2016年9月28日水曜日

特権としての政務活動費


 都議会各派の議員が相次いで豊洲市場を視察し、建物の地下で水がたまっているのを確認している様子などが報じられている。にわかに大問題となったので都議が真面目に調査しているようにも見えるが、主要施設が完成して移転間近になってからの調査とあっては、これまで何も調査していなかったことを誤摩化すためのパフォーマンスと受け取られても仕方があるまい。

 何かの問題が浮上し、世間の関心が高くなると、にわかに議員が報道陣を引き連れて現地調査などに動く姿を見ることは珍しくはない。日頃から問題意識を持って広く情報を収集し、実態の調査に動く議員ならば、マスコミ報道などに先んじて問題を提起できるのだろうが、マスコミが騒ぎ始めてから多くの議員は“アリバイ証明”のように調査する姿を見せる。

 社会に存在する問題を掘り出し是正して社会を善くしていくのは議員の責務だ。いろいろな人と会って情報を収集したり、資料や専門書を購入したり、現地へ行って調査したりすることが問題を掘り出すためには必要で、それなりの時間と経費がかかるだろう。そのためにも政務活動費が支給されている。

 都議会議員には月額60万円(年720万円)の政務活動費が支給されている。都議会の定数は127人、つまり毎年、720万円×127人=9億1440万円の政務活動費が支給されている計算だが、豊洲市場の盛り土問題をマスコミが騒ぐ前に議員が認識し、調査して指摘することはできなかった。政務活動費が都民の暮らしを良くするために役に立っているのだろうかとの疑念を持たれても仕方があるまい。

 政務活動費がどのように使われているかという実態の一端を明らかにしたのが、富山市議会議員が不正に受け取っていた問題だ。実際には使っていない費用を請求したり、白紙の領収書に水増しした金額を記入したりして政務活動費を受け取ったほか、、飲食費や会合での茶菓子代や酒の代金などを含めていた。

 政務活動費は議員活動を支援するため、調査研究活動、情報収集活動、政策立案活動、広報・広聴活動、その他の政務活動に限って使うとされる。その他の政務活動などと用途を幅広く認めているから、政務活動費の使途は議員の良識に委ねているのだが、一連の不正受給問題は、良識を備えない議員が珍しくないことを示している。

 良識を備えた議員が少ないのは、良識に欠けた人が議員になるからか、議員になると人は良識を徐々に失うのか定かではない。だが、もし議員の多くに良識が欠けているのだとすれば、豊洲市場の土壌汚染の懸念が指摘され続けながら、議員が厳しいチェックを行わず、“粛々”と建設が進んできたことも理解できる……都議会議員に支給された政務活動費のどれくらいが豊洲市場に関する調査研究などに使われたのだろうか。

2016年9月24日土曜日

窮民とは誰か


 窮民といえば、貧乏などのため生活に苦しんでいる人々を指し、貧民と同じ意味で用いられることも多い。窮するとは、金などが足りなくて困ることであり、「生活に窮する」などと使われるが、行き詰まって苦しむ意にも用いられ、「返答に窮する」「選択に窮する」などと、金に困る意味以外にも用いられる。

 窮する人々=何かに行き詰まって苦しむ人々は、どんな時代にも存在する。だから、貧しくはなく、それなりの地位に就いて生活は安定していても、人生に行き詰まって苦しんでいる人々がおり、それらの人々を窮民と呼んでも間違っているわけではない。思うようにいかず不条理なことが多いのが人生だから、行き詰まる要因は貧しさに限定されない。

 窮民という言葉を積極的に広く使ったのが竹中労だ。『水滸伝−−窮民革命のための序説』(1973年刊。平岡正明との共著)で水滸伝を論じながら、竹中労独自の解釈による窮民の概念、窮民革命の概念を説く。

 竹中労は「私のいう窮民(流民)とは、いわゆる経済概念ではない、被救恤的“窮民”ではない、窮民とは願望の位相における“自由の民”である、社会制度の桎梏から躱身(ドロップアウト)して流民へ、そして剽民・暴民へと彼らは転生していくのである」(『水滸伝』)とする。

 貧しく困窮する人々に加え、制度からはみ出し、自由を求める人々、つまり精神的な要素を窮民の定義に加えるという考え方だ。繁栄した豊かな時代であっても、全ての人が世に入れられるはずもなく、また、世に受け入れられることを誰もが求めるものでもない。さらに、いつの時代にも制度から弾き出される人は存在する。そうした人々の中で、自由に生きようとして闘う人は皆、窮民であり、制度に抗うことでは連帯が可能だとする。

 水滸伝の108人の主要登場人物は、役人、商人、下級将校、刑務所の典獄、漁師、遊び人、武芸者、居酒屋経営、上級将校、医者など様々な職種と階層からドロップアウトした人達だ。その経緯は多彩で、追いつめられたり、弾き出されたり、自ら出てきたり、はめられたり……不本意ながら制度の外に出た人もいるが、制度に頼れず個人で生きなければならなくなった時に、自由に生きるために闘おうと決めた人達が多い。

 貧しくて困窮する多数の窮民も精神的な窮民も、腐敗が蔓延する制度や権力で人々を統制する制度、人間を抑圧する制度に反発し、抵抗し、闘うことでは連帯できる。敵目標が一致するなら共同戦線をはり、自由な連合で闘うことができるはずだと竹中労は多くの著書で主張した。

 豊かな先進国の一員になった現代の日本にも、社会保障の制度の網の目からこぼれ落ち生活に困窮する窮民や、様々な制度からドロップアウトして自由に生きようとする精神的な窮民は存在する。ただ、窮民の自由な連合のためには敵目標の共有が大前提だが、敵はあまりに小粒で多方面に分散する時代になった。誰かを倒し、何かを倒せば、全てが解決すると信じられなければ敵目標は一致しない。

 共産主義国家の実情が詳しく知られるようになり、革命が信じられていた時代は遠く去った。体制をもって体制に代えたところで、ユートピアに近づくわけでもないが、転覆の危機感を失った体制は澱み、新たな様々な窮民が出てくる。無党派の窮民による自由な連動というのは永遠の課題だ。

2016年9月21日水曜日

歓迎すべき解散


 人気があるバンドの主要メンバーがソロ活動を始めることが、バンドの解散の端緒となることはよくある。過去のヒット曲中心に演奏するライブツアーにマンネリ化を感じたり、新しいアイデアを試すことに他のメンバーが消極的など音楽的な動機もあるが、メンバー間の不和が根底にあることも珍しくはないとか。

 プロダクションが所属タレントからメンバーを選んで、歌を歌わせてデビューさせたグループなら、ソロ活動は簡単だろう。テレビのバラエティー番組やドラマなどにメンバーをバラ売りしているのだから、音楽においてもソロ活動させてバラ売りすればよい。しかし、プロダクションが仕立てた人気グループのメンバーがソロ歌手デビューすることは、ほとんどない。

 その理由は、1)歌がグループとしての主要な存在意義であること(歌でソロ活動を認めたら、グループとしての存在意義が薄れる)、2)音楽的才能があふれていたり、歌唱力が優れているメンバーがいない(そんな才能を持ったタレントがいたなら、最初からソロで売り出すだろう)、3)提供された楽曲を歌うだけなので、ソロ活動をさせると楽曲調達コストが増大する、4)音楽でソロ活動をしようと欲するメンバーがいない。

 グループとして新曲を発売すれば個別メンバーのファンも買うだろうが、誰かがソロ歌手となって新譜を発売しても、そのファンしか買わない。プロダクションが新曲を用意したなら、グループとして発売したほうが多く売れるだろう。つまりプロダクションにとって、グループが存続しているのに、メンバーをソロ歌手デビューさせる利点は乏しい。

 メンバーをタレントとしてバラ売りしているのにプロダクションがグループを存続させるのは、新譜を発売し、全国ツアーを行えば巨額の売り上げが見込めるからだろう。グループとして人気があれば、たいした曲でなくても駄曲であっても、そこそこは売れるだろうから、商売を続けることができる。

 プロダクションが所属タレントの中からメンバーを選んで仕立てたグループには、最初からグループを形成すべき理由も必然性もなかった。ヒット曲を連発したとしても、与えられた曲をメンバーが特に秀でているわけでもない歌唱力で歌っただけなら、歌手としてのポジションにメンバーはさして未練はないかもしれない。

 つぶれるものは、つぶれるしかない。与えられた曲を歌っているだけで歌唱力にも特筆すべきものがないタレントの寄り集まりに過ぎないグループが、さっさと消え去ることは日本の音楽シーンにとっては僥倖だろう。だが、人気タレントが歌えば何でも売れるという市場は存続し続けるからプロダクションはすかさず、同じようなグループを仕立て上げて売り出す。問題の本質は音楽にはなく、タレント活動にある。

2016年9月17日土曜日

専守防衛の手本?


 米共和党の大統領候補トランプ氏は日本に対して、駐留米軍の経費の全額負担を要求すると主張している。トランプ氏が大統領になるかどうかはさておいて、もし日本が駐留米軍の経費を全額負担するなら、駐留米軍は日本防衛のための傭兵ということになる。それなら駐留米軍の指揮権は日本が持つのが当然だが、そんな用意は米国にも米軍にもないだろう。

 思いやり予算で日本は既に駐留米軍の経費をかなり負担している。費用対効果を考えると、米軍を駐留させておくことは日本にとって最善策なのだろうか。冷静な検証は見当たらない。日本に対する「脅威」の評価は恣意的になりがちで、駐留米軍の抑止効果を膨張させることも少なめにすることもできよう。日本に駐留米軍の経費の全額負担をさせるためには「脅威」を煽ることが有効だろうし、怯えは「脅威」を大きく見せる。

 1945年に敗戦した日本を占領した米国主導の連合国は、日本の非武装化を徹底的に進めた。米国は日本が独立を回復すると同時に日米安保条約を締結、日本が軍事的に独り立ちできないようにして、日本の軍事力を米国のコントロール下に縛り付ける体制を続けている。

 米側が考える望ましい日本の軍事力は、時代とともに変化してきた。冷戦期には、日本を反共側に位置させて軽武装で軍事的に自立させつつ駐留米軍の補完戦力とし、冷戦後に米軍が中東各地で戦争を始めてからは、日本周辺から離れた地域での米軍への軍事協力を求め、日本周辺を離れての展開に制約がある日本に対し米国は、苛立ちをあらわにすることも珍しくなかった。

 日本の軍事力の在り方に、トランプ氏は基本的には無関心だろう。経済的観点から日本に負担増額を求め、応じなければ撤退もあり得るとする主張からは、駐留米軍の存在は必要だと見ていないことが伝わる。経済的観点からいえば、駐留米軍の補完戦力であるから日本は米軍需産業の大きなマーケットとなっているのだが、駐留米軍が去れば日本はもう、米軍需産業を最優先して扱う必要はなくなる。

 日本の軍事力が米国のコントロール下に置かれ続けていることもあってか、日本人による日本の軍事力に対する検証は活発ではない。日本の軍事力は日本の防衛に必要な範囲にとどめるべきだろうが、現在は、補完戦力として駐留米軍と共同行動を行うことを前提にした装備などになっている。それが日本独力の専守防衛に最適なのか、駐留米軍が撤退する可能性があるならば検討するべきだろう。

 駐留米軍の戦力は、米国の影響力を世界で行使するために必要な能力を備えているが、そうした戦力は日本独力の専守防衛には過大な戦力といえよう。核兵器を保有しないとして、どの程度の通常兵力が日本独力の専守防衛に必要なのか。「脅威」に煽られることなく冷静に判断しなければならないが、その種の議論は乏しい。駐留米軍の長すぎる存在の弊害といえよう。

 通常戦力で米韓に大きく見劣りする北朝鮮は、ミサイル開発に注力している。配備数は不明ながら各種の射程のミサイルを備える様子は、ハリネズミを連想させる。これは、日本独力の専守防衛の参考になるかもしれない。空母や最新戦闘機の数を大金を使って増やすよりも、地上移動式の各種の射程のミサイルを日本全国に配備する……これは、海外派兵を考えない日本独力の専守防衛にふさわしそうだ。

2016年9月14日水曜日

米軍駐留の効果


 米共和党の大統領候補トランプ氏は日本に対して、駐留米軍の経費など日本防衛に要する費用の全額負担を要求すると主張している。その根底にある認識は、いわゆる日本の安保ただ乗り論だろう。米軍が日本を守ってやているのだから、その費用の全額を日本が払うべきだとする。日本が応じなければ駐留米軍を撤収するとも言っているので、駐留米軍の撤収が圧力になると考えているようだ。

 韓国に対しても同様の主張をし、NATO諸国に対しては国防費支出がGDP比2%という最低要件を守っていないと国防費支出の増額を求めている。これら主張を支える認識は、第一に米国の国力の相対的な衰えであり、第二に各国が負担増できる国力を備えているのに負担増加に消極的であるとし、第三に各国を守ってやることで米国だけが加重な負担を強いられているということだろう。

 米国は負担の報酬として、陰に陽に各国に大きな政治的影響力を有する。それは米国に有利な国際環境を形成、維持することに役立った。日本のことだけ見ても、日本の再独立後に米軍が撤退し、日本独自の再軍備が進んでいたとしたなら、日本の経済成長は遥かにゆっくりしたものであっただろうが、日本の政治に対する米国の影響力は限定的であり、対米追従と揶揄されたりもする日本外交は存在しなかったかもしれない。

 米国はイラクやアフガニスタンにも米軍を駐留させたが、治安を維持することもできず、分裂状態になったままだ。米軍の駐留で影響力を及ぼすことができるのは現地政府に対してだけで、民意などをコントロールできないことは日本を始め各国でも同じだった。つまり、現地政府が実効支配できている国でしか、米軍駐留は米国に利益をもたらすことができないのだ。

 イスラム系の武装勢力の活動が活発化し、中東やアフリカなどの欧州植民地の境界線をそのまま国境とした国々から人々が国境の外へと流動化している現在は、国家が揺らいでいる時代でもある。そうした世界で各国における米軍駐留の効果が政治的には限定的になってきたと見なすなら、米国が米軍の世界展開を修正することは必要だろう。それは、費用の負担増加を求める姿勢とは異なるものだ。

 各国における米軍駐留は米国の国際的影響力を高め多大の利益をもたらしてきたが、トランプ氏などの目には、米軍が各国を守ってやっているとしか映らないのであろう。米国の国力が相対的に衰えている中で、各国から駐留米軍が撤退するなら、米国の国際的影響力はさらに弱まる。一方で各国は、更なる費用負担に見合う成果が米軍駐留から得られないと判断するなら「自立」も選択肢とならざるを得まい。

 トランプ氏の主張は、外交ではなくビジネス流の交渉スタイルなのかもしれない。駐留米軍を各国から撤退させる意図はなく、交渉を有利にするため最初に大きく吹っかけて、相手から多くの譲歩を引き出し、少しでも“取り分”を多くすることを狙う……駐留米軍という「重し」があるから日本政府が負担増に応じるとすれば、米軍を駐留させている大きな効果があったということになる。

2016年9月10日土曜日

挑発的行為が示すもの


 北朝鮮の挑発的行為が続いている。9月5日に日本海に向けて発射した弾道ミサイル3発は約1000キロ飛行し、奥尻島の西方沖200〜250キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下した。8月24日には北朝鮮沖の日本海で海中から発射したSLBMが約500キロ飛行し、日本の防空識別圏内に落下した。8月3日にも日本海へ向けて発射した弾道ミサイルが約1000キロ飛行、秋田県沖の日本のEEZ内に初めて落下した。

 今年に入って相次ぐ北朝鮮のミサイル発射に、安保理は非難声明を発表するが、北朝鮮は反発するだけだ。今回も安保理は、過去の安保理決議への重大な違反にあたると非難する声明を発表したが、報道によると北朝鮮は、尊厳や生存権に対する侵害行為で「全面排撃する」とし、核実験や弾道ミサイル発射を今後もやめないと強調したという。

 日本のEEZ内に落下した北朝鮮の弾道ミサイルにより、日本の漁船などに被害が生じた場合に日本はどのような対応をするのか知りたいが、報道はない。世論が落ち着いている時にこそ冷静に議論すべき性質の問題だが、絶対平和主義の制約がマスコミにあるのか、“今そこにある危機”についての議論は乏しい。

 日本の漁船に被害が生じた場合に日本は、強硬に抗議するだろう。だが安保理の非難声明にも従わない北朝鮮が日本の抗議を受け入れる可能性は小さく、補償にも応じないだろう。軍事的な報復は、日本単独では実行できないだろうし、在日米軍は動かないだろう(米軍が攻撃すれば北朝鮮は全面的な軍事行動に移る可能性がある)。経済制裁は既に行われている。

 つまり、実効性のある対応策がないだろう日本は、沸き立つだろう世論をなだめつつ、北朝鮮に対する強硬姿勢を見せなくてはならないが、打つ手がない。それを見越して北朝鮮は、日本のEEZ内でもかまわず弾道ミサイルを打ち込んできているようにも見える。朝鮮総連の本部施設の問題を蒸し返し、今さら朝鮮総連を施設から追い出すことも難しいだろう。

 北朝鮮の挑発的行為が明らかにしたのは、第一に安保理の無力さであり、第二に日本をはじめ米国や中国、韓国などの無力さだ。政治的にも経済的にも国際的に孤立している国に対する外部からの影響力は限られ、挑発行為のエスカレートを止めることができない現実。国連主導で世界に平和がもたらされるという希望が全くの空想であることが突きつけられている。

 情報が限られているため北朝鮮の意図を知ることは困難だ。核とミサイルしか頼るものがなくなったので開発を急いでいるように見えるが、数発の核と数十発のミサイルを保有したところで北朝鮮は、全面戦争となれば敗北は時間の問題でしかないだろう。国際経済に取り込まれた中国は援軍を送らないだろうし。

 今の北朝鮮にとって、国家(と独裁者)のプライドを示すことができるものは核とミサイルしかなく、そのプライドを掲げるために挑発的行為をしているのかもしれない。一貫した意図や戦略は希薄で、核実験を行い、ミサイルを発射するという行為そのものが目的だとすると、挑発的行為は現在の統治体制が続く間は止みそうにない。その犠牲になるのは北朝鮮の人々であり、日本人もミサイルの落下場所次第では犠牲になる。

2016年9月7日水曜日

空気の取引で商売


 2020年以降の地球温暖化対策の新たな枠組み「パリ協定」は、世界の温室効果ガス排出量を今世紀後半に実質ゼロにし、産業革命前からの気温上昇幅を2度未満、できれば1.5度に抑えるのが目標だという。主要排出国を含む全ての国が削減目標を5年ごとに提出・更新し、実施状況を報告、レビューを受ける決まりだというから、主要排出国が参加していなかった従来よりはマシ?

 温暖化問題となると「まだ途上国だ」と主張し、温室効果ガス排出削減に消極的だった中国が、G20開催に合わせてパリ協定の締結を承認、批准した。米国も批准して共同発表したことからマスコミは総じて好意的に報じ、両国の発表は各国にも批准を強く促し、協定の発効へ向けて大きな前進だなどと評した。

 一連の報道には中国の削減目標の解説は見当たらなかったが、中国の目標とは、2030年の国内排出量をGDP当たりで2005年比60〜65%削減するというもの。そのころにCO2排出量の伸びをゼロにし、経済成長とCO2排出量の増加のデカプリング(切り離し)を実現するという。つまり、2030年までは経済成長(GDP増)に伴って排出されるCO2は増え続ける。

 GDP当たり排出量を減らすために中国は、太陽光発電や風力発電などの非化石燃料エネルギーを大幅に増やしたりするというが、もっと効果的な方法がある。それは、鉄鋼産業など大量に温室効果ガスを排出している工業分野で、企業を減らすことだ。実質的に破綻しているが生産を続けているゾンビ企業を片っ端から整理、廃業させれば中国のC02排出量はかなり減るだろう。

 投資主導で成長してきた中国では、中央政府の政策に合わせて各地方政府がそれぞれに企業を作って生産に励むので、結果として過剰生産となる。中途半端な計画経済と中途半端な市場経済が組み合わされ、市場が歪められるので淘汰のメカニズムが働かず、ゾンビ企業は赤字を垂れ流し続け、CO2を排出し続ける。

 パリ協定の批准に続けて中国がゾンビ企業の大量整理に動き出すなら、2030年を待たずに中国の温室効果ガスの排出量は減少に向かうかもしれない。が、実現はあまり期待しないほうがいい。各地のゾンビ企業は多くの労働者を雇用しているから、大量の失業者が溢れて社会に不満が充満することを避けつつ、ゆっくりとしかゾンビ企業の整理は進まないだろう。

 一方で中国は排出権取引市場の育成を進め、2017年から中国全土で排出量取引制度を開始することを決めた。事業者などに排出量を割り当て、市場で余剰排出量や不足排出量を売買するというものだ。CO2排出を有料にして排出削減につなげようとの狙いだが、技術力に劣る中国企業は実際のCO2削減よりも、他から排出枠を購入することでツジツマをあわせるだろう。

 温室効果ガスの排出量が増えているから温暖化現象が起きている……のが真実なら、温室効果ガスの排出量そのものを削減する以外に対策はない。だが、温暖化論者も排出権取引を容認するという奇妙さは相変わらずだ。排出権取引市場を育成して、「空気の取引で金を動かそう」と目を付けた中国。GDP当たりのCO2は多少減るかもしれないが総排出量は増え続ける中国では、“いい商売”になりそうだな。

2016年9月3日土曜日

昭和のジャズの歩み


 ジャズ喫茶などで、眉間にしわを寄せて、難しそうな顔をして聴くのがジャズ通だというようなイメージが半世紀前にはあった。ちょうどモード奏法が広まり、一方ではフリージャズ的なアプローチをするミュージシャンが増えたりし、リズムに合わせて音楽を楽しむというより、演奏される音に集中して聴き入るスタイルが広まったのだろう。

 あのころのミュージシャンは、即興演奏の可能性を拡大するために、様々なアプローチを行った。斬新で興味深い音楽が登場したりもしたが、そうした音楽のほとんどは主流になることもなく、残したレコードが過去の名盤扱いされるものが多少あるぐらいだ。

 眉間にしわを寄せて聴いていたのは、当時の先端のジャズが難解だったからだ。難解とは、聴いて楽しさが即座に伝わるような音楽ではなく、音楽のよさを聞き手が“理解”しなければならないこと。ミュージシャンは高度な技法を駆使し、即興を試み、その表現と意図を聞き手は解釈して楽しむ……だから、音楽に現れたミュージシャンの「精神性」も批評の対象になったりした。

 その後のジャズはリズム面でロックやファンクの影響を強く受けたが、21世紀の新しい表現を獲得したかどうかは、もう新しいジャズに関心が薄れて久しい当方には判断できない。ただ、即興演奏ということでは既に様々な試みが為されており、そう簡単に新しい表現は出てきそうにないなと、たまにジャズ喫茶で単調なモード奏法の新譜を聴かされたりすると痛感する。

 一方でジャズは、小洒落た焼き鳥屋や居酒屋などでBGMとして流されるようになった。そこで使われるのは、眉間にしわを寄せて聴くようなジャズではなく、リズムに合わせて楽しむことができるようなタイプ。これは、ジャズが「出世」したのか、ムード音楽に編入されたのか定かではないが、そうしたBGMではミュージシャンの個性は必要とされない。飲食店の雰囲気づくりのジャズは、即興性を重視するジャズの否定か。

 でも、昔のジャズもムード音楽でもあったかもしれないと気づかせてくれるのがCD3枚組「昭和ジャズ大全〜幻の名盤・秘蔵盤〜」だ。コロムビアが豊富な過去の音源から日本の戦後ジャズの軌跡を音でたどる企画ものだが、洗練された演奏が心地よい。ていねいに主旋律を奏で、各ミュジシャンのソロは抑制的だ。

 当時もライブでは各ミュージシャンが思う存分に即興演奏していたのであろうが、レコーディングは収録時間が長くても3、4分とあってはアレンジ優先で仕上げるしかない。だから各自のソロはメーンではなく、うっかり聴くとジャズ風のムード音楽に聞こえないではない。が、延々とソロを聴かされることが普通になった現代の感覚からすると、妙な新鮮さを感じたりもする。

 収録されているのは、レイモンド・コンデとゲイ・セプテット/中村八大モダン・トリオ/小野満トリオ/平岡精二クインテット/フランキー堺とシティ・スリッカーズ/鈴木章治とリズム・エース /北村英治とオール・スターズ/藤家虹ニ/松本英彦クインテット/渡辺貞夫&宮間利之とニュー・ハード/秋吉敏子/ジヨージ川口とビッグ・フォー/南里文雄&宮間利之とニュー・ハード/ウエスト・ライナーズ/美空ひばり&原信夫とシャープス・アンド・フラッツ。