2019年4月27日土曜日

街の雰囲気を暗くするタクシー

 トヨタが販売しているタクシー専用車「JPN TAXI(ジャパンタクシー)」は、「日本を象徴する色として古くより人々の暮らしを彩り、海外からはジャパンブルーと称されてきた伝統色『深藍(こいあい)』を身にまとったボディ」(同社サイト)だ。

 街中で頻繁に見かけるようになったが、その大半が「深藍」と称する藍色だ。ボディカラーには他に黒と白があるのだが、藍色ばかりが走っているような印象。この深藍は日中でも黒との見分けが簡単ではないほど濃い色調の藍色だから、重厚感めいたものは醸し出すが、軽快感などは希薄だ。

 タクシー会社ごとに車体色のデザインを統一するのが従来は一般的だったが、JPN TAXIだけは藍色で走らせている会社が多いようだ。トヨタが個別タクシー会社の塗装要求に対応しなくなったそうで、車体色を統一するには自前で塗装しなければならない。客の大半はタクシー会社を選んで乗るわけではないだろうから、そんなコストをかける意味がないか。

 「日本を象徴する色」について共通認識があるのか疑問だが(日の丸から白や赤を日本のイメージとする外国人も多いとか)、藍染や浮世絵などのベロ藍から連想して、タクシーの車体色を藍色としたのかもしれない。なお深藍は「ふかあい」と読むのが一般的で、「黒に近づくほどに染められた濃く暗い青色」のこと。

 この深藍のJPN TAXIが街中に増えた結果、街の風景を暗い印象にしている。沈んだ色調であるが、車高が170cm以上と高いので存在感が強く、街を眺める人の視野に入る。ほとんどの人は無視し、意識に止めないであろうが、その色調の残像やイメージは残る。

 英国のロンドンタクシーの車体色は黒だ。深藍は同じような色調だから構わないとの見方もあろうが、日本のタクシーが英国をまねる必要はない。良し悪しは別として、日本では街並みの色調の制約はゆるく、様々な色が建物などに氾濫しているのだから、タクシーだけを藍色に「統一」すべき理由はない。

 夜でもネオンなどで明るい都会なら、藍色のタクシー色でもそれなりに落ち着いた風情を醸し出すかもしれない。だが、地方都市では、藍色の車体色は夜の闇に沈むだけだ。そもそもタクシーの車体色は、視認性が第一に考慮されるべきだろう。客から見つけやすく、また、事故を防ぐために他車のドライバーから視認しやすいことが最優先されるべきだった。

2019年4月24日水曜日

観光施設としての価値

 火災で大きなダメージを受けたパリのノートルダム寺院について仏マクロン大統領は「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する。5年以内に完成させたい。我々はできる」と語ったそうだ。再建費用は不明だが、企業などから既に8億ユーロ(約1千億円)以上の寄付の申し出があるという。

 ノートルダム寺院は壁など大部分が石造で今回の火災に耐えて残っているが、正面後方上部の屋根部分や尖塔が木造だったため、ほとんど全焼した。石造部分に対する火災の高熱の影響が心配されたが、崩壊の恐れはないと伝えられている。

 石造部分に大きな損傷がないなら、大量の木材の準備や設計などに相応の時間を有するとしても「5年以内に完成」は可能のように見える。耐火性や強度を高めるため鉄骨を使用するなら、再建に要する時間は短縮できるだろう。

 尖塔について①同じデザインで再建する、②新しいデザインにする、③再建しないの3案に分かれるように再建計画は固まっていないが、世界遺産に登録されているから、変更するにしても厳しい制約がある。日本の文化財なら耐震性と耐火性を強化しつつ外観は以前と同じにするだろうが、ノートルダム寺院がどうなるかは定かではない。

 ノートルダム寺院はパリの代表的な観光施設である。皮肉だが、火災で損傷した状態を見ることができる期間は限られるだろうから、ノートルダム寺院目当ての観光客は減らないかもしれない。さらには、再建の進捗状況を発信することで観光客の関心を引きつけておくこともできようし、再建なったならパリへの訪問を促す動機付けにもなる。

 ノートルダム寺院はパリの中心にあり、フランス革命やレジスタンスなど様々な歴史と結びついて人々に記憶されているという。観光客にとっては観光施設であるが、パリ市民やフランス人にとっては歴史を想起させる象徴ともなるだろう。

 一方で、ノートルダム寺院は宗教施設であり、信者にとっては祈りの場である。教団にとって宗教施設は大切だろうが、宗教施設は人間がつくったものであり、ノートルダム寺院を以前と同じデザインにしなければならないとの宗教的な理由は希薄だ。近代的なビルに立て替えても、神に祈る宗教施設としての価値が損なわれることはないだろう。

 「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する」というのは観光施設に当てはまる発想だろう。世界から観光客が訪れる観光名所だからこそ、従来のイメージを守りつつ美しく再建しなければならない(世界からの観光客の多くは、建物を見るためにノートルダム寺院を訪れるのであり、神に祈るためではない)。

2019年4月20日土曜日

がんとプライバシー

 ある女性タレントが自らのブログで舌がんであることを公表し、マスコミに大きく取り上げられた。1か月以上の後、さらに食道がんがあることを公表し、これもマスコミに大きく報じられ、ファンからは多くの励ましのメッセージなどが届いたという。

 がんに罹患していると判明した時に受けるショックは大きいだろうし、不安な気持ちに圧倒されて相手構わず自分の病について話したくなることもあるのかもしれない。だが、どんな病気に罹患しているかは個人情報の最たるもので、政治家や権力者では健康状態に関する情報は秘匿される。

 芸能人は時に、自分のプライバシーが保護されるべきだと強硬に主張する。その一方で、進んでプライバシーを公開し、マスコミに報じさせることがある。保護されるべきプライバシーと、公開していいプライバシーの境界は曖昧でぼやけている。邪推するなら、好感や利益を得ることができるなら取材させて公開し、何か都合が悪いことは「プライバシーだ」と隠す。

 がんを公表した今回の女性タレントの真情を知る手がかりは乏しく、がんを公表した意図や事情は定かではない。いずれマスコミに嗅ぎ付けられるから、それならと自分から発表したのかもしれないし、ブログという一方的な情報発信形態がプライバシーをさらけ出しやすくしたのかもしれない。

 がんを公表する芸能人は珍しくなくなった。治療のため芸能活動を休止せざるを得ないから、マスコミ報道をコントロールするために公表するのだろう。同情を集めつつ、好感度を下げる可能性は低いから病気の公表が増えたのかもしれない。がんに罹患した芸能人が皆がんを公表するわけではないが、がんに罹患していたと後から公表する芸能人も多い。

 保護すべきプライバシーに敏感な芸能人が、がんに罹患したことを公表するようになったので、がんが芸能人のプライバシーに含まれなくなったようにも見える。テレビ番組で健康診断結果を放映させる芸能人もいるのだから、がん以外の病気も含めて芸能人の健康状態はプライバシーに含まれないと認識が変化した?

 がんに罹患したと公表する芸能タレントが増え、NHKなどがニュースで報じる。ニュースの価値判断は時代とともに変化して当然だが、タレントの健康状態まで重要なニュースになったらしい。知りたくもない他人の健康状態を、タレントだからと見せつけられる時代になった。がんに罹患したことを自ら公表するタレントにプライバシーはない。

2019年4月17日水曜日

儲けるために銭を燃やす

 中国での新しいビジネスだと一時は日本でも盛んに肯定的に報道されたシェアサイクル。自転車を街中に散らばして置いておくだけで儲かると企業が群がって参入したが、過当競争が激化して安値競争になり、撤退する企業が相次ぐという。街中には、一部が壊れた自転車が大量に放置されているとも伝えられる。

 安値競争になるのは、儲かりそうだと多くの企業が参入して「供給」が一気に増えるが、「需要」はそう簡単には大きく増えないため、需要を奪い合って互いに価格を引き下げるから。儲けることだけが目的で、技術やノウハウは買えばいいと新規に参入した企業は、儲からないとなれば見極めは早い。

 シェアサイクル事業は、シェアビジネスの可能性をわかりやすく提示したし、シェアサイクルは都市における個人の有力な移動手段になりうるだろう。だから、中国でのシェアサイクル事業の盛衰で①都市におけるシェアサイクルの適正な設置数と配置、②放置されたシェアサイクルの回収・整備・再配備などの課題が明らかになったと見るなら、今後の各国でのシェアサイクル事業の参考になる。

 なぜ中国でシェアサイクルビジネスが一気に盛り上がり、一気にしぼんだのか。群がって参入した企業には、おそらく市場を育てるという感覚が欠如していたし、儲けることだけが目的だから、そのビジネスに対する理念めいたものは希薄だったろう。例えるなら、果樹や作物があると聞いた場所に刈り取りに殺到するだけで、種を撒いて育てることをしない。

 これは中国の企業行動の典型のようにも見える。自由な企業活動の歴史が浅く、まだ企業活動に様々な政治からの制約がある中国で、相応に資金を持った企業や投資家が、儲けることだけを目的とすることや、素早い市場参入と撤退を繰り返すことは中国では合理的な行動だろう。経済成長とともに中国企業の資金力も膨れ上がっているので、同様の企業行動は今後も続こう。

 こうしたビジネスは「焼銭」モデルと呼ばれているそうだ。中国の事情に詳しいジャーナリストによると、最初は「巨額の赤字を許容して広告や割引サービスに積極投資し、ユーザーの拡大」を狙い、やがて「市場で支配的な地位を築けば巨額の利益が得られるとの論理」。つまり、勝者総取りを目指して、競争相手を駆逐するために赤字を撒き散らすビジネス。

 「焼銭」モデルに不在なのがユーザー(消費者)視点だ。ユーザー(消費者)は収奪の対象でしかなく、事業は企業が儲けるための仕組みでしかない。欧米などの資本主義国よりも中国のユーザー(消費者)が資本の収奪に晒されている現実は、国家資本主義に転じた中国のいびつさを示している。

2019年4月13日土曜日

スーダラ元年

 「スーダラ節」が発売されたのは半世紀以上前の1961年8月。この年には「上を向いて歩こう」「王将」「銀座の恋の物語」「ラストダンスは私に」「君恋し」「東京ドドンパ娘」「コーヒー・ルンバ」「北上夜曲」「山のロザリア」などヒット曲はいろいろあり、歌い継がれている曲も多い。

 スーダラ節は、高度経済成長が続く活気に満ちていた時代の勢いを感じさせる曲で、「わかっちゃいるけど やめられない〜」と自虐ネタを明るく笑い飛ばす歌詞と軽快なノリの良い曲調もあって、世代を超えて今でも人気がある。

 発売された1961年をスーダラ元年とすると、スーダラ2年に「五万節」「無責任一代男」、スーダラ3年に「ホンダラ行進曲」、スーダラ4年に「だまって俺についてこい」、スーダラ5年に「ゴマスリ行進曲」、スーダラ6年に「何が何だかわからないのよ」などヒットを連発した。植木等はスーダラ46年(2007年)に亡くなった。享年80歳。

 東海道新幹線が開業したのは1964年。各駅停車は「こだま」だが、停車駅が少なく所要時間が最も短い超特急は「ひかり」と名付けられた。世界における高速鉄道の先駆であり、世界に高速鉄道が普及する時代の開幕を告げた存在だ。

 ひかり元年を1964年とすると、ひかり11年に博多まで山陽新幹線が全線開業し、ひかり18年に盛岡まで東北新幹線と新潟までの上越新幹線が開業、ひかり51年に金沢まで北陸新幹線、ひかり52年に新函館までの北海道新幹線が開業した。また、ひかり28年に山形新幹線、ひかり33年に秋田新幹線が開業した。

 本居宣長が著作『紫文要領』で「もののあはれ」を説いたのは1763年(=もののあはれ元年)。『古事記伝』44巻を完成したのは1798年だから、もののあはれ35年で、もののあはれ32年に『玉勝間』の最初の巻が刊行された。約1万首の歌を詠み、500人近くの門人を持った本居宣長が亡くなったのは1801年だから、もののあはれ38年。享年72歳。

 日本の古典に由来する元号は史上初めてとされ、画期的なことのように報じられている。とはいえ、元号という仕組みは中国由来であり、漢字は中国文化そのものであるから、お釈迦様の掌にいる孫悟空のように日本の元号は中国文化の中にある。元号を廃止できないとすれば、もっと日本オリジナルだと自尊心を満足させるためには、ひらがなやカタカナの元号に転換する必要がありそうだ。

2019年4月10日水曜日

誤った情報による自動操縦

 米ボーイングの旅客機「737MAX8」がエチオピアで離陸直後に墜落し、乗客乗員157人が死亡、生存者はいなかった。エチオピア政府の調査報告書は、離陸直後に自動で機首を下げる装置が作動し、パイロットは3回、手動で機首を上げる操作をしたが、その度に機首は自動的に下げられ、墜落したとする。

 この機種はインドネシアでも昨年10月、墜落事故を起こし、189人が死亡していた。インドネシア国家運輸安全委員会の報告書では、墜落した機体は自動安全システムが作動して機首が20回以上も下がり、その度に操縦士が手動で修正していたが、墜落した。安全システムが作動したのは、機首の傾斜角度が実際よりも高いと誤って認識されたためという。

 機首を下げたのは、旅客機の失速を防ぐ目的の操縦特性向上システム(MCAS)。機首に水平に対する角度を測定するセンサーがあり、機首が上がりすぎていると判断した時には、システムが機首を下げる。機首が上がりすぎているとの誤った情報によってシステムが機首を下げ続け、パイロットが制御できなくなって墜落したようだ。

 エチオピア政府の発表を受けて米ボーイング社は、2回の墜落事故の原因が「いずれも制御システムの誤作動だった」と認めた。インドネシアでの墜落事故の後に737MAX8の飛行停止を決めていれば、エチオピアで157人が死ぬことは防ぐことができただろうから、ボーイング社の責任は大きい。

 旅客機には自動操縦装置がすでに導入されている。それは「航空管制からの指示や外部環境情報などをもとに、パイロットが高度・方位・速度・目的地などを設定することで、自動で航空機を操縦する」(国交省サイト)もので、巡航飛行や降下、着陸で使われ、離陸はパイロットが操縦する。

 737MAXで採用した省燃費の新型エンジンは従来より大型になったため、取り付け位置を従来の737型機より前方に変更した。このため、機首が上がりやすくなり、その対策としてMCASを導入した。失速を防ぐためのMCASを導入しなければならなかったことは、機体の基本設計に問題があることを示している。

 自動操縦(自動運転)システムは自動車で開発が急がれている。今回の737MAXの墜落事故は、①センサーからの誤った情報を排除できるか、②入力された情報が誤っているとシステムが識別できるか、③誤った情報によるシステムの暴走を防ぐことができるかーー多くの課題を突きつけた。混み合った道路はセンサーが誤認しやすい情報に溢れている。

2019年4月6日土曜日

武力による領土拡大

 米トランプ大統領は、シリアのゴラン高原に対するイスラエルの主権を認める宣言に署名した。ゴラン高原をイスラエルが占領したのは1967年の第3次中東戦争。その後、住民の大半を追放してユダヤ人の新しい入植地を建設し、81年に事実上の併合を宣言していた。

 だが、国連の副報道官は「国連は、イスラエルによるシリア領ゴラン高原占領が国際法に反すると規定する全ての安保理決議、総会決議を順守する」とした。国連安保理は81年に決議497で、イスラエルのゴラン高原併合決定は「無効であり、国際法上の効果はない」との決議を全会一致で採択している。

 67年の第3次中東戦争におけるイスラエルの占領を国連安保理は決議242で無効とし、占領した地域からの撤退を求めた。これは全会一致の決議であり、米国も賛成していたが、イスラエルは従わずに占領を続けていた。国連決議をイスラエルが公然と無視できるのは、米国政治に強い影響力を有しているとともに、自国の生存に関して国際社会が「無力」であると見ているからだろう。

 トランプ大統領がイスラエルのゴラン高原併合を認めたのは、イスラエル現政権への支援であり、50年以上の占領地支配を認める現状追認である。イスラエルを占領地から撤退させることは周辺諸国にはもうできず、国際社会もイスラエルを説得できない。つまりイスラエルの占領は国際的には黙認されている状態だった。

 今回のトランプ大統領の判断は「イスラエルは特別だから」と下されたのだろうが、イスラエルを特別扱いするとの国際的な合意はないので、イスラエルの占領地併合が認められるなら他国からも占領による領土拡大を認めろとの主張が出てこよう。例えば、ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海占有。

 かつて国家は戦争によって領土を拡張した。国家には盛衰があるので、欧州の歴史に見られるように国境線は常に書き換えられてきた。強大な国家が誕生すると、拡張を始め、占領地=新たな領土を増やし、支配した。そんな歴史を終わらせようと、武力による領土拡張は認めないと国際社会は同意したはずだったのに、世界はまた変わろうとしているようだ。

 イスラエルの武力による領土拡張に国際社会は無力だったが、ロシアや中国の領土拡張にも国際社会は無力だ。ただ、クウェートを併合しようとしたイラクが撤退させられたように、どんな国家でも領土拡張が黙認されるわけではない。軍事力と政治力が国際的に強大な国家の領土拡張だけが黙認される。それをトランプ大統領は素直に認めた。

2019年4月3日水曜日

大衆動員と大量消費

 第一次大戦は初めての総力戦だったとされる。訓練された戦士だけが遠く離れた戦場で戦う時代から、一般の人々が軍隊に動員されて戦場に次々と送り込まれる一方、空中も戦闘に利用されるようになって戦場は飛躍的に拡大、人々の日常の生活空間も戦場になり、銃後という言葉は死後になった。

 武器を大量生産することが勝敗の帰趨を決めるので国家は全ての経済力を動員するとともに、軍隊に動員されていない人々を戦時体制に積極参加させる必要が生じた。そこで、戦争の勝利という大目標に人々の目を向けさせるために、継続的に宣伝し、同調させ、異論を排除する体制を構築した。

 総力戦という戦争は、大量消費の究極の姿だろう。破壊という目的のために生産された大量の武器は使い捨てられ、継続的な補給を要求するから、大量生産を促し続ける。市場が拡大することによって大量生産が維持されるのではなく、大量消費(大量破壊と大量廃棄)により維持される大量生産である。

 総力戦には大衆動員が必要になる。民主主義(自由選挙)に基づく国家が、大衆を納得させて動員するためには、人々を密室状態に置いて情報を制限しなければならない。そして、特定の方向だけを向いた情報を与え、人々が自発的に協力するように仕向ける。強制力だけによる大衆動員には限界があるからだ。

 人々を巻き込む政治形態の一つとしてファシズムが現れた。これは、政治における総力戦体制と見ることができる。選挙を行い、そこで選ばれた政治家だけが政治に関与するのではなく、大衆を政治に巻き込むことが必要で、そのためには、大衆を熱狂させることが有効だ。

 政治に大衆動員を必要とするのは民主主義だが、ファシズムの政治においても大衆動員を必要とする。ファシズムは強権により大衆を従わせるとのイメージもあるが、実態は逆で、大衆の支持がなければファシズムは成立せず、持続させることは難しいだろう。大衆動員には大衆の自発性が欠かせないから、それを掻き立てる仕掛けが民主主義にもファシズムにも必須になる。

 大衆動員が大量消費を支え、大量生産を支えるという構造は、平時においても日常的になった。政治、経済、文化など多くの分野で、大衆に働きかけて参加や購買を促したり誘うことが一般化した。それは、あらゆるものが消費される対象になったということでもある。政治はもちろん戦争さえも大衆により「消費」される。