2015年3月28日土曜日

過剰な生産力の“はけ口”


 中国が主導して設立するというアジアインフラ投資銀行(AIIB)にアジア諸国などが参加を決めていたが、米はAIIBの組織の統治や融資基準などが不透明だとして懸念を表明、参加を見合わせるよう日豪韓などに促していた。ところがG7メンバーの英が参加を決め、独仏伊も続いたので、流れは「参加して内から影響力を行使した方がいい」に一気に傾き、韓国も参加を表明した。

 このAIIBは、アジア諸国の旺盛なインフラ整備を支援するための投資や融資を行う国際金融機関。500億ドルの資本金でスタートし、最終的には1000億ドルまで増資するというが、中国が最大出資国になる見込みで、50%まで出資できるという。本部は北京に置かれ、初代総裁は中国政府出身者になるというので、中国の影響力が強くなりそう。

 アジア諸国の経済成長は今後も続くと見込まれ、鉄道や高速道路、都市基盤整備などインフラ整備の資金需要は巨額になるが、そうした資金需要に既存の国際金融期間だけでは応じきれないとも見られている。だから、アジア諸国のインフラ整備を助けるというAIIBの構想自体には、ある程度の妥当性はある。

 問題は、中国の影響力が強くなりすぎそうなこと。世界銀行やアジア開発銀行では中国は影響力を行使できない立場に置かれているが、国際金融で存在感と影響力を高めることを中国は目指す。AIIBの他にも中国はインドやロシア、ブラジルなどとBRICS銀行と通称される新開発銀行(NDB)をつくった。本部は上海に置かれる。

 中国の影響力が強くなっても、中国が透明性ある公正な運営に努めるなら問題は少ないかもしれないが、組織運営や意思決定、融資基準などの詳細が明らかになっておらず、中国が国内政治で行っている独裁政治流の統治が持ち込まれる懸念がある。腐敗がはびこることはないだろうが、中国に有利な案件に優先的に融資される恐れはある。

 中国は過剰な生産能力を持て余している。国内の膨大なインフラ投資に合わせて、鉄鋼やセメントなど国有企業は生産力を拡大してきたが、投資主体の経済成長が鈍化する中で、過剰な生産力の仕向け先が必要になった。生産能力を削減して国内需要に見合う供給能力に調整することは、国有企業には利権が複雑に絡む中国では困難だろうから、新たな市場を創出するしかない。

 アジアのインフラ整備事業の中からAIIBが投資や融資を決めた案件には、中国の国有企業が諸資材を提供し、建設にも中国人を派遣して携わるならば、中国にとっては最高だ。国内の過剰な生産能力の“はけ口”を確保でき、金融面での影響力をアジアで確保でき、インフラ整備により当該地の経済が発展するなら、中国製品の市場ともなる。

 さて、AIIBでの透明性や公正さの実現に英など欧州諸国などが「内側」からどれだけ影響力を振るうことができるか。AIIBが活動し始めたなら巨額の資金需要が生まれ、それに関与することが欧州諸国の狙いだとしたなら、上辺だけの透明性や公正性で欧州諸国は妥協するかもしれない。欧州諸国は中国に対し、商売に関わるようになると、人権とか理念の主張を簡単に引っ込めてきた過去がある。

2015年3月25日水曜日

実現しなかった過去


 好きになった相手に振られたなど、実らなかった恋愛などの経験を持つ人は珍しくないだろう。最初に好きになった相手と結婚して、共に齢を重ねたという人もいるだろうが、いろいろな人と出会い、つき合ってみて、好きになったり嫌いになったり、振ったり振られたりして、何回かの恋愛を経て結婚生活に入るという人のほうが多いだろう。

 その結婚生活が、子供にも恵まれ幸せな家庭を築いたものであれば、傍からは、申し分ないものに見える。でも、実は、昔の恋愛相手への想いを胸の片隅に秘めたまま長年暮らしてきたというケースもあったりする。別れた相手への純粋な愛情を持ち続けていたのか、未練が断ち切れなかっただけか、あるいは過去を美化して疑似恋愛をしていただけなのか。定かではない。

 例えば、元気だった五十代の夫が突然亡くなり、夫が使っていた机の鍵がかかっていた引き出しから出てきた日記に、昔の恋愛相手への想いが書きつづられていることを見つけた妻は、何を思うのだろうか。子供も独立し、夫婦2人の生活に戻っていたのに、夫が死に、さらに精神的にも家庭や自分から夫が離れていたことを知らされた妻の孤独感はいや増すだろう。

 実らなかった恋愛は、時が経てば経つほど、美化しやすくなる。別れて暫くは相手の嫌な記憶が新鮮で、相手を恨む気持ちが強いだろうが、次第に記憶は薄れていく。不思議なもので、だいぶ時が経ってからふいに思い出したりすると、嫌な思い出や辛い思い出は薄れ、楽しかった思い出が断片的ながら鮮やかに蘇ったりする。

 記憶の一種の防御作用なのかもしれない。嫌な思い出や辛い思い出が消えずにいつまでも残っていると、人生は辛すぎるから、そうした種類の思い出は徐々に薄れ、いつしか記憶の表面からは消え去るようにできているのかもしれない。だから、穏やかに別れた恋愛相手との楽しかった記憶ばかりが蘇り、結果として過去は美化されるようになる。

 しかし、実らなかった過去の恋愛相手と結婚していたとしても、幸せになったかどうかは分からない。円満な家庭を築いていたかもしれないが、一緒に暮らして初めて真の相性は分かるものであり、また、相手が病気になったり、借金や犯罪などのトラブルに関わったりする可能性もあり、結婚生活が破綻していたかもしれない。

 人は、やり直すことができない1回だけの人生を生きる。多くの出会いと別れがあり、様々な分岐点で、進む方向を選択して自分の人生を築く。あのとき、あそこで違った選択をしていれば自分の人生はどんなに変わっていただろうと想像することは誰にでもあるが、違った選択をしたとしても、美化した記憶通りの素晴しい人生になったとは限らない。過去を美化して楽しむことは悪いことではないが、思い出は思い出の引き出しの中にしまっておくことも悪いことではない。

2015年3月21日土曜日

肯定と否定


 いわゆる空飛ぶ円盤=未確認飛行物体(UFO)は実在するのだろうか。カメラ付きの携帯電話やスマホを所持している人が世界中で爆発的に増えたのだから、本当に地球にUFOが飛来しているなら、写真に写される機会も増えるだろうし、UFOを撮った写真がネットに世界各地から次から次に投稿されてもいいようにも思えるのだが。

 UFOの存在については、昔から論じられてきた。存在すると信じる人は、「これが証拠だ」と世界で撮影された各種の写真を示し、懐疑的な人は、それらの写真のトリックを暴いて、「さあ、本当に存在するという動かぬ証拠を見せろ」と要求する。英ネス湖のネッシーの存在をめぐる論争も同じような展開だ。

 UFOの存在について、地球人だけで論じても“限界”がある。存在するという仮説をいくら精緻に構築してみても、仮説は仮説でしかない。検証可能な観測データは今のところ存在しないのだから、存在肯定論者の旗色は悪い。UFOそのものを実際に皆に見せるのが、もっとも簡単で強力な存在証明なのだが、UFOを呼ぶことができるほど宇宙人と親しい肯定論者はいないようで、存在するという決定的な証拠はまだ提示されていない。

 一方で、UFOが存在しないという客観的な証拠もなく、存在しないという証明もできない。つまり、UFOについては、存在するとも存在しないとも客観的には断定はできないというのが現在の冷静な態度だろう。存在を信じることも信じないことも個人の自由だが、「結論」は宙に浮いたままだ。

 こうした“曖昧さ”を利用する言説がある。「UFOの存在を誰も否定できないのだから、存在の可能性が高い」などという話の進め方をする。時には「さあ、否定してみろ。できないだろう」といった調子になって、「存在を否定できないのだから、存在する」などと飛躍する。客観的な判断をめぐる論争ではなく、信念の強さの披露合戦になっては、相手の言い分をまともに聞かないほうが有利か。

 存在を否定できないということは、存在を肯定することを意味するものではないし、存在を否定できないと言うことは、否定論者の論拠の弱さを意味するものでもない。だが、自説を主張するために、存在を否定できないと相手が冷静に言った時に、それを利用して、相手を言い負かそうとしたりする光景は珍しくない。相手を言い負かしたところで、UFOの存在が立証されるわけではない。

 抽象的な議論などでは、意識していないと、この種の“曖昧さ”を利用した誘導を自説を優位にするために用いやすい。仮定をめぐる議論では、自説を有利にするために、都合のいい仮定を次々に提示したりして「ほら、私の言う通りになるだろう」などと勝ち誇ったりする。しかし、現実は仮定通りになるとは限らず、こうした議論の底の浅さを、現実に直面した人は思い知らされたりする。

2015年3月18日水曜日

中国の不良債権


 中国の2014年のGDP伸び率は前年比7.4%で、初めて政府目標を少し下回り、変調を懸念する声も出ている。とはいえ、日本の2倍にもなる経済規模となった中国が7%を超す成長なのだから、まだまだ力強い歩みを続けていると言えよう。ただし、7.4%という公表された数字が実態を正しく反映していて、粉飾されたものではないという前提で、だが。

 中国経済の実態は見えづらい。共産党の独裁支配体制が続き、建前は計画経済なので、計画の未達は官僚の出世に関わってくるだろう。また、共産主義社会の理想像に合致しなかったり、共産党独裁に影響を与える情報などが正直に明かされるとも想像しづらい。情報公開が民主主義社会に必須であることが、中国を見ていると理解できる。

 中国で隠されたままなのが、不良債権がどれほどあるのかという情報。公式には、例えば、2014年9月末時点の銀行の不良債権比率は1.16%で不良債権残高は7669億元(1251億3000万ドル)などとされている。だが、銀行が抱えるシャドーバンキング関連の債務を除外しているとの指摘もあり、“闇”は深そうだ。

 中国のシャドーバンキングの規模は、論者によって「2010年末に11兆元だったものが、2013年6月末では31兆元(496兆円)と約3倍に拡大し、対GDP比では6割。この数字は、JPモルガン推計のGDPの7割よりは少なめだが、上海証券研究所、IMFのGDPの5〜6割とかなり似通っている」や「推計の総融資額は約24兆元(約384兆円)で、中国GDPの49%」など様々。

 さらには「シャドーバンキング、理財商品、地方政府債務は合計で1000兆円」とか「米ゴールドマン・サックスと米モルガン・スタンレーによると、銀行やシャドーバンキング業者、債券市場、政府部門を合わせた負債総額はGDPの220%」「ムーディーズの報告書によれば、中国のシャドーバンキングの規模は12年末には4兆7000億ドルとGDPの55%」など、巨額だろうことは間違いないようだ。

 中国のシャドーバンキングの全てが不良債権化することはないだろうが、不動産市場の変調なども伝えられており、どの程度になるのかは判らないものの、焦げ付く可能性は高そうだ。経済への「傷」をできるだけ小さくするためには、不良債権の実態を把握することが欠かせないが、政府が情報を把握しているかどうかも、情報公開が不足しているので判断がつかない。

 中国で不動産バブルが崩壊して、大量の不良債権が露となって中国経済が失速、不況に突入すれば、その影響は世界に及ぶ。中国の不良債権の実態を中国政府が正確に把握しているならば、対策を素早く打ち出すこともできようが、正確に把握しているかどうかは不明だ。対策が遅れれば、不良債権は増加する。

2015年3月14日土曜日

欧米による評価


 来日した独メルケル首相の発言で、「歴史認識」に関する部分を日本の新聞などは大きく伝えた。共同記者会見で独メルケル首相は、戦後70年に関して「過去の総括が和解の前提となる」と述べたものの、日中・日韓関係への具体的な言及は避けた。だが、日本と中韓両国との関係改善に期待した発言とみられるなんて伝えるところがあった。

 日本と中韓両国の「歴史認識」問題を丁寧に取り上げる傾向がある日本のマスコミは、独メルケル首相から直接の日本批判を聞くことができなくて残念だったんだろうな。だから、独メルケル首相の胸中を推察して、関係改善に期待したなんて付け加える。言葉の裏に隠れているものを見通すことができるのだから、日本のマスコミはスゴイ!?

 常識的に考えれば、自国の利益に関係がない、他国の敏感な問題には触れないのが外交。ましてや、どこかの国を訪問した首相など1国を代表する人物が、訪問先国と周辺国との関係について、生徒を指導する教師のように説教や御高説をたれるはずがない。それは外交儀礼に反する行為でもある。

 もし独メルケル首相が「歴史認識」で日本批判を述べたなら、日本のマスコミは大喜びで大きく報じたかもしれないが、日本政府は反論せざるを得まい。さらに、日本批判に対して世論が反発する可能性があり、日本におけるドイツイメージに影響を及ぼす可能性もある。つまり、独を代表するメルケル首相が日本で「歴史認識」に触れることで、独が得られるものは何もない。

 中国や韓国の首脳が外遊先で、「歴史認識」や「従軍慰安婦」などを持ち出して日本批判を繰り広げていたので、外交の場は独善的なアピールの場に変質したかのような印象もあるが、外交の基本は変わっていない。外交儀礼を無視して、日本批判によって自国をアピールするという中韓の外交が異常なのだ。

 なぜ、日本のマスコミは独メルケル首相の発言に“期待”したのだろうか。マスコミが日本政府批判を続けても、政策に影響を与えることができず、選挙では自民党が圧勝するという状況なので、独メルケル首相に日本のマスコミの主張を“代弁”してもらおうと期待したのだとしたら、惨めな光景だ。

 欧米による評価を尊ぶ風潮がいまだにある。何かのランクを欧米の諸機関が発表するたびにマスコミは、日本の順位が上がったとか下がったとか伝える。欧米による評価を気にしすぎるのは、主体性が希薄だからか、自信がなさ過ぎるからか知らないが、独首相の発言への注目の背後には、日本の外交への評価を欧米から示してもらいたいとの願望があったのかな。

2015年3月11日水曜日

憶測を交えたニュース


 韓国ソウルで駐韓米大使が、刃物を持った男に襲われ、右頬に長さ10cm以上、深さ3cmの傷を負い、約80針を縫う手術をした。容疑者は、30年ほど前から様々な団体を設立して在野で活動している運動家で、20年ほど前には本籍を竹島に移して本格的な反日運動に乗り出したと韓国紙が伝えている。

 容疑者は、韓国の大統領府の前で焼身を図ったり、ソウルプレスセンターで講演する駐韓日本大使にコンクリートの塊2つを投げたりするなど逮捕歴が多い前科6犯の“行動派”だ。北朝鮮にも8回行ったことがあり、反米思想にも傾倒していたというから、警察は厳重にマークしているはずだろうに、今回は会場にチェックされずに入ることを許され、駐韓米大使を襲った。

 取り押さえられた容疑者は「テロをやった」「戦争訓練に反対」「南北朝鮮は統一しなければならない」などと叫び、動機について「南北和解の雰囲気を阻害する軍事演習への抗議」と供述したという。容疑者を知る人は「暴力的で偶発的な行動で物議をかもしながら他の活動家たちから遠ざかり始めた」と話していると韓国紙。

 今回の襲撃は、孤立しつつも過激な活動を続けて中年になった男の単独犯行で、米韓合同軍事演習への反対をアピールするためだったらしいが、事件発生後の第1報(電子版)で朝日は「駐韓米大使、襲われる 米高官『日本寄り』発言と関連か」の見出しで伝えた。何の根拠があって、米高官の「日本寄り」発言との関連を指摘できたのだろうか。その後の記事では、事実に基づく内容に修正されたが。

 襲撃直後に容疑者は軍事演習反対を叫んでいたそうだから、実際に起きていたことを知った人はまず、容疑者を北朝鮮シンパと疑うだろう。それを朝日は「日本寄り」発言と関連させて報じた。おそらく、「日本寄り」を付け加えたのは日本の編集サイドだろう。米高官の「日本寄り」発言が韓国内で物議をかもしていたことを強く意識していたから、つい関連させたのかもしれない。

 結果として、朝日の第1報は誤報だ。事実だけを正確に伝えるという原則を軽んじ、根拠の無い憶測をニュースに付け加えた。過去の慰安婦報道を自ら検証した朝日は、事実に基づかない「角度」をつけた記事が大きな弊害を生み、新聞の信頼性を大きく損なうものであることを認識し、反省したはずなのに、事実だけを伝えるということが徹底されていない。

 翌日の紙面の記事では、襲撃事件が米韓両国関係に与える影響を説明する部分で、米高官の「日本寄り」発言で韓国では対米不信感が高まっていたとしたが、襲撃事件との直接的な関係については触れていない。韓国から続報が続いたので、誤報は紙面化されなかったが、朝日にはまだ、根拠の無い憶測を付け加えたニュースが発信されるという構造がある。それが明らかになった。

 「駐韓米大使が襲われた」との速報だけでは短すぎると、背景説明を付け加えたのだろうが、その背景説明を支えるものが記者の直感だけであってはプロとはいえない。直感は取材過程においては大切にすべきだが、記事の中には記者の直感は不要だ。事実だけを書けばよい。

2015年3月7日土曜日

雨が降っているから


 「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方がある。これは「晴れているから、天気がいい」という言い方にもなったりする。これらの言い方は正しい。間違ってはいない。誰も文句のつけようがない言い方だが、言われたほうは「そんなの、当たり前だろう」と聞き流すしかない言い方でもある。

 こうした言い方には新しい情報や独自の分析、知見、見識などが含まれていないことに、天気のことだから誰でも気がつくだろう。だが、日常生活に大きく関わらないような分野や関心を余り持たれない分野のことになると、専門家が「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方をしても、そうした発言の“浅さ”は気付かれにくい。聞き手側の情報蓄積量が乏しいからだ。

 「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方は、1)雨が降っているという状況分析を行い、2)そこから、天気が悪いという判断を導き出すという構成。冷静で客観的な見方なのだろうが、専門家ならば「なぜ雨が降っているのか」「雨が降っている範囲はどこか」「雨の降り方はどう変化するか」「雨はいつまで続くのか」「その時の雨の特徴は何か」などを天気図やレーダー映像などを駆使して説明して欲しいところだ。

 こうした言い方で最も残念なのは、「雨が降っている」ということから「天気が悪い」という結論しか導き出せていない点だろう。そんな凡庸な結論なら、知識があれば素人でも言うことができる。政治、経済、事件・事故、芸能、文化、科学、国際情勢など多様な情報が氾濫する現在、専門家の出番も増えているが、当たり障りのない「天気が悪い」式の言い方で済まされることも珍しくない。

 様々な情報を収集、分析して状況を理解し、そこから、蓄積した専門知識を活用して独自の見通しを立てるのが専門家には求められるが、事態が流動的で見通しが立てられない場合もある。それで、見通しを求められた時に「天気が悪い」式の言い方で、お茶を濁すこともあるのかもしれない。

 本人が意識せずに「天気が悪い」式の発言で済ましているケースで、「そんなの、当たり前だろう」などと批判されたなら当人は、結論が凡庸であることに気がつくだろうか。専門的な情報や専門知識を開陳して、専門家ならではの見通しを披露したつもりの当人は、そうした批判を容易には受け入れられないかもしれない。

 凡庸な結論と独創的な結論。同じような情報から導き出す見通しが違ってくるのは、情報量や情報の質の違いなども関係していようが、おそらく、分析的で多様な見方を身につけているかどうか、ヒラメキがあるかどうかが関わっている。情報を集めることは努力すれば誰にでも可能だが、そこから独自の分析結果を導き出すことは、専門家であっても誰にでもできることではないのだろう。

2015年3月4日水曜日

机上の空論


 日本人人質が殺害された事件を受けて、自衛隊による在外邦人の救出が検討されているという。現在は、在外邦人の輸送だけは自衛隊に可能だが、法整備により、自衛隊が救出に出掛けることができるようにするのだという。安倍首相は「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と前向きだ。

 世界のどこかで日本人が人質になったなら、自衛隊が颯爽と救出に出掛ける……ようなイメージにも受け取られかねないが、現実に自衛隊が出動する可能性は低そうだ。自衛隊が人質救出のためと勝手に他国に入るなら、警察行動ではなく軍事行動と受け止められる危険性があるので、領域国の受け入れ同意が欠かせない。

 しかし、国内で日本人が人質になったからと日本からの自衛隊出動を受け入れる国があったとすれば、その国は、自力では治安を保つことができず、解決もできませんと国際的に表明するに等しい。高額の資金援助や軍事援助などを組み合わせなければ、領域国は受け入れ同意に動かないだろう。

 治安が崩壊して武装勢力が勢力を拡大している破綻国家なら、日本人の人質を救出するためには自衛隊が行くしかないようにも思いがちだが、弱体ではあっても名目上の政府は存在しているから無視することはできない。さらに、そんな弱体化した政府が受け入れに同意したとしても、その決定を武装勢力が尊重するはずがなく、出掛けた自衛隊は自力で防御しつつ行動せざるを得まい。

 はるばる出掛けて行った外国で自衛隊が自力で行動するには、どれだけ正確な情報を持っているかがカギとなる。弱体化した政府の情報収集能力は限られたものであろうし、提供された情報の信頼性がどれほどかを見極める判断力も必要になる。人質をとられてから日本が情報を収集し始めても、量質ともに満足な情報を得ることは難しいだろう。

 例えば、イラクの面積は日本よりも広く、シリアの面積は日本の半分ほどだが、イスラム国の支配地域は複雑に広がっている。どこに日本人人質がいるのかを知らなければ救出に動くことはできまい。さらに人質が常に移動させられているとすれば、人質の居場所とともに、そこに確実にいる日時を知らなければ、救出に動いたとしても空振りに終わる。

 つまり、人質を救出するために自衛隊を派遣すべきという議論は机上の空論だ。行動する前に、知るべきことは多い。自衛隊派遣を持ち出す以前に、世界各地での外務省の情報収集体制を強化すべきなのだ。中東などはもちろん、米国など先進国でも外務省の情報収集が万全とも見受けられないのだから。