2022年12月31日土曜日

ロシア系住民の保護

 ロシアのプーチン大統領は12月22日、ウクライナで続けている軍事作戦の目的は「自分をロシア人、ロシア文化の一部と考えている人々の保護」だと述べ、ソ連崩壊で分断されたロシア人の統合を進める考えを示したと報じられた。ロシアの大統領が、旧ソ連に属した国のロシア系住民を保護することを主張するのはウクライナ侵攻を正当化するためだろう。

 「自分をロシア人、ロシア文化の一部と考えている人々」がどこの国に住んでいようと、彼らを保護する権利がロシアにあるのならば、ロシア以外の国にも同様の権利があることになる。例えば、ウクライナがロシア国内のウクライナ系住民を保護することを目的とする軍事作戦を行うことをロシアは認めざるを得まい(ロシアは特別だと主張するのかな)。

 かつてのソ連から独立した諸国にはロシア系住民が多く暮らしている。例えばバルト3国のロシア系住民の比率はラトビア29.6%、エストニア25,6%、リトアニア6.3%とされ、ウクライナには17.3%、ベラルーシ11.4%、モルドバ5.8%、中央アジアではカザフスタン30%、キルギス12.5%、ウズベキスタン5.5.%、トルクメニスタン4%、タジキスタン1.1%などとされる(2009年のデータ)。

 ロシア系住民の保護を目的とする軍事作戦をロシアが続けることができた場合、これらの諸国は常にロシアの侵攻の危険にさらされる。バルト3国はNATOに2004年に加盟したのでロシアは侵攻できないだろうが、ウクライナ侵攻がロシアに「許された」なら、ほかの諸国はロシアの「次の標的」になる。すぐに諸国はNATOに加盟することはできまいから、ロシアの侵攻に備えなければならない。

 国内では政府批判のロシア人を弾圧しているロシアが、他国に居住するロシア系住民を保護することを主張するのは奇妙な光景だ。ロシアは都合よくロシア系住民の保護を主張するが、居住する国に対する帰属意識を持つロシア系住民はロシア政府に敵対するだろうから、ロシア政府に従うロシア系住民だけを特別扱いする。

 ロシア系住民の保護を口実にロシアは旧ソ連の版図回復に動き出したとも見える。ロシア帝国からソ連邦に移行したが、大帝国としての振る舞いは継続された。そうした帝国だった過去への願望が受け継がれたが、欧米主導の国際社会からは傍に追いやられる立場であることもロシアは受け継いだ。帝国だった歴史からロシア人が逃れることができないとすれば、帝国を回復しない限り願望は続く。

 難民や移民ではなく合法的に他国に移住している人々は世界に多い。自国系の住民の保護を理由に他国に侵攻することが正当化されると、ロシアに限らず欧州各国や中国、インド、トルコなど多くの国も他国に侵攻する「権利」があることになる。そうなった世界では各地で侵攻が起きかねない。日本も日系人の保護を掲げて侵攻できることになる。そういえばナチスドイツはドイツ系住民が居住するズデーデン地方の統合を主張し、併合を認めさせた歴史がある。

2022年12月28日水曜日

知らんけど

 「知らんけど」は、何かについて語った人が最後に、真偽には責任が持てないよーと身をかわすように付け加える言葉だ。大阪などから広まったというが、いつか全国でも頻繁に使われるようになり、さらにはニュース番組でも使われるようになったなら、将来予測に類するニュースでキャスターやアナウンサーはカメラから目線を外して、「知らんけど」と付け加えるかな。

 例えば、ロシアがウクライナで23年の早い時期に新たな攻勢を仕掛けるとし、2月か3月か、早ければ1月にも大規模なロシアの攻勢が始まるおそれがあり、ロシア軍が20万人程度の部隊の投入を準備しているとのウクライナ側が発信した情報を伝えたニュースでキャスターやアナウンサーは、ロシア軍の大規模な攻撃に対抗するためにウクライナは欧米各国に砲弾の提供を求めているらしいとしたが、最後に「知らんけど」とつぶやく。

 国連機関は、各国の排出削減計画を積み上げても30年の排出は10年比で10.6%増えるとし、気温上昇を1.5度に抑えるなら45%減、2度なら25%減とする「パリ協定」の目標の達成が難しいとした。ウクライナ危機で天然ガスや石炭など化石燃料への回帰が起き、各国が目標通り温暖化ガスの排出を抑えても、30年の世界の排出量は52.4ギガトンと10年比で10.6%増えるらしいと説明したニュースの最後に、「知らんけど」と付け加える。

 中国政府はゼロコロナ政策を急に撤廃したが、都市以外にも全国で感染拡大が生じているという。撤廃以前から感染拡大が起きていて、それが表面化しただけだとの見方もあるが、労働者間の感染拡大で製造業など企業活動への影響が大きく、感染拡大が続くなら中国で人口14億人強の6割が感染する可能性があるらしいとし、人々は解熱剤や鎮痛薬や抗原検査キットの購入に懸命だと報じた後に、「知らんけど」と述べる。

 マイナンバーカードと一体化した保険証を利用するには、医療機関が新たなシステムを23年3月末までに導入する必要があるが、必要なシステムを導入していない医療機関が約6割もあって、厚労省は期限を延長するという。一方で厚労省は、マイナンバー保険証が使える医療機関で、従来の保険証を使う患者の負担を引き上げるらしいと伝えた後で、「知らんけど」と付け加える。

 天気予報でも、「明日の東京は雨になるらしいです、知らんけど」とか「再び冬型の気圧配置が強まり、北日本から西日本の日本海側を中心に大荒れの天気となる恐れがあるようです、知らんけど」とか、台風の進路予測などを説明した最後にお天気キャスターは「知らんけど」と小さくつぶやく。健康食品のテレビやネットのCMでは、「個人の感想です」と小さく書いてあるのに続けて、もっと小さな字で「知らんけど」と表示する。

 「知らんけど」は政界でも頻繁に使われるようになり、例えば、国家予算が年々膨張する日本で、税収増加の裏付けはなくても「国債を増発すればいい」の繰り返しが続くが、無理やり抑え続けてきた長期金利が上がれば、途端に借金で首が回らなくなる。政治家や高級官僚らは、心の中で「知らんけど」と呟き続けている。

2022年12月24日土曜日

杉田玄白の墓

 東京南部にある品川神社の境内に富士塚があり、その山頂からは東京湾へと続く街並みを見渡すことができる。神社の横手には板垣退助の墓がある。神社に墓地が併設されているわけではなく、板垣退助の墓は東海寺塔頭の高源院の墓地にあったが、関東大震災後に高源院が移転して墓だけが残ったという。

 板垣退助は土佐藩士で戊辰戦争では土佐藩軍を率いて転戦した後、新政府の参議になったが、征韓論を主張して敗れて参議を辞した。その後、国会の開設を求めて自由民権運動に邁進し、創設した自由党の総理に就任して全国遊説を行った。岐阜で演説中に刺客に襲われて負傷、その時に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったと伝わる。この言葉は板垣の墓の横の石碑に刻まれている。

 東海寺は江戸時代に創建された臨済宗大徳寺派の寺院で、かつては4万坪の広大な寺域を有していた。三代将軍の徳川家光が沢庵宗彭を招いて創建した寺院で、明治維新で廃寺となったが、塔頭の玄性院が寺号を引き継いだ。沢庵宗彭の墓は現在の東海寺と少し離れた場所にある大山墓地にあり、東京発の東海道新幹線の車窓からチラと見ることができる。近くには賀茂真淵の墓もある。

 沢庵宗彭は73歳で没したが、死ぬ間際に「私はぼろをまとった一介の僧に過ぎない。すでに荒野に捨てた身。自分の葬式はするな。香典は一切もらうな。死骸は夜間に密かに担ぎ出し、後山に深く埋めて墓をつくるな。二度と参るな。朝廷から禅師号を受けるな。位牌をつくるな。法事をするな。伝記や年譜を記すな。肖像画も無用」と言ったという。この言葉は悟りの境地によるものか、個人の性格によるものか不明だ。

 東京都港区にある愛宕山は自然にできた山で標高は25.7m。山頂には愛宕神社やNHK放送博物館などがあり、急勾配の石段は「出世の石段」と呼ばれ、江戸時代に曲垣平九郎が馬で駆け上って名をあげたことが講談などで語られる。愛宕山を貫く愛宕トンネルの虎ノ門側に栄閑院があり、そこに杉田玄白の墓がある。

 杉田玄白は若狭小浜藩の藩医。「前野良沢、中川淳庵とともに、江戸小塚原で行われた刑死体の解剖に立ち会ったとき、持参していたオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』の解剖図の正確さに驚き、翻訳を決意し、『解体新書』を完成」させた(小浜市の関連サイト)。また、辞書がないころの翻訳の様子や苦心譚などを82歳のときに書いた『蘭学事始』がある。

 ぶらぶらと街歩きしている時に、歴史を想起させる痕跡などに遭遇すると「へえ〜、ここに@@があったんだ」などと小さな発見が嬉しい。教科書や歴史書でだけ知っていた人物を身近に感じたりする。目的を決めず、アプリなどにも頼らずに、ぶらぶらする街歩きの楽しみは小さな発見にある。江戸時代や明治時代から人々が暮らしていた場所には歴史の痕跡がそこここに潜んでいる。

2022年12月21日水曜日

個別事例と全体像

 例えば、何かの感染症により体調不良を訴え、病院に搬送される人が増えているとし、懸命に治療に当たる病院の人々を映像で紹介するニュースは珍しくない。そうしたニュースで各地の感染者数や重症者数、死亡者数などが同時に示されるなら、視聴者は感染症の広がりの全体像と、懸命に治療にあたる病院での個別事例の両方を知ることができる。

 だが、個別の具体例だけが紹介され、全体像については示されないニュースは珍しくない。視聴者がうっかり、そうしたニュースで伝えられる個別事例が全体像を示していると誤解すると、ニュースが伝える個別事例が各地で発生していると受け止めたりする。ニュースが伝える個別事例が事実だとしても、連想される全体像が事実とは限らない。

 ニュースが伝える個別事例では悲惨さや深刻さなどが強調される。そうした構成が視聴者に強く訴えると想定しているらしく、ナレーションも重々しく視聴者の感情を揺さぶる口調になったりする。ニュースが伝える悲惨さや深刻さは、感情に動かされやすい視聴者に有効に作用するだろう。感情に訴えるニュースには注意が必要だ。

 個別事例と全体像の混同は、全体像が明確でない場合に生じる。例えば、悲惨な交通事故を報じるニュースは個別事例を伝えているが、全ての交通事故が同様であるとはいえない。交通事故が悲惨であることは確かだが、個別の事故の状況は様々であり、全ての事故がニュースが伝えた事故と同様とはいえまい。そのことを視聴者は知っているから、悲惨な個別の事故のニュースに接しても、その個別事例が全体像を示すとは認識しない。

 個別事例を視聴者に全体像だと認識させようと報道することは、世界でも行われている。紛争などで戦闘に巻き込まれたり、難民になった子供の写真を積極的に配信することを欧州メディアなどが積極的に行う。そうした同情を集めそうな写真は個別事例だが、全体像を象徴的に示す写真として扱われ、個別事例のイメージで全体像を塗りつぶすことに役立つ。その全体像はメディアが強調したいイメージ通りに構築される。

 悲惨さや深刻さなどを強調した個別事例を報じるニュースは、視聴者を感情的に揺さぶり、誘導することに効果的だ。淡々と事実だけを伝えるニュースより、悲惨さや深刻さを強調するニュースのほうが視聴者を誘導しやすい。さらに、限られた取材でつかんだネタを優先するために、取材した個別事例を強調して報じることは珍しくない。

 不安を煽るニュースは注目度が高いだろうから、ニュース報道の演出では視聴者の不安を煽る文言が多用される。悲惨で深刻な個別事例は視聴者の不安を煽る具体例ともなり、不安に駆られた視聴者は浮き足立ち、全体像の把握などに気が回らないだろう。ニュースは見るときに多くの人は受け身であり、ニュースを受け入れるだけで、個別事例と全体像の峻別など気にしないだろう。

2022年12月17日土曜日

カウントされない感染者

 日本は感染拡大の第8波の中にあり、新規感染者数が10万人を超す日は珍しくなく、死者数も200人台/日が続いている。累計の感染者数は2669万3664人、死者数は5万2868人に達した(12月15日現在。以下同)。ウイズ・コロナ政策に転換せざるを得ないとの共通認識が広がったのか、厳しい行動制限を求める声は少なく、テレビや新聞などは感染拡大のトップニュース扱いをやめた。

 日本人の5人に1人以上が感染した計算で、死者数も多く出ているのだが、社会は平静を保っていると見える。累計感染者数が100万人を超えたのは東京372万人(累計死者数6458人)、大阪239万人(6895人)、神奈川183万人(3352人)、愛知169万人(3274人)、埼玉147万人(2743人)、福岡124万人(2153人)、兵庫118万人(3069人)、千葉117万人(2824人)、北海道116万人(3710人)。

 欧米をはじめ世界ではウイズ・コロナ政策に転換した国が多く、マスクを人々が着用しなくなった国も多い。だが世界の累計感染者数は6億5108万人、累計死者数665万人と感染が終息する気配はない(感染者の統計対象を変更した国もあるというので、国際的な統計の正確さは損なわれている)。

 累計感染者数の最多は米国で9968万人(109万人)、次いでインド4468万人(53万人)、フランス3889万人(16万人)、ドイツ3691万人(16万人)、ブラジル3575万人(69万人)、韓国2800万人(3万人)、イタリア2471万人(18万人)、英国2428万人(21万人)など。日本より累計感染者数が多い国でもウイズ・コロナ政策に転換するなど、新型コロナウイルスの根絶は見込めないと各国は判断している。

 中国は公式発表で累計感染者数189万人、累計死者数5235人としている(だが、中国での感染拡大の実態を公式発表の数字は反映していないと見られている)。中国では大規模なPCR検査を人々に強制することで無症状や軽症の感染者を見つけ出し、強制的に隔離することで感染拡大を封じ込め、欧米諸国などに比較して中国のゼロコロナ政策は成功していると誇ってきた。

 だが中国は急速に従来のゼロコロナ政策を修正し、大規模なPCR検査をやめ、人々に頻繁に陰性証明を求めることもやめた。大規模なPCR検査をやめたので無症状や軽症の感染者を見つけ出すことができなくなったので、とうとう無症状の感染者数の公表をやめたと政府は表明せざるを得なくなった。理由を「正確に実際の数を把握できないため」としたが、これから中国政府の発表する統計が実態を正確に反映するようになるのなら慶賀の至りだな。

 PCR検査をやめたので中国が発表する感染者数は減るだろうが、感染拡大の実態は不明だ。病院に発熱者が詰めかけ、薬局に抗原検査キットや風邪薬、解熱剤などを求める人々が列をなしていると報じられた。中国政府のゼロコロナ政策もウイズコロナ政策も人々が信頼していないとすれば、人々は自衛策に頼るしかない。

2022年12月14日水曜日

互いに特別軍事作戦

 ロシアは今回のウクライナ侵攻を特別軍事作戦と称している。ウクライナ国内において現実に行われているのはロシア軍とウクライナ軍の戦闘であり、実態は戦争なのだが、ロシアは特別軍事作戦とする。戦争と特別軍事作戦の違いをロシアは説明していない。

 ロシアは、ウクライナのNATO加盟を阻止することやウクライナ西部におけるロシア系住民の保護を特別軍事作戦の目的だとする。国連が容認する戦争は①侵略に対する自衛戦争、②国連決議を得た軍事行動ーだけなので、ロシアはウクライナ侵攻を戦争と呼ぶことができないのかもしれない(ロシア国内で戦時体制を宣言しないためだとの説もある)。

 ウクライナの占領を目的にしていないとロシアは主張したが、ウクライナ侵攻を開始した直後のロシア軍の行動は首都キーフを陥落させる目的だったことは明らかだ。だが、それは失敗し、ロシアはウクライナ全土の占領を諦めざるを得ず、ウクライナ南西部の占領に戦略転換したと見える。だが、ウクライナ軍の攻勢に耐えているのがロシア軍の現状のようだ。

 ロシアはウクライナとは民族的に「近い」ことも主張していて、スラブ民族の大帝国(=ロシア帝国)の復活を目論んでいるとも映る。特別軍事作戦がロシアから離れた旧ソ連構成国の「回収」を意図するものならば、ウクライナ侵攻もロシアにとっては、独立国間の戦争ではなく、一種の内戦だと位置づけられる。

 12月初旬、ロシア領内のモスクワ近郊などにある2カ所の空軍基地や石油貯蔵施設がドローンによる攻撃を受けた。ウクライナ軍によるロシアへのドローン攻撃と見られ、ウクライナ外相は「ロシアがウクライナで何をしてもよい一方で、ウクライナには同様の権利がないという考え方は道義的にも軍事的にも誤りだ」と述べ、ウクライナ軍はロシア領内を攻撃する権利があると主張したと報じられた。

 ウクライナはロシア帝国内の部分ではなく、ロシアとは別の独立国であるとの意識を持っているだろうから、今回のロシア領内に対する攻撃はウクライナからは戦争における行為だろう。だが、特別軍事作戦を行っているロシアにとっては、ウクライア軍のロシア領内に対する攻撃は戦争ではなくウクライナから特別軍事作戦をやられたことになる。

 戦争とは違うというロシアの特別軍事作戦において、ウクライナでは多数の死傷者が確認され、ロシア軍においても死傷者数は相当になると報じられる。補給の軽視や作戦立案の稚拙さを露呈したロシア軍にとってウクライナにおける特別軍事作戦は、当初の目論見通りに現実は進行しないという貴重な経験をもたらした。「失敗」から教訓を得ることができれば今回の特別軍事作戦はロシアにとって意味あるものとなるだろう。

2022年12月10日土曜日

アナキストZXを悼む

 若い頃から「俺は野垂れ死ぬ」と公言していたZXよ。病室で家族に看取られて亡くなったことは、さて、無念だったのか、満足だったのか。病によって思うような活動ができなくなったと聞いたのは4年前だった。弱った姿を見られたくなかったのか同志や友人らの前から姿を消し、入院したことも知られていなかった。

 「野垂れ死ぬ」と言い続けながら何てざまだなどとは言わない。アナキストを自称し、公然と非公然とを問わずに内外の多くの活動に関わっていたというZXには、いつ撃たれてもいい、どこで野垂れ死んでもいいとの覚悟があったに違いない。アナキストを自称することは誰にでもできるが、アナキストとして生きることは気軽にできることではない。

 アナキストであることと野垂れ死の関係に必然性はないだろうから、野垂れ死を公言していたのは彼流の美学だった気配もある。国家権力とともに世間の常識をも否定の対象にすることを好んでいたZXだから、現代では忌避されるだろう野垂れ死を公言することが独自性の強調ともなっていたか。

 ただ、本気で野垂れ死を望んでいたとしても、人生は思うようにはいかないものだし、計算違いは人生にはつきものだ。野垂れ死ぬことができなかったとしてもZXの人生が否定されるわけではない。アナキストとしてのZXの活動については詳しく知らないが、ウイットとユーモアに富む会話をZXと楽しんだのは私だけではないだろう。

 坂本龍馬が「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」と言ったというのは司馬遼太郎の創作らしいが、ZXの「野垂れ死ぬ」も、自分の死に方ではなく自分の生き方を主張した言葉だろう。死に方で個性で主張しても、死んだ当人が得るものは死後の名声になる……はずもない。

 どう死ぬかをZXが真剣に考えていたわけではなく、不正や不平等などが横行する矛盾だらけの世の中を変えるために生きる意気を示したのだ。国家権力の廃止や個人の自由が「完全」に実現する社会を目指しても、そんな世界になる見通しは乏しい。アナキストとして生きることは、果てることなく続く闘争の場に立ち続けることであり、ZXは闘争の中で死ぬ覚悟を「野垂れ死」と表現したのだ。

 ZXよ、君の闘いは終わった。闘争の場に立ち続け、病に倒れたからといって君の闘いの価値が減じることはなく、アナキストとしての一つの生き方を全うした。「帝力、なんぞ我にあらんや」と信条としてのアナキズムは多くの人が持つだろうが、アナキストとして、それも公然とアナキストを主張して生きるのは、ひよわることが許されないという縛りを招く。君はアナキストとして生き、アナキストとして死んだ。

2022年12月7日水曜日

はて、面妖な

 忍者が出てくる昔の時代劇映画では、忍者の術による怪異な現象に遭遇した武士などが首を傾げて、「はて、面妖な」とつぶやくシーンがあった。空中に人影が現れたり、追い詰めたと思った相手が忽然と消えたり、夜の闇の中に浮かぶ火が現れたりと、それまでの常識では理解できない事態に直面して、警戒しつつ判断に困る時に使うセリフだ。

 面妖とは「まれなこと。奇怪なこと。不思議なこと。怪しいこと。不可解なこと」とされる。忍者の術だけが面妖な事態を出現させるわけではないので、現代でも面妖な事態は世界各地で出現し、人々は困惑する。科学の知識が発展・普及した現代における面妖は「まれなこと。奇怪なこと。不可解なこと」と感じる事態に対して使うのが適しているかもしれない。

 欧州で相次いでいる美術館での名画に液体などを浴びせたり、手などを接着剤で名画の横に貼りつけるなどの環境活動家の行為は現代の「はて、面妖な」出来事だな。化石燃料の新規開発停止など直ちに対策を講じて気候「崩壊」を食いとめろーとのアピールが狙いだと報じられている。どうやら、気候変動の危機なるものを切実に感じている人々が社会に問題提起するために名画をターゲットにしたらしい。

 オーストリアではクリムトの「死と生」に黒い液体が浴びせられ、英国ではゴッホの「ひまわり」にトマトスープが投げつけられ、オランダではフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」にスープがかけられ、ドイツではモネの「積みわら」にマッシュポテトが投げつけられ、さらには環境活動家が座り込んだりして各地で道路や橋が封鎖された。

 それらの行為を環境活動団体は「地球は死に瀕している。手荒な手段もやむをえない」とか「美しく貴重なものが目の前で破壊されるのを見たときの憤りを、地球が破壊されるのを見た時に同じように感じませんか 」とか「化石燃料で私たちの世界を破壊し続けるのか。決断は今しなくてはならない」とか「石油とガスの新規掘削は人類に対する死刑宣告だ」などと正当化する。

 気候変動の危機の感じ方はさまざまで人によって大きく異なるだろう。過激な環境活動家は彼らの危機感で過激な行動を正当化するが、行動で化石燃料の新規開発を停止させたいのなら、関連する企業や組織、行政機関などに対して抗議活動をするのが当然と見える。だが、名画を狙ったり、道路に座り込んだりする。世論を動かす狙いだろうが、名画に液体をかける行為の面妖さが際立った。

 環境活動団体のスポンサーは米国の富豪で、各国の環境活動団体の連携する活動を多額の資金で支えていると報じられた。どうやら名画を襲った過激な環境活動家は富豪のマネーに操られているらしい。現代では忍者の術ではなく巨額のマネーが引き起こす現象に直面して、奇怪で不可解で「はて、面妖な」と我々は首を傾げる。

2022年12月3日土曜日

変質した革命

 中国の各地で、コロナウイルス対策によるロックダウンなどに抗議する動きが発生し、中には共産党の独裁統治を批判する声も上がったと報じられた。ちょうど、習近平氏の個人独裁が固まりつつあると見られるタイミングで、人々が不満や批判を行動で示し始めた。独裁する権力が人々に妥協するには限度があるだろうから、融和策とともにいっそうの締め付け強化が行われる可能性がある。

 さて、中国共産党が独裁統治をいつまで続けることができるのかは不明だが、未来永劫に続けることができるものでもあるまい。共産党の統治に民意が素早く反映されるようになるとともに経済成長が続くなら、共産党の独裁統治はしばらく続くだろうが、強権で人々を抑圧し続けるとともに高度経済成長が終わったなら、人々の不満は蓄積する。

 中国共産党の独裁統治の終わり方は、いくつか考えられる。穏やかなパターンは①中国共産党の独裁が続くが、共産党が変質し、社会的には自由度が増す、②自由選挙が導入され、共産党が下野するーなどだ。共産党の既得権益が維持されるのなら共産党&党員は変化を受け入れるだろうが、下野した共産党の過去の所業は厳しく検証されるだろうから、共産党は厳しい立場に立たされよう。

 急激なパターンは①人々の不満の受け皿がなく、人々の不満が暴発して共産党が打倒される、②共産党内で路線対立が高まり、分裂する、③軍が権力を掌握するーなどだ。いずれも共産党の1党独裁統治は終焉し、長く続いた独裁統治の検証が避けられず、独裁統治に対する揺り戻しが起きて社会は混乱する。

 中国の未来は中国の人々が決めるべきだが、共産党の独裁統治によって人々は中国の未来を決めることができない。中国の人々が、おとなしく従っている間は共産党の独裁統治は続くだろうが、今回の各地での人々の抗議は、人々が時には声を上げることを示した。共産党の独裁統治が強権により人々を抑圧することに支えられているとすれば、天安門事件のように流血を伴う弾圧は繰り返されよう。

 革命戦争を戦った世代は、勝利して築いた革命体制を守るために革命体制の批判者らの流血を厭わないとの説がある。戦場に倒れた同志の死に報いるために流血を厭わず革命体制を守るという見方だ。今の共産党の幹部は革命戦争を実際に戦った世代ではない。おそらく今の共産党の幹部には革命体制は所与の体制で、死んだ同志に対する負い目といった気持ちはないだろう。

 戦場に倒れた同志が夢見た中国の革命は変質した。中国は、共産党の幹部とそれに関係する人々が特権階級化し、労働者らへの凄まじい収奪により輸出立国となって経済成長した。革命体制に歴史的な意義があったとしても、その歴史的使命はとうに終わっている。戦場に倒れた同志の死の意味を真剣に考えたなら、人民に君臨する革命体制(=共産党の1党独裁)を必死に維持することの愚かさが見えてくるだろう。