車が暴走して歩道に乗り上げ、歩行者を死傷させるという出来事は珍しくはない。原因は様々で、危険ドラッグなど禁止薬物の摂取や飲酒、突然の病などで運転手が正常の意識を失い、車をコントロールできなくなって暴走し、歩行者を死傷させるという事件は日本でもたびたび報道される。
中には、暴走の原因はアクセルとブレーキの踏み間違いだったなどと判明すると、歩行者の死傷という結果を悼みつつ、ありふれた事故として片付けられたりする。運転する人間が正常な意識を保っていたとしても運転ミスはあり、車の暴走はいつでも起き得る。暴走する車に対して歩行者は無力で、逃げるしかない。
一方で、運転する人が意図的に、歩道などに突入して歩行者を死傷させるという事件も起きている。日本では2008年に東京・秋葉原で、信号を無視したトラックが歩行者を次々にはね、その後に運転者がナイフで無差別に人を刺して多数を死傷させた事件が起きた。犯行予告メッセージを発するなど正常な意識を保ちつつも歪んだ動機を抱えた人間による凶行だった。
そして、歪んだ動機が何かによって正当化されると、人はしばしば暴走を始める。正当化する何かには事欠かないのが現在の世界であり、その何かがテロリズムを容認していることもあり、さらには「単独でも決起せよ」などのメッセージに鼓舞されると、孤独なテロリストの誕生だ。爆薬や銃がないなら、車が武器になる。
都会という人口密集地で、車は無差別殺人のための有効な武器になることが、英ロンドンの事件により強く意識されるようになった。欧米では銃や爆発物を使ったテロが相次いできたが、今回のロンドン、昨年の仏ニース、独ベルリンと車で人々を轢き殺す事件が続いた。仏独では大型トラックが使用されたが、英ではSUVが使われて歩道を暴走した。
銃や爆発物を使ったテロを個人で実行するのは簡単ではない。銃や爆弾を入手し、狙う目標や場所を事前に選定する必要があろうから、入念な準備が必要となる。車やナイフを使った無差別テロなら、秋葉原での事件が示しているように個人でも実行可能だ。その気があれば誰にでも、いつでもどこでも実行可能なテロである。
暴走する車の運転手が全てテロリストだと決めつけることができないのも状況を複雑にしている。病で意識を失った運転者や運転ミスなどによっても車の暴走は起きるのだから、テロか事故かとっさに見極めし難いだろう。中東などでは自爆テロが常態化し、大量の車が存在する先進国ではローンウルフによる秋葉原型の無差別テロが常態化するという悪夢に人は、暴走する車に対してと同様に無力だ。
2017年3月29日水曜日
2017年3月25日土曜日
開かれたナショナリズム
移民・難民が欧州に殺到していることもあって欧州各国で右派ポピュリスト政党が勢力を拡大している。その主張は、移民排斥を訴えることで共通し、人々の中にあるイスラムへの恐怖や嫌悪などに支えられているように見える。移民・難民の受け入れを容認するEUや指導層(エリート)への反発・糾弾もあり、それらが、それぞれの国家の権限回復を主張し、EUへの反対という主張になる。
日本では、右派は戦前を肯定する復古主義者を指すことが多く、保守主義は右寄りではあるものの右派の数歩手前との位置づけなので、欧州の右派を日本でいう右派と同類視はできまいが、先に定住していた人々・民族などの利益を第一とし、それで移民・難民ら新来の外国人に対する忌避感を正当化したり、国家主義で自分らの優越性を支えたりするなどの共通点はある。
人々が流動してきた歴史を持つ欧州は移民・難民の受け入れに寛容だが、受け入れ方は各国で異なる。出自に関わらず市民としての社会参加を基礎とするフランス流と、民族別などの分散を容認して社会包摂を目指す英国流に大別されるが、どちらの社会も大規模なテロリズムに見舞われた。テロ事件がナショナリズムを刺激している。
移民を受け入れた多民族国家におけるナショナリズムは多面的にならざるを得ない。米国を例にすると、白人主体の国家をよしとするナショナリズムもあれば、多人種・多民族が共生する国家をよしとするナショナリズムもある。前者は、白人以外の更なる移民受け入れに消極的になろうし、後者は移民受け入れを当然とするだろう。
前者は「閉ざされたナショナリズム」であり、後者は「開かれたナショナリズム」といえよう。右派のナショナリズムが「閉ざされた」ものであり、リベラルのナショナリズムが「開かれた」ものであるとは、一概には言えない。どちらにも情緒的側面があり、その情緒は好都合な理論により正当化される。ただ、議会制による国家の存在を肯定することでは共通する。
ナショナリズムが「閉ざされる」か「開かれる」かは、国家の主権者の範囲を限定的にするか開放するか、政治姿勢の違いである。欧州の右派政党は、先住の白人が国家の主権者だとするが、多人種・多民族が主権者に加わるのが現在の欧州で、英ロンドン市長にイスラム教徒が選出されたりして政治は変わっていくだろう。「開かれた」ナショナリズムは変化を促進する。
様々なナショナリズムは、何らかの自分らが属する集団を想定し、その集団が国家を担うべきとする。主権者である特定の集団が国家を担うべきとするので、政党に機能的には似ており、ナショナリズムを掲げる政党が欧州で出現するのは、欧州では議会制が個人に支持されていることの証しでもあろう。日本で、ナショナリズム運動が政党として議会を目指さないのは、ナショナリズムが議会を軽視してきた歴史を反映している。
日本では、右派は戦前を肯定する復古主義者を指すことが多く、保守主義は右寄りではあるものの右派の数歩手前との位置づけなので、欧州の右派を日本でいう右派と同類視はできまいが、先に定住していた人々・民族などの利益を第一とし、それで移民・難民ら新来の外国人に対する忌避感を正当化したり、国家主義で自分らの優越性を支えたりするなどの共通点はある。
人々が流動してきた歴史を持つ欧州は移民・難民の受け入れに寛容だが、受け入れ方は各国で異なる。出自に関わらず市民としての社会参加を基礎とするフランス流と、民族別などの分散を容認して社会包摂を目指す英国流に大別されるが、どちらの社会も大規模なテロリズムに見舞われた。テロ事件がナショナリズムを刺激している。
移民を受け入れた多民族国家におけるナショナリズムは多面的にならざるを得ない。米国を例にすると、白人主体の国家をよしとするナショナリズムもあれば、多人種・多民族が共生する国家をよしとするナショナリズムもある。前者は、白人以外の更なる移民受け入れに消極的になろうし、後者は移民受け入れを当然とするだろう。
前者は「閉ざされたナショナリズム」であり、後者は「開かれたナショナリズム」といえよう。右派のナショナリズムが「閉ざされた」ものであり、リベラルのナショナリズムが「開かれた」ものであるとは、一概には言えない。どちらにも情緒的側面があり、その情緒は好都合な理論により正当化される。ただ、議会制による国家の存在を肯定することでは共通する。
ナショナリズムが「閉ざされる」か「開かれる」かは、国家の主権者の範囲を限定的にするか開放するか、政治姿勢の違いである。欧州の右派政党は、先住の白人が国家の主権者だとするが、多人種・多民族が主権者に加わるのが現在の欧州で、英ロンドン市長にイスラム教徒が選出されたりして政治は変わっていくだろう。「開かれた」ナショナリズムは変化を促進する。
様々なナショナリズムは、何らかの自分らが属する集団を想定し、その集団が国家を担うべきとする。主権者である特定の集団が国家を担うべきとするので、政党に機能的には似ており、ナショナリズムを掲げる政党が欧州で出現するのは、欧州では議会制が個人に支持されていることの証しでもあろう。日本で、ナショナリズム運動が政党として議会を目指さないのは、ナショナリズムが議会を軽視してきた歴史を反映している。
2017年3月22日水曜日
韓国の民主主義
韓国の国会が弾劾訴追した朴槿恵大統領に対して、憲法裁判所の裁判官8人全員が弾劾を妥当だと判断し、朴氏は罷免された。裁判官は「大統領の違憲・違法行為は国民の信任に反し、許し難い重大な行為だ」と厳しい。朴氏は不訴追特権を失うことになったので検察の捜査の対象になり、刑事罰に問われる可能性も出てきた。
次期大統領選の投票日は5月9日に決まったが、大統領代行を務める黄教安首相は不出馬を表明した。保守系の有力候補がいなくなったため、左派系の野党候補から次の大統領が誕生する可能性が高い。朴大統領を弾劾に追いこんだ世論の高まりを前に、保守系が闘わずして不戦敗に甘んじるしかない社会の状況かと見える。
多くの人々が街頭に出て抗議活動を続け、流血を伴わずに権力者の退場に追い込んだのだから「韓国の民主主義の素晴しい成果だ」と韓国内などでは称讃の声が多いという。街頭行動というと最近では「アラブの春」があったが、リビアは事実上の分裂状態、エジプトでは強権政治が復活し、シリアは内戦状態になるなど混迷しており、それに比べれば韓国の“成果”が輝いて見えるのかもしれない。
だが、民主的な選挙が行われていない国と、民主的な選挙が行われている国とでは、街頭行動の性格は異なる。どちらも人々の直接的な意思表示であるが、前者は、圧政に抗して立ち上がった人々が権力者の退陣を求めるというイメージだ。後者は、個別の問題について人々が賛否を主張するというイメージ。
民主的な選挙が行われている韓国で、権力者の退陣を人々が街頭行動で求めたのは、韓国流の民主主義の限界を示している。限界とは、人々が直接民主主義を指向し、議会など間接民主主義への信任が弱いことだ。それは、議会が機能していないことの反映であろうが、街頭などでの直接行動に対する圧倒的賛美が人々の意識の根底にあると見え、議会が軽視されるという堂々巡りにもなる。
韓国の現状は、民主主義の成熟の結果なのか、それとも民主主義の未熟さを示すものなのか。自由な選挙が実施されているのだから、制度としての民主主義が韓国に存在しているのは確かだが、揺れ動く民意は、間接民主主義の歩みの緩慢さに我慢できず時に爆発する。北朝鮮に融和的だという左派勢力が民意を煽っているともいい、政治の座標軸も民意につれて揺れ動く。
揺れ動き、時には爆発することを正しいとする民意を抑え込むことは不可能だろうから韓国は、民意を的確に反映させる民主主義の制度を新たに構築するしかないだろう。それは、住民投票を大幅に取り入れる直接民主主義を拡充し、民意が揺れ動くたびに、街頭行動による圧力ではなく住民投票で決着をつけることだ。
予想されることは、住民投票の結果で政治の方向性が変わったり外交方針が変わったりして、韓国の政治がより不安定化し、諸国との安定した外交も損なわれることだ。内政は混乱し、諸国からまともに相手にされなくなる可能性があるが、民意を政治に反映させた結果なのだから韓国民が責任を負うしかない。そうした結果責任を韓国民が直視することは、韓国の民主主義が前に進むために必要なステップだろう。
次期大統領選の投票日は5月9日に決まったが、大統領代行を務める黄教安首相は不出馬を表明した。保守系の有力候補がいなくなったため、左派系の野党候補から次の大統領が誕生する可能性が高い。朴大統領を弾劾に追いこんだ世論の高まりを前に、保守系が闘わずして不戦敗に甘んじるしかない社会の状況かと見える。
多くの人々が街頭に出て抗議活動を続け、流血を伴わずに権力者の退場に追い込んだのだから「韓国の民主主義の素晴しい成果だ」と韓国内などでは称讃の声が多いという。街頭行動というと最近では「アラブの春」があったが、リビアは事実上の分裂状態、エジプトでは強権政治が復活し、シリアは内戦状態になるなど混迷しており、それに比べれば韓国の“成果”が輝いて見えるのかもしれない。
だが、民主的な選挙が行われていない国と、民主的な選挙が行われている国とでは、街頭行動の性格は異なる。どちらも人々の直接的な意思表示であるが、前者は、圧政に抗して立ち上がった人々が権力者の退陣を求めるというイメージだ。後者は、個別の問題について人々が賛否を主張するというイメージ。
民主的な選挙が行われている韓国で、権力者の退陣を人々が街頭行動で求めたのは、韓国流の民主主義の限界を示している。限界とは、人々が直接民主主義を指向し、議会など間接民主主義への信任が弱いことだ。それは、議会が機能していないことの反映であろうが、街頭などでの直接行動に対する圧倒的賛美が人々の意識の根底にあると見え、議会が軽視されるという堂々巡りにもなる。
韓国の現状は、民主主義の成熟の結果なのか、それとも民主主義の未熟さを示すものなのか。自由な選挙が実施されているのだから、制度としての民主主義が韓国に存在しているのは確かだが、揺れ動く民意は、間接民主主義の歩みの緩慢さに我慢できず時に爆発する。北朝鮮に融和的だという左派勢力が民意を煽っているともいい、政治の座標軸も民意につれて揺れ動く。
揺れ動き、時には爆発することを正しいとする民意を抑え込むことは不可能だろうから韓国は、民意を的確に反映させる民主主義の制度を新たに構築するしかないだろう。それは、住民投票を大幅に取り入れる直接民主主義を拡充し、民意が揺れ動くたびに、街頭行動による圧力ではなく住民投票で決着をつけることだ。
予想されることは、住民投票の結果で政治の方向性が変わったり外交方針が変わったりして、韓国の政治がより不安定化し、諸国との安定した外交も損なわれることだ。内政は混乱し、諸国からまともに相手にされなくなる可能性があるが、民意を政治に反映させた結果なのだから韓国民が責任を負うしかない。そうした結果責任を韓国民が直視することは、韓国の民主主義が前に進むために必要なステップだろう。
2017年3月18日土曜日
文化から文明へ
日本語を話すことができる外国人が珍しがられた時代がかつてあり、外国人が日本語を話したなら驚かれたり、片言であっても「お上手ですね」と誉められたりした。最近では、日本語を話す外国人は珍しくはなく、テレビのバラエティー番組などで軽妙な受け答えをする外国人タレントを見かけることは日常的になった。
日本語は外国人には習得が難しい言葉だと日本人の多くが思っているから、日本語を話す外国人を特別視したのかもしれない。それは、日本人の多くが外国語の習得が苦手であることの反映で、英語をなかなか話すことができるようにならない日本人が、難しい日本語を話すことができるようになった外国人に接して、驚いたり、誉めるという反応として現れたのだろう。
「日本語の壁」はなお高く、日本語が世界に広がっているとはいえまいが、スシやラーメンなどの日本食やアニメ、漫画など日本発の文化を愛好する人々は世界で増えているようだ。外国で“愛されている”日本の食、製品などを紹介するテレビ番組も各局にあって、日本の文化が世界で受け入れられていることを日本人は嬉しく思っている様子だ。
日本語は外国人には習得が難しいという先入観と同様に、日本の文化は独特だから外国人には理解が難しいとの見方もあった。だから、ハードルが高い日本の文化を理解できた外国人には、「大変な努力をした」のだと賞賛したのかもしれない。だが、食やアニメ、漫画などを楽しむために超えるべき「壁」は低く、外国人にもファンを広げた。
多くの外国人観光客が訪れるフランスでは、フランス語を外国人が話しても、驚くこともなく、「お上手ですね」などと誉めることもなく、美術や食などフランスの文化を外国人が理解し、好んでも、それを特別視することはなく、むしろ、それを当然だとするという。フランスの文化(文明)は普遍的なものだから、外国人でも受け入れ、好むのは当然だということかもしれない。
国境や民族などに関係なく共有される文化を文明とすると、現在は、日本文化が文明へと本格移行しつつある状況といえる。食やアニメ、漫画などから日本の文化への関心・共感が世界で広がり、共有されるようになって、普遍的な文明の一つと認識されつつある。浮世絵など日本文化は既に文明化していたのだが、もっと広範で新しい日本の文化が世界で共有されつつある。
だが日本人の多くは、日本の文化は日本独自のものであり、日本人の所有物ででもあるかのような感覚を捨てきれず、世界で日本発の文化が“愛される”ことを無邪気に喜ぶ。文明となって世界で共有されるということは、日本や日本人の独自性よりも普遍性のほうに価値がおかれて評価されるということである。日本の文化が文明になりつつあることの意味を、日本人の多くが自覚していないように見えるのは興味深い現象かもしれない。
日本語は外国人には習得が難しい言葉だと日本人の多くが思っているから、日本語を話す外国人を特別視したのかもしれない。それは、日本人の多くが外国語の習得が苦手であることの反映で、英語をなかなか話すことができるようにならない日本人が、難しい日本語を話すことができるようになった外国人に接して、驚いたり、誉めるという反応として現れたのだろう。
「日本語の壁」はなお高く、日本語が世界に広がっているとはいえまいが、スシやラーメンなどの日本食やアニメ、漫画など日本発の文化を愛好する人々は世界で増えているようだ。外国で“愛されている”日本の食、製品などを紹介するテレビ番組も各局にあって、日本の文化が世界で受け入れられていることを日本人は嬉しく思っている様子だ。
日本語は外国人には習得が難しいという先入観と同様に、日本の文化は独特だから外国人には理解が難しいとの見方もあった。だから、ハードルが高い日本の文化を理解できた外国人には、「大変な努力をした」のだと賞賛したのかもしれない。だが、食やアニメ、漫画などを楽しむために超えるべき「壁」は低く、外国人にもファンを広げた。
多くの外国人観光客が訪れるフランスでは、フランス語を外国人が話しても、驚くこともなく、「お上手ですね」などと誉めることもなく、美術や食などフランスの文化を外国人が理解し、好んでも、それを特別視することはなく、むしろ、それを当然だとするという。フランスの文化(文明)は普遍的なものだから、外国人でも受け入れ、好むのは当然だということかもしれない。
国境や民族などに関係なく共有される文化を文明とすると、現在は、日本文化が文明へと本格移行しつつある状況といえる。食やアニメ、漫画などから日本の文化への関心・共感が世界で広がり、共有されるようになって、普遍的な文明の一つと認識されつつある。浮世絵など日本文化は既に文明化していたのだが、もっと広範で新しい日本の文化が世界で共有されつつある。
だが日本人の多くは、日本の文化は日本独自のものであり、日本人の所有物ででもあるかのような感覚を捨てきれず、世界で日本発の文化が“愛される”ことを無邪気に喜ぶ。文明となって世界で共有されるということは、日本や日本人の独自性よりも普遍性のほうに価値がおかれて評価されるということである。日本の文化が文明になりつつあることの意味を、日本人の多くが自覚していないように見えるのは興味深い現象かもしれない。
2017年3月15日水曜日
移民・難民の政治活動
ロッテルダムで開催されるトルコ系住民の集会に参加しようとしたトルコ外相がオランダ政府に入国を拒否され、トルコが怒りを爆発させた。報道によると、トルコのエルドアン大統領はオランダを「臆病で卑劣」な「ナチス残党のファシスト」と罵倒し、イスタンブールでは市民がオランダ総領事館に乱入してオランダ国旗を引きずり降ろした。
オランダ政府は、トルコの政治活動に協力するつもりはないとし、「公共の秩序と安全を確保するための指示には従うつもりがない」と集会も認めなかった。オランダでは総選挙で反移民を掲げる極右政党「自由党」が躍進すると見られており、トルコ系住民のおおっぴらな政治的な行動は国内政局にも影響を与える可能性があった。
トルコは4月に憲法改正を巡る国民投票を予定しているが、国内での賛否が拮抗しているそうで、政権側は改憲への賛成票を増やすために、欧州に多く暮らしているトルコ系住民に在外投票を促していた。欧州各地で集会は開催されていたが、スイス、オーストリアなどで中止になったりもしている。
エルドアン大統領はドイツ各地で予定していた集会が地元当局に拒否された時にも、「ナチス時代と変わらない行為」「ドイツには民主主義がない」などと批判し、独メルケル首相は「ナチズムとの比較はやめるべきだ」と反論していた(独では集会の一部は領事館内で開催されたという)。
オランダ入国を拒否されたトルコ外相はフランス北東部で開催されたトルコ系住民の集会に出席し、「オランダはファシズムの拠点になった」などと演説したそうだ。強権をふるって反対者を容赦なく排除するエルドアン体制の側が、欧州の政治をファシズムと批判しているのは奇妙な光景であるが、相手を罵倒することに遠慮がなくなっているのは世界的な政治の傾向か。
一連の出来事には様々な要素が絡み合っているが、興味深いのは、政治集会に他国から閣僚が参加することの是非だ。移民・難民も個人としての政治的権利を有しているから、移住先の国で政治的集会を開催しても構わないだろうが、そこに他国から閣僚が参加して政治的な主張を行うことは、他国の公権力の行使にも見える。
国家権力の行使は国境内に限られるというのが一般的な理解だろうが、国境を希薄化させたEUだからとトルコは、準加盟国のつもりで欧州各国でのトルコ系住民の集会に閣僚を派遣したのかもしれない。だが、欧州各国はトルコを部外者としか見ていなかったようだ。
オランダ政府は、トルコの政治活動に協力するつもりはないとし、「公共の秩序と安全を確保するための指示には従うつもりがない」と集会も認めなかった。オランダでは総選挙で反移民を掲げる極右政党「自由党」が躍進すると見られており、トルコ系住民のおおっぴらな政治的な行動は国内政局にも影響を与える可能性があった。
トルコは4月に憲法改正を巡る国民投票を予定しているが、国内での賛否が拮抗しているそうで、政権側は改憲への賛成票を増やすために、欧州に多く暮らしているトルコ系住民に在外投票を促していた。欧州各地で集会は開催されていたが、スイス、オーストリアなどで中止になったりもしている。
エルドアン大統領はドイツ各地で予定していた集会が地元当局に拒否された時にも、「ナチス時代と変わらない行為」「ドイツには民主主義がない」などと批判し、独メルケル首相は「ナチズムとの比較はやめるべきだ」と反論していた(独では集会の一部は領事館内で開催されたという)。
オランダ入国を拒否されたトルコ外相はフランス北東部で開催されたトルコ系住民の集会に出席し、「オランダはファシズムの拠点になった」などと演説したそうだ。強権をふるって反対者を容赦なく排除するエルドアン体制の側が、欧州の政治をファシズムと批判しているのは奇妙な光景であるが、相手を罵倒することに遠慮がなくなっているのは世界的な政治の傾向か。
一連の出来事には様々な要素が絡み合っているが、興味深いのは、政治集会に他国から閣僚が参加することの是非だ。移民・難民も個人としての政治的権利を有しているから、移住先の国で政治的集会を開催しても構わないだろうが、そこに他国から閣僚が参加して政治的な主張を行うことは、他国の公権力の行使にも見える。
国家権力の行使は国境内に限られるというのが一般的な理解だろうが、国境を希薄化させたEUだからとトルコは、準加盟国のつもりで欧州各国でのトルコ系住民の集会に閣僚を派遣したのかもしれない。だが、欧州各国はトルコを部外者としか見ていなかったようだ。
2017年3月11日土曜日
形式的な議会にも役割
共産党が1党独裁体制を続ける中国にも議会があり、全国から三千人近い代表を集めて年1回開催される。それが全国人民代表大会(全人代)で、唯一の立法機関(1院制)であり国家権力の最高機関とされるが、予算案や法案を承認するだけで否決することはしない。代表も人民の直接選挙で選んでいない。
今年の全人代の政府活動報告では、①2017年のGDP成長率の目標を6.5%前後とし、成長鈍化を容認、②習近平総書記が中国共産党中央の「核心」だと強調、③過剰生産能力の解消を続ける、④環境汚染対策の強化、⑤領海・国境防衛などの管理強化、⑥香港・台湾の「独立」否定、⑥農村の貧困人口の減少などが掲げられた。
報道によると、政府活動報告で大きな拍手が起きたのが、「携帯電話料金とデータ通信料のうち、長距離の上乗せ料金を年内に廃止する」とした時だった。ほかにも、都市部の新規就業者数は1100万人以上とし、農村部から1300万人以上を都市部へ転籍・定住させ、小規模企業の所得税優遇措置の適用枠を拡大するなど、生活の向上をアピールする施策を打ち出した。
この程度でも、今年は人民の生活への配慮が目についたと報じられるのだから、1党独裁体制下における人民の生活は、独裁する権力側から見て優先順位が低いであろうことは想像に難くない。一方で、鉄道建設に8千億元、道路・水運へ1兆8千億元などインフラ投資で成長を支える構図は変わっていない。
成長に陰りが見られる中国経済の懸念材料は、地方政府と企業の過剰債務だ。巨額に膨れ上がっているともされるが、実態は不透明。政府活動報告では、企業の保有資産の証券化を進め、債務の株式化で過剰債務を解消するとしたが、債務整理に道筋がついたのかどうかは不明。
全人代は形式的な議会であるとはいえ、中国共産党の方針や具体的政策が公開される場であるから国際的にも注目される。といっても、中国の公的発表は鵜呑みにできるものではないことは知られているので、中国政治の動向を推察する目安程度にしかなるまい。
肝心なことは中国共産党の内部で決まり、それを人民も外国メディアも知ることは困難だ。人治国家といわれる中国では共産党内の権力構造も人間関係に左右される。だから、全人代で習近平国家主席と李克強首相が握手しなかったとか、目も合わせなかったなどということが、今後の中国政治の動向を占うものとして熱心に報じられたりする。形式的な議会にも、それなりの役割はあるようだ。
今年の全人代の政府活動報告では、①2017年のGDP成長率の目標を6.5%前後とし、成長鈍化を容認、②習近平総書記が中国共産党中央の「核心」だと強調、③過剰生産能力の解消を続ける、④環境汚染対策の強化、⑤領海・国境防衛などの管理強化、⑥香港・台湾の「独立」否定、⑥農村の貧困人口の減少などが掲げられた。
報道によると、政府活動報告で大きな拍手が起きたのが、「携帯電話料金とデータ通信料のうち、長距離の上乗せ料金を年内に廃止する」とした時だった。ほかにも、都市部の新規就業者数は1100万人以上とし、農村部から1300万人以上を都市部へ転籍・定住させ、小規模企業の所得税優遇措置の適用枠を拡大するなど、生活の向上をアピールする施策を打ち出した。
この程度でも、今年は人民の生活への配慮が目についたと報じられるのだから、1党独裁体制下における人民の生活は、独裁する権力側から見て優先順位が低いであろうことは想像に難くない。一方で、鉄道建設に8千億元、道路・水運へ1兆8千億元などインフラ投資で成長を支える構図は変わっていない。
成長に陰りが見られる中国経済の懸念材料は、地方政府と企業の過剰債務だ。巨額に膨れ上がっているともされるが、実態は不透明。政府活動報告では、企業の保有資産の証券化を進め、債務の株式化で過剰債務を解消するとしたが、債務整理に道筋がついたのかどうかは不明。
全人代は形式的な議会であるとはいえ、中国共産党の方針や具体的政策が公開される場であるから国際的にも注目される。といっても、中国の公的発表は鵜呑みにできるものではないことは知られているので、中国政治の動向を推察する目安程度にしかなるまい。
肝心なことは中国共産党の内部で決まり、それを人民も外国メディアも知ることは困難だ。人治国家といわれる中国では共産党内の権力構造も人間関係に左右される。だから、全人代で習近平国家主席と李克強首相が握手しなかったとか、目も合わせなかったなどということが、今後の中国政治の動向を占うものとして熱心に報じられたりする。形式的な議会にも、それなりの役割はあるようだ。
2017年3月8日水曜日
職業としての芸能人
芸能人の引退はよくあることだ。テレビや映画、CMなどの出演依頼が絶えたなら、ひっそりと消えていき、世間から忘れられ、引退せざるを得ないという仕組み。ヒット曲がある歌手なら実演で全国を回リ、役者なら舞台公演を企画して活動を続けることもできようが、それも観客を集めることができる間に限られる。
出演依頼がなくなったとしても、芸能事務所に所属している間は芸能人として現役の意識があるだろうが、芸能事務所から契約を打ち切られ、フリーとして単独で活動を続けていくとミエを張っても、どこからも出演依頼がなければ開店休業、実質的には引退となる。
有名になって注目を集め、ついでに大金を稼ごうと目論んで多くの人が芸能人になるが、売れる人は一握り。常に大量の芸能人の引退がひっそりと続いているのだが、そうした引退と異なる引退が最近相次いだ。それは、①仕事がなくなったわけではなく、芸能活動を続けることができた可能性があるが、②本人の意志で引退を決め、③マスコミに発表……などの共通点がある。
これらの自発的な引退は、華やかに見える芸能人でいることよりも個人の事情を優先した形だ。個人の事情といっても、薬物疑惑の追及からの逃避と見られるものから、宗教活動に専念したり、ひっそりと忘れられる前に自ら区切りをつけたり、家事に専念したりと様々だ。
人気があり、仕事もあるだろうに引退した芸能人は過去にもいた。例えば、原節子、ちあきなおみ、山口百恵。原節子は引退を宣言しなかったが、表舞台には姿を一切見せないという徹底した隠遁ぶりだった。ちあきなおみも引退宣言はしていないが、夫君の死後、芸能活動を止めて姿を消したままだ。山口百恵は結婚を機に芸能活動をやめた。
人気や多額であろう収入よりも優先するものがあると引退する芸能人は、引退する事情を詮索されて芸能マスコミを賑わす。芸能人という職業から離れると宣言すれば、すぐに世間は放っておいてくれる……ほど甘くはない。人気者の転落話は格好のネタだし、引退する芸能人なら、遠慮なく虚飾をはぎとり、おとしめることさえ可能になる。
芸能人というのは特殊な職業だ。職業と個人生活の境界は曖昧で、売れるものなら何でも売ってやるとプライバシーを売り込んだり、時には裸になって見せる人も珍しくない。だから、引退した途端に本人は民間人になったつもりでも、世間は簡単には認めず、引退しても芸能人は元芸能人という新たな興味の対象となる。
出演依頼がなくなったとしても、芸能事務所に所属している間は芸能人として現役の意識があるだろうが、芸能事務所から契約を打ち切られ、フリーとして単独で活動を続けていくとミエを張っても、どこからも出演依頼がなければ開店休業、実質的には引退となる。
有名になって注目を集め、ついでに大金を稼ごうと目論んで多くの人が芸能人になるが、売れる人は一握り。常に大量の芸能人の引退がひっそりと続いているのだが、そうした引退と異なる引退が最近相次いだ。それは、①仕事がなくなったわけではなく、芸能活動を続けることができた可能性があるが、②本人の意志で引退を決め、③マスコミに発表……などの共通点がある。
これらの自発的な引退は、華やかに見える芸能人でいることよりも個人の事情を優先した形だ。個人の事情といっても、薬物疑惑の追及からの逃避と見られるものから、宗教活動に専念したり、ひっそりと忘れられる前に自ら区切りをつけたり、家事に専念したりと様々だ。
人気があり、仕事もあるだろうに引退した芸能人は過去にもいた。例えば、原節子、ちあきなおみ、山口百恵。原節子は引退を宣言しなかったが、表舞台には姿を一切見せないという徹底した隠遁ぶりだった。ちあきなおみも引退宣言はしていないが、夫君の死後、芸能活動を止めて姿を消したままだ。山口百恵は結婚を機に芸能活動をやめた。
人気や多額であろう収入よりも優先するものがあると引退する芸能人は、引退する事情を詮索されて芸能マスコミを賑わす。芸能人という職業から離れると宣言すれば、すぐに世間は放っておいてくれる……ほど甘くはない。人気者の転落話は格好のネタだし、引退する芸能人なら、遠慮なく虚飾をはぎとり、おとしめることさえ可能になる。
芸能人というのは特殊な職業だ。職業と個人生活の境界は曖昧で、売れるものなら何でも売ってやるとプライバシーを売り込んだり、時には裸になって見せる人も珍しくない。だから、引退した途端に本人は民間人になったつもりでも、世間は簡単には認めず、引退しても芸能人は元芸能人という新たな興味の対象となる。
2017年3月4日土曜日
生命の存在
宇宙はあまりにも広大なので39光年という距離は“近い”といえる。太陽系から39光年離れた恒星トラピスト1は太陽の10分の1弱の大きさだが、7つの岩石惑星が周回していることが確認され、惑星と主星(恒星)の相対的な大きさが生命の誕生に理想的であることから、生命が存在する可能性が言われている。
といっても、恒星トラピスト1の出す光は弱く、7つの惑星は近いので互いに影響しあっており、惑星表面の環境がどうなっているのか不明だ。何らかの大気や生命が存在したとしても、地球とは異なる環境であろうから、外観はもとより、生命活動の原理も異なっているだろう。生命が存在する徴候をどう発見するか簡単ではない。
地球上には様々な形態の生物が存在するが、同一の祖先を共有しているという。約40億年前に原始生命が発生し、数億年後にバクテリアが出現、約27億年前に光合成が開始され、21億年前に真核細胞が出現、10億年前に多細胞生物が出現して、5.5億年前に硬骨格生物が出現したというのが地球における生命の歴史だ。
この原始生命の出現時期が少し遡るかもしれない。カナダ・ケベック州の37億7000万~42億9000万年前に形成された岩石に微生物の痕跡があったという。周辺に熱水噴出孔の痕跡も見つかり、生命は深海の中央海嶺で誕生したという深海熱水起源説もあるので、地球最初の生命体の生息地だった可能性さえ取沙汰されている。
45.6億年前の地球誕生から40億年前までの5億年間は冥王代と称される。原始の地球はマグマの海に覆われ、次いで原始海洋に覆われた後、現在まで地殻変動を絶え間なく続けてきたので、冥王代の岩石が地表に現れている場所は少ない。地球最古の生命の痕跡は冥王代の岩石から発見されている。
現在を生きている人間の誰もが、約40億年という長い生命のリレーの結果として存在している。どこか一カ所で途切れたなら、その生命のリレーは終わった。地球史を振り返ると何度も、地球上の生命のほとんどが死ぬ大量絶滅が起きている。そうした危機をくぐり抜けて生命のリレーを続けてきた。
生命は、膜・代謝・自己複製の3つにより定義されるというが、恒星トラピスト1を周回する7つの惑星に生命が存在するなら、地球と同じ生命の定義をあてはめることができるのか不明で、想像もつかない生命がいて、想像もつかない生命のリレーを行っている可能性もある。
といっても、恒星トラピスト1の出す光は弱く、7つの惑星は近いので互いに影響しあっており、惑星表面の環境がどうなっているのか不明だ。何らかの大気や生命が存在したとしても、地球とは異なる環境であろうから、外観はもとより、生命活動の原理も異なっているだろう。生命が存在する徴候をどう発見するか簡単ではない。
地球上には様々な形態の生物が存在するが、同一の祖先を共有しているという。約40億年前に原始生命が発生し、数億年後にバクテリアが出現、約27億年前に光合成が開始され、21億年前に真核細胞が出現、10億年前に多細胞生物が出現して、5.5億年前に硬骨格生物が出現したというのが地球における生命の歴史だ。
この原始生命の出現時期が少し遡るかもしれない。カナダ・ケベック州の37億7000万~42億9000万年前に形成された岩石に微生物の痕跡があったという。周辺に熱水噴出孔の痕跡も見つかり、生命は深海の中央海嶺で誕生したという深海熱水起源説もあるので、地球最初の生命体の生息地だった可能性さえ取沙汰されている。
45.6億年前の地球誕生から40億年前までの5億年間は冥王代と称される。原始の地球はマグマの海に覆われ、次いで原始海洋に覆われた後、現在まで地殻変動を絶え間なく続けてきたので、冥王代の岩石が地表に現れている場所は少ない。地球最古の生命の痕跡は冥王代の岩石から発見されている。
現在を生きている人間の誰もが、約40億年という長い生命のリレーの結果として存在している。どこか一カ所で途切れたなら、その生命のリレーは終わった。地球史を振り返ると何度も、地球上の生命のほとんどが死ぬ大量絶滅が起きている。そうした危機をくぐり抜けて生命のリレーを続けてきた。
生命は、膜・代謝・自己複製の3つにより定義されるというが、恒星トラピスト1を周回する7つの惑星に生命が存在するなら、地球と同じ生命の定義をあてはめることができるのか不明で、想像もつかない生命がいて、想像もつかない生命のリレーを行っている可能性もある。
2017年3月1日水曜日
事実と解釈
金正男氏殺害事件でマレーシアの捜査当局は連日、判明した事実を発表し、それが世界で報じられている。それに対して北朝鮮の大使館も当初、会見したりしていたが、そこで発表したのは彼らの主張であり、解釈であり、マレーシア当局などに対する批判だった。
事実と解釈は根本的に異なる。事実とは、客観的に判明した改変できない事柄であり、立場を超えて共有される認識となる。立場により事実の様相も異なるならば、それは限定的な事実認識であり、事実から選び出された1面であったりする。
一方、解釈は主観により事実を再構成したものだ。細々とした事実の羅列よりも全体の構図が分かりやすかったりするので解釈は重宝されているが、都合のいい事実だけを選び出したり、事実認識に主観をまぶしたりすることは珍しくない。多様な見方を知るために、他人の解釈は参考になるが、解釈をそのまま事実と受け止めることには注意が必要だ。
事実よりも解釈を尊重する姿勢を強く打ち出しているのが大統領を始めとする米トランプ政権だ。メディアが報じるのはフェイク・ニュースだなどと強く批判を続けている。しかし、メディアの代わりに政権側が事実を伝えるかというと、そうもいかず、政権側の主張や解釈を言うだけにとどまっている。
事実を扱うことについてはメディア側に一日の長があるから、客観的な事実認識を争うならメディア側が有利だろう。だから、大統領報道官が記者懇談に「参加させる」メディアを選別したり、気に入らないメディアの報道にはフェイク・ニュースだとのラベルを張り付けようと一生懸命になる。
事実と異なるからフェイク・ニュースだと批判しているのではなく、政権に都合が悪い事実だからフェイク・ニュースだとしてメディアへの信頼を揺るがそうとする戦略にも見える。トランプ氏は「敵」を設定し、容赦なく攻撃することで選挙戦を勝ち抜いてきたが、政権はメディアを当面の「敵」に設定した気配も漂う。
メディアが報じるニュースにも解釈がまぶしてあることがあり、フェイク・ニュースだとの政権のメディア攻撃に現実感が全くないわけではない。そこに政権側の付け入るスキがあり、メディアを「敵」に設定して騒ぎを大きくし、批判し、闘い続ける姿を見せることで、一定の支持は維持できるという計算かもしれない。
事実と解釈は根本的に異なる。事実とは、客観的に判明した改変できない事柄であり、立場を超えて共有される認識となる。立場により事実の様相も異なるならば、それは限定的な事実認識であり、事実から選び出された1面であったりする。
一方、解釈は主観により事実を再構成したものだ。細々とした事実の羅列よりも全体の構図が分かりやすかったりするので解釈は重宝されているが、都合のいい事実だけを選び出したり、事実認識に主観をまぶしたりすることは珍しくない。多様な見方を知るために、他人の解釈は参考になるが、解釈をそのまま事実と受け止めることには注意が必要だ。
事実よりも解釈を尊重する姿勢を強く打ち出しているのが大統領を始めとする米トランプ政権だ。メディアが報じるのはフェイク・ニュースだなどと強く批判を続けている。しかし、メディアの代わりに政権側が事実を伝えるかというと、そうもいかず、政権側の主張や解釈を言うだけにとどまっている。
事実を扱うことについてはメディア側に一日の長があるから、客観的な事実認識を争うならメディア側が有利だろう。だから、大統領報道官が記者懇談に「参加させる」メディアを選別したり、気に入らないメディアの報道にはフェイク・ニュースだとのラベルを張り付けようと一生懸命になる。
事実と異なるからフェイク・ニュースだと批判しているのではなく、政権に都合が悪い事実だからフェイク・ニュースだとしてメディアへの信頼を揺るがそうとする戦略にも見える。トランプ氏は「敵」を設定し、容赦なく攻撃することで選挙戦を勝ち抜いてきたが、政権はメディアを当面の「敵」に設定した気配も漂う。
メディアが報じるニュースにも解釈がまぶしてあることがあり、フェイク・ニュースだとの政権のメディア攻撃に現実感が全くないわけではない。そこに政権側の付け入るスキがあり、メディアを「敵」に設定して騒ぎを大きくし、批判し、闘い続ける姿を見せることで、一定の支持は維持できるという計算かもしれない。
登録:
コメント (Atom)