アジアを国連は、西アジア(トルコからアフガニスタンまでとアラビア半島などの15カ国)、中央アジア(カザフスタンなど5カ国)、南アジア(インドなど7カ国)、東南アジア(ASEANなど11カ国)、東アジア(日本、中国、韓国、北朝鮮、モンゴルの5カ国)とする。ロシアは東ヨーロッパに分類され、北アジアという概念は使われない。
人種的な広がりが大きく、多くの民族が混在し、習俗や文化や宗教などでも大きな違いがある広大な地域をアジアと一括りにする概念は、地域的な一体感が希薄で大雑把すぎる。これは、紀元前に地中海東部のフェニキア人が使っていた呼称が起源で、太陽が出る東方を示した呼称がやがてアジアという名称になり、太陽が沈む西方の呼称がヨーロッパになったという。
外務省は東アジアと東南アジアと南アジアをアジアとしているので範囲は狭まったが、まだ地域的な共通項や一体感が希薄な印象は否めない。アジアという地域的な名称の括りが、そこに住む人々から出てきたものではないので、相互のつながりを意識することがなく、地域的な連帯感めいたものも少なかった。西アジアと中央アジアにはイスラム教という共通する要素がある。
国連の定義によるアジアの範囲は広く、共通するのは欧州諸国の植民地支配の対象だったことだけだ。20世紀にアジア諸国は独立したが、少し前のアジアのイメージはヨーロッパに比べて近代化が遅れ、経済的に停滞しており、クーデターが頻発するなど民主主義が根付かず、人権や自由などを尊重する社会にはなっていないーか。つまり、ヨーロッパにとってアジアは見下す対象であった。
日本を始めとする東アジア諸国や東南アジア諸国、さらにはインドの経済発展もあり、人々の国境を超えた交流が増えるにつれ、アジア人との意識が広がっているようにも見える。ヨーロッパにとって成長するアジアは有望な市場となり、収奪の対象から対等の市場になり、さらには今後の経済成長が見込める市場となった。ヨーロッパにおけるアジア観は大きく変容した。
共通項や共通イメージを求めることが、アジアという枠組みにとらわれた発想である。ヨーロッパの白人とは異なる人々が住む地域であるとくくるより、アジアの人々はそもそも別種の文化で生きてきた人々であると了解するところに、EUのような枠組みがアジアで可能となる道がある。その枠組みは、多様性を許容し、各国の独自性の主張を包含するものとなるだろう。
アジアの存在価値とは、ヨーロッパの価値観とは異なる社会が地球上にあり、機能しているとともに歴史的な持続性や正当性があると主張することだ。アフリカはヨーロッパに対抗できるほどの社会になっておらず、ラテンアメリカはヨーロッパの価値観の延長上で社会形成を行っている。ヨーロッパ由来の価値観の「偏光」を是正することができるのはアジアだ。