2024年8月31日土曜日

官僚の働き方改革

 一昔前には、政治家の能力が概して低い日本は優秀な官僚によって支えられているとの主張があった。霞が関の中央官庁で働く官僚が「日本を動かしている」とのイメージだが、そうしたイメージが崩れたのは政治家や政党などによる度重なる官僚バッシングと、主権者の審判を経ていない官僚の専制は主権在民に反するとの批判の影響だろう。

 その霞が関で働く官僚の勤務実態が“ブラック”であると報じられる。超過勤務の上限を超えた職員の割合は9.9%と全体の1割を占め、過労死ラインとされる100時間以上/月の残業をした職員は約5500人と報じられ、離職者が大幅に増えているという(2022年度に官僚を辞めた人は約6000人で、2015年度比で約1.4倍に増えた)。こうした勤務実態が明らかになって官僚試験の応募者は減っている。

 官僚の勤務実態が激務になったのは、①国家公務員数の過剰な削減(以前は約80万人だったが、約28万人に減少。仕事量は増えている)、②国会での審議で議員の質問に対する大臣答弁を官僚が作成する(審議の前夜に質問を官僚が把握し、大臣答弁を官僚が時には深夜までかかって作成する)ーためだ。②については、自分で答弁できない大臣は官僚にとって意のままに操ることができて好都合だろうが、官僚の身に負担として降りかかっている。

 官僚の人々が誠実に働くことで日本の行政が機能していることは確かだろう。優秀で国や社会のために使命感をもって働く人々が官僚として相当数存在することは、日本の国力を維持するためには必要だろうから、“ブラック”な勤務実態を改善し、これからも優秀な若手が官僚を有望な就職先として認識することが必要だ。

 そのためには①国家公務員の過剰な削減から、適正数の人員確保に方向転換する、②大臣答弁を官僚が作成することをやめるーしかない。②は大臣側が答弁を作成できるのかという現実的な問題を生じさせるが、国会議員には政策秘書がいて、国費で給与が支払われているのだから、政策秘書に頑張ってもらうしかない。なお、大臣答弁を官僚が作成しなくなれば官僚の大臣に対する影響力は低下するだろう。

 根本にある問題は、答弁する側が議員からの質問を前もって知るという現行ルールにある。野党議員による爆弾質問で大臣が立ち往生することを避けるために現行ルールができたようだが、ガチでの政策論議をなくし、大臣らがペーパーを読み上げるだけの国会審議にしてしまった。真摯な政策論議を求める声は以前からあるが、質問内容を事前に知らなければ答弁できない人々が大臣を務めている間は現行ルールの廃棄は難しい。

 米国の大統領選では候補者が自己の主張を人々に向かって演説で示し、説得して支持を得ようとし、テレビ討論会などでは議論する能力を試される。米国や欧州諸国の議会でどのような審議が行われているのか詳らかではないが、日本のように答弁する側が事前に質問を入手して、あらかじめ用意させた答弁を読み上げるというような議会の空洞化は起きていないのではないかと感じる。そうした行為は議会での質疑を軽んじるアンフェアな行為だからだ。

 霞が関の官僚の働き方改革は、国会の質疑の現行ルールの変更に踏み込まなければ実効性が薄いだろう。政治家は現行ルールを変えようとしないだろうから、優秀な官僚が黙って“ブラック”な勤務に耐え続けている限り現状は変わらない。優秀な官僚が実は自分たちの“ブラック”な勤務実態を改革することもできないのだとすると、既得権益に縛られて改革が進まない日本の現状を反映していると見えてくる。

2024年8月28日水曜日

革命の英雄の霊

 靖国神社の石柱と台座に黒いフェルトペンのようなもので、トイレを意味する中国語などが書かれていたという。この落書きの画像が中国のSNSに「出国する」などと書かれたメッセージとともに投稿されていたと報じられ、5月の中国人3人による落書き事件を模倣した中国人による犯行のようだ。

 この犯行は中国人にとっては「愛国無罪」の行為らしく、中国国内で称賛されることはあっても批判されることはないだろう(批判した側が中国国内ではバッシングされよう)から、同様の模倣犯は今後も続発するかもしれない。中国政府にとっては、人々が日本を標的にし、日本でコトを起こしているだけなら傍観していればいいので気楽だ。

 靖国神社HPによると同神社には、戊辰戦争など国内の戦いでの死者や坂本龍馬ら幕末の志士達、日清・日露・第一次大戦・満洲事変・支那事変・第二次大戦の死者の御霊が祀られている(246万6千余柱)。その中には従軍看護婦や勤労動員中の死者、シベリア抑留中の死者、日本人として戦死した台湾及び朝鮮半島出身者、戦争犯罪人として処刑された人らも含まれ、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」だとする。

 こうした主張が成立するには、死者の霊を集めることができるとともに、祀られていなかった戦争犯罪人の霊も加えることができるなど、現世で生きている人間が思うがままに自由に死者の霊を扱うことができなければならない。靖国神社の主張は、彼らが自由に死者の霊を動かすことができるという主張でもある。霊の存在は客観的に証明されてはおらず、信じる人には霊が存在し、信じない人には靖国神社の主張は荒唐無稽であろう。

 中国人の落書きを防ぐには、靖国神社が、毛沢東をはじめとする中国革命の英雄の御霊も一緒に祀ることが効果的だ。靖国神社は死者の霊を自由に動かすことができ、霊の世界には国境など無意味だろうから中国人の霊も靖国神社なら動かすことができるだろう。中国革命の英雄の御霊も祀られている靖国神社に対して中国人がトイレなどと落書きなどしようものなら、その行為は反革命的で、革命により成立した現在の中国に対して国家反逆罪に相当するかもしれない。

 靖国神社が中国革命の英雄の御霊を祀るには特別の理由が必要になる。だが、現在の中国が欧米による世界支配に立ち向かい、かつての日本が失敗した大東亜共栄圏の構想を引き継いで、アジアからグーローバルサウスに広がる非白人諸国による共栄圏の構築を着実に進めているとし、中国革命の成功が現在の大東亜共栄圏の実現につながったと解釈するなら、特別に中国革命の英雄の御霊を靖国神社に祀ることも許されるかもしれない。

 問題は、中国革命の英雄の御霊を祀った靖国神社に対して中国政府が激しく反発するだろうことだ。毛沢東など中国革命の英雄の霊が日本に行ってしまったなら中国政府のメンツは丸潰れだ。もう一つの問題は、靖国神社が革命を信奉する中国人の聖地巡礼の場所になってゾクゾクと中国人が押し寄せる一方、中国では絶対にできない革命の英雄を批判する行為が日本なら許されると思いこんだ中国人が、中国革命を批判する落書きを試みるかもしれないことだ。

2024年8月24日土曜日

竹中労さんの人物評<下>

 竹中労さんは名文家でもあった。装飾に頼った美文ではなく、的確で独自の表現を連ねて、あざやかに対象を描いた。週刊誌に連載したタレントの人物評や芸能論を集めた『スター36人斬り』(1970年、実業之日本社。『芸能人別帳』と改題して2001年にちくま文庫)から、当該タレントの人物像を浮かび上がらせる文章をいくつか引用する(末尾の西暦は週刊誌の掲載年)。

 ・「悪評ふんぷんたる有馬稲子、逆説的にいうなら、その悪評のゆえに今日まで大スターであり得たのです」「人生をたえまなく“演技”していなければ不安でたまらない、精神の緊張をもの語る。皮肉なことに、そんな擬勢がスターと呼ばれる人びと特有の心理なのです。有馬稲子さん、あなたは紛れもなくスターであり、スター以外の何者でもないのです」(1967)

 ・「髪をひっつめにして、いかにも清楚、知的な印象のかげに、どす黒い女の惨心が隠されている」、新珠三千代は「牢固としてぬきがたい“美女”のイメージを創りあげてしまった。しかし、それはいかにも非人間的で人工的な美形であった」「逆にいうなら、あまりにフィックス(固定)したイメージてえものは、かえって維持が困難なのだ」「女優であるかぎり、まったくプライバシーを消去したところの“美女の仮面”を脱ぐことができない」(1967)

 ・舞台出演で「彼女は一生懸命だった、謙虚だった。舞台に賭け、ここを先途と必死の力をふりしぼっていた。かっては傲慢であった映画スターのおもかげは、みじんもなかった」「五社協定の荒波にもまれ、にがい水を飲んだことで、山本富士子は“女優”になった」(1966)

 ・吉永小百合は「強烈な“処女シンボル”として売り出され、大スターとなったのであるから、なまはんかな自己否定では“虚像”を突きくずせないだろう」「問題は彼女自身に危機の自覚がまるでなく、純潔路線のエキストラ・イニングで女優商売が成り立っていくと錯覚しているところにある」(1970)

 ・「池端直亮(加山の本名)という、太平洋戦争中に生まれた若者が、ある日、加山雄三なるスターに変身したのは、一にも二にもジャーナリズムの宣伝のおかげである」「そんなふうにして、スターというものは、つくられるのだ」「スターと芸能記者は大衆に虚像を売る“共犯者”である」「人気が頂上をきわめたとき、イメージ・アップは完了するのだ。そこから、ゴシップ、スキャンダルの谷底への落下がはじまる。一時の人気など風の前のチリにひとしい」(1967)

 ・三船敏郎の「酒グセの悪さは以前から定評があり、乱酔の果てに腕力をふるったり、関係のない人間に暴言を吐いたりするクセがある」「エライ人間で、酔えばますますイバるやつほど、不愉快な存在はこの世の中にあるまい」「監督に従属し意のままにあやつられてきた欲求不満は、強烈な“権力への願望”と転化したのである。つまりミフネは自分が“王様”に、クロサワになりたかったのである」(1969)

 ・「美空ひばりという超カリスマが存在して、スキャンダルの雨ニモマケズ、風ニモマケズ、その法王庁的権威は小ゆるぎもしない」「美空ひばりは“三代のうた声”ー明治演歌、大正怨歌、昭和艶歌を一身に集約し、昇華した天才である。いうならば、日本民衆歌曲のアンソロジーであり、エンサイクロペディアである」「浄るり、民謡、端唄、浪曲から、ジャズにちかいフィーリングまで、一つの曲に括って聴かせる芸当は、美空ひばり以外のだれにもマネができないのである」(1970)

 ・「扇(ひろ子)失踪事件の根底には芸能界の人身売買的機構があり、タレントを消耗品としてしか扱わない芸能プロのすさまじい収奪のシステムがあるということなのだ」「自由な1私人の垂松博美(扇の本名)であるかぎり、芸能界の愚劣な“掟”なんか、テンから無視してさしつかえない。もはや消耗品でも、サル廻しのサルでもないのだから」「金で身を売る女郎はみずからの悲惨を知っているが、人気という虚栄虚飾に魂を売るタレントは、自分がどれだけ愚かな存在であるかということを知らない」(1970)

 ・「(雪村)いづみという歌い手は、歌謡界のあさましき内情、修羅の様相てェものに愛想をつかし、知らぬ他国に新規まき直し天地を求めた、ただ1人のスターであった」「借金返すことだけが目的なら、ニッポン低国キャバレー回りでかせげばよい。いづみのアメリカ脱出は、そんな歌手商売のみじめさからのエスケープであった」(1970)

2024年8月21日水曜日

竹中労さんの人物評<上>

 竹中労さんが世間に知られるようになったのは芸能ジャーナリストとしてだった。フリーになってからは社会派ルポルタージュの書き手として名を上げ、ルポライターという肩書きを最初に名乗った1人だった。アナキストを自称し、政府や権力に対する批判は苛烈だったが、既存左翼や各界に君臨する既成権威に対しても容赦なく批判を浴びせた。

 そんな竹中労さんは名文家でもあった。装飾に頼った美文ではなく、的確で独自の表現を連ねて、あざやかに対象を描いた。週刊誌に連載したタレントの人物評や芸能論を集めた『スター36人斬り』(1970年、実業之日本社。『芸能人別帳』と改題して2001年にちくま文庫)から、当該タレントの人物像を浮かび上がらせる文章をいくつか引用する(末尾の西暦は週刊誌の掲載年)。

 ・浅草で舞台に出ていた頃の渥美清は「肩を怒らせ牙をむいている壮烈な迫力があった。一挙手一投足に、こうすりゃ笑わずにいられねエだろ、笑え、笑えってんだと、グイグイ押しまくってくるリキがあった」「最近の渥美清、懸命に昔のアカを洗い落としている風にみえる。庶民のサンチマンってやつが次第に失われ、鼻もちならない大スターめいた糊づけのにおいが、フンプンとまつわり付いとるのだ」(1970)

 ・「人間本来無一物という人生のテーマを、勝新太郎としては爽快なまでに貫徹しているのだ。そして、それがあの座頭市の演技に漂う“無常感”の秘密なのである」「勝という役者は“演技の世界”を絵空事ではなく、実人生として生きようとしているのだ」(1970)

 ・「(藤山)寛美、ものごころがつくまで、肉親に甘えた思い出がまったくなかった。そんなふうに育った息子が成人したら、なんで孤独のウメアワセをするか、女だす」「アホの寛ちゃん、とめどなく遊びの道にいそしみました。それも、ないゼゼをキレイに使っての極道だす」(1967)

 ・三木のり平は「日常ふだんは、無口。とっつきにくい印象を人に与えます」「のり平、自意識がきわめて強い人間で、どうしてもゆずれない意見というものを肚の底に持っております。話しだすとだんだん理屈っぽくなり、相手とケンカをしちまう。それがイヤだったものだから、黙っている。そんな次第で、けっして悪い人間ではございません」(1967)

 ・「人呼んで、カラミの六宏。戸浦六宏は、むざんなる酒狂の徒である。飲むほどに酔うほどに心気冴えわたって、ナニゴトかを論じ、ナニゴトかに怒りを発し、ついに支離滅裂、ベロンケンシュタインとなるまで、酒に溺れずにいられないのだ」「六宏って役者は口跡ががいいねえ。セリフが確かで、明晰である。これも“悪役”であることの条件」(1967)

 ・「佐藤慶の“フ”と笑うところが好きだ。そいつはフフじゃない。フフフでもない。“フ”ときたら、それっきりである。あたしゃ笑ってますって、笑いかただな」「佐藤慶の資質は、つまるところ、留保の精神にある」「佐藤慶は、うまれながらに悪の因子を体内に持っている人物を演じて成功した」(1967)

 ・「小松方正なる男は相当なニヒリストで、韜晦の癖を有しておる。東映作品なんぞでも、例の悪相を怒らしてやくざの親分、子分をさっそうと(?)演じておるが、ふとそのバンビロな面がまえと三白眼を孤独憂愁の影が走るのだ」「小松方生は、貧乏、体制、事故その他もろもろの宿命に追い詰められて、魂が破産しちまった男を演ずるとき、余人の追ズイをゆるさぬ名演技を発揚する」「彼が“悪役”としてみごとなのは弱者の抵抗としての凶暴をエキセントリックにみせる場合なのである」(1967)

 ・「ヨタ公、ポン引き、大道芸人、タイコモチ、ニコヨン、行商人、香具師、センミツ(詐欺師)、下人足軽車夫馬丁等々、モロモロの疎外され蔑視される“最低人間”にふんするとき、(小沢)昭一の演技は光芒を放つ。そいつは、彼の俳優としての身構えに、オノレを下司下郎と観じる傀儡の精神、脈々と流れているからにほかならない」が、「しょせんインテリの含蓄というやつが、乞食芸人に徹しきれぬ学問知識の臭気が、ふとハナを突く」(1970)

 ・杉村春子は「四十年という苦惨な道程をへて、ユニークな演技を創造した。『女の一生』の布引けいは、杉村春子が生み出した分身である。その演技は彼女個人に属している。それは、コピーのきかない原画のようなものだ」(1966)

 ・山田五十鈴は「ラジカルに自己の意志と情念を生きて、スクリーンに舞台に多彩な芸の花を咲かせた。女性心理の多面の変化を、これほどあざやかに表現できる女優は、これから将来おそらく生まれてこないのではないか」「彼女が演じつづけてきたのは、男がつくりあげ、支配している社会に体当たりして一歩も引かない“新しい女”であった。そしてそれは彼女自身を演ずることでもあった」(1966)

2024年8月17日土曜日

残虐行為は続く

 ロシア軍はウクライナの都市を標的にミサイル攻撃を続け、相当数の市民が死傷していて、イスラエル軍は侵攻したガザで無差別攻撃を行い、こちらでも相当数の市民の死傷者が出ていると報じられている。こうした残虐行為に対しては国際的な批判があるが、例えば、イスラエルは破壊した学校や病院がハマスの拠点だったと残虐行為を正当化する(徹底的に破壊するので後からの検証は困難だ)。

 他国に侵攻した軍隊が無軌道に振る舞い、残虐行為を行った例は歴史に数多く記されている。だが、そうした残虐行為は看過されることが多く、責任を問われたことは少ない。戦時国際法(国際人道法)は①民間人や降伏した兵士らを軍事行動の攻撃目標としてはならない、②過度の傷害を与えたり、無用の苦痛を与えるなど非人道的な兵器を使ってはいけないーなどとし、ジュネーブ諸条約に加入している世界196カ国には守る義務があるが、罰則や強制力はない(国家の上に立ち、国家を処罰できる存在は不在)。

 ロシア軍やイスラエル軍が残虐行為の責任を問われないのは、ロシアやイスラエルに強制力を行使できる国がないからだ。ドイツや日本が戦時中の残虐行為の責任を取らされたのは、無条件降伏した敗戦国であり、戦勝国に占領されて、独立を失っていたからだ。戦勝国も戦時中の残虐行為の責任を問われない(米国の2度の原爆投下で広島で約14万人、長崎で約7万人以上の死者が出ているが、非人道的な兵器を使用した責任は不問にされた)。

 戦場では交戦国の軍隊による残虐行為が行われるが、その責任を問われるのは敗戦国だけであり、戦勝国側では独自の判断で残虐行為を行った部隊が責任を問われることはあっても、国家として残虐行為の責任を問われることはない。これが現実の世界規範だとすると、ロシアもイスラエルも敗戦国となる可能性が低いので、両国の軍隊による残虐行為も不問にされるだろう。

 戦争は悲惨なものであり、人々を苦しめるだけだから全否定されるべきものだ。だが、ロシア軍の侵略戦争に巻き込まれたウクライナの人々が戦う戦争を否定できるだろうか。侵略に対する自衛のための戦争は国連憲章で認められており、また、米国などの独立戦争を否定すると現在の国際秩序は崩壊するので、独立戦争も容認されていると理解すべきだろう。

 戦争には容認されるものと容認されないものがあり、容認されない戦争だけが批判されるのが現在の世界だとすると、戦争放棄の憲法を掲げ、全ての戦争を否定的にとらえる日本の世論は世界的には異質なものだろう。日本には侵略に抗して戦った歴史や、独立を求めて戦った歴史が希薄なことが影響し、戦争は全て悪だとの意識が無批判に受容されている。

 交戦中の敵軍に対する攻撃は、どんなに残酷なものであろうと残虐行為とはほとんんど見なされず、同様の行為を相互に行っていたりする。戦争放棄の憲法により日本人は戦争を現実的に考えることをやめ、敗戦体験もあって戦争に対する忌避感だけを強め、戦争や軍や軍事について現実的に向き合って考えることを疎かにした。侵略に対して戦う戦争は正義だとする現在世界で、戦争や軍事に向き合わない日本が外交的に軽視されるのは当然か。

2024年8月14日水曜日

どこに向かうか

 バングラデシュで直近15年間の長期政権を維持し、経済成長を実現するとともに強権的な統治を行ってきたハシナ首相が隣国インドに逃亡し、政権が崩壊した。反政府デモが再燃し、学生らのデモ隊が首相公邸などを占拠した。今回の反政府デモで学生らに300人を超す死者が出るなど警察は容赦ない鎮圧を続けたが、人々の怒りを増しただけだった。

 若年層の失業率が高い同国で、1971年の独立戦争の退役軍人の家族に公務員の採用枠の30%を割り当てるという優遇策に対する抗議運動が始まった。だが政府が暴力的に鎮圧し、多数の死傷者が出たため人々の怒りが高まり、反政府デモへと発展した。ハシナ首相はラーマン初代大統領の長女で、独立戦争の退役軍人の家族を優遇することに疑問を持たなかったのだろうが、軍は鎮圧に動かず、民意を見失っていた首相は国外に逃れるしかなかった。

 高い経済成長を続けて経済大国になった中国は共産党による独裁統治が続き、習近平氏が最高権力者になって以来、強権的な統治が強化されている。経済成長に伴って民主化が進むだろうという欧米諸国の期待は裏切られ、欧米に対し、かつてのソ連を大きく上回る「敵対国」が誕生、欧米主導の世界秩序に異議を唱え、欧米主導の世界秩序を揺るがしている。

 その中国では治安対策が強化され、共産党政府や習近平氏の「独裁」に対する批判は厳しく抑え込まれているようだが、稀に批判の動きが外国にも伝わってくる。最近では、湖南省の歩道橋に「独裁の国賊、習近平の罷免を」などと書かれた横断幕が掲げられ、「自由が欲しい、民主が欲しい、投票用紙が欲しい」とのスピーカーの音声が流れたり、北京の中心部で退役軍人が待遇の改善を求める垂れ幕を掲げた様子が伝えられた。

 厳しすぎる行動制限などが続いていた2022年11月には、「ゼロコロナ」政策に対する抗議活動が各地に広がり、参加者が無言のまま抗議の意思を示す白い紙を掲げ、白紙運動と呼ばれた。上海では「習近平は退陣せよ」などと公然と体制批判も行われるまでに発展し、中国政府は厳しすぎる「ゼロコロナ」政策の転換に追い込まれた。白紙運動は大規模な政権批判の抗議活動だったが、中国政府が統制を一層強化することにつながった。

 中国の民意が必ず政府に従うものではないとすると、政府の統制強化に対する不満・批判は何かのきっかけで噴出する可能性がある。その場合、中国政府はさらに厳しい治安対策をとるだろうが、それが人々の怒りを倍増させる事態になり、全国各地で政策や体制の転換を求める動きが拡大した場合、数千数万数十万の犠牲をいとわず鎮圧に動くことができなければ、習近平氏は国外に逃亡せざるを得なくなるかもしれない。

 ハシナ氏は隣国インドに逃亡できたが、習近平氏はどこに向かうか。民衆の抗議活動により出国を余儀なくされた独裁者を欧米など西側諸国は受け入れないだろうから、習近平氏の向かう先は上海協力機構の加盟国あたりか。ただ、習近平氏が去った中国の新政権が習近平氏の引き渡しを要求する可能性もあり、経済援助や貿易などのため中国との関係悪化を避けたい国は習近平氏を受け入れないだろう。とはいえ、中国に対して習近平氏の引き渡しを交渉材料にできるロシアやインド、イランなどなら、あえて習近平氏を引き受けるかもしれない。

2024年8月10日土曜日

青森駅と新幹線

 新幹線を利用して青森駅に行くためには、新青森駅で降りて在来線に乗り換えなければならない。新青森〜青森間の所要時間は6分だが、はこだてライナーのようなアクセス電車は存在しない(同区間は特急やリゾートしらかみなどにも普通料金で乗車することができる)。青森駅への新幹線乗り入れの議論はないようだ。

 青森県の観光入り込み客数は2680万人(延べ人数、2022年)で、青森市は364万人(2021年)。新型コロナの影響により減少したが、新型コロナ禍前の2019年には青森市の観光入り込み客数は602万人、青森県は3544万人と多かった。新型コロナの影響が残る2022年にも、ねぶた祭りの期間中には累計105万人の観光客が訪れたというから、全国に知られたねぶた祭りの観光客誘引力は大きい。

 青森市と津軽海峡を経てフェリーで結ばれる函館市は観光都市として名高いが、観光入り込み客数は2023年度に528万人(2019年度とほぼ同水準に回復した)だった。人数的には函館市よりも青森市のほうが多いのは、青森市を拠点に弘前や八戸、むつ(恐山)、奥入瀬渓流、十和田湖などを日帰りで観光できる利便性が影響しているだろう。

 青森市内の主な観光施設は、ねぶたの山車を複数展示している「ねぶたの家 ワ・ラッセ」、「八甲田丸」、観光物産館「アスパム」(展望台あり)などが青森駅から徒歩圏内に集まっている。「三内丸山遺跡」や「北のまほろば歴史館」「近代文学館」「八甲田ロープウェー」などは青森駅から離れているのでバスを利用し、浅虫水族館に行くには青い森鉄道を利用する。

 函館駅の徒歩圏内にある観光施設は「朝市」「摩周丸」ぐらいで、函館山や五稜郭、赤レンガ倉庫や教会群がある元町、トラピスチヌ修道院などに行くには市電かバスを利用するが、所要時間は30分程度のところが多い。函館市は観光名所が市内に点在しているので、駅周辺に限れば青森市のほうが観光客には便利だが、風景や土地の様子を見ることを楽しむ観光客にとっては移動も旅の一部だろうから観光名所が点在していることは大きなマイナス要因ではあるまい。

 函館駅と青森駅の周辺の最も大きな違いは活気の差だろう。青森駅からはびっしりとビルが立ち並んで市街が広がるが、函館駅からは旧棒二森屋など所々に空きビルがあり、更地も方々にあり、飲食店や商店などの2階建がビルの間に混じっている。経済活動は両市とも活発なのだろうが、県庁所在地の青森駅周辺に比べると函館駅周辺は地方都市の趣だ。駅前の人通りの多さは両駅とも同じだが、函館駅の場合は半数が観光客という印象だ。

 大型商業施設の撤退が続き、圏域の消費力の減退が明らかな函館市は一層の観光客誘致を目指す。その一つの案が新幹線の函館駅乗り入れだが、フル規格の新幹線の整備費は169億円と想定された。大金を費やすなら、現実的に問題が多い新幹線の乗り入れよりも、函館駅周辺の再開発に注力して函館市民に魅力のある都市空間をつくることが賢い公費の使い方だろう。函館駅周辺が魅力ある空間になると、次の世代にも財産として残る。

2024年8月7日水曜日

抱きつくしかない

 戦時下でも政府高官の汚職事件が相次いで報じられるなどウクライナは腐敗している。民主主義や法の支配・人権尊重など崇高な理念を理由にウクライナを擁護することは奇妙な光景にも映るが、米国をはじめ欧米や日本などはウクライナを支援する。ウクライナを「失う」ことで、ロシアが西方に支配地を広げ、勢力を拡大することを米国や欧州は警戒しているようだ。

 ウクライナは米国などからの武器弾薬の補給がなければ、ロシアの攻撃に持ちこたえることは困難だろう。ゼレンスキー大統領はしきりに米国やEU諸国に武器弾薬の供与を要請することを繰り返し、諸国からの支援は続くが、報じられる戦況は一進一退の気配だ。長期戦では兵站が重要だが、ウクライナは米国やEU諸国に頼るしかなく、ゼレンスキー大統領は米国やEU諸国が離れて行かないように、抱きつくしかない。

 戦時体制にあるイスラエルはハマスの壊滅を掲げるとともに、「やられたら、やり返せ」と周辺各国に存在する戦闘集団との戦闘を辞さない構えで、散発的な攻撃の応酬のほか、戦闘集団の幹部や指導者を殺害することを繰り返している。戦線をむやみに拡大することには慎重であるべきだろうが、イスラエルは緊張の維持並びにエスカレートを狙っているように見える。

 汚職疑惑による裁判を抱え、世論調査で8割が「辞任すべきだ」とするなど支持率が低下したネタニヤフ首相は、権力の座に居座り続けるためには戦時体制を続ける必要があり、そのために緊張の維持並びにエスカレートを行っているとの見方がある。ガザでの大規模な破壊を続ける軍事行動や周辺諸国から飛来するドローンやミサイルを撃ち落とすために武器弾薬の支援が必要だが、頼るのは米国しかなく、ネタニヤフ首相は米国に、抱きつく。

 中国は個人独裁を防ぐために最高指導者(国家主席・共産党総書記)の68歳定年を慣例化していたが、習近平氏は2022年、最高指導者として異例の3期目に入り、27年以降の4期目も想定していると見られている。7月に開催された共産党の三中全会では新たな目標として、建国80年の29年までに改革の任務を完成させることが掲げられたが、これは29年にも習近平氏が最高指導者として君臨することを示すと受け止められた。

 習近平氏が最高指導者の座に居座り続ける理由として、①国政運営に強い意欲を持っている、②自分だけが重責を担えると自負している、③権力欲が非常に強い、④大規模な腐敗摘発活動で、あまりに多くの高級官僚(党員)を処分したため、権力を手放すと恨みの標的になるーなどが推察できる。④であるなら習近平氏は身の安全を確保するため、死ぬまで権力を手放さないだろう(=習近平氏は権力に抱きつく)。

 ゼレンスキー氏は侵攻するロシアに負けないために欧米諸国に抱きつき、ネタニヤフ氏は戦時体制を継続するために米国に抱きつき、強権で政敵などを排除した習近平氏は生き延びるために権力に抱きつく。国家の最高権力は時には後ろ盾となる外国を必要とするので最高権力者は抱きつくのだが、抱きつかれた外国はそれを利用する。生き延びるには最高権力に抱きつくしかなくなった独裁者は、寿命が尽きるか、人民により追い出されるまで抱きつき続ける。

2024年8月3日土曜日

象を喰った連中

 「象を喰った連中」(吉村公三郎監督)は1947年2月に公開された映画だから、撮影されたのは前年の敗戦後の1946年か。脚本がいつ書かれたのか詳らかではないが、戦意高揚へ向けて厳しい統制が行われていた戦時中にコメディ映画の制作は難しかっただろう。「進め1億 火の玉だ」などの標語が掲げられていた時代にコメディ映画は似合わないか。

 病死した象の肉を焼いて喰った5人の男がいて、その病死した象はバビソ菌に感染していて、その菌を含む肉を喰った人が30時間後に死ぬ例があったと判明して、死期が迫る中で5人と周囲の人々とのやりとりが、ゆったりしながら、だらけさせないテンポで描かれる。簡潔明瞭な状況設定の中で各人の個性が浮かび上がる。

 30時間後に死ぬというのに、誰にも切迫感や悲壮感が過剰にならないので、見ている側も、とぼけたセリフや登場人物らの気持ちのすれ違いや勘違いなどを笑って見ることができた。死を覚悟した夫に妻が「どうして象を食べるなんて意地汚いことをなさいましたの?」「私がそんなにもひもじい思いをさせまして?」なんて問い詰めたり、太鼓を叩いて南無妙法蓮華経を唱えさせたり、老母が「勉強のしすぎでオカシクなったに違いない」と、もうすぐ死ぬと言う息子の気持ちを鎮めるために一緒に子守唄を歌ってあげたりと周囲の人々の反応が可笑しい。

 切実感があるのは子持ちの父親を演じたのが笠智衆で、現実感のある悲しみを混ぜて見せることで、とっぴな設定による現実離れした物語だとの色合いを弱め、地に足がついたコメディ映画になった。チャップリンを意識したと思われる笠智衆の木訥とした風情の演技がコメディ映画の雰囲気を盛り立てた。

 このコメディ映画は役者の騒ぎまわる演技や展開で笑わせるのではなく、なごやかで温かみがある登場人物が、突然の出来事に巻き込まれて狼狽して、互いを攻め合ったり、他の人々を助けるために自己犠牲を表明したりと、目前の死を意識して揺れ動く各人の心情を描き、そこに周囲の人々の思いを絡ませて、軽やかに描いた。

 加熱処理することでバビソ菌は死滅することが判明し、誰も死なずにハッピーエンドで映画は終わる。死期を意識した人々による約1日間の騒動は、戦時中の厳しい統制から脱した人々の日常を描いたものでもあった。定職があり、住む住宅もある登場人物たちは、おそらく当時の中産階級に属する人々であっただろう。生活苦などと無縁な状況設定だったから、ほんわかとしたコメディ映画が成立した。

 1946年は2月に食糧不足に対応した食糧緊急措置令が出されたが、都市部の食糧配給の遅配・欠配が深刻となっていて、5月には25万人が皇居前広場に集まって「米よこせ」と食糧メーデー集会が行われた。病死した象でも喰うという状況は現在からすれば空想の領域かもしれないが、食糧難の当時では、「象でも何でも喰えるものは喰う」との人々の衝動には少し現実感があったかもしれない。