2021年5月29日土曜日

一枝を折らば

  歌舞伎の「熊谷陣屋」で、源氏の武将の熊谷直実が主君・源義経から与えられた「一枝を折らば一指を切るべし」という桜の木の横に建てられた制札は、枝を折るなとの禁令だが、実は隠されたメッセージだった。それは敵の16歳の平敦盛を捕らえても殺さず、直実の16歳の子を身代わりに斬れとの意味だった。

 熊谷直実は苦しみつつ、敦盛を生かして自分の子どもの小次郎の首を討ち、首実験のために源義経が現れた時に直実は制札を引き抜き、義経に示しながら敦盛(実は自分の子どもの小次郎)の首を見せ、忠義を優先させて子への愛を抑圧した苦悩をにじませる。義経はその首を見て「敦盛の首に相違ない」という。

 現代の価値観では、主への忠義を優先させて我が子さえ殺すという設定は全く共感されないだろうし、許されもしないだろうが、そういう価値観が称揚される時代が過去にあり、また、そういう価値観が重視される時代があった(おそらく、そういう時代にあっても忠義のために親が子を殺すのは特異な出来事だっただろうし、忠義の優先は支配のためには便利だっただろう)。

 この「一枝を折らば一指を切るべし」という言葉を少し変えた「一枝を得らば一指を捨つべし」を心掛けている友人がいる。彼は、自分の衣類や家具、書籍、CD、電化製品など持ち物は必要なものだけを残して整理し、新たに何かを購入した時には、所有していた中から何かを処分することを基本にしている。

 所有物を増やさないという生き方は、消費社会に背を向けているようにも見えるが、「必要なものや欲しいものは買う。消費を否定しているのではなく、所有物を増やさないことが目的」と友人。流行りの断捨離に影響されたとも見えるが、彼はミニマリストと一括りにされることを拒み、家族には所有物の整理に同調することを求めていない。

 捨てることが目的ではなく、着ない衣類や読まない書籍、使わない家電など身の回りに澱のように溜まった品々を遠ざけたいのだと友人(大きな家ならば屋根裏か地下室にでも放り込んでおけばいいのだが)。使用されない品々が溜まることに対する一種の後ろめたさもあって、整理し、所有物を増やさないことにしたのだという。

 捨てる行為は、自分に本当に必要なものを明確にすることでもある。所有物を減らすと生活がシンプルになったと見えるようで、精神にもいい影響を及ぼすと友人は満足している。消費を我慢したり諦めたりせず、消費する快楽は維持しながら、しかし所有物を増やさない生活は選択を繰り返す生活であり、変化の渦中に居続ける生活に見える。

 熊谷直実は源義経に暇乞いを願い出て許されると、墨染の衣をまとって我が子の死を嘆きつつ去っていく。その時に吐き出す言葉が「十六年は一昔、夢だ夢だ」。整理して捨てたモノに未練を残さないので友人には、失ったことを「夢だ」と嘆く品物はないという。

2021年5月26日水曜日

最悪の事態を想定

 日本は各地で感染拡大の波に見舞われ、政府は緊急事態宣言を次々に適用せざるを得ない事態に追い込まれた。昨年から政府は同じような対策を繰り返している。まん延防止等重点措置を新設してはみたものの、その効果は皆無といった状況だ(市町村が独自の判断で機動的に発令できていれば結果は違っていたかもしれない)。

 政府の対策の基本は、飛沫感染と接触感染を防ぐことが中心で「密になるな」「会食するな」「外出するな」など人々の接触を減らすことに懸命だ。だが、同じ対策を1年以上続けてきて、少しも感染を抑制することができていないのだから、続けている対策では効果に限度があると認識すべきだろう。だが、他に対策を思いつかないとすれば、後は大量のワクチン接種の効果に期待するしかないか。

 感染者が増え重症者も増えたことで政府は医療崩壊を懸念し、大阪など地域によっては医療崩壊が現実に起きているとマスコミは連日報じる。これまでの政府の対策では、感染拡大を防ぐことも重症者を減らし死者を減らすこともできなかった。そんな対策を続ける政府は、①政策の効果を検証する能力が欠如、②他に対策が思いつかないーのどちらかだろう。

 感染拡大を防ぐことはできなかったかもしれないが、医療崩壊を防ぐために対策を講じる時間は政府に十分あった。COVID-19患者専用の仮設病院を東京、大阪など各地に準備することはできただろうし、COVID-19患者に対応していた病院の機能拡大を政府支援で大胆に進める時間もあった(さらに、抵抗するだろう医師会を説得する時間もあった)。

 政府の対応が後手にまわり、感染拡大という状況を後追いしているだけと見えるのは、人々の接触を減らすことだけを目的とする対策の限界が明らかだからだ。COVID-19の感染拡大を防ぐことはできないと判断すれば、「次」の対策を政府は考えざるを得なかっただろう。科学的という言葉を政府は専門家の言いなりに動くことと理解しているように見え、政治的な決断を忌避している。

 「次」の対策とは、感染拡大を抑制することは難しいと判断し、増える感染者や重症者に対応するために全国で医療体制を強化することだ。感染拡大を抑制することができず重症者が増えることも抑制できないと判断すれば、全国であふれるだろう感染者や重症者に対応する体制を構築するしかないと見えてくるはずだ。

 現実世界は絶え間ない変化の中にあり、そうした変化に対応することが政治だと理解していれば政府は、変化を後追いするのではなく変化の先を読んで対応する。そんな緊張感は、選挙では頼りない野党に負けるはずがないと慢心している自民党政権には期待できないかもしれないが、それが感染拡大を後追いするしかない政府を存続させているのだとすると、現在の状況を招いたのは日本国民の選択の結果だといえる。

 「最悪の事態を想定して備える」ことが今の政府にはできていない。それで、そのうち良くなるだろうと状況判断が甘く、専門家の科学的判断に基づくとして自己判断を放棄し、現実に対応することに終始するだけとなる。「情勢分析は悲観的に」との大原則が政治家ら指揮・指導する側には求められる。

2021年5月22日土曜日

台湾での感染拡大

 台湾で新規感染者が一気に急増し、政府は全土でバーやクラブ、スポーツジム、映画館、レジャー施設などの営業を禁止し、幼稚園から大学まで一斉に休校させ、居留証を持たない外国人の入国を停止し、台北などでは屋外でのマスク着用を義務化し、人が集まることを制限し、飲食店などの入店には実名記載を義務づけた。

 台湾はCOVID-19の封じ込めに成功したと見られていた。昨年、世界で感染が広がるとすぐに外国人の入国を制限し、帰国する台湾人は入国後に隔離するなどウイルスの持ち込みを防ぐ体制を築いた。だが、最近になって外国から英国型変異株が持ち込まれたそうで、新規感染者は過去最多を記録している。持ち込んだのは入国後の隔離措置が緩かった国際線のパイロットと見られ、その濃厚接触者が市中感染を広げたという。

 厳しい入国管理でウイルスが持ち込まれることを防ぎ、感染拡大を抑止することができた国には脆さが残る。それは①感染が抑止されたため抗体を持つ人々が少ない、②変異株を含むウイルスが外国から持ち込まれると脆弱、③世界からウイルスの猛威が消えない限り厳しい入国管理を続けざるを得ないーなどだ。

 インドの感染爆発のように世界で感染の波は繰り返し、ウイルスの威力が弱まる気配は見られない。厳しい入国管理で感染を抑え込んだ国は、いわば無菌室に人々を閉じ込めたようなもので、ワクチン接種を急がなければ脆弱さはいつまでも残る(ワクチンの効果は未知数だが、他に期待できる手段はないのが現在)。無菌室は、ほんの少し外気が入っただけで「汚染」される。

 世界で国境をまたぐ人の自由な移動が制限され、各国は人々が集まることを規制し、飲食店などの営業を制限した。感染が終息するまでの我慢だと人々は規制や制限に従ったが、我慢を続けるには限度があろうし、我慢を続けること=政府の無力さ・無能さのツケが人々に回されていることだとも見えてきた。

 人間は集団を形成し、様々な社会を形成して生きてきた。その社会は拡大を続け、世界規模での人々の自由な移動を可能にするまでに膨張したが、COVID-19は人々の交流範囲を一気に縮小させた。人と会い、会話や会食を楽しみ、旅をして見聞を広めることなどが人間の生活に不可欠の要素だとすると、各国が行っている規制や制限はいつまでも続けられるものではない。

 だが、まだ各国政府には人々の接触を減らすことしか有効な対策がなく、ワクチン接種拡大にすがる状況が続く。厳しい国境管理で人々を国内に閉じ込めることで感染抑止に成功したと見られた台湾での感染拡大は、さらに厳しい入国管理を招くだろう。それは人々を強く閉じ込め行動を制約する。感染の危機という非常時がいつまでもダラダラ続く状況に世界の人々は置かれている。

2021年5月19日水曜日

思い込みと因果関係

 年に数回発売されるジャンボ宝クジを友人は買うが、それ以外の宝クジは買わない。「当たる確率を考えると宝クジを買うことは無駄だと知っているが、もし当たったら、大きな家を買うとか高級スポーツカーを買うとか世界旅行するとか家族で言い合って、勝手な夢を膨らませることが楽しいから、ジャンボ宝クジだけは家族サービスの一つとして買っている」と友人。

 買わなければ、もし当たったなら〜という想像を家族で膨らますことができない。友人はジャンボ宝クジを買うことで、家族の会話を活性化させたとするなら、そこに因果関係が成立する(宝クジを買った→家族の会話が活性化した)。だが、宝クジを買うことと当たることには因果関係は存在せず、買わなければ当たらないが、買ってもおそらく当たらない(厳密には、買うとごく僅かの当たる確率が発生する相関関係)。

 宝クジの必勝法として様々なものが伝えられる。金運を上げるために買いに行く前に朝日に祈ったり、神社にお参りしたり、当たると有名な売り場にわざわざ出かけて買ったりし、買った後は宝クジを神棚に祀ったり、陽光に当てたり、風通しのいい場所に置いたりと努力するのだそうだ。もちろん、どれも当たる確率を高めることはできず、これだけ努力したのだから、その見返りはあるはずだとの期待に過ぎない。

 ある事実があり(原因)、それにより引き起こされた事実がある(結果)と両者には因果関係が成立する。だが、二つの事実が偶然続いて起きただけというケースも多い。さらに因果関係の判断は思い込みに影響されやすい。願望や不安に影響されて、二つに事実の間に何らかの関係があると短絡したり、関係があると思いたかったりすると因果関係を即断する。願望や不安に駆られると人は浮き足立つ。

 後から起きた事実が先に起きた事実の影響で起きたのかどうかを判別するには冷静さが必要だ。主観的な推論だけでは因果関係を即断しやすいが、客観的な推論をいつでも誰でも心がけているわけでもない。さらに、金運を上げるという行為を行って、買った宝クジは当たるはずだと願ったりすると主観的な推論に支配されるようになる。

 主観的な推論による因果関係は、複数の事実から一部だけ引き出して組み立てられたりする。例えば、様々な陰謀論の中には、関係する事実の一部を都合良く集めて主張を組み立てつつ、客観的な事実に基づくと装うものがある。さらに、検証が困難な「事実」を紛れ込ませて関係を複雑化させたりもして、フェイクニュースの出来上がりとなる。

 友人の家庭では、買ったジャンボ宝クジを夫人が以前に買った神棚に祀っているそうだ。神頼みしたって当たるはずがないと友人は思うが、夫人や家族には何も言わず、当たったら〜との会話を楽しんでいるという。

2021年5月15日土曜日

ちょっと一手間

  即席麺は世界で食べられている。世界の即席麺の販売量(2018年)は1036億食で、1位は中国の402億食。次いでインドネシア125億食、インド61億食、日本58億食と続く。日本はインドに抜かれて4位になった。インドは人口が日本より遥かに多いので、日本との差は今後もっと開くかもしれない。

 日本では袋麺が17億6220万食、カップ麺が39億6129万食とカップ麺のほうが圧倒的に多く食べられている。湯を入れるだけと調理が簡単なカップ麺は若者層などに人気で、袋麺はファミリー層に人気だとか。カップ麺に比べると袋麺は調理に手間がかかることになるが、料理全体の中で見ると袋麺は調理が簡単な食品だ。

 その袋麺を毎日食べているというのが友人。離婚し、定年退職してから気ままに1人で暮らしているが、自宅での夕食は袋麺で済ますという。以前は米食を続けていたのだが、おかずを作るのが面倒になり、スーパーやコンビニで惣菜を買って来て食べるのにも飽きてきた。そんな時に、袋麺は調理に一手間をかければ格段に美味しくなることを発見し、それからは袋麺の夕食を続けているという。

 友人のいう一手間とは、出汁の活用。といっても、専門店のように鶏ガラや野菜などを煮込んでスープを作るのではなく、最初に湯を沸かす時に出汁も取る。専門店のように鶏ガラなどでスープを作れば格段に美味しくなることは確かだが、それでは調理の手間をかけすぎると友人。簡単に食べることができるという即席麺の存在意義に反するとする。

 友人の方法はこうだ。①調理する1時間以上前に鍋に水を入れて、そこに昆布または煮干しを入れておく、②火をつけて沸騰してから昆布または煮干しを取り出す、③沸騰した湯に麺を入れて煮る、④最後に添付の粉末スープを入れる(粉末スープは全部を入れず、多くても半分しか入れない。全部を入れると粉末スープの味が強すぎて、出汁の味わいが霞んでしまう)。

 出汁を取る材料は、昆布または煮干し以外にもいろいろあるが、友人はまだ試していないのだという。煮干しで出汁を取る時には、沸騰させた後もアクを取りながら煮続けるとされているが、丁寧にアクを取るなんて面倒だからアクが出る前に取り出すと友人。また、粉末スープを多くても半分しか入れないので薄味になるが、薄味だから出汁の味わいが分かり、濃い味付けを好む人には出汁の味わいが分かるはずがないと友人は言う。

 次は鰹節で美味しい出汁を取る方法を見つけると友人。昆布、煮干し、鰹節を組み合わせる出汁の取り方もあるから、一手間かける袋麺の調理法はけっこう幅広い。出汁を取るには他にも干し椎茸、貝柱、鳥や牛など肉類、野菜なども使われるが、あくまでも一手間の範疇に限るのが袋麺に似合っているから、本格的な調理には手を出さないと友人。

 袋麺には様々な種類があり、気分によって銘柄を変えて味の違いを楽しむことができるので飽きることはなさそうだし、牛乳を加えて、まろやかにしたり、バターを入れて、こってり感を出したりと、友人の一手間の探究はまだまだ続きそうだ。

2021年5月12日水曜日

銃を買い始めた

  米国では各地でアジア系の人々に対する暴力事件が多発していると盛んに報じられている。ニューヨーク市でのヘイトクライム件数は通報ベースで180件となり前年比73%増えた(1月1日〜5月2日)。2020年に全米16の大都市で警察に通報のあったアジア系に対するヘイトクライムは19年比で約2.5倍に増加したとの調査結果もある。

 5月2日にはNY市のタイムズスクエアで、歩道を歩いていたアジア系の女性2人がすれ違った黒人女性にハンマーで突然襲われ、1人が頭部を殴打されて負傷する事件があった。襲った人は「マスクをとれ」と罵声を浴びせたというから、新型コロナウイルス絡みのヘイトクライムらしい。

 襲われたり嫌がらせを受けているのは女性や高齢者が多いようだ。襲っている人々の情報は乏しく、何に対する憎悪がアジア系に対する暴力や嫌がらせにつながっているのか明らかではないが、中国発の「チャイナ・ウイルス」(byトランプ前大統領)によって何らかのダメージを受けたり、怒りを覚えた人がアジア系を中国人と見なして攻撃しているように見える。3月にはタイムズスクエアで高齢のアジア系女性をホームレスが襲う事件があり、社会的な弱者がアジア系を襲う構図のようでもある。

 アジア系の人々らは抗議活動に立ち上がり、連邦政府などは暴力を非難しており、社会的な批判が強まればヘイトクライムは減少に向かうかもしれない。だが、厳罰を適用する法規制があったとしても路上で強盗や喧嘩沙汰などが起きるように、何らかの強い怒りや憎しみによって突然引き起こされる暴力や嫌がらせというヘイトクライムを根絶することはできないだろう。

 アジア系に向けられるヘイトクライムは今後も続くと判断した人々が、自分の身は自分で守るしかないと考えるのは不思議ではない。日本のように自衛のためであっても個人の武装が禁じられている国ではない米国では、警官が常にアジア系の人々の近くにいるわけでもなく、さらに最近になっても黒人の被疑者に対する警官の暴行事件が次々に報じられ、警察に対する社会的な信頼度は低いという。

 米国で昨年、銃の購入件数が大幅に増加したというが、ヘイトクライムの増加を受けて初めて銃を購入するアジア系の人々が増え、アジア系住民向けの銃の安全講習会が開催されたり、銃の購入に関する相談や扱い方、保管方法、射撃方法を教えるアジア系住民の団体も創設されたという。銃を持ったからとてヘイトクライムを防げるわけではないが、自分の身を自分で守るしかないとなれば有力な選択肢になる。

 銃が大量に出回る米国では悲惨な犯罪や事故が珍しくなく、銃の取り締まり強化を求める声も多いが、銃規制は進まず、社会的な緊張の度合いに比例して銃の販売数が増える。日本では個人の銃所持を認めることへの理解は希薄だが、自分の身は自分で守るしかない状況に置かれた人々は、現実に可能な自衛策を講じるしかない。銃の所持を善悪で判断することが日本では可能だろうが、米国のように厳しい状況になると善悪よりも必要性や有効性が優先される。

2021年5月8日土曜日

西洋という未来

  明治の頃の日本人にとって「西洋というのは外国というものじゃなくて、未来なんだよね、彼らにとっては」と中村真一郎氏(加藤周一氏との対談から=『加藤周一対話集①』。以下同)。鎖国を破られ西洋列強のアジア進出に直面した当時の日本政府は近代化を急いだ。近代化の具体例が西洋であり、近代化とは西洋化であった。それは西洋以外の諸国の近代化に共通する。

 そもそも当時の日本や日本人に独自の近代化の構想や思想があったなら、幕末に西洋に接した時に、西洋の近代化モデルを相対的に見て、利用できるものは取り入れるにとどめただろう。しかし、西洋と接してから日本や日本人は、西洋をモデルに近代化の必要性と近代化が急務であることを認識した。具体的な独自の構想や思想がないのだから日本は、西洋を近代化のモデルとし、日本の進むべき具体的な目標=未来とした。

 対談で中村氏の言葉を受けて加藤氏は、明治になって出てきた具体的な問題を「解決するのにいきなり『西洋』ということになった。しかし、西洋のどの面をということは、それほど総合的に考えたわけじゃなくて、ある特殊な面でそこへ直接行くわけですよ。だから、西洋から何を学ぶか、あるいは取るかという目的が、行く前から、接触する前からはっきりしていて、それを見つければ取るし、見つけなければよす、というふうに、はっきりしていたと思う。脇目もふらない、という感じがする」。

 さらに中村氏は「西洋というのは、未来像なんです。ロンドンでも、パリでも。だから、電燈を引きます、鉄道を敷きます、銀行をつくります、軍隊をつくりますと、そういうことはいい、悪い、国情に合う、合わないの問題じゃなくて、それをできるだけ早くやるというだけの話です。西洋との関係は、とても明快だと思うな。つまり単なる未来だよ。そして到達すべき未来」と続けた。

 近代化を着実に進め、西洋と同じような社会を構築して久しい日本だが、日本人にはなお西洋崇拝や西洋コンプレックスがあると言われたりする。今なお世界に対する大きな影響力を有する西洋に対する引け目や憧れは根強いとも見えるが、かつて近代化のモデルとして理想化された西洋に対する意識が受け継がれているのかもしれない。

 技術や経済などで日本が西洋に先んじることが珍しくなく、食など日本の独自の文化が西洋でも共有されるようになった現在、西洋をモデルとして「倣う」近代化の段階を日本は脱した。しかし、なお残る西洋崇拝や西洋コンプレックスは、近代化のトラウマかもしれない。そこには、西洋をモデルとすることが当然とされた過去の日本に対する愛着なども含まれているだろう。

 トラウマには、具体的な独自の近代化の構想や思想が希薄で、西洋を真似ることを続けたことに対する心理的な反発も関係している。そうした反発が過剰になると偏狭な日本礼賛になったりするが、日本を礼賛したところで具体的な独自の21世紀の「近代化」の道筋が見えてくるわけでもない。西洋崇拝や西洋コンプレックスは、日本や日本人に独自の構想や思想がなお希薄であることの反映である。

2021年5月5日水曜日

中国が倒れる時

 生産力の過剰、債務の膨張など様々な問題が指摘されて中国経済の崩壊論は以前から取り沙汰されているが、成長率は低下しているものの中国経済は成長を続けている。公表されているデータが実態をどれだけ正確に反映しているのかは定かではないが、崩壊といった状況には至っていないようだ。

 中国の18年のGDPは前年比6.6%増の90兆309億元(約1440兆円)で日本の約2.6倍、米国に次ぐ世界2位とされる。これだけ規模が大きくなると、構造が複雑になるとともに強固になり、単一の要因で簡単に倒れることは考えにくい。現在の中国共産党統治は経済発展を支えにしているとされ、中国経済が崩壊しない限り中国共産党の独裁統治は続くかもしれない。

 ソ連が崩壊したのは1991年。強力な軍隊はあったが、経済は非効率で低迷が続き、政治改革は進まず、ゴルバチョフが各種の自由化を促すと、押さえ込まれていた共産党や政府に対する批判が表面化し、ソ連邦からの分離独立の動きが各地で始まり、共産主義者による8月クーデターが失敗に終わり、12月にゴルバチョフがソ連解体を発表した。

 大混乱の中で誕生した新生ロシアでは、犯罪や汚職が増え、旧ソ連の国営企業や土地などの国有財産の払い下げを受けた新興財閥が勢力を拡大した。私有財産であった土地などを国有化した共産主義体制が崩壊した時、土地などは元の持ち主には返却されず(元の持ち主のデータなど失われていただろう)、莫大な国有財産は一部の有力集団の草刈り場になった。

 中国経済の成長が続く間は共産党による独裁統治も続く可能性はあるが、永遠に成長を続ける経済はないだろう。また、チュニジアで1人の男の焼身自殺が政府に対する抗議活動を拡大させ政権崩壊につながったように、政治に対する人々の押さえ込まれていた要求が噴き出したなら政権は揺らぐ。易姓革命を強権で防ぐことは簡単ではない。

 いつか、中国の共産党独裁体制が崩壊した時には何が起きるのだろうか。崩壊時のソ連と現在の中国には経済規模で大差があるので、政治的混乱による経済的な困窮の現れ方は異なり、民間経済の活発化が中国では早期に期待できるかもしれない。米欧など世界経済との結びつきも中国のほうが遥かに強いので米欧などからの支援も期待できよう。

 しかし、共産主義体制の崩壊に伴う国有財産の奪い合いはソ連崩壊時と同様に中国でも起きる可能性が高い。中国には強大な国有企業が多数あり、地方で権力を握っている人々が地場資本と一体となって新興財閥化するだろうし、民営の大企業も育っている。

 中央の共産党独裁が崩壊すれば「遠心力」が強まろう。強権により厳しく押さえ込まれていた諸民族の自立・独立要求が各地で高まろうし、地方の権力が軍と結びついて軍閥化する可能性もある。共産党に代わって権力を担う集団が現れるまで国家の解体作用は止まないだろう。

2021年5月1日土曜日

野良猫と祟り

  完全なリモートワークに移行した友人は、都心から3時間ほどの自然豊かな土地に移住した。前庭も裏庭も広く、裏庭ではそのうちに畑をつくり、野菜を育てようと家族と意見は一致しているが、現在は手が回らず放置した状態で、夫人が片隅で花を育て始めた。

 所用があって上京した友人に夫人から電話があり、少し怯えた声で「裏庭の雑草の中で野良猫が死んでいる。どうしたらいいの?」。友人は「裏庭の隅のほうに埋めるしかないな」と答えたが、「気持ちが悪いから何とかしてよ」と夫人に言われては「帰ってから俺が埋めるよ」と言わざるを得ず、鉄製のスコップを買って帰宅してから、住宅から遠い裏庭の隅に穴を掘り、野良猫の死骸を埋めた。

 友人によると、野良猫の死骸はしばらく前からあったようで、カラスにでも突かれたのか目の部分は空洞になり、半開きの口は歯が剥き出しで、内臓は食われたのか腹部はペシャンコ、腿には肉が露出していたそうだ。掘った穴に野良猫の死骸を入れて土をかけ、近くにあった大きめの石を墓石替わりに置いて友人は、「成仏しろよ」と手を合わせた。

 その夜、友人は猫の夢を見た。空洞になった真っ黒な猫の目が近づいてくるのを見て、友人はハッと目が覚めたそうだが、その夢の前後は覚えておらず、埋葬してくれた友人に感謝して猫が現れたのか、この世への執着を断てずに猫が友人に取り憑こうとしているのか判別できず、なんか気味悪い夢だったという。

 友人の夢に猫が現れたことを聞いて夫人は「猫に取り憑かれたのなら、猫っぽい声や仕草が現れそうだけど、そんな兆候は見られないから大丈夫よ」といい、「今のところはネ」と付け加えて笑ったそうだ。そして「猫を殺すと祟りがあるというけど、あなたは猫を葬ってあげたんだから、取り憑かれるはずはない」と言って夫人は友人を励ましたそうだが、猫の空洞の黒い目がなかなか記憶から消えないと友人。

 祟りとは、神仏や怨霊、死霊などの怒りが現れたり、自己の不適切な行為により後から災いを受けることだが、その実際の関係は曖昧だ。神仏や怨霊、死霊などが現世に力を及ぼすことが可能か不明で、神仏や怨霊、死霊などの実在がそもそも不確かだ。当人が感じた心理的な負荷が夢に現れたと解釈することが現代では一般的で、祟りの存在を信じている人は少ないかもしれない。

 何かの原因が存在し、それが災いという結果をもたらすという祟りの構造。何らかの因果関係が祟りには成立するはずだが、それを実証するのは困難なので、解釈に支えられる。解釈は個人の情緒に影響されやすく、祟りがあると思えば祟りがあるように見えてこよう。その後、何の災いもないそうで友人は野良猫が感謝して夢に現れたと思うことにした。