2015年11月28日土曜日
何と戦うか
米映画のキャラクターの一つである「プレデター」は地球外生物で、光学迷彩で自らを透明化して地球で人間を襲う。透明化している上にプレデターは腕力が強く肉体的能力にすぐれ、地球人は劣勢だが、映画では最後に地球人が勝つ。見えない強力な敵が近くにいるとすれば、それは恐怖を増大させる。映画はヒットして続編が何作も製作された。
現実世界でも、武器を隠し持って強力な殺傷能力を有し、大量殺人を辞さずと決意しながら、傍からは、それと見えず、どこに潜んでいるのか分からない戦闘者がいる。襲われてから初めて、存在していたことが判明するのだから厄介だ。要人を狙うテロリストよりも、民衆の無差別殺人を行うテロリストのほうに人々は、自分も標的になると不安や恐怖を感じるだろう。
「テロとの戦い」という言葉では、テロにより高められる社会的な動揺に対抗して人々が、それまでと変らない日常生活を送るという意味が強調されることがある。テロによって社会が変えられることに抗い、テロに負けないなどと言ったりする。しかし、見えない強力な戦闘者がまだ、どこに潜んでいるのか分からないという不安が続くなら、日常は変質せざるを得なくなる。
テロが起きた後に公権力が非常事態宣言を行えば、それまでとは一変した日常になるのだから、人々が「テロとの戦い」で、それまでと変らない日常を送ろうとしても、制約を受ける。フランスでは非常事態宣言で警察権限が強化され、令状なしに家宅捜査を行い、必要によって人や車の交通を禁止し、多くの人が集まる場所を閉鎖するなどが行われているという。
テロによって、それまでと同じ日常を送ることができなくなったフランス。日常が変えられたという意味では「テロとの戦い」にフランスは敗れたといえるが、見えない強力な戦闘者がどこに潜んでいるのか、どこから入って来るのか分からない状況では、テロの可能性を排除することはできない。警戒を強めることをもって、テロに負けたとすることには無理がある。
テロがあっても、それまでと変らぬ日常を送ろうとするのは、テロに反発する意識的な行動だ。だが、人々が変らぬ日常を送ったところで、見えない強力な戦闘者が次の攻撃を思いとどまるわけではない。さらにいえば、中東やアフリカなどの国々では大規模中規模小規模のテロが頻発し、社会の有り様は変えられている。先進国だけが、テロによっても日常が変えられないなどということが有り得るはずもない。
すでに起きたテロと戦っても無駄だ。戦うのは、次に起きるテロを実行する組織とであり、見えない強力な戦闘者とであろう。ただ、テロを戦いの手段として容認する組織や人々がいる現実世界の不均衡を見据えるなら、テロを生み出す構造にも目を向ける必要があるが、そうなるとフランスなど欧州諸国は中東やアフリカの現状に歴史的責任があることも見えて来る。
2015年11月25日水曜日
流行語か頻出語か
話題になった人物の発した言葉が評判になったり、お笑い芸人のギャグなどが広まって、多くの人々が真似て使うようになるのが流行語だろう。だが、何がその年の流行語なのかを正確に決めるのは簡単ではない。全国の人々の会話の中に現れた流行語を集計できれば、人々の実感に近い言葉が拾い上げられるのだろうが、それは不可能だ。
年代や階層などが異なれば流行語も異なろうし、地方による違いもあるかもしれない。家族内や学校内など特定の集団だけの流行語もあるから、これが今年の流行語だと万人が納得する言葉を選ぶのは簡単ではない。だから、「今年の流行語」を選定しなければならないとすると、なにやら“公的”な装いが必要となり、選考委員なんて人達も準備される。
「今年の流行語」を選ぶためには、とにかく目についた言葉を集めなければならない。街中や居酒屋などでの周囲の会話に耳をそばだて、テレビ番組などで視聴者にウケている言葉をチェックし、新聞・雑誌など印刷物における頻出する言葉をピックアップし、ネットに現れる流行言葉もキャッチしなければならず、大変そうだ。
といっても、流行語の収集は出版社が「現代用語」を刊行するために行っていることの副産物でもあるので、特別な手間がかかっているわけではない。そうやって集まった流行語の中から候補が発表され、「今年の流行語」が決められるのだが、今年の候補の選定に批判が出ている。
批判は、政治色が見られるという点に集まっている。候補には「I am not ABE/切れ目のない対応/存立危機事態/駆けつけ警護/国民の理解が深まっていない/レッテル貼り/テロに屈しない/早く質問しろよ/アベ政治を許さない/戦争法案/自民党、感じ悪いよね/シールズ(SEALDs)/とりま、廃案」といった言葉が含まれ、安全保障関連法案に反対する側の雰囲気が濃厚だ。
安全保障関連法案の審議に関して新聞が連日、各面で大きく扱っていたので、頻出回数の多い言葉がピックアップされたのだろうと推察するが、さて、こんな言葉を日常で人々が口にしていたかと怪訝な気もする。選考する人達が毎日、安全保障法案反対で熱心に議論していたから、これらの言葉に強く反応して選んだのではないかと想像させるような候補選定でもある。
民間で勝手に決めているのだから、どういう選び方をしようと自由ではあるが、世相を本当に反映しているのかと疑問を持たれたなら、この種の選定はもてはやされなくなる。新聞などで頻出回数が多い言葉が流行語なのか、人々が日常で面白がって使って広まる言葉が流行語なのか、流行語の再定義が必要だな。頻出語ではあっても、そのまま投げ出された言葉は、流行語というには無理がある。
2015年11月22日日曜日
シリア化
「シリア化」という言葉を考えついた。これは、シリアのようになるという意味だ。といっても、4000年以上も前から文明が栄え、多くの人が行き交い、この地を多くの国が代わる代わる支配したという長い歴史を持つことを意味するのではない。強権的な政権に対して国内で反政府運動が始まり、やがて武力対立へと発展、反政府勢力には欧米など外国から支援があり、政府側にも外国から支援があり、内戦状態となって治安が崩壊した状態になることをいう。
シリア化のほかに「アフガニスタン化」「イラク化」「リビア化」がある。アフガニスタン化とは、外国から強力な軍隊が入ってきて政権を倒し、新たな政権を形成させたが弱体で、旧政府勢力が台頭していること。イラク化は、外国から強力な軍隊が入ってきて政権を倒し、新たな政権を形成させたところまではアフガニスタンと同じだが、国内では分裂が進む一方、新たな武装勢力が台頭すること。
リビア化は、強権的な政権に対して国内で反政府運動が始まり、内戦状態になって、外国軍の助けで反政府側が政権を打倒するが、後継の政権が弱体で機能せず、実質的に無政府状態になること。この4つの言葉に共通するのは、国外から暴力(軍事力)が持ち込まれたということだ。
アフガニスタン、イラクでは外国が強力な軍隊を派兵して時の政権を直接打倒し、後継の政権構築にも関与したが、新たな国づくりは停滞したままだ。リビアでは外国は反政府勢力に対する軍事的な支援は行ったが、後継の政権構築には直接は関わらない。ただ外国が関わったとしても、後継政権が機能したかどうかは分からない。
仏パリで大惨事が起きた。ISISによる組織的なテロと見なされているようだが、誰がどこで計画し、誰が資金を出し、どんなメンバーが加わり、どんなサポートが行われたかなど、その実態はまだ明らかではない。この暴力が仏に外部から持ち込まれたものかは解明が進行中だが、仏のみならずEUでは外部から持ち込まれた暴力だと受け止めているようだ。
欧州各国はアラブ諸国に暴力を持ち込み、時の政権を倒して治安を崩壊させ、人々の生活をも破壊することに関与した。外国から暴力を持ち込まれることが、どんなに悲惨で歓迎されざることかを仏やEUの人々は実感しただろうと考えたいが、「これは戦争だ」とフランス政府はシリアでの軍事介入を強化し、人々からの批判の声は伝えられない。被害者意識が刺激され、「報復」が容認されているように見える。
テロによってフランス政府が倒されることはなく、フランスがシリア化することはないだろうが、外部から持ち込まれた暴力に怯え、嘆き、苦しむことでは、フランスやEUの人々はシリアなどの人々と似たような境遇に置かれた。シリアの人々は難民となるなど、外部から持ち込まれた暴力から離れようとするが、フランスやEUの人々はテロという暴力からどう逃げればいいのか分からず不安を募らせる。
2015年11月18日水曜日
天気に勝てるか
11月も半ばになると、午後5時前には暗くなり、朝は6時を過ぎても薄暗い。1日が24時間であることには変わりがないのだが、日照時間が短くなると1日が短くなったような気にもなる。夕方に暗くなると夜を意識し、1日が終わったという感覚を持つからか。ちなみに2015年の冬至は12月22日(東京の日の出は午前6時47分、日の入りは午後4時32分)。
電気がない大昔とは違って現代では、暗くなったって人間の活動が制約されるわけではない。夜型の人間も珍しくはないし、夜型でなくたって、翌日の朝一番に、納品なり報告書を提出しなければならなかったりして夜の作業を強いられることも珍しくはない。夜になったからと人間活動の1日が終わるものでもなくなっている。だが、人類の歴史から身につけたのだろう自然の感覚は受け継がれている。
日が短くなるにつれて、寒さも増して来る。晴れて風もない日中なら、そう寒くもないのだが、日が落ちると急に寒さを感じるようにもなる。風が吹き始めたりすると、寒さをいっそう感じ、冬が近いと実感する。北国からは雪が降り始めたと伝えられているのだから、冬が近いのではなく、冬に入りかけているというべきだろうが、秋と冬の境目はぼやけている。
春ならば桜が咲き、「ここからが春」という気分になり、雪国なら初雪で冬の始まりを意識するだろうが、降雪がまれな土地での冬の訪れを伝える明確な指標は乏しい。白鳥などの渡り鳥の到来は、冬の訪れを先触れする風物詩だろうが、どこの土地にも渡り鳥が飛来するものでもない。
冬の訪れの指標は衣服かもしれない。寒さが増すに応じて、長袖のシャツを着るようになり、厚手の上着に切換え、さらにコート類なども着て、マフラーを首に巻いたりする。それでも寒くなると、長袖などの下着も重ね着したり、セーターを着るようになり、コート類も厚手のものをまとうようになる。
コートを着るようになったら冬なのか、長袖の下着を重ねて着るようになったら冬なのか、個人によりまちまちだろうが、実感する寒さが冬の指標にもなる。寒さが嫌いだからと、寒さに負けまいと抵抗して、着るものを増やさず痩せ我慢などすると、常に寒さを感じざるを得なくなるから、余計に寒さを意識するハメになる。
寒さを好む人は少ないだろうが、寒さに抗って薄着を続けても、寒さには勝てまい。寒暖などはストレスの要因になるともいう。寒くなれば寒さに負け、暑くなれば暑さに負け、雨が降れば雨に負け、風が吹けば風に負ける……でも、負けても平気だと天候に気分を左右されなくなったなら、人生の見方が変わって来るかもしれない。天気とケンカしたって、勝てる人間はいないから。
2015年11月14日土曜日
住む場所を選ぶ
現在のトルコ共和国に住むトルコ人は、テュルク系民族とされる。テュルク系民族は中央アジア一帯からモンゴル高原、現在の中国北部などにかけてユーラシア大陸の内陸部に広く住み、各地で様々な国をつくったり滅ぼしあったりしてきた。現在のトルコ人の祖先は、中央アジアから西へと混血を重ねながら移動を続けてきた人々だという。
バルカン半島にかつて存在したユーゴスラビアという国は、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人などから構成されていた。南スラブ人という共有する意識から形成された連合国家だったが、経済成長の地域格差などから分離独立の動きが始まり、解体した。南スラブ人は現在のウクライナ西部から移動を始め、6世紀頃にバルカン半島に住み着いたとされる。
日本人が大昔、どこかから民族ごと移住してきたという話は伝えられていない。古くから日本列島に住み続けてきた人々だけで日本人が形成されたと考える人もいたが、日本人のミトコンドリアDNAの解析により、アジア各地などからやって来た多様な人々が日本列島に住んでいた人々と混血して、形成されたのが日本人であることが明らかになった。
現世人類の祖先はアフリカで誕生し、20万年ほど昔に移動を始め、世界に広がったとされている。なぜ移動を始めたのかは分かっていないが、現世人類そのものが現在の概念でいう移民・難民と似たようなものであったのかもしれない。最近、海路や陸路で欧州に渡り、ドイツなどを目指して列をなして移動する移民・難民の写真を見ると、大昔にも同じような光景があった気になる。
近代国家ができ上がり、国境によって人類が明確に隔てられて生きるようになったのは、人類史的に見ると「つい最近」のことだ。そう考えると、欧州に殺到する移民・難民の姿は、現世人類が地球上で生き延びるための本来の行為の延長にあり、特異な現象ではないようにも思えて来る。
ただ、近代国家が数十万単位の大規模な移民・難民に直面するのは、大戦時以外では初めてだ。中東やアフリカなど欧州諸国が植民地にして収奪してきた土地から、人々が「豊かな」欧州に移住し始めた姿は、欧州諸国が植民地支配のツケを払わされているようにも見えるし、破綻国家から「マシ」な国家へ人々が大規模に移動し始めたとも見える。
国境の内部に国民を「閉じ込めて」管理するという近代国家の存在が、移民・難民の本質を見えなくしているのかもしれない。住む国家を選んで移動することは既に世界の金持ち達には珍しい行為ではなくなっているが、金持ちではない人々も身一つで、住む国家を選んで移動し始めた。欧州に殺到する移民・難民は、近代国家の枠組みを揺さぶるかもしれない。
2015年11月11日水曜日
戻る日は来るか
今は台湾の1政党になった中国国民党は、中国大陸で結党された百年ほどの歴史を持つ“老舗”政党だ。台湾に移ってきたのは66年前の1949年。中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃げ延びた。当時の中国共産党軍は陸軍が主体で、台湾に侵攻するほどの海軍力を有していなかったから、国民党は中国共産党に台湾から追い出されずに済んだ。
国民党は台湾で強権支配を続け、大陸反攻を掲げていたが、大陸を支配する中国共産党が次第に強大になるにつれ軍事力では拮抗できなくなり、大陸反攻の旗を降ろした。強権支配も続けることはできず、台湾では選挙による政権交代が定着した。台湾に根付いたように見える国民党だが、今でも中国大陸の政党であることを標榜しているという。
国民党には中国共産党と2回協力した過去がある。どちらも国民党が中国大陸で活動していた頃だ。第1次国共合作(1924〜1927年)は軍閥政権に対する共同戦線で、第2次国共合作(1937〜1945年)は日本軍に対する共同戦線。敵目標の一致を重視して連携し、単独では抗し難い敵に立ち向かったという構図だが、共通の敵がいなくなると、たちまち内戦に戻った。
中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が会談した。大陸と台湾に中国が分裂してから、両岸の政権トップが会談するのは初めてで、歴史的と評価する向きもある。だが、国民党の連戦主席は05年に訪中して当時の胡錦濤中国共産党総書記と初会談していたから、国民党と中国共産党の関係修復は既に実現していたことになる。
今回の会談では、「一つの中国」を認め合う「一九九二年合意」の堅持を確認し、関係の強化に向けて協議したと報じられるが、会うことに意味があった会談であり、具体的な成果は二の次だ。台湾での次期総統選で優位が伝えられる民進党へのけん制を狙ったものともいうが、国民党が大陸中国に接近しすぎる姿を見せることが、次期総統選で国民党を有利にするかどうかは分からない。
もともとは大陸で結成され、その党員の大半が大陸の人々であった国民党が台湾に居続けるのは、中国共産党に大陸を追われたからだ。中国共産党との関係が修復したなら、国民党は大陸に戻っても良さそうなものだが、立ちはだかるのが、形式的な野党の存在しか許さないという中国共産党の独裁だ。
国民党は台湾で自由な選挙を経験しているので、中国共産党の独裁が続く限り、大陸に戻ることはないだろうし、党員の大半も戻りたがらないかもしれない。国民党が大陸に戻るのは、中国共産党の独裁が終わった時だが、そんな日はいつ来るのか分からない。国民党は「一つの中国」を主張することで中国共産党と“共闘”できるが、それは中国共産党への支援にもなり、国民党が大陸へ戻る日を遠ざけることにもなる。
2015年11月7日土曜日
社会の外から来る大量の難民
東日本大震災で被災し、避難所生活を強いられた人の数は全国で最高時には約47万人にも達した。阪神大震災では約32万人。被災者は学校や公共施設などで集団生活し、仮設住宅が整備されたなら順次移転したり、借り上げの災害公営住宅などに入居するなどして、とりあえずの住居を確保して生活の再建を目指す。
被災者の支援を直接担当するのは地方自治体だ。地震などでは被災地の自治体担当者も被災者であることが多いが、多くの人は献身的に他の被災者の支援にあたる。同じ境遇にあるからこそ、同じ被災者を助けなければとの使命感が強くなるのかもしれない。地震など自然災害が多い日本では、いつでも、どこでも、誰でも被災者になる可能性がある。
大規模な自然災害による被災なら、国境を越えても同情が生じ、援助しようと募金などにつながったりする。一方、内戦などを逃れて国境を越える難民は、生活基盤を失い、やっと生き延びたということでは自然災害による被災者と同様だが、彼らは往々にして過酷な環境で生きることを強いられる。内戦や紛争は常に世界の各地で起きているから、難民はいつでも、そして大量に存在するのが現実だ。
そうした難民が国境を越えて自分らの所へ押し寄せて来るとなれば、それは概念の難民ではなく具体的な人間となる。自然災害による被災者と同様に、衣食住の支援を要する人々なのだから、即座の対応を要する。支援を行うのは、押し寄せられた側だ。10人分の衣食住を支援することでも容易ではないだろうが、それが百人、千人、さらには万人単位となると、支援のシステムを構築することが必要になる。
押し寄せる難民に対する支援をどうするか、それを現実問題として突きつけられているのが現在の欧州だ。中東などから地中海を渡って欧州に到着した難民らの数が10月だけで21万8000人を超え、昨年の年間総数を上回り、年初からの合計は74万4000人以上になるという。陸路を含めると、総数はさらに増えよう。ドイツは今年の亡命申請者を80万人と予測したが、もっと多くなるとの見方が多い。
シリア内戦が泥沼化したことに欧州は責任があるので、シリアからの難民に背を向けることはできないし、中東やアフリカの多くの難民・移民の排出国は、かつての欧州諸国の植民地だが、植民地支配による収奪の清算をしていないのだから、欧州諸国には後ろめたさがある。ただし、植民地支配の責任についてはウヤムヤにしたままなので、旧植民地からの難民に対しても、あくまで人道的な配慮を装う。
地震などによる被災者は社会の内側にいた人々だから、助け合うという気持ちが自然に生じるだろうが、難民は、社会の外側からやって来る。そうした難民を、例えばドイツが助けるためには、「過去に難民を排出したから、今度は助ける」など様々な理由が必要になる。外から来る難民を助けるためには、それを政治的に正当化することがまず必要になる。
2015年11月4日水曜日
突出した先見性
坂口安吾の歴史小説『信長』の中に次の言葉がある。
「人が最後の崖に立ったとき、他に助けを求め、奇蹟を求める時は、必ず滅びる時である。自分の全てをつくすことだけが奇蹟をも生みうるのだ。もしもそれを奇蹟とよびうるならば」
「ギリギリの時には奇策もずるさも有り得ない。奇蹟やずるさは平時の用意であって、いざ決戦の場に於ては平時の訓練を全的に投入する以外に奇策も奇蹟も待望し得ないのである。もしも待望する人は、それを待望するという至らなさによって敗れるだけのことである」
「溺れてワラをつかむ人は助からない。息の絶ゆるまで、手足の動く限り、陸に向って泳ぐことに投入することだけが助かる道だ。陸に人の姿を認めて救援をもとめる努力をするだけでも身を亡す原因になるだけだ。ギリギリの場は、いつもそういうものである」
信長というと、若き日には、茶筌マゲに半裸の上半身、刀に縄を巻いた異様ないでたちで出歩き、父親の葬儀では抹香をつかんで、仏前に投げつけたなど奇矯な振る舞いで知られ、身内のはずの家臣団の中からも、タワケと見られていたことは広く知られている。
後に天下を取ったから信長の振る舞いを現代では、世に入れられぬ“天才”の自由さとか、突出した先見性の表れとか解釈できようが、コトを為す以前に“天才”を見いだすのは容易ではない。その人物がなし遂げたことを知ってから、異才ぶりを納得するのは簡単だが、コトを成し遂げる以前には、異様さはただの異様さとしか多くの人の目には映らないかもしれない。
突出した先見性とは、既存の通念、秩序、常識などにとらわれず、数年先や数十年先の時代にふさわしい合理性を想像したり直感できる能力である。例えば信長は、弓矢や刀より遥かに殺傷能力が高い鉄砲の導入により、戦場での戦闘スタイルや戦法が激変することにいち早く対応した。
信長が生きたのは、親兄弟であっても時には殺し合い、家臣の裏切りも珍しくないという時代。武士の忠義が美化されたのは、現実には忠義が希薄だったからだ。そんな中で信長は父親の死後、親族、家臣をまとめることができず、気を緩めれば倒されるという状況が続き、尾張を平定することさえ簡単ではなかった様子が小説「信長」では描かれる。
信長における合理主義とは、生き残ることを最優先させることだった。生き残るには、他よりも強くあるしかない。その強さとは、誰かが助けてくれると期待せず、自力で敵を倒すしかないと腹を決めること。強くあるためには、精神力や神仏の加護などよりも、さらに協力な武器を備え、新たな戦術、戦法で戦うことが現実的。何かに頼る気持ちが芽生えたなら、もう弱っていることの兆しなのだ……と信長なら考えただろう。
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