2023年5月31日水曜日

聞きたいことを言う

  演説とは多くの人々を前にして自分の主張や意見を話すことで、聞いている人々に自分の主張や意見が妥当であると納得させたり、説得して同調させることが目的だ。英語に疎い多くの日本人にも強い印象を与えた米オバマ元大統領のように演説には名手がいるが、日本では演説の伝統が乏しく、国会でも原稿を棒読みする政治家の姿が日常で、名手とされるような演説がうまい人は少ない。

 米オバマ元大統領も原稿を用意して、それに基づいて語っていたのだが、原稿の棒読みだとは聞き手に感じさせない「語る力」があった。日本でもマイクを前に饒舌に語る政治家は多いが、一方的な主張と見えたり、人によっては饒舌に思いつくままを語って失言騒動になったりする。思いつくままに語ると失言するのは、日本の政治家が社会規範や他者の尊厳を軽視しているからだろう。

 会合などで少数の人々を前に短く話すことはスピーチと日本では呼ばれる。ここでは参会への謝意と盛会の祝意などを述べ、自分の主張や意見などを話すときには短くする(長く話す人も珍しくない?)。日常の会話は様々な状況があり、話題は身近な事柄が多いだろうが、会話にも名手がいて、当意即妙の受け答えで場を盛り上げたり和ませたりする。

 演説とスピーチの判別が日本では曖昧で、不特定の人の前で話すことと特定の人々の前で話すことを混同する人がいる。支持者や主義主張を同じくする人々に向かって話すときには思いつくままに話しても許されるかもしれないが、不特定の人々を前に話すときには賛同を得たり同調を得ることが重視されよう。

 支持者や主義主張を同じくする人々に向かって話すときに、後に失言と指摘される発言が混じったりする。それは、その場にいない誰かを揶揄したり、あげつらったり、中傷したりする発言が聴衆にウケて、許されると油断するからだ。その発言が広く知られると、社会的に不適当だとの批判が現れ、弁解しようがない発言だったりすると謝罪に追い込まれる。

 失言となる要因の一つは、支持者などのウケ狙いに、つい「本音」を吐露するからだ。聴衆が共感しそうなことばかりを述べようとするから、喝采を得ようとして言葉がスベッて言いすぎてしまったりする。失言は当人の倫理観が希薄で社会的規範などを軽視していることを示すが、失言で支持者が離反することはないだろうから、批判も一過性と当人は受け止めて神妙な態度でやり過ごす。

 失言は、支持者など聴衆が聞きたいことを言うときに現れやすい。聴衆におもねる話者が失言しやすいとすると、米オバマ元大統領のように演説の名手は聴衆におもねることはなく、聴衆を説得するために言葉をついやす。支持者を集めて話すことでは演説の名手は生まれないだろう。支持者ではない人々を交えた不特定の人々を説得し、同調を得ようと話すことに苦心するから演説の名手が生まれる。

2023年5月27日土曜日

覇権争いは他人事

 訪中した仏マクロン大統領は4月、台湾情勢について欧州は米中両国のどちらにも「追随」すべきでないとした。報道によるとマクロン氏は、台湾情勢の急変は欧州諸国にとって利益にならないが「欧州がこの問題で米国や中国の過剰反応に追随しなければならないと考えること」は最悪だとし、「私たちの優先事項は他国の予定に合わせることではない」とした。

 米国とも中国とも距離を置くとの姿勢は自国最優先の外交を行うフランスにとっては当然かもしれないが、米国との協調を重視せざるを得ない欧州各国にとっては「それは言っちゃいけない」ものだったか、批判が相次いだ。マクロン大統領が中国で手厚い歓迎を受けたこともあって、米中に対して中立の立場からの発言ではなく中国寄りだとの懸念が広がった。

 マクロン大統領は自身の発言は正当だとし、報道によると記者会見で、米国の「同盟国であることは下僕になることではない」とする一方で、台湾の現状維持を支持するフランスの立場は変えないとした。その後に台湾を訪問したフランス国民議会の議員団はマクロン大統領のメッセージとしてフランスの「台湾政策の方向性に変化はない」とした。

 米国と中国は、経済的な結びつきは維持しながら政治的には覇権争いを始めている。欧米の価値観に従っていては共産党の独裁統治が危うくなると懸念した中国は、経済的な成長もあって自己主張を強め、欧米の価値観とは異なる世界秩序の構築をあからさまに唱え始めた。米国はパクス・アメリカーナを終わらせるつもりは毛頭ない。両国とも引くに引けない状況になった。

 米中が覇権争いをしている状況で、米国側にいると見なされるフランスの大統領からの、米中に距離を置くとの発言は、米国から一歩離れ中国に一歩近寄ったと見なされて当然だ。だが、米中の覇権争いに巻き込まれたくないとはアジアから遠い欧州諸国にとっては暗黙の見解かもしれない。経済的に中国から恩恵を得ている諸国が多いだけに、米中の覇権争いから距離を置きたいのが本音か。

 かつての冷戦は米国とソ連の覇権争いだった。ソ連が解体してからは米国が単独で覇権を握ったとみなされたが、イラクやアフガニスタンへの出兵で米国は疲弊して単独の覇権に翳りが見える中で中国が経済的に急成長し、軍事的な存在感も増大した。欧州諸国にとって中国の軍事的な存在感はまだ希薄だろうから、マクロン大統領のような発言にもつながるのだろう。

 おそらくマクロン大統領にとって中国の軍事的膨張は「他人事」なのだろうし、米中のどちらが覇権を握っても、つき合っていかざるを得ないという冷静さ(冷酷さ)に基づいた発言だった。自国の利益を最優先にするという外交は当然だが、個人の本音を吐露することは外交においては余分なことだった。まあ自国の利益よりも米国の利益を優先する外交よりはマシだが。

2023年5月24日水曜日

全能感と脆さ

 なんでも自分の思う通りにでき、批判されることは少なく、むしろ称賛されるばかりで、崇拝者らが集まってきて周囲を固めているという人物。そうした人物が、現代ではパワハラやセクハラと見なされる行為を繰り返してきたことが明るみに出て、世間の批判に晒される事例は珍しくない。隠されていた「悪行」が暴かれた形だが、知る人ぞ知る「悪行」だったりもする。

 そうしたパワハラやセクハラが隠蔽されてきたのは、優越的な地位にある人物の行為を周囲が諌めることも告発することもせず、むしろ迎合するような人たちが周囲を取り巻いていたからだろう。パワハラやセクハラの被害者であると同時に共犯者でもあった人たちが周囲を取り巻いているなら、そうしたパワハラやセクハラは続く。

 優越的な地位にある人物が支配する組織や集団でパワハラやセクハラを許す環境が形成されると、秘密の共有が成員に求められる。他人の「悪行」の秘密を共有した人々は、社会に対して閉鎖的になる(それが秘密を共有した人々の組織や集団における自己防衛策となる)。社会の規範とは別の規範が形成された組織や集団では、支配する人物の意向がルールとなり、そのルールに従わない人は追放される。

 そうした「悪行」が暴かれた時に、優越的な地位にあった人物の反応は、批判を受け入れるか反発するか無視するかに分かれ、対応は①世間に対して謝罪する、②自己の行為を弁明し、時には正当化する、③沈黙を続けるーとなる。批判されることに弱い人物なら、隠されていた「悪行」が世間に晒されて狼狽し、適切な責任の取り方を行うことができない恐れがある。

 組織や集団に君臨する人物は内部の批判者を追い出すことで優越的な地位を維持し続け、批判されることに真摯に向き合う習慣がなかったりする。そうした人物が社会からの批判に直面したときに、適切な助言者が周囲にいれば、謝罪を表明して謹慎するポーズを装うことができるだろうが、迎合して秘密を共有する人たちだけが周囲にいる時には批判に対して混乱するばかりだ。

 集団や組織に君臨する人物は全能感めいたものを持っているだろうが、そうした全能感は自分の力では抑えることができない外部からの批判には脆い。なんでも思いのままにできるとの全能感が閉鎖的な集団や組織の中でだけ通用するものであったなら、全能感の喪失は優越的な地位が崩壊したとの意識につながったりもする。

 全能感を喪失した時に人は「素」に戻る。性質として打たれ強さを持っている人なら優越的な地位を失ったとしても立ち直ることができようが、打たれ弱い人が「素」に戻ると喪失感に圧倒されるかもしれない。喪失感に圧倒された人物が世を捨てて出家するというのは「熊谷陣屋」など歴史物語にはよくある話だが、現代では仏教信仰も形骸化しているようで、世を捨てて出家するという選択肢はマレか。

2023年5月20日土曜日

専門家の将来予測

 新型コロナウイルスの感染拡大の第9波が起き、第8波よりも規模が大きくなる可能性があると厚労省にコロナ対策を助言する専門家の有志が4月に見解を示した。その根拠は詳らかではないが、報道によると、▽流行は続く、▽自然感染による抗体保有率が低い、▽感染しやすいオミクロン株のXBB系統の割合が増えた、▽ワクチンの発症や重症化を防ぐ効果が薄れてくるーなどが挙げられた。

 4月の時点で、いずれ第9波が起きるとの見解は将来予測だ。将来予測を行う科学者は珍しくないが、その将来予測に客観性が欠けていると、それは占い師や予言師の言葉と同列になる。科学者の将来予測には確率が不可欠で、確率を検証することで将来予測の妥当性を確かめることができる。

 第9波が起きるという専門家の見解(将来予測)には、報道で見る限り確率は示されていない。確率が欠如した科学者による将来予測は主観である。当たることもあれば外れることもある。第8波まで感染拡大は周期的に起きたのだから、ウイルスが消滅したことが確認できず、特効薬が不在であるから、第9波が起きると予測するのは素人でもできることだ。

 専門家が第9波が起きると予測したのは、おそらく感染症法上の位置付けが「5類」に変更されて人々の警戒心が徐々に薄れることを懸念して注意喚起する目的だったのだろう。だが、3密回避やマスク着用やワクチン接種など従前の対策を人々が励行していても感染拡大の波は繰り返し起きたのだから、専門家が推奨する従前の対策を行っても第9波は起きるかもしれない。

 これは過去の感染拡大の波に専門家が無力であったし、第9波についても専門家は無力であることを意味する。なぜ感染拡大の波は繰り返し起き、その感染拡大の波はなぜ一定期間で終息したのか、専門家は明確な説明を行っていない。日本より先に厳しい行動制限などを撤廃した諸外国の感染状況のデータを検証して「5類」移行後の感染状況を予測することも行っていないようだ。

 ある専門家の見解を検証するのは他の専門家であるが、マスメディアにも専門家の見解を検証する役割があるはずだ。専門家の見解をそのまま伝えるのがマスメディアの実態のようだが、そこには批判精神が欠如している。とはいえ、専門家の見解を検証するには専門知識が必要で、様々な出来事を日々追う報道記者には荷が重いのも確かだ。

 専門家による確率が欠如した将来予測を、人々は科学的な事実と誤認しやすい。まだ起きていないことは事実ではないのだが、専門家が言うのだからと将来予測を確定した事実であるかのように信じる。第9波が起きるかもしれないと多くの人が感じているところへ、専門家に第9波が起きる可能性があるなどと言われると、うっかり信じてしまう。だから人々はマスク着用を続けているのかな。

2023年5月17日水曜日

怪力乱神を語らず

 論語の「子不語怪力乱神」(子、怪力乱神を語らず)とは「先生は、怪異と力わざと不倫と神秘とは、口にされなかった」ということ(岩波文庫、金谷治訳注)。子とは男子の美称また通称で、論語では孔子をさす。孔子は、怪しげなことや不確かなこと、鬼神、道理に反することについては話そうとしなかったという。語らなかった理由は定かではない。

 怪力乱神とは何か。怪力とは「人知を超えていて、人を迷わしやすい不思議な現象と、道理を無視して行使されやすい野蛮な力」で、乱は「世間の風俗・秩序を乱すもの」、神は「怪とほぼ同義(怪=①あやしいこと。不思議②化け物)」と新明解国語辞典。大辞林では怪力乱神は「理性では説明できないような不思議な存在や現象」とされる。

 怪力乱神について他に「 怪異と怪力と悖乱と鬼神の四つをさす。怪異は怪しく不思議なこと、怪力は怪しい力や働き、悖乱は道理に逆らい正道を乱すこと、鬼神は超人間的な力や威力を持つもの。いずれも理性や常識から遠く離れた存在のもの」とか、「怪は奇怪なこと、不思議なこと。力は武勇伝や暴力のこと。乱は道徳に反すること。神は鬼神、普通の人が認知できない神霊・霊魂のこと」「怪異・勇力・悖乱 ・鬼神の四つをさす」などの説明もある。

 理性で説明できない存在や現象について、事実や検証を重視する人なら、客観的な検証がないと否定的に語るか、孔子のように語らずにいるだろう。一方、それらを肯定的に語る人は珍しくないが、肯定する根拠が強い思い込みだったりする。検証できない存在や現象は様々な物語と結びついていることが多く、そうした物語に惹かれ、物語を受け入ることで、検証できない存在や現象を信じてしまう。

 理性で説明できない存在や現象には、例えば、幽霊(お化け)や祟り、天罰、如来や菩薩、神や悪魔、UFO、宇宙人(異星人)などがある。検証がなく自分で見たことがなくても、それらの存在を信じるには強い感情が要るだろう。その感情は信仰だったり信念だったり、単なる思い込みだったりする。

 孔子はなぜ怪力乱神について語らなかったか、理由の説明は残っていないようだが、推察するに①あやふやな対象には興味がない、②正確に語るには正確な対象が要るとした、②存在が不明確な対象について語って間違えることを恐れた、④孔子は実証主義者だったーなどが思いつく。語らなかったということは、存在が不確かな怪力乱神を孔子は恐れなかっただろう。

 現在でも怪力乱神を信じたり、感じたり、納得したりする人は珍しくない。実証を尊重する精神が弱い人が多いだろうことは、いろいろな陰謀論が現れては消えることでも確かめられよう。現在では科学的な装いをまとう怪力乱神や陰謀論もある。孔子のように、怪力乱神を語らずと己を律するのは現代でも簡単ではない。

2023年5月13日土曜日

ラーメンと絵画

  ひと昔前、大衆食堂のラーメンは醤油味が多く、そこにチャーシューやモヤシ、ネギ、ワンタン、野菜炒め、ワカメなど乗せる具材によってメニューが増えていたが、やがて味噌味が広まり、塩味も加わってラーメンのスープの定番となった。とんこつ味も人気となったが、仕込みに手間がかかるためかラーメン専門店以外で見かけることは少ない(市販のスープを使えば簡単に作ることができるが)。

 ラーメン専門店は独自の味づくりに励む。ラーメンは大衆食堂から町中華、そば屋など多くの飲食店がメニューに載せているので、ラーメン専門店は個性を出さなければ存在意味が薄れる。ラーメン専門店が個性を出すにはスープを工夫するのが常道だ。麺やトッピングに工夫することも欠かせないが、独自のスープの味を損なわずに独自のスープと調和することが麺やトッピングには求められる。

 ラーメン専門店が全国各地に増えて、魚ダシのうまみを強調した魚介系や鶏ガラスープの白湯系、背脂などの油ギトギト系、とんこつをさらに濃厚にした超こってり系、とんこつと醤油味のブレンド系、唐辛子やニンニクなどを強調したスパイシー系や激辛系など多彩なスープ味が出現し、つけ麺や油そばなど形態に工夫したところもあり、大盛りを売りにしている専門店もあるとか。

 ラーメン専門店があれば、ラーメン専門に食べ歩きする人もいる。「都内の主な店は食べ歩いた」という友人は、以前は夏休みなど休暇を利用して地方のラーメン専門店巡りをしていたが、結婚して子供も増えてからは休暇は家族サービスに専念せざるを得なくなったそうだ。加えて奥さんからは、健康のためにとラーメンを食べることを減らすよう厳命されている。友人はやや小太りの体型で、奥さんはそれを気にしている。

 とはいえ、友人はラーメンを食べることはやめてはいない。会社員で毎日出社している友人は、出かける機会があればラーメン専門店を探して昼食をとる(奥さんには内緒)。ただ外出先の周辺に都合よくラーメン専門店が毎回あるわけではなく、大衆食堂や町中華などでラーメンを食べることが増えて、専門店の凝った独自のスープではなく、こってりしすぎない町中華などの醤油味ラーメンを友人は再発見したという。

 「専門店のラーメンの味は、例えると油絵のようなもので時には味がくどくて重いと感じることがあるし、出汁が効いているという薄味のものは色鉛筆で描いた絵で、美味しいけれどなんか物足りなさがある」と友人は言い、「町中華などの醤油ラーメンはクレヨンでさっと描いた風景画のようなもので、ちょうどいい塩梅だ。飽きずに食べ続けることができる味なんだな」。

 さらに「町中華なんかのラーメンは、ひねくれずに真っ当に成長したラーメンだって気がする。目立とうと派手な格好をしたり、個性を求めて道を逸れたりせずに成長し、地味だけど安定した味を再現している」と称賛し、「ラーメンを特別視するなら専門店がいいんだろうが、町中華なんかのラーメンは日常食で、炊き立ての白米と同様の、これで十分だという味だ」。友人はラーメンの世界の奥深さを再認識した。