2025年10月29日水曜日

中国の過剰生産

 資本主義経済で急激かつ深刻な不況が続く経済状態が恐慌だ。企業の倒産・工場閉鎖・操業短縮などが相次いで起きて産業活動が停滞・マヒし、経営者や投資家らの破産、失業者や滞貨の大幅な増大、株価などの暴落、預金者による銀行の取り付け、銀行の閉鎖などで社会的な大混乱が起こる。 

 代表例は、1929年に米国から始まり、全世界に波及した大恐慌だ。ドイツ経済が破綻し、イギリス・フランスの経済も破綻、保護主義が広がり、やがてファシズムの台頭などもあって第二次世界大戦へと至った。2008年の米リーマン・ブラザーズの破綻から始まって世界を同時不況に巻き込んだ金融危機と景気後退は恐慌になるかと不安視されたが、数年後には世界経済は緩やかな回復基調に転じた。

 恐慌になる道筋は--自由競争の結果、企業群の生産が過剰となり、供給が需要をはるかに上回るので在庫が増えるが売れず、操業短縮や工場閉鎖などで失業者が大幅に増えて需要がますます衰え、景気低迷が続くとともに企業の倒産や銀行など金融機関の経営危機が相次いで、深刻な不況が続く。過剰生産は資本主義につきもので、不況は珍しくなく、好不況の景気循環は常にある。

 恐慌が滅多に起こらなくなったのは、国際貿易が活発化し、市場が世界に広がったからだ。例えば、ある国でテレビが生産過剰になって売れなくなったとしても、テレビの需要に対して供給が足りていない他の国に輸出すれば、生産過剰となっていたテレビの新たな市場が確保できる。市場が1国内に限られているより、世界市場を相手にするほうが需給バランスは調整しやすい。

 現在、世界市場があるからと国内における過剰生産を放置しているのが中国だ。共産党は5カ年計画などを制定し、計画経済を維持している格好だが、実際には国営企業や民間企業などの生産は自由に拡大させ、鉄鋼をはじめとして多くの品目で過剰生産となり、国内では様々な分野で過当競争が続き、値下げが繰り返される。最近は太陽光パネル、EVなど自動車、リチウムイオン電池などが中国から世界市場にあふれ出ている。

 中国から世界にあふれ出た生産物は、安さを武器に各国市場を席巻する。中国の過剰な供給力が世界各国の市場の需要を満たすだけなら需給のバランスは保たれようが、競合製品を中国製品が駆逐することも起きる。リチウムイオン電池のように自国で生産できない国なら中国製品は歓迎されようが、EVなど自動車では中国製が売れると自国企業のシェアは縮小する。

 独裁する共産党が経済を管理する中国で過剰生産が続くのは、生産(供給)を最優先する官僚支配が行われているからだ。過剰な投資と過剰生産は経済成長の要因だったので、過剰な投資と生産を適切に管理することができず、中国の過剰生産は今後も続き、世界に中国製品はあふれ出る。中国の過剰生産が世界で恐慌を招く懸念は小さいが、レアアースの輸出規制に見られるように、中国は過剰な供給力で各国市場を占有すると、中国からの供給を政治的な道具とする。グローバル化の恩恵を受けた中国の過剰生産だが、あふれ出る中国製品の激増は世界の問題となった。

2025年10月25日土曜日

貴重な経験

 「いやあ、ひどい目に遭ったよ」と友人。どうしたのか聞くと、「平日に休みが取れて、妻や子供は予定があるというから、一人で海辺をドライブ旅して、見かけた店で昼には海鮮丼を食い、夕方は居酒屋に入って井之頭五郎を気取って、酒抜きで、あれこれ頼んで食ったんだ。ところが1時間もしたら、急に腹の調子がおかしくなって、トイレに2回行ったが、どうもおかしい」。

 続けて「店を出て車に戻ったが、今度は吐き気がしてきた。近くの公園に公衆トイレがあったことを思い出して、車を走らせ、トイレに駆け込んだんだが、そのあとは嘔吐して、しばらくして下痢をしてと、嘔吐と下痢を何回も繰り返して1時間以上もトイレにこもりっきりになった。足に力が入らず、ドアノブにかけた手の力で、やっと立ち上がることができる状態だった」とし、初めてのひどい体験だったと友人。

 医者に行ったのかと聞くと、友人は「嘔吐と下痢を繰り返して、出すものがなくなってからは落ち着いたし、帰宅した頃には異常は感じなくなったから、医者には行かなかった」と言い、「何かの食中毒だろうと思うが、旅先のことだったし、症状がなくなってから行っても医者には判断がつかないだろう。食べたものも吐瀉物や便も持ち帰ってはいないのだから、検査しようがない」。

 食中毒だったとしても、友人の奥さんや子供には何の症状もなかったというので、その日に友人が食べたものに菌やウイルスが潜んでいたのか、数日前に食べたものに菌やウイルスが潜んでいたのかは不明だ。ちなみに潜伏期間は、セレウス菌は30分〜16時間、黄色ブドウ球菌は1〜3時間、サルモネラ属菌は6〜72時間、腸炎ビブリオは8〜24時間、ボツリヌス菌は8〜36時間、ノロウイルスは1〜3日、カンピロバクター属菌は1〜7日、O-157(腸管出血性大腸菌)は数日とされる(秋本病院HP、以下同)。

 いずれの中毒でも嘔吐と下痢を伴う(ボツリヌス菌の中毒では便秘を伴うという)。友人の場合、腹痛は軽微だったというので、主な症状が嘔吐と下痢になるセレウス菌の中毒が考えられるが、セレウス菌は毒素の違いにより嘔吐型と下痢型に分けられるそうだから、嘔吐と下痢を繰り返した友人には当てはまらないか。

 細菌性の食中毒は食中毒の多くを占め、飲食により摂取した細菌が腸管内で増殖することで発症する感染型の原因菌はサルモネラ、カンピロバクター、腸炎ビブリオ、病原性大腸菌などで、細菌が腸管内で増殖して産生された毒素が原因物質となる毒素型はO-157、セレウス菌(下痢型)などや黄色ブドウ球菌、ボツリヌス菌、セレウス菌(嘔吐型)などとなる。また、食品の飲食などでウイルスが口に入ることで引き起こされるウイルス性食中毒では大部分がノロウイルスが原因。

 何か思い当たる食品や食事はないのかと聞くと、友人は「匂いや色が変なものは普段から食べないし、あの日に食べたものにも気になったものはなかった。まあ症状が長引く食中毒ではなかったから、貴重な体験だった」と笑った。下痢や嘔吐を繰り返すことで菌などが体外に排出されたのだろうが、下痢止め薬を服用すると細菌やウイルスが排出されず症状が長期化する可能性があるという。

 ※農水省によると、直近5年間の食中毒発生件数は700~1100件で推移し、2024年の食中毒は1037件(患者数1万4229人)。5年間の食中毒の原因別では、カンピロバクターなど細菌が30.1%、ノロウイルスなどウイルスが14.6%、アニサキスなど寄生虫が46.1%、キノコなど自然毒が6.3%、ヒスタミンなど化学物質が1.0%となる。

2025年10月22日水曜日

被害者意識で正当化

 アクション映画では、クライマックスシーンでの主人公の暴力を正当化することがストーリー展開の主軸となる。敵がいかに邪悪であるかや、人々が苦しむ様子や敵の暴力を予期して怯える様子が描かれ、時には主人公が襲われて危うく逃れたりもする。観客は主人公の側に共感するように誘導され、主人公が秘めていた力を解放して暴れ回り、敵をなぎ倒すクライマックスシーンに喝采を送り、満足する。

 かつてのヤクザ映画では、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ」主人公の怒りが爆発して、仁義を踏みにじる性根が腐ったヤクザを次から次と切り捨てるのがクライマックスだった。また、異星人の襲来や地球征服を目論む悪人どもの動きに気づいた主人公が、「地球を救う」「人類を救う」などの大きな使命感を持ち、異星人や悪人どもに立ち向かい、何度もの危機をくぐり抜けて異星人や悪人どもを倒すというSF映画でも、クライマックスでの主人公の暴力を正当化するのがストーリーだ。

 スクリーン上で主人公が敵をばったばったと殺そうと、映画が終わって外に出れば、そこは治安が保たれた空間で人々は平穏な日常に戻る。誰かの暴力が正当化されて、その誰かが敵と見る人々を殺すことは許されず、殺人などの暴力は社会的に禁止され、そうした暴力を行使した人は犯罪者として扱われる。殺人などの暴力を行使した人には暴力を「やむなし」とする感情や論理があるのだろうが、どんな理由があろうと殺人などの暴力は許されないことで社会の秩序は保たれている。

 現実の世界では、多くの人々を食い物にしたり法の網をくぐり抜けたりして自分たちの利益だけを追求し、時には隠れて無慈悲な暴力を振るう極悪人がのさばっていたりする。映画の主人公のような、邪悪な連中をなぎ倒すヒーローが現れないのは、相手が極悪人であっても私的な暴力の行使は犯罪を構成するからだ。どんなに正当化しようと、極悪人という人間に対する暴力は許されない。

 だが、ウクライナやイスラエルなどに見られるように、戦争という国家による暴力には自国を正当化する言説がつきものだ。自国を被害者と位置付け、戦争を始めたことを「やむを得なかった」判断だったとして正当化したり、敵が先に攻撃してきたので防衛行動を余儀なくされたとか、敵側の武力侵攻が差し迫っていて「攻撃を受けてからでは遅い」として戦争を始めたことを正当化する。

 国際社会に対して国家は、正当な反撃であるとか自国防衛のための行動であると戦争を正当化するとともに、国内に向けては政権を支持するように世論誘導する。つまり政権によるプロパガンダが盛んに行われ、愛国心を鼓舞された人々は「国を守るために今、戦うことが必要だ」と誘導されて主張し始める。かくて戦争は愛国心の発露の対象となる。

 映画のヒーローは被害者意識を振り回したりしないが、現実世界の国家は被害者意識を自国の正当化に活用する。各国の主張を客観的に評価する国際機関が不在である現在、戦争を始めるためにも、外交で優位な立場に立つためにも各国は被害者意識を活用して自国の主張を正当化する。ヤクザ映画の主人公は暴力を振るった後、素直に刑に服したりするが、米国製アクション映画などの主人公が暴力の責任を問われることはない。何やら現実世界で暴力を正当化している諸国家に似ている。

2025年10月17日金曜日

国民の生命

 野良猫に迷惑しているからと勝手に駆除することは動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)に抵触する。野良犬の個人による駆除も同様だ。カラスやハトを個人で勝手に駆除することは鳥獣保護管理法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)で禁止され、キツネやタヌキやアライグマなどの野生動物を勝手に捕獲することも同法で禁止されている。

 ヒグマやツキノワグマを個人が勝手に捕獲したり、狩猟することも鳥獣保護管理法で禁止されている。猛獣であるヒグマやツキノワグマを個人で勝手に捕獲・狩猟するには相応の道具や武器が必要だろうから、個人でヒグマやツキノワグマに立ち向かうのは簡単ではない。米国などのように個人の銃所持が日本で許されていたとしても、素早く動く攻撃的なクマに、ハンターでもない個人が立ち向かうのは無謀だ。

 つまり集落や市街地に出没するようになったヒグマやツキノワグマに個人で対応して捕獲や駆除をすることはできず、行政頼みとなる。鳥獣保護管理法で認められる鳥獣の殺傷は「狩猟による捕獲」または「許可による捕獲」のみで、クマが現れて被害が出たか被害の恐れがあるときに許可を申請し、捕獲や駆除が許可される。野生のクマは原則的に保護すべきという法律なので、捕獲や殺傷は制約される。

 クマの個体数を適切に管理する体制が構築されていたなら、増えすぎたクマが集落や市街地に出没することを防ぐことができただろう。山におけるドンドリなどが不作なのでクマが人里にまで現れるというニュースが増え、クマが増えすぎているとの論が後退した気配だが、そもそもクマの実際の生息数がぼやけているのだからクマ出没増加の理由は推定でしかない。どんぐりの不作とクマの個体数増加が同時に生じた可能性もある。

 「国民の生命と財産を守る」ことを掲げる政党は多い。日本各地で集落や市街地に出没したヒグマやツキノワグマによる日本国民の殺傷事件が毎日のように報じられるが、政党や政治家から緊迫感を伴うメッセージは出てこない。「国民の生命を守る」ことをどこまで本気で考えているのか疑わしく、政党や政治家が掲げる単なるキャッチフレーズの一つなのかもしれない。

 永田町では権力争いが過熱し、政党や政治家が永田町の外には目を向けていない現在、緊急性のある有効な対策は皆無のまま、クマによる殺傷事件は今後も続く可能性がある。起きてほしくはないが、もし子供がクマの被害にあったなら世論は沸騰し、「なぜ悲劇を防ぐことができなかったのか」と行政に対する批判が一気に高まるだろう。政党や政治家は地方自治体を責めて、それから政党や政治家が何らかの主張を始めるとの対応が見られるかもしれない。

 国民は自力ではヒグマやツキノワグマに対応できず、地方自治体には独自でヒグマやツキノワグマを捕獲したり駆除する能力はなく、クマが集落や市街地に出没して危険性が可視化されてから猟友会頼みとなる。政党や政治家が国民一人ひとりの生命を守ることを真剣に考えていない現状と、クマの集落や市街地への出没が続く可能性が高いことを考え合わせると、クマによる日本国民の殺傷事件は続く。

2025年10月15日水曜日

喧嘩する金持ち

  「金持ち喧嘩せず」とのことわざがある。その解釈は「①金持ちは利にさとく、喧嘩をしても得することがなく、時には損をするので、他人と争うことはしない、②金持は利をもたらさない無駄な争いはしない、③金持ちは心に余裕があり、他人と争う気持ちになりにくい」とされる。

 貧富の格差が拡大した各国で、資産が日本円で数千億円という大金持ちが増えているようだ。そうした大金持ちが「金持ち喧嘩せず」と穏やかに鷹揚に振る舞ってくれれば世間は、大金持ちを羨みつつ憧れたりし、中には、うっかり尊敬したりする人もいるかもしれない。だが、トランプ氏のように大金持ちになっても、攻撃的で喧嘩を好む人もいるので、全ての金持ちが「喧嘩せず」ではない。

 大金を持つことで人の性格は変わるのだろうか。穏やかな性格の人が金持ちになれば「金持ち喧嘩せず」となる可能性が高いが、他人に対する許容度が低い人は金持ちになっても他人に対して厳しく接するかもしれない。金持ちになって生活の不安がなくなり、金で解決できることは金で解決すればいいさと鷹揚な境地になったなら「金持ち喧嘩せず」だろうが、金持ちになった人が全て鷹揚な境地に達するかどうかは不明だ。

 艱難辛苦を乗り越えて一代で金持ちになった人なら、日々の暮らしに追われる人々を理解・共感しやすいだろうが、金持ちだった親の資産を受け継いだ人は、贅沢な暮らししか経験していないだろうから社会経験が限られ、日々の暮らしに追われる人々を見下げたり、努力が足りないなどと酷評するかもしれない。そういう人は自己責任論を自己の肯定のためにも他者批判のためにも活用する。

 金持ちだから階層の上位にいると過信し、わがままに振る舞うことが当然と思い込み、自己の感覚・主張に反する他者を許容することができず、厳しく批判し、時には喧嘩する金持ちもいる。そんな金持ちが権力や権威を求め、権力や権威を得ることができると、その権力や権威を用いて「金持ち喧嘩する」が実現する。権力や権威を持った金持ちは時には絶対君主であるかのように振る舞う(国によっては権力を占有した人が私腹を肥やし、大金持ちになる)。

 資本が権力に接近し、権力が資本に接近する構造は世界各国で古くからあるが、各国で増えた金持ちが権力に接近し、権力は金持ちに近づくようになった。格差社会が拡大しているのは、格差を問題としない金持ちの政治権力に対する影響力が増大し、格差を是正しようとする動きが制約されているからだ。金持ちが喧嘩するのはトランプ氏のように目に見える場合もあれば、権力に影響力を行使するだけという見えにくい場合もある。

 新しく金持ちになった中国も、強気で各国との喧嘩を辞さない。膨大な人口を抱え、共産党による統治が迷走して貧しい国とかつては見られていたが、外資を積極的に呼び込んで経済成長を続け、世界2位の経済大国になり、国内に多くの金持ちを生み出した。喧嘩を売ったり買ったりする金持ち国に対して各国は戸惑い、対応に苦慮している様相だ。トランプ氏や米国、中国などへの対応に悩んでいる人々や国は、「金持ち喧嘩せず」なんて信じることはできない。

2025年10月11日土曜日

復讐心の暴走

  2年前の2023年10月にハマスがイスラエルに奇襲攻撃を行い、約1200人のイスラエル人を殺害し、約250人を人質として連れ去った。ハマスには大規模な戦闘を仕掛けることはできまいと慢心していたイスラエルは、ハマス側からの集中的なロケット弾攻撃の中、分離壁のあちこちを破壊され、多数の戦闘員のイスラエル側への突入を許した。

 惨事の後、イスラエルはガザ侵攻を開始し、ガザを徹底的に破壊するとともに、これまでに6万7000人以上のパレスチナ人を殺害した(犠牲者には子供も多く含まれる。実数はもっと多いと見られる)。イスラエルがガザで行っていることは「ジェノサイドだ」と各国や国際機関などから指摘されるが、イスラエルは猛反発し、ハマスの行ったテロに対する正当な反撃だと主張する。

 イスラエルのガザ攻撃を支えるのは、人々の間に広がったハマスに対する復讐心が大きいだろうが、武装した敵対勢力の存在を許していたから惨事が起きたので徹底的に無力化すべきだとか、ガザを占領してユダヤ人の入植地にするなどの主張もあるようだ。ネタニヤフ政権を支える極右政党からは、ガザからのパレスチナ人追放を求める主張などがある。

 徹底的に破壊したガザでイスラエルは国際的な支援活動を制約し、飢えに直面している人々がいると伝えられ、「ジェノサイド」が進行中であることは明白だが、イスラエルの行動を国際社会は座視するしかない状況だ。イスラエルに対して影響力を有する米国だが、トランプ大統領がパレスチナ人をガザ以外に移住させることを主張したりする状況では、米国はイスラエルの行動を支持していると見るしかない。

 イスラエルの行動を米国は理解でき、共感できるのかもしれない。かつて米国は奇襲攻撃を受け、反撃して徹底的に相手側を破壊した歴史がある。1941年の真珠湾攻撃では米国側の戦死・行方不明者は2400人以上になり、世論は沸騰、米国は参戦し、やがて日本への大規模な都市空爆を続け、大量の民間人を殺害し、さらに広島・長崎への原爆投下により20万人以上を殺害した(これはジェノサイドだが、米国が責任を問われることはなかった)。

 2001年に米NYの世界貿易センタービルなどに乗っ取られた旅客機が突入し、乗客やビル内にいた人など2977人が死亡した。世論は沸騰、約1カ月後に米国はアフガニスタン空爆を開始して、タリバン政権を崩壊させ、2003年にイラク戦争を開始してフセイン政権を倒した。米国の対テロ戦争で死者は、アフガニスタンやイラクで兵士は30万人ほど、民間人は36万〜38万人と推定されている(対テロ戦争による直接・間接的な死者は少なくとも450万人との推計もある)。

 奇襲攻撃を受けて世論は沸騰し、高まりすぎた復讐心が、その後の政府の軍事的な反撃を容認・後押しする一方、政府の行動を監視する世論の機能が低下する。社会に高まった復讐心が、政府の過剰な軍事的な報復(大量殺害=ジェノサイド)を容認する構図は、今のイスラエルと米国の過去に共通する。社会における復讐心の暴走は「やられたら、もっと、やり返せ」と過剰な大量殺害を招く。

2025年10月8日水曜日

国境の内と外

 グローバリズムは「人、モノ(商品など)、マネー、情報が国境にとらわれず、自由に動くことができるようになった状況」を示す言葉だ。以前は、「国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方。汎地球主義」がグローバリズムと理解されていたが、現在は、世界が単一の市場になったとの経済的現象として理解されることが多くなった。

 世界が単一市場になったとのグローバリズムにより、人やモノの国境を越えた移動が活発になり、国境の役割が減少するとともに国家の存在感も希薄化しつつある気配だった。民主主義や自由や人権など欧米由来の価値観は各国で共有すべき規範だとの主張があり、経済も政治も社会もいずれ世界は共通の制度・価値観になると早合点しそうになるが、国家の存在は簡単には揺るがない。

 グローバリズムの恩恵を最も受けたのが中国だ。欧米などから資本と技術を供与されて世界最大の製造拠点となった中国は、欧米など各国への輸出で急成長した。だが中国は、モノの輸出ではグローバリズムを支持・活用するが、人・マネー・情報の国境を超えた移動は厳しく監視・制約する。国境で国を「閉じる」が、世界に対しては自由貿易を主張し、中国の国境外におけるグローバリズムを肯定する。

 現在のグローバリズムの推進者は米国だった。経営陣は米国内で生産するよりも中国で生産して輸入したほうが安上がりだと国内の工場を閉鎖し、大量の従業員を解雇した。グローバリズムのおかげで消費者は旺盛な消費を続けることができたが、解雇された人々の不満は鬱積し、現在のトランプ政権の誕生につながったのだから、トランプ政権は反グローバリズムに動かざるを得ない。

 トランプ政権は高関税により国を「閉じる」方向へ向かうが、モノの輸入を減らすと人々の消費の制約となり、社会が持たない(高関税は国家収入を増やすための策で輸入は大幅減にはならないだろう)。各国からの巨額の投資を歓迎し、米国内に製造拠点を建設させることで、やがて輸入に頼らずとも国内需要を満たすことができる体制にすることを狙う。だが、それにはかなりの時間を要する。

 トランプ政権はモノの輸入を制限し、留学生や高度人材の入国制限など人の移動も制限し始めた。だが、マネーの流入は歓迎し、情報の流通を制限しようとするEUなど国外での動きを牽制する。米国は国内では反グローバリズムの政策を進めるが、米国以外の世界においてグローバリズムを維持・推進する。自国の利益を最優先に国内は「閉じる」が、国外においてグローバリズムを維持しようとする米国は、中国と似てきた。

 反グローバリズムは国家主権を回復させる動きとも考えられ、EU各国などでの極右勢力の伸長も、グローバリズムに同調した既成権力批判とも解釈できる。国際的批判を浴びても軍事行動を続けるロシアやイスラエルは自国の国家主権を国際秩序の上位に位置付ける。グローバリズムの潮流にただ従うのではなく、グローバリズムをいかに利用するかが国家の課題となった。

2025年10月4日土曜日

悟りと自意識

 夏の猛暑や冬の寒波などに愚痴を言わず、その時々の季節の変化を楽しむ人や、小さな利害にこだわらない人、欲得に支配されていないような人などは俗に「悟った人」と冷やかし半分に呼ばれたりする。おおらかで達観した雰囲気が自然に滲み出しているような人が「悟った人」と見なされたりする。

 悟りや悟るは日常でも使われる言葉だ。本来は仏教用語で、生きることの意味や世界の構造など「真理」を理解・会得することを意味するが、そこから、「様子を悟る」「相手に悟られないように」「死期を悟る」「逃げられないと悟る」「悟りの悪い人だ」「悟り澄ます「ことの重大性を悟る」などと、状況を正確に認識することを悟る・悟りという言葉で表現するようになった。

 仏教の修行者にとって悟りは最高段階の精神状態なのだろうが、悟った人が出現したとしても、その悟りは主観的な確信かもしれない。悟りは精神世界の出来事なので客観性を担保することは簡単ではない。修行者の師にあたる人が悟りを認定するそうだが、認定する根拠にも客観性は乏しいだろうから、悟ったかどうかの確証はない。つまり悟りの実態はぼやけている。

 加藤周一氏は禅家の悟りに共通点があるという前提から、悟りについて語る(「一休という現象」、1978年=『加藤周一セレクション②』平凡社ライブラリー所収。適時省略あり)。

 「悟りは、認識論的には主客合一であり、存在論的には、非固体化された自己と一体化した世界を究極の現実とする。その唯一の現実とは、存在と無、および時間の過去・現在・未来を超越する。

 それは、この世界の外にあるのではなく、この世界のあるがままの多様性に現象として現れる。その意味で『一は多であり、多は一である』。仏教的用語で表現すれば『性相不二』であり、本質(究極)と現象(相)とは別ち難い。

 また、存在と無が超越されるから『不生不滅』であり、『色即是空、空即是色』である。時間も超越されるから『刹那即久遠、久遠即刹那』であり、比喩的にいえば『因果脱却』である。

 しかし、本質における『因果脱却』は、現象における『因果輪廻』と表裏相伴わなければならない。前者を知って後者を知らなければ、それは『因果撥無』の禅で、悟りの落し穴である。前者を知って、同時に後者を知ることの比喩的な強調が『花紅柳緑』である--この辺りのところが禅の悟りにも共通の枠組みだ」

 世界をあるがままに受け入れることが悟りには欠かせない認識のようだが、世界をあるがままに受け入れることは受動的な生き方ともなる。自意識を放棄するなら世界をあるがままに受け入れることは容易になるだろうが、自意識を放棄して得られる悟りとは何か。おそらく個を消滅させたところに「真理」があるとの主張だろう。

 ※悟るとは「①迷いからさめ、真理を会得した境地に到達する、②隠されていた事情に気がつく」(新明解)、「①表面には表れていない物事の道理や状況を理解する、②自分にかかわる事柄に気づいて、それを運命として受け入れる、③(仏教で)欲望・執着・迷いなどを去って真理を会得する」(大辞林)。

2025年10月1日水曜日

有効な対策は

 山菜採りに山に入った人がクマに襲われた-などのニュースは以前から毎年、各地から伝えられたが、今年はクマが人里に現れたとか、民家に押し入ったとか、道路を横切ったなどの目撃談がほぼ毎日、全国各地から報じられる。クマの生息数が増えていると研究者は解説し、増えすぎたクマが食糧を求めて、山や森から人里に溢れ出ているような印象だ。

 目撃情報が細かく報じられるようになり、人々のクマに対する警戒心を刺激するとともに関心を高めたので、クマの目撃情報のニュース価値が上がり、以前ならボツになった目撃情報も報じられるようになって、報道量がますます増える。集落や都市郊外に現れたクマに襲われて死傷する人があると大きく報じられ、クマに対する恐怖心を高め、クマの出没情報や目撃情報に対する人々の関心の高さは増幅される。

 クマはどれほど増えているのか。その実態を示すデータは乏しく、生息数についても推定による数値があるだけだ。人里に現れるようになったクマに対応するのは自治体だが、その地域にどれだけのクマが生息しているのか-などのデータが乏しい状況なので、パトロールを強化し、箱ワナを設置して様子を見るだけとなる。国主導で全国的なクマの生息数調査を行うべきだが、そうした動きは見えない。

 クマの繁殖期は6〜7月で「ツキノワグマはオスで2~3歳、メスで4歳程度、ヒグマはオスで2~4歳、メスで3~4歳で繁殖が可能」となり、「繁殖したメスは冬眠中(1月下旬~2月上旬)に出産する」「ツキノワグマは1年半、ヒグマは1~2年半の子育てを行う。それ以外は単独で行動する」(環境省HP、以下同)。

 ヒグマもツキノワグマも1回の出産で2頭前後の子を産むとされる。寿命は「ツキノワグマで15~20歳、ヒグマで20歳程度」とされる(飼育下ではツキノワグマで30歳を超え、ヒグマで38歳の記録がある)。野生のクマの繁殖率を仮に10%とし、ある地域に1000頭のクマが生息していた場合、3年後には1331頭に増え、7年後に1948頭とほぼ2倍になる。山や森にあるクマの食糧は限られているので、飢えたクマが人里に出てくる。

 生息数と同様に野生におけるクマの繁殖率も不明だ。日本でクマは自然界で食物連鎖のトップに位置するだろうから他の捕食動物に襲われて生息数が減ることは考えにくく、クマの個体数が減ることはないだろう。危険を伴うので調査には限度があるだろうが、野生におけるクマのデータが乏しく、生息数など現実を正確に把握できていない状況では、何が有効な対策なのかがぼやける。

 人口増と活発な開発が続いて人間は生活圏を拡大してきたが、それはクマなど野生動物の生息圏を侵食し、縮小させてきた。現在は人口減少と開発の頭打ち、都市への人口集中などによって人間の生活圏が縮小し、クマなど野生動物が増えて生息圏が拡大している状況だ。もしトランプ氏が日本の首相だったら、「国民の命が脅かされている」として強硬なクマ対策を実行させるかもしれない。