2023年1月28日土曜日

読者のシンクタンク

 日本の新聞社は①発行部数の減少が続く、②広告料収入の減少が続くー状況下にあり、売上高は減り続けている。こうした状況を打開する妙案がなく、縮小再生産で対応するしかないとなれば、固定コスト削減のために人員削減を繰り返すしかない。インターネット上の自社サイトで課金情報を増やし、収益化を図るが、金を払ってまで読みたい情報がないと見限られているのか、成功していない。

 紙の新聞という市場が縮小を続けていることは以前から明らかだった。情報が流通する「場」はインターネット空間に移行し、それに対応して産業構造や社会システムは変化しなければならず、変化に対応できない企業が淘汰されることは容易に予想できた。新聞社には対応策を講じる時間は十分にあった。だが、日本の新聞社の対応は鈍く、縮小再生産を甘受しているかのような気配だった。

 2021年10月時点の一般の日刊紙97紙(スポーツ紙を除く)の総発行部数は3065万部で前年比5.5%の減少となり、3000万部割れが目前だ。2006年までは4700万部台を続けたが、2016年に3982万部と4000万部台を割り、その後も部数の減少は続き、ついに3000万部台割れが現実となった。

 日本の総広告費(2021年。電通調べ)は6兆7998億円で前年比110%と好調だが、伸びたのはインターネット広告費の2兆7052億円で、マスコミ四媒体広告費(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)の2兆4538億円を上回った。新聞広告費は3815億円で前年比3.4%増だったが、これは東京五輪や衆院選関係の出稿が貢献した(2020年は3688億円だった。2006年以降は1兆円を割り、2018年に5000億円を割っていた)。

 発行部数=購読部数が減り続け、広告料収入も漸減傾向とあって新聞社は何もしなければ、縮小再生産の繰り返しで最後は廃業に至るだろう。打開策として考えられるのは、①購読部数を増やす、②インターネットにおける事業規模の拡大、③新聞発行以外の事業を開拓、④少ない発行部数で事業継続できる新聞社への転換ーなどだ。

 だが、購読者が減り続けていることに対応できていない新聞社には①は困難だろうし、②では各社とも成果が乏しく見える(収益化を論じる以前に、魅力ある情報提供サイトを各社とも提供できていない。各社のサイトは大同小異で独自の個性に乏しく、自社の購読者の繋ぎ止め策の趣)。③では美術展など各社は主催事業を行うが、新聞事業の落ち込みをカバーする規模にはなっていない(そもそも新聞社にとって各種事業は読者サービスの一環)

 このまま縮小再生産を続けると新聞社は④に向かわざるを得ない。だが、現在の一般向けの紙面のままでは購読部数の減少に歯止めはかからないだろうから、新聞の位置付けを変える必要がある。例えば、速報は自社サイトに任せ、新聞は分析記事の比重を増やす。そのためには記者にph.Dを取得させ、専門性の高い記者を増やすことが必要だ(夜討ち朝駆けなどは通信社に任せる)。いわば読者のシンクタンクだと認められれば、少ない発行部数になっても新聞は生き残っていくことができるだろう。

2023年1月25日水曜日

棒タラ

 棒タラはタラ(鱈)を寒風にさらして水分をすっかり抜いた干物だ。ガチガチに固まっているので、身をほぐすためには水に数日つけておくか、金づちなどで叩いてほぐすしかない。棒タラを煮物などの料理に使うためには水につけて戻すのが一般的だが、酒のつまみなどにするには金づちなどで叩いて、身をほぐして少しずつ食べる。

 棒タラをスーパーやコンビニで見かけることはほとんどないが、酒のつまみとして細く裂いたタラの身を袋詰めした商品はいろいろあって、「むしりタラ」「つまみタラ」「皮むきタラ」「寒干しタラ」などの商品名で売られている。また、タラの身を細く裂いて様々に味付けしたり、甘露煮や味噌漬け、みりん漬けなどにした加工食品も多い。

 棒タラは漁獲したタラを保存して長く食べるための加工法だ。冷蔵庫などがなかった時代に人々はタラやサケ、イカ、タコなどを乾燥させて保存するという加工法を見つけた。タラの干物は中世ヨーロッパでもよく食べられていたという。現代では干物は旨味を増すための加工法となり、アジやサバ、金目鯛、カレイ、ホッケ、ノドグロなど各地で多くの干物が売られている。

 棒タラは北海道や東北地方で製造されてきた。昔は北前船で関西などに運ばれ、煮物の材料として使われて、現在でも「棒ダラ煮」「棒ダラ煮付け」などの料理がある。新鮮な魚が入手できない山間部や降雪地帯などでは冬場のタンパク源として食べられてきた歴史もある。現在では生魚のタラが流通しており、多くのタラ料理がある。

 タラは漁獲量が多い魚種だ。日本周辺にはマダラ、スケトウダラ、コマイの3種がいて、北海道から日本海側では山口県まで、太平洋側ではマダラは茨城県、スケトウダラは和歌山県、コマイは宮城県までに分布しているとされるが、漁獲量は北海道がダントツの1位で全国の8割ほどにもなる。

 タラは世界での漁獲量が多く、ロシア269万トン、米国190万トン、ノルウェー106万トン、アイスランド63万トンの順で多い(2020年。タラは北半球の寒冷な海に主に生息する)。魚種別ではニシン、イワシに次いで世界で漁獲量が多いという。英国のフィッシュ&チップスにもタラのフライはよく使われ、ポルトガルやイタリアなどでは干しタラを使った料理が多くあるという。

 棒タラにローラーをかけて、身をほぐしやすく加工した商品もある。形状は棒タラだが、少し力を入れてむしれば身をほぐすことができるので、金づちで叩くという作業を省くことができるアイデア商品と言える。だが、袋から取り出してすぐに食べることができる簡便性には程遠く、棒タラを金づちで叩いて食べていた記憶を持つ世代に向けたニッチ商品だな。

2023年1月21日土曜日

近代の期間

 日本史における近代の期間は「明治維新から太平洋戦争の終結まで」とされる。太平洋戦争の終結は1945年で明確だが、明治維新の始まりと終わりについては諸説あり、明確ではない。明治維新という理解は後世の人々による時代区分の設定であるから、どういう要素を重視するかで解釈は異なる。

 明治維新は幕藩体制の崩壊から始まり、近代天皇制国家の形成で終わる変動を指す。明治維新を描くドラマなどでは黒船来航から始まることが多いようで、鎖国政策を放棄させたペリーの浦賀来航(1853年)は明治維新の始まりの象徴か。一方、大塩平八郎の乱や改革の失敗など幕藩体制の弱体化が顕著になった天保期(1830~1843年)を明治維新の始まりとする説もある。

 ペリーの浦賀来航に続いて日米和親条約締結(1854年)、大政奉還と王政復古(1867年)、江戸城無血開城と新政府成立(1868年)、戊辰戦争終結(1869年)、廃藩置県(1871年)、地租改正(1873年)、西南戦争(1877年)、大日本帝国憲法発布(1889年)と大きな出来事が続く。明治維新の終わりも何を重視するかで諸説に分かれる。

 ペリーの浦賀来航から大日本帝国憲法発布までの36年間を明治維新としても、日本史における近代の始まりは明確ではない。幕末の開国を近代への転換点とする説が有力で教科書などでも同様の説明がなされているそうだが、大政奉還と王政復古を重視する説もある。時代の変動は1日で起きることもあり、数十年かけて起きることもあるのだから、近代という時代区分の切れ目をどこにおくかは解釈次第だ。

 近代という時代区分は各国史においても適用されるので、近代とみなす共通条件がある。それは、①封建主義時代の終焉、②主権国家体制の成立、③市民社会の成立、④資本主義の成立、⑤国民国家の成立、⑥個人主義や自由主義の成立ーなどだが、これらは欧州で先に成立したシステムであり、現代の世界でも受け継がれている。

 これらの制度・システムや意識などの変化が社会に定着するには年月を要し、さらに地域や社会によって変化に要する年月は異なり、重視する条件によって各国の近代の期間にも諸説ある。第二次世界大戦の終結を近代の終わりとする国は多いが、国によって異なる解釈もある。

 近代は欧州諸国が世界各地に植民地を獲得した時代でもある。資本主義が発達して国外に新たな市場を求めたのだが、植民地では過酷な支配が伴った。日本の明治維新は欧州諸国の植民地主義の脅威に対応した自発的な近代化の始まりと考えられるが、植民地とされて独立に長い時間と多大な努力を要した国は多い。そうして独立した国における近代化は欧州をモデルとせざるを得なかった。

2023年1月18日水曜日

分断と暴力

 ブラジルで議会や大統領府、最高裁判所をボルソナロ前大統領の支持者たちが襲撃、侵入して内部を破壊した。昨年10月の大統領選挙で再選を目指したボルソナロ前大統領は僅差で敗れたが、電子投票で不正があったと主張して敗北を認めず、熱狂的な支持者らも敗北を認めず、各地で抗議活動を展開していた。

 右派のボルソナロ前大統領は選挙戦で対立候補の左派のルーラ氏を共産主義者だとか犯罪者(ルーラ氏は汚職容疑で収監された過去を持つ)だなどと激しく批判し、対立や不安を煽ることで支持を固めてきた。支持者間の衝突も起き、死傷事件も起きていた。相手を激しく批判して対立を煽る選挙手法は特に当選者が1人という選挙戦では激しくなる。

 米国でも2001年に議会に対する襲撃が起きていた。再選を目指した大統領選で敗れたトランプ前大統領は選挙に不正があったと主張して敗北を認めず、熱狂的な支持者も同調して抗議活動を展開、選挙結果を正式に確定しようとしていた連邦議会の議事堂を襲撃して内部を破壊した。下院特別委員会は最終報告書で、トランプ前大統領が支持者の暴挙を扇動したとして刑事責任を問われるべきとした。

 トランプ前大統領は分断を煽る手法で支持を拡大してきたとされ、米国社会における分断の先鋭化は深刻な問題だとマスメディアなどで論じられた。その論調は社会に分断があることは憂うべきことだとし、分断を煽るトランプ氏の攻撃的な手法を批判するものだった。だがね、分断を嘆いで見せ、寛容の精神などを説いてみせたって分断が存在する現実社会に対する説得力は乏しいだろう。

 「和を以て尊しと為す」の日本社会では分断は良くないことと思い込んだりする。だが、日本を含め人間社会では分断は存在するのが自然だろう。分断が存在しない(あるいは分断が隠蔽される)社会は存在したが、それは軍部や独裁権力が強権統治する社会だった。主権者の自由な意思表示に基づいて構築される民主主義社会では、時には多様な意見が衝突して分断が生じるのは避けられまい。

 「和を以て尊しと為す」とは、当時の人々が和を尊んでいないから発想された言葉だろう(人々が和を以て尊んでいたのなら、わざわざ和を強調するはずがない)。和に重きを置きすぎると、分断や意見対立などを否定的にとらえたりする。人々が自己主張する社会に分断が存在するのは当然だと考えれば、分断を嘆いて見せる言説は空論でしかない。

 問題は、分断が暴力につながることだ。ブラジルや米国のように特定の主張の熱狂的な支持者は対立相手側の主張を聞く耳は持たないだろうから、対話は成り立たない(過激な環境活動家とも対話は成り立ちにくい)。マスメディアは党派色を帯び、第三者的な仲介者として対話を促す機能は損なわれている。分断を対立や暴力に発展させないための新たなシステムの構築が必要だが、対立の中で誕生した大統領などの権力者に、相互理解や寛容を促すシステムの構築は期待できまい。

2023年1月14日土曜日

なんとかなる

  ウクライナにとって2022年の2月23日は戦前だった。翌24日にロシア軍が侵攻を開始し、ウクライナは戦中となった。ロシアが軍を引き上げる気配は見えず、和平に向けての動きは双方に希薄で、和平を促す調停者(国)も現れない。ウクライナにとって戦後がいつ始まるのか全く見当がつかない状況だ。

 戦前とは戦争が開始される前の期間であり、戦争が終わった後が戦後だ。戦争が始まった時に戦前が終わり、戦争が終わった時から戦後が始まるのだが、世界では戦争が絶滅したわけではないので、一つの戦争が終わった時に戦後が始まる。それと同時に新たな戦前が始まる。戦前と戦後は重複しているのが世界の現実だ。

 例えば、イラクは1990年8月2日にクウェートに侵攻したが、1991年1月17日に多国籍軍のイラク攻撃が始まり、同年2月28日に米国大統領が停戦を宣言し、湾岸戦争は終わった。イラクは2003年3月20日から米国など有志同盟軍の侵攻を受け、同年5月1日に米国大統領は戦闘終結宣言を行った。イラク人による正式な政府が発足したのは2006年で、米軍が撤退したのは2011年12月。

 イラクにおける戦前と戦後は入り乱れ、サダム・フセインによる強権統治の終了後は武装組織によるテロも頻発するなど、イラクの人々にとっては戦中が続いていた感覚かもしれない。次の戦争がいつか始まるという世界では、戦前とか戦後という実感は希薄で、戦中と戦前があるだけかもしれない。

 自衛以外の戦争を放棄した日本では第二次世界大戦の終結から戦後が続いている。自衛以外の次の戦争は許されないという建前なので、戦前と戦後は明確だ。だから「今は戦前だ」などと危機感を煽るタレントの発言が注目されたりする。戦後という概念は日本では特別な意味を有するが、日本以外の国ではおそらく特別の意味も価値も持たない言葉で、戦前と戦後の区別などは曖昧だろう。

 世の中が悪くなっているとの見方が年配者から示された場合、それが客観的な判断によるものか、加齢に伴う悲観的な感情によるものか見極めが必要だ。若い時には世情に関わりなく好きなように振る舞っていた人が、加齢とともに世情を憂いたりするのは珍しいことではない。悲観的な見方は老いの表れの一つだと見なせば年配者の世情を憂うる発言は割り引いて聞いておくべきか。

 「世の中は悪くなっている」などの発言は昔から多くの人々が繰り返してきた。危機感を煽ることで自分の発言の重みを増す狙いだったりもする。危機感を煽る言説に共通するのは情緒が優先することで、客観的な検証などは忘れられる。そうした危機感を煽る言説に惑わされないための手っ取り早い対応は「なんとかなるさ」とつぶやくことだ。世の中は悪くなっている? なんとかなるさ。

2023年1月11日水曜日

感染放置で集団免疫獲得

 中国の習近平国家主席は昨年12月31日、「科学的で正確な感染対策を行い、人民の生命と安全、身体の健康を最大限守ってきた」とゼロコロナ政策の成果を強調してから「防疫措置は新たな段階に突入した」と方針転換を明言したと報じられた。さらに「まだ苦労が続くが、夜明けは近づいている」と述べ「団結こそが勝利だ」と国民の結束を促した。

 中国において科学的とは政府の施策を正当化する装飾語であり、団結とは政府の指令に全員従って行動せよという意味だ。防疫措置の新たな段階とは、感染拡大を放置する一方で、あれだけ熱心に行ってきた街中でのPCR検査を廃止して感染者数の把握を諦め、新型コロナウイルスによる死者の定義を狭めて死者数も少なくするという状況を示す。かくして中国政府が発表するデータでは感染者数も死者数も少なくなり、ゼロコロナ政策の放棄が政治的に正当化される。

 だが、中国国内では感染者数や死者数が政府発表の数字を遥かに上回って多いとされる。様々な推測がなされているが、中国全土で億単位の感染者が出ているとすることでは一致するようだ。爆発的な感染拡大がいつ始まったのか定かではない。反政府デモが現れて中国政府はゼロコロナ政策からの転換を強いられたとの見方もあるが、ゼロコロナ政策が実質的に破綻していたから反政府デモをきっかけに突然の方針転換を行ったと見ることもできる。

 中国政府の方針転換は、ウイルスとの共存を目指していると見える。もう新型コロナウイルスを特別扱いすることをやめ、感染者や死者が増えても問題にしないとし、「夜明けは近い」とウイルスとの共存を人々に強制する。これは中国製ワクチンの効果がファイザー製などより低いことを踏まえ、中国の人々に感染を拡大させて集団免疫の獲得を狙った施策だとの解釈もある。

 集団免疫とは「人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなる状態のこと」(厚労省サイト)。人口の一定割合以上とはどれくらいか。人口の60〜70%という説もあれば、変異を繰り返す新型コロナウイルスでは集団免疫は難しいとの説もあり、ぼやけている。

 人口の6割程度の人が感染して免疫保持者となることで感染を収束させるという戦略を試みたのは英国だったが、感染拡大に直面してワクチン接種による集団免疫獲得へと方向転換を余儀なくされた。中国が感染拡大を放置して膨大な人々を感染させることで集団免疫の獲得に方向転換したのだとすれば、壮大な人体実験が進行していることになる。

 中国では感染拡大で数百万人が死亡するとも見られているが、新型コロナウイルスによる死者の定義を狭くしたので政府発表の死者数は極端に少なくなるに違いない。かくして中国政府はゼロコロナ政策終了後の防疫措置の新たな段階で、感染者数も死者数も少なくなったとして、「科学的な新たな感染対策は成功だった」とするだろう。

2023年1月7日土曜日

100年前は1923年

 全ての人々が国政に関与できる普通選挙法の制定を求める運動が広がるとともに、東京で約10万人が参加した大示威行進が行われたのは100年前の1923年(普通選挙法の成立は1925年)。西日本の各地で水平社の設立が相次いだこの年、各地で労働組合が3悪法(過激社会運動取締法・労働組合法・小作争議調停法)反対デモを行うなど大正デモクラシーは高まりを見せた。

 密出国していた大杉栄がパリ近郊のメーデーに参加して検挙され、強制送還されて帰国したのはこの年の7月だったが、9月の関東大震災の後に憲兵隊に拘束されて密かに扼殺された(伊藤野枝と6歳の甥の橘宗一も殺害された)。関東大震災の後には朝鮮人暴動の流言が広がり数千人が殺害され、社会主義者らに対する弾圧も行われた。

 関東大震災はマグニチュード7.9、震度7、震源は相模湾北西部。死者・行方不明は約10万5000人、重軽傷者5万人以上という大災害だった(火災による死者・行方不明が9割弱と圧倒的に多かった。東京で夜に気温が46℃にもなった)。家屋の被害は甚大で全焼は約38万1000、全壊約8万4000、半壊約9万1000。損害額は約55億円と推定された(当時の国家予算は約15億円)。

 12月に摂政宮裕仁が難波大助に虎ノ門で狙撃された事件が起き、責任をとって山本権兵衛内閣は総辞職した(難波大助は大杉栄らや朝鮮人の虐殺に憤激して報復を企てたともされる)。この年、関東大震災のため京都に映画の中心が移り、マキノキネマや東亜キネマが設立された。7月に有島武郎が軽井沢の別荘で婦人公論記者の波多野秋子と心中し、死後に著作や関連記事を掲載した雑誌が売れた。

 この年に創刊された雑誌は多く、「文芸春秋」「講座」「アサヒグラフ」「少年倶楽部」「エコノミスト」などがあり、「赤旗」や「大阪都新聞」「アサヒスポーツ」も創刊された。東京相撲では待遇改善を求めて力士会がストライキを行い、小樽で第1回全日本スキー選手権大会や州崎埋め立て地で自動車大競争会が開催されたのも1923年だった。

 孫文は1月に中国国民党宣言を発表し、ソビエトが中国革命支援を表明、2月に孫文は大元帥として広東軍政府を再建した。ソビエトから軍事などの顧問団を受け入れ、蔣介石を団長とする軍事使節団をモスクワに派遣するなどコミンテルンの関与で共産党との協力へ向かった(翌24年に国共合作=第一次=が成立)。

 11月にヒトラーらがミュンヘンでバイエルン政府打倒の一揆を起こしたが、2日間で鎮圧された。これは1月に仏・ベルギー軍がルール地方を占領したがドイツ政府は穏やかに抵抗したのみで、急激なインフレやゼネストなどで国民生活が疲弊し、政府批判が強まる中で軍事独裁政権の樹立を目指して決行された。イタリアではムッソリーニが選挙法を改正して独裁体制を強めた。

2023年1月4日水曜日

太陽信仰と地球の自転

 朝に太陽は東の空にのぼり、少しずつ移動して夕方には西の陸地や水平線などに沈むので、地表に生きる人間には太陽が天空はるか高くを動いていると見える。地球が自転しているから、太陽が動いていると見えるのだーとの知識は誰でも持っているだろうが、地表に生きる人間の実感はおそらく天動説を支持する。

 月も東からのぼり、天空はるか高くを動いて西に沈む。月は地球を周回しているが、地表で生きる人間には太陽と月は同じように地球の周りを回っていると見える。太陽と月の動きが異なることを誰でも知っているだろうが、その違いを実感することは地表に生きる人間には困難だろう。

 太陽から地球に届く光と熱に人間は依存して生きている。太陽は毎日、東の空に現れて、天空高くに輝いて、光と熱を地表にもたらし、その光と熱は植物を育て、さまざまな生き物が植物や他の生き物を食べて生きるとともに植物や生き物が人間の食糧になる。太陽が西に沈むとともに夜となり、人間は就寝する。

 都会では夜行性の生き方をする人間は珍しくないが、自然の中では人間は昼行性の暮らしをし、闇に肉食獣などが隠れている可能性がある夜の活動を控える。太陽の動きに人間は合わせて生きてきた。光と熱による様々な恵みを与えてくれる太陽を人間が崇めるのは自然なことだ。世界には太陽信仰が各地にある。

 キリスト教やイスラム教などの一神教が広がる以前の古代に世界各地で、神という概念を人々はそれぞれに持った。その神の具体的なイメージとして太陽があり、天空はるか高くに存在する天上界に神が存在するとの物語(宗教)が生まれ、共有された。太陽は人間に恵みをもたらすとともに旱魃などで災いをもたらす神でもあり、その両義性が神秘性を高めた。

 現在でも太陽は地表に生きる人間に恵みをもたらすが、コロナ質量放出などでプラズマを大量放出して地球で磁気嵐を起こしたりし、各種のインフラに影響を与えることが懸念されている。太陽に対して人類が無力であることは古代も現代も変わっていない。君臨する太陽が災いをもたらさないように願うしかないとすれば、太陽信仰の当時と太陽と人間の関係は似ている。

 太陽信仰は、地球が自転していることが明らかになっても続いているように見える。元日の初日の出を喜ぶ風習は現在も健在であり、初日の出を見ようと全国各地で人々は夜のうちに出かけて、初日の出を拝んだりする。初日の出は地球の自転の結果であり、そこに特別な意味はないことを人々は無視して初日の出を喜ぶ。