2021年1月30日土曜日

最高権力者の自由な表現

  支持者が連邦議会議事堂に乱入した事件の後、「暴力をさらに誘発する恐れがある」として米ツイッター社がトランプ大統領の公式アカウントを永久に停止した。トランプ氏は大量のツイートによって支持者にメッセージを届けていたが、アカウントの永久停止と落選による表舞台からの退場で影響力は時とともに減退することは避けられまい。

 事実にこだわらず一方的な主張や見解を撒き散らしていたトランプ氏はツイッターを効果的に活用していた。そのツイッターから排除されたのだから、トランプ氏の表現の場が狭められたことは確かだ。しかし、自分に都合が悪い報道はフェイクだとし、選挙に負けたから不正があったと騒ぎ、支持者に議会に行けと促したトランプ氏の表現の自由は、議会議事堂への乱入が現実の出来事となっては、米国社会の許容度を超えているように見えた。

 異議申し立ての声は欧州から上がった。独メルケル首相は「自由な意見表明の権利は重要」だとツイッター社を批判し、規制は「国や裁判所が行うべき」と仏ルメール経済・財政相。トランプ氏を擁護する意図ではなく、表現の自由の規制や制限は国家が法に基づいて行うことであり、企業の判断に委ねるべきではないという主張だった。

 欧州からの批判は一考に値するが、国家権力に対する信頼度が低い社会では、国家による表現の自由に対する法規制は人々に警戒されよう。さらに、人々の表現の自由を国家が細かく規制し、ネットの投稿を厳しく監視している中国のように、思うままに政府が法を制定できる国では、表現の自由はどのようにも規制でき、表現の自由は形骸化する。

 欧州の政治家は「表現の自由」に議論を拡大したが、今回考えるべきは、トランプ氏のような最高権力者における表現の自由とは何か、である。会見を開いたり、テレビなどへ出演したりと最高権力者は主張を述べる場を多く持つ。質問や反論を排除して一方的に主張を述べることも可能だ。最高権力者に最大限の表現の自由が担保されている世界では、最高権力者と一般の人々の表現の自由は同じものではない。

 最高権力者の情報発信は私的なものではなく公的なものであり、最高権力者は従来、ツイッターなどで個人的な情報発信は行わなかった。最高権力者がうっかり、政府の政策に反するツイートをしたりすると混乱を招く懸念があるからだろうし、誰と親しいとか、よく行く飲食店のこととか、何かを批判したりなど最高権力者の私的な情報発信の影響力は大きく、また、政治的に利用されかねない。

 トランプ氏は最高権力者であったが、その振る舞いは公人よりも私人を優先させ、情報発信も私的なツイッターを活用した。公的に振る舞うべき最高権力者が私的に振る舞うと、いかに混乱が生じるかをトランプ氏は示してみせた。権力は強力な情報発信力を持つが、さらに最高権力者による私的な情報発信も許容されるなら、最高権力者は個人独裁者に似てくるだろう。最高権力者には私的な表現の自由は必要ない。

2021年1月27日水曜日

凶を愛でる

 神仏の存在は信じないが寺社の建物が好きで、見かけるとつい立ち寄ってしまうという友人は、おみくじのファンでもある。おみくじをひいて、そこに書かれていることを面白がるが、未来を予言しているなどとは考えない。大量に印刷されているおみくじに、個別の人間の未来が書き込まれているはずがないと友人。

 そんな友人が自宅に近い神社に初詣に行き、おみくじをひくと「凶」と出た。そこの神社で友人は何度も「大吉」をひいたことがあり、今年も「大吉」を期待していたので「凶」は驚きだった。おみくじを再度ひき直して、せめて「小吉」ぐらいを手にして帰宅したいと友人は思った。が、それは、おみくじの御託宣に左右されたことになると考え直し、「凶」も面白いと受け入れた。

 友人に見せてもらった「凶」のおみくじには、最上部に「さみだれに ものみな 腐れはてやせむ ひなも都も かびの世の中」の和歌があり、救いのない状況が示される。ものみな腐れ果てた世界に生きることは、絶望に駆られ、やけになって乱暴に振る舞うか、生き延びることに必死につとめるか、人間性が試される。ものみな腐れ果てた世界を客観的に定義することは難しいが、主観的に、そんな世界に見えることは誰にもあろう。

 おみくじの運勢の欄には「気運は落ち込んでいるが、誘惑に負けず酒色に溺れず堅固な意志と努力を続ければ、自ずから幸運の時が開ける。神様を信奉しましょう」(大意)と、前向きに生きることを促す。自ずから幸運の時が開けるとは、幸運も不運も自分次第だということ。つまり、運命は自ら切り開くしかないということだ。でも、おみくじが、御託宣などに頼らず、自分で切り拓けと告げるのは、おみくじの自己否定のようで面白い光景だ。

 項目に分けて細かく占っている欄を見ると、願望は「上昇の機運。神様に感謝せよ」とあるのは凶よりも運勢が下がることはないということだな。恋愛は「最初の愛は稔り難いが、神様のお引き会せあり」で、病気は「一応よくなる」、旅行は「注意して旅立て」、事業は「信頼を得れば栄える」と、運勢欄の「堅固な意志と努力を続ければ、自ずから幸運の時が開ける」を具体化したような言葉が並ぶ。

 凶の運勢だから悪い予言が並ぶとの友人の不安に似合いそうなのは、失物の「探しても出てき難い」、待人の「来るが、倖せ少なし」、相場の「一度は勝つが続かない」ぐらいか。人が凶のおみくじから連想するのは八方塞がりの状況だろうが、ひいた人を励ます文言が並ぶ。幸運も不運も交互にやってくるが、そう極端には振れず、驚愕するような幸運も不運も人生には滅多にないということなら、この凶のおみくじを含め、どんな運勢が出ても、それなりに現実的だと受け止められよう。だから、おみくじのシステムは生き残っている?

 凶を得た友人は、心を新たにし、今年は誘惑に負けず酒色に溺れず堅固な意志と努力を続けると決意した……わけでもなく、悪いことに遭遇しかねないと警戒心を高めてもいない。凶は大吉と同様の少ない確率の御託宣だろうから、その運勢を甘受して味わってやろうと決めた。今年は凶とともに生きるのだそうだ。

2021年1月23日土曜日

感染に覆われる世界

  世界で新型コロナウイルス感染による死者は200万人を超え、感染者は9700万人を超えて1億人到達が目前だ。日本でも感染拡大の勢いが増しているが、世界では日本より感染状況が深刻な国は珍しくない。感染者本人とその家族、知人など世界で多くの人々が同じウイルスに苦しんでいるのだが、ウイルスに世界各国が足並みを揃えて立ち向かう気配は希薄のままだ。

 世界における感染者数が多い国(22日現在)は順に、米国2447万人、インド1061万人、ブラジル863万人、ロシア361万人、英国355万人。米国だけで世界の25.2%と4分の1を占めるのだから、ひどい感染状況だ(どうにか持ち堪えているのは、さすが大国・米国の底力か)。米国にインドとブラジルを加えた3カ国で45.0%となり、ロシアと英国を加えた5カ国では52.4%と、世界の感染者の半分以上が5カ国で出ている。

 死者数が多い国は順に、米国が40万人、ブラジル21万人、インド15万人、メキシコ14万人、英国9万人。死者数では米国が世界の19.2%と5分の1を占め、圧倒的に多い。ブラジルとインドを加えた3カ国で36.5%、メキシコと英国も加えた5カ国で47.8%。感染者数に対する死者数の比率は世界累計では0.021%だが、米国では0.016%、ブラジル0.024%、インド0.014、メキシコ0.085%、英国0.025%、ロシア0.016%で、メキシコが高い。

 感染状況を地域別に見ると、アジアではインドが感染者1061万人(死者15万人)と突出し、次いでインドネシア93万人(2.7万人)、バングラデシュ52万人(0.8万人)、パキスタン52万人(1万人)、フィリピン50万人(1万人)、日本34万人(0.5万人)。中東ではトルコ240万人(2.4万人)、イラン134万人(5万人)、イラク60万人(1万人)、イスラエル56万人(0.4万人)、サウジアラビア36万人(0.6万人)、ヨルダン32万人(0.4万人)などとなる。

 欧州では英国355万人(9万人)、フランス300万人(7万人)、イタリア240万人(8万人)、スペイン237万人(5万人)、ドイツ207万人(5万人)、ポーランド144万人(3万人)、オランダ93万人(1.3万人)、チェコ90万人(1.5万人)、ルーマニア70万人(1.7万人)、ベルギー67万人(2万人)、ポルトガル56万人(0.9万人)、スイス50万人(0.9万人)、オーストリア40万人(0.7万人)など。これら各国は感染者数、死者数ともに日本を上回る(人口は日本より少ない)。

 北米では米国が2447万人(40万人)、カナダ72万人(1.8万人)。人口は米国が3億2775万人、カナダが約3789万人なので感染者数の人口比は米国0.074%、カナダ0.019%と米国での感染爆発は深刻だ。中南米ではブラジル863万人(21万人)が突出しているが、コロンビア194万人(5万人)、アルゼンチン182万人(4.7万人)、メキシコ165万人(14万人)、ペルー106万人(4万人)、チリ68万人(1.8万人)、パナマ30万人(0.5万人)などと各国でも感染が拡大した。アフリカでは南アフリカ136万人(4万人)、モロッコ46万人(0.8万人)、エジプト16万人(0.9万人)など。

 アジアではインド、北米では米国、南米ではブラジルと突出して感染者数が多い国があるが、欧州では各国で大差なく感染者数が増えている。おそらく、国境を越える移動規制が強化されたとはいえ、域内での人々の移動が他地域に比べて活発であることが関係している。人々が集って語らい、グローバルに移動することは国境にとらわれない地球人意識の形成に欠かせなかったが、それを感染力が強いウイルスが阻んでいる。

2021年1月20日水曜日

新しい日常

  平穏な日常が一瞬にして消え、非日常の中に突然投げ出されることは、日本に暮らす多くの人にとって希有な体験ではない。大地震は日本の各地で発生し、自然も人工物も破壊される。無事だった人も、電気などライフラインが断たれ、不自由な生活が続く中で生き延びることを余儀なくされる。やがてライフラインなどが復旧し、生活が以前の状態に戻ることで新しい日常が始まる。その新しい日常は以前の日常に被災の記憶が加わったものだ。

 新型コロナウイルスによる感染症の世界的流行は勢いを増し、日本でも緊急事態宣言が出され、飲食店には営業時間短縮、人々には不要不急の外出自粛、企業には出勤者の7割削減などの対策を徹底するよう政府は呼びかける。パンデミックも人々から平穏な日常を奪ったが、その終息が見通せず、日常への復帰の目処は立たない。

 むしろ、ウイルスとの共存という新しい日常への移行が現実味を増す。非日常が日常化するとは、世界が変わったということだ。非日常をもたらした要素が生活の中に組み込まれ、それまでの日常を変化させる。例えば、インターネットの出現や携帯電話の普及は世界で人々の生活を変え、新しい日常を人々は受け入れた。

 人々に歓迎されない新しい日常もある。例えば、内戦などで政府が崩壊状態になり、あちこちで戦闘が起きているなら、自力で生き延びるしかない新しい日常に人々は直面する。また、ゲリラや麻薬組織など暴力集団が実質に支配し始めた地域で人々は、生き延びるためには暴力集団に逆らわず、従うという新しい日常を生きざるを得ないだろう。

 コロナウイルス感染症のSARSやMERSはほぼ終息したが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大の勢いは拡大し、世界でマスク着用は定着、外出が制限され、人々は互いに距離をとるなど、いつまで続くか不明な新しい日常に人々は移行している。この新しい日常は人々に何の利便性ももたらさず、むしろ経済活動を含め従来の日常を破壊した。恐怖に強いられた新しい日常は暴力集団に逆らわずに生きるしかない状況に似た。

 新しい日常を生きる人々が得たものは、失った日常がいかに価値あるものだったのかという認識だろう。人が集まった時の何気ない会話や友人らとの飲食、演劇やコンサート、スポーツ試合など見に行くこと、気軽に旅行に出ることなど、新しい日常では不要不急とされたそれらが、いかに人生に潤いを与えるものだったのかに気がついただろう。

 不要不急とされたものが排除され、必要とされる行為だけが許される新しい日常を人々は、新型コロナウイルス感染が終息するまでの非日常と受け止め我慢する。だが、その非日常がそのまま新しい日常になるとすると、人々は黙って適応するのか、我慢ならないと抗うのか。感染が続くなら政府ではなく人々がやがて、何が必要か、何が不要不急かを判断することで新しい日常は形成されるだろう。

2021年1月16日土曜日

場外乱闘

 スポーツはルールを競技者が守ることで成り立っている。マラソンで設定されたルートを無視して競技者が走ったり、自由に手を使うサッカー選手がいたり、土俵を無視して力士が取り組みを続けたり、競技能力を高める薬物を好きなように乱用する競技者がいたりすれば、勝敗の意味も価値も損なわれる。競技者が同じ条件下で競うことで、勝敗の公平さが保たれる。

 だが、プロレスでは選手はリングの中でも外でも闘う。商業的なショーと見なされているからプロレスでは、観客に近い場外での乱闘は欠かせないお約束の展開で、派手に殴り合ったり、コーナーポストからの飛び蹴りを相手は待っていて受けたりする。一気にエキサイトした情景を演出し、観客は喜ぶ。

 スポーツでは競技者は勝利を目指して競うが、プロレスでは勝敗に重きが置かれることは少ない。商業的なショーであるプロレスでは、様々な演出が組み込まれているのだから、勝利の意味はスポーツとは大きく異なり、観客を喜ばせることが重視される。場外乱闘は観客のすぐ近くで選手が闘い、その肉体を間近で見せ、汗を飛び散らせ、打撃音などを響かせるのだから見せ場になる。

 政治の世界もスポーツに似て、様々な「ルール」がある。そのルールは国によって異なり、いわゆる民主主義国と中国など独裁国家ではルールは異なるが、それぞれのルールに反した場外乱闘めいた混乱や暴動などを厳しく取り締まることでは姿勢は同じだ。つまり場外乱闘は政治の世界で許されないことでは世界は共通する。

 政治における場外乱闘とは暴力で政治家を排除したり、議会を停止させたり、社会を戒厳令下に置くことだったりと、それぞれの国の政治のルールによらずに暴力で政治状況を変えることだ。政治のルールが硬直化して人々の意思が反映されなくなった時には、人々の暴力によって社会が「脱皮」することは歴史的な必然であろうが、自由選挙が行われているのに負けた側による暴力は場外乱闘であろう。

 米国での「場外乱闘」をトランプ氏は実現させた。民主主義を振りかざす米国において暴徒による議事堂襲撃を実現させたのだからトランプ氏の影響力はかなり大きい。その影響力をトランプ氏が批判者をも納得させる方向に駆使していれば、トランプ氏は米国の歴史における偉大な大統領として位置付けられたかもしれない。

 プロレスでの場外乱闘を観客は歓迎するが、政治における「場外乱闘」は人々に歓迎されるとは限らず、失敗した場外乱闘は社会秩序に対する脅威として位置づけられ、批判されるだけだ。トランプ氏はその影響力の行使を間違えた。今回の敗北にこだわらず、次の勝利を目指すならば場外乱闘は余計な一手だった。

2021年1月13日水曜日

行政の怠慢と精神論

  政府は首都圏1都3県を対象に緊急事態宣言を行った。感染者の大幅増加や重症者の増加を見ると、やむを得ないとの印象もある一方、飲食店での会食が今回の感染拡大の元凶だと政府や自治体は見ているらしいが、飲食店の営業禁止には踏み込まず(補償金の問題?)営業時間短縮にとどめ、人々には不要不急の外出の抑制を求め、「皆の強力で乗り越えよう」なんて精神論をまた持ち出している。

 「神風が吹く」とか「皆で心を一つにすれば難局も打開できる」などの精神論を政治を担う者らが言い出したら警戒したほうがいい。それは彼らに具体的な政策や対応策が希薄であり、また、具体的な政策や対応策を考慮する精神に欠けていることを示す。例えば、懸念されている医療崩壊だ。

 20年前半の感染拡大を日本はなんとか乗り切ったが、欧米や南米、インドなど世界では感染爆発が続いていた。世界からウイルスが姿を消してはいないので、いずれ日本でも何度目かの感染拡大が起こる可能性は高かった。その場合、1日に数万人規模の感染者が確認され、100人単位の重症者が毎日出ることを最悪の事態と想定すれば、既存の医療体制では対応できないことは明らかだった。

 エピデミックに対応するためには人口が多い都市部に「野戦病院」をいつでも設置できるように準備しておくことが、医療崩壊を防ぐ助けになる。そのための法整備、用地や人員確保、支援体制構築などを準備する時間は日本政府にも自治体にも十分にあった。第1波の時に中国は武漢に「野戦病院」を即座に用意し、米NYはセントラルパークに設営した。

 感染者や重傷者が大幅に増え、救急医療体制は限界に達し、救急車は患者の受け入れ病院を探すことに苦しみ、民間病院は外来受診の制限で売り上げ減に直面する。新型コロナウイルスの治療に特化した「野戦病院」を主要都市にいつでも構築できるようにしておけば、今回の感染者の大幅増加にも政府や自治体は“浮き足立たずに”対応できたのではないか。

 政府や自治体への信頼が希薄な社会では、強制されなければ人々は協力しようとはしないだろう。日本では政府や自治体の強制力は限られるので、政府や自治体は人々を説得しなければならない。だが、精神論では人々をある程度は鼓舞できても、政府や自治体の言うことに簡単には従わない人々を説得することはできない。説得して行動変容を促すためには精神論に頼ることは逆効果にもなり得る。

 人々を説得することが日本の政治では軽んじられている。オバマ氏ほどではなくとも、人々を揺り動かすような演説の名手が日本の政治家に見当たらなくなって久しく、一方で精神論を振りかざす人物は珍しくない。政府や自治体の政治家が精神論に頼って、このパンデミックの日本襲来にどれほど対応できるか結果は目に見えている。

2021年1月9日土曜日

乱入してしまった

 米国の首都ワシントンにある連邦議会議事堂の建物に、大勢のトランプ大統領の支持者が乱入した。トランプ大統領の支持者らが議事堂に押しかけたのは午後1時すぎで、上院の議場から午後3時半ごろ警察により排除され、議事堂の建物からは午後6時半過ぎに完全に排除されたという。

 議会ではこの日、民主党バイデン氏の大統領選当選を認証する選挙人投票が行われ、バイデン氏の当選が確定するはずだった。「選挙が盗まれた」と主張し続けるトランプ大統領は午前の集会で「弱さでは私たちの国を取り戻すことはできない。強さを示さなければならない」「議会に行進し、勇敢な上院議員と下院議員を激励しよう」と呼びかけ、支持者は連邦議会議事堂へ向かって動き始めた。

 集会に集まったトランプ大統領の支持者に議事堂乱入の事前計画があったのなら、武器など装備を用意していただろう。報道された多数の映像からは、そうした準備があった様子は見えない。トランプ氏の言葉に促されて議事堂に向かい、緩い警察の警備をつい押し破って乱入してしまったというのが実際か。映像からは、議事堂内でスマホで写真を撮りまくっている人々が多くいて、その写真をSNSにアップした人も多いとか。

 トランプ大統領の支持者が求めたものはトランプ氏の続投だが、それには大統領選の「不正」を証明しなければならない。トランプ氏も支持者も「不正が行われた」と主張するだけなので、選挙結果を覆すことはできず、任期切れは目前に迫った。「不正が行われた」から選挙に負けたのではなく、選挙に負けたから「不正が行われた」と主張しているのだから説得力は希薄だ。

 敗北を最後まで認めず、抵抗を続ける政治家は世界では珍しくなく、負けた側は選挙で不正が行われたと主張する。実際に不正があったかどうかは様々だろうが、各国の強権で独裁的な政治家が勝ち続ける選挙には不正の匂いが漂う。民主主義的な価値観を尊重していると見えないトランプ氏が、不正が行われて選挙に負けたと言うのは、米国の民主主義がまだ機能している証か。

 トランプ大統領の支持者がトランプ氏を通して見ているものは、既成の政治エリートらに支配されている米国政治の組み直しと既得権益構造の解体だろう。彼らに議事堂自体が既成権力の象徴と映ったなら、尊敬に値せず神聖でもないと見なし、「不正を訴える」との彼らにとっての大義名分に支えられ、つい議事堂に押し入ることも辞さなかった。トランプ氏の退場で、支持者らの思いは今後どこに向かうのか(あるいは、切り捨てられるだけか)。

 今回の行動でトランプ氏や支持者が得たのは、反民主主義的で反社会的であるとの評価だ。反民主主義的で反社会的であっても多様な主張が許容されるのは自由な社会だが、負けた側が選挙の不正を言い立て、支持者が議会に乱入するのでは、米国は今後、民主主義を世界に向けて振りかざすことが制約される。民主主義を口実に他国に介入できなくなると米国は、いっそう孤立主義に傾きそうだ。

2021年1月6日水曜日

100年前は1921年

 100年前の1921年の日本では、生活難などから自殺が急増した一方、各地で解雇に反対する人々による同盟罷業や小作料減額を要求する争議などが増加し、大阪では失業者大会が開かれた。川崎造船・三菱造船での3万人参加の争議では政府がデモを禁止し、軍隊が出動した。借家争議も多発し、各地で借家人同盟が結成された。

 社会が安定しない中、9月に朝日平吾が安田財閥の創始者・安田善次郎を刺殺し、11月には中岡良一が東京駅で原敬首相を刺殺した。婦人労働者の増加で東京に乳児預所が初めて開設され、三越呉服店の女店員の事務服が制定されたこの年、九州炭坑王の妻・柳原白蓮が宮崎竜介のもとに走り、身分違いの恋と話題になった。

 政界では紛糾を続けていた宮中某重大事件が、皇太子妃内定に変更なしとの2月の政府発表で収束し、裕仁皇太子は欧州訪問に旅立った(元老・山縣有朋は政治的な影響力を失った)。だが、10月の大正天皇病状悪化の発表で株式・錦糸・米相場が下落し、11月には大正天皇の病状悪化により裕仁皇太子が摂政に就任した。

 独映画「カリガリ博士」が公開されたこの年、「船頭小唄」「枯れすすき」「めえめえ子山羊」「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「てるてる坊主」「どんぐりころころ」などが歌われ、「暗夜行路」(志賀直哉)、「冥途」(内田百間)、「愛と認識との出発」(倉田百三)、「支那革命外史」(北一輝)、「特殊部落民解放論」(佐野学)、「空想的及科学的社会主義」(堺利彦訳)などが出版された。

 世界では、第1次世界大戦の敗戦国ドイツに課す賠償金が暫定的に2690億マルクとされたが、支払い能力を極度に上回る額であったためドイツは拒否し、5月に総額1320億マルクで決着した。だが、その額もドイツの支払い能力を大幅に上回るものであり、翌22年には支払い困難となった。

 12月には日英米仏が4カ国条約に調印、太平洋の島嶼領地や権益の相互尊重などが決められ、日英同盟の更新は行われず、失効した。日本と米国の関係悪化から英国は、日米が将来開戦すれば英国は米国と敵対する立場になることを懸念したことと、ドイツ帝国の崩壊で日英同盟の必要性がなくなったと判断。

 この年、世界では次の大乱の芽が出始めていた。1月には伊ボローニャでファシストと共産党が衝突し、全国に波及した(11月にローマでファシスタ全国大会)。7月にはドイツでヒトラーがナチス党首に就任し、上海では中国共産党の創立大会が開催され、米国ではサッコとバンゼッテイに有罪判決が下され、南部でKKKが活動を活発化させていた。

2021年1月2日土曜日

見えない安定

 2020年からの新型コロナウイルスの世界的な流行は、日常の安定という現象は微妙なバランスの上に成り立っているものであり、この世界は常に変化を続けていて、時には破壊的な変化がもたらされて、それまでの安定から人々は放り出され、新たな混乱・混沌の中に置かれることを示した。新型コロナは世界を変え、新たな安定は見えてこない。

 新型コロナは、国境を越えるグローバリズムという経済活動に打撃を与え、観光客の世界的な移動を止め、人々はそれぞれの国内に閉じ込められた。その各国の国内では、パンデミック対策のロックダウンなどで経済活動が大きなダメージを受け、人々は「集まるな、密になるな、接触するな」と警告される中、収入が減ったり職を失ったりと、マイナス方向の変化にばかり直面している。

 新型コロナが世界にもたらした変化は、このパンデミックが終わって以前の状態に戻っても、全てが消えるわけではない。例えば、各国で進んだキャッシュレス化やリモートワーク化などは、その利便性が認識されて更に進行するだろう。人と人が接するビジネスから、デジタルを介した非接触型の経済行動へという変化はコスト低減をもたらすので、加速することはあっても、逆戻りすることはないだろう。

 世界で新型コロナは人々が「会う」ことを制約した。会って話をして、時には一緒に飲んだり食べたりすることがいかに大事な行為であるかを、制約されたことで人々は痛感した。パンデミックが終息すれば人々はすぐに直接会うことを再開し、盛大に互いの無事を喜びあうだろうから、新型コロナは人々に会うことを諦めさせることはできなかった。だが、現実には人々は会うことを制限され、人々は分断されて生きることを強いられている。

 新型コロナのパンデミックがいつか終息すると人々は期待し、大量のワクチン接種が行われるなら21年後半にも終息に向かうと専門家は予想する。だが、そうした予想に確かな根拠は希薄で、先行きは誰にも分からないというのが現実だ。だから、新型コロナがインフルエンザ同様の感染症として居座り、人々は「共存」せざるを得ないのが新たな日常となる可能性はある。そうなると新型コロナを特別に恐れないことで新たな安定した日常がもたらされよう。

 新型コロナと「共存」する新しい日常になれば、経済活動が活発になり、人々が自由に移動し、観光旅行も国内外で復活して、飲み会や宴会、イベントなども気軽に行うことができるようになるかもしれない。だが、新型コロナが感染症として特別視されなくなると、感染者はおそらく自費での治療を強いられるだろう(財政には限界がある)。

 相当数の感染者と死者を許容しながらの日常では、経済的な弱者は更に過酷な社会に生きることになる。各国政府は負債を増やして新型コロナ対策に過大な支出を続けたから、いつか、その帳尻を合わさなければならなくなるので、誰もが手厚い社会保障を望むことは難しくなるかもしれない。

 主権者である人々はパンデミックによる変化には受け身であったが、社会の変化には主体的に関与することができるし、主体的に関与しなければ不利益を押し付けられるだけだ。主権者としての意思表示や行動が、社会に変化を生じさせる。受け身ではなく、立ち向かって発言し、行動することで得られる安定は、変化に強い。人々が変化の主導権を握るからだ。