♫立て、餓えたる者よ〜〜と歌い出し、♫いざ、闘わん、いざ、奮い立て〜〜嗚呼、インターナショナル、我らがもの〜〜などと歌う「インターナショナル」。フランスで誕生したこの歌は労働歌として世界に広がり、日本でもかつて労働組合運動が活発だった頃に盛んに歌われたという。
闘争意欲を鼓舞する歌だが、労働者が闘うには団結と連帯が欠かせない。労働者1人では会社(資本)に対して、あまりにも無力なのが現実だから、労働組合に結集することが必要になる。とはいえ、日本では企業別の労働組合が会社の利益を尊重して「自重」するのは珍しくなく、闘わなくなって久しい。組織率も下がり続け、闘争意欲を鼓舞する歌はすっかり忘れられた気配だ。
米国ではGMに対してUAW(全米自動車労働組合)が40日間もの長期ストライキで闘い、工場を操業停止に追い込み、新たな労働協約を結んでストは集結した。新協約では、昇給と正社員1人当たり1万1000ドルのボーナス、非正規従業員の正社員登用の迅速化などが認められ、医療費の自己負担率引き上げは撤回されたというから、闘った労働者側の勝利だ。
企業別組合ではなく産業別組合が主体になるから企業に対する交渉力が強くなる。労働者が団結するのは交渉力を高めるためなのだから、個別企業の組合より産業別組合のほうが規模が大きくなり、労働者の利益になる。ただし、大規模な組合でも闘おうとしない組合があって、個別企業の内部留保の増大を許す。
巨大化した多国籍企業が国境を越えて世界で展開するというグローバリズムを支える条件の一つが、各国の賃金格差だ。米国内で団結した労働者が、中国など低賃金の他国の労働者とも団結するならば、巨大化した多国籍企業に対しても交渉力を持つことができようが、国境を越えた労働者の団結は見えない。
多国籍企業は国境を越えて工場を移転させる。各国の労働者に共通する利害が少なく、むしろ利害が対立する構図がグローバリズムであるなら、国境を越えた労働者の団結は望み薄だ。社会主義や共産主義の衰退・退場とともに「万国の労働者よ、団結せよ」とのスローガンも色あせ、各国で労働者は競わせられている。
♫聞け、我らが雄叫び、天にとどろきて〜〜劣悪な条件で働かされている人々は世界にはまだ多く、待遇改善や権利要求などは人々がそれぞれ団結して闘争で勝ち取るしかないだろう。インターナショナルを「我らがもの」にできなかった万国の労働者にとって、「インターナショナル」の出番はなさそうだ。
2019年12月28日土曜日
2019年12月25日水曜日
グレタとトランプ
米誌「タイム」は2019年「今年の人」に16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんを選んだ。「地球が直面する最大の課題に対して、最大の影響力を誇る人物となった」ことが選出理由だという。確かに世界のマスコミはグレタさんの動向を大きく扱ったから、少女は大きな影響力を持ったかに見える。
これに対して米トランプ大統領は「ばかげている。グレタは自分のアンガーマネジメント(怒りの制御)の問題に取り組まなきゃならない。それから友達と良い映画を見に行ってこい。落ち着けグレタ、落ち着け」とツイートし、環境問題への大人の取り組み姿勢は消極的だと怒るグレタさんを揶揄した。
グレタさんはすぐに反応、ツイッターのプロフィールを「怒りをコントロールする問題に取り組むティーンエージャー。落ち着いていて、友達といい映画を見に行っています」と更新、まともに反論せず、トランプ大統領の言葉を使って切り返してみせた。グレタさん本人が書いたのか、周辺にいる環境活動家が書いたのか明らかではないが、冷静さを感じさせた。
2人は9月にも“バトル”していた。国連で怒りをあらわにスピーチしたグレタさんに対してトランプ大統領は「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい」と皮肉ってツイートし、グレタさんはツイッターのプロフィールを「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更、トランプ氏をいなしてみせた。
トランプ氏は米国の大統領という国際的に大きな影響力を持つ地位にいるが、グレタさんは何の地位も持たない少女だ。欧米のマスコミが大きく取り上げるから、その言動が伝えられるが、欧米のマスコミが取り上げることを止めれば、たちまち忘れ去られる存在だろう。
しかし、米トランプ大統領とグレタさんは対等に渡り合っているかのように欧米のマスコミは報じる。CO2排出増加による地球環境危機をグレタさんは信じ、トランプ大統領は信じない。主張ではかけ離れている2人だが、思い込みの強さと自己主張の強さ、異論を述べる他者への激しい攻撃では、似たような人格だとも見える。
CO2排出増加による地球環境の危機という物語がなかったとすれば、グレタさんは無名の少女でいただろう。欧米のマスコミがお膳立てをしてグレタさんは、米トランプ大統領と対等に渡り合うポジションに据えられた。CO2排出増加による地球環境危機という物語を定着させるには、様々な演出が必要になるらしい。
これに対して米トランプ大統領は「ばかげている。グレタは自分のアンガーマネジメント(怒りの制御)の問題に取り組まなきゃならない。それから友達と良い映画を見に行ってこい。落ち着けグレタ、落ち着け」とツイートし、環境問題への大人の取り組み姿勢は消極的だと怒るグレタさんを揶揄した。
グレタさんはすぐに反応、ツイッターのプロフィールを「怒りをコントロールする問題に取り組むティーンエージャー。落ち着いていて、友達といい映画を見に行っています」と更新、まともに反論せず、トランプ大統領の言葉を使って切り返してみせた。グレタさん本人が書いたのか、周辺にいる環境活動家が書いたのか明らかではないが、冷静さを感じさせた。
2人は9月にも“バトル”していた。国連で怒りをあらわにスピーチしたグレタさんに対してトランプ大統領は「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい」と皮肉ってツイートし、グレタさんはツイッターのプロフィールを「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更、トランプ氏をいなしてみせた。
トランプ氏は米国の大統領という国際的に大きな影響力を持つ地位にいるが、グレタさんは何の地位も持たない少女だ。欧米のマスコミが大きく取り上げるから、その言動が伝えられるが、欧米のマスコミが取り上げることを止めれば、たちまち忘れ去られる存在だろう。
しかし、米トランプ大統領とグレタさんは対等に渡り合っているかのように欧米のマスコミは報じる。CO2排出増加による地球環境危機をグレタさんは信じ、トランプ大統領は信じない。主張ではかけ離れている2人だが、思い込みの強さと自己主張の強さ、異論を述べる他者への激しい攻撃では、似たような人格だとも見える。
CO2排出増加による地球環境の危機という物語がなかったとすれば、グレタさんは無名の少女でいただろう。欧米のマスコミがお膳立てをしてグレタさんは、米トランプ大統領と対等に渡り合うポジションに据えられた。CO2排出増加による地球環境危機という物語を定着させるには、様々な演出が必要になるらしい。
2019年12月21日土曜日
タレントに興奮する人々
タレントが街歩きする番組は珍しくない。飲食店を訪ねて名物料理などを食べて大げさに「美味しい」などと誉めそやしたりする。タレントが撮影交渉する姿を入れることで、「仕込み」ではないことをさりげなく強調したりする。
タレントが歩くのは都会の商店街であることが多いようだが、地方都市や観光地に行って歩くこともある。出会った人々と、どれだけ軽妙に会話することができるかがタレントのウデの見せ所らしく、そうしたやり取りに視聴者もタレントに親近感を持つのだろう。
タレントの街歩き番組は、スタジオにセットを組んで収録する番組より低予算だろうことは想像に難くない。タウン誌や観光情報誌などで事前に撮影場所を選び出し、大まかな構成を決めておけば、あとは実際にタレントを歩かせて撮影するだけ。
そうした街歩き番組で、タレントを街中で見た人々が歓声を上げ、興奮した様子でタレントの周囲に集まってくる場面がある。そのような状況が実際にどれほど起きているかはともかく、そうした場面は番組中に数回は必ず挿入される。
タレントを見て人々が興奮するのはなぜだろうか。人々はテレビ画面を通じて頻繁に見ているからタレントに一方的な親近感を持っているのだろうが、「知り合いと出会った」以上の喜びを、タレントに出会ったときに人々は感じているようにも見える。
熱心なファンなら当のタレントに出会って興奮するのは当然だろう。だが、街歩き番組でタレントを見て興奮した様子の人々は、熱心なファンというより、テレビで見ていたタレントが目の前にいることに反応しているようだ。
そうした人々はおそらくタレントを特別な存在とみなしているから、タレントを見て興奮するのだろう。何が特別かというと、テレビに出ることができるという「特権」を有していることか。特別な才能など感じさせないが、軽妙なやり取りや嫌われない人間味を備えていると感じさせてタレントは人気を得ているのかもしれない。
テレビ番組の収録中という状況も人々を興奮させている気配だ。東京の繁華街などで私用で歩いているタレントを見かけても大騒ぎする人は少ないようだから、タレントがタレントである時=テレビ番組に出ている時(収録中)のタレントに人々は興奮するのか。
タレントが歩くのは都会の商店街であることが多いようだが、地方都市や観光地に行って歩くこともある。出会った人々と、どれだけ軽妙に会話することができるかがタレントのウデの見せ所らしく、そうしたやり取りに視聴者もタレントに親近感を持つのだろう。
タレントの街歩き番組は、スタジオにセットを組んで収録する番組より低予算だろうことは想像に難くない。タウン誌や観光情報誌などで事前に撮影場所を選び出し、大まかな構成を決めておけば、あとは実際にタレントを歩かせて撮影するだけ。
そうした街歩き番組で、タレントを街中で見た人々が歓声を上げ、興奮した様子でタレントの周囲に集まってくる場面がある。そのような状況が実際にどれほど起きているかはともかく、そうした場面は番組中に数回は必ず挿入される。
タレントを見て人々が興奮するのはなぜだろうか。人々はテレビ画面を通じて頻繁に見ているからタレントに一方的な親近感を持っているのだろうが、「知り合いと出会った」以上の喜びを、タレントに出会ったときに人々は感じているようにも見える。
熱心なファンなら当のタレントに出会って興奮するのは当然だろう。だが、街歩き番組でタレントを見て興奮した様子の人々は、熱心なファンというより、テレビで見ていたタレントが目の前にいることに反応しているようだ。
そうした人々はおそらくタレントを特別な存在とみなしているから、タレントを見て興奮するのだろう。何が特別かというと、テレビに出ることができるという「特権」を有していることか。特別な才能など感じさせないが、軽妙なやり取りや嫌われない人間味を備えていると感じさせてタレントは人気を得ているのかもしれない。
テレビ番組の収録中という状況も人々を興奮させている気配だ。東京の繁華街などで私用で歩いているタレントを見かけても大騒ぎする人は少ないようだから、タレントがタレントである時=テレビ番組に出ている時(収録中)のタレントに人々は興奮するのか。
2019年12月18日水曜日
そういう見方もある
例えば、世界の大学ランキングを英国の教育専門誌が発表すると、日本の大学の順位が上がったとか下がったとか日本のマスコミは詳しく報じる。ランキングは教育力、研究力、研究の影響力、国際性、産業界からの収入をそれぞれ指標化して決めるといい、論文引用数などが高く評価されるので研究重視の大学が高位に来るようだ。
この種の国際ランキングは「そういう見方もある」と参考にしておけばいいだけだが、西欧からの評価をありがたがる日本人(と日本マスコミ)には、基準とすべきものとなっているらしい。だから、ランキングが正確なのかを検証する記事は乏しく、また、自ら世界の大学をランキングする能力がないので、発表されたランキングの適否を判断することができない。
世界の大学ランキングで日本の大学の順位を上げる簡単な方法がある。それは評価項目に「日本語で全ての授業を行っている」を加えること(あるいは「自国語で高等教育を行っている」を加える)。たちまち日本の大学は世界の大学ランキングで上位に並ぶだろう。英語で授業を行うことを評価ポイントにできるなら、日本語で授業を行うことを評価ポイントに据えても不都合はないだろう。
数多くある世界ランキング。これを作成するためには、第一に各国から情報を集めなければならない。GDPなど公表されているデータなら集めるのは簡単だが、ランキングの対象とする分野によっては公表データが乏しく、存在しない場合もあろうから、対象分野の様々な細かいデータを各国から寄せ集めることが必要になる。
第二に、世界から集めたデータを評価して順位をつけるのだが、その時には評価の客観性が必要になる。何らかの意図や主観などによる偏りがないことを明確にしなければ信頼を得ることが難しい。だから、評価の客観性が必要になる(中国から何かの世界ランキングが発表されても無視されるのは、評価基準が信頼されないから)。
評価を客観化するには、対象を複数の評価項目に分解し、それぞれに点数化する。部分の評価を集めて全体を評価する手法だ。点数をつける時に評価者の主観などに影響されるが、評価者を複数にすることで客観性を高める(=客観性を装う)。結果として数字で示された場合、人々は信じやすいようだから、点数化することは有効だ。
データを収集して分類し、評価する。これは科学の方法でもある。できるだけ正確に現実の世界を理解するためには適した手法であろう。ただし、科学では分類や評価などは常に検証・批判にさらされる。様々な世界ランキングに対する厳しい検証・批判は目立たず、ただ、ありがたがるだけでは世界ランキングの信憑性は低いままだろう。美味しいラーメン・ランキングと大差がないのなら、「そういう見方もある」と受け流すのが正解だ。
この種の国際ランキングは「そういう見方もある」と参考にしておけばいいだけだが、西欧からの評価をありがたがる日本人(と日本マスコミ)には、基準とすべきものとなっているらしい。だから、ランキングが正確なのかを検証する記事は乏しく、また、自ら世界の大学をランキングする能力がないので、発表されたランキングの適否を判断することができない。
世界の大学ランキングで日本の大学の順位を上げる簡単な方法がある。それは評価項目に「日本語で全ての授業を行っている」を加えること(あるいは「自国語で高等教育を行っている」を加える)。たちまち日本の大学は世界の大学ランキングで上位に並ぶだろう。英語で授業を行うことを評価ポイントにできるなら、日本語で授業を行うことを評価ポイントに据えても不都合はないだろう。
数多くある世界ランキング。これを作成するためには、第一に各国から情報を集めなければならない。GDPなど公表されているデータなら集めるのは簡単だが、ランキングの対象とする分野によっては公表データが乏しく、存在しない場合もあろうから、対象分野の様々な細かいデータを各国から寄せ集めることが必要になる。
第二に、世界から集めたデータを評価して順位をつけるのだが、その時には評価の客観性が必要になる。何らかの意図や主観などによる偏りがないことを明確にしなければ信頼を得ることが難しい。だから、評価の客観性が必要になる(中国から何かの世界ランキングが発表されても無視されるのは、評価基準が信頼されないから)。
評価を客観化するには、対象を複数の評価項目に分解し、それぞれに点数化する。部分の評価を集めて全体を評価する手法だ。点数をつける時に評価者の主観などに影響されるが、評価者を複数にすることで客観性を高める(=客観性を装う)。結果として数字で示された場合、人々は信じやすいようだから、点数化することは有効だ。
データを収集して分類し、評価する。これは科学の方法でもある。できるだけ正確に現実の世界を理解するためには適した手法であろう。ただし、科学では分類や評価などは常に検証・批判にさらされる。様々な世界ランキングに対する厳しい検証・批判は目立たず、ただ、ありがたがるだけでは世界ランキングの信憑性は低いままだろう。美味しいラーメン・ランキングと大差がないのなら、「そういう見方もある」と受け流すのが正解だ。
2019年12月14日土曜日
話法の効果
話すときに身振り手振りが大きな人がいる。話すことに熱中して、つい身体も動いてしまうのだろうが、意識して身振り手振りを大きくしている気配の人もいる。それは、自分の話に演出を加えているようにも見え、聞き手に違和感を感じさせたりする。
評論家や大学教授、作家ら「文化人」で身振り手振りが大きな人は少ない印象だ。主観に偏らず理性的に話そうと論旨を組み立てつつ的確な言葉を選んで話すために脳をフル回転させているのだろうから、身体の動きが抑制されるのか。ただ、言葉を溢れるように撒き散らしつつ、身振り手振りが大きい人もいて、個人差は大きい。
言葉を次々と流ちょうに連ねる文化人は、「この人は講演に飛び回って、けっこう稼いでいそうだ」との印象を持たれたりする。具体的なエピソードを交え、適度に聴衆を笑わせる言葉も用意し、主張するところは強く言い切るなど、プロの話し手の技術は高度だ。
一方、文化人の中には流ちょうに話さないことで誠実さを漂わせる人もいる。考え考え、言葉を選んでポツポツと話し、それらの言葉を文字にすると、そのまま文章になっていたりする。日頃から口述筆記などを行っているのかもしれないな。
身振り手振りが大きくない人でも話し方などにそれぞれ個性があり、それらも聞き手は言葉と一緒に受け止める。詐欺にあった人が「真面目そうな人で悪い人に見えなかった」などと言うが、表情や態度などもフル活用し、聞き手の反応を常にうかがっているだろうからプロの詐欺師の会話術も高度だ。
流ちょうに話さず、考えながら話している風情で言葉をポツポツと紡ぐ人の中には、話した内容が平凡なのに独創的なことを言っているように受け止められる人もいる。深刻そうな表情で、考え考え話している風情に聞き手は騙されるのかもしれない。
例えば、深刻そうな顔つきで考え考え、「雲が、出てきて、小雨が、降り始めたから、これから、天気が、崩れるかもしれない」……正しいことを言っているのだろうが、ありがたがって拝聴するほどのことではない。こうした話し方をする人は文化人の中にもいて、ファンがついていたりする。
評論家や大学教授、作家ら「文化人」で身振り手振りが大きな人は少ない印象だ。主観に偏らず理性的に話そうと論旨を組み立てつつ的確な言葉を選んで話すために脳をフル回転させているのだろうから、身体の動きが抑制されるのか。ただ、言葉を溢れるように撒き散らしつつ、身振り手振りが大きい人もいて、個人差は大きい。
言葉を次々と流ちょうに連ねる文化人は、「この人は講演に飛び回って、けっこう稼いでいそうだ」との印象を持たれたりする。具体的なエピソードを交え、適度に聴衆を笑わせる言葉も用意し、主張するところは強く言い切るなど、プロの話し手の技術は高度だ。
一方、文化人の中には流ちょうに話さないことで誠実さを漂わせる人もいる。考え考え、言葉を選んでポツポツと話し、それらの言葉を文字にすると、そのまま文章になっていたりする。日頃から口述筆記などを行っているのかもしれないな。
身振り手振りが大きくない人でも話し方などにそれぞれ個性があり、それらも聞き手は言葉と一緒に受け止める。詐欺にあった人が「真面目そうな人で悪い人に見えなかった」などと言うが、表情や態度などもフル活用し、聞き手の反応を常にうかがっているだろうからプロの詐欺師の会話術も高度だ。
流ちょうに話さず、考えながら話している風情で言葉をポツポツと紡ぐ人の中には、話した内容が平凡なのに独創的なことを言っているように受け止められる人もいる。深刻そうな表情で、考え考え話している風情に聞き手は騙されるのかもしれない。
例えば、深刻そうな顔つきで考え考え、「雲が、出てきて、小雨が、降り始めたから、これから、天気が、崩れるかもしれない」……正しいことを言っているのだろうが、ありがたがって拝聴するほどのことではない。こうした話し方をする人は文化人の中にもいて、ファンがついていたりする。
2019年12月11日水曜日
世界で大規模な山火事
オーストラリア南東部で11月から山火事(森林火災)が猛威を振るっている。100カ所以上で発生した火災は強風により燃え広がり、合体したりして規模を拡大、シドニーに迫っているという。すでに165万haが焼失し、700戸以上の住宅が被害を受け、死傷者が出ている。焼け死んだコアラも多いと伝えられる。
今年のオーストラリアは干ばつに見舞われ、乾燥していたことから、毎年のように発生する山火事(森林火災)が多発し、強風に煽られて燃え広がった。報道によると、ニューサウスウェールズ州消防局の副局長は、消防隊は住民を避難させ、火災が発生しやすい乾燥した気候と強風が静まるのを願う以外にできることはないと述べたそうだ。
大規模な山火事は10月に米カリフォルニア州でも発生していた。約4万haが焼失し、州知事は州全域に非常事態を宣言した。20万人以上が避難を強いられ、セレブの豪邸を含む多くの住宅が被害を受けた。同州では昨年も大規模な山火事が発生、15万世帯が焼失、86人が死亡した。
同州で大規模な山火事が多いのは、乾燥した気候に季節的な強風が加わって小さな山火事がたちまち大規模化するためだという。昨年の山火事は、電力大手PG&Eの送電線など老朽化した設備が火元になったと見られ、最近、被害者らと総額135億ドルの損害賠償で和解した。また、山火事の再発を防ぐためにと送配電網の稼働を止める計画停電を同社は繰り返している。
6月にはスペインのカタルーニャ地方で大規模な山火事が発生、6500haの森林が焼失し、7月にはポルトガルで8500haが焼失する山火事が発生した。報道によると欧州では18年、計120万haが山火事で焼失し、死者は100人以上になるという。8月には南米アマゾンの熱帯雨林で3万件以上の火災が発生したが、こちらは違法な伐採や焼き畑などが原因と見られている。
干ばつによる乾燥や高温の気温、強風などが山火事の大規模化を促進しているようで、地球温暖化によって山火事が増えているとの解釈が珍しくない。だが、山火事の4%が自然発火で、残りの96%は人間が関わっているとの報告がある(WWF)。都市への人口移動は世界的な傾向で、放棄地が増えて管理されない森林などが増えたことの影響もあるという。
森林は大気中のCO2を吸収する機能があり、アマゾンの熱帯林が固定している炭素は推定900億~1400億トンで世界中で人為的に放出される温室効果ガスの9~14年分に相当する(WWF)。だが、山火事(森林火災)は大量のCO2を大気中に放出するので、温暖化論者の説に従えば、山火事は温暖化を加速することになる。
過激な温暖化論者なら「CO2排出増加を防ぐため、世界各地で発生する山火事の発生を阻止しろ」と主張しそうなものだが、山火事(森林火災)は不可抗力と見られているのか、そんな声は聞こえてこない。むしろ山火事(森林火災)の原因を温暖化と結びつけることで、温暖化の危機を言い立てる材料に利用しているように見える。
今年のオーストラリアは干ばつに見舞われ、乾燥していたことから、毎年のように発生する山火事(森林火災)が多発し、強風に煽られて燃え広がった。報道によると、ニューサウスウェールズ州消防局の副局長は、消防隊は住民を避難させ、火災が発生しやすい乾燥した気候と強風が静まるのを願う以外にできることはないと述べたそうだ。
大規模な山火事は10月に米カリフォルニア州でも発生していた。約4万haが焼失し、州知事は州全域に非常事態を宣言した。20万人以上が避難を強いられ、セレブの豪邸を含む多くの住宅が被害を受けた。同州では昨年も大規模な山火事が発生、15万世帯が焼失、86人が死亡した。
同州で大規模な山火事が多いのは、乾燥した気候に季節的な強風が加わって小さな山火事がたちまち大規模化するためだという。昨年の山火事は、電力大手PG&Eの送電線など老朽化した設備が火元になったと見られ、最近、被害者らと総額135億ドルの損害賠償で和解した。また、山火事の再発を防ぐためにと送配電網の稼働を止める計画停電を同社は繰り返している。
6月にはスペインのカタルーニャ地方で大規模な山火事が発生、6500haの森林が焼失し、7月にはポルトガルで8500haが焼失する山火事が発生した。報道によると欧州では18年、計120万haが山火事で焼失し、死者は100人以上になるという。8月には南米アマゾンの熱帯雨林で3万件以上の火災が発生したが、こちらは違法な伐採や焼き畑などが原因と見られている。
干ばつによる乾燥や高温の気温、強風などが山火事の大規模化を促進しているようで、地球温暖化によって山火事が増えているとの解釈が珍しくない。だが、山火事の4%が自然発火で、残りの96%は人間が関わっているとの報告がある(WWF)。都市への人口移動は世界的な傾向で、放棄地が増えて管理されない森林などが増えたことの影響もあるという。
森林は大気中のCO2を吸収する機能があり、アマゾンの熱帯林が固定している炭素は推定900億~1400億トンで世界中で人為的に放出される温室効果ガスの9~14年分に相当する(WWF)。だが、山火事(森林火災)は大量のCO2を大気中に放出するので、温暖化論者の説に従えば、山火事は温暖化を加速することになる。
過激な温暖化論者なら「CO2排出増加を防ぐため、世界各地で発生する山火事の発生を阻止しろ」と主張しそうなものだが、山火事(森林火災)は不可抗力と見られているのか、そんな声は聞こえてこない。むしろ山火事(森林火災)の原因を温暖化と結びつけることで、温暖化の危機を言い立てる材料に利用しているように見える。
2019年12月7日土曜日
内政干渉という反論
米国で成立した香港人権・民主主義法により、①香港で「一国二制度」が機能しているかどうかを米政府が毎年検証、②香港で人権侵害を犯した人物には米国入国禁止など制裁を科す、③香港経由の中国への米国製ハイテク製品の不正輸入を米国政府が毎年検証ーなどが行われる。
中国は猛反発し、外務省声明は「断固反対する」「重大な内政干渉で、あからさまな覇権の行使だ」「米国が独断専行をやめなければ中国は必ず報復措置をとる。一切の悪い結果は米国が負うことになる」と強硬な抗議の姿勢を示して見せた。
植民地だった香港を英国は1997年に中国に返還したが、50年間は、外交・防衛を除く分野で高度の自治を維持すると中国に約束させた。高度の自治とは香港が独自の行政権、立法権、司法権を有し、大陸中国とは別の法体系に基づいて言論や集会、移動などの自由を有することだ。中国共産党が独裁する「一国」に属する香港だが、大陸中国とは別の独自の制度を持つので「二制度」……これが揺らいでいることは最近の香港のデモなどが示している。
米国の香港人権・民主主義法は、中国に対する内政干渉になるのだろうか。中国という「一国」に香港は属するので、内政干渉だとする中国の主張は正当に見える。だが、香港において「二制度」が崩壊したなら一国二制度は有名無実になる。中国が香港を含めた「一国一制度」に移行することは、外交の問題か内政の範疇か。
内政干渉と主張することで中国は香港の位置づけを、中国の「外」ではなく「内」だと示す。それは中国が約束した一国二制度を、50年待たずに骨抜きにし形骸化させるために役立つ。だが、一国二制度は中国が一方的に破棄できるものではない。米国が国内法で香港の一国二制度を維持しようという行為は、中国が一方的に一国二制度を破棄しようとする行為と釣り合っているようにも見える。
内政の及ぶ対象は、国家が主権を行使できる領土と領海の内部である。だが領土も領海も揺れ動くもの。現在でも例えば中国は南シナ海に「九段線」を設定して拡大した領有権を主張し、ロシアはクリミア半島を併合し、イスラエルは占領地での入植地建設を進め領土化している。南シナ海やクリミア半島、入植地建設に対する国際的批判に対して各国が内政干渉だと反論できるとすれば、武力による領土・領海の拡大策を正当化する。
各国が互いに主権を認め合い、他国の国内問題に対する干渉はしてはならないというのが国際社会の原則。干渉とは自国の何らかの権力を行使することで、他国の内政に関することを言葉で批判するだけなら内政干渉には当たらない。香港の抗議活動に対する米国など国際社会の支持を中国が内政干渉だと拒絶するのは、それ以外に反論する論理がないからだろう。
国際社会のルールを自国に都合よく使い分ける中国政府は、内政だとして、南シナ海などで領有権を拡大させ、ウイグル族などへの弾圧を強化し、香港の自治を消滅させながら、国外からの批判に反発する。独裁する中国共産党は内政ならば何をやっても許されるという仕組みは、その内政の対象範囲を拡大させる仕掛けと一体のようだ。内政不干渉という国際ルールを中国は盾とする。
中国は猛反発し、外務省声明は「断固反対する」「重大な内政干渉で、あからさまな覇権の行使だ」「米国が独断専行をやめなければ中国は必ず報復措置をとる。一切の悪い結果は米国が負うことになる」と強硬な抗議の姿勢を示して見せた。
植民地だった香港を英国は1997年に中国に返還したが、50年間は、外交・防衛を除く分野で高度の自治を維持すると中国に約束させた。高度の自治とは香港が独自の行政権、立法権、司法権を有し、大陸中国とは別の法体系に基づいて言論や集会、移動などの自由を有することだ。中国共産党が独裁する「一国」に属する香港だが、大陸中国とは別の独自の制度を持つので「二制度」……これが揺らいでいることは最近の香港のデモなどが示している。
米国の香港人権・民主主義法は、中国に対する内政干渉になるのだろうか。中国という「一国」に香港は属するので、内政干渉だとする中国の主張は正当に見える。だが、香港において「二制度」が崩壊したなら一国二制度は有名無実になる。中国が香港を含めた「一国一制度」に移行することは、外交の問題か内政の範疇か。
内政干渉と主張することで中国は香港の位置づけを、中国の「外」ではなく「内」だと示す。それは中国が約束した一国二制度を、50年待たずに骨抜きにし形骸化させるために役立つ。だが、一国二制度は中国が一方的に破棄できるものではない。米国が国内法で香港の一国二制度を維持しようという行為は、中国が一方的に一国二制度を破棄しようとする行為と釣り合っているようにも見える。
内政の及ぶ対象は、国家が主権を行使できる領土と領海の内部である。だが領土も領海も揺れ動くもの。現在でも例えば中国は南シナ海に「九段線」を設定して拡大した領有権を主張し、ロシアはクリミア半島を併合し、イスラエルは占領地での入植地建設を進め領土化している。南シナ海やクリミア半島、入植地建設に対する国際的批判に対して各国が内政干渉だと反論できるとすれば、武力による領土・領海の拡大策を正当化する。
各国が互いに主権を認め合い、他国の国内問題に対する干渉はしてはならないというのが国際社会の原則。干渉とは自国の何らかの権力を行使することで、他国の内政に関することを言葉で批判するだけなら内政干渉には当たらない。香港の抗議活動に対する米国など国際社会の支持を中国が内政干渉だと拒絶するのは、それ以外に反論する論理がないからだろう。
国際社会のルールを自国に都合よく使い分ける中国政府は、内政だとして、南シナ海などで領有権を拡大させ、ウイグル族などへの弾圧を強化し、香港の自治を消滅させながら、国外からの批判に反発する。独裁する中国共産党は内政ならば何をやっても許されるという仕組みは、その内政の対象範囲を拡大させる仕掛けと一体のようだ。内政不干渉という国際ルールを中国は盾とする。
2019年12月4日水曜日
地位と名誉と好色漢
英王位継承順8位のアンドリュー王子は、一時的に公務から引退すると表明せざるを得ない状況に追い込まれた。一時的とするが、アンドリュー王子に対する批判は収まらず、英エリザベス女王がアンドリュー王子の「解任」を決め、約25万ポンド(約3500万円)の年間報酬を撤回したとの報道もあり、奔放な女性関係が喧伝されたアンドリュー王子の前途は厳しい。
BBCのインタビューに応じたアンドリュー王子は、米富豪ジェフリー・エプスタインと親交があったことやエプスタイン宅に滞在したことは認めたものの、未成年女性と性行為を行ったとの疑惑については、会った記憶がないと否定し、エプスタインの私有地の島で複数の若い女性と性交したことなども否定した。
米富豪エプスタインは08年、司法取引に応じて未成年者買春の罪を認め、禁錮1年半の有罪判決を受けた。19年7月には、未成年者の性的人身取引容疑で再逮捕され、拘置所内で首吊り自殺した。訴状によると、エプスタインはニューヨーク市マンハッタンとフロリダ州の邸宅に未成年を引き入れ、性行為の対象にしていたという。エプスタインは政治家、有力者、著名人らと人脈が幅広く、自殺を装った口封じの他殺との憶測も流れた。
アンドリュー王子もエプスタインも未成年者を性行為の対象にしていたことが問題視されているのだが、成熟した裸の女性に囲まれる「ブンガブンガ」と呼ばれる乱行パーティーを開催していたのが伊ベルルスコーニ首相。女性たちは首相を「その気」にさせようと競い合っていると伊メディアが報じ、未成年女性が参加していたことがあったと起訴された。
アンドリュー王子はエリザベス女王の次男(第三子。長男が王位継承順1位のチャールズ皇太子)。エプスタインと初めて会ったのは1999年と話し、エプスタインが未成年を売春に勧誘・斡旋した罪で有罪を認めた後も交友を続け、当時から批判されていた。交友を続けたのは国際ビジネスについて知りたかったからだとアンドリュー王子は説明している。
エプスタインはヘッジファンドを経営して財を築き、遺言書にあった財産は約5億8000万ドルだったという。エプスタインは邸宅などに招き入れた未成年女性との性行為で報酬を支払っていて、勧誘先は米国内にとどまらず欧州や南米にも及んでいたとされる。金銭が伴っているのだから国際ビジネスであったのは間違いないが、アンドリュー王子が学びたかった国際ビジネスだったかどうかは不明だ。
アンドリュー王子が運営する事業から出資企業の撤退が相次ぎ、大学学長などの名誉職にも批判が高まっていて、社会の表舞台から引退を余儀なくされるのは避けがたいように見える。自らの不行状の報いではあるのだが、王位継承権を喪失したならアンドリュー氏は、ただの好色漢に過ぎない。それも一つの人生ではあるが、地位と名誉を失っても手にするほどの価値ある立場だったのか。
BBCのインタビューに応じたアンドリュー王子は、米富豪ジェフリー・エプスタインと親交があったことやエプスタイン宅に滞在したことは認めたものの、未成年女性と性行為を行ったとの疑惑については、会った記憶がないと否定し、エプスタインの私有地の島で複数の若い女性と性交したことなども否定した。
米富豪エプスタインは08年、司法取引に応じて未成年者買春の罪を認め、禁錮1年半の有罪判決を受けた。19年7月には、未成年者の性的人身取引容疑で再逮捕され、拘置所内で首吊り自殺した。訴状によると、エプスタインはニューヨーク市マンハッタンとフロリダ州の邸宅に未成年を引き入れ、性行為の対象にしていたという。エプスタインは政治家、有力者、著名人らと人脈が幅広く、自殺を装った口封じの他殺との憶測も流れた。
アンドリュー王子もエプスタインも未成年者を性行為の対象にしていたことが問題視されているのだが、成熟した裸の女性に囲まれる「ブンガブンガ」と呼ばれる乱行パーティーを開催していたのが伊ベルルスコーニ首相。女性たちは首相を「その気」にさせようと競い合っていると伊メディアが報じ、未成年女性が参加していたことがあったと起訴された。
アンドリュー王子はエリザベス女王の次男(第三子。長男が王位継承順1位のチャールズ皇太子)。エプスタインと初めて会ったのは1999年と話し、エプスタインが未成年を売春に勧誘・斡旋した罪で有罪を認めた後も交友を続け、当時から批判されていた。交友を続けたのは国際ビジネスについて知りたかったからだとアンドリュー王子は説明している。
エプスタインはヘッジファンドを経営して財を築き、遺言書にあった財産は約5億8000万ドルだったという。エプスタインは邸宅などに招き入れた未成年女性との性行為で報酬を支払っていて、勧誘先は米国内にとどまらず欧州や南米にも及んでいたとされる。金銭が伴っているのだから国際ビジネスであったのは間違いないが、アンドリュー王子が学びたかった国際ビジネスだったかどうかは不明だ。
アンドリュー王子が運営する事業から出資企業の撤退が相次ぎ、大学学長などの名誉職にも批判が高まっていて、社会の表舞台から引退を余儀なくされるのは避けがたいように見える。自らの不行状の報いではあるのだが、王位継承権を喪失したならアンドリュー氏は、ただの好色漢に過ぎない。それも一つの人生ではあるが、地位と名誉を失っても手にするほどの価値ある立場だったのか。
2019年11月30日土曜日
宙に浮く香港の民意
香港には18の区議会があり、主に公共交通や公共施設の運営、ゴミ回収など地域問題に関して行政に意見具申する諮問機関の役割で、何らの決定権も持っていない。そんな香港の区議会の選挙が世界的な注目を集めたのは、民主派から多くの立候補者があり、香港の「民意」が示されるとの観測からだった。
香港では首長の行政長官や立法会(議会)議員の選挙では立候補が制限され、実質的に親中派の支持を得た人物が有利となり、民主派は選挙以前に排除される。日本でも過去、大政翼賛会などが候補者を推薦する翼賛選挙があって軍部独裁を支えたが、中国共産党の締め付けが強まる香港では中国共産党体制翼賛の選挙が行われている。
その香港の区議会選挙で民主派が圧勝した。11月24日に行われた投票で、18区議会の計452議席のうち民主派が385議席、85%を獲得した。この選挙前の民主派の議席は約3割だったというから、この選挙を、長く続くデモに対する世論調査とみると、デモを支持する圧倒的な民意が示されたと判断できる。
民主派が区議会選挙で過半数を獲得したのは、1997年の英国から中国への返還後初めてという。得票率では民主派が57%、親中派41%だったが、小選挙区制度のため民主派が85%の議席を獲得した。投票率は前回の47%から71%に跳ね上がり、返還以来の直接選挙で過去最高。人々の関心が高まり、投票行動に人々が動いたことを示す。
香港で人々が選挙で意思表示することは制限されている。他の住民投票制度もなく、人々の意思=民意を表明する制度はない。大陸中国のように中国共産党の独裁統治に抑え込まれている人々なら、主権を持たない従順な「羊」として生きることに抵抗は少ないかもしれないが、香港の人々は英国の植民地統治の中で、人が自由に生きることの価値を知った。
香港の人々は政治への参加を求めている。だが、現在の香港の統治システムに民意を尊重する仕組みはない。憤った若者らはデモで政治への参加を要求するしか方法はない。だが、香港の政治を司る人々は大陸中国の共産党の指示に反する行動はできない。中国共産党も、世界が注視する中で厳しい弾圧を香港で行うことはできず、香港の人々の民意は宙に浮いたままだ。
自由選挙を行って、そこに示された民意に従って政治を行うという民主主義なら、政治の方向を転換することは容易だろう。だが、権力を占有して独裁する中国共産党が、民意に従うことは簡単ではなく、独裁を維持するためには民意を無視することが必要になる。諸悪の根源は独裁統治を続ける中国共産党にある。
香港では首長の行政長官や立法会(議会)議員の選挙では立候補が制限され、実質的に親中派の支持を得た人物が有利となり、民主派は選挙以前に排除される。日本でも過去、大政翼賛会などが候補者を推薦する翼賛選挙があって軍部独裁を支えたが、中国共産党の締め付けが強まる香港では中国共産党体制翼賛の選挙が行われている。
その香港の区議会選挙で民主派が圧勝した。11月24日に行われた投票で、18区議会の計452議席のうち民主派が385議席、85%を獲得した。この選挙前の民主派の議席は約3割だったというから、この選挙を、長く続くデモに対する世論調査とみると、デモを支持する圧倒的な民意が示されたと判断できる。
民主派が区議会選挙で過半数を獲得したのは、1997年の英国から中国への返還後初めてという。得票率では民主派が57%、親中派41%だったが、小選挙区制度のため民主派が85%の議席を獲得した。投票率は前回の47%から71%に跳ね上がり、返還以来の直接選挙で過去最高。人々の関心が高まり、投票行動に人々が動いたことを示す。
香港で人々が選挙で意思表示することは制限されている。他の住民投票制度もなく、人々の意思=民意を表明する制度はない。大陸中国のように中国共産党の独裁統治に抑え込まれている人々なら、主権を持たない従順な「羊」として生きることに抵抗は少ないかもしれないが、香港の人々は英国の植民地統治の中で、人が自由に生きることの価値を知った。
香港の人々は政治への参加を求めている。だが、現在の香港の統治システムに民意を尊重する仕組みはない。憤った若者らはデモで政治への参加を要求するしか方法はない。だが、香港の政治を司る人々は大陸中国の共産党の指示に反する行動はできない。中国共産党も、世界が注視する中で厳しい弾圧を香港で行うことはできず、香港の人々の民意は宙に浮いたままだ。
自由選挙を行って、そこに示された民意に従って政治を行うという民主主義なら、政治の方向を転換することは容易だろう。だが、権力を占有して独裁する中国共産党が、民意に従うことは簡単ではなく、独裁を維持するためには民意を無視することが必要になる。諸悪の根源は独裁統治を続ける中国共産党にある。
2019年11月27日水曜日
少ない女性議員数
世界の議会(1院制または下院。日本では衆院)における女性議員の比率は24.3%だが、日本は10.2%と世界平均の半分にも及ばず、193カ国中165位だったという(2019年1月現在。列国議会同盟)。これはG7中で最も少なく、G20の中でも最下位となる。
また、日本の地方議会1788の女性議員の比率は12.9%だから衆院より若干多いものの、地方議会のうち約2割には女性議員が存在しないという(2017年12月現在)。青森県では48.8%とほぼ半数の地方議会に女性議員が存在せず、東京都では9.5%の地方議会に女性議員が存在しない。
女性議員が国政でも地方議会でも少なすぎると問題視し、女性議員を増やさなければならないとして2018年5月、「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が施行された。これは、国会や地方の議会選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に努力を求めるもの。ただし、政党に対する強制力はない。
努力義務というものは現実では無視されるものだ。つまり、国会議員は本気で女性議員を増やそうとはしていない(女性議員の「枠」を増やせば、その分だけ男性議員が減る)。これは、女性議員を増やさなければならないとの意識が実は強いものではないことを示す。
女性議員が少ないことの問題点として、女性の立場からの意見が議会に反映されないことが挙げられる。だが、個人の女性議員が女性の立場を必ず代表しているとは言えないし、女性議員が女性の地位向上を最優先するとの確証はない。自己の利益を最優先して行動する男性議員が多いように、女性議員も自己の利益を最優先するだろう。
女性議員にだけ女性の意識を優先して行動することを求めるのは個人の軽視であり、個としての女性を尊重しない差別意識から来る思考だろう。女性を尊重している口ぶりではあっても、数合わせだけのために女性議員を増やすことは、おそらく日本の民主主義に寄与するものは少ない。
国際比較では日本は女性議員が少ないとされ、日本における女性の社会的地位が低いことの証左であるとの印象を拭うために、女性議員を増やさなければと反応しているように見える。だが、女性が立候補できない制度なら改革すべきだが、意欲ある女性の立候補を日本は制限していない。立候補に消極的な女性を議員にすることに、どのような意義があるのか。
現在の政治は男性主導で行われており、女性の政界進出に制約があるのは事実だろう。議員としての能力は、おそらく性別差よりも個人差のほうが大きいだろうから、政党が候補者をもっと厳しく選別することで結果として女性議員が増えるなら、現在の政治風土の改革につながるだろう。ただし、問題行動が明るみに出る男性議員が多いのだが、女性議員が同様の問題行動をしないとの保証はない。
また、日本の地方議会1788の女性議員の比率は12.9%だから衆院より若干多いものの、地方議会のうち約2割には女性議員が存在しないという(2017年12月現在)。青森県では48.8%とほぼ半数の地方議会に女性議員が存在せず、東京都では9.5%の地方議会に女性議員が存在しない。
女性議員が国政でも地方議会でも少なすぎると問題視し、女性議員を増やさなければならないとして2018年5月、「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が施行された。これは、国会や地方の議会選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に努力を求めるもの。ただし、政党に対する強制力はない。
努力義務というものは現実では無視されるものだ。つまり、国会議員は本気で女性議員を増やそうとはしていない(女性議員の「枠」を増やせば、その分だけ男性議員が減る)。これは、女性議員を増やさなければならないとの意識が実は強いものではないことを示す。
女性議員が少ないことの問題点として、女性の立場からの意見が議会に反映されないことが挙げられる。だが、個人の女性議員が女性の立場を必ず代表しているとは言えないし、女性議員が女性の地位向上を最優先するとの確証はない。自己の利益を最優先して行動する男性議員が多いように、女性議員も自己の利益を最優先するだろう。
女性議員にだけ女性の意識を優先して行動することを求めるのは個人の軽視であり、個としての女性を尊重しない差別意識から来る思考だろう。女性を尊重している口ぶりではあっても、数合わせだけのために女性議員を増やすことは、おそらく日本の民主主義に寄与するものは少ない。
国際比較では日本は女性議員が少ないとされ、日本における女性の社会的地位が低いことの証左であるとの印象を拭うために、女性議員を増やさなければと反応しているように見える。だが、女性が立候補できない制度なら改革すべきだが、意欲ある女性の立候補を日本は制限していない。立候補に消極的な女性を議員にすることに、どのような意義があるのか。
現在の政治は男性主導で行われており、女性の政界進出に制約があるのは事実だろう。議員としての能力は、おそらく性別差よりも個人差のほうが大きいだろうから、政党が候補者をもっと厳しく選別することで結果として女性議員が増えるなら、現在の政治風土の改革につながるだろう。ただし、問題行動が明るみに出る男性議員が多いのだが、女性議員が同様の問題行動をしないとの保証はない。
2019年11月23日土曜日
アイデンティティ政治
アイデンティティ政治とは、「あるグループが尊厳をもって、周囲の社会に適切に認識されていないという主張に基づいて行われる政治」と米フランシス・フクヤマ氏は定義し、「ナショナリズムや宗教的な過激主義にも直結する、民主主義の最大の脅威だ」とする。
何かのアイデンティティを共有する人々がグループ(集団)を形成し、もっと正当に扱われることを要求して、社会から受けている不利益の是正を求めて政治的な行動をする……これは、昔から存在した行動であり、大規模になると、強権的な支配に対する不満を共有する民衆が立ち上がって政権を転覆させる革命になる。
強権的な支配に対する不満は幅広い人々に共有されるので、帰属意識としてのアイデンティティでは最も間口が広いものだろう。階級意識も間口の広いアイデンティティだったが、労働者階級の独裁=共産党の独裁と奇妙な論理が持ち込まれたこともあって、階級意識をアイデンティティの対象とすることは廃れた。
アイデンティティ政治におけるアイデンティティとは宗教や民族、人種、性的指向などに帰属意識を求めることだ。これらは出生や成育過程で個人に付与されたり、個人が獲得するものであり、特定のグループ(集団)に個人が同化する傾向にある。
フクヤマ氏は「アイデンティティを宗教や人種、民族に求める時、民主的な政治にとって非常に大きな問題が起こる」とし、「アイデンティティ政治家たちは特定集団の代弁者となるために、民主主義を支える機構である裁判所、メディア、野党などを忌み嫌う」と、アイデンティティ政治の危険性を指摘する。
人々が宗教や民族などにアイデンティティを求める結果として、多様化が進む社会では分断と対立が先鋭化したりする。なぜ人はアイデンティティを求めるのか。おそらく自己の存在が肯定される何かを自己の外部に求めるからだろう。民主主義社会で宗教や民族などをアイデンティティとする集団に細分化されるほど、民主主義は機能不全に見えてくる。
米国でトランプ氏の支持層として注目されたのが、製造業が衰退した地域で暮らす中低所得の白人だ。白人というアイデンティティに、政治的・経済的に不当な扱いを受けているとの認識が加わり、アイデンティティ政治の対象となる集団として認知された。アイデンティティ政治は分断や対立を明確化させるが、民主主義に付随するものだ。人々の多様な自己主張が尊重されるのが民主主義だから。
何かのアイデンティティを共有する人々がグループ(集団)を形成し、もっと正当に扱われることを要求して、社会から受けている不利益の是正を求めて政治的な行動をする……これは、昔から存在した行動であり、大規模になると、強権的な支配に対する不満を共有する民衆が立ち上がって政権を転覆させる革命になる。
強権的な支配に対する不満は幅広い人々に共有されるので、帰属意識としてのアイデンティティでは最も間口が広いものだろう。階級意識も間口の広いアイデンティティだったが、労働者階級の独裁=共産党の独裁と奇妙な論理が持ち込まれたこともあって、階級意識をアイデンティティの対象とすることは廃れた。
アイデンティティ政治におけるアイデンティティとは宗教や民族、人種、性的指向などに帰属意識を求めることだ。これらは出生や成育過程で個人に付与されたり、個人が獲得するものであり、特定のグループ(集団)に個人が同化する傾向にある。
フクヤマ氏は「アイデンティティを宗教や人種、民族に求める時、民主的な政治にとって非常に大きな問題が起こる」とし、「アイデンティティ政治家たちは特定集団の代弁者となるために、民主主義を支える機構である裁判所、メディア、野党などを忌み嫌う」と、アイデンティティ政治の危険性を指摘する。
人々が宗教や民族などにアイデンティティを求める結果として、多様化が進む社会では分断と対立が先鋭化したりする。なぜ人はアイデンティティを求めるのか。おそらく自己の存在が肯定される何かを自己の外部に求めるからだろう。民主主義社会で宗教や民族などをアイデンティティとする集団に細分化されるほど、民主主義は機能不全に見えてくる。
米国でトランプ氏の支持層として注目されたのが、製造業が衰退した地域で暮らす中低所得の白人だ。白人というアイデンティティに、政治的・経済的に不当な扱いを受けているとの認識が加わり、アイデンティティ政治の対象となる集団として認知された。アイデンティティ政治は分断や対立を明確化させるが、民主主義に付随するものだ。人々の多様な自己主張が尊重されるのが民主主義だから。
2019年11月20日水曜日
世界各地でデモ
香港で続いているデモは逃亡犯条例の改正案に反対するものとして始まり、「五大要求」を掲げる抗議活動に発展した。五大要求は▽逃亡犯条例改正案の正式撤回▽抗議行動の「暴動」認定の取り消し▽逮捕されたデモ参加者全員への恩赦▽警察の暴力に関する独立調査委員会の設置▽直接選挙の実現。逃亡犯条例改正案は正式に撤回されたが、他の要求は実現していない。
イラクでは10月に始まった反政府デモと治安部隊の衝突で300人以上の死者が出ている(負傷者は6000人以上)。ISの勢力が衰え治安が改善して平和になったものの、各種インフラの復旧は進まず、生活は楽にならず、物価は上がり、汚職や腐敗が蔓延し、武装グループは各地に存在している。
一連のデモの背後には特定の宗派や政党はおらず、指導者もいないという。失業や生活苦、政権の腐敗などに抗議する運動としてデモが始まり、各地に広がった。首都ベイルートでは数十万人規模となったが、政府に批判的だったスンニ派住民だけでなく、シーア派住民も数多く参加し、批判はイラク政府に影響力を行使するイランにも向けられているという。
レバノンでは、無料だった通信アプリに課税する政府発表に若者が反発、反政府デモに発展した。経済の低迷が続くレバノンで若者は失業や汚職に不満を持ち、政府や統治制度の抜本的な改革を求めているという。数十万人規模になったデモ隊は治安部隊と衝突した。デモ隊は、レバノンで多大な影響力を有するヒズボラに対する批判も隠さないという。デモに指導者がいないことはイラクのデモと共通する。
レバノンは国政選挙で宗教・宗派ごとに議席を割りあて、大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決まっていて、宗教や宗派のバランスを固定している。膠着状態が固定された政治と低迷する経済の中で、ヒズボラが社会に大きな影響力を持つとともに、各種の利権を握るという。
チリでは、地下鉄運賃引き上げへの抗議として始まったデモが拡大、生活費の高騰や経済的な不平等などに対する是正を求め、約100万人が参加するなどチリ史上で最大規模のデモに発展した。一部が過激化し、治安部隊と衝突、駅やビル、警察署などが燃やされたりし、首都には非常事態宣言が出された。死者は20人を超すという。
デモ隊に退陣を要求されたチリのピニェラ大統領は、地下鉄運賃の値上げ撤回や内閣の一新、独裁政権時に制定された憲法の改正草案の作成などを発表した。チリは南米で最も安定した富裕国とみなされていたが、非正規雇用が多く賃金格差が大きいなど、人々が抱える不満は高まっていて、改革を求める機運が高まっていたのだろう。
世界の多くの国で人々が抗議運動に参加している。共通するのは①主導的な集団や指導者が不在、②SNSで情報を共有、③若者らがまず動き始める、④一部が過激化。自然発生的に抗議運動が始まり、やがて様々な要求・不満を取り込んで参加者が拡大していると見える。だが、大きな相違点もある。香港のデモの本質は人々が主権を求める行動だが、他国のデモは主権者である人々が様々な改革を要求する意思表示だ。
イラクでは10月に始まった反政府デモと治安部隊の衝突で300人以上の死者が出ている(負傷者は6000人以上)。ISの勢力が衰え治安が改善して平和になったものの、各種インフラの復旧は進まず、生活は楽にならず、物価は上がり、汚職や腐敗が蔓延し、武装グループは各地に存在している。
一連のデモの背後には特定の宗派や政党はおらず、指導者もいないという。失業や生活苦、政権の腐敗などに抗議する運動としてデモが始まり、各地に広がった。首都ベイルートでは数十万人規模となったが、政府に批判的だったスンニ派住民だけでなく、シーア派住民も数多く参加し、批判はイラク政府に影響力を行使するイランにも向けられているという。
レバノンでは、無料だった通信アプリに課税する政府発表に若者が反発、反政府デモに発展した。経済の低迷が続くレバノンで若者は失業や汚職に不満を持ち、政府や統治制度の抜本的な改革を求めているという。数十万人規模になったデモ隊は治安部隊と衝突した。デモ隊は、レバノンで多大な影響力を有するヒズボラに対する批判も隠さないという。デモに指導者がいないことはイラクのデモと共通する。
レバノンは国政選挙で宗教・宗派ごとに議席を割りあて、大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決まっていて、宗教や宗派のバランスを固定している。膠着状態が固定された政治と低迷する経済の中で、ヒズボラが社会に大きな影響力を持つとともに、各種の利権を握るという。
チリでは、地下鉄運賃引き上げへの抗議として始まったデモが拡大、生活費の高騰や経済的な不平等などに対する是正を求め、約100万人が参加するなどチリ史上で最大規模のデモに発展した。一部が過激化し、治安部隊と衝突、駅やビル、警察署などが燃やされたりし、首都には非常事態宣言が出された。死者は20人を超すという。
デモ隊に退陣を要求されたチリのピニェラ大統領は、地下鉄運賃の値上げ撤回や内閣の一新、独裁政権時に制定された憲法の改正草案の作成などを発表した。チリは南米で最も安定した富裕国とみなされていたが、非正規雇用が多く賃金格差が大きいなど、人々が抱える不満は高まっていて、改革を求める機運が高まっていたのだろう。
世界の多くの国で人々が抗議運動に参加している。共通するのは①主導的な集団や指導者が不在、②SNSで情報を共有、③若者らがまず動き始める、④一部が過激化。自然発生的に抗議運動が始まり、やがて様々な要求・不満を取り込んで参加者が拡大していると見える。だが、大きな相違点もある。香港のデモの本質は人々が主権を求める行動だが、他国のデモは主権者である人々が様々な改革を要求する意思表示だ。
2019年11月16日土曜日
絶対の真理なのか
鉄やアルミ、銅、亜鉛など卑金属を貴金属に転換する技術などを探求する錬金術は欧州などで14〜15世紀に盛んだった。金属の種類を変える技術を確立しようとニュートンらも研究に没頭したという。多くの実験手法や化学的知識が発見された功績は残ったものの、現在では錬金術は疑似科学とされる。だが、当時は最先端の科学の試みであった。
当時は原子や原子核の構造が未解明で、錬金術師は金属を作り替えようと研究に没頭し、黒魔術などに加えカトリック、ユダヤ教、イスラム教などの宗教的信念とも錬金術が結びついて、人間が物質を変化させることができると研究に励んだ。おそらく、そうした研究者は最先端をいく科学者で、真理に近づく試みだと社会は受け止めていた。
真理を探求するのが科学であるとの受け止め方は現代でも珍しくなく、科学者の主張は絶対の真理であるかのように信じる人もいる。だが、科学は試行錯誤の積み重ねの歴史である。新しい知見が得られることで、それ以前の科学的な了解事項が覆されることは、錬金術や天動説などの例に見られるように何度も起きている。
常に上書きされ続けるのが科学であると理解すれば、科学的な真理も絶対的な存在ではないと見えてくる。だから、科学とは観察される事象を合理的に説明する体系であるとする科学者の言葉が説得力を持つ。新たな事象が観察されたりすると、新たな理論が必要になり、それまで正しいと理解されていた理論は色あせる。
例えば、膨張する宇宙の未来は①膨張を続ける、②膨張が止まり平衡状態になる、③膨張が止まると縮小に転じる、のどれかだと考えられていた。だが、宇宙の膨張は加速していることが精密な観測で明らかになり、①(膨張を続ける)が現在では主流の考えとなっている。膨張させているエネルギーが何かが未知なので「宇宙は膨張を続ける」が絶対の真理であるのかは定かではない。
絶対の真理とみなされるものに聖書やコーランなど聖典がある。伝えられる預言者の言葉は、正しいこと=絶対の真理と信者は受け止め、信仰する。ここでは絶対の真理は客観的な検証を拒否するものであり、絶対の真理を100%受け入れることが宗教行為として現れる。時には、絶対の真理とする宗教を支えとして人間は他者に対して非寛容になることは歴史が示している。
科学が示す「真理」は、客観的な検証に常に試される。常に不安定であるのが科学的な「真理」であるのだが、宗教の「真理」と同様に絶対的な存在であるとする人々が世界にはけっこう多く存在しているようだ。科学者の主張に沿って世界を作り替えようとする動きが勢いを増している。科学が示す「真理」を武器のように振り回しているとも見え、危機感を声高に言い立てることで、そうした主張を正当化する。
当時は原子や原子核の構造が未解明で、錬金術師は金属を作り替えようと研究に没頭し、黒魔術などに加えカトリック、ユダヤ教、イスラム教などの宗教的信念とも錬金術が結びついて、人間が物質を変化させることができると研究に励んだ。おそらく、そうした研究者は最先端をいく科学者で、真理に近づく試みだと社会は受け止めていた。
真理を探求するのが科学であるとの受け止め方は現代でも珍しくなく、科学者の主張は絶対の真理であるかのように信じる人もいる。だが、科学は試行錯誤の積み重ねの歴史である。新しい知見が得られることで、それ以前の科学的な了解事項が覆されることは、錬金術や天動説などの例に見られるように何度も起きている。
常に上書きされ続けるのが科学であると理解すれば、科学的な真理も絶対的な存在ではないと見えてくる。だから、科学とは観察される事象を合理的に説明する体系であるとする科学者の言葉が説得力を持つ。新たな事象が観察されたりすると、新たな理論が必要になり、それまで正しいと理解されていた理論は色あせる。
例えば、膨張する宇宙の未来は①膨張を続ける、②膨張が止まり平衡状態になる、③膨張が止まると縮小に転じる、のどれかだと考えられていた。だが、宇宙の膨張は加速していることが精密な観測で明らかになり、①(膨張を続ける)が現在では主流の考えとなっている。膨張させているエネルギーが何かが未知なので「宇宙は膨張を続ける」が絶対の真理であるのかは定かではない。
絶対の真理とみなされるものに聖書やコーランなど聖典がある。伝えられる預言者の言葉は、正しいこと=絶対の真理と信者は受け止め、信仰する。ここでは絶対の真理は客観的な検証を拒否するものであり、絶対の真理を100%受け入れることが宗教行為として現れる。時には、絶対の真理とする宗教を支えとして人間は他者に対して非寛容になることは歴史が示している。
科学が示す「真理」は、客観的な検証に常に試される。常に不安定であるのが科学的な「真理」であるのだが、宗教の「真理」と同様に絶対的な存在であるとする人々が世界にはけっこう多く存在しているようだ。科学者の主張に沿って世界を作り替えようとする動きが勢いを増している。科学が示す「真理」を武器のように振り回しているとも見え、危機感を声高に言い立てることで、そうした主張を正当化する。
2019年11月13日水曜日
時代相の反映
「歌は世につれ、世は歌につれ」と流行歌は世相を反映していると見なされ、過去の時代を描写する記事や著作などで当時の流行歌の歌詞が引用されることは珍しくない。その歌を知らなくても歌詞を読むだけで何らかのイメージが湧き出るように感じたりするので、流行歌の歌詞には時代の伝承という意外な役割がある。
とはいえ数多くの新曲が売り出されては消えて行く中で、どれが、その時代の世相を反映しているのか判断するのは困難だ。ヒットしたり長く歌い継がれた曲の中から後の世になって、時代の流れを見いだしつつ、関連がありそうな歌詞の曲を選んで関係づけているのが実際だ。
世相を反映するといっても、記事や著作などで引用されるのは歌詞の一部だけで、しかも反映しているのは時代の一部だけだったりする。書き手の意向次第で自由に曲を選択し、歌詞を配置できるので、曲や歌詞が書き手に都合よく利用されている気配だが、読者が共感を持って読むのだとすれば、説得力はあるのだろう。
流行歌の作り手は、時代を反映させようと意図しているわけではないだろうし、時代を反映させようと作っても歌い継がれなければ消えるだけだ。それに、下手な時代批評や時代をなぞる文言は、流行歌ファンをしらけさせたりし、たちまち色あせたりする。
作り手の発想に無意識のうちに影響を与えるのが時代の流れだろうが、時代の流れは様々あって複雑だ。いろいろな時代の流れを解釈次第で導き出すことができようが、そうした解釈を補強する材料として、論旨に即した流行歌の歌詞を引用することは書き手にとって便利だ。
現代の流行歌の歌詞も世相を反映しているのだろうか。ラップ調の曲が増えて歌詞の量も大幅に増えたので、時代を反映する歌詞を見つけるのは簡単そうだが、歌い継がれるラップが存在するか定かではない。パフォーマンスとしてのラップは時代を反映しているだろうが、個人のパフォーマンスは受け継がれていくものではない。
現代は、歌詞を自作する歌手が増えた時代でもある。それが歌詞の表現を多彩で豊かにしているかどうか判断しかねるが、それらの歌詞から、どのような時代の流れを後の世の人が引き出すのか。知りたいものだが、今の時代の流れの中にいる現代人には見分けが難しい。
とはいえ数多くの新曲が売り出されては消えて行く中で、どれが、その時代の世相を反映しているのか判断するのは困難だ。ヒットしたり長く歌い継がれた曲の中から後の世になって、時代の流れを見いだしつつ、関連がありそうな歌詞の曲を選んで関係づけているのが実際だ。
世相を反映するといっても、記事や著作などで引用されるのは歌詞の一部だけで、しかも反映しているのは時代の一部だけだったりする。書き手の意向次第で自由に曲を選択し、歌詞を配置できるので、曲や歌詞が書き手に都合よく利用されている気配だが、読者が共感を持って読むのだとすれば、説得力はあるのだろう。
流行歌の作り手は、時代を反映させようと意図しているわけではないだろうし、時代を反映させようと作っても歌い継がれなければ消えるだけだ。それに、下手な時代批評や時代をなぞる文言は、流行歌ファンをしらけさせたりし、たちまち色あせたりする。
作り手の発想に無意識のうちに影響を与えるのが時代の流れだろうが、時代の流れは様々あって複雑だ。いろいろな時代の流れを解釈次第で導き出すことができようが、そうした解釈を補強する材料として、論旨に即した流行歌の歌詞を引用することは書き手にとって便利だ。
現代の流行歌の歌詞も世相を反映しているのだろうか。ラップ調の曲が増えて歌詞の量も大幅に増えたので、時代を反映する歌詞を見つけるのは簡単そうだが、歌い継がれるラップが存在するか定かではない。パフォーマンスとしてのラップは時代を反映しているだろうが、個人のパフォーマンスは受け継がれていくものではない。
現代は、歌詞を自作する歌手が増えた時代でもある。それが歌詞の表現を多彩で豊かにしているかどうか判断しかねるが、それらの歌詞から、どのような時代の流れを後の世の人が引き出すのか。知りたいものだが、今の時代の流れの中にいる現代人には見分けが難しい。
2019年11月9日土曜日
特異な体型
人間の体型は痩せ型から肥満型まで幅広く、手足の長短、頭や顔の大きさなどが組み合わされて個性が形成される。体型には標準型とされるものがあるが、その数値は大量の測定結果の平均値で決めるしかない(標準値には客観性が不可欠)。
体型が問題とされるのは、健康との関連で疾病のリスクが高まると懸念される場合で、肥満などの改善が医者から求められたりする。スポーツ選手にも肥満型の体型に見える人がいるが、脂肪による肥満ではなく、トレーニングで筋肉が増えた結果だろう。
スポーツによって鍛えるべき筋肉の部位は異なる。水泳のように全身運動なら全身の筋肉が均等に発達するだろうが、スポーツによっては特定の部位の筋肉が際立って発達することは珍しくなく、また、体重が重いほうが有利になるなら太ることを厭わなかったりする。
そうして形成されたスポーツ選手の体型は一見、標準体型からかけ離れた特異なものとなる。勝つために最適な部位の筋肉を鍛えたという目的合理性を追求した結果だが、スポーツ選手だと認識しない人には、そうした特異な体型が奇異に見えたり、単なる肥満体型などと誤解されるかもしれない。
勝つために筋肉などで肥大させた肉体を持つスポーツ選手の代表格は力士だ。全体の筋肉が均等に発達した力士もいるが、体重を増やすために肉体が膨張し、かなりの肥満体型に見える力士も多い。取り組みでは俊敏に動き、凄まじい力を見せ、脂肪に満ちた肥満体型ではなく、鍛え上げた肉体であることを示す。
だが、力士をはじめスポーツ選手は、鍛えた肉体で勝利を得る一方、衰えや負傷など肉体の衰弱とともに勝利は遠ざかる。引退ともなれば、残るのは特異に発達した肉体であり、激しいスポーツを離れた平穏な日常では、そうした肉体は無用の長物と化す。
スポーツの世界に最適な肉体は、日常の世界に置かれると標準を逸脱した特異な体型となる。もちろん、どんな体型であっても個人としての尊厳が損なわれることはないが、もう勝利を目指すことがないのだから、無用で過剰な筋肉をまとった肉体となる。
体型が問題とされるのは、健康との関連で疾病のリスクが高まると懸念される場合で、肥満などの改善が医者から求められたりする。スポーツ選手にも肥満型の体型に見える人がいるが、脂肪による肥満ではなく、トレーニングで筋肉が増えた結果だろう。
スポーツによって鍛えるべき筋肉の部位は異なる。水泳のように全身運動なら全身の筋肉が均等に発達するだろうが、スポーツによっては特定の部位の筋肉が際立って発達することは珍しくなく、また、体重が重いほうが有利になるなら太ることを厭わなかったりする。
そうして形成されたスポーツ選手の体型は一見、標準体型からかけ離れた特異なものとなる。勝つために最適な部位の筋肉を鍛えたという目的合理性を追求した結果だが、スポーツ選手だと認識しない人には、そうした特異な体型が奇異に見えたり、単なる肥満体型などと誤解されるかもしれない。
勝つために筋肉などで肥大させた肉体を持つスポーツ選手の代表格は力士だ。全体の筋肉が均等に発達した力士もいるが、体重を増やすために肉体が膨張し、かなりの肥満体型に見える力士も多い。取り組みでは俊敏に動き、凄まじい力を見せ、脂肪に満ちた肥満体型ではなく、鍛え上げた肉体であることを示す。
だが、力士をはじめスポーツ選手は、鍛えた肉体で勝利を得る一方、衰えや負傷など肉体の衰弱とともに勝利は遠ざかる。引退ともなれば、残るのは特異に発達した肉体であり、激しいスポーツを離れた平穏な日常では、そうした肉体は無用の長物と化す。
スポーツの世界に最適な肉体は、日常の世界に置かれると標準を逸脱した特異な体型となる。もちろん、どんな体型であっても個人としての尊厳が損なわれることはないが、もう勝利を目指すことがないのだから、無用で過剰な筋肉をまとった肉体となる。
2019年11月6日水曜日
英語教育の目的は何か
日本政府は英語教育に熱心だ。経済界からの要請なのか、英語を駆使してグローバルに活躍できる日本人を増やそうと躍起になっているように見える。読み書きに加え、聞いて話す能力も高めなければならないと、あれこれと制度をいじる。
日本政府が英語教育に熱心になるのは、実質的な世界共通語に最も近くなったという英語の位置づけの変化が影響している。経済がグローバル化し、インターネットが世界を結ぶ現在、企業は初めから新入社員に相応の英語能力を要求する。そのために英語教育で多くの学生に「使える」英語を身につけさせることが必要になったと見える。
一方で、日本語という独自の言語による高度な文明を築いている日本では、日常において英語の必要性は乏しく、英語の高度能力は必要な人だけが習得すればいいとの考えもある(商売や学問などで英語が必要な人は日本では1割程度だともいう)。英語に流暢な日本人が増えれば外国からの観光客を歓待するために役立つだろうが、日本人が皆、観光ガイドになる必要はない。
英語教育の目的は何か。実用的な語学能力を習得することであるなら、語学学校がある。教育制度をいじるより、語学学校へ学生・生徒を通わせることに助成するほうが効果的かもしれない。大学や高校を語学学校にしたいのなら、入試よりもカリキュラムを全面的に変えたほうがいい。
英語教育の目的が揺らぎ、経済界などからの要望に影響されたため、あれこれと制度をいじることが続いていると見える。英語教育の目的が揺らいでいるから、過去の英語教育が効果を上げなかったと映り、その原因を調査・分析するにも視点が定まらない。あれこれ改正点を打ち出しても、目的が揺らいでいるから対処療法で済ますだけ。
学校教育で英語を習得できないことは批判されたり揶揄されたりするが、日本語の読解力や数学などの基礎的学力に乏しい学生・生徒は珍しくないとも言われる。だが、嘆かれるだけで、学校教育の見直しを要求する声は経済界などから明確には上がらない。英語教育の「成果」は見えやすいから、経済界などからの要求が強まるのだろう。
言語を身につけるには「習うより慣れろ」が有効だという。好きなハリウッド映画を繰り返し観たり、ビートルズの歌を全曲覚えて、聴く力・話す力を身につけた人もいる。学校教育をあれこれいじるよりも、地上波テレビに米国放送局の参入を認め、そのまま番組を放映させて誰でも英語に日常的に接する機会を広げたほうが、効果があるかもしれない(日本の植民地化を促進するとの批判が出てきそうだが)。
日本政府が英語教育に熱心になるのは、実質的な世界共通語に最も近くなったという英語の位置づけの変化が影響している。経済がグローバル化し、インターネットが世界を結ぶ現在、企業は初めから新入社員に相応の英語能力を要求する。そのために英語教育で多くの学生に「使える」英語を身につけさせることが必要になったと見える。
一方で、日本語という独自の言語による高度な文明を築いている日本では、日常において英語の必要性は乏しく、英語の高度能力は必要な人だけが習得すればいいとの考えもある(商売や学問などで英語が必要な人は日本では1割程度だともいう)。英語に流暢な日本人が増えれば外国からの観光客を歓待するために役立つだろうが、日本人が皆、観光ガイドになる必要はない。
英語教育の目的は何か。実用的な語学能力を習得することであるなら、語学学校がある。教育制度をいじるより、語学学校へ学生・生徒を通わせることに助成するほうが効果的かもしれない。大学や高校を語学学校にしたいのなら、入試よりもカリキュラムを全面的に変えたほうがいい。
英語教育の目的が揺らぎ、経済界などからの要望に影響されたため、あれこれと制度をいじることが続いていると見える。英語教育の目的が揺らいでいるから、過去の英語教育が効果を上げなかったと映り、その原因を調査・分析するにも視点が定まらない。あれこれ改正点を打ち出しても、目的が揺らいでいるから対処療法で済ますだけ。
学校教育で英語を習得できないことは批判されたり揶揄されたりするが、日本語の読解力や数学などの基礎的学力に乏しい学生・生徒は珍しくないとも言われる。だが、嘆かれるだけで、学校教育の見直しを要求する声は経済界などから明確には上がらない。英語教育の「成果」は見えやすいから、経済界などからの要求が強まるのだろう。
言語を身につけるには「習うより慣れろ」が有効だという。好きなハリウッド映画を繰り返し観たり、ビートルズの歌を全曲覚えて、聴く力・話す力を身につけた人もいる。学校教育をあれこれいじるよりも、地上波テレビに米国放送局の参入を認め、そのまま番組を放映させて誰でも英語に日常的に接する機会を広げたほうが、効果があるかもしれない(日本の植民地化を促進するとの批判が出てきそうだが)。
2019年11月2日土曜日
青函トンネルを移譲
JR北海道の経営不振は有名だ。全区間が赤字だが、鉄路の維持管理に要する多額の費用を削減することはできず、関連事業も頭打ち。2019年3月期の連結決算では最終損益が179億円の赤字で3期連続の最終赤字(売上高にあたる営業収益は1710億円)。放ってはおけないと国はJR北海道に19~20年度の2年間で総額400億円規模の財政支援をする。
最も赤字額が大きかったのは、乗車率が24%だった北海道新幹線で95億円。この乗車率は他の新幹線などと比べ低いように見えるが、乗客数で見ると、青函トンネルを特急が走っていた以前と比べて大差はない。つまり、この区間の鉄道利用の需要は、たいして増えても減ってもいない。
開業している北海道新幹線は、新青森〜新函館北斗間の約150キロ(札幌まで開業するのは2030年度末)。東京方面からきた東北新幹線は新青森から先はJR北海道の管理する区間を走る。駅は新青森〜奥津軽いまべつ〜木古内〜新函館北斗で、青函トンネルは奥津軽いまべつ〜木古内の間にある。青函トンネルの維持管理のためのJR北海道の負担額は年間41億円という。
青函トンネルは貨物列車も走り、その本数は北海道新幹線の約2倍になる。北海道各地で収穫される大量の農産物などを本州へ移送する大切なルートだ。軌道幅が異なるため青函トンネル区間では、貨物列車用の2本のレールの外側に新幹線用のレールを1本加えた三線軌条となり、すれ違いなどを考慮して青函トンネル区間では北海道新幹線の最高速度は抑えられ、高速列車という新幹線の利点が消されている。
青函トンネルは、北海道側から見れば本州への入り口(=北海道からの出口)であり、本州側から見れば北海道への入り口である。利用状況からすると、本州への入り口としての役割が大きいので北海道側の負担とし、JR北海道が維持管理を担当していることに不思議はないのだが、JR北海道の経営不振を考えると、青函トンネルの維持管理をJR東日本に移すことも考慮に値しよう。
その場合の問題点は、第一に北海道新幹線がJR東日本に移る、第二にJR東日本には負担増が大きく利点が少ない。後者については、新函館北斗駅までがJR東日本の区間になることで、首都圏などからの北海道観光を多彩に展開でき、東北の観光地と組み合わせたり、多様な観光列車を企画したりと集客を図ることができよう。北海道という人気観光目的地をJR東日本が自在に活用できる。
北海道新幹線がJR東日本に移ることで北海道民には心情的な喪失感があるだろう。北海道新幹線も鉄路も維持されるので実際の損失はないのだが、北海道の衰退の象徴とも見えるかもしれない。だが、本州側が管理することで青函トンネルが北海道への入り口としての性格を強め、本州側の視点での経済開発が始まるなら、北海道は失うものより得るものの方が大きいだろう。
最も赤字額が大きかったのは、乗車率が24%だった北海道新幹線で95億円。この乗車率は他の新幹線などと比べ低いように見えるが、乗客数で見ると、青函トンネルを特急が走っていた以前と比べて大差はない。つまり、この区間の鉄道利用の需要は、たいして増えても減ってもいない。
開業している北海道新幹線は、新青森〜新函館北斗間の約150キロ(札幌まで開業するのは2030年度末)。東京方面からきた東北新幹線は新青森から先はJR北海道の管理する区間を走る。駅は新青森〜奥津軽いまべつ〜木古内〜新函館北斗で、青函トンネルは奥津軽いまべつ〜木古内の間にある。青函トンネルの維持管理のためのJR北海道の負担額は年間41億円という。
青函トンネルは貨物列車も走り、その本数は北海道新幹線の約2倍になる。北海道各地で収穫される大量の農産物などを本州へ移送する大切なルートだ。軌道幅が異なるため青函トンネル区間では、貨物列車用の2本のレールの外側に新幹線用のレールを1本加えた三線軌条となり、すれ違いなどを考慮して青函トンネル区間では北海道新幹線の最高速度は抑えられ、高速列車という新幹線の利点が消されている。
青函トンネルは、北海道側から見れば本州への入り口(=北海道からの出口)であり、本州側から見れば北海道への入り口である。利用状況からすると、本州への入り口としての役割が大きいので北海道側の負担とし、JR北海道が維持管理を担当していることに不思議はないのだが、JR北海道の経営不振を考えると、青函トンネルの維持管理をJR東日本に移すことも考慮に値しよう。
その場合の問題点は、第一に北海道新幹線がJR東日本に移る、第二にJR東日本には負担増が大きく利点が少ない。後者については、新函館北斗駅までがJR東日本の区間になることで、首都圏などからの北海道観光を多彩に展開でき、東北の観光地と組み合わせたり、多様な観光列車を企画したりと集客を図ることができよう。北海道という人気観光目的地をJR東日本が自在に活用できる。
北海道新幹線がJR東日本に移ることで北海道民には心情的な喪失感があるだろう。北海道新幹線も鉄路も維持されるので実際の損失はないのだが、北海道の衰退の象徴とも見えるかもしれない。だが、本州側が管理することで青函トンネルが北海道への入り口としての性格を強め、本州側の視点での経済開発が始まるなら、北海道は失うものより得るものの方が大きいだろう。
2019年10月30日水曜日
ダビデ像
ダビデは旧約聖書に出てくる人物。若い頃に敵の巨漢戦士ゴリアテと対決、ダビデの放った石が見事に額に命中してゴリアテを倒した英雄で、長じてイスラエル王国の王になった。実在したかどうか諸説あるようだが、モデルになっただろう人物は存在したようだ。
そのダビデがゴリアテに立ち向かう様子を表現したのがミケランジェロのダビデ像だ。600年以上前に制作されたミケランジェロの代表作であり、世界的な傑作であるとの評価が定着している。
ダビデが実在したとしても、写真があるわけではなし、どんな姿をしていたのかミケランジェロも知ることができなかった。ダビデ像の姿が本人に似ているかどうかは誰にも分からないのだが、ダビデ像を見た人は、素晴らしい造形に感嘆し、それがダビデの姿だと思うだろう。ミケランジェロは、典型としてのダビデ像を創造した。
「ミケルアンヂェロはダヴィデの伝説そのほかの諸条件をすべてまもるとともにそのことごとくの形式をやぶって、唯一の内容を表現した」(『ミケルアンヂェロ』羽仁五郎著)のであり、「フィレンツェ自由都市国家の永遠の純真としかしまたその勤労民衆の力強さと、その自由のわかわかしさとしかしその希望と、その動揺としかしその不屈と、これらこそがそのままミケルアンヂェロその人であり、またかれがそこに芸術的表現を与えようとしたところのものであった」(同)。
「ミケルアンヂェロのはじめからの意図により、ダヴィデはフィレンツェ自由都市共和制議事堂前面すなわちかのパラッツォ・ヴェッキオの入り口をまもりピアッツア・デラ・シニョリアの民衆集会の広場からの大階段の壇上に立てられたのである」(同)。強力な敵に立ち向かう姿が、周囲の敵に立ち向かう都市国家フィレンツェ共和国の精神を表現したものとダビデ像は解釈された。
ダビデ像に付随した解釈は長い時間とともに希釈され、ダビデ像を鑑賞する現代の大半の人々は、そのような解釈を必要としない。そんな解釈が存在しなくても、鑑賞に耐える表現がダビデ像だ。都市国家フィレンツェ共和国の精神が無価値になったわけではないが、そうした解釈からダビデ像は「独立」して、表現のみで傑作と認められた。
アートには何らかのメッセージをまとう表現が珍しくなく、メッセージ性によって評価されるアートも珍しくない。だが、メッセージが希釈された後でも評価される表現が成立しているかどうかが問われるのが、本当のアートだ。作者の制作意図から離れても、表現だけで成立していることが本当にアートと呼ばれる条件だ。
そのダビデがゴリアテに立ち向かう様子を表現したのがミケランジェロのダビデ像だ。600年以上前に制作されたミケランジェロの代表作であり、世界的な傑作であるとの評価が定着している。
ダビデが実在したとしても、写真があるわけではなし、どんな姿をしていたのかミケランジェロも知ることができなかった。ダビデ像の姿が本人に似ているかどうかは誰にも分からないのだが、ダビデ像を見た人は、素晴らしい造形に感嘆し、それがダビデの姿だと思うだろう。ミケランジェロは、典型としてのダビデ像を創造した。
「ミケルアンヂェロはダヴィデの伝説そのほかの諸条件をすべてまもるとともにそのことごとくの形式をやぶって、唯一の内容を表現した」(『ミケルアンヂェロ』羽仁五郎著)のであり、「フィレンツェ自由都市国家の永遠の純真としかしまたその勤労民衆の力強さと、その自由のわかわかしさとしかしその希望と、その動揺としかしその不屈と、これらこそがそのままミケルアンヂェロその人であり、またかれがそこに芸術的表現を与えようとしたところのものであった」(同)。
「ミケルアンヂェロのはじめからの意図により、ダヴィデはフィレンツェ自由都市共和制議事堂前面すなわちかのパラッツォ・ヴェッキオの入り口をまもりピアッツア・デラ・シニョリアの民衆集会の広場からの大階段の壇上に立てられたのである」(同)。強力な敵に立ち向かう姿が、周囲の敵に立ち向かう都市国家フィレンツェ共和国の精神を表現したものとダビデ像は解釈された。
ダビデ像に付随した解釈は長い時間とともに希釈され、ダビデ像を鑑賞する現代の大半の人々は、そのような解釈を必要としない。そんな解釈が存在しなくても、鑑賞に耐える表現がダビデ像だ。都市国家フィレンツェ共和国の精神が無価値になったわけではないが、そうした解釈からダビデ像は「独立」して、表現のみで傑作と認められた。
アートには何らかのメッセージをまとう表現が珍しくなく、メッセージ性によって評価されるアートも珍しくない。だが、メッセージが希釈された後でも評価される表現が成立しているかどうかが問われるのが、本当のアートだ。作者の制作意図から離れても、表現だけで成立していることが本当にアートと呼ばれる条件だ。
2019年10月26日土曜日
テクニカルやドローン
一般向けに販売されているピックアップ・トラックの荷台に重機関銃やロケット砲などを取り付けた戦闘車両をテクニカルと呼ぶ。アフリカや中東などで各地の武装組織が、機動性に富む安価で相対的に強力な兵器として使用している。ISがテクニカルを連ねてパレードする映像はテレビなどの報道番組でよく使われていた。
テクニカルが活躍するのはゲリラなどの武装組織が活動する、治安が保たれていない平坦な土地だ。正規軍の戦闘車両に比べるとテクニカルの攻撃力は劣るが、正規軍が不在だから治安が崩壊している。そんな土地で、銃しか持たない戦闘員や非武装の民間人に対してテクニカルの戦闘力は圧倒的だろう。
一般向けに販売されているドローンも中東などで戦闘に使われているというが、軍事用に特化したドローンの威力を見せつけたのが、サウジアラビアの石油施設に対する攻撃だ。サウジの原油生産の大幅減少を予想して世界の原油市場は揺れ動いた。
サウジは2017年、米国から計1100億ドルの武器を買う契約をし、88基のパトリオット・ミサイルを配備した(18年の武器購入額は650億ドルで、大半が米国から)。サウジは米国から大量かつ多額の武器を購入し続けており、防衛体制を固めていた。だが、1基が数億円とされるパトリオット・ミサイルは1機が数百万〜数千万円と推定されるドローンによる攻撃を防ぐことはできなかった。
実際にサウジの防空用レーダーがドローンを探知できたのか、探知できたとしてパトリオット・ミサイルが発射されたのか詳細は明らかではない。仮にレーダーがドローンを探知し、ミサイルが発射されてドローンを破壊できたとしても、高価なミサイルを使って安価なドローンを打ち落とす構図は不合理だ。
この「成果」で安価なドローンの攻撃用武器としての能力が確かめられた。航続距離が1000km以上になるドローンもあり、精密に目標を攻撃できるなら軍事施設に限らずインフラ施設や企業の工場なども標的になる。また、各国は小型ドローンの性能向上に励むだろうから、各種のドローンが大量に使われるようになり、戦闘の様相は大きく変化するだろう。
テクニカルも正規軍の戦闘車両に比べると、はるかに安価だ。ピックアップ・トラックや小型ドローンなど民生品を武器に変えることで武装組織の戦闘力は高まり、各地で武装組織の活動を活発化させてもいる。高価な武器を装備する正規軍と、安価な武器で破壊力を高める非正規軍という非対称性が顕著になった。
テクニカルが活躍するのはゲリラなどの武装組織が活動する、治安が保たれていない平坦な土地だ。正規軍の戦闘車両に比べるとテクニカルの攻撃力は劣るが、正規軍が不在だから治安が崩壊している。そんな土地で、銃しか持たない戦闘員や非武装の民間人に対してテクニカルの戦闘力は圧倒的だろう。
一般向けに販売されているドローンも中東などで戦闘に使われているというが、軍事用に特化したドローンの威力を見せつけたのが、サウジアラビアの石油施設に対する攻撃だ。サウジの原油生産の大幅減少を予想して世界の原油市場は揺れ動いた。
サウジは2017年、米国から計1100億ドルの武器を買う契約をし、88基のパトリオット・ミサイルを配備した(18年の武器購入額は650億ドルで、大半が米国から)。サウジは米国から大量かつ多額の武器を購入し続けており、防衛体制を固めていた。だが、1基が数億円とされるパトリオット・ミサイルは1機が数百万〜数千万円と推定されるドローンによる攻撃を防ぐことはできなかった。
実際にサウジの防空用レーダーがドローンを探知できたのか、探知できたとしてパトリオット・ミサイルが発射されたのか詳細は明らかではない。仮にレーダーがドローンを探知し、ミサイルが発射されてドローンを破壊できたとしても、高価なミサイルを使って安価なドローンを打ち落とす構図は不合理だ。
この「成果」で安価なドローンの攻撃用武器としての能力が確かめられた。航続距離が1000km以上になるドローンもあり、精密に目標を攻撃できるなら軍事施設に限らずインフラ施設や企業の工場なども標的になる。また、各国は小型ドローンの性能向上に励むだろうから、各種のドローンが大量に使われるようになり、戦闘の様相は大きく変化するだろう。
テクニカルも正規軍の戦闘車両に比べると、はるかに安価だ。ピックアップ・トラックや小型ドローンなど民生品を武器に変えることで武装組織の戦闘力は高まり、各地で武装組織の活動を活発化させてもいる。高価な武器を装備する正規軍と、安価な武器で破壊力を高める非正規軍という非対称性が顕著になった。
2019年10月23日水曜日
地階に電源
台風19号は広範囲に大量の降雨をもたらしたが、武蔵小杉の駅近くの47階建てタワーマンションで地下に浸水、配電設備が損傷して停電し、エレベーター停止や断水などで居住者は生活に大きな支障を被った。タワーマンションは地震や強風には耐えるとされるが、電気が失われると居住者は不便な生活に直面する。
このマンションは、駐車場への浸水を防ぐことができず、地下の配電設備が機能を失ったと見られる。シャッターや土嚢などで地下への浸水を防ぐことができなかった事情は明らかになっていないが、タワーマンションが電気を失うと過酷な生活環境になることは証明された。
20階以上のタワーマンションを含め高層マンションは全国に増えており、配電盤などは地下に設置されていることが多いという(1階や2階などに配電設備を設置すると分譲スペースが減る)。地下スペースも駐車場などに利用するため、浸水しないように地下を密閉することは少ないともいう。
2011年3月に福島第一原発は地震による停電で外部電源を失い、さらに津波に襲われて浸水、地下に設置されていた非常用電源などが損傷し、全電源喪失に至った。メルトダウンが起き、やがて水素爆発で原子炉建屋などが吹き飛び、放射性物質が大気中に放出された。
外部電源が失われた時にも非常用電源の機能が失われず、原子炉を冷却することができていれば、メルトダウンも水素爆発も防ぐことができたと見られている。巨大な津波を想定して非常用電源を海面から高い場所に設置していれば、あの事故は防ぐことができ、福島の復興も早かったかもしれないと想像すると、浸水が想定される地下に非常用電源を設置していた怠慢は非難に値する。
現代の社会は電気の利便性に大きく依存している。電気が失われた時に社会は大混乱し、個人の生活環境も一変、いかに不便を強いられるかを北海道のブラックアウトや千葉の大規模停電が実証した。といって、もう電気に頼らない社会や生活に戻ることはできない。災害の中でも電気の安定供給を保つことは現代社会の最優先事項だろう。
建物の地下に電源や配電設備などを設置することの危険性、脆弱性は明らかだ。地下に電源や配電設備などを設置したのは、洪水や津波による浸水を軽視していた現れだが、考えうる最悪の事態を想定しないのは設計のミスだ。そうしたミスで居住者や周辺の人々が苦しい生活を強いられている。
このマンションは、駐車場への浸水を防ぐことができず、地下の配電設備が機能を失ったと見られる。シャッターや土嚢などで地下への浸水を防ぐことができなかった事情は明らかになっていないが、タワーマンションが電気を失うと過酷な生活環境になることは証明された。
20階以上のタワーマンションを含め高層マンションは全国に増えており、配電盤などは地下に設置されていることが多いという(1階や2階などに配電設備を設置すると分譲スペースが減る)。地下スペースも駐車場などに利用するため、浸水しないように地下を密閉することは少ないともいう。
2011年3月に福島第一原発は地震による停電で外部電源を失い、さらに津波に襲われて浸水、地下に設置されていた非常用電源などが損傷し、全電源喪失に至った。メルトダウンが起き、やがて水素爆発で原子炉建屋などが吹き飛び、放射性物質が大気中に放出された。
外部電源が失われた時にも非常用電源の機能が失われず、原子炉を冷却することができていれば、メルトダウンも水素爆発も防ぐことができたと見られている。巨大な津波を想定して非常用電源を海面から高い場所に設置していれば、あの事故は防ぐことができ、福島の復興も早かったかもしれないと想像すると、浸水が想定される地下に非常用電源を設置していた怠慢は非難に値する。
現代の社会は電気の利便性に大きく依存している。電気が失われた時に社会は大混乱し、個人の生活環境も一変、いかに不便を強いられるかを北海道のブラックアウトや千葉の大規模停電が実証した。といって、もう電気に頼らない社会や生活に戻ることはできない。災害の中でも電気の安定供給を保つことは現代社会の最優先事項だろう。
建物の地下に電源や配電設備などを設置することの危険性、脆弱性は明らかだ。地下に電源や配電設備などを設置したのは、洪水や津波による浸水を軽視していた現れだが、考えうる最悪の事態を想定しないのは設計のミスだ。そうしたミスで居住者や周辺の人々が苦しい生活を強いられている。
2019年10月19日土曜日
他国への侵攻
イラク軍が1990年8月2日、クウェートに侵攻して数時間で全土を制圧した。クウェートに樹立された暫定政府の要請でイラク軍が進出したというのが当時のイラク側の説明。だが、クウェートの増産による石油価格低迷にイラクは我慢できなくなり、領土的野心もあってクウェートの属国化を狙ったなどとの解説がある。
同2日、国連の緊急安保理は「イラク軍の即時無条件撤退を求める決議」を採択、さらに安保理は同25日にイラクに対する限定武力行使を認める決議、11月29日に武力行使を容認する決議を採択した。サウジアラビアを守るために米軍やアラブ連合軍が8月に派遣され、英仏やソ連も加わって多国籍軍が形成され、翌91年に湾岸戦争が始まった。
トルコ軍が2019年10月9日、シリア北東部に侵攻して軍事作戦を続けている。敵対するクルド系民兵組織を排除するとともに、シリア国内に非武装地帯を設置してトルコ国内から200万人以上のシリア難民を移す狙いだという。トルコとの電話会談の後に米国はシリア駐留米軍を撤収させ、トルコ軍の行動を黙認し、クルド人勢力を見捨てた構図だ。
国連安保理は同10日に緊急の非公開会合を開いたが、安保理としての声明を出すことはできず、欧州6カ国が軍事行動の停止を求める声明を発表した。16日にも安保理は非公開会合を開いたが、「深く憂慮している」との報道発表を出しただけ。隣国シリアからのトルコ軍の撤退を求める声明も決議も出すことができなかった。
イラクもトルコも隣国に侵攻したことは共通するが、国際社会や国連の反応は大きく異なる。イラクに対しては国際的な批判が高まり、安保理もすぐに即時無条件撤退を求めたが、トルコに対して国際的な批判は出ているものの批判のボルテージは抑制的で、安保理も即時無条件撤退を求めていない。
2つの侵攻の共通点は①自国の判断だけで隣国に自国軍を侵攻させた、②その軍事行動を支持する他国が存在しない、③その軍事行動の目的に理解を示す他国が存在しない、④軍事力で劣位な相手に対して侵攻した。2つの国に共通するのは、①強権的な指導者が独裁的に権力を掌握している、②欧米諸国やロシアなどと親密ではない。
2つの侵攻の相違点は、第一にクウェートは産油国で英米などと密接な関係にあったが、シリアは英米などと敵対している、第二に米英などはサウジアラビアへのイラク軍侵攻を阻止する必要があったが、トルコ軍の作戦範囲はシリア内にとどまる見込み、第三に欧米はイラクと敵対したが、トルコとはまだ敵対には至っていない。
欧米にとってアサド政権のシリアは、守る価値がない国なのだろう。守る価値がない国を守るために多国籍軍を形成して自国の兵士を危険に晒すことはできないというのは合理的な判断でもある。欧米にとってトルコは、イラクとは違って、欧米サイドから離反させたくない国で、まだ利用価値があると見ているようだ。だから、トルコの他国への侵攻も容認される。
同2日、国連の緊急安保理は「イラク軍の即時無条件撤退を求める決議」を採択、さらに安保理は同25日にイラクに対する限定武力行使を認める決議、11月29日に武力行使を容認する決議を採択した。サウジアラビアを守るために米軍やアラブ連合軍が8月に派遣され、英仏やソ連も加わって多国籍軍が形成され、翌91年に湾岸戦争が始まった。
トルコ軍が2019年10月9日、シリア北東部に侵攻して軍事作戦を続けている。敵対するクルド系民兵組織を排除するとともに、シリア国内に非武装地帯を設置してトルコ国内から200万人以上のシリア難民を移す狙いだという。トルコとの電話会談の後に米国はシリア駐留米軍を撤収させ、トルコ軍の行動を黙認し、クルド人勢力を見捨てた構図だ。
国連安保理は同10日に緊急の非公開会合を開いたが、安保理としての声明を出すことはできず、欧州6カ国が軍事行動の停止を求める声明を発表した。16日にも安保理は非公開会合を開いたが、「深く憂慮している」との報道発表を出しただけ。隣国シリアからのトルコ軍の撤退を求める声明も決議も出すことができなかった。
イラクもトルコも隣国に侵攻したことは共通するが、国際社会や国連の反応は大きく異なる。イラクに対しては国際的な批判が高まり、安保理もすぐに即時無条件撤退を求めたが、トルコに対して国際的な批判は出ているものの批判のボルテージは抑制的で、安保理も即時無条件撤退を求めていない。
2つの侵攻の共通点は①自国の判断だけで隣国に自国軍を侵攻させた、②その軍事行動を支持する他国が存在しない、③その軍事行動の目的に理解を示す他国が存在しない、④軍事力で劣位な相手に対して侵攻した。2つの国に共通するのは、①強権的な指導者が独裁的に権力を掌握している、②欧米諸国やロシアなどと親密ではない。
2つの侵攻の相違点は、第一にクウェートは産油国で英米などと密接な関係にあったが、シリアは英米などと敵対している、第二に米英などはサウジアラビアへのイラク軍侵攻を阻止する必要があったが、トルコ軍の作戦範囲はシリア内にとどまる見込み、第三に欧米はイラクと敵対したが、トルコとはまだ敵対には至っていない。
欧米にとってアサド政権のシリアは、守る価値がない国なのだろう。守る価値がない国を守るために多国籍軍を形成して自国の兵士を危険に晒すことはできないというのは合理的な判断でもある。欧米にとってトルコは、イラクとは違って、欧米サイドから離反させたくない国で、まだ利用価値があると見ているようだ。だから、トルコの他国への侵攻も容認される。
2019年10月16日水曜日
電気自動車(EV)の試乗記
独ダイムラーが電気自動車(EV)専用に開発した「EQC」の販売が始まっている(価格は1080万〜1200万円。航続距離は欧州WLTCモードで400km)。全長4761×全幅1884×1623mmと大柄で、多量のバッテリーを積んでいるため車重は約2.5トンもある。
メディアに現れ始めた試乗記によると、「アクセルを踏むと無音でスルスルと走りだす」「圧倒的な車内の静かさ」で、乗り心地は「重厚でマイルドな心地良い快適感」。アクセルを踏み込めば「スポーツカーに匹敵する加速力」。「モーレツな加速をするのに快適な乗り心地を持つSUV」で、ガソリン車などから乗り換えても「違和感は皆無」と“いつものように”絶賛している
独VWもEV専用車を発表したが、こちらは価格3万ユーロ(約350万円)未満と大衆路線で、2020年春から欧州で納車を始めるという(購入者には政府から補助金が出る)。航続距離は330km。28年までに約70車種のEVを投入し、全世界で2200万台を販売するとVWは、ディーゼル・スキャンダルをEVで払拭することを狙う。
排出ガス規制が各国で強化されるので世界の自動車メーカーは急いでEVの品揃えを増やさなければならない。これは、市場(消費者)の選択による変化ではなく、政府の強制力で市場を変化をさせる試みだ。だから、すでに各国で複数のメーカーがEVを販売しているが、好調に売れてマーケットシェアを拡大している車種はまだない。
米テスラがEVの成功例にあげられたりもするが、決算は赤字続き。まだ先行投資の段階が続いているのか、経営戦略がまずいのか、「夢」を売っているだけの会社なのか判断は分かれるが、試乗記ではテスラ車は概ね好評のようだ。ただ、テスラも高価な車であり、日本のメディアの試乗記で高価な車を酷評することはまずない。
ところで、EVはガソリン車などと同じ基準で評価すべきなのか。自動車であることは共通するので、同じ基準で評価することは間違ってはいないだろう。だが、電気モーターだから瞬時にパワーが出るのでEVは加速が良く、重いバッテリーを床下に積むので重心が低く安定した挙動になる。ガソリン車などとEVの構造の違いを峻別して評価する試乗記は少ない印象だ。
各国政府がEVへの転換を促すのは環境保護を優先させる政策の一環だ。EVに求められるのは、社会との調和を優先させることだ。スポーティーさよりもエネルギー効率を最優先した移動手段になることがEVのあるべき姿だろう。環境に優しいとともに、社会にも優しい車がEVであるとすれば、EVの試乗記にはガソリン車などと異なる評価基準が必要になる。鋭い加速や強烈なパワー、スポーティーな走りなどを重視することはEVに似合わない。
メディアに現れ始めた試乗記によると、「アクセルを踏むと無音でスルスルと走りだす」「圧倒的な車内の静かさ」で、乗り心地は「重厚でマイルドな心地良い快適感」。アクセルを踏み込めば「スポーツカーに匹敵する加速力」。「モーレツな加速をするのに快適な乗り心地を持つSUV」で、ガソリン車などから乗り換えても「違和感は皆無」と“いつものように”絶賛している
独VWもEV専用車を発表したが、こちらは価格3万ユーロ(約350万円)未満と大衆路線で、2020年春から欧州で納車を始めるという(購入者には政府から補助金が出る)。航続距離は330km。28年までに約70車種のEVを投入し、全世界で2200万台を販売するとVWは、ディーゼル・スキャンダルをEVで払拭することを狙う。
排出ガス規制が各国で強化されるので世界の自動車メーカーは急いでEVの品揃えを増やさなければならない。これは、市場(消費者)の選択による変化ではなく、政府の強制力で市場を変化をさせる試みだ。だから、すでに各国で複数のメーカーがEVを販売しているが、好調に売れてマーケットシェアを拡大している車種はまだない。
米テスラがEVの成功例にあげられたりもするが、決算は赤字続き。まだ先行投資の段階が続いているのか、経営戦略がまずいのか、「夢」を売っているだけの会社なのか判断は分かれるが、試乗記ではテスラ車は概ね好評のようだ。ただ、テスラも高価な車であり、日本のメディアの試乗記で高価な車を酷評することはまずない。
ところで、EVはガソリン車などと同じ基準で評価すべきなのか。自動車であることは共通するので、同じ基準で評価することは間違ってはいないだろう。だが、電気モーターだから瞬時にパワーが出るのでEVは加速が良く、重いバッテリーを床下に積むので重心が低く安定した挙動になる。ガソリン車などとEVの構造の違いを峻別して評価する試乗記は少ない印象だ。
各国政府がEVへの転換を促すのは環境保護を優先させる政策の一環だ。EVに求められるのは、社会との調和を優先させることだ。スポーティーさよりもエネルギー効率を最優先した移動手段になることがEVのあるべき姿だろう。環境に優しいとともに、社会にも優しい車がEVであるとすれば、EVの試乗記にはガソリン車などと異なる評価基準が必要になる。鋭い加速や強烈なパワー、スポーティーな走りなどを重視することはEVに似合わない。
2019年10月12日土曜日
気候変動と都市生活者
欧米では、気候変動の危機を訴える活動家の運動が活発で、英国ではデモ隊が道路を占拠して交通を妨害したり、欧州各国で小中高の生徒たちがストライキを行ったりしている。デモ隊が警官隊と衝突することも珍しくなく、過激派が紛れ込んでいるともされる。
政府に地球温暖化対策の強化を求めるデモは世界各国でも行われているのだが、活発で、また過激化する活動は欧米に多い。豊かな生活を達成したから衣食住や安全などより気候変動を具体的な危機だと感じていると解釈するなら、温暖化に対する危機意識は、豊かさの裏返しでもある。
日々の食料を確保することで精一杯という貧困の中で生きる人々や、治安が崩壊して怯えて暮らしている人々にとって、気候変動や温暖化が直面する危機であるとの現実感は希薄だろう。スウェーデンの高校生が学校を休んで政府に地球温暖化対策の強化を求める行動を行ったが、満足に学校に行くことができない世界の若者にとって、それは贅沢な抗議活動に見えただろう。
気候変動や温暖化による影響は、地球に生きる全ての人に等しく及んでくるだろう。しかし、何が直面する危機であるかは状況によるので、気候変動に対する危機感には世界で地域差が存在する。さらに何らかの危機意識を求める傾向を持つ人は珍しくなく、状況が「悪くなっている」などと自己の主張を正当化するために危機感を持ち出す人も珍しくない。
熱心に環境保護を訴える人たちは欧米に多いようだが、そうした人の大半が都市居住者だという仮説がある。先進国の都市部の豊かで安全な生活環境の中で暮らす人々が、気候変動や温暖化の危機に敏感に反応するのは、生活環境に自然が乏しく、それらの人々にとって自然は理想化されているから、危機の情報に敏感に反応するという見立て。
都会から離れた自然に囲まれた環境で暮らしている人にとって、自然とは周囲に存在する具体的なものだ。豪雨や暴風は時にはあることだし、気候変動や温暖化による影響が周囲の植生に現れるには相応の時間を要するだろうし、植生が変化したとしても以前とは異なる草花が現れることでしかない。気候変動や温暖化による危機とは、自然の中で暮らしている人々にとっては「理論上」の話か。
この仮説が現実を的確に説明しているとするなら、活発化する環境保護運動は人工化した環境の都市部に住む人々の自然に対する渇望かもしれない。その自然は現実のものではなく、理想化された自然である。理想を掲げる運動が妥協を拒み、過激化するのはよくあることだ。
政府に地球温暖化対策の強化を求めるデモは世界各国でも行われているのだが、活発で、また過激化する活動は欧米に多い。豊かな生活を達成したから衣食住や安全などより気候変動を具体的な危機だと感じていると解釈するなら、温暖化に対する危機意識は、豊かさの裏返しでもある。
日々の食料を確保することで精一杯という貧困の中で生きる人々や、治安が崩壊して怯えて暮らしている人々にとって、気候変動や温暖化が直面する危機であるとの現実感は希薄だろう。スウェーデンの高校生が学校を休んで政府に地球温暖化対策の強化を求める行動を行ったが、満足に学校に行くことができない世界の若者にとって、それは贅沢な抗議活動に見えただろう。
気候変動や温暖化による影響は、地球に生きる全ての人に等しく及んでくるだろう。しかし、何が直面する危機であるかは状況によるので、気候変動に対する危機感には世界で地域差が存在する。さらに何らかの危機意識を求める傾向を持つ人は珍しくなく、状況が「悪くなっている」などと自己の主張を正当化するために危機感を持ち出す人も珍しくない。
熱心に環境保護を訴える人たちは欧米に多いようだが、そうした人の大半が都市居住者だという仮説がある。先進国の都市部の豊かで安全な生活環境の中で暮らす人々が、気候変動や温暖化の危機に敏感に反応するのは、生活環境に自然が乏しく、それらの人々にとって自然は理想化されているから、危機の情報に敏感に反応するという見立て。
都会から離れた自然に囲まれた環境で暮らしている人にとって、自然とは周囲に存在する具体的なものだ。豪雨や暴風は時にはあることだし、気候変動や温暖化による影響が周囲の植生に現れるには相応の時間を要するだろうし、植生が変化したとしても以前とは異なる草花が現れることでしかない。気候変動や温暖化による危機とは、自然の中で暮らしている人々にとっては「理論上」の話か。
この仮説が現実を的確に説明しているとするなら、活発化する環境保護運動は人工化した環境の都市部に住む人々の自然に対する渇望かもしれない。その自然は現実のものではなく、理想化された自然である。理想を掲げる運動が妥協を拒み、過激化するのはよくあることだ。
2019年10月9日水曜日
不自由な表現
表現とは不自由なものである。例えば、性器や性交をリアルに描く絵画や彫刻などの公開には、ほとんどの社会で何らかの制約を課されるだろうし、政治的な主張も政権(国)によっては厳しく制約を課すだろうし、宗教的な規範が厳しく日常生活を律している社会なら宗教的規範に反する表現は許されないだろう。
さらに、明示されていなくても社会によって、自粛すべき表現というものがある。自由が尊重されている社会でも、世論の大勢に抗する表現には批判が集中したりして圧力が加わる。例えば、現在の欧米では環境保護派の影響力が強いので地球温暖化論を嘲笑う表現は批判され、LGBTの権利主張を揶揄する表現などには、「表現は自由だが、それを批判することも自由だ」と圧力が高まろう。
とはいえ、自由な表現はどこにでもあるのも現実だ。権力に寄り添い、社会や宗教の規範から逸脱せず、社会の通念や倫理、世論などに従順な表現なら自由があるだろう。また、制約の中で発想していることに無意識な人は、制約が多い社会であっても、自由な表現が可能な社会だと思うだろう。
表現の自由が制約されている社会、例えば中国でも、自由な表現は不可能ではなく、決意すれば何でも自由に表現できよう。ただし、自由な表現を遂行した人には様々な圧力が待ち受けているだろうし、時には社会から隔離されるかもしれない。そうした自由な表現は、自由を求める自由の象徴的な試みである。
表現の自由が問題となるのは、社会との関わりにおいてである。どんな絵画や彫刻を創り、どんな文章を書こうと、それが個人の家の中に置かれ、外に出ていかない限り、表現は自由だ。自由な表現を社会の中に持ち出し、時には価値観などが異なる社会に持ち出すから、自由な表現が摩擦を起こす。自由は絶対的なものであることが望ましいだろうが、絶対的な自由の範囲は小さいのが現実世界だ。
自由は表現だけにあるのではない。作品を鑑賞する態度も個人の自由であり、作品の価値をどう判断しようと個人の勝手なのだが、社会によっては、表現の自由も鑑賞の自由も許されない。例えば、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像。国家ぐるみの個人崇拝の象徴であり、作者の創作意欲だけで自由に彼らの銅像を制作することは許されず、敬意を表さない態度で銅像を見ることも許されまい。
プロパガンダを目的に少女像を創ることは自由で、そのプロパガンダを広めるために少女像を展示することも自由、プロパガンダを表現の自由で隠蔽することも自由だ。だが、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像と同類で、アートとしては価値が劣る凡庸な表現の作品を表現の自由で擁護することは、自由を求める行為ではなく、自由の価値を汚す行為だ。プロパガンダ目的の表現の自由には、自由の方向を制限する特有の不自由さがつきまとう。
さらに、明示されていなくても社会によって、自粛すべき表現というものがある。自由が尊重されている社会でも、世論の大勢に抗する表現には批判が集中したりして圧力が加わる。例えば、現在の欧米では環境保護派の影響力が強いので地球温暖化論を嘲笑う表現は批判され、LGBTの権利主張を揶揄する表現などには、「表現は自由だが、それを批判することも自由だ」と圧力が高まろう。
とはいえ、自由な表現はどこにでもあるのも現実だ。権力に寄り添い、社会や宗教の規範から逸脱せず、社会の通念や倫理、世論などに従順な表現なら自由があるだろう。また、制約の中で発想していることに無意識な人は、制約が多い社会であっても、自由な表現が可能な社会だと思うだろう。
表現の自由が制約されている社会、例えば中国でも、自由な表現は不可能ではなく、決意すれば何でも自由に表現できよう。ただし、自由な表現を遂行した人には様々な圧力が待ち受けているだろうし、時には社会から隔離されるかもしれない。そうした自由な表現は、自由を求める自由の象徴的な試みである。
表現の自由が問題となるのは、社会との関わりにおいてである。どんな絵画や彫刻を創り、どんな文章を書こうと、それが個人の家の中に置かれ、外に出ていかない限り、表現は自由だ。自由な表現を社会の中に持ち出し、時には価値観などが異なる社会に持ち出すから、自由な表現が摩擦を起こす。自由は絶対的なものであることが望ましいだろうが、絶対的な自由の範囲は小さいのが現実世界だ。
自由は表現だけにあるのではない。作品を鑑賞する態度も個人の自由であり、作品の価値をどう判断しようと個人の勝手なのだが、社会によっては、表現の自由も鑑賞の自由も許されない。例えば、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像。国家ぐるみの個人崇拝の象徴であり、作者の創作意欲だけで自由に彼らの銅像を制作することは許されず、敬意を表さない態度で銅像を見ることも許されまい。
プロパガンダを目的に少女像を創ることは自由で、そのプロパガンダを広めるために少女像を展示することも自由、プロパガンダを表現の自由で隠蔽することも自由だ。だが、北朝鮮にある金日成や金正日の銅像と同類で、アートとしては価値が劣る凡庸な表現の作品を表現の自由で擁護することは、自由を求める行為ではなく、自由の価値を汚す行為だ。プロパガンダ目的の表現の自由には、自由の方向を制限する特有の不自由さがつきまとう。
2019年10月5日土曜日
プロパガンダとアート
思想や政治的主張などの宣伝がプロパガンダだ。企業が行う宣伝は、自社の商品を買うように促したり、自社に好感を持つように働きかけるが、プロパガンダは組織などが、人々の意識を一定の方向に向くように操作しようとする宣伝だ。ただし、宣伝であると受け手に意識させないよう装うことも珍しくない。
プロパガンダの有力な手段の一つがアートである。例えば、共産主義国などでの政治メッセージを伝える大きな壁画や各種のポスター、絵画、彫刻、歌などは代表例で、斬新な表現などでアートとして評価された作品もある(ただし、大半はプロパガンダが陳腐化すれば葬られる)。アートは容易に政治に従属するものだ。
どんな作品を作ろうとアートは自由なのであり、プロパガンダを目的とした作品であってもアートを名乗ることができる。ただし、アートを名乗るならアートとして評価されるべきだ。だが、プロパガンダを目的とするアートはプロパガンダの部分を同調者らが賞賛するだけで、アートとしての評価はなおざりになる。
プロパガンダを目的とする作品は、アートとして評価に値しない凡庸な表現であっても、プロパガンダゆえに持てはやされたりする。これはアートという価値観を貶めているのだが、プロパガンダに作家が従属した時点で、アートもプロパガンダに従属する。
プロパガンダを目的に制作された作品が、社会にアートとして承認されたり、アートとして受け入れられることは、プロパガンダの成功でもある。だから、あるプロパガンダを浸透させたいと運動する人々は、作品をアートとして社会に承認させることに励む。
凡庸な表現でしかない作品を社会にアートだと認識させることは、プロパガンダを承認させ、拡散させるための重要なステップだ。そうした作品を見に行く人はアートを鑑賞する素振りでも、作品に付属するプロパガンダを意識し、凡庸な表現に気づいても無視するだろう(プロパガンダへの賛同者しか、わざわざ見に行かない?)。
アートをプロパガンダとして利用する人々にはアートに対する敬意が皆無だが、凡庸な表現をアートとして流通させる社会にも、アートに対する敬意が欠けている。プロパガンダを剥ぎ取って、作品そのものを直視する姿勢がないのなら、アートを評価することは不可能だろう。つまり、アートに対する鑑賞眼が希薄か欠如している社会か。
プロパガンダの有力な手段の一つがアートである。例えば、共産主義国などでの政治メッセージを伝える大きな壁画や各種のポスター、絵画、彫刻、歌などは代表例で、斬新な表現などでアートとして評価された作品もある(ただし、大半はプロパガンダが陳腐化すれば葬られる)。アートは容易に政治に従属するものだ。
どんな作品を作ろうとアートは自由なのであり、プロパガンダを目的とした作品であってもアートを名乗ることができる。ただし、アートを名乗るならアートとして評価されるべきだ。だが、プロパガンダを目的とするアートはプロパガンダの部分を同調者らが賞賛するだけで、アートとしての評価はなおざりになる。
プロパガンダを目的とする作品は、アートとして評価に値しない凡庸な表現であっても、プロパガンダゆえに持てはやされたりする。これはアートという価値観を貶めているのだが、プロパガンダに作家が従属した時点で、アートもプロパガンダに従属する。
プロパガンダを目的に制作された作品が、社会にアートとして承認されたり、アートとして受け入れられることは、プロパガンダの成功でもある。だから、あるプロパガンダを浸透させたいと運動する人々は、作品をアートとして社会に承認させることに励む。
凡庸な表現でしかない作品を社会にアートだと認識させることは、プロパガンダを承認させ、拡散させるための重要なステップだ。そうした作品を見に行く人はアートを鑑賞する素振りでも、作品に付属するプロパガンダを意識し、凡庸な表現に気づいても無視するだろう(プロパガンダへの賛同者しか、わざわざ見に行かない?)。
アートをプロパガンダとして利用する人々にはアートに対する敬意が皆無だが、凡庸な表現をアートとして流通させる社会にも、アートに対する敬意が欠けている。プロパガンダを剥ぎ取って、作品そのものを直視する姿勢がないのなら、アートを評価することは不可能だろう。つまり、アートに対する鑑賞眼が希薄か欠如している社会か。
2019年10月2日水曜日
武器はドローン
サウジアラビアの国営石油会社の施設2か所が9月14日、ドローンによる攻撃を受け、生産が一部停止した。生産が止まったのは日量570万バレル分で、同国の原油生産の約50%分、全世界の5%分に相当するという。
10機のドローンで2か所の施設を攻撃したとする声明をイエメンのシーア派民兵組織「フーシ派」が出したが、トランプ米政権とサウジアラビアはイランの犯行と主張し、18日にサウジアラビア国防省は自爆ドローン18機と巡航ミサイル7機による攻撃だったと発表した。
民生用ドローンはすでに広く使われている。ドローンによる空撮影像を活用するテレビ番組は珍しくなく、農業では農薬散布など、建設業では測量や検査など、警備業では見回りや侵入者の探知などに使い、物流では配送への活用を目指しているほか、災害や事故の被害状況の把握に利用することが自治体などで進められ、災害や事故の調査に保険会社も利用する方向だという。
軍事用ドローンの実用化では米国が先行し、高性能な各種の航空偵察用ドローンに加え、海兵隊は分隊ごとに小型の偵察ドローンを配備したという。各国も軍事用ドローンの開発を進め、特に中国の軍事用ドローンは技術的に米国に迫っているとか。中国は中東やアフリカ諸国などで軍事用ドローンの販売を伸ばしているとされる。
軍事用ドローンは偵察用途を目的に開発されたが、やがてミサイルやロケット弾などを装備して攻撃能力を備えるようになり、さらには標的を狙って長時間飛び続ける自爆用ドローンなども開発された。すでに民生用ドローンに爆弾などを持たせて攻撃に利用することは中東などの紛争地で珍しくなくなった。
小型のドローンは低空を飛行するのでレーダーでは捕捉できず、肉眼でも見分けにくい。銃火器で撃ち落とすには弾幕を張らなければならないが、当たるかどうかは分からない。ドローン操縦の電波を妨害する方法も考えられるが、周辺地区に影響を及ぼす可能性があるほか、自動操縦になったドローンには効果がない。
軍事用ドローンにはAIが組み込まれ、操縦者からの電波が遮断された時には、その時々の目的に合わせて自律的に行動するようになるだろう。だが、敵の軍事用ドローンなどを探知し、その行動を妨害して無力化する防衛用のドローンも各国で開発されているに違いない。ドローンに対抗できるのはドローンだけか。
10機のドローンで2か所の施設を攻撃したとする声明をイエメンのシーア派民兵組織「フーシ派」が出したが、トランプ米政権とサウジアラビアはイランの犯行と主張し、18日にサウジアラビア国防省は自爆ドローン18機と巡航ミサイル7機による攻撃だったと発表した。
民生用ドローンはすでに広く使われている。ドローンによる空撮影像を活用するテレビ番組は珍しくなく、農業では農薬散布など、建設業では測量や検査など、警備業では見回りや侵入者の探知などに使い、物流では配送への活用を目指しているほか、災害や事故の被害状況の把握に利用することが自治体などで進められ、災害や事故の調査に保険会社も利用する方向だという。
軍事用ドローンの実用化では米国が先行し、高性能な各種の航空偵察用ドローンに加え、海兵隊は分隊ごとに小型の偵察ドローンを配備したという。各国も軍事用ドローンの開発を進め、特に中国の軍事用ドローンは技術的に米国に迫っているとか。中国は中東やアフリカ諸国などで軍事用ドローンの販売を伸ばしているとされる。
軍事用ドローンは偵察用途を目的に開発されたが、やがてミサイルやロケット弾などを装備して攻撃能力を備えるようになり、さらには標的を狙って長時間飛び続ける自爆用ドローンなども開発された。すでに民生用ドローンに爆弾などを持たせて攻撃に利用することは中東などの紛争地で珍しくなくなった。
小型のドローンは低空を飛行するのでレーダーでは捕捉できず、肉眼でも見分けにくい。銃火器で撃ち落とすには弾幕を張らなければならないが、当たるかどうかは分からない。ドローン操縦の電波を妨害する方法も考えられるが、周辺地区に影響を及ぼす可能性があるほか、自動操縦になったドローンには効果がない。
軍事用ドローンにはAIが組み込まれ、操縦者からの電波が遮断された時には、その時々の目的に合わせて自律的に行動するようになるだろう。だが、敵の軍事用ドローンなどを探知し、その行動を妨害して無力化する防衛用のドローンも各国で開発されているに違いない。ドローンに対抗できるのはドローンだけか。
2019年9月28日土曜日
韓国政府批判と嫌韓
韓国政府の対日本外交には奇妙な言動が目立つ。国家間で交渉して取り決めた条約や協約、合意などを一方的な解釈で韓国政府は改変したり、実質的に廃棄しようとしているように見える。どういう価値観を韓国政府が持とうと彼らの自由だが、独自の価値観の日本への押し付けを、植民地支配された過去の「屈辱」で正当化している気配だ。
そうした韓国政府の言動や国際機関などにおける韓国からの相次ぐ日本批判に、日本の多くの人は不快感を持っているようだ。日本政府は輸出優遇国グループAから韓国を除外し、韓国は猛反発したが、マスコミ各社の世論調査では日本政府の対応に対する支持が圧倒的に多い。
こうした中、特集「厄介な隣人にサヨウナラ/韓国なんて要らない」を掲載した週刊誌が謝罪に追い込まれ、嫌韓の風潮を諌める論説を新聞が掲載した。そこでは「韓国への反感をあおるような一部メディアの風潮」「隣国を感情的に遠ざけるような言葉が多用」「韓国人という括りで『病理』を論じるのは民族差別」「韓国人全体への差別を助長し、憎しみを煽る」「韓国への憎悪や差別をあおる」などと厳しく批判している。
なぜ韓国が嫌われるようになったのか、新聞など一部のマスコミは客観的な分析を避けている。「日韓間には感情的なあつれきを生みやすい歴史がある。だからこそ、双方の認識ギャップを埋める努力がいる」と説くが、認識ギャップを拡大させる韓国政府の言動の奇妙さの検証、批判には及び腰で、戦中戦後の歴史と絡めた「ご高説」で済ましてしまう。
嫌韓の風潮の問題は、韓国政府に対する批判と韓国人に対する批判を峻別せず、混同していることだ。同時に、嫌韓の風潮を諌める新聞など一部マスコミの主張も、韓国政府の奇妙な言動に対する批判や反発から生じる嫌悪感を嫌韓と峻別せずに批判している。こうした一部マスコミの批判は、認識ギャップを拡大させることには役立っても、認識ギャップを埋めることには役立たないだろう。
嫌韓の風潮を鎮めたいなら新聞など一部マスコミは、日韓間の認識ギャップを拡大させ、感情的なあつれきを政治的な大衆動員の道具として利用する韓国政府を厳しく批判し、それから日本の読者に向けて、韓国政府と韓国人を峻別し、韓国政府に対する反感を韓国人に向けないようにと説くべきだった。
おそらく日韓間の感情的あつれきは今後も長く存在するだろうし、韓国政府は独自の歴史観を保持し続けるだろうから、いつまでも日韓間の認識ギャップは埋まらないだろう。双方に寛容の精神がなく、相手を尊重する精神もなく、互いに嫌い合うだけというのが日韓の未来かもしれない。その時にマスコミは、嫌韓を嘆いていた昔を懐かしみ、「あの頃ならまだ、関係改善の糸口はあった」とするのかな。
そうした韓国政府の言動や国際機関などにおける韓国からの相次ぐ日本批判に、日本の多くの人は不快感を持っているようだ。日本政府は輸出優遇国グループAから韓国を除外し、韓国は猛反発したが、マスコミ各社の世論調査では日本政府の対応に対する支持が圧倒的に多い。
こうした中、特集「厄介な隣人にサヨウナラ/韓国なんて要らない」を掲載した週刊誌が謝罪に追い込まれ、嫌韓の風潮を諌める論説を新聞が掲載した。そこでは「韓国への反感をあおるような一部メディアの風潮」「隣国を感情的に遠ざけるような言葉が多用」「韓国人という括りで『病理』を論じるのは民族差別」「韓国人全体への差別を助長し、憎しみを煽る」「韓国への憎悪や差別をあおる」などと厳しく批判している。
なぜ韓国が嫌われるようになったのか、新聞など一部のマスコミは客観的な分析を避けている。「日韓間には感情的なあつれきを生みやすい歴史がある。だからこそ、双方の認識ギャップを埋める努力がいる」と説くが、認識ギャップを拡大させる韓国政府の言動の奇妙さの検証、批判には及び腰で、戦中戦後の歴史と絡めた「ご高説」で済ましてしまう。
嫌韓の風潮の問題は、韓国政府に対する批判と韓国人に対する批判を峻別せず、混同していることだ。同時に、嫌韓の風潮を諌める新聞など一部マスコミの主張も、韓国政府の奇妙な言動に対する批判や反発から生じる嫌悪感を嫌韓と峻別せずに批判している。こうした一部マスコミの批判は、認識ギャップを拡大させることには役立っても、認識ギャップを埋めることには役立たないだろう。
嫌韓の風潮を鎮めたいなら新聞など一部マスコミは、日韓間の認識ギャップを拡大させ、感情的なあつれきを政治的な大衆動員の道具として利用する韓国政府を厳しく批判し、それから日本の読者に向けて、韓国政府と韓国人を峻別し、韓国政府に対する反感を韓国人に向けないようにと説くべきだった。
おそらく日韓間の感情的あつれきは今後も長く存在するだろうし、韓国政府は独自の歴史観を保持し続けるだろうから、いつまでも日韓間の認識ギャップは埋まらないだろう。双方に寛容の精神がなく、相手を尊重する精神もなく、互いに嫌い合うだけというのが日韓の未来かもしれない。その時にマスコミは、嫌韓を嘆いていた昔を懐かしみ、「あの頃ならまだ、関係改善の糸口はあった」とするのかな。
2019年9月25日水曜日
大規模な停電
首都圏では台風15号の暴風により一時は93万戸以上が停電するなど広範囲で停電が発生した。特に被害が大きかったのが千葉県で、各地で電柱の倒壊や送電線の断絶などが発生、ピーク時には64万戸以上が停電し、停電解消まで2週間以上も要した。
約2千本の電柱が倒壊したり損傷(経産省の推計)し、送電塔の鉄塔2基が倒れ、山間部などでは倒木による交通困難個所が多く作業車の通行が阻害されたりして復旧作業が遅れたという。被害状況の把握が遅れた東電は当初の被害想定が甘く、復旧見通しは修正に次ぐ修正を余儀なくされた。
台風の暴風で多くの樹木がなぎ倒されたり枝が折れたりし、それらも電線や電柱を損傷させた。強い暴風が主原因だが、山林が手入れされずに放置されていたことも被害を拡大させたとの指摘がある。道路の周辺の樹木だけでも手入れし、倒木が通行を遮断しないように配慮しておけば復旧はもう少し早かったかもしれない。
大規模な停電といえば、2018年9月の北海道胆振東部地震でのブラックアウト。一時は北海道全域のほぼ全世帯295万戸で停電した。苫東厚真火力発電所が道内需要のほぼ半分を発電していたが、その電力が被災で失われ、一気に発電量が減ったため周波数が低下(=停電)し、他の発電所も発電設備保護のために停止した。
ブラックアウトで電気が来ない生活を人々は強いられた。電池式のラジオが主な情報源になり、スマホなどの充電場所を探した。車庫などの電動シャッターが動かず、ビルやマンションではエレベーターが動かず、汲み上げポンプが動かない家庭では水が出なかった。交差点では信号が消え、コンビニやスーパーに人々が殺到して食料品や飲料、乾電池、カセットボンベなどが売り切れ、ガソリンスタンドには長蛇の列ができた。
同じことが千葉県でも起きた。千葉県の大規模停電は送電線網に多数の支障が生じたことで起き、北海道の大規模停電は主要な発電所が送電を突如停止したことで北海道全体での使用量と発電量のバランスが崩壊し、各地の発電所も送電系統から離れてブラックアウト(全系崩壊)に至った。
ブラックアウトの教訓として、一か所の重要施設に頼ることの脆弱性が指摘された。発電所などは分散型の配置とし、自治体や企業は自家発電を含め非常用電源の整備などが対策として求められた。しかし、千葉県の停電では送電網の脆弱さが露呈した。多数の中規模の発電所を分散配置し、送電網を二重三重にすれば災害に強い系統になるだろうが、コストもかかる。電気に頼る現代生活は災害に脆弱であることだけはまた、明らかになった。
約2千本の電柱が倒壊したり損傷(経産省の推計)し、送電塔の鉄塔2基が倒れ、山間部などでは倒木による交通困難個所が多く作業車の通行が阻害されたりして復旧作業が遅れたという。被害状況の把握が遅れた東電は当初の被害想定が甘く、復旧見通しは修正に次ぐ修正を余儀なくされた。
台風の暴風で多くの樹木がなぎ倒されたり枝が折れたりし、それらも電線や電柱を損傷させた。強い暴風が主原因だが、山林が手入れされずに放置されていたことも被害を拡大させたとの指摘がある。道路の周辺の樹木だけでも手入れし、倒木が通行を遮断しないように配慮しておけば復旧はもう少し早かったかもしれない。
大規模な停電といえば、2018年9月の北海道胆振東部地震でのブラックアウト。一時は北海道全域のほぼ全世帯295万戸で停電した。苫東厚真火力発電所が道内需要のほぼ半分を発電していたが、その電力が被災で失われ、一気に発電量が減ったため周波数が低下(=停電)し、他の発電所も発電設備保護のために停止した。
ブラックアウトで電気が来ない生活を人々は強いられた。電池式のラジオが主な情報源になり、スマホなどの充電場所を探した。車庫などの電動シャッターが動かず、ビルやマンションではエレベーターが動かず、汲み上げポンプが動かない家庭では水が出なかった。交差点では信号が消え、コンビニやスーパーに人々が殺到して食料品や飲料、乾電池、カセットボンベなどが売り切れ、ガソリンスタンドには長蛇の列ができた。
同じことが千葉県でも起きた。千葉県の大規模停電は送電線網に多数の支障が生じたことで起き、北海道の大規模停電は主要な発電所が送電を突如停止したことで北海道全体での使用量と発電量のバランスが崩壊し、各地の発電所も送電系統から離れてブラックアウト(全系崩壊)に至った。
ブラックアウトの教訓として、一か所の重要施設に頼ることの脆弱性が指摘された。発電所などは分散型の配置とし、自治体や企業は自家発電を含め非常用電源の整備などが対策として求められた。しかし、千葉県の停電では送電網の脆弱さが露呈した。多数の中規模の発電所を分散配置し、送電網を二重三重にすれば災害に強い系統になるだろうが、コストもかかる。電気に頼る現代生活は災害に脆弱であることだけはまた、明らかになった。
2019年9月21日土曜日
オピオイド中毒と経済活動
米製薬大手パーデュー・ファーマが破産を申請した。同社の処方鎮痛剤「オキシコンチン」は麻薬性鎮痛薬オピオイドだ。同社は違法な方法で広く大量に「オキシコンチン」を販売、医師に処方させ、米国におけるオピオイド中毒を加速させた。同社は07年に罰金6億ドルの支払いに応じたが、さらに州レベルなどで数千件の訴訟が起こされている。
訴訟の和解が裁判所に認められれば、同社の総資産を新たに設立する機関に移し、最大120億ドルを支払うという。だが創業一族の大富豪サックラー家が和解に向け支払う額は30億ドルとされ、一族の総資産130億ドルに比べ少なすぎるとの批判が出ている。同社のオピオイド系鎮痛剤の売り上げは累計で約350億ドルという。
米国で蔓延したオピオイド中毒の責任をめぐってオクラホマ地裁は8月、ジョンソン・エンド・ジョンンソン(J&J)に5億7200万ドルの制裁金を命じた。J&Jが中毒性のある鎮痛剤のリスクを矮小化し、事実誤認につながる形で宣伝するマーケティングを展開し、自社利益を追求していたとの主張を裁判所が認めた。
J&Jが「依存症リスクは低く、重度ではない慢性的な痛みにも有効だ」と宣伝していたことが審理で明らかになり、医師による鎮痛剤の過剰処方につながり、オクラホマ州での中毒死を急増させたと州側の弁護士は主張した。J&Jは原料成分の生成で全米6割のシェアを持ち、他メーカーにも供給していたという。
米国では1999~2017年にオピオイドが関係する薬物の過剰摂取で約40万人が死亡し、2018年の死者は4万7000人(処方されたオピオイドや非合法のオピオイドによる死者)。オクラホマ州では2000年以降に約6000人がオピオイドの過剰摂取で死んだという。
オピオイドを全米で大量に販売したことで製薬会社や流通業界は莫大な利益を得ていたとみられ、医師に処方されたオピオイド系鎮痛剤を入り口にヘロインなどの薬物の依存症になった人も多いとされる。オピオイドの乱用者は1200万人、オピオイドの蔓延による米国の経済損失は2015年で5040億ドルとの試算もある。
また、合成オピオイドの「フェンタニル」はモルヒネの50~100倍強力で、主な供給源は中国とされ、偽装して郵便で米国に送り込まれているという。米国からの批判に対して中国の政府系メディアは「乱用の責任は使用者にある」と反論した。
利益のためには手段を選ばないのが企業であり、オピオイドの流通に対する麻薬取締局の調査を制限する法律を連邦議会で成立させるほどの影響力を持っていた。人々を依存症にさせる商品を販売し、多数の中毒者と死者を出しながらマーケットを開拓し、大規模な産業に成長させた企業や業界や商売人。政治が資本に支配された結果でもある。
訴訟の和解が裁判所に認められれば、同社の総資産を新たに設立する機関に移し、最大120億ドルを支払うという。だが創業一族の大富豪サックラー家が和解に向け支払う額は30億ドルとされ、一族の総資産130億ドルに比べ少なすぎるとの批判が出ている。同社のオピオイド系鎮痛剤の売り上げは累計で約350億ドルという。
米国で蔓延したオピオイド中毒の責任をめぐってオクラホマ地裁は8月、ジョンソン・エンド・ジョンンソン(J&J)に5億7200万ドルの制裁金を命じた。J&Jが中毒性のある鎮痛剤のリスクを矮小化し、事実誤認につながる形で宣伝するマーケティングを展開し、自社利益を追求していたとの主張を裁判所が認めた。
J&Jが「依存症リスクは低く、重度ではない慢性的な痛みにも有効だ」と宣伝していたことが審理で明らかになり、医師による鎮痛剤の過剰処方につながり、オクラホマ州での中毒死を急増させたと州側の弁護士は主張した。J&Jは原料成分の生成で全米6割のシェアを持ち、他メーカーにも供給していたという。
米国では1999~2017年にオピオイドが関係する薬物の過剰摂取で約40万人が死亡し、2018年の死者は4万7000人(処方されたオピオイドや非合法のオピオイドによる死者)。オクラホマ州では2000年以降に約6000人がオピオイドの過剰摂取で死んだという。
オピオイドを全米で大量に販売したことで製薬会社や流通業界は莫大な利益を得ていたとみられ、医師に処方されたオピオイド系鎮痛剤を入り口にヘロインなどの薬物の依存症になった人も多いとされる。オピオイドの乱用者は1200万人、オピオイドの蔓延による米国の経済損失は2015年で5040億ドルとの試算もある。
また、合成オピオイドの「フェンタニル」はモルヒネの50~100倍強力で、主な供給源は中国とされ、偽装して郵便で米国に送り込まれているという。米国からの批判に対して中国の政府系メディアは「乱用の責任は使用者にある」と反論した。
利益のためには手段を選ばないのが企業であり、オピオイドの流通に対する麻薬取締局の調査を制限する法律を連邦議会で成立させるほどの影響力を持っていた。人々を依存症にさせる商品を販売し、多数の中毒者と死者を出しながらマーケットを開拓し、大規模な産業に成長させた企業や業界や商売人。政治が資本に支配された結果でもある。
2019年9月18日水曜日
メスとオスの比率
中国大陸の総人口は約14億人とされ、女性人口は約6.8億人で男性人口は約7.1億人なので、男性のほうが3千万人以上多い。男児重視の風習に加え一人っ子政策などの影響もあって男女バランスに偏りが生じた。単純に考えるなら、中国人の結婚相手を見つけることができず結婚できない中国人男性が3千万人となる。
実際には、結婚相手の年齢・国籍などは幅広く、結婚離婚を複数回繰り返す人もいようから、「あぶれた」3千万人が結婚できないわけではないだろう。さらに、一夫一婦制による婚姻だけが男女関係の全てではないので、男女バランスの偏りは様々なひずみを生じつつも現実社会では潜在化されてしまうのかもしれない。
世界の総人口は約76億人(2017年)で、女性人口は先進国では51%台、開発途上国では49%台という。生まれる子供は性別では男児のほうが少し多いというから、開発途上国の男女比が自然にも見えるが、いわゆる間引きなどが影響している可能性の指摘もある。先進国で女性人口が多いのは、医療体制の整備もあって女性の平均寿命が男性より長いからとされる。
種の保存が生命の根本にある原則だとすれば、人為が加わらない自然な状態では、生まれる子供の男女比に極端な偏りは現れないだろう。男女数が同等であればペアの数が多くなり、繁殖に有利だ。男女のどちらか一方が増えすぎるとペアの数が減るから、適切な範囲内に男女比は維持されると考えられる。
ただし、一夫一婦制などの社会制度を外して考えると違った構図も見えてくる。男女が同数であればペアの数は多くなるが、生殖数がペアの数に比例するとは限らない。例えば、自然界にはオットセイなどのように強い一匹のオスが複数のメスを独占するハーレムが存在する。人間界ではハーレムは不道徳とされたが、種の保存の観点でハーレムが不適当であるかどうかは明らかではない。
おそらく妊娠や出産だけなら、男女比に偏りがあっても一定数以上の女性が存在するなら種の保存は可能だろう。だが、人間の子供が成長し、次世代を誕生させるまでには年月を要する。つまり人間では、生まれた子供を育てることが重要になる。そのため、過去には女系社会や強い男性に保護されることが有利になる時代もあったのだろうが、個人の権利意識が強固になった近代以降は一夫一婦制が子育てに最適だと認識されるようになった。
男児の出生数が多いのは育てにくいからだとも言われ、過去には狩猟や近隣との闘争や戦争などで死傷することから社会的に男児が多いことが歓迎されたのかもしれない。中国では一人っ子政策が人口の男女比を歪めた。人類の男女比は自然状態では種の保存に最適になるようになるのだろうが、それはどういう状態か明らかにはなっていない。
実際には、結婚相手の年齢・国籍などは幅広く、結婚離婚を複数回繰り返す人もいようから、「あぶれた」3千万人が結婚できないわけではないだろう。さらに、一夫一婦制による婚姻だけが男女関係の全てではないので、男女バランスの偏りは様々なひずみを生じつつも現実社会では潜在化されてしまうのかもしれない。
世界の総人口は約76億人(2017年)で、女性人口は先進国では51%台、開発途上国では49%台という。生まれる子供は性別では男児のほうが少し多いというから、開発途上国の男女比が自然にも見えるが、いわゆる間引きなどが影響している可能性の指摘もある。先進国で女性人口が多いのは、医療体制の整備もあって女性の平均寿命が男性より長いからとされる。
種の保存が生命の根本にある原則だとすれば、人為が加わらない自然な状態では、生まれる子供の男女比に極端な偏りは現れないだろう。男女数が同等であればペアの数が多くなり、繁殖に有利だ。男女のどちらか一方が増えすぎるとペアの数が減るから、適切な範囲内に男女比は維持されると考えられる。
ただし、一夫一婦制などの社会制度を外して考えると違った構図も見えてくる。男女が同数であればペアの数は多くなるが、生殖数がペアの数に比例するとは限らない。例えば、自然界にはオットセイなどのように強い一匹のオスが複数のメスを独占するハーレムが存在する。人間界ではハーレムは不道徳とされたが、種の保存の観点でハーレムが不適当であるかどうかは明らかではない。
おそらく妊娠や出産だけなら、男女比に偏りがあっても一定数以上の女性が存在するなら種の保存は可能だろう。だが、人間の子供が成長し、次世代を誕生させるまでには年月を要する。つまり人間では、生まれた子供を育てることが重要になる。そのため、過去には女系社会や強い男性に保護されることが有利になる時代もあったのだろうが、個人の権利意識が強固になった近代以降は一夫一婦制が子育てに最適だと認識されるようになった。
男児の出生数が多いのは育てにくいからだとも言われ、過去には狩猟や近隣との闘争や戦争などで死傷することから社会的に男児が多いことが歓迎されたのかもしれない。中国では一人っ子政策が人口の男女比を歪めた。人類の男女比は自然状態では種の保存に最適になるようになるのだろうが、それはどういう状態か明らかにはなっていない。
2019年9月14日土曜日
環境保護というイデオロギー
16歳の少女がヨットに乗って大西洋を横断して米ニューヨークに到着し、国連の気候サミットに出席するそうだ。この少女は気候変動への積極的な対策を求め、学校を休んでスウェーデン議会の前で座り込みを行って注目を集めた。欧州のリベラルなメディアは少女を環境保護活動家として大きく扱っている。
ドイツでは環境政党である緑の党が、今年行われた欧州議会選挙や地方議会選挙で躍進している。緑の党はエコロジー運動や反原発(反核も)など環境保護をテーマに結集した運動体として始まり、平和や女性解放、差別撤廃、多文化主義、社会的な弱者の保護など広範な運動とも連携して活動するようになった。
緑の党の支持者は若者や高学歴で裕福な人が多いとされ、長く政権を担ってきた2大政党から離れた支持者の受け皿にもなっているという。特に、既存の体制に取り込まれたとも見える既成の社会民主主義政党から離れたリベラルな人々の受け皿に緑の党がなったともいう。
一般に、リベラルは既存の体制を大きく変えることに抵抗が薄く、保守は既存の体制を大きく変えることに抵抗が強いとされる。そこに経済的な利害やイデオロギーなどが絡むから、単純にリベラルと保守を決めつけることはできず、多くの人はリベラル的な面と保守的な面を持っているのだろうが、リベラル的な発想をする人と保守的な発想をする人に分かれるのは事実だろう。
環境保護はリベラルだけの主張とは言い切れないだろうが、欧州を見ているとリベラルが環境保護運動の主体になっている。様々な環境保護運動に共通するのは、CO2排出増加による地球温暖化の抑制なのだろうが、既存の経済体制を大きく変えなければCO2排出の大幅削減は困難なので、この主張はリベラルと親和性が高い。
一方で、自然保護という発想は保守にも抵抗がないはずだが、環境保護運動において保守の影は薄い。経済活動を優先して開発を積極的に進めてきたのは資本の側であり保守と重なる部分が大きいとみられることも、自然保護と保守の親和性を損ねている。
環境保護の主張が政治的な主張に化した欧州。社会民主主義を支えていたイデオロギー部分が環境保護に変容したと考えるなら、リベラルが環境保護を掲げるのも理解しやすい。環境保護の主張に対する批判を許さず、感情的な激しい反発でリベラルが反応するのも、環境保護の主張がイデオロギーの代替物だと考えると理解できる。
ドイツでは環境政党である緑の党が、今年行われた欧州議会選挙や地方議会選挙で躍進している。緑の党はエコロジー運動や反原発(反核も)など環境保護をテーマに結集した運動体として始まり、平和や女性解放、差別撤廃、多文化主義、社会的な弱者の保護など広範な運動とも連携して活動するようになった。
緑の党の支持者は若者や高学歴で裕福な人が多いとされ、長く政権を担ってきた2大政党から離れた支持者の受け皿にもなっているという。特に、既存の体制に取り込まれたとも見える既成の社会民主主義政党から離れたリベラルな人々の受け皿に緑の党がなったともいう。
一般に、リベラルは既存の体制を大きく変えることに抵抗が薄く、保守は既存の体制を大きく変えることに抵抗が強いとされる。そこに経済的な利害やイデオロギーなどが絡むから、単純にリベラルと保守を決めつけることはできず、多くの人はリベラル的な面と保守的な面を持っているのだろうが、リベラル的な発想をする人と保守的な発想をする人に分かれるのは事実だろう。
環境保護はリベラルだけの主張とは言い切れないだろうが、欧州を見ているとリベラルが環境保護運動の主体になっている。様々な環境保護運動に共通するのは、CO2排出増加による地球温暖化の抑制なのだろうが、既存の経済体制を大きく変えなければCO2排出の大幅削減は困難なので、この主張はリベラルと親和性が高い。
一方で、自然保護という発想は保守にも抵抗がないはずだが、環境保護運動において保守の影は薄い。経済活動を優先して開発を積極的に進めてきたのは資本の側であり保守と重なる部分が大きいとみられることも、自然保護と保守の親和性を損ねている。
環境保護の主張が政治的な主張に化した欧州。社会民主主義を支えていたイデオロギー部分が環境保護に変容したと考えるなら、リベラルが環境保護を掲げるのも理解しやすい。環境保護の主張に対する批判を許さず、感情的な激しい反発でリベラルが反応するのも、環境保護の主張がイデオロギーの代替物だと考えると理解できる。
2019年9月11日水曜日
注目されます
最近のNHKラジオのニュースを聞いていると、外国の出来事を伝えたニュースなどの結びの言葉として「注目されます」が多用されている。注目される出来事だからニュースとしての価値を有する。「注目される」のは今後の動向のことだろうが、わざわざ加える必要はない言葉だ。
この「注目されます」という結びの言葉は、注目されるニュースだと念押ししているようだが、実際は以前から使われてきた決まり文句だ。「注目されます」と述べたところで、そのニュースに対する大半の聴取者の関心が高まることはないだろうから、無意味な言葉(表現)だ。
ニュースの送り手(NHK)は、注目せよと聞き手に注意を促しているわけではなく、無難な締め言葉として使っているのだろう。だが、国内のニュースを報じた最後に「注目されます」は使われないので、記者自身の取材が希薄なことをNHK内で識別するための記号として「注目されます」を加えているのではないかと勘ぐりたくなる。
「注目されます」で締めるニュースは、取材した記者の言い訳なのかもしれない。外国でネタ元が現地メディア程度しかないという記者が、ニュースを送れという日本の本社からの要求に応えようと頑張って現地のテレビなどが報じることをまとめて記事に仕立てたが、独自の情報が希薄なので、つい「注目されます」と結んでしまう。
全てのニュースは作られるものだ。どんな出来事でも、気づかれなかったり無視されたりして記者が報じず、メディア各社も記者に記事を要求しなければ、この世にニュースとして現れない。例えば、アフリカで数十人が死んでも日本人が含まれていなければ日本ではニュースにならず、紛争や自然災害などで外国で数十人規模の犠牲者が出ることは珍しくないが、日本が関係していなければニュースになることは少ない。
記者が取材しない出来事はニュースにならないのは国内でも同じ。逆にいうと、ニュースに仕立てたい出来事を各社は記者に取材させる。最近の例では、あおり運転など路上のトラブルや高齢者が関わる交通事故などがある。記者に取材させ、発掘された様々な事例がニュースとして多く報じられると、問題が蔓延しているような雰囲気になったりする。
事実だけを伝えるはずのニュースで、「注目されます」などとニュースの価値判断を急に聴取者など受け手に押し付けるのは、報道機関としての衰弱を示すものだ。NHKは災害報道などでは存在感を発揮するが、通常のニュースには妙な「印象操作」が紛れ込む。
この「注目されます」という結びの言葉は、注目されるニュースだと念押ししているようだが、実際は以前から使われてきた決まり文句だ。「注目されます」と述べたところで、そのニュースに対する大半の聴取者の関心が高まることはないだろうから、無意味な言葉(表現)だ。
ニュースの送り手(NHK)は、注目せよと聞き手に注意を促しているわけではなく、無難な締め言葉として使っているのだろう。だが、国内のニュースを報じた最後に「注目されます」は使われないので、記者自身の取材が希薄なことをNHK内で識別するための記号として「注目されます」を加えているのではないかと勘ぐりたくなる。
「注目されます」で締めるニュースは、取材した記者の言い訳なのかもしれない。外国でネタ元が現地メディア程度しかないという記者が、ニュースを送れという日本の本社からの要求に応えようと頑張って現地のテレビなどが報じることをまとめて記事に仕立てたが、独自の情報が希薄なので、つい「注目されます」と結んでしまう。
全てのニュースは作られるものだ。どんな出来事でも、気づかれなかったり無視されたりして記者が報じず、メディア各社も記者に記事を要求しなければ、この世にニュースとして現れない。例えば、アフリカで数十人が死んでも日本人が含まれていなければ日本ではニュースにならず、紛争や自然災害などで外国で数十人規模の犠牲者が出ることは珍しくないが、日本が関係していなければニュースになることは少ない。
記者が取材しない出来事はニュースにならないのは国内でも同じ。逆にいうと、ニュースに仕立てたい出来事を各社は記者に取材させる。最近の例では、あおり運転など路上のトラブルや高齢者が関わる交通事故などがある。記者に取材させ、発掘された様々な事例がニュースとして多く報じられると、問題が蔓延しているような雰囲気になったりする。
事実だけを伝えるはずのニュースで、「注目されます」などとニュースの価値判断を急に聴取者など受け手に押し付けるのは、報道機関としての衰弱を示すものだ。NHKは災害報道などでは存在感を発揮するが、通常のニュースには妙な「印象操作」が紛れ込む。
2019年9月7日土曜日
制裁関税や報復関税
米国は9月1日、1120億ドル分の中国製品を対象に15%の追加関税を課した。半導体メモリーのほかテレビなどの家電や衣料品、靴、時計、スポーツ用品、楽器など消費財を中心に3243品目が対象。これにより中国からの輸入額の約7割に制裁関税が課された。
さらに米国はスマホやノートパソコン、玩具など550品目、計1600億ドル分に対して12月15日に15%を課す。年間で最も消費が盛り上がるクリスマス商戦に配慮して先送りしたものだが、これが実施されると、中国からの輸入品のほぼ全量に制裁関税が課される。また、すでに25%の関税を上乗せした2500億ドル分についても10月1日から関税上乗せを30%に引き上げるという。
中国は一歩も引かず、計750億ドル分の米国製品に5~10%の報復関税を課すとし、まず9月1日に原油や大豆など1717品目に報復関税を課し、自動車など3361品目には12月15日に課す。すでに米国からの輸入額の7割には報復関税を課しており、新たな報復関税は上乗せになるものが多い。
米国も中国も相手国からの輸入額の7割に関税を上乗せしたが、双方とも強気の対抗姿勢を崩していないので、関税を高め合う制裁合戦が収束する見通しは立っていない。両国では民衆レベルでも対立意識が高まっている気配で、国内政治的に両国とも先に譲歩する姿勢を見せることが難しくなったように見える。
このまま両国が関税を互いに高め合って、ほぼ全ての輸入品に高い関税を課し合えば何が起きるか。他国からの代替輸入に切り替え可能なものは切り替えるだろうが、他国からの代替輸入が困難な品目は品薄になるとともに値上がりする。値上がりの度合いによってはインフレ懸念も出てこよう。
「欲しがりません、(貿易戦争に)勝つまでは」と両国の消費者が、高い関税による輸入品の値上がりと品薄に「愛国的」な態度を示して消費を抑制するなら、制裁合戦が両国経済に与える影響は限定されるかもしれないが、両国ともに消費者の消費意欲は旺盛なので、輸入品の値上がりにどこまで耐えられるかがカギとなる。
この制裁関税合戦は、米国と中国の覇権をめぐる争いだとの解釈は珍しくない。欧米日の大企業の低賃金生産地として経済成長を遂げた中国は、豊富な資金で独自の技術力を高め、分野によっては米国を凌駕するまでになった。世界への輸出基地として成長した中国が制裁関税合戦では劣勢だろうが、中国は国家が優先する資本主義だから劣勢だからといって譲歩する可能性は低い。この貿易紛争に中国が勝ったなら、それは国家資本主義の優位を示す。
さらに米国はスマホやノートパソコン、玩具など550品目、計1600億ドル分に対して12月15日に15%を課す。年間で最も消費が盛り上がるクリスマス商戦に配慮して先送りしたものだが、これが実施されると、中国からの輸入品のほぼ全量に制裁関税が課される。また、すでに25%の関税を上乗せした2500億ドル分についても10月1日から関税上乗せを30%に引き上げるという。
中国は一歩も引かず、計750億ドル分の米国製品に5~10%の報復関税を課すとし、まず9月1日に原油や大豆など1717品目に報復関税を課し、自動車など3361品目には12月15日に課す。すでに米国からの輸入額の7割には報復関税を課しており、新たな報復関税は上乗せになるものが多い。
米国も中国も相手国からの輸入額の7割に関税を上乗せしたが、双方とも強気の対抗姿勢を崩していないので、関税を高め合う制裁合戦が収束する見通しは立っていない。両国では民衆レベルでも対立意識が高まっている気配で、国内政治的に両国とも先に譲歩する姿勢を見せることが難しくなったように見える。
このまま両国が関税を互いに高め合って、ほぼ全ての輸入品に高い関税を課し合えば何が起きるか。他国からの代替輸入に切り替え可能なものは切り替えるだろうが、他国からの代替輸入が困難な品目は品薄になるとともに値上がりする。値上がりの度合いによってはインフレ懸念も出てこよう。
「欲しがりません、(貿易戦争に)勝つまでは」と両国の消費者が、高い関税による輸入品の値上がりと品薄に「愛国的」な態度を示して消費を抑制するなら、制裁合戦が両国経済に与える影響は限定されるかもしれないが、両国ともに消費者の消費意欲は旺盛なので、輸入品の値上がりにどこまで耐えられるかがカギとなる。
この制裁関税合戦は、米国と中国の覇権をめぐる争いだとの解釈は珍しくない。欧米日の大企業の低賃金生産地として経済成長を遂げた中国は、豊富な資金で独自の技術力を高め、分野によっては米国を凌駕するまでになった。世界への輸出基地として成長した中国が制裁関税合戦では劣勢だろうが、中国は国家が優先する資本主義だから劣勢だからといって譲歩する可能性は低い。この貿易紛争に中国が勝ったなら、それは国家資本主義の優位を示す。
2019年9月4日水曜日
民主主義を支えるもの
制度としての民主主義(自由選挙)は世界各国で定着しているように見えるが、その結果として各国で民主主義の理念が実現しているとは限らない。強い指導力を誇示する強権的な人物に権力が与えられる国もあり、内政でも外交でも摩擦が起きていたりし、制度としての民主主義の機能不全が嘆かれたりする。
もちろん全ての国で混乱が増えているわけではなく、制度としての民主主義により波紋が広がっても、政治も社会も基本的に安定している国は多い。一方で、潜在していた分裂が自由選挙によって表面化したり、対立が先鋭化する国も珍しくなくなった。
制度としての民主主義は、どんな国でも導入可能だろうが、制度としての民主主義は理念としての民主主義の実現を保証するものではない。制度としての民主主義によって安定した社会を維持し、理念としての民主主義を実現するためには、おそらく社会に制度としての民主主義以外の何かの要素が備わっている必要がある。
制度としての民主主義を定着させ、理念としての民主主義を支えるものは、はるか以前から社会に存在したものだろう。それは長い歴史の中で培われた、人々が共存する仕組み(他者の尊重や異論の尊重=異質なものを排除しない、自制心の奨励、互いの寛容、合意形成の重視など)が、制度としての民主主義を通して社会の安定につながっている。
そうした歴史的な共同体を支えてきた共存する仕組みが、どの国にも存在するわけではない。例えば、植民地の境界を国境として独立した国では民族が混在していることが多く、形成された「国民」による共同体としての歴史に欠ける。他者や異論を尊重せず、互いに寛容にならず、合意形成より自己主張を重視する人々により形成された社会では、制度としての民主主義を通して分裂や対立が表面化する。
また、移民や難民の流入によって歴史的な共同体が変質している国で、それぞれの自己主張が強くなると、共存する仕組みも変質せざるを得ないだろう。その変質が共存を強める方向に向かうものなら社会の安定は維持されようが、利害対立などに基づき個別集団の自己主張が活発化すると分裂や対立が先鋭化する方向に向かう。
共存する仕組みが変質したり、崩壊し始めた社会では、制度としての民主主義が機能していないように見えたりする。人々が共存を重視しなくなった社会では、理念としての民主主義はぼやける。言い方を変えると、理念としての民主主義は分裂する集団の数だけ現れる。そうした細分化された民主主義は、共存する仕組みが崩壊した社会を立て直すためには無力だろう。
もちろん全ての国で混乱が増えているわけではなく、制度としての民主主義により波紋が広がっても、政治も社会も基本的に安定している国は多い。一方で、潜在していた分裂が自由選挙によって表面化したり、対立が先鋭化する国も珍しくなくなった。
制度としての民主主義は、どんな国でも導入可能だろうが、制度としての民主主義は理念としての民主主義の実現を保証するものではない。制度としての民主主義によって安定した社会を維持し、理念としての民主主義を実現するためには、おそらく社会に制度としての民主主義以外の何かの要素が備わっている必要がある。
制度としての民主主義を定着させ、理念としての民主主義を支えるものは、はるか以前から社会に存在したものだろう。それは長い歴史の中で培われた、人々が共存する仕組み(他者の尊重や異論の尊重=異質なものを排除しない、自制心の奨励、互いの寛容、合意形成の重視など)が、制度としての民主主義を通して社会の安定につながっている。
そうした歴史的な共同体を支えてきた共存する仕組みが、どの国にも存在するわけではない。例えば、植民地の境界を国境として独立した国では民族が混在していることが多く、形成された「国民」による共同体としての歴史に欠ける。他者や異論を尊重せず、互いに寛容にならず、合意形成より自己主張を重視する人々により形成された社会では、制度としての民主主義を通して分裂や対立が表面化する。
また、移民や難民の流入によって歴史的な共同体が変質している国で、それぞれの自己主張が強くなると、共存する仕組みも変質せざるを得ないだろう。その変質が共存を強める方向に向かうものなら社会の安定は維持されようが、利害対立などに基づき個別集団の自己主張が活発化すると分裂や対立が先鋭化する方向に向かう。
共存する仕組みが変質したり、崩壊し始めた社会では、制度としての民主主義が機能していないように見えたりする。人々が共存を重視しなくなった社会では、理念としての民主主義はぼやける。言い方を変えると、理念としての民主主義は分裂する集団の数だけ現れる。そうした細分化された民主主義は、共存する仕組みが崩壊した社会を立て直すためには無力だろう。
2019年8月31日土曜日
消えたシールズ
SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)という学生団体がかつて、国会前のデモなどの活動を行い、一部のマスコミに大きくもてはやされた。若者が政治参加の声を上げ、動き出したという賛美だったが、シールズは2016年8月に解散した。
シールズが残したものは何か、ぼやけている。どうやら解散とともに忘れられて終わりということらしい。一部のマスコミに祭り上げられ、世論を誘導するという利用価値がなくなって捨てられただけと見える。「反対するだけ」という野党側の政治運動に少し変わった色付けをしてみせた存在だったともいえる。
現代では全てが消費される対象になり、多くは消費された後に捨てられて見向きもされない。シールズという運動も消費されて捨てられたと解釈すべきだろう。政治運動が消費されて捨てられたということは、その政治運動は残すに値する何ものも提示していなかったことでもある。
政治運動だから、影響力が減退して「賞味期限」が過ぎれば捨てられるのは当然だろうが、少しの引っかき傷も残せず消えただけという運動は、潔いともいえるが、運動として無力だった。見方を変えると、一部のマスコミなどが賛美したからこそ、無力でも一時は勢いを得た。
無力だったとしても、学生に政治運動への自由な参加の機会を広げたことはシールズの功績だろう。また、中央の執行部は弱体なままで分散型の組織を広げるという新しい組織像を提示したことも興味深い実験だったが、求心力と遠心力が釣り合ってこそ運動する組織は形を保つ。
自由な連合というのは、運動の理想かもしれない。何かの目的を共有する個人が自由に集まって力を合わせて運動し、目的を達したり、運動の意味や意義が薄れたなら個人は散っていく……そんな運動が成立するには、自立した個人が集まることがカギとなる。自立した個人とは、1人で闘うことができる人のことだ。物語でいえば『水滸伝』の世界だ。
シールズは、自由な連合になることができた可能性はあったのか。結果から判断すると、一部のマスコミにもてはやされ、利用されただけだった。「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」(by竹中労)という言葉を思い出すなら、シールズが無力だった理由が見える。
シールズが残したものは何か、ぼやけている。どうやら解散とともに忘れられて終わりということらしい。一部のマスコミに祭り上げられ、世論を誘導するという利用価値がなくなって捨てられただけと見える。「反対するだけ」という野党側の政治運動に少し変わった色付けをしてみせた存在だったともいえる。
現代では全てが消費される対象になり、多くは消費された後に捨てられて見向きもされない。シールズという運動も消費されて捨てられたと解釈すべきだろう。政治運動が消費されて捨てられたということは、その政治運動は残すに値する何ものも提示していなかったことでもある。
政治運動だから、影響力が減退して「賞味期限」が過ぎれば捨てられるのは当然だろうが、少しの引っかき傷も残せず消えただけという運動は、潔いともいえるが、運動として無力だった。見方を変えると、一部のマスコミなどが賛美したからこそ、無力でも一時は勢いを得た。
無力だったとしても、学生に政治運動への自由な参加の機会を広げたことはシールズの功績だろう。また、中央の執行部は弱体なままで分散型の組織を広げるという新しい組織像を提示したことも興味深い実験だったが、求心力と遠心力が釣り合ってこそ運動する組織は形を保つ。
自由な連合というのは、運動の理想かもしれない。何かの目的を共有する個人が自由に集まって力を合わせて運動し、目的を達したり、運動の意味や意義が薄れたなら個人は散っていく……そんな運動が成立するには、自立した個人が集まることがカギとなる。自立した個人とは、1人で闘うことができる人のことだ。物語でいえば『水滸伝』の世界だ。
シールズは、自由な連合になることができた可能性はあったのか。結果から判断すると、一部のマスコミにもてはやされ、利用されただけだった。「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」(by竹中労)という言葉を思い出すなら、シールズが無力だった理由が見える。
2019年8月28日水曜日
集団が持つ承認要求
各国で、様々なアイデンティティーを持つ人々が、社会から適切に尊厳を持って認識されていないという主張を強めている。それが民主主義の制度を通して政治に影響を与えており、ポピュリスト政治を助長しているとの見方がある。
社会から適切に尊厳を持って認識されていないという思いが高まると、社会に正当に扱われていない被害者であると自分らを位置づけ、被害者であるから自分らの権利要求を社会は受け入れるべきだと自分らの主張を正当化するという循環。
人々による様々なアイデンティティーの認識要求は、多文化主義など相互の尊重や差異の承認、自己抑制に基づいて共存を目指す方向で社会は受け入れるしかない。だが問題は、そうした様々なアイデンティティーの認識要求が政治的な主張となって現れる場合だ。
政治的な主張には利害対立がつきまとう。ある人々の主張が優先されることが、他の人々の主張の制限や不利益になることは珍しくない。様々なアイデンティティーの認識要求が政治的な主張に変換される時、それは様々なアイデンティティーの人々の間の利害対立ともなる。
個人が持つ「他者から認められたい」という感情が承認欲求で、そうした感情は自分は①もっと高く評価されたい、②不当に低く評価されている、のどちらかに基づく。様々なアイデンティティーを持つ人々による認識要求は、ある集団の承認要求とも解釈できる。
様々なアイデンティティーを持つ人々による承認要求は、社会から我々は不当な扱いを受けているとの感情の共有によって支えられる。そうした人々の承認要求が解消されるために具体的に何が必要なのかを示す要求が政治的な主張になると、多くの雑多な政治的主張の中に埋没し、特別な主張とは見られなくなる。
集団による承認要求は、その要求に同調する姿勢を示すことで集票が見込めるので政治家は無視できない。言葉だけなら政治家は、いくらでも様々な集団の承認要求を讃え、支持するだろう。しかし、ある集団の承認要求を政治家が完全に代行することは稀だから、集団の承認要求が満たされることはない。
社会から適切に尊厳を持って認識されていないという思いが高まると、社会に正当に扱われていない被害者であると自分らを位置づけ、被害者であるから自分らの権利要求を社会は受け入れるべきだと自分らの主張を正当化するという循環。
人々による様々なアイデンティティーの認識要求は、多文化主義など相互の尊重や差異の承認、自己抑制に基づいて共存を目指す方向で社会は受け入れるしかない。だが問題は、そうした様々なアイデンティティーの認識要求が政治的な主張となって現れる場合だ。
政治的な主張には利害対立がつきまとう。ある人々の主張が優先されることが、他の人々の主張の制限や不利益になることは珍しくない。様々なアイデンティティーの認識要求が政治的な主張に変換される時、それは様々なアイデンティティーの人々の間の利害対立ともなる。
個人が持つ「他者から認められたい」という感情が承認欲求で、そうした感情は自分は①もっと高く評価されたい、②不当に低く評価されている、のどちらかに基づく。様々なアイデンティティーを持つ人々による認識要求は、ある集団の承認要求とも解釈できる。
様々なアイデンティティーを持つ人々による承認要求は、社会から我々は不当な扱いを受けているとの感情の共有によって支えられる。そうした人々の承認要求が解消されるために具体的に何が必要なのかを示す要求が政治的な主張になると、多くの雑多な政治的主張の中に埋没し、特別な主張とは見られなくなる。
集団による承認要求は、その要求に同調する姿勢を示すことで集票が見込めるので政治家は無視できない。言葉だけなら政治家は、いくらでも様々な集団の承認要求を讃え、支持するだろう。しかし、ある集団の承認要求を政治家が完全に代行することは稀だから、集団の承認要求が満たされることはない。
2019年8月24日土曜日
普通選挙を求める人々
香港には議会である立法会(定数70)があり、首相に相当する香港行政長官がいて、ともに選挙で選ばれる。だが、直接選挙で選出される議員は立法会の議員の半数だけであり、当選した議員も反中国的な言動で議員資格を剥奪されたりするので、親中国派の議員が大部分となっている。
行政長官は、定数1200人の選挙委員会の投票で選ばれる。立候補するには100人以上の選挙委員会の委員の推薦が必要で、委員は事実上、親中国派のみがなるので、行政長官には親中国派か中国に逆らわない人物のみしか選ばれない。
中国への返還後、香港の多くの人々が行政長官や立法会の議員を普通選挙で選びたいと運動してきた。香港が植民地であった頃は長い間、民主主義は存在しなかったが、中国への返還の2年前に英国は香港の議会の民選化を行った。それを返還後に中国は制限した。
植民地を放棄するときに、争いのタネをまいて去るのが英国だ。普通選挙により構成される議会は民主主義の要だが、中国のような1党独裁国家において、自由な普通選挙による議会は排除される。英国は、香港を中国に返還する間際に香港の人々に普通選挙を「プレゼント」し、民主主義の擁護者を装う。
香港の人々は普通選挙を、与えられるのではなく、自らの手で掴もうと運動を続けている。英国は高みの見物だが、中国は香港に普通選挙を許すことはできない。香港は中国の一部だという主張なのだから、香港に普通選挙を許せば中国全土でも普通選挙を要求する動きが高まる。
中国の1党独裁は民意を統制・抑圧することで成り立っている。体制への翼賛しか許さない社会では、体制を賛美するか体制に従順になることだけが民意とされる。だが、普通選挙を要求するという民意が香港で示され続け、中国は香港の民意を統制・抑圧できていない。
民意が行政には反映されていない社会に、人々が我慢できなくなって街頭に出て意思表示を始めた。香港の主権を有するのは香港人だと人々は主張し、香港の主権を有するのは中国政府だと中国は主張する。しかし、中国は香港の人々を説得する言葉を持たず、強権による抑圧しか方策がないように見える。中国も、追い込まれている。
行政長官は、定数1200人の選挙委員会の投票で選ばれる。立候補するには100人以上の選挙委員会の委員の推薦が必要で、委員は事実上、親中国派のみがなるので、行政長官には親中国派か中国に逆らわない人物のみしか選ばれない。
中国への返還後、香港の多くの人々が行政長官や立法会の議員を普通選挙で選びたいと運動してきた。香港が植民地であった頃は長い間、民主主義は存在しなかったが、中国への返還の2年前に英国は香港の議会の民選化を行った。それを返還後に中国は制限した。
植民地を放棄するときに、争いのタネをまいて去るのが英国だ。普通選挙により構成される議会は民主主義の要だが、中国のような1党独裁国家において、自由な普通選挙による議会は排除される。英国は、香港を中国に返還する間際に香港の人々に普通選挙を「プレゼント」し、民主主義の擁護者を装う。
香港の人々は普通選挙を、与えられるのではなく、自らの手で掴もうと運動を続けている。英国は高みの見物だが、中国は香港に普通選挙を許すことはできない。香港は中国の一部だという主張なのだから、香港に普通選挙を許せば中国全土でも普通選挙を要求する動きが高まる。
中国の1党独裁は民意を統制・抑圧することで成り立っている。体制への翼賛しか許さない社会では、体制を賛美するか体制に従順になることだけが民意とされる。だが、普通選挙を要求するという民意が香港で示され続け、中国は香港の民意を統制・抑圧できていない。
民意が行政には反映されていない社会に、人々が我慢できなくなって街頭に出て意思表示を始めた。香港の主権を有するのは香港人だと人々は主張し、香港の主権を有するのは中国政府だと中国は主張する。しかし、中国は香港の人々を説得する言葉を持たず、強権による抑圧しか方策がないように見える。中国も、追い込まれている。
2019年8月21日水曜日
中国の核武装
社会に存在する具体的な問題をめぐる議論は、大きく3つに分かれる。第一は、政治的な立場などに基づく主張で、社会情勢や世界情勢が大きく変わると陳腐化する。第二は、原則的に考え、歴史的な批判にも耐える普遍的な論であることを意識する。第三は、弱者または強者に肩入れする感情論。
例えば、半世紀ほど前に日本で人々が原水爆の禁止を求める署名運動を始め、原水爆禁止運動となって広がり、世界大会の開催まで高揚したが、やがて分裂した。安保を巡る対立で保守系が離反し、残った革新陣営内で、ソ連の核実験を認めるかどうかで対立が先鋭化し、分裂した。
原水爆が非人道的な兵器であり、人類に対して2度と使われてはならないだろうから、原水爆の使用禁止論には普遍性があろうが、核兵器保有国が核廃絶に動く可能性は非常に小さく、逆に核兵器を保有しようと欲する国は少なくない。日本における原水爆禁止運動には普遍的な意義があったが、政治的には無力だった。
中国の核兵器保有に対する態度も分かれた。半世紀ほど前に中国は自国の核兵器を、ソ連と米国の核兵器に対する対抗手段だと主張し、「核兵器を絶対最初に使わない。核兵器で攻撃されない限り中国の核兵器を使うことはない」とした(引用は全て『過客問答』加藤周一著から)。
中国の主張に対して日本では、「あらゆる国の核兵器に反対で、核兵器反対はわれわれの悲願だ」と知識人は言い、サルトルは「米国とソ連が強力な核兵器を持っていて、しかもそれを中国国境に配置している時に、中国が核兵器を持つことがいけないとどうして言えるのか」と言った。
米国の核兵器は悪だがソ連の核兵器は許容されるとか、米ソの核兵器は悪だが中国の核兵器は許容されるなどという論は、政治的な主張だ。政治的な主張だったから、世界情勢が大きく変化した現在、中国の核兵器を容認する主張に共感する人は世界に多くはないだろう。とはいえ、核兵器廃絶は人類の悲願だなどと情に訴えたところで現実を変えることはできなかった。
原水爆禁止運動が広がったのは、各国が核兵器を実戦で使用することによる人類滅亡の危機感に現実味があったのだろう。だが、この半世紀に米国もソ連も中国も戦争を行ったが、核兵器を使用しなかった。核兵器は現実には使用できない兵器だった理由は様々だろうが、原水爆禁止運動の成果でないことは確かだ。
核兵器は、人類に対する脅威であるとともに、保有する各国にとっては極めて有効な武器である。政治的な論で各国に核兵器を放棄させることはできまいし、人類の生存を脅かす大量殺戮兵器であると各国に放棄を説得することもできないのが現実だ。核兵器を国家が保有するデメリットが現実には希薄であることを踏まえた核兵器廃絶論はまだ現れてはいない。
例えば、半世紀ほど前に日本で人々が原水爆の禁止を求める署名運動を始め、原水爆禁止運動となって広がり、世界大会の開催まで高揚したが、やがて分裂した。安保を巡る対立で保守系が離反し、残った革新陣営内で、ソ連の核実験を認めるかどうかで対立が先鋭化し、分裂した。
原水爆が非人道的な兵器であり、人類に対して2度と使われてはならないだろうから、原水爆の使用禁止論には普遍性があろうが、核兵器保有国が核廃絶に動く可能性は非常に小さく、逆に核兵器を保有しようと欲する国は少なくない。日本における原水爆禁止運動には普遍的な意義があったが、政治的には無力だった。
中国の核兵器保有に対する態度も分かれた。半世紀ほど前に中国は自国の核兵器を、ソ連と米国の核兵器に対する対抗手段だと主張し、「核兵器を絶対最初に使わない。核兵器で攻撃されない限り中国の核兵器を使うことはない」とした(引用は全て『過客問答』加藤周一著から)。
中国の主張に対して日本では、「あらゆる国の核兵器に反対で、核兵器反対はわれわれの悲願だ」と知識人は言い、サルトルは「米国とソ連が強力な核兵器を持っていて、しかもそれを中国国境に配置している時に、中国が核兵器を持つことがいけないとどうして言えるのか」と言った。
米国の核兵器は悪だがソ連の核兵器は許容されるとか、米ソの核兵器は悪だが中国の核兵器は許容されるなどという論は、政治的な主張だ。政治的な主張だったから、世界情勢が大きく変化した現在、中国の核兵器を容認する主張に共感する人は世界に多くはないだろう。とはいえ、核兵器廃絶は人類の悲願だなどと情に訴えたところで現実を変えることはできなかった。
原水爆禁止運動が広がったのは、各国が核兵器を実戦で使用することによる人類滅亡の危機感に現実味があったのだろう。だが、この半世紀に米国もソ連も中国も戦争を行ったが、核兵器を使用しなかった。核兵器は現実には使用できない兵器だった理由は様々だろうが、原水爆禁止運動の成果でないことは確かだ。
核兵器は、人類に対する脅威であるとともに、保有する各国にとっては極めて有効な武器である。政治的な論で各国に核兵器を放棄させることはできまいし、人類の生存を脅かす大量殺戮兵器であると各国に放棄を説得することもできないのが現実だ。核兵器を国家が保有するデメリットが現実には希薄であることを踏まえた核兵器廃絶論はまだ現れてはいない。
2019年8月17日土曜日
北海道の公共交通
JR北海道は2016年に同社単独では「維持困難」とする10路線13線区を発表し、沿線自治体などの支援が路線維持には必要としたが、沿線自治体の同意を得たのは2線区で、他の路線の協議は進展していない。同社単独では維持できず、沿線自治体などから支援が得られないとすれば廃線しかない。
協議が難航するのは、沿線自治体には資金がなく、公共交通についてのアイデアもないからだ。利用者がいない鉄道を維持するには、赤字を補填し続けるしかないが、それは沿線自治体には困難だ。だが、過疎化に拍車をかけるなどと廃線には抵抗する。抵抗する姿を見せることが目的だとも見える。
北海道の鉄路は、冬季の低温と降雪という過酷な環境にある。隙間に入り込んだ水分は凍ると膨張し、融けると流れ去るので毎年、鉄路は傷められ、修復作業を必要とする。JR北海道は除雪作業に加え、全道の鉄路の修復が毎年欠かせないという高コスト体質なのだが、自動車の普及や過疎化で北海道での鉄道利用者は減っている。
鉄路維持と鉄道運行を分け、沿線自治体や北海道などが鉄路の維持管理を受け持ち、JR北海道は列車の運行だけに責任を持つなら路線は維持できようが、赤字を垂れ流す構造は同じで、赤字を付け替えるだけだ。鉄路の維持管理を収益化するのは困難で、公共事業として行うしかないだろう。
冬季の低温と降雪は道路も傷める。道路の維持管理は自治体や北海道などの責任だから、あちこちの道路で春先から補修工事が繰り返される。道路は誰でも使うことができるので道路を維持管理する公共性は高いが、利用者が減っている鉄道を維持するためだけの鉄路の維持管理については公共性が高いとは見えない。
鉄道の廃線をマスコミは感傷的に報じ、「ありがとう」などと叫ぶ鉄道ファンの姿を伝えるのが定番パターンだ。沿線自治体も廃線に対して感情的な対応が先立つようで、廃線は受け入れられないとの姿勢を崩さなかったりする。自治体が考えるべきは、公共交通のシステムを維持することであり、移動手段が鉄道であろうとバスであろうと構わないはずだ。
JR北海道単独では「維持困難」とする路線は、人々から見限られ、その役目を終えたともいえる。鉄道が公共交通システムの主体であった時代は、少なくとも北海道では終わったから、JR北海道は苦しんでいる。システムとして北海道の公共交通を考えるなら、バス利用の利便性を高めることに比重を移すべきだろう。
協議が難航するのは、沿線自治体には資金がなく、公共交通についてのアイデアもないからだ。利用者がいない鉄道を維持するには、赤字を補填し続けるしかないが、それは沿線自治体には困難だ。だが、過疎化に拍車をかけるなどと廃線には抵抗する。抵抗する姿を見せることが目的だとも見える。
北海道の鉄路は、冬季の低温と降雪という過酷な環境にある。隙間に入り込んだ水分は凍ると膨張し、融けると流れ去るので毎年、鉄路は傷められ、修復作業を必要とする。JR北海道は除雪作業に加え、全道の鉄路の修復が毎年欠かせないという高コスト体質なのだが、自動車の普及や過疎化で北海道での鉄道利用者は減っている。
鉄路維持と鉄道運行を分け、沿線自治体や北海道などが鉄路の維持管理を受け持ち、JR北海道は列車の運行だけに責任を持つなら路線は維持できようが、赤字を垂れ流す構造は同じで、赤字を付け替えるだけだ。鉄路の維持管理を収益化するのは困難で、公共事業として行うしかないだろう。
冬季の低温と降雪は道路も傷める。道路の維持管理は自治体や北海道などの責任だから、あちこちの道路で春先から補修工事が繰り返される。道路は誰でも使うことができるので道路を維持管理する公共性は高いが、利用者が減っている鉄道を維持するためだけの鉄路の維持管理については公共性が高いとは見えない。
鉄道の廃線をマスコミは感傷的に報じ、「ありがとう」などと叫ぶ鉄道ファンの姿を伝えるのが定番パターンだ。沿線自治体も廃線に対して感情的な対応が先立つようで、廃線は受け入れられないとの姿勢を崩さなかったりする。自治体が考えるべきは、公共交通のシステムを維持することであり、移動手段が鉄道であろうとバスであろうと構わないはずだ。
JR北海道単独では「維持困難」とする路線は、人々から見限られ、その役目を終えたともいえる。鉄道が公共交通システムの主体であった時代は、少なくとも北海道では終わったから、JR北海道は苦しんでいる。システムとして北海道の公共交通を考えるなら、バス利用の利便性を高めることに比重を移すべきだろう。
2019年8月14日水曜日
常に動いている
地球の自転の平均速度は約1670km/時(赤道上)というので、秒速にする約460mになる。日本付近では地球の直径が赤道よりも短くなり、1日の長さは24時間と同じなので自転の速度は約1380キロ/時、秒速は約380mほどと赤道よりも遅くなる。
地球は太陽の周りを公転しているが、その速度は約10万8000km/時とされ、秒速にすると約28km。自転しながら地球は太陽の周りを凄まじい速度で移動を続けているのだから、部屋の中でじっと座っている人も、太陽系の外から見ると、激しく動き続けていると見えるだろう。
さらに太陽を含め太陽系も天の川銀河の中を周回している。その速度は諸説あるが、約86万4000km/時とすると秒速240kmになる。地球も一緒に想像を絶する速度で動いているのだが、宇宙は広大だ。太陽系は天の川銀河の中心から離れた端の方に位置するので、1回の周回に2億年以上かかるとされる。
約240km/秒で移動する太陽の周りを、地球などの惑星は太陽の移動方向と垂直の方向に公転しながら、太陽とともに約240km/秒で移動する。地球など惑星の公転は、書籍などの図(平面)では太陽を中心にいくつもの円で描かれるが、その円は宇宙空間では引き延ばしたコイルバネのような螺旋運動になる。
さらに、天の川銀河も動いている。どのように動いているのかは明確には判明していないが、約250万光年ほど離れているアンドロメダ銀河と近づきつつあり、数十億年後に衝突するとされる。おそらくアンドロメダ銀河も天の川銀河も距離を縮めるように互いに動いているのだろう。
他にも、膨張を続けているとされる宇宙では、宇宙空間そのものに動きがあり、その動きは宇宙の全ての物質に影響しているだろう。その動きがどのようなものかを知ることは簡単ではないだろうが、地球表面の、例えば、公園のベンチにじっと座っている人も宇宙空間の動き(膨張)の中にいる。
地球は自転しつつ、太陽を中心に約28km/秒で螺旋を描きながら公転しつつ、天の川銀河の中を約240km/秒で移動しているが、天の川銀河もおそらく凄まじい速度で移動している。地球上の人々は、想像を絶するジェットコースーターに乗り続けている。
地球は太陽の周りを公転しているが、その速度は約10万8000km/時とされ、秒速にすると約28km。自転しながら地球は太陽の周りを凄まじい速度で移動を続けているのだから、部屋の中でじっと座っている人も、太陽系の外から見ると、激しく動き続けていると見えるだろう。
さらに太陽を含め太陽系も天の川銀河の中を周回している。その速度は諸説あるが、約86万4000km/時とすると秒速240kmになる。地球も一緒に想像を絶する速度で動いているのだが、宇宙は広大だ。太陽系は天の川銀河の中心から離れた端の方に位置するので、1回の周回に2億年以上かかるとされる。
約240km/秒で移動する太陽の周りを、地球などの惑星は太陽の移動方向と垂直の方向に公転しながら、太陽とともに約240km/秒で移動する。地球など惑星の公転は、書籍などの図(平面)では太陽を中心にいくつもの円で描かれるが、その円は宇宙空間では引き延ばしたコイルバネのような螺旋運動になる。
さらに、天の川銀河も動いている。どのように動いているのかは明確には判明していないが、約250万光年ほど離れているアンドロメダ銀河と近づきつつあり、数十億年後に衝突するとされる。おそらくアンドロメダ銀河も天の川銀河も距離を縮めるように互いに動いているのだろう。
他にも、膨張を続けているとされる宇宙では、宇宙空間そのものに動きがあり、その動きは宇宙の全ての物質に影響しているだろう。その動きがどのようなものかを知ることは簡単ではないだろうが、地球表面の、例えば、公園のベンチにじっと座っている人も宇宙空間の動き(膨張)の中にいる。
地球は自転しつつ、太陽を中心に約28km/秒で螺旋を描きながら公転しつつ、天の川銀河の中を約240km/秒で移動しているが、天の川銀河もおそらく凄まじい速度で移動している。地球上の人々は、想像を絶するジェットコースーターに乗り続けている。
2019年8月10日土曜日
凡庸なアート作品
アートに政治が持ち込まれた時には、政治的な力学が勝敗を決することが多い。ここでいう政治とは必ずしも国家権力や政治家、政治団体などに限定されず、その社会での善悪などの価値観、避けるべきものとされる行為や考えなども含む。社会によって、政治的に嫌われ、時には抑制すべきとされる表現は異なる。
だから、自由な表現は権利だとアートが主張しても、社会の中での表現活動に何らかの制約が伴うのは日本に限らない。例えば、現在の西欧で、LGBTの人々を揶揄する表現やCO2排出増加による地球温暖化論を否定する表現、プラスチックの大量利用は人々の生活に恩恵をもたらすとする表現などは、アートの表現だとしても批判を浴び、時には激しい抗議活動を招くかもしれない。
アートには自由な表現が欠かせないが、作品の価値は人々(社会)が決める。表現のみで作品の価値が判断されることがアートには望ましいだろうが、時には作者の制作の意図を含めて判断されることがある。作者も、属している社会にウケることを想定して作品の表現を工夫したりし、政治的な課題に触れた作品は「問題意識が高い」などと賛美されたりもする。
そうした政治的な作品は、アートとして凡庸な表現であっても、作品が表現している何らかの価値観が受け入れられる社会では賞賛されようが、価値観が異なる別の社会では批判される。作品の表現ではなく、作者の制作意図に込められ、作品に表現されている政治的な主張が強く見えすぎて、アートとしての作品を霞ませる。
政治的な主張を取り去ると、凡庸な作品だと見えてしまうアートがある。優れた作品にだけ表現の自由があるのではなく、凡庸な作品にも稚拙な作品にも表現の自由はあるのだが、アートとして同列に扱うべきではないだろう。ピカソの「ゲルニカ」から政治的な問題提起を取り去ったとしても優れた表現として残る。
政治的な主張だけで成立しているような作品が、その政治的な主張が一般的ではない社会で批判されるのは当然の成り行きだろう。それを、表現の自由の問題と見るかどうかは政治的な立場により異なる。無制限に表現の自由は認められるべきだという考えもあろうが、その場合は自己の政治的な見解に反する表現も認めなければなるまい。
政治的な問題となることで特別視される作品が、その表現の凡庸さが政治的な騒動によって覆い隠された。アートに政治的な主張があってもいいが、政治的な主張を取り除けば凡庸な表現だけが残る作品はアートとしての評価は低い。過激な表現も過激な主張もアートでは容認されるが、凡庸な表現はアートにはふさわしくない。
だから、自由な表現は権利だとアートが主張しても、社会の中での表現活動に何らかの制約が伴うのは日本に限らない。例えば、現在の西欧で、LGBTの人々を揶揄する表現やCO2排出増加による地球温暖化論を否定する表現、プラスチックの大量利用は人々の生活に恩恵をもたらすとする表現などは、アートの表現だとしても批判を浴び、時には激しい抗議活動を招くかもしれない。
アートには自由な表現が欠かせないが、作品の価値は人々(社会)が決める。表現のみで作品の価値が判断されることがアートには望ましいだろうが、時には作者の制作の意図を含めて判断されることがある。作者も、属している社会にウケることを想定して作品の表現を工夫したりし、政治的な課題に触れた作品は「問題意識が高い」などと賛美されたりもする。
そうした政治的な作品は、アートとして凡庸な表現であっても、作品が表現している何らかの価値観が受け入れられる社会では賞賛されようが、価値観が異なる別の社会では批判される。作品の表現ではなく、作者の制作意図に込められ、作品に表現されている政治的な主張が強く見えすぎて、アートとしての作品を霞ませる。
政治的な主張を取り去ると、凡庸な作品だと見えてしまうアートがある。優れた作品にだけ表現の自由があるのではなく、凡庸な作品にも稚拙な作品にも表現の自由はあるのだが、アートとして同列に扱うべきではないだろう。ピカソの「ゲルニカ」から政治的な問題提起を取り去ったとしても優れた表現として残る。
政治的な主張だけで成立しているような作品が、その政治的な主張が一般的ではない社会で批判されるのは当然の成り行きだろう。それを、表現の自由の問題と見るかどうかは政治的な立場により異なる。無制限に表現の自由は認められるべきだという考えもあろうが、その場合は自己の政治的な見解に反する表現も認めなければなるまい。
政治的な問題となることで特別視される作品が、その表現の凡庸さが政治的な騒動によって覆い隠された。アートに政治的な主張があってもいいが、政治的な主張を取り除けば凡庸な表現だけが残る作品はアートとしての評価は低い。過激な表現も過激な主張もアートでは容認されるが、凡庸な表現はアートにはふさわしくない。
2019年8月7日水曜日
イヤホンの効用
音楽を聴くことを好む人は多いが、音楽を聴くスタイルは大きく変わった。LPレコードを聴くためにはステレオなどの再生装置が必要だったが、カセットテープやCDの登場でポータブル機器からイヤホンで聴くスタイルが普及、音源をダウンロードして聴くようになるとソフトウエアだけで再生できるので特別な装置は要らなくなった。
スピーカーやアンプなどを自分で組み合わせて聴くのは以前から趣味の世界とみられていたが、スピーカーの前に座って音楽を聴くことも今では趣味性の強い聴き方になったのかもしれない。イヤホンで聴くことが広まり、電車などでの移動中や歩行中、運動中などに音楽などを聞いている人が増えた。
イヤホンで聴くスタイルが広まったことで、音楽の聴き方はどう変わったか。第一に、いつでも、どこでも音楽を聴くことができるようになった。第二に、自分だけで聴くようになった。第三に、自分の好む音楽をBGM的に流すことが簡単になった。
イヤホンで聞く時でも、BGM的にではなく音や音楽に集中して聞くこともできるが、歩行中や運動中にイヤホンから聞こえてくる音や音楽に集中するのは危険を伴う。音楽に集中したいなら、自宅などで座って聞くことになるだろう。
音や音楽に集中することで、BGM的に聴き流していた時にはスルーしていた細かな音や音質の違い、歌唱や演奏の微妙な表現にも気がつくから、新しい魅力を発見するかもしれない。そうなると、例えばイヤホンでも再現能力が高い(=価格も高い)ものに代えると、さらにいい音になったりし、趣味の世界に進むことになる。
いい音でなくても音楽の魅力が損なわれるわけではない。小さなトランジスタラジオでは音楽は中音部しか聞こえてこないが、それでも自分の好む音楽なら楽しむことができよう。「音楽ファンは音質に無頓着だ」との言があるが、立派な再生装置で、自分の好みではない音楽を聴かされても苦痛でしかないだろう。
いい音で聴くと音楽の魅力が増すことは確かだが、ある程度の音量で聞かなければ細かで微妙な音や表現は浮かんでこない。住環境に制約があってもイヤホンなら音量を上げることができる。立派な再生装置を持っている友人はロック好きだが、家族から「うるさい」と苦情が出て最近はもっぱらイヤホンで聴いているという。これもイヤホンの効用だな。
スピーカーやアンプなどを自分で組み合わせて聴くのは以前から趣味の世界とみられていたが、スピーカーの前に座って音楽を聴くことも今では趣味性の強い聴き方になったのかもしれない。イヤホンで聴くことが広まり、電車などでの移動中や歩行中、運動中などに音楽などを聞いている人が増えた。
イヤホンで聴くスタイルが広まったことで、音楽の聴き方はどう変わったか。第一に、いつでも、どこでも音楽を聴くことができるようになった。第二に、自分だけで聴くようになった。第三に、自分の好む音楽をBGM的に流すことが簡単になった。
イヤホンで聞く時でも、BGM的にではなく音や音楽に集中して聞くこともできるが、歩行中や運動中にイヤホンから聞こえてくる音や音楽に集中するのは危険を伴う。音楽に集中したいなら、自宅などで座って聞くことになるだろう。
音や音楽に集中することで、BGM的に聴き流していた時にはスルーしていた細かな音や音質の違い、歌唱や演奏の微妙な表現にも気がつくから、新しい魅力を発見するかもしれない。そうなると、例えばイヤホンでも再現能力が高い(=価格も高い)ものに代えると、さらにいい音になったりし、趣味の世界に進むことになる。
いい音でなくても音楽の魅力が損なわれるわけではない。小さなトランジスタラジオでは音楽は中音部しか聞こえてこないが、それでも自分の好む音楽なら楽しむことができよう。「音楽ファンは音質に無頓着だ」との言があるが、立派な再生装置で、自分の好みではない音楽を聴かされても苦痛でしかないだろう。
いい音で聴くと音楽の魅力が増すことは確かだが、ある程度の音量で聞かなければ細かで微妙な音や表現は浮かんでこない。住環境に制約があってもイヤホンなら音量を上げることができる。立派な再生装置を持っている友人はロック好きだが、家族から「うるさい」と苦情が出て最近はもっぱらイヤホンで聴いているという。これもイヤホンの効用だな。
2019年8月3日土曜日
見せかけの芸能プロ批判
芸能プロダクションに対する批判はマスコミではタブーだった。批判された芸能プロが所属タレントの出演を制限して仕返しするとされた。テレビ局には自社番組があり、新聞社はテレビ局と関係が深く、出版社には多くの刊行物がある。
最近は芸能プロに対する批判がマスコミにあふれているように見えるが、実態は①公取委など官庁による発表、②造反したタレントの芸能プロ批判、を伝えているだけだ。造反したタレントが何を話しても芸能プロが強い態度を維持していればマスコミは沈黙しただろうが、芸能プロ側がスキを見せればマスコミは騒ぎ立てる。
マスコミは芸能プロを直接、批判しない。Aに対するBの批判を増幅して伝えることでマスコミ自身がAを批判しているように見えるだけだ。そうした批判がマスコミに現れることは芸能プロの影響力の衰退とも見えるが、皆がそろって批判しているから批判できているだけで、どこのマスコミも単独ではおとなしくなるだろう。
芸能プロに造反した芸能人が干されることは以前から珍しいことではなかった。それは、テレビ局や出版社、映画会社、新聞社などが芸能プロの意向に従うことで実現してきた。芸能プロ批判を真剣に行うと、芸能人を干すことの片棒を担いで来たマスコミにも火の粉が降りかかる。だから、芸能プロへの直接の批判は避ける。
マスコミは騒ぎが起きることを歓迎する。自身の利害に関係がなく、悪玉がはっきりし、容赦なく批判できるような状況はマスコミにとって大歓迎だ。米トランプ大統領や北朝鮮などのように頻繁にネタを提供してくれ、批判や嘲笑の対象にもなる対象はマスコミにとって好都合な存在だ。
芸能プロが騒ぎを起こしてくれることはマスコミには好都合だ。人気タレントが絡む騒動は人々の関心が高く、ほじくればネタはボコボコ出てくるだろうし、造反したタレントを「ヒーロー」かつ「被害者」に仕立てて報じれば同情を集めることもできるし、造反したタレントが干されたなら、人々とともにマスコミも忘れてしまえばいい。
変化する時代に素早く適応することができず、既得権益にしがみついていることでは芸能プロもマスコミも似ている。芸能プロの体質を変えるには、フリーとなったタレントが自由に活動できる環境をつくるしかない。個人の権利がもっと尊重され、個人がもっと自由に活動できる世界に芸能界が変わることは日本の社会にも影響を与えよう。マスコミの役割はそこにある。
最近は芸能プロに対する批判がマスコミにあふれているように見えるが、実態は①公取委など官庁による発表、②造反したタレントの芸能プロ批判、を伝えているだけだ。造反したタレントが何を話しても芸能プロが強い態度を維持していればマスコミは沈黙しただろうが、芸能プロ側がスキを見せればマスコミは騒ぎ立てる。
マスコミは芸能プロを直接、批判しない。Aに対するBの批判を増幅して伝えることでマスコミ自身がAを批判しているように見えるだけだ。そうした批判がマスコミに現れることは芸能プロの影響力の衰退とも見えるが、皆がそろって批判しているから批判できているだけで、どこのマスコミも単独ではおとなしくなるだろう。
芸能プロに造反した芸能人が干されることは以前から珍しいことではなかった。それは、テレビ局や出版社、映画会社、新聞社などが芸能プロの意向に従うことで実現してきた。芸能プロ批判を真剣に行うと、芸能人を干すことの片棒を担いで来たマスコミにも火の粉が降りかかる。だから、芸能プロへの直接の批判は避ける。
マスコミは騒ぎが起きることを歓迎する。自身の利害に関係がなく、悪玉がはっきりし、容赦なく批判できるような状況はマスコミにとって大歓迎だ。米トランプ大統領や北朝鮮などのように頻繁にネタを提供してくれ、批判や嘲笑の対象にもなる対象はマスコミにとって好都合な存在だ。
芸能プロが騒ぎを起こしてくれることはマスコミには好都合だ。人気タレントが絡む騒動は人々の関心が高く、ほじくればネタはボコボコ出てくるだろうし、造反したタレントを「ヒーロー」かつ「被害者」に仕立てて報じれば同情を集めることもできるし、造反したタレントが干されたなら、人々とともにマスコミも忘れてしまえばいい。
変化する時代に素早く適応することができず、既得権益にしがみついていることでは芸能プロもマスコミも似ている。芸能プロの体質を変えるには、フリーとなったタレントが自由に活動できる環境をつくるしかない。個人の権利がもっと尊重され、個人がもっと自由に活動できる世界に芸能界が変わることは日本の社会にも影響を与えよう。マスコミの役割はそこにある。
2019年7月31日水曜日
ゆるキャラを愛でる大人
ゆるキャラは子供向けのマスコットキャラクターだから、可愛らしさや親しみやすさを過剰にアピールした造形だ。何かの理念や地域の特性などの表現を追求したというより、ウケて人気を得ることが優先されているらしく、簡略で幼稚ともいえる表現となる。
近頃では、ゆるキャラを見て子供達ばかりか大人も歓声を上げ、群がったりする。ゆるキャラの可愛さに加え、ある種のルーズさを面白がる気分は理解できないでもないが、大人がまともに向き合って愛でる対象ではないだろう。もてはやす人たちの気持ちが不思議だ。
「カワイイ」は日本が世界に発信する文化的価値観だが、ゆるキャラのカワイイには、ウケ狙いのあざとさが見え隠れする。自然にカワイイのではなく、カワイイを演じていることが明確だから興ざめとなる。子供相手だから簡略で幼稚な造形で済ますが、実は大人にもウケることを期待している心根が見えすく。
マスコットキャラクターは菓子や玩具などの企業が販促用に設定するものだったが、今では全国の地方自治体が話題づくりや地方振興などを狙い、わざと「ゆる〜く」作ったキャラクターをイベントなどに動員する。ゆるキャラが少なかった頃は、それなりに特別だったのだろうが、こうも全国に増えすぎては新鮮味は薄れ、個性は埋没するばかりだ。
子供が喜ぶから親も、ゆるキャラを歓迎しているのかもしれないが、子供と同等に楽しんでいる親や大人だけでも喜んでいる様子を見かけることは珍しくない。大人も漫画やアニメに親しんで成長したので、人工的なキャラに抵抗がなく、受け入れて楽しむとも解釈できる。つまり、漫画やアニメが大人の文化にもなったと同様、ゆるキャラも大人の文化になりつつある?
過疎化が進む全国の地方にとっては、地元に大したアピール材料もないと都市の人々に無視されるよりは、ゆるキャラであっても話題になればいいという切実な思いもあり、そこに、都会のコンサルの営業活動が奏功して、ゆるキャラが一気に全国で増えたのかもしれない。でも、ゆるキャラが増えすぎて、ゆるキャラを作っても話題にならないという皮肉な状況だ。
ゆるキャラはイベントでは添え物という位置づけが本来だろう。その脇役が主役に仕立て上げられていることに対する違和感が、ゆるキャラ嫌いともなる。そうした違和感を吹き飛ばすほどの強烈な個性を持つキャラクターが存在するなら、ゆるいキャラクターではなくなる。
近頃では、ゆるキャラを見て子供達ばかりか大人も歓声を上げ、群がったりする。ゆるキャラの可愛さに加え、ある種のルーズさを面白がる気分は理解できないでもないが、大人がまともに向き合って愛でる対象ではないだろう。もてはやす人たちの気持ちが不思議だ。
「カワイイ」は日本が世界に発信する文化的価値観だが、ゆるキャラのカワイイには、ウケ狙いのあざとさが見え隠れする。自然にカワイイのではなく、カワイイを演じていることが明確だから興ざめとなる。子供相手だから簡略で幼稚な造形で済ますが、実は大人にもウケることを期待している心根が見えすく。
マスコットキャラクターは菓子や玩具などの企業が販促用に設定するものだったが、今では全国の地方自治体が話題づくりや地方振興などを狙い、わざと「ゆる〜く」作ったキャラクターをイベントなどに動員する。ゆるキャラが少なかった頃は、それなりに特別だったのだろうが、こうも全国に増えすぎては新鮮味は薄れ、個性は埋没するばかりだ。
子供が喜ぶから親も、ゆるキャラを歓迎しているのかもしれないが、子供と同等に楽しんでいる親や大人だけでも喜んでいる様子を見かけることは珍しくない。大人も漫画やアニメに親しんで成長したので、人工的なキャラに抵抗がなく、受け入れて楽しむとも解釈できる。つまり、漫画やアニメが大人の文化にもなったと同様、ゆるキャラも大人の文化になりつつある?
過疎化が進む全国の地方にとっては、地元に大したアピール材料もないと都市の人々に無視されるよりは、ゆるキャラであっても話題になればいいという切実な思いもあり、そこに、都会のコンサルの営業活動が奏功して、ゆるキャラが一気に全国で増えたのかもしれない。でも、ゆるキャラが増えすぎて、ゆるキャラを作っても話題にならないという皮肉な状況だ。
ゆるキャラはイベントでは添え物という位置づけが本来だろう。その脇役が主役に仕立て上げられていることに対する違和感が、ゆるキャラ嫌いともなる。そうした違和感を吹き飛ばすほどの強烈な個性を持つキャラクターが存在するなら、ゆるいキャラクターではなくなる。
2019年7月27日土曜日
負担か利益か
米トランプ大統領が、「日本が攻撃されれば米国は日本を守るために戦うが、米国が支援を必要とするとき、彼らは米国への攻撃をソニーのテレビで見るだけだ」と現行の日米安全保障体制について不満を語ったという。私的な場では条約破棄に言及したともされる。
負担と、それによる利益は、立場によって異なって見えるものだ。現行の日米安全保障体制から米国が得ている利益よりも負担のほうが大きいとトランプ氏らには見えているのだろう。米国が得ている利益が見えにくくなっているのかもしれない。日本が防衛費を少なくできるという利益を得ていることは明白だが、米国が得ている利益は何か。
第一に、現行の日米安全保障体制により米国は日本国内に米軍基地を持ち、西太平洋から東南アジア、さらにインド洋から中東までの米軍の展開を支えている。第二に、米国政府は日本政府に大きな影響力を得ている。日米安保体制が消滅すれば、日本は米国からの独立性を強め、国内政治から外交まで日本は米国に気兼ねせず「日本ファースト」になる可能性がある。
現行の日米安全保障体制が破棄されることは、世界における米国の影響力が軍事的にも政治的にも低下することである。もちろん、代わりの米軍基地をどこかの国に確保するなど米国は対策を講じるだろうが、それには相当のコストがかかるだろう。おそらく、現行の日米安全保障体制を維持するよりも高くつく。
日本にとって、現行の日米安全保障体制がなくなると、単独での防衛力を高める必要が出てくる。真っ先に決めることは、核武装するかどうかだ。しかし、被爆国・日本にとって核武装を選択することは国内的に大きな抵抗が予想される。とすれば、通常兵器による効果的な防衛力強化を考えるしかない。
日米安保がなくなると防衛費が膨大な金額になるとの説があるが、そうした試算は、在日米軍の軍事的能力を日本単独で代替する想定だ。しかし、日本だけの防衛を考えるなら、在日米軍の軍事的能力は過大すぎる。在日米軍はインド洋や中東までの展開能力を有するが、日本の防衛だけを考えるなら、インド洋や中東に日本の軍を展開する必要はない。
単独防衛かつ専守防衛に徹するなら、敵の攻撃を受けた後に強力な反撃ができる体制を構築するしかない。それに最も適しているのは、ミサイル網を密に張り巡らすことだ。様々な射程の様々なミサイル群を全国各地に配備し、核兵器抜きでの周辺国との相互確証破壊体制を構築する。現在よりも防衛費は当分かさむだろうが、密なミサイル網が構築できれば新たな出費は少なくなろう。
負担と、それによる利益は、立場によって異なって見えるものだ。現行の日米安全保障体制から米国が得ている利益よりも負担のほうが大きいとトランプ氏らには見えているのだろう。米国が得ている利益が見えにくくなっているのかもしれない。日本が防衛費を少なくできるという利益を得ていることは明白だが、米国が得ている利益は何か。
第一に、現行の日米安全保障体制により米国は日本国内に米軍基地を持ち、西太平洋から東南アジア、さらにインド洋から中東までの米軍の展開を支えている。第二に、米国政府は日本政府に大きな影響力を得ている。日米安保体制が消滅すれば、日本は米国からの独立性を強め、国内政治から外交まで日本は米国に気兼ねせず「日本ファースト」になる可能性がある。
現行の日米安全保障体制が破棄されることは、世界における米国の影響力が軍事的にも政治的にも低下することである。もちろん、代わりの米軍基地をどこかの国に確保するなど米国は対策を講じるだろうが、それには相当のコストがかかるだろう。おそらく、現行の日米安全保障体制を維持するよりも高くつく。
日本にとって、現行の日米安全保障体制がなくなると、単独での防衛力を高める必要が出てくる。真っ先に決めることは、核武装するかどうかだ。しかし、被爆国・日本にとって核武装を選択することは国内的に大きな抵抗が予想される。とすれば、通常兵器による効果的な防衛力強化を考えるしかない。
日米安保がなくなると防衛費が膨大な金額になるとの説があるが、そうした試算は、在日米軍の軍事的能力を日本単独で代替する想定だ。しかし、日本だけの防衛を考えるなら、在日米軍の軍事的能力は過大すぎる。在日米軍はインド洋や中東までの展開能力を有するが、日本の防衛だけを考えるなら、インド洋や中東に日本の軍を展開する必要はない。
単独防衛かつ専守防衛に徹するなら、敵の攻撃を受けた後に強力な反撃ができる体制を構築するしかない。それに最も適しているのは、ミサイル網を密に張り巡らすことだ。様々な射程の様々なミサイル群を全国各地に配備し、核兵器抜きでの周辺国との相互確証破壊体制を構築する。現在よりも防衛費は当分かさむだろうが、密なミサイル網が構築できれば新たな出費は少なくなろう。
2019年7月24日水曜日
世界で増える観光客
2019年上半期に日本に来た外国人旅行者数は前年比4.6%増の1663万人で、上半期として過去最高になった。単純に2倍すると年間では3326万人になる計算だ。JTBは、通年で前年比12.3%増の3550万人と予想している。
訪日外国人旅行者数は2013年に1000万人台に乗り、2014年1341万人、2015年1973万人、2016年2403万人、2017年2869万人、2018年3119万人と大幅に増加した。これは、2012年以降に日本がアジア諸国を中心にビザ発給要件を緩和したこととLCC就航の増加によるものとされる。
外国から日本を訪れる人が増える一方、日本人の出国者は1990年に1000万人台に乗った後、増減はありながらも1995年に1500万人を突破し、1600万人台、1700万人台で推移している(2012年は1849万人。2003年は1329万人と急減)。2017年1788万人だったが、2018年1895万人と過去最高になった。
日本を訪れる外国人旅行者が増えているのは、日本に関心を持つ外国人が増えたことの反映であろう。だが日本に外国から来る観光客だけが世界で増えているわけではない。日本人の出国者も増えているし、中国人をはじめとして国外に観光旅行に出る人々が各国で増えている。
国連世界観光機関によると、世界での2018年の国際観光客数は前年比6%増の14億人。地域別にみると、観光客が増えたのは中東10%増、アフリカ7%増、欧州6%増、アジア太平洋地域6%増、米州3%増。各国の経済成長とビザ取得条件の緩和、航空運賃の低価格化などが国際的な観光旅行者を増やしたとする。
世界の人々はどこへ出かけているのか。国別に見ると(2017年)、1位フランス8691万人、2位スペイン8178万人、3位米国7586万人、4位中国6074万人、5位イタリア5825万人、6位メキシコ3929万人、7位英国3765万人、8位トルコ3760万人、9位ドイツ3745万人、10位タイ3538万人、11位オーストリア2946万人、12位日本2869万人となる。訪日外国人旅行者が2019年に3500万人になったとしても、日本が世界のベスト10になれるかどうかは不明だ。
世界で外国への観光旅行者が増えた結果として、異文化の尊重が世界で広範に根付き、異なる価値観を互いに認めあい、共存することが促されるならば国際的な観光客の増加は歓迎すべきことだ。だが、外国で異文化を体験し、「やっぱり、うちの方がいい」などと異なる文化や価値観に否定的になることも珍しくはない。急増する訪日外国人旅行者は、どんな日本理解を持ち帰るのか知りたいものだ。
訪日外国人旅行者数は2013年に1000万人台に乗り、2014年1341万人、2015年1973万人、2016年2403万人、2017年2869万人、2018年3119万人と大幅に増加した。これは、2012年以降に日本がアジア諸国を中心にビザ発給要件を緩和したこととLCC就航の増加によるものとされる。
外国から日本を訪れる人が増える一方、日本人の出国者は1990年に1000万人台に乗った後、増減はありながらも1995年に1500万人を突破し、1600万人台、1700万人台で推移している(2012年は1849万人。2003年は1329万人と急減)。2017年1788万人だったが、2018年1895万人と過去最高になった。
日本を訪れる外国人旅行者が増えているのは、日本に関心を持つ外国人が増えたことの反映であろう。だが日本に外国から来る観光客だけが世界で増えているわけではない。日本人の出国者も増えているし、中国人をはじめとして国外に観光旅行に出る人々が各国で増えている。
国連世界観光機関によると、世界での2018年の国際観光客数は前年比6%増の14億人。地域別にみると、観光客が増えたのは中東10%増、アフリカ7%増、欧州6%増、アジア太平洋地域6%増、米州3%増。各国の経済成長とビザ取得条件の緩和、航空運賃の低価格化などが国際的な観光旅行者を増やしたとする。
世界の人々はどこへ出かけているのか。国別に見ると(2017年)、1位フランス8691万人、2位スペイン8178万人、3位米国7586万人、4位中国6074万人、5位イタリア5825万人、6位メキシコ3929万人、7位英国3765万人、8位トルコ3760万人、9位ドイツ3745万人、10位タイ3538万人、11位オーストリア2946万人、12位日本2869万人となる。訪日外国人旅行者が2019年に3500万人になったとしても、日本が世界のベスト10になれるかどうかは不明だ。
世界で外国への観光旅行者が増えた結果として、異文化の尊重が世界で広範に根付き、異なる価値観を互いに認めあい、共存することが促されるならば国際的な観光客の増加は歓迎すべきことだ。だが、外国で異文化を体験し、「やっぱり、うちの方がいい」などと異なる文化や価値観に否定的になることも珍しくはない。急増する訪日外国人旅行者は、どんな日本理解を持ち帰るのか知りたいものだ。
2019年7月20日土曜日
日本人技術者の闇営業
日本の半導体業界では、日本人技術者が週末に韓国に行って韓国企業に指導したりノウハウを教えたりして技術などが韓国企業に流出したと言われた。半導体にとどまらず、液晶や有機EL、原子力などでも同様の例が繰り返されたという。
週末に韓国に行って技術指導をしていた日本人技術者は、所属会社に隠れて韓国に行っていたと推定され、けっこうな謝礼を得ていたであろうとも見られている。いわば、日本人技術者の闇営業だ。それが韓国企業の躍進に寄与したことは間違いないだろう。
やがて韓国企業は、欲しい技術などがあると、破格の好条件を提示して日本企業から技術者を引き抜くようになり、日本に遠慮せずに振る舞うようになった。半導体や家電の日本企業の経営不振に伴う人員削減もあって、多くの技術者が韓国企業に移ったなどとも言われた。
韓国における日本人技術者の闇営業は、個人の視点で考えると、個別利益の最大化を図るのは理解できないわけではない。技術などに関して秘密保持契約が個別に締結されていなかったのなら闇営業は個人のモラルの問題だが、モラルは現金の威力にしばしば弱いものだ。
韓国における日本人技術者の闇営業は、日本企業の優位が続いている間は問題として表面には浮かんでこなかった。うまいことやってる奴がいるというような話ですんでいたが、韓国企業の急成長と日本企業の衰退もあって、韓国への技術流出に無頓着だった日本に対する自己批判として問題化した。
半導体や家電では韓国企業が世界的な大企業に成長し、日本企業の凋落は著しい。日本企業の弱体化には経営方針の迷走や過大投資など様々な問題があったのだろうが、日本人技術者の闇営業による技術流出が韓国企業の急速な成長を助けたのは間違いなさそうにも見える。
韓国企業の行動に問題があったというのではない。技術などの取得のために様々な手段を用いるのは各国企業も行っているのであり、技術の流出を許した日本企業に問題があった。企業に属している個人の闇営業は、明るみに出ることで問題視される。おそらく闇に閉ざされたままの闇営業は他にもあるに違いない。
週末に韓国に行って技術指導をしていた日本人技術者は、所属会社に隠れて韓国に行っていたと推定され、けっこうな謝礼を得ていたであろうとも見られている。いわば、日本人技術者の闇営業だ。それが韓国企業の躍進に寄与したことは間違いないだろう。
やがて韓国企業は、欲しい技術などがあると、破格の好条件を提示して日本企業から技術者を引き抜くようになり、日本に遠慮せずに振る舞うようになった。半導体や家電の日本企業の経営不振に伴う人員削減もあって、多くの技術者が韓国企業に移ったなどとも言われた。
韓国における日本人技術者の闇営業は、個人の視点で考えると、個別利益の最大化を図るのは理解できないわけではない。技術などに関して秘密保持契約が個別に締結されていなかったのなら闇営業は個人のモラルの問題だが、モラルは現金の威力にしばしば弱いものだ。
韓国における日本人技術者の闇営業は、日本企業の優位が続いている間は問題として表面には浮かんでこなかった。うまいことやってる奴がいるというような話ですんでいたが、韓国企業の急成長と日本企業の衰退もあって、韓国への技術流出に無頓着だった日本に対する自己批判として問題化した。
半導体や家電では韓国企業が世界的な大企業に成長し、日本企業の凋落は著しい。日本企業の弱体化には経営方針の迷走や過大投資など様々な問題があったのだろうが、日本人技術者の闇営業による技術流出が韓国企業の急速な成長を助けたのは間違いなさそうにも見える。
韓国企業の行動に問題があったというのではない。技術などの取得のために様々な手段を用いるのは各国企業も行っているのであり、技術の流出を許した日本企業に問題があった。企業に属している個人の闇営業は、明るみに出ることで問題視される。おそらく闇に閉ざされたままの闇営業は他にもあるに違いない。
2019年7月17日水曜日
政権政党を選択する
国政選挙で投票するときに何を基準に判断していいのか分からないとの声がある。そのため、候補者個人や政党に対する印象で判断したり、候補者や政党の公約を見比べ自分の「得」になりそうな方に決めたりする。だが、印象や好みで候補者や政党を選ぶと、見かけの良さや自信ありげな強い主張、現実味のない改革提案などにつられることがある。
国政選挙のたびに迷い、Aが期待外れだったから今度はBに投票するというのは博打と似ていて、信用していない候補者や政党に対する主権者の投票態度としては、それもアリかもしれないが、博打で儲かることは少なく、期待通りの結果が得られるかどうか心もとない。
確固とした判断基準が国政選挙にはある。それは、選挙前の政治に満足しているなら与党に投票し、選挙前の政治を支持しないなら野党の第1党に投票する。国政選挙は主権者が政権党を選択する場だ。政権交代を望むなら、野党第1党に投票を集中するしかない。野党の少数政党に投票することは結果的に政権交代を阻み、それまでの与党を助ける。
野党第1党を支持できなかったとしても、それまでの政権与党の政治を変えたいと考えるなら、野党第1党に投票するしかない。野党第1党が、政権を批判することには熱心だが、現実の様々な課題に対して有効で具体的な対策や政策が希薄だったとしても、それまでの政治を変えるためには政権交代しかない。
それまでの与党の政治に満足せず、不満が多いが、野党第1党の政権担当能力に疑問があり、政権交代には不安が大きいという人もいるだろう。野党第1党は信用できず、とりあえずは政権交代を見送り、現状維持で我慢するという選択もある。それは棄権として現れるが、棄権という行為が主権者の政治不信と解釈されたとしても、現実政治を変えることはできない。
国政選挙とは、選挙の後の数年間の国政を委ねる政権政党を選択する機会であり、選挙前の与党に対する主権者の評価を示す機会である。選挙までの与党の政治を支持するか、それとも変えるか、それを投票の判断基準とすれば国政選挙は単純な仕組みだと見えてくる。
乱立する弱小政党の中から公約に共感・同調した弱小政党に投票する人もいる。自分の政治意思を投票に反映させたのであり、自己満足はできるだろう。だが、弱小政党がわずかな議席を得たとしても国政を変えることは難しい。そうした投票行為が現実の政治に反映されて、政治に変化が現れることはまずない。
国政選挙のたびに迷い、Aが期待外れだったから今度はBに投票するというのは博打と似ていて、信用していない候補者や政党に対する主権者の投票態度としては、それもアリかもしれないが、博打で儲かることは少なく、期待通りの結果が得られるかどうか心もとない。
確固とした判断基準が国政選挙にはある。それは、選挙前の政治に満足しているなら与党に投票し、選挙前の政治を支持しないなら野党の第1党に投票する。国政選挙は主権者が政権党を選択する場だ。政権交代を望むなら、野党第1党に投票を集中するしかない。野党の少数政党に投票することは結果的に政権交代を阻み、それまでの与党を助ける。
野党第1党を支持できなかったとしても、それまでの政権与党の政治を変えたいと考えるなら、野党第1党に投票するしかない。野党第1党が、政権を批判することには熱心だが、現実の様々な課題に対して有効で具体的な対策や政策が希薄だったとしても、それまでの政治を変えるためには政権交代しかない。
それまでの与党の政治に満足せず、不満が多いが、野党第1党の政権担当能力に疑問があり、政権交代には不安が大きいという人もいるだろう。野党第1党は信用できず、とりあえずは政権交代を見送り、現状維持で我慢するという選択もある。それは棄権として現れるが、棄権という行為が主権者の政治不信と解釈されたとしても、現実政治を変えることはできない。
国政選挙とは、選挙の後の数年間の国政を委ねる政権政党を選択する機会であり、選挙前の与党に対する主権者の評価を示す機会である。選挙までの与党の政治を支持するか、それとも変えるか、それを投票の判断基準とすれば国政選挙は単純な仕組みだと見えてくる。
乱立する弱小政党の中から公約に共感・同調した弱小政党に投票する人もいる。自分の政治意思を投票に反映させたのであり、自己満足はできるだろう。だが、弱小政党がわずかな議席を得たとしても国政を変えることは難しい。そうした投票行為が現実の政治に反映されて、政治に変化が現れることはまずない。
2019年7月13日土曜日
常温で飲むビール
暑い夏に冷えたビールをグイッと飲むのが楽しみだという人は多いだろう。仕事帰りに居酒屋に寄って生ビールのジョッキを傾けたり、まっすぐ帰宅して風呂で汗を流してから冷蔵庫から冷えたビールを取り出したり、休暇中なら旅先で昼間から冷えたビールを飲んだりと、冷えたビールが暑い夏には似合っているイメージだ。
ビールは冷やして飲むものというのが常識になったようだが、ビールの歴史からすると、常温で飲んでいた時代のほうがはるかに長い。紀元前四千年以上前のメソポタミアでシュメール人がビールを飲んでいたといわれ、紀元前三千年のエジプトでは広く飲まれていたそうだ。一方で冷蔵庫の誕生は20世紀に入ってからで、日本で家庭に普及したのは1950年代だ。
ビールが日本で飲まれ始めたのは明治に入ってから。最初は外国人によって持ち込まれ、ビール酒造組合サイトによると、日本人による初めてのビールの醸造・販売は明治5年に大阪で本格的に開始され、明治20年代に近代的なビール会社が各地に誕生した。
冷やして飲むと水道水だって、うまく感じることがあるのは、冷たさによる刺激が心地よいからだ。だが、冷たく冷やすことは、甘みや香り、雑味を感じにくくし、苦味や塩味を強く感じるようにするという。冷やして飲ませることで味を「化粧」することができるのだ。
日本で製造されているビールの大半が、冷やして飲むことを前提にした種類だ。酒飲みの大半は冷えたビールを飲み、満足しているのだろうから、それはそれでいいのだが、冷たい刺激を楽しむことをビールそのものの味わいと誤解している可能性もある。
常温で飲むと、ビールそのものの味を知ることができるかもしれない。「ぬるいビールなんか飲めるか」と常温で飲むことを否定するビール好きが多いだろうが、それは、冷やして飲むことを前提に味作りしている日本のメーカーの術中にはまっているかも。
刺激のある味だと感じていた銘柄が常温で飲むと味わいが希薄だと判ったり、刺激に乏しいと感じていた銘柄が常温で飲むと甘みなど複雑な味だと判ったり、ビールの味の世界は奥深そうだ。冷やして飲まないことで、開けてくる世界がある。
ビールは冷やして飲むものというのが常識になったようだが、ビールの歴史からすると、常温で飲んでいた時代のほうがはるかに長い。紀元前四千年以上前のメソポタミアでシュメール人がビールを飲んでいたといわれ、紀元前三千年のエジプトでは広く飲まれていたそうだ。一方で冷蔵庫の誕生は20世紀に入ってからで、日本で家庭に普及したのは1950年代だ。
ビールが日本で飲まれ始めたのは明治に入ってから。最初は外国人によって持ち込まれ、ビール酒造組合サイトによると、日本人による初めてのビールの醸造・販売は明治5年に大阪で本格的に開始され、明治20年代に近代的なビール会社が各地に誕生した。
冷やして飲むと水道水だって、うまく感じることがあるのは、冷たさによる刺激が心地よいからだ。だが、冷たく冷やすことは、甘みや香り、雑味を感じにくくし、苦味や塩味を強く感じるようにするという。冷やして飲ませることで味を「化粧」することができるのだ。
日本で製造されているビールの大半が、冷やして飲むことを前提にした種類だ。酒飲みの大半は冷えたビールを飲み、満足しているのだろうから、それはそれでいいのだが、冷たい刺激を楽しむことをビールそのものの味わいと誤解している可能性もある。
常温で飲むと、ビールそのものの味を知ることができるかもしれない。「ぬるいビールなんか飲めるか」と常温で飲むことを否定するビール好きが多いだろうが、それは、冷やして飲むことを前提に味作りしている日本のメーカーの術中にはまっているかも。
刺激のある味だと感じていた銘柄が常温で飲むと味わいが希薄だと判ったり、刺激に乏しいと感じていた銘柄が常温で飲むと甘みなど複雑な味だと判ったり、ビールの味の世界は奥深そうだ。冷やして飲まないことで、開けてくる世界がある。
2019年7月10日水曜日
任期を短くする
毎年のように首相が交代していたことが日本でもあった。任期途中で交代せざるを得なかったのは、批判が集中して政権運営が困難になったからだ。短期かつ任期途中の首相交代は政治を不安定化させ、行政を停滞させるなどとして忌避すべきこととされている。
毎年のように首相が交代するよりも、ある程度は長く続けているほうが安定しているように見える。政治課題の中には長期的な視点で取り組まざるを得ないものも多いから、ある程度は長く続く政権なら、それらにも対応できると見られたりする。
だが、首相など最高権力ポストに個人が長期にわたって居座ることの弊害もある。第一は、ポストに与えられた権力を個人に与えられた権力とする混同、第二に、権力を握り続ける個人への阿諛・追従・忖度の蔓延、第三に、権力を握り続ける個人の価値観が政策に反映されすぎるようになる、など。
最高権力者の任期は国により様々で、1期のみで再選を認めない国も珍しくない。持てる能力をフルに政治家に発揮してもらうために、どんな制度や任期が「正しい」のかという問いに、おそらく「正解」はない。
だから、最高権力者の任期が1年で再選禁止であっても間違った制度・任期とはいえない。短い任期に伴う問題点を想定し、そうした制度を機能させるために仕組みを考え、構築することができれば、最高権力者の毎年の交代が、政治の停滞に結びつくことはないだろう。
短い任期による最大の問題は、政治課題に長期的視野で取り組むことが阻害されかねないことだが、官庁の政策提言機能を強化してシンクタンク化する(同時に政党・政治家による官庁コントロールも強化する)なら、任期に左右されない長期的視野での取り組みも保たれるだろう。
1年で最高権力者が交代することは、次々に新しい人が政権を担うことである。重職に耐えうる人材がすぐに枯渇するとの懸念もあるが、若返りが強制的に行われて、有能な30歳代の首相が誕生するかもしれない。それに、問題があっても長々と最高権力者の地位にしがみつくような政治家をあらかじめ排除できる。
毎年のように首相が交代するよりも、ある程度は長く続けているほうが安定しているように見える。政治課題の中には長期的な視点で取り組まざるを得ないものも多いから、ある程度は長く続く政権なら、それらにも対応できると見られたりする。
だが、首相など最高権力ポストに個人が長期にわたって居座ることの弊害もある。第一は、ポストに与えられた権力を個人に与えられた権力とする混同、第二に、権力を握り続ける個人への阿諛・追従・忖度の蔓延、第三に、権力を握り続ける個人の価値観が政策に反映されすぎるようになる、など。
最高権力者の任期は国により様々で、1期のみで再選を認めない国も珍しくない。持てる能力をフルに政治家に発揮してもらうために、どんな制度や任期が「正しい」のかという問いに、おそらく「正解」はない。
だから、最高権力者の任期が1年で再選禁止であっても間違った制度・任期とはいえない。短い任期に伴う問題点を想定し、そうした制度を機能させるために仕組みを考え、構築することができれば、最高権力者の毎年の交代が、政治の停滞に結びつくことはないだろう。
短い任期による最大の問題は、政治課題に長期的視野で取り組むことが阻害されかねないことだが、官庁の政策提言機能を強化してシンクタンク化する(同時に政党・政治家による官庁コントロールも強化する)なら、任期に左右されない長期的視野での取り組みも保たれるだろう。
1年で最高権力者が交代することは、次々に新しい人が政権を担うことである。重職に耐えうる人材がすぐに枯渇するとの懸念もあるが、若返りが強制的に行われて、有能な30歳代の首相が誕生するかもしれない。それに、問題があっても長々と最高権力者の地位にしがみつくような政治家をあらかじめ排除できる。
2019年7月6日土曜日
輝く降着円盤
宇宙で最も暗いのはブラックホールだとされる。太陽よりもはるかに巨大な恒星が超新星爆発を起こした時に、凄まじい圧力により中心部が収縮を始め、やがて角砂糖1個分の重さが200億トンを超えるほどになり、重力が強くなりすぎて光さえも閉じ込めてしまう。
何かが人間に見えているという状態は、何かから放射された光か、何かに当たった光が反射して人間の目に届いているからだ。光には多くの色が含まれているが、全部の色を反射した物体は白く見え、全部の光を吸収した物体は黒く見える。赤く見える場合は、赤い色の光だけが反射して、赤い色以外の光は吸収されている。
何かに当たって反射した光の色を、そのものの色と人間は認識する。だから、色が実在するのか、光の反射の違いだけが実在するのか、という問いも生まれる。世界に色があるのか、明暗だけがあるのか。世界を白黒で見ている動物がいるというから、色の識別は人間の目の機能とも関連していることになる。
黒い色は日常にありふれているが、その黒さの度合いは黒っぽいものから真っ黒に見えるものまで、まちまちだ。光を全て吸収する物質は存在しないとされるが、光を閉じ込めてしまうブラックホールだから、その黒は別格で本当の黒であり、本当の闇だ。光が出てこないのでブラックホールを人間の目では見ることができない。
ブラックホールの周囲にある降着円盤(水素プラズマのガス円盤)は、宇宙で最も明るいとされる。激しく回転する円盤ではガス同士の摩擦熱により膨大なエネルギーが生じ、X線やガンマ線など電磁波が放射される。見えないブラックホールは、周囲の降着円盤を観測することで存在が確認される。
日米欧などの国際研究チームが世界各地にある電波望遠鏡の観測データから解析した画像を公開した。人類は初めてブラックホールの撮影に成功したとされる。これは、地球から約5500万光年の距離にある楕円銀河「M87」の中心にある巨大ブラックホールで、その半径は約200億キロ(太陽系を上回る)、質量は太陽の65億倍という巨大なものだ。
光が出てこないので人間の目には見えず宇宙で最も暗いブラックホールが、宇宙で最も輝いている降着円盤に囲まれている。見えないはずが、シルエットが降着円盤を背景に浮かび上がった。見えないものでも、その存在が映像化され、確かめられたのは、宇宙での壮大な「影絵」だ。
何かが人間に見えているという状態は、何かから放射された光か、何かに当たった光が反射して人間の目に届いているからだ。光には多くの色が含まれているが、全部の色を反射した物体は白く見え、全部の光を吸収した物体は黒く見える。赤く見える場合は、赤い色の光だけが反射して、赤い色以外の光は吸収されている。
何かに当たって反射した光の色を、そのものの色と人間は認識する。だから、色が実在するのか、光の反射の違いだけが実在するのか、という問いも生まれる。世界に色があるのか、明暗だけがあるのか。世界を白黒で見ている動物がいるというから、色の識別は人間の目の機能とも関連していることになる。
黒い色は日常にありふれているが、その黒さの度合いは黒っぽいものから真っ黒に見えるものまで、まちまちだ。光を全て吸収する物質は存在しないとされるが、光を閉じ込めてしまうブラックホールだから、その黒は別格で本当の黒であり、本当の闇だ。光が出てこないのでブラックホールを人間の目では見ることができない。
ブラックホールの周囲にある降着円盤(水素プラズマのガス円盤)は、宇宙で最も明るいとされる。激しく回転する円盤ではガス同士の摩擦熱により膨大なエネルギーが生じ、X線やガンマ線など電磁波が放射される。見えないブラックホールは、周囲の降着円盤を観測することで存在が確認される。
日米欧などの国際研究チームが世界各地にある電波望遠鏡の観測データから解析した画像を公開した。人類は初めてブラックホールの撮影に成功したとされる。これは、地球から約5500万光年の距離にある楕円銀河「M87」の中心にある巨大ブラックホールで、その半径は約200億キロ(太陽系を上回る)、質量は太陽の65億倍という巨大なものだ。
光が出てこないので人間の目には見えず宇宙で最も暗いブラックホールが、宇宙で最も輝いている降着円盤に囲まれている。見えないはずが、シルエットが降着円盤を背景に浮かび上がった。見えないものでも、その存在が映像化され、確かめられたのは、宇宙での壮大な「影絵」だ。
2019年7月3日水曜日
飢えている国の太った王様
米トランプ大統領は身長190センチ、体重110キロ、北朝鮮の金正恩委員長は身長170センチ、体重は130キロほどと推定されている。身長差は20センチあるはずだが、2人が並んだ写真からは、金委員長がトランプ大統領より背が低いものの、20センチの身長差があるようには見えない。
身長を高く見せるため金委員長は上底靴を履いているとも噂される。女性がハイヒールを履くのはファッション目的だろうが、金委員長が上底靴を履いているとすれば、並んで立った時のトランプ大統領との身長差を縮め、向き合った時にトランプ大統領から見下ろされる角度を小さくするためだろう。
上底靴で身長を調節しているのだとすれば金委員長はトランプ大統領と同じ身長になって、「対等」を演出することもできたはずだ。首脳会談の以前はさんざん米国をののしりながら、核保有国として米国に対等の扱いを要求していたのだから、金委員長も身長で「対等」を演出してもよかった。
20歳以上の米国人男性の平均身長は175センチ、平均体重は90キロとされる。男女とも体重や胴囲が増え、BMIは平均値で男性29.1、女性29.6となり、ほぼ肥満の域に達したと報じられた(BMIは18.5~24.9が正常値とされ、25~29.9は太り過ぎに分類)。トランプ大統領のBMIは30.4。
北朝鮮の人々のデータは発表されていないようだが、脱北して韓国に来た北朝鮮の成人男性の平均身長は165センチ、平均体重56キロとされる。これに比較すると、金委員長は身長では少し高い程度だが、体重は2倍以上になる。金委員長のBMIは44.9になり、かなりの肥満体型だ。
北朝鮮は国連に対して今年2月、コメ、小麦、ジャガイモ、大豆などの食糧の生産量が140万トン不足する見通しだとして支援を要請した。客観的な検証が欠けているので食糧不足の実態は定かではないが、過去に北朝鮮では食糧不足になったことがあった。米国などのような飽食の国でないことは確かだろう。
肥満の人が増える米国と、食糧不足を国連に訴える北朝鮮。両国の最高権力者は共に肥満体型だが、国民の体型は大きく異なる。米国では肥満は個人の選択だが、北朝鮮では個人が肥満になることは難しいだろう。食糧不足が本当だとするなら、人々が飢えている国に太った最高権力者が君臨している光景だ。食糧事情で北朝鮮が米国と対等に近づくには、どんな「上底靴」が必要になるのか?
身長を高く見せるため金委員長は上底靴を履いているとも噂される。女性がハイヒールを履くのはファッション目的だろうが、金委員長が上底靴を履いているとすれば、並んで立った時のトランプ大統領との身長差を縮め、向き合った時にトランプ大統領から見下ろされる角度を小さくするためだろう。
上底靴で身長を調節しているのだとすれば金委員長はトランプ大統領と同じ身長になって、「対等」を演出することもできたはずだ。首脳会談の以前はさんざん米国をののしりながら、核保有国として米国に対等の扱いを要求していたのだから、金委員長も身長で「対等」を演出してもよかった。
20歳以上の米国人男性の平均身長は175センチ、平均体重は90キロとされる。男女とも体重や胴囲が増え、BMIは平均値で男性29.1、女性29.6となり、ほぼ肥満の域に達したと報じられた(BMIは18.5~24.9が正常値とされ、25~29.9は太り過ぎに分類)。トランプ大統領のBMIは30.4。
北朝鮮の人々のデータは発表されていないようだが、脱北して韓国に来た北朝鮮の成人男性の平均身長は165センチ、平均体重56キロとされる。これに比較すると、金委員長は身長では少し高い程度だが、体重は2倍以上になる。金委員長のBMIは44.9になり、かなりの肥満体型だ。
北朝鮮は国連に対して今年2月、コメ、小麦、ジャガイモ、大豆などの食糧の生産量が140万トン不足する見通しだとして支援を要請した。客観的な検証が欠けているので食糧不足の実態は定かではないが、過去に北朝鮮では食糧不足になったことがあった。米国などのような飽食の国でないことは確かだろう。
肥満の人が増える米国と、食糧不足を国連に訴える北朝鮮。両国の最高権力者は共に肥満体型だが、国民の体型は大きく異なる。米国では肥満は個人の選択だが、北朝鮮では個人が肥満になることは難しいだろう。食糧不足が本当だとするなら、人々が飢えている国に太った最高権力者が君臨している光景だ。食糧事情で北朝鮮が米国と対等に近づくには、どんな「上底靴」が必要になるのか?
2019年6月29日土曜日
移住先とストレス
都会に住む人に人気の移住希望先(2019年)は1位長野県、2位静岡県、3位北海道、4位山梨県、5位新潟県だという。長野県が人気1位の理由として、豊かな自然、広い土地が確保できる、移住者に対する自治体の支援が充実している等が挙げられ、静岡県では、温暖な気候、交通の便がいい等が人気理由の上位に来る。
北海道は移住先として年々順位を上げている。豊かな自然、夏が暑すぎず快適な気候、良質で豊富な食材、広い土地が確保できる等に加え、自治体が移住者受け入れに積極的になったことが奏功しているようだ。さらに、スギ花粉症から逃れることができることや道内観光に出かけやすくなることも魅力とされる。
一方で、冬の寒さや降雪に対する不安から、北海道は旅行先としてはいいけど住むのは嫌だという人も少なくないという。本州各地にも豪雪地帯があり、降雪量は北海道が飛び抜けて多いわけではないが、冬に寒い日が続くことでは北海道が一番だ。
暑さ寒さなど気温は人間にストレスを感じさせる。寒さにストレスを感じる人が北国に移住したなら、冬の寒さに移住したことを後悔するだろう。寒さは暖房や着衣で調節できるとはいえ、ふとした時に感じる寒さまで防ぐことはできず、そのたびにストレスを感じるなら心の重荷になろう。
寒くなっても北国の冬だから仕方がないと考え、雪が降ると冬だから当然だと思い、寒さを感じたら1枚また1枚と重ね着することに抵抗がなく、野外での肌を刺す寒さや雪景色は冬の季節感に欠かせないと感じるような人なら、北国に移住しても住み続けることができよう。
暑さにストレスを感じる人にとって、例えば東京の梅雨の時期から夏、秋と続く季節は苦痛だろう。湿度が高いので気温が高くなると肌に粘りつくような暑さが続き、夜中でも気温が下がらない。都会にはストレス要因が多いが、そこに高温多湿が加わるので、夏の東京で人はストレスにまみれて暮らす。クーラーが存在しなければ東京の過密化は抑制されたかもしれないな。
移住先として重視する要件は年代によっても違う。リタイアした年配者なら病院の存在、現役世代なら就業先の存在、子育て世代なら学校の存在を重視するという。東京には大量の就業先があり、多くの病院や学校がある。いくら暑くても移住希望先として東京のダントツの人気は揺るぎそうにない。
北海道は移住先として年々順位を上げている。豊かな自然、夏が暑すぎず快適な気候、良質で豊富な食材、広い土地が確保できる等に加え、自治体が移住者受け入れに積極的になったことが奏功しているようだ。さらに、スギ花粉症から逃れることができることや道内観光に出かけやすくなることも魅力とされる。
一方で、冬の寒さや降雪に対する不安から、北海道は旅行先としてはいいけど住むのは嫌だという人も少なくないという。本州各地にも豪雪地帯があり、降雪量は北海道が飛び抜けて多いわけではないが、冬に寒い日が続くことでは北海道が一番だ。
暑さ寒さなど気温は人間にストレスを感じさせる。寒さにストレスを感じる人が北国に移住したなら、冬の寒さに移住したことを後悔するだろう。寒さは暖房や着衣で調節できるとはいえ、ふとした時に感じる寒さまで防ぐことはできず、そのたびにストレスを感じるなら心の重荷になろう。
寒くなっても北国の冬だから仕方がないと考え、雪が降ると冬だから当然だと思い、寒さを感じたら1枚また1枚と重ね着することに抵抗がなく、野外での肌を刺す寒さや雪景色は冬の季節感に欠かせないと感じるような人なら、北国に移住しても住み続けることができよう。
暑さにストレスを感じる人にとって、例えば東京の梅雨の時期から夏、秋と続く季節は苦痛だろう。湿度が高いので気温が高くなると肌に粘りつくような暑さが続き、夜中でも気温が下がらない。都会にはストレス要因が多いが、そこに高温多湿が加わるので、夏の東京で人はストレスにまみれて暮らす。クーラーが存在しなければ東京の過密化は抑制されたかもしれないな。
移住先として重視する要件は年代によっても違う。リタイアした年配者なら病院の存在、現役世代なら就業先の存在、子育て世代なら学校の存在を重視するという。東京には大量の就業先があり、多くの病院や学校がある。いくら暑くても移住希望先として東京のダントツの人気は揺るぎそうにない。
2019年6月26日水曜日
グローバリズムの限界
冷戦が終結した後、世界は自由主義と民主主義、市場経済が主導するシステムに覆われ、政治体制をめぐる争いはなくなるとの楽観論があった。現実は、共産主義運動が衰退した一方、制約や規制が軽減されて資本主義が世界で人々を収奪することに容赦がなくなった。
楽観論やインターネット普及などにより当初、グローバリズムは世界を均一化し、相互の結びつきを強め、人類が共存する世界へ向かう道筋のように見えた。しかし、グローバリズムで最も恩恵を受けたのは巨大な資本であり、世界の市場に新しく参入した中国だった。
グローバリズムには、①世界を一つの共同体と見る、②世界を一つの市場と見る、の両面がある。①は国家や民族などにとらわれず、世界に個人が向き合って考え、行動することを促す。②は国境にとらわれずに巨大資本が経済活動することを正当化する。
巨大資本が、諸国家の制約をあまり受けずに世界各国で自由に活動した結果、各国で①少数の人々が更に莫大な富を得たが貧富の差が拡大、②中間層が減少、③巨大資本の「節税」などが生じた。また、人々の国境を超える流動性が高まり、受け入れ側の先進国では排斥感情が高まった。
巨大資本の活動や格差拡大、人々の流動性の高まりなどに対する批判や反感は各国で顕在化している。国家主権の回復や拡大、自国民・自民族の優先、異民族や異宗教者の排除など様々な主張が見られ、それは反グローバリズムと括られる。だが、各国の法人税軽減競争に見られるように、巨大資本の世界的な活動に制約を貸すことは難しいだろう。
世界を一つの市場とする現在のグローバリズムには様々な問題があるが、中国のように世界から自国を「閉ざし」て、内部では強圧的な支配を行うことが、グローバリズムに疲弊する世界よりマシだとはいえない。人々には、巨大資本か抑圧的な国家か、どちらかしか選択肢がないとすればグローバリズムには救いがない。
世界を一つの共同体と見るグローバリズムには希望は残っているのだろうか。各国で自国優先を唱える指導者が増えていることから、世界は分裂の方向に向かっているようにも見える。現在のグローバリズムの最も大きな害は、普遍的とされる理念が色あせたことかもしれない。
楽観論やインターネット普及などにより当初、グローバリズムは世界を均一化し、相互の結びつきを強め、人類が共存する世界へ向かう道筋のように見えた。しかし、グローバリズムで最も恩恵を受けたのは巨大な資本であり、世界の市場に新しく参入した中国だった。
グローバリズムには、①世界を一つの共同体と見る、②世界を一つの市場と見る、の両面がある。①は国家や民族などにとらわれず、世界に個人が向き合って考え、行動することを促す。②は国境にとらわれずに巨大資本が経済活動することを正当化する。
巨大資本が、諸国家の制約をあまり受けずに世界各国で自由に活動した結果、各国で①少数の人々が更に莫大な富を得たが貧富の差が拡大、②中間層が減少、③巨大資本の「節税」などが生じた。また、人々の国境を超える流動性が高まり、受け入れ側の先進国では排斥感情が高まった。
巨大資本の活動や格差拡大、人々の流動性の高まりなどに対する批判や反感は各国で顕在化している。国家主権の回復や拡大、自国民・自民族の優先、異民族や異宗教者の排除など様々な主張が見られ、それは反グローバリズムと括られる。だが、各国の法人税軽減競争に見られるように、巨大資本の世界的な活動に制約を貸すことは難しいだろう。
世界を一つの市場とする現在のグローバリズムには様々な問題があるが、中国のように世界から自国を「閉ざし」て、内部では強圧的な支配を行うことが、グローバリズムに疲弊する世界よりマシだとはいえない。人々には、巨大資本か抑圧的な国家か、どちらかしか選択肢がないとすればグローバリズムには救いがない。
世界を一つの共同体と見るグローバリズムには希望は残っているのだろうか。各国で自国優先を唱える指導者が増えていることから、世界は分裂の方向に向かっているようにも見える。現在のグローバリズムの最も大きな害は、普遍的とされる理念が色あせたことかもしれない。
2019年6月22日土曜日
五族共和の現在
中華民族の概念を最初に提起したのは梁啓超で、1902年のことだった(1901年に中国民族の概念を造語していた)。その後、孫文は五族共和(漢、満、蒙、蔵、回による共和)を掲げつつ、中華民族の形成を訴えた(『中国の民族問題』加々美光行著=岩波現代文庫)。
同書からの引用を続けるーー本来「中国=中華」概念は歴史的には「天下=世界」概念と同義であり、明確に「国」概念と区別されてきた。梁啓超と孫文はその「中国=中華」を「民族」概念と結びつけて「中国民族=中華民族」という新概念を造語したうえ、これをヨーロッパ発祥の近代「国民国家」の担い手となり得る「国民」概念に匹敵するものと見なしたのである。
この結果、「天下=世界」概念であり続けた「中国=中華」が史上初めて同時に「国家」概念へと組み替えられた。その際、「中国」の観念に含まれる「世界」観念としての意味については自覚的な議論がなされず、「中国」概念から取り除かれることもなかった。こうして現在の中国人の潜在意識の中で「中国」の観念が、「国家」観念と「世界」観念とが融合混在した「世界国家」の観念として働く結果になったのであるーー。
習近平党総書記が提唱する「中国の夢」とは「中華民族の偉大な復興の実現」だという。習氏は「2つの100年」(共産党創立100年=21年、中華人民共和国建国100年=49年)に向け、中華民族の偉大な復興の実現を推進するとする。復興が意味するものは察するに、国力の増大と国際的な影響力(支配力)の拡大などであるらしい。
習氏の言う中華民族は五族に限らない。中国共産党は中華民族を「漢族と55の少数民族」から成るとするので、現代中国の領土に住む全ての民族が融合混在したものだろうが、それは中国国民と同義である。わざわざ中華民族を強調するのは、民族間の対立を覆い隠し、中国共産党の支配下で仲良く暮らしているとのイメージを振りまくためだろう。
偉大な復興を目指すという中華民族だが、例えば、チベットやウイグルにおける過酷な抑圧状況が、厳しい報道統制にも関わらず国際的に知られるようになった。中国共産党の支配に従わない民族や人々に対する過酷な抑圧は以前から行われ続けていることでもあり、中華民族の形成とは、中国共産党の支配に従う民族や人々だけで中国という国家が形成されることであろう。
漢民族は中国の人口の9割以上を占める。中華民族の形成は、漢民族に他の民族が吸収されることでも実現する。満と漢の民族対立は伝わってこないし、蒙と漢との民族対立もほとんど伝えられないが、蔵や回と漢の対立は根深い。中国という世界に蔵や回が含まれると中国共産党は認識しているだろうから、漢に従わぬ蔵や回に対する「同化」の強制は過酷になる。
同書からの引用を続けるーー本来「中国=中華」概念は歴史的には「天下=世界」概念と同義であり、明確に「国」概念と区別されてきた。梁啓超と孫文はその「中国=中華」を「民族」概念と結びつけて「中国民族=中華民族」という新概念を造語したうえ、これをヨーロッパ発祥の近代「国民国家」の担い手となり得る「国民」概念に匹敵するものと見なしたのである。
この結果、「天下=世界」概念であり続けた「中国=中華」が史上初めて同時に「国家」概念へと組み替えられた。その際、「中国」の観念に含まれる「世界」観念としての意味については自覚的な議論がなされず、「中国」概念から取り除かれることもなかった。こうして現在の中国人の潜在意識の中で「中国」の観念が、「国家」観念と「世界」観念とが融合混在した「世界国家」の観念として働く結果になったのであるーー。
習近平党総書記が提唱する「中国の夢」とは「中華民族の偉大な復興の実現」だという。習氏は「2つの100年」(共産党創立100年=21年、中華人民共和国建国100年=49年)に向け、中華民族の偉大な復興の実現を推進するとする。復興が意味するものは察するに、国力の増大と国際的な影響力(支配力)の拡大などであるらしい。
習氏の言う中華民族は五族に限らない。中国共産党は中華民族を「漢族と55の少数民族」から成るとするので、現代中国の領土に住む全ての民族が融合混在したものだろうが、それは中国国民と同義である。わざわざ中華民族を強調するのは、民族間の対立を覆い隠し、中国共産党の支配下で仲良く暮らしているとのイメージを振りまくためだろう。
偉大な復興を目指すという中華民族だが、例えば、チベットやウイグルにおける過酷な抑圧状況が、厳しい報道統制にも関わらず国際的に知られるようになった。中国共産党の支配に従わない民族や人々に対する過酷な抑圧は以前から行われ続けていることでもあり、中華民族の形成とは、中国共産党の支配に従う民族や人々だけで中国という国家が形成されることであろう。
漢民族は中国の人口の9割以上を占める。中華民族の形成は、漢民族に他の民族が吸収されることでも実現する。満と漢の民族対立は伝わってこないし、蒙と漢との民族対立もほとんど伝えられないが、蔵や回と漢の対立は根深い。中国という世界に蔵や回が含まれると中国共産党は認識しているだろうから、漢に従わぬ蔵や回に対する「同化」の強制は過酷になる。
2019年6月19日水曜日
雑誌の速読法
書店が大好きだという友人がいる。帰宅前には必ずといっていいほど、どこかの書店に立ち寄り、仕事の合間にも会社近くの書店に出かける。何かの文庫本や書籍を常にバッグに入れているような本好きではないが、友人は書店に寄ることを好む。
友人は書店で書籍の新刊コーナーは素通りし、雑誌売り場に直行する。書籍に関心がないわけではないが、買ったものの読んでいない書籍が溜まっていることに加え、読みきるために数日以上は要するので、その時間が心理的な負担だと感じるようになり、書籍を買うことを抑制していると友人。
雑誌は、気になる記事が一つでもあれば買っていたそうだが、読み終えても雑誌を捨てることができない性分の友人なので、雑誌も溜まるばかり。溜まった書籍や雑誌を見るたびに、読書に対する自分の怠惰さを見せつけられているように感じたとか。
買った雑誌は全部の記事を読んでから処分すると決めた友人だが、買っても気になった記事以外はあまり熱心に読まず、やはり溜まっていくばかり。それで雑誌は基本的に買わず、気になった記事だけを立ち読みで済ますことにしたという。
月刊誌や専門誌には長い記事もある。書店で熱心に立ち読みしている人が同じページをずっと読んでいる光景は、熱心さは伝わるものの傍目には「買えないのか」と見られることもある。友人は独自の速読法を習得したので、長い記事でもさっさとページをめくるという。
速読法というと、一字一句にこだわらず、視野を広くして複数の行を見るようにするとか、段落に斜めに視線を走らすとか、視線の移動を速くして無駄な視線移動をしないとか、様々な方法があるらしいが、友人の方法は、各段落の最初の文だけを読むというもの。
各段落の最初の文だけを読み継いで行くと、記事の趣旨も浮かび上がると友人はいう。速読が目的ではなく何が書かれているかを知ることが目的だから、この速読法は雑誌の立ち読みには適しているそうだ。ただ、論文や小説など一つの段落が長いものには向いていないので、そうしたものをじっくり読みたい時は雑誌を買うそうだ。
友人は書店で書籍の新刊コーナーは素通りし、雑誌売り場に直行する。書籍に関心がないわけではないが、買ったものの読んでいない書籍が溜まっていることに加え、読みきるために数日以上は要するので、その時間が心理的な負担だと感じるようになり、書籍を買うことを抑制していると友人。
雑誌は、気になる記事が一つでもあれば買っていたそうだが、読み終えても雑誌を捨てることができない性分の友人なので、雑誌も溜まるばかり。溜まった書籍や雑誌を見るたびに、読書に対する自分の怠惰さを見せつけられているように感じたとか。
買った雑誌は全部の記事を読んでから処分すると決めた友人だが、買っても気になった記事以外はあまり熱心に読まず、やはり溜まっていくばかり。それで雑誌は基本的に買わず、気になった記事だけを立ち読みで済ますことにしたという。
月刊誌や専門誌には長い記事もある。書店で熱心に立ち読みしている人が同じページをずっと読んでいる光景は、熱心さは伝わるものの傍目には「買えないのか」と見られることもある。友人は独自の速読法を習得したので、長い記事でもさっさとページをめくるという。
速読法というと、一字一句にこだわらず、視野を広くして複数の行を見るようにするとか、段落に斜めに視線を走らすとか、視線の移動を速くして無駄な視線移動をしないとか、様々な方法があるらしいが、友人の方法は、各段落の最初の文だけを読むというもの。
各段落の最初の文だけを読み継いで行くと、記事の趣旨も浮かび上がると友人はいう。速読が目的ではなく何が書かれているかを知ることが目的だから、この速読法は雑誌の立ち読みには適しているそうだ。ただ、論文や小説など一つの段落が長いものには向いていないので、そうしたものをじっくり読みたい時は雑誌を買うそうだ。
2019年6月15日土曜日
植物は日本語が分かる?
「植物に話しかけると元気に育つ」とか「綺麗だね、ありがとうなどと植物を褒めると、バカなどと貶すよりも育ちが良くなる」などと主張する人がいる。実際の体験から確信を持って言うのだろうが、検証は困難だ。
そうした主張が事実であるために必要な要素は、第一に、植物に耳があること。人間が発する言葉は空気の振動なので、植物が葉などで振動を感知している可能性はあるが、振動から言葉を理解しているかどうか証明は簡単ではないだろう。ただし、空気の振動で葉が動くと、それが植物を活性化させる可能性はある。
第二に、人間の言葉を理解する能力が植物にあること。植物に話しかけた言語は、おそらく日本語だろうから、植物に日本語を理解する能力がなければ、そうした主張は成立しない。人間の子供が言語を習得するには年月を要するが、寿命が短い植物に言語を理解する能力があるなら、大発見だろう。
人が近くから植物に話しかけることで、呼気中のCO2を植物が吸収して活性化すると解説する人がいる。大気中のCO2濃度は0.03%だが、人の呼気には4%程度(運動量により大きく変動する)のCO2を含むから、それが植物を活性化させるという説だ。
温室などでCO2濃度を高めることで植物を活性化させる農法があるというから、CO2が関係している可能性はある。だが、綺麗だねなどと褒めてもバカと貶しても呼気中のCO2濃度に大差はないだろうから、褒めると植物が活性化するとの主張は矛盾する。それに、呼気に含まれるCO2を植物が即座に吸収し、利用しているのか定かではない。
植物に優しく話しかける人はおそらく、手入れを怠らないだろう。優しい言葉ではなく、こまめな手入れが植物を活性化させると想像できるが、植物と「心を通わせた」と思いたい人が、自分の言葉で植物が元気になったとか綺麗になったと主張するのかもしれない。
綺麗だねと話しかけ続けている人には、いつしか植物が綺麗になったように見えるのかもしれない。綺麗になったと見えるのだから、綺麗になったのは事実だと主張する人は、見たいと欲するものを見ているのだ。主観で構築した世界に満足している人はきっと、綺麗だと見たいものを綺麗だと感じるのだろう。
そうした主張が事実であるために必要な要素は、第一に、植物に耳があること。人間が発する言葉は空気の振動なので、植物が葉などで振動を感知している可能性はあるが、振動から言葉を理解しているかどうか証明は簡単ではないだろう。ただし、空気の振動で葉が動くと、それが植物を活性化させる可能性はある。
第二に、人間の言葉を理解する能力が植物にあること。植物に話しかけた言語は、おそらく日本語だろうから、植物に日本語を理解する能力がなければ、そうした主張は成立しない。人間の子供が言語を習得するには年月を要するが、寿命が短い植物に言語を理解する能力があるなら、大発見だろう。
人が近くから植物に話しかけることで、呼気中のCO2を植物が吸収して活性化すると解説する人がいる。大気中のCO2濃度は0.03%だが、人の呼気には4%程度(運動量により大きく変動する)のCO2を含むから、それが植物を活性化させるという説だ。
温室などでCO2濃度を高めることで植物を活性化させる農法があるというから、CO2が関係している可能性はある。だが、綺麗だねなどと褒めてもバカと貶しても呼気中のCO2濃度に大差はないだろうから、褒めると植物が活性化するとの主張は矛盾する。それに、呼気に含まれるCO2を植物が即座に吸収し、利用しているのか定かではない。
植物に優しく話しかける人はおそらく、手入れを怠らないだろう。優しい言葉ではなく、こまめな手入れが植物を活性化させると想像できるが、植物と「心を通わせた」と思いたい人が、自分の言葉で植物が元気になったとか綺麗になったと主張するのかもしれない。
綺麗だねと話しかけ続けている人には、いつしか植物が綺麗になったように見えるのかもしれない。綺麗になったと見えるのだから、綺麗になったのは事実だと主張する人は、見たいと欲するものを見ているのだ。主観で構築した世界に満足している人はきっと、綺麗だと見たいものを綺麗だと感じるのだろう。
2019年6月12日水曜日
アラカン一代
『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』は竹中労氏の傑作であるとともに、ルポルタージュ(ノンフィクション)の傑作でもある。初版は1976年に白川書院から刊行され、後に徳間文庫、ちくま文庫に入った。
文庫版では、初版巻頭にあったグラビアページ(16P)にちりばめられたアラカン映画のスチル写真が本文中に分散して配置されるとともにサイズが小さくなり、カットされた写真も多い。アラカン映画を見た読者が減りつつある時代の変化を考えると、イメージを具体化しやすいスチル写真を掲載する必要性は増している。
最近では七つ森書館から2016年に再刊された(書名は『鞍馬天狗のおじさんは 聞書・嵐寛寿郎一代』に変更)。四六判で初版より一回り小さいが、巻頭にグラビアページを設け、アラカン映画のスチル写真を見やすく復活させた。
七つ森書館版の解説で佐高信氏は「この本は稀代の名著である」と書き出し、アラカンの「声音まで聞こえてくるような語り口」で、「私が少年の頃、胸躍らせて見たアラカンは、とてつもなく反骨の人だった」「共に無頼の竹中とアラカンが“合体”したとも言える絶品の快作」とする。
アラカンの声音まで聞こえてくるような語り口とは、例えば、「芸術関係おへん、人を娯しませたらそれでええ。河原コジキ、結構やないか」「人々を娯しませてきたことは、まぎれもないんダ。ワテは映画俳優になったことを一度も後悔したことおへん」。
「ゼニもほしかった芸者遊びもしたかった、マキノに入ったんそれだけやおへん。バンツマほどの役者になりたいと、志を立てたんダ」「人間の運命どこでどう変るやら、見当もつきまへんな、カツドウシャシンたった一年半で、おのれがスターになっていたゆうことに、東京へ出てみてはじめて気がつきました」。
「戦争からこのかた、エライさんのゆうこと信用せんことにした。愛国心も怪しいものや、きれいなウソあきまへんな。嘘つかんのは景色だけや」「満州には、不思議な人がようけおりましたな。とくに『満映』、大杉栄を殺した甘粕大尉が理事長ダ。日活残党の根岸寛一はん・マキノ光雄はん、それに内田吐夢監督・シナリオライターの八木保太郎といった人たちが、その下で働いておりました」。
……と本人の語りを主に、アラカン本人や映画関係者との対談と竹中氏の地の文を織り交ぜ、アラカンの半生記と黎明期から戦後に至る日本映画の軌跡を、各社の盛衰や映画関係者の言動などをたどりつつ描いた。マキノ雅弘氏は「これは荒々しい本や、無遠慮な本や、ほんまのことばかり書いてある本や。読みながら不覚にも涙がこぼれてきた、声を立てて笑うほどおかしゅうて、急に悲しくなってくる本や」と語っている。
文庫版では、初版巻頭にあったグラビアページ(16P)にちりばめられたアラカン映画のスチル写真が本文中に分散して配置されるとともにサイズが小さくなり、カットされた写真も多い。アラカン映画を見た読者が減りつつある時代の変化を考えると、イメージを具体化しやすいスチル写真を掲載する必要性は増している。
最近では七つ森書館から2016年に再刊された(書名は『鞍馬天狗のおじさんは 聞書・嵐寛寿郎一代』に変更)。四六判で初版より一回り小さいが、巻頭にグラビアページを設け、アラカン映画のスチル写真を見やすく復活させた。
七つ森書館版の解説で佐高信氏は「この本は稀代の名著である」と書き出し、アラカンの「声音まで聞こえてくるような語り口」で、「私が少年の頃、胸躍らせて見たアラカンは、とてつもなく反骨の人だった」「共に無頼の竹中とアラカンが“合体”したとも言える絶品の快作」とする。
アラカンの声音まで聞こえてくるような語り口とは、例えば、「芸術関係おへん、人を娯しませたらそれでええ。河原コジキ、結構やないか」「人々を娯しませてきたことは、まぎれもないんダ。ワテは映画俳優になったことを一度も後悔したことおへん」。
「ゼニもほしかった芸者遊びもしたかった、マキノに入ったんそれだけやおへん。バンツマほどの役者になりたいと、志を立てたんダ」「人間の運命どこでどう変るやら、見当もつきまへんな、カツドウシャシンたった一年半で、おのれがスターになっていたゆうことに、東京へ出てみてはじめて気がつきました」。
「戦争からこのかた、エライさんのゆうこと信用せんことにした。愛国心も怪しいものや、きれいなウソあきまへんな。嘘つかんのは景色だけや」「満州には、不思議な人がようけおりましたな。とくに『満映』、大杉栄を殺した甘粕大尉が理事長ダ。日活残党の根岸寛一はん・マキノ光雄はん、それに内田吐夢監督・シナリオライターの八木保太郎といった人たちが、その下で働いておりました」。
……と本人の語りを主に、アラカン本人や映画関係者との対談と竹中氏の地の文を織り交ぜ、アラカンの半生記と黎明期から戦後に至る日本映画の軌跡を、各社の盛衰や映画関係者の言動などをたどりつつ描いた。マキノ雅弘氏は「これは荒々しい本や、無遠慮な本や、ほんまのことばかり書いてある本や。読みながら不覚にも涙がこぼれてきた、声を立てて笑うほどおかしゅうて、急に悲しくなってくる本や」と語っている。
2019年6月8日土曜日
信仰心のビルトイン
「神を信じよ」との呼びかけを見たり聞いたりした人は多いだろう。こうした呼びかけはキリスト教団体などが行っているようだから、「信じよ」と呼びかける対象の神とは、聖書に描かれている、この世界を創造し、人間をもつくった神のことだろう。
なぜ、神は自身がつくった人間に対して「神を信じよ」と呼びかけるのか。実際に呼びかけているのは人間が人間に対してであり、神が人間に直接呼びかけているのではないから、神の存在を信じていない人は、神が呼びかけているとは受け止めず、人間が呼びかけているだけだと見るだろう。
「神を信じよ」との呼びかけは、神を信じない人間に対しての呼びかけであり、そうした呼びかけが必要とされるのは、神を信じない人間が存在し、その数が相当程度多いと神を信じる集団が考えるからだ(神を信じる人間が多数ならば、そうした呼びかけの必要性は希薄になろう)。
神は人間が行う「神を信じよ」との呼びかけにどこまで関与しているのか。神が存在すると仮定すると、そうした活動は①神が人間にさせている、②人間が自発的に行うことで神は関与していない、のどちらかだ。①はさらに、神の関与を示す証はないだろうから客観的には、神を信じる集団や人間が勝手に行動しているだけと見える。
人間が勝手に「神を信じよ」と呼びかけるのは、信仰を広めようとの使命感に促されているからだろう。だが、そうした使命感を人間が持つのは、①神から示唆された、②人間が考えた、のどちらかなのか判断できない。さらに①の神の示唆を示す証は、おそらく確信など人間の主観によるものである可能性が高そうだ。
神が存在し、人間をつくったと仮定すると、なぜ神は人間に「神を信じよ」と呼びかけるのか。人間をつくった時に神は、本能の一つとして信仰心を人間にビルトインさせておけば、後世になって「神を信じよ」などと人間に布教活動をさせる必要はなかったのに。
なぜ神は人間をつくった時に神に対する信仰心をビルトインしなかったのか。考えられるのは、第一に神は人間をつくる時にうっかりミスをした、第二に人間に神への信仰心を求めなかった、第三に人間を試すために後から神の言葉だけを与えた、第四に長い年月とともに人間が神を忘却することを知らなかった、第五に神は人間に関心がない、などだ。
人間をつくった神が人間に対して「神を信じよ」と呼びかけていると考えると、神の全能性に疑問が生じる。神が存在するなら、その神は人間に関心を持たないのかもしれない。そんな神を信じるのは簡単ではなかろうが、それでも神を信じるというのが信仰心なのだろう。
なぜ、神は自身がつくった人間に対して「神を信じよ」と呼びかけるのか。実際に呼びかけているのは人間が人間に対してであり、神が人間に直接呼びかけているのではないから、神の存在を信じていない人は、神が呼びかけているとは受け止めず、人間が呼びかけているだけだと見るだろう。
「神を信じよ」との呼びかけは、神を信じない人間に対しての呼びかけであり、そうした呼びかけが必要とされるのは、神を信じない人間が存在し、その数が相当程度多いと神を信じる集団が考えるからだ(神を信じる人間が多数ならば、そうした呼びかけの必要性は希薄になろう)。
神は人間が行う「神を信じよ」との呼びかけにどこまで関与しているのか。神が存在すると仮定すると、そうした活動は①神が人間にさせている、②人間が自発的に行うことで神は関与していない、のどちらかだ。①はさらに、神の関与を示す証はないだろうから客観的には、神を信じる集団や人間が勝手に行動しているだけと見える。
人間が勝手に「神を信じよ」と呼びかけるのは、信仰を広めようとの使命感に促されているからだろう。だが、そうした使命感を人間が持つのは、①神から示唆された、②人間が考えた、のどちらかなのか判断できない。さらに①の神の示唆を示す証は、おそらく確信など人間の主観によるものである可能性が高そうだ。
神が存在し、人間をつくったと仮定すると、なぜ神は人間に「神を信じよ」と呼びかけるのか。人間をつくった時に神は、本能の一つとして信仰心を人間にビルトインさせておけば、後世になって「神を信じよ」などと人間に布教活動をさせる必要はなかったのに。
なぜ神は人間をつくった時に神に対する信仰心をビルトインしなかったのか。考えられるのは、第一に神は人間をつくる時にうっかりミスをした、第二に人間に神への信仰心を求めなかった、第三に人間を試すために後から神の言葉だけを与えた、第四に長い年月とともに人間が神を忘却することを知らなかった、第五に神は人間に関心がない、などだ。
人間をつくった神が人間に対して「神を信じよ」と呼びかけていると考えると、神の全能性に疑問が生じる。神が存在するなら、その神は人間に関心を持たないのかもしれない。そんな神を信じるのは簡単ではなかろうが、それでも神を信じるというのが信仰心なのだろう。
2019年6月5日水曜日
戦争で取り返す
北方4島を「戦争で取り返すことは賛成ですか? 反対ですか?」と、ビザなし交流の訪問団に参加していた丸山穂高衆議院議員が元島民の団長に尋ね、団長は「戦争なんて言葉は使いたくない」と答えたが、丸山議員は「でも取り返せないですよね」「戦争しないとどうしようもなくないですか?」などのやりとりがあったと報じられている。
「戦争しないと北方4島を取り返すことができない」という認識は、国家が領土を力づくで奪い合ってきたという世界の歴史に基づいているように見える。だが、欠落がある。戦争をしただけでは北方4島を取り戻すことはできず、戦争に勝ち、北方4島からロシア軍を排除して日本が占領しなければならず、新しい国境を明記した平和条約を締結することなども必要だ。
ソ連時代に比べてロシアは弱体化しているが、軍事的な能力を侮ることはできないだろう。ロシア相手に戦争で勝たなければ北方4島を取り返すことができないと認識しているなら、どうすればロシア相手の戦争に勝つことができるか、それを考えるのがマジメな対応だろう。「戦争しないとどうしようもない」というのはズサンな思考力の表れである。
ロシアと戦争をして日本は勝つことができるのだろうか。ロシアはどのような戦力をどこに配置しているのか、補給体制はどうなっているのか、応援部隊はどこから来るのか等、軍事に関することは具体的に見ることが基本だ。感情や使命感?などに駆られると、とどのつまりが神風頼みになりかねない。
防衛白書2019によると、ロシア軍は「1個師団が国後島と択捉島に駐留しており、戦車、装甲車、各種火砲、対空ミサイルなど」や「択捉島及び国後島への沿岸(地対艦)ミサイル」を配備し、北方領土における軍事施設の整備を進め、軍事演習など活動を活発化させているという。
東部軍管部には、11個旅団など約8万人のほか水陸両用作戦能力を備えた海軍歩兵旅団を擁し、各種ミサイルの導入が進められ、太平洋艦隊は潜水艦約20隻含む艦艇約260隻、計約64万トン。空軍、海軍を合わせて約400機の作戦機が配備され、Su-35やSu-34など新型機の導入で能力向上が行われているという。
核兵器が使用されず、他の国家の参戦がないと仮定すると、日本とロシアの戦争は自衛隊と極東ロシア軍の戦いになる。北方4島を奪い合う戦争の戦場が北海道東部に限定されるかどうかは不明だ。むしろ、極東ロシア軍が軍事展開するなら全国の日本海側各地も戦場になる可能性がある。北方4島を取り戻そうとして日本がロシアに戦争を仕掛けた場合、戦争の勝ち負け以前に日本が被る損害は相当に大きくなりそうだ。
「戦争しないと北方4島を取り返すことができない」という認識は、国家が領土を力づくで奪い合ってきたという世界の歴史に基づいているように見える。だが、欠落がある。戦争をしただけでは北方4島を取り戻すことはできず、戦争に勝ち、北方4島からロシア軍を排除して日本が占領しなければならず、新しい国境を明記した平和条約を締結することなども必要だ。
ソ連時代に比べてロシアは弱体化しているが、軍事的な能力を侮ることはできないだろう。ロシア相手に戦争で勝たなければ北方4島を取り返すことができないと認識しているなら、どうすればロシア相手の戦争に勝つことができるか、それを考えるのがマジメな対応だろう。「戦争しないとどうしようもない」というのはズサンな思考力の表れである。
ロシアと戦争をして日本は勝つことができるのだろうか。ロシアはどのような戦力をどこに配置しているのか、補給体制はどうなっているのか、応援部隊はどこから来るのか等、軍事に関することは具体的に見ることが基本だ。感情や使命感?などに駆られると、とどのつまりが神風頼みになりかねない。
防衛白書2019によると、ロシア軍は「1個師団が国後島と択捉島に駐留しており、戦車、装甲車、各種火砲、対空ミサイルなど」や「択捉島及び国後島への沿岸(地対艦)ミサイル」を配備し、北方領土における軍事施設の整備を進め、軍事演習など活動を活発化させているという。
東部軍管部には、11個旅団など約8万人のほか水陸両用作戦能力を備えた海軍歩兵旅団を擁し、各種ミサイルの導入が進められ、太平洋艦隊は潜水艦約20隻含む艦艇約260隻、計約64万トン。空軍、海軍を合わせて約400機の作戦機が配備され、Su-35やSu-34など新型機の導入で能力向上が行われているという。
核兵器が使用されず、他の国家の参戦がないと仮定すると、日本とロシアの戦争は自衛隊と極東ロシア軍の戦いになる。北方4島を奪い合う戦争の戦場が北海道東部に限定されるかどうかは不明だ。むしろ、極東ロシア軍が軍事展開するなら全国の日本海側各地も戦場になる可能性がある。北方4島を取り戻そうとして日本がロシアに戦争を仕掛けた場合、戦争の勝ち負け以前に日本が被る損害は相当に大きくなりそうだ。
2019年6月1日土曜日
もてて乱れず
「もてて乱れず」ということを、竹中労さんとの対談(「草莽のロマンチシズム」ー『竹中労の右翼との対話』所収)で白井為雄さんが語っていた。それは概略、次のような話だった。
男の女の関係で、「もてないで乱れる」(女にもてないといって生活が荒れる)ことは最低で、「もてて乱れる」(女にもてて有頂天になってハメをはずす)は次善である。最善は「もてて乱れない」ことである。もてた時は、決して自惚れない自重が大切であるとの戒めだ。
「もてて乱れず」の態度は、女出入りだけではなく、思想生活、企業経営、社会人生活においても重要だ。ことが順調に運んで調子良い時が最も心すべき時であって、このような時には有頂天にならないようにしないと、そんな時にこそ人生の落とし穴は大きく口を開いて、転落の機会が待ち構えているものだ。
人気にもてて乱れ、マスコミにもてて乱れ、権力にもてて乱れ、商売にもてて乱れ、金にもてて乱れる人は珍しくない。だが、もてている人物に対する世間の関心は高いから、隠されていた「乱れた」所業が暴かれ、週刊誌の誌面を賑わせたりする。
男女関係に限らず「もてて乱れず」が簡単でないのは、もてて順調な時に人は喜び、慢心しやすいからだ。もてて乱れるのも人の自然な生き方だと見守ってくれるほど、もてている人に世間は優しくない。もてている人の乱れた所業が晒され、もてている人が一転、窮地に追い込まれるのを見ることを世間は楽しんだりする。
もてるというのは、他者からの評価である。自分の魅力や能力、努力、天分などが他者から認められたのだから、喜び、満足し、慢心するのは、程度の差はあれ誰でも同様だろう。そこで、乱れるか乱れないかは、他者からの評価に浮き足立たない自己を確立しているかどうかが左右する。
「もてて乱れず」の人は「もてなくても乱れず」かもしれない。そんな人は少ないからこそ、「もてて乱れず」の言葉が戒めとして効果を持つ。ただし、「乱れず」が偏狭な自己に固執する頑固さを意味するのなら、そんな人はどこにでも居そうだな。
男の女の関係で、「もてないで乱れる」(女にもてないといって生活が荒れる)ことは最低で、「もてて乱れる」(女にもてて有頂天になってハメをはずす)は次善である。最善は「もてて乱れない」ことである。もてた時は、決して自惚れない自重が大切であるとの戒めだ。
「もてて乱れず」の態度は、女出入りだけではなく、思想生活、企業経営、社会人生活においても重要だ。ことが順調に運んで調子良い時が最も心すべき時であって、このような時には有頂天にならないようにしないと、そんな時にこそ人生の落とし穴は大きく口を開いて、転落の機会が待ち構えているものだ。
人気にもてて乱れ、マスコミにもてて乱れ、権力にもてて乱れ、商売にもてて乱れ、金にもてて乱れる人は珍しくない。だが、もてている人物に対する世間の関心は高いから、隠されていた「乱れた」所業が暴かれ、週刊誌の誌面を賑わせたりする。
男女関係に限らず「もてて乱れず」が簡単でないのは、もてて順調な時に人は喜び、慢心しやすいからだ。もてて乱れるのも人の自然な生き方だと見守ってくれるほど、もてている人に世間は優しくない。もてている人の乱れた所業が晒され、もてている人が一転、窮地に追い込まれるのを見ることを世間は楽しんだりする。
もてるというのは、他者からの評価である。自分の魅力や能力、努力、天分などが他者から認められたのだから、喜び、満足し、慢心するのは、程度の差はあれ誰でも同様だろう。そこで、乱れるか乱れないかは、他者からの評価に浮き足立たない自己を確立しているかどうかが左右する。
「もてて乱れず」の人は「もてなくても乱れず」かもしれない。そんな人は少ないからこそ、「もてて乱れず」の言葉が戒めとして効果を持つ。ただし、「乱れず」が偏狭な自己に固執する頑固さを意味するのなら、そんな人はどこにでも居そうだな。
2019年5月29日水曜日
移動時間の価値
新幹線と飛行機の選択において「4時間の壁」が存在するとされる。新幹線の所用時間が4時間を超える区間では飛行機を選ぶ利用者が増え、4時間を切ると新幹線の利用者が増えるそうだ。東京~広島間で所要時間を4時間に短縮した新幹線を増やしたところ、飛行機より新幹線の利用者が増えたという。
ただし、「4時間の壁」の存在が検証されたわけではなく、厳密な定義があるわけでもない。例えば、4時間は新幹線では乗車時間のみだが、飛行機では、自宅から空港への移動時間や到着地での空港〜駅間の移動時間を含むなど、4時間に含む行動範囲が広くなる。
「4時間の壁」が広まったのは北海道新幹線の開業の前後だった。東京―新函館北斗間が最短でも4時間を上回ることから、東京からの乗車率は高くないだろうとの論調が多く、貨物列車と共有する青函トンネルでは最高速度が在来線と同じに抑えられることが課題として指摘された。
この3月、北海道新幹線の東京―新函館北斗間の所要時間は4分短縮され、最短で3時間58分になった。青函トンネルを含む貨物列車との共用区間で最高速度を20キロ引き上げ、時速160キロにしたことで4時間の壁を打ち破った。この速度でも貨物列車とのすれ違いでは安全が保たれるという。
「4時間の壁」を僅かに突き破ったわけだが、これで東京から函館へ向かう新幹線利用者が一気に増えるかどうかは定かではない。数分短縮されたといっても、従来の所要時間と大差ないのだから利用者にとっては、状況が変わったというより状況は同じままだという実感か。
移動に要する時間は、短ければ短いほどいいというのが一般の感覚だろう。商用でも私用でも旅行でも移動は目的地に到着するための途中段階にすぎず、移動の時間を楽しむのは鉄道や飛行機などのファンだけかもしれない。鉄道ファンにとって新幹線内での4時間は長くはないが、鉄道に興味がない人にとって座っているだけの4時間は長い。
長距離移動においては基本的に飛行機に優位性がある。新幹線が選ばれるためには、移動の時間の価値を高める必要があるが、過度な演出は商用などでの利用者にとって邪魔だろうから、限度がある。新幹線を利用する移動に、どのような付加価値を加えるかがぼやけているところに「壁」があるのかもしれない。
ただし、「4時間の壁」の存在が検証されたわけではなく、厳密な定義があるわけでもない。例えば、4時間は新幹線では乗車時間のみだが、飛行機では、自宅から空港への移動時間や到着地での空港〜駅間の移動時間を含むなど、4時間に含む行動範囲が広くなる。
「4時間の壁」が広まったのは北海道新幹線の開業の前後だった。東京―新函館北斗間が最短でも4時間を上回ることから、東京からの乗車率は高くないだろうとの論調が多く、貨物列車と共有する青函トンネルでは最高速度が在来線と同じに抑えられることが課題として指摘された。
この3月、北海道新幹線の東京―新函館北斗間の所要時間は4分短縮され、最短で3時間58分になった。青函トンネルを含む貨物列車との共用区間で最高速度を20キロ引き上げ、時速160キロにしたことで4時間の壁を打ち破った。この速度でも貨物列車とのすれ違いでは安全が保たれるという。
「4時間の壁」を僅かに突き破ったわけだが、これで東京から函館へ向かう新幹線利用者が一気に増えるかどうかは定かではない。数分短縮されたといっても、従来の所要時間と大差ないのだから利用者にとっては、状況が変わったというより状況は同じままだという実感か。
移動に要する時間は、短ければ短いほどいいというのが一般の感覚だろう。商用でも私用でも旅行でも移動は目的地に到着するための途中段階にすぎず、移動の時間を楽しむのは鉄道や飛行機などのファンだけかもしれない。鉄道ファンにとって新幹線内での4時間は長くはないが、鉄道に興味がない人にとって座っているだけの4時間は長い。
長距離移動においては基本的に飛行機に優位性がある。新幹線が選ばれるためには、移動の時間の価値を高める必要があるが、過度な演出は商用などでの利用者にとって邪魔だろうから、限度がある。新幹線を利用する移動に、どのような付加価値を加えるかがぼやけているところに「壁」があるのかもしれない。
2019年5月25日土曜日
世界を分割支配
米国は中国からの輸入品(2000億ドル相当)に対する関税を10%から25%に引き上げ、さらに関税引き上げの対象を3000億ドル相当の中国からの輸入品に拡大することを発表した。
米国と中国の協議はまとまりかけたものの、合意文書の大幅な修正を中国政府が提示してきて、米国が実力行使に踏み切った形だ。中国政府は▽知的財産・企業秘密の保護▽技術の強制移転▽競争政策▽金融サービス市場へのアクセス▽為替操作ーで法律を改正するとの約束を撤回したという。
中国における法律の改正を合意文書に明記することは、米国の圧力に屈して中国政府が国内法を変えることが公表されることでもある。だが、中国政府の「メンツ」を尊重して合意文書に明記しなければ、確実に合意事項が履行されるか不透明だ(過去の中国政府の行動からすると、履行されない可能性が高いだろう)。
米国と中国が互いに自国の利益を第一に争っている様子を、世界における覇権争いと解釈する論評が増えた。かつての冷戦で米国と覇権を争ったソ連が解体し、米国の1強体制が続いていたが、改革開放で経済の急成長を遂げて米国に次ぐ国力を備えた中国が覇権を求めているという解釈だ。
中国はかつて覇権主義を厳しく批判していた。批判の対象はソ連であり、ソ連衰退後は米国であった。世界第二の経済大国に成長し、相応の軍事力を整備した中国が現在、覇権を求めていると批判されるのは皮肉だが、中国は立場を使い分けて自国に都合がいい主張をするのは珍しくない(経済大国になっても、時には途上国だと主張する)から、覇権を求めているとの解釈には相応の説得力がある。
昨年、改革開放政策40年を祝う式典で習近平国家主席は「開放型の世界経済の建設を積極的に推進し、覇権主義に反対する」と演説した。開放型の世界経済に中国経済が含まれるのか、そこが各国から疑念を持たれて、中国の行動が各国から覇権主義に見えてもいる。だが、中国は「変わろう」としない。
かつての冷戦は米国とソ連による世界の分割支配だった。現在の中国が支配しているとみなせる勢力圏は世界にほとんどなく、中国と米国との世界分割支配には程遠い。しかし、「債務のワナ」などに見られるように中国は世界各地に勢力圏を拡大しようとしている。中国は単独の覇権ではなく、米国と中国による世界の分割支配を目指しているとみるなら、近年の中国の世界における行動は理解しやすい。
米国と中国の協議はまとまりかけたものの、合意文書の大幅な修正を中国政府が提示してきて、米国が実力行使に踏み切った形だ。中国政府は▽知的財産・企業秘密の保護▽技術の強制移転▽競争政策▽金融サービス市場へのアクセス▽為替操作ーで法律を改正するとの約束を撤回したという。
中国における法律の改正を合意文書に明記することは、米国の圧力に屈して中国政府が国内法を変えることが公表されることでもある。だが、中国政府の「メンツ」を尊重して合意文書に明記しなければ、確実に合意事項が履行されるか不透明だ(過去の中国政府の行動からすると、履行されない可能性が高いだろう)。
米国と中国が互いに自国の利益を第一に争っている様子を、世界における覇権争いと解釈する論評が増えた。かつての冷戦で米国と覇権を争ったソ連が解体し、米国の1強体制が続いていたが、改革開放で経済の急成長を遂げて米国に次ぐ国力を備えた中国が覇権を求めているという解釈だ。
中国はかつて覇権主義を厳しく批判していた。批判の対象はソ連であり、ソ連衰退後は米国であった。世界第二の経済大国に成長し、相応の軍事力を整備した中国が現在、覇権を求めていると批判されるのは皮肉だが、中国は立場を使い分けて自国に都合がいい主張をするのは珍しくない(経済大国になっても、時には途上国だと主張する)から、覇権を求めているとの解釈には相応の説得力がある。
昨年、改革開放政策40年を祝う式典で習近平国家主席は「開放型の世界経済の建設を積極的に推進し、覇権主義に反対する」と演説した。開放型の世界経済に中国経済が含まれるのか、そこが各国から疑念を持たれて、中国の行動が各国から覇権主義に見えてもいる。だが、中国は「変わろう」としない。
かつての冷戦は米国とソ連による世界の分割支配だった。現在の中国が支配しているとみなせる勢力圏は世界にほとんどなく、中国と米国との世界分割支配には程遠い。しかし、「債務のワナ」などに見られるように中国は世界各地に勢力圏を拡大しようとしている。中国は単独の覇権ではなく、米国と中国による世界の分割支配を目指しているとみるなら、近年の中国の世界における行動は理解しやすい。
2019年5月22日水曜日
時間とは何か
時間とは、過去から現在を経て未来へと流れるような何かだというのが一般的な解釈だろう。さらに、床に落ちて割れたコップは元の形状に戻らず、燃えた紙片は復活せず、昨日が繰り返されないように、時間は巻き戻すことができないものだとも解釈されている。
映画やSFなどでは、人間が過去や未来に行き来できたり、過去や未来が同時に存在したりする。現在以外に過去も未来も同時に存在すると、割れたコップと割れていないコップ、燃えた紙片と燃えていない紙片が同時に存在することになり、空間が「現在」のものだけなら、その空間にはモノが溢れるだろう。過去や未来が同時に存在するなら、それぞれの空間が必要かもしれない。
しかし、「現在」の空間と別に過去や未来の空間があるとすれば、人間も空間ごとに存在するから、「現在」の空間にいる人間が過去や未来の空間に同時には存在できないだろう。過去や未来が同時に存在しても、人間だけが「現在」のままでは過去や未来の空間を認識するには特別な能力が必要かもしれない。
空間が「現在」のものだけで、そこに過去や未来が部分的に存在しても、それを人間が識別することはできまい。人間は過去を記憶するが、未来については知らない。だから、過去や未来が同時に存在する空間で、割れたコップが存在しても、それが過去に起きたことか現在起きたことか未来に起きることか判断できない。
人間は過去を記憶する。過去は人間の記憶に蓄積されるともいえるが、記憶や記録があるから人間は過去を認識できる。記憶や記録が存在しなければ人間にとって時間とは現在だけになるかもしれない。現在だけになると、時間の概念は全く異なったものになるだろう。
時間は実在するのだろうか、それとも人間の意識の中だけにあるものなのか。楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間はゆっくり過ぎたりするので、時間は人間の意識の中にあるようにも見えるが、1秒1分1時間の長さが伸び縮みしているわけではない。
宇宙はビッグバンから始まったなどと言われ、それは138億年前とされる。長くても百年前後の時間を生きる人間にとって億年という時間は想像を絶し、永遠と実質的には同義だ。太陽が「寿命」を迎える50億年ほど先に地球上には生物は生存できなくなるとされるが、それも人間にとって永遠と同義だろう。永遠が実在することは確からしい。
映画やSFなどでは、人間が過去や未来に行き来できたり、過去や未来が同時に存在したりする。現在以外に過去も未来も同時に存在すると、割れたコップと割れていないコップ、燃えた紙片と燃えていない紙片が同時に存在することになり、空間が「現在」のものだけなら、その空間にはモノが溢れるだろう。過去や未来が同時に存在するなら、それぞれの空間が必要かもしれない。
しかし、「現在」の空間と別に過去や未来の空間があるとすれば、人間も空間ごとに存在するから、「現在」の空間にいる人間が過去や未来の空間に同時には存在できないだろう。過去や未来が同時に存在しても、人間だけが「現在」のままでは過去や未来の空間を認識するには特別な能力が必要かもしれない。
空間が「現在」のものだけで、そこに過去や未来が部分的に存在しても、それを人間が識別することはできまい。人間は過去を記憶するが、未来については知らない。だから、過去や未来が同時に存在する空間で、割れたコップが存在しても、それが過去に起きたことか現在起きたことか未来に起きることか判断できない。
人間は過去を記憶する。過去は人間の記憶に蓄積されるともいえるが、記憶や記録があるから人間は過去を認識できる。記憶や記録が存在しなければ人間にとって時間とは現在だけになるかもしれない。現在だけになると、時間の概念は全く異なったものになるだろう。
時間は実在するのだろうか、それとも人間の意識の中だけにあるものなのか。楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間はゆっくり過ぎたりするので、時間は人間の意識の中にあるようにも見えるが、1秒1分1時間の長さが伸び縮みしているわけではない。
宇宙はビッグバンから始まったなどと言われ、それは138億年前とされる。長くても百年前後の時間を生きる人間にとって億年という時間は想像を絶し、永遠と実質的には同義だ。太陽が「寿命」を迎える50億年ほど先に地球上には生物は生存できなくなるとされるが、それも人間にとって永遠と同義だろう。永遠が実在することは確からしい。
2019年5月18日土曜日
気候変動対策を求める少女
16歳のスウェーデン人少女グレタ・トゥーンベリさんが一人で、気候変動対策を政府に求める行動を始め、賛同者が増え、欧州など各国で同様の運動が広がった。小学生の参加者もいるそうで、学校を休んで運動に参加する「気候のための学生ストライキ」も各国に広がっているという。
注目を集めたこの少女は、EUの諮問機関でEUの温室効果ガスの削減目標を倍増するよう訴え、COP24(第24回気候変動枠組条約締約国会議)に出席して「あなた方は、子どもたちの未来を奪っています」「政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません」と訴え、ダボス会議で講演し、各国に招かれて抗議活動に参加したりと国際的な活動家に「成長」した。
少女は「気候変動に対する危機感とその行動力が評価され、ついにはノーベル平和賞の受賞候補となった」と報じられるほどで、国際的に大きな影響力を持つに至ったようだ。この少女は真摯に考え、気候変動が避けられない確実な将来で、「今の文明の終わりを導くかもしれない」と危機感を持ったのだろう。だが、この少女には、何かの目的のために利用されている気配が常に漂う。
気候変動対策を求める少女が「なぜ国際的に注目されるのか」という問いは、「なぜ国際的に注目される存在に仕立てられたのか」と読み替えることができる。各種の国際会議に参加して講演するのは、誰にでも可能なことではない。おそらく環境保護運動団体や環境保護運動家がシンボルまたは広告塔として少女に、注目される場を用意したのだろう。
この少女は「CO2放出量を50%削減するなどの永続的な変化を、社会のあらゆる面で起こさない限り」、もう後戻りできない破滅的な状況が実現すると確信しているそうだ。「確実なことは誰にもわかりません」と気候変動が予測であることに留意しながらも、CO2放出量を削減ではなくゼロに、さらにマイナスにしなければならないと主張する。
CO2の排出増加が温暖化の原因であるとの仮説が正しければ、CO2排出量をゼロにすべきという少女の主張は当然だ。しかし、気候変動の危機を訴える「大人」たちは、例えば、排出量取引など気候変動をビジネスにすることには熱心だが、CO2排出量をゼロにしようとはせず、ましてCO2排出量をマイナスにしようなどとは言いださない。
想定される将来の危機に、この少女は過敏に反応しているとも真っ当に反応しているとも解釈できる。解釈の違いは危機感の違いであろうし、気候変動に対する考え方の違いである。ただ、学校に行かずに抗議運動に専念する少女を諭しもせず、称賛しつつ利用する「大人」たちの姿が見え隠れするのは、気候変動対策を求める運動の醜い一面を示唆している。
注目を集めたこの少女は、EUの諮問機関でEUの温室効果ガスの削減目標を倍増するよう訴え、COP24(第24回気候変動枠組条約締約国会議)に出席して「あなた方は、子どもたちの未来を奪っています」「政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません」と訴え、ダボス会議で講演し、各国に招かれて抗議活動に参加したりと国際的な活動家に「成長」した。
少女は「気候変動に対する危機感とその行動力が評価され、ついにはノーベル平和賞の受賞候補となった」と報じられるほどで、国際的に大きな影響力を持つに至ったようだ。この少女は真摯に考え、気候変動が避けられない確実な将来で、「今の文明の終わりを導くかもしれない」と危機感を持ったのだろう。だが、この少女には、何かの目的のために利用されている気配が常に漂う。
気候変動対策を求める少女が「なぜ国際的に注目されるのか」という問いは、「なぜ国際的に注目される存在に仕立てられたのか」と読み替えることができる。各種の国際会議に参加して講演するのは、誰にでも可能なことではない。おそらく環境保護運動団体や環境保護運動家がシンボルまたは広告塔として少女に、注目される場を用意したのだろう。
この少女は「CO2放出量を50%削減するなどの永続的な変化を、社会のあらゆる面で起こさない限り」、もう後戻りできない破滅的な状況が実現すると確信しているそうだ。「確実なことは誰にもわかりません」と気候変動が予測であることに留意しながらも、CO2放出量を削減ではなくゼロに、さらにマイナスにしなければならないと主張する。
CO2の排出増加が温暖化の原因であるとの仮説が正しければ、CO2排出量をゼロにすべきという少女の主張は当然だ。しかし、気候変動の危機を訴える「大人」たちは、例えば、排出量取引など気候変動をビジネスにすることには熱心だが、CO2排出量をゼロにしようとはせず、ましてCO2排出量をマイナスにしようなどとは言いださない。
想定される将来の危機に、この少女は過敏に反応しているとも真っ当に反応しているとも解釈できる。解釈の違いは危機感の違いであろうし、気候変動に対する考え方の違いである。ただ、学校に行かずに抗議運動に専念する少女を諭しもせず、称賛しつつ利用する「大人」たちの姿が見え隠れするのは、気候変動対策を求める運動の醜い一面を示唆している。
2019年5月15日水曜日
温暖化論の新たな仮説
電磁波は、波長が最も短いガンマ線からX線、紫外線、可視光線、赤外線、遠赤外線、マイクロ波、中波などと分類される。波長が短いほどエネルギーが高く、波長が長いほどエネルギーが低い。波長が短いX線は病院でのレントゲン撮影やCT、工業での非破壊検査など広く利用されているが、人体には有害とされ、厳密に管理される。
電波と呼ばれるのは3THz以下のマイクロ波と中波で、衛星放送やマイクロ波通信、携帯電話、GPS、電子レンジ、無線LAN、デジタルテレビ、FMラジオ、短波放送、AMラジオなどに幅広く使われている。電子レンジはマイクロ波を発生させ、食品中の水分子を振動させて摩擦熱を発生させることで食品を温める。
ある友人は、「20世紀から人間が、軍事用や民間のレーダーや無線通信、ラジオやテレビ放送、GPS、携帯電話など各種の電波の使用を各国で大幅に増やし、空気中に地球規模で大量の電波が常に飛び交う状態になったことが、地球温暖化を引き起こしているのではないか」と疑っている。
地球を温暖化させているのは、大気中に排出されたCO2の増加によるものだとされ、国際的にCO2の排出削減に向けた取り組みが進められている。温暖化によると見なされる「異常」な気象現象が世界各地で起きているとされ、各国はCO2排出削減を確実に進めていくことになっているが、すでに排出されたCO2による温暖化効果が強力なので、もう手遅れだとの見方もある。
友人は、「温暖化現象とCO2排出増加が同時に起きたから、CO2排出増加が温暖化現象を生じさせていると解釈されているだけだ。CO2に温室効果があるのは確かだろうが、CO2による温室効果は熱を溜めるだけで、新たに熱を発生させるわけではない」とする。
「だが、温暖化現象と電波の世界的な大量使用も同時に起きている」と友人は指摘し、「電波が大気中の水分の振動をわずかに促進させていると考えるなら、大気中に新たに熱が発生することが説明できる」。さらに「波長が様々な各種の電波が世界中で使われるようになったので、それらが大気中の水分のみならず窒素、酸素などの分子にかすかにエネルギーを与えている可能性もある」という。
大気の成分は一般に窒素78.1%、酸素20.9%、アルゴン0.93%、CO2が0.03%などとされる。水分(水蒸気)の存在は場所や時間で大きく変動するが最大で4%ほどとされる。電波が大気中の水分などにエネルギーを与えていたとしても、人類は各種の電波の使用をやめることはできない。つまり、友人の仮説が当たっていたとしても、やはり温暖化現象の進行はもう止めることはできない。
電波と呼ばれるのは3THz以下のマイクロ波と中波で、衛星放送やマイクロ波通信、携帯電話、GPS、電子レンジ、無線LAN、デジタルテレビ、FMラジオ、短波放送、AMラジオなどに幅広く使われている。電子レンジはマイクロ波を発生させ、食品中の水分子を振動させて摩擦熱を発生させることで食品を温める。
ある友人は、「20世紀から人間が、軍事用や民間のレーダーや無線通信、ラジオやテレビ放送、GPS、携帯電話など各種の電波の使用を各国で大幅に増やし、空気中に地球規模で大量の電波が常に飛び交う状態になったことが、地球温暖化を引き起こしているのではないか」と疑っている。
地球を温暖化させているのは、大気中に排出されたCO2の増加によるものだとされ、国際的にCO2の排出削減に向けた取り組みが進められている。温暖化によると見なされる「異常」な気象現象が世界各地で起きているとされ、各国はCO2排出削減を確実に進めていくことになっているが、すでに排出されたCO2による温暖化効果が強力なので、もう手遅れだとの見方もある。
友人は、「温暖化現象とCO2排出増加が同時に起きたから、CO2排出増加が温暖化現象を生じさせていると解釈されているだけだ。CO2に温室効果があるのは確かだろうが、CO2による温室効果は熱を溜めるだけで、新たに熱を発生させるわけではない」とする。
「だが、温暖化現象と電波の世界的な大量使用も同時に起きている」と友人は指摘し、「電波が大気中の水分の振動をわずかに促進させていると考えるなら、大気中に新たに熱が発生することが説明できる」。さらに「波長が様々な各種の電波が世界中で使われるようになったので、それらが大気中の水分のみならず窒素、酸素などの分子にかすかにエネルギーを与えている可能性もある」という。
大気の成分は一般に窒素78.1%、酸素20.9%、アルゴン0.93%、CO2が0.03%などとされる。水分(水蒸気)の存在は場所や時間で大きく変動するが最大で4%ほどとされる。電波が大気中の水分などにエネルギーを与えていたとしても、人類は各種の電波の使用をやめることはできない。つまり、友人の仮説が当たっていたとしても、やはり温暖化現象の進行はもう止めることはできない。
2019年5月8日水曜日
国家像と軍事
日本という国の防衛体制は、憲法と日米安保条約が一体となって構築されている。非武装を掲げる憲法がありながら実際には軍事的な防衛力が必要だと自衛隊を発足させたが、防衛に徹するので軍隊ではないと憲法との辻褄を合わせ、反撃(攻撃)は駐留米軍が担うという枠割分担だ。
日本はかつて、強大な軍部が支配し、アジア・太平洋の各方面で戦争を行い、結局は無条件降伏した歴史がある。多くの人々が死傷し、多くの都市が空襲で焼け野原になったのだから、軍事や軍隊に対する強い拒否感が人々にあるのは当然だろう。だが、その拒否感が軍事や軍隊について冷静に考えることを阻害してきた面がある。
軍事や軍隊に対する拒否感は人々の悲惨な戦争体験に基づいていたが、世代交代が進むにつれて、その拒否感は軍事や軍隊を悪だとみなす意識に変化し、受け継がれているように見える。軍事や戦争を悪だとすることで、冷静に考えることを拒否することが正当化される。
世界の全ての国が軍事力を放棄し、国際関係は相互信頼と理性に基づいて友愛と正義を共有しながら構築されるなら素晴らしい。だが、そんな世界は現実には存在しない。米ロ中など強大な軍事力を誇示する国が大きな影響力を持ち、大国ではない国々も軍事力を重視している。
軍事や戦争は国家の管轄である。日本で軍事や戦争の全面否定論が有力なのは、日本の国家像が揺れているからだろう。軍事や戦争が戦前の日本の体制とのみ結びつけて考えられ、主権在民の民主国家における軍事や戦争についての考察が日本では欠如する。民主国家の主権者である日本の人々のための軍事や戦争とは何か、ほとんど議論されてこなかった。
市民革命を経て成立した主権在民の民主国家なら、国の防衛(独立)と市民の権利の結びつきが明確で、軍事や戦争を否定することは自らの権利の否定にもなりかねない。だが日本では、多大の犠牲があったとはいえ、主権在民も民主主義も日本の人々が自力で勝ち取ったものとはいえない。
戦前の日本の体制を判断基準にすれば、軍事や軍隊は人々の抑圧や犠牲をもたらすものとなるだろう。だが現在の日本は主権在民の民主国家とみなされている。軍事や戦争を悪だとして冷静な考察が欠如しているのは、国家は人々に害をなす存在と現在でも多くの日本人が感じ、そんな国家が管轄する軍事や戦争に対する嫌悪感によるものかもしれない。
日本はかつて、強大な軍部が支配し、アジア・太平洋の各方面で戦争を行い、結局は無条件降伏した歴史がある。多くの人々が死傷し、多くの都市が空襲で焼け野原になったのだから、軍事や軍隊に対する強い拒否感が人々にあるのは当然だろう。だが、その拒否感が軍事や軍隊について冷静に考えることを阻害してきた面がある。
軍事や軍隊に対する拒否感は人々の悲惨な戦争体験に基づいていたが、世代交代が進むにつれて、その拒否感は軍事や軍隊を悪だとみなす意識に変化し、受け継がれているように見える。軍事や戦争を悪だとすることで、冷静に考えることを拒否することが正当化される。
世界の全ての国が軍事力を放棄し、国際関係は相互信頼と理性に基づいて友愛と正義を共有しながら構築されるなら素晴らしい。だが、そんな世界は現実には存在しない。米ロ中など強大な軍事力を誇示する国が大きな影響力を持ち、大国ではない国々も軍事力を重視している。
軍事や戦争は国家の管轄である。日本で軍事や戦争の全面否定論が有力なのは、日本の国家像が揺れているからだろう。軍事や戦争が戦前の日本の体制とのみ結びつけて考えられ、主権在民の民主国家における軍事や戦争についての考察が日本では欠如する。民主国家の主権者である日本の人々のための軍事や戦争とは何か、ほとんど議論されてこなかった。
市民革命を経て成立した主権在民の民主国家なら、国の防衛(独立)と市民の権利の結びつきが明確で、軍事や戦争を否定することは自らの権利の否定にもなりかねない。だが日本では、多大の犠牲があったとはいえ、主権在民も民主主義も日本の人々が自力で勝ち取ったものとはいえない。
戦前の日本の体制を判断基準にすれば、軍事や軍隊は人々の抑圧や犠牲をもたらすものとなるだろう。だが現在の日本は主権在民の民主国家とみなされている。軍事や戦争を悪だとして冷静な考察が欠如しているのは、国家は人々に害をなす存在と現在でも多くの日本人が感じ、そんな国家が管轄する軍事や戦争に対する嫌悪感によるものかもしれない。
2019年5月4日土曜日
戦争はあった
この30年は「国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」だったと平成天皇は回顧し、85歳の誕生日を迎えた時にも「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べたという。
昭和天皇の時代は前半3分の1が戦争の時代でもあり、昭和天皇には戦争と関連づけるイメージがつきまとった。昭和天皇の戦争責任については議論が分かれるが、戦争に向かうことに対して天皇が強く抵抗しなかったことは確かなようだ。
前憲法では天皇に絶対権力が与えられていたが、実際には個人独裁の政治ではなかった。「国民の平和を希求する強い意志に支えられ」という言葉を勘ぐると、過去の「国民の戦争を希求する強い意志」に押されて戦争に突入した時代の再現に対する恐れが平成天皇にあったのかもしれない。もちろん個人として、戦争を経験する御代にしてはならないとの意識は強くあっただろうが。
「近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」とは日本と日本人を対象にした感想だ。この30年に世界では各地で戦争や武力紛争があり、多くの人々が死傷し、多くの人々が難民となった。現在も武力紛争は世界各地で続いている。この言葉は1国平和主義の典型のように見えるが、天皇が日本と日本人のことだけを考えるのは当然か。
日本や日本人が戦争に巻きこまれなかったことは評価すべきだろう。だが、1国平和主義に閉じこもって、世界各地で続いている武力紛争に対する関心が薄れるなら、そんな1国平和主義は孤立主義でもある。もちろん日本が国際情勢に積極的に関与し、結果として戦争に巻き込まれるよりは1国平和主義のほうがマシだろうが。
世界の全ての国が1国平和主義に専念するなら、結果として世界から戦争や武力紛争はなくなるはずだ。だが、ISのような非国家の強力な武装勢力が活動する現在の世界で、各国が1国平和主義に閉じこもると、それらの武装勢力が弱体な国家を侵食することを許す。国家単位で戦争や平和を考えていればいい時代ではなくなっている。
日本における1国平和主義は弱体な外交と一体だった。武力は使わないが、言葉を使って日本が世界で起きる戦争や武力紛争の解決に積極的に関与していたなら、日本の1国平和主義は各国から賞賛されていたかもしれない。この30年、日本と日本人は戦争を経験しなかったが、世界で起きる戦争や武力紛争を鎮め、解決することに積極的ではなかった。
昭和天皇の時代は前半3分の1が戦争の時代でもあり、昭和天皇には戦争と関連づけるイメージがつきまとった。昭和天皇の戦争責任については議論が分かれるが、戦争に向かうことに対して天皇が強く抵抗しなかったことは確かなようだ。
前憲法では天皇に絶対権力が与えられていたが、実際には個人独裁の政治ではなかった。「国民の平和を希求する強い意志に支えられ」という言葉を勘ぐると、過去の「国民の戦争を希求する強い意志」に押されて戦争に突入した時代の再現に対する恐れが平成天皇にあったのかもしれない。もちろん個人として、戦争を経験する御代にしてはならないとの意識は強くあっただろうが。
「近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」とは日本と日本人を対象にした感想だ。この30年に世界では各地で戦争や武力紛争があり、多くの人々が死傷し、多くの人々が難民となった。現在も武力紛争は世界各地で続いている。この言葉は1国平和主義の典型のように見えるが、天皇が日本と日本人のことだけを考えるのは当然か。
日本や日本人が戦争に巻きこまれなかったことは評価すべきだろう。だが、1国平和主義に閉じこもって、世界各地で続いている武力紛争に対する関心が薄れるなら、そんな1国平和主義は孤立主義でもある。もちろん日本が国際情勢に積極的に関与し、結果として戦争に巻き込まれるよりは1国平和主義のほうがマシだろうが。
世界の全ての国が1国平和主義に専念するなら、結果として世界から戦争や武力紛争はなくなるはずだ。だが、ISのような非国家の強力な武装勢力が活動する現在の世界で、各国が1国平和主義に閉じこもると、それらの武装勢力が弱体な国家を侵食することを許す。国家単位で戦争や平和を考えていればいい時代ではなくなっている。
日本における1国平和主義は弱体な外交と一体だった。武力は使わないが、言葉を使って日本が世界で起きる戦争や武力紛争の解決に積極的に関与していたなら、日本の1国平和主義は各国から賞賛されていたかもしれない。この30年、日本と日本人は戦争を経験しなかったが、世界で起きる戦争や武力紛争を鎮め、解決することに積極的ではなかった。
2019年5月2日木曜日
坂口安吾の天皇制批判
坂口安吾は1946年(昭和21年)に発表した『堕落論』『続堕落論』で天皇制について厳しい目を向けている。例えば、次のようなものがある。
天皇制は「社会的に忘れられた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもの」で、それは「天皇制に限るものではない。代わり得るものならば、孔子家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代わり得なかった」だけである。
天皇制は「日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具に過ぎず、真に実在した試しはなかった」。
藤原氏や将軍家にとって「彼等が自分自身で天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更に良く行きわたることを心得ていた」。彼等が「天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押し付けることが可能」になる。
彼等は「天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた」。「それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではない」。軍人は「徹底的に天皇を冒瀆しながら、盲目的に天皇を崇拝」していた。
「藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の道具」とし、「現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している」。
「天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念に絡み残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花は望むことができないのだ」「天皇制だの、武士道だの(中略)、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りする」ばかりだ。
「政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である。天皇制というカラクリを打破して新たな制度をつくっても、それも所詮カラクリの一つの進化に過ぎないこともまぬがれがたい運命なのだ。人間は常に網からこぼれ、堕落し、そして制度は人間によって復讐される」。
天皇制は「社会的に忘れられた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもの」で、それは「天皇制に限るものではない。代わり得るものならば、孔子家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代わり得なかった」だけである。
天皇制は「日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具に過ぎず、真に実在した試しはなかった」。
藤原氏や将軍家にとって「彼等が自分自身で天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更に良く行きわたることを心得ていた」。彼等が「天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押し付けることが可能」になる。
彼等は「天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた」。「それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではない」。軍人は「徹底的に天皇を冒瀆しながら、盲目的に天皇を崇拝」していた。
「藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の道具」とし、「現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している」。
「天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念に絡み残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花は望むことができないのだ」「天皇制だの、武士道だの(中略)、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りする」ばかりだ。
「政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である。天皇制というカラクリを打破して新たな制度をつくっても、それも所詮カラクリの一つの進化に過ぎないこともまぬがれがたい運命なのだ。人間は常に網からこぼれ、堕落し、そして制度は人間によって復讐される」。
2019年5月1日水曜日
演歌の定義
全8巻からなる企画CD「昭和の演歌」には、「これも演歌なの? 違うだろ」と言いたくなる曲がけっこう含まれている。例えば、「愛と死をみつめて」「赤いグラス」「ラブユー東京」「夜霧よ今夜も有り難う」「君こそわが命」「ブルーライト・ヨコハマ」「瀬戸の花嫁」「別れても好きな人」「愛の水中花」「ラブ・イズ・オーヴァー」「俺さ東京さ行ぐだ」「時の流れに身を任せ」など。
演歌のヒット曲を持つ歌手が歌ったものは全て演歌とみなしたと解釈しても、歌謡ポップス歌手の歌謡ポップス作品など演歌ぽくない曲が含まれている。多くのレーベルから曲を提供してもらうために、偏らないように各社で曲数のバランスをとる必要など“大人の事情”があったのかもしれないな。
歌詞を丁寧に歌い上げ、時にはコブシを回すなど演歌ぽい歌い方はあるし、恋や別れの情感、追憶など男女関係をメーンとする歌詞でも演歌ぽい世界がある。理屈っぽく語ったり内省するのは演歌には似合わないし、ラップ調も演歌に似合わない。酒や旅、地方都市、ご当地ブルース、雨、涙、夜、港、北国、酒場、雪などを散りばめて男女の情感を歌うのが演歌か。
演歌の定義を探すと、例えば、「小節をきかせた浪曲風メロディーで二拍子、短調の曲が多く、義理人情を歌う」とか「〈ヨナ抜き音階〉により〈こぶし〉をきかせて歌う歌謡曲」「こぶしのきいた日本調の歌謡曲」「伝統的な民謡に聞こえるものからフォーク色が強いもの、分類不能のものまで作風は様々」などがある。
音楽的にはヨナ抜き(4度と7度の音を使わない)で作曲するものと言えそうだが、ヨナ抜きは演歌の独占物ではないからヨナ抜きだけで演歌を定義するわけにはいかない。聞いた印象で演歌だと判断するしかないとすれば、演歌の定義には個人差が生じる。
他の音楽との境界がぼやけているのは演歌に限らない。というより、時代の変化や流行の影響を強く受けたり、諸外国の多様な音楽の影響を受けやすいのが音楽だ。例えば、かつて演歌に任侠ものが珍しくなかったが、社会からのヤクザ排斥が強まった現在、演歌の世界から任侠ものは姿を消した。
J-POPが全盛の一方で演歌は衰退の一途に見える。リズムや乗りが重視される時代に、じっくり聴かせ、情緒を重視する演歌の居場所は狭まっているようだ。だが、J-POP全盛だから演歌に新しい定義が追加された。それは①口パクをせず自分で歌う、②ダンスをしない、③ユニット化しない。
演歌のヒット曲を持つ歌手が歌ったものは全て演歌とみなしたと解釈しても、歌謡ポップス歌手の歌謡ポップス作品など演歌ぽくない曲が含まれている。多くのレーベルから曲を提供してもらうために、偏らないように各社で曲数のバランスをとる必要など“大人の事情”があったのかもしれないな。
歌詞を丁寧に歌い上げ、時にはコブシを回すなど演歌ぽい歌い方はあるし、恋や別れの情感、追憶など男女関係をメーンとする歌詞でも演歌ぽい世界がある。理屈っぽく語ったり内省するのは演歌には似合わないし、ラップ調も演歌に似合わない。酒や旅、地方都市、ご当地ブルース、雨、涙、夜、港、北国、酒場、雪などを散りばめて男女の情感を歌うのが演歌か。
演歌の定義を探すと、例えば、「小節をきかせた浪曲風メロディーで二拍子、短調の曲が多く、義理人情を歌う」とか「〈ヨナ抜き音階〉により〈こぶし〉をきかせて歌う歌謡曲」「こぶしのきいた日本調の歌謡曲」「伝統的な民謡に聞こえるものからフォーク色が強いもの、分類不能のものまで作風は様々」などがある。
音楽的にはヨナ抜き(4度と7度の音を使わない)で作曲するものと言えそうだが、ヨナ抜きは演歌の独占物ではないからヨナ抜きだけで演歌を定義するわけにはいかない。聞いた印象で演歌だと判断するしかないとすれば、演歌の定義には個人差が生じる。
他の音楽との境界がぼやけているのは演歌に限らない。というより、時代の変化や流行の影響を強く受けたり、諸外国の多様な音楽の影響を受けやすいのが音楽だ。例えば、かつて演歌に任侠ものが珍しくなかったが、社会からのヤクザ排斥が強まった現在、演歌の世界から任侠ものは姿を消した。
J-POPが全盛の一方で演歌は衰退の一途に見える。リズムや乗りが重視される時代に、じっくり聴かせ、情緒を重視する演歌の居場所は狭まっているようだ。だが、J-POP全盛だから演歌に新しい定義が追加された。それは①口パクをせず自分で歌う、②ダンスをしない、③ユニット化しない。
2019年4月27日土曜日
街の雰囲気を暗くするタクシー
トヨタが販売しているタクシー専用車「JPN TAXI(ジャパンタクシー)」は、「日本を象徴する色として古くより人々の暮らしを彩り、海外からはジャパンブルーと称されてきた伝統色『深藍(こいあい)』を身にまとったボディ」(同社サイト)だ。
街中で頻繁に見かけるようになったが、その大半が「深藍」と称する藍色だ。ボディカラーには他に黒と白があるのだが、藍色ばかりが走っているような印象。この深藍は日中でも黒との見分けが簡単ではないほど濃い色調の藍色だから、重厚感めいたものは醸し出すが、軽快感などは希薄だ。
タクシー会社ごとに車体色のデザインを統一するのが従来は一般的だったが、JPN TAXIだけは藍色で走らせている会社が多いようだ。トヨタが個別タクシー会社の塗装要求に対応しなくなったそうで、車体色を統一するには自前で塗装しなければならない。客の大半はタクシー会社を選んで乗るわけではないだろうから、そんなコストをかける意味がないか。
「日本を象徴する色」について共通認識があるのか疑問だが(日の丸から白や赤を日本のイメージとする外国人も多いとか)、藍染や浮世絵などのベロ藍から連想して、タクシーの車体色を藍色としたのかもしれない。なお深藍は「ふかあい」と読むのが一般的で、「黒に近づくほどに染められた濃く暗い青色」のこと。
この深藍のJPN TAXIが街中に増えた結果、街の風景を暗い印象にしている。沈んだ色調であるが、車高が170cm以上と高いので存在感が強く、街を眺める人の視野に入る。ほとんどの人は無視し、意識に止めないであろうが、その色調の残像やイメージは残る。
英国のロンドンタクシーの車体色は黒だ。深藍は同じような色調だから構わないとの見方もあろうが、日本のタクシーが英国をまねる必要はない。良し悪しは別として、日本では街並みの色調の制約はゆるく、様々な色が建物などに氾濫しているのだから、タクシーだけを藍色に「統一」すべき理由はない。
夜でもネオンなどで明るい都会なら、藍色のタクシー色でもそれなりに落ち着いた風情を醸し出すかもしれない。だが、地方都市では、藍色の車体色は夜の闇に沈むだけだ。そもそもタクシーの車体色は、視認性が第一に考慮されるべきだろう。客から見つけやすく、また、事故を防ぐために他車のドライバーから視認しやすいことが最優先されるべきだった。
街中で頻繁に見かけるようになったが、その大半が「深藍」と称する藍色だ。ボディカラーには他に黒と白があるのだが、藍色ばかりが走っているような印象。この深藍は日中でも黒との見分けが簡単ではないほど濃い色調の藍色だから、重厚感めいたものは醸し出すが、軽快感などは希薄だ。
タクシー会社ごとに車体色のデザインを統一するのが従来は一般的だったが、JPN TAXIだけは藍色で走らせている会社が多いようだ。トヨタが個別タクシー会社の塗装要求に対応しなくなったそうで、車体色を統一するには自前で塗装しなければならない。客の大半はタクシー会社を選んで乗るわけではないだろうから、そんなコストをかける意味がないか。
「日本を象徴する色」について共通認識があるのか疑問だが(日の丸から白や赤を日本のイメージとする外国人も多いとか)、藍染や浮世絵などのベロ藍から連想して、タクシーの車体色を藍色としたのかもしれない。なお深藍は「ふかあい」と読むのが一般的で、「黒に近づくほどに染められた濃く暗い青色」のこと。
この深藍のJPN TAXIが街中に増えた結果、街の風景を暗い印象にしている。沈んだ色調であるが、車高が170cm以上と高いので存在感が強く、街を眺める人の視野に入る。ほとんどの人は無視し、意識に止めないであろうが、その色調の残像やイメージは残る。
英国のロンドンタクシーの車体色は黒だ。深藍は同じような色調だから構わないとの見方もあろうが、日本のタクシーが英国をまねる必要はない。良し悪しは別として、日本では街並みの色調の制約はゆるく、様々な色が建物などに氾濫しているのだから、タクシーだけを藍色に「統一」すべき理由はない。
夜でもネオンなどで明るい都会なら、藍色のタクシー色でもそれなりに落ち着いた風情を醸し出すかもしれない。だが、地方都市では、藍色の車体色は夜の闇に沈むだけだ。そもそもタクシーの車体色は、視認性が第一に考慮されるべきだろう。客から見つけやすく、また、事故を防ぐために他車のドライバーから視認しやすいことが最優先されるべきだった。
2019年4月24日水曜日
観光施設としての価値
火災で大きなダメージを受けたパリのノートルダム寺院について仏マクロン大統領は「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する。5年以内に完成させたい。我々はできる」と語ったそうだ。再建費用は不明だが、企業などから既に8億ユーロ(約1千億円)以上の寄付の申し出があるという。
ノートルダム寺院は壁など大部分が石造で今回の火災に耐えて残っているが、正面後方上部の屋根部分や尖塔が木造だったため、ほとんど全焼した。石造部分に対する火災の高熱の影響が心配されたが、崩壊の恐れはないと伝えられている。
石造部分に大きな損傷がないなら、大量の木材の準備や設計などに相応の時間を有するとしても「5年以内に完成」は可能のように見える。耐火性や強度を高めるため鉄骨を使用するなら、再建に要する時間は短縮できるだろう。
尖塔について①同じデザインで再建する、②新しいデザインにする、③再建しないの3案に分かれるように再建計画は固まっていないが、世界遺産に登録されているから、変更するにしても厳しい制約がある。日本の文化財なら耐震性と耐火性を強化しつつ外観は以前と同じにするだろうが、ノートルダム寺院がどうなるかは定かではない。
ノートルダム寺院はパリの代表的な観光施設である。皮肉だが、火災で損傷した状態を見ることができる期間は限られるだろうから、ノートルダム寺院目当ての観光客は減らないかもしれない。さらには、再建の進捗状況を発信することで観光客の関心を引きつけておくこともできようし、再建なったならパリへの訪問を促す動機付けにもなる。
ノートルダム寺院はパリの中心にあり、フランス革命やレジスタンスなど様々な歴史と結びついて人々に記憶されているという。観光客にとっては観光施設であるが、パリ市民やフランス人にとっては歴史を想起させる象徴ともなるだろう。
一方で、ノートルダム寺院は宗教施設であり、信者にとっては祈りの場である。教団にとって宗教施設は大切だろうが、宗教施設は人間がつくったものであり、ノートルダム寺院を以前と同じデザインにしなければならないとの宗教的な理由は希薄だ。近代的なビルに立て替えても、神に祈る宗教施設としての価値が損なわれることはないだろう。
「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する」というのは観光施設に当てはまる発想だろう。世界から観光客が訪れる観光名所だからこそ、従来のイメージを守りつつ美しく再建しなければならない(世界からの観光客の多くは、建物を見るためにノートルダム寺院を訪れるのであり、神に祈るためではない)。
ノートルダム寺院は壁など大部分が石造で今回の火災に耐えて残っているが、正面後方上部の屋根部分や尖塔が木造だったため、ほとんど全焼した。石造部分に対する火災の高熱の影響が心配されたが、崩壊の恐れはないと伝えられている。
石造部分に大きな損傷がないなら、大量の木材の準備や設計などに相応の時間を有するとしても「5年以内に完成」は可能のように見える。耐火性や強度を高めるため鉄骨を使用するなら、再建に要する時間は短縮できるだろう。
尖塔について①同じデザインで再建する、②新しいデザインにする、③再建しないの3案に分かれるように再建計画は固まっていないが、世界遺産に登録されているから、変更するにしても厳しい制約がある。日本の文化財なら耐震性と耐火性を強化しつつ外観は以前と同じにするだろうが、ノートルダム寺院がどうなるかは定かではない。
ノートルダム寺院はパリの代表的な観光施設である。皮肉だが、火災で損傷した状態を見ることができる期間は限られるだろうから、ノートルダム寺院目当ての観光客は減らないかもしれない。さらには、再建の進捗状況を発信することで観光客の関心を引きつけておくこともできようし、再建なったならパリへの訪問を促す動機付けにもなる。
ノートルダム寺院はパリの中心にあり、フランス革命やレジスタンスなど様々な歴史と結びついて人々に記憶されているという。観光客にとっては観光施設であるが、パリ市民やフランス人にとっては歴史を想起させる象徴ともなるだろう。
一方で、ノートルダム寺院は宗教施設であり、信者にとっては祈りの場である。教団にとって宗教施設は大切だろうが、宗教施設は人間がつくったものであり、ノートルダム寺院を以前と同じデザインにしなければならないとの宗教的な理由は希薄だ。近代的なビルに立て替えても、神に祈る宗教施設としての価値が損なわれることはないだろう。
「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する」というのは観光施設に当てはまる発想だろう。世界から観光客が訪れる観光名所だからこそ、従来のイメージを守りつつ美しく再建しなければならない(世界からの観光客の多くは、建物を見るためにノートルダム寺院を訪れるのであり、神に祈るためではない)。
2019年4月20日土曜日
がんとプライバシー
ある女性タレントが自らのブログで舌がんであることを公表し、マスコミに大きく取り上げられた。1か月以上の後、さらに食道がんがあることを公表し、これもマスコミに大きく報じられ、ファンからは多くの励ましのメッセージなどが届いたという。
がんに罹患していると判明した時に受けるショックは大きいだろうし、不安な気持ちに圧倒されて相手構わず自分の病について話したくなることもあるのかもしれない。だが、どんな病気に罹患しているかは個人情報の最たるもので、政治家や権力者では健康状態に関する情報は秘匿される。
芸能人は時に、自分のプライバシーが保護されるべきだと強硬に主張する。その一方で、進んでプライバシーを公開し、マスコミに報じさせることがある。保護されるべきプライバシーと、公開していいプライバシーの境界は曖昧でぼやけている。邪推するなら、好感や利益を得ることができるなら取材させて公開し、何か都合が悪いことは「プライバシーだ」と隠す。
がんを公表した今回の女性タレントの真情を知る手がかりは乏しく、がんを公表した意図や事情は定かではない。いずれマスコミに嗅ぎ付けられるから、それならと自分から発表したのかもしれないし、ブログという一方的な情報発信形態がプライバシーをさらけ出しやすくしたのかもしれない。
がんを公表する芸能人は珍しくなくなった。治療のため芸能活動を休止せざるを得ないから、マスコミ報道をコントロールするために公表するのだろう。同情を集めつつ、好感度を下げる可能性は低いから病気の公表が増えたのかもしれない。がんに罹患した芸能人が皆がんを公表するわけではないが、がんに罹患していたと後から公表する芸能人も多い。
保護すべきプライバシーに敏感な芸能人が、がんに罹患したことを公表するようになったので、がんが芸能人のプライバシーに含まれなくなったようにも見える。テレビ番組で健康診断結果を放映させる芸能人もいるのだから、がん以外の病気も含めて芸能人の健康状態はプライバシーに含まれないと認識が変化した?
がんに罹患したと公表する芸能タレントが増え、NHKなどがニュースで報じる。ニュースの価値判断は時代とともに変化して当然だが、タレントの健康状態まで重要なニュースになったらしい。知りたくもない他人の健康状態を、タレントだからと見せつけられる時代になった。がんに罹患したことを自ら公表するタレントにプライバシーはない。
がんに罹患していると判明した時に受けるショックは大きいだろうし、不安な気持ちに圧倒されて相手構わず自分の病について話したくなることもあるのかもしれない。だが、どんな病気に罹患しているかは個人情報の最たるもので、政治家や権力者では健康状態に関する情報は秘匿される。
芸能人は時に、自分のプライバシーが保護されるべきだと強硬に主張する。その一方で、進んでプライバシーを公開し、マスコミに報じさせることがある。保護されるべきプライバシーと、公開していいプライバシーの境界は曖昧でぼやけている。邪推するなら、好感や利益を得ることができるなら取材させて公開し、何か都合が悪いことは「プライバシーだ」と隠す。
がんを公表した今回の女性タレントの真情を知る手がかりは乏しく、がんを公表した意図や事情は定かではない。いずれマスコミに嗅ぎ付けられるから、それならと自分から発表したのかもしれないし、ブログという一方的な情報発信形態がプライバシーをさらけ出しやすくしたのかもしれない。
がんを公表する芸能人は珍しくなくなった。治療のため芸能活動を休止せざるを得ないから、マスコミ報道をコントロールするために公表するのだろう。同情を集めつつ、好感度を下げる可能性は低いから病気の公表が増えたのかもしれない。がんに罹患した芸能人が皆がんを公表するわけではないが、がんに罹患していたと後から公表する芸能人も多い。
保護すべきプライバシーに敏感な芸能人が、がんに罹患したことを公表するようになったので、がんが芸能人のプライバシーに含まれなくなったようにも見える。テレビ番組で健康診断結果を放映させる芸能人もいるのだから、がん以外の病気も含めて芸能人の健康状態はプライバシーに含まれないと認識が変化した?
がんに罹患したと公表する芸能タレントが増え、NHKなどがニュースで報じる。ニュースの価値判断は時代とともに変化して当然だが、タレントの健康状態まで重要なニュースになったらしい。知りたくもない他人の健康状態を、タレントだからと見せつけられる時代になった。がんに罹患したことを自ら公表するタレントにプライバシーはない。
2019年4月17日水曜日
儲けるために銭を燃やす
中国での新しいビジネスだと一時は日本でも盛んに肯定的に報道されたシェアサイクル。自転車を街中に散らばして置いておくだけで儲かると企業が群がって参入したが、過当競争が激化して安値競争になり、撤退する企業が相次ぐという。街中には、一部が壊れた自転車が大量に放置されているとも伝えられる。
安値競争になるのは、儲かりそうだと多くの企業が参入して「供給」が一気に増えるが、「需要」はそう簡単には大きく増えないため、需要を奪い合って互いに価格を引き下げるから。儲けることだけが目的で、技術やノウハウは買えばいいと新規に参入した企業は、儲からないとなれば見極めは早い。
シェアサイクル事業は、シェアビジネスの可能性をわかりやすく提示したし、シェアサイクルは都市における個人の有力な移動手段になりうるだろう。だから、中国でのシェアサイクル事業の盛衰で①都市におけるシェアサイクルの適正な設置数と配置、②放置されたシェアサイクルの回収・整備・再配備などの課題が明らかになったと見るなら、今後の各国でのシェアサイクル事業の参考になる。
なぜ中国でシェアサイクルビジネスが一気に盛り上がり、一気にしぼんだのか。群がって参入した企業には、おそらく市場を育てるという感覚が欠如していたし、儲けることだけが目的だから、そのビジネスに対する理念めいたものは希薄だったろう。例えるなら、果樹や作物があると聞いた場所に刈り取りに殺到するだけで、種を撒いて育てることをしない。
これは中国の企業行動の典型のようにも見える。自由な企業活動の歴史が浅く、まだ企業活動に様々な政治からの制約がある中国で、相応に資金を持った企業や投資家が、儲けることだけを目的とすることや、素早い市場参入と撤退を繰り返すことは中国では合理的な行動だろう。経済成長とともに中国企業の資金力も膨れ上がっているので、同様の企業行動は今後も続こう。
こうしたビジネスは「焼銭」モデルと呼ばれているそうだ。中国の事情に詳しいジャーナリストによると、最初は「巨額の赤字を許容して広告や割引サービスに積極投資し、ユーザーの拡大」を狙い、やがて「市場で支配的な地位を築けば巨額の利益が得られるとの論理」。つまり、勝者総取りを目指して、競争相手を駆逐するために赤字を撒き散らすビジネス。
「焼銭」モデルに不在なのがユーザー(消費者)視点だ。ユーザー(消費者)は収奪の対象でしかなく、事業は企業が儲けるための仕組みでしかない。欧米などの資本主義国よりも中国のユーザー(消費者)が資本の収奪に晒されている現実は、国家資本主義に転じた中国のいびつさを示している。
安値競争になるのは、儲かりそうだと多くの企業が参入して「供給」が一気に増えるが、「需要」はそう簡単には大きく増えないため、需要を奪い合って互いに価格を引き下げるから。儲けることだけが目的で、技術やノウハウは買えばいいと新規に参入した企業は、儲からないとなれば見極めは早い。
シェアサイクル事業は、シェアビジネスの可能性をわかりやすく提示したし、シェアサイクルは都市における個人の有力な移動手段になりうるだろう。だから、中国でのシェアサイクル事業の盛衰で①都市におけるシェアサイクルの適正な設置数と配置、②放置されたシェアサイクルの回収・整備・再配備などの課題が明らかになったと見るなら、今後の各国でのシェアサイクル事業の参考になる。
なぜ中国でシェアサイクルビジネスが一気に盛り上がり、一気にしぼんだのか。群がって参入した企業には、おそらく市場を育てるという感覚が欠如していたし、儲けることだけが目的だから、そのビジネスに対する理念めいたものは希薄だったろう。例えるなら、果樹や作物があると聞いた場所に刈り取りに殺到するだけで、種を撒いて育てることをしない。
これは中国の企業行動の典型のようにも見える。自由な企業活動の歴史が浅く、まだ企業活動に様々な政治からの制約がある中国で、相応に資金を持った企業や投資家が、儲けることだけを目的とすることや、素早い市場参入と撤退を繰り返すことは中国では合理的な行動だろう。経済成長とともに中国企業の資金力も膨れ上がっているので、同様の企業行動は今後も続こう。
こうしたビジネスは「焼銭」モデルと呼ばれているそうだ。中国の事情に詳しいジャーナリストによると、最初は「巨額の赤字を許容して広告や割引サービスに積極投資し、ユーザーの拡大」を狙い、やがて「市場で支配的な地位を築けば巨額の利益が得られるとの論理」。つまり、勝者総取りを目指して、競争相手を駆逐するために赤字を撒き散らすビジネス。
「焼銭」モデルに不在なのがユーザー(消費者)視点だ。ユーザー(消費者)は収奪の対象でしかなく、事業は企業が儲けるための仕組みでしかない。欧米などの資本主義国よりも中国のユーザー(消費者)が資本の収奪に晒されている現実は、国家資本主義に転じた中国のいびつさを示している。
2019年4月13日土曜日
スーダラ元年
「スーダラ節」が発売されたのは半世紀以上前の1961年8月。この年には「上を向いて歩こう」「王将」「銀座の恋の物語」「ラストダンスは私に」「君恋し」「東京ドドンパ娘」「コーヒー・ルンバ」「北上夜曲」「山のロザリア」などヒット曲はいろいろあり、歌い継がれている曲も多い。
スーダラ節は、高度経済成長が続く活気に満ちていた時代の勢いを感じさせる曲で、「わかっちゃいるけど やめられない〜」と自虐ネタを明るく笑い飛ばす歌詞と軽快なノリの良い曲調もあって、世代を超えて今でも人気がある。
発売された1961年をスーダラ元年とすると、スーダラ2年に「五万節」「無責任一代男」、スーダラ3年に「ホンダラ行進曲」、スーダラ4年に「だまって俺についてこい」、スーダラ5年に「ゴマスリ行進曲」、スーダラ6年に「何が何だかわからないのよ」などヒットを連発した。植木等はスーダラ46年(2007年)に亡くなった。享年80歳。
東海道新幹線が開業したのは1964年。各駅停車は「こだま」だが、停車駅が少なく所要時間が最も短い超特急は「ひかり」と名付けられた。世界における高速鉄道の先駆であり、世界に高速鉄道が普及する時代の開幕を告げた存在だ。
ひかり元年を1964年とすると、ひかり11年に博多まで山陽新幹線が全線開業し、ひかり18年に盛岡まで東北新幹線と新潟までの上越新幹線が開業、ひかり51年に金沢まで北陸新幹線、ひかり52年に新函館までの北海道新幹線が開業した。また、ひかり28年に山形新幹線、ひかり33年に秋田新幹線が開業した。
本居宣長が著作『紫文要領』で「もののあはれ」を説いたのは1763年(=もののあはれ元年)。『古事記伝』44巻を完成したのは1798年だから、もののあはれ35年で、もののあはれ32年に『玉勝間』の最初の巻が刊行された。約1万首の歌を詠み、500人近くの門人を持った本居宣長が亡くなったのは1801年だから、もののあはれ38年。享年72歳。
日本の古典に由来する元号は史上初めてとされ、画期的なことのように報じられている。とはいえ、元号という仕組みは中国由来であり、漢字は中国文化そのものであるから、お釈迦様の掌にいる孫悟空のように日本の元号は中国文化の中にある。元号を廃止できないとすれば、もっと日本オリジナルだと自尊心を満足させるためには、ひらがなやカタカナの元号に転換する必要がありそうだ。
スーダラ節は、高度経済成長が続く活気に満ちていた時代の勢いを感じさせる曲で、「わかっちゃいるけど やめられない〜」と自虐ネタを明るく笑い飛ばす歌詞と軽快なノリの良い曲調もあって、世代を超えて今でも人気がある。
発売された1961年をスーダラ元年とすると、スーダラ2年に「五万節」「無責任一代男」、スーダラ3年に「ホンダラ行進曲」、スーダラ4年に「だまって俺についてこい」、スーダラ5年に「ゴマスリ行進曲」、スーダラ6年に「何が何だかわからないのよ」などヒットを連発した。植木等はスーダラ46年(2007年)に亡くなった。享年80歳。
東海道新幹線が開業したのは1964年。各駅停車は「こだま」だが、停車駅が少なく所要時間が最も短い超特急は「ひかり」と名付けられた。世界における高速鉄道の先駆であり、世界に高速鉄道が普及する時代の開幕を告げた存在だ。
ひかり元年を1964年とすると、ひかり11年に博多まで山陽新幹線が全線開業し、ひかり18年に盛岡まで東北新幹線と新潟までの上越新幹線が開業、ひかり51年に金沢まで北陸新幹線、ひかり52年に新函館までの北海道新幹線が開業した。また、ひかり28年に山形新幹線、ひかり33年に秋田新幹線が開業した。
本居宣長が著作『紫文要領』で「もののあはれ」を説いたのは1763年(=もののあはれ元年)。『古事記伝』44巻を完成したのは1798年だから、もののあはれ35年で、もののあはれ32年に『玉勝間』の最初の巻が刊行された。約1万首の歌を詠み、500人近くの門人を持った本居宣長が亡くなったのは1801年だから、もののあはれ38年。享年72歳。
日本の古典に由来する元号は史上初めてとされ、画期的なことのように報じられている。とはいえ、元号という仕組みは中国由来であり、漢字は中国文化そのものであるから、お釈迦様の掌にいる孫悟空のように日本の元号は中国文化の中にある。元号を廃止できないとすれば、もっと日本オリジナルだと自尊心を満足させるためには、ひらがなやカタカナの元号に転換する必要がありそうだ。
2019年4月10日水曜日
誤った情報による自動操縦
米ボーイングの旅客機「737MAX8」がエチオピアで離陸直後に墜落し、乗客乗員157人が死亡、生存者はいなかった。エチオピア政府の調査報告書は、離陸直後に自動で機首を下げる装置が作動し、パイロットは3回、手動で機首を上げる操作をしたが、その度に機首は自動的に下げられ、墜落したとする。
この機種はインドネシアでも昨年10月、墜落事故を起こし、189人が死亡していた。インドネシア国家運輸安全委員会の報告書では、墜落した機体は自動安全システムが作動して機首が20回以上も下がり、その度に操縦士が手動で修正していたが、墜落した。安全システムが作動したのは、機首の傾斜角度が実際よりも高いと誤って認識されたためという。
機首を下げたのは、旅客機の失速を防ぐ目的の操縦特性向上システム(MCAS)。機首に水平に対する角度を測定するセンサーがあり、機首が上がりすぎていると判断した時には、システムが機首を下げる。機首が上がりすぎているとの誤った情報によってシステムが機首を下げ続け、パイロットが制御できなくなって墜落したようだ。
エチオピア政府の発表を受けて米ボーイング社は、2回の墜落事故の原因が「いずれも制御システムの誤作動だった」と認めた。インドネシアでの墜落事故の後に737MAX8の飛行停止を決めていれば、エチオピアで157人が死ぬことは防ぐことができただろうから、ボーイング社の責任は大きい。
旅客機には自動操縦装置がすでに導入されている。それは「航空管制からの指示や外部環境情報などをもとに、パイロットが高度・方位・速度・目的地などを設定することで、自動で航空機を操縦する」(国交省サイト)もので、巡航飛行や降下、着陸で使われ、離陸はパイロットが操縦する。
737MAXで採用した省燃費の新型エンジンは従来より大型になったため、取り付け位置を従来の737型機より前方に変更した。このため、機首が上がりやすくなり、その対策としてMCASを導入した。失速を防ぐためのMCASを導入しなければならなかったことは、機体の基本設計に問題があることを示している。
自動操縦(自動運転)システムは自動車で開発が急がれている。今回の737MAXの墜落事故は、①センサーからの誤った情報を排除できるか、②入力された情報が誤っているとシステムが識別できるか、③誤った情報によるシステムの暴走を防ぐことができるかーー多くの課題を突きつけた。混み合った道路はセンサーが誤認しやすい情報に溢れている。
この機種はインドネシアでも昨年10月、墜落事故を起こし、189人が死亡していた。インドネシア国家運輸安全委員会の報告書では、墜落した機体は自動安全システムが作動して機首が20回以上も下がり、その度に操縦士が手動で修正していたが、墜落した。安全システムが作動したのは、機首の傾斜角度が実際よりも高いと誤って認識されたためという。
機首を下げたのは、旅客機の失速を防ぐ目的の操縦特性向上システム(MCAS)。機首に水平に対する角度を測定するセンサーがあり、機首が上がりすぎていると判断した時には、システムが機首を下げる。機首が上がりすぎているとの誤った情報によってシステムが機首を下げ続け、パイロットが制御できなくなって墜落したようだ。
エチオピア政府の発表を受けて米ボーイング社は、2回の墜落事故の原因が「いずれも制御システムの誤作動だった」と認めた。インドネシアでの墜落事故の後に737MAX8の飛行停止を決めていれば、エチオピアで157人が死ぬことは防ぐことができただろうから、ボーイング社の責任は大きい。
旅客機には自動操縦装置がすでに導入されている。それは「航空管制からの指示や外部環境情報などをもとに、パイロットが高度・方位・速度・目的地などを設定することで、自動で航空機を操縦する」(国交省サイト)もので、巡航飛行や降下、着陸で使われ、離陸はパイロットが操縦する。
737MAXで採用した省燃費の新型エンジンは従来より大型になったため、取り付け位置を従来の737型機より前方に変更した。このため、機首が上がりやすくなり、その対策としてMCASを導入した。失速を防ぐためのMCASを導入しなければならなかったことは、機体の基本設計に問題があることを示している。
自動操縦(自動運転)システムは自動車で開発が急がれている。今回の737MAXの墜落事故は、①センサーからの誤った情報を排除できるか、②入力された情報が誤っているとシステムが識別できるか、③誤った情報によるシステムの暴走を防ぐことができるかーー多くの課題を突きつけた。混み合った道路はセンサーが誤認しやすい情報に溢れている。
2019年4月6日土曜日
武力による領土拡大
米トランプ大統領は、シリアのゴラン高原に対するイスラエルの主権を認める宣言に署名した。ゴラン高原をイスラエルが占領したのは1967年の第3次中東戦争。その後、住民の大半を追放してユダヤ人の新しい入植地を建設し、81年に事実上の併合を宣言していた。
だが、国連の副報道官は「国連は、イスラエルによるシリア領ゴラン高原占領が国際法に反すると規定する全ての安保理決議、総会決議を順守する」とした。国連安保理は81年に決議497で、イスラエルのゴラン高原併合決定は「無効であり、国際法上の効果はない」との決議を全会一致で採択している。
67年の第3次中東戦争におけるイスラエルの占領を国連安保理は決議242で無効とし、占領した地域からの撤退を求めた。これは全会一致の決議であり、米国も賛成していたが、イスラエルは従わずに占領を続けていた。国連決議をイスラエルが公然と無視できるのは、米国政治に強い影響力を有しているとともに、自国の生存に関して国際社会が「無力」であると見ているからだろう。
トランプ大統領がイスラエルのゴラン高原併合を認めたのは、イスラエル現政権への支援であり、50年以上の占領地支配を認める現状追認である。イスラエルを占領地から撤退させることは周辺諸国にはもうできず、国際社会もイスラエルを説得できない。つまりイスラエルの占領は国際的には黙認されている状態だった。
今回のトランプ大統領の判断は「イスラエルは特別だから」と下されたのだろうが、イスラエルを特別扱いするとの国際的な合意はないので、イスラエルの占領地併合が認められるなら他国からも占領による領土拡大を認めろとの主張が出てこよう。例えば、ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海占有。
かつて国家は戦争によって領土を拡張した。国家には盛衰があるので、欧州の歴史に見られるように国境線は常に書き換えられてきた。強大な国家が誕生すると、拡張を始め、占領地=新たな領土を増やし、支配した。そんな歴史を終わらせようと、武力による領土拡張は認めないと国際社会は同意したはずだったのに、世界はまた変わろうとしているようだ。
イスラエルの武力による領土拡張に国際社会は無力だったが、ロシアや中国の領土拡張にも国際社会は無力だ。ただ、クウェートを併合しようとしたイラクが撤退させられたように、どんな国家でも領土拡張が黙認されるわけではない。軍事力と政治力が国際的に強大な国家の領土拡張だけが黙認される。それをトランプ大統領は素直に認めた。
だが、国連の副報道官は「国連は、イスラエルによるシリア領ゴラン高原占領が国際法に反すると規定する全ての安保理決議、総会決議を順守する」とした。国連安保理は81年に決議497で、イスラエルのゴラン高原併合決定は「無効であり、国際法上の効果はない」との決議を全会一致で採択している。
67年の第3次中東戦争におけるイスラエルの占領を国連安保理は決議242で無効とし、占領した地域からの撤退を求めた。これは全会一致の決議であり、米国も賛成していたが、イスラエルは従わずに占領を続けていた。国連決議をイスラエルが公然と無視できるのは、米国政治に強い影響力を有しているとともに、自国の生存に関して国際社会が「無力」であると見ているからだろう。
トランプ大統領がイスラエルのゴラン高原併合を認めたのは、イスラエル現政権への支援であり、50年以上の占領地支配を認める現状追認である。イスラエルを占領地から撤退させることは周辺諸国にはもうできず、国際社会もイスラエルを説得できない。つまりイスラエルの占領は国際的には黙認されている状態だった。
今回のトランプ大統領の判断は「イスラエルは特別だから」と下されたのだろうが、イスラエルを特別扱いするとの国際的な合意はないので、イスラエルの占領地併合が認められるなら他国からも占領による領土拡大を認めろとの主張が出てこよう。例えば、ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海占有。
かつて国家は戦争によって領土を拡張した。国家には盛衰があるので、欧州の歴史に見られるように国境線は常に書き換えられてきた。強大な国家が誕生すると、拡張を始め、占領地=新たな領土を増やし、支配した。そんな歴史を終わらせようと、武力による領土拡張は認めないと国際社会は同意したはずだったのに、世界はまた変わろうとしているようだ。
イスラエルの武力による領土拡張に国際社会は無力だったが、ロシアや中国の領土拡張にも国際社会は無力だ。ただ、クウェートを併合しようとしたイラクが撤退させられたように、どんな国家でも領土拡張が黙認されるわけではない。軍事力と政治力が国際的に強大な国家の領土拡張だけが黙認される。それをトランプ大統領は素直に認めた。
2019年4月3日水曜日
大衆動員と大量消費
第一次大戦は初めての総力戦だったとされる。訓練された戦士だけが遠く離れた戦場で戦う時代から、一般の人々が軍隊に動員されて戦場に次々と送り込まれる一方、空中も戦闘に利用されるようになって戦場は飛躍的に拡大、人々の日常の生活空間も戦場になり、銃後という言葉は死後になった。
武器を大量生産することが勝敗の帰趨を決めるので国家は全ての経済力を動員するとともに、軍隊に動員されていない人々を戦時体制に積極参加させる必要が生じた。そこで、戦争の勝利という大目標に人々の目を向けさせるために、継続的に宣伝し、同調させ、異論を排除する体制を構築した。
総力戦という戦争は、大量消費の究極の姿だろう。破壊という目的のために生産された大量の武器は使い捨てられ、継続的な補給を要求するから、大量生産を促し続ける。市場が拡大することによって大量生産が維持されるのではなく、大量消費(大量破壊と大量廃棄)により維持される大量生産である。
総力戦には大衆動員が必要になる。民主主義(自由選挙)に基づく国家が、大衆を納得させて動員するためには、人々を密室状態に置いて情報を制限しなければならない。そして、特定の方向だけを向いた情報を与え、人々が自発的に協力するように仕向ける。強制力だけによる大衆動員には限界があるからだ。
人々を巻き込む政治形態の一つとしてファシズムが現れた。これは、政治における総力戦体制と見ることができる。選挙を行い、そこで選ばれた政治家だけが政治に関与するのではなく、大衆を政治に巻き込むことが必要で、そのためには、大衆を熱狂させることが有効だ。
政治に大衆動員を必要とするのは民主主義だが、ファシズムの政治においても大衆動員を必要とする。ファシズムは強権により大衆を従わせるとのイメージもあるが、実態は逆で、大衆の支持がなければファシズムは成立せず、持続させることは難しいだろう。大衆動員には大衆の自発性が欠かせないから、それを掻き立てる仕掛けが民主主義にもファシズムにも必須になる。
大衆動員が大量消費を支え、大量生産を支えるという構造は、平時においても日常的になった。政治、経済、文化など多くの分野で、大衆に働きかけて参加や購買を促したり誘うことが一般化した。それは、あらゆるものが消費される対象になったということでもある。政治はもちろん戦争さえも大衆により「消費」される。
武器を大量生産することが勝敗の帰趨を決めるので国家は全ての経済力を動員するとともに、軍隊に動員されていない人々を戦時体制に積極参加させる必要が生じた。そこで、戦争の勝利という大目標に人々の目を向けさせるために、継続的に宣伝し、同調させ、異論を排除する体制を構築した。
総力戦という戦争は、大量消費の究極の姿だろう。破壊という目的のために生産された大量の武器は使い捨てられ、継続的な補給を要求するから、大量生産を促し続ける。市場が拡大することによって大量生産が維持されるのではなく、大量消費(大量破壊と大量廃棄)により維持される大量生産である。
総力戦には大衆動員が必要になる。民主主義(自由選挙)に基づく国家が、大衆を納得させて動員するためには、人々を密室状態に置いて情報を制限しなければならない。そして、特定の方向だけを向いた情報を与え、人々が自発的に協力するように仕向ける。強制力だけによる大衆動員には限界があるからだ。
人々を巻き込む政治形態の一つとしてファシズムが現れた。これは、政治における総力戦体制と見ることができる。選挙を行い、そこで選ばれた政治家だけが政治に関与するのではなく、大衆を政治に巻き込むことが必要で、そのためには、大衆を熱狂させることが有効だ。
政治に大衆動員を必要とするのは民主主義だが、ファシズムの政治においても大衆動員を必要とする。ファシズムは強権により大衆を従わせるとのイメージもあるが、実態は逆で、大衆の支持がなければファシズムは成立せず、持続させることは難しいだろう。大衆動員には大衆の自発性が欠かせないから、それを掻き立てる仕掛けが民主主義にもファシズムにも必須になる。
大衆動員が大量消費を支え、大量生産を支えるという構造は、平時においても日常的になった。政治、経済、文化など多くの分野で、大衆に働きかけて参加や購買を促したり誘うことが一般化した。それは、あらゆるものが消費される対象になったということでもある。政治はもちろん戦争さえも大衆により「消費」される。
2019年3月30日土曜日
世界が激動した年
30年前の1989年に米ソ首脳が会談し、冷戦終結を宣言した。この年は共産主義・社会主義諸国が崩壊した年でもある。ソ連の弱体化が明らかになり、東欧諸国では1党独裁の強権政権が行き詰まって、次々と民主化へ動いた。一方で、なお共産党独裁を続ける中国は、民主化を求める人々を武力鎮圧した天安門事件で国際的な孤立を深めた。
1989年に起きたことを各国別に見ると、ハンガリーがオーストリア国境の鉄条網を撤去したことで多くの東独市民がオーストリア経由で西ドイツへ亡命を始めた(10月に社会主義体制を完全に放棄)。東独では10月にホーネッカー書記長が失脚、11月にベルリンの壁を含む国境の通行を自由化(ベルリンの壁崩壊)、12月に1党支配体制が終焉した。
ポーランドでは「連帯」が合法化され、議会選挙で圧勝した。チェコスロバキアでは6月に共産党政権が崩壊(ビロード革命)、民主化を求める声が高まり、12月に詩人のハベルが大統領に就任した。ルーマニアでは、デモや集会に治安部隊が発砲して多数の死傷者を出し、国軍が民衆側に転じて治安部隊と交戦して全土を制圧、チャウシェスク政権が崩壊した。
中国では5月に学生らがハンストを始めた天安門広場に100万人集まり、北京に戒厳令が出され、6月3日深夜から中国の戒厳部隊が北京市街中心部に出動し、翌4日に天安門広場で学生・市民らを装甲車・戦車で武力排除した。ルーマニア国軍は民衆側に転じたが、中国の人民解放軍は民衆を攻撃した。
共産主義・社会主義の理想を掲げながら、実は人々を抑圧してきた独裁的な強権政治が崩壊したのは、30年後の今から振り返ると当然だと見える。だが、ソ連にしても東欧諸国にしても数十年、独裁的な強権体制を維持してきた。これは、いびつで無理がある政治体制でも、強権支配で持ちこたえることができることを示す。
歴史を振り返ると、人民主権の民主主義体制による国家が誕生する以前は、権力を握る支配層が人々を強権で抑圧する体制が大半だった。だから、共産主義・社会主義国には支配の実態として新しさは何もなかったのだが、イデオロギーを前面に出して共産主義・社会主義体制を正当化することで、過去の独裁国家とは異なると装った。
東欧の社会主義諸国は崩壊したが、中国は崩壊せず、実質的に資本主義体制に転じ、米国と覇権を争う大国に成長した。崩壊した共産主義・社会主義諸国と中国の違いは、第一に中国は経済成長で多くの民衆を豊かにすることができた、第二に中国は共産党独裁体制を維持するために民衆に対する更なる強権行使を躊躇しなかった。
東欧諸国など他の共産主義・社会主義国も民衆に対する強権を行使し、多くの死傷者が出ている。だが、乱暴な言い方になるが、死傷者数のケタが大きく異なる。中国共産党は革命戦争、大躍進、文化大革命などで合計すると数千万人から1億人以上の中国人の死に責任がある。俗な表現をすれば、中国人の血に染まった中国共産党は独裁体制を維持するために必要なら、さらに数千人、数万人が死のうと強権による抑圧を躊躇しないから、持ちこたえている。
1989年に起きたことを各国別に見ると、ハンガリーがオーストリア国境の鉄条網を撤去したことで多くの東独市民がオーストリア経由で西ドイツへ亡命を始めた(10月に社会主義体制を完全に放棄)。東独では10月にホーネッカー書記長が失脚、11月にベルリンの壁を含む国境の通行を自由化(ベルリンの壁崩壊)、12月に1党支配体制が終焉した。
ポーランドでは「連帯」が合法化され、議会選挙で圧勝した。チェコスロバキアでは6月に共産党政権が崩壊(ビロード革命)、民主化を求める声が高まり、12月に詩人のハベルが大統領に就任した。ルーマニアでは、デモや集会に治安部隊が発砲して多数の死傷者を出し、国軍が民衆側に転じて治安部隊と交戦して全土を制圧、チャウシェスク政権が崩壊した。
中国では5月に学生らがハンストを始めた天安門広場に100万人集まり、北京に戒厳令が出され、6月3日深夜から中国の戒厳部隊が北京市街中心部に出動し、翌4日に天安門広場で学生・市民らを装甲車・戦車で武力排除した。ルーマニア国軍は民衆側に転じたが、中国の人民解放軍は民衆を攻撃した。
共産主義・社会主義の理想を掲げながら、実は人々を抑圧してきた独裁的な強権政治が崩壊したのは、30年後の今から振り返ると当然だと見える。だが、ソ連にしても東欧諸国にしても数十年、独裁的な強権体制を維持してきた。これは、いびつで無理がある政治体制でも、強権支配で持ちこたえることができることを示す。
歴史を振り返ると、人民主権の民主主義体制による国家が誕生する以前は、権力を握る支配層が人々を強権で抑圧する体制が大半だった。だから、共産主義・社会主義国には支配の実態として新しさは何もなかったのだが、イデオロギーを前面に出して共産主義・社会主義体制を正当化することで、過去の独裁国家とは異なると装った。
東欧の社会主義諸国は崩壊したが、中国は崩壊せず、実質的に資本主義体制に転じ、米国と覇権を争う大国に成長した。崩壊した共産主義・社会主義諸国と中国の違いは、第一に中国は経済成長で多くの民衆を豊かにすることができた、第二に中国は共産党独裁体制を維持するために民衆に対する更なる強権行使を躊躇しなかった。
東欧諸国など他の共産主義・社会主義国も民衆に対する強権を行使し、多くの死傷者が出ている。だが、乱暴な言い方になるが、死傷者数のケタが大きく異なる。中国共産党は革命戦争、大躍進、文化大革命などで合計すると数千万人から1億人以上の中国人の死に責任がある。俗な表現をすれば、中国人の血に染まった中国共産党は独裁体制を維持するために必要なら、さらに数千人、数万人が死のうと強権による抑圧を躊躇しないから、持ちこたえている。
2019年3月27日水曜日
50年前の伝説
2019年8月に米ニューヨーク州のワトキンス・グレンで、「ウッドストック 50」が開催される。これは1969年に開催された「ウッドストック・フェスティバル」の50周年を記念したもので、3日間の大規模フェスとなる予定だ。
出演者は最近のヒップホップやロック、ポップのバンドやミュージシャンが多いが、1969年に出演したベテランバンドやミュージシャンも参加する。例えば、サンタナ、デビッド・クロスビー、カントリー・ジョー・マクドナルド、キャンド・ヒート、メラニー、ジョン・セバスチャン、ジョン・フォガティら。
大規模フェスに集まる観客の大半はおそらく1969年以降に生まれた人々だろうから、最近の人気バンドやミュージシャンを集めなければ集客は簡単ではなかろう。ウッドストックが伝説として語り継がれているといっても、ウッドストックの再現を期待するファンだけで大規模フェスを成立させることができるはずもない。
企画者の一人であるマイケル・ラング氏はインタビューで「25周年、30周年などで記念イベントを行ったが、お祝いの意味合いが強かった。50周年は1969年に近いイベントにしたい」とする。1969年に近いとは、「もっと政治的なイベントとなる。持続可能な運動につなげるようなコンサートにしたい」。
別のインタビューでは、「単にコンサートが行われる以上のことにしたい。人々が立ち上がり、声を上げ、投票へと向かわせるこの試みに多くのバンドが参加してくれることを願っている。もし自分の感じていることを体現してくれる候補者がいないのであれば、そうした人物を探す、ないしは、自分自身が出馬してほしい」と、政治的な意味づけをしている。
1969年のウッドストックは、ベトナム反戦、反体制、ラブ&ピースなどの言葉とともに語り継がれている。想定以上の人々が集まり、雨が降り、トラブルもあったが、観客の間に連帯感が生まれたと参加者は言う。音楽を聴きに集まった若者たちの間で、分裂ではなく、助け合いや共存の感覚が生じたのだとすれば、現在の米国で「再現」を目指す気持ちは理解できる。
だが、結果として生じたことと、意図的に生じさせることとの違いは大きい。社会的・政治的メッセージを発するイベントにしたいと企画しても、現在の商業化された大規模イベントは様々なトラブルに備えて万全な準備が整えられるであろうから、観客の間に連帯感が生まれる余地があるか定かではなく、単なる音楽イベントで終わるかもしれない。
主催者の意図通りに観客が思考し、行動する必要も義務もない。予期せぬ偶然が重なって新たな伝説が生まれるかもしれないが、それは50年前の伝説とは違ったものになるだろう。観客は音楽を楽しめばいい。音楽が多くの人々を集め、音楽が人々の情感に働きかけ、開放的にする力があることを確認、共有するだけでも意味がある。
出演者は最近のヒップホップやロック、ポップのバンドやミュージシャンが多いが、1969年に出演したベテランバンドやミュージシャンも参加する。例えば、サンタナ、デビッド・クロスビー、カントリー・ジョー・マクドナルド、キャンド・ヒート、メラニー、ジョン・セバスチャン、ジョン・フォガティら。
大規模フェスに集まる観客の大半はおそらく1969年以降に生まれた人々だろうから、最近の人気バンドやミュージシャンを集めなければ集客は簡単ではなかろう。ウッドストックが伝説として語り継がれているといっても、ウッドストックの再現を期待するファンだけで大規模フェスを成立させることができるはずもない。
企画者の一人であるマイケル・ラング氏はインタビューで「25周年、30周年などで記念イベントを行ったが、お祝いの意味合いが強かった。50周年は1969年に近いイベントにしたい」とする。1969年に近いとは、「もっと政治的なイベントとなる。持続可能な運動につなげるようなコンサートにしたい」。
別のインタビューでは、「単にコンサートが行われる以上のことにしたい。人々が立ち上がり、声を上げ、投票へと向かわせるこの試みに多くのバンドが参加してくれることを願っている。もし自分の感じていることを体現してくれる候補者がいないのであれば、そうした人物を探す、ないしは、自分自身が出馬してほしい」と、政治的な意味づけをしている。
1969年のウッドストックは、ベトナム反戦、反体制、ラブ&ピースなどの言葉とともに語り継がれている。想定以上の人々が集まり、雨が降り、トラブルもあったが、観客の間に連帯感が生まれたと参加者は言う。音楽を聴きに集まった若者たちの間で、分裂ではなく、助け合いや共存の感覚が生じたのだとすれば、現在の米国で「再現」を目指す気持ちは理解できる。
だが、結果として生じたことと、意図的に生じさせることとの違いは大きい。社会的・政治的メッセージを発するイベントにしたいと企画しても、現在の商業化された大規模イベントは様々なトラブルに備えて万全な準備が整えられるであろうから、観客の間に連帯感が生まれる余地があるか定かではなく、単なる音楽イベントで終わるかもしれない。
主催者の意図通りに観客が思考し、行動する必要も義務もない。予期せぬ偶然が重なって新たな伝説が生まれるかもしれないが、それは50年前の伝説とは違ったものになるだろう。観客は音楽を楽しめばいい。音楽が多くの人々を集め、音楽が人々の情感に働きかけ、開放的にする力があることを確認、共有するだけでも意味がある。
2019年3月23日土曜日
130億年前の巨大ブラックホール
宇宙は138億年前、針先よりも小さな超高温・超高密度の空間であり、そこから膨張を続けて現在に至ると考えられている。136億年前までの2億年の間に誕生した恒星はファーストスターと呼ばれる。ファーストスターの質量は太陽の40〜100倍とされ、重い恒星は寿命が短いので現在の宇宙には残っていない。
ファーストスターはブラックホールになっただろう。太陽の質量の40倍を超える星は最後に、超新星爆発を起こした後、中心部が爆発の反動で収縮を続け、極めて強い重力により光さえ脱出できないブラックホールになるとされる。ファーストスターはブラックホールとして現在も残っている可能性はあるが、特定することは困難だ。
宇宙誕生から8億年後(130億年前)の時点で、巨大ブラックホールが多数存在したと愛媛大や東京大などの国際研究チームが発見した。質量が太陽の1億倍〜10億倍の巨大ブラックホールを新たに83個発見し、最も遠いのは130億5000万光年先にあったという。
巨大ブラックホールは銀河の中心にあり、太陽系が属する銀河系(天の川銀河)の中心には太陽の質量の400万倍のブラックホールがあるとされる。宇宙には1000億以上の銀河があり、その中心に巨大ブラックホールがあるとすれば、巨大ブラックホールは宇宙では珍しい存在ではない。
今回発見された130億年前の巨大ブラックホールとファーストスターの関係は不明だが、ファーストスターが巨大ブラックホールの母体になったとも、巨大ブラックホールの形成を手助けしたとも考えられ、“若い頃”の宇宙に想像は膨らむ。
巨大ブラックホールがどのように形成されたのかは、まだ分かっていない。極めて強い重力で何でも捕らえてブラックホールは成長を続けるが、吸い込む量には限界があって巨大になるには相当の時間を要する。ブラックホール同士が合体を繰り返せば巨大化しやすいだろうが、広大な宇宙でブラックホールが次々と出合う確率は小さい。
宇宙には1000億以上の銀河があり(観測精度が向上すれば、さらに多くの銀河が発見されよう)、銀河にはそれぞれ数千億個の恒星があり、惑星を持つ恒星もある。宇宙は物質に満ちているようだが、現在の宇宙の構成は、普通の物質が4.9%、暗黒物質が26.8%、暗黒エネルギーが68.3%とされる。ブラックホールと暗黒物質、暗黒エネルギーとの関係は分かっていない。
ファーストスターはブラックホールになっただろう。太陽の質量の40倍を超える星は最後に、超新星爆発を起こした後、中心部が爆発の反動で収縮を続け、極めて強い重力により光さえ脱出できないブラックホールになるとされる。ファーストスターはブラックホールとして現在も残っている可能性はあるが、特定することは困難だ。
宇宙誕生から8億年後(130億年前)の時点で、巨大ブラックホールが多数存在したと愛媛大や東京大などの国際研究チームが発見した。質量が太陽の1億倍〜10億倍の巨大ブラックホールを新たに83個発見し、最も遠いのは130億5000万光年先にあったという。
巨大ブラックホールは銀河の中心にあり、太陽系が属する銀河系(天の川銀河)の中心には太陽の質量の400万倍のブラックホールがあるとされる。宇宙には1000億以上の銀河があり、その中心に巨大ブラックホールがあるとすれば、巨大ブラックホールは宇宙では珍しい存在ではない。
今回発見された130億年前の巨大ブラックホールとファーストスターの関係は不明だが、ファーストスターが巨大ブラックホールの母体になったとも、巨大ブラックホールの形成を手助けしたとも考えられ、“若い頃”の宇宙に想像は膨らむ。
巨大ブラックホールがどのように形成されたのかは、まだ分かっていない。極めて強い重力で何でも捕らえてブラックホールは成長を続けるが、吸い込む量には限界があって巨大になるには相当の時間を要する。ブラックホール同士が合体を繰り返せば巨大化しやすいだろうが、広大な宇宙でブラックホールが次々と出合う確率は小さい。
宇宙には1000億以上の銀河があり(観測精度が向上すれば、さらに多くの銀河が発見されよう)、銀河にはそれぞれ数千億個の恒星があり、惑星を持つ恒星もある。宇宙は物質に満ちているようだが、現在の宇宙の構成は、普通の物質が4.9%、暗黒物質が26.8%、暗黒エネルギーが68.3%とされる。ブラックホールと暗黒物質、暗黒エネルギーとの関係は分かっていない。
2019年3月20日水曜日
MMTと米国ドル
米国で現代金融理論(MMT=Modern Monetary Theory)が議論を呼んでいるそうだ。これは、独自の自国通貨を持っている国の政府は、通貨を限度なく発行することができ、債務返済が滞ってもデフォルトに陥ることはなく、政府債務残高が増加しても問題はないとする考えだ。
政府債務残高の増加でデフォルトした国はアルゼンチンなど実際に存在するが、そうした国家と米国は異なるとする。アルゼンチンなどは信用低下から貨幣価値が暴落し、資本が流出、金利が高止まりして債務返済が困難になって破綻した。
だが米国のドルは基軸通貨であり、米国の債券は各国政府など世界の投資家が購入するので信用は保たれており、米国がドル発行を増やしても財政破綻は起きないとする。インフレが起きないとの条件付きだが、米国政府債務の増加は問題ないとし、政府支出の拡大で諸施策を推進すべきとする。
米国政府の債務残高はこの2月に22兆ドル(約2400兆円)を突破した。トランプ政権が実施した大型減税で税収が大幅に落ち込み、財政赤字を賄うために国債発行が増えている。MMTが実際に行われているとも見えるが、実はMMTを主張しているのは民主党サイドで、財政出動により国民皆医療保険や温暖化対策を推進すべきとする。
このMMTは、米国ドルが将来も世界で基軸通貨として流通するという前提で成り立っているようだ。確かにユーロも円も元も米国ドルに代わって基軸通貨になることはできていない。だが、米国ドルが基軸通貨であること=米国への信用、ではない。交換価値の媒介物として世界で多くの人が米国ドルを使用しているから、他の人も使用しているだけかもしれない。
交換価値の媒介物であるためには、それ自身の価値が安定しており、大きく変動しないことが必要だ。例えていえば、長さを図る定規の目盛りが時によって変わるようならば定規として信用されなくなる。米国政府が望むままに米国ドルを際限なく発行し始めても、米国ドルや米国政府に対する信用が保たれるかどうかは未知数だ。
通貨を際限なく発行することは、交換価値を際限なく創造することである。通貨を際限なく発行して社会が整備され皆が豊かになるのなら慶祝のいたりだが、世界ではハイパーインフレーションが繰り返されてきた。実体経済をはるかに上回るマネーが世界には溢れているというのでMMTにより、行き場のないマネーが米国ドルに吸収されるかもしれない。だが、そうしたマネーは逃げ足が早い。
政府債務残高の増加でデフォルトした国はアルゼンチンなど実際に存在するが、そうした国家と米国は異なるとする。アルゼンチンなどは信用低下から貨幣価値が暴落し、資本が流出、金利が高止まりして債務返済が困難になって破綻した。
だが米国のドルは基軸通貨であり、米国の債券は各国政府など世界の投資家が購入するので信用は保たれており、米国がドル発行を増やしても財政破綻は起きないとする。インフレが起きないとの条件付きだが、米国政府債務の増加は問題ないとし、政府支出の拡大で諸施策を推進すべきとする。
米国政府の債務残高はこの2月に22兆ドル(約2400兆円)を突破した。トランプ政権が実施した大型減税で税収が大幅に落ち込み、財政赤字を賄うために国債発行が増えている。MMTが実際に行われているとも見えるが、実はMMTを主張しているのは民主党サイドで、財政出動により国民皆医療保険や温暖化対策を推進すべきとする。
このMMTは、米国ドルが将来も世界で基軸通貨として流通するという前提で成り立っているようだ。確かにユーロも円も元も米国ドルに代わって基軸通貨になることはできていない。だが、米国ドルが基軸通貨であること=米国への信用、ではない。交換価値の媒介物として世界で多くの人が米国ドルを使用しているから、他の人も使用しているだけかもしれない。
交換価値の媒介物であるためには、それ自身の価値が安定しており、大きく変動しないことが必要だ。例えていえば、長さを図る定規の目盛りが時によって変わるようならば定規として信用されなくなる。米国政府が望むままに米国ドルを際限なく発行し始めても、米国ドルや米国政府に対する信用が保たれるかどうかは未知数だ。
通貨を際限なく発行することは、交換価値を際限なく創造することである。通貨を際限なく発行して社会が整備され皆が豊かになるのなら慶祝のいたりだが、世界ではハイパーインフレーションが繰り返されてきた。実体経済をはるかに上回るマネーが世界には溢れているというのでMMTにより、行き場のないマネーが米国ドルに吸収されるかもしれない。だが、そうしたマネーは逃げ足が早い。
2019年3月16日土曜日
定義を共有する
例えば、民主主義について議論(対話)する時に、一方は民主主義を善なるものと位置づけ、他方は民主主義は一つの政治制度とするだけだったら議論は深まらないだろう。民主主義を善とする人は、民主主義に対する批判の全てを、善なるものに対する批判として拒絶するかもしれない。
対話が成立するには、言葉の定義を共有することが前提となる。具体的な事柄に関わる言葉の定義なら、事実関係などに基づいて個人による認識の違いを修正することができるだろうが、抽象語になると、そこに善悪や正邪などの価値判断を含める人もいて、定義を共有するための議論が平行線のままで推移したりする。
善や正義についての解釈が一つであれば、まだ議論(対話)は成立しやすいだろうが、立場によって善や正義の解釈は異なる。その異なる善や正義の概念がそれぞれの立場の正当化のために使われると、言葉の定義をめぐる議論が、それぞれの立場の正当性を争うことにもなる。つまり、妥協を行うことが難しい。
抽象的な概念について話す時には、定義を共有しなければ議論(対話)は成立しない。定義を共有することは、主観に頼る議論を抑制する。言葉の定義をめぐって議論することは遠回りのようにも見えるが、言葉の定義を共有しないままの議論では、双方の言いっ放しに終始したりすることも珍しくない。
抽象的な概念が重なり、例えば、「神にとっての善や正義」などとなると更に定義が困難になる。善や正義という抽象語の定義に加え、神の概念の共有が必要になる。集団や個人がそれぞれに異なる神を崇めていたりする場合には、神の概念の共有は困難だろう。
「神にとっての善や正義」を語る人の言うことが真実か、更には、神の考えを人間が知ることができるのかという疑問が生じる。「人民にとっての善や正義」とか「民族にとっての善や正義」も同様で、神や人民、民族などが有する価値観を個人や集団が“代弁”する場合には、真偽の検証が困難であると同時に、主張する側の主観との区別が困難だ。
善や正義は絶対的な価値とされることが多いが、その定義は個人や集団により相当の幅があったりする。だから、絶対的な価値とする善や正義を振りかざすためには、その定義を独占することが都合がいい。個人や集団の善や正義を押し付けるためには、定義を共有せずに個人や集団が定義を独占することが好都合だ。そこでは一方的な押し付けがなされ、議論(対話)は必要とされない。
対話が成立するには、言葉の定義を共有することが前提となる。具体的な事柄に関わる言葉の定義なら、事実関係などに基づいて個人による認識の違いを修正することができるだろうが、抽象語になると、そこに善悪や正邪などの価値判断を含める人もいて、定義を共有するための議論が平行線のままで推移したりする。
善や正義についての解釈が一つであれば、まだ議論(対話)は成立しやすいだろうが、立場によって善や正義の解釈は異なる。その異なる善や正義の概念がそれぞれの立場の正当化のために使われると、言葉の定義をめぐる議論が、それぞれの立場の正当性を争うことにもなる。つまり、妥協を行うことが難しい。
抽象的な概念について話す時には、定義を共有しなければ議論(対話)は成立しない。定義を共有することは、主観に頼る議論を抑制する。言葉の定義をめぐって議論することは遠回りのようにも見えるが、言葉の定義を共有しないままの議論では、双方の言いっ放しに終始したりすることも珍しくない。
抽象的な概念が重なり、例えば、「神にとっての善や正義」などとなると更に定義が困難になる。善や正義という抽象語の定義に加え、神の概念の共有が必要になる。集団や個人がそれぞれに異なる神を崇めていたりする場合には、神の概念の共有は困難だろう。
「神にとっての善や正義」を語る人の言うことが真実か、更には、神の考えを人間が知ることができるのかという疑問が生じる。「人民にとっての善や正義」とか「民族にとっての善や正義」も同様で、神や人民、民族などが有する価値観を個人や集団が“代弁”する場合には、真偽の検証が困難であると同時に、主張する側の主観との区別が困難だ。
善や正義は絶対的な価値とされることが多いが、その定義は個人や集団により相当の幅があったりする。だから、絶対的な価値とする善や正義を振りかざすためには、その定義を独占することが都合がいい。個人や集団の善や正義を押し付けるためには、定義を共有せずに個人や集団が定義を独占することが好都合だ。そこでは一方的な押し付けがなされ、議論(対話)は必要とされない。
2019年3月13日水曜日
変装の効果
官憲の厳しい監視下にあった大杉栄は1923年1月、夜泣きの屋台に変装した同志と入れ替わり脱出に成功、東京駅から上海を経てフランスに着いた。国際無政府主義者大会に出席するためだったが、大会は延期を繰り返し、大杉はパリのメーデー集会で演説した後、警察に逮捕され、日本に強制送還された。
かつての日本は大杉栄ら国家に対する「反逆者」を厳しく監視し、現代でも中国などでは「反逆者」を厳しく監視しているという。「反逆者」とされた側が自由に行動しようとするなら監視の目をごまかさなければならず、変装するのは重要な抵抗手段だ。
変装は場合によって肯定的にも否定的にも解釈される。自由な政治活動を続けるための変装もあれば、犯罪に関連して身元を隠すための変装、マスコミなどの好奇の目を避けるための変装など様々だ。もちろん趣味として変装することだって、周囲に害を及ぼしていない限りは個人の自由だろう。
変装の目的は、別人を装って正体を隠すことにある。当人の日常とは関係がないような服装に変え、顔をマスクやサングラス、大きな帽子などで隠したり、化粧を施し、風貌を変えて見分けにくくする。さらには、片足を引きずって歩いたりして動作を偽装したり、性別まで偽装できたなら変装の上級者だろう。
変装の有力な方法は、何かの職業人になりすますことだ。制服か制服めいたものがある職業ほど、そうした服装をまとえば偽装しやすい。こうした職業人になりすます利点は、服装を変えるだけで大きな効果があることだ。だから、何かの職業人の制服をまとって更に顔をマスクやサングラスなどで隠したりすると逆に周囲の印象に残ったりする。
何かの職業人になりすまして周囲に不審を抱かせないためには、場所が重要だ。コックの格好で街中を歩いたり、駅員の格好をして盛り場にいたりすれば逆に目立つ。何かの職業人にはそれぞれふさわしい場所があり、建物の出入りにしても、正門を使うか通用門を使うかで変装の効果は異なる。
何かの職業人の服装をまとって、同じ格好をした人たちと一緒にいれば変装の効果は高まる。だが、周囲に融けこむことを狙って作業員に変装しながら、警備の人に厳重に囲まれて、正門から出てくるようでは逆に目立ってしまい、注目してくださいと言っているのと同じだ。変装に失敗して目立ってしまっては、笑いのネタだ。
かつての日本は大杉栄ら国家に対する「反逆者」を厳しく監視し、現代でも中国などでは「反逆者」を厳しく監視しているという。「反逆者」とされた側が自由に行動しようとするなら監視の目をごまかさなければならず、変装するのは重要な抵抗手段だ。
変装は場合によって肯定的にも否定的にも解釈される。自由な政治活動を続けるための変装もあれば、犯罪に関連して身元を隠すための変装、マスコミなどの好奇の目を避けるための変装など様々だ。もちろん趣味として変装することだって、周囲に害を及ぼしていない限りは個人の自由だろう。
変装の目的は、別人を装って正体を隠すことにある。当人の日常とは関係がないような服装に変え、顔をマスクやサングラス、大きな帽子などで隠したり、化粧を施し、風貌を変えて見分けにくくする。さらには、片足を引きずって歩いたりして動作を偽装したり、性別まで偽装できたなら変装の上級者だろう。
変装の有力な方法は、何かの職業人になりすますことだ。制服か制服めいたものがある職業ほど、そうした服装をまとえば偽装しやすい。こうした職業人になりすます利点は、服装を変えるだけで大きな効果があることだ。だから、何かの職業人の制服をまとって更に顔をマスクやサングラスなどで隠したりすると逆に周囲の印象に残ったりする。
何かの職業人になりすまして周囲に不審を抱かせないためには、場所が重要だ。コックの格好で街中を歩いたり、駅員の格好をして盛り場にいたりすれば逆に目立つ。何かの職業人にはそれぞれふさわしい場所があり、建物の出入りにしても、正門を使うか通用門を使うかで変装の効果は異なる。
何かの職業人の服装をまとって、同じ格好をした人たちと一緒にいれば変装の効果は高まる。だが、周囲に融けこむことを狙って作業員に変装しながら、警備の人に厳重に囲まれて、正門から出てくるようでは逆に目立ってしまい、注目してくださいと言っているのと同じだ。変装に失敗して目立ってしまっては、笑いのネタだ。
2019年3月9日土曜日
列車の旅
2回目の米朝首脳会談を終えた北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が3月2日、ベトナム首都ハノイを車で出発し、ベトナム北部ドンダン駅から特別列車で中国経由で帰国の途につき、5日午前3時に平壌駅に到着したと報じられた。列車は北京や広州を経由しなかったという。
ハノイへ向かったのは2月23日午後。平壌駅を特別列車で出発し、丸2日以上も中国を南下し、26日早朝にベトナム北部のドンダン駅に着き、ハノイ市までの約170kmを特製ベンツで移動、2時間半ほどでハノイに入った。
特別列車は往復ともに4000km以上をほぼ3日かけて移動した。国家の最高権力者はスケジュールがぎっしり詰まっているだろうから、長距離の移動には専用の飛行機を使う。時間がかかっても列車での移動を北朝鮮が選択したのは、独裁者だからスケジュールなどは、どうにでも調整できることを示している。
北朝鮮の専用飛行機は旧式だとされるから、安全性を重視したともされる。頑丈な装甲を施したであろう特別列車には墜落の心配はなく、途中の通過ルートも中国が厳重に警備していたと伝えられ、特別列車には宴会施設もあるというから、金正恩氏はハノイに向かう時には、会談の成功を信じて前祝いしていたかもしれない。
約20両編成とされる特別列車にはおそらく、平壌に戻ってくるまでに必要な食料や飲料を積んでいたであろう。選挙がある国では指導者は視察先で地元の名物を食べてみせたりするが、そんな“危険”なことは金正恩氏はしない。さらに金正恩氏が外遊するときには、健康状態も極秘事項なので自前のトイレを携行し、排泄物も持ち帰るというから、特別列車に積まれていたのだろう。
今回の特別列車のルートは、平壌ー丹東ー天津ー武漢ー長沙ードンダン(ベトナム)の最短コースだったという。ほぼ3日も列車に乗り続けるのは普通なら退屈するだろうが、乗り鉄なら興味を持つだろう。この特別列車の速度は時速60〜70kmというから、車窓から風景を楽しむには適している。
中国の鉄道というと、急速に路線が拡大した高速列車に注目が集まるが、広い中国の各地を巡る長距離の観光寝台列車が登場したなら、世界からも鉄道ファンが乗りに行くかもしれない。中国国内を走る“シベリア鉄道”のイメージだ。そのためには外国人が鉄道利用をしやすく、規制や制限、監視などを緩める必要がある。
ハノイへ向かったのは2月23日午後。平壌駅を特別列車で出発し、丸2日以上も中国を南下し、26日早朝にベトナム北部のドンダン駅に着き、ハノイ市までの約170kmを特製ベンツで移動、2時間半ほどでハノイに入った。
特別列車は往復ともに4000km以上をほぼ3日かけて移動した。国家の最高権力者はスケジュールがぎっしり詰まっているだろうから、長距離の移動には専用の飛行機を使う。時間がかかっても列車での移動を北朝鮮が選択したのは、独裁者だからスケジュールなどは、どうにでも調整できることを示している。
北朝鮮の専用飛行機は旧式だとされるから、安全性を重視したともされる。頑丈な装甲を施したであろう特別列車には墜落の心配はなく、途中の通過ルートも中国が厳重に警備していたと伝えられ、特別列車には宴会施設もあるというから、金正恩氏はハノイに向かう時には、会談の成功を信じて前祝いしていたかもしれない。
約20両編成とされる特別列車にはおそらく、平壌に戻ってくるまでに必要な食料や飲料を積んでいたであろう。選挙がある国では指導者は視察先で地元の名物を食べてみせたりするが、そんな“危険”なことは金正恩氏はしない。さらに金正恩氏が外遊するときには、健康状態も極秘事項なので自前のトイレを携行し、排泄物も持ち帰るというから、特別列車に積まれていたのだろう。
今回の特別列車のルートは、平壌ー丹東ー天津ー武漢ー長沙ードンダン(ベトナム)の最短コースだったという。ほぼ3日も列車に乗り続けるのは普通なら退屈するだろうが、乗り鉄なら興味を持つだろう。この特別列車の速度は時速60〜70kmというから、車窓から風景を楽しむには適している。
中国の鉄道というと、急速に路線が拡大した高速列車に注目が集まるが、広い中国の各地を巡る長距離の観光寝台列車が登場したなら、世界からも鉄道ファンが乗りに行くかもしれない。中国国内を走る“シベリア鉄道”のイメージだ。そのためには外国人が鉄道利用をしやすく、規制や制限、監視などを緩める必要がある。
2019年3月6日水曜日
問題意識を共有できるか
韓国の外相が国連人権理事会で、旧日本軍の従軍慰安婦問題に言及し、紛争下での女性への性暴力に関する国際会議を今年後半に開催するとした。最近も世界の紛争地で女性に対する性暴力が問題視されているので、国際会議を開催するとの韓国外相の提案は国際的な賛同を得るかもしれない。
いつまでも韓国が従軍慰安婦問題を提起し続けることは、日本に対する執拗で攻撃的な外交だと日本国内では受け取られているが、韓国にとっては①韓国は「被害者」であると主張し、②道義性で日本に圧力を加えて優位な立場に立ちつつ、③国際社会で韓国の存在感と「正しさ」をアピールする、ための格好なカードであろうから手放すことはないだろう。
国際会議開催の提案は、紛争下での女性への性暴力が旧日本軍だけの特殊な問題だとの認識から、昔も今も世界で多く起きている問題だと問題意識が変化したことを示すと見える。従軍慰安婦は紛争下での女性への性暴力の一部で、普遍的な問題だと韓国が認識するようになったことを意味するなら、きっと国際会議で韓国軍の過去の紛争下での女性への性暴力問題も並べて提起するだろう。
だが、これまで韓国は「歴史問題」で独自の「正義」を振りかざして日本を一方的に批判し続けてきただけに、韓国の独自の「正義」に疑念をもたらし、揺るがしかねない行動を行うだろうか。韓国の「正義」とは特殊(個別)なものであった。普遍性を意識するように韓国が変化したなら歓迎すべきだが、国際会議が韓国の「正義」を拡散する目的ならば普遍性は伴わない。
特殊(個別)と普遍を区別することは、従軍慰安婦問題に新しい光を当てる。旧日本軍だけが引き起こした特殊な問題だとして韓国などは日本の責任を問い続けてきたが、紛争下での女性への性暴力という普遍的な問題だと認識するなら、日本だけを批判して済む問題ではなくなる。別の言い方をすると、問題を普遍化しなければ国際会議を開催する意味がない。
日本は北朝鮮による日本人拉致問題を特殊(個別)な問題だと国際社会に提起している。だが、これを国家権力による民間人の拉致問題と見るなら、北朝鮮のほかにも強権的な政府による自国民など民間人拉致は昔から世界で起きていた。北朝鮮の日本人拉致を、国家権力による民間人に対する不当な暴力と普遍化するなら、国際社会に対する発信力は大きくなっただろうし、各国の拉致被害者の家族と広く連携できたかもしれない。
問題があるときに、それを特殊(個別)とするよりも普遍と位置付けたほうが、問題意識を世界で共有しやすいだろう。普遍化するためには、問題の構造を見いだす必要がある。だが韓国が従軍慰安婦問題から、どんな普遍性を引き出すのか定かではない。普遍を掲げながら、実は韓国独自の「普遍」でしかない可能性も想定される。
いつまでも韓国が従軍慰安婦問題を提起し続けることは、日本に対する執拗で攻撃的な外交だと日本国内では受け取られているが、韓国にとっては①韓国は「被害者」であると主張し、②道義性で日本に圧力を加えて優位な立場に立ちつつ、③国際社会で韓国の存在感と「正しさ」をアピールする、ための格好なカードであろうから手放すことはないだろう。
国際会議開催の提案は、紛争下での女性への性暴力が旧日本軍だけの特殊な問題だとの認識から、昔も今も世界で多く起きている問題だと問題意識が変化したことを示すと見える。従軍慰安婦は紛争下での女性への性暴力の一部で、普遍的な問題だと韓国が認識するようになったことを意味するなら、きっと国際会議で韓国軍の過去の紛争下での女性への性暴力問題も並べて提起するだろう。
だが、これまで韓国は「歴史問題」で独自の「正義」を振りかざして日本を一方的に批判し続けてきただけに、韓国の独自の「正義」に疑念をもたらし、揺るがしかねない行動を行うだろうか。韓国の「正義」とは特殊(個別)なものであった。普遍性を意識するように韓国が変化したなら歓迎すべきだが、国際会議が韓国の「正義」を拡散する目的ならば普遍性は伴わない。
特殊(個別)と普遍を区別することは、従軍慰安婦問題に新しい光を当てる。旧日本軍だけが引き起こした特殊な問題だとして韓国などは日本の責任を問い続けてきたが、紛争下での女性への性暴力という普遍的な問題だと認識するなら、日本だけを批判して済む問題ではなくなる。別の言い方をすると、問題を普遍化しなければ国際会議を開催する意味がない。
日本は北朝鮮による日本人拉致問題を特殊(個別)な問題だと国際社会に提起している。だが、これを国家権力による民間人の拉致問題と見るなら、北朝鮮のほかにも強権的な政府による自国民など民間人拉致は昔から世界で起きていた。北朝鮮の日本人拉致を、国家権力による民間人に対する不当な暴力と普遍化するなら、国際社会に対する発信力は大きくなっただろうし、各国の拉致被害者の家族と広く連携できたかもしれない。
問題があるときに、それを特殊(個別)とするよりも普遍と位置付けたほうが、問題意識を世界で共有しやすいだろう。普遍化するためには、問題の構造を見いだす必要がある。だが韓国が従軍慰安婦問題から、どんな普遍性を引き出すのか定かではない。普遍を掲げながら、実は韓国独自の「普遍」でしかない可能性も想定される。
2019年3月2日土曜日
猫の足あと
「雪やこんこ」と歌い出す童謡「雪」は100年以上前の作品で、子供の頃に歌った人は多いだろう。その歌詞にある「犬は喜び庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」から、猫は寒さが苦手で雪が降ると外に出ないとの漠然としたイメージを持っている人も多いかもしれない。
確かに飼い猫なら雪の日の外出をやめることができる。飼い主が餌を用意してくれるし、縄張り(飼い主の自宅の中)の平安は保たれているだろうし、安心して眠ることができる場所もある。だが、野良猫は違う。雪国で生きる野良猫は、雪の日にも餌を探し、縄張りを見回る。
降雪量が多い日には短足胴長の猫は動きづらいだろうが、2、3cm程度の降雪の日には、新雪に猫の足跡が延々と続いているのを見ることができる。いつも同じコースに、方向も同じ足跡を見るので、おそらく野良猫の見回りは決まった順路を決まった辿り方で行われている。
注意して見ると野良猫の足跡はけっこう広い範囲にあることに気がつく。猫の行動範囲は半径500mぐらいになるともされ、都市部の野良猫なら住宅街のあちこちに餌場などがあるのだろうから、見回りは生きるための欠かせない行動だ。野良猫は雪の日にも、丸くなって休んでいることはできない。
野良猫はあちこちにいるので、その縄張りは重なり合っているのだろう。そうした猫の集まる場所があって、猫の集会が行われているなどとされる。雪国では、人通から離れた日当たりのいい場所に猫が集まっていたりする。互いに微妙な距離感で座っているだけなので猫たちは、ただ日向ぼっこしているだけのようでもある。
雪を喜ぶと歌われる犬だが、最近は冬に、寒さ対策なのかウェアを着用した小型犬を散歩させている光景を見かけることが増えた。その多くが洋犬で、寒さに弱いのか抜け毛対策なのか定かではないが、ウェアを着用した犬の従順な様子を見ると、雪に喜んで駆け回るほどの活発さが伝わってこない。
野良犬なら野良猫と同様に雪国でもたくましく生きるのだろうが、野良犬は現在ほぼいなくなったから、野良猫のたくましさだけが印象に残るのかもしれない。雪の朝、新雪に延々と続く足跡は野良猫の活発な行動を可視化する。
確かに飼い猫なら雪の日の外出をやめることができる。飼い主が餌を用意してくれるし、縄張り(飼い主の自宅の中)の平安は保たれているだろうし、安心して眠ることができる場所もある。だが、野良猫は違う。雪国で生きる野良猫は、雪の日にも餌を探し、縄張りを見回る。
降雪量が多い日には短足胴長の猫は動きづらいだろうが、2、3cm程度の降雪の日には、新雪に猫の足跡が延々と続いているのを見ることができる。いつも同じコースに、方向も同じ足跡を見るので、おそらく野良猫の見回りは決まった順路を決まった辿り方で行われている。
注意して見ると野良猫の足跡はけっこう広い範囲にあることに気がつく。猫の行動範囲は半径500mぐらいになるともされ、都市部の野良猫なら住宅街のあちこちに餌場などがあるのだろうから、見回りは生きるための欠かせない行動だ。野良猫は雪の日にも、丸くなって休んでいることはできない。
野良猫はあちこちにいるので、その縄張りは重なり合っているのだろう。そうした猫の集まる場所があって、猫の集会が行われているなどとされる。雪国では、人通から離れた日当たりのいい場所に猫が集まっていたりする。互いに微妙な距離感で座っているだけなので猫たちは、ただ日向ぼっこしているだけのようでもある。
雪を喜ぶと歌われる犬だが、最近は冬に、寒さ対策なのかウェアを着用した小型犬を散歩させている光景を見かけることが増えた。その多くが洋犬で、寒さに弱いのか抜け毛対策なのか定かではないが、ウェアを着用した犬の従順な様子を見ると、雪に喜んで駆け回るほどの活発さが伝わってこない。
野良犬なら野良猫と同様に雪国でもたくましく生きるのだろうが、野良犬は現在ほぼいなくなったから、野良猫のたくましさだけが印象に残るのかもしれない。雪の朝、新雪に延々と続く足跡は野良猫の活発な行動を可視化する。
2019年2月27日水曜日
21世紀の社会主義
2020年の米国大統領選挙に向けバーニー・サンダース上院議員が出馬を表明した。サンダース氏は16年の前回選挙では、国民皆保険や最低賃金引き上げ、公立大学の授業料廃止などを打ち出し、若者らの支持を集めた。その影響もあって民主党の政治スタンスが左寄りになったとされる。
英労働党のジェレミー・コービン党首は民主社会主義者とされ、大学授業料の無料化や低賃金労働の廃止、鉄道などの再国有化、核兵器廃絶、企業の税金逃れ対策強化、削減された福祉予算の増額などを掲げ、若者らの支持を集め、17年の総選挙で労働党の議席を回復、与党の保守党は過半数割れした。
この2人に共通するのは、格差が拡大するとともに企業が強くなりすぎた経済における国家の役割を回復させ、“持たざる者”への配慮を重視していることだ。現実社会の矛盾に敏感で政治不信が強い若者には、社会に公正さや相互扶助、共生などを回復させる政策と見えようから、支持が集まるのも理解できる。英国の総選挙では若者の投票率が大幅に増加した。
世界は今、強者が跋扈する市場経済に覆われている。社会主義や共産主義の「脅威」が消え、共産党が独裁する中国も実態は権力と資本が結びついた市場経済で、人々は管理・収奪される対象でしかない。現在の市場経済の問題は、平等が軽視されすぎ、公正な社会を実現するための国家の果たす役割が市場から攻撃されることだ。
サンダース氏やコービン氏の政策は目新しいものではない。企業よりも国家の主導権を強め、“持たざる”人々に対する配慮を重視する政策は、いつの時代でも多くの人々が支持するだろうが、そうした政策が世界であまりにも軽んじられるようになった。それで2人の政策が若者らには斬新に見えるのかもしれない。
市場よりも社会的な公正を重視する政策は古い社会主義の延長にも見え、若者らの支持を集める2人は1周遅れのトップランナーなのか。だが、強者が跋扈する市場経済に覆われた現在の世界で、人々から求められている政策であるなら、社会に存在する問題や矛盾が古い時代と変わっていないことを示す。
21世紀の社会主義的な政策が20世紀のそれと変わっていないということは、人間社会が「進歩」していないことを示す。そもそも人間社会に、変化はあっても進歩は乏しいのかもしれないが、欲望(強欲)が社会を動かすことも昔から変わらないとすれば、社会主義的政策はいつの時代でも人々から求められるのかもしれない(同時に、いつの時代でも人々の欲望に負ける、か)。
英労働党のジェレミー・コービン党首は民主社会主義者とされ、大学授業料の無料化や低賃金労働の廃止、鉄道などの再国有化、核兵器廃絶、企業の税金逃れ対策強化、削減された福祉予算の増額などを掲げ、若者らの支持を集め、17年の総選挙で労働党の議席を回復、与党の保守党は過半数割れした。
この2人に共通するのは、格差が拡大するとともに企業が強くなりすぎた経済における国家の役割を回復させ、“持たざる者”への配慮を重視していることだ。現実社会の矛盾に敏感で政治不信が強い若者には、社会に公正さや相互扶助、共生などを回復させる政策と見えようから、支持が集まるのも理解できる。英国の総選挙では若者の投票率が大幅に増加した。
世界は今、強者が跋扈する市場経済に覆われている。社会主義や共産主義の「脅威」が消え、共産党が独裁する中国も実態は権力と資本が結びついた市場経済で、人々は管理・収奪される対象でしかない。現在の市場経済の問題は、平等が軽視されすぎ、公正な社会を実現するための国家の果たす役割が市場から攻撃されることだ。
サンダース氏やコービン氏の政策は目新しいものではない。企業よりも国家の主導権を強め、“持たざる”人々に対する配慮を重視する政策は、いつの時代でも多くの人々が支持するだろうが、そうした政策が世界であまりにも軽んじられるようになった。それで2人の政策が若者らには斬新に見えるのかもしれない。
市場よりも社会的な公正を重視する政策は古い社会主義の延長にも見え、若者らの支持を集める2人は1周遅れのトップランナーなのか。だが、強者が跋扈する市場経済に覆われた現在の世界で、人々から求められている政策であるなら、社会に存在する問題や矛盾が古い時代と変わっていないことを示す。
21世紀の社会主義的な政策が20世紀のそれと変わっていないということは、人間社会が「進歩」していないことを示す。そもそも人間社会に、変化はあっても進歩は乏しいのかもしれないが、欲望(強欲)が社会を動かすことも昔から変わらないとすれば、社会主義的政策はいつの時代でも人々から求められるのかもしれない(同時に、いつの時代でも人々の欲望に負ける、か)。
2019年2月23日土曜日
バックストップ
バックストップ(backstop)とは①野球場などのバックネット、②野球の捕手やアイスホッケーなどのゴールキーパー。そこから「最後の守り手」に喩えられる。この言葉が、EU離脱の日が迫る英国で、英国をEUに実質的につなぎとめておくことを意味するとしてEU離脱派などが反発、混乱を大きくしている。
英領の北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの間に、英国のEU離脱により「国境」が復活し、人やモノなどの越境に対する管理も復活する。北アイルランド内には反英勢力が存在するので、対立抗争を再燃させないためには、北アイルランドとアイルランドの境界をオープンにしておくことが必要だ。
北アイルランドだけをEUに留めることは、EUを離脱した英国からの実質的な分離となるので英国は認めることができない。それで、EU離脱後の移行期間にEUと包括的な通商協定をまとめられなかった場合、アイルランド国境は開放されたままで、英国もEUの関税同盟に残る条項を離脱協定案に入れた。これがバックストップ。
この案は英国議会で否決された。反対した議員たちは、離脱後も英国がEUの関税同盟内にいつまでも閉じ込められるとする。英国政府もEUもバックストップは一時的な措置だと強調するが、北アイルランドとアイルランドの境界の管理をどうするのか具体策は出てこない。
英国政府はまた、EU離脱後の移行期間には従来の英・EU関係が維持されるし、その間に新たな通商協定がまとまればバックストップ条項は必要なくなると説明するが、新たな協定の内容はもちろん、協定がまとまるかどうかも確かではない。
英国とEUは協定なしのハード・ブレグジット(英国が統一市場と関税同盟から離脱し、EU諸国からの移民を制限)に突き進んでいるように見える。英国は国内が分裂し、共同体維持のためにEUは離脱する英国に甘い対応はできない。双方ともに妥協の余地がほとんどない気配だが、離脱予定日までまだ1カ月ある。
別れても縁を切ることができない関係というのは厄介だ。英国はEU離脱後もEUやEU諸国と政治や経済などの関係を断つことはできず、つき合って行かざるを得ない。EUと別れると決めたときに英国には高揚感があったように見えたが、具体的な条件交渉が進むにつれて徒労感が目立ってきたようだ。
英領の北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの間に、英国のEU離脱により「国境」が復活し、人やモノなどの越境に対する管理も復活する。北アイルランド内には反英勢力が存在するので、対立抗争を再燃させないためには、北アイルランドとアイルランドの境界をオープンにしておくことが必要だ。
北アイルランドだけをEUに留めることは、EUを離脱した英国からの実質的な分離となるので英国は認めることができない。それで、EU離脱後の移行期間にEUと包括的な通商協定をまとめられなかった場合、アイルランド国境は開放されたままで、英国もEUの関税同盟に残る条項を離脱協定案に入れた。これがバックストップ。
この案は英国議会で否決された。反対した議員たちは、離脱後も英国がEUの関税同盟内にいつまでも閉じ込められるとする。英国政府もEUもバックストップは一時的な措置だと強調するが、北アイルランドとアイルランドの境界の管理をどうするのか具体策は出てこない。
英国政府はまた、EU離脱後の移行期間には従来の英・EU関係が維持されるし、その間に新たな通商協定がまとまればバックストップ条項は必要なくなると説明するが、新たな協定の内容はもちろん、協定がまとまるかどうかも確かではない。
英国とEUは協定なしのハード・ブレグジット(英国が統一市場と関税同盟から離脱し、EU諸国からの移民を制限)に突き進んでいるように見える。英国は国内が分裂し、共同体維持のためにEUは離脱する英国に甘い対応はできない。双方ともに妥協の余地がほとんどない気配だが、離脱予定日までまだ1カ月ある。
別れても縁を切ることができない関係というのは厄介だ。英国はEU離脱後もEUやEU諸国と政治や経済などの関係を断つことはできず、つき合って行かざるを得ない。EUと別れると決めたときに英国には高揚感があったように見えたが、具体的な条件交渉が進むにつれて徒労感が目立ってきたようだ。
2019年2月20日水曜日
壁の効用
米トランプ大統領は、メキシコ国境の壁の建設資金を議会の承認を経ずに確保するため、国家非常事態を宣言した。予算の中から約81億ドルをかき集めて壁の建設を進めるという。国家予算の使い方は議会で決めるのが民主主義の原則の一つだが、非常事態だからとして政府の判断で予算の使い方を変更する。
武力による侵攻を受けたり、大規模な災害や事故が発生したなら非常事態だとの認識は共有されやすいだろう。だが、「不法移民や違法薬物の流入を阻止するため」と主張しても、①国境の壁建設で抑制効果があるのか、②なぜ今なのか、③大統領の権限行使として正しいのか、などの疑念が出て、非常事態であるとの認識が政治性を帯びてしまった。
壁は境界を示す。地図上に国境などがあっても、現実空間に遮蔽するものがなければ抽象的な境界でしかない。壁を構築することで、第一に、「こちら側」と「あちら側」を可視化する効果がある。第二に、境界での交通・流通を遮断・管理することが、より容易になる。第三に、「こちら側」への侵入を許さず拒否するという意思を明確化する。
国境の壁は国家権力が構築するものだが、個人でも壁や柵を建てて自宅の敷地や農地などを囲う人は多い。所有権などを可視化するとともに、他人などの勝手な侵入を拒否することを示す。だが、壁や柵があっても、盗みなどの目的で入ってくる人を防ぐことはできない。
壁は、その境界内に生きる人々の意識の開放性ではなく、閉じこもろうとする閉鎖性を示す。閉鎖的だから悪いというわけではないが、閉鎖性が周囲に対する不信感や警戒感、敵愾心などの現れであるなら、壁は「あちら側」からは拒絶の象徴に見えるだろう。
壁を構築することで守られるものは何か。ベルリンの壁により東独は自国住民の西側への亡命を抑制した。イスラエルはヨルダン川西岸地区に高さ8mの分離壁を建設し、入植者を囲った。どちらも国際的には批判されたが、それぞれの国内では政府の治安維持「努力」の可視化であった。
壁には物理的な壁のほかに、中国が構築しているというインターネットの国外との接続を制限(時には遮断)する壁もある。こちらも政府の治安維持のために効果があるとされる。見えないが存在する壁も国家だけではなく個人にもあって、何らかの行動に踏み切ることを阻害したりもする。
トランプ氏が欲するメキシコ国境の壁の最大の課題は、不法移民や違法薬物の流入を抑制できるのか客観的な効用が明確でないことだが、トランプ氏は批判や異論などをはねつけ、主張を貫く。トランプ氏の心に構築されている壁は強固で、外部からの意見や助言などが入ることを拒んでいる。トランプ氏の心の壁はメキシコ国境の壁より機能しているようだ。
武力による侵攻を受けたり、大規模な災害や事故が発生したなら非常事態だとの認識は共有されやすいだろう。だが、「不法移民や違法薬物の流入を阻止するため」と主張しても、①国境の壁建設で抑制効果があるのか、②なぜ今なのか、③大統領の権限行使として正しいのか、などの疑念が出て、非常事態であるとの認識が政治性を帯びてしまった。
壁は境界を示す。地図上に国境などがあっても、現実空間に遮蔽するものがなければ抽象的な境界でしかない。壁を構築することで、第一に、「こちら側」と「あちら側」を可視化する効果がある。第二に、境界での交通・流通を遮断・管理することが、より容易になる。第三に、「こちら側」への侵入を許さず拒否するという意思を明確化する。
国境の壁は国家権力が構築するものだが、個人でも壁や柵を建てて自宅の敷地や農地などを囲う人は多い。所有権などを可視化するとともに、他人などの勝手な侵入を拒否することを示す。だが、壁や柵があっても、盗みなどの目的で入ってくる人を防ぐことはできない。
壁は、その境界内に生きる人々の意識の開放性ではなく、閉じこもろうとする閉鎖性を示す。閉鎖的だから悪いというわけではないが、閉鎖性が周囲に対する不信感や警戒感、敵愾心などの現れであるなら、壁は「あちら側」からは拒絶の象徴に見えるだろう。
壁を構築することで守られるものは何か。ベルリンの壁により東独は自国住民の西側への亡命を抑制した。イスラエルはヨルダン川西岸地区に高さ8mの分離壁を建設し、入植者を囲った。どちらも国際的には批判されたが、それぞれの国内では政府の治安維持「努力」の可視化であった。
壁には物理的な壁のほかに、中国が構築しているというインターネットの国外との接続を制限(時には遮断)する壁もある。こちらも政府の治安維持のために効果があるとされる。見えないが存在する壁も国家だけではなく個人にもあって、何らかの行動に踏み切ることを阻害したりもする。
トランプ氏が欲するメキシコ国境の壁の最大の課題は、不法移民や違法薬物の流入を抑制できるのか客観的な効用が明確でないことだが、トランプ氏は批判や異論などをはねつけ、主張を貫く。トランプ氏の心に構築されている壁は強固で、外部からの意見や助言などが入ることを拒んでいる。トランプ氏の心の壁はメキシコ国境の壁より機能しているようだ。
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