2022年8月31日水曜日

ワクチン4回でも感染

 ワクチンの効果は見えにくい。感染しないでいるのはワクチンを打った効果なのか、ワクチンを打たなくても感染しなかったのか個別には判断ができない。治験データではワクチンの感染予防の有効性が示されたとしても、全てのワクチン接種者に有効であることはなく、個人は「ワクチンが効くはずだ」と信じるしかない。

 ワクチンを打ったのに感染した事例があると「ワクチンを打っても感染したじゃないか」とワクチンに対する疑念が生じる。ワクチン接種で免疫を獲得するから感染しないとの図式が崩れたと見え、不信感が高まる。ワクチンを打っても感染するなら、新型コロナウイルスワクチンのように何度も打つことの意味はないと感じる人が出てくる。

 変異株の出現がワクチンの有効性を阻害しているとしたなら、変異を短期間で繰り返すウイルスに対してワクチンの有効性は、そもそも乏しいと判断せざるを得まい。新型コロナウイルスワクチンの効果は時間とともに低下すると報じられ、それが何回ものワクチン接種を正当化する。だが、3回も4回もワクチン接種した人が感染している事例が珍しくないなら、ワクチンに効果が本当にあるのかとの疑念を持つ人が増えるかもしれない。

 4回のワクチン接種を受けた岸田首相が新型コロナウイルスに感染した。軽症であることから「医師にも相談の上、首相公邸において自宅療養を行いながら、リモートで仕事を続け」た(首相官邸サイト)。だが、感染対策が万全であるはずの環境にいる人が感染を防ぐことができず、ワクチン接種による感染予防効果に対する疑問の声が上がった。

 一方、発症を予防する効果だけをワクチンに求めるから、ワクチン接種者の感染を問題視するとの反論がある。データでは「ワクチンを受けた人が受けていない人よりも、新型コロナウイルス感染症を発症した人が少ない」が「追加接種を受けても、発症等を完全に予防できる訳ではありません」、3回目接種については「国内外の報告により発症予防効果等が報告され」「オミクロン株に対しても、3回目接種に係る様々な研究において発症予防等の効果が一時的に回復する」(厚労省サイト)。

 さらに、海外での研究によるとオミクロン株流行期において「4回目接種による感染予防効果は短期間しか持続しなかった一方で、重症化予防効果は4回目接種後6週間経過しても低下せず維持されていた。」(同)。つまり岸田首相が感染したのは想定内のことであり、軽症であったのはワクチンの効果だった可能性があるということらしい。

 重症化を予防するというワクチンの効果も見えにくい。感染しても軽症で済んだのはワクチンの効果か、ワクチンを打たなかったとしても軽症で済んだのかは判断ができない。治験データで有効性が示されたとしても、個別の事例ではワクチンの重症化予防の効果はぼやける。だが、新型コロナウイルスに対してワクチン以外に現実的な対応策はないのが現在。ワクチンの効果を「信じる人は救われる」のならいいのだが。

2022年8月27日土曜日

外国勢力の影響力

 旧統一教会が自民党などの国会議員や地方議会議員たちと広範に接触し、関係を構築していることが次々に暴かれ、それらの議員たちは神妙な態度で「今後は関係を持ちません」などと釈明に追われている。こちらも新型コロナウイルスの陽性者と同様の「探せば見つかる」状況だったようで、ネタが「探せば見つかる」のだからマスメディアは張り切っている?

 旧統一教会が自民党などの国会議員や地方議会議員の選挙運動を手伝って、当選した議員たちを旧統一教会関連の催しなどに来賓として招いたり新聞など関連媒体に登場させて、旧統一教会の社会的認知をアピールするために利用していただけなら、自民党を支援する多くの宗教団体なども同じようなことを行っているだろうから、日本の政治の構造として特に警戒を要するものではないかもしれない。

 だが、旧統一教会が、選挙運動に関わって「当選させた」議員たちや自民党に影響力を有するなら、自民党(政府)の政策立案に関与することができる。報道によると、旧統一教会の関連団体である国際勝共連合の改憲案と自民党の改憲草案が、緊急事態条項や家族重視条項の新設などで一致しているという。自民党の改憲草案の制定過程の検証が必要だが、自民党に検証能力があるのか不明だ。

 自民党の改憲草案に旧統一教会が影響力を及ぼしていたとなると、日本の政治が韓国系の宗教団体の影響下にあったことになる。さらに、旧統一教会に韓国政界の影響力があるとすると、日本の政治に韓国の政治家が影響を及ぼしていたことになる。KCIAと統一教会の関係は以前から報じられていたが、現在の韓国における政界と旧統一教会の関係はまだ詳らかになっていない。

 米国では2020年の大統領選でロシアがSNSなど使って世論工作し、選挙に干渉したとの米国家情報会議の報告書が公表された。共和党のドナルド・トランプ候補を当選させるために民主党のヒラリー・クリントン候補に不利な情報を流すことなどをロシアが行い、米国における「民意」を歪めた。ロシアには、選挙を混乱させて民主制に対する不信感を米国で広める狙いもあったともみられ、米国内では強い警戒の動きが出た。

 日本でも、SNSなどを使って中国やロシアなど外国勢力の世論工作はおそらく大量に行われているだろうが、社会の警戒心は薄いようだ。だが、韓国政界が旧統一教会を使って自民党やその所属議員に対して影響力を行使していたとすれば、日本の民主主義が歪められたとともに日本の統治機能が損傷したことになる。

 自民党や所属議員に影響力を有していた旧統一教会は、多くの情報を自民党や所属議員から得ていただろうし、それは韓国に流れただろう。「日本は外国のスパイ天国だからスパイ防止法が必要だ」との主張は右派や保守派などから上がっていたが、皮肉にも旧統一教会が韓国のスパイだったとも解釈できる。外国勢力の影響力を日本政治から排除できるかが今回の問題で問われている。

2022年8月24日水曜日

過疎路線と乗り鉄

 商店や飲食店などなら、来店客が減って「店を開いていても売り上げで電気代さえ払えず、赤字続き」となり、周辺の住民も減り続けていて来店客数の回復が見込めない状況となれば、店を閉めるだろう。そうした判断は人々に同情され、地域を見捨てたと批判されることはおそらく少ない。

 だが、JR各社が赤字路線を廃線してバス転換を提案したりすると、強い反発が地域から上がる。乗客が減って、ガラガラの車両を定時運行することは赤字の垂れ流しとなり、鉄道事業会社としては、いつまでも続けることはできない。だが、国鉄だった鉄道の路線の廃線には「地域の過疎化を促進する」などの声が地域から上がる。営利事業ではなく公共サービス(事業)として存続を求められる。

 過疎化で乗客数が減って鉄道事業が成り立たなくなっているのだが、鉄路が維持されれば過疎化に歯止めがかかると判断する根拠は希薄だ。おそらく、乗客数が少ない鉄路が維持されても過疎化は進む。廃線をやめさせるのには沿線住民を増やし、乗客数を増やすしかないのだが、進む過疎化に地方は「無力」だ。沿線住民を増やすには移住者を増やすしかないだろうが、移住者に魅力がある地域づくりは進んでいない。

 JR東日本は路線別の収支を初めて公表、全66路線のうち35路線の66区間が2019年度に営業赤字だったとした。最も赤字額が大きい区間は羽越本線の村上〜鶴岡で、年間の運輸収入6億円を稼ぐために営業費用が55億円かかっているという。JR西日本は17路線30区間が赤字だとした(両社が公表したのは輸送密度が2000人未満の区間)。JR北海道は全21区間で営業赤字だったと発表、輸送密度が2000人未満の区間では141億円の営業赤字で、赤字幅は7億500万円拡大し、これは過去最大という。 

 国交省の有識者会議は、区間の輸送密度が1000人未満などを見直しの基準にし、バスなどへの転換も含め協議を進めるべきとする提言をまとめた。輸送密度1000人未満の区間はJR5社で61路線100区間になる(JR東海を除く)。ただし、①隣り合う駅間の1時間の乗客数が通勤や通学の利用ピーク時に上下線のいずれかで500人を超える線区、②拠点都市間を行き来する特急や重要な貨物列車が走る線区、③自治体が出資する第三セクターの鉄道ーは対象外とした。

 61路線100区間の内訳は、JR北海道は根室線の釧路~根室など8路線の9区間、JR東日本は五能線の能代~深浦、深浦~五所川原や只見線の会津坂下~会津川口、会津川口~只見などの29路線の50区間、JR西日本は大糸線の南小谷~糸魚川や山陰線の城崎温泉~浜坂、浜坂~鳥取など13路線の25区間、JR四国は予讃線の向井原~伊予大洲など3路線の4区間、JR九州は日豊本線の佐伯~延岡や指宿枕崎線の指宿~枕崎など8路線の11区間。

 公表された61路線100区間リストを見て、乗り鉄を自称する東京在住の友人は「絶景の路線がいっぱいじゃないか」とため息をつき、「乗客が少なく、のんびり乗車できるのもローカル路線の魅力で、都市での過密生活から解放された気分になるのが魅力だった」と言う。だがJR各社に過疎路線を支える力がなくなり、それらの廃線の現実味が増し、友人は「このリストの路線を重点的に乗りに行くぞ。すぐには廃線にならないだろうが、いつまで存続しているか不安だ」とし、「わずかでも収支に貢献できれば幸いだ」と付け加えた。

2022年8月20日土曜日

事実と解釈と意見

 情報リテラシーという言葉を見かけることが多くなったが、リテラシー(literacy)とは「読み書きの能力、識字力」のことで、新明解では「①読み書き能力(の程度)。②その時代を生きるために最低限必要とされる素養。昔は、読み・書き・そろばんだったが、現代では情報機器を使いこなす能力だとされる」。さらに、「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」との意味でも使われることがある。

 だから情報リテラシーは「情報機器を利用して、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出し、活用する能力」となる。必要な情報が何かを知らなければ、膨大な情報の中を漂い、不要な情報に引っ掛かったりする。何が必要な情報なのかを見分ける能力が備わっていなければ、情報リテラシーは低い。

 だが、必要な情報は多彩だ。客観的に正確な情報だけが求められるとは限らず、明らかなフェイクニュースや中傷、有名人の真偽不明のスキャンダル情報などを面白がって探したり、政敵やライバルなどを批判するため攻撃する材料を探し出したりもする。そうした行為においても情報リテラシーは駆使される。

 情報の最大の提供源はテレビや新聞、雑誌などのマスメディアで、マスメディアが報じる大量の情報の中から必要な情報を抜き出す能力がメディア・リテラシー。だが、現在はSNSなどインターネット上にも大量の情報が流れているので、メディア・リテラシーの対象は拡大し、また、メディアでの表現(個人の情報発信)も活発化したので、そうした能力も重視される。

 情報は大別して①事実を伝える情報、②虚偽を伝える情報、③解釈や意見を伝える情報ーに分かれる。情報リテラシーが高いと見える情報通が、実はメディアに溢れる解説者や評論家、ブロガーらの解釈や意見を事実と混同して受容していることもある。①(事実を伝える情報)と③(解釈や意見を伝える情報)を見分けることができなければ、情報リテラシーは低い。

 ①(事実を伝える情報)と③(解釈や意見を伝える情報)を混同するのは、事実を軽視するためだ。事実に基づいて自分で考える手間を省き、自分の感覚に合う解釈や意見を拝借する。多くの人はメディアに影響された意見を持つが、おそらく①と③を混同しているとの自覚はないだろう。

 解釈や意見には主観が混じるが、事実は主観を排除したものとされる(事実にも主観が混じったフェイクがある)。事実と解釈や意見が入り混じると主観と客観が入り混じり、主観が主導するから、リテラシーが高いことと正確な情報を得ることは必ずしも相関しない。正確な情報より、主観に合う情報や主観に都合がいい情報を抜き出すのにもリテラシーは活躍する。

2022年8月17日水曜日

「平和」と信仰

 「平和」という文言を掲げる団体や運動が旧統一教会の関連で多く存在し、正体を知ってか知らずか、接触を持っていた政治家たちが批判されている。うろんな宗教団体が、霊感商法などで多大な被害を生じさせたことを反省して、贖罪のために「改心」して平和のために活動するなら慶賀の至りだ。だが、そうではないことはミエミエだ。

 「鰯の頭も信心から」のことわざがあるように、何かを信仰している人々の精神のありようは傍からは理解しにくい。信仰の世界は俗世間を超越するのだが、宗教団体や信者が存在するのは俗世間だ。厄介なのは、俗世間に影響を与え、俗世間を変えようとする教義を有する宗教団体の活動だ。信仰は内心の問題だが、その活動は俗世間の問題となる。

 平和は信仰の問題ではなく、俗世間の問題だ。信仰がなくても平和を掲げる活動を行うことはできるのだが、宗教団体が平和を掲げる運動を行うのは、①信仰よりも俗世間の問題を優先させている、②俗世間を平和な状態に変えるとの教義がある、③宗教団体であることを見えにくくする偽装ーのいずれかであろう。

 平和を求めることに反対する人はいないだろうし、平和を求める運動に疑いの目を向ける人も少ないだろう。だが、平和を掲げる団体や運動は善意の正義感で動いているとの先入観があったりすると、批判的に見ることは抑制されやすくなる。さらに、戦争はすべて悪であり平和は絶対善であるとぼんやり考えていると、絶対善という価値判断は宗教と融和性があるので宗教団体の平和を掲げる運動などに取り込まれやすくなる。

 平和は穏やかな状態のことで、それを脅かす「心配や揉め事」がない状態が個人にとっての平和であり、「戦争や紛争、災害」がない状態は社会にとっての平和になる。前者の個人にとっての平和を宗教団体が信仰によって達成すると主張することは珍しくないが、後者の社会にとっての平和を主教団体が希求すると、俗世間においての活動を伴う。

 宗教団体の希求する平和と、社会通念としての平和が同じであるかどうかは不明だ。宗教団体が希求する平和の状態においては宗教団体の役割が重視されているだろうから、そうした平和な状態の俗世間で宗教団体は特別な位置を占める。おそらく社会において特別な位置を占めることを目的に、そこへ到達するステップとして平和を求める運動などが設定されている。

 抽象語としての平和には単一の定義のみがあると受け取られるが、実際は論者がそれぞれの意味を付与している。例えば、プーチン氏が言う平和とゼレンスキー氏が言う平和は同じ意味ではないだろう。平和は普遍的な概念であるが、個別で特殊な状況に適合した平和の概念もある。つまり平和の状態は人によって解釈次第で多様であり、誰にとって都合のいい平和かを見極める必要がある。

 宗教団体が掲げる平和が布教活動や勢力拡大活動の一環であることは容易に想像がつく。抽象語としての平和の意味だけだと思い込み、うっかり利用しようと接触した政治家たちは、あわてて関係遮断を表明せざるを得なくなった。さらに、普遍的な概念としての平和は大切だから、どんな団体であれ平和運動は立場を超えて支援すると言える政治家がいないことも今回、明確になった。

2022年8月13日土曜日

21世紀の治水

 治山治水とは「山を治め、水を治める」こと。山を治めるためには植林のほか水源林や保安林の整備、地すべりを防ぐ地盤改良、砂防ダム設置などが行われ、水を治めるためには堤防の整備のほか、河川改修、水路整備、治水ダム建設、調整池や遊水池や放水路の整備などが行われる。都市における治水事業では排水路の整備や透水性舗装、雨水貯留施設や地下河川の整備などが行われる。

 雨が多い日本で水害被害は繰り返されてきた。「2021年の日本の降水量の基準値(1991〜2020年の30年平均値)からの偏差はプラス213.4mm」で、「年降水量には長期変化傾向は見られない」が「1898年の統計開始から1920年代半ばまでと1950年代、2010年代以降に多雨期」があり、1970年代〜2000年代は年ごとの増減の変動が比較的大きくなっていた(気象庁サイト)。

 2010年以降は平均値より降水量が毎年増えている。だが、1950年代も毎年増えていて1960年以降は減少傾向になったので、多雨傾向がこの先も続くか、減少に転じるかは不明だ。また、世界の年間降水量は周期的な変動を繰り返しているが、北半球では1950年代、2000年代半ば以降に降水量の多い時期が現れている(同)。

 2022年の夏には北陸や東北、北海道などで豪雨被害が続いた。氾濫した河川や浸水被害の住宅などをニュース映像で目にすると、豪雨による水害被害が顕著に増えたとの印象を持ち、日本の治水対策が増加する降雨量に対応できておらず、綻び始めたと考える人もいるだろう。その地域の「平年の8月の降雨量が半日で降った」などと報道されると、急いで新たな治水対策を講じなければならないと考えるのは自然だ。

 日本の治水対策は、「気候変動に伴い頻発・激甚化する水害・土砂災害等に対し、防災・減災が主流となる社会」を目指し、流域治水の考え方に基づいて「堤防整備、ダム建設・再生などの対策を一層加速するとともに、集水域から氾濫域にわたる流域のあらゆる関係者で水災害対策を推進」することになっている(国交省サイト)。過去の降雨データなどに基づく対策から気候変動による降雨量などの増加を考慮した対策に転換した。

 流域治水とは「集水域(雨水が河川に流入する地域)から氾濫域(河川等の氾濫により浸水が想定される地域)にわたる流域に関わるあらゆる関係者が協働して水災害対策を行う考え方」(同)で、総合的かつ多層的な対策だという。だが、2020年から掲げられた構想で、その成果が発揮されるのは、法改正や地方自治体などとの協議・協力体制が構築されてからであり、かなり先になりそうだ。

 梅雨末期や台風シーズンなどに西日本などで水害被害が各地で毎年頻発し、有効に治水ができていないと見える中で、東日本や北日本でも水害被害が相次ぎ始めた。流域治水は間に合わなかった。治山治水は国の礎とも言われるが、まったく後手後手の状況で、流域治水の考え方が正しかったとしても、その効果が現れる頃には、「気候変動に伴い頻発・激甚化する水害・土砂災害等」がさらに増えているかもしれない。

2022年8月10日水曜日

最低賃金と公務員

 2022年度の最低賃金(時給)について全国加重平均で31円引き上げるとの答申が出された。この通りに改定されると全国平均の最低賃金は961円となり、都道府県別では東京都が1072円で最も高く(東京・神奈川・大阪の3都府県が1千円台)、最も低いのは高知県と沖縄県で850円だと報じられた。適用されるのは今年10月以降になる。

 最低賃金は「産業や職種にかかわりなく、都道府県内の事業場で働くすべての労働者とその使用者に適用」され、「パートタイマー、アルバイト、臨時、嘱託などの雇用形態や呼称の如何を問わず、すべての労働者に適用」される(厚労省サイト)。最低賃金の減額が認められるのは、試用期間中や障害により著しく労働能力の低い人、認定職業訓練を受けている人などだが、使用者が都道府県労働局長の許可を受けることが条件。

 米国などでは人手不足になると、より高い賃金を示して企業は人員を確保しようとするそうだが、日本では最低賃金はパートやアルバイトの募集で「標準」賃金となっていることが珍しくない。最低賃金だから上積みは経営者の裁量で自由であり、従業員を優遇しているとのイメージを最低賃金+αの募集で企業はアピールできるのだが、そんな経営者や企業は少なく、賃金には自由競争の原理はあまり働かず、最低賃金は「自然」に上がっていかない。

 最低賃金の引き上げを答申する中央最低賃金審議会(厚労相の諮問機関)で労働者側と経営者側が協議するのだが、経営者側は経営の苦しさを訴えて上げ幅を抑え込もうとする。企業などの賃上げ交渉と同じ構図で、最低賃金の上昇幅も抑え込まれてきた。その結果が先進国では低水準の最低賃金となっている。

 最低賃金は「産業や職種にかかわりなく、都道府県内の事業場で働くすべての労働者とその使用者に適用」されるのだが、公務員は別の賃金体系になっている。人事院が国家公務員の給与水準を勧告し、地方公務員の給与水準は自治体の人事委員会の勧告を経て給与条例が議会で成立することで引き上げられる(人事委員会が置かれていないところは都道府県の勧告等を受けて給与条例を策定)。

 公務員の給料は「級」と「号棒」の組み合わせで決まり、諸手当が乗る。例えば、国家公務員の行政職の1号棒で1級なら月額14万6千円などとなり、指定職の事務次官は月額117万5千円、特別職の内閣総理大臣は月額201万円などとなる。初任給は大卒の総合職なら2級1号棒で23万2840円、高卒の一般職なら1級5号棒で18万7920円。

 最低賃金を公務員にも適用するなら、例えば、パートやバイトから正社員、地方公務員や国家公務員から内閣総理大臣までの賃金体系が明確化する。公務員の「級」と「号棒」の組み合わせの代わりに、最低賃金の19倍が一般職の公務員の給与、最低賃金の210倍が内閣総理大臣の給与などとなる(最低賃金を公務員に適用するなら公務員にも争議権を認める法改正が必要だ)。そうなると最低賃金は経営者側と労働者側だけで決めるわけにはいかず、第三者の参加も必要になるだろう。

2022年8月6日土曜日

自然も観光資源

 函館は人気が高い観光地だが、星形の城郭の五稜郭や函館山山麓の元町の教会群、朝市、湯の川温泉などは市街地にあり、夜景に浮かび上がるのは市街地の姿で、グルメに人気の飲食店も大半が市街地にある。ほとんどの観光客は函館観光で見て回るのは市街地だけだろう。だが、函館は広く、市街地から少し離れると、太平洋や津軽海峡に面した海岸から豊かな山林まで、変化に富んだ自然が広がっている。

 函館の面積は677.87平方kmだ。東京都の面積(2,194.05平方km)のほぼ31%に相当するが、23区(627.53平方km)よりは広い。23区に隣接の調布市(21.58平方km)と武蔵野市(10.98平方km)と三鷹市(16.42平方km)を加えると676.51平方kmでほぼ函館市の面積に相当する。

 東京の区部では宅地が58.4%と多く、道路等22.0%、公園等6.3%などとなり、住宅や商業施設が建ち並び、人々が密集して住んでいる。函館は宅地が5.2%に過ぎず、山林が60.3%と過半を占め、原野・雑種地が6.9%、田畑が4.5%、その他(池沼や牧場、境内地、水道用地、ため池、保安林、公衆用道路、公園など)が23.2%となる。東京に例えるなら、千代田区と港区だけが市街地になって他は山林が広がっているイメージだ。

 函館市は、大正の頃までは函館山の山麓一帯とそれに続く陸地が市域(約19平方km)だったが、1939年に湯川町と合併、1966年に銭亀沢村と合併、1973年に亀田市と合併(約348平方kmに拡大)、さらに2004年に戸井町、恵山町、椴法華村、南茅部町と合併して市域を2倍近くに拡大した。現在の主な市街地は昭和半ばまでの函館市だった辺りだが、現在の函館市は「渡島半島の南東部に位置し、北側と東側は太平洋に、南側は津軽海峡に面し,三方を海に囲まれ、「函館山を要とし扇状に広がる平野部と段丘地形、さらに北東側に広が る山岳地で構成されて」いる(函館市HP)。

 市街地は函館市の面積の5%ほどで、そこに人気の観光名所が集中している。それらの観光名所を見たり、飲食店で海産物を食べたり、湯の川温泉を堪能して観光客は満足するだろうが、渡島半島の南東部を占めるほどに拡大した現在の函館市には未開発の観光資源が眠っている。例えば、恵山周辺だ。

 函館市の市街地からは津軽海峡越しに下北半島が見える。津軽海峡を吹き抜ける風が強いので、いつも波が立っているが、市街地から海岸沿いに東に車で行って汐首岬を過ぎた辺りから、波の大きさや強さが増す。対岸に見えていた下北半島は遠く離れ、津軽海峡を抜けて、太平洋の荒波が直接打ち寄せる状況になる。海岸沿いに点々と連なる小さな漁港の防波堤は高く積まれた消波ブロックに守られるが、太平洋から押し寄せる波が消波ブロックに当たって大きな白波となって舞い砕ける。

 活火山である恵山は溶岩ドームだが、数千年前の火山活動では山体崩壊により岩石がなだれ落ちたとされ、海岸沿いには方々に巨岩が海中からそそり立っている。海岸沿いの道路は細かく曲がりながら続くが、恵山御崎で巨岩に遮られて途切れる。巨岩と太平洋からの荒波に挟まれ、自然の荒々しさと雄大さを見せる。函館には自然という未開発の観光資源が眠っている。

2022年8月3日水曜日

謝罪する教皇

 カナダを訪れたローマ教皇フランシスコが謝罪した。カナダでは19世紀から同化政策として先住民の子どもを親から強制的に引き離し、寄宿学校では「白人」になるように教育したそうだ。だが、カトリック系寄宿学校では先住民の子どもたちが神父らから虐待を受けて数千人が死んだとされる。「多くのキリスト教徒が先住民に犯した悪に対し、謹んで許しを請う」と教皇は謝罪したそうだが、殺された子供は生き返らない。

 先住民の子供を「白人」らしくしようと教育したが、親から強制的に引き離された先住民の子供は反抗しただろうから、せっかく「白人」らしく教育してやったのにとカトリックの神父らはつい虐待したのか。寄宿学校の跡地からは多数の遺骨や墓が見つかっているというから、言い逃れも隠蔽もできずカトリックは謝罪に追い込まれた。白人が他人種を見下さず、対等の人間として接していたなら、起こらなかった悲劇だろう。

 カトリックが謝罪することは珍しくなくなった。聖職者による性的虐待と教会がそれを隠蔽し続けていたことが世界各国で次々に暴かれ、2014年に児童への性的虐待についてローマ教皇は謝罪し、対応の強化を表明した。さらに2018年に性的虐待問題に教会が沈黙していたことをローマ教皇は謝罪した。

 2019年にはローマ教皇は、男性聖職者による修道女の性的暴行について認め、問題に対処するためと前例がない特別会議を開催した。また、聖職者による性犯罪は機密扱いせずに調査に協力するとした。2022年には前ローマ教皇がドイツで大司教を勤めていた当時、性的虐待で告発を受けた司祭たちの職務継続を容認していたことが明らかになり、批判された。独カトリック教会では1946〜2014年に全国で3600人以上が司祭らから性的虐待を受けたという。

 カトリックの聖職者による世界各地での性的虐待などが、いつから始まっていたのか不明だが、おそらく相当以前から行われていて、教会などによる隠蔽も続いていたのだろう。告発の動きが広がったのは、カトリックの長い歴史に比べると「つい最近」のことだ。聖職者も教会も世俗の秩序に組み込まれ、世俗から超越することができなくなったことが告発の動きの背後にある。聖職者や教会を特別扱いする時代ではなくなった。

 神への人々の信仰に支えられていた聖職者や教会の権威が衰え、聖職者や教会に対する畏敬の念も衰えたのは、神への人々の信仰が揺らいでいるからだろう。聖職者の性的虐待などや教会の隠蔽が続いていたことは、人々から見れば神の正義が行われない世界であり、現実世界では神の正義が行われないと解釈するしかない。神は人々の苦しみには無頓着で人々を見捨てるという世界で、神を信じ続けることは簡単ではないだろう。

 神は君臨するものであり、信仰は人々から神への一方通行で、神から人々への働きかけは預言者を通して神の言葉を伝えただけと納得できるなら、神の正義が行われない世界でも神を信じることができるかもしれない。ただし、そうした神が存在するとしても、世俗の秩序に組み込まれたカトリック関係から今後も謝罪の動きはあるかもしれない。聖職者にも教会にも「免罪符」は無くなったからだ。