2023年2月25日土曜日

雪の重さ

 この冬も日本では各地で雪が降り、大雪になったところもあった。累計降雪量(2月23日現在)は北海道の音威子府村で880cm、幌加内町で777cm、沼田町で751cm、留萌市で691cm、夕張市で644cm、石狩市で587cmなどとなり、札幌市南区でも552cm、小樽市で492cm、旭川市で355cm、函館市で337cmなどとなっている。

 東北では青森市で534cm(酸ヶ湯で1196cm)、弘前市で461cm、湯沢市で666cm、米沢市で501cm、尾花沢市で700cm、只見町で879cmなど。さらに野沢温泉村で672cm、岐阜の白川村で532cm、魚沼市で866cm、妙高市で627cm、津南町で905cmなどとなる。日本海側の新潟県から鳥取県にかけても降雪は多く、山間部などでは300cm以上の場所も点在している。

 積雪の深さ(2月24日現在)は札幌市で78cm、小樽市で119cm、旭川市で68cm、函館市で27cmなど。気温や降雨や地形など諸条件によって積雪の深さは変化するが、「新雪の比重は0.1程度だが、上に降り積もる雪に圧縮されて徐々に重くなり、雪どけの頃には平均密度は0.4〜0.5g/cm3くらいにまで増える。深さ数mという雪深い地域での積雪荷重は水に換算して深さ1mほど、つまり1m2あたり1トンもの重さになる」(日本測地学会HP)。

 積雪量が多い土地では冬季には、かなりの荷重が地面にかかっていることになる。重いものを乗せるとゆがむのは地面も同じ。「最近のGPS衛星を用いた観測では、雪の荷重で日本列島が凹み、かつ縮む様子がはっきりととらえられている。雪の多い日本海側の山沿いを中心におよそ1cmの沈降、また雪の重みに引っ張られて日本列島は幅が3〜4 mm縮む」(同)という。

 プレートの移動により地面(地殻)は動いているとされ、地震などでも地殻変動は観測され、地面は不動のものではないのだが、毎年の雪が地面を凹ませていることを知ると、大自然の強大な力の作用を実感する。雨が粘着性の液体であったなら、集中豪雨や台風などの大雨が川などに流れず地面に堆積して、おそらく積雪以上に地面を凹ませるだろうが、雨は流れ去ってくれる(河川で氾濫などをもたらすが)。

 雪が凹ませるのは地面だけではなく、人の心も凹ませることがある。季節性うつ(冬季うつ)は冬になると症状が現れて、雪解けが進み、春の気配が漂い始める3月くらいに症状が消えるという。雪国の冬は晴天の日は少なく、低い雲に覆われ続け、雪がちらつき、風は冷たい。専門家によると「冬に気分が落ち込む要因が目に入る“光”の量にあると最近の研究で分かってきた」という。

 朝、太陽の光を浴びたり、散歩などで日光を感じたりするのは精神的に良い影響を与えるなどとはよく言われる。曇天が続く北国の冬には日光を浴びる機会が少ないが、春が近づくとともに晴天の日も増える。冬季うつが太陽光と関係があるのなら、季節の巡りが人の心も癒してくれることになる。春になってウキウキとした気持ちになるのは自然の恵みだな。

2023年2月22日水曜日

弁別せず

 弁別とは「物事の違いをはっきりと見分けること。識別」とか「違いを見分けて区別すること」などとされる。例えば、右翼と左翼は思想が大きく異なり、右翼と左翼を弁別することは簡単だろう。だが、社会の矛盾や不正に対する批判などでは右翼も左翼も似たような問題意識があったりする。同じ社会を見ているのだから問題意識が似ることはあり得る。

 「左右を弁別せず」とは、左翼であろうと右翼であろうと協働できる部分においては協働することを辞さないという態度だ。これは竹中労さんが1970年代から主張していた。それぞれの思想に基づいて活動・運動するのが右翼であり左翼であるのだから、思想においての協働ではなく、活動・運動においての協働は可能であり、かつて大杉栄らは実践していたとする。

 この協働は、問題意識と解決策において共有する部分が多い場合に可能となる。例えば、腐敗した政治家や官僚を糾弾することや米国のためだけに動く政治家や官僚を批判し、排除することなどでは協働できるだろう。ただし、協働は必要があるときに行われるだけのものだ。竹中労さんの言葉を借りれば、「敵目標が一致した時」に協働すればいい。

 「左右を弁別せず」とは、思想や組織として右翼と左翼が協働するということではなく、活動・運動において「弁別すべからざる」情況に直面した時に、信頼できる相手と協働することだ。協定などを結んで組織が連携することとは異なり、その時の情況に応じて人々が協働したり協働しなかったりする。

 「左右を弁別せず」は原則であるが、常に最優先されるものではない。旗幟鮮明にすることが優先される情況では、自らの思想心情に基づく主張を掲げ、妥協と見られる言動は控えられるので、「弁別すべき」情況となる。「左右を弁別せず」とは運動に柔軟性を持たせるのであるが、異なる思想信条の人々の中に入っても揺るがない思想を持つ人々だけに許される行動である。

 亡くなった鈴木邦男さんの追悼文には鈴木さんが左右を分かたず広い交流を持っていたことを賞賛する指摘が散見されたが、それらの交流が行動としてどう現れたのかについてはほとんど触れられることはなかった。竹中労さんはYP体制の打倒ということでは右翼と左翼は協働できると見ていたようだが、YP体制を肯定する右翼も左翼もいて、「左右を弁別すべからざる」情況にあるとの認識では一致できなかった。

 「左右を弁別せず」とは右翼であろうと左翼であろうとヤワな思想の持ち主には無理で、鈴木さんは確固とした思想を持っていたから竹中さんらと交流することができたのだろう。「左右を弁別すべからざる」情況にあって「左右を弁別せず」と行動できる人間がかつては存在したことを竹中労さん、さらには鈴木さんは示している。

2023年2月18日土曜日

蝶の羽ばたき

 「ブラジルでの小さな蝶の羽ばたきは、遠く離れた米テキサス州での竜巻につながる」との言葉で知られるバタフライ効果。この言葉が事実ならば、ブラジルで蝶を絶滅させれば米テキサス州において竜巻の発生はなくなるか少なくなる。でも、ブラジルに生育する蝶の数は膨大だろうし、蝶の1個体につき竜巻1個が対応しているとすれば、米テキサス州では膨大な数の竜巻が発生していなければならないから、この言葉は事実と反する。

 南半球にあるブラジルと北半球にある米テキサス州を結びつけたところに、この言葉の意外性がある。そんな遠く離れた土地の気象に関係性があり、しかも小さな蝶の動きが影響していると聞かされれば誰もが「オヤ?」と興味を持つ。同時に「そんなことはないだろう」との疑問を持つ人も多いだろうから、講演のタイトルとしては秀逸か。

 例えば、「日比谷公園での小さな蝶の羽ばたきが立川市での突風の発生につながる」との言葉を事実だと受け止める人は少ないだろう。蝶の羽ばたきで周辺の空気が動くとしても、その動きは広がるとともに小さくなる。空気中を蝶の羽ばたきが起こした波が伝わるとしても、立川市に到達する遥か以前に吸収されてしまう。ブラジルと米テキサス州を結びつけたところに、この言葉の妙味がある。

 さらに、蝶を持ち出したのも巧妙だ。「ブラジルで団扇や扇風機の起こした風は、米テキサス州での竜巻につながる」との言葉をまじめに受け止める人はいるまい。団扇や扇風機の起こす風は蝶の羽ばたきよりも強いが、数メートル離れれば団扇や扇風機の風は弱まり、とてもブラジルから米テキサス州まで届きそうにないことは容易に理解できよう。小さな存在である蝶を持ち出したところに、ある種の神秘性が漂う。

 だが、この言葉は、そのような現象が事実としては発生するということではなく、複雑な自然現象などを予測する複雑な累乗計算などを行う時には、初期条件の数値の微小な数値の違いが計算結果の大きな違いをもたらし、長期予測では大きなずれに発展することを指摘したものだ。複雑な気象予測の計算において、蝶の羽ばたきによる風力という微小で無視できる数値の違いで、結果が違ってくることを示す。

 蝶の羽ばたきが、遠い土地での竜巻につながるという話は、地球環境が世界で密につながっており、一体のものだとの主張にも利用される。世界のどこからのCO2排出でも地球温暖化を促進するし、地球のどこかで捨てられたビニール袋やペットボトルなどが海に流れ出て世界の海洋汚染を促進するといった具合に、地球規模で環境を考えなければならないなどとされる。

 地球環境は一体のものであるが、国家によって分割されているのが現実だ。国家には多数の変動要素があって、揺れ動く利害を優先して動くので、国家の行動を予測する計算モデルは存在しない。バタフライ効果はカオス理論の開拓に貢献したが、蝶の羽ばたきより指導者や政治家らの決断は大きな影響を地球環境に及ぼす。指導者や政治家らの内心を数値化する計算モデルの誕生は不可能に見え、気象予測より人間の心の中の予測のほうが遥かに難しそうだ。

2023年2月15日水曜日

乏しい分析

  日本で2022年10月頃から新型コロナウイルスの新規感染者数の増加傾向が続いて第8波の感染拡大とされたが、2023年1月中旬ころから減少傾向に転じた。第8波で政府は厳しい行動制限を行わず、欧米に倣ったのか経済活動を持続させたが、それでも第8波の感染拡大の勢いは弱まった。

 なぜ第8波の感染拡大が弱まったのか。新型コロナウイルスの感染拡大がある程度の期間で自然に減るのなら、以前の厳しい行動制限などは必要ではなかったことになる。専門家はウイルスの変異によって感染拡大の波を説明するが、変異株と感染拡大の因果関係は推定の域とも見え、実証できているのか疑問だ。

 今回のパンデミックでも顕著だったのは、現実に起きていることをデータ化して分析し、それに基づいて対策を講じるというシステムが政治に乏しいことだった。事実やデータを軽視して対策を講じるとすれば、対症療法的な大衆迎合の情緒的な方向に向かう。その例が昨今のマスク着用をめぐる方針だ。

 マスク着用を日本で人々が続けるのは感染することを恐れているからだ。屋内でのマスク着用も個人の自由だと政府はするが、マスクを着用しなくなって、さて感染するのか、感染しないのか。それを知る手掛かりは、日本よりも早くマスクを人々が着用しなくなった欧米などの各国の感染状況のデータだ。

 マスク着用義務を解除した後の欧米各国の感染状況のデータは、マスク着用と感染状況にどういう関連があるのかを示すものだろう。部分的には感染拡大があったりしても欧米各国では感染拡大の波に襲われてはいないと伝えられるので、欧米のマスク非着用後のデータを精査すれば、日本でマスクを着用しなくなった後の感染状況が類推できよう。

 将来予測などを正確に行うためには、現実に起きている事実を知ることが必要で、現実に起きていることのデータを収集して分析することが基礎となる。第9波があるのかどうかを予想するためには、第8波がなぜ収束に向かっているのかを知ることが必要だ(第7波以前の分析も必要だ)。

 なぜ第8波の感染拡大は弱まったのか、推察はあるが具体的な説明はない。マスクを着用しなければ感染は拡大するのか、不安を煽るマスメディアも欧米などのデータを検証しようとしない。今回のパンデミックでは政府もマスメディアも大騒ぎを続けているが、事実を重視した冷静な分析は少ないという印象だ(主観的な分析=個人の意見や解釈=は多い)。

2023年2月11日土曜日

地方都市への移住

 東京など都会から地方への移住というと、農山村など田舎への移住をイメージする人がいる。一方で、移住先での人間関係のトラブルなどで、移住者が住みづらくなって引き上げざるを得なかった事例も伝えられる。農山村などには明示されていないが住民が共有するルールがあったりして、移住者は困惑する。

 人口が少ない農山村などでは住民の人間関係が密で、移住した人が地域に溶け込むには時間を要したりする。それも移住生活の味わいだと気長に構えることができればいいが、都会生活のリズム感を引きずって悠長な暮らしに馴染めなかったり、田舎暮らしがユートピアであるかのような過剰な幻想を持つ人は、田舎暮らしに対する幻滅を感じたりもする。

 東京などへの人々の流入の一方で地方では過疎化が進む。大地震の可能性があるので首都圏からの人口分散が急務だが、現実には人口分散は進んでいない。そこには都市での生活の魅力がなお大きいことがある。農山村よりも都市のほうが圧倒的に生活の利便性は高いので、人々は田舎で暮らすよりも都会で暮らすことを選ぶ。世界各国においても都市に人々が流入するのは珍しいことではない。

 人々が集中することにより過密になると大都市における生活は相応の閉塞感や摩擦、不便さなどを生じる。それらが田舎暮らしへの願望につながったりするのだが、農山村への移住は、短期なら気晴らしにはなっても、都市生活に馴染んだ人々が適応するのは簡単ではないだろう。都市生活における利便性を諦めずに、過密な都市空間からの脱出を実現するには、農山村などへの移住ではなく地方都市への移住が現実的だ。

 人口が30万〜10万人くらいの地方都市は全国に多く存在し、そうした都市でも人口減少が続いていたりするが、就業先や商業施設、病院、学校などは大都市に比べると少ないが存在する。都市生活の利便性を諦めずに、過密な大都会から脱出して暮らすには適している移住先だろう。

 人口が30万〜10万人くらいの地方都市は数カ所の繁華街のほかは住宅地であることが多く、遠くはない郊外には自然が広がっていたりし、東京などの都市生活者にとって都市生活の利便性を確保しながら、過密に伴う摩擦などから解放される生活環境だ。東京などから地方への移住先としては農山村よりも地方都市のほうがハードルが低いだろう。

 移住の促進策は様々に講じられているが、人口分散の動きはほとんどない。東京など都市に集まった人々の多くは都市生活の利便性を享受し続けることを選んでいるように見える。都市生活に馴染んだ人々に過密な東京などからの移住を促すには、農山村よりも地方都市での生活のほうが現実感をもって想像できるだろうから、地方都市での暮らしを訴求したほうが効果はありそうだ。

2023年2月8日水曜日

実需としての移住

 北海道では人口減少が続いている。2023年1月1日現在の道内の日本人数は514万8060人と24年連続で減少が続いた。国立社会保障・人口問題研究所は2045年には400万4973人になるとの推計を示し、道内179市町村のうち85市町村で人口が半分以下になるともした。観光客は増えても定住人口は減るのが北海道の現状だ。

 パンデミックによる旅客数減少もあってJR各社は利用客が少ない地方路線の維持を続けることができなくなりつつあり、赤字幅が大きい地方路線の廃線問題が現実味を増してきた。一方、北海道では以前からJR北海道は赤字路線を維持することができず、毎年のように各地で廃線が行われていた。

 地方路線の廃線には地元から強い反対の声が上がる。列車を定時運行して収入を得るという鉄道事業を続けるには乗車人数を増やし、黒字化を目指すしかないが、現実には利用人数は増えず、地方自治体や国からの資金的な支援に地元は頼るしかない。だが、その地方の鉄道事業の永続性を求めるなら、乗車人数を増やす努力が地元に求められる。

 乗車人数を増やすには、①沿線の住民を増やす、②観光路線化して来訪者を増やすーが必要だが、過疎化の進行に「無力」な地方には①は無理で、沿線に有力な観光資源がなければ②も無理だろう。列車を定時運行するという鉄道事業の存続には、沿線住民を増やし、通勤・通学などの利用者を増やすために地元は本気を出す必要がある。

 都道府県の魅力度ランキングでは北海道は13年連続1位だが、移住先としての人気はそう高くない。冬季の寒さや積雪などが嫌われ、年間を通しては「住みやすくない」と見られている気配だ。人口が減り続けている北海道では移住者を増やさなければ、この先も人口減少が続く。このままではJR北海道の路線は次々と廃線になるしかないと見える。

 北海道が人口減少による衰退を食い止めたいのなら、本気で定住人口を増やすことに取り組むしかない。すでに移住促進策は北海道も道内各自治体も行っているが、定住人口の減少が続いていて、顕著な効果をあげているとは言えない。自然豊かな北海道で暮らしたいとの願望と、実需としての移住は異なる。北海道への移住の需要が実際にどれほど存在するのかを調査して把握しなければ、本当に有効な移住促進策は出てこないだろう。

 定住人口を増やすには、人口が多いところから引っ張ってくるしかない。北海道は首都圏ー特に東京や神奈川、埼玉、千葉を対象に、北海道への移住の需要が実際にどれだけ存在するのかを調べ、1人でも多くの北海道への移住者を獲得する施策を早急に作成するべきだ。霞ヶ関や東京のコンサルに頼らず、独自の視点と施策で北海道への移住需要をつかむしかない。

2023年2月4日土曜日

国際単位と世界認識

 この世に長さや重さ、温度、時間などに相当する何かが存在するが、それを認識し、測定するために人類は共有する単位を決めた。長さの単位はメートルで、メートル法が発展して国際単位系が形成された。国際単位には7つの基本単位があり、それは長さ(m)・質量(kg)・時間(s)・アンペア(A)・熱力学的温度(K)・光度(cd)・物質量(mol)。

 時代とともに測定精度が向上し、より精密な基準が産業の発展などにより求められるようになって国際単位の定義は精緻になった。例えば、長さの基準となる1メートルは、地球の子午線の赤道から北極までの長さの1千万分の1と定められたが、次にクリプトン86原子の橙色の波長を用いて定義され、現在の定義は、真空中で「1秒の299,792,458分の1の時間に光が真空中を伝わる距離」が1メートル。

 同様に、重さの1kgは水1リットルの質量であったが、現在は「6.62607015×10のマイナス34乗ジュール・秒(Js)」が1kgの定義。時間の単位である秒は、地球の自転を基準に1日=86400秒としたが、次に地球の公転を基準に改められ、さらに精密さが求められるようになり、現在はセシウム133原子に共鳴するマイクロ波の周期から定義している。

 温度の国際単位は熱力学温度で単位はケルビン(K)。現在では「ボルツマン定数kという基礎物理定数の値を厳密に定めることで定義」される(計量標準総合センターHP)。日常的に使われるセ氏温度は、氷の溶ける温度を0℃、1気圧の大気中で水が沸騰する温度を100℃としたもの。絶対零度はマイナス273.15℃で、絶対零度を基準としてセ氏温度と同じ間隔の目盛りを使うのが絶対温度(単位はK)。

 国際単位が存在せず、例えば、1メートルや1kg、1秒、1℃などの単位が国や地域によって異なると人々の世界認識にも影響を与え、自国の単位を当然視して、その単位の使用を他の国や地域に強要するなど19世紀的な世界観にとどまっていただろう。貿易は停滞し、人・モノ・情報が国境を軽々と超えて移動するグローバル化などは阻害されて、地球温暖化の認識や危機意識の共有などは困難だったかもしれない。

 異なる単位を使用する他の国や地域があり、自分達が使う単位は絶対的ではないと知ることで、人々の他の国や地域を見る目が相対的になる可能性はある。違いを否定的に見るのではなく、違いを知り、違いを受け入れる(=違いをなくすことはできないと認識する)ことで、異なる価値観の人々の存在を受け入れることが容易になるかもしれない。

 国際単位の共有がない世界は、国や地域により人々がバラバラの世界に暮らす世界である。それは、バベルの塔の建設を見て神が、一つであった人類の言語を混乱させて、人々が意思疎通できないようにさせて工事を中止させ、人々を離散させたとの話を想起させる。1メートルは世界のどこに行っても等しい1メートルである世界でなければバベルの塔の建設は不可能だ。

 疑似的な国際単位もある。通貨のドルはGDPをはじめとした各国経済の比較に用いられたり、原油をはじめ各国の貿易の決済に用いられる国際通貨であり、キリスト教に基づく価値観は西欧の国際的影響力と一体で世界に広まったりしている。これらの擬似的な国際単位は米国や欧米の国力が、その信任を支えている。

2023年2月1日水曜日

マスクを外せ

  日本政府のウイズ・コロナ政策は、▽新型コロナウイルスの感染症法上の分類を「2類相当」から「5類」に引き下げる、▽医療費の公費負担は段階的に縮小、▽病院への診療報酬の特例措置などを見直す、▽濃厚接触者の外出自粛は不要、▽特措法に基づく緊急事態宣言やまん延防止等重点措置は廃止、▽スポーツ観戦やイベントの収容人数制限を撤廃、▽屋内でのマスク着用は個人の判断に委ねる、▽ワクチンの無料接種は当面継続するーなどとなった。

 岸田首相は新型コロナ感染症対策本部で「家庭、学校、職場、地域、あらゆる場面で日常を取り戻すことができるよう着実に歩みを進めていく」と語ったと報じられた。「日常を取り戻す」とはパンデミックの中での生活という非日常を終わらせることであるが、新型コロナウイルスと共存せざるを得ないという新しい日常でもあり、パンデミック以前の日常と同じではない。

 マスク着用は現在も法律に基づく強制ではないが、商業施設や公共施設、公共交通機関などでマスク着用が求められることもあって、出歩く人の大半がマスク着用だ。マスクを着用しない人は珍しくなくなったものの、多くはないという状況だ。屋外でのマスク着用は自由だと政府は少し前からアナウンスし始めたが、なお大半の人は屋外でマスクを着用している。

 人々がマスク着用を続けるのは、新型コロナウイルス感染を恐れているからだろうが、マスメディアは同調圧力を持ち出して、マスク着用を人々が続ける状況を説明したりする。他人と異なる行動をして目立つことを嫌がり、多くの人々と同じように振る舞うようにさせるのが同調圧力なのだろうが、同調圧力は個人が感じるものであり、同調圧力は「ある」と感じる人には存在し、「ない」と感じる人には存在しない。

 マスメディアが同調圧力という「見えず」「客観的な検証がない」要因に頼って説明するのは、都合のよい物語を描いて現実を解釈しているだけだ。さまざまなデータを集積して分析するよりも、同調圧力を持ち出して人々がマスク着用を続ける現象を説明することができたと自己満足する。同調圧力なるものはマスメディアが都合よく利用する材料である。

 マスク着用の目的は、無症状の感染者が多く存在するとの推察から、人々の呼気に含まれるウイルスの飛散を抑制することだ(ウイルスの侵入をマスクで防ぐためには気密性の高い医療用が必要)。日本国内の累計感染者数は3200万人を超え、カウントされていない感染者も膨大にいるだろう。マスク着用の判断を個人に委ねるということは、マスク着用の目的の重要性が低下したと政府が認めたことだ。

 マスク着用を個人の判断に委ねた結果、感染拡大が起きるか起きないか。それを試す格好の場所がある。それは国会だ。現在は発言者以外はマスクを着用しているが、率先して国会議員がマスクを外して本会議や各種の委員会における審議に臨み、かつての日常を取り戻してヤジも飛ばせばいい。屋内で多数がマスクを外して「かつての日常」を取り戻した場合に、感染拡大が起きるか起きないか、国会議員は勇気を出してマスクを外して実地に検証して見せて欲しいものだ。