2023年8月30日水曜日

山火事の原因

 米ハワイのマウイ島で8月8日に発生した山火事は死者115人、2200棟とも3000棟ともされる建物が損壊するなどの被害を生じさせ、経済損失は約8700億円との試算が公表された。カナダ西部では400件以上の山火事が発生した(全土では1000件以上)。例年も山火事は被発しているが、州政府は今年は「州史上、最悪の山火事シーズン」だとし、約3万人に避難命令、約3万6千人に避難警報が出された。消失面積は約1400万ha。

 山火事は毎年、世界各国で発生しているが、今年は大規模な山火事が報じられている。スペイン・カナリア諸島では消失面積が8000haを超し、2万6千人以上が避難した。ポルトガルの山火事では消失面積8400ha、フランス南西部では同500haのほか、ギリシャでは観光地のロードス島から約1万9000人が避難し、伊シチリア島や米ワシントン州東部などでも山火事が発生したという。

 世界各地での山火事のニュースが増え、地球温暖化の影響を指摘する報道も多く、「地球環境が温暖化すると山火事が増えるのか。日本は山林が多いから、そのうちに全国各地で山火事が多発する時代になる」と心配する人がいた。どうやら、気温が上昇すると自然発火で山火事が発生すると連想したらしい。

 山火事が地球温暖化により増えると懸念されるのは、地球温暖化が地域によっては乾燥した気候をもたらし、枯れ葉や枯れ枝などを含め山や野原が「燃えやすい」状態になったところに、何らかの着火によって火災が生じ、消火が適切になされていない状況では、山火事が燃え広がるからだ。米西海岸やオーストラリアなどで毎年、山火事が多発するのは乾燥した気候の頃だ。

 日本は周囲を海に囲まれていて、夏の猛暑は高い湿度を伴い、ジメジメとして暑苦しい。海も暖められて水分を蒸発させるからで、猛暑だけれどカラッとした湿度の低い夏の日は日本では珍しいだろう。海に囲まれて湿度が高い日本では、乾燥による大規模な山火事が起きる確率は少ないかもしれない(大規模な山火事が起きる確率はゼロではない)。

 気候変動の影響で今年の世界各地での熱波がもたらされたとの解釈があり、熱波で自然発火して各地で山火事が発生したと早合点する人もいるらしい。だが発火温度(発火点)は枯葉で350度、木材は250〜260度、木炭は250〜300度、新聞紙は290度、ガソリンは300度、ゴムは350度、古タイヤ150〜200度などと、気温が仮に50度に達したとしても枯葉や枯れ枝、木材などが自然に燃え上がることはない。

 燃焼の3要素は「可燃物」「酸素」「着火エネルギー」で、山火事は何らかの着火によって発生する。マウイ島の山火事でマウイ郡は電力会社が通電していた送電線が倒壊して火災が発生したと電力会社を訴え、電力会社は送電は止まっていたと反論した。焼失面積13万haとEUで過去最大規模の山火事に見舞われたギリシャで警察が放火容疑で79人を逮捕した。放火のほか焚き火、野焼き、バーベキューやタバコの火の不始末など人為的な原因も多いという。世界の山火事を検証するには、地球温暖化との関係を重視し過ぎるよりも、着火が何かを調べることがいい。

2023年8月26日土曜日

風評に負ける

 風評とは「世間であれこれ取りざたすること。また、その内容。うわさ」だ。風評が立つ、風評を立てられる、風評に惑わされる、とかくの風評がある人物、風評被害ーなどとして用いられる。風評に怯えるーという使い方が最近では増えた。風評に立ち向かうーのではなく怯えるのだから、風評に負けたーといえよう。風評に負けるのは、影に怯えるからだ。

 風評には誰も責任を持たない。ある風評を口にして誰かに不利益をもたらした人は責任を問われるだろうが、世間で言われているという風評には誰も責任を持たず、その根絶は困難だ。単なるウワサであっても、それを聞いた人々が本当らしいと思ったならば、そのウワサは定着し、定着しているから本当に違いないと、さらに多くの人々が簡単に信じたりする。

 そうした繰り返しで風評が社会に定着すると、風評には根拠がないとか科学的に間違っているーなどと主張し、説明を繰り返しても、風評の根絶は簡単ではない。風評は理性的な判断による思考の結果ではなく、感情による即断から生じるものだろうし、人々の心の中にある感情を外部から動かすことは、おそらく、風評とは違う方向へ大きく感情的に揺さぶることなどを行わなければ無理だろう。

 風評に立ち向かい、風評に負けないためには「人の口に戸は立てられぬ」と覚悟を決めることが必要だ。風評を根絶することは無理だと諦めつつ、なおも風評が間違っていることを説明し続ける。風評を信じたり、あやふやな風評に従うような人々には説明しても効果が限らようが、説明して説得するという姿勢を見せ、その風評は「間違っている」と言い続けるしかない。

 風評の発信源が特定されることはほとんどなく、不特定多数の人々により風評は維持されるが、風評による買い控えなどが生じると生産者などは風評による被害者となる。風評による加害者は特定できないが、風評による被害者だけが実在する状況で、被害者が怒りをぶつけようにも相手が見えず、風評被害の補償を求めて政府に怒りをぶつけたりする。

 風評が意図的に仕組まれて流布されることが、SNSの世界的な普及に伴って広く行われるようになった。大掛かりなのはロシアによる米大統領戦での介入などが代表例で、各国は他国で風評をSNSで流して世論の操作・誘導を試みているだろう。さらに様々な組織や機関、企業などによる世論の操作・誘導にも風評が紛れ込んでいるに違いない。

 我々は多くの様々な風評にさらされて生きている。SNSを遮断し、SNSがない生活には戻れまいから、風評に惑わされないスキルが必要となる。全ての情報について真贋を確認することは不可能であり、情報を見たら「疑ってかかる」という態度が防衛策となる。風評を政治的に使う中国や、風評被害を心配すると同時に吹聴しているようなマスメディアなどは、情報を見たら「疑ってかかる」ことの必要性を示している。

2023年8月23日水曜日

残り続けるデータ

 日本のキャッシュレス決済比率は年々増加しており、2022年には36.0%(111兆円)となった。内訳はクレジットカードが30.4%(93.8兆円)、デビットカードが1.0%(3.2兆円)、電子マネーが2.0%(6.1兆円)、QRコード決済が2.6%(7.9兆円)という(経産省まとめ)。キャッシュレス決済比率を2025年までに4割程度にするという経産省の目標はほぼ達成できそうだ。

 キャッシュレス推進の社会的意義を経産省は、「決済を変革することで、現金決済に係るインフラコストの削減や業務効率化・人出不足対応等の既存の課題を解決し、データ連携・デジタル化や多様な消費スタイルの創造」に寄与するとし、キャッシュレスによって「支払に特別な意識を払わずとも行える決済が広がり、データがシームレスに連携されるデジタル社会」を目指すという。

 先進国の中ではキャッシュレス決済比率が低いとされる日本だが、量販店に加え飲食店や小売店でもキャッシュレス決済が珍しくなくなり、現金を使わずに支払いができる簡便性を実感した人々は増え、それらの人々はもう現金決済には戻らないだろうから、日本のキャッシュレス決済比率が高まることがあっても低下することはなさそうだ(どこかで頭打ちはあるかもしれない)。 

 現金での支払い決済は店頭で現金を相手に渡した時点で完了する。顔見知りでもなければ売買相手の名前も知らないだろう。だが、キャッシュレス決済は店頭での手続きが終了した後にもデータが記録されている。そのデータを見ることができるのは金融機関だが、マネロン対策など必要があれば政府がデータの提出を求める可能性はある。おそらく中国などの強権国家では政府が個人データを自由に見ているだろう。

 日本国際博覧会協会は大阪万博でキャッシュレス決済を本格導入すると発表した。会場内の売店やレストランなどの施設ではクレジットカードや交通系ICカード、QRコードなどによるキャッシュレス決済とし、プリペイドカードの販売などでサポートするほか、スマホによる「デジタルウォレット」も導入する。入場券も電子チケットとなり、前売券(6000円。通常の1日券は7500円)は11月末に販売開始予定。なお入場には来場日時予約が必要。

 大阪万博の会期は2025年4月13日~2025年10月13日。管轄する経産省は日本館を出店するが、万博会場でのキャッシュレス決済の全面導入は経産省の意向が反映したものだろう。1970年の大阪万博では総入場者数が6421万人と当初の目標の3000万人の2倍以上に達したことから今回も多数の来場を期待して、一気にキャッシュレス決済を普及させようと目論んでいる気配だ。

 インターネット網が社会を覆い、データの迅速なやり取りが日常化してキャッシュレス決済が一般化する基盤は構築された。一方で、データを見ることで権力が人々の行動を追跡・管理したり、キャッシュレス決済網から排除することで人々を抑圧することも可能になる。キャッシュレス決済については利便性ばかりが語られることが多いが、キャッシュレス決済の普及とともに、そのデータ保護・保全について議論が高まろう。

2023年8月19日土曜日

不利益を選ぶ

 親から受け継いだ工務店を社員30人ほどの建設会社に育て上げ、子息に社長職を譲って今は完全に社業から離れて悠々自適の生活を送っている友人Aは、郊外の離農した人の大きな農家を買い取ってリフォームして住み、家庭菜園というには広すぎる畑で多くの種類の野菜を育てながら暮らしている。

 さまざまな収穫した野菜を使った料理を並べて「収穫祭」を行うとの誘いを受け、久々に友人Aの顔を見に出かけた。農家だった家は、外観は農家の面影を残しているが内部はすっかりモダンな作りに変えられ、「基礎から全部新しくした。農家だった外観を生かして手を入れたけど、古材を探して、けっこう使ったから新築するよりも金がかかった。まあ、これが俺の終の住処だ」と友人A。

 そこへ友人Bと友人Cが到着した。友人Bと友人Cが友人Aと会うのは10数年ぶりだという。「農家を買って田舎暮らしを始めたというから、小さな農家で細々と年金暮らしをしていると思っていたが、ずいぶん立派な家だな。これなら民宿を始めても商売になりそうだ」と友人Bは相変わらず遠慮なしに言う。「老夫婦2人だけで住むには広すぎるな」と友人Cも時候の挨拶は省いて言う。

 前夜から友人Aと奥さんが下ごしらえし、準備していた料理が次々とテーブルに並び、「収穫祭」が始まった。「草取りなんかも適当で、まめに手入れもしないのに、場所がいいのか、結構な量の野菜が獲れるんだ」と友人A。友人Bと友人Cが持参した大量のワインや日本酒などのボトルが次々と空になっていった。

 居間に移って、話題は自然に昔の付き合いの思い出になった。「若い頃に付き合っていた連中は皆、いい歳になったが、丸い人格になった奴は誰もいないな。相変わらず言いたいことは言い、やりたいことはやる奴ばかりだ」と友人A、「類友だから、自由に生きるのが好きで、抑えつけられると反発する連中が集まったんだ」と友人C。

 「いろんな奴がいたな。あの頃は、ああしたほうがいいとか、こうしたほうがいいとか側から見ていて言いたくなっても、そんなことは本人は分かっている。そっちに行ったら損をすると分かっていても、損を承知で、やりたいことをやる奴らだった」と友人B。いろんな事情とか心境、境遇が絡み合っていたのだろうが、損をすることに負けない気持ちの強さがあったのは、若さに加え反骨心があったからか。

 「こんな経営者に頭を下げて働くよりも、窮乏してもいいから縁を切りたいと思って職を転々としてきたんだ」と友人C、続けて「我慢したほうがいいと思っても、ムズムズと心の中で動くものがあって、自分を損得では納得させられない」。「我慢することが屈辱と思えるのだったら、自分の意思を通すしかないさ。そんな生き方をする奴らだから、こっちも信頼できたんだ」と友人B。

 「利害で動くのが当然視される最近の連中から見れば、俺たちの生き方は懐メロと同じようなものかもしれないな」と友人A。「でも、損はしたかもしれないが、それなりに豊かな人生だったと思うよ」と友人Bと友人Cは口をそろえた。少し我慢すればいいと自分をなだめてーーでも、実際は少しの我慢が繰り返される人生になったりする。人生の本当の損得は何なのだろうかと深夜まで会話は続いた。

2023年8月16日水曜日

蛇行の影響

 日本では、連日のように最高気温が40度近くになる地点が全国各地で続出するなど、猛暑の夏となり、熱中症への警戒がマスメディアで頻繁に呼びかけられている。本州よりも涼しいはずの北海道も今年は各地で最高気温が30度台前半の日が続き、熱帯夜の日も続出して、涼を求めてきた本州などからの観光客を落胆させている。

 猛暑は日本ばかりではなく、北半球の多くの地域でも記録的な高温が観測されている。こうした高温は地域により様々な要因が複合して起きているのだろうが、指摘されることが多いのが偏西風の蛇行とエルニーニョ現象だ。2023年のエルニーニョ現象は規模が大きいとされ、気象庁は「春からエルニーニョ現象が続いている。冬にかけてエルニーニョ現象が続く可能性が高い(90%)」とする。

 気象庁は「7月のエルニーニョ監視海域の海面水温の基準値からの差は、6月から大きく上昇して+1.8℃」となり、「太平洋赤道域の海面水温は東部を中心にほぼ全域で平年より高かった」とし、「大気海洋結合モデルは、太平洋赤道域の中部から東部にかけて海洋表層の暖水をさらに強め、エルニーニョ監視海域の海面水温の基準値との差が大きく」なり、冬にかけて「基準値より高い値で推移する可能性が高い」と予測する。

 偏西風は、地球の中緯度の上空を西から東に向かって流れる気流で、冬は低緯度側に広がり、夏は高緯度に縮小する。偏西風が生じるのは①北極・南極に近づくほど寒く、赤道付近に近づくほど暖かいために起こる温度差により生じる気圧差、②地球の自転ーによるとされる。偏西風は波長が数千kmの波の性質を持ち、南北に蛇行して流れる(蛇行することにより南から北へ暖気を、また、北から南へ寒気を運ぶ)。

 この夏、日本では偏西風が北側に偏って流れ、太平洋高気圧などからの暖かい空気を呼び込んだことで北海道を含めて日本列島は猛暑の夏となった。台風6号の動きが遅く、西へ東へと迷走したのも偏西風が北側に偏っていたことの影響とされる。自力で動く力が弱い台風は日本付近では偏西風に流されて東に向きを変えて移動するのだが、台風6号は偏西風の影響を受けずに迷走して北上した。

 偏西風の蛇行は気象に大きな影響を与える。この夏のように偏西風が北側に偏って南から暖気を引き込むと猛暑になり、偏西風が南側に偏って寒気を引き込むと冷夏になる。冬には偏西風が北側に蛇行すると暖冬になり、南側に蛇行すると北極付近の寒気の南下をもたらし、日本列島に厳しい寒波をもたらす。

 偏西風の蛇行を事前に正確に予想できれば天気予報の精度は格段に上がるのだろうが、そうした事前予想は簡単ではないらしい。だから人々は猛暑に見舞われてから偏西風の蛇行という気象庁などの説明を目にして、そうかと納得するしかない。偏西風の蛇行を正確に予想するためには過去の多くのデータを集めて分析することが基礎となろうが、複雑な要因が絡んで様々な偏西風の蛇行が現れるのだろうから分析は簡単ではないか。

2023年8月12日土曜日

バブルの後始末

  中国経済の変調が言われ始めた。例えば、▽4~6月の実質GDP成長率は前年同期比6.3%となった。1年前は上海でロックダウンが行われていたため反動で高めとなったが、1〜3月比では0.8%と伸び率は鈍化。▽1~6月の固定資産投資は、不動産開発投資が前年同期比7.9%減と減少幅が拡大、インフラ投資は7.2%増だが伸び幅が縮小。

 ▽1~6月の社会消費品小売総額は前年同期比8.2%増だが、商品の消費とサービス消費の伸びがともに減速。小売売上は4月に18.4%増となったが、これも前年に上海市ロックダウンなどがあった反動。▽6月の都市部失業率は5.2%。大卒者を含む16~24歳の失業率は21.3%となり、3カ月連続で過去最高を更新(就職難で職探しをしていない若者を含めると5割近いとの試算もある)。

 ▽7月の消費者物価指数(CPI)は前年比0.3%下落し、2年5カ月ぶりにマイナスとなった。不動産不況や輸出入の減少などで中国経済が減速する中、デフレ圧力が強まっているとの懸念も漂う。7月の生産者物価指数(PPI)は前年比4.4%下落し、10カ月連続のマイナス。▽7月の輸出は前年同月比14.5%の大幅減で、マイナス幅は3年5カ月ぶりの大きさ。輸入も12.4%減と大きく落ち込んだ。

 ▽6月の不動産販売は前年同月比28.1%減と大幅な減少。不動産投資は1兆2849億元で前年比20.6%減少。6月の新築住宅価格は前月比横ばい。1〜6月の新規着工(床面積ベース)は24.3%減。不動産デベロッパーが1〜6月に調達した資金は9.8%減少した。不動産は中国経済の2〜3割を占めるとされ、不動産の不調は中国経済に大きく影響する。

 中国が発表する統計数字には、どこまで実態を正確に反映しているのかと信憑性に疑念があり、共産党が独裁する状況で政治的に「正しい」数字に操作されて発表されているのではないかとの疑念もつきまとう。そうした中で、楽観的な数字を発表できず経済の減速を示唆する数字を発表せざるを得なくなっているのは、実態が相当に痛んでいることを糊塗できなくなっていることを示すか。

 中国は外資を呼び込んで欧米などへの輸出基地になることで経済成長を続けてきたが、国内では不動産開発を野放図に許し、投機目的のマネーが大量に流入していた。実需を遥かに上回る高層住宅などが全国で建設され続けていたが、政府が不動産企業への融資や住宅ローン融資の規制に転じ、大手の恒大グループなど資金不足でデフォルトする企業が続出し、不動産バブルは崩壊した。

 中国は日本のバブルを研究しているから、不動産バブルに適切に対応できるなどというコメントも以前散見されたが、日本のかつてのバブルを上回る規模の中国のバブルに政府がどこまで適切に対応できるのか未知数だ。加えて中国の地方政府は土地の使用権を売って財源としてきたが、その収入が大幅に減り、過去に発行した債券の返済ができずデフォルトになるとの不安も出てきた。

 バブルの高揚感に浮かれていた中国は、不動産バブルの後始末に直面している。地方政府は疲弊しているので、リーマンショック後の経済対策のように大半を地方政府に委ねるわけにはいかず、中央政府が出て来ざるを得ないだろうが、バブルの後始末についてはマルクスの理論は役立たない。社会主義市場経済なるもので、社会主義と市場経済の弱点が重なるとどのような状況になるのかを中国は世界に見せている。

2023年8月9日水曜日

忘却する力

  忘れることが力を与えてくれることがある。悲しかったことや精神的に打撃を受けたことなどは記憶に深く刻まれ、頻繁に思い出したりして、悲しみなどをよみがえらせるが、月日が巡るにつれて記憶が薄らぎ、やがて忘れることで立ち直ることができる。時間が癒すという現象だ。

 悲しかったことなどの記憶が薄らぐのは忘れたからではなく、日々の新たな記憶が上書きされ続けることで悲しかったことなどの記憶が埋没するからだ。だから、長い時間が経っても不意に記憶がよみがえったりするのだが、年月とともに部分の記憶だけが呼び覚まされるようになり、全体像の記憶は次第に薄らぐ。

 悲しかったことや辛い体験は、時間が経っても思いだすたびに感情を揺さぶるものであり、さら記憶が新たに構成されたりもする。新たに構成される時には悲しみや辛さなどに反応した感情が付け加えられたりし、記憶が徐々に再構築されていることを意識しない人は、本来の記憶が変わらずに維持されていると思い続ける。

 恋愛の記憶も再構築される。別離の苦痛や相手への恨み、喪失感などを別れてからしばらくは強く思い出すだろうが、月日が経つにつれて喪失感や辛さは薄らぎ、やがて新たな恋が始まると以前の恋の記憶は上書きされて埋没する。新たな恋愛が以前の恋愛の記憶を埋没させ、やがて、忘れさせる。

 終わった恋愛を客観的に分析して時系列で記憶する人は小説家など以外には少ないだろうから、終わった恋愛の記憶は感情が主体になる。感情は思い出すたびにかき立てられるが、時とともに静まるものでもある。絶対に許すことができない相手がいても、年月とともに感情が鎮まり、忘れることで相手に対する強い感情が抑えられたりする。

 戦禍や災害などの記憶も感情に彩られる。それらの記憶の伝承が重要だとマスメディアは主張することが多いが、感情という記憶の伝承は簡単ではない。記録は世代を超えて伝承されるだろうが、体験者の感情を世代を超えて受け継ぐためには、体験者の世代の時代相や社会事情なども理解する必要がある。だが、体験者の感情を普遍的なものであるとみなすことで、感情という記憶を受け継ぐべきだーなどの論は成り立っている。

 戦禍や災害などの記憶は記録とともに社会として伝承されるべきものだ。だが、戦禍や災害などの記憶も新たな戦禍や災害などの記憶に上書きされ、古い記憶の伝承は難しくなる。例えば、戊辰戦争や関東大震災の記憶の伝承が大切だーなどと言われても、記録は残っているが、体験者の記憶は失われただろう。諸々のことを我々は記憶し、やがて新たな記憶に上書きされて忘れる。

2023年8月5日土曜日

ロシアの核使用

  ロシアのメドベージェフ国家安全保障会議副議長(前大統領)は7月末、ウクライナの反攻作戦が成功した場合、ロシアは核兵器の使用を余儀なくされる可能性があると述べた。同氏は1カ月前にも、「全ての戦争は即座に終わらせられる。平和条約を結ぶか、1945年に米国が核兵器で広島と長崎を破壊したのと同じことをするかだ」と述べ、核兵器の使用の可能性をちらつかせた。

 プーチン大統領は昨年2月、ロシア軍で核戦力を運用する部隊に「任務遂行のための高度な警戒態勢に入る」よう命じ、同9月には「ロシアの領土の一体性への脅威が生じた場合、あらゆる手段を行使する。核兵器で我々を脅迫するものは、風向きが逆になる可能性があることを知るべきだ」と核戦力の使用を暗示した。

 これらの核兵器への言及は、ウクライナ侵攻においてロシアが当初の目的を達成することができず、守勢に追い込まれていて、反転攻勢も撤退もできず、欧米を敵に回しているので外交で打開する余地が乏しいため、言葉による威嚇に頼るしかない状況の反映だ。欧米に対する外交が機能せず、言葉による威嚇を繰り返すロシアは北朝鮮と似てきた。対話の言葉を失い、国際的な孤立に反発するだけだ。

 ロシアがウクライナで核兵器を使用したならば①NATOとの軍事的緊張が一気に高まる、②欧米など国際的にロシア批判が一層高まる、③中国やインド、トルコなどロシア排除に距離を置いていた国々はロシアとの関係を見直すーなどが予想されるが、④核兵器が使用された地域における被害の甚大さと人間に対する残虐性を欧米メディアが熱心に取材して報道するーことも予想される。

 人類は広島・長崎で核兵器による攻撃を初めて体験したとされるが、欧米メディアにとって広島・長崎は遠く、その体験にはおそらく現実感が乏しかっただろう。さらなる人々の死傷を減らすために広島・長崎での原爆使用はやむを得なかったとする米国の戦勝史観の影響もあり、白人が核兵器の犠牲者ではなかったこともあってか、欧米メディアでは核兵器使用に対する反対は理念だけにとどまっていると見える。

 その欧米メディアは、チェルノブイリ原発の事故により放射性物質が北欧から中欧などにも到達、各国に社会的な混乱をもたらした時に、おそらく放射性物質による汚染の危険性に初めて直面した。同時に、恐怖の感情に突き動かされてか危機感を過剰に煽ったとの批判もある。最悪を想定して備えることは大切だが、メディアはしばしば最悪を想定して不安を煽ることを社会的な使命と強弁する。

 ロシアが核兵器を使用すれば、欧米メディアは詳細に被害の実態を報じるだろう。それは残虐な核兵器を使用したロシアに対する批判を強めるとともに、広島・長崎の被曝の実態にも目を向けさせる。ロシアの核兵器使用を米国は強く批判するだろうが、ロシアに対して道義的な責任を追求するには限度があろう。ロシアの核兵器使用は人道に反する行為だが、米国の核兵器使用は「やむを得なかった」などという説明は成り立たないからだ。

2023年8月2日水曜日

便利な言葉

 未成年者による残虐な犯行が行われ、社会に大きな衝撃を与えることがある。被害者に対して犯人が強い恨みや憎しみなどを持っていたわけでもなく、無差別に行われたと見える犯行の残虐さだけが浮かび上がったりすると、社会は理解に苦しみ、犯行の動機を探ろうとする。そんな時に持ち出されるのが「心の闇」だ。

 「心の闇」という言葉は何も説明していない。闇とは何か。誰の心の中にもあるだろう闇と、残虐な犯行に至った闇とは、どう違うのか。そもそも心の中にある闇とは何か。犯行を決行するには強い衝動があったのだろうが、傍からはうかがい知れない。そうしたときに「心の闇」が持ち出されるが、この言葉が持ち出された時は残虐な犯行を前に、動機の解明などについては判断停止するという合図だ。

 「人を殺してみたい」とか「死刑になりたい」などの動機で残虐な犯行を行う人がいて、疎外感が強くなりすぎて「社会に復讐する」と残虐な犯行を行う人もいる。これらの動機は一応理解できるようでもあるが、そうした動機を生じさせたのは何かを解明するには、犯人の犯行に至る前の生涯を詳しく検証することが必要だろう。だが、詳しく検証できたとしても、それは他人による解釈でしかない。

 残虐な犯行を行った当人にも理解できていないかも知れない動機を、あとから他人が理解するのは無理だろう。そこで「心の闇」という言葉が持ち出され、人々は何かを理解したような錯覚を共有して、裁判で判決が出ると、残虐な犯行のことは社会的に始末がついたことにする。「心の闇」という言葉は社会的に便利な言葉でもある。

 社会的に便利な言葉はいろいろあるが、最近頻繁に使われるようになった言葉が「温暖化の影響」だ。大雨が降ったり、強い台風が来たり、暑い日が続いたり、大きな山火事があったり、日照りが続いたりーなどニュースで報じられる顕著な自然現象を、「温暖化の影響」だとして理解した気になる人が多いようだ。本当に温暖化の影響なのかは科学的な検証を要するが、日々のニュースでは詳しい解説は乏しい。

 地球の気候は固定されたものではなく、常に変動している。温暖化も寒冷化も地球にとっては特異な気象現象ではないだろうが、人間にとっては慣れ親しんで住みやすい気候が望ましい。何を正常とし、何を異常とするかは基準の設定次第でどうにでも操作できる。温暖化に警鐘を鳴らす気候変動論は「異常」な気象現象を目立たせることで支持を広げている。

 社会的に便利な言葉は、それを使うことによって何かを理解した気になったり、何かに決着をつけた気になったりするために用いられる。詳しい検証や綿密な議論は面倒だと見向きもされず、水戸黄門が振りかざす印籠を見たように、そこで人々は判断停止する。そんな効果を社会的に便利な言葉は持っているようだ。