人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、強権的な指導者や自国優先を主張するポピュリストを選出する動きが各国で相次いでいる。こうした現象に対して民主主義の機能不全を憂う論が出ているが、おそらく民主主義が機能しているから、強権的な指導者やポピュリストが選出されるのだ。
社会に分断が存在するときに自由な選挙が実施されたなら、すでに存在する分断を反映した結果となるのは不思議ではない。主権者である人々が、人々の権利や自由よりも愛国主義や民族主義、さらには偏狭な国益などを重視する候補者に投票する現象は世界で繰り返されてきた。
なぜ、民主主義が制度化されている社会で人々は時に、民主主義に背を向けるような候補者に投票するのだろうか。おそらく、主権者であることに伴う民主主義を維持する利益や義務より個人的な利益などを優先させたり、民主主義の結果としての現実政治に「ありがたさ」を感じていないからだろう。
人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、その自由な投票の結果が民主主義への幻滅をもたらすのは皮肉だ。だが民主主義は国家権力に正当性を与える制度の一つにすぎず、民主主義は結果としての善政や社会の和解、統合を保証するものではない。
人々が国家の主権者であることを確認し、国家権力を監視するのが自由選挙であり、民主主義だ。人々の間に政治や経済、社会規範などをめぐり様々な対立や分断がある場合、自由選挙はそれらを顕在化させる。それは制度としての民主主義の危機ではない。民主主義の危機とは、主権者である人々が自由選挙から排除されるときだ。
英国は国民投票でEU離脱を決めたものの、その実現のために四苦八苦している。自由投票の結果に示された主権者の意思に現実政治が縛られて混乱している例だが、民主主義が英国で機能している姿でもある。
様々な対立や分断が人々の間にある場合、それは自由選挙を経て現実政治に持ち込まれ、現実政治において様々な対立や分断が激しくなり、膠着状態に陥って「機能しない政治」になったりする。民主主義による現実政治は迷走するものなのかもしれない。
2018年11月28日水曜日
2018年11月24日土曜日
キャッシュレス決済の罠
中国ではクレジットカード決済などよりもQRコード決済の普及が進み、屋台でも利用可能になり、現金をほとんど使用しないで日常生活が可能だと、シェア自転車などシェアエコノミーと合わせて、中国社会の「先進性」が日本でも盛んに報じられた。
キャッシュレス決済の利便性ばかりを強調して報じ、「中国に遅れるな」と、日本もキャッシュレス決済に移行するのが当然だとの雰囲気づくりが始まった。だが北海道胆振東部地震による停電が、キャッシュレス決済の脆弱性を露わにした。
店舗の読み取り端末などが停電で使えなかったり、回線網が断絶や通信制限などで機能しなくなった時にキャッシュレス決済はできなくなる。スマホを使ったQRコード決済も、地震後のスマホでの通話が制限される状況下では厳しい。決済情報を即時処理するキャッシュレス決済には電気と通信が確保されていることが必要だ。
盛んに利便性ばかりが日本で報じられた中国のシェア自転車だが、失速していることが日本でもようやく報じられ始めた。中国におけるキャッシュレス決済にもおそらく問題点や脆弱性などがあるだろうが、偽造のQRコードによるキャッシュレス詐欺が報じられる程度だ。
キャッシュレス決済には別の懸念もある。中国などの独裁国家では、個人のキャッシュレス決済の情報を国家が監視しているだろうし、危険とみなした人物をキャッシュレス決済から排除することも可能だろう。キャッシュレス決済の社会では、日常的に国家が特定の人物を国内経済から除外し、困窮させることができる。
脆弱性も問題点も抱えるキャッシュレス決済だが、日本で本格的な導入へ向けて環境整備が進んでいる。大手銀行が全国の支店の統廃合や人員削減を急いで進めるのは、キャッシュレス決済の普及を前提にしているのだろう。人件費を削減できるのだから、小売店もキャッシュレス決済導入には前向きだ。
キャッシュレス決済に伴って蓄積される個人の取引情報は、企業にとって魅力的だろう。そうした情報がどう「加工」されて商品になるのかも懸念されるところだ。さらに日本でキャッシュレス決済の普及に伴う現実的な懸念は、普通預金にもマイナス金利が導入されることだろう。キャッシュレス決済が普及すると、マイナス金利になっても口座を解約できない。
キャッシュレス決済の利便性ばかりを強調して報じ、「中国に遅れるな」と、日本もキャッシュレス決済に移行するのが当然だとの雰囲気づくりが始まった。だが北海道胆振東部地震による停電が、キャッシュレス決済の脆弱性を露わにした。
店舗の読み取り端末などが停電で使えなかったり、回線網が断絶や通信制限などで機能しなくなった時にキャッシュレス決済はできなくなる。スマホを使ったQRコード決済も、地震後のスマホでの通話が制限される状況下では厳しい。決済情報を即時処理するキャッシュレス決済には電気と通信が確保されていることが必要だ。
盛んに利便性ばかりが日本で報じられた中国のシェア自転車だが、失速していることが日本でもようやく報じられ始めた。中国におけるキャッシュレス決済にもおそらく問題点や脆弱性などがあるだろうが、偽造のQRコードによるキャッシュレス詐欺が報じられる程度だ。
キャッシュレス決済には別の懸念もある。中国などの独裁国家では、個人のキャッシュレス決済の情報を国家が監視しているだろうし、危険とみなした人物をキャッシュレス決済から排除することも可能だろう。キャッシュレス決済の社会では、日常的に国家が特定の人物を国内経済から除外し、困窮させることができる。
脆弱性も問題点も抱えるキャッシュレス決済だが、日本で本格的な導入へ向けて環境整備が進んでいる。大手銀行が全国の支店の統廃合や人員削減を急いで進めるのは、キャッシュレス決済の普及を前提にしているのだろう。人件費を削減できるのだから、小売店もキャッシュレス決済導入には前向きだ。
キャッシュレス決済に伴って蓄積される個人の取引情報は、企業にとって魅力的だろう。そうした情報がどう「加工」されて商品になるのかも懸念されるところだ。さらに日本でキャッシュレス決済の普及に伴う現実的な懸念は、普通預金にもマイナス金利が導入されることだろう。キャッシュレス決済が普及すると、マイナス金利になっても口座を解約できない。
2018年11月21日水曜日
社会の規範とLGBT
イスラム国(IS)は支配下に置いていたシリアなどで銃殺や斬首、焼殺などの残虐な処刑を行い、そうした映像を一部は公開した。その中に、同性愛者との理由により、ビル屋上から男性を突き落として処刑した映像もあった。地上では人々が集まり、見ていたという。
ISは、男性の同性愛者はイスラム教の聖典コーランの教えや預言者ムハンマドの言行録に背く者だとし、処刑を正当化した。ISの支配地では同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーは厳しい状況に置かれていたという。
イスラム教では同性愛は禁止され、中東やアフリカなど世界には法律で同性愛を処罰対象にしている国がある。サウジアラビアやイラン、アフガニスタン、パキスタン、スーダンなどでは死刑の対象であり、ロシアやインド、マレーシア、ミャンマー、エジプト、エチオピア、アルジェリアなどでは懲役刑の対象になる。
一方で欧米などの諸国では同性婚が法的に制度化され、LGBTの権利拡大を要求する運動が盛んだ。同性愛などを巡る法的状況は世界では大きく二分されているのだが、日本などのように同性愛を処罰する法も同性婚を認める法もなく、個人の自由としている国もある。
「誰を愛するか」「誰と性交渉するか」……これは極めて私的な領域だ。同時に、そうした対人関係は社会における人間関係の基本的な単位ともなり得る。だから、社会は、婚姻や性交により形成される人間関係(集団)に社会的な規範に合致するよう要求してきた。
宗教は個人の意識や行動に規範を与える。宗教が社会に大きく影響を与えているところでは、個人に対して社会が宗教の影響を受けた規範を示し、それで律しようとする。欧米などがLGBTの権利容認に積極的に動くのは、LGBTに対する圧力が根強いと同時に、宗教的な規範と社会的な規範が分離しつつあることを示している。
宗教の締め付けが強い社会ではLGBTは弱者との位置付けなのかもしれないが、個人の性的嗜好は個人の自由であるとする日本のような社会でのLGBTの位置付けは異なる。欧米の影響を受けて日本でもLGBTの権利拡大の動きが大きく報じられるようになったが、そうした運動が日本では誰に対して何を要求しているのか曖昧だ。「誰を愛してもいい」という日本でいま、LGBTは社会的な対策を必要とする問題なのだろうか。
ISは、男性の同性愛者はイスラム教の聖典コーランの教えや預言者ムハンマドの言行録に背く者だとし、処刑を正当化した。ISの支配地では同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーは厳しい状況に置かれていたという。
イスラム教では同性愛は禁止され、中東やアフリカなど世界には法律で同性愛を処罰対象にしている国がある。サウジアラビアやイラン、アフガニスタン、パキスタン、スーダンなどでは死刑の対象であり、ロシアやインド、マレーシア、ミャンマー、エジプト、エチオピア、アルジェリアなどでは懲役刑の対象になる。
一方で欧米などの諸国では同性婚が法的に制度化され、LGBTの権利拡大を要求する運動が盛んだ。同性愛などを巡る法的状況は世界では大きく二分されているのだが、日本などのように同性愛を処罰する法も同性婚を認める法もなく、個人の自由としている国もある。
「誰を愛するか」「誰と性交渉するか」……これは極めて私的な領域だ。同時に、そうした対人関係は社会における人間関係の基本的な単位ともなり得る。だから、社会は、婚姻や性交により形成される人間関係(集団)に社会的な規範に合致するよう要求してきた。
宗教は個人の意識や行動に規範を与える。宗教が社会に大きく影響を与えているところでは、個人に対して社会が宗教の影響を受けた規範を示し、それで律しようとする。欧米などがLGBTの権利容認に積極的に動くのは、LGBTに対する圧力が根強いと同時に、宗教的な規範と社会的な規範が分離しつつあることを示している。
宗教の締め付けが強い社会ではLGBTは弱者との位置付けなのかもしれないが、個人の性的嗜好は個人の自由であるとする日本のような社会でのLGBTの位置付けは異なる。欧米の影響を受けて日本でもLGBTの権利拡大の動きが大きく報じられるようになったが、そうした運動が日本では誰に対して何を要求しているのか曖昧だ。「誰を愛してもいい」という日本でいま、LGBTは社会的な対策を必要とする問題なのだろうか。
2018年11月17日土曜日
巨大化するフロントグリル
横断歩道を渡り始め、ふと気配を感じて横を見ると、停車した自動車の巨大なフロントグリルがあったりする。2つのヘッドライトを目とすると、大口を開けている表情に見える。その表情は街の風景に溶け込むのではなく、強く存在感を主張している。
世界的に自動車のフロントグリルが巨大化する傾向にある。フロントグリルで個性(伝統)を表現するのは、ロールス・ロイスやアルファロメオ、BMWなど欧州メーカーでは珍しくはなかったが、最近の巨大化するフロントグリルの流行はアウディが新しいフロントグリルに変え、個性を際立たせたことから始まったという。
それからレクサスがフロントグリルのデザインを一新し、独特なデザインを採用、モデル数が増えるにつれてフロントグリルを巨大化させたレクサス車が増殖した。それが世界のメーカーを刺激し、フロントグリルで各社の個性を強調することを促したように見える。
フロントグリルは巨大化してもラジエターが大きくなったわけではないから、巨大なフロントグリルをよく見ると、空気を取り込む部分は小さかったりする。つまり、巨大化したフロントグリルの大半が、デザイン優先の装飾だ。
世界的に自己主張を強めたカーデザインが流行で、巨大なフロントグリルは欠かせない要素になったようだ。電気自動車にはラジエターは不要だからフロントグリルも不要なのだが、各社の最新の電気自動車にも大きなフロントグリルは健在だ。
フロントグリルを巨大化するとしても、ボンネットの先端を持ち上げると空気抵抗が増えるので、左右方向か地面方向へと面積を増やす。だから、巨大化したフロントグリルの下端が地面から10センチぐらいまで下がった自動車もある。
迫力ある表情を狙ったのだろうが、不都合なことも起きる。それは冬の雪国の路上だ。降雪が多かったりすると、除雪が間に合わない道路が増え、自動車は掘られた轍をなぞって進むしかない。そんな時に車体底部は轍の間の雪面に接し、地面方向に広がった巨大なフロントグリル下部に雪がたまる。口を大きく開けて雪を頬張っているような表情に見えては、微笑ましいだろうが、迫力は消え失せる。
世界的に自動車のフロントグリルが巨大化する傾向にある。フロントグリルで個性(伝統)を表現するのは、ロールス・ロイスやアルファロメオ、BMWなど欧州メーカーでは珍しくはなかったが、最近の巨大化するフロントグリルの流行はアウディが新しいフロントグリルに変え、個性を際立たせたことから始まったという。
それからレクサスがフロントグリルのデザインを一新し、独特なデザインを採用、モデル数が増えるにつれてフロントグリルを巨大化させたレクサス車が増殖した。それが世界のメーカーを刺激し、フロントグリルで各社の個性を強調することを促したように見える。
フロントグリルは巨大化してもラジエターが大きくなったわけではないから、巨大なフロントグリルをよく見ると、空気を取り込む部分は小さかったりする。つまり、巨大化したフロントグリルの大半が、デザイン優先の装飾だ。
世界的に自己主張を強めたカーデザインが流行で、巨大なフロントグリルは欠かせない要素になったようだ。電気自動車にはラジエターは不要だからフロントグリルも不要なのだが、各社の最新の電気自動車にも大きなフロントグリルは健在だ。
フロントグリルを巨大化するとしても、ボンネットの先端を持ち上げると空気抵抗が増えるので、左右方向か地面方向へと面積を増やす。だから、巨大化したフロントグリルの下端が地面から10センチぐらいまで下がった自動車もある。
迫力ある表情を狙ったのだろうが、不都合なことも起きる。それは冬の雪国の路上だ。降雪が多かったりすると、除雪が間に合わない道路が増え、自動車は掘られた轍をなぞって進むしかない。そんな時に車体底部は轍の間の雪面に接し、地面方向に広がった巨大なフロントグリル下部に雪がたまる。口を大きく開けて雪を頬張っているような表情に見えては、微笑ましいだろうが、迫力は消え失せる。
2018年11月14日水曜日
逃散と民主主義
逃散は古くから日本の農民の抵抗手段だった。重い年貢課役や領主・代官らの横暴に我慢できなくなった集落の農民が一斉に耕作を放棄して他領や山野に逃亡した。抵抗手段としては一揆や強訴などもあったが逃散は、圧迫を加える支配者との直接的な対決より、支配従属関係を断ちきることで抵抗した。
もちろん、他領や山野での新しい生活がユートピアであるはずはなく、どこに行っても収奪の対象である農民の生活は同じようなものだっただろう。だが、わずかではあっても、より良い生活を求めて行動せざるを得ない過酷な状況下で生活している人々に、現状を変える選択肢は限られる。一揆などで直接対決する態勢が構築できないなら、逃散するしかない。
過酷な生活を強いられる状況を「変えなければ」という強い欲求が人々を動かす。だが、主権が支配者にあった時代に、収奪の対象である農民にできることは、我慢を続けるか、懇願するか、力づくで要求を通すか、脱出して新たな土地での生活を始めるか。
主権者である人々の自由投票で選出した議員により議会を形成し、その議会が国家の基本を定めるという民主主義の社会においても、主権者である人々が過酷な生活を強いられる社会はある。主権者である人々が「こんな社会は嫌だ」と意思を示し、主権者である人々が社会を変えることができるのが民主主義社会だとされている。
では、主権者である人々が社会を変えるためにできることは何か。第一に、言論や街頭行動などで政府の施策に対する反対を表明すること。それでも変わらなければ第二に、投票により政府を交替させること。選挙に対する介入などで自由な投票が損なわれたり、選挙の結果を無視して政府が居座る時などには、力づくで政府を変えることが主権者である人々の最後の手段だ。
現代の民主主義社会では人々は主権者として、社会が過酷な状況にあるときは、それを是正する責任を負う。しかし、経済的に破綻状態であったり、治安が崩壊して暴力集団が牛耳っている民主主義社会で主権者である人々にできることは限られる。我慢を続けるか、懇願するか、革命を起こすか。
自国を捨てて他国に移住するのは現代版「逃散」かもしれない。米国への移住を求めて歩き続ける人々は、ホンジュラスの主権者であることに誇りを持てず、絶望に突き動かされてホンジュラスを見限った。自国を見捨てる人々がいかに多いか、世界各地で先進国などへ移動を続けている人々の姿が示している。
もちろん、他領や山野での新しい生活がユートピアであるはずはなく、どこに行っても収奪の対象である農民の生活は同じようなものだっただろう。だが、わずかではあっても、より良い生活を求めて行動せざるを得ない過酷な状況下で生活している人々に、現状を変える選択肢は限られる。一揆などで直接対決する態勢が構築できないなら、逃散するしかない。
過酷な生活を強いられる状況を「変えなければ」という強い欲求が人々を動かす。だが、主権が支配者にあった時代に、収奪の対象である農民にできることは、我慢を続けるか、懇願するか、力づくで要求を通すか、脱出して新たな土地での生活を始めるか。
主権者である人々の自由投票で選出した議員により議会を形成し、その議会が国家の基本を定めるという民主主義の社会においても、主権者である人々が過酷な生活を強いられる社会はある。主権者である人々が「こんな社会は嫌だ」と意思を示し、主権者である人々が社会を変えることができるのが民主主義社会だとされている。
では、主権者である人々が社会を変えるためにできることは何か。第一に、言論や街頭行動などで政府の施策に対する反対を表明すること。それでも変わらなければ第二に、投票により政府を交替させること。選挙に対する介入などで自由な投票が損なわれたり、選挙の結果を無視して政府が居座る時などには、力づくで政府を変えることが主権者である人々の最後の手段だ。
現代の民主主義社会では人々は主権者として、社会が過酷な状況にあるときは、それを是正する責任を負う。しかし、経済的に破綻状態であったり、治安が崩壊して暴力集団が牛耳っている民主主義社会で主権者である人々にできることは限られる。我慢を続けるか、懇願するか、革命を起こすか。
自国を捨てて他国に移住するのは現代版「逃散」かもしれない。米国への移住を求めて歩き続ける人々は、ホンジュラスの主権者であることに誇りを持てず、絶望に突き動かされてホンジュラスを見限った。自国を見捨てる人々がいかに多いか、世界各地で先進国などへ移動を続けている人々の姿が示している。
2018年11月10日土曜日
新しい食材への挑戦
フグの卵巣には毒が含まれているので、食べることはできない。だが、北陸には、2年以上、塩漬けや糠漬けにすることで毒素をほぼ消失させ、食材としている地域がある。毒素がほぼ消えるメカニズムは解明されていないそうだが、江戸時代から食べられているという。
世界各地には昆虫食の文化があり、例えばタイの屋台では、素揚げしたり、茹でたり、炒めたりした様々な昆虫が売られている。バッタやセミ、ケラ、タガメ、ゲンゴロウなどのほか、サソリも食べられている。試した人によると、苦みや雑味の強いものが多いそうだ。
日本にも昆虫食の文化があり、ハチやイナゴ、ザザムシ、蚕のサナギなどを佃煮などにして食べてきた。ただ、昆虫には寄生虫がいることがあるので、火を使って調理することが世界の昆虫食では共通している。生で食べるのは危険だと長い歴史の中で人々は感知したのだろう。
昆虫ではないが、奇妙な食文化として有名なのはフランスでのエスカルゴ食だ。エスカルゴはカタツムリの1種で軟体動物門の陸貝。殻のあるものがカタツムリで、殻のないものがナメクジ。エスカルゴの調理は、内臓を取り除き、下味をつけるために長時間煮込むなど手間と時間がかかるそうだ。
日本にもカタツムリが生息しているので、フランス料理で食べられているのだから試してみるかと、そこらでカタツムリを捕まえて調理するのは危険だ。カタツムリやナメクジには広東住血線虫という有害な寄生虫を保有しているものがある。
この寄生虫により最近、男性が死亡したことがニュースになった。豪シドニーの自宅の庭でワインを飲んでいた男性が2010年、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫に感染して420日間も昏睡状態に陥り、意識が回復した後も全身がまひして24時間介護が必要だったという。寄生虫が脳に入ると髄膜炎を引き起こすとされる。
ナメクジやカタツムリに素手で触ることで寄生虫に感染する可能性があり、ナメクジやカタツムリに触れた手はよく洗い、生野菜もよく洗うか加熱することで感染を防ぐことができるという。
長い歴史の中で人類は様々なものを食べて試して、何は食べることができるか、何は食べては危険かを見いだしてきた。火を使い加熱することの発見で食材の範囲は大きく広がっただろう。その延長に現在の世界各地の豊かな食文化があるのだが、新しい食材への挑戦者の歴史に埋れた「犠牲」も多かったに違いないと今回の男性の死亡が示唆している。
世界各地には昆虫食の文化があり、例えばタイの屋台では、素揚げしたり、茹でたり、炒めたりした様々な昆虫が売られている。バッタやセミ、ケラ、タガメ、ゲンゴロウなどのほか、サソリも食べられている。試した人によると、苦みや雑味の強いものが多いそうだ。
日本にも昆虫食の文化があり、ハチやイナゴ、ザザムシ、蚕のサナギなどを佃煮などにして食べてきた。ただ、昆虫には寄生虫がいることがあるので、火を使って調理することが世界の昆虫食では共通している。生で食べるのは危険だと長い歴史の中で人々は感知したのだろう。
昆虫ではないが、奇妙な食文化として有名なのはフランスでのエスカルゴ食だ。エスカルゴはカタツムリの1種で軟体動物門の陸貝。殻のあるものがカタツムリで、殻のないものがナメクジ。エスカルゴの調理は、内臓を取り除き、下味をつけるために長時間煮込むなど手間と時間がかかるそうだ。
日本にもカタツムリが生息しているので、フランス料理で食べられているのだから試してみるかと、そこらでカタツムリを捕まえて調理するのは危険だ。カタツムリやナメクジには広東住血線虫という有害な寄生虫を保有しているものがある。
この寄生虫により最近、男性が死亡したことがニュースになった。豪シドニーの自宅の庭でワインを飲んでいた男性が2010年、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫に感染して420日間も昏睡状態に陥り、意識が回復した後も全身がまひして24時間介護が必要だったという。寄生虫が脳に入ると髄膜炎を引き起こすとされる。
ナメクジやカタツムリに素手で触ることで寄生虫に感染する可能性があり、ナメクジやカタツムリに触れた手はよく洗い、生野菜もよく洗うか加熱することで感染を防ぐことができるという。
長い歴史の中で人類は様々なものを食べて試して、何は食べることができるか、何は食べては危険かを見いだしてきた。火を使い加熱することの発見で食材の範囲は大きく広がっただろう。その延長に現在の世界各地の豊かな食文化があるのだが、新しい食材への挑戦者の歴史に埋れた「犠牲」も多かったに違いないと今回の男性の死亡が示唆している。
2018年11月7日水曜日
ロックは老人の音楽?
ポール・マッカートニー(PM)が来日して、東京ドームで2時間半のライブを行い、最新アルバムからビートルズ・ナンバーまで全36曲を披露し、両国国技館のライブでは全31曲を披露したそうだ。PMは立ってベースを弾いて歌い、途中でピアノやギターも弾いたという。
PMは1942年6月生まれだから76歳だ。英国でビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのは1962年10月だからPMは20歳だった。それから56年経ってもPMはワールド・ツアーを続けている。
PMだけではなくローリング・ストーンズも昨年から今年にかけてワールド・ツアーを行うなど、1960年代、70年代にデビューしたバンドやミュージシャンの大規模ツアーは珍しいことではない。「老人になってもロックをやっている」と以前は驚かれたが、最近ではフツーの光景になった。
ザ・バンドは1960年代初めから活動し、レコード・デビューしたのは1968年で1976年に活動を停止した。ボブ・ディランやニール・ヤング、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトンらも参加したラスト・コンサートの模様は、マーティン・スコセッシ監督の映画『ラスト・ワルツ』として公開された。
その『ラスト・ワルツ』が日本での公開40周年を機に、映像がデジタル・リマスターされて大音響による上映が行われている。ある地方都市の映画館でも上映され、観に行った友人は、映像と大音量のサウンドには満足したものの、別のことが印象に残ったという。
友人曰く、「観に来ていたのはジジイとババアばかり。けっこう人数は多かったけど、みんな老人だ」。60代の友人は自分もジジイなのだが、いまでも毎日のようにロックを聴き、若いころ着ていたような服を好む。が、観に来ていた人の半分以上が地味な服装で、顔つきなども見るからにフツーの老人だったと友人。
ロックは若者の音楽だなどと1960年代などに言われたが、「それは目新しい音楽という意味でしかなかった」とし、音楽に精神性を絡ませて論じるのが当時流行ったが、「こじつけだった」と友人。解釈に過ぎない論が、本質を突く議論であるかのように持てはやされるのは珍しくない。
ロックは音楽のジャンルとして確かな位置を占めた現在、PMなどのようにミュージシャンやバンドだけが高齢化したわけではなく、ロックファンも高齢化した。表面だけ見るならば、ロックは老人の音楽だと慌て者が言いだすかもしれないな。
PMは1942年6月生まれだから76歳だ。英国でビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのは1962年10月だからPMは20歳だった。それから56年経ってもPMはワールド・ツアーを続けている。
PMだけではなくローリング・ストーンズも昨年から今年にかけてワールド・ツアーを行うなど、1960年代、70年代にデビューしたバンドやミュージシャンの大規模ツアーは珍しいことではない。「老人になってもロックをやっている」と以前は驚かれたが、最近ではフツーの光景になった。
ザ・バンドは1960年代初めから活動し、レコード・デビューしたのは1968年で1976年に活動を停止した。ボブ・ディランやニール・ヤング、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトンらも参加したラスト・コンサートの模様は、マーティン・スコセッシ監督の映画『ラスト・ワルツ』として公開された。
その『ラスト・ワルツ』が日本での公開40周年を機に、映像がデジタル・リマスターされて大音響による上映が行われている。ある地方都市の映画館でも上映され、観に行った友人は、映像と大音量のサウンドには満足したものの、別のことが印象に残ったという。
友人曰く、「観に来ていたのはジジイとババアばかり。けっこう人数は多かったけど、みんな老人だ」。60代の友人は自分もジジイなのだが、いまでも毎日のようにロックを聴き、若いころ着ていたような服を好む。が、観に来ていた人の半分以上が地味な服装で、顔つきなども見るからにフツーの老人だったと友人。
ロックは若者の音楽だなどと1960年代などに言われたが、「それは目新しい音楽という意味でしかなかった」とし、音楽に精神性を絡ませて論じるのが当時流行ったが、「こじつけだった」と友人。解釈に過ぎない論が、本質を突く議論であるかのように持てはやされるのは珍しくない。
ロックは音楽のジャンルとして確かな位置を占めた現在、PMなどのようにミュージシャンやバンドだけが高齢化したわけではなく、ロックファンも高齢化した。表面だけ見るならば、ロックは老人の音楽だと慌て者が言いだすかもしれないな。
2018年11月3日土曜日
ISが提起したもの
イスラム国(IS)関連の報道がめっきり減った。2014年には、シリアとイラクにかけて広大なカリフ制国家の樹立を宣言し、残虐な処刑シーンなどをネットで公開して世界中から戦闘員を集めて勢力を拡大させたものの、米軍の支援を受けた武装勢力などの反撃が本格化し、2017年には相次いで拠点を失った。
ISはこのまま消えて行くのか、世界のどこかに移って戦い続けるのか、テロリストの緩やかなネットワークなどと形態を変えて「ブランド」を残すのか定かではない。ただ、中東の武装勢力の一つにすぎないISが、米国やロシアを動かすなど世界的な影響力を持った存在に一時は成長したことは確かだ。
勢力を拡大したISが欧米に排除されたのは、第一にイラクやシリアなど既存の国境を否定したことだ。それは中東における欧米主導の秩序を覆し、再構築することを意味する。イラクやシリアの解体が現実となれば、植民地支配の時代から続く欧州の影響力の排除につながっただろう。
第二に、ISはインターネットを使ってプロパガンダを活発化し、世界の人々に戦列に加わることを呼びかけ、それを受けて少なからぬ人々がISに加わるために欧州などから中東に向かい、あるいは欧州でテロを決行した。つまりISは戦線を中東だけに留めず、欧州などに拡大した(欧州などを巻きこんだ)。
第三に、ISはイスラムを前面に出し、特定国の反政府活動にとどまらず地域性や民族性などを希薄化させ、新しい組織イメージを喚起した。各地の個別テログループがそれぞれに唱えるだけだったジハード思想を共有させ、反欧米のイスラム統一戦線めいたものの構築へ種を蒔く可能性があった。
このまま消えたとしてもISが新たな概念を提起したことは確かだ。アラブ世界やイスラム世界に広がる武装闘争の原理めいたものを、現実的な形態で示して見せた。個別の国家や政府への武装闘争はそれぞれに正当性を持つだろうが、広い連帯には制約がある。ISの提起は、国境などにとらわれない新たな闘争原理の端緒になるものかもしれない。
現実にはISの支配地における残虐性が暴かれ、アラブ世界でもISの影響力は限定的なものであろうが、ISの提起したものも全否定されるかどうかは不明だ。ISの「失敗」を踏まえ、アラブ世界やイスラム世界における広範な武装闘争の論理が新たな武装勢力によって唱えられる日が来る可能性はある。
ISはこのまま消えて行くのか、世界のどこかに移って戦い続けるのか、テロリストの緩やかなネットワークなどと形態を変えて「ブランド」を残すのか定かではない。ただ、中東の武装勢力の一つにすぎないISが、米国やロシアを動かすなど世界的な影響力を持った存在に一時は成長したことは確かだ。
勢力を拡大したISが欧米に排除されたのは、第一にイラクやシリアなど既存の国境を否定したことだ。それは中東における欧米主導の秩序を覆し、再構築することを意味する。イラクやシリアの解体が現実となれば、植民地支配の時代から続く欧州の影響力の排除につながっただろう。
第二に、ISはインターネットを使ってプロパガンダを活発化し、世界の人々に戦列に加わることを呼びかけ、それを受けて少なからぬ人々がISに加わるために欧州などから中東に向かい、あるいは欧州でテロを決行した。つまりISは戦線を中東だけに留めず、欧州などに拡大した(欧州などを巻きこんだ)。
第三に、ISはイスラムを前面に出し、特定国の反政府活動にとどまらず地域性や民族性などを希薄化させ、新しい組織イメージを喚起した。各地の個別テログループがそれぞれに唱えるだけだったジハード思想を共有させ、反欧米のイスラム統一戦線めいたものの構築へ種を蒔く可能性があった。
このまま消えたとしてもISが新たな概念を提起したことは確かだ。アラブ世界やイスラム世界に広がる武装闘争の原理めいたものを、現実的な形態で示して見せた。個別の国家や政府への武装闘争はそれぞれに正当性を持つだろうが、広い連帯には制約がある。ISの提起は、国境などにとらわれない新たな闘争原理の端緒になるものかもしれない。
現実にはISの支配地における残虐性が暴かれ、アラブ世界でもISの影響力は限定的なものであろうが、ISの提起したものも全否定されるかどうかは不明だ。ISの「失敗」を踏まえ、アラブ世界やイスラム世界における広範な武装闘争の論理が新たな武装勢力によって唱えられる日が来る可能性はある。
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