晴らしくなるという幻想に支えられている。しかし、期待は裏切られる。選挙というシステムは、立候補者の資質や能力などを選別するものではないからだ。
自分と同じような資質や能力を持つ人が、たまたま当選したので政治家になっているのだと主権者が理解すれば、政治家に求めるものが見えてくる。判断を誤らないようにするためには自分ならどうするかを考え、それを政治家に当てはめれば良い。
2017年10月4日水曜日
正論の快楽
ドイツ連邦議会の総選挙で、与党CDUは得票率32.9%と前回の41.5%から大幅に減り、議席は246で63議席も減った。第1党は維持したものの退潮傾向は明確で、過半数(355議席)にはほど遠い。右翼政党AfDは躍進し、得票率13.0%で94議席を獲得し、初めて国政に参加することになった。
メルケル首相は第1党を維持したことで引き続き政権を担当するが、盤石の体制とはもはや見られず、一部では任期半ばの退任も取りざたされるようになった。連立を組んでいた第2党SPDも大幅に得票と議席を減らし、連立から離脱した。約百万票が両党から離れたという。
経済は順調で失業率も低いのに政権与党が大幅に議席を減らしたのは、2015年に約百万人の難民を受け入れたことに対する批判だと見られている。メルケル首相は人道主義に基づき寛容な難民受け入れ策を進めたが、約百万人という難民の殺到はドイツ社会に少なからぬ負担をもたらした。
戦火に追われた人々を受け入れ、助けるのは、戦乱を繰り返してきた歴史を持つ欧州では珍しいことではなく、むしろ、「明日は我が身」と人々は助け合って生きてきたといえよう。困窮する難民を受け入れて助けるのは崇高な行為であり、賞賛されこそすれ批判される行為ではない。
だが、資本が巨大化して世界を覆う現在、商品もマネーも簡単に国境を越え、人の移動もグローバル化し、難民の移動もグローバル化した。欧州が受け入れると知ったなら、戦乱に追われた中東の難民が周辺国の難民キャンプよりも欧州を選ぶのは当然だろうし、アフリカなどから経済難民が欧州を目指すのも当然だ。
欧州外から百万人以上の難民が押し寄せると、人道主義に基づく難民受け入れ策は綻び、変容を迫られる。それは第一に、受け入れ数を制限することであり、第二に、受け入れる人間を選別することになる。難民受け入れを歓迎したドイツ経済界の反応などから、おそらく、将来の労働力として適している人々が優先されるだろうことは想像に難くない。
難民問題といっても、例えばロヒンギャ難民と欧州に殺到する難民問題とでは、欧州の論調は微妙に異なる。ロヒンギャ難民を受け入れているのはバングラデシュであり、欧州ではないから、いくらでも人道主義を掲げて「正論」を説き、関係国の政治家らを批判できる。自分らが受け入れに関わらない他国の難民は、同情するだけの対象となり、「正論」の快楽を味わう対象ともなる。
メルケル首相は第1党を維持したことで引き続き政権を担当するが、盤石の体制とはもはや見られず、一部では任期半ばの退任も取りざたされるようになった。連立を組んでいた第2党SPDも大幅に得票と議席を減らし、連立から離脱した。約百万票が両党から離れたという。
経済は順調で失業率も低いのに政権与党が大幅に議席を減らしたのは、2015年に約百万人の難民を受け入れたことに対する批判だと見られている。メルケル首相は人道主義に基づき寛容な難民受け入れ策を進めたが、約百万人という難民の殺到はドイツ社会に少なからぬ負担をもたらした。
戦火に追われた人々を受け入れ、助けるのは、戦乱を繰り返してきた歴史を持つ欧州では珍しいことではなく、むしろ、「明日は我が身」と人々は助け合って生きてきたといえよう。困窮する難民を受け入れて助けるのは崇高な行為であり、賞賛されこそすれ批判される行為ではない。
だが、資本が巨大化して世界を覆う現在、商品もマネーも簡単に国境を越え、人の移動もグローバル化し、難民の移動もグローバル化した。欧州が受け入れると知ったなら、戦乱に追われた中東の難民が周辺国の難民キャンプよりも欧州を選ぶのは当然だろうし、アフリカなどから経済難民が欧州を目指すのも当然だ。
欧州外から百万人以上の難民が押し寄せると、人道主義に基づく難民受け入れ策は綻び、変容を迫られる。それは第一に、受け入れ数を制限することであり、第二に、受け入れる人間を選別することになる。難民受け入れを歓迎したドイツ経済界の反応などから、おそらく、将来の労働力として適している人々が優先されるだろうことは想像に難くない。
難民問題といっても、例えばロヒンギャ難民と欧州に殺到する難民問題とでは、欧州の論調は微妙に異なる。ロヒンギャ難民を受け入れているのはバングラデシュであり、欧州ではないから、いくらでも人道主義を掲げて「正論」を説き、関係国の政治家らを批判できる。自分らが受け入れに関わらない他国の難民は、同情するだけの対象となり、「正論」の快楽を味わう対象ともなる。
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