2021年10月30日土曜日

押し屋という発想

  朝の通勤時間帯などに、列車に乗り切れないほどの乗客が駅に集まって来て、到着した列車に先を争って乗ろうとするが、車内はすでに人で満杯。遅刻しまいと人々は無理に乗り込もうとするが、なかなか車内に体を入れることができず、列車のドアも閉じることができず、発車が遅れる。そこで押し屋と呼ばれる係員が力づくで押し込んだり、乗り切れない人をホームに下ろしたりした。

 毎日、列車に乗り切れないほどの乗客が存在するなら鉄道会社の対策は、第一に運行本数を増やす、第二に客車を増結して乗車人数を増やす、ことだろう。押し屋を増やすことは場当たり的な対応に見える。とはいえ、すでに過密ダイヤなら運行本数を増やすことは困難で、客車を増結するには各停車駅のホームの長さに余裕が必要になる。

 運行本数を増やすことも客車を増結することもできない中で、朝の通勤時間帯など短時間に乗客が集中するだけなら、押し屋を動員するという場当たり的な対応にも合理性はある。人間を荷物扱いしているとの批判は乏しく、人々は列車に押し込まれることに抵抗をしないのだから容認された手法であり、コスト面でも押し屋の動員は抜本的な対策より安価であろう。

 列車の乗車人数に上限を設けてホームへの入場を制限するという対応もある。列車に乗り切れない人々に他の交通手段を選ぶことを強制する対応だが、おそらく人々からの批判が高まる。他の交通手段がないから駅に乗客が集まって来て、押し込まれることも我慢しているのだろう。他の交通手段を選ぶことができるなら、そうしているはずだ。

 都市へ人々が流入し、人口が急膨張すれば、やがて駅には通勤客が溢れ、道路は車で渋滞する。人々の日常的な移動を考慮した包括的な都市計画があったなら、人口膨張に対応した公共交通の輸送力増強を進めていただろうが、そこまで配慮されていなかった。すでに建物が密集している都市で地上に新たな路線を敷設するのは困難で、地下鉄を新設するしかないが時間がかかる。それで駅には人々が集まり、押し屋が誕生した。

 太平洋戦時の米軍による空爆で日本の多くの都市が破壊された。敗戦後には人々は生き延びることに必死で、行政にも余力が乏しかった。そうした状況下で新たな発想による都市計画など求めることは無理な注文だろう。だが高度経済成長期には、人々の生活の質を考慮に入れて先を見通した都市計画を策定することができただろうに、行われなかった。「日本人は我慢する」との前提で日本の都市は発展してきたように見える。

 私鉄など鉄道会社も沿線の宅地開発などで乗客を増やしてきた。そうして増えた乗客は通勤でターミナル駅に集まり、乗換路線は大混雑となり、押し屋の登場となる。場当たり的な対応で凌いでいくという経済成長の象徴が押し屋なのかもしれない。

2021年10月27日水曜日

木彫の熊

 国内旅行のお土産は現在では、各地の菓子など食品が人気上位を占めている。食べてしまうと無くなるので「消えもの」であり、旅行の思い出は家族などで一緒に食べるときの会話に現れるだけだ。土産物屋で売っている民芸品などは旅行の思い出を呼び起こす記念品だが、旅行に行かなかった人が土産にもらっても旅行の記憶が喚起されるわけではない。

 海外旅行に大量の日本人が出掛けるようになり、国内でも各地に人々が頻繁に旅行に出掛けるようになり、旅行は日常的な行為と化して特別な行動であるとの非日常感は希薄になった。お土産に菓子などが好まれるのも旅行の非日常感が薄れたことと関係があるだろう。それに、民芸品などを旅行のたびに買っていては家庭内の設置スペースはすぐに埋まってしまう。

 民芸品などが土産物屋から消えたわけではない。東北各地のこけし、会津の赤べこ、高崎のだるま、信楽焼のたぬきなどが各地で売られているのは、旅行の記念品としての需要があるからだろう。一方で、すっかり見かけなくなったのが北海道土産の代表格だった、鮭をくわえた木彫の熊だ。半世紀前ころは各地の土産物屋に大小様々な大きさの木彫の熊が並べられていた。

 北海道は今も人気観光地だが、半世紀前ころの観光ブームでは全国から観光客が集まり、木彫の熊が土産物として大量に売れ、全国の家庭のテレビの上や玄関などに木彫の熊が置かれているとも言われたそうだ。機械による大量生産も行われていたそうだが、大量に出回りすぎたためか次第に土産物屋から姿を消した。

 現在でも木彫りの熊を販売している店舗はあるが、作家による作品として販売されているものが多いそうで、作家の個性を発揮した様々な造形の木彫作品であるから価格も相応に高いとか。写実に徹したものから抽象的な表現のものまで多彩な熊が造形されるそうだが、四つん這いで鮭をくわえた姿の熊では作家の個性を発揮しにくいかもしれないな。

 土産ものには流行り廃りがあり、横長の三角形で地名や寺社名などが書かれた「ペナント」は姿を消し、「通行手形」「ちょうちん」もあまり見かけなくなった。地名などを見ることで旅行の思い出を喚起する記念品はもうウケなくなったのだろう。旅行に行くことが特別な体験ではなくなったから、記念品の地名を見て旅行を思い出すより菓子などを食べるほうが好まれる。

 さらにスマホの普及で、旅行の思い出は各人のスマホに記録される。景勝地だけではなく旅行中のスナップ写真も大量に撮影されているだろうから、民芸品を旅の記念品として持ち帰る意味も薄れたか。とはいえ、鮭をくわえた木彫りの熊を欲しがる人がいなくなったわけではない。ネット上では中古品の取引が行われているというから、木彫りの熊は昔を懐かしむアイテムになったのかもしれない。

2021年10月23日土曜日

まき餌と毛針

 閣僚を歴任した自民党の故・渡辺美智雄氏は放言癖があり、何度も舌禍事件を起こした。放言の一つに、野党の支持者を毛針で釣られる魚に例えたものがあった。税金を下げるとか医療費をタダにするとか野党はうまい話ばかりだと批判し、「毛針で釣られる魚は知能指数が高くない。愚か者が増えると国が滅びる」と演説した。

 自民党は「ちゃんとエサをつけている」とし、エサに食いついて釣られる魚よりも、毛針で釣られる魚のほうを知能指数が高くないと主張した。魚の知能指数をどうやって計測するのか不明だが、エサでつられる魚も毛針でつられる魚も釣り上げられたことは同じだ。エサに食いついた魚を知能指数が高いと褒めるのは、自民党の支持者に対する媚びだな。

 支持者の知能指数を政党別に判定できる仕組みがあれば、日本の政治を分析することは簡単だが、そんな仕組みは存在しない。選挙の時に支持者に向けて「おいしい」公約を並べるのは野党に限ったことではない。現在の与党の自民党が発表した公約も、おいしい話に満ちている。

 自民党HPによると、「感染症から命と暮らしを守る」「新資本主義で分厚い中間層を再構築する」「農林水産業を守り、成長産業に」「日本列島の隅々まで活発な経済活動が行き渡る国へ」などと並べられ、現在の日本の問題点に対応しているように見える。だが、それらの問題点を生じさせたのは、これまでの与党の政策であったことを思い出すと、何やらマッチポンプの典型だと見えてくる。

 こうした自民党の公約は、毛針ではなくエサがついた針なのだろうか。エサがつこうと毛針であろうと、釣られた魚は調理されて食われるだけだ。食うのは、魚を釣った人=政党であり政治家連中だ。つまり、魚の知能指数が高かろうと低かろうと、釣られた魚は釣った人らに食われる。釣った魚にエサを与えて飼う釣り人はほとんど皆無だ。

 エサがついていようと毛針であろうと政党が掲げる公約を、まき餌だと見る人もいる。各政党の確固とした支持者を養殖された魚とすると、無党派層は自由に海中を泳ぎ回る魚だ。それらの魚を釣り上げるために、まき餌で魚を集める。うまい話ばかりを並べた公約を各政党は掲げ、無党派層という魚を集めて釣果を上げることを狙う。

 選挙は主権者による政権選択の機会だとする考えがあり、選択の判断材料として各政党の公約が重視されたりする。だが、おいしい話ばかりの公約を熟読玩味したところで、公約の実現可能性は低い。

 選挙は、それまでの与党に対する主権者の審判である。それまでの与党の政治を支持するなら与党に投票し、それまでの与党の政治に不満があるなら野党第1党に投票を集中する(政権を交代させるには野党第1党を勝利させなければならない。政権批判票の分散は与党の勝利を助ける)。政権選択とは、それまでの与党の政治を続けるかどうかを選ぶという意味だ。

2021年10月20日水曜日

宝クジと起業

 久しぶりに会った知人がしんみりした口調で言うには、「確かに大金をつかんだ奴が幅をきかす世の中ではあるが、二十代の若い奴が宝クジを熱心に買う話を聞かされると、情けないというか寂しい気持ちになる」。知人の子息の同僚に、ナンバーズやロト、ジャンボなど宝クジを買うことに給料を注ぎ込んでいる人物がいるという。

 その同僚氏は起業してリッチになることが目標だそうで、「金持ちの家に生まれもせず、頭もいいわけでもなく、何かにひたむきに取り組み根気もなく、誰にも負けないぞという根性もない」から、元手を得るためには宝クジしか思いつかないそうだ。だから、宝クジは幅広く買い、少しずつでも賞金を積み重ねることを目指しているという。

 リッチになることが目標だから起業は手段でしかなく、起業の具体的な構想はまだないという同僚氏は、とりあえず1千万円もあれば、なんとか起業の道は開けるだろうし、成功してリッチになることができるはずと夢見る。起業に惹かれるのは、リッチになることと成功者だと見られることが同時に実現できるからだとする。

 当たる確率を考えると宝クジは有利な投資法とはいえないが、大金をつかむことが具体的にイメージできる手段だ。何かの起業を計画しているなら、宝クジを買うより少しずつでも貯蓄して資金を貯めるのだろうが、起業することもリッチになることも夢想でしかないのだから、宝クジを買って大金が当たることを夢見るのが似合っているか。

 宝クジが当たることを条件とする構想は、見果てぬ夢だ(ほとんどが実現しないだろう)。大金が当たったなら、あれもできる、これもできると夢の実現が、つい、そこにあるような妄想に宝クジを買った人はとらわれるが、手を伸ばしても、どこまでも逃げていく大金。そんな大金でかなえられるという夢とは、人生に受け身でいることのシグナルでしかない。

 いつの世でも二十代の若者がリッチになることを夢見るのは不思議ではないと理解している知人だが、宝クジを買うことにしかリッチになる現実的な道筋がないと見る若者の姿に物足りなさを感じたという。起業などの夢を追っているようにも見えるが、実際は階級の固定化が進む社会の閉塞感に圧倒され、現実的な希望を持つことを諦めているのじゃないかと疑っている。

 誰もがリッチになることを望むが、ほとんど誰もリッチになることはできない現実。少しでも公平な社会に変えるように連帯して運動するよりも、個人が夢を持って、その夢を追うことが称賛され、夢が実現しなくても個人の責にされて終わり。リッチになれなければ肯定できない若者の人生とは何なのかと知人は考え続けているそうだ。

2021年10月16日土曜日

5つの仮説

  現象を観察し、その現象が起きた要因について合理的に説明する仮説を立て、その仮説の当否を客観的に検証するーこれは科学の基本的な方法だ。仮説は直感や思い込みなど主観の影響を受けるものだから、客観的な検証を経て、妥当であると確認されて定説となり共有される。

 科学は仮説に満ちているものだが、仮説と定説の見分けが曖昧だと混同して認識することになる。仮説を定説だと受けとる一般人は、科学者が言う仮説を、現実に起きている現象を正確に説明していると即断する。さらに、科学者が言う未来予測は仮説だが、そうした仮説を真実だと受け取る人々も多いようだ(未来については客観的な検証は不可能なので、未来予測は仮説にとどまる)。

 さて、日本で猛威をふるった第5波は終息したが、何が感染拡大を終わらせたのか。ワクチン接種者の増加が感染拡大を止めたと見られるが、確証は出ていない。第5波が終息した要因を正確に突き止めることができれば、第6波の対策にも役立つだろう。政府の感染症対策分科会の尾身会長は、新規感染者数が減少した要因として次の5つを指摘した。

 ①連休や夏休み、お盆休みなど感染拡大につながる人の移動が活発化する時期が過ぎ、感染拡大の要素(人の移動の増加)がなくなった、②医療が危機的な状態になったと広く伝わって危機感が共有され、人々がさらに感染対策に協力するようになった、③感染が広がりやすい夜間の繁華街の人出が減少した、④ワクチンの接種が進み、高齢者だけでなく若い世代でも2回接種を終えた人が増えた、⑤気温や雨など天候の影響で屋外での活動がしやすくなり、感染が起きやすい狭い空間での接触の機会が減った。

 これらは仮説であるが、専門家が集まっている政府の感染症対策分科会の見解にしては、素人でも思いつくような要因ばかりだ。それぞれの仮説について専門家なんだから仮説の根拠となる数字があるだろうが、そうした数字は報じられてはいない(報道の段階で数字を略したのか、そもそも根拠となる数字が示されていなかったのかは詳らかではない)。

 緊急事態宣言の終了後に全国で人の移動は活発化しているようなので、新規感染者が今後増加したなら①が正しかったことになる。医療体制の逼迫に対する人々の危機感が薄れることは当分ないだろうから、②であるなら、新規感染者の増加が再来することはないだろう(第6波が来たなら②は否定される)。

 緊急事態宣言の終了後に酒の提供規制は緩和され、夜間の飲食店の来客は増えるだろうから、③なら今後の新規感染者は増加する。④であれば、ワクチン接種者は拡大増加しているので今後の感染拡大は限定的であろう。⑤であれば、冬に向かって気温が今後下がり、屋外での活動は減るので新規感染者は増加する。

 第5波が終息した要因が明らかになれば、第6波を制御できるかもしれない。尾身会長が指摘した5つの要因には専門家の叡智はあまり感じられないが、それは専門家もCOVID-19には無力であることを示す。仮説も様々で、すぐに消え去るものもあれば厳しい検証に耐えるものもある。5つの仮説は、これから感染増加があるかもしれず、厳しい検証に試される。

2021年10月13日水曜日

デルタ株に脆弱

 中国の新型コロナウイルスの感染者数、死者数はともに国際的には少ないほうで、中国は強権で人々の行動を厳しく制約してCOVID-19の感染拡大を封じ込んだとされ、欧米やインド、ブラジルなどに比べ中国は感染対策に成功したと見られている。だが、中国が感染拡大を封じ込んだ後に世界ではデルタ株による感染が拡大した。

 感染力が強いとされるデルタ株が世界で感染拡大する前に中国は国内での感染拡大を抑え込み、外国からの人々の入国を厳しく制限した。その後も感染者は国内で出ているのだが、そのつど感染者が出た地域を封鎖するなど厳しい行動制限で感染拡大を封じているという。共産党が独裁統治する強権国家である中国流の対策だ。

 しかし、デルタ株が世界に蔓延し、各国で膨大な感染者を生じさせた。厳しい入国制限などによってデルタ株がほとんど中国に入っていないとすると、中国はデルタ株に対して脆弱性を持つ。デルタ株の流行を経験した各国はワクチン接種増加とともに規制を緩め、パンデミック前の社会への復帰を模索し始めたが、中国はデルタ株に対する強い警戒を緩めることができない。

 中国がデルタ株の国外からの流入にいつまでも警戒し続けなければならないとすると、外国人の入国を制限し、中国人の外国旅行も限定、観光旅行は許可されないだろう。厳しい入国制限と国外旅行の制限が続くとなると中国はほぼ「鎖国」となる。大量の中国人観光客の購買力に期待する各国は当てが外れる。

 デルタ株に対して中国製ワクチンの効果が高ければ中国は段階的に「鎖国」を緩めることができようが、そうしたニュースは伝わってこない。 世界に蔓延したデルタ株を中国の強権でもどうすることもできず、デルタ株が入ってくれば日本の第5波をはるかに上回る感染者数になるだろうから中国は「鎖国」を続けるしかない。

 感染を抑え込んでCOVID-19対策で世界のトップを走っていたつもりが、デルタ株によっって1周遅れのトップになった中国。感染抑止に成功したという共産党政府の輝かしい実績は否定されてはならないとするなら、デルタ株の流入もCOVID-19との共存への転換も許されまい。共産党政府の輝かしい実績を守ることが、政策の幅を狭め、強権で押し進むしかなくさせている。

 新型コロナウイルスに対して集団免疫が可能なのか不明だが、英国をはじめ各国はワクチン接種者の増加とともに規制を緩めた。爆発的な感染拡大が見られなければ各国は国際的な移動の規制も緩めるだろう。だが中国はデルタ株に脆弱のままでは、「鎖国」を続けざるを得ない。

2021年10月9日土曜日

ロックダウンを主張した人々

  日本で新規感染者が連日急増した第5波の最中に、感染拡大を抑制するために人々に対する厳しい行動制限など可能にするロックダウンを主張した人々がいた。政府の新型コロナウイルス分科会の尾身会長や全国知事会などの主張をマスコミは大きく伝え、ロックダウンを求める人々の声も加えて報じた。

 人々に自粛を要請することが日本では行われたが、諸外国では国家の強制力により、人々の外出や移動をほぼ禁止し、商業施設を閉鎖させ、企業活動をほぼ停止させたりした。ロックダウンも様々で、完全に都市を囲い込んで封鎖する厳格なものから、買い物などの外出や一部の商業施設の営業は認めるなど、その実施形態は幅広い。

 自粛要請だとされた日本では、人々の外出や移動は禁じられてはいなかったが、商業施設の営業はほぼ政府方針に従わせられ、酒類の提供などが厳しく規制され、企業も政府方針に従って社員の出社を減らし、リモートワークに移行した。自粛要請とはいっても日本でも実態はロックダウンだった。

 ゆるいロックダウンを続けてきた日本で、第5波が襲来する中でロックダウンを求める主張を始めた人々は、人々の外出や移動を禁じることが必要だと考えたのだろう。商業施設や企業などはほぼ政府の施策に従っていたが、飲み会などでのクラスター発生や観光地での感染拡大などが報じられ、感染爆発に専門家も行政も政府も無力とあっては、人々の外出や移動を禁止するしかないと考えたか。

 だが、厳しいロックダウンを実施した諸外国が感染拡大を押さえ込むことができたわけではない。欧州諸国のように、厳しいロックダウンでも日本をはるかに上回る感染者や死者を出している。今回のパンデミック対策では科学的知見に基づいていることが強調されたが、厳しいロックダウンによる感染拡大の抑止効果が数値化されて示されたわけではない。厳しいロックダウンの効果について科学的知見に基づいた分析も皆無だった。

 人々の外出や移動を禁じる厳しいロックダウンを求めた人々は、感染爆発の責任を人々に転嫁した。尾身会長や全国の知事らは、国家が強権で人々の行動制約を行うことと民主主義の関係を説明しなかった。彼らが民主主義をどのように考えているのか、質したマスコミもなかったようだ。

 厳しいロックダウンがなくても日本で感染増加の勢いは衰えた。厳しいロックダウンの必要性は現実には否定されたのだが、尾身会長や全国の知事の主張を検証するマスコミはなく、彼らの主張は否定されずに放置されたままだ。権力を振り回したがる人はいつでも存在する。パンデミックを、人々を厳しく管理する国家体制にしようとする人々のチャンスにしたならば、日本の民主主義はさらに空洞化する。

2021年10月6日水曜日

上位10

 世界の感染者数は2億3363万人、死者数477万人と増え続けている(10月1日現在。以下同)。感染拡大のペースが緩やかになった日本では感染者数は170万2580人、死者数1万7685人。9月末日で緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が全面解除され、飲食需要や旅行需要などが活発化する兆しが伝えられ、ワクチン接種の普及もあって、ある種の解放感が漂い始めた。

 行政や医療関係者からは、人流や移動などの増加による感染拡大を懸念する声が伝えられ、冬に向かって第6波が到来するのは避けられないとの雰囲気。問題は、第6波の感染拡大がどの程度になるのかだが、先のことは誰にも分からない。ワクチン接種の拡大の効果を現実社会で試すことになる。

 第5波は大きな波だった。日本では1日あたりの新規感染者が1万人を超える日が続き、2万人を超えた日もあった。ワクチン未接種の年代に感染が広がっていたが、ほとんどの年代でワクチン接種が進むとともに感染拡大の勢いが衰えた。これがワクチンの効果であるなら第6波は第5波より新規感染者数は少ないと予想できるが、人流や移動の増加という要因が加わる。

 COVID-19についてはなお未知の部分が多く、人類は制御できていない。英国などが人々の行動制限を緩める社会実験を行っているが、日本でも規制を緩めて、感染状況がどうなるか実際に確かめることにしたと見える。ポイントは医療体制の逼迫度で、感染者が増えても重症者が少なければ、おそらく社会は規制緩和を許容する。

 米国でツアーを始めたローリング・ストーンンズのライブの様子がSNSに断片的にアップされていて、満員の観客が盛り上がっている。1日あたり新規感染者が10万人を超える日が続いている米国で、ストーンズの大規模コンサートでどれほどの感染拡大が起きるのか、これも社会実験だな。

 感染状況を知るために様々な上位10を見てみる(1位から順に10位まで)。

 ▽日本で感染者数が多い上位10=東京37.5万人、大阪19.9万人、神奈川16.7万人、埼玉11.4万人、愛知10.5万人、千葉9.9万人、兵庫7.7万人、福岡7.3万人、北海道6.0万人、沖縄4.9万人。

 ▽日本で十万人あたりの累計感染者数が多い上位10=沖縄3417人、東京2698人、大阪2268人、神奈川1823人、千葉1591人、埼玉1561人、福岡1448人、兵庫1416人、愛知1398人、京都1374人。

 ▽日本で死者数が多い上位10=大阪2970人、東京2934人、北海道1467人、兵庫1388人、神奈川1263人、愛知1136人、埼玉1007人、千葉999人、福岡610人、沖縄312人。

 ▽世界で感染者数が多い国の上位10=米国4361万人、インド3379万人、ブラジル2144万人、英国787万人、ロシア742万人、トルコ715万人、フランス711万人、イラン560万人、アルゼンチン525万人、スペイン496万人。

 ▽世界で死者数が多い国の上位10=米国70.0万人、ブラジル59.7万人、インド44.8万人、メキシコ27.7万人、ロシア20,4万人、インドネシア14.2万人、英国13.7万人、イタリア13.0万人、コロンビア12.6万人、イラン12.0万人。

 ▽世界で致死率が高い国の上位10=ペルー9.2%、メキシコ7.6%、中国4.8%、インドネシア3.4%、南アフリカ3.0%、ロシア2.8%、ブラジル2.8%、イタリア2.8%、ポーランド2.6%、コロンビア2.5%。

 ▽世界で十万人あたりの感染者数=米国13162人、英国11605人、ブラジル10081人、イタリア7733人、ロシア5088人、インド2447人など。

2021年10月2日土曜日

大口が流行り

 自動車には表情がある。正面から見ると、二つのフェッドライトが目、ラジエターグリルが口と映り、生き物の表情を連想させる。自動車は動くものだから、走るという動作が生き物のように自動車を見せ、向かってくる自動車の表情が生き生きとして見えたりする。

 生き物の目を連想させやすい丸いヘッドライトを持つ自動車は少なくなり、ボディラインと一体化した変形のヘッドライトの自動車が多くなり、自動車の表情は大きく変わった。親しみや愛嬌がある表情は少なくなり、感情が読み取れない無機質な表情が多くなり、どけ!どけ!と周囲を威嚇しているような顔つきの自動車も珍しくなくなった。

 そうした威嚇を強調するのが、大きく拡大したラジエターグリルだ。そんなに大きな開口部はエンジンルームの冷却には必要ないので、拡大したラジエターグリルの半分以上がダミー=実際は塞がれている。拡大したラジエターグリルは機能とは関係なく、存在感を強調するためのデザインだが、口を大きく開けている表情に見える。

 人々に好まれるから拡大したラジエターグリルの自動車が売れ、路上に大幅に増えたのだろう。人々の自己主張が強くなったから拡大したラジエターグリルの自動車が売れるのか、面白がって人々が買っているだけなのか定かではないが、おとなしい表情の自動車が何やら新鮮に見えるほど、拡大したラジエターグリルの自動車が路上に増殖している。

 自動車のデザインには世界的な流行があり、その最新の流行の一つが、拡大したラジエターグリルで、ベンツなどドイツメーカーもラジエターグリルを拡大させた。ドイツメーカーはEV(電気自動車)へのシフトを急ぎ、EVの新型車を続々と発表しているが、その多くにも拡大したラジエターグリルが備わっている。

 EVでもモーターやバッテリーなどの冷却は重要だろうが、ラジエターは必要ないのでラジエターグリルはなくてもいい。だが、ベンツなど各社はEVに大きなラジエターグリルを貼り付けている。大きく立派に見せなければ割高なEVを人々には売り込めないと考えたのか、単純に流行に合わせただけなのか詳らかではないが、自己主張が強すぎて環境フレンドリーに見えないところが残念だな。

 1950年代から60年代のアメリカ車は、横に広がった大きなラジエターグリルの下部にメッキが輝く立派なバンパーを装着し、堂々とした押し出しの表情だった。だが威圧感めいたものが希薄に感じられたのは、どこかに余裕と遊び心が漂っていたからだ。最近の拡大したラジエターグリルの流行には、そうした余裕や遊び心が感じられず、売るためには何でもしなければならないとのメーカーの必死さが漂っている。