2024年10月30日水曜日

アジアの存在価値

 アジアを国連は、西アジア(トルコからアフガニスタンまでとアラビア半島などの15カ国)、中央アジア(カザフスタンなど5カ国)、南アジア(インドなど7カ国)、東南アジア(ASEANなど11カ国)、東アジア(日本、中国、韓国、北朝鮮、モンゴルの5カ国)とする。ロシアは東ヨーロッパに分類され、北アジアという概念は使われない。

 人種的な広がりが大きく、多くの民族が混在し、習俗や文化や宗教などでも大きな違いがある広大な地域をアジアと一括りにする概念は、地域的な一体感が希薄で大雑把すぎる。これは、紀元前に地中海東部のフェニキア人が使っていた呼称が起源で、太陽が出る東方を示した呼称がやがてアジアという名称になり、太陽が沈む西方の呼称がヨーロッパになったという。

 外務省は東アジアと東南アジアと南アジアをアジアとしているので範囲は狭まったが、まだ地域的な共通項や一体感が希薄な印象は否めない。アジアという地域的な名称の括りが、そこに住む人々から出てきたものではないので、相互のつながりを意識することがなく、地域的な連帯感めいたものも少なかった。西アジアと中央アジアにはイスラム教という共通する要素がある。

 国連の定義によるアジアの範囲は広く、共通するのは欧州諸国の植民地支配の対象だったことだけだ。20世紀にアジア諸国は独立したが、少し前のアジアのイメージはヨーロッパに比べて近代化が遅れ、経済的に停滞しており、クーデターが頻発するなど民主主義が根付かず、人権や自由などを尊重する社会にはなっていないーか。つまり、ヨーロッパにとってアジアは見下す対象であった。

 日本を始めとする東アジア諸国や東南アジア諸国、さらにはインドの経済発展もあり、人々の国境を超えた交流が増えるにつれ、アジア人との意識が広がっているようにも見える。ヨーロッパにとって成長するアジアは有望な市場となり、収奪の対象から対等の市場になり、さらには今後の経済成長が見込める市場となった。ヨーロッパにおけるアジア観は大きく変容した。

 共通項や共通イメージを求めることが、アジアという枠組みにとらわれた発想である。ヨーロッパの白人とは異なる人々が住む地域であるとくくるより、アジアの人々はそもそも別種の文化で生きてきた人々であると了解するところに、EUのような枠組みがアジアで可能となる道がある。その枠組みは、多様性を許容し、各国の独自性の主張を包含するものとなるだろう。

 アジアの存在価値とは、ヨーロッパの価値観とは異なる社会が地球上にあり、機能しているとともに歴史的な持続性や正当性があると主張することだ。アフリカはヨーロッパに対抗できるほどの社会になっておらず、ラテンアメリカはヨーロッパの価値観の延長上で社会形成を行っている。ヨーロッパ由来の価値観の「偏光」を是正することができるのはアジアだ。

2024年10月26日土曜日

未来か過去か

 多くの人は正月に初詣に出かけ、新年の家族の無病息災や平安無事、進学や就職の成功、恋愛の成就などを神様にお願いする。宗教行事というより慣習化した行動だが、信仰心のない人々が年に1回ぐらいはと神様を意識する行動を長年続けているのは興味深い。一方、初詣では願い事をするのではなく、前年の1年間、平穏無事に暮らすことができたことを神様に感謝すべきだとする人もいる。

 年に1回、願い事をするのは新年という未来に向けた「その時だけ」の神様との縁だが、神様が過去1年ずっと見守っていてくれたことを初詣で感謝するのは、神様との縁がつながっているとの意識があるからだ。初詣での願い事を大半の人はじきに忘れ、願い事がかなわなかったとしても神様を意識することはないだろう。そして新年になると初詣に出かけ、新たな願い事を神様に頼む。

 願い事を神様に伝えて効果がなかった人々も、願い事をしたことなど忘れた人々も、新年を迎えて年中行事の一つとして神様に新たな願い事を伝える。神様に願い事をすることに意味があり、その願い事を神様が聞き届けるかどうかには関心がない様子だ。平穏無事に暮らした1年を神様に感謝する人々のほうが神様の存在を意識している。

 数年ごとに行われる国政選挙で多くの人は、候補者や政党が掲げている公約を投票の判断材料にするという。それらの公約が実現するかどうかは定かではなく、政権与党になった候補者や政党の公約であっても、その公約が実現するとは限らない。おそらく、自分が判断材料にした候補者や政党の公約がどうなっていくかを投票した人々の多くは次第に忘れ、国政選挙のたびに候補者や政党の公約を見比べる。

 候補者や政党の公約は、選挙後という未来に向けた主権者との約束だが、その実現性は不確かで、投票した人々にできることは実現を期待するだけだ。だが、過去の候補者や政党の行動や実績なら判断材料が豊富にそろっており、選挙後の数年をまかしてもいい候補者や政党であるのかを人々は具体例で評価、判断することができる。

 初詣での神様への願い事なら、それが叶うかどうかは神様まかせだろうが、人々の生活に密接に関係する国政を担う政治家や政党に、実現するかどうか分からない公約を頼りに投票することは白紙委任状を渡す行為だ。初詣での願い事が叶わなくても神様を見限らないように、公約を実現させなくても政治家や政党を見限らないなら、それは非政治的な行動だ(神様には責任を問うことはできないが、政治家や政党には責任を問うことができる)。

 判断材料は、未来か過去か。投票するときに、実現するかどうか分からない公約という未来を判断材料にするよりも、歴史に刻まれた政権与党の実績という過去を判断材料にすることが現実的で賢明だろう。全ての候補者や政党は選挙の時には「美味しい」公約を並べて飾るものだ。国政選挙とは、それまでの政権与党に対する評価であると位置付けるなら、判断材料は過去だ。

2024年10月23日水曜日

不動産バブルの重し

 中国は、官による膨大な公共投資と民による過剰な不動産投資を内需拡大の両輪として高成長を続けてきた。過剰な不動産投資で都市部などにマンションが陸続と建てられたが、居住者がいない空き住戸が2億戸以上と推定されるほど、需要を無視した不動産開発だった。その不動産バブルが崩壊し、中国経済の低調が伝えられる。

 金融緩和や財政出動などが必要だと見られていたが、中国政府は不動産バブル崩壊の処理に手間取っていた。今年9月以降に中国政府は景気刺激策を相次いで発表、それは▽預金準備率を0.5%引き下げ市中に出回る金を増やす▽融資済みの住宅ローン金利を引き下げ▽特別国債を発行して大手国有銀行に資本注入(銀行の健全性を高める)▽優良な住宅開発案件への銀行の融資を促す制度を拡大(不動産開発会社の資金繰りを支援)▽上場企業の自社株買いに対する融資枠3000億元を設定(株式市場支援策)ーなどだ。

 ゾンビ化した不動産企業が多すぎるとともに負債額が大きすぎて、破綻処理すると多くの地方政府や金融機関が傾くので見守るしかできず、中国政府は不動産バブル崩壊に無力だった。不動産バブル崩壊で日本は国債を増発して景気刺激策を繰り返し、国の借金を膨張させた。おそらく中国は日本の対策を研究し、中央政府の負債が膨張することの危険性を認識した。

 危険性とは、中央政府に対する人々の信頼が毀損されることで、それは中央政府が発行する通貨に対する信頼が揺らぐことにつながる。中国の人々が金(gold)を好むことは以前から知られており、平時においても中国では人々が金(gold)などを買い溜めたり、外国に資金を移そうとするのは、中央政府が発行する通貨に対する完全な信頼が人々にはない現れと見ることができる。

 天安門事件やコロナ禍における過剰な行動制限など、いざとなれば多くの人々の犠牲をいとわず、共産党の独裁統治を守るという中国政府の真の姿を人々は見抜いているから、そんな政府が発行する通貨に対する信任は限定的なものになる。華僑の存在が示すように歴史的に中国の人々が他国に移住することを繰り返してきた。中国では政府が人々を管理の対象と見るが、人々は政府を見捨てることで対応したともいえる。

 中国政府の一連の景気刺激策は、金融機関の健全性を高め、救える不動産企業を救いつつ、消費を活性化させることを狙ったものだろう。だが、金額は足りず、遅すぎたとの批判もある。さらに中国政府は都市部で、老朽化した住宅100万戸を買い取り、住人には新たな住宅に住み替えてもらう政策を発表するなど、積み上がった空き住戸の処理に懸命だが、2億戸以上ともされる空き住戸の解消には程遠い。

 中国政府が発表する経済統計の信憑性は低いとされ、中国経済の実態を外部から正確に知ることは簡単ではない。改革開放から「中国の夢」を追う経済体制に転換しつつあるようだが、何がどのように変化させられるのか外部からは見えづらい。不動産バブル崩壊により金融システムが揺らぎ、景気低迷が長期化した日本を反面教師に中国は不動産バブル崩壊の後始末を手際よく行い、景気を上向かせることができるのか試されている。

2024年10月19日土曜日

発情期の動物

 京都府福知山市で、胸に刺し傷のある60代の男性が田んぼで倒れているのが見つかり、死亡が確認された。田んぼには野生のオス鹿1頭がいたと目撃されており、角で刺された可能性があると警察は調べているという。鹿の角はかなり硬く、先が尖っているので、鹿が勢いよく人間に向かってきたりすると危険だ。

 奈良公園では、鹿の角が観光客の足に刺さって負傷する事故が9月に43件あり、前年比2.5倍になるなど、観光客がシカの角で負傷する事故が相次いでいると報じられた。鹿の発情期は9〜11月頃で、オス鹿は非常に気が荒くなるので、不用意に近づいたり、触れたりするのは危険だと注意喚起されている。草食動物の鹿はおとなしそうに見えるが、実は力が非常に強い動物だそうだ。

 発情期にオス鹿が気が荒く攻撃的になるのは交尾の相手を求めることと、他のオス鹿とメスを巡って争うからだ。野生動物には発情期があり、気が荒くなったオス同士が激しく争う場面はテレビの自然番組でよく見かけるシーンだ。哺乳動物で発情期がないのはヒト以外ではネズミ類だという(野生では肉食動物のエサになるから、常に繁殖するようになったと考えられている)。

 争いに勝った強いオスが交尾相手を獲得して子孫を残す仕組みは自然淘汰の重要な要素だろうが、出産した子供を連れているメスは他の肉食動物に狙われやすくなる。発情期と子育て期が一定期間に限定されるのは、野生動物が確実に子孫を育てる可能性を高めるための仕組みだろう。発情期には動物のオスが攻撃的になり、子育て期には子供を守るためにメスが攻撃的になる。

 多くの人が身近で見かける発情期はネコやイヌのそれだろう。ネコやイヌでは発情するのはメスで、オスはメスの匂いなどに反応して、異様な声で鳴いたり、遠吠えしたり、メスをめぐって他のオスと争ったりする(発情期とは「哺乳類などが交尾可能な状態にあり、交尾を求める行動をする時期。繁殖周期の中でメスがオスを受け入れる期間」)。また、野生のウサギには発情期があるが、飼われているウサギには発情期がなくなり、繁殖は年中可能になるという。

 発情期のネコやイヌの狂おしいような鳴き声を聞いたりすると、自然の摂理に突き動かされ、異様な行動をするようになる動物の哀れさに思いを寄せたりもする。だが、繁殖の実現による「種の保存」が最重要だというのが自然の法則だとすると、動物に発情期があり、否応なく動物が進んで交尾に向かうという仕組みは、うまくできている。種の保存が本能として動物には組み込まれているのだ。

 ヒトは常に繁殖可能だ。常に発情しているともいえるが、多くの人にとっては10代〜30代ほどが発情期に相当するか(個人差は大きいだろう)。生まれた子供が成人するまでに長期を要し、手間も要するのでヒトにとって発情期よりも子育て期間のほうが「種の保存」のために重要だ。動物の多くは子育てをメスだけで行うが、ヒトではオスも子育てに参加する(個人差はある)。家族の形成と発情期の有無には何らかの関係があるのかもしれない。

2024年10月16日水曜日

開放的な人

 開放的と見られる人がいる。開けっぴろげな人物で自分を包み隠さないというイメージで、何でも思いついたことをすぐ言葉にし、会話を弾ませる。時には、発言が不適当で批判されたりすると、自説に固執することなく、納得すると批判を受け入れ、さらに会話を発展させたりする。

 開放的な人は楽観的な性格だと見られる場合もあって、周囲の人から親しみを持って遇される。逆に、何を考えているのか分からない人は閉鎖的な人物と見られ、あからさまな警戒感を持たれたりはしなくても周囲からは距離を置かれたりし、周囲からの親しみを得ることに苦労したりする。

 他人を分け隔てなく受け入れると感じさせることは開放的な人物の条件だ。自分が気に入った人だけを受け入れることは誰でもやっていることだが、どんな人物であれ受け入れることは誰にでもできることではない。他人の肯定的な部分を受け入れ、否定的な部分を批判・拒否することも誰でもやっているだろうが、否定的な部分をも受け入れることは簡単ではないだろう。

 誰であっても他人を受け入れることは、好き嫌いがないことではなく、また、嫌いな人を笑顔をつくろって我慢して受け入れるのではない。考えや感情が自分と他人は異なることを自明とし、ことさら意識しなくても、自分とは異質な他人の存在を容認する。開放的な人は他人の目にさらされても動じない自己を持っていて、そんな自分と異質な他人の存在を認めるようにも見える。

 自分の思ったことを素直に言っているようなイメージも開放的な人物にある。他人の感情などに配慮して、自分が言いたいことを言わないのではなく、思ったことを言葉にしているイメージだ。言いっぱなしの人もいるが、相手の反応により言い換えたり修正したりといった気の使い方をする人もいる。

 こうした開放的な人物のイメージは類型的なものであるかもしれない。開放的に装うことは可能であり、周囲に人がいる時にだけ開放的な人物になってみたり、本音を隠したまま気軽な話題について開放的に振る舞ってみたりと、時と場合によって開放的に振る舞う人や、仲間内でだけ開放的になる人は珍しくないだろう。

 心の内を全てオープンにしているように見える開放的な人物にも、いわゆる素の部分が心にあるだろうが、それは見せない。1人になった時には素に戻るのかもしれないが、それを人前では決して見せないのが開放的な人物に見える秘訣か。開放的な人物とは誰かという問いは、誰が開放的に見えるかという問いである。

2024年10月12日土曜日

魂と仏教

 魂は「①生きている動物の生命の原動力と考えられるもの。死後は肉体を離れるといわれる。②仕事を支えるものとしての人間の精神。気力」とされ、霊は「①人間の知識や経験を超えて、そこに何かあると感じられるが、実態としてはとらえられない神秘的な現象(存在)。②死者の魂」、霊魂は「その人が生きている間はその体内にあって、その人の精神を支配し、死後も色々な働きをなすと考えられるもの」と新明解国語辞典。

 魂も霊も霊魂も物質として存在することは確かめられておらず、その存在は「信じる」か「感じる」しかない。さらに魂や霊や霊魂が、その人の死後も消滅することがなく、どこかに存在し続けることも客観的に確かめられてはいないので、死後の魂や霊や霊魂の存在も「信じる」か「感じる」しかない。

 ある人が信じることや感じることは個人的な経験であり、それを他者と共有することは簡単なことではない。だが、魂や霊などの存在を否定する人が少ないように見受けられるのは、多くの人が魂や霊などに相当する何かを信じたり感じたりしているからかもしれない。魂や霊などの存在が宗教を超えて信じられているのも、魂や霊などの存在を信じたり感じる人が多いからか。

 魂を操作できるとする宗教者がいる。仏教の多くの宗派では仏壇や墓、位牌などを購入した人に魂入れを行うとして、仏壇や墓、位牌などに向かって僧侶が読経を行う。魂入れを行うことによって仏壇や墓、位牌などに個人の霊が宿り、礼拝の対象になるとする。僧侶が魂や霊などを仏壇や墓、位牌などに本当に入れることができるのか誰も知らない。引越などで仏壇を移動させる時には、まず魂抜きを行い、引越先で魂入れの儀式を行うのだという。

 僧侶が本当に死者の魂や霊を読経によって操作し、仏壇や墓、位牌などに死者の魂や霊魂を入れたり抜いたりできるのだとしたなら、それは驚嘆すべきことだ。だが、そうした僧侶の行為は魂や霊や霊魂の実在を前提とし、さらに魂や霊や霊魂を僧侶がコントロールできるとするから成り立つ。魂や霊や霊魂の実在を疑う人々からは、そうした僧侶の魂入れ魂抜きは御布施稼ぎの行為としか見えない。

 魂も霊も霊魂も、その存在を信じたり感じたりする人には実在するものであろうが、その存在を疑う人には実在しない。人々が感じている魂や霊や霊魂と、僧侶が儀式化する魂入れ魂抜きの対象の魂や霊や霊魂が一致していれば仏教に対する信仰は堅固であろうが、一致しなくなれば仏教に対する信仰は形骸化するばかりだ。

 仏教の基本的な立場は無我説にあり、輪廻する主体や中有の状態にある霊魂は否定されるとする説がある(『仏教とは何か』山折哲雄著、中央新書)。「仏教において解脱というのは主体(我)もしくは霊魂的な存在(有)から自由になることを意味」し、無我の立場によって「我と霊魂の存在を否定することになった」。

 しかし、「ブッダは霊魂の有無を論ずることの無益を説いたと伝えられる」が、後の部派仏教の時代に至って「輪廻の主体にかんする反省があらわれ、霊魂的な存在としてのブドガラ(捕特伽羅)を認める議論が登場」した。つまり輪廻転生する主体として霊魂が持ち出されるようになった。ブッダが否定したという魂や霊の存在を後の宗教者が必要としたのは現世的な理由からだろうと推察できる。

2024年10月9日水曜日

諜報機関の活躍

 2024年4月にシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館の領事部をイスラエル戦闘機が空爆し、イラン革命防衛隊の司令官や軍事顧問らを殺害した。この攻撃は、革命防衛隊の司令官らが逗留していることを察知・確認したから行われたものだ。これはイラン大使館に出入りする人物の情報をイスラエルが把握していたことを示す。

 同年7月にはレバノンの首都ベイルートをイスラエル軍は空爆し、ヒズボラの幹部を殺害した。この空爆では子供を含む30人以上が殺害されたとレバノン保健省。こうしたヒズボラの幹部を標的にした空爆を行うことができたのは、イスラエルがヒズボラの幹部の居場所を把握していたからで、レバノンでのヒズボラ幹部の動向を常にイスラエルは監視しているのだろう。

 7月にはイランの首都テヘランで、イラン新大統領の宣誓式に出席するため宿泊施設に滞在していたハマスの最高幹部が殺害された。ミサイルが撃ち込まれたとも仕掛けられた爆発物が遠隔操作により爆発したとも報じられたが、ハマスの最高幹部を標的にしたピンポイントの攻撃だったことは明らかだ。ハマス幹部を殺害する動機を持っているのはイスラエルで、イラン首都にも綿密な情報網を構築していると推察される。

 9月17日にレバノン各地で、ヒズボラのメンバーが使用するポケットベルタイプの通信機器が一斉に爆発し、死者30人超、負傷者は約4000人という被害を出した。携帯電話の電波は探知されるとしてヒズボラはポケットベルタイプの通信機器を戦闘員や関係者らに配っていたという。この通信機器はイスラエルの諜報機関が関与するハンガリー企業が、ヒズボラ向けに爆薬を電池に混ぜ込んで製造していたと報じられた。

 同18日にはレバノン各地で、ヒズボラのメンバーの所持するトランシーバーが一斉に爆発し、死者20人超、負傷者約600人となった。このトランシーバーは日本企業の製品とされたが、同社は10年前から同機種を「製造も輸出もしておらず、作動に必要なバッテリーも製造していない」。今も模造品が出回っているといい、ここでもハンガリー企業の関与が疑われるとする報道もある。

 2023年10月7日にハマスはイスラエルに対して大規模な奇襲攻撃を行ったが、この攻撃をイスラエルは察知することができなかった。約1200人が殺害され、251人が拉致され、今も約100人が人質になっている。ガザにもイスラエルは諜報員を確保したり、侵入させて情報収集に励んでいたであろうが、大規模な攻撃を察知できなかったのだから、イスラエルの諜報能力にもアナがあった。

 イスラエル軍のガザ侵攻が始まって以来の情報戦では、レバノンやイランやシリアなどの諜報網をフル回転させているだろうイスラエルが圧勝している。だが、ハマスの奇襲攻撃をイスラエルが察知して防いでいれば、現在のガザやレバノンでの大量の民間人の死傷はなかった。諜報網や諜報機関は、自国が戦争に引き摺り込まれることを未然に防ぐことに存在価値がある。自国が戦争に引き摺り込まれてから、やっと「活躍」するような諜報機関は国を危うくする。

2024年10月5日土曜日

裏目に出た戦略

 フォルクスワーゲン(VW)がドイツ国内での工場閉鎖を検討していて、工場閉鎖は創業以来初めてだと報じられた。VWはドイツ国内の12万人以上の従業員の雇用を保証する協定も破棄し、労働組合との交渉が続いている。稼ぎ頭だった中国市場で中国EVメーカーが台頭してVWはシェアを失いつつあり、コスト削減へ縮小せざるを得なくなった。

 VWは以前、トヨタなどのハイブリッド車に対抗するためディーゼル車に注力したが、排気ガス不正が暴露されて好調だったディーゼル車販売は停滞し、自動車産業で主導権を握るとのEUの戦略もあってVWはEV一辺倒へと舵を切った。だが、割高なEVの販売は補助金頼みから脱することができず、さらに割安な中国製EVが大量に輸出されてきて欧州のEV市場は侵食され、VWのEV一辺倒の戦略は裏目に出た。

 経営戦略のミスを繰り返したのだからVWの経営が揺らぎ、工場閉鎖に追い込まれたのは当然だ。「これからはEVだ」と欧州などのメーカーもEVの新車を続々投入したが、期待通りには売れず、戦略の再考を余儀なくされている。メルセデス・ベンツやボルボ、GM、フォードなどはEVへの投資見直しを表明し、売れているハイブリッド車を増やすそうだ。

 売れない商品から売れている商品へと切り替えるのは当然の経営判断だが、市場動向に追随しているだけとも見える。VWはディーゼル車やEVなどを投入し、市場を自分たちの思うように塗り替えようとしたが、失敗した。自分らが考える「理想的」な商品を投入して、市場を操作しようという考えが破綻したのだが、内燃エンジン車の禁止とEV転換はEUの方針でもある。

 構造的に新しい商品の投入により、既存市場に大きな需要が生まれるという代表例はテレビだ。液晶テレビの誕生でブラウン管テレビの陳腐化が明らかとなり、世界のテレビ市場で大きな買い替え需要が生まれたが、液晶テレビに注力した韓国や中国の家電メーカーが急成長することにもなった(日本などの家電メーカーは需要を取り込めず、衰退した)。

 飽和市場でもメーカーはモデルチェンジなどで既存商品の陳腐化と新規需要の開拓を行うが、構造的に新しい商品の投入は市場の飽和性を消滅させるので、大きな需要を新しく発生させる。EUがEV転換を強制するのは、飽和した先進国の自動車市場で欧州メーカーに主導権を取らせようとの狙いがあったのかもしれないが、割高なEVは浸透せず、中国メーカーのEVが市場を席巻することを助けた。

 EUは自動車市場を強制的に変えようとして失敗した(現時点では)。EV転換を正当化する根拠は気候変動論で、「CO2削減は正しい」という主張だ。EUは気候変動論を効果的に拡散させて世界で主導権を取ろうとしているようにも見えるが、市場(人々)はそっぽを向いて、EV転換は進まない。EUは中国製EVに高関税を課すが、それで欧州メーカーのEVが売れるようになるのか新たな実験が始まった。

2024年10月2日水曜日

巨大ブラックホール

 地球が属する太陽系は天の川銀河の中にあり、天の川銀河の中心には太陽の400万倍の質量のブラックホールがあるという。ブラックホールはその重力によって光さえ閉じ込めるので見ることはできないが、ブラックホールに超高速で吸い込まれる大量の物質の摩擦により周囲が光り輝く。天の川銀河の中心にあるブラックホールの画像が2022年に公開され、明るい光の中心に暗い領域がぼんやり映し出されていた。

 ブラックホールの大きさは様々で、太陽の数倍ほどから数十億倍の質量のものが知られているが、さらに太陽の数百億倍のものも存在すると考えられている。ブラックホールは周囲の恒星などを吸収したり、他のブラックホールと合体することを繰り返して巨大化すると考えられているが、138億年前に宇宙が誕生して、その数億年後に巨大ブラックホールが存在していたと明らかになった。

 英国などの研究チームは、宇宙誕生から4億年後に、質量が太陽の数百万倍という巨大ブラックホールが存在していたと発表した。太陽の数百万倍の質量のブラックホールが形成されるには、従来は約10億年が必要と考えられていたが、発見されたブラックホールは宇宙誕生から4億年後に存在していた。研究チームは、発見したブラックホールは従来の考えとは異なる過程で形成された可能性を指摘した。米ハーバード大学などの研究チームは、宇宙誕生から4億7000万年後にはすでに大質量ブラックホールの形成が始まっていたと発表した。

 東大宇宙線研究所などの研究チームは、宇宙誕生から10億~20億年後の120億~130億光年先にある銀河185個のうち10個で、ブラックホール由来となる特徴的な波長データを発見した。ブラックホールの質量は太陽の100万倍から1億倍で、宇宙誕生からはるか後に形成された同規模の銀河のブラックホールよりも10~100倍大きく、急成長したと考えられると研究チーム。

 国立天文台などの研究チームは、宇宙誕生から9億年後の129億光年先にある成長の初期段階の暗いクエーサーのペアを詳細に観測したところ、二つの銀河が合体して超巨大な銀河になろうとしているところで、高光度クエーサーの祖先であるとした。極めて明るく輝く高光度クエーサーは巨大ブラックホールの存在を示すものであり、初期宇宙における天体の進化を明らかにする大きな手掛かりとなる発見だという。

 宇宙誕生から数億~20億年後の初期の時代に、巨大ブラックホールが数多く存在していたことは確実なようだ。観測精度が上がるにつれ、さらに多くの巨大ブラックホールが発見されるかもしれない。素人考えだがと前置きして友人は「宇宙誕生では現在の宇宙全体の質量の数十倍の質量が誕生し、現在よりもはるかに狭い宇宙で数億年で次々と巨大ブラックホールになった。それらの大量の巨大ブラックホールは現在の宇宙の外縁部に散らばっている」とした。

 続けて友人は「宇宙の外縁部に散らばる大量の巨大ブラックホールが宇宙の中心とは反対側に動き続けているため、宇宙の膨張が加速されているんじゃないか。ダークエナジーと宇宙の外縁部に散らばる大量の巨大ブラックホールには何かの関係がありそうだ」と直感したそうだ。星空を見るのが好きで、天体望遠鏡を買おうと思いながら数十年を過ごしてしまった友人は、数年後の定年退職を機に天体望遠鏡を買うことにしているという。