2019年6月29日土曜日

移住先とストレス

 都会に住む人に人気の移住希望先(2019年)は1位長野県、2位静岡県、3位北海道、4位山梨県、5位新潟県だという。長野県が人気1位の理由として、豊かな自然、広い土地が確保できる、移住者に対する自治体の支援が充実している等が挙げられ、静岡県では、温暖な気候、交通の便がいい等が人気理由の上位に来る。

 北海道は移住先として年々順位を上げている。豊かな自然、夏が暑すぎず快適な気候、良質で豊富な食材、広い土地が確保できる等に加え、自治体が移住者受け入れに積極的になったことが奏功しているようだ。さらに、スギ花粉症から逃れることができることや道内観光に出かけやすくなることも魅力とされる。

 一方で、冬の寒さや降雪に対する不安から、北海道は旅行先としてはいいけど住むのは嫌だという人も少なくないという。本州各地にも豪雪地帯があり、降雪量は北海道が飛び抜けて多いわけではないが、冬に寒い日が続くことでは北海道が一番だ。

 暑さ寒さなど気温は人間にストレスを感じさせる。寒さにストレスを感じる人が北国に移住したなら、冬の寒さに移住したことを後悔するだろう。寒さは暖房や着衣で調節できるとはいえ、ふとした時に感じる寒さまで防ぐことはできず、そのたびにストレスを感じるなら心の重荷になろう。

 寒くなっても北国の冬だから仕方がないと考え、雪が降ると冬だから当然だと思い、寒さを感じたら1枚また1枚と重ね着することに抵抗がなく、野外での肌を刺す寒さや雪景色は冬の季節感に欠かせないと感じるような人なら、北国に移住しても住み続けることができよう。

 暑さにストレスを感じる人にとって、例えば東京の梅雨の時期から夏、秋と続く季節は苦痛だろう。湿度が高いので気温が高くなると肌に粘りつくような暑さが続き、夜中でも気温が下がらない。都会にはストレス要因が多いが、そこに高温多湿が加わるので、夏の東京で人はストレスにまみれて暮らす。クーラーが存在しなければ東京の過密化は抑制されたかもしれないな。

 移住先として重視する要件は年代によっても違う。リタイアした年配者なら病院の存在、現役世代なら就業先の存在、子育て世代なら学校の存在を重視するという。東京には大量の就業先があり、多くの病院や学校がある。いくら暑くても移住希望先として東京のダントツの人気は揺るぎそうにない。

2019年6月26日水曜日

グローバリズムの限界

 冷戦が終結した後、世界は自由主義と民主主義、市場経済が主導するシステムに覆われ、政治体制をめぐる争いはなくなるとの楽観論があった。現実は、共産主義運動が衰退した一方、制約や規制が軽減されて資本主義が世界で人々を収奪することに容赦がなくなった。

 楽観論やインターネット普及などにより当初、グローバリズムは世界を均一化し、相互の結びつきを強め、人類が共存する世界へ向かう道筋のように見えた。しかし、グローバリズムで最も恩恵を受けたのは巨大な資本であり、世界の市場に新しく参入した中国だった。

 グローバリズムには、①世界を一つの共同体と見る、②世界を一つの市場と見る、の両面がある。①は国家や民族などにとらわれず、世界に個人が向き合って考え、行動することを促す。②は国境にとらわれずに巨大資本が経済活動することを正当化する。

 巨大資本が、諸国家の制約をあまり受けずに世界各国で自由に活動した結果、各国で①少数の人々が更に莫大な富を得たが貧富の差が拡大、②中間層が減少、③巨大資本の「節税」などが生じた。また、人々の国境を超える流動性が高まり、受け入れ側の先進国では排斥感情が高まった。

 巨大資本の活動や格差拡大、人々の流動性の高まりなどに対する批判や反感は各国で顕在化している。国家主権の回復や拡大、自国民・自民族の優先、異民族や異宗教者の排除など様々な主張が見られ、それは反グローバリズムと括られる。だが、各国の法人税軽減競争に見られるように、巨大資本の世界的な活動に制約を貸すことは難しいだろう。

 世界を一つの市場とする現在のグローバリズムには様々な問題があるが、中国のように世界から自国を「閉ざし」て、内部では強圧的な支配を行うことが、グローバリズムに疲弊する世界よりマシだとはいえない。人々には、巨大資本か抑圧的な国家か、どちらかしか選択肢がないとすればグローバリズムには救いがない。

 世界を一つの共同体と見るグローバリズムには希望は残っているのだろうか。各国で自国優先を唱える指導者が増えていることから、世界は分裂の方向に向かっているようにも見える。現在のグローバリズムの最も大きな害は、普遍的とされる理念が色あせたことかもしれない。

2019年6月22日土曜日

五族共和の現在

 中華民族の概念を最初に提起したのは梁啓超で、1902年のことだった(1901年に中国民族の概念を造語していた)。その後、孫文は五族共和(漢、満、蒙、蔵、回による共和)を掲げつつ、中華民族の形成を訴えた(『中国の民族問題』加々美光行著=岩波現代文庫)。

 同書からの引用を続けるーー本来「中国=中華」概念は歴史的には「天下=世界」概念と同義であり、明確に「国」概念と区別されてきた。梁啓超と孫文はその「中国=中華」を「民族」概念と結びつけて「中国民族=中華民族」という新概念を造語したうえ、これをヨーロッパ発祥の近代「国民国家」の担い手となり得る「国民」概念に匹敵するものと見なしたのである。

 この結果、「天下=世界」概念であり続けた「中国=中華」が史上初めて同時に「国家」概念へと組み替えられた。その際、「中国」の観念に含まれる「世界」観念としての意味については自覚的な議論がなされず、「中国」概念から取り除かれることもなかった。こうして現在の中国人の潜在意識の中で「中国」の観念が、「国家」観念と「世界」観念とが融合混在した「世界国家」の観念として働く結果になったのであるーー。

 習近平党総書記が提唱する「中国の夢」とは「中華民族の偉大な復興の実現」だという。習氏は「2つの100年」(共産党創立100年=21年、中華人民共和国建国100年=49年)に向け、中華民族の偉大な復興の実現を推進するとする。復興が意味するものは察するに、国力の増大と国際的な影響力(支配力)の拡大などであるらしい。

 習氏の言う中華民族は五族に限らない。中国共産党は中華民族を「漢族と55の少数民族」から成るとするので、現代中国の領土に住む全ての民族が融合混在したものだろうが、それは中国国民と同義である。わざわざ中華民族を強調するのは、民族間の対立を覆い隠し、中国共産党の支配下で仲良く暮らしているとのイメージを振りまくためだろう。

 偉大な復興を目指すという中華民族だが、例えば、チベットやウイグルにおける過酷な抑圧状況が、厳しい報道統制にも関わらず国際的に知られるようになった。中国共産党の支配に従わない民族や人々に対する過酷な抑圧は以前から行われ続けていることでもあり、中華民族の形成とは、中国共産党の支配に従う民族や人々だけで中国という国家が形成されることであろう。

 漢民族は中国の人口の9割以上を占める。中華民族の形成は、漢民族に他の民族が吸収されることでも実現する。満と漢の民族対立は伝わってこないし、蒙と漢との民族対立もほとんど伝えられないが、蔵や回と漢の対立は根深い。中国という世界に蔵や回が含まれると中国共産党は認識しているだろうから、漢に従わぬ蔵や回に対する「同化」の強制は過酷になる。

2019年6月19日水曜日

雑誌の速読法

 書店が大好きだという友人がいる。帰宅前には必ずといっていいほど、どこかの書店に立ち寄り、仕事の合間にも会社近くの書店に出かける。何かの文庫本や書籍を常にバッグに入れているような本好きではないが、友人は書店に寄ることを好む。

 友人は書店で書籍の新刊コーナーは素通りし、雑誌売り場に直行する。書籍に関心がないわけではないが、買ったものの読んでいない書籍が溜まっていることに加え、読みきるために数日以上は要するので、その時間が心理的な負担だと感じるようになり、書籍を買うことを抑制していると友人。

 雑誌は、気になる記事が一つでもあれば買っていたそうだが、読み終えても雑誌を捨てることができない性分の友人なので、雑誌も溜まるばかり。溜まった書籍や雑誌を見るたびに、読書に対する自分の怠惰さを見せつけられているように感じたとか。

 買った雑誌は全部の記事を読んでから処分すると決めた友人だが、買っても気になった記事以外はあまり熱心に読まず、やはり溜まっていくばかり。それで雑誌は基本的に買わず、気になった記事だけを立ち読みで済ますことにしたという。

 月刊誌や専門誌には長い記事もある。書店で熱心に立ち読みしている人が同じページをずっと読んでいる光景は、熱心さは伝わるものの傍目には「買えないのか」と見られることもある。友人は独自の速読法を習得したので、長い記事でもさっさとページをめくるという。

 速読法というと、一字一句にこだわらず、視野を広くして複数の行を見るようにするとか、段落に斜めに視線を走らすとか、視線の移動を速くして無駄な視線移動をしないとか、様々な方法があるらしいが、友人の方法は、各段落の最初の文だけを読むというもの。

 各段落の最初の文だけを読み継いで行くと、記事の趣旨も浮かび上がると友人はいう。速読が目的ではなく何が書かれているかを知ることが目的だから、この速読法は雑誌の立ち読みには適しているそうだ。ただ、論文や小説など一つの段落が長いものには向いていないので、そうしたものをじっくり読みたい時は雑誌を買うそうだ。

2019年6月15日土曜日

植物は日本語が分かる?

 「植物に話しかけると元気に育つ」とか「綺麗だね、ありがとうなどと植物を褒めると、バカなどと貶すよりも育ちが良くなる」などと主張する人がいる。実際の体験から確信を持って言うのだろうが、検証は困難だ。

 そうした主張が事実であるために必要な要素は、第一に、植物に耳があること。人間が発する言葉は空気の振動なので、植物が葉などで振動を感知している可能性はあるが、振動から言葉を理解しているかどうか証明は簡単ではないだろう。ただし、空気の振動で葉が動くと、それが植物を活性化させる可能性はある。

 第二に、人間の言葉を理解する能力が植物にあること。植物に話しかけた言語は、おそらく日本語だろうから、植物に日本語を理解する能力がなければ、そうした主張は成立しない。人間の子供が言語を習得するには年月を要するが、寿命が短い植物に言語を理解する能力があるなら、大発見だろう。

 人が近くから植物に話しかけることで、呼気中のCO2を植物が吸収して活性化すると解説する人がいる。大気中のCO2濃度は0.03%だが、人の呼気には4%程度(運動量により大きく変動する)のCO2を含むから、それが植物を活性化させるという説だ。

 温室などでCO2濃度を高めることで植物を活性化させる農法があるというから、CO2が関係している可能性はある。だが、綺麗だねなどと褒めてもバカと貶しても呼気中のCO2濃度に大差はないだろうから、褒めると植物が活性化するとの主張は矛盾する。それに、呼気に含まれるCO2を植物が即座に吸収し、利用しているのか定かではない。

 植物に優しく話しかける人はおそらく、手入れを怠らないだろう。優しい言葉ではなく、こまめな手入れが植物を活性化させると想像できるが、植物と「心を通わせた」と思いたい人が、自分の言葉で植物が元気になったとか綺麗になったと主張するのかもしれない。

 綺麗だねと話しかけ続けている人には、いつしか植物が綺麗になったように見えるのかもしれない。綺麗になったと見えるのだから、綺麗になったのは事実だと主張する人は、見たいと欲するものを見ているのだ。主観で構築した世界に満足している人はきっと、綺麗だと見たいものを綺麗だと感じるのだろう。

2019年6月12日水曜日

アラカン一代

 『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』は竹中労氏の傑作であるとともに、ルポルタージュ(ノンフィクション)の傑作でもある。初版は1976年に白川書院から刊行され、後に徳間文庫、ちくま文庫に入った。

 文庫版では、初版巻頭にあったグラビアページ(16P)にちりばめられたアラカン映画のスチル写真が本文中に分散して配置されるとともにサイズが小さくなり、カットされた写真も多い。アラカン映画を見た読者が減りつつある時代の変化を考えると、イメージを具体化しやすいスチル写真を掲載する必要性は増している。

 最近では七つ森書館から2016年に再刊された(書名は『鞍馬天狗のおじさんは 聞書・嵐寛寿郎一代』に変更)。四六判で初版より一回り小さいが、巻頭にグラビアページを設け、アラカン映画のスチル写真を見やすく復活させた。

 七つ森書館版の解説で佐高信氏は「この本は稀代の名著である」と書き出し、アラカンの「声音まで聞こえてくるような語り口」で、「私が少年の頃、胸躍らせて見たアラカンは、とてつもなく反骨の人だった」「共に無頼の竹中とアラカンが“合体”したとも言える絶品の快作」とする。

 アラカンの声音まで聞こえてくるような語り口とは、例えば、「芸術関係おへん、人を娯しませたらそれでええ。河原コジキ、結構やないか」「人々を娯しませてきたことは、まぎれもないんダ。ワテは映画俳優になったことを一度も後悔したことおへん」。

 「ゼニもほしかった芸者遊びもしたかった、マキノに入ったんそれだけやおへん。バンツマほどの役者になりたいと、志を立てたんダ」「人間の運命どこでどう変るやら、見当もつきまへんな、カツドウシャシンたった一年半で、おのれがスターになっていたゆうことに、東京へ出てみてはじめて気がつきました」。

 「戦争からこのかた、エライさんのゆうこと信用せんことにした。愛国心も怪しいものや、きれいなウソあきまへんな。嘘つかんのは景色だけや」「満州には、不思議な人がようけおりましたな。とくに『満映』、大杉栄を殺した甘粕大尉が理事長ダ。日活残党の根岸寛一はん・マキノ光雄はん、それに内田吐夢監督・シナリオライターの八木保太郎といった人たちが、その下で働いておりました」。

 ……と本人の語りを主に、アラカン本人や映画関係者との対談と竹中氏の地の文を織り交ぜ、アラカンの半生記と黎明期から戦後に至る日本映画の軌跡を、各社の盛衰や映画関係者の言動などをたどりつつ描いた。マキノ雅弘氏は「これは荒々しい本や、無遠慮な本や、ほんまのことばかり書いてある本や。読みながら不覚にも涙がこぼれてきた、声を立てて笑うほどおかしゅうて、急に悲しくなってくる本や」と語っている。

2019年6月8日土曜日

信仰心のビルトイン

 「神を信じよ」との呼びかけを見たり聞いたりした人は多いだろう。こうした呼びかけはキリスト教団体などが行っているようだから、「信じよ」と呼びかける対象の神とは、聖書に描かれている、この世界を創造し、人間をもつくった神のことだろう。

 なぜ、神は自身がつくった人間に対して「神を信じよ」と呼びかけるのか。実際に呼びかけているのは人間が人間に対してであり、神が人間に直接呼びかけているのではないから、神の存在を信じていない人は、神が呼びかけているとは受け止めず、人間が呼びかけているだけだと見るだろう。

 「神を信じよ」との呼びかけは、神を信じない人間に対しての呼びかけであり、そうした呼びかけが必要とされるのは、神を信じない人間が存在し、その数が相当程度多いと神を信じる集団が考えるからだ(神を信じる人間が多数ならば、そうした呼びかけの必要性は希薄になろう)。

 神は人間が行う「神を信じよ」との呼びかけにどこまで関与しているのか。神が存在すると仮定すると、そうした活動は①神が人間にさせている、②人間が自発的に行うことで神は関与していない、のどちらかだ。①はさらに、神の関与を示す証はないだろうから客観的には、神を信じる集団や人間が勝手に行動しているだけと見える。

 人間が勝手に「神を信じよ」と呼びかけるのは、信仰を広めようとの使命感に促されているからだろう。だが、そうした使命感を人間が持つのは、①神から示唆された、②人間が考えた、のどちらかなのか判断できない。さらに①の神の示唆を示す証は、おそらく確信など人間の主観によるものである可能性が高そうだ。

 神が存在し、人間をつくったと仮定すると、なぜ神は人間に「神を信じよ」と呼びかけるのか。人間をつくった時に神は、本能の一つとして信仰心を人間にビルトインさせておけば、後世になって「神を信じよ」などと人間に布教活動をさせる必要はなかったのに。

 なぜ神は人間をつくった時に神に対する信仰心をビルトインしなかったのか。考えられるのは、第一に神は人間をつくる時にうっかりミスをした、第二に人間に神への信仰心を求めなかった、第三に人間を試すために後から神の言葉だけを与えた、第四に長い年月とともに人間が神を忘却することを知らなかった、第五に神は人間に関心がない、などだ。

 人間をつくった神が人間に対して「神を信じよ」と呼びかけていると考えると、神の全能性に疑問が生じる。神が存在するなら、その神は人間に関心を持たないのかもしれない。そんな神を信じるのは簡単ではなかろうが、それでも神を信じるというのが信仰心なのだろう。

2019年6月5日水曜日

戦争で取り返す

 北方4島を「戦争で取り返すことは賛成ですか? 反対ですか?」と、ビザなし交流の訪問団に参加していた丸山穂高衆議院議員が元島民の団長に尋ね、団長は「戦争なんて言葉は使いたくない」と答えたが、丸山議員は「でも取り返せないですよね」「戦争しないとどうしようもなくないですか?」などのやりとりがあったと報じられている。

 「戦争しないと北方4島を取り返すことができない」という認識は、国家が領土を力づくで奪い合ってきたという世界の歴史に基づいているように見える。だが、欠落がある。戦争をしただけでは北方4島を取り戻すことはできず、戦争に勝ち、北方4島からロシア軍を排除して日本が占領しなければならず、新しい国境を明記した平和条約を締結することなども必要だ。

 ソ連時代に比べてロシアは弱体化しているが、軍事的な能力を侮ることはできないだろう。ロシア相手に戦争で勝たなければ北方4島を取り返すことができないと認識しているなら、どうすればロシア相手の戦争に勝つことができるか、それを考えるのがマジメな対応だろう。「戦争しないとどうしようもない」というのはズサンな思考力の表れである。

 ロシアと戦争をして日本は勝つことができるのだろうか。ロシアはどのような戦力をどこに配置しているのか、補給体制はどうなっているのか、応援部隊はどこから来るのか等、軍事に関することは具体的に見ることが基本だ。感情や使命感?などに駆られると、とどのつまりが神風頼みになりかねない。

 防衛白書2019によると、ロシア軍は「1個師団が国後島と択捉島に駐留しており、戦車、装甲車、各種火砲、対空ミサイルなど」や「択捉島及び国後島への沿岸(地対艦)ミサイル」を配備し、北方領土における軍事施設の整備を進め、軍事演習など活動を活発化させているという。

 東部軍管部には、11個旅団など約8万人のほか水陸両用作戦能力を備えた海軍歩兵旅団を擁し、各種ミサイルの導入が進められ、太平洋艦隊は潜水艦約20隻含む艦艇約260隻、計約64万トン。空軍、海軍を合わせて約400機の作戦機が配備され、Su-35やSu-34など新型機の導入で能力向上が行われているという。

 核兵器が使用されず、他の国家の参戦がないと仮定すると、日本とロシアの戦争は自衛隊と極東ロシア軍の戦いになる。北方4島を奪い合う戦争の戦場が北海道東部に限定されるかどうかは不明だ。むしろ、極東ロシア軍が軍事展開するなら全国の日本海側各地も戦場になる可能性がある。北方4島を取り戻そうとして日本がロシアに戦争を仕掛けた場合、戦争の勝ち負け以前に日本が被る損害は相当に大きくなりそうだ。

2019年6月1日土曜日

もてて乱れず

 「もてて乱れず」ということを、竹中労さんとの対談(「草莽のロマンチシズム」ー『竹中労の右翼との対話』所収)で白井為雄さんが語っていた。それは概略、次のような話だった。

 男の女の関係で、「もてないで乱れる」(女にもてないといって生活が荒れる)ことは最低で、「もてて乱れる」(女にもてて有頂天になってハメをはずす)は次善である。最善は「もてて乱れない」ことである。もてた時は、決して自惚れない自重が大切であるとの戒めだ。
 「もてて乱れず」の態度は、女出入りだけではなく、思想生活、企業経営、社会人生活においても重要だ。ことが順調に運んで調子良い時が最も心すべき時であって、このような時には有頂天にならないようにしないと、そんな時にこそ人生の落とし穴は大きく口を開いて、転落の機会が待ち構えているものだ。

 人気にもてて乱れ、マスコミにもてて乱れ、権力にもてて乱れ、商売にもてて乱れ、金にもてて乱れる人は珍しくない。だが、もてている人物に対する世間の関心は高いから、隠されていた「乱れた」所業が暴かれ、週刊誌の誌面を賑わせたりする。

 男女関係に限らず「もてて乱れず」が簡単でないのは、もてて順調な時に人は喜び、慢心しやすいからだ。もてて乱れるのも人の自然な生き方だと見守ってくれるほど、もてている人に世間は優しくない。もてている人の乱れた所業が晒され、もてている人が一転、窮地に追い込まれるのを見ることを世間は楽しんだりする。

 もてるというのは、他者からの評価である。自分の魅力や能力、努力、天分などが他者から認められたのだから、喜び、満足し、慢心するのは、程度の差はあれ誰でも同様だろう。そこで、乱れるか乱れないかは、他者からの評価に浮き足立たない自己を確立しているかどうかが左右する。

 「もてて乱れず」の人は「もてなくても乱れず」かもしれない。そんな人は少ないからこそ、「もてて乱れず」の言葉が戒めとして効果を持つ。ただし、「乱れず」が偏狭な自己に固執する頑固さを意味するのなら、そんな人はどこにでも居そうだな。