白人至上主義とか白人優越主義と呼ばれる考え方がある。白人は有色人種より優れているとする考えだが、なぜ、そうした考え方が生じたのか。言い方を変えるなら、なぜ、そうした考え方が必要だったのか。それは、白人による有色人種の支配を無条件に肯定するためだった。
米国ではアフリカからの黒人を奴隷として売買し、無報酬で労働させた。黒人を人として扱わず家畜同然に扱うことを正当化するためには、黒人が白人と同等の人間ではないと見なすことが必要で、黒人ら有色人種は白人よりも劣った存在とし、白人が支配者として黒人ら有色人種を使役することを容認するためには白人至上主義が都合が良かった。
欧州各国はアフリカ、中東、アジア、南米など世界に植民地を持ったが、植民地の人々を対等の関係には設定せず、劣った存在とみなし、植民地から収奪することを正当化するには白人至上主義が便利だっただろうし、必要だった。
植民地の大半が独立することにより植民地支配は過去のものとなり、独ナチスによるユダヤ人の大量虐殺の影響などもあって白人至上主義などの発想は排除すべきものと見なされるようになった。米国でも、奴隷制が否定されて多民族が共存する社会との意識が一般化し、白人至上主義は忌避されるようになった。
米トランプ大統領の発言が批判されているのは、第一に、米国社会が封印したはずの白人至上主義を容認している懸念、第二に、衝突した双方に責任があると双方に距離をとってみせたのは、容認すべきではない白人至上主義を結果として弁護することになるからだ。
利害を争っている対立から第三者が距離をとりつつ、善悪などを決めず客観的に対立を眺めるのは、時には必要なこともあろう。しかし、白人至上主義など社会の規範に反するとされているものに、あえて距離を置くことは、少なくとも政治家としては不適当な行動となる。
白人至上主義にすがる白人とは、白人であることが自尊心の対象であり、白人の優越を誇示するために差別する対象(有色人種)が必要な人々だ。おそらく何らかの被害者感情めいた閉塞感も持っているかもしれない。被害者感情は、自己流の理屈や反社会的な行動を正当化するためには欠かせない道具である。
2017年8月30日水曜日
2017年8月26日土曜日
隠していた「学問の自由」
英ケンブリッジ大学出版局が中国当局の要請に応えて、中国研究誌サイトに掲載された文化大革命や天安門事件、チベットやウイグル等の民族問題、台湾問題、民主主義などの315論文への中国国内からのアクセスを遮断した。世界的に高名な大学が政治に屈し、地理的に遠い中国政府の影響力が及んだことを示した。
報道によると同出版局は要請に応じた理由について「他の出版物や学術記事が中国国内で閲覧できる状態を確保するため」と説明した。同出版局の子ども向け英語教材の販売が中国で好調で、要求に従わなければ中国での業務全般に悪影響が出ると警告されたそうだ。警告されて従う行為は、権力に頭を垂れる姿である。
同出版局は、今後も中国国内で他の学術資料にアクセスできるようにするため中国当局と北京で協議を行うまでの短期的な措置だったと説明した。だが、遮断という行為の重大さを認識していたなら、「少しの間だけだから」と簡単に踏み切れるものではあるまい。協議前に環境整備に動いたと見られても仕方がない行為だ。
英ケンブリッジ大学が中国の経済力に屈したとの国際的な批判が高まり、同大学は態度を一変、中国国内からのアクセス遮断の措置を撤回した。声明を出して「学問の自由は最も重要な原則だ」と強調したそうな。どこかに隠していた最重要な「学問の自由」原則を引っ張り出して、自らを正当化して見せた。
国際的な批判が高まると、あわてて学問の自由を掲げてみせた同大学だが、その内実が今回の遮断措置で世界にさらけ出された。学問の自由とは、同大学の都合によって無視することもでき、また、誇らしく掲げることもできる。つまり、普遍的な理念ではなく、方便にすぎなかった。
もしかすると同大学は、市場としての重要性が増す中国で、1党独裁で抑圧が強まる国内には学問の自由はないから、学問の自由を今の中国人に認めてあげなくても、中国国内の研究実態は変わらないと中国からのアクセスを遮断したのかもしれない。
これは英国人流の合理的な発想か。過去の植民地支配でも英国は、民主主義や諸権利などを植民地の人々には享受させず、収奪するだけだった。皮肉っぽく見るなら英国人は、自由や権利、民主主義などは人々が闘って勝ち取るしかないと認識していて、抑圧されたままで生きる人々には同情しないのかもしれない。そうした考え方は、植民地支配者としての自己正当化に都合がいい。
報道によると同出版局は要請に応じた理由について「他の出版物や学術記事が中国国内で閲覧できる状態を確保するため」と説明した。同出版局の子ども向け英語教材の販売が中国で好調で、要求に従わなければ中国での業務全般に悪影響が出ると警告されたそうだ。警告されて従う行為は、権力に頭を垂れる姿である。
同出版局は、今後も中国国内で他の学術資料にアクセスできるようにするため中国当局と北京で協議を行うまでの短期的な措置だったと説明した。だが、遮断という行為の重大さを認識していたなら、「少しの間だけだから」と簡単に踏み切れるものではあるまい。協議前に環境整備に動いたと見られても仕方がない行為だ。
英ケンブリッジ大学が中国の経済力に屈したとの国際的な批判が高まり、同大学は態度を一変、中国国内からのアクセス遮断の措置を撤回した。声明を出して「学問の自由は最も重要な原則だ」と強調したそうな。どこかに隠していた最重要な「学問の自由」原則を引っ張り出して、自らを正当化して見せた。
国際的な批判が高まると、あわてて学問の自由を掲げてみせた同大学だが、その内実が今回の遮断措置で世界にさらけ出された。学問の自由とは、同大学の都合によって無視することもでき、また、誇らしく掲げることもできる。つまり、普遍的な理念ではなく、方便にすぎなかった。
もしかすると同大学は、市場としての重要性が増す中国で、1党独裁で抑圧が強まる国内には学問の自由はないから、学問の自由を今の中国人に認めてあげなくても、中国国内の研究実態は変わらないと中国からのアクセスを遮断したのかもしれない。
これは英国人流の合理的な発想か。過去の植民地支配でも英国は、民主主義や諸権利などを植民地の人々には享受させず、収奪するだけだった。皮肉っぽく見るなら英国人は、自由や権利、民主主義などは人々が闘って勝ち取るしかないと認識していて、抑圧されたままで生きる人々には同情しないのかもしれない。そうした考え方は、植民地支配者としての自己正当化に都合がいい。
2017年8月23日水曜日
機能する議会にするために
国会審議が形骸化しているという批判は以前からある。予算案や法案の審議よりも閣僚らの不祥事や疑惑、不適切発言の責任追及を野党が優先したりする一方、野党が法案に関し具体的想定に即して質問すると政府がまともに答えなかったりする。与野党の一方にだけ原因がある現象ではないようだ。
予算は毎年成立し、各種の法も毎年成立しているので国会が役目を果たしていないとは言えないのだろう。でも、与党は与党の役割、野党は野党の役割を演じて大騒ぎを観客(国民)に見せはするが、審議を通して原案が修正されることは少なく、官僚が作成した予算案や法案などを基本的にそのまま成立させている。
熟議を求める声が当事者である国会議員から上がったりするので、国会の審議の現状について憂慮する意識はあるのだろうが、何も変わらない。国会審議で熟議が実現していないのなら、その主な原因は、選出される議員の資質(知見や見識に乏しく、熟議をすることができない?)にあるのか、現在の議会制度にあるのか。
国会審議に不適切な議員については、「こいつはダメだ」と判断した主権者が次の選挙で当選させないことしか解決策はない。現在の議会制度については、審議の質を高め、熟議を常態化させるために改革すべきところは結構あるように見える。
例えば、2院制は機能を分け、「衆議院は内政に関する事項を審議し、参議院は外交・防衛に関する事項を審議する」。担当分野を分けることで、より専門的な知見を議員は求められる。現在の予算委員会のように内政から外交、政治姿勢から不祥事の追求まで何でも取り上げて与野党、政府がそれぞれの主張を言い合う審議は減少する。
参議院を外交・防衛を専門的に審議する場にしたのは、現在の世界は緊密化しつつ複雑化かつ流動化しており、そうした世界に対応して日本国の外交方針を独自に構築するためには、議会において多角的に審議する必要があるからだ(対米従属の外交を続けるなら、その必要はないかも)。
議員を世襲ポスト化しないために、「通算20年を超えて国会議員の地位にあるものは両議会議員としての被選挙権を失う」などと任期制限を設ける。選挙に強い人物が国会審議に適しているとは限らないが、選挙に強ければ当選を繰り返すので、そうした人物を国会から排除する仕組みだ。有能な人物なら、20年ほど議員を務めた後にも活躍する場は国内外にあるだろう。
内閣総理大臣が持つ衆議院の解散権を廃止し、衆議院での不信任決議案可決に対しては内閣が国民投票を行うことができるようにする。民意を国会に適時反映させるためには衆議院議員の任期を2年とする。思いつくまま列挙したが、こんな「改革」が行われれば議会の様相が一変することは間違いなさそうだ。
予算は毎年成立し、各種の法も毎年成立しているので国会が役目を果たしていないとは言えないのだろう。でも、与党は与党の役割、野党は野党の役割を演じて大騒ぎを観客(国民)に見せはするが、審議を通して原案が修正されることは少なく、官僚が作成した予算案や法案などを基本的にそのまま成立させている。
熟議を求める声が当事者である国会議員から上がったりするので、国会の審議の現状について憂慮する意識はあるのだろうが、何も変わらない。国会審議で熟議が実現していないのなら、その主な原因は、選出される議員の資質(知見や見識に乏しく、熟議をすることができない?)にあるのか、現在の議会制度にあるのか。
国会審議に不適切な議員については、「こいつはダメだ」と判断した主権者が次の選挙で当選させないことしか解決策はない。現在の議会制度については、審議の質を高め、熟議を常態化させるために改革すべきところは結構あるように見える。
例えば、2院制は機能を分け、「衆議院は内政に関する事項を審議し、参議院は外交・防衛に関する事項を審議する」。担当分野を分けることで、より専門的な知見を議員は求められる。現在の予算委員会のように内政から外交、政治姿勢から不祥事の追求まで何でも取り上げて与野党、政府がそれぞれの主張を言い合う審議は減少する。
参議院を外交・防衛を専門的に審議する場にしたのは、現在の世界は緊密化しつつ複雑化かつ流動化しており、そうした世界に対応して日本国の外交方針を独自に構築するためには、議会において多角的に審議する必要があるからだ(対米従属の外交を続けるなら、その必要はないかも)。
議員を世襲ポスト化しないために、「通算20年を超えて国会議員の地位にあるものは両議会議員としての被選挙権を失う」などと任期制限を設ける。選挙に強い人物が国会審議に適しているとは限らないが、選挙に強ければ当選を繰り返すので、そうした人物を国会から排除する仕組みだ。有能な人物なら、20年ほど議員を務めた後にも活躍する場は国内外にあるだろう。
内閣総理大臣が持つ衆議院の解散権を廃止し、衆議院での不信任決議案可決に対しては内閣が国民投票を行うことができるようにする。民意を国会に適時反映させるためには衆議院議員の任期を2年とする。思いつくまま列挙したが、こんな「改革」が行われれば議会の様相が一変することは間違いなさそうだ。
2017年8月19日土曜日
確率を見ないから不安になる
何か良くないことが起きるかもしれないとの不安は誰にもある。その不安の対象は様々だ。自分や家族の健康や経済状態などから住環境のこと、職場などでの人間関係から新法で個人の自由や権利が制限される懸念、さらには日本の巨額の国債発行やら近隣国の軍事的な増強、世界で多発するテロなど挙げればキリがない。
メディアには各種の不安を煽る記事、論説が氾濫している。なぜ不安を煽るかというと、警鐘を鳴らすのがメディアの役割との責任感のほか、そうした書き方をしたほうが読み手の情緒を刺激して訴求力が上がるからだろう。不安を持つ材料には事欠かないのが現実の世界だから、不安を煽る記事、論説はいつまでも繰り返し現れる。
1年後に何が起きるか、1日後に何が起きるか、1時間後に何が起きるか、1分後に何が起きるか、知っている人はいない。最悪の事態を想定し、具体的な対処を考え備えておくことは有益だろうが、不安を煽られると浮き足立つことにもなりかねない。不安を持っても浮き足立たずにいるためには、どうすべきか。
それには、第一に、事実を知る。何が起きて、どう進行しているのかを確かめる(主観を混えずに)。第二に、最悪の事態が起きる可能性を確かめる(記事や論説には、最悪の事態が起きる確率が示されていないことが多く、発生の確率を読み手は過大視しやすい)。
何かが起きるかもしれないというのは、決定した未来ではない。例えば、5%の確率で起きるかもしれない最悪の事態を、50%の確率で起きると勘違いしたなら不安は大きいだろうが、その不安は過大だ。不安という心理は正常な判断を妨げるし、悪い方へと考えが向いて不安は自己増殖しがちだ。不安をコントロールするには、未来予測は確率で判断する習慣を身につけるしかない。
確率は時間の区切り方次第で変化する。例えば、東京を襲う大地震は、1万年先までを考えるなら発生確率は100%に近いだろうが、1年先までなら発生確率はぐんと低くなるだろう。何かが発生する可能性を確率は示すが、その確率は固定されたものではなく、様々の条件が変われば確率も変わる。
問題は、将来に起きうることの確率の検証はメディアがなすべきことだが、それが放棄されていることだ。行政機関や研究機関などの発表が垂れ流しされ、さらには記事や論説などで確率が示されることが少なく、不安が煽られるだけという状況を作るためにメディアが役立っていることだけは、かなりの高い確率で断言できる。
メディアには各種の不安を煽る記事、論説が氾濫している。なぜ不安を煽るかというと、警鐘を鳴らすのがメディアの役割との責任感のほか、そうした書き方をしたほうが読み手の情緒を刺激して訴求力が上がるからだろう。不安を持つ材料には事欠かないのが現実の世界だから、不安を煽る記事、論説はいつまでも繰り返し現れる。
1年後に何が起きるか、1日後に何が起きるか、1時間後に何が起きるか、1分後に何が起きるか、知っている人はいない。最悪の事態を想定し、具体的な対処を考え備えておくことは有益だろうが、不安を煽られると浮き足立つことにもなりかねない。不安を持っても浮き足立たずにいるためには、どうすべきか。
それには、第一に、事実を知る。何が起きて、どう進行しているのかを確かめる(主観を混えずに)。第二に、最悪の事態が起きる可能性を確かめる(記事や論説には、最悪の事態が起きる確率が示されていないことが多く、発生の確率を読み手は過大視しやすい)。
何かが起きるかもしれないというのは、決定した未来ではない。例えば、5%の確率で起きるかもしれない最悪の事態を、50%の確率で起きると勘違いしたなら不安は大きいだろうが、その不安は過大だ。不安という心理は正常な判断を妨げるし、悪い方へと考えが向いて不安は自己増殖しがちだ。不安をコントロールするには、未来予測は確率で判断する習慣を身につけるしかない。
確率は時間の区切り方次第で変化する。例えば、東京を襲う大地震は、1万年先までを考えるなら発生確率は100%に近いだろうが、1年先までなら発生確率はぐんと低くなるだろう。何かが発生する可能性を確率は示すが、その確率は固定されたものではなく、様々の条件が変われば確率も変わる。
問題は、将来に起きうることの確率の検証はメディアがなすべきことだが、それが放棄されていることだ。行政機関や研究機関などの発表が垂れ流しされ、さらには記事や論説などで確率が示されることが少なく、不安が煽られるだけという状況を作るためにメディアが役立っていることだけは、かなりの高い確率で断言できる。
2017年8月16日水曜日
先制攻撃と見なされる行動
北朝鮮がグアム周辺に向けて弾道ミサイルを発射すると脅せば、「炎と怒りに直面する」とトランプ大統領が応じるなど緊張が高まっている気配だが、韓国在住の民間人に米国が退避勧告などを出していないことから、米国から仕掛けて開戦する可能性は低いと見られる。
ただ、政治的指導者の配慮に欠けた言葉の応酬がエスカレートすると、兵や人々の好戦気分を煽る効果があり、偶発的に衝突が起きて開戦につながる可能性も出てくる。金正恩氏とトランプ氏には冷静かつ理性的な振る舞いを求めたいところだが、独裁者として育てられた金正恩氏と傍若無人に振舞う金持ちのトランプ氏の組み合わせでは、冷静さも理性も期待できないか。
ミサイル発射を繰り返す北朝鮮は、過度に緊張を高めているように見える。ミサイル開発も核武装も体制維持が目標だとされるが、米国の注意を引くことも狙っているような印象だ。米国との直接の和平交渉を北朝鮮は望んでいると言われるが、核とミサイルの実戦力化を急いでいると解釈したほうが北朝鮮の行動を理解しやすいので、米国との対立を演出したいのだろう。
体制維持が目標だとすれば、戦力的に劣る北朝鮮から開戦を仕掛ける可能性は低い。戦争が間近だと国内外で緊張を維持することが体制維持には有効だろうから口汚く強い言葉で米国などを批判し続けるのだとすれば、偶発的な韓国との衝突はあっても、米国相手の偶発的な衝突は避けるだろう。
しかし、トランプ氏にとっては、開戦は現実的な選択肢かもしれない。その理由は第一に、北朝鮮に長距離弾道ミサイル攻撃力を持たせたくないなら早期に開発能力を破壊する必要がある。第二に、北朝鮮はまだ長距離弾道ミサイルを実戦配備していないだろうから、戦場が米国本土になる可能性が低いので、北朝鮮との開戦が不可避だと判断したなら早期の開戦が米国に有利になる。
もちろん開戦となれば朝鮮半島が戦場になるだろうし、すでに北朝鮮が実戦配備している中距離ミサイルが日本各地を襲う可能性は高い。多大な被害が予想されるので、米国が戦場にならないからといってトランプ政権が開戦に踏み切ることは現実にはないだろうが、北朝鮮が米国を先制攻撃したと見なされる行動をとった場合には、米国は可能な限りの短期に北朝鮮の攻撃能力を破壊するかもしれない。
北朝鮮が米国を先制攻撃したと見なされたなら、米国内に激しい愛国的機運が高まることも予想され、そうなったなら国際的な自重要請は無力だろう。国際的な緊張は外交交渉で解消すべきだが、経済制裁を受けている北朝鮮には外交交渉のカードが乏しく、外交交渉には背を向けている。
ただ、政治的指導者の配慮に欠けた言葉の応酬がエスカレートすると、兵や人々の好戦気分を煽る効果があり、偶発的に衝突が起きて開戦につながる可能性も出てくる。金正恩氏とトランプ氏には冷静かつ理性的な振る舞いを求めたいところだが、独裁者として育てられた金正恩氏と傍若無人に振舞う金持ちのトランプ氏の組み合わせでは、冷静さも理性も期待できないか。
ミサイル発射を繰り返す北朝鮮は、過度に緊張を高めているように見える。ミサイル開発も核武装も体制維持が目標だとされるが、米国の注意を引くことも狙っているような印象だ。米国との直接の和平交渉を北朝鮮は望んでいると言われるが、核とミサイルの実戦力化を急いでいると解釈したほうが北朝鮮の行動を理解しやすいので、米国との対立を演出したいのだろう。
体制維持が目標だとすれば、戦力的に劣る北朝鮮から開戦を仕掛ける可能性は低い。戦争が間近だと国内外で緊張を維持することが体制維持には有効だろうから口汚く強い言葉で米国などを批判し続けるのだとすれば、偶発的な韓国との衝突はあっても、米国相手の偶発的な衝突は避けるだろう。
しかし、トランプ氏にとっては、開戦は現実的な選択肢かもしれない。その理由は第一に、北朝鮮に長距離弾道ミサイル攻撃力を持たせたくないなら早期に開発能力を破壊する必要がある。第二に、北朝鮮はまだ長距離弾道ミサイルを実戦配備していないだろうから、戦場が米国本土になる可能性が低いので、北朝鮮との開戦が不可避だと判断したなら早期の開戦が米国に有利になる。
もちろん開戦となれば朝鮮半島が戦場になるだろうし、すでに北朝鮮が実戦配備している中距離ミサイルが日本各地を襲う可能性は高い。多大な被害が予想されるので、米国が戦場にならないからといってトランプ政権が開戦に踏み切ることは現実にはないだろうが、北朝鮮が米国を先制攻撃したと見なされる行動をとった場合には、米国は可能な限りの短期に北朝鮮の攻撃能力を破壊するかもしれない。
北朝鮮が米国を先制攻撃したと見なされたなら、米国内に激しい愛国的機運が高まることも予想され、そうなったなら国際的な自重要請は無力だろう。国際的な緊張は外交交渉で解消すべきだが、経済制裁を受けている北朝鮮には外交交渉のカードが乏しく、外交交渉には背を向けている。
2017年8月12日土曜日
閉じた世界と資本主義
資金を集めて経済活動を行い、得た利益から利子を出資者に提供することで成り立っていた資本主義経済が壁にぶつかっている。世界経済が大不況で機能不全に陥っているわけでもないのに、日米欧などの10年国債の金利は低い。利子を産まなくなった経済活動は資本主義の終焉を示すものだと論じるのが水野和夫氏だ(『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』)。
「長期金利は資本利潤率の近似値」であり、「利子率=利潤率が2.0%を下回った状態では、資本を投下しても利潤を獲得することはできない」と水野氏は説き、21世紀の超低金利は、実物投資空間から「もはや資本を蒐集することができなくなったことを示している」とする。
日本の家計の金融資産残高は1800兆円(2016年末)と増えているが、名目GDPは537兆円(2016年度)。世界の名目GDPは74兆1964億4百万米ドル(2015年)だが、世界の金融資産の総額はGDPの数倍になるとみられ、日本でも世界でも、実体経済に比べて資金過剰の状態になってしまっている。ちなみに日本の企業の金融資産も1101兆円(2016年末)と過去最高を更新した。
実物投資空間(地理的・物的空間)の拡大は1970年代に限界を迎え、先進国の経済成長は頭打ちになり、米国はバーチャルな電子・金融空間を構築し、世界に拡大することで世界から資金を集める資本主義に構造を変えた。それは富裕層だけの所得が大幅に増えるという構造でもあり、富の不当な蓄積が顕著になったと水野氏。
市場の膨張が可能な時代は終わり、フロンティアが消滅して市場が有限であると判明したゼロ金利の時代には「セイの法則」は無効だと水野氏は論じ、技術革新への信仰を成長戦略の柱に据えても成功しないのは、技術が資本主義の膨張に貢献するように求められているからだとする(資本主義の膨張は限界にぶつかっている)。
資本主義が、何は正常なのか分からない例外状態に突入したことで、長期にわたるゼロ金利と極端な電子・金融空間の膨張が生じ、資本主義の本質である「ショック・ドクトリン」が大手を振って登場しているのが現在だと水野氏は説き、世界中で資本主義は機能不全に陥っているとする。
成長空間が乏しくなった資本主義の強欲さは平等、自由を破壊し、民主主義の機能不全としても現れ、国民国家と資本主義からなる近代システムの矛盾が臨界点に達してきていると見る水野氏は、フロンティアが消滅した「閉じた」世界では、地域帝国と地方政府の二層からなる閉じたシステムが有効ではないかと、歴史を振り返りながら示唆する。
「長期金利は資本利潤率の近似値」であり、「利子率=利潤率が2.0%を下回った状態では、資本を投下しても利潤を獲得することはできない」と水野氏は説き、21世紀の超低金利は、実物投資空間から「もはや資本を蒐集することができなくなったことを示している」とする。
日本の家計の金融資産残高は1800兆円(2016年末)と増えているが、名目GDPは537兆円(2016年度)。世界の名目GDPは74兆1964億4百万米ドル(2015年)だが、世界の金融資産の総額はGDPの数倍になるとみられ、日本でも世界でも、実体経済に比べて資金過剰の状態になってしまっている。ちなみに日本の企業の金融資産も1101兆円(2016年末)と過去最高を更新した。
実物投資空間(地理的・物的空間)の拡大は1970年代に限界を迎え、先進国の経済成長は頭打ちになり、米国はバーチャルな電子・金融空間を構築し、世界に拡大することで世界から資金を集める資本主義に構造を変えた。それは富裕層だけの所得が大幅に増えるという構造でもあり、富の不当な蓄積が顕著になったと水野氏。
市場の膨張が可能な時代は終わり、フロンティアが消滅して市場が有限であると判明したゼロ金利の時代には「セイの法則」は無効だと水野氏は論じ、技術革新への信仰を成長戦略の柱に据えても成功しないのは、技術が資本主義の膨張に貢献するように求められているからだとする(資本主義の膨張は限界にぶつかっている)。
資本主義が、何は正常なのか分からない例外状態に突入したことで、長期にわたるゼロ金利と極端な電子・金融空間の膨張が生じ、資本主義の本質である「ショック・ドクトリン」が大手を振って登場しているのが現在だと水野氏は説き、世界中で資本主義は機能不全に陥っているとする。
成長空間が乏しくなった資本主義の強欲さは平等、自由を破壊し、民主主義の機能不全としても現れ、国民国家と資本主義からなる近代システムの矛盾が臨界点に達してきていると見る水野氏は、フロンティアが消滅した「閉じた」世界では、地域帝国と地方政府の二層からなる閉じたシステムが有効ではないかと、歴史を振り返りながら示唆する。
2017年8月5日土曜日
歌手の評価法
上手に歌うことはプロの歌手として当然だと思われがちだが、何を歌っても上手な人がいる一方で、プロとしては声域が狭かったり声量に制約があったりして歌う曲が限られる人もいるし、見た目は可愛いけれど音程が不安定で素人レベルの人もいる。自作の歌を個性的に歌うだけの人もいて、プロ歌手といっても様々だ。
素人レベルの歌唱でもヒット曲を連発する歌手もいるから、歌の上手下手と人気は比例しないことが判る。プロ歌手の評価が、売れるか売れないかで決まるとするなら、上手に歌うことはプロ歌手の評価において、重要ではあるが決定的な要素ではないと見えてくる。
上手に歌うことが決定的要素でないとすれば、プロ歌手を客観的に評価する方法は何か。様々な個性のプロ歌手が存在するので、評価の基準は一様ではありえないだろうから、聞く側の好み・好き嫌いで評価が決まることになる。好み・好き嫌いは個人差が大きく、また、歌は世につれ……などというように世相との関係も無視できないだろう。
プロ歌手の評価は聞く側が勝手に好き嫌いで決めればいいとしても、その評価基準に何らかの共通性を持たせることができれば、各人の好き嫌いの様相が見えてくるだろう。そこで、プロ歌手を10点満点で評価する簡単な方法を考えてみた。10点満点のうち5点は歌唱力の評価に当て、あとの5点は演出の評価に当てる。
歌唱力の評価が10点満点の半分の5点しかないのは少ないようにも感じられようが、プロ歌手として観客を楽しませる華やかさも大切だから、衣装や演出を軽視することはできない。突出した歌唱力を発揮するプロ歌手なら簡素な衣装・背景で十分で、演出が邪魔になることもあろうが、そうした簡素な衣装・背景が歌の効果を高めているのだとすれば、高く評価されよう。
歌唱力も演出も、5点評価のちょうど中間の3点を、これくらいはプロ歌手としては当然だという水準に達している標準とし、そこに加点したり減点したりする。1点は「ひどく悪い」、2点は「悪い」、3点は「普通」、4点は「良い」、5点は「大変良い」になる。
歌唱力の評価では、3点を「プロ歌手として充分な歌唱力と表現力を持ち、それを発揮している」とし、「今日は調子が良く、いい歌いっぷりだ」と思ったら加点して4点にし、「素晴らしい熱唱で、情景がまざまざと浮かぶ」と思ったなら5点に評価する。「今日は不調だな」なら2点、「下手な歌いっぷりだ」と思ったなら1点。口パクは「歌っていない」から0点。
演出の評価は、振り付けや踊り、衣装などを対象とし、3点を「プロとしての華やかさや楽しさを醸し出している」とし、いいと感じた度合いに応じて1点ずつ加点する。お粗末な演出だとか、演出が歌を邪魔していると感じたなら度合いに応じて1点ずつ減点する。
聞く側の主観による評価なのだから、同じ歌手に対する評価でも見るたびに揺れ動こうし、容姿なども加えると評価は偏ってこようが、それも聞く側の個性の表れ。口パクが0点などと評価に少し共通性を持たせるものの、共通の評価基準を増やすと面倒さが増すだけ。聞く側の好き嫌いでパッと評価するというのが、この評価法の面白味だ。
素人レベルの歌唱でもヒット曲を連発する歌手もいるから、歌の上手下手と人気は比例しないことが判る。プロ歌手の評価が、売れるか売れないかで決まるとするなら、上手に歌うことはプロ歌手の評価において、重要ではあるが決定的な要素ではないと見えてくる。
上手に歌うことが決定的要素でないとすれば、プロ歌手を客観的に評価する方法は何か。様々な個性のプロ歌手が存在するので、評価の基準は一様ではありえないだろうから、聞く側の好み・好き嫌いで評価が決まることになる。好み・好き嫌いは個人差が大きく、また、歌は世につれ……などというように世相との関係も無視できないだろう。
プロ歌手の評価は聞く側が勝手に好き嫌いで決めればいいとしても、その評価基準に何らかの共通性を持たせることができれば、各人の好き嫌いの様相が見えてくるだろう。そこで、プロ歌手を10点満点で評価する簡単な方法を考えてみた。10点満点のうち5点は歌唱力の評価に当て、あとの5点は演出の評価に当てる。
歌唱力の評価が10点満点の半分の5点しかないのは少ないようにも感じられようが、プロ歌手として観客を楽しませる華やかさも大切だから、衣装や演出を軽視することはできない。突出した歌唱力を発揮するプロ歌手なら簡素な衣装・背景で十分で、演出が邪魔になることもあろうが、そうした簡素な衣装・背景が歌の効果を高めているのだとすれば、高く評価されよう。
歌唱力も演出も、5点評価のちょうど中間の3点を、これくらいはプロ歌手としては当然だという水準に達している標準とし、そこに加点したり減点したりする。1点は「ひどく悪い」、2点は「悪い」、3点は「普通」、4点は「良い」、5点は「大変良い」になる。
歌唱力の評価では、3点を「プロ歌手として充分な歌唱力と表現力を持ち、それを発揮している」とし、「今日は調子が良く、いい歌いっぷりだ」と思ったら加点して4点にし、「素晴らしい熱唱で、情景がまざまざと浮かぶ」と思ったなら5点に評価する。「今日は不調だな」なら2点、「下手な歌いっぷりだ」と思ったなら1点。口パクは「歌っていない」から0点。
演出の評価は、振り付けや踊り、衣装などを対象とし、3点を「プロとしての華やかさや楽しさを醸し出している」とし、いいと感じた度合いに応じて1点ずつ加点する。お粗末な演出だとか、演出が歌を邪魔していると感じたなら度合いに応じて1点ずつ減点する。
聞く側の主観による評価なのだから、同じ歌手に対する評価でも見るたびに揺れ動こうし、容姿なども加えると評価は偏ってこようが、それも聞く側の個性の表れ。口パクが0点などと評価に少し共通性を持たせるものの、共通の評価基準を増やすと面倒さが増すだけ。聞く側の好き嫌いでパッと評価するというのが、この評価法の面白味だ。
2017年8月2日水曜日
実感としての脅威
北朝鮮がロフテッド軌道で発射した弾道ミサイルが、日本海の積丹半島の西200km、奥尻島の北西150km付近の日本の排他的経済水域内に落下したことから、その周辺海域を漁場とする漁師らから不安の声が上がった。落下する弾頭らしき光が撮影されていたことは、北朝鮮のミサイルの脅威を可視化する効果があった。
すでに日本全土を射程に収める中距離ミサイルを北朝鮮や中国が多数配備しているのだから、いつでも日本全土どこでも攻撃される可能性が現実に存在していたのだが、恐怖心や警戒心が一般に高いとは見えなかった。北海道の近くに北朝鮮のミサイルの弾頭が落下するらしき光の映像は、驚異の実感をもたらしたことは確かだろう。
米国政府も現実の脅威として理解し始めた。今回の発射実験から、すでに北朝鮮のミサイルが米国本土の大半に到達可能だと見なしたと伝えられる。混乱が長引いて陣容固めが大幅に遅延しているトランプ政権が、内政が思うようにいかない時には外部に敵をつくって批判の矛先を逸らすという戦略で、北朝鮮をISに代わる第1の敵目標に設定する条件が整いつつあるように見える。
米軍による北朝鮮攻撃に伴う想定被害が大きすぎて、軍事力の行使をトランプ政権は選択肢から外し、中国に北朝鮮の管理を委ねた。その狙いは、①米国外における軍事的負担の増加を避けるとともに、②中国に責任を負わせ、③中国と北朝鮮の「親密」な関係を国際的に周知させることだろう。
トランプ政権は、中国が北朝鮮を抑えることができれば歓迎だろうが、中国が北朝鮮を抑えることができなければ、北朝鮮を批判し、北朝鮮を管理しない中国も批判できるようになる。だが、こうも北朝鮮が挑発を繰り返すと、中国の陰に隠れようとしたトランプ政権が引きずり出される。
トランプ政権が北朝鮮を現実的な軍事的脅威であると認識しても、軍事力の行使は選択肢にはないだろうから、経済制裁を強めるしかない。その主な対象は、北朝鮮と取引がある中国企業であり、そうした中国企業と取引がある中国の銀行になるだろう。それらを国際金融から締め出す。
問題は、第一に、そうした国際金融面からの中国締め付けが中国経済にダメージを与える可能性があり、小出しにしか実行できないことだ。中国経済が影響を受ければ米国経済にもダメージが波及する。第二に、北朝鮮も中国も政治的な目的のためには手段を選ばない体制であるため、米国の行動に対する予想外の反応をする可能性があること。外部から予測不可能な反応をする独裁国家は国際社会にとって常に脅威だ。
すでに日本全土を射程に収める中距離ミサイルを北朝鮮や中国が多数配備しているのだから、いつでも日本全土どこでも攻撃される可能性が現実に存在していたのだが、恐怖心や警戒心が一般に高いとは見えなかった。北海道の近くに北朝鮮のミサイルの弾頭が落下するらしき光の映像は、驚異の実感をもたらしたことは確かだろう。
米国政府も現実の脅威として理解し始めた。今回の発射実験から、すでに北朝鮮のミサイルが米国本土の大半に到達可能だと見なしたと伝えられる。混乱が長引いて陣容固めが大幅に遅延しているトランプ政権が、内政が思うようにいかない時には外部に敵をつくって批判の矛先を逸らすという戦略で、北朝鮮をISに代わる第1の敵目標に設定する条件が整いつつあるように見える。
米軍による北朝鮮攻撃に伴う想定被害が大きすぎて、軍事力の行使をトランプ政権は選択肢から外し、中国に北朝鮮の管理を委ねた。その狙いは、①米国外における軍事的負担の増加を避けるとともに、②中国に責任を負わせ、③中国と北朝鮮の「親密」な関係を国際的に周知させることだろう。
トランプ政権は、中国が北朝鮮を抑えることができれば歓迎だろうが、中国が北朝鮮を抑えることができなければ、北朝鮮を批判し、北朝鮮を管理しない中国も批判できるようになる。だが、こうも北朝鮮が挑発を繰り返すと、中国の陰に隠れようとしたトランプ政権が引きずり出される。
トランプ政権が北朝鮮を現実的な軍事的脅威であると認識しても、軍事力の行使は選択肢にはないだろうから、経済制裁を強めるしかない。その主な対象は、北朝鮮と取引がある中国企業であり、そうした中国企業と取引がある中国の銀行になるだろう。それらを国際金融から締め出す。
問題は、第一に、そうした国際金融面からの中国締め付けが中国経済にダメージを与える可能性があり、小出しにしか実行できないことだ。中国経済が影響を受ければ米国経済にもダメージが波及する。第二に、北朝鮮も中国も政治的な目的のためには手段を選ばない体制であるため、米国の行動に対する予想外の反応をする可能性があること。外部から予測不可能な反応をする独裁国家は国際社会にとって常に脅威だ。
登録:
コメント (Atom)