札幌の不動産会社の店舗内で、除菌消臭用のスプレー缶約120本を従業員が室内で噴射して廃棄処分しようとしたが、室内に充満したガスに引火して爆発、建物が全焼するとともに隣の飲食店の客ら50人以上が負傷した。爆発の衝撃波で一帯の建物の窓ガラスが破損した。
消臭剤のほかヘアスプレー、制汗スプレーや殺虫剤、芳香剤、塗料など様々なスプレー缶(エアゾール缶)が市販されているが、それぞれの機能を持つ薬剤をガスと一緒に缶に封入している構造だ。使われるガスはLPG(液化石油ガス)やジメチルエーテルなど。
今回の札幌の爆発は、危険性を知らない従業員が不適切な方法で大量のスプレー缶を廃棄処分したために生じたが、別の懸念を示唆している。都市内などで特定の建物に損害を与えるために、近隣で意図的に今回と同様の方法で爆発を起こすことが可能なことを実証した。スプレー缶はどこでも誰でも入手可能だ。
武器ではないもので社会に混乱をもたらすものにはドローンが知られている。英ガトウィック空港でドローンの目撃情報が相次ぎ、3日間に渡って断続的に滑走路が閉鎖され、旅客機の発着ができず、約14万人が影響を受けたという。
地元警察はテロの可能性を否定、混乱を狙った妨害行為とみて調べていると英メディア。容疑者2人が拘束されたが、釈放され、誰がドローンを飛ばしたのか不明のままで、「最初からドローンがなかった可能性がある」との捜査関係者の発言も出てくる始末。
今回の英空港のドローン騒動は、世界中の空港においても起こり得るだろう。何かの目的で意図的にドローンを空港に侵入させる行為を防ぐことは簡単ではない。地上なら柵や塀を強固にすることができるが、空港は空に向かって開かれている。ドローンを使った侵入などで業務を妨害する行為は、空港に限らず各地で増える可能性はある。
都市部における自動車を使った歩行者への攻撃は世界各地で何回も起きている。入手が容易な商品を使って誰にでも、無差別攻撃や社会の混乱を狙った行為が可能で、そのハードルは実は低いことを一連の事件は示している。
2018年12月29日土曜日
2018年12月26日水曜日
言葉の概念や定義の共有
AI(人工知能)という言葉を雑誌などで見かけることが増えた。人工的な知能だから、まもなく、映画「2001年宇宙の旅」に出てくるHALのようにコンピューターが独自の意識を持って、人間と対等に渡り合うようになると短絡する人もいる。でも、そうした未来が実現するとしても、遥か先のことだ。
現在のAIにできることはパターン認識だけだ。蓄積された大量のデータから目的とするものを探し出す速度が、機械学習の高度化などで飛躍的に早くなった段階だ。大量のデータ(=過去の記録)を分析・利用する分野でAIを実用的に活用できるようになったが、独自の知能といえるものをコンピューターが持ったわけではない。
AIに対する過大な評価が起きるのは、現在のAIにできることを曖昧に理解したままの人が、期待を込めて可能性を論じるからだろう。AIに限らず、言葉の概念や定義を曖昧に認識したままの論は、正確性が不足するとともに、主観が混じりこみやすい。
言葉の概念や定義が人によって微妙な違いがあることは珍しくなく、時には、主観によって拡大解釈されている。日常会話などでは、そうした違いは無視されるだろうが、正確な認識や分析、展望を持つためには、言葉の概念や定義の明確化が欠かせない。
何かについての議論が、言葉の概念や定義を共有していないため、互いの主張を言い合うことに終始したり、それぞれが都合よく解釈した状況認識で自己の主張を正当化する光景はよくある。言葉の概念や定義を共有することは、言葉の意味する範囲を限定するので、共通理解と相違点を明確化する。
例えば、ひところよく見かけた国際貢献という言葉。国際とは何か。貢献とは何か。さらに、(日本が国際に)貢献するとは何か。曖昧なままに活発な論が沸き起こったが、現在でも国際貢献という言葉は曖昧なままだ。言葉は曖昧なままのほうが政治家は使いやすいだろうが、政治家の論は政治的な主張でしかない。
言葉の概念や定義を共有しないことが、一方的な主張を可能にする。共通理解を広げつつ自分の論の正しさで相手を説得しようと試みず、自分の存在証明のために一方的な主張をするためには、言葉の概念や定義の共有は邪魔になるだろう。かくして国際貢献をめぐる議論は不毛に終わった。
現在のAIにできることはパターン認識だけだ。蓄積された大量のデータから目的とするものを探し出す速度が、機械学習の高度化などで飛躍的に早くなった段階だ。大量のデータ(=過去の記録)を分析・利用する分野でAIを実用的に活用できるようになったが、独自の知能といえるものをコンピューターが持ったわけではない。
AIに対する過大な評価が起きるのは、現在のAIにできることを曖昧に理解したままの人が、期待を込めて可能性を論じるからだろう。AIに限らず、言葉の概念や定義を曖昧に認識したままの論は、正確性が不足するとともに、主観が混じりこみやすい。
言葉の概念や定義が人によって微妙な違いがあることは珍しくなく、時には、主観によって拡大解釈されている。日常会話などでは、そうした違いは無視されるだろうが、正確な認識や分析、展望を持つためには、言葉の概念や定義の明確化が欠かせない。
何かについての議論が、言葉の概念や定義を共有していないため、互いの主張を言い合うことに終始したり、それぞれが都合よく解釈した状況認識で自己の主張を正当化する光景はよくある。言葉の概念や定義を共有することは、言葉の意味する範囲を限定するので、共通理解と相違点を明確化する。
例えば、ひところよく見かけた国際貢献という言葉。国際とは何か。貢献とは何か。さらに、(日本が国際に)貢献するとは何か。曖昧なままに活発な論が沸き起こったが、現在でも国際貢献という言葉は曖昧なままだ。言葉は曖昧なままのほうが政治家は使いやすいだろうが、政治家の論は政治的な主張でしかない。
言葉の概念や定義を共有しないことが、一方的な主張を可能にする。共通理解を広げつつ自分の論の正しさで相手を説得しようと試みず、自分の存在証明のために一方的な主張をするためには、言葉の概念や定義の共有は邪魔になるだろう。かくして国際貢献をめぐる議論は不毛に終わった。
2018年12月22日土曜日
客の力、芸の力
落語家の噺などを直接聞くことができる寄席は、舞台に正対して観客が座る椅子席が並ぶ構造だが、昔の寄席の客席は畳敷きで、客は好きな場所に座った。そうした畳敷きの客席を最後まで残していたのが改築前の池袋演芸場だった。
あの頃の池袋演芸場で客は、客席の後方に積み重ねてある座布団を手にとって、客席に散らばるように座った(混んでも20人程度だったから)。舞台上の演者と客との距離が近く、熱演には文字通り客は引き込まれた。
だが、次々と出てくる演者が皆、熱演するわけではない。むしろ、聞いたことのある噺をだらだらと聞かされたり、同じ演者からいつも同じ演目を聞かされたりと、客が退屈することもフツーだった。そうなると客はあちこちで、うとうとし始める。客を眠らせないということは、演者の力を推し量る指標ともなる。
もちろん、笑うポイントは個人差が大きい。ちょっとしたクスグリに大笑いする人もいれば、多くの演者の舞台を見ている人は、“いつも”のクスグリなどには簡単に笑わなかったりする。すぐ笑う客から、なかなか笑わない客まで、いろいろな客を相手にしなければならないから寄席は演者を鍛える。
同時に、演者も客を鍛える。言葉の積み重ねで想像の世界を演者は描き出し、それを客が共有することによる笑いもある。笑わせる商売だから演者は様々の客が笑えるように、すぐ笑う客にも、じっくり聞いて笑う客にも楽しんでもらうように工夫しており、寄席通いの経験が増えるにつれ客は、笑いの奥深さを知る。
寄席の数が減った現代でも人々は笑いを求め、お笑いタレントがテレビには出まくっている。笑いに対するテレビの影響力は格段に大きくなったが、寄席番組は減り、芸人が鍛えた芸を見せることも減り、トークや街歩き、食べ歩きなどで、ちょっとした笑いをとって見せるのが、お笑いタレントの芸になった。
ちょっとした笑いとは、誰かの言い間違いなどを笑うのと同じように刹那的な反応だ。視聴率を争うテレビ局には、すぐ笑わせることが必要だろうが、そんな笑いが増えた結果として寄席番組が減った。テレビの笑いは客を鍛えず、テレビの客は出演者の芸を鍛えない。
あの頃の池袋演芸場で客は、客席の後方に積み重ねてある座布団を手にとって、客席に散らばるように座った(混んでも20人程度だったから)。舞台上の演者と客との距離が近く、熱演には文字通り客は引き込まれた。
だが、次々と出てくる演者が皆、熱演するわけではない。むしろ、聞いたことのある噺をだらだらと聞かされたり、同じ演者からいつも同じ演目を聞かされたりと、客が退屈することもフツーだった。そうなると客はあちこちで、うとうとし始める。客を眠らせないということは、演者の力を推し量る指標ともなる。
もちろん、笑うポイントは個人差が大きい。ちょっとしたクスグリに大笑いする人もいれば、多くの演者の舞台を見ている人は、“いつも”のクスグリなどには簡単に笑わなかったりする。すぐ笑う客から、なかなか笑わない客まで、いろいろな客を相手にしなければならないから寄席は演者を鍛える。
同時に、演者も客を鍛える。言葉の積み重ねで想像の世界を演者は描き出し、それを客が共有することによる笑いもある。笑わせる商売だから演者は様々の客が笑えるように、すぐ笑う客にも、じっくり聞いて笑う客にも楽しんでもらうように工夫しており、寄席通いの経験が増えるにつれ客は、笑いの奥深さを知る。
寄席の数が減った現代でも人々は笑いを求め、お笑いタレントがテレビには出まくっている。笑いに対するテレビの影響力は格段に大きくなったが、寄席番組は減り、芸人が鍛えた芸を見せることも減り、トークや街歩き、食べ歩きなどで、ちょっとした笑いをとって見せるのが、お笑いタレントの芸になった。
ちょっとした笑いとは、誰かの言い間違いなどを笑うのと同じように刹那的な反応だ。視聴率を争うテレビ局には、すぐ笑わせることが必要だろうが、そんな笑いが増えた結果として寄席番組が減った。テレビの笑いは客を鍛えず、テレビの客は出演者の芸を鍛えない。
2018年12月19日水曜日
「正義」に見える後進性
立法、行政、司法がそれぞれに独立した機関となり、相互に監視することによって国家権力の濫用や暴走を防ぐという仕組みが三権分立だ。民主主義とともに多くの国で採用されているが、それぞれの独立の程度は一様ではなく、国によって違いがある。
三権のうち主導権を取るのが行政だ。人々による選挙で選ばれた議員で構成する議会(立法)が日本では国権の最高機関とされるが、議会は議員による政治的主張の対立の場となるので、首相を頂点とする政府(行政)が国家権力の行使において中心となっている。
直接選挙で行政府の長(大統領など)を選出する国では、行政が立法と対等であり、大統領に選ばれた個人に大きな権限が与えられるので、大統領を頂点とする政府(行政)がやはり国家権力の行使において中心となる。
司法の役割は、立法や行政を監視することが中心になる。国家権力の行使の正当性を検証し、乱用や偏り、暴走を防いだり、是正することが務めだ。逆にいうと、行政が正当性を得る(乱用や偏り、暴走が容認される)ためには、司法を行政の影響下に置くことが必要となる。
そのために、選挙で選出されて大統領に就任した人が自分に都合のいい人物を最高裁に送り込むことは各国で珍しくない。そうして最高裁(司法)が、行政の意にかなった判断を連発する。三権分立という建前をかざして、司法の判断を尊重するとして行政は「暴走」を始める。例えば、韓国。
法の上に国民情緒法があるなどと韓国は揶揄されていたが、その国民情緒が韓国独自の「正義」を支える。北朝鮮に融和的であるか批判的であるか、韓国には深刻な分断があり、その時々の政権の「正義」が法に優越する。つまり民主主義による政権交代は「正義」をめぐる争いであり、三権分立は韓国では不安定だ。
韓国は民主主義国であると見なされている。しかし、韓国は政権交代によって、それ以前の政治(と外交的な蓄積)を簡単に覆す。それぞれの政権の「正義」を優先した結果であり、韓国国内では時の政権の「正義」を実現する行動だと支持者は持て囃すが、韓国の外から見ると、普遍性を軽視し、独自の「正義」を正当化するために民主主義を装うという韓国の後進性を示すものでしかない。
三権のうち主導権を取るのが行政だ。人々による選挙で選ばれた議員で構成する議会(立法)が日本では国権の最高機関とされるが、議会は議員による政治的主張の対立の場となるので、首相を頂点とする政府(行政)が国家権力の行使において中心となっている。
直接選挙で行政府の長(大統領など)を選出する国では、行政が立法と対等であり、大統領に選ばれた個人に大きな権限が与えられるので、大統領を頂点とする政府(行政)がやはり国家権力の行使において中心となる。
司法の役割は、立法や行政を監視することが中心になる。国家権力の行使の正当性を検証し、乱用や偏り、暴走を防いだり、是正することが務めだ。逆にいうと、行政が正当性を得る(乱用や偏り、暴走が容認される)ためには、司法を行政の影響下に置くことが必要となる。
そのために、選挙で選出されて大統領に就任した人が自分に都合のいい人物を最高裁に送り込むことは各国で珍しくない。そうして最高裁(司法)が、行政の意にかなった判断を連発する。三権分立という建前をかざして、司法の判断を尊重するとして行政は「暴走」を始める。例えば、韓国。
法の上に国民情緒法があるなどと韓国は揶揄されていたが、その国民情緒が韓国独自の「正義」を支える。北朝鮮に融和的であるか批判的であるか、韓国には深刻な分断があり、その時々の政権の「正義」が法に優越する。つまり民主主義による政権交代は「正義」をめぐる争いであり、三権分立は韓国では不安定だ。
韓国は民主主義国であると見なされている。しかし、韓国は政権交代によって、それ以前の政治(と外交的な蓄積)を簡単に覆す。それぞれの政権の「正義」を優先した結果であり、韓国国内では時の政権の「正義」を実現する行動だと支持者は持て囃すが、韓国の外から見ると、普遍性を軽視し、独自の「正義」を正当化するために民主主義を装うという韓国の後進性を示すものでしかない。
2018年12月15日土曜日
革命を経た共和国の伝統
1789年7月12日、国王が「軍隊によってパリを制圧するのではないかという恐怖心」に人々はとらわれ、「武装した民衆が街を駆けまわり、パリは騒然とした状態」になり、同7月14日、人々は廃兵院で大量の銃と大砲を手に入れ、さらに武器を手に入れようとバスチーユ監獄に向かった。(引用は全て『物語 フランス革命』安達正勝著から)
同10月5日、武装した「8000人のパリの女性たちが雨の中をヴェルサイユに行進」して来て、国会の議場になだれ込み、パリの窮状を議員に訴えた。2万人の国民衛兵隊と1万人以上の武器を持った男たちも続いて来て、国王一家はパリに連れてこられた。議会もパリに移って来て、「革命を軌道に乗せた」。
1792年8月10日、「パリの民衆は連盟兵団とともに、チュイルリー宮殿に攻め寄せ、守備についていたスイス人傭兵部隊との銃撃戦の末に、宮殿を制圧」した。女性も多数参加していた。「国会は民衆の勝利を見届けたあと」王権停止を宣言、「これ以降はその社会的実力が認められて民衆が革命の舞台に躍り出てくる」。
1793年6月2日、「数万人の武装した民衆が国会を包囲する中でジロンド派の主だったメンバーの国会追放が決議」され、革命の主導権争いに決着がつき、「ジャコバン派の天下になる」。同9月5日、「パリの民衆が武装蜂起して国会を取り囲み」、この民衆蜂起が「ジャコバン革命政府の形成を加速化」させた。
1795年の春、「生活の苦しさに耐えかねたパリの民衆」は2回蜂起したが、「リーダーたちが恐怖政治期にギロチン送りになっていたため、かつてのような威力を発揮できず」鎮圧された。「これがフランス革命における最後の民衆蜂起」だった。その後は「民衆に代わって軍隊が革命の動向に大きな影響力を持つ」ようになった。
報道によると、フランスで蛍光の黄色いベストを着用した参加者は「マクロン、辞めろ」と口々に叫びながら行進し、断続的にフランス国歌の合唱が起きたりしながら方々でデモをし、増強された治安部隊はデモ隊の進路を塞ぎ、放水し、催涙弾を投げ、参加者を拘束した。
労働者の解雇をしやすくし、社会保障費の国民負担を増やす一方、法人税の減税や富裕税廃止、投資促進などを進めてきた仏政府の構造改革路線が、現代の民衆“蜂起”によって路線修正を余儀なくされている光景は、革命を経た共和国の伝統とグローバリズムの衝突でもある。
同10月5日、武装した「8000人のパリの女性たちが雨の中をヴェルサイユに行進」して来て、国会の議場になだれ込み、パリの窮状を議員に訴えた。2万人の国民衛兵隊と1万人以上の武器を持った男たちも続いて来て、国王一家はパリに連れてこられた。議会もパリに移って来て、「革命を軌道に乗せた」。
1792年8月10日、「パリの民衆は連盟兵団とともに、チュイルリー宮殿に攻め寄せ、守備についていたスイス人傭兵部隊との銃撃戦の末に、宮殿を制圧」した。女性も多数参加していた。「国会は民衆の勝利を見届けたあと」王権停止を宣言、「これ以降はその社会的実力が認められて民衆が革命の舞台に躍り出てくる」。
1793年6月2日、「数万人の武装した民衆が国会を包囲する中でジロンド派の主だったメンバーの国会追放が決議」され、革命の主導権争いに決着がつき、「ジャコバン派の天下になる」。同9月5日、「パリの民衆が武装蜂起して国会を取り囲み」、この民衆蜂起が「ジャコバン革命政府の形成を加速化」させた。
1795年の春、「生活の苦しさに耐えかねたパリの民衆」は2回蜂起したが、「リーダーたちが恐怖政治期にギロチン送りになっていたため、かつてのような威力を発揮できず」鎮圧された。「これがフランス革命における最後の民衆蜂起」だった。その後は「民衆に代わって軍隊が革命の動向に大きな影響力を持つ」ようになった。
報道によると、フランスで蛍光の黄色いベストを着用した参加者は「マクロン、辞めろ」と口々に叫びながら行進し、断続的にフランス国歌の合唱が起きたりしながら方々でデモをし、増強された治安部隊はデモ隊の進路を塞ぎ、放水し、催涙弾を投げ、参加者を拘束した。
労働者の解雇をしやすくし、社会保障費の国民負担を増やす一方、法人税の減税や富裕税廃止、投資促進などを進めてきた仏政府の構造改革路線が、現代の民衆“蜂起”によって路線修正を余儀なくされている光景は、革命を経た共和国の伝統とグローバリズムの衝突でもある。
2018年12月12日水曜日
政府を動かす人々
フランスで人々が怒っている。地球温暖化対策のためと軽油やガソリンの燃料税を引き上げようとする政府に、「ノー」を全国に広がるデモで突きつけた。デモで示された「民意」に押された政府は、2019年1月に予定していた燃料増税を半年先送りすると発表したが、さらに19年には増税しないとした。
クリーンとされたディーゼルエンジン車が多い仏で軽油価格は190円弱/ℓという(ガソリンは210円弱/ℓ)。原油価格の高騰で世界的に燃料価格は上昇しているが、そこに仏では増税分が上乗せされる。車が必需品で生活に余裕がない人々は重税感を持つだろう。
ディーゼル車が実はクリーンではないことが明らかになり、ディーゼル車の増加で都市部の大気汚染が深刻化しているので仏政府は、ディーゼル車やガソリン車の販売を2040年までに禁止する方針で、電気自動車(EV)の普及を目指すとした。燃料増税もEVへの移行を促す施策だろう。
燃料増税の大義名分として地球温暖化対策が掲げられたが、そのために大衆課税が増やされることに人々は納得しない。富裕層に対して仏政府は減税していたのだから、なおさらだ。地球温暖化対策という名目を政府が都合よく活用している気配だ。
これからディーゼル車やガソリン車を禁止し、EVに移行したとしても大気中のCO2が減るわけではない。すでに排出された膨大な量のCO2が存在するのだから、温室効果があるとすれば、それは加速する。つまり、地球温暖化対策は、「防ぐ」ことより「損害をできるだけ抑制する」しかない段階に入っている。
本気で燃料増税でEVへの移行を促すなら、もっと大幅な増税が必要だろう。人々の反対が強いからと燃料増税を抑えつつEVへの移行を促すなら、さらに多額の補助金を上積みし、充電網を急いで整備することが必要だ。そうした社会的コストに見合う地球温暖化抑止効果がEVにあるかどうかは定かではない。
エリートでも富裕層でもない多くの人々が街頭に出て「ノー」を突きつけ、政府を動かした光景は、さすが革命で誕生した共和国だ。労組などに動員されたのでもなく、自発的に街頭に出た人々の怒りが政府を動かした。一部の過激な行為がマスコミではクローズアップされて報じられるが、そうした過激な行為に注目させることは主権者意識を眠らせておくためには効果がある?
クリーンとされたディーゼルエンジン車が多い仏で軽油価格は190円弱/ℓという(ガソリンは210円弱/ℓ)。原油価格の高騰で世界的に燃料価格は上昇しているが、そこに仏では増税分が上乗せされる。車が必需品で生活に余裕がない人々は重税感を持つだろう。
ディーゼル車が実はクリーンではないことが明らかになり、ディーゼル車の増加で都市部の大気汚染が深刻化しているので仏政府は、ディーゼル車やガソリン車の販売を2040年までに禁止する方針で、電気自動車(EV)の普及を目指すとした。燃料増税もEVへの移行を促す施策だろう。
燃料増税の大義名分として地球温暖化対策が掲げられたが、そのために大衆課税が増やされることに人々は納得しない。富裕層に対して仏政府は減税していたのだから、なおさらだ。地球温暖化対策という名目を政府が都合よく活用している気配だ。
これからディーゼル車やガソリン車を禁止し、EVに移行したとしても大気中のCO2が減るわけではない。すでに排出された膨大な量のCO2が存在するのだから、温室効果があるとすれば、それは加速する。つまり、地球温暖化対策は、「防ぐ」ことより「損害をできるだけ抑制する」しかない段階に入っている。
本気で燃料増税でEVへの移行を促すなら、もっと大幅な増税が必要だろう。人々の反対が強いからと燃料増税を抑えつつEVへの移行を促すなら、さらに多額の補助金を上積みし、充電網を急いで整備することが必要だ。そうした社会的コストに見合う地球温暖化抑止効果がEVにあるかどうかは定かではない。
エリートでも富裕層でもない多くの人々が街頭に出て「ノー」を突きつけ、政府を動かした光景は、さすが革命で誕生した共和国だ。労組などに動員されたのでもなく、自発的に街頭に出た人々の怒りが政府を動かした。一部の過激な行為がマスコミではクローズアップされて報じられるが、そうした過激な行為に注目させることは主権者意識を眠らせておくためには効果がある?
2018年12月8日土曜日
現場が否定する高品質イメージ
免震・制振装置の検査データを改竄していたKYBは、判明しているだけで設置していた建物は900以上になり、改修などがいつ終わるのか不明だ。2015年に免震ゴムの性能偽装が発覚した東洋ゴムの、対象となる150棟余の改修工事は2019年中に完了するという。
品質データ偽装が発覚した日本企業は他にも三菱マテリアル、日立化成、宇部興産、神戸製鋼所、川金ホールディングス、川崎重工業、東レなどがある。日本企業の「現場」で最近になってモラルが低下したようにも見えるが、長く改竄が行われていて、それが相次いで発覚しただけだ。
素材メーカーが品質データを偽装すると、それを使って製造した製品に対する信頼は低下する。だがデータ偽装は、例えば、完成車メーカーでも常態化し、長く続いていた。日産やSUBARUでは無資格の従業員が完成検査を行い、さらに新車の検査で燃費や排ガスのデータを書き換えていた。新車の出荷前検査ではマツダやスズキ、ヤマハでも不適切な事例が見つかった。
素材でも製品でも品質データ改竄が横行していた日本企業。日本の製造業の強さは高品質にあるとのイメージは、事実によって否定された。高品質から品質偽装へとイメージが正反対になったのは、日本の製造業の現場の劣化を示すものか、高品質というイメージが根拠のないキャッチフレーズだったのか。
品質が良いとのイメージが実態とは違っていても、そのイメージを否定する企業はないだろう。法的規制や社内マニュアルは完全に遵守され、製造・生産工程では厳しい管理がなされ、細かな社内チェックを経て出荷されるものは要求される品質を満たしている……はずだから。
信じたいものを信じる傾向が人にはある。高品質であるとのイメージは全ての企業や企業人が喜んで信じたいイメージだろう。だが、不祥事が発覚してイメージダウンに苦しむ企業は日本にも世界にも数多く存在するように、肯定的なイメージは諸刃の剣でもある。
日本企業に関わる高品質イメージは長い年月を要して築かれた。企業や工場が存続し続けていても働く人は30年もすれば、すっかり入れ替わるし、高品質の判断基準も年月とともに変化する。いつしか現場の「実力」以上の高品質イメージになっていたのかもしれない。
品質データ偽装が発覚した日本企業は他にも三菱マテリアル、日立化成、宇部興産、神戸製鋼所、川金ホールディングス、川崎重工業、東レなどがある。日本企業の「現場」で最近になってモラルが低下したようにも見えるが、長く改竄が行われていて、それが相次いで発覚しただけだ。
素材メーカーが品質データを偽装すると、それを使って製造した製品に対する信頼は低下する。だがデータ偽装は、例えば、完成車メーカーでも常態化し、長く続いていた。日産やSUBARUでは無資格の従業員が完成検査を行い、さらに新車の検査で燃費や排ガスのデータを書き換えていた。新車の出荷前検査ではマツダやスズキ、ヤマハでも不適切な事例が見つかった。
素材でも製品でも品質データ改竄が横行していた日本企業。日本の製造業の強さは高品質にあるとのイメージは、事実によって否定された。高品質から品質偽装へとイメージが正反対になったのは、日本の製造業の現場の劣化を示すものか、高品質というイメージが根拠のないキャッチフレーズだったのか。
品質が良いとのイメージが実態とは違っていても、そのイメージを否定する企業はないだろう。法的規制や社内マニュアルは完全に遵守され、製造・生産工程では厳しい管理がなされ、細かな社内チェックを経て出荷されるものは要求される品質を満たしている……はずだから。
信じたいものを信じる傾向が人にはある。高品質であるとのイメージは全ての企業や企業人が喜んで信じたいイメージだろう。だが、不祥事が発覚してイメージダウンに苦しむ企業は日本にも世界にも数多く存在するように、肯定的なイメージは諸刃の剣でもある。
日本企業に関わる高品質イメージは長い年月を要して築かれた。企業や工場が存続し続けていても働く人は30年もすれば、すっかり入れ替わるし、高品質の判断基準も年月とともに変化する。いつしか現場の「実力」以上の高品質イメージになっていたのかもしれない。
2018年12月5日水曜日
制度としての民主主義
民主主義が実施されている国の選挙で、強権的な指導者や自国優先を主張するポピュリストを選出する動きが各国で相次いでいる。これらを憂慮し、民主主義が損なわれていると主張する論がある一方、民主主義が機能しているから分断が表面化するとの論もある。
民主主義を巡る議論が噛み合わないのは、民主主義の定義が人により異なっているからだ。人によっては「善なる」民主主義擁護の姿勢を示すことで自説を正当化したりする。民主主義については幅広い解釈が可能だろうが、共有する定義としては、善悪などの価値判断を含まない最小限のものになろう。
制度として見るか、理念として見るかで民主主義の位置付けは変わってくる。理念としては人民主権であり、個人の権利を擁護し、自由・平等を実現するのが民主主義だろうが、制度としては、主権者である人々の自由選挙により形成された議会や政府に正当性を付与する仕組みとなる。
理念はしばしば、崇高で善なるものとされるが、客観的な崇高さや善なるものの見極めは簡単ではなく、主観が入りやすい。民主主義の現実化は政治により行われるが、政治的な主張に主観が混じると、対立や分断を先鋭化させるとともに、そうした主観の共有は仲間内(同志)にとどまるだろう。
人々が様々な思いを込めることで民主主義は支持される。抽象化した理念だけで成り立った民主主義が、現実の社会で人々によって具体化される時に様々な主観が紛れ込むのは避けられまい。だから、理念としての民主主義は現実政治においては多様にならざるを得ない。
理念としての民主主義が多様になるということは、その定義も多様になり、多くの人がそれぞれの民主主義を掲げて争うことも起きる。例えば、個人の自由を最重視する人と平等を最重視する人とでは論点が異なろう。どちらも「正しい」のだろうが、理念に関わることだから妥協は簡単ではない。
理念としての民主主義が人々によって多様になるのは民主主義を豊かにするが、定義を共有するには困難が増す。制度としての民主主義の定義のほうが共有しやすいだろう。定義としての民主主義の要件は①国家の主権を有する人々が自由選挙に参加、②その自由選挙で選出された人々が議会や政府を構成、、③その議会や政府だけに正当性が与えられる。
民主主義を巡る議論が噛み合わないのは、民主主義の定義が人により異なっているからだ。人によっては「善なる」民主主義擁護の姿勢を示すことで自説を正当化したりする。民主主義については幅広い解釈が可能だろうが、共有する定義としては、善悪などの価値判断を含まない最小限のものになろう。
制度として見るか、理念として見るかで民主主義の位置付けは変わってくる。理念としては人民主権であり、個人の権利を擁護し、自由・平等を実現するのが民主主義だろうが、制度としては、主権者である人々の自由選挙により形成された議会や政府に正当性を付与する仕組みとなる。
理念はしばしば、崇高で善なるものとされるが、客観的な崇高さや善なるものの見極めは簡単ではなく、主観が入りやすい。民主主義の現実化は政治により行われるが、政治的な主張に主観が混じると、対立や分断を先鋭化させるとともに、そうした主観の共有は仲間内(同志)にとどまるだろう。
人々が様々な思いを込めることで民主主義は支持される。抽象化した理念だけで成り立った民主主義が、現実の社会で人々によって具体化される時に様々な主観が紛れ込むのは避けられまい。だから、理念としての民主主義は現実政治においては多様にならざるを得ない。
理念としての民主主義が多様になるということは、その定義も多様になり、多くの人がそれぞれの民主主義を掲げて争うことも起きる。例えば、個人の自由を最重視する人と平等を最重視する人とでは論点が異なろう。どちらも「正しい」のだろうが、理念に関わることだから妥協は簡単ではない。
理念としての民主主義が人々によって多様になるのは民主主義を豊かにするが、定義を共有するには困難が増す。制度としての民主主義の定義のほうが共有しやすいだろう。定義としての民主主義の要件は①国家の主権を有する人々が自由選挙に参加、②その自由選挙で選出された人々が議会や政府を構成、、③その議会や政府だけに正当性が与えられる。
2018年12月1日土曜日
身捨つるほどの祖国はありや
どんな上の句(五七五)に続けても、意味ある狂歌にする魔法の下の句が「それにつけても金の欲しさよ」だとされる。例えば、「古池や蛙飛びこむ水のおと それにつけても金の欲しさよ」「これがまあ終の住処か雪五尺 それにつけても金の欲しさよ」「降る雪や明治は遠くなりにけり それにつけても金の欲しさよ」「朝顔に釣瓶とられてもらひ水 それにつけても金の欲しさよ」など。
この下の句は江戸時代の太田南畝が使ってから広まったと言われるが、室町時代に山崎宗鑑が使っていたともいう。時代を超えて「それにつけても金の欲しさよ」が共感されるのは、いつの世でも人々は金に苦労しているからか。
似たような魔法の下の句に「身捨つるほどの祖国はありや」がある。寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の下の句だが、こちらは、国家を見つめる問題意識を内包しているので、何の句につけても成立するような下の句ではない。
上の句を選ぶのが下の句「身捨つるほどの祖国はありや」だが、寺山修司の句も上の句と下の句の結びつきの必然性がそう強いわけではなく、心象的な結びつきが強いのだから、読む側の解釈で適合する句は結構ありそうだ。
例えば、芭蕉の句からは「夏草や兵どもが夢の跡 身捨つるほどの祖国はありや」「荒海や佐渡によこたふ天の河 身捨つるほどの祖国はありや」「むざんやな甲の下のきりぎりす 身捨つるほどの祖国はありや」など。
蕪村からは「葱買うて枯木の中を帰りけり 身捨つるほどの祖国はありや」「春の海ひねもすのたりのたりかな 身捨つるほどの祖国はありや」「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 身捨つるほどの祖国はありや」など。
他の俳人の句にもつけてみると、「焼跡に遺る三和土や手毬つく 身捨つるほどの祖国はありや」「鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな 身捨つるほどの祖国はありや」「狂院の窓ごとにある寒灯 身捨つるほどの祖国はありや」「鰯雲ひとに告ぐべきことならず 身捨つるほどの祖国はありや」「雲がみな西へ行く日を病んでいる 身捨つるほどの祖国はありや」「愛なき日避雷針見て引き返す 身捨つるほどの祖国はありや」などとなる。
この下の句は江戸時代の太田南畝が使ってから広まったと言われるが、室町時代に山崎宗鑑が使っていたともいう。時代を超えて「それにつけても金の欲しさよ」が共感されるのは、いつの世でも人々は金に苦労しているからか。
似たような魔法の下の句に「身捨つるほどの祖国はありや」がある。寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の下の句だが、こちらは、国家を見つめる問題意識を内包しているので、何の句につけても成立するような下の句ではない。
上の句を選ぶのが下の句「身捨つるほどの祖国はありや」だが、寺山修司の句も上の句と下の句の結びつきの必然性がそう強いわけではなく、心象的な結びつきが強いのだから、読む側の解釈で適合する句は結構ありそうだ。
例えば、芭蕉の句からは「夏草や兵どもが夢の跡 身捨つるほどの祖国はありや」「荒海や佐渡によこたふ天の河 身捨つるほどの祖国はありや」「むざんやな甲の下のきりぎりす 身捨つるほどの祖国はありや」など。
蕪村からは「葱買うて枯木の中を帰りけり 身捨つるほどの祖国はありや」「春の海ひねもすのたりのたりかな 身捨つるほどの祖国はありや」「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 身捨つるほどの祖国はありや」など。
他の俳人の句にもつけてみると、「焼跡に遺る三和土や手毬つく 身捨つるほどの祖国はありや」「鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな 身捨つるほどの祖国はありや」「狂院の窓ごとにある寒灯 身捨つるほどの祖国はありや」「鰯雲ひとに告ぐべきことならず 身捨つるほどの祖国はありや」「雲がみな西へ行く日を病んでいる 身捨つるほどの祖国はありや」「愛なき日避雷針見て引き返す 身捨つるほどの祖国はありや」などとなる。
2018年11月28日水曜日
機能している民主主義
人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、強権的な指導者や自国優先を主張するポピュリストを選出する動きが各国で相次いでいる。こうした現象に対して民主主義の機能不全を憂う論が出ているが、おそらく民主主義が機能しているから、強権的な指導者やポピュリストが選出されるのだ。
社会に分断が存在するときに自由な選挙が実施されたなら、すでに存在する分断を反映した結果となるのは不思議ではない。主権者である人々が、人々の権利や自由よりも愛国主義や民族主義、さらには偏狭な国益などを重視する候補者に投票する現象は世界で繰り返されてきた。
なぜ、民主主義が制度化されている社会で人々は時に、民主主義に背を向けるような候補者に投票するのだろうか。おそらく、主権者であることに伴う民主主義を維持する利益や義務より個人的な利益などを優先させたり、民主主義の結果としての現実政治に「ありがたさ」を感じていないからだろう。
人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、その自由な投票の結果が民主主義への幻滅をもたらすのは皮肉だ。だが民主主義は国家権力に正当性を与える制度の一つにすぎず、民主主義は結果としての善政や社会の和解、統合を保証するものではない。
人々が国家の主権者であることを確認し、国家権力を監視するのが自由選挙であり、民主主義だ。人々の間に政治や経済、社会規範などをめぐり様々な対立や分断がある場合、自由選挙はそれらを顕在化させる。それは制度としての民主主義の危機ではない。民主主義の危機とは、主権者である人々が自由選挙から排除されるときだ。
英国は国民投票でEU離脱を決めたものの、その実現のために四苦八苦している。自由投票の結果に示された主権者の意思に現実政治が縛られて混乱している例だが、民主主義が英国で機能している姿でもある。
様々な対立や分断が人々の間にある場合、それは自由選挙を経て現実政治に持ち込まれ、現実政治において様々な対立や分断が激しくなり、膠着状態に陥って「機能しない政治」になったりする。民主主義による現実政治は迷走するものなのかもしれない。
社会に分断が存在するときに自由な選挙が実施されたなら、すでに存在する分断を反映した結果となるのは不思議ではない。主権者である人々が、人々の権利や自由よりも愛国主義や民族主義、さらには偏狭な国益などを重視する候補者に投票する現象は世界で繰り返されてきた。
なぜ、民主主義が制度化されている社会で人々は時に、民主主義に背を向けるような候補者に投票するのだろうか。おそらく、主権者であることに伴う民主主義を維持する利益や義務より個人的な利益などを優先させたり、民主主義の結果としての現実政治に「ありがたさ」を感じていないからだろう。
人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、その自由な投票の結果が民主主義への幻滅をもたらすのは皮肉だ。だが民主主義は国家権力に正当性を与える制度の一つにすぎず、民主主義は結果としての善政や社会の和解、統合を保証するものではない。
人々が国家の主権者であることを確認し、国家権力を監視するのが自由選挙であり、民主主義だ。人々の間に政治や経済、社会規範などをめぐり様々な対立や分断がある場合、自由選挙はそれらを顕在化させる。それは制度としての民主主義の危機ではない。民主主義の危機とは、主権者である人々が自由選挙から排除されるときだ。
英国は国民投票でEU離脱を決めたものの、その実現のために四苦八苦している。自由投票の結果に示された主権者の意思に現実政治が縛られて混乱している例だが、民主主義が英国で機能している姿でもある。
様々な対立や分断が人々の間にある場合、それは自由選挙を経て現実政治に持ち込まれ、現実政治において様々な対立や分断が激しくなり、膠着状態に陥って「機能しない政治」になったりする。民主主義による現実政治は迷走するものなのかもしれない。
2018年11月24日土曜日
キャッシュレス決済の罠
中国ではクレジットカード決済などよりもQRコード決済の普及が進み、屋台でも利用可能になり、現金をほとんど使用しないで日常生活が可能だと、シェア自転車などシェアエコノミーと合わせて、中国社会の「先進性」が日本でも盛んに報じられた。
キャッシュレス決済の利便性ばかりを強調して報じ、「中国に遅れるな」と、日本もキャッシュレス決済に移行するのが当然だとの雰囲気づくりが始まった。だが北海道胆振東部地震による停電が、キャッシュレス決済の脆弱性を露わにした。
店舗の読み取り端末などが停電で使えなかったり、回線網が断絶や通信制限などで機能しなくなった時にキャッシュレス決済はできなくなる。スマホを使ったQRコード決済も、地震後のスマホでの通話が制限される状況下では厳しい。決済情報を即時処理するキャッシュレス決済には電気と通信が確保されていることが必要だ。
盛んに利便性ばかりが日本で報じられた中国のシェア自転車だが、失速していることが日本でもようやく報じられ始めた。中国におけるキャッシュレス決済にもおそらく問題点や脆弱性などがあるだろうが、偽造のQRコードによるキャッシュレス詐欺が報じられる程度だ。
キャッシュレス決済には別の懸念もある。中国などの独裁国家では、個人のキャッシュレス決済の情報を国家が監視しているだろうし、危険とみなした人物をキャッシュレス決済から排除することも可能だろう。キャッシュレス決済の社会では、日常的に国家が特定の人物を国内経済から除外し、困窮させることができる。
脆弱性も問題点も抱えるキャッシュレス決済だが、日本で本格的な導入へ向けて環境整備が進んでいる。大手銀行が全国の支店の統廃合や人員削減を急いで進めるのは、キャッシュレス決済の普及を前提にしているのだろう。人件費を削減できるのだから、小売店もキャッシュレス決済導入には前向きだ。
キャッシュレス決済に伴って蓄積される個人の取引情報は、企業にとって魅力的だろう。そうした情報がどう「加工」されて商品になるのかも懸念されるところだ。さらに日本でキャッシュレス決済の普及に伴う現実的な懸念は、普通預金にもマイナス金利が導入されることだろう。キャッシュレス決済が普及すると、マイナス金利になっても口座を解約できない。
キャッシュレス決済の利便性ばかりを強調して報じ、「中国に遅れるな」と、日本もキャッシュレス決済に移行するのが当然だとの雰囲気づくりが始まった。だが北海道胆振東部地震による停電が、キャッシュレス決済の脆弱性を露わにした。
店舗の読み取り端末などが停電で使えなかったり、回線網が断絶や通信制限などで機能しなくなった時にキャッシュレス決済はできなくなる。スマホを使ったQRコード決済も、地震後のスマホでの通話が制限される状況下では厳しい。決済情報を即時処理するキャッシュレス決済には電気と通信が確保されていることが必要だ。
盛んに利便性ばかりが日本で報じられた中国のシェア自転車だが、失速していることが日本でもようやく報じられ始めた。中国におけるキャッシュレス決済にもおそらく問題点や脆弱性などがあるだろうが、偽造のQRコードによるキャッシュレス詐欺が報じられる程度だ。
キャッシュレス決済には別の懸念もある。中国などの独裁国家では、個人のキャッシュレス決済の情報を国家が監視しているだろうし、危険とみなした人物をキャッシュレス決済から排除することも可能だろう。キャッシュレス決済の社会では、日常的に国家が特定の人物を国内経済から除外し、困窮させることができる。
脆弱性も問題点も抱えるキャッシュレス決済だが、日本で本格的な導入へ向けて環境整備が進んでいる。大手銀行が全国の支店の統廃合や人員削減を急いで進めるのは、キャッシュレス決済の普及を前提にしているのだろう。人件費を削減できるのだから、小売店もキャッシュレス決済導入には前向きだ。
キャッシュレス決済に伴って蓄積される個人の取引情報は、企業にとって魅力的だろう。そうした情報がどう「加工」されて商品になるのかも懸念されるところだ。さらに日本でキャッシュレス決済の普及に伴う現実的な懸念は、普通預金にもマイナス金利が導入されることだろう。キャッシュレス決済が普及すると、マイナス金利になっても口座を解約できない。
2018年11月21日水曜日
社会の規範とLGBT
イスラム国(IS)は支配下に置いていたシリアなどで銃殺や斬首、焼殺などの残虐な処刑を行い、そうした映像を一部は公開した。その中に、同性愛者との理由により、ビル屋上から男性を突き落として処刑した映像もあった。地上では人々が集まり、見ていたという。
ISは、男性の同性愛者はイスラム教の聖典コーランの教えや預言者ムハンマドの言行録に背く者だとし、処刑を正当化した。ISの支配地では同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーは厳しい状況に置かれていたという。
イスラム教では同性愛は禁止され、中東やアフリカなど世界には法律で同性愛を処罰対象にしている国がある。サウジアラビアやイラン、アフガニスタン、パキスタン、スーダンなどでは死刑の対象であり、ロシアやインド、マレーシア、ミャンマー、エジプト、エチオピア、アルジェリアなどでは懲役刑の対象になる。
一方で欧米などの諸国では同性婚が法的に制度化され、LGBTの権利拡大を要求する運動が盛んだ。同性愛などを巡る法的状況は世界では大きく二分されているのだが、日本などのように同性愛を処罰する法も同性婚を認める法もなく、個人の自由としている国もある。
「誰を愛するか」「誰と性交渉するか」……これは極めて私的な領域だ。同時に、そうした対人関係は社会における人間関係の基本的な単位ともなり得る。だから、社会は、婚姻や性交により形成される人間関係(集団)に社会的な規範に合致するよう要求してきた。
宗教は個人の意識や行動に規範を与える。宗教が社会に大きく影響を与えているところでは、個人に対して社会が宗教の影響を受けた規範を示し、それで律しようとする。欧米などがLGBTの権利容認に積極的に動くのは、LGBTに対する圧力が根強いと同時に、宗教的な規範と社会的な規範が分離しつつあることを示している。
宗教の締め付けが強い社会ではLGBTは弱者との位置付けなのかもしれないが、個人の性的嗜好は個人の自由であるとする日本のような社会でのLGBTの位置付けは異なる。欧米の影響を受けて日本でもLGBTの権利拡大の動きが大きく報じられるようになったが、そうした運動が日本では誰に対して何を要求しているのか曖昧だ。「誰を愛してもいい」という日本でいま、LGBTは社会的な対策を必要とする問題なのだろうか。
ISは、男性の同性愛者はイスラム教の聖典コーランの教えや預言者ムハンマドの言行録に背く者だとし、処刑を正当化した。ISの支配地では同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーは厳しい状況に置かれていたという。
イスラム教では同性愛は禁止され、中東やアフリカなど世界には法律で同性愛を処罰対象にしている国がある。サウジアラビアやイラン、アフガニスタン、パキスタン、スーダンなどでは死刑の対象であり、ロシアやインド、マレーシア、ミャンマー、エジプト、エチオピア、アルジェリアなどでは懲役刑の対象になる。
一方で欧米などの諸国では同性婚が法的に制度化され、LGBTの権利拡大を要求する運動が盛んだ。同性愛などを巡る法的状況は世界では大きく二分されているのだが、日本などのように同性愛を処罰する法も同性婚を認める法もなく、個人の自由としている国もある。
「誰を愛するか」「誰と性交渉するか」……これは極めて私的な領域だ。同時に、そうした対人関係は社会における人間関係の基本的な単位ともなり得る。だから、社会は、婚姻や性交により形成される人間関係(集団)に社会的な規範に合致するよう要求してきた。
宗教は個人の意識や行動に規範を与える。宗教が社会に大きく影響を与えているところでは、個人に対して社会が宗教の影響を受けた規範を示し、それで律しようとする。欧米などがLGBTの権利容認に積極的に動くのは、LGBTに対する圧力が根強いと同時に、宗教的な規範と社会的な規範が分離しつつあることを示している。
宗教の締め付けが強い社会ではLGBTは弱者との位置付けなのかもしれないが、個人の性的嗜好は個人の自由であるとする日本のような社会でのLGBTの位置付けは異なる。欧米の影響を受けて日本でもLGBTの権利拡大の動きが大きく報じられるようになったが、そうした運動が日本では誰に対して何を要求しているのか曖昧だ。「誰を愛してもいい」という日本でいま、LGBTは社会的な対策を必要とする問題なのだろうか。
2018年11月17日土曜日
巨大化するフロントグリル
横断歩道を渡り始め、ふと気配を感じて横を見ると、停車した自動車の巨大なフロントグリルがあったりする。2つのヘッドライトを目とすると、大口を開けている表情に見える。その表情は街の風景に溶け込むのではなく、強く存在感を主張している。
世界的に自動車のフロントグリルが巨大化する傾向にある。フロントグリルで個性(伝統)を表現するのは、ロールス・ロイスやアルファロメオ、BMWなど欧州メーカーでは珍しくはなかったが、最近の巨大化するフロントグリルの流行はアウディが新しいフロントグリルに変え、個性を際立たせたことから始まったという。
それからレクサスがフロントグリルのデザインを一新し、独特なデザインを採用、モデル数が増えるにつれてフロントグリルを巨大化させたレクサス車が増殖した。それが世界のメーカーを刺激し、フロントグリルで各社の個性を強調することを促したように見える。
フロントグリルは巨大化してもラジエターが大きくなったわけではないから、巨大なフロントグリルをよく見ると、空気を取り込む部分は小さかったりする。つまり、巨大化したフロントグリルの大半が、デザイン優先の装飾だ。
世界的に自己主張を強めたカーデザインが流行で、巨大なフロントグリルは欠かせない要素になったようだ。電気自動車にはラジエターは不要だからフロントグリルも不要なのだが、各社の最新の電気自動車にも大きなフロントグリルは健在だ。
フロントグリルを巨大化するとしても、ボンネットの先端を持ち上げると空気抵抗が増えるので、左右方向か地面方向へと面積を増やす。だから、巨大化したフロントグリルの下端が地面から10センチぐらいまで下がった自動車もある。
迫力ある表情を狙ったのだろうが、不都合なことも起きる。それは冬の雪国の路上だ。降雪が多かったりすると、除雪が間に合わない道路が増え、自動車は掘られた轍をなぞって進むしかない。そんな時に車体底部は轍の間の雪面に接し、地面方向に広がった巨大なフロントグリル下部に雪がたまる。口を大きく開けて雪を頬張っているような表情に見えては、微笑ましいだろうが、迫力は消え失せる。
世界的に自動車のフロントグリルが巨大化する傾向にある。フロントグリルで個性(伝統)を表現するのは、ロールス・ロイスやアルファロメオ、BMWなど欧州メーカーでは珍しくはなかったが、最近の巨大化するフロントグリルの流行はアウディが新しいフロントグリルに変え、個性を際立たせたことから始まったという。
それからレクサスがフロントグリルのデザインを一新し、独特なデザインを採用、モデル数が増えるにつれてフロントグリルを巨大化させたレクサス車が増殖した。それが世界のメーカーを刺激し、フロントグリルで各社の個性を強調することを促したように見える。
フロントグリルは巨大化してもラジエターが大きくなったわけではないから、巨大なフロントグリルをよく見ると、空気を取り込む部分は小さかったりする。つまり、巨大化したフロントグリルの大半が、デザイン優先の装飾だ。
世界的に自己主張を強めたカーデザインが流行で、巨大なフロントグリルは欠かせない要素になったようだ。電気自動車にはラジエターは不要だからフロントグリルも不要なのだが、各社の最新の電気自動車にも大きなフロントグリルは健在だ。
フロントグリルを巨大化するとしても、ボンネットの先端を持ち上げると空気抵抗が増えるので、左右方向か地面方向へと面積を増やす。だから、巨大化したフロントグリルの下端が地面から10センチぐらいまで下がった自動車もある。
迫力ある表情を狙ったのだろうが、不都合なことも起きる。それは冬の雪国の路上だ。降雪が多かったりすると、除雪が間に合わない道路が増え、自動車は掘られた轍をなぞって進むしかない。そんな時に車体底部は轍の間の雪面に接し、地面方向に広がった巨大なフロントグリル下部に雪がたまる。口を大きく開けて雪を頬張っているような表情に見えては、微笑ましいだろうが、迫力は消え失せる。
2018年11月14日水曜日
逃散と民主主義
逃散は古くから日本の農民の抵抗手段だった。重い年貢課役や領主・代官らの横暴に我慢できなくなった集落の農民が一斉に耕作を放棄して他領や山野に逃亡した。抵抗手段としては一揆や強訴などもあったが逃散は、圧迫を加える支配者との直接的な対決より、支配従属関係を断ちきることで抵抗した。
もちろん、他領や山野での新しい生活がユートピアであるはずはなく、どこに行っても収奪の対象である農民の生活は同じようなものだっただろう。だが、わずかではあっても、より良い生活を求めて行動せざるを得ない過酷な状況下で生活している人々に、現状を変える選択肢は限られる。一揆などで直接対決する態勢が構築できないなら、逃散するしかない。
過酷な生活を強いられる状況を「変えなければ」という強い欲求が人々を動かす。だが、主権が支配者にあった時代に、収奪の対象である農民にできることは、我慢を続けるか、懇願するか、力づくで要求を通すか、脱出して新たな土地での生活を始めるか。
主権者である人々の自由投票で選出した議員により議会を形成し、その議会が国家の基本を定めるという民主主義の社会においても、主権者である人々が過酷な生活を強いられる社会はある。主権者である人々が「こんな社会は嫌だ」と意思を示し、主権者である人々が社会を変えることができるのが民主主義社会だとされている。
では、主権者である人々が社会を変えるためにできることは何か。第一に、言論や街頭行動などで政府の施策に対する反対を表明すること。それでも変わらなければ第二に、投票により政府を交替させること。選挙に対する介入などで自由な投票が損なわれたり、選挙の結果を無視して政府が居座る時などには、力づくで政府を変えることが主権者である人々の最後の手段だ。
現代の民主主義社会では人々は主権者として、社会が過酷な状況にあるときは、それを是正する責任を負う。しかし、経済的に破綻状態であったり、治安が崩壊して暴力集団が牛耳っている民主主義社会で主権者である人々にできることは限られる。我慢を続けるか、懇願するか、革命を起こすか。
自国を捨てて他国に移住するのは現代版「逃散」かもしれない。米国への移住を求めて歩き続ける人々は、ホンジュラスの主権者であることに誇りを持てず、絶望に突き動かされてホンジュラスを見限った。自国を見捨てる人々がいかに多いか、世界各地で先進国などへ移動を続けている人々の姿が示している。
もちろん、他領や山野での新しい生活がユートピアであるはずはなく、どこに行っても収奪の対象である農民の生活は同じようなものだっただろう。だが、わずかではあっても、より良い生活を求めて行動せざるを得ない過酷な状況下で生活している人々に、現状を変える選択肢は限られる。一揆などで直接対決する態勢が構築できないなら、逃散するしかない。
過酷な生活を強いられる状況を「変えなければ」という強い欲求が人々を動かす。だが、主権が支配者にあった時代に、収奪の対象である農民にできることは、我慢を続けるか、懇願するか、力づくで要求を通すか、脱出して新たな土地での生活を始めるか。
主権者である人々の自由投票で選出した議員により議会を形成し、その議会が国家の基本を定めるという民主主義の社会においても、主権者である人々が過酷な生活を強いられる社会はある。主権者である人々が「こんな社会は嫌だ」と意思を示し、主権者である人々が社会を変えることができるのが民主主義社会だとされている。
では、主権者である人々が社会を変えるためにできることは何か。第一に、言論や街頭行動などで政府の施策に対する反対を表明すること。それでも変わらなければ第二に、投票により政府を交替させること。選挙に対する介入などで自由な投票が損なわれたり、選挙の結果を無視して政府が居座る時などには、力づくで政府を変えることが主権者である人々の最後の手段だ。
現代の民主主義社会では人々は主権者として、社会が過酷な状況にあるときは、それを是正する責任を負う。しかし、経済的に破綻状態であったり、治安が崩壊して暴力集団が牛耳っている民主主義社会で主権者である人々にできることは限られる。我慢を続けるか、懇願するか、革命を起こすか。
自国を捨てて他国に移住するのは現代版「逃散」かもしれない。米国への移住を求めて歩き続ける人々は、ホンジュラスの主権者であることに誇りを持てず、絶望に突き動かされてホンジュラスを見限った。自国を見捨てる人々がいかに多いか、世界各地で先進国などへ移動を続けている人々の姿が示している。
2018年11月10日土曜日
新しい食材への挑戦
フグの卵巣には毒が含まれているので、食べることはできない。だが、北陸には、2年以上、塩漬けや糠漬けにすることで毒素をほぼ消失させ、食材としている地域がある。毒素がほぼ消えるメカニズムは解明されていないそうだが、江戸時代から食べられているという。
世界各地には昆虫食の文化があり、例えばタイの屋台では、素揚げしたり、茹でたり、炒めたりした様々な昆虫が売られている。バッタやセミ、ケラ、タガメ、ゲンゴロウなどのほか、サソリも食べられている。試した人によると、苦みや雑味の強いものが多いそうだ。
日本にも昆虫食の文化があり、ハチやイナゴ、ザザムシ、蚕のサナギなどを佃煮などにして食べてきた。ただ、昆虫には寄生虫がいることがあるので、火を使って調理することが世界の昆虫食では共通している。生で食べるのは危険だと長い歴史の中で人々は感知したのだろう。
昆虫ではないが、奇妙な食文化として有名なのはフランスでのエスカルゴ食だ。エスカルゴはカタツムリの1種で軟体動物門の陸貝。殻のあるものがカタツムリで、殻のないものがナメクジ。エスカルゴの調理は、内臓を取り除き、下味をつけるために長時間煮込むなど手間と時間がかかるそうだ。
日本にもカタツムリが生息しているので、フランス料理で食べられているのだから試してみるかと、そこらでカタツムリを捕まえて調理するのは危険だ。カタツムリやナメクジには広東住血線虫という有害な寄生虫を保有しているものがある。
この寄生虫により最近、男性が死亡したことがニュースになった。豪シドニーの自宅の庭でワインを飲んでいた男性が2010年、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫に感染して420日間も昏睡状態に陥り、意識が回復した後も全身がまひして24時間介護が必要だったという。寄生虫が脳に入ると髄膜炎を引き起こすとされる。
ナメクジやカタツムリに素手で触ることで寄生虫に感染する可能性があり、ナメクジやカタツムリに触れた手はよく洗い、生野菜もよく洗うか加熱することで感染を防ぐことができるという。
長い歴史の中で人類は様々なものを食べて試して、何は食べることができるか、何は食べては危険かを見いだしてきた。火を使い加熱することの発見で食材の範囲は大きく広がっただろう。その延長に現在の世界各地の豊かな食文化があるのだが、新しい食材への挑戦者の歴史に埋れた「犠牲」も多かったに違いないと今回の男性の死亡が示唆している。
世界各地には昆虫食の文化があり、例えばタイの屋台では、素揚げしたり、茹でたり、炒めたりした様々な昆虫が売られている。バッタやセミ、ケラ、タガメ、ゲンゴロウなどのほか、サソリも食べられている。試した人によると、苦みや雑味の強いものが多いそうだ。
日本にも昆虫食の文化があり、ハチやイナゴ、ザザムシ、蚕のサナギなどを佃煮などにして食べてきた。ただ、昆虫には寄生虫がいることがあるので、火を使って調理することが世界の昆虫食では共通している。生で食べるのは危険だと長い歴史の中で人々は感知したのだろう。
昆虫ではないが、奇妙な食文化として有名なのはフランスでのエスカルゴ食だ。エスカルゴはカタツムリの1種で軟体動物門の陸貝。殻のあるものがカタツムリで、殻のないものがナメクジ。エスカルゴの調理は、内臓を取り除き、下味をつけるために長時間煮込むなど手間と時間がかかるそうだ。
日本にもカタツムリが生息しているので、フランス料理で食べられているのだから試してみるかと、そこらでカタツムリを捕まえて調理するのは危険だ。カタツムリやナメクジには広東住血線虫という有害な寄生虫を保有しているものがある。
この寄生虫により最近、男性が死亡したことがニュースになった。豪シドニーの自宅の庭でワインを飲んでいた男性が2010年、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫に感染して420日間も昏睡状態に陥り、意識が回復した後も全身がまひして24時間介護が必要だったという。寄生虫が脳に入ると髄膜炎を引き起こすとされる。
ナメクジやカタツムリに素手で触ることで寄生虫に感染する可能性があり、ナメクジやカタツムリに触れた手はよく洗い、生野菜もよく洗うか加熱することで感染を防ぐことができるという。
長い歴史の中で人類は様々なものを食べて試して、何は食べることができるか、何は食べては危険かを見いだしてきた。火を使い加熱することの発見で食材の範囲は大きく広がっただろう。その延長に現在の世界各地の豊かな食文化があるのだが、新しい食材への挑戦者の歴史に埋れた「犠牲」も多かったに違いないと今回の男性の死亡が示唆している。
2018年11月7日水曜日
ロックは老人の音楽?
ポール・マッカートニー(PM)が来日して、東京ドームで2時間半のライブを行い、最新アルバムからビートルズ・ナンバーまで全36曲を披露し、両国国技館のライブでは全31曲を披露したそうだ。PMは立ってベースを弾いて歌い、途中でピアノやギターも弾いたという。
PMは1942年6月生まれだから76歳だ。英国でビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのは1962年10月だからPMは20歳だった。それから56年経ってもPMはワールド・ツアーを続けている。
PMだけではなくローリング・ストーンズも昨年から今年にかけてワールド・ツアーを行うなど、1960年代、70年代にデビューしたバンドやミュージシャンの大規模ツアーは珍しいことではない。「老人になってもロックをやっている」と以前は驚かれたが、最近ではフツーの光景になった。
ザ・バンドは1960年代初めから活動し、レコード・デビューしたのは1968年で1976年に活動を停止した。ボブ・ディランやニール・ヤング、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトンらも参加したラスト・コンサートの模様は、マーティン・スコセッシ監督の映画『ラスト・ワルツ』として公開された。
その『ラスト・ワルツ』が日本での公開40周年を機に、映像がデジタル・リマスターされて大音響による上映が行われている。ある地方都市の映画館でも上映され、観に行った友人は、映像と大音量のサウンドには満足したものの、別のことが印象に残ったという。
友人曰く、「観に来ていたのはジジイとババアばかり。けっこう人数は多かったけど、みんな老人だ」。60代の友人は自分もジジイなのだが、いまでも毎日のようにロックを聴き、若いころ着ていたような服を好む。が、観に来ていた人の半分以上が地味な服装で、顔つきなども見るからにフツーの老人だったと友人。
ロックは若者の音楽だなどと1960年代などに言われたが、「それは目新しい音楽という意味でしかなかった」とし、音楽に精神性を絡ませて論じるのが当時流行ったが、「こじつけだった」と友人。解釈に過ぎない論が、本質を突く議論であるかのように持てはやされるのは珍しくない。
ロックは音楽のジャンルとして確かな位置を占めた現在、PMなどのようにミュージシャンやバンドだけが高齢化したわけではなく、ロックファンも高齢化した。表面だけ見るならば、ロックは老人の音楽だと慌て者が言いだすかもしれないな。
PMは1942年6月生まれだから76歳だ。英国でビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのは1962年10月だからPMは20歳だった。それから56年経ってもPMはワールド・ツアーを続けている。
PMだけではなくローリング・ストーンズも昨年から今年にかけてワールド・ツアーを行うなど、1960年代、70年代にデビューしたバンドやミュージシャンの大規模ツアーは珍しいことではない。「老人になってもロックをやっている」と以前は驚かれたが、最近ではフツーの光景になった。
ザ・バンドは1960年代初めから活動し、レコード・デビューしたのは1968年で1976年に活動を停止した。ボブ・ディランやニール・ヤング、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトンらも参加したラスト・コンサートの模様は、マーティン・スコセッシ監督の映画『ラスト・ワルツ』として公開された。
その『ラスト・ワルツ』が日本での公開40周年を機に、映像がデジタル・リマスターされて大音響による上映が行われている。ある地方都市の映画館でも上映され、観に行った友人は、映像と大音量のサウンドには満足したものの、別のことが印象に残ったという。
友人曰く、「観に来ていたのはジジイとババアばかり。けっこう人数は多かったけど、みんな老人だ」。60代の友人は自分もジジイなのだが、いまでも毎日のようにロックを聴き、若いころ着ていたような服を好む。が、観に来ていた人の半分以上が地味な服装で、顔つきなども見るからにフツーの老人だったと友人。
ロックは若者の音楽だなどと1960年代などに言われたが、「それは目新しい音楽という意味でしかなかった」とし、音楽に精神性を絡ませて論じるのが当時流行ったが、「こじつけだった」と友人。解釈に過ぎない論が、本質を突く議論であるかのように持てはやされるのは珍しくない。
ロックは音楽のジャンルとして確かな位置を占めた現在、PMなどのようにミュージシャンやバンドだけが高齢化したわけではなく、ロックファンも高齢化した。表面だけ見るならば、ロックは老人の音楽だと慌て者が言いだすかもしれないな。
2018年11月3日土曜日
ISが提起したもの
イスラム国(IS)関連の報道がめっきり減った。2014年には、シリアとイラクにかけて広大なカリフ制国家の樹立を宣言し、残虐な処刑シーンなどをネットで公開して世界中から戦闘員を集めて勢力を拡大させたものの、米軍の支援を受けた武装勢力などの反撃が本格化し、2017年には相次いで拠点を失った。
ISはこのまま消えて行くのか、世界のどこかに移って戦い続けるのか、テロリストの緩やかなネットワークなどと形態を変えて「ブランド」を残すのか定かではない。ただ、中東の武装勢力の一つにすぎないISが、米国やロシアを動かすなど世界的な影響力を持った存在に一時は成長したことは確かだ。
勢力を拡大したISが欧米に排除されたのは、第一にイラクやシリアなど既存の国境を否定したことだ。それは中東における欧米主導の秩序を覆し、再構築することを意味する。イラクやシリアの解体が現実となれば、植民地支配の時代から続く欧州の影響力の排除につながっただろう。
第二に、ISはインターネットを使ってプロパガンダを活発化し、世界の人々に戦列に加わることを呼びかけ、それを受けて少なからぬ人々がISに加わるために欧州などから中東に向かい、あるいは欧州でテロを決行した。つまりISは戦線を中東だけに留めず、欧州などに拡大した(欧州などを巻きこんだ)。
第三に、ISはイスラムを前面に出し、特定国の反政府活動にとどまらず地域性や民族性などを希薄化させ、新しい組織イメージを喚起した。各地の個別テログループがそれぞれに唱えるだけだったジハード思想を共有させ、反欧米のイスラム統一戦線めいたものの構築へ種を蒔く可能性があった。
このまま消えたとしてもISが新たな概念を提起したことは確かだ。アラブ世界やイスラム世界に広がる武装闘争の原理めいたものを、現実的な形態で示して見せた。個別の国家や政府への武装闘争はそれぞれに正当性を持つだろうが、広い連帯には制約がある。ISの提起は、国境などにとらわれない新たな闘争原理の端緒になるものかもしれない。
現実にはISの支配地における残虐性が暴かれ、アラブ世界でもISの影響力は限定的なものであろうが、ISの提起したものも全否定されるかどうかは不明だ。ISの「失敗」を踏まえ、アラブ世界やイスラム世界における広範な武装闘争の論理が新たな武装勢力によって唱えられる日が来る可能性はある。
ISはこのまま消えて行くのか、世界のどこかに移って戦い続けるのか、テロリストの緩やかなネットワークなどと形態を変えて「ブランド」を残すのか定かではない。ただ、中東の武装勢力の一つにすぎないISが、米国やロシアを動かすなど世界的な影響力を持った存在に一時は成長したことは確かだ。
勢力を拡大したISが欧米に排除されたのは、第一にイラクやシリアなど既存の国境を否定したことだ。それは中東における欧米主導の秩序を覆し、再構築することを意味する。イラクやシリアの解体が現実となれば、植民地支配の時代から続く欧州の影響力の排除につながっただろう。
第二に、ISはインターネットを使ってプロパガンダを活発化し、世界の人々に戦列に加わることを呼びかけ、それを受けて少なからぬ人々がISに加わるために欧州などから中東に向かい、あるいは欧州でテロを決行した。つまりISは戦線を中東だけに留めず、欧州などに拡大した(欧州などを巻きこんだ)。
第三に、ISはイスラムを前面に出し、特定国の反政府活動にとどまらず地域性や民族性などを希薄化させ、新しい組織イメージを喚起した。各地の個別テログループがそれぞれに唱えるだけだったジハード思想を共有させ、反欧米のイスラム統一戦線めいたものの構築へ種を蒔く可能性があった。
このまま消えたとしてもISが新たな概念を提起したことは確かだ。アラブ世界やイスラム世界に広がる武装闘争の原理めいたものを、現実的な形態で示して見せた。個別の国家や政府への武装闘争はそれぞれに正当性を持つだろうが、広い連帯には制約がある。ISの提起は、国境などにとらわれない新たな闘争原理の端緒になるものかもしれない。
現実にはISの支配地における残虐性が暴かれ、アラブ世界でもISの影響力は限定的なものであろうが、ISの提起したものも全否定されるかどうかは不明だ。ISの「失敗」を踏まえ、アラブ世界やイスラム世界における広範な武装闘争の論理が新たな武装勢力によって唱えられる日が来る可能性はある。
2018年10月31日水曜日
ディーゼル不正の代償
ドイツの検察は10月、ディーゼル車の排ガス不正問題でアウディに罰金8億ユーロ(約1千億円)を科し、アウディは「責任を認める」と受け入れた。04年以降に販売したV6とV8エンジン搭載車に、排ガス測定時にだけ有害物質を不正に制御するソフトウエアを搭載していた責任を問われた。
その不正ソフトを最初に考案したのはアウディのエンジニアだったとVWが米国検察当局との間で合意した声明で認め、当時のアウディのルペルト・シュタートラー社長は逮捕されていた。詳細は明らかになっていないが、アウディが開発した違法ソフトがVWグループ全体で使われたようだ。
6月にVWも独検察から、1000万台以上の乗用車に不正ソフトを搭載して販売したとして10億ユーロ(約1300億円)の罰金を科され、VWは「責任を認める」と罰金を受け入れた。ディーゼル不正発覚後、VWは罰金や賠償金、米国での買い戻しのために300億ドル(約3兆4000億円)を支払った。
今回の罰金でVWグループによるディーゼル不正にケリがついた訳ではない。不正発覚後の株価下落で損失を被った投資家がVWの筆頭株主のポルシェSEを訴え、損害賠償の支払いを命じる判決を独の地方裁判所が下した。同様の裁判はVWに対しても起こされており、米国でも起こされている。VWなどのディーゼル不正の「代償」がいくらになるのか、見通しはつかない。
このディーゼル不正はドイツの自動車業界ぐるみとの疑いも出ている。BMWは2月、一部のディーゼル車に不正ソフトを搭載していたとしてリコールした。ダイムラーに対して独政府は6月、不正ソフト搭載を理由にリコールを命じた。
不正ソフトが誤って搭載されたなどとしてBMWは意図的な不正を否定し、ダイムラーも意図的な不正を否定している。不正ソフトを搭載した自動車を製造・販売していたのに両社が意図的な不正を否定するのはなぜか。独の大手自動車部品企業が不正ソフト開発に関与していたと報じられたことと関係がありそうだ。
不正ソフト搭載でクリーンを装っていたディーゼル車を欧州メーカーは売りまくった。その結果、欧州で特に都市部の大気汚染が悪化し、都市部へのディーゼル車の乗り入れ規制が各地で始まった。それで不利益を最も被るのはディーゼル車を買ったユーザーだ。
不正ソフト搭載のディーゼル車のユーザーは、リコールによって排ガスを基準に適合させたとしても、燃費の悪化を余儀なくされる。排ガス中の窒素酸化物の排出量を減らすと、CO2排出量は増える(=燃費が悪化)。VWグループなどが行ったディーゼル車の大規模不正で、メーカー、ユーザー、環境とそれぞれに代償を払わされた。責任追及は始まったばかりだ。
その不正ソフトを最初に考案したのはアウディのエンジニアだったとVWが米国検察当局との間で合意した声明で認め、当時のアウディのルペルト・シュタートラー社長は逮捕されていた。詳細は明らかになっていないが、アウディが開発した違法ソフトがVWグループ全体で使われたようだ。
6月にVWも独検察から、1000万台以上の乗用車に不正ソフトを搭載して販売したとして10億ユーロ(約1300億円)の罰金を科され、VWは「責任を認める」と罰金を受け入れた。ディーゼル不正発覚後、VWは罰金や賠償金、米国での買い戻しのために300億ドル(約3兆4000億円)を支払った。
今回の罰金でVWグループによるディーゼル不正にケリがついた訳ではない。不正発覚後の株価下落で損失を被った投資家がVWの筆頭株主のポルシェSEを訴え、損害賠償の支払いを命じる判決を独の地方裁判所が下した。同様の裁判はVWに対しても起こされており、米国でも起こされている。VWなどのディーゼル不正の「代償」がいくらになるのか、見通しはつかない。
このディーゼル不正はドイツの自動車業界ぐるみとの疑いも出ている。BMWは2月、一部のディーゼル車に不正ソフトを搭載していたとしてリコールした。ダイムラーに対して独政府は6月、不正ソフト搭載を理由にリコールを命じた。
不正ソフトが誤って搭載されたなどとしてBMWは意図的な不正を否定し、ダイムラーも意図的な不正を否定している。不正ソフトを搭載した自動車を製造・販売していたのに両社が意図的な不正を否定するのはなぜか。独の大手自動車部品企業が不正ソフト開発に関与していたと報じられたことと関係がありそうだ。
不正ソフト搭載でクリーンを装っていたディーゼル車を欧州メーカーは売りまくった。その結果、欧州で特に都市部の大気汚染が悪化し、都市部へのディーゼル車の乗り入れ規制が各地で始まった。それで不利益を最も被るのはディーゼル車を買ったユーザーだ。
不正ソフト搭載のディーゼル車のユーザーは、リコールによって排ガスを基準に適合させたとしても、燃費の悪化を余儀なくされる。排ガス中の窒素酸化物の排出量を減らすと、CO2排出量は増える(=燃費が悪化)。VWグループなどが行ったディーゼル車の大規模不正で、メーカー、ユーザー、環境とそれぞれに代償を払わされた。責任追及は始まったばかりだ。
2018年10月27日土曜日
移動の自由と国境
地中海を挟んで欧州とアフリカは向かい合う。最近は大量の難民・移民を乗せた多くの船がアフリカ側のリビアから地中海に出て、イタリアなど欧州を目指す。欧州は迷惑がっているが、豊かな欧州に行けば仕事があると期待する大量の難民・移民の「船出」は続いている。
陸路でも欧州を目指す大量の難民・移民の動きがあったが、経由地の諸国で規制が強化され、海路に比重が移った。難民・移民が乗った船の多くは粗末なもので沈没の危険があり、欧州側の警備船は救助せざるを得ないというから、生命の危険は大きいものの、陸路より海路のほうが難民・移民は欧州にたどり着ける可能性が大きい。
陸路で豊かな先進国を目指す動きがアメリカ大陸でも始まった。大量の麻薬が中南米から北米に流れ込んでいたので、そうしたルートで密入国などは従来から行われていたのだろうが、今回は日中、集団で行進してホンジュラスなどから米国を目指している。
彼らは何を求めているのか。治安が崩壊して日常的に暴力に晒されている環境から逃れるためには、治安がいい隣接国に移住するだろう。紛争国から難民が周辺国に溢れ出すのは珍しいことではない。今回の陸路で米国を目指している集団は、米国でなければ得られないものを求めている。それは職であり、安定した豊かな生活だろう。
これまで米国を目指す中米の人々は、合法的に入国するか密入国してきた。おそらく米国に合法的に入国することも密入国することもできない困窮した人々が今回、米国を目指して歩き始めた。何らかの衝動に突き動かされたとも見える動きだが、母国へレッドカードを突きつけた意思表示でもある。
米国に行けば何とかなると母国を捨てた人々。だが、米国は拒絶の姿勢を明らかにし、メキシコなどに対する圧力を強めている。母国を捨てた人々は、国家の支配から逃れたかに見えるが、国際社会における国家間の利害対立に巻き込まれ、別の国家の支配下に置かれる。
現在の人類(ホモ・サピエンス)はアフリカから出て世界に拡散したという。文明が発達した現在でも、生き延びるために移動する人々がいることを大量の難民・移民や今回の集団は示している。そうした移動を阻むのが、国家であり国境である。国境を超えて自由な移動を求める人々の動きは、国家による人間の支配に疑問を突きつけている。
陸路でも欧州を目指す大量の難民・移民の動きがあったが、経由地の諸国で規制が強化され、海路に比重が移った。難民・移民が乗った船の多くは粗末なもので沈没の危険があり、欧州側の警備船は救助せざるを得ないというから、生命の危険は大きいものの、陸路より海路のほうが難民・移民は欧州にたどり着ける可能性が大きい。
陸路で豊かな先進国を目指す動きがアメリカ大陸でも始まった。大量の麻薬が中南米から北米に流れ込んでいたので、そうしたルートで密入国などは従来から行われていたのだろうが、今回は日中、集団で行進してホンジュラスなどから米国を目指している。
彼らは何を求めているのか。治安が崩壊して日常的に暴力に晒されている環境から逃れるためには、治安がいい隣接国に移住するだろう。紛争国から難民が周辺国に溢れ出すのは珍しいことではない。今回の陸路で米国を目指している集団は、米国でなければ得られないものを求めている。それは職であり、安定した豊かな生活だろう。
これまで米国を目指す中米の人々は、合法的に入国するか密入国してきた。おそらく米国に合法的に入国することも密入国することもできない困窮した人々が今回、米国を目指して歩き始めた。何らかの衝動に突き動かされたとも見える動きだが、母国へレッドカードを突きつけた意思表示でもある。
米国に行けば何とかなると母国を捨てた人々。だが、米国は拒絶の姿勢を明らかにし、メキシコなどに対する圧力を強めている。母国を捨てた人々は、国家の支配から逃れたかに見えるが、国際社会における国家間の利害対立に巻き込まれ、別の国家の支配下に置かれる。
現在の人類(ホモ・サピエンス)はアフリカから出て世界に拡散したという。文明が発達した現在でも、生き延びるために移動する人々がいることを大量の難民・移民や今回の集団は示している。そうした移動を阻むのが、国家であり国境である。国境を超えて自由な移動を求める人々の動きは、国家による人間の支配に疑問を突きつけている。
2018年10月24日水曜日
国を捨てる人々
米国の南側に位置するのがメキシコで、その南は順にグアテマラ、ホンジュラスと続く。外務省サイトによるとホンジュラスは人口911万人、農林牧畜業(コーヒー、バナナ、パーム油、養殖エビ等)が主要産業で1人当たりGDPは2361ドル、経済状況の立て直しが急務の課題という。
ホンジュラスへの渡航に対して外務省は、首都テグシガルバを含め国土の半分以上の地域を危険レベル2(「不要不急の渡航は止める」)とし、残りの地域も危険レベル1(「特別な注意が必要」)とするなど、治安状況は良くない。殺人発生率が高く、ギャング集団の活動が活発で、世界で最も治安が悪い国ともされる。
そのホンジュラスから、米国を目指して5千人以上の集団が陸路で北上を続け、一部はすでにグアテマラを通過してメキシコに入ったという。最初は100人規模だったが、途中で加わる人々が次々に増えて膨れ上がり、さらに新たな集団が北上を始めたともいう。どういう経緯で人々が北上を始めたのかはまだ伝えられていない。
日常において暴力にさらされ、貧困の中で生きる人々が、少しでもマシな生活を求めて移動するというのは人類の歴史において繰り返されてきたことだ。最近でも、ベネズエラから200万人以上が国を捨てて周辺国に移ったとされ、中東やアフリカからも毎年、多くの人々が欧州を目指して移動している。
国境が存在しない昔なら人々の移動は自己責任で自由だったが、地表を国家が国境で分割した現代、国境を越える人々の移動を国家は制限する。特に米国や欧州などの豊かな先進国は世界の人々の移動の目的地になるだけに、人々の自由な移動を制限する(富を世界から自国に収集(収奪)することは正当化している)。
国境を越える人々の移動は、①より良い生活を求めて先進国に移住、②生命や生活が脅かされる社会からの脱出、に大別される。②の人々は難民とされることが多い。ホンジュラスやベネズエラなどのように自国を捨てて脱出する人々は主観では難民だろうが、国際政治では移民と扱われよう。
難民と移民では国際社会の扱いは異なる。国際報道は欧米メディアが主体であるから、難民でも移民でも先進国を目指す人々は、迫る脅威とか同情すべき対象として扱われる。そうした国際報道からは、国を捨てて脱出する人々の決断の「重さ」が欠落し、そうした人々側からの視点がない。
苛政や貧困、暴力などからの逃避を人間の権利として国際社会が認めたならば、この世界は、どんなに様変わりするだろうか。先進国への人々の大規模な移動が始まり、先進国が世界から収集した富はそれらの人々のために使われ、グローバリズムの結果としての先進国への富の偏在を修正するために役立つかもしれない。
ホンジュラスへの渡航に対して外務省は、首都テグシガルバを含め国土の半分以上の地域を危険レベル2(「不要不急の渡航は止める」)とし、残りの地域も危険レベル1(「特別な注意が必要」)とするなど、治安状況は良くない。殺人発生率が高く、ギャング集団の活動が活発で、世界で最も治安が悪い国ともされる。
そのホンジュラスから、米国を目指して5千人以上の集団が陸路で北上を続け、一部はすでにグアテマラを通過してメキシコに入ったという。最初は100人規模だったが、途中で加わる人々が次々に増えて膨れ上がり、さらに新たな集団が北上を始めたともいう。どういう経緯で人々が北上を始めたのかはまだ伝えられていない。
日常において暴力にさらされ、貧困の中で生きる人々が、少しでもマシな生活を求めて移動するというのは人類の歴史において繰り返されてきたことだ。最近でも、ベネズエラから200万人以上が国を捨てて周辺国に移ったとされ、中東やアフリカからも毎年、多くの人々が欧州を目指して移動している。
国境が存在しない昔なら人々の移動は自己責任で自由だったが、地表を国家が国境で分割した現代、国境を越える人々の移動を国家は制限する。特に米国や欧州などの豊かな先進国は世界の人々の移動の目的地になるだけに、人々の自由な移動を制限する(富を世界から自国に収集(収奪)することは正当化している)。
国境を越える人々の移動は、①より良い生活を求めて先進国に移住、②生命や生活が脅かされる社会からの脱出、に大別される。②の人々は難民とされることが多い。ホンジュラスやベネズエラなどのように自国を捨てて脱出する人々は主観では難民だろうが、国際政治では移民と扱われよう。
難民と移民では国際社会の扱いは異なる。国際報道は欧米メディアが主体であるから、難民でも移民でも先進国を目指す人々は、迫る脅威とか同情すべき対象として扱われる。そうした国際報道からは、国を捨てて脱出する人々の決断の「重さ」が欠落し、そうした人々側からの視点がない。
苛政や貧困、暴力などからの逃避を人間の権利として国際社会が認めたならば、この世界は、どんなに様変わりするだろうか。先進国への人々の大規模な移動が始まり、先進国が世界から収集した富はそれらの人々のために使われ、グローバリズムの結果としての先進国への富の偏在を修正するために役立つかもしれない。
2018年10月20日土曜日
二重の所属
人は様々な集団を形成したり、集団に所属したり帰属したりして生きる。最小単位は家庭で、収入を得るために会社などの組織に所属し、スポーツクラブや趣味サークルなどに属し、人によっては政治組織に所属する人もいるだろう。属していると意識する最大の集団は国家かもしれない(もっと大きな人類意識を持つ人もいよう)。
集団と個人の関係は多様だ。集団は属している個人に義務と責任を負わせたりするが、個人も集団に影響を与え、集団を変化させることができる(個人の力が弱すぎたり、個人が集団に無関心であれば、集団から一方的な義務と責任を求められたりするので、集団の圧力ばかりを感じることになる)。
集団が個人を強く束縛する場合もあれば、緩い束縛もある。その違いは集団の性格により異なるが、集団と個人の関係にもよる。所属意識が強い個人なら強い束縛は気にならないかもしれないが、自立心が強い個人なら強い束縛を圧迫と感じよう。集団と集団の利害が対立することも珍しくなく、例えば、企業は社員に家庭生活より会社を優先することを求め、遅くまで毎日残業し、休日にも出社する人がいる。
様々な集団に人は属するといっても、同じ性質の集団で2つ、3つと複数に属することは忌避すべきとされる。例えば、正式に結婚した相手がいる家庭の他に家庭を持ったり、会社勤めをしながら他の会社の社員になって仕事をしたり、与党の党員になりながら野党の党員にもなるなど、そうした行為が明るみに出たなら批判されよう。
同じ性質の集団には一カ所にしか属さない……というのは原則ではない。スポーツクラブや趣味サークルなどなら複数に属することは個人の裁量に任されるだろうし、社員の副業を容認する企業もある。問題視されるのは、利害が対立する可能性がある複数の集団に同時に属するケースだ。例えば、国籍。
全ての国が民主主義や個人の自由・権利を尊重して平和に共存する世界なら、二重国籍は問題にならないかもしれない。だが現実は、強権で国内を抑え込み、対外的な勢力拡張のために軍事行動をちらつかせる国があちこちに存在する。そうした国には、外国に居住する自国の国籍保持者にも自国への忠誠を求め、自国からの指示に従って“愛国”的な行動を行うように定めているところもある。そんな指示に従わない人もいれば、従う人もいるだろう。
欧州のように国境を越える人の移動が活発だったり、度重なる戦争で国境が揺れ動いた地域や、南北アメリカなど移民で国家を形成したところでは歴史的にも二重国籍を容認しやすいだろう。日本のように、国境を越えての人の移住が活発ではない歴史を持つ国では、二重国籍は特別な問題となる。欧米を見習えば良いという安易な発想では片付かない問題だろう。
集団と個人の関係は多様だ。集団は属している個人に義務と責任を負わせたりするが、個人も集団に影響を与え、集団を変化させることができる(個人の力が弱すぎたり、個人が集団に無関心であれば、集団から一方的な義務と責任を求められたりするので、集団の圧力ばかりを感じることになる)。
集団が個人を強く束縛する場合もあれば、緩い束縛もある。その違いは集団の性格により異なるが、集団と個人の関係にもよる。所属意識が強い個人なら強い束縛は気にならないかもしれないが、自立心が強い個人なら強い束縛を圧迫と感じよう。集団と集団の利害が対立することも珍しくなく、例えば、企業は社員に家庭生活より会社を優先することを求め、遅くまで毎日残業し、休日にも出社する人がいる。
様々な集団に人は属するといっても、同じ性質の集団で2つ、3つと複数に属することは忌避すべきとされる。例えば、正式に結婚した相手がいる家庭の他に家庭を持ったり、会社勤めをしながら他の会社の社員になって仕事をしたり、与党の党員になりながら野党の党員にもなるなど、そうした行為が明るみに出たなら批判されよう。
同じ性質の集団には一カ所にしか属さない……というのは原則ではない。スポーツクラブや趣味サークルなどなら複数に属することは個人の裁量に任されるだろうし、社員の副業を容認する企業もある。問題視されるのは、利害が対立する可能性がある複数の集団に同時に属するケースだ。例えば、国籍。
全ての国が民主主義や個人の自由・権利を尊重して平和に共存する世界なら、二重国籍は問題にならないかもしれない。だが現実は、強権で国内を抑え込み、対外的な勢力拡張のために軍事行動をちらつかせる国があちこちに存在する。そうした国には、外国に居住する自国の国籍保持者にも自国への忠誠を求め、自国からの指示に従って“愛国”的な行動を行うように定めているところもある。そんな指示に従わない人もいれば、従う人もいるだろう。
欧州のように国境を越える人の移動が活発だったり、度重なる戦争で国境が揺れ動いた地域や、南北アメリカなど移民で国家を形成したところでは歴史的にも二重国籍を容認しやすいだろう。日本のように、国境を越えての人の移住が活発ではない歴史を持つ国では、二重国籍は特別な問題となる。欧米を見習えば良いという安易な発想では片付かない問題だろう。
2018年10月17日水曜日
国際機関トップと不祥事
2011年5月に米ニューヨークで性的暴行、強姦未遂容疑で身柄を拘束されたのが国際通貨基金(IMF)のドミニク・ストロス=カーン専務理事。この件は示談になったそうだが、同氏はフランス政界の実力者で、有力な大統領候補の一人でもあった。
同氏はまた、数々の女性問題でも知られていたそうだ。米NYでの事件は当時、仏大統領選の有力候補でもあった同氏を失脚させる陰謀との見方さえあったが、翌年、売春婦が参加するパーティーに同氏は臨んでいたそうだ。政治より女性が同氏にとって上位の「価値ある」ものだったのかもしれない。
国際機関の現職トップが不祥事を起こしたり、過去の不祥事が暴かれて任期途中で辞任するケースは珍しい。国際機関トップは同時に出身国の威信や利害とも微妙に関係するだけに、不祥事などがあっても隠蔽して各国は穏やかに任期を全うさせるようにするだろう。
だが、国際舞台で「強国」との自負を隠さなくなり、各国に大国として扱うよう求める中国は、せっかく2016年、国際刑事警察機構(インターポール)の総裁に中国人の孟宏偉氏を着かせたのに、その総裁を2018年9月に中国に帰国させて拘束、辞任させた。
9月下旬から総裁が行方不明になっているとの報道があり、2週間ほど後に中国は孟宏偉総裁を収賄容疑で拘束し、取り調べていると発表した。公職者の汚職摘発を担う中国当局は孟氏が捜査対象となっているとし、公安トップだった周永康氏との関係に注意を向けさせる動きもあるそうだ。
総裁の具体的な容疑は明らかにされていないが、孟宏偉氏は中国国内で長く警察関係で働き、国家海洋局副局長などに就任していた。汚職などの容疑が以前からあったのなら国際機関トップに中国が推したりはしないだろうから、孟宏偉氏が総裁に就任した後に容疑が浮上したことになる。
国際機関の数少ない中国人トップを引き摺り下ろすという中国の行動は不思議で奇妙に映る。国際舞台での「メンツ」を重んじるなら、1期だけでも任期を全うさせたり、病気などを理由に退かせることもできた。すぐ拘束に動かざるを得ない何らかの事情があったと解釈するしかないが、汚職容疑が正当なら、中国はインターポールのトップに汚職官僚を推していたことになる。
同氏はまた、数々の女性問題でも知られていたそうだ。米NYでの事件は当時、仏大統領選の有力候補でもあった同氏を失脚させる陰謀との見方さえあったが、翌年、売春婦が参加するパーティーに同氏は臨んでいたそうだ。政治より女性が同氏にとって上位の「価値ある」ものだったのかもしれない。
国際機関の現職トップが不祥事を起こしたり、過去の不祥事が暴かれて任期途中で辞任するケースは珍しい。国際機関トップは同時に出身国の威信や利害とも微妙に関係するだけに、不祥事などがあっても隠蔽して各国は穏やかに任期を全うさせるようにするだろう。
だが、国際舞台で「強国」との自負を隠さなくなり、各国に大国として扱うよう求める中国は、せっかく2016年、国際刑事警察機構(インターポール)の総裁に中国人の孟宏偉氏を着かせたのに、その総裁を2018年9月に中国に帰国させて拘束、辞任させた。
9月下旬から総裁が行方不明になっているとの報道があり、2週間ほど後に中国は孟宏偉総裁を収賄容疑で拘束し、取り調べていると発表した。公職者の汚職摘発を担う中国当局は孟氏が捜査対象となっているとし、公安トップだった周永康氏との関係に注意を向けさせる動きもあるそうだ。
総裁の具体的な容疑は明らかにされていないが、孟宏偉氏は中国国内で長く警察関係で働き、国家海洋局副局長などに就任していた。汚職などの容疑が以前からあったのなら国際機関トップに中国が推したりはしないだろうから、孟宏偉氏が総裁に就任した後に容疑が浮上したことになる。
国際機関の数少ない中国人トップを引き摺り下ろすという中国の行動は不思議で奇妙に映る。国際舞台での「メンツ」を重んじるなら、1期だけでも任期を全うさせたり、病気などを理由に退かせることもできた。すぐ拘束に動かざるを得ない何らかの事情があったと解釈するしかないが、汚職容疑が正当なら、中国はインターポールのトップに汚職官僚を推していたことになる。
2018年10月13日土曜日
神輿と山車
毎年10月に開催される川越まつりでは、最上部に精巧な人形を乗せた高さ8メートルほどの山車が市中を曳き回される。山車の台車の上には囃子方と面をつけた舞い手が乗る舞台(囃し台)があり、その上部の二層の鉾と人形は上げ下げでき、高さを調節できるようになっている。
川越の山車は、台車の上で舞台が水平に回転できるようになっており、夜間の巡行で交差点などで山車どうしが出合うと、互いの舞台を回して正面を向き合い、演舞合戦をする(曳っかわせ)。これが最大の見どころとされ、山車の周りに集まった観客の盛り上がりは最高潮になる。
川越まつりは川越氷川神社の祭礼が起源という。山車が出る祭礼は関東各地にも多いのだが、関東でも特に東京の祭というと、神田祭や三社祭、深川八幡祭りなどのような、神輿がメーンの祭りの印象が強い。各地の神社の祭礼が、神輿と山車に分かれるのはなぜか。
一般的には、神輿は、神社にいる神が神社を出て氏子の間を回って御旅所まで行って帰ってくるときの乗り物とされる。山車は、山などにいる神が祭礼の時に招き入れられ、その落ち着き所(依り代)とされる。神輿では祭礼の時に御神体を神輿に移すが、山車には自然に山などから神が降りてくるとされている。
また、人々が曳き回す山車には人が乗ってもいいいが、人々が担ぎ上げる神輿に人が乗ることは許されないなどの違いもある。山車では山などから訪れた神と混じり合って人々が祝うのが許されているのに対し、神輿に乗っている神は人々が畏れ敬う対象とされている。
その土地に「定住」している神が神社を離れる時の乗り物が神輿で、その土地には「定住」していない神がやって来て一時の宿とするのが山車。どちらも神の存在が前提で、日本には数多くの神がいるとされるから、神と人間の接し方に様々な変化が生まれたのだろう。
神社であれ山などであれ、そこに神が存在すると本当に信じている人が現在どれほどいるのか不明だが、各地で祭礼は多くの観客で賑わう。日本の神に対しては信仰を強制されないから、曖昧なままで多くの神の存在は否定されずに、神輿も山車も祭礼も受け継がれている。
川越の山車は、台車の上で舞台が水平に回転できるようになっており、夜間の巡行で交差点などで山車どうしが出合うと、互いの舞台を回して正面を向き合い、演舞合戦をする(曳っかわせ)。これが最大の見どころとされ、山車の周りに集まった観客の盛り上がりは最高潮になる。
川越まつりは川越氷川神社の祭礼が起源という。山車が出る祭礼は関東各地にも多いのだが、関東でも特に東京の祭というと、神田祭や三社祭、深川八幡祭りなどのような、神輿がメーンの祭りの印象が強い。各地の神社の祭礼が、神輿と山車に分かれるのはなぜか。
一般的には、神輿は、神社にいる神が神社を出て氏子の間を回って御旅所まで行って帰ってくるときの乗り物とされる。山車は、山などにいる神が祭礼の時に招き入れられ、その落ち着き所(依り代)とされる。神輿では祭礼の時に御神体を神輿に移すが、山車には自然に山などから神が降りてくるとされている。
また、人々が曳き回す山車には人が乗ってもいいいが、人々が担ぎ上げる神輿に人が乗ることは許されないなどの違いもある。山車では山などから訪れた神と混じり合って人々が祝うのが許されているのに対し、神輿に乗っている神は人々が畏れ敬う対象とされている。
その土地に「定住」している神が神社を離れる時の乗り物が神輿で、その土地には「定住」していない神がやって来て一時の宿とするのが山車。どちらも神の存在が前提で、日本には数多くの神がいるとされるから、神と人間の接し方に様々な変化が生まれたのだろう。
神社であれ山などであれ、そこに神が存在すると本当に信じている人が現在どれほどいるのか不明だが、各地で祭礼は多くの観客で賑わう。日本の神に対しては信仰を強制されないから、曖昧なままで多くの神の存在は否定されずに、神輿も山車も祭礼も受け継がれている。
2018年10月10日水曜日
セダンの復権
トヨタの「クラウン」がモデルチェンジし、受注は好調だという。ある程度の台数はコンスタントに毎年売っていたモデルだから、買い替え需要だけで相応の受注があるのは当然だろう。発売1カ月の注文の約45%が法人で、年代別では6割が60歳以上だという。
クラウンはオーソドックスな4ドアセダンのスタイルを守ってきたが、新型は「クラウン史上最高にスポーティなデザイン」を目指したとする。リアウインドーを寝かせた4ドア6ライトクーペに変身させ、「ダイレクトで正確なハンドリング」に「徹底的に鍛え抜いた」そうだ。
そうしたイメージチェンジが受注にどれほど影響しているのかは定かではないが、法人や高齢層からの受注が多い販売動向からは従来ユーザーが買っていると見える。メーカーはクラウンを新しいスポーティーセダンに位置付けてユーザー層の若返りを狙ったのだろうが、その効果のほどはまだ確かではない
後部にトランクを持つセダンスタイルは長らく自動車の主流だった。しかし、自動車が大衆化し、生活道具として機能が一層重視されるようになると、乗り降りするには車高が高いほうが楽で、荷物を多く積むことができるほうが便利だと使い勝手がいいSUVやミニバンなどに世界的に需要がシフトした。
自動車の所有がステータスシンボルであった時代は過ぎ去り、生活道具と見なされる時代になり、4ドアセダンの販売は世界的に低迷している。米フォードは北米市場でセダンの販売から撤退し、SUVなどに商品を絞ると表明、ブランド信仰に支えられている独メーカーでもSUVのラインナップを大幅に拡充している。
そんな中でトヨタは、新型カムリの発表時に強調するなど「セダンの復権」を目指しているらしい。大ヒットすることが見込めないセダンの新型車を発表するから、「セダンの復権」を強調しなければならなくなったとも見える。だが、セダンが復権する必要はあるのか疑問だ。
クラウンではニュルブルクリンクを走ってテストしたことをアピールするなどトヨタは、セダンの魅力として「走り」を強調する。独の高級セダンのイメージとダブらせるのは販売戦略だろうが、ファミリーカーだったセダンが「走り」のイメージに頼るしかなくなったのは、「セダンの復権」ではなく「セダンの変質」だろう。
クラウンはオーソドックスな4ドアセダンのスタイルを守ってきたが、新型は「クラウン史上最高にスポーティなデザイン」を目指したとする。リアウインドーを寝かせた4ドア6ライトクーペに変身させ、「ダイレクトで正確なハンドリング」に「徹底的に鍛え抜いた」そうだ。
そうしたイメージチェンジが受注にどれほど影響しているのかは定かではないが、法人や高齢層からの受注が多い販売動向からは従来ユーザーが買っていると見える。メーカーはクラウンを新しいスポーティーセダンに位置付けてユーザー層の若返りを狙ったのだろうが、その効果のほどはまだ確かではない
後部にトランクを持つセダンスタイルは長らく自動車の主流だった。しかし、自動車が大衆化し、生活道具として機能が一層重視されるようになると、乗り降りするには車高が高いほうが楽で、荷物を多く積むことができるほうが便利だと使い勝手がいいSUVやミニバンなどに世界的に需要がシフトした。
自動車の所有がステータスシンボルであった時代は過ぎ去り、生活道具と見なされる時代になり、4ドアセダンの販売は世界的に低迷している。米フォードは北米市場でセダンの販売から撤退し、SUVなどに商品を絞ると表明、ブランド信仰に支えられている独メーカーでもSUVのラインナップを大幅に拡充している。
そんな中でトヨタは、新型カムリの発表時に強調するなど「セダンの復権」を目指しているらしい。大ヒットすることが見込めないセダンの新型車を発表するから、「セダンの復権」を強調しなければならなくなったとも見える。だが、セダンが復権する必要はあるのか疑問だ。
クラウンではニュルブルクリンクを走ってテストしたことをアピールするなどトヨタは、セダンの魅力として「走り」を強調する。独の高級セダンのイメージとダブらせるのは販売戦略だろうが、ファミリーカーだったセダンが「走り」のイメージに頼るしかなくなったのは、「セダンの復権」ではなく「セダンの変質」だろう。
2018年10月6日土曜日
読者に媚びる
雑誌「新潮45」が休刊となった。新潮社は「お知らせ」で「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになって」いて「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現を掲載」したことをお詫びし、「十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込め」て休刊を決断したとする。
同誌は大幅な部数の落ち込みで、右寄りの保守系雑誌(売れているのだろう)に追随する方向に編集方針を転換したと見られている。それで販売部数が上向いたかどうかは定かではないが、二番煎じで「当てる」のは簡単ではない。右寄り層の注目を集めるために過激になったとも見られるが、それも定かではない。
新潮社の「お知らせ」では、「企画の吟味や原稿チェックがおろそか」だと同誌の編集部を批判するが、「不十分な編集体制だった」と出版社の責任も認めた。どうやら共同責任ということで幕引きになりそうだ。説明責任を問い、客観的な検証を要求することは告発記事に欠かせないが、自社に関して沈黙する出版社は珍しくない。
右寄りに誌面を変え、朝日新聞や既存リベラル、野党を批判し、嫌韓・嫌中や自民支持などの記事を必ず掲載すれば販売部数が増える……なら編集者は気楽な稼業なのだが、そんな後追いで売れるほど甘くない。編集者には時代の半歩先、1歩先を見通すカンが必要だが、販売部数という目先の結果だけを求められると編集現場は疲弊する。
とはいえ、売れなければ雑誌の発行を続けることは困難だから、販売部数の増加を目指すことは当然で、売れている雑誌などの企画に「ヒントを得る」ことは珍しくない。だが、ただの二番煎じと見破られないように編集者は、切り口や視点を変えたり、新しい書き手を発掘したり、工夫するものだ。
「新聞は読者に媚びるものだ」とは山本夏彦氏の言葉だったか。販売部数を増やすために読者に媚びるのは雑誌も同じだ。テレビが視聴者に媚び、ネット媒体がページビューを増やすために閲覧者に媚びるのは、広告を増やすためだろう。
「新潮45」が右寄り保守系雑誌に衣替えして部数が伸びていたなら、出版社は、編集長の交代で責任を取らせる一方で雑誌の発行は続けただろう。右寄り保守層の読者に媚びてはみたものの、競合誌から読者を奪うほどの誌面をつくることができなかったのが「新潮45」の敗因だ。つまり、媚びるだけでは読者が面白がる雑誌はできないということ。
同誌は大幅な部数の落ち込みで、右寄りの保守系雑誌(売れているのだろう)に追随する方向に編集方針を転換したと見られている。それで販売部数が上向いたかどうかは定かではないが、二番煎じで「当てる」のは簡単ではない。右寄り層の注目を集めるために過激になったとも見られるが、それも定かではない。
新潮社の「お知らせ」では、「企画の吟味や原稿チェックがおろそか」だと同誌の編集部を批判するが、「不十分な編集体制だった」と出版社の責任も認めた。どうやら共同責任ということで幕引きになりそうだ。説明責任を問い、客観的な検証を要求することは告発記事に欠かせないが、自社に関して沈黙する出版社は珍しくない。
右寄りに誌面を変え、朝日新聞や既存リベラル、野党を批判し、嫌韓・嫌中や自民支持などの記事を必ず掲載すれば販売部数が増える……なら編集者は気楽な稼業なのだが、そんな後追いで売れるほど甘くない。編集者には時代の半歩先、1歩先を見通すカンが必要だが、販売部数という目先の結果だけを求められると編集現場は疲弊する。
とはいえ、売れなければ雑誌の発行を続けることは困難だから、販売部数の増加を目指すことは当然で、売れている雑誌などの企画に「ヒントを得る」ことは珍しくない。だが、ただの二番煎じと見破られないように編集者は、切り口や視点を変えたり、新しい書き手を発掘したり、工夫するものだ。
「新聞は読者に媚びるものだ」とは山本夏彦氏の言葉だったか。販売部数を増やすために読者に媚びるのは雑誌も同じだ。テレビが視聴者に媚び、ネット媒体がページビューを増やすために閲覧者に媚びるのは、広告を増やすためだろう。
「新潮45」が右寄り保守系雑誌に衣替えして部数が伸びていたなら、出版社は、編集長の交代で責任を取らせる一方で雑誌の発行は続けただろう。右寄り保守層の読者に媚びてはみたものの、競合誌から読者を奪うほどの誌面をつくることができなかったのが「新潮45」の敗因だ。つまり、媚びるだけでは読者が面白がる雑誌はできないということ。
2018年10月3日水曜日
つくられるニュース
東京の上野動物園で2017年6月に生まれた子パンダ「シャンシャン」に関するニュースは妊娠から誕生、生育状況と細かく報じられ、一般公開以降も折に触れてニュースに登場する。日本に存在する唯一の子パンダだから関心が高く、ニュース価値がある……ようだが、事実は異なる。
和歌山県のアドベンチャーワールドは、2018年8月に誕生した子パンダの一般公開を始めた。アドベンチャーワールドではこれまでに15頭の繁殖に成功し、うち11頭を中国に送っている。日本での子パンダ誕生は珍しい出来事ではなかったのだが、それが上野動物園での出来事となると大きなニュースとなる。
大きなニュースに仕立て上げられるのは、第一にニュースの発信力が強大な大手メディアが東京に集中しているからだ。ニュースは圧倒的に東京から全国に流される。和歌山での子パンダ誕生は東京から見てローカルニュースの扱いだが、上野動物園での子パンダ誕生は東京発の全国ニュースになる。
第二に、東京の大手メディアが取材に動いたからだ。東京のメディアが取材した出来事は東京発のニュースとして全国に向けて流される。別の言い方をすれば、和歌山の子パンダ誕生を東京から取材に行っていれば大きな全国ニュースになっただろう。
東京に集中した大手メディアが取材し、報じることで大半の全国ニュースがつくられ、ニュース価値の軽重も提示される。そうやって、つくられ、流される全国ニュースによって大半の受け手は社会や世界の認識を形成する。上野動物園での子パンダの誕生が事実であるのと同様に、他のニュースも事実であると受け止める。
ニュースとして報じられることは全て事実である……と送り手も受け手も大半が信じるニュースの多くは東京の大手メディアによって取材され、つくられている。和歌山で誕生した15頭の子パンダより、上野動物園で誕生した1頭の子パンダに大騒ぎするように、人々の世界観は東京発のニュースによって形成される。
ニュースは消費されるものである。東京圏に人口が集中していることがニュース価値に影響を与え、東京圏で上野動物園での子パンダ誕生への関心が高いことで、東京の大手メディアが取材するたびに東京発の全国ニュースに仕立てられる。かくして東京圏以外に住む人々も、東京圏の価値判断を刷り込まれることになる。
和歌山県のアドベンチャーワールドは、2018年8月に誕生した子パンダの一般公開を始めた。アドベンチャーワールドではこれまでに15頭の繁殖に成功し、うち11頭を中国に送っている。日本での子パンダ誕生は珍しい出来事ではなかったのだが、それが上野動物園での出来事となると大きなニュースとなる。
大きなニュースに仕立て上げられるのは、第一にニュースの発信力が強大な大手メディアが東京に集中しているからだ。ニュースは圧倒的に東京から全国に流される。和歌山での子パンダ誕生は東京から見てローカルニュースの扱いだが、上野動物園での子パンダ誕生は東京発の全国ニュースになる。
第二に、東京の大手メディアが取材に動いたからだ。東京のメディアが取材した出来事は東京発のニュースとして全国に向けて流される。別の言い方をすれば、和歌山の子パンダ誕生を東京から取材に行っていれば大きな全国ニュースになっただろう。
東京に集中した大手メディアが取材し、報じることで大半の全国ニュースがつくられ、ニュース価値の軽重も提示される。そうやって、つくられ、流される全国ニュースによって大半の受け手は社会や世界の認識を形成する。上野動物園での子パンダの誕生が事実であるのと同様に、他のニュースも事実であると受け止める。
ニュースとして報じられることは全て事実である……と送り手も受け手も大半が信じるニュースの多くは東京の大手メディアによって取材され、つくられている。和歌山で誕生した15頭の子パンダより、上野動物園で誕生した1頭の子パンダに大騒ぎするように、人々の世界観は東京発のニュースによって形成される。
ニュースは消費されるものである。東京圏に人口が集中していることがニュース価値に影響を与え、東京圏で上野動物園での子パンダ誕生への関心が高いことで、東京の大手メディアが取材するたびに東京発の全国ニュースに仕立てられる。かくして東京圏以外に住む人々も、東京圏の価値判断を刷り込まれることになる。
2018年9月29日土曜日
司教の任命権
「ペトロはローマに行き、教会をつくりました。このペトロの後継者がローマ司教、すなわちローマ教皇です。そして使徒たちの後継者が世界中で働いている司教なのです」(カトリック中央協議会サイトから)。世界には約2500の教会(教区)があり、司教は任された地域(教区)の全ての教会活動に責任を負うとされる。
教区は中国にもあるが、バチカンのローマ法王(教皇)による司教の任命は内政干渉だと中国政府は拒否してきた。中国内では、中国政府が任命する司教による政府公認教会と、中国政府の公認がない「地下協会」に分かれる一方、バチカンは台湾と外交関係を維持してきた。
バチカンが世界で司教を任命するのは、宗教的な行為なのか非宗教的な行為なのか。宗教的な行為だとするとバチカンは絶対に妥協することはできないだろうが、非宗教的な行為だとすると妥協の余地はある。バチカンは中国政府と司教任命権問題で暫定合意し、中国政府が任命した司教7人をローマ法王が承認した。
宗教団体が組織を構築することは、主観的には信仰に関わる活動であろうが、客観的には世俗団体による組織活動と等しい。教区における教会活動は、聖なる世界(信仰)と俗なる世界(信仰者の生活や組織維持などのための活動)が入り混じる。司教の役割は、聖なる世界の責任者であり、また、俗なる世界の責任者であろう。
今回の暫定合意は詳細が伏せられているが、バチカンが中国政府に妥協したとの見方が報じられている。今後、中国政府が選んだ司教をローマ法王が承認せざるを得ないのであれば、司教の任命権は実質的にローマ法王ではなく中国政府が保有する。
ペトロの後継者であるというローマ法王が保有する、世界で司教を任命する権限。それを中国では中国政府が保有することをローマ法王が容認したのは、中国政府公認協会と地下協会の統一へ向けた環境整備かもしれない。司教の任命は俗なる世界の組織維持のためで宗教的行為ではないと判断したから、バチカンの組織拡大のために妥協することができた。
中国政府は今回の暫定合意で「メンツ」を保つことができた。独裁する権力は、上位にある権力や権威の存在を許さないことで体制を維持する。おそらく神の存在も許さないだろうから中国政府は、バチカンやローマ法王を恐れず、個人の中国人の精神世界に影響を及ぼす宗教活動をも「内政」干渉だと拒否できた。
教区は中国にもあるが、バチカンのローマ法王(教皇)による司教の任命は内政干渉だと中国政府は拒否してきた。中国内では、中国政府が任命する司教による政府公認教会と、中国政府の公認がない「地下協会」に分かれる一方、バチカンは台湾と外交関係を維持してきた。
バチカンが世界で司教を任命するのは、宗教的な行為なのか非宗教的な行為なのか。宗教的な行為だとするとバチカンは絶対に妥協することはできないだろうが、非宗教的な行為だとすると妥協の余地はある。バチカンは中国政府と司教任命権問題で暫定合意し、中国政府が任命した司教7人をローマ法王が承認した。
宗教団体が組織を構築することは、主観的には信仰に関わる活動であろうが、客観的には世俗団体による組織活動と等しい。教区における教会活動は、聖なる世界(信仰)と俗なる世界(信仰者の生活や組織維持などのための活動)が入り混じる。司教の役割は、聖なる世界の責任者であり、また、俗なる世界の責任者であろう。
今回の暫定合意は詳細が伏せられているが、バチカンが中国政府に妥協したとの見方が報じられている。今後、中国政府が選んだ司教をローマ法王が承認せざるを得ないのであれば、司教の任命権は実質的にローマ法王ではなく中国政府が保有する。
ペトロの後継者であるというローマ法王が保有する、世界で司教を任命する権限。それを中国では中国政府が保有することをローマ法王が容認したのは、中国政府公認協会と地下協会の統一へ向けた環境整備かもしれない。司教の任命は俗なる世界の組織維持のためで宗教的行為ではないと判断したから、バチカンの組織拡大のために妥協することができた。
中国政府は今回の暫定合意で「メンツ」を保つことができた。独裁する権力は、上位にある権力や権威の存在を許さないことで体制を維持する。おそらく神の存在も許さないだろうから中国政府は、バチカンやローマ法王を恐れず、個人の中国人の精神世界に影響を及ぼす宗教活動をも「内政」干渉だと拒否できた。
2018年9月26日水曜日
100万人以上の強制的な収容
8月に開催された国連人種差別撤廃委員会で米人権活動家が、「新疆ウイグル自治区でウイグル族の人々ら100万人以上が再教育施設に強制的に収容されている」と指摘した。同委員会の報告書は、ウイグル族や少数派のイスラム教徒らの相当な人数が政治思想の再教育施設に強制収容されているとした。
中国は、治安強化対策は過激派やテロリスト対策として不可欠だと反論し、「軽微な罪を犯した者を職業技術教育就業訓練センターで学ばせている。合法的な権利も保障されている」とし、特定の民族を対象にした対策ではなく宗教の自由も制限していないと主張したそうだ。
両者の主張のどちらが「現実」を反映しているのか、それを検証するためには第三者が、指摘された再教育施設(あるいは職業技術教育就業訓練センター)を調査することが必要だ。だが中国政府は、新疆ウイグル自治区における第三者による調査や外国報道機関による自由な取材は決して認めない。
「100万人以上が再教育施設に強制的に収容されている」という外部からの指摘を否定するのは簡単だ。100万人以上の人々が強制的に収容など、されてはいないという「現実」を見せるだけでいい。それを見せるのを拒むのは、「現実」は異なるか、第三者に見られては不都合な「現実」があるからだろう。
中国政府はウイグル族やチベット族、モンゴル族などを厳しい監視下においているといわれる。共産党による独裁統治に対する、それらの民族の分離独立要求を抑え込むためだろうが、大量移住した漢民族が地域の経済的な覇権を握ったことに対する反発を抑え込むために必要になったとも見られている。
中国政府は「中華民族の偉大なる復興」を掲げている。中国政府が言う中華民族には、チベット族やウイグル族など中国国籍を持つ全民族が含まれるというが、100万人以上の強制的な収容・再教育が「現実」だとすれば、中国政府が言う中華民族からウイグル族などは除外される。
100万人以上の強制的な収容が必要なのは、中国共産党の独裁統治を続けるためだ。人民を解放した革命を成し遂げたことが中国共産党の独裁の正当性の理由だったが、年月とともに新たな正当化理由が必要になり、愛国主義を鼓舞したり、経済発展を持ち出したり、中華民族の復興を掲げたりする。
中国共産党の独裁統治が終了することで、中国をめぐる内外の問題の多くが解消に向かうだろう。だが、権力から離れると中国共産党指導部の「過去」が容赦なく暴かれる。100万人以上の強制的な収容は、中国共産党の独裁が続く限り解消されないだろう。
中国は、治安強化対策は過激派やテロリスト対策として不可欠だと反論し、「軽微な罪を犯した者を職業技術教育就業訓練センターで学ばせている。合法的な権利も保障されている」とし、特定の民族を対象にした対策ではなく宗教の自由も制限していないと主張したそうだ。
両者の主張のどちらが「現実」を反映しているのか、それを検証するためには第三者が、指摘された再教育施設(あるいは職業技術教育就業訓練センター)を調査することが必要だ。だが中国政府は、新疆ウイグル自治区における第三者による調査や外国報道機関による自由な取材は決して認めない。
「100万人以上が再教育施設に強制的に収容されている」という外部からの指摘を否定するのは簡単だ。100万人以上の人々が強制的に収容など、されてはいないという「現実」を見せるだけでいい。それを見せるのを拒むのは、「現実」は異なるか、第三者に見られては不都合な「現実」があるからだろう。
中国政府はウイグル族やチベット族、モンゴル族などを厳しい監視下においているといわれる。共産党による独裁統治に対する、それらの民族の分離独立要求を抑え込むためだろうが、大量移住した漢民族が地域の経済的な覇権を握ったことに対する反発を抑え込むために必要になったとも見られている。
中国政府は「中華民族の偉大なる復興」を掲げている。中国政府が言う中華民族には、チベット族やウイグル族など中国国籍を持つ全民族が含まれるというが、100万人以上の強制的な収容・再教育が「現実」だとすれば、中国政府が言う中華民族からウイグル族などは除外される。
100万人以上の強制的な収容が必要なのは、中国共産党の独裁統治を続けるためだ。人民を解放した革命を成し遂げたことが中国共産党の独裁の正当性の理由だったが、年月とともに新たな正当化理由が必要になり、愛国主義を鼓舞したり、経済発展を持ち出したり、中華民族の復興を掲げたりする。
中国共産党の独裁統治が終了することで、中国をめぐる内外の問題の多くが解消に向かうだろう。だが、権力から離れると中国共産党指導部の「過去」が容赦なく暴かれる。100万人以上の強制的な収容は、中国共産党の独裁が続く限り解消されないだろう。
2018年9月22日土曜日
ずれる岩盤
地震とは、地下で起きる岩盤の「ずれ」により発生する現象だと気象庁サイト。岩盤がずれるのは、地中では様々な力が存在するからだ。その代表的なものがプレートの移動による圧力。そのためプレート境界で発生する地震が多いが、プレート内部でも歪みが溜まって発生する地震がある。
プレート内部で発生する地震には、沈み込むプレート内の地震と陸側のプレート内の浅いところで発生する地震がある。プレート内には過去に形成された断層が多く存在し、様々な力が加わり続けると断層がずれ動いて地震を起こす。
ただプレート内で断層を生じるような岩盤があるのは地下15〜20キロぐらいまでとされる。それより深くなると、温度が上がるため岩盤は柔らかくなって変形する。様々な力が加わっても変形して歪みを逃すので、急激な岩盤の破壊は起きないとされていた。だが、そんな地下の岩盤でも地震は起きる。
北海道の胆振東部を震源とするM6.7の地震は気象庁によると、地殻内の深さ37キロで発生した、東北東ー西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型。逆断層型とは左右から圧縮応力がかかって動いたもので、正断層型とは引っ張り応力がかかって動いたもの。
今回の地震の震源近くに石狩低地東縁断層帯があるが、気象庁は「断層帯との関連は不明」としている。石狩低地東縁断層帯は地下25キロぐらいまでというから、今回の震源とは離れている。震源は、石狩低地東縁断層帯の延長なのか、別の断層なのか、新たに断層ができたのか不明だ。
地下では深くなるほど温度が上がる(地温勾配)。地域によりばらつきが大きいが、1キロ深くなると平均30度上がるとされ、深さ50キロ以上では1000度を超えるという。今回の震源の温度は不明だが、数百度はあっただろうから、そこで、なぜ岩盤がずれたのか。詳しい説明(仮説)はまだ現れていないようだ。
高温の岩盤が変形しても吸収できないほどの力が蓄積したから今回の地震となったのだろう。その力は太平洋プレートの圧力によるものと解釈するのが有力だろうが、気になるのは、近くに活火山が多いこと。マグマの動きも関係しているのなら、今後の火山活動の活発化などが懸念される。
プレート内部で発生する地震には、沈み込むプレート内の地震と陸側のプレート内の浅いところで発生する地震がある。プレート内には過去に形成された断層が多く存在し、様々な力が加わり続けると断層がずれ動いて地震を起こす。
ただプレート内で断層を生じるような岩盤があるのは地下15〜20キロぐらいまでとされる。それより深くなると、温度が上がるため岩盤は柔らかくなって変形する。様々な力が加わっても変形して歪みを逃すので、急激な岩盤の破壊は起きないとされていた。だが、そんな地下の岩盤でも地震は起きる。
北海道の胆振東部を震源とするM6.7の地震は気象庁によると、地殻内の深さ37キロで発生した、東北東ー西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型。逆断層型とは左右から圧縮応力がかかって動いたもので、正断層型とは引っ張り応力がかかって動いたもの。
今回の地震の震源近くに石狩低地東縁断層帯があるが、気象庁は「断層帯との関連は不明」としている。石狩低地東縁断層帯は地下25キロぐらいまでというから、今回の震源とは離れている。震源は、石狩低地東縁断層帯の延長なのか、別の断層なのか、新たに断層ができたのか不明だ。
地下では深くなるほど温度が上がる(地温勾配)。地域によりばらつきが大きいが、1キロ深くなると平均30度上がるとされ、深さ50キロ以上では1000度を超えるという。今回の震源の温度は不明だが、数百度はあっただろうから、そこで、なぜ岩盤がずれたのか。詳しい説明(仮説)はまだ現れていないようだ。
高温の岩盤が変形しても吸収できないほどの力が蓄積したから今回の地震となったのだろう。その力は太平洋プレートの圧力によるものと解釈するのが有力だろうが、気になるのは、近くに活火山が多いこと。マグマの動きも関係しているのなら、今後の火山活動の活発化などが懸念される。
2018年9月19日水曜日
星が見えた
北海道の都市部のマンション3階に住んでいる友人は、携帯電話の緊急地震速報のシグナル音で目覚め、以前にもシグナル音で目覚めたものの体に感じる揺れがなかったことから、「また空振りか」と思った途端に強烈な揺れに襲われ、部屋のタンスを置いてある側と反対側の壁に身を寄せたという。
揺れが収まって、誰にも怪我はなく、家具などの転倒もないことを確認し、情報を知ろうとラジオの電源スイッチを押したが、反応がない。部屋の照明スイッチを押しても、暗いままだ。「停電か?」と友人は、通りに面した北側の部屋に行って、窓から外を見た。
夜中なので明かりがついている窓がないことに不思議はないが、しばらく外を見ていた友人は、何か変だと感じた。やがて、街灯が一つもついていないことに気づいた。濃い藍色の夜の中に街が沈んで、建物のシルエットが黒い影となって広がっていた。
南側の部屋に行って窓から外を見た友人は、「こっちも全部消えてる」と停電が街全体に広がっていることを知った。送電網のどこかが破損したとすれば簡単には復旧しないかもしれないなと思いながら友人は、濃い藍色の夜の中の街を見ていた。そして、星の光がいくつも瞬いていることに気がついた。
窓を開けて身を乗り出して上空を見た友人は、多くの星が強弱さまざまな光を放ち、夜空に散らばっているのを見た。激しい地震のことが意識から消えて、はるかに遠くから届く星の光に、「星をじっくり見るなんて中学生の頃以来だ」と友人は、懐かしいものに出合ったように星を見ていたそうだ。
地震の後に、星空を見ていた人はけっこういたらしい。報道によると、札幌の中心部で天の川を見たなどという話がSNS上で話題になり、北海道各地からも同様の報告が寄せられているそうだ。街灯や建物などの灯りが消えたことで、都会の夜空にも星があることを人々は思い出した。
北海道全体を震わせた今回の地震のエネルギーは巨大なものだっただろうが、夜空の星の光は更に巨大なエネルギーが発生していることを示す。友人は、地球規模でも人間の営みは小さなものだが、宇宙レベルで見ると人間の営みなんてゼロに等しいと感じたという。地震に巻き込まれると人間は謙虚にならざるを得ない。
揺れが収まって、誰にも怪我はなく、家具などの転倒もないことを確認し、情報を知ろうとラジオの電源スイッチを押したが、反応がない。部屋の照明スイッチを押しても、暗いままだ。「停電か?」と友人は、通りに面した北側の部屋に行って、窓から外を見た。
夜中なので明かりがついている窓がないことに不思議はないが、しばらく外を見ていた友人は、何か変だと感じた。やがて、街灯が一つもついていないことに気づいた。濃い藍色の夜の中に街が沈んで、建物のシルエットが黒い影となって広がっていた。
南側の部屋に行って窓から外を見た友人は、「こっちも全部消えてる」と停電が街全体に広がっていることを知った。送電網のどこかが破損したとすれば簡単には復旧しないかもしれないなと思いながら友人は、濃い藍色の夜の中の街を見ていた。そして、星の光がいくつも瞬いていることに気がついた。
窓を開けて身を乗り出して上空を見た友人は、多くの星が強弱さまざまな光を放ち、夜空に散らばっているのを見た。激しい地震のことが意識から消えて、はるかに遠くから届く星の光に、「星をじっくり見るなんて中学生の頃以来だ」と友人は、懐かしいものに出合ったように星を見ていたそうだ。
地震の後に、星空を見ていた人はけっこういたらしい。報道によると、札幌の中心部で天の川を見たなどという話がSNS上で話題になり、北海道各地からも同様の報告が寄せられているそうだ。街灯や建物などの灯りが消えたことで、都会の夜空にも星があることを人々は思い出した。
北海道全体を震わせた今回の地震のエネルギーは巨大なものだっただろうが、夜空の星の光は更に巨大なエネルギーが発生していることを示す。友人は、地球規模でも人間の営みは小さなものだが、宇宙レベルで見ると人間の営みなんてゼロに等しいと感じたという。地震に巻き込まれると人間は謙虚にならざるを得ない。
2018年9月15日土曜日
プロスポーツ選手の所得
日本プロ野球選手会によると、プロ野球選手の平均年俸は3826万円(2017年。出来高分除く。12球団の支配下公示選手734人)。年俸1億円以上の選手数は72人いて全体の9.8%になるが、最も多いのが500万〜1000万円未満の212人で28.9%、次いで1000万〜2000万円未満188人の25.6%。500万円未満62人、8.4%なので、2000万円未満の選手が62.9%でほぼ3分の2を占める。
プロサッカー選手について公式発表はないようだが、専門サイトによるとJ1の平均年俸は2313万円(2017年)で、年俸1億円以上は11人だという。レギュラークラスで1000万〜5000万円程度というが、金額別の人数は詳らかではない。J2になると平均年俸は約400万円と大きく下がる。
大相撲の十両以上の力士には日本相撲協会から給与や各種手当が支払われる。横綱の月給は約282万円で、2カ月分の賞与も含め年収は約4000万円プラス各種手当等となる。懸賞金や優勝賞金などが多ければ年収は1億円を超すという。大関の月給は約234万円、三役は約170万円、平幕は約130万円、十両は約100万円。なお力士の総人数は約700人で、十両以上は約70人と1割。
プロスポーツでは最も人数が多いとされる競輪の登録選手数は2339人(2017年)。選手は大きく上位のS級と下位のA級に分かれる(女子はL級)。さらにS級、A級とも3段階に分けられ、最上位から順にSS、S1、S2、A1、A2、A3。選手数はSS9人、S1は211人、S2は458人、A1は542人、A2は553人、A3は457人、L級は109人となる。
競輪選手の収入は賞金が主で、2017年の平均取得額はSSは9009万円、S1は2236万円、S2は1242万円、A1は840万円、A2は715万円、A3は582万円、L級は667万円となる。S級の平均は1653万円、A級は716万円、総平均は979万円。1億円以上は5人おり、トップ選手は1億8279万円。女子のトップ選手は2263万円。
選手数が多い競輪だが、以前はもっと多く、4千人以上の時代もあった。10年前の2007年には3574人(平均取得額は1112万円)だったが、2012年に3千人を割った。各地で競輪場の閉鎖が相次ぐなど開催数が減っており、賞金総額も2007年には388億円あったが、2012年に300億円を割り、2017年は235億円と10年前より153億円も減った。
平均年俸はプロ野球選手が高いといえるが、選手寿命は平均で約9年とされ、Jリーガーはもっと短いという。活躍して数年で年俸を高くできなかった選手は、平均年俸に届くこともなく引退を迎える。それに比べ競輪選手の選手寿命は長く、50代の選手も珍しくない。競輪選手が細く長く競技人生を続けることができるのは、ランク下位の選手だけで出走するレースが常に組まれていて賞金を稼ぐことができるからだ。
プロサッカー選手について公式発表はないようだが、専門サイトによるとJ1の平均年俸は2313万円(2017年)で、年俸1億円以上は11人だという。レギュラークラスで1000万〜5000万円程度というが、金額別の人数は詳らかではない。J2になると平均年俸は約400万円と大きく下がる。
大相撲の十両以上の力士には日本相撲協会から給与や各種手当が支払われる。横綱の月給は約282万円で、2カ月分の賞与も含め年収は約4000万円プラス各種手当等となる。懸賞金や優勝賞金などが多ければ年収は1億円を超すという。大関の月給は約234万円、三役は約170万円、平幕は約130万円、十両は約100万円。なお力士の総人数は約700人で、十両以上は約70人と1割。
プロスポーツでは最も人数が多いとされる競輪の登録選手数は2339人(2017年)。選手は大きく上位のS級と下位のA級に分かれる(女子はL級)。さらにS級、A級とも3段階に分けられ、最上位から順にSS、S1、S2、A1、A2、A3。選手数はSS9人、S1は211人、S2は458人、A1は542人、A2は553人、A3は457人、L級は109人となる。
競輪選手の収入は賞金が主で、2017年の平均取得額はSSは9009万円、S1は2236万円、S2は1242万円、A1は840万円、A2は715万円、A3は582万円、L級は667万円となる。S級の平均は1653万円、A級は716万円、総平均は979万円。1億円以上は5人おり、トップ選手は1億8279万円。女子のトップ選手は2263万円。
選手数が多い競輪だが、以前はもっと多く、4千人以上の時代もあった。10年前の2007年には3574人(平均取得額は1112万円)だったが、2012年に3千人を割った。各地で競輪場の閉鎖が相次ぐなど開催数が減っており、賞金総額も2007年には388億円あったが、2012年に300億円を割り、2017年は235億円と10年前より153億円も減った。
平均年俸はプロ野球選手が高いといえるが、選手寿命は平均で約9年とされ、Jリーガーはもっと短いという。活躍して数年で年俸を高くできなかった選手は、平均年俸に届くこともなく引退を迎える。それに比べ競輪選手の選手寿命は長く、50代の選手も珍しくない。競輪選手が細く長く競技人生を続けることができるのは、ランク下位の選手だけで出走するレースが常に組まれていて賞金を稼ぐことができるからだ。
2018年9月12日水曜日
非常時と非日常と日常
個人にとっての非常時とは、大きな地震や猛烈な台風などの自然災害や無差別殺人行為などに直面した時だろう。生命の危機を感じた時が個人にとっての非常時だ。その最中では、自分の身は自分で守るしかなかったり、周囲の人々と助け合ったりするしかない。
非常時を生き延びた人間は、例えば、大きな地震の後、ライフラインや通信、交通などが機能を停止したりするので、非日常の中に放り出されることがある。そこでも生き延びることが最優先となり、安全な居場所を探し、飲料水や食料を確保することなど生存欲求がむき出しになる。
非常時から非日常へ、そして、国家や社会の支援なども始まって、やがて人々は日常へと復帰する。非常時や非日常の体験は特別な体験だが、そうした体験は日常においては希釈され、やがて記憶の底に埋もれる。非常時や非日常の論理と日常の論理は異なり、むき出しの生存欲求は日常では隠蔽されるべきものだからだ。
非常時や非日常の論理と日常の論理が異なることで、例えば、被災地で避難生活を長く強いられる人々が、日常に復帰した世間に違和感を抱いたりする。そうした人々にとっては非日常が続くのだが、世間は日常の論理で動いているから、非日常と日常の共存状態におかれる。
非日常と日常の論理の感覚的な差異は(個人差は大きいだろうが)、例えば食料でみると、非日常では、何でもいいから食べるものを確保することに懸命になる。開いている店舗で真っ先にパンやカップ麺、レトルトなどの棚が空っぽになり、次に他の食品の棚も空っぽになる。
当座の食料を確保できたことで満足するのが非日常の感覚だが、やがて、カップ麺ばかりじゃ飽きると感じるようになり、変化を求める。開いている店舗をあちこち探して、以前に食べていたようなものを求めるようになるのは、日常の感覚に復帰し始めた証だろう。
誰もが突然、被災者になる。非常時には生存欲求に従って行動し、非日常にも生存欲求に従って生き延び、やがて日常に復帰する。変化が乏しい退屈な日常を生きることは、色あせた人生ではなく、それが人間の生そのもので貴重なのだと、非日常から日常に復帰した人は感じるだろう。
非常時を生き延びた人間は、例えば、大きな地震の後、ライフラインや通信、交通などが機能を停止したりするので、非日常の中に放り出されることがある。そこでも生き延びることが最優先となり、安全な居場所を探し、飲料水や食料を確保することなど生存欲求がむき出しになる。
非常時から非日常へ、そして、国家や社会の支援なども始まって、やがて人々は日常へと復帰する。非常時や非日常の体験は特別な体験だが、そうした体験は日常においては希釈され、やがて記憶の底に埋もれる。非常時や非日常の論理と日常の論理は異なり、むき出しの生存欲求は日常では隠蔽されるべきものだからだ。
非常時や非日常の論理と日常の論理が異なることで、例えば、被災地で避難生活を長く強いられる人々が、日常に復帰した世間に違和感を抱いたりする。そうした人々にとっては非日常が続くのだが、世間は日常の論理で動いているから、非日常と日常の共存状態におかれる。
非日常と日常の論理の感覚的な差異は(個人差は大きいだろうが)、例えば食料でみると、非日常では、何でもいいから食べるものを確保することに懸命になる。開いている店舗で真っ先にパンやカップ麺、レトルトなどの棚が空っぽになり、次に他の食品の棚も空っぽになる。
当座の食料を確保できたことで満足するのが非日常の感覚だが、やがて、カップ麺ばかりじゃ飽きると感じるようになり、変化を求める。開いている店舗をあちこち探して、以前に食べていたようなものを求めるようになるのは、日常の感覚に復帰し始めた証だろう。
誰もが突然、被災者になる。非常時には生存欲求に従って行動し、非日常にも生存欲求に従って生き延び、やがて日常に復帰する。変化が乏しい退屈な日常を生きることは、色あせた人生ではなく、それが人間の生そのもので貴重なのだと、非日常から日常に復帰した人は感じるだろう。
2018年9月8日土曜日
独自性と精神の自由
トヨタが1967年に発売した2000GTは世界的に名車として認知され、近年のオークションでは1億円以上で取引されている。マツダがコスモスポーツを発売したのも1967年、ホンダがS800を発売したのは1966年(S500は1963年の発売、S600は1964年)だ。いずれも各社が独自に開発したスポーツカーで、そうした独自開発の歴史が日本にはある。
1967年の日本の自動車生産台数は大幅に増えて約314万台となり、西独を抜いて世界2位になり、国内保有台数も1000万台を超えた。日本の自動車産業が成長し、各社が開発力を高めて独自のスポーツカーを発売できるようになり、自動車市場も拡大したことが明確になった年といえよう。
中国の自動車産業は急成長し、2016年の生産台数は2800万台以上で、米国の約1800万台を大きく上回って世界1である。しかし、独自のスポーツカーはもちろん大量生産の大衆車でも、世界的に名を知られるような独自開発車はない。
中国の自動車メーカーは欧米などの車種を大量に現地生産することで成長した。独自開発車も発売しているのだが、中国以外の市場でも受け入れられるような車種は乏しい。技術を外国から導入するだけで、主要な人材も外国人頼みとあっては、独自開発する技術も意欲も中国人の間に育たない。
自動車だけではなく様々な分野で、進んだ技術を欧米などから導入することで技術格差を埋め合わせて経済成長を遂げた中国。発展段階の「中抜き」で一気に先進国レベルの産業と社会を構築した中国にとって、時間と手間がかかる独自開発の優先順位は低いだろうから、自分たちでスポーツカーを開発しようなどという動きが生まれてこないのだろう。
日本は古くから中国文明を受け入れてきたが、明治以降は受け入れ先を西洋に変え、発展した歴史を持つ。現在の中国の経済的な膨張は、西洋から文明を受け入れるという日本式の発展スタイルを取り入れた結果だと見ることができる。だが、日本は西洋の文明の延長上に新たな独自技術を育てたが、中国は基本的には西洋の文明の大規模な模倣を行っているだけとも見える。
独裁統治を続ける中国共産党は「中華民族の偉大な復興」などと人々のプライドを鼓舞することに懸命だが、一方で人権や自由の尊重など西洋の価値観の流入を規制する。個人が尊重されない社会であることが技術者の成長や独自性の発揮にどのように影響しているのか定かではないが、精神の自由がなければ独自性など生まれる余地はないだろう。
1967年の日本の自動車生産台数は大幅に増えて約314万台となり、西独を抜いて世界2位になり、国内保有台数も1000万台を超えた。日本の自動車産業が成長し、各社が開発力を高めて独自のスポーツカーを発売できるようになり、自動車市場も拡大したことが明確になった年といえよう。
中国の自動車産業は急成長し、2016年の生産台数は2800万台以上で、米国の約1800万台を大きく上回って世界1である。しかし、独自のスポーツカーはもちろん大量生産の大衆車でも、世界的に名を知られるような独自開発車はない。
中国の自動車メーカーは欧米などの車種を大量に現地生産することで成長した。独自開発車も発売しているのだが、中国以外の市場でも受け入れられるような車種は乏しい。技術を外国から導入するだけで、主要な人材も外国人頼みとあっては、独自開発する技術も意欲も中国人の間に育たない。
自動車だけではなく様々な分野で、進んだ技術を欧米などから導入することで技術格差を埋め合わせて経済成長を遂げた中国。発展段階の「中抜き」で一気に先進国レベルの産業と社会を構築した中国にとって、時間と手間がかかる独自開発の優先順位は低いだろうから、自分たちでスポーツカーを開発しようなどという動きが生まれてこないのだろう。
日本は古くから中国文明を受け入れてきたが、明治以降は受け入れ先を西洋に変え、発展した歴史を持つ。現在の中国の経済的な膨張は、西洋から文明を受け入れるという日本式の発展スタイルを取り入れた結果だと見ることができる。だが、日本は西洋の文明の延長上に新たな独自技術を育てたが、中国は基本的には西洋の文明の大規模な模倣を行っているだけとも見える。
独裁統治を続ける中国共産党は「中華民族の偉大な復興」などと人々のプライドを鼓舞することに懸命だが、一方で人権や自由の尊重など西洋の価値観の流入を規制する。個人が尊重されない社会であることが技術者の成長や独自性の発揮にどのように影響しているのか定かではないが、精神の自由がなければ独自性など生まれる余地はないだろう。
2018年9月5日水曜日
中国製の通信機器の排除
米国は、2019会計年度に戦費を含め計7160億ドルの国防予算を計上する国防権限法で、米政府機関と取引企業に対して、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)の製品を使うことを禁止した。
かねて両社は中国情報機関と関係があると疑われ、両社の製品には密かにユーザーデータを閲覧したり、得た情報を送信したりする機能の存在が指摘されていた。スパイ活動に使われるとか、サイバーアタックに使われるとかの懸念も取りざたされていた。
中国への情報漏洩に対して厳しい姿勢に転じた米国は、両社の製品を安全保障上の脅威と判定した。この禁止は米国の民間企業にも注意を促すだろう。すでに米国は両社のスマホに対して、米国の政府機関や米軍で販売することを禁止していた。
ファーウェイとZTE両社の製品に対する懸念は、世界にも広がりつつある。オーストラリアは次世代高速通信「5G」で新セキュリティー指針を公表、外国政府とつながりがある企業を締め出すことを決め、両社の機器の使用を事実上禁止した。
ロシアも、両社を含む外国通信設備の輸入禁止を検討していると報じられた。こちらは自国企業保護が狙いとも見られている。ロシア通信設備市場でロシア企業のシェアは1割未満で、両社など外国企業が席巻しているので、安全保障対策と自国企業保護の一石二鳥を狙ったか。
日本政府も両社の製品を情報システム導入時の入札から除外する方針を固めたと報じられた。安全保障の懸念を理由にしているが、米国と歩調を合わせざるを得ない事情が透けて見える。日本が両社の製品を使っていたなら米国は、重要な情報を日本の情報システムに流してくれないだろう。日本で情報が漏れるなら、米国内で情報漏洩を防ぐ意味が薄れる。
両社を含む中国企業の情報通信機器には「バックドアが仕掛けられている」との懸念は以前から広まっていた。国内ではインターネットで人々を監視している中国は、米国などから盛大に各種の情報を収集しているとも言われていたから、米国などが中国企業の製品の排除に動き出したのは当然のようにも見える。
だが、情報通信機器にバックドアを仕掛けるということは、中国だけが行っていることなのだろうか。むしろ、米国などの機器を手本にして中国に都合の良いように手直しして搭載しているだけなのではないか。つまり、米国製や韓国製、中国製など大半の情報通信機器にはバックドアが仕掛けられている可能性がある。
かねて両社は中国情報機関と関係があると疑われ、両社の製品には密かにユーザーデータを閲覧したり、得た情報を送信したりする機能の存在が指摘されていた。スパイ活動に使われるとか、サイバーアタックに使われるとかの懸念も取りざたされていた。
中国への情報漏洩に対して厳しい姿勢に転じた米国は、両社の製品を安全保障上の脅威と判定した。この禁止は米国の民間企業にも注意を促すだろう。すでに米国は両社のスマホに対して、米国の政府機関や米軍で販売することを禁止していた。
ファーウェイとZTE両社の製品に対する懸念は、世界にも広がりつつある。オーストラリアは次世代高速通信「5G」で新セキュリティー指針を公表、外国政府とつながりがある企業を締め出すことを決め、両社の機器の使用を事実上禁止した。
ロシアも、両社を含む外国通信設備の輸入禁止を検討していると報じられた。こちらは自国企業保護が狙いとも見られている。ロシア通信設備市場でロシア企業のシェアは1割未満で、両社など外国企業が席巻しているので、安全保障対策と自国企業保護の一石二鳥を狙ったか。
日本政府も両社の製品を情報システム導入時の入札から除外する方針を固めたと報じられた。安全保障の懸念を理由にしているが、米国と歩調を合わせざるを得ない事情が透けて見える。日本が両社の製品を使っていたなら米国は、重要な情報を日本の情報システムに流してくれないだろう。日本で情報が漏れるなら、米国内で情報漏洩を防ぐ意味が薄れる。
両社を含む中国企業の情報通信機器には「バックドアが仕掛けられている」との懸念は以前から広まっていた。国内ではインターネットで人々を監視している中国は、米国などから盛大に各種の情報を収集しているとも言われていたから、米国などが中国企業の製品の排除に動き出したのは当然のようにも見える。
だが、情報通信機器にバックドアを仕掛けるということは、中国だけが行っていることなのだろうか。むしろ、米国などの機器を手本にして中国に都合の良いように手直しして搭載しているだけなのではないか。つまり、米国製や韓国製、中国製など大半の情報通信機器にはバックドアが仕掛けられている可能性がある。
2018年9月1日土曜日
Y・P体制の現在
第二次大戦後の国際秩序の枠組みをY・P(ヤルタ・ポツダム)体制と称することがあり、これは1945年の降伏後の日本を拘束する体制でもあった。戦勝国である米国の支配とそれに対する従属というのが大枠だが、日本側も、米国から「与えられた」平和と民主主義を絶対視することで支えていた。
ソ連の領土だったクリミア半島に、第2時大戦中の1945年2月に米英ソの3首脳が集まり、大戦終了後の戦後処理などを話し合い、戦後の国際秩序の大枠を決めたのがヤルタ会談。この国際秩序はヤルタ体制ともよばれ、実質的に米ソが世界分割支配(冷戦体制につながる)で合意したものだ。
ポツダム会談は、ドイツ降伏後の1945年7月に独ポツダムに米英ソの3首脳が集まり、ドイツの戦後処理や日本の降伏条件などを話し合った。ポツダム宣言は米英に加え、会談不参加の中国が同意して7月26日に発表された(ソ連は対日宣戦布告の後に参加)。日本に無条件降伏を要求し、戦後処理方針を明確化した。
第2次大戦の戦勝国である米ソ両大国が主導する国際秩序とは、相互の勢力圏を認め合い、両大国から離れたアジア、アフリカ、アラブ圏、南米などでの小競り合い(地域紛争)を繰り返すが、相互の勢力圏の大幅な書き換えは行わない(冷戦体制)。
米ソによる世界分割支配であるY・P体制では、政治・経済的に大きな影響力を米ソが維持したが、思想や文化などでも戦勝国主導による価値観(秩序)が特に敗戦国には押し付けられた(敗戦国が保持してきた価値観と対立する場合、それらを受け入れるために敗戦国は時には自己否定を強いられて、人々は感情的な反発を内包した)。
このY・P体制は、ソ連崩壊と後継国家ロシアの弱体化によって終わった。米ソによる世界の分割支配から、米国という1強が突出して世界に大きな影響力を持つという国際秩序に移行した。米国はアフガン戦争やイラク戦争などで米国主導の世界秩序を明確化しようとしたが、反対に米国だけでは国際秩序を維持できないことが示される結果になった。
中国が新たな大国として米国と対立する構図は、ソ連を中国に置き換えたY・P体制のようでもある。だが、米国は中国と世界を分割支配することを拒否しているように見える。経済力以外で中国の世界に対する影響力が限定的であることも、新たなY・P体制の出現を阻んでいる。
ソ連の領土だったクリミア半島に、第2時大戦中の1945年2月に米英ソの3首脳が集まり、大戦終了後の戦後処理などを話し合い、戦後の国際秩序の大枠を決めたのがヤルタ会談。この国際秩序はヤルタ体制ともよばれ、実質的に米ソが世界分割支配(冷戦体制につながる)で合意したものだ。
ポツダム会談は、ドイツ降伏後の1945年7月に独ポツダムに米英ソの3首脳が集まり、ドイツの戦後処理や日本の降伏条件などを話し合った。ポツダム宣言は米英に加え、会談不参加の中国が同意して7月26日に発表された(ソ連は対日宣戦布告の後に参加)。日本に無条件降伏を要求し、戦後処理方針を明確化した。
第2次大戦の戦勝国である米ソ両大国が主導する国際秩序とは、相互の勢力圏を認め合い、両大国から離れたアジア、アフリカ、アラブ圏、南米などでの小競り合い(地域紛争)を繰り返すが、相互の勢力圏の大幅な書き換えは行わない(冷戦体制)。
米ソによる世界分割支配であるY・P体制では、政治・経済的に大きな影響力を米ソが維持したが、思想や文化などでも戦勝国主導による価値観(秩序)が特に敗戦国には押し付けられた(敗戦国が保持してきた価値観と対立する場合、それらを受け入れるために敗戦国は時には自己否定を強いられて、人々は感情的な反発を内包した)。
このY・P体制は、ソ連崩壊と後継国家ロシアの弱体化によって終わった。米ソによる世界の分割支配から、米国という1強が突出して世界に大きな影響力を持つという国際秩序に移行した。米国はアフガン戦争やイラク戦争などで米国主導の世界秩序を明確化しようとしたが、反対に米国だけでは国際秩序を維持できないことが示される結果になった。
中国が新たな大国として米国と対立する構図は、ソ連を中国に置き換えたY・P体制のようでもある。だが、米国は中国と世界を分割支配することを拒否しているように見える。経済力以外で中国の世界に対する影響力が限定的であることも、新たなY・P体制の出現を阻んでいる。
2018年8月29日水曜日
失速する自転車シェア
中国で2016年頃から急速に広まったシェア自転車ビジネス。いつでも街中で手軽にモバイル決済の低料金で自転車を使うことができ、どこにでも乗り捨てることができるから便利だと賞賛する記事が日本でも多かった。その、もてはやされた新しいビジネスが急速に色あせ始めた。
都市の中のあちこちに自転車を置いた後は、利用者が勝手に自転車を利用し、料金はモバイル決済で確実に入金されるのだから儲かると次々に企業が参入した。街中には各社が設置した自転車が溢れ、あちらこちらに、乗り捨てられた自転車も溢れた。
2017年の後半から中国の多くの都市で新規参入の規制が始まり、中央政府も規制を始めたが、シェア自転車ビジネスが禁止されたわけではない。街中の放置自転車を事業者が回収して、所定の貸し出し場所に移動させているそうだが、自転車の状態は悪化する一方。
北京市だけでシェア自転車は200万台以上になるというが、自転車をばらまいて置いておけば儲かると次々に参入した業者が、自転車の状態の管理に気を使うはずもなく、汚れ放題で、傷ついたり、どこかに不具合がある自転車も珍しくなくなったとか。
シェア自転車ビジネスに続くのがEVによるシェア自動車ビジネスだと注目する記事も珍しくないが、利用者が乱暴に扱うことは自転車も自動車も変わらないらしい。仏で行われていたEVによる自動車シェア事業が中止に追い込まれた。
こちらは、どこでも乗り捨て自由とはいかず、決められた場所(ステーション)で貸し出し・返却を行うのだが、ステーションの設置コストを賄うほどの利用はなく、採算が取れなかった。使われていたシェア自動車は内外ともに汚れていて、ステーションの内部も汚れ放題だったとか。
自転車や自動車の他にもシェアというビジネスが、大量消費や使い捨てを否定し、人間関係を重視する経済として注目されている。だが、自転車や自動車のように、シェアした人が雑に扱うなら、シェアする対象を管理することが重要となる。ここに新しいビジネスチャンスがある?
都市の中のあちこちに自転車を置いた後は、利用者が勝手に自転車を利用し、料金はモバイル決済で確実に入金されるのだから儲かると次々に企業が参入した。街中には各社が設置した自転車が溢れ、あちらこちらに、乗り捨てられた自転車も溢れた。
2017年の後半から中国の多くの都市で新規参入の規制が始まり、中央政府も規制を始めたが、シェア自転車ビジネスが禁止されたわけではない。街中の放置自転車を事業者が回収して、所定の貸し出し場所に移動させているそうだが、自転車の状態は悪化する一方。
北京市だけでシェア自転車は200万台以上になるというが、自転車をばらまいて置いておけば儲かると次々に参入した業者が、自転車の状態の管理に気を使うはずもなく、汚れ放題で、傷ついたり、どこかに不具合がある自転車も珍しくなくなったとか。
シェア自転車ビジネスに続くのがEVによるシェア自動車ビジネスだと注目する記事も珍しくないが、利用者が乱暴に扱うことは自転車も自動車も変わらないらしい。仏で行われていたEVによる自動車シェア事業が中止に追い込まれた。
こちらは、どこでも乗り捨て自由とはいかず、決められた場所(ステーション)で貸し出し・返却を行うのだが、ステーションの設置コストを賄うほどの利用はなく、採算が取れなかった。使われていたシェア自動車は内外ともに汚れていて、ステーションの内部も汚れ放題だったとか。
自転車や自動車の他にもシェアというビジネスが、大量消費や使い捨てを否定し、人間関係を重視する経済として注目されている。だが、自転車や自動車のように、シェアした人が雑に扱うなら、シェアする対象を管理することが重要となる。ここに新しいビジネスチャンスがある?
2018年8月25日土曜日
犬を喰らう
朝鮮半島には犬肉食の文化があり、夏バテ対策の料理として受け継がれている。犬肉を煮込んだスープのほか、様々な部位の犬肉を使った多くの料理があり、北朝鮮の平壌にも犬肉専門レストランがあるなど、「犬肉は体にいいい」と信じられているという。
韓国では、食用犬を飼育する犬牧場が約1万7000カ所あり、年に約200万頭が食用に供されていると報じられた。国際的な批判に取り合わず高齢者は犬肉食を愛好するが、若者は犬肉食を敬遠し始めているといい、ペットとして犬を飼う人が増えているためか、犬肉食を法律で禁止する運動が起きた。
中国でも犬肉食の文化は受け継がれており、食用に年1000万頭が処理され、犬肉の生産量は年間9万7000トンという。広西チワン族自治区の玉林市で開催される「犬肉祭り」は世界的に知られている。国際的な批判に地元当局は、飲食店に「犬肉」の看板を出さないよう指導したそうだ。
犬肉は中国でも夏バテ対策に効果があると信じられている。犬肉を食べると体内の熱が放出され、汗が出て暑さにもバテにくくなるとか、スタミナがつくそうだ。一方で、北京や上海など中国北部の犬肉食の習慣がない人たちや動物愛護運動の活動家などからの批判が国内で高まっている。
日本でもかつては犬肉食があったと伝えられ、敗戦後の食糧難の頃には犬も食べられたというが、現在では一般的ではない。夏バテ対策には鰻がいいと信じられ、猛暑にも犬肉の出番はない。ペットの人気NO1の座は猫に譲ったが、犬はペットとして大人気だ。
犬の体温は人間よりやや高く、体毛が密集しているので、暑さには強くない。犬には汗腺がなく、汗を出して体温を調節できないので、口を開けてベロを出して荒く息を続けることで、体温を下げようとする。
犬は暑さに弱い。その肉が夏バテに効果があると韓国や中国などで信じられるようになったのは不思議だ。犬肉に特別な成分は含まれていないそうで、暑い夏に熱い犬肉スープなどを盛大に汗をかきながら食すると、体に刺激が与えられるということだろう。
刺激は精神的なリフレッシュ効果をもたらし、犬肉が夏バテ対策にいいなどと信じ、それが文化的な伝統として受け継がれた。これは、コンドロイチンを食すると痛む膝に効果があるとか、コラーゲンを食すると肌にいいなどの健康食品会社の宣伝文と同類だ。「◯◯は効果がある」との信仰が広まり、市場が生まれる。
韓国では、食用犬を飼育する犬牧場が約1万7000カ所あり、年に約200万頭が食用に供されていると報じられた。国際的な批判に取り合わず高齢者は犬肉食を愛好するが、若者は犬肉食を敬遠し始めているといい、ペットとして犬を飼う人が増えているためか、犬肉食を法律で禁止する運動が起きた。
中国でも犬肉食の文化は受け継がれており、食用に年1000万頭が処理され、犬肉の生産量は年間9万7000トンという。広西チワン族自治区の玉林市で開催される「犬肉祭り」は世界的に知られている。国際的な批判に地元当局は、飲食店に「犬肉」の看板を出さないよう指導したそうだ。
犬肉は中国でも夏バテ対策に効果があると信じられている。犬肉を食べると体内の熱が放出され、汗が出て暑さにもバテにくくなるとか、スタミナがつくそうだ。一方で、北京や上海など中国北部の犬肉食の習慣がない人たちや動物愛護運動の活動家などからの批判が国内で高まっている。
日本でもかつては犬肉食があったと伝えられ、敗戦後の食糧難の頃には犬も食べられたというが、現在では一般的ではない。夏バテ対策には鰻がいいと信じられ、猛暑にも犬肉の出番はない。ペットの人気NO1の座は猫に譲ったが、犬はペットとして大人気だ。
犬の体温は人間よりやや高く、体毛が密集しているので、暑さには強くない。犬には汗腺がなく、汗を出して体温を調節できないので、口を開けてベロを出して荒く息を続けることで、体温を下げようとする。
犬は暑さに弱い。その肉が夏バテに効果があると韓国や中国などで信じられるようになったのは不思議だ。犬肉に特別な成分は含まれていないそうで、暑い夏に熱い犬肉スープなどを盛大に汗をかきながら食すると、体に刺激が与えられるということだろう。
刺激は精神的なリフレッシュ効果をもたらし、犬肉が夏バテ対策にいいなどと信じ、それが文化的な伝統として受け継がれた。これは、コンドロイチンを食すると痛む膝に効果があるとか、コラーゲンを食すると肌にいいなどの健康食品会社の宣伝文と同類だ。「◯◯は効果がある」との信仰が広まり、市場が生まれる。
2018年8月22日水曜日
崩落する橋
200年以上前の1807年8月19日の江戸で、老朽化していた永代橋が密集する人々の重みに耐えられずに崩れ落ち、死者400人以上、行方不明は数百人という大惨事がおきた。11年ぶりに催された富岡八幡宮の大祭に大勢の人々が押し寄せて、永代橋が崩れ始めても、橋を渡ろうとする人々が気づかずに押し続けたと伝えられている。
橋の崩壊といえば英国の童謡「ロンドン橋落ちた」。何かの大惨事のことを歌い伝えているようだが、具体的な出来事を歌ったものではないという。ロンドン橋は何度も焼け落ちては、再建され、木造から石造になって存続し続けている。歌詞が何を指しているのか様々な解釈があるそうだ。
河川をまたいで両岸をつないだり、山間部や都市内で自動車の利便性を高めるため建設される高架橋など、橋は人間が活動する空間を拡張する。歩行を含めて交通の活発化は、古代の物々交換から現代の大量消費社会まで経済活動を支え、拡大させてきた。
河川をまたぐ橋を2次元的とするなら、高架橋は3次元的といえる。建物を高層化させることで、人間が密集する都市における利用空間を拡大させてきた人類は高架橋によって、地表における交通を3次元空間に拡張した。だが、重力を人間は制御できない。
イタリア北部のジェノバで崩落した橋は、河川に掛けられたものではなく、鉄道などをまたいで街の中央を横切る高さ約50メートルのコンクリート製の高架橋で高速道路となっている。1967年に開通したというから、築51年になる。
通行中の乗用車や大型トラックなど約30台が高架橋の200メートル以上にわたる崩落とともに落下し、下には鉄道の線路や川、倉庫、駐車場、商店などがあったので買い物客らも被害にあった。住宅もあり、崩壊せずに残った高架橋があるため住民は避難している。
改修工事が適切に行われていなかったとか、構造に問題があった、腐食が深刻だったなど崩落原因について様々な指摘がある。高架橋を使っていたイタリア人は「通過する時には振動が激しかった」と語っているそうで、異変を知らせるシグナルはあったのだろう。寿命だったとの見方もあり、人間活動の3次元的な拡張を支える構築物には重力とともに時間の制約もある。
橋の崩壊といえば英国の童謡「ロンドン橋落ちた」。何かの大惨事のことを歌い伝えているようだが、具体的な出来事を歌ったものではないという。ロンドン橋は何度も焼け落ちては、再建され、木造から石造になって存続し続けている。歌詞が何を指しているのか様々な解釈があるそうだ。
河川をまたいで両岸をつないだり、山間部や都市内で自動車の利便性を高めるため建設される高架橋など、橋は人間が活動する空間を拡張する。歩行を含めて交通の活発化は、古代の物々交換から現代の大量消費社会まで経済活動を支え、拡大させてきた。
河川をまたぐ橋を2次元的とするなら、高架橋は3次元的といえる。建物を高層化させることで、人間が密集する都市における利用空間を拡大させてきた人類は高架橋によって、地表における交通を3次元空間に拡張した。だが、重力を人間は制御できない。
イタリア北部のジェノバで崩落した橋は、河川に掛けられたものではなく、鉄道などをまたいで街の中央を横切る高さ約50メートルのコンクリート製の高架橋で高速道路となっている。1967年に開通したというから、築51年になる。
通行中の乗用車や大型トラックなど約30台が高架橋の200メートル以上にわたる崩落とともに落下し、下には鉄道の線路や川、倉庫、駐車場、商店などがあったので買い物客らも被害にあった。住宅もあり、崩壊せずに残った高架橋があるため住民は避難している。
改修工事が適切に行われていなかったとか、構造に問題があった、腐食が深刻だったなど崩落原因について様々な指摘がある。高架橋を使っていたイタリア人は「通過する時には振動が激しかった」と語っているそうで、異変を知らせるシグナルはあったのだろう。寿命だったとの見方もあり、人間活動の3次元的な拡張を支える構築物には重力とともに時間の制約もある。
2018年8月18日土曜日
サマータイム・ブルース
「サマータイム・ブルース」といえば、RCサクセションのバージョンが日本では知られている。原発批判の歌詞のため当時所属していたレコード会社は発売中止にし、他社から発売されて、チャート1位になった。福島第一原発の事故後にも注目された。
この曲のオリジナルはエディ・コクランだが、歌詞は、夏になって彼女と遊びに行きたいのに、仕事を休めず、親から車を貸してもらえないティーンの不満を歌ったもの。世界でもザ・フーなど多くのバンドやミュージシャンにカバーされている。ロックのスタンダードの一つだ。
この夏、日本でサマータイムが議論になっているが、こちらは正確にはサマー・タイム(summer time)で、夏時間のこと。summertimeやsummer-timeは、夏季とか夏の意味。どちらもブルース(blues)をつければ似合いそうで、皮肉ったり、からかったりできそう。
日本でもサマータイム(サマー・タイムのこと。以下同)を導入しようという議論は、これまで何回も提起されては、反対が多くて立ち消えになってきた。導入を促す経済界や官僚からはメリットだけが強調され、先進の欧州諸国が導入していると付け加えられる。
何回も提起されたのに、反対が多くて導入できなかったのだから、サマータイムについての検証は終わっているということだ。日本では、サマータイム導入のメリットよりデメリットのほうが多く、日本の風土にそぐわないというのが大方の理解。
サマータイムを導入している欧州は緯度的に日本より遥かに高い(北に位置する)。欧州南部のローマでも北緯は約42度、マドリードは約40度、欧州中央部のパリは約48度、ロンドンやベルリンは約52度、欧州北部のストックホルムは約59度、オスロやヘルシンキは約60度。
東京は約36度なので、欧州では伊シチリア島の南側、地中海の中央部に相当する。例えば、パリの7月の日の出は朝6時頃、日の入りは夜の10時前と日の入りが遅く、日照時間は約16時間になるが、東京の7月は日の出が朝5時前、日の入りが夜の7時前で日照時間は約14時間。日の入りがパリは東京より3時間も遅い。
夜10時頃まで明るい地域ではサマータイムで早く帰宅することに意味があろうが、夜7時に暗くなる地域ではサマータイムのメリットは乏しい。サマータイム導入を何度も試みる経済界や官僚を皮肉った歌詞のサマータイム・ブルーズを作ることができそうだ。
この曲のオリジナルはエディ・コクランだが、歌詞は、夏になって彼女と遊びに行きたいのに、仕事を休めず、親から車を貸してもらえないティーンの不満を歌ったもの。世界でもザ・フーなど多くのバンドやミュージシャンにカバーされている。ロックのスタンダードの一つだ。
この夏、日本でサマータイムが議論になっているが、こちらは正確にはサマー・タイム(summer time)で、夏時間のこと。summertimeやsummer-timeは、夏季とか夏の意味。どちらもブルース(blues)をつければ似合いそうで、皮肉ったり、からかったりできそう。
日本でもサマータイム(サマー・タイムのこと。以下同)を導入しようという議論は、これまで何回も提起されては、反対が多くて立ち消えになってきた。導入を促す経済界や官僚からはメリットだけが強調され、先進の欧州諸国が導入していると付け加えられる。
何回も提起されたのに、反対が多くて導入できなかったのだから、サマータイムについての検証は終わっているということだ。日本では、サマータイム導入のメリットよりデメリットのほうが多く、日本の風土にそぐわないというのが大方の理解。
サマータイムを導入している欧州は緯度的に日本より遥かに高い(北に位置する)。欧州南部のローマでも北緯は約42度、マドリードは約40度、欧州中央部のパリは約48度、ロンドンやベルリンは約52度、欧州北部のストックホルムは約59度、オスロやヘルシンキは約60度。
東京は約36度なので、欧州では伊シチリア島の南側、地中海の中央部に相当する。例えば、パリの7月の日の出は朝6時頃、日の入りは夜の10時前と日の入りが遅く、日照時間は約16時間になるが、東京の7月は日の出が朝5時前、日の入りが夜の7時前で日照時間は約14時間。日の入りがパリは東京より3時間も遅い。
夜10時頃まで明るい地域ではサマータイムで早く帰宅することに意味があろうが、夜7時に暗くなる地域ではサマータイムのメリットは乏しい。サマータイム導入を何度も試みる経済界や官僚を皮肉った歌詞のサマータイム・ブルーズを作ることができそうだ。
2018年8月15日水曜日
ブレグジッドと婚前契約
米女優アンジェリーナ・ジョリーが最近、2年前から離婚申請中の夫ブラッド・ピットに子供達の養育費の支払いを要求したと報じられた。両人とも高額ギャラの人気俳優で、ずっとジョリーは金銭的な要求をしていなかったという。態度を変えた理由が憶測されている。
報道によると、両人は離婚時の財産分けなどを明確化した婚前契約を交わしていなかったが、ビット側の弁護士は「ピットはジョリーの新居の購入資金として800万ドルを貸し、別居してから2年間、子供たちのために総額130万ドルを支払った」。この話が本当なら、さらに金銭が必要な何らかの事情が女優の側で生じたということになる。
一緒になるよりも、別れるのが難しいというのは男女の仲に限らない。例えば、ブレグジッド(Brexit)。EU条約第50条により英国がEUに脱退の意思を一方的に示すことで脱退できるが、詳細は脱退交渉で決める(脱退通知から2年以内に脱退のための協定が締結されないとき、自動的に脱退が成立するとともにEU諸条約が適用されなくなる)。
英国は2017年3月29日、EUに離脱を通知したので、2年後の2019年3月29日にEUから離脱する。離脱交渉が始まったが、英国内では完全離脱派と部分離脱派に意見が分かれ、EU側は英国の「いいとこ取り」を許さない姿勢で、先行きは混沌としている。
英国はこの7月、離脱に関する白書を公表した。内容は、①EU単一市場・関税同盟から抜けるが、農産品や工業製品の規格・基準でEUと共通ルールの採用を続ける、②自由貿易圏を創設し、自動車など製造業に影響が出ないよう配慮、③金融サービスや司法分野では独自の政策、④短期の観光やビジネスではEU市民にビザなしでの渡航を認める、⑤北アイルランドとアイルランドの国境では英国がEU向け輸出品の関税徴収を代行し、税関手続きは不要、⑥FTA拡大を目指す、など。
離脱による経済的・社会的な激変を避けた案だが、英国内の完全離脱派は批判を強める。EUは今年10月を事実上の合意期限とし、それまでに詳細な離脱条件を定めた協定を結ぶ必要があるとするが、時間的な余裕はない。この英国の案でEUと合意できなければ、時間切れによる協定なしの自動的な離脱の可能性も出てきた。
交渉期間の延長はEUの全加盟国の同意が必要なので、まず不可能だ。EU条約に脱退の詳細な規定があれば英国の離脱はもっとスムーズにいったのだろうが、脱退の規約は大雑把なものでしかない。婚前契約のようなものをEUに参加する前に締結しておけばよかったと英国は実感しているだろうな。
報道によると、両人は離婚時の財産分けなどを明確化した婚前契約を交わしていなかったが、ビット側の弁護士は「ピットはジョリーの新居の購入資金として800万ドルを貸し、別居してから2年間、子供たちのために総額130万ドルを支払った」。この話が本当なら、さらに金銭が必要な何らかの事情が女優の側で生じたということになる。
一緒になるよりも、別れるのが難しいというのは男女の仲に限らない。例えば、ブレグジッド(Brexit)。EU条約第50条により英国がEUに脱退の意思を一方的に示すことで脱退できるが、詳細は脱退交渉で決める(脱退通知から2年以内に脱退のための協定が締結されないとき、自動的に脱退が成立するとともにEU諸条約が適用されなくなる)。
英国は2017年3月29日、EUに離脱を通知したので、2年後の2019年3月29日にEUから離脱する。離脱交渉が始まったが、英国内では完全離脱派と部分離脱派に意見が分かれ、EU側は英国の「いいとこ取り」を許さない姿勢で、先行きは混沌としている。
英国はこの7月、離脱に関する白書を公表した。内容は、①EU単一市場・関税同盟から抜けるが、農産品や工業製品の規格・基準でEUと共通ルールの採用を続ける、②自由貿易圏を創設し、自動車など製造業に影響が出ないよう配慮、③金融サービスや司法分野では独自の政策、④短期の観光やビジネスではEU市民にビザなしでの渡航を認める、⑤北アイルランドとアイルランドの国境では英国がEU向け輸出品の関税徴収を代行し、税関手続きは不要、⑥FTA拡大を目指す、など。
離脱による経済的・社会的な激変を避けた案だが、英国内の完全離脱派は批判を強める。EUは今年10月を事実上の合意期限とし、それまでに詳細な離脱条件を定めた協定を結ぶ必要があるとするが、時間的な余裕はない。この英国の案でEUと合意できなければ、時間切れによる協定なしの自動的な離脱の可能性も出てきた。
交渉期間の延長はEUの全加盟国の同意が必要なので、まず不可能だ。EU条約に脱退の詳細な規定があれば英国の離脱はもっとスムーズにいったのだろうが、脱退の規約は大雑把なものでしかない。婚前契約のようなものをEUに参加する前に締結しておけばよかったと英国は実感しているだろうな。
2018年8月11日土曜日
欧州では熱波
欧州でも今年は猛暑だという。アフリカからの熱波がまず到達するスペインとポルトガルで最高気温が46度を超え、欧州での過去の最高気温48度に迫った。北欧でも気温が高く、北極圏でも30度を超えたという。森林火災も各国で相次ぎ、干ばつなど作物への影響が心配されている。
英国では6月以来、平年より気温が高い日が続き、水不足が深刻化している。フランスでは川の水温が、原子炉の冷却水の基準値を大きく上回るほど上昇したため原子炉を一時停止させた。ドイツでは河川の水位が低下し、水中に投棄されていた第二次大戦の手榴弾や地雷などが川底から発見された。
欧州では日本ほどクーラーが普及していないので、排熱によるヒートアイランド現象は限定的だと見られる。猛暑が続くのは、偏西風が北側に蛇行し、高気圧が居座り、アフリカから熱波が吹き込んでいるからだとされる。アフリカでは最高気温が50度を超える場所もあるというから、この熱波は強力だ。
緯度で見ると欧州南部は北海道とほぼ同じだ。函館はバルセロナやローマ、札幌はマルセイユ、旭川はモナコ、稚内はトリノやミラノなどとほぼ同緯度。パリやロンドン、ベルリンの緯度はサハリン(樺太)と同じで、北海道より北になる。
緯度が高く寒い気候のはずの欧州だが、北海道とほぼ同緯度の欧州南部は北海道より温暖で、パリやベルリンがある欧州大陸も北海道並みの気候だ。これは中米カリブ海から大西洋を横断して流れてくる暖流(メキシコ湾流)に温められる影響だとされる。
気候区分では、英国や仏独を含む欧州の大半は西岸海洋性気候で、スペインやイタリアなどは地中海性気候となる。西岸海洋性気候は、偏西風による海洋の影響で、夏は涼しく冬は温暖で、年間を通じて適度の降水がある。地中海性気候は、冬は温暖で雨が多く、夏は高温で乾燥する。
欧州の夏は涼しいとされてきたが、猛暑に見舞われることが珍しくなくなった。2003年には欧州で2万人以上の死者が出たとされ、2007年、2010年、2015年、2017年などの夏も暑かった。
偏西風の蛇行が欧州でも日本でも気候を左右し、時には夏に猛暑、冬に極寒をもたらす。猛暑などが珍しくなくなったのは、偏西風の蛇行が珍しくなくなったということだろう。CO2排出の削減を行えば、偏西風の蛇行が減少するのか、まだ確かなことは分かっていない。
英国では6月以来、平年より気温が高い日が続き、水不足が深刻化している。フランスでは川の水温が、原子炉の冷却水の基準値を大きく上回るほど上昇したため原子炉を一時停止させた。ドイツでは河川の水位が低下し、水中に投棄されていた第二次大戦の手榴弾や地雷などが川底から発見された。
欧州では日本ほどクーラーが普及していないので、排熱によるヒートアイランド現象は限定的だと見られる。猛暑が続くのは、偏西風が北側に蛇行し、高気圧が居座り、アフリカから熱波が吹き込んでいるからだとされる。アフリカでは最高気温が50度を超える場所もあるというから、この熱波は強力だ。
緯度で見ると欧州南部は北海道とほぼ同じだ。函館はバルセロナやローマ、札幌はマルセイユ、旭川はモナコ、稚内はトリノやミラノなどとほぼ同緯度。パリやロンドン、ベルリンの緯度はサハリン(樺太)と同じで、北海道より北になる。
緯度が高く寒い気候のはずの欧州だが、北海道とほぼ同緯度の欧州南部は北海道より温暖で、パリやベルリンがある欧州大陸も北海道並みの気候だ。これは中米カリブ海から大西洋を横断して流れてくる暖流(メキシコ湾流)に温められる影響だとされる。
気候区分では、英国や仏独を含む欧州の大半は西岸海洋性気候で、スペインやイタリアなどは地中海性気候となる。西岸海洋性気候は、偏西風による海洋の影響で、夏は涼しく冬は温暖で、年間を通じて適度の降水がある。地中海性気候は、冬は温暖で雨が多く、夏は高温で乾燥する。
欧州の夏は涼しいとされてきたが、猛暑に見舞われることが珍しくなくなった。2003年には欧州で2万人以上の死者が出たとされ、2007年、2010年、2015年、2017年などの夏も暑かった。
偏西風の蛇行が欧州でも日本でも気候を左右し、時には夏に猛暑、冬に極寒をもたらす。猛暑などが珍しくなくなったのは、偏西風の蛇行が珍しくなくなったということだろう。CO2排出の削減を行えば、偏西風の蛇行が減少するのか、まだ確かなことは分かっていない。
2018年8月8日水曜日
電車にもクーラーがなかった
クーラーが普及していなかった頃、真夏の通勤電車の車内は悲惨だった。時差通勤や在宅勤務などがほぼ皆無の当時、路線によっては定員の3倍以上の混みようで身動きもままならず、窓を全開にしても風を受けることができる人は少なかった(人がぎっしり詰め込まれているので風の通る空間がない)。
家から駅に着いた時に既に汗をかいていた大半の乗客は、混雑した車内で汗だくになる。汗まみれの他の客と体を接触させたくないと誰もが思うが、満員の通勤電車の中では、自分だけの快適スペースを確保することは不可能。乗客の不快指数は朝から急上昇する。
修行を重ねて無念無想の境地に達すれば、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じるようになるとされる。感じ方(受け止め方)を変えることで外部要因に精神状態を左右されなくなるとの主張だ。そうした境地の人は今年のような猛暑にも何も感じないのか、猛暑を無視するだけなのか定かではない。
そうした境地の人が真夏の冷房がない満員電車に乗ったとしたなら、やはり「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じるのだろうか。真夏の冷房がない満員電車に毎日乗ることを過酷な修行体験とみなしても、そうした境地には達するのは簡単ではなさそうだ。精神論を試すには、猛暑はいい機会か。
通勤電車へのクーラー設置は1970年代に始まり、1980年代になって当時の国鉄の冷房化率は80%を超えたという。東京の地下鉄ではクーラー設置が遅れ、1990年代になってから全車両の冷房化が実現した。冷房がない地下鉄車両では窓を全開にするので、騒音が凄まじかった。
冷房車両が普及した現在だが、クーラーがない車両は、北海道を走る各駅停車など全国にまだ残っている。そうした車両の天井には扇風機が取り付けられていて、近くの壁にスイッチがあって乗客が押して作動させる。
猛暑の中、乗客が少ないローカル線でボックス席を独占して足を投げ出し、窓を全開にして生ぬるい風を受けながら、流れ去る風景を見ているというのは、例えばJR只見線などでの真夏の楽しみだった。猛暑を受け入れて楽しむという境地こそ上等な夏の過ごし方だ。
家から駅に着いた時に既に汗をかいていた大半の乗客は、混雑した車内で汗だくになる。汗まみれの他の客と体を接触させたくないと誰もが思うが、満員の通勤電車の中では、自分だけの快適スペースを確保することは不可能。乗客の不快指数は朝から急上昇する。
修行を重ねて無念無想の境地に達すれば、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じるようになるとされる。感じ方(受け止め方)を変えることで外部要因に精神状態を左右されなくなるとの主張だ。そうした境地の人は今年のような猛暑にも何も感じないのか、猛暑を無視するだけなのか定かではない。
そうした境地の人が真夏の冷房がない満員電車に乗ったとしたなら、やはり「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じるのだろうか。真夏の冷房がない満員電車に毎日乗ることを過酷な修行体験とみなしても、そうした境地には達するのは簡単ではなさそうだ。精神論を試すには、猛暑はいい機会か。
通勤電車へのクーラー設置は1970年代に始まり、1980年代になって当時の国鉄の冷房化率は80%を超えたという。東京の地下鉄ではクーラー設置が遅れ、1990年代になってから全車両の冷房化が実現した。冷房がない地下鉄車両では窓を全開にするので、騒音が凄まじかった。
冷房車両が普及した現在だが、クーラーがない車両は、北海道を走る各駅停車など全国にまだ残っている。そうした車両の天井には扇風機が取り付けられていて、近くの壁にスイッチがあって乗客が押して作動させる。
猛暑の中、乗客が少ないローカル線でボックス席を独占して足を投げ出し、窓を全開にして生ぬるい風を受けながら、流れ去る風景を見ているというのは、例えばJR只見線などでの真夏の楽しみだった。猛暑を受け入れて楽しむという境地こそ上等な夏の過ごし方だ。
2018年8月4日土曜日
クーラーがなかった頃
2018年の夏の猛暑について気象庁は「太平洋高気圧の勢力が日本付近で強かったため」とした。7月の平均気温は東日本が平年より2.8度高く、西日本も1.6度高かった。全国の都市の観測地点153カ所中47カか所で平均気温が過去最高を更新したという。
この猛暑で熱中症により体調を崩す人も続出、救急搬送される人は各地で過去最多となり、死亡する人も増えている。過去には熱中症で年1千人以上が死んだこともある(2010年1731人、2013年1077人)から、猛暑の危険性は明らかだ。7月下旬から北海道各地でも30度超えの日が続き、熱中症による死者が出ている。
熱中症とは、気温が高いことなどで身体の調整機能が正常に働かなくなり、体内に熱がこもり、体温が異常に上昇することで発症する。環境省サイトでは、めまいや立ちくらみ、こむら返りなどを軽症とし、頭痛や吐き気・嘔吐、倦怠感などは病院への搬送を必要とする中等症、意識喪失や痙攣などを重症と分けている。
熱中症になった人に対して、▽涼しい場所へ避難させる▽服を脱がせて、とにかく体を冷やす(重症者の命を救うには、早く体温を下げる)▽水分・塩分の補給(意識障害がある人に水を飲ませることは危険)▽重症者は医療機関へ運ぶ、などが必要となる。
クーラーを積極的に使用することも呼びかけられている。クーラ一の家庭での普及率が10%を超えたのは1970年代に入ってからで、50%を超えたのは1980年代に入ってからという。だが家庭にクーラーがなかった頃の熱中症の死者数は最近より少なかったとされる。熱中症の死者には高齢者が多く、高齢化の進展が熱中症の影響を大きくしているという。
1970年代に都内の木造アパートで暮らしていた友人は、クーラーがないので夜は窓を開けて寝たという。でも、風は全く入っては来ず、やっと寝入っても体温で寝具が熱くなり、何度も目覚め、昼は猛暑、夜は寝不足で体力は確実に低下していたという。
当時の暑さ対策家電の主力は扇風機だが、扇風機の風を直接受けたまま寝ると、風邪をひくとか時には死んでしまうとか言われ、低体温症への注意が呼びかけられていた。クーラーが普及していない頃、熱中症への注意喚起はほとんどなかった印象だ。
厳しい暑さを耐えて東京暮らしを続けた友人は定年退職して、親の面倒をみるため郷里に戻った。昼間の暑さは東京と変わらないそうだが、窓を開けて寝るとクーラーは要らないという。周囲に民家がなく、よそのクーラーの排熱がないので、自然な夜風が入ってくる。
この猛暑で熱中症により体調を崩す人も続出、救急搬送される人は各地で過去最多となり、死亡する人も増えている。過去には熱中症で年1千人以上が死んだこともある(2010年1731人、2013年1077人)から、猛暑の危険性は明らかだ。7月下旬から北海道各地でも30度超えの日が続き、熱中症による死者が出ている。
熱中症とは、気温が高いことなどで身体の調整機能が正常に働かなくなり、体内に熱がこもり、体温が異常に上昇することで発症する。環境省サイトでは、めまいや立ちくらみ、こむら返りなどを軽症とし、頭痛や吐き気・嘔吐、倦怠感などは病院への搬送を必要とする中等症、意識喪失や痙攣などを重症と分けている。
熱中症になった人に対して、▽涼しい場所へ避難させる▽服を脱がせて、とにかく体を冷やす(重症者の命を救うには、早く体温を下げる)▽水分・塩分の補給(意識障害がある人に水を飲ませることは危険)▽重症者は医療機関へ運ぶ、などが必要となる。
クーラーを積極的に使用することも呼びかけられている。クーラ一の家庭での普及率が10%を超えたのは1970年代に入ってからで、50%を超えたのは1980年代に入ってからという。だが家庭にクーラーがなかった頃の熱中症の死者数は最近より少なかったとされる。熱中症の死者には高齢者が多く、高齢化の進展が熱中症の影響を大きくしているという。
1970年代に都内の木造アパートで暮らしていた友人は、クーラーがないので夜は窓を開けて寝たという。でも、風は全く入っては来ず、やっと寝入っても体温で寝具が熱くなり、何度も目覚め、昼は猛暑、夜は寝不足で体力は確実に低下していたという。
当時の暑さ対策家電の主力は扇風機だが、扇風機の風を直接受けたまま寝ると、風邪をひくとか時には死んでしまうとか言われ、低体温症への注意が呼びかけられていた。クーラーが普及していない頃、熱中症への注意喚起はほとんどなかった印象だ。
厳しい暑さを耐えて東京暮らしを続けた友人は定年退職して、親の面倒をみるため郷里に戻った。昼間の暑さは東京と変わらないそうだが、窓を開けて寝るとクーラーは要らないという。周囲に民家がなく、よそのクーラーの排熱がないので、自然な夜風が入ってくる。
2018年8月1日水曜日
ユダヤ人は民族?
民族とは、言語や習俗、文化、生活様式などを共有する集団のこととされる。部族は民族の中の地域的な集団とされるが、その部族が民族の部分要素であるとの意識を持たない場合もあり、民族と部族の厳密な区分けは簡単ではない。
民族は、自然発生的かつ歴史的に形成された集団であることが多いが、集団内で「我々」という帰属意識を共有することで形成されてもきた。国民国家の登場が民族意識を強化させたが、強権国家が統治のために民族意識を利用することもある。例えば、中国で進行中の「中華民族」意識の形成。
民族は宗教を共有することもある。キリスト教やイスラム教などの世界宗教ではなく、神道など特定の民族にだけ共有されている宗教が民族意識と結びつく。ユダヤ教は民族宗教とみなされているが、キリスト教やイスラム教の「母体」でもあり、民族宗教に止まらない広がりを持つ。
ユダヤ教を信仰する人をユダヤ人とするが、ユダヤ民族という言葉もある。ユダヤ教を共有する人々(ユダヤ教徒)を指す言葉だが、民族概念が包括的だとはいえ、ユダヤ教を共有することだけを基準にユダヤ民族を認めるならば、民族の定義はますます曖昧になっていく。
ユダヤ民族という概念は人為的に形成されたものである。イスラエルという国家もパレスチナの土地に人為的に形成された国家であるから、イスラエルという国家にはユダヤ民族が似合っている?……どちらも不安定であることは共通するが。
イスラエル国会が国民国家法を可決した。同法はイスラエルを「ユダヤ人のための民族的郷土」と規定、①エルサレムは首都、②ヘブライ語は国語、③亡命ユダヤ人を集めイスラエル領内においてユダヤ人の入植地(の建設)を推進、④ディアスポラ(イスラエル、パレスチナ外に住むユダヤ人の集団)におけるイスラエルとユダヤ人との関係強化に取り組む、⑤ユダヤ人はユダヤ人の特別の権利として祖国に関する自決権を持つ、などとする(中東調査会による)。
ユダヤ教を信仰する「我々」という帰属意識の共有がユダヤ民族という概念を生じさせる。ユダヤ人は世界に散らばるが、イスラエルがその「民族的郷土」と同法で明記したのは、人為的な設定でも、やがて既成事実化することを狙うのだろう。“やがて”の時間軸は、数十年か数百年か数千年か、ユダヤ人の時間軸を共有することは簡単ではない。
民族は、自然発生的かつ歴史的に形成された集団であることが多いが、集団内で「我々」という帰属意識を共有することで形成されてもきた。国民国家の登場が民族意識を強化させたが、強権国家が統治のために民族意識を利用することもある。例えば、中国で進行中の「中華民族」意識の形成。
民族は宗教を共有することもある。キリスト教やイスラム教などの世界宗教ではなく、神道など特定の民族にだけ共有されている宗教が民族意識と結びつく。ユダヤ教は民族宗教とみなされているが、キリスト教やイスラム教の「母体」でもあり、民族宗教に止まらない広がりを持つ。
ユダヤ教を信仰する人をユダヤ人とするが、ユダヤ民族という言葉もある。ユダヤ教を共有する人々(ユダヤ教徒)を指す言葉だが、民族概念が包括的だとはいえ、ユダヤ教を共有することだけを基準にユダヤ民族を認めるならば、民族の定義はますます曖昧になっていく。
ユダヤ民族という概念は人為的に形成されたものである。イスラエルという国家もパレスチナの土地に人為的に形成された国家であるから、イスラエルという国家にはユダヤ民族が似合っている?……どちらも不安定であることは共通するが。
イスラエル国会が国民国家法を可決した。同法はイスラエルを「ユダヤ人のための民族的郷土」と規定、①エルサレムは首都、②ヘブライ語は国語、③亡命ユダヤ人を集めイスラエル領内においてユダヤ人の入植地(の建設)を推進、④ディアスポラ(イスラエル、パレスチナ外に住むユダヤ人の集団)におけるイスラエルとユダヤ人との関係強化に取り組む、⑤ユダヤ人はユダヤ人の特別の権利として祖国に関する自決権を持つ、などとする(中東調査会による)。
ユダヤ教を信仰する「我々」という帰属意識の共有がユダヤ民族という概念を生じさせる。ユダヤ人は世界に散らばるが、イスラエルがその「民族的郷土」と同法で明記したのは、人為的な設定でも、やがて既成事実化することを狙うのだろう。“やがて”の時間軸は、数十年か数百年か数千年か、ユダヤ人の時間軸を共有することは簡単ではない。
2018年7月28日土曜日
監視国家と国境
中国は、ネットを介した厳しい監視国家になったという。少数民族が住む地域が以前から徹底した監視下に置かれていることは報じられていたが、そうした監視技術が、より高度化されて全土で使用され、厖大な個人情報が蓄積され続けているそうだ。
例えば、大量の監視カメラが人々の行動データを収集し、スマホやパソコンでインターネットを使用すると、書き込みはもちろん、あらゆる取引履歴も把握される。収集された膨大な個人情報はAIで識別する精度を上げるために使われるだろうから、国家による個人の監視は強化されるばかりだ。
さらに、中国政府は個人の社会信用度をランク化する制度を導入、政府が決めた基準によって個人の行動に点数をつけ、個人点数が一定水準以下に下がった人は、鉄道や飛行機のチケット購入が禁止されたり、買い物や旅行、就職先の制限などを課せられるという。親の社会信用度が低ければ子供の進学先も限られるとか。
倫理や道徳も国家権力が独占し、国家の決めた規範に従って人々は生きていかなければならないという中国。個人の信用度を国家がランク付けすることができるのは、国家が個人を監視し、その行動や言動などのデータを細かく収集できるようになったからだ。
倫理や道徳を国家権力が独占するとは、自由や民主主義、人権尊重などを求める個人を、例えば、軽微な交通違反や軽犯罪などを口実に社会から排除することを正当化する。そうしたことは既に行われていたが、容赦のない監視社会になるにつれて、システム化されて迅速に排除が行われることになろう。
中国が「先進的」なキャッシュレス社会に急速に移行していると賞賛する報道が日本で増え、キャッシュレス化を日本でも進めるための雰囲気づくりが進んでいる。だが、中国でのキャッシュレス取引データは国家が全て把握しているだろうから、特定の個人をキャッシュレス取引から排除することも可能だろう。
中国製のスマホや通信機材、監視カメラなどは日本をはじめ世界で販売されているが、データが密かに中国に送信されているとの疑念がつきまとっている。日本に住んでいるから中国政府が自分の個人情報を収集しても気にしないという考えもあろうが、外国の航空会社にも政治規範を強制するなど中国政府は国境の外をも管理する。外国に住む人の個人情報を収集した中国政府は、それを「有効」に活用するだろう。
例えば、大量の監視カメラが人々の行動データを収集し、スマホやパソコンでインターネットを使用すると、書き込みはもちろん、あらゆる取引履歴も把握される。収集された膨大な個人情報はAIで識別する精度を上げるために使われるだろうから、国家による個人の監視は強化されるばかりだ。
さらに、中国政府は個人の社会信用度をランク化する制度を導入、政府が決めた基準によって個人の行動に点数をつけ、個人点数が一定水準以下に下がった人は、鉄道や飛行機のチケット購入が禁止されたり、買い物や旅行、就職先の制限などを課せられるという。親の社会信用度が低ければ子供の進学先も限られるとか。
倫理や道徳も国家権力が独占し、国家の決めた規範に従って人々は生きていかなければならないという中国。個人の信用度を国家がランク付けすることができるのは、国家が個人を監視し、その行動や言動などのデータを細かく収集できるようになったからだ。
倫理や道徳を国家権力が独占するとは、自由や民主主義、人権尊重などを求める個人を、例えば、軽微な交通違反や軽犯罪などを口実に社会から排除することを正当化する。そうしたことは既に行われていたが、容赦のない監視社会になるにつれて、システム化されて迅速に排除が行われることになろう。
中国が「先進的」なキャッシュレス社会に急速に移行していると賞賛する報道が日本で増え、キャッシュレス化を日本でも進めるための雰囲気づくりが進んでいる。だが、中国でのキャッシュレス取引データは国家が全て把握しているだろうから、特定の個人をキャッシュレス取引から排除することも可能だろう。
中国製のスマホや通信機材、監視カメラなどは日本をはじめ世界で販売されているが、データが密かに中国に送信されているとの疑念がつきまとっている。日本に住んでいるから中国政府が自分の個人情報を収集しても気にしないという考えもあろうが、外国の航空会社にも政治規範を強制するなど中国政府は国境の外をも管理する。外国に住む人の個人情報を収集した中国政府は、それを「有効」に活用するだろう。
2018年7月25日水曜日
カジノには賭け麻雀
民間事業者が運営するカジノが、観光振興や地域経済活性化などの公共性があるとして合法化された。カジノだけを設置することはできず、ホテルや国際会議場、商業施設なども整備しなければならないから、街中のパチンコ店のようにカジノだけが増えるわけではないようだ。都会での闇カジノの市場は守られた?
カジノを含む統合型リゾート(IR)が開業するのは数年後とみられている。当初の設置区域は日本全国で3カ所に制限され、割高な入場料と回数限定で日本人の入場には制約を課す。これは、カジノでギャンブル依存症になる人が増えることを防ぐためという。
ギャンブル依存症は日本では珍しくはない精神疾患で、パチンコ、競馬、競艇などギャンブルにのめり込み、自制が効かなくなった状態のこと。小遣いの範囲でギャンブルを楽しむ段階から、サラ金などから借金をしてギャンブルを続けるようになったらギャンブル依存症だ。
カジノ合法化をめぐる審議でギャンブル依存症が取り上げられ、対策を強化することが付帯決議に盛り込まれたが、実際に有効な対策がどれほど為されるのかは不明だ。実態を把握するための全国調査を実施して基礎データを収集すべきだが、公営ギャンブルに影響が及びそうなことを官僚は行わないだろう。
競馬は農水省、競輪とオートレースは経産省、競艇は国交省(カジノも)、宝くじは総務省、サッカーくじは文科省と「利権」が分散され、民間のパチンコ業界は警察の「利権」とされる。日本におけるギャンブル依存症の実態調査を行うと、どこかの「利権」に影響が出る可能性があるとすれば、そんな実態調査は行われまい。
ところで、カジノは合法化されたが、どのようなゲームが実施されるのかは明らかではない。カジノだからルーレットやブラックジャック、バカラなどのほかスロットマシン等が中心になるのだろうが、スタッフを揃えなければならないので、具体的なことが決まるのは先のことだろう。
日本人を呼び込むためには日本の伝統的なギャンブル(手本引き、丁半、バッタまき、チンチロリンなど)を採用すべきだろう。付帯決議にも「我が国の伝統・文化・芸術を活かした日本らしい国際競争力の高い魅力ある観光資源を整備する観点」に留意することが明記されている。
日本人の入場は制限し、あくまで外国人観光客が狙いだというなら、その中心になると目されている中国人観光客にアピールするゲームを採用すべきだろう。それは麻雀。中国人に馴染みが深いゲームだから、高額なレートを容認するなら、一攫千金や中国人の間のマネロンなど様々な目的の中国人観光客が集まってくるかも。
カジノを含む統合型リゾート(IR)が開業するのは数年後とみられている。当初の設置区域は日本全国で3カ所に制限され、割高な入場料と回数限定で日本人の入場には制約を課す。これは、カジノでギャンブル依存症になる人が増えることを防ぐためという。
ギャンブル依存症は日本では珍しくはない精神疾患で、パチンコ、競馬、競艇などギャンブルにのめり込み、自制が効かなくなった状態のこと。小遣いの範囲でギャンブルを楽しむ段階から、サラ金などから借金をしてギャンブルを続けるようになったらギャンブル依存症だ。
カジノ合法化をめぐる審議でギャンブル依存症が取り上げられ、対策を強化することが付帯決議に盛り込まれたが、実際に有効な対策がどれほど為されるのかは不明だ。実態を把握するための全国調査を実施して基礎データを収集すべきだが、公営ギャンブルに影響が及びそうなことを官僚は行わないだろう。
競馬は農水省、競輪とオートレースは経産省、競艇は国交省(カジノも)、宝くじは総務省、サッカーくじは文科省と「利権」が分散され、民間のパチンコ業界は警察の「利権」とされる。日本におけるギャンブル依存症の実態調査を行うと、どこかの「利権」に影響が出る可能性があるとすれば、そんな実態調査は行われまい。
ところで、カジノは合法化されたが、どのようなゲームが実施されるのかは明らかではない。カジノだからルーレットやブラックジャック、バカラなどのほかスロットマシン等が中心になるのだろうが、スタッフを揃えなければならないので、具体的なことが決まるのは先のことだろう。
日本人を呼び込むためには日本の伝統的なギャンブル(手本引き、丁半、バッタまき、チンチロリンなど)を採用すべきだろう。付帯決議にも「我が国の伝統・文化・芸術を活かした日本らしい国際競争力の高い魅力ある観光資源を整備する観点」に留意することが明記されている。
日本人の入場は制限し、あくまで外国人観光客が狙いだというなら、その中心になると目されている中国人観光客にアピールするゲームを採用すべきだろう。それは麻雀。中国人に馴染みが深いゲームだから、高額なレートを容認するなら、一攫千金や中国人の間のマネロンなど様々な目的の中国人観光客が集まってくるかも。
2018年7月21日土曜日
命令口調の天気予報
最近、各地で大雨が増えた印象がある。うっかりと、天候不順だから大雨が増えていると思いがちだが、①実際に大雨の回数が増えている、②大雨についての情報提供量が増えた、③大雨に対する注意や警戒を発する基準が引き下げられた、の可能性がある。大雨の回数がさほど変わっていなくても、②③により、大雨が増えたとの印象を持つだろう。
命令口調になったことも天気予報の印象を強めている。大雨予想などで警報が出され、「ン十年に一度の災害が起きる」と強い言い方をされると、誰だって気になる。天気予報に命令される覚えはないのだが、「備えてください」と言われると、反論したり抵抗することなく、素直に受け取ってしまう。
気象災害などで避難が遅れて被害が生じる事例を減らそうと、早めの避難など対策を促すため天気予報が命令口調になったのだろうが、脅しているような気配は拭えない。各地の大雨では浸水被害などが実際に生じているので命令口調の天気予報に対する反発は見えないが、命令口調の天気予報が空振りすると、途端に反発が批判となって現れるかもしれない。正確な予報が命令口調には必須であろう。
気象庁は「大雨警報(浸水害)の危険度分布」と「洪水警報の危険度分布」を開始した。土砂災害についての土壌雨量指数、洪水害についての流域雨量指数に加えて新たに、浸水害について表面雨量指数を開発し、危険度が著しく高まっている地域をより明確にして大雨特別警報を発表するようになった。表面雨量指数とは、降った雨が地中に浸み込まずに地表面に溜まっている状態を指数化したものという。
気象庁の「地域における気象防災業務のあり方検討会」報告書では、「近年、大雨等による災害が相次いで発生」し、「各地で地震・火山噴火による災害も発生」しているため、「自治体や住民等における防災気象情報等の理解・活用を支援・促進するなどの取組が一層重要」になり、「大災害は必ず発生するとの意識を社会全体で共有」し、「防災意識社会への転換に貢献」していくそうだ。
人々の防災意識を高めることが、いつの間にか気象庁の役割になったようで、天気予報に命令口調や強い警告が混じり、人々に直に指示している印象だ。大雨予報が外れて被害が出なくても、それは幸いだったと厳しく責任を問われることはないだろうから、「命令」するが責任は問われないというポジションを気象庁は獲得したか。財務省だって気象庁ほどには、人々に向かって指示したりはできない。
日本では台風や梅雨前線、発達した低気圧などによる大雨は全国各地で繰り返されてきた。大雨は珍しくないのだが、1時間に50㎜以上の雨が降る頻度が1970~80年代に比べ3割程度増加していると気象庁は説明している。だから気象庁は防災に力を入れるようになったのだろうが、非常時だとの演出を利用して気象庁が権力を拡大したようにも見える。
命令口調になったことも天気予報の印象を強めている。大雨予想などで警報が出され、「ン十年に一度の災害が起きる」と強い言い方をされると、誰だって気になる。天気予報に命令される覚えはないのだが、「備えてください」と言われると、反論したり抵抗することなく、素直に受け取ってしまう。
気象災害などで避難が遅れて被害が生じる事例を減らそうと、早めの避難など対策を促すため天気予報が命令口調になったのだろうが、脅しているような気配は拭えない。各地の大雨では浸水被害などが実際に生じているので命令口調の天気予報に対する反発は見えないが、命令口調の天気予報が空振りすると、途端に反発が批判となって現れるかもしれない。正確な予報が命令口調には必須であろう。
気象庁は「大雨警報(浸水害)の危険度分布」と「洪水警報の危険度分布」を開始した。土砂災害についての土壌雨量指数、洪水害についての流域雨量指数に加えて新たに、浸水害について表面雨量指数を開発し、危険度が著しく高まっている地域をより明確にして大雨特別警報を発表するようになった。表面雨量指数とは、降った雨が地中に浸み込まずに地表面に溜まっている状態を指数化したものという。
気象庁の「地域における気象防災業務のあり方検討会」報告書では、「近年、大雨等による災害が相次いで発生」し、「各地で地震・火山噴火による災害も発生」しているため、「自治体や住民等における防災気象情報等の理解・活用を支援・促進するなどの取組が一層重要」になり、「大災害は必ず発生するとの意識を社会全体で共有」し、「防災意識社会への転換に貢献」していくそうだ。
人々の防災意識を高めることが、いつの間にか気象庁の役割になったようで、天気予報に命令口調や強い警告が混じり、人々に直に指示している印象だ。大雨予報が外れて被害が出なくても、それは幸いだったと厳しく責任を問われることはないだろうから、「命令」するが責任は問われないというポジションを気象庁は獲得したか。財務省だって気象庁ほどには、人々に向かって指示したりはできない。
日本では台風や梅雨前線、発達した低気圧などによる大雨は全国各地で繰り返されてきた。大雨は珍しくないのだが、1時間に50㎜以上の雨が降る頻度が1970~80年代に比べ3割程度増加していると気象庁は説明している。だから気象庁は防災に力を入れるようになったのだろうが、非常時だとの演出を利用して気象庁が権力を拡大したようにも見える。
2018年7月18日水曜日
忘れた頃にやって来る
「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉がある。物理学者で随筆家の寺田寅彦が講演などで話していた言葉だという。災害に備えることの必要性を説いた警句として伝わっているが、現代ではメディアが「@@から10年。被災地はいま」などと頻繁に報じるので、数多い天災を忘れることは簡単ではなくなった。
天災とは、地震・洪水・暴風雨・噴火などの自然現象によって起こる災害のことだが、梅雨前線の活発化による集中豪雨や台風による暴風雨は毎年、日本のどこかを襲っているし、マグニチュード(M)7クラスの地震は数年ごとに、M5、M6クラスの地震は日本のどこかで毎年起きている。「天災を忘れて暮らしたい」と思っても、そうはいかない。
天災は甚大な被害をもたらす。人々の嘆き、苦しみ、無念さ、喪失感など被災の記憶は、メディアの発達もあり、被災地から遠い人々にも共有される。そうした被災の記憶は社会で毎年、上書きされ続けるので、現代では「天災は次から次と毎年やって来る」ものになった。
「最悪のことは最悪のタイミングで起きる」という言葉もある。元々はジョークだというが、被災者にとっては、自然災害に巻き込まれた途端に状況は最悪へと一変するだろうから、結果的に「天災は最悪のタイミングで起きる」のかもしれない。
人々の生活を破壊し、多くの命を奪い、社会を混乱させる天災は、平穏な日常に対する危機の最たるものである。危機には、戦乱など人為的にもたらされるものと自然災害がある。自然災害を人間が防ぐことは困難だから、予報の精度を高めることと、起きることを前提に即応体制を構築しておくことが危機管理の重点になる。
しかし、もしものための即応体制の構築には限度がある。天災が発生する日時を特定することが不可能だから、国家予算などでの優先順位は低くなる。また、主要河川全ての堤防の整備には年月がかかるからと、大雨による氾濫を見越して河川の周辺の住宅建設を禁止することは地権者などの同意形成が簡単ではないだろう。
即応体制の整備の遅れには、政治家や官僚の危機意識の希薄さが関係する。例えば、いつか必ず大地震に襲われるといわれる東京。人間や企業、学校などの集中を抑制、分散させつつ、災害発生時にも機能を失わないように都市インフラを整備することが必要だが、最優先で行われているようには見えない。「天災は忘れた頃にやって来る」というのは政治家や官僚に向けた警句だと解釈すると、現代に生きている言葉だ。
天災とは、地震・洪水・暴風雨・噴火などの自然現象によって起こる災害のことだが、梅雨前線の活発化による集中豪雨や台風による暴風雨は毎年、日本のどこかを襲っているし、マグニチュード(M)7クラスの地震は数年ごとに、M5、M6クラスの地震は日本のどこかで毎年起きている。「天災を忘れて暮らしたい」と思っても、そうはいかない。
天災は甚大な被害をもたらす。人々の嘆き、苦しみ、無念さ、喪失感など被災の記憶は、メディアの発達もあり、被災地から遠い人々にも共有される。そうした被災の記憶は社会で毎年、上書きされ続けるので、現代では「天災は次から次と毎年やって来る」ものになった。
「最悪のことは最悪のタイミングで起きる」という言葉もある。元々はジョークだというが、被災者にとっては、自然災害に巻き込まれた途端に状況は最悪へと一変するだろうから、結果的に「天災は最悪のタイミングで起きる」のかもしれない。
人々の生活を破壊し、多くの命を奪い、社会を混乱させる天災は、平穏な日常に対する危機の最たるものである。危機には、戦乱など人為的にもたらされるものと自然災害がある。自然災害を人間が防ぐことは困難だから、予報の精度を高めることと、起きることを前提に即応体制を構築しておくことが危機管理の重点になる。
しかし、もしものための即応体制の構築には限度がある。天災が発生する日時を特定することが不可能だから、国家予算などでの優先順位は低くなる。また、主要河川全ての堤防の整備には年月がかかるからと、大雨による氾濫を見越して河川の周辺の住宅建設を禁止することは地権者などの同意形成が簡単ではないだろう。
即応体制の整備の遅れには、政治家や官僚の危機意識の希薄さが関係する。例えば、いつか必ず大地震に襲われるといわれる東京。人間や企業、学校などの集中を抑制、分散させつつ、災害発生時にも機能を失わないように都市インフラを整備することが必要だが、最優先で行われているようには見えない。「天災は忘れた頃にやって来る」というのは政治家や官僚に向けた警句だと解釈すると、現代に生きている言葉だ。
2018年7月14日土曜日
日本の核武装
日本が核兵器を持つことで、防衛力は高まるのだろうか。すでに中国、ロシア、米国は日本全土を攻撃できる核攻撃能力を有しているだろうから、これから日本が少数の核兵器を持ったところで、核攻撃能力の不均衡状態は変わるまい。国土面積が広い中国、ロシア、米国と日本の相互抑止(相互確証破壊)が新たに構築されるかどうかは不明だ。
核開発を進める北朝鮮に対して、日本が核兵器を持つことで防衛力(反撃力)が高まるかは定かではない。すでに北朝鮮が多数配備する通常弾頭の中距離ミサイルの射程にある日本が、飛んでくるミサイルを全部、撃ち落とすことは不可能だろうし、ミサイルを撃ち込まれて日本で多大な被害が生じてから核兵器で反撃したところで、誰も賞賛しないだろう。
しかし、日本が核兵器を使って先制攻撃することはできまい。核兵器が大量虐殺をもたらす悲惨な非人道的な兵器であることは、核兵器による攻撃を受けた唯一の国である日本は熟知しており、日本が先に核兵器を使用することを政府が決断するには相当の困難が伴うだろう。
さらに、日本が保有する核兵器で反撃攻撃される可能性が高い場合、日本に対する外国からの先制攻撃は、日本の報復能力をできる限り破壊するという容赦ないものになるだろう。先制攻撃を察知してすぐに相手国に報復攻撃したとしても、放たれたミサイルを止めることはできまいから、相互に破壊し合うだけとなる。
日本が核兵器を持っても先制攻撃に使うことが困難だとすれば、核兵器を保有する目的は、①報復攻撃能力を高める、②外交における交渉力を高める、が考えられる。しかし、多額のコストを要して核兵器を持たなくても通常兵器の強化によって報復反撃能力を高めることは可能だろうし、核兵器が外交交渉力を高める保証はない。
核兵器を持った国の外交交渉能力が高まるなら、北朝鮮の現在のような国際的な孤立はないだろう。つまり、核兵器保有による軍事的な恫喝が外交において交渉力を高めるとは言えない。外交において非妥協的であることを貫くためには効果があるかもしれないが、それは同時に国際的な信頼を失うことでもある。
日本が核兵器を持ったなら、現在の北朝鮮と同様に経済制裁の対象になる可能性がある。原発のウラン燃料や原油などエネルギー源の多くを輸入に頼る日本は、経済制裁には脆弱だ。核兵器を保有することで日本は、ある種のプライドを満足させることができるかもしれないが、現実には失うものが多いだろう。
核開発を進める北朝鮮に対して、日本が核兵器を持つことで防衛力(反撃力)が高まるかは定かではない。すでに北朝鮮が多数配備する通常弾頭の中距離ミサイルの射程にある日本が、飛んでくるミサイルを全部、撃ち落とすことは不可能だろうし、ミサイルを撃ち込まれて日本で多大な被害が生じてから核兵器で反撃したところで、誰も賞賛しないだろう。
しかし、日本が核兵器を使って先制攻撃することはできまい。核兵器が大量虐殺をもたらす悲惨な非人道的な兵器であることは、核兵器による攻撃を受けた唯一の国である日本は熟知しており、日本が先に核兵器を使用することを政府が決断するには相当の困難が伴うだろう。
さらに、日本が保有する核兵器で反撃攻撃される可能性が高い場合、日本に対する外国からの先制攻撃は、日本の報復能力をできる限り破壊するという容赦ないものになるだろう。先制攻撃を察知してすぐに相手国に報復攻撃したとしても、放たれたミサイルを止めることはできまいから、相互に破壊し合うだけとなる。
日本が核兵器を持っても先制攻撃に使うことが困難だとすれば、核兵器を保有する目的は、①報復攻撃能力を高める、②外交における交渉力を高める、が考えられる。しかし、多額のコストを要して核兵器を持たなくても通常兵器の強化によって報復反撃能力を高めることは可能だろうし、核兵器が外交交渉力を高める保証はない。
核兵器を持った国の外交交渉能力が高まるなら、北朝鮮の現在のような国際的な孤立はないだろう。つまり、核兵器保有による軍事的な恫喝が外交において交渉力を高めるとは言えない。外交において非妥協的であることを貫くためには効果があるかもしれないが、それは同時に国際的な信頼を失うことでもある。
日本が核兵器を持ったなら、現在の北朝鮮と同様に経済制裁の対象になる可能性がある。原発のウラン燃料や原油などエネルギー源の多くを輸入に頼る日本は、経済制裁には脆弱だ。核兵器を保有することで日本は、ある種のプライドを満足させることができるかもしれないが、現実には失うものが多いだろう。
2018年7月11日水曜日
消費税廃止と終末
1990年の総選挙に立候補した真理党(オウム真理教が結成した政党)は、消費税廃止を公約として大きく掲げていた。麻原彰晃が出馬した東京4区に当時住んでいたので、彼らの選挙パフォーマンスを数回見かけたが、オウム真理教について知識がなかったこともあり、その奇妙さだけが印象に残った。
印象に残ったということは、宗教団体としての認知度を高め、関心を集める目的の立候補だったのなら奇妙な選挙パフォーマンスは効果的だった。当選を目指さずに、選挙はPRの場と割り切り、宗教団体の知名度を上げ、信者獲得に利用する戦略はありうる。
しかし、麻原彰晃は自分が当選すると信じ込んでいたという。真理党から25人が立候補したが、麻原彰晃の1783票が最多得票という有様で全員落選した。それを国家権力による妨害と解釈、国家権力に対する敵対意識を強くし、凶暴性を加速させたと報じられている。
当時、真理党の印刷物が郵便ポストに連日入っていて、その一つに漫画仕立てでオウム真理教の教義を解説した冊子があった。大要は「人類の終末が近づいているが、人類を救うには目覚めた者が増えることが必要。オウム真理教に入って修行して目覚めた者が増えることで、人類は救われる」といったものだった。
読み終えて、人類の終末が近づいていると認識しているなら、なぜ選挙でそれを強く主張しないのかという疑問を感じた。人類の終末が近づいているのなら、消費税廃止なんかを訴えたところで意味がないだろう。あの冊子は、宗教団体としてのオウム真理教の主張に疑問を抱かせる効果はあった。
消費税廃止を大きく掲げたのは、主権者の関心が高いテーマだからと集票を狙ったのだろうが、多くの野党も同様の主張をしていた。主張が埋没してしまっては選挙で少数政党、まして初めて選挙に参加した宗教団体の候補者が当選することは難しい。
もし宗教団体としての認知度を高めるために総選挙に参加していたなら、消費税廃止を大きく掲げることよりも、人類の終末が近づいていると終末論で危機感を煽ることを優先しただろう。彼らが政治活動ではなく宗教活動に徹していたなら、麻原彰晃らの末路は違ったものになっていたかもしれない。
印象に残ったということは、宗教団体としての認知度を高め、関心を集める目的の立候補だったのなら奇妙な選挙パフォーマンスは効果的だった。当選を目指さずに、選挙はPRの場と割り切り、宗教団体の知名度を上げ、信者獲得に利用する戦略はありうる。
しかし、麻原彰晃は自分が当選すると信じ込んでいたという。真理党から25人が立候補したが、麻原彰晃の1783票が最多得票という有様で全員落選した。それを国家権力による妨害と解釈、国家権力に対する敵対意識を強くし、凶暴性を加速させたと報じられている。
当時、真理党の印刷物が郵便ポストに連日入っていて、その一つに漫画仕立てでオウム真理教の教義を解説した冊子があった。大要は「人類の終末が近づいているが、人類を救うには目覚めた者が増えることが必要。オウム真理教に入って修行して目覚めた者が増えることで、人類は救われる」といったものだった。
読み終えて、人類の終末が近づいていると認識しているなら、なぜ選挙でそれを強く主張しないのかという疑問を感じた。人類の終末が近づいているのなら、消費税廃止なんかを訴えたところで意味がないだろう。あの冊子は、宗教団体としてのオウム真理教の主張に疑問を抱かせる効果はあった。
消費税廃止を大きく掲げたのは、主権者の関心が高いテーマだからと集票を狙ったのだろうが、多くの野党も同様の主張をしていた。主張が埋没してしまっては選挙で少数政党、まして初めて選挙に参加した宗教団体の候補者が当選することは難しい。
もし宗教団体としての認知度を高めるために総選挙に参加していたなら、消費税廃止を大きく掲げることよりも、人類の終末が近づいていると終末論で危機感を煽ることを優先しただろう。彼らが政治活動ではなく宗教活動に徹していたなら、麻原彰晃らの末路は違ったものになっていたかもしれない。
2018年7月7日土曜日
中国の債務
中国では金融引き締め政策によって企業の資金繰りが悪化し、企業が発行した債券でデフォルトが相次いでいると報じられた。今年上半期(1〜6月)の不履行額は昨年の4割増だという。「シャドーバンキング」の規制が強まる見通しもあって資金調達が簡単ではなくなっているようだ。
だが、市場から退出すべきゾンビ企業を中国でも支えることができなくなったと見るのは早すぎるようで、中央銀行の中国人民銀行は社債市場の下支えを始め、金融緩和に動くとも報じられている。市場経済も政府の管理下にある中国では、景気の足を引っ張る企業倒産が増えることは容認されまい。
購買力平価で見る経済規模では米国を抜いたともされる中国では、地方政府や企業などの債務が巨額に積み上がっていて、中国経済の最大の問題と見られているが、実態は詳らかではない。公的な発表はあるが、それが実態にどれほど近いのか不明だ。
例えば、人民銀の発表では、中国国内の家計・金融企業・非金融企業などを合わせた債務規模は244兆元(約4075兆円。16年12月末)というが、中国国家統計局の統計では、16年のGDPは約75兆元で債務の対GDP比率は約350%とされ、もっと多い。
債務は探せば探すほど出てくる可能性が高いが、荒療治に踏みきる覚悟がなければ発表は適当な数字に止めておくしかあるまい。注意すべきは、当局が実態を把握しているのか把握しきれていないのかは、発表された数字から判断することができないことだ。
中国では不動産バブルが起きているともいわれ、過剰な投機を抑制するために当局は金融引き締めに動くが、それは、野放図に債務を膨張させた企業の資金繰りを直撃する。不動産バブルを抑制しつつ、債務の返済に支障が出ている企業を救うために資金の流れを緩めるという矛盾した対策が続く。
資金が流入している間はバブルは続くが、バブルが続くと企業などの債務は更に増え、ゾンビ企業が増えていく。減速しつつも成長は続くと見られている中国経済だが、永遠に成長を続けることはできまい。バブルが崩壊し、債務膨張の清算を迫られる日を永遠に先送りすることもできまい。
だが、市場から退出すべきゾンビ企業を中国でも支えることができなくなったと見るのは早すぎるようで、中央銀行の中国人民銀行は社債市場の下支えを始め、金融緩和に動くとも報じられている。市場経済も政府の管理下にある中国では、景気の足を引っ張る企業倒産が増えることは容認されまい。
購買力平価で見る経済規模では米国を抜いたともされる中国では、地方政府や企業などの債務が巨額に積み上がっていて、中国経済の最大の問題と見られているが、実態は詳らかではない。公的な発表はあるが、それが実態にどれほど近いのか不明だ。
例えば、人民銀の発表では、中国国内の家計・金融企業・非金融企業などを合わせた債務規模は244兆元(約4075兆円。16年12月末)というが、中国国家統計局の統計では、16年のGDPは約75兆元で債務の対GDP比率は約350%とされ、もっと多い。
債務は探せば探すほど出てくる可能性が高いが、荒療治に踏みきる覚悟がなければ発表は適当な数字に止めておくしかあるまい。注意すべきは、当局が実態を把握しているのか把握しきれていないのかは、発表された数字から判断することができないことだ。
中国では不動産バブルが起きているともいわれ、過剰な投機を抑制するために当局は金融引き締めに動くが、それは、野放図に債務を膨張させた企業の資金繰りを直撃する。不動産バブルを抑制しつつ、債務の返済に支障が出ている企業を救うために資金の流れを緩めるという矛盾した対策が続く。
資金が流入している間はバブルは続くが、バブルが続くと企業などの債務は更に増え、ゾンビ企業が増えていく。減速しつつも成長は続くと見られている中国経済だが、永遠に成長を続けることはできまい。バブルが崩壊し、債務膨張の清算を迫られる日を永遠に先送りすることもできまい。
2018年7月4日水曜日
難民の大量死と欧州
地中海でリビア北岸から欧州に向かっていた密航船の沈没が相次ぎ、200人以上が溺死したと報じられた。海に落ちて行方不明になった人も多く、今年の地中海での死者と行方不明者の合計は1000人を超えたというから、減少傾向にあるとはいえ欧州を目指す移民・難民が過酷な状況にあることは変わっていない。
リビア内戦に欧米を主とした多国籍軍が軍事介入してカダフィ体制を崩壊させたが、その後は3つの政治勢力が並立し、各地で武装勢力が活動するなど国家としては崩壊したままだ。欧州への渡航斡旋で稼ぐ密航業者が多く存在し、密航希望者はアフリカ諸国やアラブ諸国から次々と集まるのだろうから、リビアから欧州への移民・難民は減りそうにない。
当時のカダフィ政権による反体制派デモ隊への攻撃を人道に対する罪だと批判して欧州は、リビアに対する軍事介入に踏み切った。人道を掲げて行動し、悪名高いカダフィ政権を崩壊させたのだから欧州は満足しただろうが、それが現在の地中海での移民・難民の大量死につながっている。
「人道に対する罪を看過しない欧州」というのが本当なら、地中海での大量死という非人道的な状況に対応する方法は、無制限の受け入れしかない。欧州が崩壊させたリビアで治安が回復する見込みはなく、移民・難民の「供給」圧力は高まったままだ。過酷な状況に置かれた移民・難民を、人道を重視する欧州は放ってはおけないはずだ。
だが、欧州は移民・難民を明確に拒否し始めた。EU加盟国が移民・難民を分担して受け入れると決めたが、拒否する国々が現れ、各国で反移民を掲げる政党が勢力を伸ばし、イタリアの新政権は移民・難民を乗せた船舶の寄港を拒否し始めた(イタリアには過去4年で移民60万人以上が流入)。
EUは首脳会議を開いたものの、移民・難民を積極的に受け入れることはできず、全面的に拒否することもできなかった。合意したのは①EU加盟各国が自主的に新たな移民施設を設置、②北アフリカ諸国への金融支援拡大、③密入国の斡旋を行うギャングを壊滅、④EU域内での移民の移動制限、⑤アフリカ大陸への投資拡大などだ。
欧州以外の他国に対しては人道を振りかざし、軍事介入して政権を倒し、国家を崩壊させることまで行うが、自国に影響が及ぶとなると人道を後回しにする。欧州のいつもの二重基準だと冷ややかに見ていればいいが、そうしている間にも地中海で死んだり、行方不明になる人々がいる。
リビア内戦に欧米を主とした多国籍軍が軍事介入してカダフィ体制を崩壊させたが、その後は3つの政治勢力が並立し、各地で武装勢力が活動するなど国家としては崩壊したままだ。欧州への渡航斡旋で稼ぐ密航業者が多く存在し、密航希望者はアフリカ諸国やアラブ諸国から次々と集まるのだろうから、リビアから欧州への移民・難民は減りそうにない。
当時のカダフィ政権による反体制派デモ隊への攻撃を人道に対する罪だと批判して欧州は、リビアに対する軍事介入に踏み切った。人道を掲げて行動し、悪名高いカダフィ政権を崩壊させたのだから欧州は満足しただろうが、それが現在の地中海での移民・難民の大量死につながっている。
「人道に対する罪を看過しない欧州」というのが本当なら、地中海での大量死という非人道的な状況に対応する方法は、無制限の受け入れしかない。欧州が崩壊させたリビアで治安が回復する見込みはなく、移民・難民の「供給」圧力は高まったままだ。過酷な状況に置かれた移民・難民を、人道を重視する欧州は放ってはおけないはずだ。
だが、欧州は移民・難民を明確に拒否し始めた。EU加盟国が移民・難民を分担して受け入れると決めたが、拒否する国々が現れ、各国で反移民を掲げる政党が勢力を伸ばし、イタリアの新政権は移民・難民を乗せた船舶の寄港を拒否し始めた(イタリアには過去4年で移民60万人以上が流入)。
EUは首脳会議を開いたものの、移民・難民を積極的に受け入れることはできず、全面的に拒否することもできなかった。合意したのは①EU加盟各国が自主的に新たな移民施設を設置、②北アフリカ諸国への金融支援拡大、③密入国の斡旋を行うギャングを壊滅、④EU域内での移民の移動制限、⑤アフリカ大陸への投資拡大などだ。
欧州以外の他国に対しては人道を振りかざし、軍事介入して政権を倒し、国家を崩壊させることまで行うが、自国に影響が及ぶとなると人道を後回しにする。欧州のいつもの二重基準だと冷ややかに見ていればいいが、そうしている間にも地中海で死んだり、行方不明になる人々がいる。
2018年6月30日土曜日
米国と中国の関税合戦
米トランプ政権は6月15日、中国の知的財産権侵害への制裁措置として、1102品目、500億ドル分の中国製品に25%の追加関税を課すと発表した(7月6日に340億ドル分の制裁関税を発動し、残りの160億ドル分は時期を検討する)。
中国は同16日、米国の制裁関税への報復措置として米国産の農産物や自動車、エネルギーなど659品目に25%の追加関税をかけると発表した。対象は約500億ドルで、7月6日に米国が課税を始めたなら約340億ドル分をすぐに発動するという(中国は追加関税の税率、対象規模、発動方式などを米国と同等にしている)。
米トランプ政権は同18日、中国の知的財産権侵害を巡り、新たに2000億ドル分の輸入品に10%の制裁関税を検討するよう指示した。中国に対する圧力強化が目的で、中国の譲歩を引き出そうとしているように見えるが、中国は同19日、対抗措置を取ると表明、一歩も引かない構えを崩していない。
関税引き上げ以外に米トランプ政権は中国の知的財産権侵害を巡り、中国企業の対米投資制限を検討しているという。中国資本が25%以上の企業が対象となり、米国企業の買収を阻止したりするほか、重要な技術の対中輸出も規制するという。
米国と中国の応酬は、ポーカーで掛け金を互いに釣り上げ続けている映画のシーンのようにも見える。だが、そのゲームには金銭以外のものも賭けられている。米国は相手が諦めて譲歩することを期待するが、中国は米国の「脅し」に屈するならメンツを失う。メンツを失ったなら共産党の独裁支配にも影響するだろう。
さらに、譲歩すれば中国は米国の知的財産権を侵害していたと米国の言い分の正当性を認めることになる。ハイテク製品分野を中心に製造業を強化する「中国製造2025」を実現するために、技術的に遅れている中国は米国などの先進国から技術を「移入」しなければならないが、他国の知的財産権を侵害せずに中国製造2025実現は困難だろうから、ここで知的財産権侵害を認めるわけにはいかない。
中国による知的財産権の侵害をやめさせることでは、米国はEUや日本などと共闘できたはずだ。だが米国は一方的な関税引き上げをEUなどにも発動し、中国の知的財産権の侵害を阻止することで共闘することを困難にしてしまった。2つの問題をごちゃ混ぜにしてしまったのは米国外交の失敗だろう。
外交における「米国第一」が、米国が全ての国と敵対する結果として現れている。米国第一の外交が、相手の意図や反応を軽視することに繋がっているのなら、外交における選択肢は狭まる。力づくで相手を従わせるという外交は全ての国に対して有効とは限らず、経済の論理ではなく政治の論理で動く国に対しては逆効果だろう。
中国は同16日、米国の制裁関税への報復措置として米国産の農産物や自動車、エネルギーなど659品目に25%の追加関税をかけると発表した。対象は約500億ドルで、7月6日に米国が課税を始めたなら約340億ドル分をすぐに発動するという(中国は追加関税の税率、対象規模、発動方式などを米国と同等にしている)。
米トランプ政権は同18日、中国の知的財産権侵害を巡り、新たに2000億ドル分の輸入品に10%の制裁関税を検討するよう指示した。中国に対する圧力強化が目的で、中国の譲歩を引き出そうとしているように見えるが、中国は同19日、対抗措置を取ると表明、一歩も引かない構えを崩していない。
関税引き上げ以外に米トランプ政権は中国の知的財産権侵害を巡り、中国企業の対米投資制限を検討しているという。中国資本が25%以上の企業が対象となり、米国企業の買収を阻止したりするほか、重要な技術の対中輸出も規制するという。
米国と中国の応酬は、ポーカーで掛け金を互いに釣り上げ続けている映画のシーンのようにも見える。だが、そのゲームには金銭以外のものも賭けられている。米国は相手が諦めて譲歩することを期待するが、中国は米国の「脅し」に屈するならメンツを失う。メンツを失ったなら共産党の独裁支配にも影響するだろう。
さらに、譲歩すれば中国は米国の知的財産権を侵害していたと米国の言い分の正当性を認めることになる。ハイテク製品分野を中心に製造業を強化する「中国製造2025」を実現するために、技術的に遅れている中国は米国などの先進国から技術を「移入」しなければならないが、他国の知的財産権を侵害せずに中国製造2025実現は困難だろうから、ここで知的財産権侵害を認めるわけにはいかない。
中国による知的財産権の侵害をやめさせることでは、米国はEUや日本などと共闘できたはずだ。だが米国は一方的な関税引き上げをEUなどにも発動し、中国の知的財産権の侵害を阻止することで共闘することを困難にしてしまった。2つの問題をごちゃ混ぜにしてしまったのは米国外交の失敗だろう。
外交における「米国第一」が、米国が全ての国と敵対する結果として現れている。米国第一の外交が、相手の意図や反応を軽視することに繋がっているのなら、外交における選択肢は狭まる。力づくで相手を従わせるという外交は全ての国に対して有効とは限らず、経済の論理ではなく政治の論理で動く国に対しては逆効果だろう。
2018年6月27日水曜日
蝶々とハンスの遍歴
凄惨な戦闘シーンをスローモーションを多用して描いたサム・ペキンパー監督の映画「戦争のはらわた」で使われているのが、日本では唱歌「蝶々」として知られている曲。だが、歌詞はドイツ語で、その内容は唱歌「蝶々」とは全く異なる。
唱歌「蝶々」はドイツの古い童謡に「菜の葉にあいたら 桜にとまれ」などとの日本語歌詞をつけたものだが、ドイツ語の歌詞は、幼い男の子ハンスが遍歴の旅に出て、大きくなったハンスが故郷に戻ってくるが、すっかり変わっているので誰にも見分けがつかなかったものの、母親だけはすぐにハンスだと気づいたというストーリー。
故郷に戻ってきたハンスが、母親以外には見分けがつかないほどの変貌を遂げていたという歌詞が示すのは、ハンスが旅の間に異郷で時には過酷な体験をしただろうということだ。よそ者を温かく迎え入れてくれる土地ばかりではなかったろうし、生き延びるためには何でもやらなければならなかったハンスは、世間擦れした大人に「成長」して故郷に戻ってきたのだろう。
故郷にとどまって暮らしていれば、体験しなかったことや知らずにいただろうことを旅に出たハンスは体験し、知った。楽しく穏やかな体験ばかりであったなら、ハンスは幼かった頃の面影を宿している青年に成長したかもしれないが、異郷での体験がハンスを変えてしまった。
「戦争のはらわた」でソ連軍と戦うドイツ軍が展開しているのは、クリミア半島の東側のタマン半島という設定だ。そこはソ連領土であり、ドイツ軍ははるばる「旅」に出てきて、ソ連軍の激しい反撃に追い立てられ、ドイツ人らは過酷な体験を余儀なくされた。
独ソ戦でドイツ軍は約500万人が戦死・戦病死(ソ連軍は約1100万人)し、民間人を含めると独ソ両国で3000万人以上が死亡したという。生き残ったドイツ兵もさらに過酷な体験をしただろうし、やっと帰ったドイツの故郷も戦火に見舞われていたかもしれない。過酷な体験をしたドイツ兵はすっかり変わってしまっただろうが、故郷ももう昔のままではなかっただろう。
人間が傷つけ合うことを強調して描いても商業映画として成立すると諸作品で実証したペキンパー映画だが、暴力を肯定することを狙ったわけではない。むしろ、暴力をスローモションなどで強調して描くことによって、争い傷つけ合って生きる人間の悲しさ、哀愁のようなものを浮かび上がらせた。
唱歌「蝶々」はドイツの古い童謡に「菜の葉にあいたら 桜にとまれ」などとの日本語歌詞をつけたものだが、ドイツ語の歌詞は、幼い男の子ハンスが遍歴の旅に出て、大きくなったハンスが故郷に戻ってくるが、すっかり変わっているので誰にも見分けがつかなかったものの、母親だけはすぐにハンスだと気づいたというストーリー。
故郷に戻ってきたハンスが、母親以外には見分けがつかないほどの変貌を遂げていたという歌詞が示すのは、ハンスが旅の間に異郷で時には過酷な体験をしただろうということだ。よそ者を温かく迎え入れてくれる土地ばかりではなかったろうし、生き延びるためには何でもやらなければならなかったハンスは、世間擦れした大人に「成長」して故郷に戻ってきたのだろう。
故郷にとどまって暮らしていれば、体験しなかったことや知らずにいただろうことを旅に出たハンスは体験し、知った。楽しく穏やかな体験ばかりであったなら、ハンスは幼かった頃の面影を宿している青年に成長したかもしれないが、異郷での体験がハンスを変えてしまった。
「戦争のはらわた」でソ連軍と戦うドイツ軍が展開しているのは、クリミア半島の東側のタマン半島という設定だ。そこはソ連領土であり、ドイツ軍ははるばる「旅」に出てきて、ソ連軍の激しい反撃に追い立てられ、ドイツ人らは過酷な体験を余儀なくされた。
独ソ戦でドイツ軍は約500万人が戦死・戦病死(ソ連軍は約1100万人)し、民間人を含めると独ソ両国で3000万人以上が死亡したという。生き残ったドイツ兵もさらに過酷な体験をしただろうし、やっと帰ったドイツの故郷も戦火に見舞われていたかもしれない。過酷な体験をしたドイツ兵はすっかり変わってしまっただろうが、故郷ももう昔のままではなかっただろう。
人間が傷つけ合うことを強調して描いても商業映画として成立すると諸作品で実証したペキンパー映画だが、暴力を肯定することを狙ったわけではない。むしろ、暴力をスローモションなどで強調して描くことによって、争い傷つけ合って生きる人間の悲しさ、哀愁のようなものを浮かび上がらせた。
2018年6月23日土曜日
新しい音楽を試す
音楽は、人間が創造する文化の中で最も簡単に国境を越えるものだろう。以前から欧米の歌手やバンドなどが世界的な人気を得て、発売された新譜が世界で大量に売れたが、最近では欧米以外の国からも世界で演奏活動を行う歌手やバンドなどが増えている。
音楽は人間の情感に直接訴える力を持つので、理解できない外国語の歌でも受け入れることができ、新しい表現でも受け入れることができる(例えば、エレキギターを使ったロックンロールは多くの国の人々にとって全く新しい音楽だっただろうが、世界で受け入れられた)。
一方で、若い人は内外の新しい音楽を積極的に受け入れるが、年齢を重ねるに連れて、いつしか音楽への関心が薄れる人も多いようだ。これは、仕事や家事、子育てなどで忙しくなり、音楽をゆっくり聴く時間や余裕を失うためだろう。そして、音楽から離れている間に世間では新しい歌手や流行が出現し、「取り残された」感も強くなってくる。
フランスの音楽ストリーミング配信会社がイギリス人対象に行った調査によると、新しい音楽を試すことをしなくなるのは平均して30歳6カ月だという。また、新しい音楽を最も積極的に聴こうとするのは24歳だというから、英で音楽への関心が高まるのは、学生の頃ではなく仕事についてからということになる。
新しい音楽を積極的に聞こうとしなくなっても、音楽から離れたわけではない人は、以前に聞いていた音楽を繰り返し聴く。それで十分に満足できるのならば、無理に新しい音楽を試す必要はなくなる。こうして、ますます新しい音楽を積極的に聞こうという関心が薄くなるのか。
10代20代で積極的に音楽を聴き、平均30歳6カ月で新しい音楽を試すことをしなくなるのは、一生楽しむことができるだけの音楽を獲得したからとも解釈できる。年下の世代から「懐メロ趣味」などと揶揄されても、自分が楽しみ、満足できる音楽を獲得したとすれば、音楽で豊かになった人生といえよう。
平均30歳6カ月には別の見方もある。30歳6カ月は、仕事や家事などで忙しくなる年齢であるとともに、新しい歌手などが年下であることが多くなる年齢でもある。新しい歌手などが子供っぽく見え始め、まともに向き合う気が失せたが、音楽への関心を失っていない人にはジャズやクラシックもある。蓄積された音源が膨大にあるのだから、当人にとっては新しい音楽ばかりとなる。
音楽は人間の情感に直接訴える力を持つので、理解できない外国語の歌でも受け入れることができ、新しい表現でも受け入れることができる(例えば、エレキギターを使ったロックンロールは多くの国の人々にとって全く新しい音楽だっただろうが、世界で受け入れられた)。
一方で、若い人は内外の新しい音楽を積極的に受け入れるが、年齢を重ねるに連れて、いつしか音楽への関心が薄れる人も多いようだ。これは、仕事や家事、子育てなどで忙しくなり、音楽をゆっくり聴く時間や余裕を失うためだろう。そして、音楽から離れている間に世間では新しい歌手や流行が出現し、「取り残された」感も強くなってくる。
フランスの音楽ストリーミング配信会社がイギリス人対象に行った調査によると、新しい音楽を試すことをしなくなるのは平均して30歳6カ月だという。また、新しい音楽を最も積極的に聴こうとするのは24歳だというから、英で音楽への関心が高まるのは、学生の頃ではなく仕事についてからということになる。
新しい音楽を積極的に聞こうとしなくなっても、音楽から離れたわけではない人は、以前に聞いていた音楽を繰り返し聴く。それで十分に満足できるのならば、無理に新しい音楽を試す必要はなくなる。こうして、ますます新しい音楽を積極的に聞こうという関心が薄くなるのか。
10代20代で積極的に音楽を聴き、平均30歳6カ月で新しい音楽を試すことをしなくなるのは、一生楽しむことができるだけの音楽を獲得したからとも解釈できる。年下の世代から「懐メロ趣味」などと揶揄されても、自分が楽しみ、満足できる音楽を獲得したとすれば、音楽で豊かになった人生といえよう。
平均30歳6カ月には別の見方もある。30歳6カ月は、仕事や家事などで忙しくなる年齢であるとともに、新しい歌手などが年下であることが多くなる年齢でもある。新しい歌手などが子供っぽく見え始め、まともに向き合う気が失せたが、音楽への関心を失っていない人にはジャズやクラシックもある。蓄積された音源が膨大にあるのだから、当人にとっては新しい音楽ばかりとなる。
2018年6月20日水曜日
変わるCピラー
自動車のデザインには世界的な流行がある。20世紀半ばのアメリカ車がデザインでも世界的な影響力を持っていた頃には、テールフィンやコークボトルラインなどが各国のメーカーのデザインに影響を与えた。
その頃、欧州ではイタリアのカロッツェリア(デザインや少量生産を行う会社)が新しいデザインを競って発表する一方、日本を含め各国の自動車会社と契約して新車のデザイン開発を行うなど影響力を持っていた。
オイルショックにより燃費が重視されるようになって大型のアメリカ車が競争力を失い、小型車シフトが進むと、欧州車や日本車の存在感が高まった。並行して各社のデザイン部門の強化が進み、どこかの国やメーカーがデザイン面で世界的な影響力を持つことはなくなり、相互に影響し合うようになった。
21世紀に入ってからは、丸や四角だったヘッドライトがボディラインに合わせて様々な形にデザインされるようになり、抑揚が強調されたボディラインが増え、機能に関係ない装飾目的のラインや面をボディに加えたり、フェンダーを盛り上げることなどが世界で流行っている。
最新の流行は、Cピラーに変化を加えることだ。3ボックスのセダンが減り、車高が高く車室と荷室が一体化したSUVが世界的に主流になりつつあるが、セダンでもSUVでもCピラーはボディと同色に扱われていた。そんなCピラーが、個性を出すための重要なアイテムになった。
Cピラー全体を黒くしてガラスで覆うデザインは以前にもあったが、流行り始めているのは、Cピラーの一部だけを黒くするデザインだ。これで、後方に向かって下がるルーフラインと、後方に向かって上がるウエストライン(ベルトライン)を強調して見せたりする。
このデザインはトヨタや日産など日本社が積極的に採用しているが、欧米のメーカーからもCピラーに同様のデザインをした新車が発表されている。セダンでもSUVでもシルエットでは各社の車に大きな違いは乏しいので、細部で個性を出すために各社がCピラーをいじり始めた様相だ。
デザイナーにとってCピラーを自由にデザインすることは新しい試みだろうから、様々なCピラーのデザインを世界でこれから見ることができるかもしれない。ただ新車の開発には時間がかかるので、様々なCピラーのデザインの車が世界の路上に溢れる頃には、この流行が飽きられて、目新しさは急速に失せているかも。
その頃、欧州ではイタリアのカロッツェリア(デザインや少量生産を行う会社)が新しいデザインを競って発表する一方、日本を含め各国の自動車会社と契約して新車のデザイン開発を行うなど影響力を持っていた。
オイルショックにより燃費が重視されるようになって大型のアメリカ車が競争力を失い、小型車シフトが進むと、欧州車や日本車の存在感が高まった。並行して各社のデザイン部門の強化が進み、どこかの国やメーカーがデザイン面で世界的な影響力を持つことはなくなり、相互に影響し合うようになった。
21世紀に入ってからは、丸や四角だったヘッドライトがボディラインに合わせて様々な形にデザインされるようになり、抑揚が強調されたボディラインが増え、機能に関係ない装飾目的のラインや面をボディに加えたり、フェンダーを盛り上げることなどが世界で流行っている。
最新の流行は、Cピラーに変化を加えることだ。3ボックスのセダンが減り、車高が高く車室と荷室が一体化したSUVが世界的に主流になりつつあるが、セダンでもSUVでもCピラーはボディと同色に扱われていた。そんなCピラーが、個性を出すための重要なアイテムになった。
Cピラー全体を黒くしてガラスで覆うデザインは以前にもあったが、流行り始めているのは、Cピラーの一部だけを黒くするデザインだ。これで、後方に向かって下がるルーフラインと、後方に向かって上がるウエストライン(ベルトライン)を強調して見せたりする。
このデザインはトヨタや日産など日本社が積極的に採用しているが、欧米のメーカーからもCピラーに同様のデザインをした新車が発表されている。セダンでもSUVでもシルエットでは各社の車に大きな違いは乏しいので、細部で個性を出すために各社がCピラーをいじり始めた様相だ。
デザイナーにとってCピラーを自由にデザインすることは新しい試みだろうから、様々なCピラーのデザインを世界でこれから見ることができるかもしれない。ただ新車の開発には時間がかかるので、様々なCピラーのデザインの車が世界の路上に溢れる頃には、この流行が飽きられて、目新しさは急速に失せているかも。
2018年6月16日土曜日
共同宣言(フェイク版)
軍事力行使も辞さないと緊張を高めていた米朝2国が突然、対話路線に転換し、首脳会談を開催した。首脳会談に北朝鮮からは国内で粛清を繰り返して権力を掌握した独裁者、米国からは選挙を経ているものの、その政治スタイルは強権を振り回す独裁者指向の大統領が参加し、首脳会談の後に次のような共同声明を発表した。
両国は、新たな両国関係の確立と、持続的で強固な平和体制の構築に関連する諸問題について、包括的かつ誠実な意見交換をした。
米国大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、北朝鮮は自国を含む完全非核化への確固とした揺るぎない約束を再確認した。
新たな両国関係が、地域と世界の平和と繁栄に寄与すると確信するとともに、相互の信頼醸成によって地域と世界の非核化を促進できると認識し、両国は次のことを宣言する。
①両国は、両国民が平和と繁栄を切望していることに応じ、新たな両国関係を確立すると約束する
②両国は、地域と世界において持続的で安定した平和体制を築くため共に努力する
③北朝鮮は地域における完全非核化に向けて努力すると約束し、米国は世界における完全非核化に向けて努力すると約束する
④地域と世界において持続的で安定した平和体制を築くために両国は、地域と世界における完全非核化を呼びかけるとともに、この呼びかけに賛同する核保有国を含めて新たな平和会議を開催する
⑤両国は、武力を誇示した過去の行動を反省し、あらゆる国に対して両国は今後、武力行使の示唆を行わず、また、あらゆる国に対して両国から始める武力行使を行わないと約束する
史上初の両国の首脳会談が、数十年にもわたる緊張状態や敵対関係を克服し、新たな未来を切り開くために重要かつ画期的な出来事だったと認識し、両国は、この共同声明の規定を完全かつ迅速に実行に移すことに全力を尽くす。
(両国が、地域と世界における完全非核化への意向を示したことは世界から驚きと賞賛をもって受け止められた。ただし、両国はともに通常兵器の大量輸出国であるため、通常兵器の拡散は続き、世界で両国の通常兵器により死傷する人々が増え続ける状況に変化はなかった)
両国は、新たな両国関係の確立と、持続的で強固な平和体制の構築に関連する諸問題について、包括的かつ誠実な意見交換をした。
米国大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、北朝鮮は自国を含む完全非核化への確固とした揺るぎない約束を再確認した。
新たな両国関係が、地域と世界の平和と繁栄に寄与すると確信するとともに、相互の信頼醸成によって地域と世界の非核化を促進できると認識し、両国は次のことを宣言する。
①両国は、両国民が平和と繁栄を切望していることに応じ、新たな両国関係を確立すると約束する
②両国は、地域と世界において持続的で安定した平和体制を築くため共に努力する
③北朝鮮は地域における完全非核化に向けて努力すると約束し、米国は世界における完全非核化に向けて努力すると約束する
④地域と世界において持続的で安定した平和体制を築くために両国は、地域と世界における完全非核化を呼びかけるとともに、この呼びかけに賛同する核保有国を含めて新たな平和会議を開催する
⑤両国は、武力を誇示した過去の行動を反省し、あらゆる国に対して両国は今後、武力行使の示唆を行わず、また、あらゆる国に対して両国から始める武力行使を行わないと約束する
史上初の両国の首脳会談が、数十年にもわたる緊張状態や敵対関係を克服し、新たな未来を切り開くために重要かつ画期的な出来事だったと認識し、両国は、この共同声明の規定を完全かつ迅速に実行に移すことに全力を尽くす。
(両国が、地域と世界における完全非核化への意向を示したことは世界から驚きと賞賛をもって受け止められた。ただし、両国はともに通常兵器の大量輸出国であるため、通常兵器の拡散は続き、世界で両国の通常兵器により死傷する人々が増え続ける状況に変化はなかった)
2018年6月13日水曜日
報復合戦
米国は6月1日、鉄鋼に25%、アルミに10%の関税を上乗せする対象をEU、カナダ、メキシコにも拡大した。米国は3月23日に日本や中国などに輸入制限を発動したが、EU、カナダ、メキシコなどには適用を猶予し、通商交渉での圧力で譲歩を引き出すことを狙ったが、当てが外れたようだ(EU、カナダ、メキシコは米国の鉄鋼輸入全体の4割を占めるという)。
一方的な輸入制限を課された側は黙ってはいない。カナダは6月1日、安全保障を口実にした保護主義的な政策はWTO協定の違反だとして米国をWTOに提訴した。また、米国産品に報復関税を7月1日から課す方針を既に表明している。
メキシコは6月5日、米国の輸入制限に対する報復措置として追加関税を課す米国産品のリストを公表した。追加関税は、各種鉄鋼製品に最大25%、農畜産品では豚肉、ジャガイモ、リンゴに20%、バーボンやチーズに20~25%となる。また、米国の輸入制限は国際的な貿易ルールに違反しているとしてWTOに提訴する。
EUは6月6日、米国からの輸入品に報復関税を課す方針を正式決定し、7月から最大28億ユーロ(約3600億円)の報復関税を課す。課税対象は米国製のジーンズ、オレンジジュース、バーボン、オートバイ、ピーナツバター、モーターボート、煙草など。EUはまた、WTOで米国を相手に紛争処理手続きに入った(そこで解決の見通しが立たなければ、2段階目の関税措置を発動すると報じられている)。
WTOのルールでは、自国産業の保護目的で高関税を導入した加盟国に、他の加盟国が影響を相殺するために追加関税を課すことが認められているというから、EU、カナダ、メキシコの米国産品に対する報復措置は「正しい」対応といえる。
だが、EUなどの報復措置に対して米国が新たな対抗措置を講じるなら、報復合戦の本格的な開始だ。米国は乗用車への関税上乗せを検討していると報じられたが、それが実行されればEUなども更なる報復措置に動くだろう。まだ、おとなしく米国の輸入制限を見ているだけの日本も、乗用車への関税上乗せを米国が行うなら、今度は何か動かざるを得まい。
各国がそれぞれ関税を高くする報復合戦は、自由貿易が終焉に向かう動きと見える。理念としての自由貿易が「退場」し、各国が関税障壁を高める時代に簡単に戻るとは考え難いが、米トランプ政権が続く間は自由貿易に対して逆風が強まりそうだ。
各国が関税障壁を高める時代には、輸出主導で成長する国は打撃を受ける。日本も大きな影響を受けようが、「内向き」に経済運営をする時代に戻るとみるなら、まだ多くの分野で製造業企業が残っていて産業基盤は強固であり、石油などは自由貿易のままであるだろうから日本は「自給自足」でやっていけるかもしれない。高成長は無理だろうが。
一方的な輸入制限を課された側は黙ってはいない。カナダは6月1日、安全保障を口実にした保護主義的な政策はWTO協定の違反だとして米国をWTOに提訴した。また、米国産品に報復関税を7月1日から課す方針を既に表明している。
メキシコは6月5日、米国の輸入制限に対する報復措置として追加関税を課す米国産品のリストを公表した。追加関税は、各種鉄鋼製品に最大25%、農畜産品では豚肉、ジャガイモ、リンゴに20%、バーボンやチーズに20~25%となる。また、米国の輸入制限は国際的な貿易ルールに違反しているとしてWTOに提訴する。
EUは6月6日、米国からの輸入品に報復関税を課す方針を正式決定し、7月から最大28億ユーロ(約3600億円)の報復関税を課す。課税対象は米国製のジーンズ、オレンジジュース、バーボン、オートバイ、ピーナツバター、モーターボート、煙草など。EUはまた、WTOで米国を相手に紛争処理手続きに入った(そこで解決の見通しが立たなければ、2段階目の関税措置を発動すると報じられている)。
WTOのルールでは、自国産業の保護目的で高関税を導入した加盟国に、他の加盟国が影響を相殺するために追加関税を課すことが認められているというから、EU、カナダ、メキシコの米国産品に対する報復措置は「正しい」対応といえる。
だが、EUなどの報復措置に対して米国が新たな対抗措置を講じるなら、報復合戦の本格的な開始だ。米国は乗用車への関税上乗せを検討していると報じられたが、それが実行されればEUなども更なる報復措置に動くだろう。まだ、おとなしく米国の輸入制限を見ているだけの日本も、乗用車への関税上乗せを米国が行うなら、今度は何か動かざるを得まい。
各国がそれぞれ関税を高くする報復合戦は、自由貿易が終焉に向かう動きと見える。理念としての自由貿易が「退場」し、各国が関税障壁を高める時代に簡単に戻るとは考え難いが、米トランプ政権が続く間は自由貿易に対して逆風が強まりそうだ。
各国が関税障壁を高める時代には、輸出主導で成長する国は打撃を受ける。日本も大きな影響を受けようが、「内向き」に経済運営をする時代に戻るとみるなら、まだ多くの分野で製造業企業が残っていて産業基盤は強固であり、石油などは自由貿易のままであるだろうから日本は「自給自足」でやっていけるかもしれない。高成長は無理だろうが。
2018年6月9日土曜日
金利40%と生活苦
アルゼンチンの中央銀行は政策金利を40%に引き上げた。米国10年国債の利回りは3%ほどだから、米国債を購入するよりアルゼンチンで運用したほうが大きく儲かるはずだから、外国から資金が流入する……とは限らない。
反対に資金が流出していて、アルゼンチンの通貨ペソは下落を続け、暴落とも言える状況だ。金利40%を目当てに外国からアルゼンチンに投資しても、通貨ペソがさらに下落するなら、儲かるどころか逆に損失が出る。通貨ペソで持ち続けても、アルゼンチン国内ではインフレが加速している。
金利を上げても資本流出が止まらないという現実は、アルゼンチン経済が投資家から見限られ、破綻に直面していることを示す。米国が金利を上げ始めたことも資金流出に関係するが、過去に何度もデフォルトを起こしているアルゼンチン政府に対する警戒感は強い。
金利が40%という社会では、十分な預金を持っていれば利子収入だけでも相当の額になるはずだが、自国通貨の暴落とインフレが続くなら、その交換価値はどんどん減ってしまう。何度もデフォルトの経験をしているアルゼンチンの人々が資産を守るためには、ドルなど外国の通貨に早急に交換するしかない。
アルゼンチンはIMF(国際通貨基金)に助けを求め、500億ドル(約5兆4800億円)の融資枠設定で合意した。IMFは寛大な援助者ではないので厳しい条件がつく。支援の条件として2019年の財政赤字をGDP比1.3%にするという財政再建策をアルゼンチン政府は受け入れた。
政府の経済政策の失敗に加え、厳しい緊縮策は人々の生活を直撃する。インフレで生活が苦しくなっているのに、さらにIMFからの支援に伴う緊縮策が上乗せされると、国家経済より先に家計が破綻する人々が増える恐れがある。
前回(2001〜2002年)の経済危機でもアルゼンチンはIMFから緊急融資を受けたが、緊縮策が多くの中間層を直撃し、貧困層へ転落させたと見られている。IMFからの緊急融資がまた必要となったアルゼンチンで、困窮する人々は今度も黙ってはいないだろう。そうした怒りがどこへ向かい、何をもたらすのか。
反対に資金が流出していて、アルゼンチンの通貨ペソは下落を続け、暴落とも言える状況だ。金利40%を目当てに外国からアルゼンチンに投資しても、通貨ペソがさらに下落するなら、儲かるどころか逆に損失が出る。通貨ペソで持ち続けても、アルゼンチン国内ではインフレが加速している。
金利を上げても資本流出が止まらないという現実は、アルゼンチン経済が投資家から見限られ、破綻に直面していることを示す。米国が金利を上げ始めたことも資金流出に関係するが、過去に何度もデフォルトを起こしているアルゼンチン政府に対する警戒感は強い。
金利が40%という社会では、十分な預金を持っていれば利子収入だけでも相当の額になるはずだが、自国通貨の暴落とインフレが続くなら、その交換価値はどんどん減ってしまう。何度もデフォルトの経験をしているアルゼンチンの人々が資産を守るためには、ドルなど外国の通貨に早急に交換するしかない。
アルゼンチンはIMF(国際通貨基金)に助けを求め、500億ドル(約5兆4800億円)の融資枠設定で合意した。IMFは寛大な援助者ではないので厳しい条件がつく。支援の条件として2019年の財政赤字をGDP比1.3%にするという財政再建策をアルゼンチン政府は受け入れた。
政府の経済政策の失敗に加え、厳しい緊縮策は人々の生活を直撃する。インフレで生活が苦しくなっているのに、さらにIMFからの支援に伴う緊縮策が上乗せされると、国家経済より先に家計が破綻する人々が増える恐れがある。
前回(2001〜2002年)の経済危機でもアルゼンチンはIMFから緊急融資を受けたが、緊縮策が多くの中間層を直撃し、貧困層へ転落させたと見られている。IMFからの緊急融資がまた必要となったアルゼンチンで、困窮する人々は今度も黙ってはいないだろう。そうした怒りがどこへ向かい、何をもたらすのか。
2018年6月6日水曜日
同じ質問
サスペンスドラマでは、容疑をかけられているが否認し続けている人に対して主人公の捜査員が、何気ない会話の中で相手の気が緩んだタイミングで、以前に何度も聞いたことをさり気なく聞き直し、うっかりボロを出したのを逃さず、真相に辿り着くというシーンがある。
実際にも捜査員は、容疑をかけられている人や関係者に同じ質問を繰り返し行うことがあるという。確認を繰り返して、記憶が曖昧な部分を明確化させるためではあるが、嘘をついたり何かを隠している人の場合には、何度も答えているうちにボロを出すことがあるからだ。
取材記者も、同じ内容の質問を「確認のため」と繰り返したり、言い方を変え、タイミングや視点を変えて繰り返すことがある。これは、相手が言いたがらないことを引き出すためのインタビュー・テクニックの一つだ。相手が一度言ったことを「はい、そうですか」と素直に信じるようでは取材記者失格だ。
ありのままを正直に話している人なら、同じ質問に対して同じ返答しか出てこないだろう。だが、事実と異なることを言っていたり、何かを隠蔽したりしている人なら、何度も同じことを聞かれると、以前に言ったことと辻褄が合わない部分が出てきてしまう可能性がある。
記者会見でも同じ質問が繰り返されることがあり、明かしたくないことがある人にとっては厄介だ。強気に押し通すことができない人なら、記者会見の中で言うことが変わってしまう。最近の例では「怪我をさせろと言ったのか」と問われた運動部のコーチは最初は全否定したものの、同じような質問に答えるうちに、やがて記憶が定かではないことを認め、最後には「過激なことは言ったが一言一句覚えていない」と、否定も肯定もしないのが精一杯だった。
否定も肯定もしないと疑惑を持続させる。明確に否定しないのだから疑惑が深まったと取材陣はみなす。同じ質問に対して曖昧な返事を重ねると、取材陣からの追求ポイントが絞られてきて、何かを隠蔽している人は追い詰められた気持ちにもなろう。
「同じ質問ばかりだから」と記者会見を終わらせようとした司会者は以前、通信社の記者だったという。取材経験があるから、同じ質問が繰り返されることへの警戒感が呼び起こされたのだろう。核心に迫る同じ質問が続くのを見ていて、決定的なボロが出る前に会見を終わらせようと焦ったか。
実際にも捜査員は、容疑をかけられている人や関係者に同じ質問を繰り返し行うことがあるという。確認を繰り返して、記憶が曖昧な部分を明確化させるためではあるが、嘘をついたり何かを隠している人の場合には、何度も答えているうちにボロを出すことがあるからだ。
取材記者も、同じ内容の質問を「確認のため」と繰り返したり、言い方を変え、タイミングや視点を変えて繰り返すことがある。これは、相手が言いたがらないことを引き出すためのインタビュー・テクニックの一つだ。相手が一度言ったことを「はい、そうですか」と素直に信じるようでは取材記者失格だ。
ありのままを正直に話している人なら、同じ質問に対して同じ返答しか出てこないだろう。だが、事実と異なることを言っていたり、何かを隠蔽したりしている人なら、何度も同じことを聞かれると、以前に言ったことと辻褄が合わない部分が出てきてしまう可能性がある。
記者会見でも同じ質問が繰り返されることがあり、明かしたくないことがある人にとっては厄介だ。強気に押し通すことができない人なら、記者会見の中で言うことが変わってしまう。最近の例では「怪我をさせろと言ったのか」と問われた運動部のコーチは最初は全否定したものの、同じような質問に答えるうちに、やがて記憶が定かではないことを認め、最後には「過激なことは言ったが一言一句覚えていない」と、否定も肯定もしないのが精一杯だった。
否定も肯定もしないと疑惑を持続させる。明確に否定しないのだから疑惑が深まったと取材陣はみなす。同じ質問に対して曖昧な返事を重ねると、取材陣からの追求ポイントが絞られてきて、何かを隠蔽している人は追い詰められた気持ちにもなろう。
「同じ質問ばかりだから」と記者会見を終わらせようとした司会者は以前、通信社の記者だったという。取材経験があるから、同じ質問が繰り返されることへの警戒感が呼び起こされたのだろう。核心に迫る同じ質問が続くのを見ていて、決定的なボロが出る前に会見を終わらせようと焦ったか。
2018年6月2日土曜日
革新から伝統へ
ローリング・ストーンズが欧州ツアーを始めた。5月17日のダブリン(アイルランド)から7月8日のワルシャワ(ポーランド)まで、英国内を中心に14回のライブが予定されている。動画投稿サイトには、観客が客席から撮影した多くの動画が各地のライブ翌日には投稿されていて、様子を知ることができる。
巨大なスマホ画面のような縦長のスクリーンが4面設置され、正面から通路が伸びてセンターステージにつながるというセットは昨年の欧州ツアーと変わっていないようで、演奏が適当にラフなのは、いつもと同じか。ラフといっても、それで数万人の観客をグルーブさせる力を持っているのも、いつもと同じ。
さすがにステージの端から端まで走ることはなくなったが、ミック・ジャガーの動き回るステージパフォーマンスは健在だ。若い頃に比べると声は低くなり、息が続かなくなっている印象も受けるが、年齢を考えれば、それも自然なことか。
昨年のツアーでは久しぶりの新譜「ブルー&ロンサム」からブルーズナンバーを数曲演奏していたが、今年はお馴染みのナンバーが主となっている。演奏可能な50曲ほどの中から、その日の演奏曲目を選んでいるというが、変わるのは数曲だけで、演奏曲目はほぼ固定している。
長年にわたり演奏曲目のほとんどが毎回同じだから、マンネリと批判されても仕方がない。だが、ファンは世界各地でストーンズを聞き、見るために集まる。ストーンズが放ったヒット曲の数々、ロックのスタンダードになるだろう曲の膨大さを考えると、無理に新しい曲を演奏せずとも、お馴染みの曲を聞くだけでもファンは満足し、楽しむことができる。それが長く活動してきたストーンズの強みだ。
お馴染みの曲目では演奏もほぼ毎回同じだ。アレンジを変えたりはせず、ライブならではの即興も控えられ、キースが弾くギターソロのフレーズもほぼ同じ。演奏と照明や映像をシンクロさせる構成のステージショーになってしまったので、興に乗ったからとてミュージシャはもう勝手な演奏はできないのかもしれない。20世紀は遠くなりにけり、か。
若かりしころのストーンズは革新者であった。ブルーズやR&Bなど米国の黒人音楽を世界に広めるとともに独自の音楽を創造し、また、様々な規範を逸脱して自由に生きることが可能だと示して見せた。今の彼らは、かつての彼らのイメージをなぞっているだけに見える。言い換えれば、伝統となった彼らの音楽を保守している……が、それでいい。彼らは世界に多大な貢献をしたのだから、ファンはお馴染みの曲を楽しめばいい。ストーンズだって楽しんでいるはずだ。
なお英ロンドンでの5月22日のセットリスト=①Street Fighting Man、②It's Only Rock' N' Roll (But I Like It) 、③Tumbling Dice、④Paint It Black、⑤Ride Em On Down、⑥Under My Thumb、⑦Fool To Cry 、⑧You Can't Always Get What You Want、⑨Honky Tonk Women、⑩Before They Make Me Run、11)Slipping Away、12)Sympathy For The Devil、13)Miss You、14)Midnight Rambler、15)Start Me Up、16)Jumpin' Jack Flash、 17)Brown Sugar、18)Gimme Shelter、19)(I Can’Get No) Satisfaction。
巨大なスマホ画面のような縦長のスクリーンが4面設置され、正面から通路が伸びてセンターステージにつながるというセットは昨年の欧州ツアーと変わっていないようで、演奏が適当にラフなのは、いつもと同じか。ラフといっても、それで数万人の観客をグルーブさせる力を持っているのも、いつもと同じ。
さすがにステージの端から端まで走ることはなくなったが、ミック・ジャガーの動き回るステージパフォーマンスは健在だ。若い頃に比べると声は低くなり、息が続かなくなっている印象も受けるが、年齢を考えれば、それも自然なことか。
昨年のツアーでは久しぶりの新譜「ブルー&ロンサム」からブルーズナンバーを数曲演奏していたが、今年はお馴染みのナンバーが主となっている。演奏可能な50曲ほどの中から、その日の演奏曲目を選んでいるというが、変わるのは数曲だけで、演奏曲目はほぼ固定している。
長年にわたり演奏曲目のほとんどが毎回同じだから、マンネリと批判されても仕方がない。だが、ファンは世界各地でストーンズを聞き、見るために集まる。ストーンズが放ったヒット曲の数々、ロックのスタンダードになるだろう曲の膨大さを考えると、無理に新しい曲を演奏せずとも、お馴染みの曲を聞くだけでもファンは満足し、楽しむことができる。それが長く活動してきたストーンズの強みだ。
お馴染みの曲目では演奏もほぼ毎回同じだ。アレンジを変えたりはせず、ライブならではの即興も控えられ、キースが弾くギターソロのフレーズもほぼ同じ。演奏と照明や映像をシンクロさせる構成のステージショーになってしまったので、興に乗ったからとてミュージシャはもう勝手な演奏はできないのかもしれない。20世紀は遠くなりにけり、か。
若かりしころのストーンズは革新者であった。ブルーズやR&Bなど米国の黒人音楽を世界に広めるとともに独自の音楽を創造し、また、様々な規範を逸脱して自由に生きることが可能だと示して見せた。今の彼らは、かつての彼らのイメージをなぞっているだけに見える。言い換えれば、伝統となった彼らの音楽を保守している……が、それでいい。彼らは世界に多大な貢献をしたのだから、ファンはお馴染みの曲を楽しめばいい。ストーンズだって楽しんでいるはずだ。
なお英ロンドンでの5月22日のセットリスト=①Street Fighting Man、②It's Only Rock' N' Roll (But I Like It) 、③Tumbling Dice、④Paint It Black、⑤Ride Em On Down、⑥Under My Thumb、⑦Fool To Cry 、⑧You Can't Always Get What You Want、⑨Honky Tonk Women、⑩Before They Make Me Run、11)Slipping Away、12)Sympathy For The Devil、13)Miss You、14)Midnight Rambler、15)Start Me Up、16)Jumpin' Jack Flash、 17)Brown Sugar、18)Gimme Shelter、19)(I Can’Get No) Satisfaction。
2018年5月30日水曜日
日大経済圏の中で生きる
「悪名は無名に勝る」という広報戦略だったとすれば、今回の大学の対応は見事だった。テレビのニューズ番組やワイドショーで連日、時間をとって報じられ、新聞や週刊誌などでも大きなスペースで書き立てられたので、テレビの露出時間や新聞などの露出スペースを広告費に換算するなら、たいそうな金額になるに違いない。
意図的な広報戦略があったと理解すると、なぜ大学側が次々と「火に油を注ぐ」ような対応を行っていたかも納得できる。今風にいうなら、炎上させ、わざと適切な対応を怠り、次々にネタを投入して炎上を持続させ、「いったい、どんな教育をやっている大学なんだ?」との興味を集めることに成功した。
この大学はHPによると、2019年に創立130年を迎え、「教育理念『自主創造』を合言葉に、新時代を切り拓く人材の育成につとめて」いるそうだ。大学の他に短大、11高校、5中学、1小学校、1幼稚園、1認定こども園、4専修学校を持つ巨大な教育企業体で、大学の学生数は8万人弱(通信教育と短大含む)。
記者会見で学長は「本学の学生数と生徒数は約12万人の規模」と言っているから、学生や生徒、教員らを相手にする消耗品などの商売だけでも巨大な経済圏となる。大学を頂点とする巨大な教育経済圏の中で、集められる授業料だけでも莫大な金額になるだろう。
外部からの批判に耳を塞ぎ、指導者たちがひたすら保身と責任回避と弁解につとめ、学長が記者会見で日大経済圏の内部に向けて話すのも、彼らが日大経済圏の内部で生き続けるしかないことを自覚しているからかもしれない。どんなに社会から批判されようと日大経済圏の中にいれば食べていける……。
悪質なタックルを行った学生は、日大経済圏から離れることを意識し、社会に向き合わざるを得ないと気がついたのだろう。だから彼は、社会に向けて話をした。日大経済圏の内部でだけ許される論理ではなく、現在の社会で許容される論理を理解し、自分の行ったことを客観的に見ることができた。
この大学には人権侵害防止ガイドラインもあり、「教職員と学生・生徒等の間では、指導・評価等を通した権力関係が構造的に形成されがちです。また、教職員間においても、組織運営の必要から指示命令関係が形成されます。このような関係は、時として強制支配的に濫用される危険があることを大学は認識し、その防止に努めます」とある。どうやら、アメフト部には適用されないらしい。
意図的な広報戦略があったと理解すると、なぜ大学側が次々と「火に油を注ぐ」ような対応を行っていたかも納得できる。今風にいうなら、炎上させ、わざと適切な対応を怠り、次々にネタを投入して炎上を持続させ、「いったい、どんな教育をやっている大学なんだ?」との興味を集めることに成功した。
この大学はHPによると、2019年に創立130年を迎え、「教育理念『自主創造』を合言葉に、新時代を切り拓く人材の育成につとめて」いるそうだ。大学の他に短大、11高校、5中学、1小学校、1幼稚園、1認定こども園、4専修学校を持つ巨大な教育企業体で、大学の学生数は8万人弱(通信教育と短大含む)。
記者会見で学長は「本学の学生数と生徒数は約12万人の規模」と言っているから、学生や生徒、教員らを相手にする消耗品などの商売だけでも巨大な経済圏となる。大学を頂点とする巨大な教育経済圏の中で、集められる授業料だけでも莫大な金額になるだろう。
外部からの批判に耳を塞ぎ、指導者たちがひたすら保身と責任回避と弁解につとめ、学長が記者会見で日大経済圏の内部に向けて話すのも、彼らが日大経済圏の内部で生き続けるしかないことを自覚しているからかもしれない。どんなに社会から批判されようと日大経済圏の中にいれば食べていける……。
悪質なタックルを行った学生は、日大経済圏から離れることを意識し、社会に向き合わざるを得ないと気がついたのだろう。だから彼は、社会に向けて話をした。日大経済圏の内部でだけ許される論理ではなく、現在の社会で許容される論理を理解し、自分の行ったことを客観的に見ることができた。
この大学には人権侵害防止ガイドラインもあり、「教職員と学生・生徒等の間では、指導・評価等を通した権力関係が構造的に形成されがちです。また、教職員間においても、組織運営の必要から指示命令関係が形成されます。このような関係は、時として強制支配的に濫用される危険があることを大学は認識し、その防止に努めます」とある。どうやら、アメフト部には適用されないらしい。
2018年5月26日土曜日
シェアリングと共産主義
中国で自転車のシェアリングサービスが急速に普及し、ライドシェア(自動車の相乗り)の配車サービスなども広まっているという。一方でシェア自転車が増えすぎ、どこにでも乗り捨てられた結果、放置された自転車がいたるところに山積みになって社会問題化しているとも伝えられた。
シェアリングサービスが中国で受け入れられたのは便利だからだが、所有という概念の否定でもある。自転車を使いたいときにスマホで探し、近くにあるシェア自転車を利用して、使い終わったところで乗り捨て、安価な料金はスマホで決済できる。いつでも使用できるのだから、自転車を個人が所有する必要性はない。
所有と使用の分離は目新しいものではない。晴れ着などのレンタルや貸し別荘、レンタカーなど必要な時に借りるというサービスは日本でも広く行われていて、図書館での図書貸し出しや住宅の賃貸など、所有せずに使用するという経済活動は一般的だ。しかし、シェア自転車などの普及は目立ってはいない。
なぜ中国でシェアリングサービスが急速に普及しているのか。第一は、スマホ普及とともにモバイル決済が急拡大したことだろう。第二に、膨大な人口(自転車や自動車などを持たない人の膨大な使用ニーズが潜在していた)。第三に、使いたい時に使いたい場所で使うことがスマホにより可能になった。
何かを求めている人がいるときは、商売の絶好のチャンスである。求められているサービスや商品を、求められている将にその時に提供するのだから、商機を逃さない。使いたい時に使うことができるサービスは利用者にとって便利であるから歓迎されるが、提供者は自転車などを広く配置しておかなければ商機を逃すことになるから、自転車が街中に溢れることになる。
中国でシェアリングサービスが普及した背景に、共産主義体制であることも関係しているかもしれない。現在でも中国では土地は公有(国有)であり、私有財産よりも公権力が上位にある(個人の権利が軽視されるのも、個人が権利を所有することを認めないからか)。所有( 私有)という概念がそもそも希薄だったから共産主義体制の中国でシェアリングサービスが受け入れられやすかった。そう考えると中国でのシェアリングサービスの爆発的普及が納得しやすい。
豊かな先進国では私有(所有)が一般的である。住宅、自動車、家電、衣服など大量のモノを個人は所有し、また、さらなる所有を欲望することが当然とされ、それにより大量生産が支えられている。私有財産の拡大を目指して励むというのが資本主義社会における生活だが、必要なモノは行き渡っている。
シェアリングサービスの拡大は高度資本主義の豊かな社会にとって、一つの未来像かもしれない。所有(私有)に頼らない経済活動を活性化させることは、拡大再生産の行き詰まりの打開策ともなろう。誰もが豊かになれるわけではなくなり、生活のミニマム化が進む中で、私有と利用を分離し、共有経済を発達させることは共生社会の基礎となる。
シェアリングサービスが中国で受け入れられたのは便利だからだが、所有という概念の否定でもある。自転車を使いたいときにスマホで探し、近くにあるシェア自転車を利用して、使い終わったところで乗り捨て、安価な料金はスマホで決済できる。いつでも使用できるのだから、自転車を個人が所有する必要性はない。
所有と使用の分離は目新しいものではない。晴れ着などのレンタルや貸し別荘、レンタカーなど必要な時に借りるというサービスは日本でも広く行われていて、図書館での図書貸し出しや住宅の賃貸など、所有せずに使用するという経済活動は一般的だ。しかし、シェア自転車などの普及は目立ってはいない。
なぜ中国でシェアリングサービスが急速に普及しているのか。第一は、スマホ普及とともにモバイル決済が急拡大したことだろう。第二に、膨大な人口(自転車や自動車などを持たない人の膨大な使用ニーズが潜在していた)。第三に、使いたい時に使いたい場所で使うことがスマホにより可能になった。
何かを求めている人がいるときは、商売の絶好のチャンスである。求められているサービスや商品を、求められている将にその時に提供するのだから、商機を逃さない。使いたい時に使うことができるサービスは利用者にとって便利であるから歓迎されるが、提供者は自転車などを広く配置しておかなければ商機を逃すことになるから、自転車が街中に溢れることになる。
中国でシェアリングサービスが普及した背景に、共産主義体制であることも関係しているかもしれない。現在でも中国では土地は公有(国有)であり、私有財産よりも公権力が上位にある(個人の権利が軽視されるのも、個人が権利を所有することを認めないからか)。所有( 私有)という概念がそもそも希薄だったから共産主義体制の中国でシェアリングサービスが受け入れられやすかった。そう考えると中国でのシェアリングサービスの爆発的普及が納得しやすい。
豊かな先進国では私有(所有)が一般的である。住宅、自動車、家電、衣服など大量のモノを個人は所有し、また、さらなる所有を欲望することが当然とされ、それにより大量生産が支えられている。私有財産の拡大を目指して励むというのが資本主義社会における生活だが、必要なモノは行き渡っている。
シェアリングサービスの拡大は高度資本主義の豊かな社会にとって、一つの未来像かもしれない。所有(私有)に頼らない経済活動を活性化させることは、拡大再生産の行き詰まりの打開策ともなろう。誰もが豊かになれるわけではなくなり、生活のミニマム化が進む中で、私有と利用を分離し、共有経済を発達させることは共生社会の基礎となる。
2018年5月23日水曜日
重商主義の誘惑
重要主義の時代には、富を自国に集めて蓄積するために国家が経済・通商を支配しようとした。自国に流入する富を増やし、自国から流出する富を減らすためには、輸出を増やすことを奨励する一方、輸入を制限するのが真っ先に思いつく方法だった。
だが、各国が次々に輸入を制限し始めると、自国からの輸出が停滞してしまう。そこで自由貿易を制限せずに、自国に流入する富を増やす方向に国家の経済政策は変化した。それは、国際競争力の強い産業を育成・保護して輸出を増やすとともに、輸入品との競争から自国の産業を保護することだった。
これが、16〜18世紀に欧州の主権国家の多くが行った経済・通商政策だが、やがては行き詰まるものでもあった。ある国が輸出を奨励して輸入を制限すると他国も同じように行動し、ある国が国際競争力が強い産業の育成・保護に注力するなら他国も同じように行動する。
重商主義では、どこかの1国がうまく利益を増大させたとしても、それは長続きしない。他国も対抗して動いたり、政策を模倣するので、1国だけが利益を独占することは難しい。だが国家は自国に富を集めて蓄積することを放棄してはいない。資本が巨大になり、国家の統制に服さなくなった現在も国家は、重商主義の誘惑に惑わされる。
重商主義が成功する条件は、その国に①産業基盤が確立されている、②国際的に大きな政治力を有する、③他国を圧倒する軍事力を有する、④国際競争力が強い産業を有する、⑤巨大な金融力などが必要だ。つまり、突出した大国だけが重商主義を主張することができよう。重商主義が成功するには、他国に強制する力が必要であり、自国に富を流入させるには、他国から富を流出させなければならないからだ。
現代において突出した大国は米国であり、トランプ政権は様々な品目で輸入の制限を打ち出し、多くの貿易協定を自国有利に見直すため再交渉を始めた。重商主義と見なされても不思議はない政策だが、それが成功するかどうかは怪しい。短期的には相応の効果はあるかもしれず、任期中の成果にはできるかもしれないが。
重商主義の時代はとうに過ぎ去り、自由貿易を基盤に国際経済が形成されて久しい中で経済におけるボーダーレス化は進展し、商品や資本、情報、人間が国家の制約を脱して流動する時代になった。重商主義への回帰が国家主義の表れの一つだとすれば、グローバリゼーションに対する主権国家の抵抗の最終章かもしれない。
だが、各国が次々に輸入を制限し始めると、自国からの輸出が停滞してしまう。そこで自由貿易を制限せずに、自国に流入する富を増やす方向に国家の経済政策は変化した。それは、国際競争力の強い産業を育成・保護して輸出を増やすとともに、輸入品との競争から自国の産業を保護することだった。
これが、16〜18世紀に欧州の主権国家の多くが行った経済・通商政策だが、やがては行き詰まるものでもあった。ある国が輸出を奨励して輸入を制限すると他国も同じように行動し、ある国が国際競争力が強い産業の育成・保護に注力するなら他国も同じように行動する。
重商主義では、どこかの1国がうまく利益を増大させたとしても、それは長続きしない。他国も対抗して動いたり、政策を模倣するので、1国だけが利益を独占することは難しい。だが国家は自国に富を集めて蓄積することを放棄してはいない。資本が巨大になり、国家の統制に服さなくなった現在も国家は、重商主義の誘惑に惑わされる。
重商主義が成功する条件は、その国に①産業基盤が確立されている、②国際的に大きな政治力を有する、③他国を圧倒する軍事力を有する、④国際競争力が強い産業を有する、⑤巨大な金融力などが必要だ。つまり、突出した大国だけが重商主義を主張することができよう。重商主義が成功するには、他国に強制する力が必要であり、自国に富を流入させるには、他国から富を流出させなければならないからだ。
現代において突出した大国は米国であり、トランプ政権は様々な品目で輸入の制限を打ち出し、多くの貿易協定を自国有利に見直すため再交渉を始めた。重商主義と見なされても不思議はない政策だが、それが成功するかどうかは怪しい。短期的には相応の効果はあるかもしれず、任期中の成果にはできるかもしれないが。
重商主義の時代はとうに過ぎ去り、自由貿易を基盤に国際経済が形成されて久しい中で経済におけるボーダーレス化は進展し、商品や資本、情報、人間が国家の制約を脱して流動する時代になった。重商主義への回帰が国家主義の表れの一つだとすれば、グローバリゼーションに対する主権国家の抵抗の最終章かもしれない。
2018年5月19日土曜日
溢れ出る溶岩
米ハワイ島のキラウエア火山で噴火活動が活発化し、噴煙を上げ、地面にできた亀裂などから溶岩がゆっくりと流れ出て、住宅や道路に迫る様子がニューズ映像で報じられた。地震も頻発し、高濃度の二酸化硫黄が放出されていて、付近の住民に避難命令が出た。
ハワイで最も活発な火山であるキラウエア火山は噴火活動を長く継続しており、世界的にも有数の活発な火山とされる。キラウエアの活発な火山活動が長く続くのは、地下でマグマからの大量のエネルギー供給が続いているからだ。
地球内部のマントル内では巨大な上昇・下降流であるプルームが生じており、高温のマントルが上昇するホットプルームで、大規模なものが地表に達すると巨大で激しい火山活動を発生させ、地球の気候に大きな影響を及ぼすと考えられている。ハワイ島の地下には小規模なホットプルームがあるとされ、それがハワイの火山活動を長く続けさせている。
ハワイ諸島のように地下に小規模なホットプルームが存在し、火山活動を活発化させている場所をホットスポットと呼ぶ(小規模というのは地球スケールで見た比較)。ハワイ諸島が誕生したのも火山活動によるもので、海底で噴き出した溶岩が堆積して火山島を形成した。
地下深くのホットスポットの位置はほとんど動かないと考えられているが、地表のプレートは動いている。ハワイ諸島からアリューシャン海溝まで火山島や海底火山(海山)が点々と連なっているのは、ホットプルームからマグマが地表へ到達するルートができて火山島を誕生させるが、その火山島が太平洋プレートとともに移動したことを繰り返した結果だと見られている。
キラウエアがあるハワイ島は40万年以前に誕生したという。こうした火山島は活発な火山活動により海底から海面高く立ち上がるが、やがてプレートの移動によりホットスポットから離れるにつれて火山活動が停滞し、海水による侵食のほうが勝るようになると次第に削られていき、海面から姿を消すことにもなる。
環境保護などの運動には、現在(あるいは少し以前)の状況を基準として、変化を悪いものとする発想が含まれる。しかし、地球は常に変化しており、環境的に何が基準となるべきなのか、地球史からは「正解」はない。溶岩や有毒ガスの噴出など人間にとって不都合な環境破壊も、地球環境としては自然な状態の一つである。
人間の時間軸と地球の時間軸は全く異なる。人間の時間軸で人間は生存環境を好都合なものにしようと考えるが、人間の生存環境も人間も地球の変化に対して無力だ。地球の時間軸からすると環境破壊などというものは存在せず、宇宙の時間軸からも環境破壊は存在しないだろう。
ハワイで最も活発な火山であるキラウエア火山は噴火活動を長く継続しており、世界的にも有数の活発な火山とされる。キラウエアの活発な火山活動が長く続くのは、地下でマグマからの大量のエネルギー供給が続いているからだ。
地球内部のマントル内では巨大な上昇・下降流であるプルームが生じており、高温のマントルが上昇するホットプルームで、大規模なものが地表に達すると巨大で激しい火山活動を発生させ、地球の気候に大きな影響を及ぼすと考えられている。ハワイ島の地下には小規模なホットプルームがあるとされ、それがハワイの火山活動を長く続けさせている。
ハワイ諸島のように地下に小規模なホットプルームが存在し、火山活動を活発化させている場所をホットスポットと呼ぶ(小規模というのは地球スケールで見た比較)。ハワイ諸島が誕生したのも火山活動によるもので、海底で噴き出した溶岩が堆積して火山島を形成した。
地下深くのホットスポットの位置はほとんど動かないと考えられているが、地表のプレートは動いている。ハワイ諸島からアリューシャン海溝まで火山島や海底火山(海山)が点々と連なっているのは、ホットプルームからマグマが地表へ到達するルートができて火山島を誕生させるが、その火山島が太平洋プレートとともに移動したことを繰り返した結果だと見られている。
キラウエアがあるハワイ島は40万年以前に誕生したという。こうした火山島は活発な火山活動により海底から海面高く立ち上がるが、やがてプレートの移動によりホットスポットから離れるにつれて火山活動が停滞し、海水による侵食のほうが勝るようになると次第に削られていき、海面から姿を消すことにもなる。
環境保護などの運動には、現在(あるいは少し以前)の状況を基準として、変化を悪いものとする発想が含まれる。しかし、地球は常に変化しており、環境的に何が基準となるべきなのか、地球史からは「正解」はない。溶岩や有毒ガスの噴出など人間にとって不都合な環境破壊も、地球環境としては自然な状態の一つである。
人間の時間軸と地球の時間軸は全く異なる。人間の時間軸で人間は生存環境を好都合なものにしようと考えるが、人間の生存環境も人間も地球の変化に対して無力だ。地球の時間軸からすると環境破壊などというものは存在せず、宇宙の時間軸からも環境破壊は存在しないだろう。
2018年5月16日水曜日
ギブソンのギター
プロのギタリストは数多くのギターを所有しているだろうし、ライブでは曲によってギターを使い分けることも珍しくない。どんなギターでも弾きこなすのはプロだから当然なのだろうが、一方で、ギタリストには特定のギターと結びついたイメージがあることも多い。
そうしたイメージは、全盛期のライブの広く流布した映像でギタリストがいつも同じギターを使っていることから生じたりする。ギターといってもモデルにより、ネックの太さや形状は様々で、重さやボディバランスも異なるので、ギタリストは好みや相性でギターを選ぶ。ライブではそれぞれ演奏しやすいギターを使うので、それが愛器だとファンから見なされる。
ギブソンでは例えば、ジョニー・ウィンターの愛器はファイヤーバード、アルバート・キングやレスリー・ウエスト、マイケル・シェンカーはフライングⅤ、アレン・コリンズはエクスプローラー。SGを使ったギタリストはフランク・ザッパやカルロス・サンタナ、ピート・タウンゼントらと多いが、使い続ける人は少ない印象がある(クリーム時代のエリック・クラプトンはサイケデリックなペイントのSGを使用)。
エレキギターを代表するモデルでもあるレスポールも多くのギタリストが使うが、有名なのがジミー・ペイジ。レッド・ツェッペリンのライブでは腰の位置に下げてレスポールを弾く姿が印象的だった。ほかのギターに比べて重いのが敬遠されたのか、最近はストラトキャスターを使う人のほうが多いようだ。
セミアコのES-335はBBキングらブルーズ・ギタリストの多くが使用するが、チャック・ベリーも愛用した。ソリッドギターの音もフルアコの音も出すことができるがフルアコよりボディが薄く使いやすいので、ロックやジャズなどにも愛用者が多く、最近ではキース・リチャーズが黒いモデルを使用している。
ギブソンのフルアコの代表はES-175だろう。多くのジャズ・ギタリストが使っている。他にもL-5やスーパー400などジャズのギタリストが使うフルアコの多くはギブソンという印象だ。また、ギブソンはハミングバードをはじめとするアコースティック・ギターも製造、多くのミュージシャンに使われている。
その米ギブソンが経営破綻した(負債は最大5億ドル)。ギター専業から事業を多角化するため企業買収を重ねたが、失敗した。不採算事業から撤退し、ギターなどの事業に専念するというから音楽ファンとしては、経営の迷走を冷ややかに見つつも応援したくなる。ただ、ギターを買って応援してあげたいが、ギブソンのギターは気楽に買うことができる価格ではない。
そうしたイメージは、全盛期のライブの広く流布した映像でギタリストがいつも同じギターを使っていることから生じたりする。ギターといってもモデルにより、ネックの太さや形状は様々で、重さやボディバランスも異なるので、ギタリストは好みや相性でギターを選ぶ。ライブではそれぞれ演奏しやすいギターを使うので、それが愛器だとファンから見なされる。
ギブソンでは例えば、ジョニー・ウィンターの愛器はファイヤーバード、アルバート・キングやレスリー・ウエスト、マイケル・シェンカーはフライングⅤ、アレン・コリンズはエクスプローラー。SGを使ったギタリストはフランク・ザッパやカルロス・サンタナ、ピート・タウンゼントらと多いが、使い続ける人は少ない印象がある(クリーム時代のエリック・クラプトンはサイケデリックなペイントのSGを使用)。
エレキギターを代表するモデルでもあるレスポールも多くのギタリストが使うが、有名なのがジミー・ペイジ。レッド・ツェッペリンのライブでは腰の位置に下げてレスポールを弾く姿が印象的だった。ほかのギターに比べて重いのが敬遠されたのか、最近はストラトキャスターを使う人のほうが多いようだ。
セミアコのES-335はBBキングらブルーズ・ギタリストの多くが使用するが、チャック・ベリーも愛用した。ソリッドギターの音もフルアコの音も出すことができるがフルアコよりボディが薄く使いやすいので、ロックやジャズなどにも愛用者が多く、最近ではキース・リチャーズが黒いモデルを使用している。
ギブソンのフルアコの代表はES-175だろう。多くのジャズ・ギタリストが使っている。他にもL-5やスーパー400などジャズのギタリストが使うフルアコの多くはギブソンという印象だ。また、ギブソンはハミングバードをはじめとするアコースティック・ギターも製造、多くのミュージシャンに使われている。
その米ギブソンが経営破綻した(負債は最大5億ドル)。ギター専業から事業を多角化するため企業買収を重ねたが、失敗した。不採算事業から撤退し、ギターなどの事業に専念するというから音楽ファンとしては、経営の迷走を冷ややかに見つつも応援したくなる。ただ、ギターを買って応援してあげたいが、ギブソンのギターは気楽に買うことができる価格ではない。
2018年5月12日土曜日
始まったアメグジット
英国がEUから離脱することを意味するブレグジット(Brexit)という造語はすっかり定着したが、最近、アメグジット(Amexit)という造語を見かけることが増えてきた。これは、米国が国際社会への関与を減らし、孤立主義と保護主義へ向かうことを意味する。
それは具体的な行動として現れ始めた。米国はTPPから離脱し、NAFTAなどの見直しを始めるとともに、鉄鋼などの関税を引き上げ、パリ協定から離脱したほか、韓国や日本に駐留米軍経費の負担増を求め、欧州各国には防衛費の増額を求めるなど費用面から米国の世界での軍事負担軽減を要求している。
「世界の警察官をやめる」と明言したのはオバマ大統領だが、それは、アフガニスタンやイラクに軍事介入して「勝った」ものの、撤退ができずに駐留が長引き、経済的かつ政治的な負担となったことの反省だと解釈された。だが、対ISテロ戦争で米国が前面に出なかったように、もう米国は世界での軍事的関与を縮小、限定した。これは軍事面でのアメグジットの始まりだろう。
経済的にも軍事的にも圧倒的な世界1である米国に、余裕がなくなってきたから、国際的な関与を減らし、孤立主義と保護主義へ向かい始めたと理解するなら、アメグジットは衰退する大国・米国がたどる道であり、歴史の必然だ。それは、米国はアメグジットを選択したのではなく、アメグジットしか選択肢がないことを意味する。
問題は、米国の関与が減る国際社会で何が起きるのかということ。中東ではサウジやイラン、トルコなどが自己主張を強め、アラブ世界は解体しつつある。アジアでは中国が経済的・軍事的に存在感を強め、事実上のパクス・チャイナが進行し、結果としてアメグジット状況になりつある。ロシアは中東などでの影響力拡大を狙い、EUは現状維持に精一杯で世界に対する影響力は希薄になった。
米国が「世界の支配者」でなくなることは歓迎すべきことだ。自国第一主義を振り回す米国に各国は悩まされるだろうが、アメグジットで各国と対等になった米国に遠慮は不要で、各国も自国第一主義で米国と交渉するようになる。アメグジットで米国が失うものは多いが、「格下げ」に米国民の大国意識が納得できるかも課題だろう。
一方、米国は人権や自由、民主主義など普遍的とされる理念を世界各地での関与・介入の口実にしてきた。アメグジットが進行すれば、そうした普遍的理念を米国が振り回すことも減るかもしれない。しかし、米国やEU以外に国際社会で普遍的理念を主張する国はないのが現実だ。アメグジットが国際社会からの普遍的理念の撤退をも意味するのなら、政治的な普遍性の解体という歴史的な場面に我々は立ち会っていることになる。
それは具体的な行動として現れ始めた。米国はTPPから離脱し、NAFTAなどの見直しを始めるとともに、鉄鋼などの関税を引き上げ、パリ協定から離脱したほか、韓国や日本に駐留米軍経費の負担増を求め、欧州各国には防衛費の増額を求めるなど費用面から米国の世界での軍事負担軽減を要求している。
「世界の警察官をやめる」と明言したのはオバマ大統領だが、それは、アフガニスタンやイラクに軍事介入して「勝った」ものの、撤退ができずに駐留が長引き、経済的かつ政治的な負担となったことの反省だと解釈された。だが、対ISテロ戦争で米国が前面に出なかったように、もう米国は世界での軍事的関与を縮小、限定した。これは軍事面でのアメグジットの始まりだろう。
経済的にも軍事的にも圧倒的な世界1である米国に、余裕がなくなってきたから、国際的な関与を減らし、孤立主義と保護主義へ向かい始めたと理解するなら、アメグジットは衰退する大国・米国がたどる道であり、歴史の必然だ。それは、米国はアメグジットを選択したのではなく、アメグジットしか選択肢がないことを意味する。
問題は、米国の関与が減る国際社会で何が起きるのかということ。中東ではサウジやイラン、トルコなどが自己主張を強め、アラブ世界は解体しつつある。アジアでは中国が経済的・軍事的に存在感を強め、事実上のパクス・チャイナが進行し、結果としてアメグジット状況になりつある。ロシアは中東などでの影響力拡大を狙い、EUは現状維持に精一杯で世界に対する影響力は希薄になった。
米国が「世界の支配者」でなくなることは歓迎すべきことだ。自国第一主義を振り回す米国に各国は悩まされるだろうが、アメグジットで各国と対等になった米国に遠慮は不要で、各国も自国第一主義で米国と交渉するようになる。アメグジットで米国が失うものは多いが、「格下げ」に米国民の大国意識が納得できるかも課題だろう。
一方、米国は人権や自由、民主主義など普遍的とされる理念を世界各地での関与・介入の口実にしてきた。アメグジットが進行すれば、そうした普遍的理念を米国が振り回すことも減るかもしれない。しかし、米国やEU以外に国際社会で普遍的理念を主張する国はないのが現実だ。アメグジットが国際社会からの普遍的理念の撤退をも意味するのなら、政治的な普遍性の解体という歴史的な場面に我々は立ち会っていることになる。
2018年5月9日水曜日
北朝鮮のラストチャンス
南北が首脳会談後に発表した「板門店宣言」で具体的に決めたことは、▽双方の当局者が常駐する南北共同連絡事務所を開城に設置▽民族共同行事を積極的に推進し、和解と協力の雰囲気を高める▽南北赤十字会談を開催して離散家族・親戚再会など諸問題を協議(離散家族・親戚の再会を行う)。
軍事的緊張状態の緩和へ向けては、▽あらゆる空間で一切の敵対行為を全面的に中止▽軍事境界線一帯で拡声器(宣伝)放送やビラ散布など敵対行為を中止▽黄海の北方限界線一帯で偶発的な軍事衝突を防止し、安全な漁業活動を保証。
平和体制構築のための具体的な合意は乏しいが、▽終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制を構築するため、南北米3者または南北米中4者会談の開催を推進。また、▽不可侵合意を再確認▽段階的に軍縮▽完全な非核化を通して核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認、と緊張緩和ムードを盛り上げた。
宣言に忠実に北朝鮮が今後、軍事的な緊張を高める行動を一切やめて、韓国との交流を増やして「開国」へ向かうならば、今回の南北首脳会談は歴史的に高く評価されるだろう。最高指導者の金正恩氏が韓国の経済的発展にならって、軍事強国を目指す路線の転換を決断したなら世界にとっても歓迎すべきことだ。
今後、南北で多方面の対話や交流、協力が活発化する可能性はあるが、路線転換を簡単には信用すべきでないと過去の北朝鮮の行動が教えている。北朝鮮の「真意」を知るには、軍事関係の具体的な緊張緩和に向けた行動の積み重ねを見なければならず、数年を要するだろう。
北朝鮮の狙いが、経済制裁の解除にあるとすれば緊張緩和に積極的に取り組むだろうが、核やICBM開発のための時間稼ぎであるなら、北朝鮮の判断でいつでも状況を変更できる(板門店宣言をひっくり返す理由を北朝鮮はいつでも見つけるだろう)。
緊張緩和へ向けての動きが高まっていると見せることに成功した首脳会談で南北は、外交での存在感を示した。軍事力行使も選択肢にあると力で脅した米国に、北朝鮮は脅しで反撃していたが、態度を変更した。力ではなく言葉が外交では重要だと示したのが今回の南北首脳会談だったのか、北朝鮮の言葉はやはり信用できなかったとなるか……北朝鮮にとって国際的な信用を得るラストチャンスだろうことは確かだ。
軍事的緊張状態の緩和へ向けては、▽あらゆる空間で一切の敵対行為を全面的に中止▽軍事境界線一帯で拡声器(宣伝)放送やビラ散布など敵対行為を中止▽黄海の北方限界線一帯で偶発的な軍事衝突を防止し、安全な漁業活動を保証。
平和体制構築のための具体的な合意は乏しいが、▽終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制を構築するため、南北米3者または南北米中4者会談の開催を推進。また、▽不可侵合意を再確認▽段階的に軍縮▽完全な非核化を通して核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認、と緊張緩和ムードを盛り上げた。
宣言に忠実に北朝鮮が今後、軍事的な緊張を高める行動を一切やめて、韓国との交流を増やして「開国」へ向かうならば、今回の南北首脳会談は歴史的に高く評価されるだろう。最高指導者の金正恩氏が韓国の経済的発展にならって、軍事強国を目指す路線の転換を決断したなら世界にとっても歓迎すべきことだ。
今後、南北で多方面の対話や交流、協力が活発化する可能性はあるが、路線転換を簡単には信用すべきでないと過去の北朝鮮の行動が教えている。北朝鮮の「真意」を知るには、軍事関係の具体的な緊張緩和に向けた行動の積み重ねを見なければならず、数年を要するだろう。
北朝鮮の狙いが、経済制裁の解除にあるとすれば緊張緩和に積極的に取り組むだろうが、核やICBM開発のための時間稼ぎであるなら、北朝鮮の判断でいつでも状況を変更できる(板門店宣言をひっくり返す理由を北朝鮮はいつでも見つけるだろう)。
緊張緩和へ向けての動きが高まっていると見せることに成功した首脳会談で南北は、外交での存在感を示した。軍事力行使も選択肢にあると力で脅した米国に、北朝鮮は脅しで反撃していたが、態度を変更した。力ではなく言葉が外交では重要だと示したのが今回の南北首脳会談だったのか、北朝鮮の言葉はやはり信用できなかったとなるか……北朝鮮にとって国際的な信用を得るラストチャンスだろうことは確かだ。
2018年5月5日土曜日
46歳と成熟
井伊直弼は安政7年(1860年)3月3日、雪の降る中、桜田門外で襲われ、殺害された。井伊直弼は42歳の時に幕府の大老に就任し、治安を維持・回復するために強権を行使したことから、尊王派などに深く恨まれ、襲撃へと繋がった。殺害された時は44歳だった。
三島由紀夫は1970年11月25日、市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターを促す演説を行った直後に割腹自殺した。多くの小説などを発表し、ノーベル文学賞候補になるなど国際的にも評価が高い作家だった。死んだのは45歳だったが、「楯の会」を結成したのは43歳の時だった。
第35代米国大統領のジョン・F・ケネディは1963年11月22日、米テキサス州ダラスで狙撃されて死亡した。46歳だった。大統領選に勝利したのは43歳の時で、キューバ危機の回避は45歳の時だった。第44代米国大統領のバラク・オバマが上院議員に当選したのは43歳の時で、大統領に就任したのは47歳の時。
歴史を振り返ると、46歳で亡くなった人には天智天皇(中大兄皇子)、淀君、由井正雪、土佐藩で藩政改革に参与した吉田東洋、新島襄、二葉亭四迷、中上健次らがおり、外国人ではフランシスコ・ザビエル、シラー、シューマン、ボードレール、ルナール、サキ、スピノザ、ジョージ・オーウェル、スティーブ・ジョブズらがいる。
40数年の生涯で人は歴史に名を残すことができるのだと、これらの人々は示している。もちろん、歴史に名を残す人はごく少数であり、圧倒的多数の人々は歴史上では無名に終わる。歴史に名を残した人と歴史的には無名のままで終わった人を比べても意味はないだろうが、人の人生を何が分けるのか。
第一には、本人の意欲と努力だろう。何をなすべきかを自覚し、努力することが欠かせないが、努力した人が必ず成功するとは限らないのは歴史の厳しさだ。第二に、運やチャンスが現れた時に、つかむことができるか。第三に、能力を発揮することができるポジションに立つことができるか。
40数年生きてきたからといって、誰もが成熟するとは限らない。歴史に名を残さず、年齢相応の成熟を見せなくても、それも一つの人生で、無為に生きた人生と傍目には見えても、本人には納得できる人生もあるだろう。
一方で、40数年の人生を色あせたものに見せる人もいる。例えば、46年生きてきて、酒に溺れ、自分の娘ほどの女の子に迷う人生を生きるタレント。タレント事務所に過保護にされて生きてきた男の人生のツケだろうが、芸能史には汚名として名が残った。
三島由紀夫は1970年11月25日、市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターを促す演説を行った直後に割腹自殺した。多くの小説などを発表し、ノーベル文学賞候補になるなど国際的にも評価が高い作家だった。死んだのは45歳だったが、「楯の会」を結成したのは43歳の時だった。
第35代米国大統領のジョン・F・ケネディは1963年11月22日、米テキサス州ダラスで狙撃されて死亡した。46歳だった。大統領選に勝利したのは43歳の時で、キューバ危機の回避は45歳の時だった。第44代米国大統領のバラク・オバマが上院議員に当選したのは43歳の時で、大統領に就任したのは47歳の時。
歴史を振り返ると、46歳で亡くなった人には天智天皇(中大兄皇子)、淀君、由井正雪、土佐藩で藩政改革に参与した吉田東洋、新島襄、二葉亭四迷、中上健次らがおり、外国人ではフランシスコ・ザビエル、シラー、シューマン、ボードレール、ルナール、サキ、スピノザ、ジョージ・オーウェル、スティーブ・ジョブズらがいる。
40数年の生涯で人は歴史に名を残すことができるのだと、これらの人々は示している。もちろん、歴史に名を残す人はごく少数であり、圧倒的多数の人々は歴史上では無名に終わる。歴史に名を残した人と歴史的には無名のままで終わった人を比べても意味はないだろうが、人の人生を何が分けるのか。
第一には、本人の意欲と努力だろう。何をなすべきかを自覚し、努力することが欠かせないが、努力した人が必ず成功するとは限らないのは歴史の厳しさだ。第二に、運やチャンスが現れた時に、つかむことができるか。第三に、能力を発揮することができるポジションに立つことができるか。
40数年生きてきたからといって、誰もが成熟するとは限らない。歴史に名を残さず、年齢相応の成熟を見せなくても、それも一つの人生で、無為に生きた人生と傍目には見えても、本人には納得できる人生もあるだろう。
一方で、40数年の人生を色あせたものに見せる人もいる。例えば、46年生きてきて、酒に溺れ、自分の娘ほどの女の子に迷う人生を生きるタレント。タレント事務所に過保護にされて生きてきた男の人生のツケだろうが、芸能史には汚名として名が残った。
2018年5月2日水曜日
強固な男性優位社会
セクハラ(セクシャルハラスメント)は言葉や行為による性的嫌がらせを行うことであり、パワハラ(パワーハラスメント)は地位や権力で優位にある者が言葉や行為による抑圧や嫌がらせを行うこと。セクハラも地位や権力で優位にある者が行うことが珍しくなく、どちらも力関係の優劣が背景にある。
日本はまだ男性優位の社会であり、地位や権力も男性が女性より優位にあることが多いので、セクハラやパワハラを行う主体は男性が多い。身体に対する傷害なら被害者の特定は容易だが、言葉によるセクハラやパワハラは精神的な傷害であり、当事者の認識に関係し、また、「証拠」の保存の困難さもあって客観的な認定は簡単ではない。
そんな日本でも、セクハラやパワハラは許されざる行為であるとの認識は定着しつつあるようだ。だから、セクハラやパワハラを行ったと批判された人間は、指摘されてから、無自覚だった自己の行為を反省するか、セクハラやパワハラに相当する行為ではなかったと反発したり弁解したりする。
米国ではハリウッドの大物プロデューサーの長年にわたるセクハラ行為や性的関係の強要が暴かれ、タブーが打ち破られたのか、大物俳優や政治家らの同様の行為の暴露が続いた。被害を受けた人たちによる告発の動きは拡大し、「#MeToo」とSNSなどで様々な事例が明るみに出されるようになった。
そうした告発の動きは日本では広がらず、男性優位社会は強固に見える。セクハラやパワハラに限らず、組織や権威などに対して告発する者が冷ややかに見られることもある日本だから、告発するには余程の覚悟が必要か。告発した側の尊厳や人権が傷つけられたり、不利益を被ることもある。
日本が、政治家や高級官僚の半分以上が女性で、新聞社やテレビ局の幹部も大半が女性という女性が権力を持つ女性優位社会だったなら、男性によるセクハラやパワハラは大幅に減るだろう。それでもセクハラやパワハラがあるとすれば、地位や権力で優位にあることと関係するから、今度は女性が「加害者」になるのだろうか。
そうなると、男性記者に対して女性の高級官僚が「○◯に触っていい?」「抱きしめていい?」「予算通ったら浮気するか?」「手縛ってあげる」などと言ったと男性が告発する……女性優位社会で男性は、セクハラやパワハラに怒り、そんな社会を変えようと積極的に動くのだろうか。
日本はまだ男性優位の社会であり、地位や権力も男性が女性より優位にあることが多いので、セクハラやパワハラを行う主体は男性が多い。身体に対する傷害なら被害者の特定は容易だが、言葉によるセクハラやパワハラは精神的な傷害であり、当事者の認識に関係し、また、「証拠」の保存の困難さもあって客観的な認定は簡単ではない。
そんな日本でも、セクハラやパワハラは許されざる行為であるとの認識は定着しつつあるようだ。だから、セクハラやパワハラを行ったと批判された人間は、指摘されてから、無自覚だった自己の行為を反省するか、セクハラやパワハラに相当する行為ではなかったと反発したり弁解したりする。
米国ではハリウッドの大物プロデューサーの長年にわたるセクハラ行為や性的関係の強要が暴かれ、タブーが打ち破られたのか、大物俳優や政治家らの同様の行為の暴露が続いた。被害を受けた人たちによる告発の動きは拡大し、「#MeToo」とSNSなどで様々な事例が明るみに出されるようになった。
そうした告発の動きは日本では広がらず、男性優位社会は強固に見える。セクハラやパワハラに限らず、組織や権威などに対して告発する者が冷ややかに見られることもある日本だから、告発するには余程の覚悟が必要か。告発した側の尊厳や人権が傷つけられたり、不利益を被ることもある。
日本が、政治家や高級官僚の半分以上が女性で、新聞社やテレビ局の幹部も大半が女性という女性が権力を持つ女性優位社会だったなら、男性によるセクハラやパワハラは大幅に減るだろう。それでもセクハラやパワハラがあるとすれば、地位や権力で優位にあることと関係するから、今度は女性が「加害者」になるのだろうか。
そうなると、男性記者に対して女性の高級官僚が「○◯に触っていい?」「抱きしめていい?」「予算通ったら浮気するか?」「手縛ってあげる」などと言ったと男性が告発する……女性優位社会で男性は、セクハラやパワハラに怒り、そんな社会を変えようと積極的に動くのだろうか。
2018年4月28日土曜日
核実験施設が使えない
北朝鮮が核実験やICBM実験を停止し、北部にある核実験施設の廃棄を決定したと報じられた。平和と経済成長を実現するために国際社会との対話に取り組む意向だとされ、緊張緩和への自主的かつ具体的な動きだと歓迎する向きもあったが、北朝鮮は「核兵器開発を完了したため、もはや核実験やICBMの発射実験を行う必要がなくなった」と、核兵器の保有は続けることを主張している。
北朝鮮は2018年2月に開催された平昌冬季五輪に選手団を参加させ、続いて、韓国との首脳会談、さらには米国との首脳会談を決め、冷却化が取りざたされていた中国とも、金正恩委員長が訪中して習近平国家主席と会談して関係修復を図るなど、北朝鮮が一連の「平和攻勢」で主導権を取っているように見える。
北朝鮮が緊張緩和へ向けて路線修正を行ったとすれば歓迎すべきことだが、その路線修正がどこまで信用できるのかは不明だ。対話路線に転じたとしながら、ひそかに核兵器やICBMの開発を続けてきた過去が北朝鮮にはあるので、今回の路線修正も核兵器やICBMの高度化のための時間稼ぎにすぎないとの疑いは残る。
そうした中、核実験施設が使用不能になったため北朝鮮は核実験を続けることができなくなり、対話路線へ転換(あるいは、時間稼ぎのため対話路線を偽装)せざるを得なくなったとの可能性が具体的に示された。核実験施設が使用不能になったことを北朝鮮はうまく利用していることになる。
中国の地震学者によると、北朝鮮北東部の万塔山の地下にある豊渓里核実験場で2017年9月に核実験が実施されたが、その直後に起きたM4.1の地震により、爆発場所から440メートルに渡って山の内部の岩が崩落、山中に空洞ができたという。この崩落により万塔山の地下施設が使えなくなるとともに、放射能漏れの恐れがあるともした。
豊渓里核実験場では、北朝鮮が行った6回の核実験のうち5回が実施された。昨年9月には水爆を用いたとする実験を北朝鮮は実施したが、その後に地震が頻発し、最大ではM6.3の地震も起きていた。これらの地震が自然現象なのか、地下核実験の影響によるものなのかは不明だ。
ただし、核実験により山の内部で一部に崩壊があったとしても、付近一帯にトンネル網を北朝鮮は構築しているので、核実験場として使用不能であるとは断定できないと米国の専門家は疑問を呈する。核実験停止を宣言しても北朝鮮は、実験場への外国人の立ち入りは認めないだろうから客観的な検証はできない。
北朝鮮は2018年2月に開催された平昌冬季五輪に選手団を参加させ、続いて、韓国との首脳会談、さらには米国との首脳会談を決め、冷却化が取りざたされていた中国とも、金正恩委員長が訪中して習近平国家主席と会談して関係修復を図るなど、北朝鮮が一連の「平和攻勢」で主導権を取っているように見える。
北朝鮮が緊張緩和へ向けて路線修正を行ったとすれば歓迎すべきことだが、その路線修正がどこまで信用できるのかは不明だ。対話路線に転じたとしながら、ひそかに核兵器やICBMの開発を続けてきた過去が北朝鮮にはあるので、今回の路線修正も核兵器やICBMの高度化のための時間稼ぎにすぎないとの疑いは残る。
そうした中、核実験施設が使用不能になったため北朝鮮は核実験を続けることができなくなり、対話路線へ転換(あるいは、時間稼ぎのため対話路線を偽装)せざるを得なくなったとの可能性が具体的に示された。核実験施設が使用不能になったことを北朝鮮はうまく利用していることになる。
中国の地震学者によると、北朝鮮北東部の万塔山の地下にある豊渓里核実験場で2017年9月に核実験が実施されたが、その直後に起きたM4.1の地震により、爆発場所から440メートルに渡って山の内部の岩が崩落、山中に空洞ができたという。この崩落により万塔山の地下施設が使えなくなるとともに、放射能漏れの恐れがあるともした。
豊渓里核実験場では、北朝鮮が行った6回の核実験のうち5回が実施された。昨年9月には水爆を用いたとする実験を北朝鮮は実施したが、その後に地震が頻発し、最大ではM6.3の地震も起きていた。これらの地震が自然現象なのか、地下核実験の影響によるものなのかは不明だ。
ただし、核実験により山の内部で一部に崩壊があったとしても、付近一帯にトンネル網を北朝鮮は構築しているので、核実験場として使用不能であるとは断定できないと米国の専門家は疑問を呈する。核実験停止を宣言しても北朝鮮は、実験場への外国人の立ち入りは認めないだろうから客観的な検証はできない。
2018年4月25日水曜日
中国における主権在党
2018年3月に開催された中国の全国人民代表大会(全人代)では、国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正が承認され、習近平氏が国家主席を3期以上務める可能性が現実となるなど、習近平氏への権力集中が明確となった。同時に、中国共産党が中国政府の上に位置する流れも強まった。
改正憲法の第1条には「中国共産党の指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴だ」との文言が追加されたという。習近平指導部は「党が一切を指導する」として、軍や行政、社会を党が一元的に管理する政治体制を構築すると新聞は伝えた。
中国共産党が中国の「一切を指導する」とは、党の独裁統治を強化するということだ。政治や社会、経済、歴史などに限らず中国の全てに対する共産党の指導なるものが強化されることを「一切」という言葉は意味する。中国の主権は、人民にではなく中国共産党にあるとの宣言だとすれば、主権在民ならぬ主権在党だな。
全人代が閉幕した翌日、中国共産党や政府などの機構改革案が報じられた。それは、▽党員の人事を掌握する党中央組織部が、党員以外の公務員の管理を一元的に行うなど、政府機能の多くを党に集約▽党中央組織部に国家公務員局を編入し、党員以外の公務員も含めて採用や賞罰、研修、福利厚生などを統一的に管理▽党中央宣伝部が報道・出版、映画部門を直接管理。
▽党の中央外事工作指導小組や中央財経指導小組などを委員会に昇格させ、関連分野におけるトップレベルの政策立案や調整などを担当▽中央外事工作委員会は中央海洋権益保護工作指導小組の職務も引き継ぎ、外交と海洋権益の確保に関して一体的に指導する▽党中央統一戦線部に国家宗教事務局を編入し、国家民族事務委員会も統戦部が直接指導、宗教・民族政策を党が一元的に担当。
なぜ中国共産党が今になって独裁統治を強化するのか。推測するに、締め付けを強化しなければ中国共産党の統治が持たなくなっているからだろう。経済的に豊かになり、自由世界の情報が大量に流入するようになった中国社会では、「革命は遠くなりにけり」で共産党の独裁統治への共感は希薄化していよう。
反対に、社会が開放されるほどに共産党の独裁統治への批判が高まる可能性がある。さらに、封印したはずの過去の共産党の「誤り」を記憶している人々がいるので、自由で開放された社会になれば、封印した共産党の過去が暴かれよう。中国共産党は、民主化などの「ソフトランディング」を放棄し、独裁統治を続けることを選択、そのためには締め付けを強化するしかないのだろう。
共産党は独裁統治を、プロレタリア独裁の政治形態として正当化する。プロレタリア独裁を正当化すると、その前衛党である共産党の独裁を正当化し、さらに共産党の指導部の独裁を正当化、ついには指導部を指導するトップの個人独裁を正当化する。多くの政敵を失脚させた習近平氏は個人独裁を強化して生き延びようとし、その個人独裁を強化するために共産党の独裁の強化が必要だったとすれば、独裁を許容する政治思想のいびつさが明確になる。
改正憲法の第1条には「中国共産党の指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴だ」との文言が追加されたという。習近平指導部は「党が一切を指導する」として、軍や行政、社会を党が一元的に管理する政治体制を構築すると新聞は伝えた。
中国共産党が中国の「一切を指導する」とは、党の独裁統治を強化するということだ。政治や社会、経済、歴史などに限らず中国の全てに対する共産党の指導なるものが強化されることを「一切」という言葉は意味する。中国の主権は、人民にではなく中国共産党にあるとの宣言だとすれば、主権在民ならぬ主権在党だな。
全人代が閉幕した翌日、中国共産党や政府などの機構改革案が報じられた。それは、▽党員の人事を掌握する党中央組織部が、党員以外の公務員の管理を一元的に行うなど、政府機能の多くを党に集約▽党中央組織部に国家公務員局を編入し、党員以外の公務員も含めて採用や賞罰、研修、福利厚生などを統一的に管理▽党中央宣伝部が報道・出版、映画部門を直接管理。
▽党の中央外事工作指導小組や中央財経指導小組などを委員会に昇格させ、関連分野におけるトップレベルの政策立案や調整などを担当▽中央外事工作委員会は中央海洋権益保護工作指導小組の職務も引き継ぎ、外交と海洋権益の確保に関して一体的に指導する▽党中央統一戦線部に国家宗教事務局を編入し、国家民族事務委員会も統戦部が直接指導、宗教・民族政策を党が一元的に担当。
なぜ中国共産党が今になって独裁統治を強化するのか。推測するに、締め付けを強化しなければ中国共産党の統治が持たなくなっているからだろう。経済的に豊かになり、自由世界の情報が大量に流入するようになった中国社会では、「革命は遠くなりにけり」で共産党の独裁統治への共感は希薄化していよう。
反対に、社会が開放されるほどに共産党の独裁統治への批判が高まる可能性がある。さらに、封印したはずの過去の共産党の「誤り」を記憶している人々がいるので、自由で開放された社会になれば、封印した共産党の過去が暴かれよう。中国共産党は、民主化などの「ソフトランディング」を放棄し、独裁統治を続けることを選択、そのためには締め付けを強化するしかないのだろう。
共産党は独裁統治を、プロレタリア独裁の政治形態として正当化する。プロレタリア独裁を正当化すると、その前衛党である共産党の独裁を正当化し、さらに共産党の指導部の独裁を正当化、ついには指導部を指導するトップの個人独裁を正当化する。多くの政敵を失脚させた習近平氏は個人独裁を強化して生き延びようとし、その個人独裁を強化するために共産党の独裁の強化が必要だったとすれば、独裁を許容する政治思想のいびつさが明確になる。
2018年4月21日土曜日
人道が理由にされる
「国連憲章が承認している戦争は二つしかない。一つは『自衛戦争』です。もう一つは『国連が委託した戦争』。悪い奴がいてどうにもしょうがないから罰しようと思うけど、国連軍は存在しないので、国連加盟国の中の有志を募って頼むわけです。征伐してくれと」(加藤周一著『語りおくこと いくつか』)。
だが、2003年のイラク戦争は「明らかに国連安全保障理事会が委託決議案を出していません。アメリカにサダム・フセインの撃った弾が落ちているわけじゃないから自衛とは言えない。将来、サダム・フセインという人の攻撃があるかもしれないから先制攻撃するというのは、国連憲章によれば合法とは言いにくい」(同)。
戦争とは、国家などの政治的集団が武力を行使して争うことで、中長期に渡って続くものだ。だから、例えば、ある勢力により数時間のミサイル攻撃が行われたが、攻撃された側の反撃が限られ、それ以上の戦闘行為に発展せずに終息したものなら、武力行使があったことは確かだが、戦争とはみなされない。
ただし、そうした武力行使が容認されているわけではない。国連憲章は第2条で「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」としている。
戦争も限定的な武力行使も国際的に禁じられているのが現代だが、問題は、ある国家の内部で非人道的な行為が行われているときに、国際社会は何ができるか(=何ができないか)ということの明確な決まりがないことだ。だから、人道を理由に、ある時は軍事的に介入し、ある時は無視することになる。
国際社会は、1970年代にカンボジアで虐殺が行われているときにも、1990年代前半にボスニア・ヘルツェゴビナで虐殺など民族浄化が行われているときにも、1994年にルアンダ国内で虐殺が行われているときにも、無力だった。国際社会が動くには、事実の正確な把握が必要だが、入国を制限されたなら、国際社会は断片的な情報しか得ることができない。
戦争の時に禁止される行為は、いわゆる国際人道法によって明確化されつつあるが、ある国の内部で行われる非人道的な行為に対して国際社会は、国家主権の壁に阻まれる。「人間には倫理的に耐えられることの限界がある。その限界はどこにあるか」(同)。平時における国際人道法が必要なのだが、ここにも国家主権の壁が立ちはだかる。
だが、2003年のイラク戦争は「明らかに国連安全保障理事会が委託決議案を出していません。アメリカにサダム・フセインの撃った弾が落ちているわけじゃないから自衛とは言えない。将来、サダム・フセインという人の攻撃があるかもしれないから先制攻撃するというのは、国連憲章によれば合法とは言いにくい」(同)。
戦争とは、国家などの政治的集団が武力を行使して争うことで、中長期に渡って続くものだ。だから、例えば、ある勢力により数時間のミサイル攻撃が行われたが、攻撃された側の反撃が限られ、それ以上の戦闘行為に発展せずに終息したものなら、武力行使があったことは確かだが、戦争とはみなされない。
ただし、そうした武力行使が容認されているわけではない。国連憲章は第2条で「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」としている。
戦争も限定的な武力行使も国際的に禁じられているのが現代だが、問題は、ある国家の内部で非人道的な行為が行われているときに、国際社会は何ができるか(=何ができないか)ということの明確な決まりがないことだ。だから、人道を理由に、ある時は軍事的に介入し、ある時は無視することになる。
国際社会は、1970年代にカンボジアで虐殺が行われているときにも、1990年代前半にボスニア・ヘルツェゴビナで虐殺など民族浄化が行われているときにも、1994年にルアンダ国内で虐殺が行われているときにも、無力だった。国際社会が動くには、事実の正確な把握が必要だが、入国を制限されたなら、国際社会は断片的な情報しか得ることができない。
戦争の時に禁止される行為は、いわゆる国際人道法によって明確化されつつあるが、ある国の内部で行われる非人道的な行為に対して国際社会は、国家主権の壁に阻まれる。「人間には倫理的に耐えられることの限界がある。その限界はどこにあるか」(同)。平時における国際人道法が必要なのだが、ここにも国家主権の壁が立ちはだかる。
2018年4月18日水曜日
公表されている事実
化学兵器禁止条約に基づいて設立された国際機関の化学兵器禁止機関(OPCW)は、英国のソールズベリーで起きたロシアの元情報部員の男性とその娘に対する暗殺未遂で、現場で採取されたサンプルを分析し、不純物がほとんど含まれない高純度の有毒な化学物質だったとの調査結果を発表した。
この暗殺未遂で英国は、旧ソ連軍が開発した神経剤「ノビチョク」が使用されたと特定し、ロシアに対して事件の説明を求めた。ロシアは関与を否定したが、英国は納得せず、ロシア外交官23人を国外追放する対抗措置を実施した(ロシアも23人の英外交官を追放)。
英国の主張を米仏独などは支持し、NATOやEUも英国との連帯を表明した。米国はロシア外交官ら60人を国外追放し、シアトルのロシア領事館を閉鎖した。欧米20カ国以上から国外退去命令を受けたロシア当局者は100人を超えた(ロシアも対抗措置として欧米各国の外交官に国外退去を命じた)。
ノビチョクはソ連時代に対NATO用に開発された化学兵器で、毒性がVXガス(マレーシアで金正男氏殺害に使われた)より5~8倍高いとされる。既存の治療薬では効果がなく、ノビチョク用の解毒剤はないともされるが、重体だった元ロシア情報部員は急速に回復しているという(娘は既に退院)。治療の成果で回復したのか、接触したのが致死量ではなかったのかは詳らかになっていない。
公表されている事実は、①英国内で元ロシア情報部員が重体に陥った、②自宅玄関のドアから高純度のノビチョクが検出された、の2点。英国政府は、ロシアが関与した可能性は非常に高いとしてロシア外交官を追放し、国際社会に同調を求めたわけだが、公表されている事実だけではロシアの関与を断定するには根拠が弱いとも見える。
米国をはじめ各国がロシアに対する強硬な外交制裁に同調したのだから、おそらく英国はロシアが関与したという決定的な証拠をつかんでいて、相手国を限定して知らせたのだろう。決定的な証拠を公表すれば、国際社会からもっと広範な支持を得られたであろうに公表しない(できない)のは、情報提供者の安全に関わるか、英国の情報網が探知されるからか。
旧ソ連が開発したノビチョクが使用されればロシアが真っ先に疑われる。もしロシアが関与したなら、多くの国が保有しているだろう他の神経剤を使用せずにノビチョクを使用したのはなぜか謎が残る。ノビチョクだと英国が特定できたのは、ノビチョクに関する詳細なデータを持っていたからだ。ノビチョクはロシアの専有物なのだろうか。
この暗殺未遂で英国は、旧ソ連軍が開発した神経剤「ノビチョク」が使用されたと特定し、ロシアに対して事件の説明を求めた。ロシアは関与を否定したが、英国は納得せず、ロシア外交官23人を国外追放する対抗措置を実施した(ロシアも23人の英外交官を追放)。
英国の主張を米仏独などは支持し、NATOやEUも英国との連帯を表明した。米国はロシア外交官ら60人を国外追放し、シアトルのロシア領事館を閉鎖した。欧米20カ国以上から国外退去命令を受けたロシア当局者は100人を超えた(ロシアも対抗措置として欧米各国の外交官に国外退去を命じた)。
ノビチョクはソ連時代に対NATO用に開発された化学兵器で、毒性がVXガス(マレーシアで金正男氏殺害に使われた)より5~8倍高いとされる。既存の治療薬では効果がなく、ノビチョク用の解毒剤はないともされるが、重体だった元ロシア情報部員は急速に回復しているという(娘は既に退院)。治療の成果で回復したのか、接触したのが致死量ではなかったのかは詳らかになっていない。
公表されている事実は、①英国内で元ロシア情報部員が重体に陥った、②自宅玄関のドアから高純度のノビチョクが検出された、の2点。英国政府は、ロシアが関与した可能性は非常に高いとしてロシア外交官を追放し、国際社会に同調を求めたわけだが、公表されている事実だけではロシアの関与を断定するには根拠が弱いとも見える。
米国をはじめ各国がロシアに対する強硬な外交制裁に同調したのだから、おそらく英国はロシアが関与したという決定的な証拠をつかんでいて、相手国を限定して知らせたのだろう。決定的な証拠を公表すれば、国際社会からもっと広範な支持を得られたであろうに公表しない(できない)のは、情報提供者の安全に関わるか、英国の情報網が探知されるからか。
旧ソ連が開発したノビチョクが使用されればロシアが真っ先に疑われる。もしロシアが関与したなら、多くの国が保有しているだろう他の神経剤を使用せずにノビチョクを使用したのはなぜか謎が残る。ノビチョクだと英国が特定できたのは、ノビチョクに関する詳細なデータを持っていたからだ。ノビチョクはロシアの専有物なのだろうか。
2018年4月14日土曜日
それぞれの「成果」
北朝鮮がトランプ政権に対し、朝鮮半島の非核化に関して米朝首脳会談で協議する意向を直接伝えてきたと報じられた。「北朝鮮の非核化」と「朝鮮半島の非核化」は意味するものが大きく異なる。朝鮮半島の非核化は、北朝鮮とともに韓国(在韓米軍)の非核化も意味し、その検証を北朝鮮は求めようが、米国は応じないだろう。
核実験とミサイル発射を繰り返して緊張を高めてきたのは北朝鮮だから、緊張緩和を目指すなら、北朝鮮の非核化とその検証方法が首脳会談のテーマになるはずだ。だが、核兵器やミサイルは北朝鮮にとって対米交渉の切り札だから、簡単には手放すはずがない。まず朝鮮半島の非核化という高い要求を米国に突きつけ、主導権を握ろうとしている。
米国との首脳会談を北朝鮮が望んでいると韓国が米国に伝え、すぐにトランプ政権が受け入れたと伝えられている。本当に北朝鮮が米国との首脳会談実現を期待していたのか、拒絶されることを見越して平和を望む姿勢を装っただけなのか判断できないが、米国との首脳会談を行うなら北朝鮮側は何らかの成果を得なければならないだろう。
国連による制裁決議が強化されている中で、北朝鮮の一方的な言い分を米国が容認する可能性はほぼない。緊張緩和へ向けて北朝鮮の非核化などの具体的な対応を表明することが北朝鮮に求められる。しかし、核兵器やミサイルを放棄したなら北朝鮮は、ただの貧しい低開発国になり、米国など大国と対等な立場には立てない。
北朝鮮にとって米国との首脳会談は、北朝鮮と米国が対等であるとイメージづける最高の舞台だ。北朝鮮にとって米国との首脳会談は、実際に行われることが最大の成果であろう。だから、互いに言いっ放しに終わったとしても構わない。むしろ、北朝鮮が一歩も譲らず、一方的な主張を行ってプロパガンダの場とすることで、成果があったとするかもしれない。
米トランプ政権は、北朝鮮を国際舞台に引っ張り出すチャンスを逃さなかった。何らかの譲歩を北朝鮮に飲ませればトランプ政権の成果であり、互いに言いっ放しで物別れに終わったとしても、平和に向かうチャンスを拒否したとして北朝鮮をさらに批判することができる。米国にとって北朝鮮との首脳会談は、成功してもしなくても、行ったことが成果になる。
互いに譲歩するつもりがなく、互いに言いっぱなしで終わっても良いとする首脳会談だから、米国と北朝鮮はともに、開催するだけで成果があったとするだろう。和解に向けての第一歩とするのか、さらなる対立を正当化するステップとするのか、おそらく首脳会談の前に決まるだろう。
核実験とミサイル発射を繰り返して緊張を高めてきたのは北朝鮮だから、緊張緩和を目指すなら、北朝鮮の非核化とその検証方法が首脳会談のテーマになるはずだ。だが、核兵器やミサイルは北朝鮮にとって対米交渉の切り札だから、簡単には手放すはずがない。まず朝鮮半島の非核化という高い要求を米国に突きつけ、主導権を握ろうとしている。
米国との首脳会談を北朝鮮が望んでいると韓国が米国に伝え、すぐにトランプ政権が受け入れたと伝えられている。本当に北朝鮮が米国との首脳会談実現を期待していたのか、拒絶されることを見越して平和を望む姿勢を装っただけなのか判断できないが、米国との首脳会談を行うなら北朝鮮側は何らかの成果を得なければならないだろう。
国連による制裁決議が強化されている中で、北朝鮮の一方的な言い分を米国が容認する可能性はほぼない。緊張緩和へ向けて北朝鮮の非核化などの具体的な対応を表明することが北朝鮮に求められる。しかし、核兵器やミサイルを放棄したなら北朝鮮は、ただの貧しい低開発国になり、米国など大国と対等な立場には立てない。
北朝鮮にとって米国との首脳会談は、北朝鮮と米国が対等であるとイメージづける最高の舞台だ。北朝鮮にとって米国との首脳会談は、実際に行われることが最大の成果であろう。だから、互いに言いっ放しに終わったとしても構わない。むしろ、北朝鮮が一歩も譲らず、一方的な主張を行ってプロパガンダの場とすることで、成果があったとするかもしれない。
米トランプ政権は、北朝鮮を国際舞台に引っ張り出すチャンスを逃さなかった。何らかの譲歩を北朝鮮に飲ませればトランプ政権の成果であり、互いに言いっ放しで物別れに終わったとしても、平和に向かうチャンスを拒否したとして北朝鮮をさらに批判することができる。米国にとって北朝鮮との首脳会談は、成功してもしなくても、行ったことが成果になる。
互いに譲歩するつもりがなく、互いに言いっぱなしで終わっても良いとする首脳会談だから、米国と北朝鮮はともに、開催するだけで成果があったとするだろう。和解に向けての第一歩とするのか、さらなる対立を正当化するステップとするのか、おそらく首脳会談の前に決まるだろう。
2018年4月11日水曜日
振り上げた拳
中国による知的財産侵害への制裁措置として米トランプ米大統領はさらに強硬策を打ち出し、関税対象額の1千億ドル積み増しを検討すると発表した(4月5日)。3日に公表した制裁措置の対象輸入品は約1300品目、対象額500億ドルだったが、中国が報復措置を発表したことに刺激されたようだ。
強硬な態度では中国も負けておらず、中国商務省の報道官は「われわれは貿易戦争を恐れもしない」とすぐに反撃、「中国はいかなる代償も惜しまず、断固として反撃する」とし、「中国は多国間の貿易体制を守り、グローバルな貿易と投資の自由化を推し進める」と自由貿易の旗手を装って見せた。
米国の中国からの輸入額全体は5100億ドル(2017年)とされるので、米国が3日に発表した500億ドルはほぼ1割に相当する。約1300品目に25%の関税を課すとしたが、実施は未定だ。企業などの意向を踏まえて最終決定するとしているので、実態は制裁措置を見せているだけだ。
だが、米の3日の発表に対抗して中国は4日、米国産の大豆、牛肉、自動車、飛行機など106品目に25%の関税を課すとし、関税の対象額は500億ドルと米国の発表した金額に合わせた。真っ向から歯向かわれたことに怒ったのかトランプ政権は制裁を拡大、5日の追加制裁1000億ドル積み増しの発表へと繋がった。
今年、輸入制限のために高関税を課す動きを始めたのは米国が最初だった。3月23日から安全保障を理由に鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の追加関税を課した。EUなどを猶予対象としたものの、中国や日本などに適用した。中国は報復措置として、4月2日から米国から輸入する果物など120品目に15%、豚肉など8品目に25%の関税を上乗せした。
米国が中国に求めるのは巨額の貿易赤字の削減と知的財産権侵害の是正だが、国際ルールと国内ルールを都合よく使い分ける中国にとっては現状維持がベスト。報復合戦が実行されると状況が変化するので、現状維持を願う側の失うもののほうが多いだろうが、中国は政治が優先する体制だから、引くに引けなくなるだろう。
報復合戦が実行されれば米中とも国内で少なからぬダメージを受けるだろうが、米中ともに振り上げた拳を、体面を保ちながら、どう降ろすのかという難問に直面する。相手側が引くべきだと互いに考えるだろうが、米中とも強面で知られる政権だけに、簡単には融和的姿勢に転換できないだろう。拳を振り上げることが現代の外交で、どんな効果や意味を持つのか、いいテストケースではある。
強硬な態度では中国も負けておらず、中国商務省の報道官は「われわれは貿易戦争を恐れもしない」とすぐに反撃、「中国はいかなる代償も惜しまず、断固として反撃する」とし、「中国は多国間の貿易体制を守り、グローバルな貿易と投資の自由化を推し進める」と自由貿易の旗手を装って見せた。
米国の中国からの輸入額全体は5100億ドル(2017年)とされるので、米国が3日に発表した500億ドルはほぼ1割に相当する。約1300品目に25%の関税を課すとしたが、実施は未定だ。企業などの意向を踏まえて最終決定するとしているので、実態は制裁措置を見せているだけだ。
だが、米の3日の発表に対抗して中国は4日、米国産の大豆、牛肉、自動車、飛行機など106品目に25%の関税を課すとし、関税の対象額は500億ドルと米国の発表した金額に合わせた。真っ向から歯向かわれたことに怒ったのかトランプ政権は制裁を拡大、5日の追加制裁1000億ドル積み増しの発表へと繋がった。
今年、輸入制限のために高関税を課す動きを始めたのは米国が最初だった。3月23日から安全保障を理由に鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の追加関税を課した。EUなどを猶予対象としたものの、中国や日本などに適用した。中国は報復措置として、4月2日から米国から輸入する果物など120品目に15%、豚肉など8品目に25%の関税を上乗せした。
米国が中国に求めるのは巨額の貿易赤字の削減と知的財産権侵害の是正だが、国際ルールと国内ルールを都合よく使い分ける中国にとっては現状維持がベスト。報復合戦が実行されると状況が変化するので、現状維持を願う側の失うもののほうが多いだろうが、中国は政治が優先する体制だから、引くに引けなくなるだろう。
報復合戦が実行されれば米中とも国内で少なからぬダメージを受けるだろうが、米中ともに振り上げた拳を、体面を保ちながら、どう降ろすのかという難問に直面する。相手側が引くべきだと互いに考えるだろうが、米中とも強面で知られる政権だけに、簡単には融和的姿勢に転換できないだろう。拳を振り上げることが現代の外交で、どんな効果や意味を持つのか、いいテストケースではある。
2018年4月7日土曜日
様々な輪廻転生
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世の後継者の選出をめぐり、各派の高僧が集まって、選出方法の議論を始める計画があると報じられた。これは後継者指名に中国政府が介入する恐れがあり、それを防ぐためだ。中国政府はパンチェン・ラマ11世を独自に指名し、ダライ・ダマ14世が指名した後継者を監視下においている。
伝統的な選出方法(「輪廻転生」制度)では、ダライ・ラマ死去後に生まれ変わりを探すのだが、年単位の時間を要する。その間に中国政府が独自にダライ・ダマ15世の指名を強行する可能性が高く、また、ダライ・ラマ14世が「輪廻転生制度を廃止すべきだ」と発言していることから、新たな後継者選出制度を検討すると見られる。
死んで肉体が滅びても霊魂は様々の形でこの世に何度も帰ってくるという輪廻転生の発想は、古くから世界各地にある。輪廻転生が事実であるかどうかは検証不能だが、古くから広く共有されてきたのだから、ある種の実感(あるいは願望)に基づいているのかもしれない。
検証不能であるから輪廻転生は、①霊魂は動植物を含め多様な生命の間で生まれ変わる、②霊魂は人間の間でのみ生まれ変わる、の2説に大別される。どちらが正しいのか、あるいは、どちらも間違っているのか誰にも判別できないが、チベット仏教の最高指導者の霊魂は後者であるらしい。
生まれ変わりを主張する人の中に、前世の記憶があるとする人もいる。もちろん、そのような前世の記憶は検証不能だから、否定も肯定もできない。つまり、どうとでも前世を主張できるのだから、自分の前世は歴史上の有名人であると誰でも主張できる。中には、前世は宇宙人だったと主張する人もいるそうだ。
先日、ある若いアメリカ人が自分の前世はカフェのテーブルだと言い出した。人が集まっていて、ワイワイガヤガヤと賑わっているのが好きだから、前世はカフェのテーブルだったに違いないと言う。カフェのオーナーではなくテーブルを選ぶところが彼女の控えめな人柄を反映している。
輪廻転生の範囲を生命体に限らないとなれば、前世の可能性は限りなく広がる。日本には物質にも霊が宿って妖怪になるという考えがあるので、前世がカフェのテーブルという発想もありかもしれない。ただ、霊が宿ったテーブルは閉店後のカフェ店内でいたずらをしそうだな。
伝統的な選出方法(「輪廻転生」制度)では、ダライ・ラマ死去後に生まれ変わりを探すのだが、年単位の時間を要する。その間に中国政府が独自にダライ・ダマ15世の指名を強行する可能性が高く、また、ダライ・ラマ14世が「輪廻転生制度を廃止すべきだ」と発言していることから、新たな後継者選出制度を検討すると見られる。
死んで肉体が滅びても霊魂は様々の形でこの世に何度も帰ってくるという輪廻転生の発想は、古くから世界各地にある。輪廻転生が事実であるかどうかは検証不能だが、古くから広く共有されてきたのだから、ある種の実感(あるいは願望)に基づいているのかもしれない。
検証不能であるから輪廻転生は、①霊魂は動植物を含め多様な生命の間で生まれ変わる、②霊魂は人間の間でのみ生まれ変わる、の2説に大別される。どちらが正しいのか、あるいは、どちらも間違っているのか誰にも判別できないが、チベット仏教の最高指導者の霊魂は後者であるらしい。
生まれ変わりを主張する人の中に、前世の記憶があるとする人もいる。もちろん、そのような前世の記憶は検証不能だから、否定も肯定もできない。つまり、どうとでも前世を主張できるのだから、自分の前世は歴史上の有名人であると誰でも主張できる。中には、前世は宇宙人だったと主張する人もいるそうだ。
先日、ある若いアメリカ人が自分の前世はカフェのテーブルだと言い出した。人が集まっていて、ワイワイガヤガヤと賑わっているのが好きだから、前世はカフェのテーブルだったに違いないと言う。カフェのオーナーではなくテーブルを選ぶところが彼女の控えめな人柄を反映している。
輪廻転生の範囲を生命体に限らないとなれば、前世の可能性は限りなく広がる。日本には物質にも霊が宿って妖怪になるという考えがあるので、前世がカフェのテーブルという発想もありかもしれない。ただ、霊が宿ったテーブルは閉店後のカフェ店内でいたずらをしそうだな。
2018年4月4日水曜日
もっと権力を縛る憲法
現行の日本国憲法は立派なものなのだが、現実との乖離があり、それが憲法の地位を揺るがし、緊張感をもたらしている。第九条で「戦争の放棄」「戦力の保持及び交戦権の否認」を定めているが、現実には自衛隊という強力な軍事組織が存在しており、自衛隊の存在を憲法に書き込むべきだとの主張が常につきまとう。
かつて存在した「自衛隊を解散して日本は非武装になるべきだ」との主張は、現行の憲法との整合性は保たれる主張だが、現実離れしており、掲げていた社会党も、連立政権に参画して現実に向き合わざるを得なくなり、自衛隊は合憲だと転換せざるを得なかった。だが、第九条は変わっていないから、現実との乖離は続いている。
憲法第九条と現実との乖離は、憲法が「国家権力を縛る」ことを損なっている。近代憲法は、主権者である人々の権利と自由を守るために 国家権力を制限するものだが、国家権力が有する暴力措置の最たるものである軍事組織が実在するのに、その存在について現行憲法には明確な規定がない。例えば、軍事組織が国内で治安出動してもいいのか悪いのか憲法には何も書かれていない。
軍事組織が圧倒的な政治力を持つようになり、戦線の拡大に歯止めが効かなくなって、無謀な戦争に突入した結果、人々が苦しみ、国土が外国軍に占領され、国家の独立が失われたという歴史が日本にはある。あのような軍事組織の暴走を許さないためには、憲法で軍事組織に対する縛りを明確にすることが不可欠だ。
現実に存在する軍事組織の行動に対する制約を憲法に明記することは、いわゆる平和憲法の価値を損なうものではなく、現実的な国家的規範としての憲法の効力を高めるものであろう。議論すべきは、憲法で軍事組織をどう規定し、その行動の制約をどのように書き込むかということだ。
いわゆる護憲派は現行憲法を聖典と祭り上げて一切の変更を拒否する一方、いわゆる改憲派は自衛隊を「普通」の軍隊に位置付けたり、国家権力に対する憲法の制限を緩和することを目指しているようだ。改憲という言葉は中立的なものだが、現在の日本では改憲=復古的な国家主義への志向とみなされる。もっと民主主義を強め、もっと主権在民を強めるための改憲があるはずだ。
憲法に自衛隊に関する制約を明記するのは、現実との乖離を解消して国家権力に対する憲法の拘束力を強める。軍事組織が暴走したことがある日本の歴史を踏まえるなら、実在する軍事組織を憲法で縛っておくことの重要性は大きい。
かつて存在した「自衛隊を解散して日本は非武装になるべきだ」との主張は、現行の憲法との整合性は保たれる主張だが、現実離れしており、掲げていた社会党も、連立政権に参画して現実に向き合わざるを得なくなり、自衛隊は合憲だと転換せざるを得なかった。だが、第九条は変わっていないから、現実との乖離は続いている。
憲法第九条と現実との乖離は、憲法が「国家権力を縛る」ことを損なっている。近代憲法は、主権者である人々の権利と自由を守るために 国家権力を制限するものだが、国家権力が有する暴力措置の最たるものである軍事組織が実在するのに、その存在について現行憲法には明確な規定がない。例えば、軍事組織が国内で治安出動してもいいのか悪いのか憲法には何も書かれていない。
軍事組織が圧倒的な政治力を持つようになり、戦線の拡大に歯止めが効かなくなって、無謀な戦争に突入した結果、人々が苦しみ、国土が外国軍に占領され、国家の独立が失われたという歴史が日本にはある。あのような軍事組織の暴走を許さないためには、憲法で軍事組織に対する縛りを明確にすることが不可欠だ。
現実に存在する軍事組織の行動に対する制約を憲法に明記することは、いわゆる平和憲法の価値を損なうものではなく、現実的な国家的規範としての憲法の効力を高めるものであろう。議論すべきは、憲法で軍事組織をどう規定し、その行動の制約をどのように書き込むかということだ。
いわゆる護憲派は現行憲法を聖典と祭り上げて一切の変更を拒否する一方、いわゆる改憲派は自衛隊を「普通」の軍隊に位置付けたり、国家権力に対する憲法の制限を緩和することを目指しているようだ。改憲という言葉は中立的なものだが、現在の日本では改憲=復古的な国家主義への志向とみなされる。もっと民主主義を強め、もっと主権在民を強めるための改憲があるはずだ。
憲法に自衛隊に関する制約を明記するのは、現実との乖離を解消して国家権力に対する憲法の拘束力を強める。軍事組織が暴走したことがある日本の歴史を踏まえるなら、実在する軍事組織を憲法で縛っておくことの重要性は大きい。
2018年3月31日土曜日
強権国家は国境外も脅かす
2年前のクーデター未遂で非常事態が宣言されて以来、トルコでは16万人が逮捕され、公務員15万人余が解雇されるなど人権状況が悪化していると国連が報告書で指摘した。また、テロ対策を理由にクルド人に対する殺人や暴行、拷問などが行われている疑いがあると懸念を示した。
そうした政治の中心にいるのがエルドアン大統領だ。3期12年間に渡って首相を務め、2014年から大統領職にある。首相時代には、経済を成長させ、国内外で友好的な対話路線に基づく関係改善を進めるなど、それなりの評価を得ている政治家だった。だが、長く権力の座にいたため権力の「毒」が回ったのか、次第に強権的な政治家へと変貌した。
強権による統治を正当化するには、敵を設定して脅威を煽ることが手っ取り早い。国内でクルドの弾圧に方向転換したトルコはさらに、隣国シリアのクルド人民兵部隊が脅威だと、シリアに侵攻して軍事行動を続けている。シリアにはトルコの主権は及ばないはずだが、内戦状態のシリアにはトルコの軍事行動を止める力はない。
ある国において強権による統治が行われているとき、その強権に抑圧されるのは国内にいる人々だけだと見える。だが、強権による統治が成立しているのは、国内において権力に対する制約、監視が失われているからであり、そうした強権政府に周辺国の人々も脅かされる。
国内で人々を強権で抑圧している政権が、国際社会においては既成の秩序におとなしく従うなら国際社会に及ぼす影響は限定的だ。だが強権政府が国際社会で、既成の秩序に従うことよりも自己主張を強める言動をとることは、トルコの他にも中国、ロシアなどの例で明らかだ。
ある国において、自由選挙により選出された代表による議会が国政の方向を定めるという民主主義が維持されることは、その国に住む人々にとって、強権による抑圧政治より、はるかにマシだろうが、周辺国の人々や国際社会にとっても歓迎すべきことなのだ。
強権による統治体制の国家は、対外的に攻撃的で時には侵略的になる。それは、民主主義など「普遍」を目指す価値観を示すことができず、独自のナショナリズムぐらいしか掲げるものがないからだ。それは他国と共有することが困難であり、外交の場では無力である。外交(言葉)が無力であるから、対外的にも強権に頼ることになる。
そうした政治の中心にいるのがエルドアン大統領だ。3期12年間に渡って首相を務め、2014年から大統領職にある。首相時代には、経済を成長させ、国内外で友好的な対話路線に基づく関係改善を進めるなど、それなりの評価を得ている政治家だった。だが、長く権力の座にいたため権力の「毒」が回ったのか、次第に強権的な政治家へと変貌した。
強権による統治を正当化するには、敵を設定して脅威を煽ることが手っ取り早い。国内でクルドの弾圧に方向転換したトルコはさらに、隣国シリアのクルド人民兵部隊が脅威だと、シリアに侵攻して軍事行動を続けている。シリアにはトルコの主権は及ばないはずだが、内戦状態のシリアにはトルコの軍事行動を止める力はない。
ある国において強権による統治が行われているとき、その強権に抑圧されるのは国内にいる人々だけだと見える。だが、強権による統治が成立しているのは、国内において権力に対する制約、監視が失われているからであり、そうした強権政府に周辺国の人々も脅かされる。
国内で人々を強権で抑圧している政権が、国際社会においては既成の秩序におとなしく従うなら国際社会に及ぼす影響は限定的だ。だが強権政府が国際社会で、既成の秩序に従うことよりも自己主張を強める言動をとることは、トルコの他にも中国、ロシアなどの例で明らかだ。
ある国において、自由選挙により選出された代表による議会が国政の方向を定めるという民主主義が維持されることは、その国に住む人々にとって、強権による抑圧政治より、はるかにマシだろうが、周辺国の人々や国際社会にとっても歓迎すべきことなのだ。
強権による統治体制の国家は、対外的に攻撃的で時には侵略的になる。それは、民主主義など「普遍」を目指す価値観を示すことができず、独自のナショナリズムぐらいしか掲げるものがないからだ。それは他国と共有することが困難であり、外交の場では無力である。外交(言葉)が無力であるから、対外的にも強権に頼ることになる。
2018年3月28日水曜日
北国の長い春
春分の日に東京の奥多摩など関東西部を中心に雪が降った。気温は上がらず、最高気温は東京都心で6.6度にとどまり、「真冬並みの寒さ」と報じられた。真冬並みとされた6.6度という気温は、例えば、3月の北海道では、今日は割に暖かいねと人々は感じるだろう。同じ気温でも、真冬に戻ったと感じたり、春の兆しを感じたり、地域によって受け止め方は大きく異なる。
気象用語で冬は「12月から2月までの期間」、春は「3月から5月までの期間」とされるが、境目は明確ではなく、より正確を期するなら「冬と夏の間」とでも定義するしかない。個人によっても寒暖の感じ方は異なろうし、気象は毎年変化するので季節の移り変わりは漠然としている。
しかし、桜の開花や満開、梅雨の始まりと終わりなど気象庁は宣言している。同じように季節の始まりを「○月○日から春になったとみられます」などと宣言しても良さそうだが、そんな気配はない。梅雨関係の宣言は相当にあやふやなのに気象庁は続けているのだから、漠然とした季節の始まりを宣言して、あやふやであっても押し通すことができるかもしれないのにね。
季節の移行期は不安定で、特に春や秋の天候の予想は難しいだろうから、季節の始まりの宣言は気象庁にとってハードルが高いのかもしれない。3月に関東に降雪をもたらす南岸低気圧は、辿るコースの少しの違いで雪になったり雨になったり微妙だというから、「春になりました」宣言などには手を出さないほうが懸命か。
それに、季節の移り変わりを気象庁に決めてもらう必要はないと考える人も多いだろう。四季がはっきりしている日本で、季節感を日本人は大切にし、文学の欠かせないテーマにもなってきた。季節感は個人の感性によるところが大きいので、「春になりました」宣言などは余計なお世話だと批判が出ることは間違いない。
北国では最高気温が5度、6度にもなれば春の兆しである。積雪が日ごとに低くなり、立木の根元ではいち早く地面が見え、道路から雪が消える。春は、東京などでは3、4月くらいだろうが、北国では3月下旬から6月までと長かったりする。
さらに、宣言する前に季節の定義を明確化する必要があるが、そうした定義は難しそうだ。平均気温が季節の目安になりそうだが、例えば、「平均気温が10度を超えたから春になりました」などと宣言することに、さほどの意味はない。やはり季節の変化は日本各地で個人がそれぞれに感じ、判断することか。
気象用語で冬は「12月から2月までの期間」、春は「3月から5月までの期間」とされるが、境目は明確ではなく、より正確を期するなら「冬と夏の間」とでも定義するしかない。個人によっても寒暖の感じ方は異なろうし、気象は毎年変化するので季節の移り変わりは漠然としている。
しかし、桜の開花や満開、梅雨の始まりと終わりなど気象庁は宣言している。同じように季節の始まりを「○月○日から春になったとみられます」などと宣言しても良さそうだが、そんな気配はない。梅雨関係の宣言は相当にあやふやなのに気象庁は続けているのだから、漠然とした季節の始まりを宣言して、あやふやであっても押し通すことができるかもしれないのにね。
季節の移行期は不安定で、特に春や秋の天候の予想は難しいだろうから、季節の始まりの宣言は気象庁にとってハードルが高いのかもしれない。3月に関東に降雪をもたらす南岸低気圧は、辿るコースの少しの違いで雪になったり雨になったり微妙だというから、「春になりました」宣言などには手を出さないほうが懸命か。
それに、季節の移り変わりを気象庁に決めてもらう必要はないと考える人も多いだろう。四季がはっきりしている日本で、季節感を日本人は大切にし、文学の欠かせないテーマにもなってきた。季節感は個人の感性によるところが大きいので、「春になりました」宣言などは余計なお世話だと批判が出ることは間違いない。
北国では最高気温が5度、6度にもなれば春の兆しである。積雪が日ごとに低くなり、立木の根元ではいち早く地面が見え、道路から雪が消える。春は、東京などでは3、4月くらいだろうが、北国では3月下旬から6月までと長かったりする。
さらに、宣言する前に季節の定義を明確化する必要があるが、そうした定義は難しそうだ。平均気温が季節の目安になりそうだが、例えば、「平均気温が10度を超えたから春になりました」などと宣言することに、さほどの意味はない。やはり季節の変化は日本各地で個人がそれぞれに感じ、判断することか。
2018年3月24日土曜日
安定を求めること
民主主義が実施されている国であることは、その国に住む人々にとって、強権で抑圧される支配よりマシだろう。民主主義の結果として、多様な利害関係が反映する議会が構成され、議論ばかりで「決められない」議会になったり、政治が機能していないように見えたとしても、強権で抑圧されるより遥かにマシだろう。
民主主義が実施されている国では政府は、揺れ動く民意の反映として形成されるので常に現在形である(不安定ともいえる)。議論が百出し、長期的な展望に基づく政治ではなく、日々の変化に対応するだけの政治が行われているようにも見える。そうした現在形(不安定)の政治こそが民主主義による政治の「証」であるのかもしれない。
安定した政治(政府)を求めるなら、揺れ動く民意を政治に反映することを制限すべきという発想が生まれる。そこで問題になるのは、どこまで民意の反映を制限するかということだが、これは権力の正統性と関わる。許容される民意反映の制限の範囲は明確ではないし、社会状況によって常に変化する。
民意反映の制限は、民主主義においては許されないという考えもある。「主権者が自由投票により選出した代表による議会が国政の方向性を定めること」と民主主義を定義するなら、民意反映の制限は民主主義に背を向ける発想になる。だから、別の大義名分を掲げて選挙制度を手直しするぐらいが現実に行われる民意反映の制限となる。
安定した政治(政府)を求める声が高まり、民意反映の制限を主張する勢力に主権者が自由選挙で多数議席を与え、政権を委ねるならば、民意反映の制限が行われよう。民主主義の弱点は、民主主義の否定を民主主義によって行うことができることだ。歴史上に実例は多々ある。
ここで問われているのは、政治の安定が意味するものは何かである。強権による抑圧政治が行われている国は外からは、安定しているように見える。異論を許さず、強権で封じ込めるのだから表面的には安定して見えるが、抑圧された人々は移民を夢見たりする。政治の安定そのものに価値はあるのか。
民意が揺れ動くものであるなら、民意を反映した政治が揺れ動くのは当然だと、民主主義を支持する主権者は理解すべきだろう。政治に安定など求めず、民意を反映した揺れ動く政治を常態だと見て、向き合い続けることが民主主義を維持するためには必要なのだ。
民主主義が実施されている国では政府は、揺れ動く民意の反映として形成されるので常に現在形である(不安定ともいえる)。議論が百出し、長期的な展望に基づく政治ではなく、日々の変化に対応するだけの政治が行われているようにも見える。そうした現在形(不安定)の政治こそが民主主義による政治の「証」であるのかもしれない。
安定した政治(政府)を求めるなら、揺れ動く民意を政治に反映することを制限すべきという発想が生まれる。そこで問題になるのは、どこまで民意の反映を制限するかということだが、これは権力の正統性と関わる。許容される民意反映の制限の範囲は明確ではないし、社会状況によって常に変化する。
民意反映の制限は、民主主義においては許されないという考えもある。「主権者が自由投票により選出した代表による議会が国政の方向性を定めること」と民主主義を定義するなら、民意反映の制限は民主主義に背を向ける発想になる。だから、別の大義名分を掲げて選挙制度を手直しするぐらいが現実に行われる民意反映の制限となる。
安定した政治(政府)を求める声が高まり、民意反映の制限を主張する勢力に主権者が自由選挙で多数議席を与え、政権を委ねるならば、民意反映の制限が行われよう。民主主義の弱点は、民主主義の否定を民主主義によって行うことができることだ。歴史上に実例は多々ある。
ここで問われているのは、政治の安定が意味するものは何かである。強権による抑圧政治が行われている国は外からは、安定しているように見える。異論を許さず、強権で封じ込めるのだから表面的には安定して見えるが、抑圧された人々は移民を夢見たりする。政治の安定そのものに価値はあるのか。
民意が揺れ動くものであるなら、民意を反映した政治が揺れ動くのは当然だと、民主主義を支持する主権者は理解すべきだろう。政治に安定など求めず、民意を反映した揺れ動く政治を常態だと見て、向き合い続けることが民主主義を維持するためには必要なのだ。
2018年3月21日水曜日
忘れることの恩恵
東日本大震災から7年目を迎えた2018年3月11日。「あの日を忘れない」をテーマにした特番や特集がテレビや新聞に現れたが、翌日にはほとんど消えた。8月15日などと同じように回顧ネタになったことは、非日常であった大震災の体験や記憶が、日常の中で薄まったとも風化しつつあるとも言える。
特別な体験や記憶を「いつまでも忘れない」ことが正しく、「いつまでも」忘れずにいるべきだと考える人もいようが、人は非日常の中で生き続けることはできない。日常を回復し、非日常の悲惨な記憶が薄れていくことで人は救われる面もある。忘れることの恩恵だ。
東日本大震災のような大きな出来事では人は「共通」の体験や記憶を持つと錯覚しやすい。当然ながら体験や記憶は人により異なり、例えば、テレビ画面で津波の映像を見た人と、津波に襲われた人の体験や記憶は同質のものではない。しかし、大震災を同じように体験したとの先入観があると、体験や記憶は皆同じだと誤解する。
「忘れない」の意味が当時のテレビ映像を思い出すことだったなら気軽に言うこともできようが、目の前で津波に街が襲われ、住宅が流され、多くの人が傷ついたことを見て、自身はやっと助かった体験を有する被災地の人に向かって、他人が軽々に言える言葉ではなかろう。
東日本大震災は巨大災害であり、東北の太平洋側のみならず日本列島の多くの場所で人はそれぞれに大震災を体験した。それらの体験や記憶を集めたとしても、標準的な体験や記憶を抽出することはできない。存在するのは個別の体験や記憶であり、データ化可能なら記録として伝えていくべきものだ。
過酷な記憶でも日常の中で次第に風化するのは自然なことであり、記憶が薄らぐことが人の再起を助ける。切り傷がやがてカサブタに覆われるように「忘れる」ことによっても人は「心の傷」を癒すのだろう。テレビ特番などが「忘れない」と強調するのは簡単だが、「忘れない」の意味は東京などのマスメディアと被災者とでは同じではない。
感情や情緒を伝えるためには、受け手の感情や情緒を揺さぶることが必要になる。体験を共有しない人を対象にした時には、感情や情緒を揺さぶる演出が駆使される。そうした演出が、伝えるということを歪めるのは日本でも世界でも珍しくない。
特別な体験や記憶を「いつまでも忘れない」ことが正しく、「いつまでも」忘れずにいるべきだと考える人もいようが、人は非日常の中で生き続けることはできない。日常を回復し、非日常の悲惨な記憶が薄れていくことで人は救われる面もある。忘れることの恩恵だ。
東日本大震災のような大きな出来事では人は「共通」の体験や記憶を持つと錯覚しやすい。当然ながら体験や記憶は人により異なり、例えば、テレビ画面で津波の映像を見た人と、津波に襲われた人の体験や記憶は同質のものではない。しかし、大震災を同じように体験したとの先入観があると、体験や記憶は皆同じだと誤解する。
「忘れない」の意味が当時のテレビ映像を思い出すことだったなら気軽に言うこともできようが、目の前で津波に街が襲われ、住宅が流され、多くの人が傷ついたことを見て、自身はやっと助かった体験を有する被災地の人に向かって、他人が軽々に言える言葉ではなかろう。
東日本大震災は巨大災害であり、東北の太平洋側のみならず日本列島の多くの場所で人はそれぞれに大震災を体験した。それらの体験や記憶を集めたとしても、標準的な体験や記憶を抽出することはできない。存在するのは個別の体験や記憶であり、データ化可能なら記録として伝えていくべきものだ。
過酷な記憶でも日常の中で次第に風化するのは自然なことであり、記憶が薄らぐことが人の再起を助ける。切り傷がやがてカサブタに覆われるように「忘れる」ことによっても人は「心の傷」を癒すのだろう。テレビ特番などが「忘れない」と強調するのは簡単だが、「忘れない」の意味は東京などのマスメディアと被災者とでは同じではない。
感情や情緒を伝えるためには、受け手の感情や情緒を揺さぶることが必要になる。体験を共有しない人を対象にした時には、感情や情緒を揺さぶる演出が駆使される。そうした演出が、伝えるということを歪めるのは日本でも世界でも珍しくない。
2018年3月17日土曜日
財務省版の大本営発表
報道によると、交渉記録は廃棄したと佐川氏が国会で答弁した数日後に、財務省本省の理財局が近畿財務局に、「特例承認」の決済文書の書き換えを指示した。佐川氏が隠蔽しようとした交渉の経緯が決済文書に多く書かれていたので、辻褄を合わせるために、佐川氏の答弁の訂正ではなく、決済文書を改ざんすることを財務省は選択した。
これが「省庁の中の省庁」と呼ばれる財務省の実態だった。財務省が認めた決済文書の書き換えは驚きを持って受け止められ、「許されることではない」「あってはならないこと」「極めて悪質」などの批判がある一方、「よほどの事情があったのだろう」と不正を許す歪みが財務省内に存在することが推定された。
自分たちの都合に合わせて役人が決済文章を書き換えることが許されるのなら、役人は誰に対しても責任を持たない。自分らに都合の悪いことは、いくらでも後に修正することができるのだから、日本は役人天国になる。役人は上位にある力に従ってさえいれば何をやってもいいとなれば、法治の体をなさない。
役所や役人に不都合な事柄があれば彼らが決済文書に手を入れ、過去に遡って「事実」を書き換えたり、削除したりすることがまかり通るとなれば、役所や役人は情報公開に積極的になるだろう。情報をいかようにもコントロールできるのだから役所や役人は大歓迎だ。
今回の決済文書書き換えは、大げさにいうなら歴史の書き換えであり、歴史の創作である。公文書は歴史的には史料であるはずだが、役所や役人による事実に基づかない書き換えが紛れ込んでいるならば、それはもう史料ではなく歴史小説に近づく。今回の書き換えた決済文書は、財務省版の大本営発表だったのかもしれない。
情報公開には消極的で、様々な理由をつけて情報隠蔽に動く中央や地方の官庁にとって「省庁の中の省庁」財務省の実態はどう受け止められたのか。公文書管理のずさん極まる扱いは財務省も同じだったのかと安堵した……はずはなかろうが、財務省が特異な例外で他の中央や地方の官庁は厳正に公文書を管理しているのだろうか。
決済文書書き換えは、ありえないと思われていたから大きな驚きなのだが、実は役所や役人の「必要」に応じて行われていたとする見方を、否定する根拠も肯定する根拠もない。「省庁の中の省庁」で行われていたのなら、そう珍しい行為ではないかもしれないという疑いが出てくる。全官庁における調査が必要だ。
これが「省庁の中の省庁」と呼ばれる財務省の実態だった。財務省が認めた決済文書の書き換えは驚きを持って受け止められ、「許されることではない」「あってはならないこと」「極めて悪質」などの批判がある一方、「よほどの事情があったのだろう」と不正を許す歪みが財務省内に存在することが推定された。
自分たちの都合に合わせて役人が決済文章を書き換えることが許されるのなら、役人は誰に対しても責任を持たない。自分らに都合の悪いことは、いくらでも後に修正することができるのだから、日本は役人天国になる。役人は上位にある力に従ってさえいれば何をやってもいいとなれば、法治の体をなさない。
役所や役人に不都合な事柄があれば彼らが決済文書に手を入れ、過去に遡って「事実」を書き換えたり、削除したりすることがまかり通るとなれば、役所や役人は情報公開に積極的になるだろう。情報をいかようにもコントロールできるのだから役所や役人は大歓迎だ。
今回の決済文書書き換えは、大げさにいうなら歴史の書き換えであり、歴史の創作である。公文書は歴史的には史料であるはずだが、役所や役人による事実に基づかない書き換えが紛れ込んでいるならば、それはもう史料ではなく歴史小説に近づく。今回の書き換えた決済文書は、財務省版の大本営発表だったのかもしれない。
情報公開には消極的で、様々な理由をつけて情報隠蔽に動く中央や地方の官庁にとって「省庁の中の省庁」財務省の実態はどう受け止められたのか。公文書管理のずさん極まる扱いは財務省も同じだったのかと安堵した……はずはなかろうが、財務省が特異な例外で他の中央や地方の官庁は厳正に公文書を管理しているのだろうか。
決済文書書き換えは、ありえないと思われていたから大きな驚きなのだが、実は役所や役人の「必要」に応じて行われていたとする見方を、否定する根拠も肯定する根拠もない。「省庁の中の省庁」で行われていたのなら、そう珍しい行為ではないかもしれないという疑いが出てくる。全官庁における調査が必要だ。
2018年3月14日水曜日
ファースト・スター
宇宙最古の星であるファースト・スターに由来する電波を初めて検出したと米などの研究チームが発表した。検出された電波は136億年ほど前に存在していたファースト・スターの活動を示すもので、その痕跡が宇宙背景放射に残っているという。
ファースト・スターとは宇宙で最初に誕生した星々のこと。宇宙誕生(138億年前)後の2億年以内に水素が集まって誕生した太陽の40〜100倍の質量という巨大な恒星で、紫外線を放射したと考えられている。質量の大きい星ほど寿命が短く、ファースト・スターは数百万年ほどで寿命を終えたと見られ、現在の宇宙には残っていない。
ファースト・スターに由来する電波だと認められるためには、他の研究者らによる観測でも同様の結果が得られることが必要だが、報道によると、ノーベル賞を受賞した2015年の重力波検出以降で最大級の天文学的発見だとの声も上がっているという。
ファースト・スターが誕生して宇宙の暗黒時代が終わった(『ミクロの窓から宇宙を探る』藤田貢崇)。宇宙の暗黒時代とは、宇宙誕生の38万年後の宇宙の晴れ上がりから数億年のことで、宇宙では水素やヘリウムが均等に分布していたので恒星が誕生しにくかった。暗黒物質(ダークマター)に水素やヘリウムが引き寄せられてファースト・スターが生まれたと考えられ、今回の検出により暗黒物質の解明が進むとも期待されている。
地球も人類も存在していなかった頃なのに、ファースト・スターがあったと考えられるようになったのは、現在の宇宙に存在する古い星に含まれる重い元素の割合が多いため、宇宙創世の初期に巨大な恒星が存在して、超新星爆発をして重い元素を撒き散らしたと見られているからだ。
どうやって重い元素はできたか。質量が重い恒星でも中心核で核融合によりつくられるのは鉄までで、鉄より重い元素は超新星爆発の時の途方もないエネルギーにより核融合が連鎖的に起こってウランまでがつくられる。ファースト・スターが存在して、最後に超新星爆発をしたと考えるなら、現在の宇宙の説明がつく。
鉄より重い元素は地球にも大量に存在し、それらを人類は様々に利用・活用し、近代文明をつくりあげた。地球に存在する重い元素にもファースト・スターが残してくれたものが含まれているだろう。我々はファースト・スターのかけらとともに生きているのだ。
ファースト・スターとは宇宙で最初に誕生した星々のこと。宇宙誕生(138億年前)後の2億年以内に水素が集まって誕生した太陽の40〜100倍の質量という巨大な恒星で、紫外線を放射したと考えられている。質量の大きい星ほど寿命が短く、ファースト・スターは数百万年ほどで寿命を終えたと見られ、現在の宇宙には残っていない。
ファースト・スターに由来する電波だと認められるためには、他の研究者らによる観測でも同様の結果が得られることが必要だが、報道によると、ノーベル賞を受賞した2015年の重力波検出以降で最大級の天文学的発見だとの声も上がっているという。
ファースト・スターが誕生して宇宙の暗黒時代が終わった(『ミクロの窓から宇宙を探る』藤田貢崇)。宇宙の暗黒時代とは、宇宙誕生の38万年後の宇宙の晴れ上がりから数億年のことで、宇宙では水素やヘリウムが均等に分布していたので恒星が誕生しにくかった。暗黒物質(ダークマター)に水素やヘリウムが引き寄せられてファースト・スターが生まれたと考えられ、今回の検出により暗黒物質の解明が進むとも期待されている。
地球も人類も存在していなかった頃なのに、ファースト・スターがあったと考えられるようになったのは、現在の宇宙に存在する古い星に含まれる重い元素の割合が多いため、宇宙創世の初期に巨大な恒星が存在して、超新星爆発をして重い元素を撒き散らしたと見られているからだ。
どうやって重い元素はできたか。質量が重い恒星でも中心核で核融合によりつくられるのは鉄までで、鉄より重い元素は超新星爆発の時の途方もないエネルギーにより核融合が連鎖的に起こってウランまでがつくられる。ファースト・スターが存在して、最後に超新星爆発をしたと考えるなら、現在の宇宙の説明がつく。
鉄より重い元素は地球にも大量に存在し、それらを人類は様々に利用・活用し、近代文明をつくりあげた。地球に存在する重い元素にもファースト・スターが残してくれたものが含まれているだろう。我々はファースト・スターのかけらとともに生きているのだ。
2018年3月10日土曜日
朝鮮半島人の外交
韓国の大統領特使団が北朝鮮を訪問し、金正恩氏に親書を渡し、夕食を含め4時間にわたり会談したという。報道によると、4月に韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩委員長が板門店で会談することで合意したほか、北朝鮮側は米国と対話する用意があるとし、対話が続いている間、核実験や弾道ミサイル発射を凍結するそうだ。
さらに北朝鮮は、軍事的脅威が解消されて体制の安全が保証されれば核を保有する理由がないとし、核兵器や通常兵器を韓国に向かって使用しないと確約したと韓国側は発表。また、南北の首脳間にホットラインを設置し、首脳会談前に電話協議することでも合意したという。
ここで問題になるのは、北の言うことをどこまで信用できるかということだ。北には前科がたっぷりある。1991年に南北は朝鮮半島における非核化に関する共同宣言に合意し、核兵器の製造・保有の禁止、核燃料の再処理施設やウラン濃縮施設の非保有などを明記したが、93年に北はNPTからの離脱を宣言し、94年にIAEAからの脱退を宣言。
94年に北は米国と核開発の凍結、国交正常化などで枠組み合意し、米国は北に年50万tの重油を供与するようになり、2000年には初の南北首脳会談で平和統一の実現に向け南北共同宣言を行ったが、02年に北は高濃縮ウランによる核開発の計画を認め、03年にNPT脱退を再度宣言、米朝枠組み合意の破綻が明確化した。
北は05年に核兵器の保有を宣言し、06年に初の地下核実験を行った。07年に南北は2回目の首脳会談を行ったが、外交的な成果は乏しく、09年に北は2回目の核実験を実施し、10年には北による韓国哨戒艇沈没事件や大延坪島砲撃などで緊張が高まった。北は13年に1回、16年に2回、17年に1回の地下核実験を行ったほか、中長距離弾道ミサイルの発射を続けている。
歴史が示しているのは、北朝鮮は外交交渉で何を決めようと密かに核開発を続けていたという事実だ。過去に何度も外交による取り決めを破ってきた国が、新たな外交交渉では忠実に取り決めを守ると信ずべき根拠は乏しい。北の国家体制が同じであるので、今後も同様の行動をすると判断するのが合理的だろう。
外交交渉で決めたことを一方的に破るというのは南にも見られる行動だ。韓国は新政権に移行して以来、2015年の日韓合意の実質的な否認を始めた。また、以前から韓国は1965年の日韓基本条約についても、様々な請求権を新たに設定して一方的に「解釈」し直している。
北でも南でも同じように、外交交渉で決めたことを一方的にひっくり返してきたという歴史から浮かび上がるのは、朝鮮半島人にとって外交交渉で決めたことは、自己の都合で一方的に変更可能だという思考が存在するらしいことだ。それが事実なら、朝鮮半島人の国家を相手にした外交交渉では、後日に一方的にひっくり返される可能性があると覚悟しておく必要がある。
さらに北朝鮮は、軍事的脅威が解消されて体制の安全が保証されれば核を保有する理由がないとし、核兵器や通常兵器を韓国に向かって使用しないと確約したと韓国側は発表。また、南北の首脳間にホットラインを設置し、首脳会談前に電話協議することでも合意したという。
ここで問題になるのは、北の言うことをどこまで信用できるかということだ。北には前科がたっぷりある。1991年に南北は朝鮮半島における非核化に関する共同宣言に合意し、核兵器の製造・保有の禁止、核燃料の再処理施設やウラン濃縮施設の非保有などを明記したが、93年に北はNPTからの離脱を宣言し、94年にIAEAからの脱退を宣言。
94年に北は米国と核開発の凍結、国交正常化などで枠組み合意し、米国は北に年50万tの重油を供与するようになり、2000年には初の南北首脳会談で平和統一の実現に向け南北共同宣言を行ったが、02年に北は高濃縮ウランによる核開発の計画を認め、03年にNPT脱退を再度宣言、米朝枠組み合意の破綻が明確化した。
北は05年に核兵器の保有を宣言し、06年に初の地下核実験を行った。07年に南北は2回目の首脳会談を行ったが、外交的な成果は乏しく、09年に北は2回目の核実験を実施し、10年には北による韓国哨戒艇沈没事件や大延坪島砲撃などで緊張が高まった。北は13年に1回、16年に2回、17年に1回の地下核実験を行ったほか、中長距離弾道ミサイルの発射を続けている。
歴史が示しているのは、北朝鮮は外交交渉で何を決めようと密かに核開発を続けていたという事実だ。過去に何度も外交による取り決めを破ってきた国が、新たな外交交渉では忠実に取り決めを守ると信ずべき根拠は乏しい。北の国家体制が同じであるので、今後も同様の行動をすると判断するのが合理的だろう。
外交交渉で決めたことを一方的に破るというのは南にも見られる行動だ。韓国は新政権に移行して以来、2015年の日韓合意の実質的な否認を始めた。また、以前から韓国は1965年の日韓基本条約についても、様々な請求権を新たに設定して一方的に「解釈」し直している。
北でも南でも同じように、外交交渉で決めたことを一方的にひっくり返してきたという歴史から浮かび上がるのは、朝鮮半島人にとって外交交渉で決めたことは、自己の都合で一方的に変更可能だという思考が存在するらしいことだ。それが事実なら、朝鮮半島人の国家を相手にした外交交渉では、後日に一方的にひっくり返される可能性があると覚悟しておく必要がある。
2018年3月7日水曜日
現状変更か、現状追認か
米トランプ政権がイスラエル大使館を5月に、現在のテルアビブからエルサレムに移転すると発表した。とりあえずはエルサレムにある米国の総領事館の建物に大使館機能を移転し、最終的な移転先は未定だというから、イスラエル建国70周年に合わせ、エルサレムを首都と認めるという米国からのプレゼントだ。
エルサレムを永遠の首都とするイスラエルは大歓迎しているが、東エルサレムを将来の独立国家の首都とするパレスチナ側は強く反発している。昨年12月に国連総会の緊急特別会合は、米国がエルサレムをイスラエルの首都に認定した決定は無効とする決議を賛成多数で採択していた(安保理がエルサレム首都認定の撤回を求める決議案を採決したが、米国が拒否権を行使)。
国連総会の決議には拘束力はないが、9カ国が反対したものの圧倒的多数の128カ国が賛成したのだから、エルサレムがイスラエルの首都だと認めないのは国際社会の総意に近いものだろう(棄権35カ国)。これまでは、親イスラエルの米国政府もエルサレムの首都認定を先送りし続けてきた。
トランプ政権の決定は、現状変更なのか、現状追認なのか。エルサレムをイスラエルの首都とは認めないというのが現状だと認識する立場からは、現状変更だと解釈するだろう。一方、第三次中東戦争(1967年)でイスラエルがエルサレム全体を制圧し、エルサレムはイスラエル支配下にあるからとイスラエルの主張を認めるなら、現状追認の現実的な対応だと主張するだろう。
イスラエルとパレスチナが共存を目指すことで同意したオスロ合意(1993年)では、エルサレム問題は最終地位交渉でイスラエルとパレスチナが話し合って決めると先送り・棚上げした。しかし、共存を目指す和平プロセスは行き詰まり、オスロ合意は事実上、破綻している。
今回のトランプ政権の決定は、中東において米国が中立的な仲介者であると装うことを放棄した宣言でもある。イスラエル寄りであった米国が中立を装うことができたのは、イスラエルの主張に一定の距離を置く姿勢を保ったからだが、もう米国には中東における仲介役は務まらなくなる。
トランプ政権の決定は、中東の流動化を更に促すだろう。アフガニスタン、イラク、リビア、シリアと実質的な国家解体が続いてきたが、パレスチナ国家への道は保たれてきた。それが消えようとしている。理念も原則もなく、ただ現状を追認するだけでは中東におけるイスラエルの力の支配を無原則に肯定するだけになる。
エルサレムを永遠の首都とするイスラエルは大歓迎しているが、東エルサレムを将来の独立国家の首都とするパレスチナ側は強く反発している。昨年12月に国連総会の緊急特別会合は、米国がエルサレムをイスラエルの首都に認定した決定は無効とする決議を賛成多数で採択していた(安保理がエルサレム首都認定の撤回を求める決議案を採決したが、米国が拒否権を行使)。
国連総会の決議には拘束力はないが、9カ国が反対したものの圧倒的多数の128カ国が賛成したのだから、エルサレムがイスラエルの首都だと認めないのは国際社会の総意に近いものだろう(棄権35カ国)。これまでは、親イスラエルの米国政府もエルサレムの首都認定を先送りし続けてきた。
トランプ政権の決定は、現状変更なのか、現状追認なのか。エルサレムをイスラエルの首都とは認めないというのが現状だと認識する立場からは、現状変更だと解釈するだろう。一方、第三次中東戦争(1967年)でイスラエルがエルサレム全体を制圧し、エルサレムはイスラエル支配下にあるからとイスラエルの主張を認めるなら、現状追認の現実的な対応だと主張するだろう。
イスラエルとパレスチナが共存を目指すことで同意したオスロ合意(1993年)では、エルサレム問題は最終地位交渉でイスラエルとパレスチナが話し合って決めると先送り・棚上げした。しかし、共存を目指す和平プロセスは行き詰まり、オスロ合意は事実上、破綻している。
今回のトランプ政権の決定は、中東において米国が中立的な仲介者であると装うことを放棄した宣言でもある。イスラエル寄りであった米国が中立を装うことができたのは、イスラエルの主張に一定の距離を置く姿勢を保ったからだが、もう米国には中東における仲介役は務まらなくなる。
トランプ政権の決定は、中東の流動化を更に促すだろう。アフガニスタン、イラク、リビア、シリアと実質的な国家解体が続いてきたが、パレスチナ国家への道は保たれてきた。それが消えようとしている。理念も原則もなく、ただ現状を追認するだけでは中東におけるイスラエルの力の支配を無原則に肯定するだけになる。
2018年3月3日土曜日
摘発される側と摘発する側
2012年11月からの習近平指導部の1期目の5年間で、官級以上の高官で280人、局長級で8600人を汚職で摘発したという。大物幹部では周永康前政治局常務委員、薄熙来元重慶市党委書記、郭伯雄・徐才厚の両前中央軍事委副主席、令計画前党中央弁公庁主任らが摘発された。
末端組織でも摘発が行われ、規律違反や違法行為で処分を受けた党員は5年間で130万人以上とも200万人以上ともいう。最近でも大物幹部の孫政才政治局員らが摘発され、楊晶国務委員(副首相級)が免職処分になるなど共青団関係にも容赦なくなり、「反腐敗闘争」は続いている。
収賄や公費流用などが厳しく摘発されて中国が「クリーン」な国家になるのなら慶賀の至りだが、「虎もハエも一網打尽にする」との言葉を真に受ける人ばかりではない。習主席が政敵を失脚させるために腐敗摘発を利用しているとの批判があり、公平性については疑問が拭えない。
大物幹部から末端組織まで、これほどの摘発が行われたということは、中国で腐敗が蔓延していたということだ。それは腐敗が特別の行為ではなかったことを意味し、摘発の公平性について疑問が出ているのは、摘発される腐敗と摘発されない腐敗が存在するからだろう。
摘発されない腐敗とは、例えば、習近平氏の周辺だ。パナマ文書には習近平氏の親族に関する記載があるとされ、以前にも、習近平氏の親族が3億7600万ドルの資産を保有していると米メディアが報じた。また、摘発の指揮をとっていた王岐山氏の家族や親族が米国に財産を移しているとの疑惑も出ている。
腐敗の摘発が公平に行われるとすれば、いつか習近平氏らの周辺にも摘発の矛先が向けられる可能性がある。それを避けたいと習近平氏が考えたなら、どうするか。中国では法も共産党の指導下にあるので、共産党のトップに座り続け、腐敗の摘発を指示する側に居続けることが最も確実な方法だろう。
憲法にある国家主席の任期制限を削除することで、習近平氏の3期目以降の続投が正当化される(総書記の任期については共産党の規約に明文規定がない)。権力欲があったのかもしれないが現実として、腐敗を摘発する側に居続けることが習近平氏にとって必要だった。それに、大量の摘発で失脚し、蓄積した財産を失った多くの人々の恨みの的にもなっているだろうから、最高権力者であり続けることが最高の身の安全保障になる。
末端組織でも摘発が行われ、規律違反や違法行為で処分を受けた党員は5年間で130万人以上とも200万人以上ともいう。最近でも大物幹部の孫政才政治局員らが摘発され、楊晶国務委員(副首相級)が免職処分になるなど共青団関係にも容赦なくなり、「反腐敗闘争」は続いている。
収賄や公費流用などが厳しく摘発されて中国が「クリーン」な国家になるのなら慶賀の至りだが、「虎もハエも一網打尽にする」との言葉を真に受ける人ばかりではない。習主席が政敵を失脚させるために腐敗摘発を利用しているとの批判があり、公平性については疑問が拭えない。
大物幹部から末端組織まで、これほどの摘発が行われたということは、中国で腐敗が蔓延していたということだ。それは腐敗が特別の行為ではなかったことを意味し、摘発の公平性について疑問が出ているのは、摘発される腐敗と摘発されない腐敗が存在するからだろう。
摘発されない腐敗とは、例えば、習近平氏の周辺だ。パナマ文書には習近平氏の親族に関する記載があるとされ、以前にも、習近平氏の親族が3億7600万ドルの資産を保有していると米メディアが報じた。また、摘発の指揮をとっていた王岐山氏の家族や親族が米国に財産を移しているとの疑惑も出ている。
腐敗の摘発が公平に行われるとすれば、いつか習近平氏らの周辺にも摘発の矛先が向けられる可能性がある。それを避けたいと習近平氏が考えたなら、どうするか。中国では法も共産党の指導下にあるので、共産党のトップに座り続け、腐敗の摘発を指示する側に居続けることが最も確実な方法だろう。
憲法にある国家主席の任期制限を削除することで、習近平氏の3期目以降の続投が正当化される(総書記の任期については共産党の規約に明文規定がない)。権力欲があったのかもしれないが現実として、腐敗を摘発する側に居続けることが習近平氏にとって必要だった。それに、大量の摘発で失脚し、蓄積した財産を失った多くの人々の恨みの的にもなっているだろうから、最高権力者であり続けることが最高の身の安全保障になる。
2018年2月28日水曜日
人間となりたまいし
大雪に見舞われた1936年2月下旬の東京で、青年将校に率いられた陸軍兵士ら約1500人が、「尊皇討奸」をかかげて決起したのが二・二六事件。国家改造の断行を要求し、総理大臣官邸、大蔵大臣や内大臣らの私邸、各新聞社、警視庁、陸軍省、参謀本部などを襲撃・占拠したが、反乱軍とされ、原隊復帰の奉勅命令が出され、鎮圧された。
信頼していた側近が殺傷されたとの報に天皇は激怒し、当初から反乱軍を賊軍とみなし、反乱部隊の鎮圧を求め、「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接、近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」とまで言い、徹底鎮圧を指示したという。
当時は天皇が絶対的な存在であり、天皇制が日本の国体の中枢にある存在と見なされていた。決起した軍人らは、いわゆる君側の奸を排除し、政治体制を一新することで腐敗を正し、東北などの農村の困窮を救うことなどを掲げたのだが、彼らの意向を当時の天皇は問題にしなかったと伝えられている。
そうした天皇の判断に疑問を呈し、人間としてではなく「神であらせられるべきだつた」と批判するのが三島由紀夫。有名な言葉が「などてすめろぎは人間となりたまひし」(『英霊の聲』)。
こうした天皇(神)に期待する見方が成り立つには、①神は人間的な感情には支配されない、②神の判断は公平である、③神の判断は大局的な見地からなされる、との前提が必要だ。そこに、神は民の「至誠」に応えて判断するとの期待が加わるから、期待に反した神の判断に対しては激しく落胆することになる。
「至誠」とは主観的な判断であり、公平な判断が何であるかも主観に左右されがちだ。つまり神(天皇)の判断が大局的に公平であったとしても、別の判断を期待していた人間にとって、それは期待に反した神の判断ということになる。そこに、神の判断を人間が批判できる余地が生じる。
二・二六事件関係者を天皇の御名により反乱者として処断した態度に天皇の人間的弱さがあり、頼りにする重臣達を殺傷した行動を天皇が非難し、天皇の人間性によって処断したことは間違いで、天皇は公平無私の神格的な処断をなすべきだったという見方からすれば、「人間となりたまいし」と嘆くことになる。
人間を神格化すると、その人間に神として振る舞うことを要求するようになる。人間的感情を露わにする神は神話では珍しくないが、それは神格化された人間には許されない。神格化された人間は人々の過大かつ様々な期待を押し付けられるが、全ての期待には応じられない。神に「裏切られる」人も出てくるが、そこで神を批判するためには相手を人間だと見ることが必要になる。
信頼していた側近が殺傷されたとの報に天皇は激怒し、当初から反乱軍を賊軍とみなし、反乱部隊の鎮圧を求め、「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接、近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」とまで言い、徹底鎮圧を指示したという。
当時は天皇が絶対的な存在であり、天皇制が日本の国体の中枢にある存在と見なされていた。決起した軍人らは、いわゆる君側の奸を排除し、政治体制を一新することで腐敗を正し、東北などの農村の困窮を救うことなどを掲げたのだが、彼らの意向を当時の天皇は問題にしなかったと伝えられている。
そうした天皇の判断に疑問を呈し、人間としてではなく「神であらせられるべきだつた」と批判するのが三島由紀夫。有名な言葉が「などてすめろぎは人間となりたまひし」(『英霊の聲』)。
こうした天皇(神)に期待する見方が成り立つには、①神は人間的な感情には支配されない、②神の判断は公平である、③神の判断は大局的な見地からなされる、との前提が必要だ。そこに、神は民の「至誠」に応えて判断するとの期待が加わるから、期待に反した神の判断に対しては激しく落胆することになる。
「至誠」とは主観的な判断であり、公平な判断が何であるかも主観に左右されがちだ。つまり神(天皇)の判断が大局的に公平であったとしても、別の判断を期待していた人間にとって、それは期待に反した神の判断ということになる。そこに、神の判断を人間が批判できる余地が生じる。
二・二六事件関係者を天皇の御名により反乱者として処断した態度に天皇の人間的弱さがあり、頼りにする重臣達を殺傷した行動を天皇が非難し、天皇の人間性によって処断したことは間違いで、天皇は公平無私の神格的な処断をなすべきだったという見方からすれば、「人間となりたまいし」と嘆くことになる。
人間を神格化すると、その人間に神として振る舞うことを要求するようになる。人間的感情を露わにする神は神話では珍しくないが、それは神格化された人間には許されない。神格化された人間は人々の過大かつ様々な期待を押し付けられるが、全ての期待には応じられない。神に「裏切られる」人も出てくるが、そこで神を批判するためには相手を人間だと見ることが必要になる。
2018年2月24日土曜日
コソボが抱える闇
コソボはセルビアからの一方的な独立宣言から10周年を迎えた。人口の9割以上がアルバニア人というコソボが、セルビア人が多数のセルビアから分離独立したのは自然なことのようにも見えるが、実際は、セルビアに対するテロを続けたアルバニア人組織KLAなどが欧米など西側諸国の支援(武力介入)を得て達成した独立だ。
もともとコソボにはセルビア人が住んでいたが、徐々に東方へ移住、その後に隣接するアルバニアからアルバニア人が入ってきた歴史がある。セルビア人にとってコソボは民族の記憶(歴史)に関わる土地であり、セルビア人居住者が少数になったとはいえ手放すことはできないものだった。
コソボのセルビアからの分離独立を欧米など西側諸国が支援したのは、民族自決の原理を尊重したからではない。スペインのカタルーニャやバスク、英国のスコットランドなど国内に分離独立運動を抱えている国は欧州にもあるのだが、各国は分離独立を認めない。コソボの分離独立は、セルビアが対象だから各国は容認した。
ユーゴスラビア解体の過程で難民が流出し、戦闘における悲惨さが報じられたが、欧州各国は「無力」だった。一方では、セルビア側の残虐性が強調されて報じられ、「無力」感の裏返しとして各国でセルビアに対する処罰感情が喚起された。コソボ紛争においてもセルビア側の残虐性が強調され、西側諸国の武力介入を正当化しやすくした。
紛争において当事者の一方だけが残虐で、他方は倫理的であるということはなく、報復の論理がエスカレートすることも珍しくない。だが、どちらも残虐で悪いと見るなら、正義感や人道主義などを刺激されても西側諸国は介入できない。介入するためには、それを正当化する仕掛けが必要になる。
この種の仕掛けでは、どちらかの側の被害者としての側面を強調することが基本だ。コソボではアルバニア人が被害者で、セルビアが悪いという構図になり、西側諸国の武力介入を容易にした。そしてコソボは西側諸国などの支持を頼りに独立を宣言したのだが、経済は停滞したままで失業率は高く、この10年間に人口の1割が仕事を求めて出国したと伝えられている。
KLAメンバーらが独立後のコソボの政治を主導したのだが、 KLAは欧州への麻薬流通で資金を得ていたともいわれ、紛争ではセルビア系住民を拉致・殺害し、臓器を売買した疑いも指摘されている。アルバニア人による犯罪組織はアルバニア・マフィアとして名高く、EUで広いネットワークを持つという。独立国のコソボはマフィアにとって楽園かもしれない。
もともとコソボにはセルビア人が住んでいたが、徐々に東方へ移住、その後に隣接するアルバニアからアルバニア人が入ってきた歴史がある。セルビア人にとってコソボは民族の記憶(歴史)に関わる土地であり、セルビア人居住者が少数になったとはいえ手放すことはできないものだった。
コソボのセルビアからの分離独立を欧米など西側諸国が支援したのは、民族自決の原理を尊重したからではない。スペインのカタルーニャやバスク、英国のスコットランドなど国内に分離独立運動を抱えている国は欧州にもあるのだが、各国は分離独立を認めない。コソボの分離独立は、セルビアが対象だから各国は容認した。
ユーゴスラビア解体の過程で難民が流出し、戦闘における悲惨さが報じられたが、欧州各国は「無力」だった。一方では、セルビア側の残虐性が強調されて報じられ、「無力」感の裏返しとして各国でセルビアに対する処罰感情が喚起された。コソボ紛争においてもセルビア側の残虐性が強調され、西側諸国の武力介入を正当化しやすくした。
紛争において当事者の一方だけが残虐で、他方は倫理的であるということはなく、報復の論理がエスカレートすることも珍しくない。だが、どちらも残虐で悪いと見るなら、正義感や人道主義などを刺激されても西側諸国は介入できない。介入するためには、それを正当化する仕掛けが必要になる。
この種の仕掛けでは、どちらかの側の被害者としての側面を強調することが基本だ。コソボではアルバニア人が被害者で、セルビアが悪いという構図になり、西側諸国の武力介入を容易にした。そしてコソボは西側諸国などの支持を頼りに独立を宣言したのだが、経済は停滞したままで失業率は高く、この10年間に人口の1割が仕事を求めて出国したと伝えられている。
KLAメンバーらが独立後のコソボの政治を主導したのだが、 KLAは欧州への麻薬流通で資金を得ていたともいわれ、紛争ではセルビア系住民を拉致・殺害し、臓器を売買した疑いも指摘されている。アルバニア人による犯罪組織はアルバニア・マフィアとして名高く、EUで広いネットワークを持つという。独立国のコソボはマフィアにとって楽園かもしれない。
2018年2月21日水曜日
中国のルンプロ
2017年11月に中国・北京郊外の簡易宿泊施設で火災が起き、19人が死亡した。そこは出稼ぎ労働者が多く住む地域で、死傷者の大半が出稼ぎ労働者とその家族だった。低所得者が住む集合住宅の火災は各国で起きているが、北京では火災後に当局が公共の安全確保のためと違法建築の摘発・一掃を始めた。
問題は、そうした違法建築に住む多くの出稼ぎ労働者らを強制的に追い出したことで、立ち退きに数日の猶予しか与えられず、代わりの宿泊施設の紹介などもなかったという。地域によっては、急な立ち退きを求められた人々が当局と小競り合いになったともいう。
火災をきっかけにした違法建築撤去という当局の動きは、北京から下流人口を締め出すのが狙いだと疑う声が広がった。例えば、中国の大学教授ら100人余が連名で「転居先の手当てもなく、氷点下の寒空に放り出すのは人権侵害だ」などと批判する文書を発表したと報じられた。
そうした声に反論したり封じ込めながら当局は撤去を続け、追い出された出稼ぎ労働者は去ったという。都市戸籍を持たない彼らの多くは、いつでも追い出されうる存在だと承知し、「居住権がない」から抗っても無駄だと諦めていたのかもしれないし、他の土地で新たな職を探すしかないと切り替えたのかもしれない。
中国の出稼ぎ労働者は、低賃金の労働力として使い捨てられる存在だ。中国では人民は平等ではなく、都市戸籍と農業戸籍で区別(差別)される。都市戸籍を持たない出稼ぎ労働者は、都市での居住を認めろと要求することもなく、平等であるべき人民(人間)としての権利を主張することもないように見える。
もちろん共産党の強権的な独裁統治が続く中国で、個人の権利要求は制限されるので出稼ぎ労働者が権利主張しても抑圧されるだけだろうから、権力に抗わずに個人的利益を優先して生きるのが出稼ぎ労働者の「生きる道」なのかもしれない。それは、世界有数の経済大国になった中国で、人民が解放されていないことを示している。
中国の出稼ぎ労働者はルンペンプロレタリアートなのか。定義次第で如何様にも解釈できるが、貧富の格差が拡大した現在の中国に窮民革命論を当てはめるなら、出稼ぎ労働者が次の革命の重要な役割を担っても不思議ではない。だが、中国を変えようという意識がなく、社会に対する愛着も信頼もなく、国家の主体(主権者)との意識もなく、個人として生き延びることだけ考えているのであれば、彼らの権利が尊重される社会が実現するかもしれない次の革命は遠い。
問題は、そうした違法建築に住む多くの出稼ぎ労働者らを強制的に追い出したことで、立ち退きに数日の猶予しか与えられず、代わりの宿泊施設の紹介などもなかったという。地域によっては、急な立ち退きを求められた人々が当局と小競り合いになったともいう。
火災をきっかけにした違法建築撤去という当局の動きは、北京から下流人口を締め出すのが狙いだと疑う声が広がった。例えば、中国の大学教授ら100人余が連名で「転居先の手当てもなく、氷点下の寒空に放り出すのは人権侵害だ」などと批判する文書を発表したと報じられた。
そうした声に反論したり封じ込めながら当局は撤去を続け、追い出された出稼ぎ労働者は去ったという。都市戸籍を持たない彼らの多くは、いつでも追い出されうる存在だと承知し、「居住権がない」から抗っても無駄だと諦めていたのかもしれないし、他の土地で新たな職を探すしかないと切り替えたのかもしれない。
中国の出稼ぎ労働者は、低賃金の労働力として使い捨てられる存在だ。中国では人民は平等ではなく、都市戸籍と農業戸籍で区別(差別)される。都市戸籍を持たない出稼ぎ労働者は、都市での居住を認めろと要求することもなく、平等であるべき人民(人間)としての権利を主張することもないように見える。
もちろん共産党の強権的な独裁統治が続く中国で、個人の権利要求は制限されるので出稼ぎ労働者が権利主張しても抑圧されるだけだろうから、権力に抗わずに個人的利益を優先して生きるのが出稼ぎ労働者の「生きる道」なのかもしれない。それは、世界有数の経済大国になった中国で、人民が解放されていないことを示している。
中国の出稼ぎ労働者はルンペンプロレタリアートなのか。定義次第で如何様にも解釈できるが、貧富の格差が拡大した現在の中国に窮民革命論を当てはめるなら、出稼ぎ労働者が次の革命の重要な役割を担っても不思議ではない。だが、中国を変えようという意識がなく、社会に対する愛着も信頼もなく、国家の主体(主権者)との意識もなく、個人として生き延びることだけ考えているのであれば、彼らの権利が尊重される社会が実現するかもしれない次の革命は遠い。
2018年2月17日土曜日
雨が降っているから天気が悪い
「雨が降っているから天気が悪い」とか「晴れているから天気が良い」などの言葉は正しい(間違ってはいない)であろうが、少し考えると「そんなこと、当たり前じゃないか」と気がつく。論理的な装いではあるが、表面的なことしか言っておらず、新しい発見は何もない。
間違ってはいないから正しいと認めざるを得ないという言説は珍しくないのだが、底が浅く表面的であることを誰もがいつも意識するわけでもない。いちいち気に留めないし、科学的な装いであったなら、疑う気持ちも薄れがちだ。そこに「雨が降っているから天気が悪い」とか「晴れているから天気が良い」などの言葉がまぶされると、ありがたく拝聴することになる。
この種の、否定できないことを積み重ねて、論を展開し、聞き手を誘導するやり方は意図的に行われると意外に影響力を持つ。途中に飛躍が含まれることが多いが、「当たり前」の積み重ねに挟まれていたりするので、気づきにくい。耳にしたり目にする言葉に対して、客観的な検証を常に誰もが行っているわけではないからだ。
「天気が悪いから雨が降っている」とか「天気が良いから晴れている」などの言葉なら、奇妙な言い方だと気がつきやすいだろう。それは、天気の良し悪しは個別の気象現象から判断するもので、逆ではないからだ。現実をなぞっていることでは同じなのだが、「天気が悪いから雨が降っている」では、判断の結果が先に来ているので違和感を生じさせる。
「雨が降っているから天気が悪い」式の言説は、社会問題や経済問題、国際問題などを専門家が論じる時にも用いられることがある。論じている問題に対する知識がある受け手なら、「こいつは当たり前のことしか言ってないな」と気がつくだろうが、判断能力が乏しければ鵜呑みにしたりもする。
問題は、「当たり前」の積み重ねに飛躍が挟まれている時に、それに気がつくかどうかだ。「当たり前」のことだけ言っている論を受け入れることは、退屈ではあっても害はないだろうが、「当たり前」に挟まれている飛躍も鵜呑みにすると、偏った見方に誘導されることになる。
「雨が降っているから天気が悪い」式の言説に含まれている飛躍を見極めるには、論じられている問題に関する知識を増やすことしかない。面倒で時間がかかるのだが、鵜呑みをしない判断能力を身につけないから、誘導されるのだ。「当たり前」を積み重ねて読み手の同調を促す言説に、うっかり誘導されたくないのなら自力で判断応力を身につけるしかない。
間違ってはいないから正しいと認めざるを得ないという言説は珍しくないのだが、底が浅く表面的であることを誰もがいつも意識するわけでもない。いちいち気に留めないし、科学的な装いであったなら、疑う気持ちも薄れがちだ。そこに「雨が降っているから天気が悪い」とか「晴れているから天気が良い」などの言葉がまぶされると、ありがたく拝聴することになる。
この種の、否定できないことを積み重ねて、論を展開し、聞き手を誘導するやり方は意図的に行われると意外に影響力を持つ。途中に飛躍が含まれることが多いが、「当たり前」の積み重ねに挟まれていたりするので、気づきにくい。耳にしたり目にする言葉に対して、客観的な検証を常に誰もが行っているわけではないからだ。
「天気が悪いから雨が降っている」とか「天気が良いから晴れている」などの言葉なら、奇妙な言い方だと気がつきやすいだろう。それは、天気の良し悪しは個別の気象現象から判断するもので、逆ではないからだ。現実をなぞっていることでは同じなのだが、「天気が悪いから雨が降っている」では、判断の結果が先に来ているので違和感を生じさせる。
「雨が降っているから天気が悪い」式の言説は、社会問題や経済問題、国際問題などを専門家が論じる時にも用いられることがある。論じている問題に対する知識がある受け手なら、「こいつは当たり前のことしか言ってないな」と気がつくだろうが、判断能力が乏しければ鵜呑みにしたりもする。
問題は、「当たり前」の積み重ねに飛躍が挟まれている時に、それに気がつくかどうかだ。「当たり前」のことだけ言っている論を受け入れることは、退屈ではあっても害はないだろうが、「当たり前」に挟まれている飛躍も鵜呑みにすると、偏った見方に誘導されることになる。
「雨が降っているから天気が悪い」式の言説に含まれている飛躍を見極めるには、論じられている問題に関する知識を増やすことしかない。面倒で時間がかかるのだが、鵜呑みをしない判断能力を身につけないから、誘導されるのだ。「当たり前」を積み重ねて読み手の同調を促す言説に、うっかり誘導されたくないのなら自力で判断応力を身につけるしかない。
2018年2月14日水曜日
蛇行がもたらす影響
北陸などが大雪に見舞われていた時、北海道の西の日本海で低気圧が停滞し、ほとんど動かずにいた。その低気圧が大陸からの寒気を呼び込み続けた。この冬は、北海道の東のオホーツク海では、低気圧がゆっくりと東から西へ動いていることが何回もあった。
日本の天候を様々に変化させる低気圧や高気圧は通常、偏西風により西から東に流されて行く。冬に寒気や大雪をもたらす低気圧も通常は西から東に流されるので、北国以外では寒気や大雪も一過性の気象現象であることが多い。
なぜ今年は、低気圧が東から西に動いたり、停滞したりしたのだろうか。考えられるのはブロッキングだ。これは、偏西風の蛇行が大きくなって低気圧や高気圧の東進を妨げる現象で、低気圧や高気圧が停滞するため、同じ天候が続く。
偏西風の北側には冷たい空気があり、南には暖かい空気があるので、偏西風が日本の南側に大きく蛇行すると、日本列島は冷たい空気に覆われる。気象庁が1月下旬の寒波について「この要因は、偏西風の蛇行によりシベリア東部で蓄積した大気下層の非常に強い寒気が、北西の季節風の強まりにより、日本付近に流れ込んだため」とした。
気象庁が発表した日本上空1500m気温図によると、シベリア東部で蓄積した強い寒気が塊のまま北西から南東に移動してきたと見える。Rストーンズのベロマークの向きを左右変えたような形の寒気が日本を覆ったのだから、偏西風が日本を中に入れたU字型に蛇行しているのだろう。
偏西風は高度とともに強くなり、対流圏と成層圏の境界付近の高度10kmほどで最も風速が大きくなる(ジェット気流)。ただ気象庁は偏西風のデータを日常的には発表していない。ウィンドプロファイラ(上空の風)は発表しているが、これは高度1km、2km、3kmの風向と風速。偏西風の動きを知る参考にはなる。
偏西風は分裂することもある。この冬、日本海寒帯気団収束帯ができたが、これは大陸から吹く北西の風が北朝鮮・中国国境付近の白頭山で二手に分かれ、北側を回る風と南側を回る風が日本海で合流するもので、上昇流を強め、帯状になった雪雲が発生する。これで大雪が降った。
日本の天候を様々に変化させる低気圧や高気圧は通常、偏西風により西から東に流されて行く。冬に寒気や大雪をもたらす低気圧も通常は西から東に流されるので、北国以外では寒気や大雪も一過性の気象現象であることが多い。
なぜ今年は、低気圧が東から西に動いたり、停滞したりしたのだろうか。考えられるのはブロッキングだ。これは、偏西風の蛇行が大きくなって低気圧や高気圧の東進を妨げる現象で、低気圧や高気圧が停滞するため、同じ天候が続く。
偏西風の北側には冷たい空気があり、南には暖かい空気があるので、偏西風が日本の南側に大きく蛇行すると、日本列島は冷たい空気に覆われる。気象庁が1月下旬の寒波について「この要因は、偏西風の蛇行によりシベリア東部で蓄積した大気下層の非常に強い寒気が、北西の季節風の強まりにより、日本付近に流れ込んだため」とした。
気象庁が発表した日本上空1500m気温図によると、シベリア東部で蓄積した強い寒気が塊のまま北西から南東に移動してきたと見える。Rストーンズのベロマークの向きを左右変えたような形の寒気が日本を覆ったのだから、偏西風が日本を中に入れたU字型に蛇行しているのだろう。
偏西風は高度とともに強くなり、対流圏と成層圏の境界付近の高度10kmほどで最も風速が大きくなる(ジェット気流)。ただ気象庁は偏西風のデータを日常的には発表していない。ウィンドプロファイラ(上空の風)は発表しているが、これは高度1km、2km、3kmの風向と風速。偏西風の動きを知る参考にはなる。
偏西風は分裂することもある。この冬、日本海寒帯気団収束帯ができたが、これは大陸から吹く北西の風が北朝鮮・中国国境付近の白頭山で二手に分かれ、北側を回る風と南側を回る風が日本海で合流するもので、上昇流を強め、帯状になった雪雲が発生する。これで大雪が降った。
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