2024年5月29日水曜日

出合いは才能だ

 土日に仕事などが入らず自由に時間が使えるとなると日帰りか1泊の旅に出ることがある友人は、どこに行くかを事前に決めることはなく、行き先は「その時の気分で決める」という。名所旧跡や評判の名物料理や飲食店などを事前に調べることはなく、「出たとこ勝負というか、駅についてからカンでどっちの方向に歩くか決める」そうだ。

 だから、その土地の名所旧跡に行かなかったり、名物料理を食べることを逃したりすることが珍しくない。「せっかく行った土地で、機会を逃して、残念じゃないのか?」と聞くと、「名所旧跡は駅前の観光案内板に記載されていることが多いから、気が向けば見に行く。それに名物料理より、見かけた飲食店に入って、おいしい料理に出合えると、俺が発見したという気になって嬉しい」と友人。

 ガイドブックやネットの情報を事前に調べて、何を見るか、何を食べるか、誰と合うかなどを決めて、そのスケジュール通りに動くのは「俺の旅行スタイルではない。日常を離れて自由に動くのが旅行の楽しさの一つだろう?」とし、「どんな景色と出合うか、どんな店に出合うか、どんな人に出会うかーどんな出合いをすることができるのかは、その人の才能の一つだと思うんだ」と友人。

 旅に限らず、ふと気になる本を書店で見かけて、買って読んでみると大きな感銘を受けたり、見かけて気になった飲食店に入って美味しい料理に出あったり、通りかかった映画館でポスターが気になって入って観ると、いい映画だったり、チラシで知ったシンポジウムに出かけ、この人は正しいことを言っていると共感できる人を知ったりすると、出合いは才能だと友人は実感するそうだ。

 ガイドブックに載っておらず、ネットにも情報がほとんどない事柄は多い。ガイドブックやネット情報に頼りすぎると、その人が認知する世界が狭くなる。書籍を例にとると、出版されてから10年、20年経っているような書籍は社会的に忘れられたような存在だろう。書名を知らない書籍を検索することは困難だが、書店の店内を歩いていて、ふと出合うことはある。

 書店の多くの書籍から、ふと出合った1冊を買って読んで満足することは誰にでもあることだろう。そうした出合いは自分で動いて書店に行き、何か発見はないかとアンテナを作動させていたから生じた。自分にとって価値あるものに遭遇していても、それに気づかなければ出合うことはできない。自分が動いて価値ある情報に出合い、キャッチすることを友人は「出合いは才能だ」とする。

 今では何でもスマホで検索することが行われているが、自分が気づいていないことを検索することはできない。友人は「自分で動いて、出合って何かを感じることが大事なんだ。それが自分の情報感度を磨く」と言い、「ガイドブックやネットに載っている情報は万人向けの情報であり、そうした情報で満足していると、独自の情報を見つけて蓄積することが少なくなる。出合って発見することが才能だ」と主張する。

2024年5月25日土曜日

先進性とデザイン

 1997年に発売された初代プリウスは世界初の量産ハイブリッドカーだ。「21世紀に間に合いました」のキャッチコピーで、「既存のガソリン車と同等の走行性能を保ち、約2倍の低燃費とCO2排出量半減などを実現した」(トヨタHP)ことを宣伝していた。EV普及の勢いに翳りが見え、HVが見直されているという現在、HVを実用化したプリウスの功績は大だ。

 ずんぐりとしたスタイルの初代プリウスは、低燃費を重視して空気抵抗を少なくする造形で空力性能Cd=0.30を実現したという。だが、ずんぐりして車高が高い4ドアセダンで、短いフロントノーズは前下がり、短いトランクがつく初代プリウスにはスポーティーというイメージは皆無だった。当時は車高が低くてノーズが長く、窓の上下の幅が短いスタイルがスポーティーとされていた。

 初代プリウスは、低燃費を実現するという目的を最優先にデザインされ、居住性を確保するために車高を高くした。セダンにこだわったのはセダンが主流だった当時の時代の制約だろう。スポーティーに見せることは放棄され、低燃費=CO2排出量減という先進的な目的に合理的に対応した造形だった。

 2003年に登場した2代目プリウスはセダンスタイルから、リアデッキを無くしたハッチバックに姿を変えた。「優れた空力性能とゆとりの室内空間の両立を実現」(同)したというスタイルは、前席乗員の頭部あたりをピークにルーフがなだらかに後部へ向かって下がり続けるデザインで、おそらく風洞実験から見いだされた最適なラインだったのだろう。

 SUVの流行もあって現在ではフツーになった5ドアハッチバックというスタイルを世界的に広く認知させたことには2代目プリウスの貢献があったもしれない。2009年にモデルチェンジした3代目プリウスは5ドアハッチバックというスタイルを引き継ぎ、「CD値はさらに向上して0.25となった」(同)。2015年からの4代目プリウスも5ドアハッチバックだが、「重心を下げてアグレッシブなデザインにチェンジ」「攻めのモデルチェンジ」(同)だったが、そのスタイルは好悪がはっきり分かれるものだった。

 そして2023年に登場した5代目プリウスはハッチバックスタイルを引き継いだが、各社の品揃えが増えてHVが一般化した状況を踏まえて、外観による差別化を重視して全高を少し低くした4ドアクーペに変身した。Aピラーがかなり寝ていて空力特性を重視するという方針は受け継がれたが、ずんぐりとか奇抜というイメージは払拭され、スタイリッシュとも見える造形に転換した。EVなどが増え、低燃費訴求のイメージをスタイルで表現することは重要視されなくなったか。

 歴代プリウスはデザインで先進性イメージを表現しようと模索してきた。低燃費=CO2排出量減という先進的な目的に合理的に対応した造形を続けてきたが、程度の差はあれ低燃費が珍しくなくなった現在、プリウスは低燃費以外の個性を示すことを強いられ、スポーティーさのアピールに転換した。低燃費であってもダルではなく、運転を楽しむことができてスポーティーだと示すことが現在の先進性だと主張しているようだ。プリウスのデザインの変遷には時代の色彩が反映している。

2024年5月22日水曜日

犯罪と国籍

 栃木県日光市と長野県松本市、群馬県安中市、福島県南会津町で相次いだ強盗事件で警察は、栃木県の事件の被害者のキャッシュカードで現金を引き出そうとした疑いなどでベトナム国籍の男2人を逮捕した。栃木、長野、群馬の強盗現場近くの防犯カメラに2人が使っていた車と似た車が写っていたともいう。

 狙われたのはいずれも山あいにある民家。報道によると、一連の事件は未明の時間帯に民家に侵入し、刃物で住人を脅して手足などを粘着テープで緊縛して現金などを奪う手口が似ていた。山あいなどにポツンと1軒だけある民家は強盗犯に襲われやすく、夜に押し入り、住人を刃物で脅して「金を出せ」と要求する日本人の強盗は昔から存在した。

 カンボジア国籍の5人が群馬県警に逮捕されたのは、千葉県野田市にある2か所の太陽光発電所から銅線ケーブル(合計およそ950m分、時価695万円相当)を盗んだ疑い。報道によると、栃木県内で金属を狙った窃盗事件は今年1〜3月に578件と昨年の倍以上に急増しており、被害の大半は太陽光発電施設の送電用の銅線ケーブルだという。

 茨城県や岩手県でも昨年、太陽光発電施設の銅線を狙う窃盗団のカンボジア人が逮捕されていた。太陽光発電所の銅線を狙う窃盗団が北関東を中心に増加しているとみられているが、SNSを介して犯行ごとに仲間を集めるスタイルでメンバー間の関係が希薄で捜査の支障になっているという。また、犯行を経験した人が新たな窃盗団を組織したりし、金属盗の認知件数は増加する一方だ。

 銅線が狙われるのは銅の価格が高騰しているためで、金属スクラップの買取業者に売るためだ。無許可の買取業者もいるというから、盗んだ銅線ケーブルの流通経路が確立していることもカンボジア人の窃盗団が増える要因だ。人目の少ない郊外にある太陽光発電所の銅線を盗むのは「参入障壁」が低い犯罪で、盗んだ品物の流通経路が存在するなら、ひと稼ぎしようとする人間が現れるのは不思議ではない。盗んだ品物の流通経路には日本人が関与している可能性が高い。

 犯行を促す環境があり、そうした情報に接した人が、まとまった金が手に入るとの誘惑に誘われて犯罪に手を染めてしまう現象には、おそらく外国人と日本人に大きな差はない。外国人の犯行が報じられると「外国人により日本の治安が乱される」などと感情的に反応しやすい。押し込み強盗や金属類の窃盗は日本人も行っているだろうが、ニュースとして報じられることは少ない。

 一方で、治安がいいと安心しきっている日本は外国人の犯罪プロにとっては格好の出稼ぎ先である可能性もあるし、遵法意識が低い人間は国籍を問わず、どこでも一定割合存在すると仮定すると、日本に住む外国人が増えたから外国人による犯罪も増えたと見ることができる。全てのベトナム人が押し込み強盗をするわけではないし、全てのカンボジア人が銅線の窃盗をするわけもないと冷静に考えれば、犯罪と国籍を結びつけて考える必要はない。

2024年5月18日土曜日

させていただく

  「〜〜させていただきます」との言い方が増殖しているが、「この言葉を聞くたびにイラッとする」と友人。「国会議員が質疑で、質問させていただきますなどと言っているのを見ると、国会質疑で質問するのは議員の責務であり権利だろうが。権利を行使するのに、なんで『させていただきます』なんて言うのか」と友人は怒る。

 「させていただきます」は「させてもらう」の謙譲語で、謙譲語とは「 話し手が、自分または話し手側にある所有物、動作、状態等を卑下して表現することにより、相対的に相手や話中の人に敬意を表わす語」だ。相手に対して自分などが相対的に下位にあるものとして、相手に敬意を示すために用いる言葉だ。

 友人は「議員は、ていねいで謙虚な言い方だと思っているのだろうが、いちいち相手に同意を求めているように聞こえる」とし、「質問させていただいた議員は、政府側が様々な理由をつけて『返答は控えさせていただきます』などと突っぱねると、質問させていただいた議員側は困惑するだけで、怒って見せるのが精一杯だ」と皮肉り、当然の権利の行使の意味を議員が考えていないと批判する。

 「させていただきます」は、自分が行うことを①相手側または第三者の許可を受けて行う、②そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われるーと文化庁の敬語の指針。「させていただきます」には、適切な場合と、あまり適切だとは言えない場合があるが、①②の条件を実際には満たしていなくても、満たしているかのように見立てて使う用法があり、それが「させていただきます」の使用域を広げているとする。

 相手などから許可を得ることがなく、恩恵を受けることもないのであれば「させていただきます」は、相手側に媚びている表現となる。与党議員なら政府に質問するときに、大臣連中は与党の実力者である場合が多いから、媚びてしまうのかもしれない。あるいは、与党の実力者や政府から恩恵を受けているという感覚があるから「質問させていただきます」との言葉が自然に出てくるのか。

 「選挙に立候補させていただきますとか言い出す候補者もいそうだな」と友人、続けて「当選すれば、己の名誉欲を満たしたり、利権に関与できたり、権力を振り回すことができると候補者が期待しているとすれば、立候補して当選することにより恩恵を受ける。立候補させていただきますという奴らは、己の欲や利益のためだけに動いているんだ」と断じる。

 自分の意思で行うことや自分の権利を行使する場合にも「させていただきます」を使う人は卑下して見せて、ささいなミスは見逃してもらえるようにと責任回避のための保険として使っている可能性もある。「させていただきます」が蔓延する社会は、皆が互いに媚びあっている社会なのかもしれない。

2024年5月15日水曜日

移民と経済成長

 米バイデン大統領がアジア系米国人らを招いた資金集めのイベントで、米国の「経済が成長している理由の1つは、移民を受け入れているからだ」とし、「なぜ中国の経済がひどく失速しているのか。なぜ日本は問題を抱えているのか。なぜロシアもインドもそうなのか。それは彼らが外国人嫌いで移民を望んでいないからだ」と述べたという。

 この発言は米国への移民を歓迎しているような印象を与えるが、現実の米国はメキシコ側から殺到する移民の対応に苦慮している。取り締まりを強化し、国境沿いに壁を作ったりしているが米国を目指す移民の波は続いている。殺到する移民を持て余したテキサス州などは移民に寛容なニューヨーク州などに移民をバスで送り込むなど移民受け入れをめぐって米国内で賛否の対立さえ起きている。

 バイデン氏の父方の先祖はイングランド系で、母方の先祖はアイルランドからの移民だというからバイデン氏も移民の子孫だ。だから移民を称賛するのかと早合点したくなるが、おそらく、移民の活力で米国経済は成長しているとアジア系米国人の歓心を買おうとしたリップサービスが脱線してしまったものか。ちなみにトランプ氏は父方の先祖がドイツからの移民、母親はスコットランド出身だという。

 米国の総人口3億3144万人(2020年時点)を人種別に見ると、白人が57.8%で最も多く、ヒスパニックまたはラテン系が18.7%、黒人またはアフリカ系が12.1%、アジア系が6.1%(ほかにアメリカインディアン・アラスカ原住民、混血=複数の人種など)。白人の割合は2010年には63.7%だったので10年間で6割を割り込むまでに低下した。ヒスパニックまたはラテン系は2010年には16.3%だったが2割以上も増加した。黒人の割合はほぼ横ばい、アジア系は2010年に2.8%だったから2倍以上に増えた。

 少し古いデータだが米国の総人口を出身民族別に見ると(2000年)、ドイツ15.2%、アイルランド10.8%、アフリカ系8.8%、イギリス8.7%、メキシコ6.5%、イタリア5.6%、ポーランド3.0%、フランス2.8%などとなり、白人が多いので欧州諸国が多い。ちなみに中国0.8%、フィリピン0.8%、韓国0.4%%、日本0.4%、ベトナム0.4%などとアジア系の存在感はまだ少ない。

 米国の先住民はアメリカインディアン・アラスカ原住民・ハワイ原住民など各地にいるが少数派となり、米国は移民が形成した国家で様々な出自の移民が時には摩擦を起こしながらも共存する社会となった。最近はメキシコ経由で米国へ入国しようとする中国人が増えているという。約14億人の人口を有する中国には、独裁政治の圧政を嫌って移民を決意した優秀な人材も多いだろうから、経済成長に寄与すると米国が歓迎するかというと、そうでもないようだ。

 受け入れた移民が増えると経済が成長するという相関関係は証明されていない。バイデン氏が例に挙げた中国、日本、ロシア、インドの経済停滞には、移民云々よりも個別の事情の影響が大きいだろう。移民が殺到し、受け入れ続けている欧州諸国も経済が順調に成長しているとは見えない。おそらく移民により形成された国家で伝統によるしがらみが薄い米国だから、様々な移民が競い合って活力をもたらし、経済成長につながっていると解釈したほうがいいだろう。つまり、移民で成長した米国は例外的な国家なのだ。

2024年5月11日土曜日

エバンジェリカル

 今年の選挙で勝利し、大統領に返り咲く可能性があるとされる共和党のトランプ氏は保守層に支持されているとされ、中でも影響力が強いとされるのがキリスト教プロテスタントの福音派(エバンジェリカル=Evangelical)だ。2017年に当時のトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と公式に認め、米国大使館を移したのはエバンジェリカル向けのアピールだったという。

 報道によると、エバンジェリカルは聖書には神の言葉が書かれていると信じる人々で、米国では人口の約25%(うち白人が8割)を占め、共和党支持が多く、政界に大きな影響力を有する。聖書に書いてあることが判断基準になるので、▽進化論を否定▽人工妊娠中絶や同性婚の禁止▽キリスト再臨と世界の終末を信じるーなどの主張を続けている。

 聖書に書かれていることを信じるので、神はアブラハムと子孫に土地を与えると約束していると信じ、「神はイスラエルをユダヤ人に与えた」とイスラエルを擁護・支援する姿勢が強く、神から祝福されるためにはユダヤ人を祝福し、イスラエルを支持すべきだとする。さらに、イスラエルが関わる戦争は「最後の審判」につながる戦争であり、キリストの再臨につながると解釈する人々もあるという。

 熱心なイスラム教徒がコーランには神の言葉が書かれていると信じるのと同様、エバンジェリカルは聖書に神の言葉が書かれていると信じる。何を信じようとそれは個人の自由だが、問題は、現実世界を彼らが信じる聖典に書かれている言葉に沿うように解釈し、作り替えようとすることだ。イスラエルを支持することが神の意思に沿うことだと信じる米国のエバンジェリカルの圧力で米国政府は中東における調停者の役割を放棄した。

 聖書には神が人間(アダムとイブ)を創造したと書かれており、聖書に書かれていることが真実だと信じるエバンジェリカルは進化論を否定する。生命の進化を探求し、知見を積み上げてきた科学の否定であるのだが、エバンジェリカルが問題にするのは「事実」でも「合理性」でもなく、宗教的「正しさ」である。その宗教的「正しさ」は信じるという行為によって支えられる。

 SNSによる情報発信を世界中で個人が行うことができるようになり、事実に反する情報や偏った情報、世論工作のための歪められた情報などが大量に流れる状況となった。そうした情報はフェイクとされるが、エバンジェリカルのように、信じることによる価値判断が優先する人々にとってフェイクとは、彼らの信条に反する情報や言説のことだろう。

 問題は、キリスト教の神が信者の心の中にだけ存在して現実世界に不在であるように見える中で、エバンジェリカルの思考や行為の「正しさ」は彼らの信仰心によってのみ担保され、客観性が不在であることだ。知性や理性ではなく、信じることによって支えられる宗教的な「正しさ」を振り回す人々と、どのような対話が成立するのか不明だ。対話や妥協が成立しなければ暴力に解決を委ねるしかない状況に落ち込むことは現在のイスラエルとパレスチナが示している。

2024年5月8日水曜日

さくらを詠む

 釧路地方気象台が5月3日にエゾヤマザクラの開花を宣言した。1月5日に沖縄県宮古島でヒカンザクラの開花が観測され、3月29日の東京など3月下旬から全国各地でソメイヨシノの開花宣言が相次ぎ、桜前線は北上、4カ月かけて日本列島を縦断、釧路が気象庁の全国58観測地点の最後の開花宣言だった。

 桜の開花宣言を全国各地で人々は待ち望んでいるようで、テレビのニュース番組などで大きく取り上げられる。開花宣言から満開宣言まで毎年の重要な季節ネタとして定着し、開花した桜を見に訪れた人々や桜の木の下で飲食を楽しむ人々の様子などは毎年必ず報じられる。

 桜を愛でる風習の歴史は長い。多くの歌人が桜を題材にしたり、桜に伴う風情や感慨などを詠んできた。例えば、「百人一首」を見ると次のような和歌がある。

 久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(紀友則)

 いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢大輔)

 諸共に哀れと思へ山桜花より外に知る人もなし(大僧正行尊)

 高砂の尾上の桜さきにけり山の霞たたずもあらなん(前中納言匡房)

 花さそふあらしの庭の雪ならでふり行くものは我身なりけり(入道前太政大臣)


 平安時代にも開花を待ち望んで人々はソワソワしていたのか、伊勢物語の桜を詠んだ2首が知られている。

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)

 散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき

 小野小町の次の歌も知られている。

 花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

 平安末期の武将の源頼政は朝廷警固に当たっているとき、ヌエを退治したとの伝説があるが、歌人としても知られ、山桜を詠んだ歌が知られている。

 深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

 旅と歌に生きたという西行法師は桜の歌を多く詠んだというが、最も知られているのは次の歌だろう。

 願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃


  鎌倉時代の源実朝も桜を詠んでいる(金槐和歌集から)。

 桜花さける山路や遠からむ過ぎがてにのみ春の暮れぬる

 み吉野の山したかげの桜花咲きてたてると風に知らすな

 桜花咲き散る見れば山里にわれぞおほくの春は経にける

 木のもとにやどりはすべし桜花ちらまくをしみ旅ならなくに

 さくら花さくと見しまに散りにけり夢かうつつか春の山風

 行く水に風のふきいるる桜花流れて消えぬ泡かとぞ見る

 空蝉の世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで


  桜を詠んだ歌はないともいう石川啄木だが、花を詠んだ歌はある。

 花咲かば楽しからむと思ひしに楽しくもなし花は咲けども

 花散れば先づ人さきに白の服着て家出づる我にてありしか

 花びらや地にゆくまでの瞬きに閉ぢずもがもか吾霊の窓

2024年5月4日土曜日

カスハラが問題化

 カスハラ(カスタマー・ハラスメント)が社会問題としてマスメディアに取り上げられることが増え、JR東日本は乗客によるカスハラが行われた場合、客への対応を「いたしません」と対応方針を公表した。社員への身体的・精神的な攻撃や土下座の要求、社員の個人情報のSNS投稿などの行為には対応しないとし、社員を「守ることも、継続的に安全で質の高いサービスを提供していくために不可欠」と説明した。

 UAゼンセンが行った調査では、過去2年以内にカスハラ被害に遭った人は46.8%で、カスハラの実態は「暴言」39.8%、「威嚇・脅迫」14.7%、「何回も同じ内容を繰り返すクレーム」13.8%、「長時間拘束」11.1%など。カスハラのきっかけは「客の不満のはけ口や嫌がらせ」26.7%、「接客やサービス提供のミス」19.3%、「消費者の勘違い」15.1%など。

 セクシュアル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを行った人物に対する批判や糾弾が行われることはフツーとなり、そうした言動を暴かれた高位にある人物や著名人が謝罪に追い込まれることも珍しくなくなった。そして、店舗や企業に対する客の言動にハラスメントに該当するものがあり、カスハラだとの認識が広がっている。「お客様は神様」だとの幻影は消えつつあるようだ。

 ハラスメントとは「嫌がらせ、いじめ、苦しめることなどの迷惑行為」で、優越的な立場にある人物による周囲の人物に対する不適当な言動が該当する。対等な立場にある人物間では、不適当な言動はハラスメントではなく単なる喧嘩や諍いだ。カスハラは客が自分の立場を優位にあると信じ、それに相応した扱いを受けることができない時に感情的な言動を行ってしまうことで生じる現象だ。

 一方、ハラスメントを受けたと判断するのは人間であり、客が冷静に商品やサービスに対する苦情や不満を言ったつもりでも、つい声が大きくなったりすると、言われた店員や社員が「ハラスメント攻撃を受けている」と感じることもあるだろう。言葉だけのハラスメントの判断は個人が行うことであり、状況などによって判断が揺れ動いたりし、「これはハラスメントだ」「いや、苦情を言っているだけだ」などと水掛け論になったりする。

 感情的になりやすい人や粗暴な言動が身についた人に対応した店員や社員が、被害者意識に敏感だったりすると、すぐにカスハラ騒動に発展するだろう。カスハラは否定されるべきものとの認識が広がると、「お客様の言うことは尊重し、逆らってはいけない」などという接客マナーは捨てられ、客も店員も社員も対等な人間であるとの意識が広がっていくかもしれない。さらに、地位や立場に関係なく誰もが対等な人間であるとの意識の広がりに繋がっていくなら、風通しのいい日本社会への変化に寄与するかな。

 ※法改正により、職場におけるパワーハラスメント防止のために必要な措置を講じることが雇用主の義務となり、また、顧客等からの暴行、脅迫、暴言、不当な要求などの著しい迷惑行為(カスタマー・ハラスメント)に関し、事業主は適切に対応する体制整備や被害防止の取り組みなどが求められていたこともあってカスハラ対策を強化することが急務となった。

 厚労省は、顧客等からのクレーム・苦情は「商品・サービスや接客態度・システム等に対して不平・不満を訴えるもので、それ自体が問題とはいえず、業務改善や新たな商品・サービス開発につながる」ものだが、「過剰な要求を行ったり、商品やサービスに不当な言いがかりをつけるもの」は従業員に「過度に精神的ストレスを感じさせると共に、通常の業務に支障が出るケースも見られ」、企業は「不当・悪質なクレームに対して従業員を守る対応が求められる」として、カスハラ対策の企業マニュアルを2022年に公開した。

2024年5月1日水曜日

主人公の暴力

 アクション映画では主人公が容赦なくバッタバッタと「敵」を倒すシーンが最高の見せ場となり、主人公が「敵」を殺しまくることも珍しくない。降参した相手に情けをかけて許してやろうとした主人公が、隙をついた相手に突如反撃され、危機一髪のところで相手を倒してトドメを刺すという設定もよくある。

 日本映画では時代劇や任侠映画で主人公が群がる「敵」を次々に倒すシーンが最高の見せ場となり、非道な行いを重ねる「敵」に我慢に我慢を重ねた主人公の怒りがついに爆発し、主人公の圧倒的な強さが解禁されて「敵」をなぎ倒す。その主人公がヒーローとして留まることはなく、さすらい者として何処かに去っていくとの設定も多い。

 米国映画などでは、人々を襲う悪の集団とか地球を侵略する異星人とか「敵」は絶対悪として最初から設定され、そうした絶対悪を倒すのは無条件の正義と肯定され、「敵」に対する主人公の実力行使(=暴力)がクライマックスの見せ場となる。絶対悪の「敵」の非道さに主人公が我慢を重ねるのではなく、闘いながら何度も窮地に追い込まれ、何とか脱出して闘い続けるというストーリーが多い。

 時代劇や任侠映画では主人公に敵対する相手を極悪非道の人物であると描くことがストーリー展開の主軸となるが、米国のアクション映画やSF映画などでは主人公が絶対悪の相手と闘い続けることが主軸となり、人間であっても絶対悪の人物像はモンスター的人物だとの描写になり、観客は絶対悪の登場人物に感情移入せず、絶対悪の相手が主人公に倒されても喝采するだけだ。

 観客が映画の主人公の暴力に共感し、主人公の暴力を肯定するのは、「敵」に対する主人公の容赦ない実力行使=暴力を喜ぶようにストーリー展開で誘導されるからだ。加えて、観客は主人公の実力行使=暴力が存分に発揮されるクライマックスシーンを想定して観に来ており、主人公が容赦なく「敵」を倒すことを期待している。その期待が満たされて観客は喜ぶ。

 「悪を憎んで人を憎まず」という言葉があり、昔のTVドラマ「月光仮面」では主人公は悪人の「敵」を懲らしめるだけで殺すことはなかったという。原作者の川内康範氏の「憎むな、殺すな、赦しましょう」という言葉は函館市にある月光仮面の像の台座に刻まれている。悪人だからと問答無用で殺してもいいという発想が映画ではフツーになった現在、「憎むな、殺すな、赦しましょう」の精神は忘れられている。

 主人公に敵対する相手を好敵手(ライバル)として描くことは現在でもアニメなどではフツーだ(悪人だから殺してもいいとは子供に見せられないか)。好敵手ならば共存は可能だが、絶対悪の相手とは共存は難しく、妥協の余地はないだろうから、映画では主人公が「敵」を容赦なく倒す。娯楽として観客は一時の高揚感を得ることができて楽しむのだろうが、絶対悪と相手を設定した途端に相手を殺すことが許容される。それが観客の現実に対する世界観に影響を与えているのでなければいいが。