欧州中央銀行(ECB)が最高額の500ユーロ紙幣の発行を2018年末で停止する。使用することは無期限で可能だが、徐々に市中から消えていくとみられている。廃止する理由は犯罪防止で、マネーロンダリングや脱税に悪用されることへの対策という。最高額紙幣は日本1万円、米国100ドルなので、EUの500ユーロ(6万円以上)は確かに高い。
EUの一部には紙幣の全廃を主張する意見もあるが、500ユーロ紙幣の廃止は、あくまで犯罪防止対策のためだとされ、ECB総裁は現金自体を廃止することはないとしている。付加価値税が高率な欧州では高額の現金取引は脱税の温床だとする見方があり、フランスが現金決済の上限を1000ユーロにするなど現金決済の範囲を狭める傾向にある。
ECBといえば2014年6月にマイナス金利を導入した。その狙いは金融機関に貸出に資金を向けるよう促すためだとされるが、市中銀行は預金が流出することを恐れ、マイナス金利を預金金利に反映させていないという。普通預金などがマイナス金利になると、預けているだけで目減りするので預金者にとっては貸金庫を借りて金を入れているのと同じことになる。
マイナス金利とは「資産課税に等しい」とし、マイナス金利には「理屈の上では下限」がなく、中央銀行は「徴税権を手中にした」と説くのが水野和夫氏(『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』)。マイナス金利の「下限をなくす最も簡単な方法は、現金を廃止して、電子マネーすなわちデジタルマネーに切り替える」ことで「マイナス金利とキャシュレス社会」が到来するとの欧州専門家の発言を紹介し、これは「民主主義の破壊」にほかならないとする。
欧州での現金決済の範囲を狭める動きは、犯罪防止とともに、マイナス金利拡大に備えて退蔵貨幣(タンス預金)の増加に備えたものではないかと邪推したくなるのは、欧州ではマイナス金利や量的緩和策を続けても効果が限られ、マイナス金利の拡大に向けての環境整備の意味も含まれているとの懸念が漂うからだ。
現金を廃止して電子マネーなどキャッシュレスに移行していけば、すべての取引は記録されるので、脱税もマネーロンダリングなども困難になっていくだろう。それは同時に、政府が個人や家庭の金の流れと保有高をすべて掌握する社会になることを意味する。マイナス金利を組み合わせるなら、政府は個人資産からいつでも資金を調達することが理屈の上では可能だろう。
キャッシュレス社会は先進的で便利だとする記事はマスコミに珍しくない。最近では、中国が日本より遥かに先を行くキャッシュレス社会になりつつあるとの紹介も増えた。独裁統治の中国ではキャッシュレス社会は政府にとって好都合だ。ただし、表に出せない金をため込んで国外に持ち出す高級官僚や資産家にはまだ、高額紙幣が大量に必要だろう。
2017年6月28日水曜日
2017年6月24日土曜日
英語教育と自動翻訳
日本を訪れた外国人は2016年に前年比21.8%増の2403万人となって過去最多となり、今年もすでに1000万人を超え、増加を続けている。中国人の観光客が急に増えた印象があるが、2016年で見ると、中国が637万人(前年比27.7%増)で600万人台に乗り、韓国は509万人で500万人を突破、続いて台湾416万人、香港183万人と上位4位までで1700万人を超え、全体の72.7%となる。
5位は米国で124万人となり過去最高だが、オーストラリア44万人、英国29万人、カナダ27万人、フランス25万人、ドイツ18万人、イタリア11万人、スペイン9万人とこちらも過去最高となった。上位20位で過去最高にならなかったのはロシアだけで、世界各地から日本に来る人が増えている。
外国人がスマホや地図を見ながら街角で立ち止まり、迷っている様子を見ることも全国各地で増えているだろう。そうした光景を見て、手助けしてあげたいが外国語が分からないと残念に思い、英語の学習を始める人もいるかもしれない。アジア人が訪日観光客の8割以上になるのだが、中国語をはじめとしたアジアの言語より、身につけるべき言語として英語が優先されるのは国際共通語とみなされるからか。
小学校ではすでに英語に親しませる教育は取り入れられていたが、2018年から英語教育が義務化される。初歩的な読み書きはもとより、実践的な英語を身につけるため、リスニングやスピーキングに重点が置かれるという。小学校での英語教育が強化されると、中高での英語教育も変化し、「使える英語」を生徒が身につけることが更に重視されるそうだ。
こうした英語教育の成果が見事に達成されれば、数年後には小学生や中高生が、街角で迷っている訪日観光客を実践的な英語でサポートする光景が珍しくなくなるかもしれない。だが、学校教育により全ての生徒が期待通りに英語を実践的に使うことができるようになる……わけでもないだろうから、そのうちに小学校入学前に英語に親しむことが重要だなどと文科省は言い出すかもしれないな。
外国語教育は日本以外の多様な文化を知る糸口になるものでもあり、必要だ。インターネットの時代でもあり、例えば英語を使うことができるなら、欧米をはじめとした多彩なニュース、論説、主張などを直接知ることができ、視野が広がろう。しかし、実践を重視し、使える英語などと産業界が喜びそうな方向に外国語教育が傾きすぎると、ようやく英語を身につけた生徒が社会に出る頃に状況が一変している可能性がある。
自動翻訳の開発が急速に進展している。まともな日本語にならないと機械翻訳はバカにされていたが、AIやビッグデータの活用などによって飛躍的に性能が上がっているという。「使える自動翻訳」が実現すれば、アプリを入れたスマホで外国人と日本人が会話することも可能になる。つまり、実践的な英語力を身につけるためにと何年も教育を受けた人が社会に出た頃には、誰でも外国人と多数の外国語で会話が可能な状況になっているかもしれない。
5位は米国で124万人となり過去最高だが、オーストラリア44万人、英国29万人、カナダ27万人、フランス25万人、ドイツ18万人、イタリア11万人、スペイン9万人とこちらも過去最高となった。上位20位で過去最高にならなかったのはロシアだけで、世界各地から日本に来る人が増えている。
外国人がスマホや地図を見ながら街角で立ち止まり、迷っている様子を見ることも全国各地で増えているだろう。そうした光景を見て、手助けしてあげたいが外国語が分からないと残念に思い、英語の学習を始める人もいるかもしれない。アジア人が訪日観光客の8割以上になるのだが、中国語をはじめとしたアジアの言語より、身につけるべき言語として英語が優先されるのは国際共通語とみなされるからか。
小学校ではすでに英語に親しませる教育は取り入れられていたが、2018年から英語教育が義務化される。初歩的な読み書きはもとより、実践的な英語を身につけるため、リスニングやスピーキングに重点が置かれるという。小学校での英語教育が強化されると、中高での英語教育も変化し、「使える英語」を生徒が身につけることが更に重視されるそうだ。
こうした英語教育の成果が見事に達成されれば、数年後には小学生や中高生が、街角で迷っている訪日観光客を実践的な英語でサポートする光景が珍しくなくなるかもしれない。だが、学校教育により全ての生徒が期待通りに英語を実践的に使うことができるようになる……わけでもないだろうから、そのうちに小学校入学前に英語に親しむことが重要だなどと文科省は言い出すかもしれないな。
外国語教育は日本以外の多様な文化を知る糸口になるものでもあり、必要だ。インターネットの時代でもあり、例えば英語を使うことができるなら、欧米をはじめとした多彩なニュース、論説、主張などを直接知ることができ、視野が広がろう。しかし、実践を重視し、使える英語などと産業界が喜びそうな方向に外国語教育が傾きすぎると、ようやく英語を身につけた生徒が社会に出る頃に状況が一変している可能性がある。
自動翻訳の開発が急速に進展している。まともな日本語にならないと機械翻訳はバカにされていたが、AIやビッグデータの活用などによって飛躍的に性能が上がっているという。「使える自動翻訳」が実現すれば、アプリを入れたスマホで外国人と日本人が会話することも可能になる。つまり、実践的な英語力を身につけるためにと何年も教育を受けた人が社会に出た頃には、誰でも外国人と多数の外国語で会話が可能な状況になっているかもしれない。
2017年6月21日水曜日
手放さない
1945年に終戦した戦争における日本軍の慰安婦問題は、日本と韓国の間では2015年の日韓両外相共同記者発表で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」した。しかし、韓国の新政権は国内では解決していないと言い出し、「民意」に振り回される韓国の外交の特殊性がまた露呈している。
韓国は歴史問題なるもので日本に常に謝罪(と賠償)を要求し、日本が謝罪しても、時間が経つとまた謝罪要求を繰り返す。謝罪が受け入れられてこそ、新たな関係が構築される。謝罪を受け入れる気がないのに謝罪を要求し続けるのは、和解を拒絶しているのであり、関係の正常化はいつまでも実現しない。日本に謝罪を要求し続け、緊張状態にあることが韓国の内政にとって必要なのかと理解するしかない。
2015年の共同発表で日本側は①当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感、②韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で資金を一括で拠出、③今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等国際社会において互いに非難・批判することは控える、とした。
韓国側は①今回の発表により、日本政府と共に、最終的かつ不可逆的に解決されることを確認、②在韓国日本大使館前の少女像に対し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力、③今後、国連等国際社会において本問題について互いに非難・批判することは控える、とした。
日本と韓国の間では「最終的かつ不可逆的に解決」つまり「ケリがついた」問題であるはずなのに、韓国側で蒸し返されるという現実。外交交渉で日本と合意しても、後から「国民が受け入れられない」などを理由として一方的に引っくり返す韓国。こんなことを繰り返す国は他国からは信頼されないが、そんな韓国に日本は振り回されてきた。
謝罪があり、それが受け入れられて、和解がもたらされる。しかし、謝罪させたという達成感や高揚感が忘れられないのか韓国は、日本に謝罪させ続けようとする。和解する気がなく、日本に謝罪させることが目的であるなら慰安婦問題は韓国にとって、日本に謝罪させ続けるための最高の道具だろう。被害者を演じ、国際社会で日本を糾弾することを可能にしている。
慰安婦問題は、韓国が日本に対して倫理的に上位に立つと自負するために必要な道具なのだろう。だから、韓国は決して手放さない。韓国国内ではもちろん、米国など世界でも慰安婦像の設置を広げるなど、慰安婦問題が存在し続けることは韓国にとって日本に対する最上の攻撃材料であり、もう韓国では、不可逆的にも永続的にも手放し難くなった道具なのだ。
韓国は歴史問題なるもので日本に常に謝罪(と賠償)を要求し、日本が謝罪しても、時間が経つとまた謝罪要求を繰り返す。謝罪が受け入れられてこそ、新たな関係が構築される。謝罪を受け入れる気がないのに謝罪を要求し続けるのは、和解を拒絶しているのであり、関係の正常化はいつまでも実現しない。日本に謝罪を要求し続け、緊張状態にあることが韓国の内政にとって必要なのかと理解するしかない。
2015年の共同発表で日本側は①当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感、②韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で資金を一括で拠出、③今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等国際社会において互いに非難・批判することは控える、とした。
韓国側は①今回の発表により、日本政府と共に、最終的かつ不可逆的に解決されることを確認、②在韓国日本大使館前の少女像に対し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力、③今後、国連等国際社会において本問題について互いに非難・批判することは控える、とした。
日本と韓国の間では「最終的かつ不可逆的に解決」つまり「ケリがついた」問題であるはずなのに、韓国側で蒸し返されるという現実。外交交渉で日本と合意しても、後から「国民が受け入れられない」などを理由として一方的に引っくり返す韓国。こんなことを繰り返す国は他国からは信頼されないが、そんな韓国に日本は振り回されてきた。
謝罪があり、それが受け入れられて、和解がもたらされる。しかし、謝罪させたという達成感や高揚感が忘れられないのか韓国は、日本に謝罪させ続けようとする。和解する気がなく、日本に謝罪させることが目的であるなら慰安婦問題は韓国にとって、日本に謝罪させ続けるための最高の道具だろう。被害者を演じ、国際社会で日本を糾弾することを可能にしている。
慰安婦問題は、韓国が日本に対して倫理的に上位に立つと自負するために必要な道具なのだろう。だから、韓国は決して手放さない。韓国国内ではもちろん、米国など世界でも慰安婦像の設置を広げるなど、慰安婦問題が存在し続けることは韓国にとって日本に対する最上の攻撃材料であり、もう韓国では、不可逆的にも永続的にも手放し難くなった道具なのだ。
2017年6月17日土曜日
印象操作を見破る
テレビやインターネット、雑誌、新聞などには広告が溢れている。人々の視線をとらえようと様々な手法を駆使して気を引き、商品などの認知度を上げ、さらには企業などの好感度を高めようと努めている。だが、広告が一方的な印象操作であることを人々は知っているので、うっかりと、全ての広告が主張することを真実だと受け止める人は少ないだろう。
広告の印象操作に人々が簡単には引っかからないのは、それが印象操作だと知っているからだ。それでも、つい広告につられて購入し、食べたり使ってみたりして「な〜んだ、この程度か」と肩透かしを食らった経験は誰にもあろう。広告の印象操作によって期待を高められているだけに、実際とのギャップが逆に印象に残ったりする。
印象操作は個人も行う。程度の差はあれ誰でも自分を良く見せようと言葉に気をつけ、視線を意識して行動する。人々は、好意を持っている相手の印象操作は許容し、受け入れるが、そうでもない相手の印象操作には気づきやすい。おそらく、見た目などから自分が得た印象を、相手が行う印象操作よりも優先させるためだろう。
政治家や政党は世間に向けて常に印象操作を多用するが、そうした印象操作を人々はどれほど意識しているだろうか。おそらく、共感したり親しみを感じる政治家や政党の印象操作は大目に見るが、共感しない政治家や政党の印象操作は敏感に嗅ぎ分け、無視するか反発するだろう。
印象操作だと気がつけば、騙されないように用心できるから、印象操作の害があるとすれば、共感したり親しみを感じる政治家や政党の行う印象操作を大目に見ていることを続けるうちに、印象操作だと感じなくなることか。共感が先に立って、印象操作されているとの意識が希薄になり、ついには印象操作の同調者になったりもする。
政治家や政党が行う印象操作に加担するのは支持の表れでもあろうが、気づかずに印象操作に加担するのは騙されている状態だ。何でも疑ってかかるのが印象操作を見破る効果的な対処法だろうが、共感したり親しみを感じる政治家や政党が発する言葉を疑ってかかるには、意識的に接する必要がある。つまり、よほど理性的でなければ困難だから、共感したり親しみを感じる政治家や政党の発する印象操作は受け入れられる。
印象操作を見破る簡単な方法は、誰の言葉に対しても、まず「違うだろう」と否定し、それから「なぜ違うのか」を考える。そこで、「違う」と納得できなければ、共感したり支持すればいい。共感したり親しみを感じる政治家や政党が発する言葉に対して、意識して批判的に検証する……それは、得票の多寡だけを争う民主主義から脱するために必要なことだろう。
広告の印象操作に人々が簡単には引っかからないのは、それが印象操作だと知っているからだ。それでも、つい広告につられて購入し、食べたり使ってみたりして「な〜んだ、この程度か」と肩透かしを食らった経験は誰にもあろう。広告の印象操作によって期待を高められているだけに、実際とのギャップが逆に印象に残ったりする。
印象操作は個人も行う。程度の差はあれ誰でも自分を良く見せようと言葉に気をつけ、視線を意識して行動する。人々は、好意を持っている相手の印象操作は許容し、受け入れるが、そうでもない相手の印象操作には気づきやすい。おそらく、見た目などから自分が得た印象を、相手が行う印象操作よりも優先させるためだろう。
政治家や政党は世間に向けて常に印象操作を多用するが、そうした印象操作を人々はどれほど意識しているだろうか。おそらく、共感したり親しみを感じる政治家や政党の印象操作は大目に見るが、共感しない政治家や政党の印象操作は敏感に嗅ぎ分け、無視するか反発するだろう。
印象操作だと気がつけば、騙されないように用心できるから、印象操作の害があるとすれば、共感したり親しみを感じる政治家や政党の行う印象操作を大目に見ていることを続けるうちに、印象操作だと感じなくなることか。共感が先に立って、印象操作されているとの意識が希薄になり、ついには印象操作の同調者になったりもする。
政治家や政党が行う印象操作に加担するのは支持の表れでもあろうが、気づかずに印象操作に加担するのは騙されている状態だ。何でも疑ってかかるのが印象操作を見破る効果的な対処法だろうが、共感したり親しみを感じる政治家や政党が発する言葉を疑ってかかるには、意識的に接する必要がある。つまり、よほど理性的でなければ困難だから、共感したり親しみを感じる政治家や政党の発する印象操作は受け入れられる。
印象操作を見破る簡単な方法は、誰の言葉に対しても、まず「違うだろう」と否定し、それから「なぜ違うのか」を考える。そこで、「違う」と納得できなければ、共感したり支持すればいい。共感したり親しみを感じる政治家や政党が発する言葉に対して、意識して批判的に検証する……それは、得票の多寡だけを争う民主主義から脱するために必要なことだろう。
2017年6月14日水曜日
政治家が活用する印象操作
辞書によると「印象」とは「①見たり聞いたりした時に対象物が人間の心に与える感じ、②心に残っていること」で、「操作」とは「①機械・器具などを動かして作業させること、②自分に都合の良い結果が得られるように手を加える」こと。「操作」の②の用例で「株価を操作する/帳簿を操作して利益を隠す」が挙げられるように、②は、良からぬ行為を示す時に使われる。
印象を操作するとは、人々から好感・同意を得たり人々に否定的感情を持たせないため、都合のいい印象を与えるように情報を発信する側が手を加えることだ。これは珍しいものではなく、日常に溢れている。商品CMや企業CMは典型例だが、広報にも印象操作は欠かせず、不祥事を起こした企業の幹部らが記者会見で立ち上がり、一定時間、深々と頭を下げる姿を見せて、その映像を報道してもらったりする。
印象操作は政治につきもので、大規模な例はナチスやソ連などが行ったプロパガンダだろう。ナチスや共産主義国家への反発からプロパガンダは悪しき行為とみなされることもあるが、程度の差はあれ、民主主義国でもプロパガンダは行われている。自由選挙において候補者は主権者に対して印象操作を欠かすことはできず、好感を与えるようにと精一杯努力した表情でポスターに現れたりする。
いつでも選挙に備えている(はずの)政治家の発言や行動は常に、主権者に対する印象操作に配慮しているのだろう。だから、自分の好感度に悪影響を与えかねない他の政治家からの印象操作には過敏になる。政治は権力を争うものであり、対立する政治家の「失点」は自分の「得点」になるから、互いに相手の好感度を下げようと印象操作し合う。
政治家にとって印象操作は誰もが日常的に行っていることだろうに、ことさら対立する側だけの印象操作を批判する政治家が現れた。政治家を長年続けてきた人物が今更、他の政治家の印象操作を批判する意図は不明だが、印象操作だと言い立てることで、他の政治家からの自分に対する批判の効果を薄める効果はありそうだ。
また、印象操作していると他の政治家を批判する政治家は、情報が操作されていると人々に思わせて、他の政治家は信頼できないとの印象操作を行いつつ、自分が被害者であるかのように装うこともできる。被害者を演じることは印象操作には有効で、被害者の言葉は同情心を刺激して人々に受け入れられやすい。
一方で、印象操作を日常的に続けてきた政治家は、つくりあげられた好印象も好感度も何かをきっかけに一気に崩壊する脆いものであることも知っていよう。政治という印象操作に満ちている世界で、自分の印象操作は許され、対立する政治家の印象操作は許されないとする批判は、その政治家がいかに印象操作に過敏になっているのかを示している。
印象を操作するとは、人々から好感・同意を得たり人々に否定的感情を持たせないため、都合のいい印象を与えるように情報を発信する側が手を加えることだ。これは珍しいものではなく、日常に溢れている。商品CMや企業CMは典型例だが、広報にも印象操作は欠かせず、不祥事を起こした企業の幹部らが記者会見で立ち上がり、一定時間、深々と頭を下げる姿を見せて、その映像を報道してもらったりする。
印象操作は政治につきもので、大規模な例はナチスやソ連などが行ったプロパガンダだろう。ナチスや共産主義国家への反発からプロパガンダは悪しき行為とみなされることもあるが、程度の差はあれ、民主主義国でもプロパガンダは行われている。自由選挙において候補者は主権者に対して印象操作を欠かすことはできず、好感を与えるようにと精一杯努力した表情でポスターに現れたりする。
いつでも選挙に備えている(はずの)政治家の発言や行動は常に、主権者に対する印象操作に配慮しているのだろう。だから、自分の好感度に悪影響を与えかねない他の政治家からの印象操作には過敏になる。政治は権力を争うものであり、対立する政治家の「失点」は自分の「得点」になるから、互いに相手の好感度を下げようと印象操作し合う。
政治家にとって印象操作は誰もが日常的に行っていることだろうに、ことさら対立する側だけの印象操作を批判する政治家が現れた。政治家を長年続けてきた人物が今更、他の政治家の印象操作を批判する意図は不明だが、印象操作だと言い立てることで、他の政治家からの自分に対する批判の効果を薄める効果はありそうだ。
また、印象操作していると他の政治家を批判する政治家は、情報が操作されていると人々に思わせて、他の政治家は信頼できないとの印象操作を行いつつ、自分が被害者であるかのように装うこともできる。被害者を演じることは印象操作には有効で、被害者の言葉は同情心を刺激して人々に受け入れられやすい。
一方で、印象操作を日常的に続けてきた政治家は、つくりあげられた好印象も好感度も何かをきっかけに一気に崩壊する脆いものであることも知っていよう。政治という印象操作に満ちている世界で、自分の印象操作は許され、対立する政治家の印象操作は許されないとする批判は、その政治家がいかに印象操作に過敏になっているのかを示している。
2017年6月10日土曜日
空間の破れ
夜空の星を見ていると、例えば北極星までの距離は434光年(約323光年という説も出てきた)とされ、この宇宙はとてつもなく大きいなあと感じる。全体の大きさがどれくらいかは想像もつかないが、果てしない空間が続いていることは間違いない。さらに、宇宙は膨張しているという。以前は、いつか膨張が止まるという説もあったが、現在では宇宙は膨張を続けると考えられている。
膨張を続けているということは、時間を遡ると、宇宙はもっと小さかったことになる。宇宙を膨張させている要因(力)が変わっていないとすれば、時間を遡ると、いつか1点に収縮された状態に行き着く。それが138億年前で、宇宙の全物質は原子1個分程度のスペースに集まっていたと考えられている。肉眼では見えないほど「最初」の宇宙は小さかったことになる。
原子1個分程度からビッグバンという急激な膨張を経て、現在の広大な宇宙まで膨張を続けていると考えられていたが、現在ではインフレーションが起きたと考えられている。それは、1秒の1兆分の1の1兆分1よりも短い時間に、原子1個分程度から太陽系程度まで引き伸ばされたというもの。突然、現れたという感じだ。
原子1個分程度の存在は、無きに等しい。だからか、この宇宙は無から有を生じたという説明もある。無といっても、存在しないということではなく、素粒子の生成と消滅が繰り返される「ゆらぎ」のある状態だと説明される。素人には、想像しようにも皆目イメージがつかめない状態だ。
この膨張を続ける宇宙には、縮小を続ける場所もある。それがブラックホールで、あまりにも質量が大きいために、強い重力で縮小を続けるとともに光さえ外に出ることができない。ブラックホールの中心では物質が圧縮され続けるのだろうから、いつか原子1個分程度になってしまうかもしれない。
夜空を見上げながら、想像してみる。ブラックホールの中心では圧縮が続き、やがて原子1個分程度の大きさになると、空間にピンホールのような破れが生じて、その破れから飛び出してしまうのではないか。別の空間に飛び出した途端に、ブラックホールの重力から解放されて、原子1個分程度の大きさから瞬時に巨大化し、膨張を続ける…。
この宇宙が存在する空間とは別の空間が幾つもあるなら、宇宙も幾つもあるだろうし、ブラックホールが誕生して中心部に破れが生じるたびに空間が増え、宇宙の数も増える…。そんなことを考えてると、身の回りのことや世間で起きていることが小さなことに思えてくる。まあ、そうした小さなことに捉われて生きるのが人間の大きさに見合っているのだが。
膨張を続けているということは、時間を遡ると、宇宙はもっと小さかったことになる。宇宙を膨張させている要因(力)が変わっていないとすれば、時間を遡ると、いつか1点に収縮された状態に行き着く。それが138億年前で、宇宙の全物質は原子1個分程度のスペースに集まっていたと考えられている。肉眼では見えないほど「最初」の宇宙は小さかったことになる。
原子1個分程度からビッグバンという急激な膨張を経て、現在の広大な宇宙まで膨張を続けていると考えられていたが、現在ではインフレーションが起きたと考えられている。それは、1秒の1兆分の1の1兆分1よりも短い時間に、原子1個分程度から太陽系程度まで引き伸ばされたというもの。突然、現れたという感じだ。
原子1個分程度の存在は、無きに等しい。だからか、この宇宙は無から有を生じたという説明もある。無といっても、存在しないということではなく、素粒子の生成と消滅が繰り返される「ゆらぎ」のある状態だと説明される。素人には、想像しようにも皆目イメージがつかめない状態だ。
この膨張を続ける宇宙には、縮小を続ける場所もある。それがブラックホールで、あまりにも質量が大きいために、強い重力で縮小を続けるとともに光さえ外に出ることができない。ブラックホールの中心では物質が圧縮され続けるのだろうから、いつか原子1個分程度になってしまうかもしれない。
夜空を見上げながら、想像してみる。ブラックホールの中心では圧縮が続き、やがて原子1個分程度の大きさになると、空間にピンホールのような破れが生じて、その破れから飛び出してしまうのではないか。別の空間に飛び出した途端に、ブラックホールの重力から解放されて、原子1個分程度の大きさから瞬時に巨大化し、膨張を続ける…。
この宇宙が存在する空間とは別の空間が幾つもあるなら、宇宙も幾つもあるだろうし、ブラックホールが誕生して中心部に破れが生じるたびに空間が増え、宇宙の数も増える…。そんなことを考えてると、身の回りのことや世間で起きていることが小さなことに思えてくる。まあ、そうした小さなことに捉われて生きるのが人間の大きさに見合っているのだが。
2017年6月7日水曜日
温暖化論の不都合な真実
米トランプ政権がパリ協定からの離脱を発表し、米国内外で強い批判が巻き起こっているとの記事が続出した。あたかも、パリ協定を米国を含む各国が「順守」すれば温暖化の進行を抑止することができたのに、米国がパリ協定を離脱して温暖化効果ガスの削減に背を向けると、温暖化の進行は止めようがなくなるといったトランプ政権批判のオンパレードの様相。
温暖化が進行すれば地球環境が大きく変化して様々な災いを惹起するとの焦燥感や、温暖化の進行を止めなければとの使命感などに支えられてか、パリ協定からの離脱は「正義」に背くものと糾弾する雰囲気も漂う。温暖化論は科学的な仮説であるが、世界規模で温暖化対策事業が立ち上がっているので、仮説を押し通すには「正義」を振りかざすことが必要になるのかもしれない。
パリ協定は各国が温暖化効果ガスの排出削減目標を自主的に決めて、世界の総排出量を削減しようというもの。温暖化による地球環境の危機が差し迫っているなら、各国に排出量削減を強制し、世界の総排出量を減らさなければなるまいが、そうなるとパリ協定に参加しない国が続出するだろうから、削減目標は各国が自主的に決め、相互に見守ることにした。
だから、自主的な削減目標といっても、実際には排出量を減らさない国が含まれる。例えば、世界最大の温暖化効果ガスの排出国である中国。「発展途上国だから」と排出量規制に加わることを拒否し続けていた中国がパリ協定に参加したのは、実際には削減せずに増やすことを自主的な削減目標として掲げ、それが容認されたからだ。
排出量は増えるのに温暖化対策に積極的であるかのように装うことができたのは、単位GDP当たり排出量という新たな概念を利用したから。これは、GDP1ドル当たりの排出量という考え方だから、GDP1ドル当たりの排出量を半減したとしても全体のGDPが2倍以上になれば排出量は増えるというカラクリ(GDP統計が操作されずに、正確に発表されるかしら?)。
中国の自主目標は、2030年までに単位GDP当たりのCO2排出量を05年比で60~65%削減するというもの。中国の経済成長はまだ続くとみられているのでGDPの数字は増え、排出量は全体として増え続けるだろう。こんな中国を容認するパリ協定を、温暖化の進行を止めるための切り札であるかのようにもてはやす国際社会……温暖化の進行を止めるべきと真剣に考えるなら、実際に排出量を減らさなければなるまいに。
さて、CO2などの排出量を減らせば温暖化の進行は抑制されるのだろうか。様々な気象データから温暖化傾向にあることは確からしいが、CO2排出量を減らせば温暖化の進行は止まるのか仮説の壮大な実験といえよう。さらに温暖化論には不都合な真実が多々あるが、懐疑論だとして「正義」に反すると十把一絡げに排斥される傾向にある。
パリ協定の自主目標を各国が達成したとしても温暖化の進行が止まっていない場合には、きっと、すでに排出されたCO2などが大気中に大量に蓄積されているので、削減効果が現れるには時間差があるなどと世界は煙に巻かれたり、世界のどこかで大規模な火山の噴火があって、大量の火山灰が放出されれば多大な温室効果をもたらすだろうから、各国の削減努力がスポイルされる可能性もある。
温暖化論議の最も不都合な真実は、科学的な論争が政治・経済的な論争に変質していることにある。科学では仮説は様々な視点から検証されなければならないが、政治などが絡むと、検証そのものが批判されたりする。だから、そうした批判を支える「正義」の装いが必要になる。なお主要な温室効果ガスであるCO2の国別排出量(2013)は中国が最も多く28.0%を占め、次いで米国が15.9%、EU10.4%、インド5.8%、ロシア4.8%、日本3.8%などとなる。
温暖化が進行すれば地球環境が大きく変化して様々な災いを惹起するとの焦燥感や、温暖化の進行を止めなければとの使命感などに支えられてか、パリ協定からの離脱は「正義」に背くものと糾弾する雰囲気も漂う。温暖化論は科学的な仮説であるが、世界規模で温暖化対策事業が立ち上がっているので、仮説を押し通すには「正義」を振りかざすことが必要になるのかもしれない。
パリ協定は各国が温暖化効果ガスの排出削減目標を自主的に決めて、世界の総排出量を削減しようというもの。温暖化による地球環境の危機が差し迫っているなら、各国に排出量削減を強制し、世界の総排出量を減らさなければなるまいが、そうなるとパリ協定に参加しない国が続出するだろうから、削減目標は各国が自主的に決め、相互に見守ることにした。
だから、自主的な削減目標といっても、実際には排出量を減らさない国が含まれる。例えば、世界最大の温暖化効果ガスの排出国である中国。「発展途上国だから」と排出量規制に加わることを拒否し続けていた中国がパリ協定に参加したのは、実際には削減せずに増やすことを自主的な削減目標として掲げ、それが容認されたからだ。
排出量は増えるのに温暖化対策に積極的であるかのように装うことができたのは、単位GDP当たり排出量という新たな概念を利用したから。これは、GDP1ドル当たりの排出量という考え方だから、GDP1ドル当たりの排出量を半減したとしても全体のGDPが2倍以上になれば排出量は増えるというカラクリ(GDP統計が操作されずに、正確に発表されるかしら?)。
中国の自主目標は、2030年までに単位GDP当たりのCO2排出量を05年比で60~65%削減するというもの。中国の経済成長はまだ続くとみられているのでGDPの数字は増え、排出量は全体として増え続けるだろう。こんな中国を容認するパリ協定を、温暖化の進行を止めるための切り札であるかのようにもてはやす国際社会……温暖化の進行を止めるべきと真剣に考えるなら、実際に排出量を減らさなければなるまいに。
さて、CO2などの排出量を減らせば温暖化の進行は抑制されるのだろうか。様々な気象データから温暖化傾向にあることは確からしいが、CO2排出量を減らせば温暖化の進行は止まるのか仮説の壮大な実験といえよう。さらに温暖化論には不都合な真実が多々あるが、懐疑論だとして「正義」に反すると十把一絡げに排斥される傾向にある。
パリ協定の自主目標を各国が達成したとしても温暖化の進行が止まっていない場合には、きっと、すでに排出されたCO2などが大気中に大量に蓄積されているので、削減効果が現れるには時間差があるなどと世界は煙に巻かれたり、世界のどこかで大規模な火山の噴火があって、大量の火山灰が放出されれば多大な温室効果をもたらすだろうから、各国の削減努力がスポイルされる可能性もある。
温暖化論議の最も不都合な真実は、科学的な論争が政治・経済的な論争に変質していることにある。科学では仮説は様々な視点から検証されなければならないが、政治などが絡むと、検証そのものが批判されたりする。だから、そうした批判を支える「正義」の装いが必要になる。なお主要な温室効果ガスであるCO2の国別排出量(2013)は中国が最も多く28.0%を占め、次いで米国が15.9%、EU10.4%、インド5.8%、ロシア4.8%、日本3.8%などとなる。
2017年6月3日土曜日
熊との付き合い
山菜やタケノコを採るために山林などに入った人が熊に襲われるという事件は毎年、各地で起きている。熊は臆病な動物で人間を恐れるから、人間がいることを熊に知らせると、警戒した熊が近寄って来なくなるので、鈴やラジオなどを携帯して音を出すことが有効な対策だとメディアや行政は注意を喚起してきた。
ところが、秋田県の山林で熊に襲われて死亡した人が、複数の熊よけの鈴を身につけていたことが明らかになり、調べると以前に何回も、熊よけの鈴を身につけた人が熊に襲われて負傷したり、死亡していたことが明らかになった。熊に人が襲われた事故を報じるたびに、音を出すものを身につけるように注意を促していたメディアは、あまり役に立たない情報を垂れ流していたか。
人の話し声を聞いただけで熊は警戒して逃げていくから、複数で常に声を出しながら行動すべきだと説明する研究者がいるが、熊に襲われた人が山林などでの行動時に声を出していなかったとは確認されていない。音や声を出していたのに熊に襲われた可能性は排除できず、そうなると、話し声によって複数の人間の存在を熊が察知して逃げると理解したほうがいい。
人間の存在を警戒する熊は、人間が1人の時には襲うことがあり、複数の時には警戒して逃げていくのだとすれば、鈴やラジオなどを携帯して音を出すことが有効な対策だとされてきた根拠が揺らぐ。おそらく、経験則によって有効な対策だとみなされてきたものの、熊を相手に検証されたことがない対策だったのだろう。
別の可能性としては、過疎化や高齢化で耕作放棄地が増え、熊を含む野生動物が人と遭遇する機会が減る中で、熊の世代交代も進み、人に警戒心を持たない個体が増えてきたと考えられる。加えて、狩猟文化が衰退し、人に狩られることが少なくなったので熊はさほどの警戒心を人に対して持たなくなったのかもしれない。
さらに昨年、秋田県鹿角市で熊に襲われて4人が死亡したが、近くで駆除された熊の胃から人体の一部が見つかった。人に対する警戒心が弱くなった熊が、遭遇した人を襲って殺し、食べたのだとしたなら、熊にとって人間は無防備な生物に見えるだろうから、人を狙うようになる可能性がある。人を狙う熊にとって、鈴などの音が人の存在を教えてくれるのなら音を追うだろう。
熊を駆除して絶滅させれば、人がどこの山林に入っても安全になるだろうが、種の保存という理念が確立しているので、熊を絶滅することは政治的に不可能だ。つまり、人と熊は共存していくしかなく、人の方で先に熊の存在を知って逃げるしかない。そのためには、嗅覚が鋭い犬を活用し、潜んでいる熊を犬に察知してもらい、熊との遭遇を避けるのが現実的な対策だろう。
ところが、秋田県の山林で熊に襲われて死亡した人が、複数の熊よけの鈴を身につけていたことが明らかになり、調べると以前に何回も、熊よけの鈴を身につけた人が熊に襲われて負傷したり、死亡していたことが明らかになった。熊に人が襲われた事故を報じるたびに、音を出すものを身につけるように注意を促していたメディアは、あまり役に立たない情報を垂れ流していたか。
人の話し声を聞いただけで熊は警戒して逃げていくから、複数で常に声を出しながら行動すべきだと説明する研究者がいるが、熊に襲われた人が山林などでの行動時に声を出していなかったとは確認されていない。音や声を出していたのに熊に襲われた可能性は排除できず、そうなると、話し声によって複数の人間の存在を熊が察知して逃げると理解したほうがいい。
人間の存在を警戒する熊は、人間が1人の時には襲うことがあり、複数の時には警戒して逃げていくのだとすれば、鈴やラジオなどを携帯して音を出すことが有効な対策だとされてきた根拠が揺らぐ。おそらく、経験則によって有効な対策だとみなされてきたものの、熊を相手に検証されたことがない対策だったのだろう。
別の可能性としては、過疎化や高齢化で耕作放棄地が増え、熊を含む野生動物が人と遭遇する機会が減る中で、熊の世代交代も進み、人に警戒心を持たない個体が増えてきたと考えられる。加えて、狩猟文化が衰退し、人に狩られることが少なくなったので熊はさほどの警戒心を人に対して持たなくなったのかもしれない。
さらに昨年、秋田県鹿角市で熊に襲われて4人が死亡したが、近くで駆除された熊の胃から人体の一部が見つかった。人に対する警戒心が弱くなった熊が、遭遇した人を襲って殺し、食べたのだとしたなら、熊にとって人間は無防備な生物に見えるだろうから、人を狙うようになる可能性がある。人を狙う熊にとって、鈴などの音が人の存在を教えてくれるのなら音を追うだろう。
熊を駆除して絶滅させれば、人がどこの山林に入っても安全になるだろうが、種の保存という理念が確立しているので、熊を絶滅することは政治的に不可能だ。つまり、人と熊は共存していくしかなく、人の方で先に熊の存在を知って逃げるしかない。そのためには、嗅覚が鋭い犬を活用し、潜んでいる熊を犬に察知してもらい、熊との遭遇を避けるのが現実的な対策だろう。
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