ジャンボ宝くじの発売日に東京・銀座の販売所に大行列ができ、マスコミがこぞって報じるというのは定番のニュースだ。どこで買っても当たる確率は同じはずだが、全国各地に人々が押し掛ける売り場が存在する。その売り場で買ったということで、当たる確率が上がったと信じたいのだろう。
当たる確率を上げるため神仏などに祈願し、買った後も宝くじを神棚に祀ったり、日光に当てたり、招き猫など開運グッズと一緒にしたりと様々な「努力」をする人もいるそうだ。そうした行為が当たる確率に影響を及ぼすことはないが、当たるかもしれないという期待を上向かせる効果はある。
宝くじの当たる確率を、買う側が高めることはできないと誰もが理解しているはずなのに、当たるという期待を少しでも高めようとする人々。無駄な行為だと知りながら、いや無駄な行為だと知っているから、自分が何かの「努力」をすれば報われ、当たる確率が上がると信じたいのかもしれない。
こうした心理は目新しいものではない。例えば、キリスト教の神は最後の審判で、救済される人間と救済されない人間に分け、その判別は既に決定しているが、人間は知ることができないという考えがある。神は超越した絶対的な存在であり、人間は神の決定には関与できないので、救済を願っても人間には何の手がかりもないということになる。
それでも絶対的な神を信じる人は、自分が救済されるとの期待を持ち続け、その確信を少しでも強めるために、現世で神に与えられたはずの務めに励むしかない。そう生きても救済されるかどうかは判らないのだが、期待を持ち続けるためには、救済されるに値する生き方を自分に課すしかない。
「どうせ当たるはずがない」と宝くじなら買わないという選択があるが、当たる確率はゼロになる。これは、どうせ救済されないと好き勝手に生きることと同じに見えるが、神の決定を人は知ることができないので、救済される可能性はないとはいえず、確率はゼロではない。
当たる確率が極端に低いのに宝くじを買い、救済されないかもしれないのに絶対的な神を信じる人々。自分が決定に関与できないからこそ、何らかの「努力」を為すことにより期待を高め、また、救済されるにふさわしいとの確信を維持するしかない。そうした行為が人生に彩りを与えたり、前向きの気持ちにさせる面もあることは確かだから、当たらない宝くじを人は買い続けるのだろう。
2016年12月31日土曜日
2016年12月28日水曜日
現実と過去に突き崩される理念
独ベルリンで、人々で賑わうクリスマス市に大型の40トントラックが突っ込み、12人が死亡する惨劇となった。トラックはポーランドの運送会社のものだったが、運転手は殺されてトラックが乗っ取られ、無差別テロに用いられた。仏でも7月にニースで花火の見物をしていた人々にトラックが突っ込み、84人が死亡した。
一度は23歳のパキスタン難民が容疑者として拘束されたが、アリバイがあったというので釈放になり、次に24歳のチュニジア人のアニス・アムリ容疑者が指名手配された。トラックの車内で指紋や身分証明書が見つかったという。物証があったのに、先に23歳のパキスタン難民を容疑者としたため、手配が遅れた。
このアムリ容疑者は複数の名前を持ち、独国内を自由に動いていたという。強盗を計画している疑いがある過激派関与者として治安当局の監視対象になったが、証拠が得られず監視を外されたそうで、惨事を防ぐチャンスがあったのに治安当局は逃した格好だ。難民の大量入国で独では監視対象者が大幅に増え、その全員を常に監視できなくなっているという。
アムリ容疑者はチュニジアで強盗で有罪、難民として入国したイタリアで放火などで有罪となり服役した後に、15年にドイツに入国して難民申請した。申請は却下されたが、強制送還は見送られて独に滞在していた。独でも一度逮捕されたことがあるが、チュニジアから書類が届かず釈放されたそうで、難民にまぎれて身元を隠す犯罪常習者が放置されている現実を示している。
事件から4日後にアムリ容疑者はイタリア北部ミラノで、職務質問した警官に発砲して銃撃戦になり、射殺された。事件後にフランスを経由してイタリアに来ていたと見られ、EU内に存在するという過激派のネットワークの支援を得ていたのか、単独逃避だったのかは不明だ。
パスポートなどを所持する難民は多くはないだろうから、受け入れ側が身元確認をするのは簡単ではなかろう。犯罪常習者などが紛れ込むのは容易だろうし、難民申請してEUに滞在を認められれば、国境を越えて自由に動いて行方をくらませることもできる。難民保護政策もシェンゲン協定も悪意ある者に対して脆弱だ。
戦乱の国から逃れ困窮する難民に、安全と新しい生活を提供して社会の一員として受け入れるというのは素晴しい理念だ。だが、欧州諸国が植民地支配した地域で国家の破綻が相次ぎ、大量の難民が欧州を目指している現実は、過去の清算を欧州が求められているかのように見えなくもない。欧州の掲げる理念が、欧州の現実と過去に突き崩されたとすれば皮肉だ。
一度は23歳のパキスタン難民が容疑者として拘束されたが、アリバイがあったというので釈放になり、次に24歳のチュニジア人のアニス・アムリ容疑者が指名手配された。トラックの車内で指紋や身分証明書が見つかったという。物証があったのに、先に23歳のパキスタン難民を容疑者としたため、手配が遅れた。
このアムリ容疑者は複数の名前を持ち、独国内を自由に動いていたという。強盗を計画している疑いがある過激派関与者として治安当局の監視対象になったが、証拠が得られず監視を外されたそうで、惨事を防ぐチャンスがあったのに治安当局は逃した格好だ。難民の大量入国で独では監視対象者が大幅に増え、その全員を常に監視できなくなっているという。
アムリ容疑者はチュニジアで強盗で有罪、難民として入国したイタリアで放火などで有罪となり服役した後に、15年にドイツに入国して難民申請した。申請は却下されたが、強制送還は見送られて独に滞在していた。独でも一度逮捕されたことがあるが、チュニジアから書類が届かず釈放されたそうで、難民にまぎれて身元を隠す犯罪常習者が放置されている現実を示している。
事件から4日後にアムリ容疑者はイタリア北部ミラノで、職務質問した警官に発砲して銃撃戦になり、射殺された。事件後にフランスを経由してイタリアに来ていたと見られ、EU内に存在するという過激派のネットワークの支援を得ていたのか、単独逃避だったのかは不明だ。
パスポートなどを所持する難民は多くはないだろうから、受け入れ側が身元確認をするのは簡単ではなかろう。犯罪常習者などが紛れ込むのは容易だろうし、難民申請してEUに滞在を認められれば、国境を越えて自由に動いて行方をくらませることもできる。難民保護政策もシェンゲン協定も悪意ある者に対して脆弱だ。
戦乱の国から逃れ困窮する難民に、安全と新しい生活を提供して社会の一員として受け入れるというのは素晴しい理念だ。だが、欧州諸国が植民地支配した地域で国家の破綻が相次ぎ、大量の難民が欧州を目指している現実は、過去の清算を欧州が求められているかのように見えなくもない。欧州の掲げる理念が、欧州の現実と過去に突き崩されたとすれば皮肉だ。
2016年12月24日土曜日
独裁の中国と民主主義の中国
米トランプ次期大統領が「どうして『一つの中国』政策に縛られなきゃならないのか」などと述べたことが波紋を広げている。中国は、台湾における中国の核心的利益に関わると懸念を示したが、トランプ政権の正式発足前とあってか抑制した反応にとどめている。
中国は核心的利益と決めた対象について、対外的には強硬で非妥協的な姿勢になる。台湾は中国が最優先する核心的利益であろうから、台湾を独立国家と見なす動きがあれば国際的にも封じ込めようとするが、外交的な恫喝が通じない米国に対して中国には有効な抑止策はない。
だから米国は、中国のいう核心的利益を中国相手の交渉材料に使うことができる。軍事的にも経済的にも中国を上回る米国に対して、中国は米国の反応を試しつつ、小出しに緊張感を高めても関係を絶つことはできないので、言葉で激しく批判するぐらいが限度か。激しく批判されても米国なら激しく批判し返すだろう。
「一つの中国」の主張は、二つの中国が存在することから生じた。どちらが中国を代表するのかを中華人民共和国と中華民国が争い、東西ドイツのように分裂国家として国際社会で共存することを双方とも是としなかった。
分断国家には2種類あり、既存国家の内部に複数の政府ができて分裂するケースと、国家形成を目指して複数の政治主体が争う中で分割支配となるケース。ドイツは前者、中国は後者で、国共内戦の延長として、どちらが中国を代表するかを争っている。
「一つの中国」とはまず台湾だった。国際的にも中華民国が大陸を含めて中国を代表すると認められていたが、大陸は中国共産党が支配し、その国家形成が進むにつれて国際的にも形勢は逆転、中華人民共和国の国連加盟とともに中華民国は国連を脱退し、「一つの中国」は大陸中国側を意味するものに変化した。
現在、「一つの中国」を支持するとは中華人民共和国を支持することであり、中国共産党の独裁統治を支持することにもなる。民主主義に基づく国家を中国人も構築できることを中華民国は示しており、大陸の中国共産党は独裁を正当化するために中華民国を否定しなければならない。そのため「一つの中国」とは大陸中国だと国際的に認められることが必要なのだが、民主主義が機能する“もう一つ”の中国を排除することで国際社会が失うものは大きい。
中国は核心的利益と決めた対象について、対外的には強硬で非妥協的な姿勢になる。台湾は中国が最優先する核心的利益であろうから、台湾を独立国家と見なす動きがあれば国際的にも封じ込めようとするが、外交的な恫喝が通じない米国に対して中国には有効な抑止策はない。
だから米国は、中国のいう核心的利益を中国相手の交渉材料に使うことができる。軍事的にも経済的にも中国を上回る米国に対して、中国は米国の反応を試しつつ、小出しに緊張感を高めても関係を絶つことはできないので、言葉で激しく批判するぐらいが限度か。激しく批判されても米国なら激しく批判し返すだろう。
「一つの中国」の主張は、二つの中国が存在することから生じた。どちらが中国を代表するのかを中華人民共和国と中華民国が争い、東西ドイツのように分裂国家として国際社会で共存することを双方とも是としなかった。
分断国家には2種類あり、既存国家の内部に複数の政府ができて分裂するケースと、国家形成を目指して複数の政治主体が争う中で分割支配となるケース。ドイツは前者、中国は後者で、国共内戦の延長として、どちらが中国を代表するかを争っている。
「一つの中国」とはまず台湾だった。国際的にも中華民国が大陸を含めて中国を代表すると認められていたが、大陸は中国共産党が支配し、その国家形成が進むにつれて国際的にも形勢は逆転、中華人民共和国の国連加盟とともに中華民国は国連を脱退し、「一つの中国」は大陸中国側を意味するものに変化した。
現在、「一つの中国」を支持するとは中華人民共和国を支持することであり、中国共産党の独裁統治を支持することにもなる。民主主義に基づく国家を中国人も構築できることを中華民国は示しており、大陸の中国共産党は独裁を正当化するために中華民国を否定しなければならない。そのため「一つの中国」とは大陸中国だと国際的に認められることが必要なのだが、民主主義が機能する“もう一つ”の中国を排除することで国際社会が失うものは大きい。
2016年12月21日水曜日
共同経済活動
北方4島や竹島、尖閣諸島で日本の領有権が脅かされているが、状況は異なる。尖閣諸島は日本が実効支配していて、中国が定期的に艦船を「パトロール」させるようになったものの、中国人が上陸して経済活動を行うことは防いでいる。北方4島はロシアが、竹島は韓国がそれぞれ実効支配し、日本人が上陸して経済活動をすることを阻んでいる。
仮に、中国の要求に応じて日本が、中国政府と尖閣諸島における共同経済活動について協議を開始すると決めたなら、それは日本にとっては大幅な譲歩となる。それまで中国人や中国企業が上陸できなかった尖閣諸島で経済活動ができるようになれば、中国側にとっては大きな前進だろう。中国なら、多額の経済協力プランと引き換えでも尖閣諸島へのアクセスを実現できれば大喜びするかもしれない。
仮に、日本の要求に応じて韓国が、日本政府と竹島における共同経済活動について協議を開始すると決めたなら、それは韓国にとっては大幅な譲歩となる。それまで日本人や日本企業が上陸できなかった竹島で経済活動できるようになれば、日本側にとっては大きな前進だろう。
尖閣諸島や竹島に設定を変えてみると、日露で今回合意した内容は日本側にとって一歩前進であることが見えて来る。法的基盤など枠組みを巡って難題が残っているため、実際に共同経済活動が動き始めるのか不透明だが、ロシアが協議に応じ、平和条約締結に向けての交渉にも前向きであるのだから、機会を逃す必要はなかろう。
北方4島を実効支配し、日本との協議に応じる義務はなかったロシアを、協議に引っ張り出したのだから日本にとっては得点であり、失点はない。日本が実効支配している尖閣諸島に中国を呼び込んだのなら、それは日本の実効支配を揺さぶる行為となり、竹島に日本を呼び込むことは韓国の実効支配を揺さぶることになる。北方4島に日本を呼びこむことに同意したことで、ロシアの実効支配は万全ではなくなった。
今回の日露首脳会談で、歯舞、色丹の返還さえ明確にできなかったことで日本国内では失望の気配が漂い、経済協力などを先行させることでロシアに「食い逃げ」されると危惧する声も出ている。今回の日露首脳会談を「ゴール」と見るなら日本が得たものはないだろうが、「スタート」と見るなら、日本が失ったものはなく、これから得るものがあるかもしれないと見えて来る。
外交に関してはタフなロシア相手に日本はこれから、主張を曲げず、かつ柔軟に交渉していく手腕の見せ所となる(あまり期待しないほうがいい?)。冷戦終了後は米に従うだけだった日本外交が、ロシア相手に局面を動かすことができたなら、独自外交の大きな一歩であり、日本外交において冷戦構造からやっと抜け出す一歩となるかもしれない。
仮に、中国の要求に応じて日本が、中国政府と尖閣諸島における共同経済活動について協議を開始すると決めたなら、それは日本にとっては大幅な譲歩となる。それまで中国人や中国企業が上陸できなかった尖閣諸島で経済活動ができるようになれば、中国側にとっては大きな前進だろう。中国なら、多額の経済協力プランと引き換えでも尖閣諸島へのアクセスを実現できれば大喜びするかもしれない。
仮に、日本の要求に応じて韓国が、日本政府と竹島における共同経済活動について協議を開始すると決めたなら、それは韓国にとっては大幅な譲歩となる。それまで日本人や日本企業が上陸できなかった竹島で経済活動できるようになれば、日本側にとっては大きな前進だろう。
尖閣諸島や竹島に設定を変えてみると、日露で今回合意した内容は日本側にとって一歩前進であることが見えて来る。法的基盤など枠組みを巡って難題が残っているため、実際に共同経済活動が動き始めるのか不透明だが、ロシアが協議に応じ、平和条約締結に向けての交渉にも前向きであるのだから、機会を逃す必要はなかろう。
北方4島を実効支配し、日本との協議に応じる義務はなかったロシアを、協議に引っ張り出したのだから日本にとっては得点であり、失点はない。日本が実効支配している尖閣諸島に中国を呼び込んだのなら、それは日本の実効支配を揺さぶる行為となり、竹島に日本を呼び込むことは韓国の実効支配を揺さぶることになる。北方4島に日本を呼びこむことに同意したことで、ロシアの実効支配は万全ではなくなった。
今回の日露首脳会談で、歯舞、色丹の返還さえ明確にできなかったことで日本国内では失望の気配が漂い、経済協力などを先行させることでロシアに「食い逃げ」されると危惧する声も出ている。今回の日露首脳会談を「ゴール」と見るなら日本が得たものはないだろうが、「スタート」と見るなら、日本が失ったものはなく、これから得るものがあるかもしれないと見えて来る。
外交に関してはタフなロシア相手に日本はこれから、主張を曲げず、かつ柔軟に交渉していく手腕の見せ所となる(あまり期待しないほうがいい?)。冷戦終了後は米に従うだけだった日本外交が、ロシア相手に局面を動かすことができたなら、独自外交の大きな一歩であり、日本外交において冷戦構造からやっと抜け出す一歩となるかもしれない。
2016年12月17日土曜日
ブルーズが好き
ブルーズという音楽はシンプルな構成だ。最も多いのは12小節のもので、最低3つのコードを覚えたなら、演奏することができる(構成がシンプルなので、演奏者の創意工夫次第で複雑化でき、ジャズでは多くのコードを細かく使って表現に変化をつける)。4小節単位でAメロ・A’メロ・Bメロと展開するのでメリハリもつけやすい。
ミュージシャンなら誰でも演奏することができる(であろう)から、ブルーズはセッションには欠かせない演目だ。シンプルな構成なので、互いのプレーを楽しみつつ、初めて演奏する相手でもその演奏技量やセンス、相性などを推し量ることができる。
ブルーズはアメリカの黒人が生み出した音楽だが、白人にも広く受け入れられるようになり、さらに国境を越えて世界に広がった。ロックンロールやロックという音楽はブルーズなしには誕生しなかっただろうから、現代ポップ音楽のルーツの一つといえるブルーズだが、ヒット曲が出るわけでもないのでブルーズ自体の人気は限定的だ。
シンプルな構成に乗せてブルーズでは、日常の様々な喜び、悲しさ、楽しさ、怒りなどが歌われてきた。何をどう歌うかが曲の個性には重要なのだが、歌詞を聞き流してサウンドだけを聴く人ならば、多くの曲が同じように聞こえたりして、単調で変化に乏しいと感じたりするかもしれない。だから、ブルーズに関心を持って聞き始めても、やがて疎遠になるという人は珍しくない。
だが、ブルーズに関する情報が現在より遥かに乏しかった20世紀半ばの欧米で、ブルーズに惹かれ、ブルーズを演奏し始め、やがてロック音楽をつくり出した人々は、知識としてブルーズを聴いたのではない。新しい音楽表現としてのブルーズを好きになり、ブルーズをコピーし、発展させて自分らの音楽をつくり出した。
ローリング・ストーンズの新作「ブルー&ロンサム」は全12曲がリトル・ウォルターやハウリン・ウルフらのカバーだ。新作のレコーディングでスタジオに入ったが、途中で気分転換のために「ブルーズを演ろうぜ」となり、その出来が良く、皆の気持ちも高揚して3日間でブルーズばかり12曲を録音したという。一気に録音できたのは、長いブルーズとのつき合いがあったからだろう。
50年以上も前にブルーズを好きになり、ブルーズを演奏し始めたストーンズ。長い活動の末に、エモーショナルで活気溢れるブルーズ・アルバムをつくった。演奏がいいだけではなく、ブルーズが好きで、ブルーズを演るのが楽しいということを伝える新作は、彼らの代表作の一つとなった。ブルーズはシンプルな音楽だから、演奏しているときの精神の高揚が大事だと新作は示している。
ミュージシャンなら誰でも演奏することができる(であろう)から、ブルーズはセッションには欠かせない演目だ。シンプルな構成なので、互いのプレーを楽しみつつ、初めて演奏する相手でもその演奏技量やセンス、相性などを推し量ることができる。
ブルーズはアメリカの黒人が生み出した音楽だが、白人にも広く受け入れられるようになり、さらに国境を越えて世界に広がった。ロックンロールやロックという音楽はブルーズなしには誕生しなかっただろうから、現代ポップ音楽のルーツの一つといえるブルーズだが、ヒット曲が出るわけでもないのでブルーズ自体の人気は限定的だ。
シンプルな構成に乗せてブルーズでは、日常の様々な喜び、悲しさ、楽しさ、怒りなどが歌われてきた。何をどう歌うかが曲の個性には重要なのだが、歌詞を聞き流してサウンドだけを聴く人ならば、多くの曲が同じように聞こえたりして、単調で変化に乏しいと感じたりするかもしれない。だから、ブルーズに関心を持って聞き始めても、やがて疎遠になるという人は珍しくない。
だが、ブルーズに関する情報が現在より遥かに乏しかった20世紀半ばの欧米で、ブルーズに惹かれ、ブルーズを演奏し始め、やがてロック音楽をつくり出した人々は、知識としてブルーズを聴いたのではない。新しい音楽表現としてのブルーズを好きになり、ブルーズをコピーし、発展させて自分らの音楽をつくり出した。
ローリング・ストーンズの新作「ブルー&ロンサム」は全12曲がリトル・ウォルターやハウリン・ウルフらのカバーだ。新作のレコーディングでスタジオに入ったが、途中で気分転換のために「ブルーズを演ろうぜ」となり、その出来が良く、皆の気持ちも高揚して3日間でブルーズばかり12曲を録音したという。一気に録音できたのは、長いブルーズとのつき合いがあったからだろう。
50年以上も前にブルーズを好きになり、ブルーズを演奏し始めたストーンズ。長い活動の末に、エモーショナルで活気溢れるブルーズ・アルバムをつくった。演奏がいいだけではなく、ブルーズが好きで、ブルーズを演るのが楽しいということを伝える新作は、彼らの代表作の一つとなった。ブルーズはシンプルな音楽だから、演奏しているときの精神の高揚が大事だと新作は示している。
2016年12月14日水曜日
高揚する韓国市民
主催者発表では参加者100万人以上という大規模なデモが毎週続き、朴槿恵大統領の辞任を人々は求めた。朴大統領は来年4月の退陣を受け入れる意向を示したが、即時辞任を求める圧力は収まらず、与党からも多数が賛成に回って国会で大統領の弾劾訴追案が可決され、大統領権限は停止された。
最高権力者の退陣を要求する人々がデモをし、治安部隊が暴力的に抑え込もうとして流血を見ることは世界では珍しくない。だが、民主主義国家であれば、最高権力者の任期途中での不信任について法的に整備されているのが当然で、辞任を求める世論が高まれば議会が最高権力者の交代へと動くことは珍しいことではない。
韓国では、暴力や流血を伴わずに朴大統領を弾劾できたことに達成感があるようだ。韓国主要紙は弾劾訴追案が可決されたことを「国民による名誉革命」と讃えているという。激情しやすい民族性と称されたりもするのに今回のデモでは、集会で過激な発言や暴力が出そうになるたびに市民たちが制止したといい、憲法の手続きに沿って弾劾に至ったのは市民の成熟を示すものとされた。
韓国の市民が成熟したというが本当ならば喜ばしいことだ。既に合意したことを後になって一方的に引っくり返したり、自国流の歴史観を押しつけたり、被害者感情を強硬に主張して事実を軽視したり、民族性の維持のために欧米などで日本批判をすることなどは、市民(個人)が成熟したなら控えられるようになると期待できよう。
ただ、流血を見ずに大統領弾劾をなし遂げたことが韓国市民の成熟の現れとしても、その成熟が①一過性のものか、受け継がれていくのか、②韓国内でだけ発揮されるのか、国際社会でも発揮されるのかーー不明だ。市民が成熟すれば国家も成熟して政策も成熟するなら、東アジアの安定のためには韓国の成熟は寄与する。
集会では過激な発言や暴力が出そうになるたびに市民たちが制止したというが、例えば、日本を批判するデモや集会でも韓国の人々は成熟した行動を示すことができるのか。激情を発揮することが公の場ではふさわしくない行動だと自覚して冷静に振る舞うようになったのなら、韓国の市民の成熟は本当かもしれない。
人々に支持されなくなった最高権力者を流血を見ずに排除できたのだから、韓国の人々が達成感に浸り、誇らしく感じるのは当然だろう。韓国紙が名誉革命と並べて讃えるのは、持ち上げすぎの感もあるが、メディアも達成感を共有しているのだろう。韓国の市民もメディアも高揚している。
最高権力者の退陣を要求する人々がデモをし、治安部隊が暴力的に抑え込もうとして流血を見ることは世界では珍しくない。だが、民主主義国家であれば、最高権力者の任期途中での不信任について法的に整備されているのが当然で、辞任を求める世論が高まれば議会が最高権力者の交代へと動くことは珍しいことではない。
韓国では、暴力や流血を伴わずに朴大統領を弾劾できたことに達成感があるようだ。韓国主要紙は弾劾訴追案が可決されたことを「国民による名誉革命」と讃えているという。激情しやすい民族性と称されたりもするのに今回のデモでは、集会で過激な発言や暴力が出そうになるたびに市民たちが制止したといい、憲法の手続きに沿って弾劾に至ったのは市民の成熟を示すものとされた。
韓国の市民が成熟したというが本当ならば喜ばしいことだ。既に合意したことを後になって一方的に引っくり返したり、自国流の歴史観を押しつけたり、被害者感情を強硬に主張して事実を軽視したり、民族性の維持のために欧米などで日本批判をすることなどは、市民(個人)が成熟したなら控えられるようになると期待できよう。
ただ、流血を見ずに大統領弾劾をなし遂げたことが韓国市民の成熟の現れとしても、その成熟が①一過性のものか、受け継がれていくのか、②韓国内でだけ発揮されるのか、国際社会でも発揮されるのかーー不明だ。市民が成熟すれば国家も成熟して政策も成熟するなら、東アジアの安定のためには韓国の成熟は寄与する。
集会では過激な発言や暴力が出そうになるたびに市民たちが制止したというが、例えば、日本を批判するデモや集会でも韓国の人々は成熟した行動を示すことができるのか。激情を発揮することが公の場ではふさわしくない行動だと自覚して冷静に振る舞うようになったのなら、韓国の市民の成熟は本当かもしれない。
人々に支持されなくなった最高権力者を流血を見ずに排除できたのだから、韓国の人々が達成感に浸り、誇らしく感じるのは当然だろう。韓国紙が名誉革命と並べて讃えるのは、持ち上げすぎの感もあるが、メディアも達成感を共有しているのだろう。韓国の市民もメディアも高揚している。
2016年12月10日土曜日
逃げ出さない
トランプ氏が次期大統領に決まった直後から、カナダ移民省のサイトへのアクセスが急増して一時は接続が困難になったと報じられた。米国民ならカナダへの移住は容易だとされるが、ニュージーランドや豪の入国管理局サイトへのアクセスも急増、米国民からの移住ビザの申請が増えたり、IT関連企業に米国から求人の問い合わせが増えたともいう。
トランプ大統領の誕生に怯えた人々が脱出を始めたとも見えるし、トランプ氏を嫌う人々が米国に見切りをつけて逃げ出し始めたとも見える。移民が形成した米国では、国籍は個人が選択するものとの考えが根付いているのだろうから、他国に移住することは人生の現実的な選択肢なのかもしれない。
「苛政は虎よりも猛なり」という中国の故事がある。過酷な悪政の下にある土地で暮らすよりも、人食い虎が出る土地で暮らすことを人はあえて選ぶという例えで、米国に見切りをつけた人々は、トランプ大統領の治世下では悪政が行われると見通したらしい。
他国に移住しようとする人々は米国民だけではない。急増しているのが、中東やアフリカから欧州に向かう人々だ。シリアやイラクなど戦乱で疲弊した国やアフリカの破綻国家などから豊かな欧州を目指す人々には、移住することに相応の正当性があるとも見えるが、数万、数十万と増える一方とあって欧州はネを上げている。
トランプ大統領の誕生でアメリカに見切りをつけ、カナダやニュージーランドなどへの移住を検討する人は政治的な亡命者と似ているように見える。各国の移住のシステムを利用し、秩序だって国境を越えることができるのだから、欧州に殺到する移民・難民とは大違いだ。先進国型の移民か。
トランプ大統領のアメリカは、保守色が濃く反対勢力との対立を辞さない強硬な政策に転換する可能性は高いが、民主主義を否定する独裁政治にはなるまい。複数政党で形成する議会があり、司法は行政から独立し、マスコミの報道は自由であり続けるだろう。そんなアメリカからカナダなどへ政治的な理由で移住するのは、贅沢すぎる選択だと中東やアフリカの難民は思うだろうな。
気に入らない人物が選挙で選ばれたからと外国に人々が移住するのは、民主主義を弱体化させる。民主主義は人々の不断の働きかけによって鍛えられ、時代の変化に対応していく。アメリカのような国では次の選挙があるのだから、そこでの勝利を期して、逃げ出さないで闘うことが民主主義を健全に保つ。トランプ大統領の誕生に絶望するのは、世界的に見れば、贅沢すぎる絶望なのだ。
トランプ大統領の誕生に怯えた人々が脱出を始めたとも見えるし、トランプ氏を嫌う人々が米国に見切りをつけて逃げ出し始めたとも見える。移民が形成した米国では、国籍は個人が選択するものとの考えが根付いているのだろうから、他国に移住することは人生の現実的な選択肢なのかもしれない。
「苛政は虎よりも猛なり」という中国の故事がある。過酷な悪政の下にある土地で暮らすよりも、人食い虎が出る土地で暮らすことを人はあえて選ぶという例えで、米国に見切りをつけた人々は、トランプ大統領の治世下では悪政が行われると見通したらしい。
他国に移住しようとする人々は米国民だけではない。急増しているのが、中東やアフリカから欧州に向かう人々だ。シリアやイラクなど戦乱で疲弊した国やアフリカの破綻国家などから豊かな欧州を目指す人々には、移住することに相応の正当性があるとも見えるが、数万、数十万と増える一方とあって欧州はネを上げている。
トランプ大統領の誕生でアメリカに見切りをつけ、カナダやニュージーランドなどへの移住を検討する人は政治的な亡命者と似ているように見える。各国の移住のシステムを利用し、秩序だって国境を越えることができるのだから、欧州に殺到する移民・難民とは大違いだ。先進国型の移民か。
トランプ大統領のアメリカは、保守色が濃く反対勢力との対立を辞さない強硬な政策に転換する可能性は高いが、民主主義を否定する独裁政治にはなるまい。複数政党で形成する議会があり、司法は行政から独立し、マスコミの報道は自由であり続けるだろう。そんなアメリカからカナダなどへ政治的な理由で移住するのは、贅沢すぎる選択だと中東やアフリカの難民は思うだろうな。
気に入らない人物が選挙で選ばれたからと外国に人々が移住するのは、民主主義を弱体化させる。民主主義は人々の不断の働きかけによって鍛えられ、時代の変化に対応していく。アメリカのような国では次の選挙があるのだから、そこでの勝利を期して、逃げ出さないで闘うことが民主主義を健全に保つ。トランプ大統領の誕生に絶望するのは、世界的に見れば、贅沢すぎる絶望なのだ。
2016年12月7日水曜日
パリ協定の不都合な真実
中国や米国など主要排出国も参加して全ての国に、自主的な温室効果ガスの削減目標の制定と目標達成への努力を義務づけたパリ協定は発効したが、米トランプ次期大領領は地球温暖化説に懐疑的だといわれ、早期の脱退が取沙汰されている。TPPと同じようにパリ協定もトランプ次期大統領に息の根を止められるのだろうか。
パリ協定は各国がそれぞれ削減目標を決め、その達成を相互に監視する仕組み。先進国だけに削減義務を負わせた京都議定書とは異なり、途上国を含めて多くの国を参加させるために、削減目標の達成を義務とはせずに削減に向けた努力を促すことにした。
各国が独自に削減目標を設定でき、その達成は義務ではないので、現実離れした高い目標を掲げることも、実際に達成が確実な低い目標を掲げることもできよう。世界の温室効果ガス全体の2割以上を排出する中国は、現実的な目標を掲げた。それは①2030年までにCO2排出量を頭打ちさせる、②GDP当たりCO2排出量を05年比で60~65%削減などというもの。
つまり中国は経済成長が続くことを見込み、2030年頃まではCO2排出量は減少しないでしょうと言い、GDP当たりで削減するけど経済成長すれば総排出量が増えるのは仕方がないと言っている。主要排出国である中国を参加させるためにパリ協定は、実際に温室効果ガス排出を減らすことには背を向けた。
温室効果ガスの排出に関して中国には別の問題がある。それは、中国が発表するデータの信頼性だ。中央政府の計画に合致するようなデータが地方から報告されているといい、環境関係でも統計で国内での石炭消費量が大幅に少なく記載されていたことが明らかになった。別の言い方をすると、パリ協定で中国が表明した削減目標は、中国発表のデータでは完全に達成されるであろう。
世界の平均気温の上昇を1.5度以内に抑えるよう努力するというパリ協定だが、平均気温が上昇すると海面上昇、熱波、干ばつ、高潮、熱帯の感染症の拡大、異常気象の増加、森林火災の増加などをもたらし、人間の生活に多大の影響を与えるとされる。これらは未来予測であり、実現可能性を確率で表すのが科学的態度だろうが、「決まった」未来であるかのように喧伝されている。
温暖化により南極大陸を覆う膨大な氷が融け始めるので海面上昇がもたらされるとされたが、南極大陸を取り巻く海氷の大きさは約100年前と現在でほとんど変わっていないことが明らかになった。20世紀には増加した時期と減少した時期があり、一方的に減少を続けているのではないという。パリ協定で温暖化効果ガスの排出量を実際に削減できなかったとしても、海面上昇は起きないなら皮肉でもあり安心でもある……か。
パリ協定は各国がそれぞれ削減目標を決め、その達成を相互に監視する仕組み。先進国だけに削減義務を負わせた京都議定書とは異なり、途上国を含めて多くの国を参加させるために、削減目標の達成を義務とはせずに削減に向けた努力を促すことにした。
各国が独自に削減目標を設定でき、その達成は義務ではないので、現実離れした高い目標を掲げることも、実際に達成が確実な低い目標を掲げることもできよう。世界の温室効果ガス全体の2割以上を排出する中国は、現実的な目標を掲げた。それは①2030年までにCO2排出量を頭打ちさせる、②GDP当たりCO2排出量を05年比で60~65%削減などというもの。
つまり中国は経済成長が続くことを見込み、2030年頃まではCO2排出量は減少しないでしょうと言い、GDP当たりで削減するけど経済成長すれば総排出量が増えるのは仕方がないと言っている。主要排出国である中国を参加させるためにパリ協定は、実際に温室効果ガス排出を減らすことには背を向けた。
温室効果ガスの排出に関して中国には別の問題がある。それは、中国が発表するデータの信頼性だ。中央政府の計画に合致するようなデータが地方から報告されているといい、環境関係でも統計で国内での石炭消費量が大幅に少なく記載されていたことが明らかになった。別の言い方をすると、パリ協定で中国が表明した削減目標は、中国発表のデータでは完全に達成されるであろう。
世界の平均気温の上昇を1.5度以内に抑えるよう努力するというパリ協定だが、平均気温が上昇すると海面上昇、熱波、干ばつ、高潮、熱帯の感染症の拡大、異常気象の増加、森林火災の増加などをもたらし、人間の生活に多大の影響を与えるとされる。これらは未来予測であり、実現可能性を確率で表すのが科学的態度だろうが、「決まった」未来であるかのように喧伝されている。
温暖化により南極大陸を覆う膨大な氷が融け始めるので海面上昇がもたらされるとされたが、南極大陸を取り巻く海氷の大きさは約100年前と現在でほとんど変わっていないことが明らかになった。20世紀には増加した時期と減少した時期があり、一方的に減少を続けているのではないという。パリ協定で温暖化効果ガスの排出量を実際に削減できなかったとしても、海面上昇は起きないなら皮肉でもあり安心でもある……か。
2016年12月3日土曜日
自由な社会と分断
宗教的な摩擦や文化的な摩擦などが暴力やイジメとして現れたり、政治的な対立がデモの応酬になったりすることは珍しいことではない。政治的な対立が鋭くなるほど、選挙結果を敗北した側は素直に受け入れられず、といって選挙を否定することもできず、選挙結果に現れた社会の分断を嘆いてみせたりする。
そうした摩擦や対立が社会の分断を示していることは確かだが、分断に気を取られすぎると、分断を解消することが諸問題の解決策であるかのように勘違いする。和を尊重することを善しとする思い込みがあったりしたなら、分断があることを憂慮し、相互の不寛容さを諸悪の根源としたりする。だが、相互の違いや対立を認めた上での寛容さを求めるのではなく、融合することによる寛容さを求めたりすると、現実的な処方とはなりにくい。
分断を、あってはならないものとして考えると、現実離れした理想論を積み重ねるしかなくなる。多様な人間で構成される社会に分断が存在するのは自然であり当然だと考えるのなら、摩擦や対立が激しくなっても、それが社会を分断させると過剰に悲観視する必要はなくなろう。
分断がない社会(=分断が表面化しない社会)とは、例えば北朝鮮や中国のような、権力による強権支配が徹底し、公安などにより人々の監視が日常的に行われ、体制に批判的な人々は拘束されたり隔離されたりし、「反逆者」とされたなら容赦なく処刑されるような社会だろう。
分断がない社会(=分断が表面化しない社会)では、個人が自由に発言することは許されず、その社会で政治的に正しいとされることを言わなければならないだろう。個人の発言を統制するために個人の思考を統制することを権力は目指すだろうが、思考は外部から見えないので、日常の全ての言動により個人の思考を推測することになろう。権力による人々の監視が強化されると、分断が見えにくい社会になる。
個人の自由と権利を尊重する社会では、政治的主張を含めて個人は自由に発言する。それで、極端な主張を含めて多様な言説がなされ、様々な利害対立が表面化し、それぞれの「正しさ」を振りかざして争うことにもなり、分断が深刻に見えたりする。自由に活発に個人が意思を表明できる社会であるほど、分裂傾向が強くなろう。社会の分断現象は、個人の自由さをはかる指標にもなる。
ただし、分断は政治(家)に利用され、より激しい対立へと促されることもある。相互の違いや対立を認めた上での対話を求めることよりも、相互に不寛容になって相手を打ち負かすことに励むなら、分断はやがて亀裂となることもあろう。異なる意見を持つ人々、利害が反する人々に対して、どれだけ「冷静さ」を人々が保つことができるのかが、分裂しない社会の尺度になる。
そうした摩擦や対立が社会の分断を示していることは確かだが、分断に気を取られすぎると、分断を解消することが諸問題の解決策であるかのように勘違いする。和を尊重することを善しとする思い込みがあったりしたなら、分断があることを憂慮し、相互の不寛容さを諸悪の根源としたりする。だが、相互の違いや対立を認めた上での寛容さを求めるのではなく、融合することによる寛容さを求めたりすると、現実的な処方とはなりにくい。
分断を、あってはならないものとして考えると、現実離れした理想論を積み重ねるしかなくなる。多様な人間で構成される社会に分断が存在するのは自然であり当然だと考えるのなら、摩擦や対立が激しくなっても、それが社会を分断させると過剰に悲観視する必要はなくなろう。
分断がない社会(=分断が表面化しない社会)とは、例えば北朝鮮や中国のような、権力による強権支配が徹底し、公安などにより人々の監視が日常的に行われ、体制に批判的な人々は拘束されたり隔離されたりし、「反逆者」とされたなら容赦なく処刑されるような社会だろう。
分断がない社会(=分断が表面化しない社会)では、個人が自由に発言することは許されず、その社会で政治的に正しいとされることを言わなければならないだろう。個人の発言を統制するために個人の思考を統制することを権力は目指すだろうが、思考は外部から見えないので、日常の全ての言動により個人の思考を推測することになろう。権力による人々の監視が強化されると、分断が見えにくい社会になる。
個人の自由と権利を尊重する社会では、政治的主張を含めて個人は自由に発言する。それで、極端な主張を含めて多様な言説がなされ、様々な利害対立が表面化し、それぞれの「正しさ」を振りかざして争うことにもなり、分断が深刻に見えたりする。自由に活発に個人が意思を表明できる社会であるほど、分裂傾向が強くなろう。社会の分断現象は、個人の自由さをはかる指標にもなる。
ただし、分断は政治(家)に利用され、より激しい対立へと促されることもある。相互の違いや対立を認めた上での対話を求めることよりも、相互に不寛容になって相手を打ち負かすことに励むなら、分断はやがて亀裂となることもあろう。異なる意見を持つ人々、利害が反する人々に対して、どれだけ「冷静さ」を人々が保つことができるのかが、分裂しない社会の尺度になる。
登録:
コメント (Atom)