2期8年の任期を全うして2017年1月に退任する米オバマ大統領は大統領選で、「Yes, we can change」という前向きのメッセージを繰り返し、「世の中は変えることができる」「世の中が変わるんだ」という期待を一身に集めて当選した。そして新しい政策や方向転換が行われて幾つもの変化が生じたが、当初の期待が大きすぎたためか、米社会や世界が大きく「善い」方向に変化したとの印象は薄い。
新しく大統領に就任するトランプ氏は、まず暴言で名を上げ、注目を集めるようになった。その暴言は移民やイスラム教徒、女性などに対する否定的なメッセージでもあり、政治家にとっては致命的ダメージになるような発言も多かったのに、暴言も積み重なるとマイナス評価が薄められて変質するのか、どれも致命傷とはならず選挙で勝利した。
トランプ氏にも前向きなメッセージがあった。それは国内に向けた「Make American Great Again」「America first」というもので、「Change」に対するような国際的な期待は広がらなかった。衰退するアメリカに苛立ちを感じる米国人には支持されたが、アメリカの経済的利益を最優先し、軍事的にも世界展開を見直すというメッセージは、各国からは懸念をもって受け止められた。
米国内の大統領選なので候補者が、国内向けにウケのいいことを言うのは当然だ。だが、衰退したとはいえ世界1の大国であるのだから、大統領になろうという候補者の発するメッセージは国境を越える。だから候補者は世界の指導者にふさわしい理性的な人間であることを示そうとするが、トランプ氏は国内向けに徹したのか粗野に振るまい続けた。
オバマ氏のメッセージもトランプ氏のメッセージも「世の中を変えよう」との主張だが、方向は反対だ。オバマ氏は普遍的な価値観に基づいて、米国と世界を「善い」方向へ変えようと訴え、トランプ氏は米国から阻害要因を排除し、世界経済の枠組みを再構築して「良きアメリカ」を再現しようと訴えた。
オバマ氏の発していたのは、世界との関わりを肯定的にとらえるメッセージだったが、トランプ氏が発したの、米国を蝕む「敵」を攻撃し、普遍的価値観を軽視する否定的なメッセージだった。オバマ氏は人々の希望を動員することで選挙に勝利し、トランプ氏は人々の怒りを動員することで選挙に勝利したともいえよう。
世界の指導者を演じるなら普遍的な価値観を尊重することが必要になるが、アメリカ1国の指導者に徹するなら、アメリカの利益の最優先を強調するのは自然だろう。それは、各国の指導者が演じてきた姿勢であり、トランプ大統領の誕生はアメリカが他国と同格の位置に座り直そうとしていることの現れである。
ただ、「アメリカ第一」に対置されるのは「日本第一」「ドイツ第一」「イギリス第一」「ロシア第一」「中国第一」などであり、普遍的価値観の軽視がもたらすのは、各国がそれぞれの国益をむき出しにする緊張した世界であろう。とはいえ、そうした世界の中から、より現実に即した新たな普遍的価値観の形成が進むであろうし、そうした価値観に影響されて世界が変化し続けると見るなら、トランプ氏は歴史の歯車を動かすことに貢献したのかもしれない。
2016年11月30日水曜日
2016年11月26日土曜日
人口減少地域における鉄道事業
各地を結ぶ長い距離のレールを敷き、駅を設置し、安全を確保しながら列車を走行させるという鉄道事業は固定コストが大きい。乗客が減ったからと1両編成にしたところで、一定の費用は常に必要となるため、運行コスト削減には限度がある。乗客数が減り続け、1両の列車を走らせてもコスト割れが続くようになったなら、そうした土地で鉄道事業を続けていくことは商業ベースでは不可能になる。
乗客数の回復が見込めない中で乗客輸送事業を続けていくには、固定コストを削減するしかない。鉄路を廃して保線コストをなくし、公道をバスで走るようにすることが現実的な唯一の選択肢だろうが、鉄路の廃止には地域が反発する。公共サービスとして発展してきた歴史が鉄道にはあることと、鉄路の廃止が過疎化に拍車をかけるとの懸念があるのだろう。
根本にあるのは、鉄路を維持していくだけの乗客数が見込めないほど人口が減少していることだ。収益を上回るコストがかかっても、公共サービスならば続けなくてはならない場合もあろうが、民営化されて私企業の形態になったなら赤字の垂れ流しを続けることはできなくなる。つまり鉄道事業を続けるためには、行政からの財政支援が必要になる。
JR北海道が単独では維持が困難な10路線13線区を発表したが、それは全路線のほぼ半分にもなる。北海道内の路線はほぼ全線が赤字だといい、発表された10路線13線区は特に乗客が少なく単独では維持困難で、バスへの転換や、自治体が鉄道施設を保有してJR北海道は運行に専念する方式に移行することを求めた。
自治体に財政支援する余裕があれば、住民の生活を支援し、農産物の大量輸送を確保するためにも鉄道を維持することに動くだろうが、過疎が進む地域の自治体は財政的にも厳しいところが多い。現実的に考えると、国と北海道による支援がなければ鉄路は維持できず、バスへの転換は避けられまい。
冬の寒さが厳しい広大な北海道では鉄路を維持するだけでも多額の固定費がかかるが、人口の減少傾向が続く一方で、高速道路網は拡大している。北海道の交通の在り方について国と北海道にビジョンがあるとすれば、それは鉄道には重きを置いていないだろう。人口減少地域における鉄道事業は、観光目的などに重点を移す以外に生き残りは厳しい。
人口減少が続き、需要の総量が減る地域で、続けることができる事業は公的支援を得ているものか、地域外の需要を相手にするものだけだろう。駅まで来た人々に乗ってもらわなければ成り立たない鉄道事業は地域の人口減少には脆弱すぎて、私企業として放り出された時から、赤字による経営破綻は必然だったのかもしれない。
乗客数の回復が見込めない中で乗客輸送事業を続けていくには、固定コストを削減するしかない。鉄路を廃して保線コストをなくし、公道をバスで走るようにすることが現実的な唯一の選択肢だろうが、鉄路の廃止には地域が反発する。公共サービスとして発展してきた歴史が鉄道にはあることと、鉄路の廃止が過疎化に拍車をかけるとの懸念があるのだろう。
根本にあるのは、鉄路を維持していくだけの乗客数が見込めないほど人口が減少していることだ。収益を上回るコストがかかっても、公共サービスならば続けなくてはならない場合もあろうが、民営化されて私企業の形態になったなら赤字の垂れ流しを続けることはできなくなる。つまり鉄道事業を続けるためには、行政からの財政支援が必要になる。
JR北海道が単独では維持が困難な10路線13線区を発表したが、それは全路線のほぼ半分にもなる。北海道内の路線はほぼ全線が赤字だといい、発表された10路線13線区は特に乗客が少なく単独では維持困難で、バスへの転換や、自治体が鉄道施設を保有してJR北海道は運行に専念する方式に移行することを求めた。
自治体に財政支援する余裕があれば、住民の生活を支援し、農産物の大量輸送を確保するためにも鉄道を維持することに動くだろうが、過疎が進む地域の自治体は財政的にも厳しいところが多い。現実的に考えると、国と北海道による支援がなければ鉄路は維持できず、バスへの転換は避けられまい。
冬の寒さが厳しい広大な北海道では鉄路を維持するだけでも多額の固定費がかかるが、人口の減少傾向が続く一方で、高速道路網は拡大している。北海道の交通の在り方について国と北海道にビジョンがあるとすれば、それは鉄道には重きを置いていないだろう。人口減少地域における鉄道事業は、観光目的などに重点を移す以外に生き残りは厳しい。
人口減少が続き、需要の総量が減る地域で、続けることができる事業は公的支援を得ているものか、地域外の需要を相手にするものだけだろう。駅まで来た人々に乗ってもらわなければ成り立たない鉄道事業は地域の人口減少には脆弱すぎて、私企業として放り出された時から、赤字による経営破綻は必然だったのかもしれない。
2016年11月23日水曜日
外れた予測
米メディアの圧倒的な多数が支持を表明し、世論調査や直前の分析でも有利だと報じられたクリントン候補が、本選挙では敗北した。総得票数ではクリントン候補がトランプ候補を上回った(開票率99.7%でトランプ氏6083万票、クリントン氏6178万票)が、選挙人の数を争うのが米大統領選。最後まで接戦を演じたのでもなく敗れた。
総得票数ではクリントン候補がトランプ候補を上回ったのだから、陣営や民主党の選挙戦術に問題があったとはいえ惜敗というべきだろうが、事前予想ではクリントン候補の圧勝とするメディアが多かったため惨敗とのイメージが強い。同時に、人々の思考や感情に大きな影響を及ぼすメディアが、正確な情報を伝えているのかという疑問が出てきた。
クリントン候補の敗因の分析は様々になされている。例えば、▽若者やマイノリティの投票率が低かった(前回勝利したオバマ大統領の約6600万票より今回のクリントン候補は大幅に減らしており、オバマに投票した人がクリントン候補にはそっぽを向いた)、▽世論調査ではクリントン候補を支持したが実際に投票に行かなかった人が多い(トランプ候補の支持者は投票に行った)。
出口調査によると、▽10代20代30代の過半数はクリントン候補に投票したが、40代以上では過半数がトランプ候補に投票、▽白人の約6割がトランプ候補に投票、▽マイノリティーの約2割がトランプ候補に投票(ヒスパニックやアジア系では約3割)、▽年収5万ドル未満の低中所得層の5割強がクリントン候補に投票したが、5万ドル以上では逆転してトランプ候補に投票した人が増え5割弱。
メディアの報道で、トランプ候補の支持者は、製造業が衰え衰退する地方に住む白人の低所得者層だとされていたが、出口調査で見る限りでは富裕層の多くがトランプ候補へ投票していた。共和党の政治家は反トランプの動きを見せたが、共和党の支持層は共和党候補としてのトランプ氏に投票したのだろう。
予備選からの長い選挙戦を通して米メディアはトランプ候補を批判し続け、時には嘲りの対象にもした。トランプ候補の言動が尊敬に値するような代物でなかったことは確かだし、先にトランプ候補から攻撃などを始めたりしていたのだから、相応の反撃を食らうのも当然ではあるが、メディアはトランプ候補を批判することに熱中するあまり(批判材料には事欠かない)、「冷静」にトランプ候補を扱うことができなかった。
皮肉にも、エスタブリッシュメントの一翼を担うメディアが熱心にトランプ候補批判を続けたことで、人々の反エスタブリッシュメント感情を強めた可能性がある。メディアの言うことに流されないためには、メディアもエスタブリッシュだと見なすことは一種のメディアリテラシーかもしれない。
総得票数ではクリントン候補がトランプ候補を上回ったのだから、陣営や民主党の選挙戦術に問題があったとはいえ惜敗というべきだろうが、事前予想ではクリントン候補の圧勝とするメディアが多かったため惨敗とのイメージが強い。同時に、人々の思考や感情に大きな影響を及ぼすメディアが、正確な情報を伝えているのかという疑問が出てきた。
クリントン候補の敗因の分析は様々になされている。例えば、▽若者やマイノリティの投票率が低かった(前回勝利したオバマ大統領の約6600万票より今回のクリントン候補は大幅に減らしており、オバマに投票した人がクリントン候補にはそっぽを向いた)、▽世論調査ではクリントン候補を支持したが実際に投票に行かなかった人が多い(トランプ候補の支持者は投票に行った)。
出口調査によると、▽10代20代30代の過半数はクリントン候補に投票したが、40代以上では過半数がトランプ候補に投票、▽白人の約6割がトランプ候補に投票、▽マイノリティーの約2割がトランプ候補に投票(ヒスパニックやアジア系では約3割)、▽年収5万ドル未満の低中所得層の5割強がクリントン候補に投票したが、5万ドル以上では逆転してトランプ候補に投票した人が増え5割弱。
メディアの報道で、トランプ候補の支持者は、製造業が衰え衰退する地方に住む白人の低所得者層だとされていたが、出口調査で見る限りでは富裕層の多くがトランプ候補へ投票していた。共和党の政治家は反トランプの動きを見せたが、共和党の支持層は共和党候補としてのトランプ氏に投票したのだろう。
予備選からの長い選挙戦を通して米メディアはトランプ候補を批判し続け、時には嘲りの対象にもした。トランプ候補の言動が尊敬に値するような代物でなかったことは確かだし、先にトランプ候補から攻撃などを始めたりしていたのだから、相応の反撃を食らうのも当然ではあるが、メディアはトランプ候補を批判することに熱中するあまり(批判材料には事欠かない)、「冷静」にトランプ候補を扱うことができなかった。
皮肉にも、エスタブリッシュメントの一翼を担うメディアが熱心にトランプ候補批判を続けたことで、人々の反エスタブリッシュメント感情を強めた可能性がある。メディアの言うことに流されないためには、メディアもエスタブリッシュだと見なすことは一種のメディアリテラシーかもしれない。
2016年11月19日土曜日
法は神聖視すべきか
日本では自動車は道路の左側を走る。この左側通行を採用している国は世界でほぼ3分の1で、残りの3分の2は右側通行を採用している。左側通行と右側通行の違いにより、交通事故の発生率などに差が出て来ることは考えにくく、どちらの通行方法が優れているかを議論しても、説得力がある主張は出てきそうにない。
ただし、路上で左側通行と右側通行が混在しているとしたなら、正面衝突の可能性が飛躍的に高まり、交通事故が続出するであろうことは想像に難くない。路上における通行のルールを明確に定め、そのルールにドライバーが従って運転することで、路上の安全性は保たれる。日本では道路交通法により左側通行と定められている。
左側通行が優れているから日本が採用しているわけではないだろうが、もし左側通行の信奉者がいて、「左側通行は倫理的だ」とか「左側通行は崇高な理念を現している」などと主張して絶対視し、左側通行を定めている道路交通法をも「絶対に変えてはならない」などと言い始めたなら、なんか変だなと多くの人は気づくだろう。
左側通行を信奉することも絶対視することも個人の自由だが、それは一つの考え方に過ぎないということが、自分の考えを理想視するほどに見えにくくなる。さらに、個人が絶対視する理想を定めているからといって、社会のルールを定めているにすぎない法律をも絶対視する奇妙さは、当人にはなおさら見えにくくなるのかもしれない。
憲法を始めとする法は、その社会のルールを定めているものでしかない。法は、人々の意識を反映するものではあるが、法は聖典ではなく道徳規範でも哲学書でもない。社会の変化に対応して書き換える部分もあり、私的殺人の禁止など書き換えられない部分もある。法は存在自体に価値があるのではなく、ルールを明確にして、社会の安定や安全などを維持することに役立つことに価値がある。
だから全ての法は、変化する社会に対応して書き換え、常にルールを明確にしておかなければならない。逆走するドライバーが増えれば対応した規制を追加し、自転車事故が増えれば自転車の走行ルールを明確にする。そうした法の変更は、法の尊厳を貶めることではなく、有効に法が機能することによって、法の信頼性を高める。
左側通行とは異なり、戦争放棄や軍事力の保有禁止は崇高な理想であり、素晴しい理念で普遍的な価値がある。永遠に滅びることはない理想でもあるだろう。だが、そうした理想を記しているからといって、法が絶対不可侵の存在になり、神棚に祭り上げられ、人々の日常から遊離した存在になり、社会に作用するルールを決めることができなくなったら、法としての機能を喪失する。
ただし、路上で左側通行と右側通行が混在しているとしたなら、正面衝突の可能性が飛躍的に高まり、交通事故が続出するであろうことは想像に難くない。路上における通行のルールを明確に定め、そのルールにドライバーが従って運転することで、路上の安全性は保たれる。日本では道路交通法により左側通行と定められている。
左側通行が優れているから日本が採用しているわけではないだろうが、もし左側通行の信奉者がいて、「左側通行は倫理的だ」とか「左側通行は崇高な理念を現している」などと主張して絶対視し、左側通行を定めている道路交通法をも「絶対に変えてはならない」などと言い始めたなら、なんか変だなと多くの人は気づくだろう。
左側通行を信奉することも絶対視することも個人の自由だが、それは一つの考え方に過ぎないということが、自分の考えを理想視するほどに見えにくくなる。さらに、個人が絶対視する理想を定めているからといって、社会のルールを定めているにすぎない法律をも絶対視する奇妙さは、当人にはなおさら見えにくくなるのかもしれない。
憲法を始めとする法は、その社会のルールを定めているものでしかない。法は、人々の意識を反映するものではあるが、法は聖典ではなく道徳規範でも哲学書でもない。社会の変化に対応して書き換える部分もあり、私的殺人の禁止など書き換えられない部分もある。法は存在自体に価値があるのではなく、ルールを明確にして、社会の安定や安全などを維持することに役立つことに価値がある。
だから全ての法は、変化する社会に対応して書き換え、常にルールを明確にしておかなければならない。逆走するドライバーが増えれば対応した規制を追加し、自転車事故が増えれば自転車の走行ルールを明確にする。そうした法の変更は、法の尊厳を貶めることではなく、有効に法が機能することによって、法の信頼性を高める。
左側通行とは異なり、戦争放棄や軍事力の保有禁止は崇高な理想であり、素晴しい理念で普遍的な価値がある。永遠に滅びることはない理想でもあるだろう。だが、そうした理想を記しているからといって、法が絶対不可侵の存在になり、神棚に祭り上げられ、人々の日常から遊離した存在になり、社会に作用するルールを決めることができなくなったら、法としての機能を喪失する。
2016年11月16日水曜日
現金が突然使えなくなった
インド政府が突然、使用されている通貨のうち最も高額の1000ルピー紙幣と次に高額の500ルピー紙幣を即日廃止すると発表した。この2種類で流通現金の85%を占めているというから、現金取引の禁止に近い措置だ。新しい2000ルピー紙幣と500ルピー紙幣を発行、交換するとされ、人々は銀行に押し掛けている。世界第2位の人口を有し、現金取引が大半の国で、大量の交換がスムーズに行われるのか。
日本で例えるなら1万円紙幣と5000円紙幣の使用を政府が突然停止したようなもので、大混乱は必至という印象だ。クレジットカードが普及し、電子決済が一般化している社会なら、紙幣の使用を政府が突然停止したとしても、日常生活への影響は限定的かもしれない。だがインドはクレジットカードが普及しておらず、現金での取引が主流。経済活動へのダメージは大きいかもしれない。
なぜ、こんなことをインド政府は行ったのか。首相は腐敗防止と偽造紙幣や資金洗浄対策のためだと説明した。脱税や汚職、犯罪などにより現金で溜め込まれているブラックマネーの規模がインドでは国内総生産の最大3割に達するともされ、報道によると、政治家や資産家が課税逃れのために現金をため込む不正蓄財が横行しているという。
新紙幣への交換を強制することで、そうしたブラックマネーを使えなくしたり、あぶり出すことが狙いのようだ。そのためには一般の人々にも紙幣の交換を強制し、多少の混乱が起きても仕方がないということなら、インド政府は思い切った決断を行ったことになる。ブラックマネーを金や宝石などに逃避させないためには突然実施することが不可欠だろう。
印刷物である紙幣が、例えば1万円などという交換価値を有するのは、第一に発行主体の政府への信任があること、第二に、人々が互いに紙幣に交換価値があると信じることが必要だ。さらに、紙幣が有する交換価値が将来も維持されると人々が感じることも大切で、インフレが激しくなると人々は紙幣を早く手放そうとしたりする。
政府が発行すれば紙幣は必ず信任を得ることができるわけではない。自国通貨よりドル紙幣を人々が信用している国があるというし、冷戦崩壊後の東欧諸国では独マルク紙幣が自国紙幣より信用された。交換価値を溜め込むのが紙幣だと考えれば、溜め込んでいる間の目減りが少ない紙幣を人々が選ぶのは当然だ。
どこの国にも規模の大小はあれ闇経済は存在するから、各国政府は課税を強化して税収を増やしたいと考えるだろう。しかし、紙幣の流通を突然停止するという方法は行わない。ブラックマネーをあぶり出して税収を増やす効果より、経済を混乱させる弊害のほうが大きいと考えるからだろう。インド政府の大胆な試みが、闇経済に打撃を与えて経済構造を「クリーン」にするのか、混乱を拡大させて経済にダメージを与えるのか、興味深い社会実験が進行中だ。
日本で例えるなら1万円紙幣と5000円紙幣の使用を政府が突然停止したようなもので、大混乱は必至という印象だ。クレジットカードが普及し、電子決済が一般化している社会なら、紙幣の使用を政府が突然停止したとしても、日常生活への影響は限定的かもしれない。だがインドはクレジットカードが普及しておらず、現金での取引が主流。経済活動へのダメージは大きいかもしれない。
なぜ、こんなことをインド政府は行ったのか。首相は腐敗防止と偽造紙幣や資金洗浄対策のためだと説明した。脱税や汚職、犯罪などにより現金で溜め込まれているブラックマネーの規模がインドでは国内総生産の最大3割に達するともされ、報道によると、政治家や資産家が課税逃れのために現金をため込む不正蓄財が横行しているという。
新紙幣への交換を強制することで、そうしたブラックマネーを使えなくしたり、あぶり出すことが狙いのようだ。そのためには一般の人々にも紙幣の交換を強制し、多少の混乱が起きても仕方がないということなら、インド政府は思い切った決断を行ったことになる。ブラックマネーを金や宝石などに逃避させないためには突然実施することが不可欠だろう。
印刷物である紙幣が、例えば1万円などという交換価値を有するのは、第一に発行主体の政府への信任があること、第二に、人々が互いに紙幣に交換価値があると信じることが必要だ。さらに、紙幣が有する交換価値が将来も維持されると人々が感じることも大切で、インフレが激しくなると人々は紙幣を早く手放そうとしたりする。
政府が発行すれば紙幣は必ず信任を得ることができるわけではない。自国通貨よりドル紙幣を人々が信用している国があるというし、冷戦崩壊後の東欧諸国では独マルク紙幣が自国紙幣より信用された。交換価値を溜め込むのが紙幣だと考えれば、溜め込んでいる間の目減りが少ない紙幣を人々が選ぶのは当然だ。
どこの国にも規模の大小はあれ闇経済は存在するから、各国政府は課税を強化して税収を増やしたいと考えるだろう。しかし、紙幣の流通を突然停止するという方法は行わない。ブラックマネーをあぶり出して税収を増やす効果より、経済を混乱させる弊害のほうが大きいと考えるからだろう。インド政府の大胆な試みが、闇経済に打撃を与えて経済構造を「クリーン」にするのか、混乱を拡大させて経済にダメージを与えるのか、興味深い社会実験が進行中だ。
2016年11月12日土曜日
私の自由よ
首都圏などの電車内で化粧をする女性がいつ頃から存在したのか定かではないが、いわゆる迷惑行為の一つとして認識されるようになったのは、そう古いことではない。電車内での迷惑とされる行為には他に、きちんと座らない(足を広げたり投げ出したり、詰めなかったり)、混んでも頑張ってドア付近など場所を動かない、優先席を譲らない、大声での会話、リュックなどを背負う、飲食など様々ある。
いずれも混雑している車両内だから迷惑行為とされるので、地方路線の乗客が少ない車両内で同様の行為をしても迷惑行為とはされないだろう。人口密集地における混雑時の電車内という特殊な状況ならではの迷惑行為であり、電車内で化粧すること自体が問題だというわけではない(自宅外の衆人環視の中で化粧する女性を好ましいとは思わないが)。
混雑時の電車内での化粧など迷惑行為を鉄道会社は禁止できないので、マナー向上の啓発活動をする。だが、鉄道会社が妥当だとするマナーを乗客に強制することはできず、また、乗客は常に流動しているので乗客全員がマナーの知識を持っているわけではない。さらに、鉄道会社が考えるマナーが必ずしも乗客から共感を得られるとは限らず、鉄道会社の押し付けだと感じて反発する人もいよう。
根本問題は電車内の混雑を解消できないことだが、大都市圏への人口集中を鉄道会社が変えることはできまいから、マナー向上を啓発するぐらいしか手はない。混雑を不快と感じる乗客にも電車内の混雑を解消する手はない(自分が乗車しなければいいのだが)から、周囲の他人の行為を不快と感じたと投書したりする(だが、その場で相手に直接注意する人はごく少なく、見て見ぬ振りを周囲はする)。
マナーが問題になるのは、共感や同意を得ることができない相手には、訴えが無力であるからだ。マナーは絶対の規範ではなく、推奨行為でしかない。だから、電車内での化粧を批判された人が「どこで化粧しようと、私の自由よ」と言い返すと、マナーを訴える側は、思い通りに行かない悔しさを抱きつつ引き下がるしかない。
マナーを強制するには、①犯罪行為として法で禁止する、②マナーを守るように社会的な同調圧力を高めるーーのいずれかしかないだろう。周囲の人に実害がない行為を犯罪として禁止するのは現実には難しいだろうから、社会的な同調圧力を高める方向に動くことになる。マナーが徹底されないことによる不快感を共有する人々による同調圧力は、手強そうだ。
同調圧力とは価値観の押し付けであり、「皆」で押し付けて個人は隠される(押し付けの責任は誰も取らない)。日本の社会は同調圧力が高いと批判され、個人の尊重が主張されたりするが、一方で人々は都合よく同調圧力を利用する。つまり、同調圧力に抗って「私の自由よ」と言い返す人は、自立した近代人なのかもしれない(あるいは、すごく自分勝手な人物か)。
いずれも混雑している車両内だから迷惑行為とされるので、地方路線の乗客が少ない車両内で同様の行為をしても迷惑行為とはされないだろう。人口密集地における混雑時の電車内という特殊な状況ならではの迷惑行為であり、電車内で化粧すること自体が問題だというわけではない(自宅外の衆人環視の中で化粧する女性を好ましいとは思わないが)。
混雑時の電車内での化粧など迷惑行為を鉄道会社は禁止できないので、マナー向上の啓発活動をする。だが、鉄道会社が妥当だとするマナーを乗客に強制することはできず、また、乗客は常に流動しているので乗客全員がマナーの知識を持っているわけではない。さらに、鉄道会社が考えるマナーが必ずしも乗客から共感を得られるとは限らず、鉄道会社の押し付けだと感じて反発する人もいよう。
根本問題は電車内の混雑を解消できないことだが、大都市圏への人口集中を鉄道会社が変えることはできまいから、マナー向上を啓発するぐらいしか手はない。混雑を不快と感じる乗客にも電車内の混雑を解消する手はない(自分が乗車しなければいいのだが)から、周囲の他人の行為を不快と感じたと投書したりする(だが、その場で相手に直接注意する人はごく少なく、見て見ぬ振りを周囲はする)。
マナーが問題になるのは、共感や同意を得ることができない相手には、訴えが無力であるからだ。マナーは絶対の規範ではなく、推奨行為でしかない。だから、電車内での化粧を批判された人が「どこで化粧しようと、私の自由よ」と言い返すと、マナーを訴える側は、思い通りに行かない悔しさを抱きつつ引き下がるしかない。
マナーを強制するには、①犯罪行為として法で禁止する、②マナーを守るように社会的な同調圧力を高めるーーのいずれかしかないだろう。周囲の人に実害がない行為を犯罪として禁止するのは現実には難しいだろうから、社会的な同調圧力を高める方向に動くことになる。マナーが徹底されないことによる不快感を共有する人々による同調圧力は、手強そうだ。
同調圧力とは価値観の押し付けであり、「皆」で押し付けて個人は隠される(押し付けの責任は誰も取らない)。日本の社会は同調圧力が高いと批判され、個人の尊重が主張されたりするが、一方で人々は都合よく同調圧力を利用する。つまり、同調圧力に抗って「私の自由よ」と言い返す人は、自立した近代人なのかもしれない(あるいは、すごく自分勝手な人物か)。
2016年11月9日水曜日
5%の支持率
自由な選挙により選ばれた議員が国政を担うという民主主義社会では、選挙戦の最中が最も政治家が高揚し、輝いている期間かもしれない。落選すればタダの民間人に戻るしかなく、運良く当選したって、いざ国政を動かそうとしても思うようには捗らず、人々の期待値が高ければ高いほど失望も大きい。すぐに「結果」が出るはずもないので、ますますクスんでいるように見えたりする。
だから、期待が失望に変わるにつれて支持率は下降していき、コアな支持層プラスα当たりで下げ止まる。コアな支持層とは所属政党の支持者や候補者個人の熱心な支持者であるから、よほどの失態でもなければ離れることはないだろう。そうした支持者に支えられて政治家は、世論調査で支持率が下がろうとも国政を担い続ける。
さて、支持率が急降下し、5%なんてことになったなら非常事態だ。主権者に見放されたと言ってもいい支持率なのだから、「信なくば立たず」ということで、辞任の時期を探し始めることになる。支持率なんて瞬間風速みたいなもので、また支持率は盛り返すと期待して居座り続けると、それが反感を高めることになったりするから、支持率というものの実態は読みにくい。
5%の支持率でも辞任せずに政治家で居続けるには、第一に、国政が停滞することを気にしないこと、第二に、どんなに批判も受け流し、第三に、主権者のほうを見ないようにすることが必要だろう。それには素質が要る。選挙で主権者と向き合わざるを得ない民主主義国の政治家にも、そんな素質を持った政治家が紛れ込んだりしているが、他の政治家に辞任に追い込まれるのが一般的だろう。
韓国の世論調査で朴大統領の支持率が5%に急落し、政権発足後の最低となった。不支持率は89%というから、辞任要求を突きつけられているようなものだ。世論調査の支持率が「正しい」かどうかは歴史に任せるしかないが、あまり見かけない支持率5%という数字は興味深い。不人気な大統領を曝しておくほうが次の選挙に有利だと野党は本気で辞任に追い込まないとの見方もあり、混乱が長引きそうなことだけは確かだ。
飲食店なら、顧客の支持率5%で営業を続けるには高級店になるしかなく、それにふさわしい料理を提供し、店構えも高級感を出さなければならないだろう。大衆料金の飲食店が、5%の客しか獲得できなければ維持していくのは簡単ではない。民主主義国では主権者は1人1票なので政治家は、誰も「高級」政治家にはなれない(政治家本人は高級な政治家を自認したがったりするが)。
5%の支持率は楽天家の政治家なら「まだ5%ある」と考え、前向きになる……はずもなく、与党内からも公然と批判が出てきて、官僚の対応が鈍くなり、遠慮していたマスコミは何でも批判のネタにするようになるなど厳しい現実に直面せざるを得ない。支持率5%の政治とは何か、どんな混乱をもたらすのか、その実例を韓国で見ることができる。
だから、期待が失望に変わるにつれて支持率は下降していき、コアな支持層プラスα当たりで下げ止まる。コアな支持層とは所属政党の支持者や候補者個人の熱心な支持者であるから、よほどの失態でもなければ離れることはないだろう。そうした支持者に支えられて政治家は、世論調査で支持率が下がろうとも国政を担い続ける。
さて、支持率が急降下し、5%なんてことになったなら非常事態だ。主権者に見放されたと言ってもいい支持率なのだから、「信なくば立たず」ということで、辞任の時期を探し始めることになる。支持率なんて瞬間風速みたいなもので、また支持率は盛り返すと期待して居座り続けると、それが反感を高めることになったりするから、支持率というものの実態は読みにくい。
5%の支持率でも辞任せずに政治家で居続けるには、第一に、国政が停滞することを気にしないこと、第二に、どんなに批判も受け流し、第三に、主権者のほうを見ないようにすることが必要だろう。それには素質が要る。選挙で主権者と向き合わざるを得ない民主主義国の政治家にも、そんな素質を持った政治家が紛れ込んだりしているが、他の政治家に辞任に追い込まれるのが一般的だろう。
韓国の世論調査で朴大統領の支持率が5%に急落し、政権発足後の最低となった。不支持率は89%というから、辞任要求を突きつけられているようなものだ。世論調査の支持率が「正しい」かどうかは歴史に任せるしかないが、あまり見かけない支持率5%という数字は興味深い。不人気な大統領を曝しておくほうが次の選挙に有利だと野党は本気で辞任に追い込まないとの見方もあり、混乱が長引きそうなことだけは確かだ。
飲食店なら、顧客の支持率5%で営業を続けるには高級店になるしかなく、それにふさわしい料理を提供し、店構えも高級感を出さなければならないだろう。大衆料金の飲食店が、5%の客しか獲得できなければ維持していくのは簡単ではない。民主主義国では主権者は1人1票なので政治家は、誰も「高級」政治家にはなれない(政治家本人は高級な政治家を自認したがったりするが)。
5%の支持率は楽天家の政治家なら「まだ5%ある」と考え、前向きになる……はずもなく、与党内からも公然と批判が出てきて、官僚の対応が鈍くなり、遠慮していたマスコミは何でも批判のネタにするようになるなど厳しい現実に直面せざるを得ない。支持率5%の政治とは何か、どんな混乱をもたらすのか、その実例を韓国で見ることができる。
2016年11月5日土曜日
死刑廃止について②
死刑廃止宣言に見ることができる日弁連の主張は理解できるものではあるが、ヒューマニズムや理想論に傾きすぎている気配もある。「生まれながらの犯罪者はおらず」「多くは、家庭、経済、教育、地域等における様々な環境や差別が一因となって犯罪に至っている」から「罪を悔い、変わり得る存在」とするのだが、理想というものはしばしば現実に裏切られる。
宅間守という男がいた。家族に暴力を振るう父親、家事や育児が苦手の母親の家庭で育ち、子供の頃から問題行動が多かったといわれ、十数件の前科を重ね、37歳の時(2001年)に大阪で小学校に侵入し、包丁で1、2年生8人を殺害、児童13人と教諭2人を負傷させた。初公判では謝罪の言葉を口にしたが、その後は暴言を隠さなくなり、「時間がもう少しあれば、もっと殺せた」など非道な発言を繰り返したと伝えられる。
一審で死刑判決が下され、弁護団は控訴したが宅間は控訴を取り下げ、死刑判決確定後には、早く死刑にするようにと要求した。死刑確定の約1年後の2004年に、異例の早さで死刑が執行された。宅間守は死刑判決確定後に文通で知り合った死刑廃止運動の女性と結婚、死刑執行前に妻に向け「ありがとう」の言葉を残したが、被害者遺族に対する謝罪の言葉はなかったという。
宅間守の家庭環境や生い立ちなどは恵まれたものではなかったようで、それが彼の「荒んだ」生き方につながったと解釈でき、同情すべき余地はある。とはいえ、無差別に小学生を刺殺した宅間守の犯罪は残忍すぎて、同情すべき点はない。宅間守の存在は、死刑制度廃止の主張を納得させるものなのか、それとも死刑制度の存続を納得させるものなのか。
宅間守が、内心では改悛したのに改悛しないように見せていたのか改悛しなかったのか、傍からは判らない。だが、宅間守が残したのは、改悛する様子を見せず、確信犯であり続けた凶悪犯の姿である。「罪を悔やまず、変わることをしない」凶悪犯を、日弁連の死刑制度廃止の主張は想定していないように見える。
改悛せず、被害者遺族に謝罪もしない凶悪犯について、それでもなお死刑にすべきでないと主張するには、どんな人間であろうと殺してはならないという崇高なヒューマニズムを掲げなくてはならないだろう。だが、崇高なヒューマニズムが現実的に説得力を持つとは限らず、むしろ、現実離れの理想論だと片付けられて終わることも珍しくない。
「生まれながらの犯罪者はおらず」、どんな凶悪犯も必ず改悛するのなら話は簡単で、死刑にせずに立ち直りを期待すると同時に、被害者遺族への公的支援を拡充することが社会的な安定のために望ましいだろう。だが、人間の本質的な姿は様々だろうから、かくあってほしいという理想像で強弁することはできない。改悛しない凶悪犯を、この社会は「許す」ことができるのか、そこが問われている。
宅間守という男がいた。家族に暴力を振るう父親、家事や育児が苦手の母親の家庭で育ち、子供の頃から問題行動が多かったといわれ、十数件の前科を重ね、37歳の時(2001年)に大阪で小学校に侵入し、包丁で1、2年生8人を殺害、児童13人と教諭2人を負傷させた。初公判では謝罪の言葉を口にしたが、その後は暴言を隠さなくなり、「時間がもう少しあれば、もっと殺せた」など非道な発言を繰り返したと伝えられる。
一審で死刑判決が下され、弁護団は控訴したが宅間は控訴を取り下げ、死刑判決確定後には、早く死刑にするようにと要求した。死刑確定の約1年後の2004年に、異例の早さで死刑が執行された。宅間守は死刑判決確定後に文通で知り合った死刑廃止運動の女性と結婚、死刑執行前に妻に向け「ありがとう」の言葉を残したが、被害者遺族に対する謝罪の言葉はなかったという。
宅間守の家庭環境や生い立ちなどは恵まれたものではなかったようで、それが彼の「荒んだ」生き方につながったと解釈でき、同情すべき余地はある。とはいえ、無差別に小学生を刺殺した宅間守の犯罪は残忍すぎて、同情すべき点はない。宅間守の存在は、死刑制度廃止の主張を納得させるものなのか、それとも死刑制度の存続を納得させるものなのか。
宅間守が、内心では改悛したのに改悛しないように見せていたのか改悛しなかったのか、傍からは判らない。だが、宅間守が残したのは、改悛する様子を見せず、確信犯であり続けた凶悪犯の姿である。「罪を悔やまず、変わることをしない」凶悪犯を、日弁連の死刑制度廃止の主張は想定していないように見える。
改悛せず、被害者遺族に謝罪もしない凶悪犯について、それでもなお死刑にすべきでないと主張するには、どんな人間であろうと殺してはならないという崇高なヒューマニズムを掲げなくてはならないだろう。だが、崇高なヒューマニズムが現実的に説得力を持つとは限らず、むしろ、現実離れの理想論だと片付けられて終わることも珍しくない。
「生まれながらの犯罪者はおらず」、どんな凶悪犯も必ず改悛するのなら話は簡単で、死刑にせずに立ち直りを期待すると同時に、被害者遺族への公的支援を拡充することが社会的な安定のために望ましいだろう。だが、人間の本質的な姿は様々だろうから、かくあってほしいという理想像で強弁することはできない。改悛しない凶悪犯を、この社会は「許す」ことができるのか、そこが問われている。
2016年11月2日水曜日
死刑廃止について①
日弁連が人権擁護大会で、「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。組織として死刑制度の廃止を掲げるのは初めて。2020年には日本で国連犯罪防止刑事司法会議が開催されるので、それまでに死刑を廃止し、仮釈放のない終身刑などを導入することや、受刑者の社会復帰の支援拡充などを目指すとした。
この宣言は日弁連のHPに掲載されており、死刑廃止を主張する理由として▽生まれながらの犯罪者はおらず、人は罪を悔い、変わり得る存在、▽国連人権理事会などから廃止を考慮するよう求められている、▽死刑制度を廃止する国は増加し、国際社会の大勢が死刑の廃止を志向している、▽冤罪による処刑の危険性は重大−−などを挙げ、刑罰制度全体を、罪を犯した人の真の改善更生と社会復帰を志向するものへと改革するよう国に求めている。
同HPには詳細な「提案理由」も掲載され、そこでは▽日本でも300年以上、死刑執行がなかった時代がある、▽死刑執行の基準、手続、方法等に関する情報が公開されていない、▽死刑判決に関する慎重な司法手続が保障されていない−−などを問題点と指摘し、死刑が、かけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であるとする。
さらに、日本の刑事司法制度は「起訴前の勾留期間を通じて長期間・長時間の取調べがなされ、虚偽の自白がなされる危険性が高い」とし、「取調べの全件・全過程の録音・録画、弁護人の取調べへの立会い及び全面的証拠開示制度も実現して」おらず、現行の刑事司法制度で「冤罪が発生する危険性は高いレベルにある」と危惧する。
また、「犯罪の抑止は、犯罪原因の研究と予防対策を総合的・科学的に行うべきであり、他の刑罰に比べて死刑に犯罪抑止力があるということは科学的に証明されていない」とし、政府は国民世論に支持されているというが、死刑制度に関する情報公開は極めて不十分であり、十分な情報の提供で熟議すれば、国民世論も変化し得ると期待する。
死刑の廃止は、受刑者の更生と社会復帰を軸とした刑罰制度の改革の一環として行われるべきだとする日弁連は、受刑者に対する多岐にわたる基本的人権の制約に異議を唱え、仮釈放制度の改革を提言し、被拘禁者の生活全般を一般社会の規則や生活に近付けることなどを提言する。
日本の刑罰制度には様々の問題があり、死刑制度を廃止することで必然的に刑罰制度全体の見直しをせざるを得なくなるというのが日弁連の見立てのようだ。これは、政府は現行の刑罰制度を大きく変えたくないから、見直しの端緒となる死刑廃止に動かないと解釈することもできる。つまり、死刑廃止の実現は、日本の刑罰制度の見直しに直結する。
この宣言は日弁連のHPに掲載されており、死刑廃止を主張する理由として▽生まれながらの犯罪者はおらず、人は罪を悔い、変わり得る存在、▽国連人権理事会などから廃止を考慮するよう求められている、▽死刑制度を廃止する国は増加し、国際社会の大勢が死刑の廃止を志向している、▽冤罪による処刑の危険性は重大−−などを挙げ、刑罰制度全体を、罪を犯した人の真の改善更生と社会復帰を志向するものへと改革するよう国に求めている。
同HPには詳細な「提案理由」も掲載され、そこでは▽日本でも300年以上、死刑執行がなかった時代がある、▽死刑執行の基準、手続、方法等に関する情報が公開されていない、▽死刑判決に関する慎重な司法手続が保障されていない−−などを問題点と指摘し、死刑が、かけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であるとする。
さらに、日本の刑事司法制度は「起訴前の勾留期間を通じて長期間・長時間の取調べがなされ、虚偽の自白がなされる危険性が高い」とし、「取調べの全件・全過程の録音・録画、弁護人の取調べへの立会い及び全面的証拠開示制度も実現して」おらず、現行の刑事司法制度で「冤罪が発生する危険性は高いレベルにある」と危惧する。
また、「犯罪の抑止は、犯罪原因の研究と予防対策を総合的・科学的に行うべきであり、他の刑罰に比べて死刑に犯罪抑止力があるということは科学的に証明されていない」とし、政府は国民世論に支持されているというが、死刑制度に関する情報公開は極めて不十分であり、十分な情報の提供で熟議すれば、国民世論も変化し得ると期待する。
死刑の廃止は、受刑者の更生と社会復帰を軸とした刑罰制度の改革の一環として行われるべきだとする日弁連は、受刑者に対する多岐にわたる基本的人権の制約に異議を唱え、仮釈放制度の改革を提言し、被拘禁者の生活全般を一般社会の規則や生活に近付けることなどを提言する。
日本の刑罰制度には様々の問題があり、死刑制度を廃止することで必然的に刑罰制度全体の見直しをせざるを得なくなるというのが日弁連の見立てのようだ。これは、政府は現行の刑罰制度を大きく変えたくないから、見直しの端緒となる死刑廃止に動かないと解釈することもできる。つまり、死刑廃止の実現は、日本の刑罰制度の見直しに直結する。
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