2020年の米国大統領選挙に向けバーニー・サンダース上院議員が出馬を表明した。サンダース氏は16年の前回選挙では、国民皆保険や最低賃金引き上げ、公立大学の授業料廃止などを打ち出し、若者らの支持を集めた。その影響もあって民主党の政治スタンスが左寄りになったとされる。
英労働党のジェレミー・コービン党首は民主社会主義者とされ、大学授業料の無料化や低賃金労働の廃止、鉄道などの再国有化、核兵器廃絶、企業の税金逃れ対策強化、削減された福祉予算の増額などを掲げ、若者らの支持を集め、17年の総選挙で労働党の議席を回復、与党の保守党は過半数割れした。
この2人に共通するのは、格差が拡大するとともに企業が強くなりすぎた経済における国家の役割を回復させ、“持たざる者”への配慮を重視していることだ。現実社会の矛盾に敏感で政治不信が強い若者には、社会に公正さや相互扶助、共生などを回復させる政策と見えようから、支持が集まるのも理解できる。英国の総選挙では若者の投票率が大幅に増加した。
世界は今、強者が跋扈する市場経済に覆われている。社会主義や共産主義の「脅威」が消え、共産党が独裁する中国も実態は権力と資本が結びついた市場経済で、人々は管理・収奪される対象でしかない。現在の市場経済の問題は、平等が軽視されすぎ、公正な社会を実現するための国家の果たす役割が市場から攻撃されることだ。
サンダース氏やコービン氏の政策は目新しいものではない。企業よりも国家の主導権を強め、“持たざる”人々に対する配慮を重視する政策は、いつの時代でも多くの人々が支持するだろうが、そうした政策が世界であまりにも軽んじられるようになった。それで2人の政策が若者らには斬新に見えるのかもしれない。
市場よりも社会的な公正を重視する政策は古い社会主義の延長にも見え、若者らの支持を集める2人は1周遅れのトップランナーなのか。だが、強者が跋扈する市場経済に覆われた現在の世界で、人々から求められている政策であるなら、社会に存在する問題や矛盾が古い時代と変わっていないことを示す。
21世紀の社会主義的な政策が20世紀のそれと変わっていないということは、人間社会が「進歩」していないことを示す。そもそも人間社会に、変化はあっても進歩は乏しいのかもしれないが、欲望(強欲)が社会を動かすことも昔から変わらないとすれば、社会主義的政策はいつの時代でも人々から求められるのかもしれない(同時に、いつの時代でも人々の欲望に負ける、か)。
2019年2月27日水曜日
2019年2月23日土曜日
バックストップ
バックストップ(backstop)とは①野球場などのバックネット、②野球の捕手やアイスホッケーなどのゴールキーパー。そこから「最後の守り手」に喩えられる。この言葉が、EU離脱の日が迫る英国で、英国をEUに実質的につなぎとめておくことを意味するとしてEU離脱派などが反発、混乱を大きくしている。
英領の北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの間に、英国のEU離脱により「国境」が復活し、人やモノなどの越境に対する管理も復活する。北アイルランド内には反英勢力が存在するので、対立抗争を再燃させないためには、北アイルランドとアイルランドの境界をオープンにしておくことが必要だ。
北アイルランドだけをEUに留めることは、EUを離脱した英国からの実質的な分離となるので英国は認めることができない。それで、EU離脱後の移行期間にEUと包括的な通商協定をまとめられなかった場合、アイルランド国境は開放されたままで、英国もEUの関税同盟に残る条項を離脱協定案に入れた。これがバックストップ。
この案は英国議会で否決された。反対した議員たちは、離脱後も英国がEUの関税同盟内にいつまでも閉じ込められるとする。英国政府もEUもバックストップは一時的な措置だと強調するが、北アイルランドとアイルランドの境界の管理をどうするのか具体策は出てこない。
英国政府はまた、EU離脱後の移行期間には従来の英・EU関係が維持されるし、その間に新たな通商協定がまとまればバックストップ条項は必要なくなると説明するが、新たな協定の内容はもちろん、協定がまとまるかどうかも確かではない。
英国とEUは協定なしのハード・ブレグジット(英国が統一市場と関税同盟から離脱し、EU諸国からの移民を制限)に突き進んでいるように見える。英国は国内が分裂し、共同体維持のためにEUは離脱する英国に甘い対応はできない。双方ともに妥協の余地がほとんどない気配だが、離脱予定日までまだ1カ月ある。
別れても縁を切ることができない関係というのは厄介だ。英国はEU離脱後もEUやEU諸国と政治や経済などの関係を断つことはできず、つき合って行かざるを得ない。EUと別れると決めたときに英国には高揚感があったように見えたが、具体的な条件交渉が進むにつれて徒労感が目立ってきたようだ。
英領の北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの間に、英国のEU離脱により「国境」が復活し、人やモノなどの越境に対する管理も復活する。北アイルランド内には反英勢力が存在するので、対立抗争を再燃させないためには、北アイルランドとアイルランドの境界をオープンにしておくことが必要だ。
北アイルランドだけをEUに留めることは、EUを離脱した英国からの実質的な分離となるので英国は認めることができない。それで、EU離脱後の移行期間にEUと包括的な通商協定をまとめられなかった場合、アイルランド国境は開放されたままで、英国もEUの関税同盟に残る条項を離脱協定案に入れた。これがバックストップ。
この案は英国議会で否決された。反対した議員たちは、離脱後も英国がEUの関税同盟内にいつまでも閉じ込められるとする。英国政府もEUもバックストップは一時的な措置だと強調するが、北アイルランドとアイルランドの境界の管理をどうするのか具体策は出てこない。
英国政府はまた、EU離脱後の移行期間には従来の英・EU関係が維持されるし、その間に新たな通商協定がまとまればバックストップ条項は必要なくなると説明するが、新たな協定の内容はもちろん、協定がまとまるかどうかも確かではない。
英国とEUは協定なしのハード・ブレグジット(英国が統一市場と関税同盟から離脱し、EU諸国からの移民を制限)に突き進んでいるように見える。英国は国内が分裂し、共同体維持のためにEUは離脱する英国に甘い対応はできない。双方ともに妥協の余地がほとんどない気配だが、離脱予定日までまだ1カ月ある。
別れても縁を切ることができない関係というのは厄介だ。英国はEU離脱後もEUやEU諸国と政治や経済などの関係を断つことはできず、つき合って行かざるを得ない。EUと別れると決めたときに英国には高揚感があったように見えたが、具体的な条件交渉が進むにつれて徒労感が目立ってきたようだ。
2019年2月20日水曜日
壁の効用
米トランプ大統領は、メキシコ国境の壁の建設資金を議会の承認を経ずに確保するため、国家非常事態を宣言した。予算の中から約81億ドルをかき集めて壁の建設を進めるという。国家予算の使い方は議会で決めるのが民主主義の原則の一つだが、非常事態だからとして政府の判断で予算の使い方を変更する。
武力による侵攻を受けたり、大規模な災害や事故が発生したなら非常事態だとの認識は共有されやすいだろう。だが、「不法移民や違法薬物の流入を阻止するため」と主張しても、①国境の壁建設で抑制効果があるのか、②なぜ今なのか、③大統領の権限行使として正しいのか、などの疑念が出て、非常事態であるとの認識が政治性を帯びてしまった。
壁は境界を示す。地図上に国境などがあっても、現実空間に遮蔽するものがなければ抽象的な境界でしかない。壁を構築することで、第一に、「こちら側」と「あちら側」を可視化する効果がある。第二に、境界での交通・流通を遮断・管理することが、より容易になる。第三に、「こちら側」への侵入を許さず拒否するという意思を明確化する。
国境の壁は国家権力が構築するものだが、個人でも壁や柵を建てて自宅の敷地や農地などを囲う人は多い。所有権などを可視化するとともに、他人などの勝手な侵入を拒否することを示す。だが、壁や柵があっても、盗みなどの目的で入ってくる人を防ぐことはできない。
壁は、その境界内に生きる人々の意識の開放性ではなく、閉じこもろうとする閉鎖性を示す。閉鎖的だから悪いというわけではないが、閉鎖性が周囲に対する不信感や警戒感、敵愾心などの現れであるなら、壁は「あちら側」からは拒絶の象徴に見えるだろう。
壁を構築することで守られるものは何か。ベルリンの壁により東独は自国住民の西側への亡命を抑制した。イスラエルはヨルダン川西岸地区に高さ8mの分離壁を建設し、入植者を囲った。どちらも国際的には批判されたが、それぞれの国内では政府の治安維持「努力」の可視化であった。
壁には物理的な壁のほかに、中国が構築しているというインターネットの国外との接続を制限(時には遮断)する壁もある。こちらも政府の治安維持のために効果があるとされる。見えないが存在する壁も国家だけではなく個人にもあって、何らかの行動に踏み切ることを阻害したりもする。
トランプ氏が欲するメキシコ国境の壁の最大の課題は、不法移民や違法薬物の流入を抑制できるのか客観的な効用が明確でないことだが、トランプ氏は批判や異論などをはねつけ、主張を貫く。トランプ氏の心に構築されている壁は強固で、外部からの意見や助言などが入ることを拒んでいる。トランプ氏の心の壁はメキシコ国境の壁より機能しているようだ。
武力による侵攻を受けたり、大規模な災害や事故が発生したなら非常事態だとの認識は共有されやすいだろう。だが、「不法移民や違法薬物の流入を阻止するため」と主張しても、①国境の壁建設で抑制効果があるのか、②なぜ今なのか、③大統領の権限行使として正しいのか、などの疑念が出て、非常事態であるとの認識が政治性を帯びてしまった。
壁は境界を示す。地図上に国境などがあっても、現実空間に遮蔽するものがなければ抽象的な境界でしかない。壁を構築することで、第一に、「こちら側」と「あちら側」を可視化する効果がある。第二に、境界での交通・流通を遮断・管理することが、より容易になる。第三に、「こちら側」への侵入を許さず拒否するという意思を明確化する。
国境の壁は国家権力が構築するものだが、個人でも壁や柵を建てて自宅の敷地や農地などを囲う人は多い。所有権などを可視化するとともに、他人などの勝手な侵入を拒否することを示す。だが、壁や柵があっても、盗みなどの目的で入ってくる人を防ぐことはできない。
壁は、その境界内に生きる人々の意識の開放性ではなく、閉じこもろうとする閉鎖性を示す。閉鎖的だから悪いというわけではないが、閉鎖性が周囲に対する不信感や警戒感、敵愾心などの現れであるなら、壁は「あちら側」からは拒絶の象徴に見えるだろう。
壁を構築することで守られるものは何か。ベルリンの壁により東独は自国住民の西側への亡命を抑制した。イスラエルはヨルダン川西岸地区に高さ8mの分離壁を建設し、入植者を囲った。どちらも国際的には批判されたが、それぞれの国内では政府の治安維持「努力」の可視化であった。
壁には物理的な壁のほかに、中国が構築しているというインターネットの国外との接続を制限(時には遮断)する壁もある。こちらも政府の治安維持のために効果があるとされる。見えないが存在する壁も国家だけではなく個人にもあって、何らかの行動に踏み切ることを阻害したりもする。
トランプ氏が欲するメキシコ国境の壁の最大の課題は、不法移民や違法薬物の流入を抑制できるのか客観的な効用が明確でないことだが、トランプ氏は批判や異論などをはねつけ、主張を貫く。トランプ氏の心に構築されている壁は強固で、外部からの意見や助言などが入ることを拒んでいる。トランプ氏の心の壁はメキシコ国境の壁より機能しているようだ。
2019年2月16日土曜日
鎌倉リアリズムは何を意味するか
鎌倉リアリズムという彫刻様式が生まれた背景には、平安末期の戦乱のあと多くの大寺院が再建事業に乗り出し、仏像制作における技術的洗練が進み、仏師たちが身体の革新的な表現に取り組んだことなどがあるする加藤周一氏(『日本その心とかたち』)。詳しく見てみる。
芸術における「様式における革新は有力な様式を否定し、もっと前の時代の様式との親和性を見せるもの」「この意味で鎌倉時代の仏師は革新的だったのであり、天平時代の様式の復興を目指したのだった」。
「技術的洗練は、平安初期から鎌倉初期にさらに進んだ」「玉眼によって眼のさまざまな表情が生まれ、たとえば鋭い眼光や凝視の表情などを表現するのにきわめて効果的であった」「日本の木彫技術は、細部の扱いにおいて、この時代に最高の水準に達した」とする。
「鎌倉時代の仏師たちがめざしたのは、天平仏の立体感と人間の身体の理想化である。その過程において、正面性の強調から立体的造形へ、やせた硬い体から豊かで柔軟性のある身体へ、身体を覆い隠す衣から微妙に身体を想像させる衣の襞の表現へと特徴は移行した」
「身体の理想化は仏像の種類によって違う」「如来や菩薩の像において理想化のめざすところは、穏やかで整った顔、豊かで柔軟性があって均整のとれた身体である」「これらの像は基本的に静的で優美であり、穏やかな永遠性をたたえている。身体各部の均整において各像は人間的であるけれども、それらは、感覚的世界(色界)や感情の起伏(欲界)を超えた存在の超越性を表している」
東大寺南大門の仁王像の「筋骨隆々たる表現は、基本的にはその力の強さの誇示が目的」「この二体の立像は、人体にならいながらも人間をはるかに超える力を放射する、一種の超人となっているのだ」
「鎌倉時代の代表的な作品は、それが菩薩像であっても仁王像であっても、人間の身体から出発して人間を超える。仏像の人間化は、必ずしも現実の人間の写実ではなくて、むしろその『理想化』である。もし『理想化』と『リアリズム』とを対立概念と考えれば、この様式を『リアリズム』とよぶのは適切ではないだろう」「理想化されて人間を超える像は、時間の外に立つ。菩薩像が慈悲の表情をたたえ、仁王像が威圧するのは、慈悲や威圧がそれぞれの本質だからである」
芸術における「様式における革新は有力な様式を否定し、もっと前の時代の様式との親和性を見せるもの」「この意味で鎌倉時代の仏師は革新的だったのであり、天平時代の様式の復興を目指したのだった」。
「技術的洗練は、平安初期から鎌倉初期にさらに進んだ」「玉眼によって眼のさまざまな表情が生まれ、たとえば鋭い眼光や凝視の表情などを表現するのにきわめて効果的であった」「日本の木彫技術は、細部の扱いにおいて、この時代に最高の水準に達した」とする。
「鎌倉時代の仏師たちがめざしたのは、天平仏の立体感と人間の身体の理想化である。その過程において、正面性の強調から立体的造形へ、やせた硬い体から豊かで柔軟性のある身体へ、身体を覆い隠す衣から微妙に身体を想像させる衣の襞の表現へと特徴は移行した」
「身体の理想化は仏像の種類によって違う」「如来や菩薩の像において理想化のめざすところは、穏やかで整った顔、豊かで柔軟性があって均整のとれた身体である」「これらの像は基本的に静的で優美であり、穏やかな永遠性をたたえている。身体各部の均整において各像は人間的であるけれども、それらは、感覚的世界(色界)や感情の起伏(欲界)を超えた存在の超越性を表している」
東大寺南大門の仁王像の「筋骨隆々たる表現は、基本的にはその力の強さの誇示が目的」「この二体の立像は、人体にならいながらも人間をはるかに超える力を放射する、一種の超人となっているのだ」
「鎌倉時代の代表的な作品は、それが菩薩像であっても仁王像であっても、人間の身体から出発して人間を超える。仏像の人間化は、必ずしも現実の人間の写実ではなくて、むしろその『理想化』である。もし『理想化』と『リアリズム』とを対立概念と考えれば、この様式を『リアリズム』とよぶのは適切ではないだろう」「理想化されて人間を超える像は、時間の外に立つ。菩薩像が慈悲の表情をたたえ、仁王像が威圧するのは、慈悲や威圧がそれぞれの本質だからである」
2019年2月13日水曜日
沖縄の密貿易
鹿児島南部から大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島から台湾へとつながる列島は、太平洋と東シナ海を分ける。赤道付近から北上する黒潮は八重山列島付近を抜けて東シナ海に入り、列島に沿うように北東に流れ、トカラ海峡を抜けて日本列島南岸へと流れる。
地図で見ると沖縄は、海上交易の絶好地にある。実際に琉球王国時代には明や清、東南アジア各地、薩摩などを結ぶ東シナ海の中継貿易で栄えたという。その沖縄が海洋貿易で“輝き”を取り戻したのが、1946~51年の「ケーキ(景気)時代」だ。
沖縄は1945年の沖縄戦で戦場となり、地形が変わるほどの艦砲射撃(「鉄の暴風」といわれた)が米軍から加えられ、両軍と民間人合わせ20万人ともいう死者をだして沖縄は米軍に占領された。日本の敗戦後も米軍の沖縄支配は続いたが、米軍による沖縄本島以外の統治は後回しになり、台湾に近い与那国島でまず密貿易が公然と行われ、それが拡大して行った。
占領下の沖縄で密貿易が盛んになったのは、人々の自衛策でもあった。戦場となって破壊し尽くされ、配給物質も十分ではなく、貿易は制限された。めぼしい産業はなく、生活のため人々は、米軍キャンプから物資を盗み出し、それを船に積んで、台湾、香港、上海、南西諸島、鹿児島、神戸、和歌山など各地に出掛けて物々交換した。
そうした盛んだった密貿易の一断面を、夏子というボスを追いながら描いた労作が、奥野修司著「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(文春文庫)だ。著者が夏子の存在を知ってから、12年以上もかけて取材して書き上げた本だ。そんなに時間を要したのは、夏子に関しても密貿易に関しても、文字で書かれた資料が乏しく、当時を知る関係者から聞くしかないが、散り散りになった関係者は高齢化しており、探し当てても、密貿易には口が重かったりと取材が捗らなかったからだ。
海にはシケもあるし、台風もあるし、積み荷を狙う海賊もいたという。米軍の取り締まりも厳しくなったが、船が無事に戻り、積み荷をさばくと莫大な儲けになり、金はカマスに入れて積み上げていたというから、敗戦後の混乱が続く中で、一種の「冒険の時代でもあった」という著者の言葉にうなずきたくもなる。
この本により夏子の輪郭は見えてきたが、沖縄の密貿易に関する書物は他に1冊しかなく、その全体像が明らかになれば、日本、中国、東南アジアなどの人々の生活や経済と絡めて当時の東アジア世界が浮かび上がって来よう。国家が強くなり過ぎた現代の視点でのみ見るのとは異なる世界が海にはあり、人々はもっと自由に行き来していたはずだ。リスクは自分持ちで。
地図で見ると沖縄は、海上交易の絶好地にある。実際に琉球王国時代には明や清、東南アジア各地、薩摩などを結ぶ東シナ海の中継貿易で栄えたという。その沖縄が海洋貿易で“輝き”を取り戻したのが、1946~51年の「ケーキ(景気)時代」だ。
沖縄は1945年の沖縄戦で戦場となり、地形が変わるほどの艦砲射撃(「鉄の暴風」といわれた)が米軍から加えられ、両軍と民間人合わせ20万人ともいう死者をだして沖縄は米軍に占領された。日本の敗戦後も米軍の沖縄支配は続いたが、米軍による沖縄本島以外の統治は後回しになり、台湾に近い与那国島でまず密貿易が公然と行われ、それが拡大して行った。
占領下の沖縄で密貿易が盛んになったのは、人々の自衛策でもあった。戦場となって破壊し尽くされ、配給物質も十分ではなく、貿易は制限された。めぼしい産業はなく、生活のため人々は、米軍キャンプから物資を盗み出し、それを船に積んで、台湾、香港、上海、南西諸島、鹿児島、神戸、和歌山など各地に出掛けて物々交換した。
そうした盛んだった密貿易の一断面を、夏子というボスを追いながら描いた労作が、奥野修司著「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(文春文庫)だ。著者が夏子の存在を知ってから、12年以上もかけて取材して書き上げた本だ。そんなに時間を要したのは、夏子に関しても密貿易に関しても、文字で書かれた資料が乏しく、当時を知る関係者から聞くしかないが、散り散りになった関係者は高齢化しており、探し当てても、密貿易には口が重かったりと取材が捗らなかったからだ。
海にはシケもあるし、台風もあるし、積み荷を狙う海賊もいたという。米軍の取り締まりも厳しくなったが、船が無事に戻り、積み荷をさばくと莫大な儲けになり、金はカマスに入れて積み上げていたというから、敗戦後の混乱が続く中で、一種の「冒険の時代でもあった」という著者の言葉にうなずきたくもなる。
この本により夏子の輪郭は見えてきたが、沖縄の密貿易に関する書物は他に1冊しかなく、その全体像が明らかになれば、日本、中国、東南アジアなどの人々の生活や経済と絡めて当時の東アジア世界が浮かび上がって来よう。国家が強くなり過ぎた現代の視点でのみ見るのとは異なる世界が海にはあり、人々はもっと自由に行き来していたはずだ。リスクは自分持ちで。
2019年2月9日土曜日
趣味は革命
「俺の趣味は、革命だ」と言う友人がいる。といっても友人は、過激なセクトに加わっていたことはなく、世界のどこかで民族解放軍などに加わっていたこともなく、孤独なゲリラとして国内で活動していたわけでもない。銃はもちろん火炎瓶さえ手に持ったことがないと言う。
友人のやったことといえば、様々な世界の民族解放闘争に関する文章や歴史書などを読むことだけで、合法的な政治活動にさえ関わったことがないという。某大企業に長く務め、役員にはなれなかったものの相応の地位には上った友人は、「体制派」として見られる存在だろう。
そんな友人が「趣味は革命」と言うのは、革命を肯定し、革命に関する知識を深めることを楽しんでいるからだ。革命といっても共産革命は否定する。ソ連や中国が理想視されていた半世紀前には友人も共産革命に親近感を持ったこともあったが、革命後に誕生したのが全体主義的な体制であることを知り、幻滅した。「人民蜂起は支持するが、独裁はダメだ」と友人。
友人が肯定する革命は、フランス革命などのように、王権支配など特定層が権力を専有する体制を覆し、人民主権を実現した革命だ。多くの人々の血が流れたことではフランス革命などと共産革命は同じだが、権力を専有する支配層が入れ替わっただけの共産革命と、民主主義につながったフランス革命などとの違いは大きい。
「革命と一絡げにして否定するから日本では、民主主義が上滑りして色褪せる」と友人。独裁政治につながった共産革命は否定すべきだが、フランス革命などを肯定しなければ人民主権の根拠がなくなる。
民主主義につながった革命を肯定する友人は、「本気で政権を目指していない」日本の野党政治家に厳しい。革命の精神とは、自ら責任を負うことだとし、政治家や政党は政策を実現するため選挙で勝利して政権を担うことを最優先するべきだろうが、「彼らは激しい政権批判で存在感を出して自己満足している」だけだとする。
「趣味は革命だと言うと、たいていの人は警戒する」と友人。「民主主義を愛するから、革命を肯定する」と説明しても、「革命」の言葉に拒否反応を示す人は珍しくないそうだ。「民主主義の定義が曖昧なままの人が多いから、革命の意義を説いても理解してもらえない」と言う友人に、同好の人はまだ現れないそうだ。
友人のやったことといえば、様々な世界の民族解放闘争に関する文章や歴史書などを読むことだけで、合法的な政治活動にさえ関わったことがないという。某大企業に長く務め、役員にはなれなかったものの相応の地位には上った友人は、「体制派」として見られる存在だろう。
そんな友人が「趣味は革命」と言うのは、革命を肯定し、革命に関する知識を深めることを楽しんでいるからだ。革命といっても共産革命は否定する。ソ連や中国が理想視されていた半世紀前には友人も共産革命に親近感を持ったこともあったが、革命後に誕生したのが全体主義的な体制であることを知り、幻滅した。「人民蜂起は支持するが、独裁はダメだ」と友人。
友人が肯定する革命は、フランス革命などのように、王権支配など特定層が権力を専有する体制を覆し、人民主権を実現した革命だ。多くの人々の血が流れたことではフランス革命などと共産革命は同じだが、権力を専有する支配層が入れ替わっただけの共産革命と、民主主義につながったフランス革命などとの違いは大きい。
「革命と一絡げにして否定するから日本では、民主主義が上滑りして色褪せる」と友人。独裁政治につながった共産革命は否定すべきだが、フランス革命などを肯定しなければ人民主権の根拠がなくなる。
民主主義につながった革命を肯定する友人は、「本気で政権を目指していない」日本の野党政治家に厳しい。革命の精神とは、自ら責任を負うことだとし、政治家や政党は政策を実現するため選挙で勝利して政権を担うことを最優先するべきだろうが、「彼らは激しい政権批判で存在感を出して自己満足している」だけだとする。
「趣味は革命だと言うと、たいていの人は警戒する」と友人。「民主主義を愛するから、革命を肯定する」と説明しても、「革命」の言葉に拒否反応を示す人は珍しくないそうだ。「民主主義の定義が曖昧なままの人が多いから、革命の意義を説いても理解してもらえない」と言う友人に、同好の人はまだ現れないそうだ。
2019年2月6日水曜日
主張と説得
議会などの質疑で、質問者も答弁者も自己の主張を一方的に述べているだけという光景は珍しくない。対立を演出しているようにも見える。相手の主張をはねつけることが自己の主張の正しさを示すとか、相手の主張に理解を示すことは自己の主張を弱めるとでも考えているのか。
質疑で、自己の主張を一方的に述べるだけというのは、自己の主張が絶対的に正しいとの確信があるからとも見えるが、実際は政治的な妥協は、質疑でではなく政党間の交渉でなされてきた慣習に倣っているからだろう。つまり、主張で存在をアピールする場が質疑であるから、一方的に言い立てることが欠かせない。
互いに主張を言い立てることは、活発な議論であるかのように見えたりもするが、実態は立会演説会と変わらない。質疑に期待されるのは本来、課題に対して意見や主張を述べ合い、利害調整を行ったり、より良き解を見いだす場であることだろう。
質疑を本来の場にするためには、質問者も答弁者も自己の主張より、相手を説得することに重点を移すことが必要になる。主張では他者は聴衆でしかないが、説得では他者は自己の言葉を納得させ、理解や同意を得る対象となる。主張の言葉は自己の考えに忠実であればいいが、説得の言葉は相手の思考を刺激し、納得させる必要がある。
説得の場にするためには参加者に、第一に、何が問題なのか具体的な問題意識の共有が必要だ。第二に、その問題に関する事実関係を明らかにし、共有する(どういう問題が、どういう経緯で生じたか)。第三に、望ましい解決の方向を共有する(解決の方向は立場により異なる可能性があるが、最小限でも共有できる事項を見いだす)。
主張と説得では使う言葉が異なるだろう。主張には時には激しい非難の言葉や強く断言する言葉などが用いられるが、そうした言葉は説得には逆効果だろう。主張の言葉は相手に拒絶されても構わないものだろうが、説得の言葉は相手を動かすためのものだ。主張では正義は自分側にあると強調できようが、説得では正義は自分側の独占物ではない。
言葉で相手を動かす説得では、相手の考えや論理などを理解する必要がある。自分側の考えや論理との相違や、どこに接点があるかなどを知らずに相手を説得しようとしても、効果は限られよう。言葉を変えて言うなら、相手の考えや論理などを理解したくなければ、一方的な主張だけをしていればいい。そのほうが簡単で楽でもあるだろう。
質疑で、自己の主張を一方的に述べるだけというのは、自己の主張が絶対的に正しいとの確信があるからとも見えるが、実際は政治的な妥協は、質疑でではなく政党間の交渉でなされてきた慣習に倣っているからだろう。つまり、主張で存在をアピールする場が質疑であるから、一方的に言い立てることが欠かせない。
互いに主張を言い立てることは、活発な議論であるかのように見えたりもするが、実態は立会演説会と変わらない。質疑に期待されるのは本来、課題に対して意見や主張を述べ合い、利害調整を行ったり、より良き解を見いだす場であることだろう。
質疑を本来の場にするためには、質問者も答弁者も自己の主張より、相手を説得することに重点を移すことが必要になる。主張では他者は聴衆でしかないが、説得では他者は自己の言葉を納得させ、理解や同意を得る対象となる。主張の言葉は自己の考えに忠実であればいいが、説得の言葉は相手の思考を刺激し、納得させる必要がある。
説得の場にするためには参加者に、第一に、何が問題なのか具体的な問題意識の共有が必要だ。第二に、その問題に関する事実関係を明らかにし、共有する(どういう問題が、どういう経緯で生じたか)。第三に、望ましい解決の方向を共有する(解決の方向は立場により異なる可能性があるが、最小限でも共有できる事項を見いだす)。
主張と説得では使う言葉が異なるだろう。主張には時には激しい非難の言葉や強く断言する言葉などが用いられるが、そうした言葉は説得には逆効果だろう。主張の言葉は相手に拒絶されても構わないものだろうが、説得の言葉は相手を動かすためのものだ。主張では正義は自分側にあると強調できようが、説得では正義は自分側の独占物ではない。
言葉で相手を動かす説得では、相手の考えや論理などを理解する必要がある。自分側の考えや論理との相違や、どこに接点があるかなどを知らずに相手を説得しようとしても、効果は限られよう。言葉を変えて言うなら、相手の考えや論理などを理解したくなければ、一方的な主張だけをしていればいい。そのほうが簡単で楽でもあるだろう。
2019年2月2日土曜日
ニュースを仕掛ける
マイクロプラスチックによる海洋汚染の報道が欧米で目につくようになったと思っていたら、その種のニュースが増殖し、やがて日本でもメディアが熱心に報じるようになった。今や、マイクロプラスチックによる海洋汚染は、現代の人間社会における議論の余地なき問題で世界は早急に対応しなければならないとの雰囲気ができ上がった。
以前から廃棄物による海洋汚染は指摘されており、数カ国が対策を講じたとしても効果は限られるだろうから、多くの国が共同して対応しなければならない問題だろう。海洋面積は約3億6000万km2で、地球全体の約71%を占める。その海洋で廃棄物による汚染が悪化しているとすれば、確かに大きな問題だ。
だが、違和感を感じるのは、特定の問題を提起するニュースが欧米で急に増えて世論が誘導される結果になったことだ。廃棄物による海洋汚染は以前から指摘されていたのに、なぜ急速にクローズアップされたのか。世界における世論の喚起・誘導を狙った仕掛けが存在する疑いがある。
マイクロプラスチックによる海洋汚染の報道はアジアやアフリカ、アラブなどから出てきた問題提起ではない。欧米で特定のニュースが急増し、それで人々の問題意識が設定され、一定方向に世論が誘導され、やがて世界がそれに従うという構図だ。これと同じようなことは過去に繰り返されてきた。
例えば、ボスニア紛争やコソボ紛争などで幼い子供が犠牲になったことを強調するニュースで欧米の武力介入を促したり、地中海で幼い子供が溺死した写真で難民への同情をかきたてたり、世論を一定方向へ誘導しようとする報道が欧州発のニュースに珍しくない。その主張はリベラル寄りであると同時に、ある種のプロパガンダ臭が漂う。
ウミガメやクジラなどの死骸の体内から大量のプラスチックが見つかったなどと読み手の感情を刺激し、海洋生物への同情を誘う記事が次々に流され、規制しなければという方向へ導いて行く。これは、ニュースを仕掛けて問題意識を喚起し、狙った方向に世論を誘導するという顕著な成功例の一つとなった。
世界的に問題を設定することでは、メディアの発信力が際立って強い欧米が主導権を握る。海洋汚染の問題には世界的な対策が必要であろうから、意図的なものであっても問題提起は許容されるという見方もある。ただ、善意で意図が正しければ報道は世論を誘導しても許される……ことにはならない。報道機関の自己流の善意や正義が、常に善きことで正しいとは限らない。
以前から廃棄物による海洋汚染は指摘されており、数カ国が対策を講じたとしても効果は限られるだろうから、多くの国が共同して対応しなければならない問題だろう。海洋面積は約3億6000万km2で、地球全体の約71%を占める。その海洋で廃棄物による汚染が悪化しているとすれば、確かに大きな問題だ。
だが、違和感を感じるのは、特定の問題を提起するニュースが欧米で急に増えて世論が誘導される結果になったことだ。廃棄物による海洋汚染は以前から指摘されていたのに、なぜ急速にクローズアップされたのか。世界における世論の喚起・誘導を狙った仕掛けが存在する疑いがある。
マイクロプラスチックによる海洋汚染の報道はアジアやアフリカ、アラブなどから出てきた問題提起ではない。欧米で特定のニュースが急増し、それで人々の問題意識が設定され、一定方向に世論が誘導され、やがて世界がそれに従うという構図だ。これと同じようなことは過去に繰り返されてきた。
例えば、ボスニア紛争やコソボ紛争などで幼い子供が犠牲になったことを強調するニュースで欧米の武力介入を促したり、地中海で幼い子供が溺死した写真で難民への同情をかきたてたり、世論を一定方向へ誘導しようとする報道が欧州発のニュースに珍しくない。その主張はリベラル寄りであると同時に、ある種のプロパガンダ臭が漂う。
ウミガメやクジラなどの死骸の体内から大量のプラスチックが見つかったなどと読み手の感情を刺激し、海洋生物への同情を誘う記事が次々に流され、規制しなければという方向へ導いて行く。これは、ニュースを仕掛けて問題意識を喚起し、狙った方向に世論を誘導するという顕著な成功例の一つとなった。
世界的に問題を設定することでは、メディアの発信力が際立って強い欧米が主導権を握る。海洋汚染の問題には世界的な対策が必要であろうから、意図的なものであっても問題提起は許容されるという見方もある。ただ、善意で意図が正しければ報道は世論を誘導しても許される……ことにはならない。報道機関の自己流の善意や正義が、常に善きことで正しいとは限らない。
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