2026年4月25日土曜日

自国民の戦死

 2013年10月にハマスはイスラエルを奇襲攻撃し、約1200人を殺害、約250人が人質として連れ去られた。イスラエルはガザに対する容赦ない反撃攻撃を開始し、ガザでの死者数は7万人を超すとされる。圧倒的な軍事力を有するイスラエルはレバノンに対する攻撃も始め、さらに米国とともにイランに対する攻撃も行った。

 中東における軍事的パワーバランスは激変した。今年、イスラエルと米国はイランに対する大規模な攻撃を開始し、多数の死者が出ているだろうが、米兵の死者については詳しく報じられるものの、イラン人の死者についての報道はほぼ皆無で、死者数だけが時折報じられる。イスラエルと米国はイラン各地を戦場に変え、人々が殺されている。

 今回のイランなど戦場における死者はミサイル攻撃や空爆によるものが大半だろうが、イスラエルが封鎖しているガザでは餓死者も出たという。どんな死に方を戦場で人々はしているのだろうか。かつて日本軍に従軍した人々の声を保阪正康氏は記録している(『昭和史の核心』、保阪正康著。適時省略あり)。


「日本は国家総力戦を都合よく解釈して、国家を兵舎とし、国民すべてを兵士と想定しての戦争を続けた。日中戦争やその延長としての太平洋戦争で、どこが戦争の終結点なのか考えもせず、ひたすら国家予算、物資、そして国民の命をつぎ込んだ」

「とんでもない戦略や戦術が横行した。玉砕戦術や特攻作戦に見られるような国民(兵士)の命を無視した戦いを平然と続け、軍事指導者はひたすら、死ねと兵士たちに命令を発し続けた。兵站を無視した日中戦争、太平洋戦争で日本の軍人・軍属、兵士など戦死者は240万人、そのうち7割は餓死だったとの分析もある」

「玉砕、特攻、餓死による戦死者は他国では考えられない。それほど軍事指導者は命を粗末にした。国民の命をもてあそぶなと、次の世代はこの一点で太平洋戦争を検証してみるべきである」(「歴史的見方とは何か」)


「戦死といっても、いろいろなタイプがある。戦闘死、飢餓死、事故死、戦病死などがある。死がいかに悲惨だったかは兵士たちも書き残していて、『戦友の死体にたちまち蛆がわく。蛆は傷口に群がり、やがて全身が蛆だらけになる。骨と皮だった死体が蛆虫で膨れ上がる。ああ自分も明日にはこうなるのかと愕然とする』といった証言は誰もが口にする」

「北方では、手足の凍傷から壊疽になり、切断手術が行われ、麻酔などないから、兵士たちが押さえ込んだり、殴って意識を混濁させたりした。そういう死の形は詳しく語られてはいない」

「戦場で死ぬとは死体が悲惨な姿になることであり、弾丸が当たって一瞬で亡くなる者もいれば、傷を負って戦場に放置されたまま、ゆっくりと死んでいく者もいる。精神的に異常な言動に走る者も出てくる」

「軍事を生半可にかじった者が『日本の兵士は勇敢で優れている』などという巷説を持ち出して讃えることは、大本営の参謀の責任から目をそらさせるためのトリックだ。この戦死者の実像を見つめることが問われている」(「戦死のリアル」)

 他国民の死に米国は冷淡であるが、自国民の死には過敏になる。かつての日本は他国民の死にも自国民の死にも冷淡だった。独裁的な権力だったから国内での批判を封印でき、自国民の大量の死を権力維持のために容認できたが、行き着く先は無条件降伏というボロ負けだった。イスラエルも米国も自国民の死には敏感だが、他国民の膨大な死には無頓着だから、中東で戦線を拡大している。

2026年4月22日水曜日

機密を握る人々

 日本はスパイ天国だと批判する人がいる。その言葉を信じると、日本では各国のスパイが自由に情報収集活動を行っているのだろう。ことあるごとに日本を批判する中国やロシア、北朝鮮・韓国などのスパイが日本の国家機密を狙い、日本を属国化しているとされる米国も、日本を支配下に置いておくために霞が関などにスパイ網を張り巡らしているだろう。

 日本の国家機密が中国やロシア、北朝鮮・韓国、米国などにダダ漏れだとすれば、国際的に日本は軽視され、外部からコントロール可能な国家だと見なされよう。日本が米国の支配を脱して自立し、独自の政策や独自の外交を行うためには、日本国内で活動するスパイを監視・制御し、必要ならば各国のスパイ網を摘発し、自由に各国のスパイが活動できないようにしなければならない。

 ネットや新聞などを頼りに情報収集するスパイは監視・制御できない。だが、国家機密に接することができる日本人から情報を収集しようとする諸外国のスパイなら監視・制御できるかもしれない。そうした日本人に諸外国のスパイは接触し、弱みを握ったり、過度に親密になったりして関係を構築し、情報を提供させるように仕向ける。そうした関係を情報収集の対象者と築くのが各国のスパイの手腕だ。

 機密とは「組織体にとっての大事な秘密事項」だが、国家においては「主に政治上・軍事上・外交上などでの保護すべき重要度が最も高い秘密」であり、外務省は秘密情報を重要度の高いものから順に「機密」「極秘」「秘」の3段階に区分して保護し、防衛省には特別防衛機密として「機密」「極秘」「秘」があり、ほかに「特定秘密」や「省秘」などがある。

 こうした政治上・軍事上・外交上などの国家機密に接し、内容をつぶさに知ることができるのは霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに限られる。スパイ防止法が成立すれば、監視する対象は霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに絞られ、その行動や交友関係などは徹底的に監視されることになるはずだ。日本の国家機密に接し、それを他国に漏洩できるのは霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らだけだ。

 しかし、どのような行為がスパイ活動か、何が処罰の対象か曖昧なスパイ防止法(「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が成立すれば、一般の人々も監視対象になると日本弁護士連合会は警告する。問題点は①「国家秘密」の内容が広範囲・無限定であり、行政当局の恣意的専断を許す、②実行行為及び過失犯など行為類型が広範囲・無限定であり、調査・取材活動、言論・報道活動、日常的会話等のすべてが含まれる、③死刑を含む重罪が課される、④予備・陰謀罪と独立教唆犯の提案は罪刑法定主義と行為責任主義の原則に違反する。

 国家機密の漏洩を防ぐことが目的ならば、監視対象になるのは国家機密に接することができる霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに絞られる。だが、統制強化を目的とするスパイ防止法ならば、行政は拡大解釈によってマスメディアや一般の人々を対象にするだろう。だが、それは国家機密のダダ漏れを防ぐことには効力が弱く、各国のスパイは自由に情報収集活動を行うことを続ける。

2026年4月18日土曜日

主権と自由選挙

 民主主義は、国の政治など統治のあり方を決める主権が人々に属することで成立する(主権在民、国民主権)。選挙を行い、議会や裁判制度を整えて民主主義国であるかのように装っている国でも、主権を軍部や特定の政党、あるいは個人が専有しているなら、民主主義国ではない。そうした国では人々は主権者ではなく、支配される対象である。

 人々が主権を行使する代表例は自由選挙だ。全ての人が1人1票を持ち、自分の意思のみで投票先を決めて投票する(外部からの干渉・強制は禁止)。自由選挙では、誰に投票したかは秘密とされ、立候補の事前制限がなく、自分の意思で誰でも立候補でき、複数の候補が議席を争う。開票は公開され、開票の正確性や検証可能性は保たれる。

 主権を有する人々による自由選挙の結果、主権者を代表して政治などに関わる代表者が選ばれるのだが、投票の結果が常に必ず、人々の代表者として相応しい人物が選出されるとは限らない。見識ある候補者が選ばれたり、思慮深い候補者が選ばれたり、人々の生活に通じている公明正大な候補者が選ばれたり、私利私欲に執着しない候補者が選ばれたりするなら、自由選挙は社会を良くする最上の仕組みだろう。

 だが、自由選挙により、人格に問題がある候補者が当選したり、腐敗臭が漂う候補者が当選したり、私利私欲に執着する候補者が当選したり、権力志向だけが強い候補者が当選したり、道徳心が希薄な候補者が当選したりするなど、自由選挙が行われているからといって、選出される人物が常に「最上」であるとは限らない。

 さらに、自由選挙では、民主主義に否定的な候補者が当選したり、民主主義に背を向け独裁的な権力を掌握することを狙う候補者が当選したり、全体主義への移行を主張する候補者が当選したり、民主主義以前の過去の国家主義を賛美する候補者が当選したりもする。そうした候補者が多く当選すると、主権を持つ人々が民主主義の否定を選択したことになる。

 民主主義に背を向ける候補者が多く当選すると、主権を人々から政治家や政党に移行させようとする動きが顕在化し、徐々に主権を失ってゆく人々は支配されるだけの存在となり、民主主義は形骸化する。そうなってからは、民主主義を回復させようと主張する人々の行動は、治安維持を名目に監視され、社会秩序を乱すものとして暴力的に鎮圧されたりもする。

 自由選挙が実施されていることは、民主主義を阻害する候補者が選ばれないことを保証しない。愚かで自分勝手で権力欲が人一倍強く、虚栄心や自己顕示欲を制御できず、批判されると感情的に反応するが、自分の言動の影響には無頓着で、権力を振り回して人々が混乱するのを見て満足するような人物が選ばれたりもする。もちろん、そうした人物が生じさせた社会の混乱は、そうした人物に自由選挙で投票して当選させた人々にも責任がある。それは主権者が民主主義の価値を信じられなくなった結果である。

2026年4月15日水曜日

情報を消費する

 訪日外国人が4000万人を超え、経済波及効果が大きいと期待されているが、一方で京都などの人気観光地では過剰な混雑(オーバーツーリズム)が地域住民の生活に影響を与え、時には平穏な生活を阻害したり、負担を生じさせていると報じられる。訪日外国人の殺到が現実となって、その負の側面が可視化された。

 訪日外国人は京都・奈良・浅草・秋葉原など定番の観光地以外にも殺到するようになり、例えば、スラムダンクの聖地とされる江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅付近の踏切や富士河口湖町の富士山コンビニ、五重の塔と富士山を同時に見ることができる新倉山浅間公園などにも押し寄せている。人数が多すぎて過密になったり、車道に出て写真撮影したり、ゴミを捨てたり、民家の敷地内に侵入したり、場所を構わず飲食したりと殺到する訪日外国人の迷惑行為が問題化している。

 ガイドブックなどで旅行先の情報を集め、どこを見て、何を食べるかなど行動予定を立てることは以前から誰でも行っていただろうが、今ではSNSが重要な情報源となった。渋谷のスクランブル交差点を見に訪日外国人が集まるのは、スクランブル交差点を四方八方に渡る日本人の様子をSNSで見て、実際に見てみたいと来日するからだ。SNSで得た情報を、実際に確かめるための訪日であり、日本旅行だ。

 旅行には行動予定を立てないものもあるが、いまでは少数派となったか。目的地も宿も決めず列車に乗ったり、車を走らせたりして、様々な出合いを経験するのが楽しみだという人は多くはないようだ。行動予定を立てなくてもスマホで適時に情報をチェックすることができるようになり、得た情報に従って旅行先で行動する観光客が増えたことは、観光地でスマホをチェックしている訪日外国人の多さで明らかだ。彼らは情報とともに行動している。

 SNSで得た情報によって渋谷スクランブル交差点や鳥居が並ぶ伏見稲荷大社などに訪日外国人が集中するのは、SNSなどの情報に誘導されている現象だ。渋谷スクランブル交差点を四方八方から渡る光景が驚きだという情報を得た人が、日本旅行を思い立ち、さらにSNSで情報を集め、その情報を自分で確かめるべく訪日する。これは情報を消費する活動だ。

 消費とは「人が欲求を満たすために財貨・サービスを使うこと」。SNSなどの情報は対価を伴わないことが大半だから、情報が消費の対象だという実感は乏しいだろうし、訪日旅行を促すなど情報は消費を喚起するだけだと思われているかもしれない。だが、SNSなどの情報はサービスとして提供されているものであり、無償であってもサービスを享受するのは消費行動である。得た情報に欲求を刺激されて行動する人は情報の消費者であり、消費された情報は忘れられる。

 情報の大半は流れ去っていくだけだが、人に何らかの影響を与える情報があり、思考や関心の方向を変化させたり、何らかの行動を誘引する。インターネット網が世界を覆い、あふれる情報の中で人々は生きるようになり、情報を選別し、消費する。フェイクニュースに踊らされるのも情報の消費形態の一つだし、特定の出来事に人々の関心が集中するのは情報が大量消費されている現象だ。

2026年4月11日土曜日

カタカナ表記の氾濫

  カタカナ表記の氾濫を問題視する指摘は以前から多かったが、カタカナ表記は一向に減らず、官庁発のカタカナ施策なども増えている。インターネットで世界が結ばれ、新しい概念や知識の流入が飛躍的に増えたこともあるのだろうが、それらを日本語に翻訳する努力は放棄された様相だ。中には辞書に訳語が掲載されているのにカタカナ表記のまま使っていたりする。

 新しいカタカナ表記の大半は英語由来と見られるが、英単語の意味とのズレがあったり、日本独自の使用法であったりして英語話者を戸惑わせる例は珍しくない。新しい概念や知識を英語のままで理解することができるのは人口の少数であろう。理解したことを日本語で表現する作業が翻訳だが、翻訳する能力が社会的に乏しくなったようだ。

 古代以来、日本は新しい概念や知識などを中国から取り入れてきた。独自の文字を持たなかったため、中国語のまま取り入れ、やがて日本語の音に漢字(中国語)を当てはめた万葉仮名で表記するようになり、さらに平仮名や片仮名を考案した。独自の文字を持ったのだが、中国語を捨てることはせず、漢字(中国語)と平仮名、片仮名の混ぜ書きで文章を書くようになり、それが現在まで続いている。

 英語などから取り入れた単語のカタカナ表記が増えているのは、外来の新しい概念や知識などの日本人の受容形態としては伝統的だ。かつては中国から新しい概念や知識などを中国語のまま漢字として日本語の文章に取り入れ、現在は米国などから新しい概念や知識などをカタカナ表記で日本語の文章の中に取り入れる。大きな違いは、中国語をそのまま漢字として使ったが、英語などはカタカナ表記にしていることだ。

 カタカナ表記には、書き手や話し手の解釈が優先して、言葉の定義が曖昧だったり歪んだりする可能性がある。意味内容や定義が曖昧なカタカナ表記の言葉が混じると、意思疎通に限界が生じる。カタカナ表記よりもアルファベットのままのほうが本来の意味を正確に伝え、誤解が少ないとの指摘がある。新聞や雑誌など印刷物の作成は電子化が進み、文章中にアルファベットを組み込むことは簡単になった。

 日本語の文章表記は電子化のため横書きが多くなったが、新聞や雑誌ではまだ大半が縦書きだ。横書きならアルファベットで単語を文章に組み込むことは簡単だが、縦書きではアルファベットの組み込みは制約される(1文字ずつ縦にばらしたり、英単語の部分だけが横向きになったりする)。新聞や雑誌が横書きに移行したなら、カタカナ表記よりもアルファベットが増えるかもしれないが、新聞や雑誌は自らの「改革」に消極的なので、横書きへの移行がいつになるのか不透明だ。

 カタカナ表記の氾濫の問題は、知らないカタカナ表記を聞かされたり読まされたりした人の多くは、そのままに捨ておくだろうことだ。新しい概念や知識を理解する必要があって学んだ人はカタカナ表記であっても正確に理解するだろうが、一般の人の多くは理解しようとせず、聞き流すか読み流す。カタカナ表記の氾濫は、人々の意思疎通を阻害し、日本語の表現を弱体化する。

2026年4月8日水曜日

不確かな定義

 衆議院HPの第180回国会で審議された議案の中に「刑法の一部を改正する法律案」があり、新たに「第四章の二 国旗損壊の罪」を加え、内容は「第九十四条の二 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」とする。改正する理由として「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である」とするが、国旗損壊罪の創設を目的とした刑法改正案は議論が続いている。

 日本において国旗は「国旗は、日章旗とする」(国旗及び国歌に関する法律)とされ、日章旗の寸法は縦が「横の三分の二」、日章の位置は直径が「縦の五分の三」、中心は「旗の中心」、彩色は地が「白色」、日章は「紅色」と定義されている。国旗の外形の寸法は決められていないので、大小の大きさを問わず、法律による定義に当てはまるものは国旗とみなされる。

 だから、お子様ランチに立っている小さな旗が法律による定義に適っていれば国旗になり、五輪の開会式で入場行進する日本や各国の選手団が振る小旗が法律による定義に適っていれば日章旗だとみなされ、国旗になる。さらには、Tシャツなどの胸や背後にプリントされた日章旗が法律の定義に適っていれば、それも国旗となる。

 もし改正刑法が成立すれば、日本の法律により国旗とされる大小様々の旗を損壊・除去・汚損した人は処罰される。食べ終わって片付けられたお子様ランチの日章旗を捨てた人は刑法に抵触し、五輪の入場行進で使われた小旗の日章旗を捨てるなど処分した人は刑法に抵触し、国旗に該当するプリントが施されたTシャツなどを捨てたり破いたりした人は刑法に抵触したことになる。

 国旗損壊罪の創設を目的とした「刑法の一部を改正する法律案」が国会で成立すれば、法律により国旗とみなされる形象の旗を損壊・除去・汚損した人は処罰される。国旗を尊重し、崇める人がいるのだから、そうした感情を尊重することは大切だろうが、そうした感情を絶対視し、人々に強制するのは、多様な意見の存在を許す「自由で開かれた」社会・国家にはふさわしくない。

 さらに、法律による国旗の定義を少しでも外していれば、法律上は国旗ではなくなるので、いくらでも損壊・除去・汚損できる可能性がある。外形が正方形の日の丸や外形が菱形などの日の丸、外形が不定形の日の丸、日章が大きすぎたり小さすぎたり、位置が偏っている旗は日本の法律では国旗とされないから、損壊・除去・汚損を行っても法律上では処罰の対象にはできないだろう。

 国旗はシンボルであるから多少の変形を伴っても、それと認識できる。一方、国旗の寸法などの定義を厳密化するほどに、抜け道は多くなる。だが、法的な定義を曖昧にすることで、行政は解釈で、いくらでも処罰対象を拡大することを行うだろうし、行政に従う日本の司法によって処罰が実行される。国旗の定義が曖昧な国旗損壊罪が成立すれば、権力は解釈次第でいくらでも厳しい処罰を乱発できる。

2026年4月4日土曜日

多すぎる情報

 米トランプ大統領は4月1日、演説で「対イラン軍事作戦の戦略目標は達成に近づいている」「戦闘で圧倒的な勝利を収め、イランの海軍と空軍を壊滅させた」「今後2~3週間にわたってイランを容赦なく攻撃する」「イランを彼らにふさわしい石器時代に戻す」などと述べた。

 イラン攻撃の終結に向けての言及はなく、失望売りで株価が下げ、原油先物は買い進まれて大幅高となった。この演説は日本でも各国でも注目された。それは、不確かな戦略目的のままで始めたイラン攻撃が長引き、原油相場が上昇して米国内でもガソリン価格が上昇し、米国民の生活にも負担と影響が現れている状況に、「気まぐれ」なトランプ氏が一方的に戦闘終結に向けて示唆するとの観測があったからだ。

 トランプ氏の連日の発言やSNSコメントには首尾一貫性が希薄だが、日本や世界のマスメディアはその都度、大きく報じる。各国に高い関税を一方的に課したり、ベネズエラやイランに対する軍事行動を発動させたりと、トランプ政権は世界的な不安定要素となっているのだから各国のマスメディアがトランプ氏の発言を大きく報じるのは当然でもあるが、日本を含め世界のマスメディアはトランプ氏の発言に振り回されている状況でもある。

 トランプ氏は2期目の大統領就任以来、大量の大統領令を発出し、政治の主導権を維持し続けてきた。これは「Flood Zone」戦略とされ、大統領や政権側から大量の情報を毎日、発信することで野党民主党は対応しきれず、マスメディアも大量の情報に圧倒され、検証や批判が追いつかず、結果として大統領や政権側からの大半の情報に対する批判や検証がなされずに、そのまま流通することを目指すものだ。

 それが現実となった。さらにトランプ氏は曖昧かつブレるSNSコメントを連日発信することで、何を信じていいのか判断がつかない状況をつくり出し、大量の情報とともに、混乱する状況にもしている。発信源が信頼できない情報はフェイクとも見なされるが、米国の大統領が発する情報をフェイクとすることはできず、各国やマスメディアは振り回される。

 「Flood Zone」戦略は、情報の洪水を狙って引き起こすことで野党民主党やマスメディアの批判を稀薄化させる成果を得た。トランプ氏の言動を批判すると、痛烈かつ時には礼儀をわきまえない個人攻撃を招くことから、野党民主党もマスメディアも諸外国も及び腰となり、多くはトランプ氏からの「直撃」を避けて、「あと3年の辛抱だ」と沈黙する。

 トランプ氏の発言やSNSコメントを大きく報じるマスメディアの構造的な欠陥も明らかになった。トランプ氏が発言したという事実を確認して、その発言内容をマスメディアは大きく報じるが、発言内容の真贋にはマスメディアは責任を持たない。トランンプ氏がウソを言ったとしても、それをマスメディアは報じる(発言があったことを確認して)。それはマスメディアという媒体がウソを検証できず、広めることに加担していることを示す。

2026年4月1日水曜日

暴君と近代

 暴君といえば、ネロら多くのローマ皇帝、ロシアのイヴァン4世(雷帝)やピョートル1世、中国の始皇帝や煬帝や則天武后らが有名だ。国家の全権を握る専制君主が独断的に政治に関与し、残虐な恐怖政治を行うと暴君と呼ばれることになる。暴君とは「人民を苦しめる暴虐な君主」だが、「ひとり横暴に振る舞う人」の意でも使われ、家庭や企業・団体などにも暴君がいたりする。

 民主主義など皆無で、国家主権を握る独裁者による政治がフツーだった時代や世界では、それなりの能力が独裁者には必要だっただろう。暴君=暗君では統治が行き詰まったり、反乱や暗殺を招いたり、実務を担当する有能な側近に政治を任せるしかなくなる。暴君にそれなりの能力が備わっていれば、周囲の抵抗勢力を押し切って乱暴に「改革」を断行することもできよう。

 独裁者は歴史上も現代でも多いが、暴君と呼ばれる人物は少なくなった。独裁者は既存の統治システムに君臨するだけだが、絶対的な権力を占有する暴君は、気に入らない人物や敵対する人物らを意のままに殺したり、贅沢な生活を維持するために人々に重税を課してしぼり上げるなど、自己の感情や欲望などのために権力を行使する。国家は自己のためにあると信じて疑わないのが暴君だ。

 近代とは「封建社会から脱皮した資本主義社会・市民社会」とか「キリスト教的価値観が相対化され、絶対王政が打倒されるなど人間中心主義になった時代」などとされる。近代以降に暴君が現れにくくなったのは、国家主権を有するのが人民(人々)とされ、政治権力の正当性は人民に由来するからだ。中国やロシアなどの現代の独裁者も憲法など法の支配を装わなくてはならない。

 現代にも独裁者は世界に多いが、暴君と呼べるのは金正恩氏ぐらいか。父親の代からの側近や親類の高級官僚を処刑するなど、気に入らない人物や邪魔になった人物らを意のままに殺し、それを公開するなど恐怖政治による支配を続けているようだ。北朝鮮は近代国家というより金王朝であり、前・近代にとどまっているのだから、暴君の出現を抑止する仕組みはない。

 プーチン氏や習近平氏も憲法を意のままに改正して長期の独裁を正当化し、批判者に対する暗殺や、腐敗を口実に粛清を続けるなど、過酷な抑圧を行っているのだが、恐怖政治は一部にとどめ、人々の愛国心を煽り、愛国の延長上にプーチン氏や習近平氏の統治があるかのように装う。そう装わなければならないのは、ロシアも中国も近代国家になっているからだ。

 暴君は権力に溺れて、自制が効かなくなった人でもある。暴君は人々の怨嗟の的にもなり、権力を失った時には恐怖政治の責任を問われるなど「安らかな老後」は望み薄だ。法の支配が確立した近代国家では国家権力を議会や司法が分担して担い、行政権力を握った人物の「暴走」は制御される。暴君の出現は困難になり、独裁者のように振る舞う米トランプ大統領も法の支配から逃れることはできない。米国内ではトランプ氏の統治による死者は少ないが、イランでは多数の死傷者が出ている。イランではトランプ氏は暴君と見られているかもしれない。

2026年3月28日土曜日

権力への意思

 大統領になって思うままに権力を振り回しているのが米トランプ大統領だ。米国内にとどまらず国際的にも数々の波紋を広げるなど影響力は大きく、連日のSNSでのコメントが国内外で大きく報じられるようになった。思いつきの発言が大きく報じられる様子をトランプ氏はおそらく楽しんでみている。権力者は自分が重要人物であるとの自覚を持つだろうし、注目されていることが自尊心を満たすだろう。

 トランプ氏を見て、自分も権力者になって思うように自国や世界を変えたいと夢想する人がいるかもしれない。自由・平等・博愛・民主主義など普遍的とされる価値観を無視することは容易だとトランプ氏は示し、権力を握ることの魅力を発信している。普遍的とされる価値観を実現・定着させるためにも権力が必要であり、「世界を変える」には権力を握るしかないと人々は考える。

 そうした「権力への意思」が歴史をつくってきたと説くのが佐伯啓思氏だ(「神なき時代の『終末論』」。適時省略あり)。

 「自由、平等、博愛といったフランス革命の精神こそが隠された『権力への意思』だと見たのはニーチェであった。近代社会の平等思想こそ奴隷革命の産物であり、支配者から支配権を奪い取るという『権力への意思』がそこにある。それこそは弱者のルサンチマンの産物だとニーチェは述べた」。

 「抑圧され、支配されてきたと感じる者たちの、強者や支配者や時には金持ちに向けたどうにもならない反感、しかも、ある劣等感と嫉妬と屈辱感がないまぜになった反感が鬱積してゆく。この負の感情がルサンチマンとなり、自らが支配者になりたいという欲望をたきつけ、近代革命を起こした。批判主義もこの近代革命の延長線上にある。それゆえ、リベラルな価値も『権力への意思』にほかならない」

 「近代のリベラルな価値とはキリスト教道徳の変形である。その背後にはキリスト教が隠されているとニーチェはいう。キリスト教道徳こそは、神という絶対の『主人』に服従する『奴隷』としての人間が自己満足的に生みだした奴隷道徳だという」「もしニーチェやフーコーが言うように、自由や平等が、奴隷として支配されてきた弱者のルサンチマンを言い換えただけであれば、歴史に意味はなくなる」

 「強者による弱者の支配も、リベラルな価値の正当性を掲げた弱者による強者の支配も、どちらも単なる権力作用にすぎない。ひとつの権力が別の権力に置き換わっただけである。自由な民主主義の勝利とは、主人も奴隷もなくなり万民が対等となった社会などではなく、ただ、奴隷の無条件の勝利を意味しているというのがニーチェの言い分であった」

 「我々が歴史に見るのは『権力への意思』の様々な発現の姿であり、それに終わりはない。あるのは、延々と続く『権力への意思』の多様な表れなのである。終末などやってこない。同じことが永遠に繰り返されるだけなのである」

 国王も貴族も富裕層も平民も権力をめぐって争ってきたのであり、社会的な強者と弱者による権力交代が繰り返されてきたし、今後も繰り返されよう。強者による支配に迎合する弱者があり、弱者による支配を簒奪して強者になる指導者もあるなど、権力を巡る争いは強者・弱者が入り乱れる。「権力への意思」だけは変わらず人々が持ち続け、歴史が動いていく。

2026年3月25日水曜日

迷走するEU

 EUのフォンデアライエン欧州委員長はは3月10日、欧州が原子力発電を縮小してきたのは「戦略的に誤りだった」と明言した。原発由来の電力は「1990年には3分の1だったが、現在では15%程度に過ぎない」「信頼性が高く、低炭素の電源を欧州が放棄したのは戦略的な誤りだった」とし、今後は再生可能エネルギーとともに次世代原発の小型モジュール炉(SMR)導入を推進すると表明した。

 脱炭素や脱原発など「崇高」な理念先行の政策をEUは掲げ、産業界や人々に強制してきた。だが、ウクライナ侵攻したロシアに天然ガスや原油の供給を頼っていた欧州は、脱ロシアに動いて中東からの天然ガス供給を増やしたものの、イスラエル・米国のイラン攻撃による緊張で中東に依存する脆弱性が明らかになり、自前のエネルギーを確保することが必要だとEUは、やっと現実に根差した政策へと転換した。

 EUは自動車政策でも方向転換した。2035年にガソリン車の販売を禁止し、EV以外は認めないとしていた。だが、EVの普及は遅く、売れるのは中国製EVが多いとあって、やっと消費者の意向を尊重する姿勢に転じ、35年以降も条件付きとしたもののガソリン車販売を容認した。脱炭素という「崇高」な理念先行の政策は、期待通りに動かない現実に阻まれ、修正・方向転換を余儀なくされている。

 ガソリンエンジン車は終わりで、EV一択の時代になると理解した世界の自動車メーカーはEVの新車開発に懸命になり、次々と新車を市場投入したが、好調に売れたのは米テスラ車と中国車。巨額の開発費用の回収は期待できず、世界の自動車メーカーは巨額の赤字を相次いで計上せざるを得なくなった。EVへの転換を自動車メーカーに強制するというEUの「崇高」だが現実離れし、結果として間違った政策のツケを世界の自動車メーカーが払うことになった。

 かつて欧州諸国は世界各地で植民地支配し、産物や資源を持ち去る一方、自国産品の市場にする自国有利の自由貿易で富を蓄え、近年では改革開放後の中国を市場として利益を上げたが、競争力を高めた中国産品の輸出攻勢にEU市場が席巻されるようになった。そこで、中国などアジア勢に産業競争力で劣るという現実をようやく直視したEUは新たに産業促進法を準備している。

 これはEU域内での鉄鋼やアルミニウム、セメントなどに加えて太陽光パネル、風力タービン、電解装置、EVなどの製造を支援するものだが、補助金の支給や政府調達などの対象にEU域内での生産品を優遇するなど保護主義に動く。安価で競争力が高い中国製品にEU市場でも太刀打ちできないので、EU域内市場を囲い込むとの意思表示だ。中国企業のEU域内への工場進出の増加も期待しているようだ。

 EUはEUが有利になる規制を打ち出し、それを「崇高」な理念で飾り、普遍的だと正当化し、世界標準へと格上げして各国にも強制する。新たな規制や自由貿易などがEUに有利な時は「崇高」な理念を主張し、EUに不利な状況になると一転して現実的なEU の利益追求に転じる。変わり身の速さは状況の変化に応じてEU各国の利益を第一とする当然の行動だろうが、「崇高」な理念の軽さが可視化される。米トランプ政権は「崇高」な理念など無視し、自国の利益を憚りなく追求するが、正直さではEUより上かもしれない。

2026年3月21日土曜日

ジーンズ復活

 かつては若者文化の象徴ともされたことがあったジーンズは、今では衣料量販店などで大量販売され、高級ブランドでも品揃えするなど、すっかり多くの人々の普段着となった。社会の束縛を嫌ったり、自由に生きることを主張する若者がはくといったイメージは過去のものとなり、そうしたイメージはジーンズ着用から抜け落ちた。

 若い頃からジーンズをはいていただろう人たちが、すっかり高齢者となってもジーンズをはいている姿を見ることは日常の光景だ。老いも若きも男も女も着用するようになり、ジーンズは特別なものではなくなった。それとともに、スタイリッシュにはくものというイメージは希薄になり、ダボダボだったりヨレヨレだったりとジーンズ姿は様々だ。

 若い頃は颯爽と細身のジーンズをはいていた友人は、結婚して食生活が安定したためか太り始め、若い頃にはいていたジーンズがきつくなり、30代半ばでジーンズをはかなくなったという。でも、捨てたりすることはなく大事にジーンズを持ち続け、退職して東京を離れ、関東北部の自然豊かな町に移住した時にも、「はかないんだから、もう捨てたら?」という奥さんの言葉を無視してジーンズを手放さず持ってきた。

 街歩きが趣味だったという友人は、移住先の自然豊かな環境をすっかり気に入り、移住して3年ぐらいは、毎日のようにあちこち歩き回っていたそうだ。「同じ道を歩いていても、日によって、季節によって何か発見があるんだ」「花など植物はもちろん、鳥や小動物、昆虫などとの出合いがあったり、光線の加減で家並みや通りの見え方も違ってくる」と友人は気ままな散策を楽しんでいる。

 「歩き回ることには意外な副産物があったんだ」と友人は嬉しそうに話すので、新しい飲み友達ができたのかと聞くと、「それもあったが、体重が減った」。友人は東京にいた頃は腹が丸く出っ張っていたが、見ると、腹の出っ張りが目立たなくなっている。よっぽど一生懸命歩いたんだなと言うと、「ダイエットなど意識したことはない。ただ、歩き回るのが楽しくて、天気が良ければ、ほとんど毎日歩いていた。気に入った蕎麦屋まで片道2時間、車を使わず歩いて行ったことも結構あったよ」と友人。

 移住して3年で体重が10キロ以上減ったという友人は、年末の大掃除の時に衣装ケースにしまったままのジーンズに目が留まった。もしかすると、また、はくことができるかもしれないと友人はジーンズを衣装ケースから取り出し、はいてみた。足は支障なくジーンズに入り、ウエストのフロントボタンも無理なく止めることができた。何十年ぶりかのジーンズ姿を奥さんに見せに行くと、若返ったみたいと褒められたそうだ。

 ジーンズは6本あったので「毎日、ジーンズをはいて暮らすようになった」友人は、他の衣装ケースにしまったままの上着類やシャツなども引っ張り出して着るようになった。「いつの間にか地味な色の服ばかりを着るようになっていたが、若い頃に着ていた明るい色のものを着ると、なんだか気持ちも軽くなる」と友人は、若かった過去からの贈り物を楽しんでいる。

2026年3月18日水曜日

宗教国家

 1945年の敗戦前の日本では、天皇は現人神とされ、その神性を批判・否定する言動は不敬罪などで厳しく弾圧され、当時の国家体制に対する反逆とみなされた。神という概念は、宗教の範疇に属する。神性の存在や神の存在を客観的に証明することはできないから、神性の存在や神の存在を知ることはできず、信じるしかない。

 知ることは理性や知性の働きであり、信じることは感情の働きだ。見えないものの存在は感じるしかなく、また、存在すると教え込まれることでも、見えないものの存在を受け入れるようになる。当時の日本は宗教国家だった。特定の宗教が国政に大きな影響力を持つ宗教国家は現在も世界に多い。そうした国では、国家が「帰依」する宗教に対する批判は厳しく取り締まられる。

 現在でも国教を定めている国は多く、宗教の影響力は大きい。イスラム教では政教一致が基本で、イスラム教の教理に反する言動が許されない国は珍しくなく、トルコでは雑誌がムハンマドの風刺画を掲載したとしてイスタンブールの主任検察官が編集者らの逮捕を命じ、群衆と警察との激しい衝突に発展したことがあり、フランスでは2015年に風刺新聞「シャルリー・エブド」編集部をイスラム過激派が襲い、12人を殺害した。

 宗教が絡むと妥協の余地が狭まったり、なくなったりする。現代ではイスラム過激派による暴力が目立つが、宗教が関わる殺し合いは世界の歴史に数多く記録されている。キリスト教でも内部の「異端」に対する暴力を伴う迫害や、十字軍や宗教戦争など大規模な暴力を行使してきた過去がある。人口の約73%がユダヤ人でユダヤ教徒が約74%というイスラエルは宗教国家色が濃く、異教徒への過剰な暴力が正当化されている。

 宗教国家に対して政教分離の国家がある。政教分離が国家の制度として定着したのは近代だが、欧州ではカトリック教会の専制に対する人々の不満は古くから根強く存在した。それがフランスでは革命へとつながり、揺り戻しはあったものの、やがて20世紀に政教分離法が制定された。政教分離は宗教勢力が政治に関与することを禁止するが、宗教によって権力に権威を与えることは政教分離を定めた諸国でも続いている。

 政治権力と特定の宗教が結びついた国家の恐ろしさは、批判者や異端など体制に従わない人々に対する容赦ない弾圧が堂々と行われることだ。キリスト教の影響力が圧倒的だった西洋で人々は、政治権力のあり方を問い、教会の意向ではなく民意を反映した政治が行われることを実現させた。だが、現在のイスラム教国などに同様の政教分離を求めることは簡単ではない。

 欧米では宗教の形骸化が指摘され、政教分離の諸国では宗教離れが進行しているという。権力から切り離された宗教の影響力が徐々に低下するのは、宗教自体の人々を魅了する力が弱まっているからだ。だから宗教は権力と結びつく。政治権力と結びつくことが宗教の存続を保障するのだから、宗教の側から政治権力と分離するはずがない。

2026年3月14日土曜日

戦争は儲かる

  日本は日清戦争・日露戦争・第一次大戦と戦勝を続け、やがて軍部が独裁する軍国日本となって、中国大陸や東南アジア、太平洋へと占領・支配地の拡大を目指して進軍したものの、日本各地が空襲されるようになり、最後には日本軍はボロ負けして解体され、日本国は独立を失い、占領統治された。軍部は、なぜ戦争を欲したのか。

 戦争を始めるためには戦争を正当化する必要があり、開戦や参戦がやむを得なかったとする様々なストーリーを国家は宣伝し、人々の戦意を高揚・維持させる。そうしたストーリーを手がかりにしても、当時の軍部が戦争を欲した真意は分からないだろう。当時の軍部・軍人は賠償金目当てで戦争を行っていたと保阪正康氏は説く(「令和の今、何を昭和史に学ぶか」-『昭和史の核心』所収。適時省略あり)。

 「日本の近代史において、戦争は正しいものだった。日清戦争に勝って、日本は清国から台湾などの領土と3.6億円の賠償金を得た。戦費は2.3億円ぐらいだから、それを全部カバーした上で、その後の軍備増強資金も得ることができた」

 「そうして強化した軍隊で次の日露戦争を戦った。これも勝ちはしたけれども不本意なことに賠償金は取れなかった。国民がそれを知って暴動を起こしている。賠償金が取れなくて国民が暴動を起こすというところに、この戦争に対する真の期待が何にあったのかが透けて見える」

 「第一次世界大戦も含めて、近代日本の10年おきの戦争には、実利主義という背景がある。つまり戦争が政治・外交の延長ではなく、国家の営業品目になっていったのだ。戦争とは軍国日本にとって、賠償金をとって大儲けするためのおいしいビジネスと化したのである」

 「日清戦争の結果、国家予算の1.5倍もの賠償金をとった時から、日本の戦争観は変わった。戦争は儲かると、日本はおよそ10年おきに大戦争をし、日露戦争は儲からなかったが南樺太や南満州鉄道を手に入れ、第一次世界大戦ではわずかな参戦でドイツが権益を持っていた山東省などを手に入れ、ベルサイユ条約で賠償金の分配に預かっている」

 「ポツダム宣言受諾をめぐる会議で、梅津美治郎参謀総長ら軍部代表が外務大臣の東郷茂徳などと次のような要旨の会話をしている。『ポツダム宣言を受諾したら、賠償金はいくら取られるのか』『確かなことは、内地外地の軍事産業は没収もしくは解体と書いてある』『我々が知りたいのは、賠償金の額である』」

 「戦争は国家の政策だから予算がある。開戦から終戦までが一つのプロジェクトであり、終われば収支決算がある。賠償金を取らなければ利益は出ない。賠償金を取るためには勝たなければならない。軍人は、勝つまでやるしかない。軍人は、聖戦継続・一億玉砕を主張したが、その弁解が戦後にも続いていた。国を滅ぼすような大赤字を出したことが、彼らにとっての最大の不名誉だったのである」。

 利益を求める経済活動としての戦争は、勝つことが絶対条件だ。だが、軍事大国ロシアがウクライナ侵攻で4年経っても勝利できないように、戦争で勝ち切ることは簡単ではない。さらに第一次大戦後の巨額の賠償金がドイツを疲弊させ、ナチス台頭を招いたことから、終戦後の敗戦国に対する賠償金請求の過大さに注意が払われるようになった。必ず儲かるビジネスではなくなったが、世界で戦争が絶えることはない。

2026年3月11日水曜日

時間と空間

 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では主人公がタイムマシに乗って過去の1955年の世界にタイムスリップし、元の世界(映画では1985年)に戻ろうと四苦八苦する。戻った過去の世界は、歴史に記録された1955年の世界(空間)であった。30年前という時間と30年前の世界(空間)は結びついており、時間と世界(空間)は分離できない一体のものとして描かれる。

 タイムマシンで過去に行ったとすると、そこには過去の世界(空間)があるとして様々な物語が作られた。特定の過去の時間と特定の過去の世界(空間)が一体のものであるという理解や前提で、そうした物語は成立する。もし、時間と世界(空間)の結びつきがないとすると、タイムトラベルしたなら、行った過去に、どんな世界が広がっているのか不明で、例えば30年前の過去に戻ったとしても、1200年前の世界が広がっているかもしれない。

 タイムトラベルの物語で主人公が過去に戻る例が多いのは、過去の世界は記録や記憶により再現できるからだ。未来にタイムスリップするという物語では、主人公が行った先の未来の世界を表現しなければならず、作者や製作陣の想像力に頼るしかない。映画「猿の惑星」はタイムスリップ同様に時間をスキップして主人公らが未来の地球に移動するとの物語だが、未来においても、時間と世界(空間)が結びついていると描かれた。

 タイムトラベルによる時間の移動は、過去や未来の世界(空間)への移動として描かれる。過去には過去の時間と結びついた過去の世界(空間)があり、未来には未来の時間と結びついた未来の世界(空間)があるとするからSF物語は成り立つ。時間と出来事が結びつき、出来事は空間内で生じるので、時間と空間も結びついているとすることで、タイムトラベル物語は成立する。

 時間も世界(空間)も同時に誕生したというのが科学的な見方だ。138億年前のビッグバンで、極小の⾼温⾼密度の状態から出発した宇宙が膨張を続けて現在に至るとする宇宙論が妥当だとされている。138億年前に現在の宇宙は始まったのであり、その時に時間が始まり、空間も形成され始めた。時間にも空間にも始まりがあり、宇宙の膨張とともに時間は時を刻み続け、空間は拡大し続けている。

 時間には空間が必要だ。人間が意識した時間の最初は、日の出と日の入りで1日とする時間だろう。古代の人類が夏至や冬至などを正確に計測していた例もあるなど、天体の動きで1年という時間を意識していた可能性が高い。太陽などの動きで時間を意識したのだが、太陽などが動くためには空間が必要だ。時間と空間が結びついているのは、何かの動きを可能にするには空間が必要だからだ。

 天体の運動や時計の秒針、電子の振動など時間は何らかの規則的な動きによって計測されるものであり、そうした動きには空間が必要なので、時間と空間は切り離すことができない。空間が存在しなければ時間も存在しない。タイムトラベル物語が時間と空間を結びつけて展開するのは、特定の時間には特定の世界(空間)が結びついているとの記憶や理解があるからだ。 

2026年3月7日土曜日

裏切られる革命

 革命という言葉はロマンを込めて使われることがある。働く人々や抑圧されている人々が政治権力を握り、富裕層や特権階層や大企業を優遇する政治をやめ、真面目に働く大多数の人々を優先する社会に変えるとか、強権で人々を抑圧する独裁などの支配体制を打倒し、自由で民主的な体制に変えるなどと、政治体制や社会体制を強制的に変化させることを夢見る。

 見果てぬ夢が革命であるというのが現実かもしれない。見果てぬ夢だから革命は魅力的なのかな。世界では各国で格差が拡大する一方、富裕層や特権階層や大企業を優遇する政治が続き、強権で人々を抑圧する独裁などの権威主義体制の国は体制を脅かされることもなく、人々の抑圧を続けている。革命の必要性が増大していると見えるが、人々は分断されて統治されたり、強権で黙らされたりしている。

 様々な革命が世界各地で起きていた歴史がある。20世紀にはロシアやメキシコ、トルコ、ドイツ、中国、キューバ、イランなど各国で革命が起き、ほかにもクーデターなどが各地で頻発し、強制的な政権交代が実現した。だが、そうした革命によって、真面目に働く人々が尊重され、人々が安寧に暮らすユートピアのような社会の実現に近づいたかというと、疑わしい。

 労働者階級の独裁を目指した革命が共産党独裁となり、さらには共産党に君臨する個人の独裁へと変貌したり、困窮する人々が立ち上がって政権を打倒したのに既得権益層の中から後継政権ができて、少し変化があったものの既存の政治・社会体制がほぼ維持されたりと、革命により政権を打倒した後に革命の「精神」を裏切る政権が誕生することはよくある。

 イランでは1979年、イスラム教のシーア派の信仰を重視すべきという人々が、西欧化と対米従属を進める腐敗したパーレビ王朝を打倒し、宗教指導者のホメイニ氏をトップとする革命政権を樹立した。パーレビ王朝の政治では人々の生活は向上せず、より良い生活を求めてパーレビ王朝の打倒に加わった人々も多いのだが、ホメイニ体制ではイスラム原理主義が日常生活に持ち込まれ、人々は新たな抑圧体制の中で暮らすことになった。

 こんな毎日は嫌だと人々が立ち上がり、政権を打倒した革命の成果が、新たに権力を握った連中に乗っ取られ、革命政府を守ることを口実に、人々の批判を抑圧する体制に転じる例は歴史に珍しくない。成功した革命が簒奪されるのは、政権交代における正当性が揺らいでいるからだ。民意の反映が革命なのだが、民意の解釈を革命政府が独占することで革命政府の支配が正当化される。

 共産革命でもイスラム革命でも、成立した革命政府は強権化し、人々を抑圧する体制に落ち着いた。社会における善悪や正邪の判断を革命政府が独占し、それを人々に強制して、従わない人々を罰する日常に人々は不満を持ち、抗議するが、革命政府に対する批判は反革命だとして弾圧される。しかし、人々は諦めない。自分が住む国を、もっと良くするために立ち上がる人々がいる限り、世界で革命は起きるだろう(革命が後継権力に簒奪されることも続くだろう)。

2026年3月4日水曜日

パールハーバー

 1941年12月の日本軍の真珠湾攻撃は米国では、宣戦通告が行われる前に行われた奇襲攻撃であり、不意打ちであるとともに、卑怯なだまし討ちであるとされている。「リメンバー・パールハーバー」の言葉とともに日本に対する敵愾心が煽られ、米国民の怒りを高め、終戦後も日本に対する「卑劣だ」とのマイナスイメージを長く定着させた。

 真珠湾攻撃を開始する30分前に国交断絶を米国に通告するはずだったが、在米日本大使館の不手際で宣戦布告が米国側に届いたのは攻撃開始の1時間後だった。結果として当時の日本は通告なき開戦を行い、終戦後も米国では日本を卑劣視し、フェアではない行動をする国だと蔑みの対象とした。「リメンバー・パールハーバー」の言葉は現在も忘れられてはいないという。

 今回のイランに対する攻撃で米国は宣戦布告を行わず、奇襲攻撃でハメネイ氏を殺害した「成果」などを吹聴している。イランという独立国に対する戦争を開始することについて議会の承認も得ておらず、トランプ政権の独断で奇襲攻撃を行った。フェアプレーでないことは明らかだが、そのことを恥じる雰囲気は米国社会にはうかがえないようだ。

 トランプ氏にフェアを求めても無駄だろうが、米国がフェアに振る舞うことを一顧だにしない国になったのか、もともとフェアプレーを尊重しない国だったのかは知らないが、だまし討ちを行う西部劇に出てくる悪漢の振る舞いを国として米国は堂々と行っている。イラクを「悪」とするが、悪者相手でも主人公は堂々と戦うから西部劇は成立した。無法者しか出てこないのでは西部劇の世界観は成立しない。

 2月28日の午前にハメネイ氏らイラン高官が会合するという情報を得たので、夜間に予定されていた攻撃を早めたと報じられている。用心深く行動していたというハメネイ氏の所在をつかんだので即座に攻撃を開始したことは、吉良上野介の所在をつかんで討ち入りを決行した忠臣蔵を想起させるが、宣戦布告なき戦争は国家によるテロ行為だ。

 米国はベネズエラでも宣戦布告がない戦争を行った。独立国であるベネズエラに奇襲攻撃を行い、マドゥロ大統領を拘束して米国に連れ去った。マドゥロ氏もハメネイ氏も国内で独裁し、多数の人々を迫害した責任者であり、その罪は重い。だが、その罪を裁くのはそれぞれの国の人々であり、米国ではない。

 宣戦布告なき戦争を米国は繰り返してきた。米国が宣戦布告を行ったのは5回だけだという(米英戦争、米墨戦争、米西戦争、第一次大戦、第二次大戦)。今回のイラン攻撃で宣戦布告を行わなかったのは米国にとってはフツーのことであり、宣戦布告を行う必要性も意識していなかったのだろう。つまり、卑怯な奇襲攻撃を世界各地で繰り返してきたアメリカに真珠湾攻撃を卑劣だと批判する資格は、ない。

2026年2月28日土曜日

曲芸とサーカス化

 体を意識して動かす運動をスポーツとすると、最も手軽なスポーツは散歩だろう。散歩は健康にも精神のリフレッシュにもいいと言われ、誰でも手軽に行うことができる運動だ。歩く速さを競ったりはせず、決められた距離を歩かなくてはならないといった制約もないので競技スポーツとは見なされないが、参加するスポーツとしては最もハードルが低い。

 とはいえ、散歩している人の多くはスポーツを行っているとの意識を持っていないかもしれない。歩いて体を動かすことを目的とする散歩もあれば、気ままに歩いて街並みや風景を見ることを楽しむ散歩もあり、犬の運動に付き合う散歩もあり、知人・友人との出会いを楽しむ散歩もあろう。散歩コースなどを走る人もいて、ジョギングを行う人はスポーツとの意識を持っているだろう。

 スポーツの定義は「日常の仕事を離れて楽しむ諸種の運動・球技や登山など」(新明解)とか「余暇活動・競技・体力づくりのために行う身体運動/陸上競技・水泳・各種競技・スキー・スケート・登山などの総称」(大辞林)だが、スポーツ庁は「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」とし、日々の生活から離れる気晴らしや遊び、楽しみ、休養がスポーツの本質だとする。

 世界最大のスポーツの祭典とされる五輪で採用される競技数は増える一方で、1964年の東京大会では19競技163種目だったが、2021年の東京大会では33競技339種目となり、冬季では1972年の札幌大会の6競技35種目が1998年の長野大会では7競技68種目となり、ミラノ・コルティナ大会では8競技116種目と大幅に増えた。スノボやスケボ、サーフィン、クライミング、ブレイキンなど若者らに人気のスポーツや女性選手が参加する競技・種目を増やす一方、長く採用されてきた競技・種目を減らすことには抵抗があり、できない。

 五輪は世界最大のスポーツ興行だと見ると、巨額の放映権料やスポンサー料の収入を獲得し続けるには時代の変化や世代の変遷に対応して、新しい競技・種目を採用することが必要だろう。気になるのは、高く飛び上がって複雑な回転技を見せる種目が増えていることだ。観客は喝采し、視聴率を稼ぐことができるかもしれないが、スポーツと曲芸の境目がぼやけ、競技スポーツが「見せ物としてのスポーツ」に偏りつつある。

 見せ物としてのスポーツが曲芸化するのは、よりスリリングな芸が求められるからで、やがて五輪はサーカス化するだろう。高く飛び上がる回転技が人気となれば陸上競技などにも取り入れられよう。高く飛び上がる回転技を競う競技は採点競技であり、点数を稼ぐために、もっと高度な回転技が求められ、0.1ポイントを争って選手らは限界に挑戦し続ける。飽食の世界に住む人々は、スリリングな回転技を披露する選手に喝采を送り、事故をも見せ物の一部として楽しむようになるのかもしれない。

 誰もが参加できるスポーツである散歩が五輪に採用されることはなく、見せ物としてのスポーツの採用が今後も増えるだろう。誰もが参加できるスポーツは、誰もが体験して楽しめばいいのであるが、観覧する人を多く集める興行の「演目」には地味すぎて訴求力は限られる。だから、高く飛び上がって複雑な回転技を選手が披露する種目が増え、曲芸を楽しむ場へと五輪は変容する。

2026年2月25日水曜日

補完勢力

  国政選挙において、それまでの政治を容認する人々は与党に投票する人が多く、それまでの政治に批判的な人々は変化や改革を求めて野党に投票するだろう。だが、野党が変化や改革の具体的で練り上げた政策を提案をせず、政府・与党に対する批判に終始したり、崇高な理念を掲げるだけだったとしたら、主権者は野党に投票しても何も変わらないと思うだけだ。

 野党は国政選挙では、それまでの政治を変え、もっと人々の生活がよくなることをアピールし、政権交代を主張しなければ野党が存在する意味がない。変化をもたらし、改革してくれそうとの期待をもたせることができない野党はいずれ主権者に見限られる。野党は、それまでの現実を変えようと具体的な政策を主張することで確かな存在感が生まれる。

 野党には政権・与党の政策や政治方針などを批判し、チェックする機能が求められる。日本では自民党の長期政権が続いたこともあって、野党には現実的に政治を動かし、官僚を動かす力量が育たず、野党はもっぱら政権・与党を批判する役割だけを果たしてきた。だが、それは野党に政権を任せても大丈夫かという「頼りなさ」を主権者に感じさせてもきた。

 自民党の長期政権が続く中で、野党の存在価値は自民党の「暴走」を抑えることにしかないと見られれば、選挙で野党に多くの票が集まるはずもない。自民党の長期政権を結果的に野党が支えてきた=野党は自民党の長期政権の補完勢力でしかないことを主権者はとうに見抜いたから、かつての野党第1党の社会党から続く野党勢力は退潮を続け、分裂を続け、退場していく。現状を変える力量がない野党は見放された。

 米国でトランプ氏は変化を主張した。当選後に次々と、それまでの民主党主導で行ってきた政策を覆し、変化を実現させた。その変化の方向は議論の余地が多いもので、熱烈な支持層以外からは違和感を感じさせるものだっただろう。変化を強いた手法は強引で、対話や合意形成を軽視し、異論や批判を切り捨てる姿勢は独善的だが、善し悪しは別としてトランプ氏が米国と世界に変化をもたらしたことは確かだ。

 日本の選挙では、減税や社会保険料の負担軽減など具体的な政策を掲げる弱小政党が増えた。具体的な政策提案を行う野党が増えたことで主権者の選択範囲は広がったとも見えるが、現実には弱小政党の議員数が多少増えたところで、1つの法案さえ独自に成立させることはできず、弱小政党が掲げる政策を実現するためには与党である自民党にすがるしかない。

 自民党にすがる弱小野党は自民党の補完勢力と化す。自民党にすがるしかない弱小政党が多少増えることは、自民党の長期政権の持続を助けるだろう。つまり弱小政党が増えても政権交代は起こらず、自民党の長期政権は続く。そして、「どうせ自民党の長期政権は変わらない」と主権者は、大衆ウケする政策や排外主義、愛国主義などを煽る弱小政党に投票して選挙を面白がる。

2026年2月21日土曜日

天気予報は見ない

 自分や家族の健康状態や仕事関係など身の回りのことから政治・経済の動向、社会情勢、天変地異、国際情勢など、この世界は常に様々な変化の中にあり、将来、何が起きるのかは誰も知らない。1日先のことも数年先のことも未来を知ることは誰にもできないが、過度な不安にとらわれず、明日も平穏な日であると大方の人は思っているに違いない。

 一方で、何か悪いことが起きるのではないかと不安を感じることは誰でも経験しているだろう。体調不良が続いたり、近隣で犯罪が起きたり、地震や集中豪雨があったり、食品や日用品の値上がりが続いたり、近隣諸国で戦火の兆しが現れたり-など、不安を生じさせる何かの兆候は絶え間なく発生する。

 不安を煽るビジネスがある。健康食品などのCM・広告の多くは、体のどこかの不調や不具合を意識させ、商品を売り込む。そんなCMに接してから病気などの不安を感じるようになったり、健康体でいることが必要だと思うようになるのかもしれない。生命保険や損害保険も何らかの不安を煽ることで、商品を売る仕組みだ。「備えあれば憂いなし」だが、将来に対する憂いを持たせて「備えさせる」商売だ。

 SNSなどの普及で、「地震が起きる」「ワクチンは危険だ」など不安を煽る情報が増えた。根拠が示されなかったり、あやふやな根拠が示されたりと、信じるに値する情報なのか定かではなくても、不安だけは植え付けられる。デマだと笑い飛ばすのがいいのだが、精神の余裕が乏しければ笑い飛ばすことはできず、不安の種を植え付けられる。

 根も葉もない多くのデマと違って、特定の方向へ意識を向けさせようとするデマがある。代表がプロパガンダに利用されるデマで、特定の人々や政党や組織や国などへの疑念や不信感を煽り、植え付けようとする。同じような内容のデマを執拗に大量に流すことで、関心を持った人は同じような内容の情報を受容し続けて洗脳される。これは何らかの危機感を抱かせるために有効だ。

 危機感を煽る情報に感応しやすくなった人々は、危機感を新たに煽る情報を素直に受容する。危機感が刺激され続け、何らかの不安につきまとわれる。不安を感じることは不安定な精神状態だが、常に不安を抱くことが常態化すると、危機感を煽る情報を吟味することはなおざりになり、抱いている不安が自分が抱く危機感を正当化するので、不安は増すばかりとなる。

 「テレビの天気予報は見なくなった」と友人。外出するときに天気は気にならないのかと聞くと、スマホで天気を調べる程度だ。「親切なつもりかもしれないが、特に雨関係などの予報は不安を煽り立てているようで鬱陶しい」と友人。各地での集中豪雨を予報できず多大な被害を出したことが続き、警戒を促す方向へ予報体制が変わったようだが、「言葉だけで危機感を煽るのではなく、予報の精度をもっと高めるように努めるべきだ」と友人は、危機感や不安を煽ることが増えた天気予報を批判する。 

2026年2月18日水曜日

反戦平和の終わり

 野党議員が反戦平和を唱えていれば一定の支持が集まるという時代は、とっくに終わっていたことが今回の総選挙で可視化された。反戦平和しか決め台詞がないという政治家や政党が見放されたともいえる。反戦も平和も崇高な要求・理念であり、反戦平和を主張することは正しい行為だろう。だが、ことあるたびに「狼が来るぞ」と警鐘を鳴らすことは、警鐘の価値を低下させる。

 中国が南シナ海や東シナ海での海軍力を強化し、日本の太平洋側にも海軍を展開できる能力を備えるようになり、北朝鮮は日本各地を標的にする各種ミサイルを配備している現実に、反戦平和を唱えるだけでは日本の平和は守ることができない。日本国内で反戦平和をいくら唱えても、日本周辺の軍事的緊張を緩和することはできず、反戦平和を唱えることは中国や北朝鮮の軍事的脅威を無視することで支えられる。

 反戦も平和も第二次大戦の日本の敗北に基づいている発想だ。日本軍が最後にはボロ負けして武装解除され、日本国は無条件降伏して独立を失い、米国などに占領統治され、人々は生き延びることに懸命だった。そうした時代に人々は「戦争はもう嫌だ」「戦争は懲り懲りだ」と思い、反戦平和は戦後の「新しい日本」の通奏低音となり、革新陣営はもちろん保守陣営にとっても否定することができない主張となった。

 だが、日本の戦争を体験した人々は少なくなり、世界では地域戦争は絶え間なく起きていたが、そうした戦争の体験がマスメディアで伝えられても日本の人々にとっては他人事の気配で、戦争の悲惨や銃後の生活の苦しさなどの実感は伝えることが難しくなり、それにつれて反戦平和の主張も実感を伴わず、理念としての反戦平和へと移行した。

 理念としての反戦平和は、全ての戦争に反対する考えだとみなされるが、日本で主張された反戦とは「負け戦は2度とゴメンだ」だ。それは実感を持って語り継がれたが、世代は入れ替わり、全ての戦争に反対することが反戦だと変化し、負け戦は悲惨で惨めだという記憶や体験は、理念としての反戦にまぎれた。日本人の歴史的体験から生まれた反戦平和の主張が変質するとともに、負け戦の悲惨さや惨めさや屈辱などの記憶は希薄になった。

 日本は日清戦争、日露戦争、第一次大戦で戦勝を続け、それを日本人は喜び、提灯行列などで祝うこともあった。反戦平和を求める声は当時小さく、国威発揚の手段として戦争は容認されたが、第二次大戦で日本はボロ負けし、「負け戦は2度とゴメンだ」と反戦平和を求める声が強くなった。やがて日本は経済発展し、理念としての平和は生活保守主義によって共感を持って受け継がれているが、負け戦の記憶・体験に基づく反戦が全ての戦争に対する反戦と置き換えられ、理念として祭り上げられていく。

 マスメディアには好戦的になって大衆を煽り、負け戦になって大失敗した過去があり、日本で惨禍を繰り返さないために反戦平和を主張し続けることは義務だろう。そのために反戦平和を唱える政治家には利用価値があり、そうした政治家を支えてきた。だが、理念ではなく実利をアピールする時代になって、反戦平和という訴えは軽視され、反戦平和を呪文のように言い立てていた政治家は表舞台から徐々に退場していく。今回の総選挙は新たな国威発揚を求める機運が高まりつつあることも示した。

2026年2月14日土曜日

現代の貴族階層

 グローバリズムは、国境を越えたモノ・マネー.ヒトの自由な移動を実現し、世界の構造を変えるとともに各国の政治・経済・社会にも大きな影響を与え、各種の変化を生じさせた。欧米日などから工場が中国などに移転し、各国内では非正規雇用が増大して中産階級が解体され、格差が拡大するとともにマネーは自由に世界を動き回り、富める者はますます富を増やし、既成の政治に対する人々の不満を増大させ、変革の方向を巡って社会の分断を可視化させた。

 欧米などで既成の政治を主導していたリベラルなエリートが実は富裕層であり、理念先行の政治やグローバリズムが人々の利益には必ずしも合致していなかったことが暴かれ、人々の政治不信に拍車をかけた。リベラルなエリートが大衆層を代表できなくなっているとエマニュエル・トッドは近著で次のように説く(「西洋の敗北」。適時省略あり)。

 「思想面と感情面において、エリート主義とポピュリズムという二つの陣営が激突する。エリートは、民衆が外国人嫌いへと流されることを非難する。民衆は、エリートが常軌を逸したグローバリズムに耽っているのではと疑う。民衆とエリートが、ともに機能するために協調できなくなれば、代表制民主主義の概念は意味をなさなくなる。すると、エリートは民衆を代表する意思を持たなくなり、民衆は代表されなくなる」

 「世論調査によれば、西洋民主主義国の大部分において、ジャーナリストと政治家は最も尊敬されていない職業だという。陰謀論が蔓延しているが、これはエリート主義対ポピュリズム、すなわち社会の相互不信によって形成される社会システムに特有の病理なのだ」

 「民主主義の理想は、人々の社会的条件をなるべく近づけるという概念を含んでいた。第二次大戦後、民主主義が絶頂にあった時期には、アメリカを始め多くの国でプロレタリアとブルジョワが、大規模になった中流階級の中に溶け込むことすら想像できたのだ。ところが、私たちが直面してきたのは、格差の拡大である。自由貿易によってもたらされたこの現象は既成の諸階級を粉砕したが、同時に物質的生活条件も悪化させ、労働者階級だけでなく中流階級の雇用へのアクセスまでも悪化させた」

 「今日の民衆の代表者、つまり高等教育を受けた大衆化したエリートたちは、第一次産業および第二次産業に従事する人々を尊敬しなくなり、どの政党に属していようが、根底では、自らが高等教育で身につけた価値観こそ唯一正当なものだと感じている。自分はエリートの一員であり、その価値観こそが自分自身であり、それ以外は何の意味もなさず、虚無でしかない。こんなエリートなら、自分以外の何かを代表することなど絶対にできないであろう」

 民衆の支持を失い、民衆とのつながりが希薄化したエリートとは現代の貴族階層だ。民衆からの支持という正当性を失ったエリートに人々が我慢できなくなれば、ポピュリストが民衆の代表者にふさわしいと見えても仕方がない。人々は自分らの代表を求め、それがトランプ氏になったりもする。トランプ氏も現代の貴族階層に属するが、粗野な振る舞いを隠さず、エリート臭は希薄だ。ポピュリストが選挙で選出されるのは、現状を変えたいという人々の意向の強さと絶望の深さを示している。

2026年2月11日水曜日

ひび割れと金継ぎ

 金継ぎは、割れた陶磁器などをウルシを使って破片を接着して修復する日本独自の技術だ。ひびや割れなどを目立たないように修復するのではなく、修復した割れなどの部分を金粉や銀粉などで装飾し、新たな「味」や「景色」を付与する。元通りの姿に見せるのではなく、ひびや割れなどがあったことを強調するのは独自の発想だ。

 ひびや割れがあったことを分からないように陶磁器などを修復することは可能で、おそらく世界各地で行われているだろう。そうした修復は、ひびや割れがあったことを隠し、やがて、ひびや割れがあったことは忘れられる。ひびや割れの存在は陶磁器などの完全性を損なうので忌むべきものとの意識が強い社会では、ひびや割れを強調する金継ぎの発想は生まれない。

 ひびや割れは陶磁器などにだけ存在するのではなく、人間関係などでも発生する。家族間や友人間などなら時間とともに仲直りすることは珍しくないだろうが、激しい感情や利害などの対立が絡むと相手に対する批判が激化し、簡単には関係を修復できず、時には関係断絶に発展したりもする。ひびや割れはくっきりと見えるようになるのが人間関係か(ひびや割れが見えない人間関係もあり、誰かが我慢している)。

 ひびや割れは国家間ではフツーに存在する。ロシアや中国など権威主義諸国と欧米など民主主義諸国の対立は長らく存在し、歴史的経緯から関係が緊張している諸国もあり、複雑な民族対立が国家間の対立となって現れる例もあり、資源や権益の奪い合いで対立している諸国もある。自国を最優先させるのが国家だから、さまざまな国家間の対立は常態である。

 ひびや割れを新たに発生させることを厭わないのがトランプ大統領の米国だ。関税の一方的な引き上げで世界各国との関係にひびを入れ、グリーンランド領有を主張して欧州諸国との関係にひびを入れ、NATO加盟諸国には米国に頼るだけだったとして防衛費の大幅引き上げを要求し、ひび割れをNATOにも入れた。こうなると欧州諸国は、米国はもはや信頼できるパートナー国ではないと認識を新たにし、ひびや割れの存在は修復されない。

 ひびや割れの存在を隠すことができなくなったNATO加盟諸国は、米国抜きでロシアに対峙することができない現実を前に、自主防衛に動かざるを得ない。だが、欧州諸国だけではウクライナ支援にも限界があり、ロシアの軍事的脅威に欧州諸国だけで立ち向かうことができるようになるには年月を要する。米国が欧州の平和への関与を弱め、NATOのひび割れは誰の目にも見えるようになった。

 米国の次期大統領に民主党候補が当選したとしても、米国とEU諸国やNATOとの関係悪化(ひびや割れ)の痕跡は残る。それは、人々の記憶に残り、歴史にも記録され、なかったことにはできない。ここに金継ぎの発想を持ち込むと、厳しい対立があったことを認め、それを乗り越えて関係国が新たに堅固な協力関係を構築したと強調するしかない。だが、国家間や国際機関におけるひびや割れが作り出す新たな「味」や「景色」とは、互いに信用・信頼せずに構築する国家間関係や国際関係だろう。

2026年2月7日土曜日

水の循環

 けあらし(気嵐or毛嵐)とは、放射冷却で冷え込んだ冬の早朝、大気の温度より海や川などの温度が高い時に、蒸発した水蒸気が冷たい空気に触れて発生する霧(蒸気霧)のことだ。海面や水面が霧に覆われた光景は冬の風物詩とされ、報道では季節ネタとして扱われる。霧は空気中の水蒸気が細かい水滴になって浮かんでいる状態で、日の出とともに気温が上昇すると、やがて見えなくなる。

 気嵐は水面近くで広がるだけだが、太陽熱で海水から蒸発する水は約430兆トン/年、雨や雪として海への降水量は約390兆トン/年と推計され、約40兆トン/年が雨や雪として陸地に戻るという。「日本海では、引き続き広い範囲で海面水温が平年より高い」と気象庁。平年より高い海水温の日本海を冬の強い寒波が南下し、水分を例年より多く含んだため北日本や日本海側の大雪がもたらされたのかもしれない。

 水の惑星と地球が呼ばれるのは、膨大な水が液体の状態で存在しているからだ。太陽に近い水星や金星では水は蒸発してしまい、火星以遠の惑星では水は氷結している。地球が生命に満ちているのは液体の水が利用できるからだとされる。地球上の水の総量は推定14億km3で海水などの塩水が97.5%、淡水が2.5%だが、淡水の大半が南極等の氷や氷河として存在する水や地下水であり、人が利用できる淡水は地球上に存在する水の量の0.008%(内閣官房HP)。

 人間の生活の中で水は液体・固体・水蒸気として利用されている。水は人間の生存には欠かせないものだが、時には集中豪雨や大雪に姿を変えて人間の生活を脅かす。地表全体に満遍なく均等に雨や雪が降るなら、集中豪雨や大雪の被害はなく、むしろ降雨の恩恵が偏ることはないと歓迎されるだろうが、大気の流れは常に変動し、集中豪雨や大雪は局地的に現れる。

 水は温度によって姿を変え、気嵐となったり、雪(氷の結晶)となったり、南極やグリーンランドのように厚い氷床となったりする。水は地表にとどまってはいない。海など地表の水は太陽の熱で蒸発して空高く昇り、雲になって、やがて雨や雪となって地表に降ってきて、陸地に降った水は川を経て海に至るとのサイクルを繰り返す。水循環というそうで、塩分を含む海水は蒸発する時に淡水化される。

 大気に蓄えられる水分量は常に変化しているが、大気が含む水分量には限度がある(飽和水蒸気量=空気1m3に存在できる水蒸気の最大量。湿度100%は飽和水蒸気量に達した状態)。温度が高いほど空気は多くの水蒸気を含むことができるが、温度が下がると含むことができる量が減り、水などとして現れ、上空では雲ができる。大気が含むことができる水分量に限度があるため水循環が機能している。

 人間の生存に欠かすことができない水だが、世界の平均気温は上昇しているとされ、日本では夏の猛暑は珍しくなくなり、おそらく水蒸気として大気に移る水分量が世界で増えている。だが、大気が含むことができる水分量には限界があり、気温上昇により増えた水蒸気は雨や雪になって地表に戻ってくる。世界各地から集中豪雨の被害が報じられ、日本ではこの冬、各地で大雪となった。集中豪雨も大雪も水の循環が示す現象だとすると、気温上昇が続くなら、集中豪雨や大雪は今後も頻発する。

2026年2月4日水曜日

フェイクニュース

  SNSの世界的普及によりフェイクニュースが蔓延しているとされる。問題は、どれがフェイクニュースか、どれが事実を伝えているのか、見分けることが簡単ではないことだ。フェイクニュースには、偽情報(人を混乱させ惑わすために意図的・意識的に作られたウソ、虚偽の情報)と誤情報(勘違いや誤解により拡散された間違った情報)が含まれると政府広報HP。

 SNSに現れる誤情報の発信者は個人が圧倒的に多いだろうが、プロパガンダやデマ拡散などを狙う意図的な情報操作である偽情報の発信者は、何らかの集団や組織などと関連する人たちだろうと想像できる。「プロ」の情報操作人なら、その情報が事実であると信じさせるために高度なスキルを供えているだろう。大企業や公共機関などを装った偽メールに、うっかり騙される人が絶えない状況では、フェイクニュースに操られる人が多いことは当然だろう。

 中国の2025年の実質GDP成長率は前年比5.0%増というのが公式発表。不動産関連の停滞が続き、固定資産投資は減少したが、消費は3.7%増となるなど内需は堅調で、政府目標(5%前後)は達成したとする(名目GDPの増加率は4.0%)。また、消費者物価上昇率は前年比横ばい、全国都市部調査失業率(通年の平均値)は前年から0.1ポイント上昇して5.2%だとする。

 政府目標に合わせたかのような公式発表は中国では珍しくない。過大すぎる不動産投資のバブルが崩壊した中国が5%成長を達成できたのか疑問視する見方もあり、そもそも中国の公式発表自体を疑う見方も以前からある。計画経済と1党独裁が合体した中国では、政府が策定した目標に数字を合わせることが地方政府の責務だと皮肉る見方もある。

 2025年の中国経済は、①輸出が増え、貿易黒字が1兆ドルを超えた、②深刻な不動産不況が続いているが、不動産企業の淘汰などバブルの清算は先送り、③家電や自動車などの買い替えに対する補助金政策で消費喚起、④国内の過剰生産能力の解消は進まず、⑤過剰な生産力・供給力による圧力で値下げ競争が激化(内巻)-などが指摘される。

 中国の公式発表も、どれが事実か、どれが操作された数字なのか、外部からは見分けがつかない。おそらく、事実を表す数字と政治的に「正しい」数字が混在していたり、事実を表す数字とプロパガンダが混在しているのだろう。フェイクニュースを見破るためには発信源を確認することが推奨されるが、1国の公式発表がフェイクニュースまがいだとしたら、そうしたフェイクニュースを見破ることは困難だ。

 中国の若者失業率は20%ほどと公式発表されているが、北京大学の研究チームの調査によると、46%に上るという。実態は外部から見えないが、寝そべり族など就業できない若者が増えているとのニュースも伝えられ、順調に政府目標に沿って5%成長しているとの公式発表を信じていいのか疑心暗鬼がつきまとう。国家が公式発表する情報にもフェイクニュースが紛れているかもしれない情報社会に我々は生きている。

2026年1月31日土曜日

雪の音

 歌舞伎で冬の名場面といえば「仮名手本忠臣蔵」の討ち入りだろう。雪が降る深夜に吉良上野介の屋敷に赤穂義士が突入し、主君の仇討ちとして吉良上野介を討つ。映画などでは、翌朝、槍の穂先に吉良上野介の首を掲げ、降った雪が路上に残る中を泉岳寺まで隊列を組んで行進し、浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供え、本懐を遂げたことを報告するまでが描かれたりする。

 討ち入りが暑い真夏の出来事であったなら、義士たちの装束は夏物で、汗だくの姿で義士たちは泉岳寺まで行進することになる。桜の咲いた中での討ち入りも、紅葉の中での討ち入りも血生臭い殺傷沙汰には似つかわしくない舞台設定で、討ち入りは真っ白な雪が降る冬だから情緒を高めたか。義士たちは揃いの火事装束で集団行動を怪しまれないようにしつつ、防寒性も確保した。

 雪中の大事件といえば、大老の井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」だ。歌舞伎では事件前夜、側室と共に静かに過ごす井伊直弼を描いた「井伊大老」があり、初代松本白鸚と中村歌右衛門の共演で観たことがあるが、しみじみとした情感を漂わせていたのが印象的だった。雪中の大事件には二・二六事件もあるが、こちらは歌舞伎にはなっていない。

 ほかに冬の名場面がある歌舞伎演目には、「恋飛脚大和往来」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」「雪夕暮入谷畦道」「鷺娘」「三人吉三巴白浪」「天衣粉上野初花」「奥州安達原」などがあり、舞い落ちる真っ白な雪が舞台効果を高める。同時に舞台下手から大太鼓の音が聞こえてくる。雪音というそうで、ゆっくりと雪降る空に響いていくようにドーン、ドーンと続く。

 現実には降る雪に音はなく、逆に積もった雪が音を吸収するそうで、雪が降る光景は静かだ(吹雪などの時には風の音が大きい)。だが、雪には音がある。それは、冷えこんな日の朝方などに積もった新雪を踏んだ時に、キュッキュッと鳴る音だ。日中も冷えこみが続くと、地上に降った雪が溶けないためか、グッグッ、ギュッギュッと一足ごとに音が鳴る。降った雪が冷えこみで粉末状になって、擦れ合っているような感じだ。

 真っ白な雪は降り積もると、景色を一変させる。見慣れた都会の風景に雪が加わると非日常感を漂わせ、雪の中に家々が点在する郊外は童話の挿絵を連想させ、葉を落とした森林の木々に雪が張りつくと白と焦茶色の水墨画の様相になる。杉林は冬でも緑だが、風上側の葉や枝には雪があちこちにこびりつき、自然が造形したクリスマスツリーのようになる。

 雪はキリリとした寒さを連想させる。「雪夕暮入谷畦道」で直次郎が蕎麦屋で股火鉢をするのは行儀が悪い行為だが、直次郎の性格と外の寒さを同時に表現した。「恋飛脚大和往来」では死出の旅に出た忠兵衛と遊女梅川に雪が降りしきる。自然状況の厳しさが主人公たちの置かれた状況の厳しさを連想させる。降りしきる雪の中で描かれる人間模様の効果音として雪音を考案した先人の発想は見事だ。

2026年1月28日水曜日

俺の誕生日

 米トランプ大統領は2期目の就任以来、しばしば一方的主張を掲げ、乱暴とも見える諸施策を打ち出し、関税の一方的な引き上げなど実行に移されたものも多く、世界は振り回されている。何を言い出すか見当がつかず、何をやるのかも見当がつかないトランプ氏の言動に世界は注目し、トランプ氏のSNSでの投稿内容がトップニュースになったりもしている。

 MAGAを掲げて当選したトランプ氏は、アメリカ・ファーストを基本に既存の国際秩序の組み替えを進めている。何らかの戦略に基づいて進めているのだろうが、奇策の連発にも見える。既存の国際秩序に従わず、トランプ流の米国優先を着々と実行に移しているような気配だが、強権を振るう様子は権威主義国の統治スタイルと似てきた。トランプ氏に対する批判は米国でも顕在化し、デモでは「No king」の言葉も現れた。

 自由選挙が定着し、最高権力者である大統領の任期は2期に制限されている米国で、権力を一手に握り任期に制限がない「王様」が誕生する可能性は低いが、もしトランプ氏が、中国の習近平氏やロシアのプーチン氏のように強権で議会や最高裁を従わせて憲法を改正して3期以降の続投が実現すると、トランプ氏は「王様」になることができる。

 トランプ氏が「王様」になることができたなら、何を行うだろうか。想像してみた。トランプ氏は1946年6月14日生まれであり、2025年には誕生日に約7000人の兵士や150台の軍用車両などが参加する大規模な軍事パレードを実施し、今年からはトランンプ氏の誕生日に、グランドキャニオンなどの国立公園に誰でも無料で入園できるようにするという。

 自己愛や自己肯定感が際立って強いトランプ氏なら、「王様」になれば自分の誕生日を特別な日であるとして祝日にし、国民皆がトランプ氏を祝う日であるとするだろう。もちろん、当日のデモは州兵や連邦軍によって厳しく取り締まられる。「俺の誕生日だぞ。祝わない奴はアメリカ人じゃない。国外追放だ」などと怒り散らし、アメリカ・ファーストがトランプ・ファーストに変質したことを示す。

 連邦政府の建物には自分の肖像画や写真を掲げることを義務化し、主だった空港には自分や家族の名前を冠し、連邦政府が関与する文化施設やスポーツ施設にも同様に自分や家族の名前を冠することを強制する。トランプ氏が「王様」になっても諸外国(日本以外?)は簡単には言いなりにならず、国際的な名声を得ることは困難だろうから、例えば、米国がトランプ平和賞を創設し、自分が受賞して大いに誇る(賞金額はノーベル賞の数倍にするかな)。

 こうしてトランプ「王様」は、できないことはない=何でもできると満足するだろうが、1946年生まれとあって高齢化には抗することができない。うかつに後継者を決めると、政権内の自分への忠誠心が薄れる可能性があるので、子供を後継者にするしかない。だが、自分の子供を次期「王様」にするための憲法改正を行うことができるパワーが、その時の「王様」に残っているのかは不明だ。

2026年1月24日土曜日

予言と運命

  例えば、「あなたの今後1年には、思ったようにいかなかったり、辛い思いをしたりすることがあるでしょうが、楽しいことや嬉しいこともあります。曇りや雨や雪の日があるでしょうが、必ず晴れる日があるでしょう」という予言は必ず当たる。その人の未来の体験を言い当てている。だが、そんな予言に感心し、ありがたがる人はいないだろう。

 小学生ほどの子供に向かって、その将来を「君は大金には縁がないだろうが、真面目に働けば小金には困らず、生活に苦労することはないだろう」とか「誰にでもチャンスはある。そのチャンスを君が逃さず、しっかり掴むことができれば君は成功する」などの予言は、多くの人に当てはまる言葉であり、予言というより激励の言葉だ。

 予言は「未来は決まっている」という前提で成立する。本人が何を考え、どう生きようと、人の一生はあらかじめ決まっているコースをたどると信じるが、そのコースを本人は知ることができない。だから、そのコースを知ることができるという人の予言に頼る。真偽を疑う人なら、そもそも予言などに見向きもしないだろう。

 人の一生があらかじめ決まっているコースをたどるものなら、個人の自由意思とは何かという問いが生じる。人生を自力で切り開いて生きることが、親や周囲の言うがままに受動的に生きることと変わらないことになる。どうせ決まっているのなら、無理に頑張らずに、楽して生きることを選ぶ人も出てきそうだが、そうした選択も決まっていたことだとすれば、人は皆、操り人形だ。

 決まっているコースについても、細部まで全てが決まっているのか、主要な出来事や大きな体験だけが決まっているのか、さらには、自由意思で変えることができる部分があるのか、ないのか-など、人生は決まっているという範囲の解釈次第で、人の未来をどのようにも描くことができるので、予言は人によって様々に変わってくる。

 運命を信じる人ならば、予言は可能だと考えたり信じたりすることに抵抗がないだろう。運命という言葉も、人の一生は定められているとし、人生における幸福や不幸との巡り合わせなどを納得するために便利だ。だが、運命を予知することは難しいらしく、何かが起こった後で感じるものが運命のようだ。

 占いは「当たるも八卦 当たらぬも八卦」だが、予言も同じだ。人の一生はあらかじめ決まっているコースをたどるのか運命があるのか検証は不可能で、未来が決まっていなくても予知能力を持った人なら、察知できるので予言は可能だとの考えもある。だが、その予知能力も検証は不可能だ。何かの不安を感じていたり、辛さや苦しさなどにとらわれた人の心の隙間を埋めるためには、予言や運命は役立つのだろう。

2026年1月21日水曜日

集団的自衛権の行使

 1939年にドイツのヒトラーとソ連のスターリンは独ソ不可侵条約を締結したが、1941年6月にヒトラーは独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻し、独ソ戦が開始された。1941年4月には、ソ連は日本と日ソ中立条約を締結した。これは、相互に領土の保全と不侵略を約束し、締約国の一方が第三国から攻撃された場合は他方は中立を維持することを決めた条約だが、1944年5月にドイツが無条件降伏し、8月にソ連は日ソ中立条約を破棄し、対日宣戦布告を行い、満州などで進撃を開始した。

 不可侵条約は世界情勢の変化に影響を受け、各国の力関係が変化するとともに条約の価値が変動し、時には一方的に破棄されることもあり、締約国の長期的な安全保障には限定的な効力しか持たないことを歴史は示す。2国間の相互防衛条約も国際関係の影響を受け、破棄される。例えば、米国と台湾が1954年に締結した米華相互防衛条約は、1979年の米中国交正常化によりアメリカは台湾を国家とみなさなくなり、1980年に米華相互防衛条約は破棄された。

 2国間の相互防衛条約ではなく多国間の防衛条約なら、世界情勢の変化によって1〜2国が離脱しても集団防衛体制は保たれるかもしれない。現在、世界にはNATO(北大西洋条約機構)のほか、米・豪・NZのANZUS(太平洋安全保障条約)などがあり、ロシアには集団安全保障条約機構(CSTO。旧ソ連諸国が加盟)がある。中国は軍事同盟ではなく多国間の対話の枠組みを重視している。

 NATOは1949年に設立され、現在の加盟国は32。「北大西洋条約に基づき、加盟国の集団防衛を含め、加盟国の自由及び安全保障を政治面・軍事面での保障を目的とする」組織で、政治的には「民主主義の価値を推進し、加盟国が防衛・安全保障上の課題の解決のために議論・協力し、長期的な信頼を構築して紛争を防ぐ」、軍事的には「外交的努力が敗れた際には、危機管理のための軍事的オペレーションを遂行する」(外務省HP)。

 北大西洋条約の第4条は「締約国は、領土保全、政治的独立又は安全が脅かされていると認めたときは、いつでも協議する」、第5条は「欧州又は北米における一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなす。締約国は、武力攻撃が行われたときは、国連憲章の認める個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するために必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び共同して直ちにとることにより、攻撃を受けた締約国を援助する」とする。

 トランプ大統領はデンマーク自治領グリーンランドの領有に向け、軍の活用を含む様々な選択肢を検討しているとする。グリーンランドに米軍が侵攻して占領すれば、NATO加盟国に対する攻撃であり、締約国は集団的自衛権を行使し、必要な行動をとらなければならない。だが、米国はNATO加盟国であり、軍事的行動の前段階の協議において米軍の行動を正当化し、NATOとしての軍事行動を阻止するだろう。

 脅しをかければ国際協調を重視する諸国はやがて従うとトランプ氏は学んだ気配があり、脅しを連発する。グリーンランドを武力で占領しても、すぐに資源開発が可能になるわけではなく、住民やEU諸国の反発を考慮すれば占領にかかるコストは大きい。強く脅してディールを米国有利にし、NATO諸国の防衛費を大幅に増やさせることが狙いかとも判断できるが、グリーンランド領有を本当にトランプ氏は夢見ているのかもしれず、世界の混沌は増すばかりだ。

2026年1月17日土曜日

山が見える日常

 山には存在感がある。標高2千メートルを超すような高山ではなく3百〜4百メートルの低山であっても、人々は見上げるたびに山の存在感を感じるとともに、自宅や日々の生活空間から見える山に親近感を持つ。山が崇拝の対象となるのは日本に限らず、世界各地で山は宗教的な意味を与えられてきた。

 日本の最高峰は富士山(3776m)だ。噴火を繰り返す富士山は、縄文時代から畏れられ神聖視されていたそうで、中世には修験者たちの山岳修行の聖地となり、やがて一般巡礼者も富士山に登るようになり、江戸時代には富士山を崇拝する信仰が関東地方で広がり、多くの人が富士講を組んで登山したり、富士五湖などを巡礼するようになった。

 大神神社(奈良県桜井市)は三輪山を、筑波山神社は筑波山を、金鑚神社(埼玉県)は御室ヶ嶽を、石鎚神社(愛媛県)は石鎚山を神体とするなど神が宿ると信仰されてきた山が各地にある。また、出羽三山(山形県の月山・羽黒山・湯殿山)や白山、大峰山、日光、立山、御嶽山、英彦山などは山岳信仰の場とされ、現在でも信仰登山が行われているという。

 各国にも山岳信仰がある。古代ギリシャではゼウスを始めとした神々が住むオリンポス山が信仰の対象になっていたとされ、中国では五岳(泰山・衡山・嵩山・華山・恒山)が神格化され、チベットではカイラス山が聖なる山とされ、白頭山は朝鮮・韓国人に聖地とされているそうだ。昔は山には悪魔が住むとされていた欧州は1神教のキリスト教を受容したため、山と信仰は切り離された。

 神がいてもいなくても山の存在感は大きく、世界の人々は日常生活で毎日見える山に親近感を持つ。山に神が宿ると信じる人が少なくなったであろう現在も人々は山を何か特別な空間・領域と見なす。崇拝の対象にはならなくなっても、地面を高く持ち上げて山を成した自然の力の強大さ・偉大さを毎日見る山に感じ、畏敬の念を投影する。

 ちなみに各国の最高峰は、中国はチョモランマ(=エベレスト、8848m)、インドはカンチェンジュンガ(8586m)、米国はマッキンリー(=デナリ、6190m)、カナダはローガン(5959m)、タンザニアはキリマンジャロ(5895m)、イランはダマバント(5671m)、ロシアはエルブルス(5642m)、メキシコはオリサバ(5611m)、ケニアはケニア山(5199m)、トルコはアララト(5137m)、スイスはモンテローザ(4634m)、イタリアはグラン・パラディーゾ(4061m。だがモンブラン=4810m=の山頂の領有権でフランスと争っている)、パプア・ニューギニアはウィルヘルム(4508m)などとなる。

 一方、英国はベン・ネヴィス(1344m)、アイルランドはキャラントゥール(1038m)、ガーナはアファジャト(885m)、ウルグアイはカテドラル(514m)、オランダはファールス山(323m)、デンマークはモレホイ(170m)、シンガポールはブキッ・ティマ(164m)など国土に高低差があまりない諸国もある。山は高くても低くても、いつも同じ場所にあり、人々とともにあった。山に親しみを感じ、時には崇拝の念を持つのは自然な感情なのかもしれない。

2026年1月14日水曜日

外国崇拝の精神

 どこの国にも外国の文化に興味を持つ人々はいる。興味の対象となる外国は個人により様々で、熱中度合いも様々だ。中には興味を持った外国に憧れるようになる人もいて、積極的に外国の文化を生活に取り入れる人もいる。さらに、外国の文化とそれを育んだ精神などを崇拝し、同化しようと努める人もいる。

 現在の日本で外国崇拝といえば対象は西洋だが、かつては中国だった。論語や漢詩など中国語をそのまま読み下し、その精神や主張や情緒を理解しようとしたり、水墨画を愛でたりしていた。新しい文化や思想などを日本は中国経由で受容していたが、19世紀以降、新しい文化や思想などを日本は西洋から直接取り入れるようになり、それとともに憧れる対象も西洋に変わった。

 外国崇拝は外国を理想化することになりやすいが、そこには自前の普遍的な価値観を構築・共有することができなかった日本の事情があると加藤周一氏は説く(「日本人の外国観」、1963年=『加藤周一セレクション⑤』平凡社ライブラリー所収。適時省略あり)。

 「日本人の外国観には昔から二つの型が目立つ。第一は、日本の遅れを強調して、特定の外国を理想化する態度であり、第二は、外国の遅れを強調して、日本を理想化する態度である。第一の態度は『一辺倒』の型であり、第二の態度は『国家主義』の型である。『一辺倒』は日本の歴史上、今に始まったことではない」

 中世の儒家の大部分は「中国を理想化し、日本の遅れを強調した。中国という歴史的・具体的・特殊な文化または国家を超歴史的・抽象的・普遍的な価値と同一視する傾向があった。もし彼らが普遍的な価値の立場をとっていたとすれば、現実の中国に対しても現実の日本に対してと同様、批判を加えていたであろう」

 「しかし大部分の儒者において、中国を批判する普遍的な価値の基準はなく、中国と価値は混同され、同一視されていた。これが中国『一辺倒』の基本的な構造である。『一辺倒』とは、外国の理想化ではなく、外国と理想の同一化である。広くいえば、歴史的で特殊な対象と普遍的な価値の同一化という現象である。特殊なものと普遍的なものとの同一化は、状況や心理を超える世界観の基本的な構造の問題である」

 かつては中国、現在では西洋に対して「外国と理想の同一化」が起きる日本。諸外国との交流が歴史的に少なく、現実の中国や西洋を知る人が少なかった歴史がある日本だから、新しい文化や思想などの受容先の外国を理想化する傾向が定着したのかもしれない。

 西洋崇拝の裏返しとして現在、西洋から日本の何かが高く評価されると過剰に喜び、評価が低いと残念がる。これは判断の基準が外国の価値観であった歴史と関係するだろう。外国崇拝は自国を評価するときに外国の価値観を尺度にすることになるが、その反動として日本の独自性を過剰に誇ったりする。グローバル化が進む中で日本と日本人は世界の中での立ち位置を模索し続けている。 

2026年1月10日土曜日

寒さに弱い

 2025年の日本の平均気温が平年(20年までの30年間平均)を1.23度上回ったと気象庁。3年連続で平年を1度以上も上回り、1898年の統計開始以降で2025年は3位の高さだった。特に夏は全国的に記録的な高温で、北日本、東日本、西日本、沖縄・奄美などで夏・秋の平均気温が観測史上1位を更新した。地球温暖化に加え偏西風の北寄りや太平洋高気圧の勢力強化などが重なったことが高温の原因とする。

 全国で昨年の猛暑に「勘弁してよ」と思った人は多かっただろうが、人間は暑さには強い生き物だと研究者。人間は恒温動物であり、汗をかくこと(湿性放熱)で体温を調節することができ、50℃くらいまでの気温には耐えることができるという(気温が高くなるほど大量の汗をかくので大量の水分の補給が必要)。ただし、猛暑などで体内にこもった熱を、冷房や大量の汗をかくことなどで捨てなければ体温が上がりすぎて意識を失い、時には死に至る(熱中症)。

 私たち現世人類(ホモ・サピエンス)は約20万年前にアフリカで誕生し、世界に広がったとされる。暖かだったアフリカでの生活に適応していた彼らは、移動した先はアフリカより気温が低かっただろうから、相対的な寒さを感じただろう。寒さに対応して熱を逃さない仕組みは人体には備わっておらず、着衣を工夫し、住居を作って寒さを凌いで現世人類は世界各地で生き延びてきた。

 寒さは人体から熱を奪うので、恒温動物である人間は警戒する。皮膚には暑さを感じる温点と寒さを感じる冷点がある。皮膚で温点の密度は1〜6個/cm2だが、冷点は8〜23個/cm2とはるかに多く、人体は寒さを感じやすくできている(冷点は顔面に多く、下肢で少ない)。寒さを嫌うのは本能的なものと言えるが、人間は極寒の地にも生息地を広げた。

 近年の猛暑にまいっている人が多いだろうが、夏が涼しい寒冷地への移住者が増えないのは、寒さが人体にとって厄介で、寒さを嫌うのは本能ともみなすことができるからか。報道では夏の猛暑や熱中症への警戒が呼びかけられ、猛暑にうんざりしている人々の様子が連日報じられるが、猛暑より寒冷地の冬の寒さのほうが人体には負荷となる。人間の深部体温は37℃前後に保たれているが、寒さで熱が体外に逃げるので、深部体温を維持するためには大量のエネルギーを消費する(暑い時も発汗などで大量のエネルギーを消費する)。

 寒冷地に住む友人は、避暑を兼ねてか夏場には東京などからの訪問客が増えるが、冬場には誰も来ないと愚痴る。雪が降り積もった冬場こそ、ストーブを囲んで、じっくりと、あれこれ話すことができると言うのだが、誰も来ない。猛暑の夏場には、「こっちは涼しい。俺も移住したい」などと話す輩が珍しくないのに、移住してくる人は皆無で、冬場の雪や寒さを試そうと来る人もいないそうだ。

 寒いといっても日本の寒冷地はアラスカやシベリアよりも気温は高い。様々な冬場の保温性が高い衣類が売られており、寒冷地の住宅は熱を逃さないように作られているので、多くの人々が寒冷地で暮らしている。移住したいと言った人に友人が聞いたところ、「寒いところは嫌だと妻が言うので〜」などと弁解されたという。電話を切った後、友人は「寒さに立ち向かう気力がない奴は無理だな」と呟いたそうだ。

2026年1月7日水曜日

ベネズエラ

 スペインの植民地だったラテン・アメリカにおいて各地の独立運動に加わり、指揮したシモン・ボリバル(1783〜1830)は「南アメリカ解放の父」と言われる。まずベネズエラの独立運動に参加し、ベネズエラは1811年に独立宣言を行った(翌年の大地震後にスペイン軍が政府を崩壊させ、ボリバルはカルタヘナなどを経てジャマイカに移った)。

 再起したボリバルは1816年から南米各地を転戦し、1819年にスペイン軍を撃破して、大コロンビア共和国の独立を宣言、大統領に就任した(大コロンビア共和国は現在のベネズエラ・コロンビア・エクアドルを含む)。その後、ボリバルはペルーやボリビアの独立運動にも参戦し、独立を助けた。

 武力で植民地支配を拡大することが容認されていた帝国主義の時代にあって、再びスペインなどの侵攻があると危惧したボリバルは、独立したラテン・アメリカ諸国が集団安全保障体制を構築して防衛体制を固めることを目指して1826年、各国が参加するパナマ会議を招集、会議で合意はなされたが、大コロンビア共和国以外の国では条約が批准されなかった。

 以前から存在した地域的な対立が強まって大コロンビア共和国は1830年にコロンビア、ベネズエラ、エクアドルの3国に分裂し、同12月にボリバルは死去した。ベネズエラは共和国として独立したものの、歴代の大統領による専制政治が行われた時代が多く、反乱も度重なり、不安定な状態が続いたが、欧州諸国の資本による開発が進められた。20世紀に入ると内戦の後にゴメスによる独裁統治が続いた。

 世界最大級の油田が発見されたのはゴメス時代。外資による油田開発が進み、貧しい農業国から世界有数の石油輸出国へとベネズエラは変わり、国内では産業化と近代化が進み、富裕層や中産階層が形成されたが、体制変革を求める動きも活発化した。軍部独裁とクーデターの後、民主制に復帰したのは1958年で、二大政党による民主的な政治体制が継続し、選挙によって大統領を選出することが定着した。

 低所得者層の高い支持を得てチャベス大統領が就任したのは1999年。チャベス大統領は「21世紀の社会主義」建設を標榜し、低所得層支援の推進、ベネズエラ石油公社(PDVSA)の掌握を通じた経済活動の国家管理などを行い、体制を強化した(外務省HP)。後継のマドゥロ政権が発足したのは2013年だが、治安や経済情勢の悪化が進み、国民の不満が高まり、2015年12月に行われた国会議員選挙では、野党が3分の2の議席を獲得し国会の多数を占めた(同)。マドゥロ政権の時代に、原油価格の暴落とともに高インフレによる生活苦や過酷な独裁統治などから約800万人が難民として国外に逃れた(2024年の人口は2646万人)。

 ベネズエラの人々はスペインによる植民地支配に抵抗し、専制統治や軍部独裁などに抵抗して民主的な共和国を形成した。だが、チャベス・マドゥロ時代は、原油価格低迷により経済は低迷、深刻な格差・貧困問題や治安の悪化が続き、ベネズエラの国としての「輝き」は失われていた。ロシア・中国・米国と強大国が帝国主義的な行動を辞さなくなった現在、ベネズエラは新たな植民地になるのか、それとも新たな共和国を目指して人々が動くのか。

2026年1月3日土曜日

100年前は1926年

 ドイツが国際連盟に加盟したことで、前年末に成立した英仏独伊など7カ国によるロカルノ条約が発効し、1926年の欧州では集団安全保障体制が実現、相対的な安定期となった。ドイツは国際社会に復帰したが、巨額の賠償金支払いを続けており、国民の不満は鬱積していた。ロカルノ条約から外されたソ連は反発し、敵対的な集団安保体制だと見なした。

 だが、ギリシャでパンガロスが独裁を始め、イタリアはファシスト系以外の労働活動を非合法化したりファシスト党以外の政党を解散させ、ポーランドやポルトガルで軍事クーデターが起き、ドイツではナチスが再結成後の初の大会を開催した1926年、マケドニアがユーゴに侵入、スペインは国際連盟を脱退し、リトアニアでクーデターが起きるなど欧州には不穏な気配も漂っていた。植民地だった自治領と本国を対等とする英連邦が成立したのもこの年。

 中国では、3月に北京で軍閥政府反対の国民大会が開催され(軍発砲で死者50人超)、蒋介石が戒厳令を公布して広州を封鎖した。7月に広東国民政府の国民革命軍は北伐を開始、長沙や漢陽を占領し、武漢や南昌を攻略した。国民革命軍には共産党員も参加し、ソ連の軍事顧問団も加わり、都市では労働者のストライキが頻発し、農村では農民が地主を襲撃するなど各地で民衆が呼応した。

 日本では1月に京都帝大の学生に最初の治安維持法が適用され、全国の社会科学連合会の学生の検挙が続いた。3月に大審院が朴烈と金子文子に死刑宣告を行い、後に減刑されたが、金子文子は獄中で自殺した(7月)。朴烈と金子文子が予審調室で寄り添う写真を配布した首謀者として北一輝が逮捕されたのは8月。9月には京都学連事件で野呂栄太郎・石田英太郎ら38人が有罪とされた。

 5月に十勝岳が噴火し、144人が死亡した。日本航空が大阪ー大連間の定期空路を開設したが、これは初の海外定期飛行(9月)。東京に円タクが登場したこの年、ネオンサインが初登場し、半蔵門に自動信号塔が登場、京浜線電車に自動ドアが付設され、SBカレー粉が発売され、断髪が流行り、モガが現れた。小鳥の飼育が流行し、夏の簡単服であるアッパッパが流行した。

 チャンバラ映画の隆盛は続き、大河内伝次郎がデビューしたこの年、邦画の製作数が洋画輸入数を上回った。築地小劇場が初の創作劇「役の行者」(坪内逍遥)を上演し、「この道」「酋長の娘」「ヨサホイ節」などが流行った。改造社が現代日本文学全集(全67巻)を刊行、1巻1円で円本と呼ばれ人気になった。「伊豆の踊り子」を川端康成が、「一寸法師」を江戸川乱歩が発表した。

 銀座・松屋デパートで初の飛び降り自殺があり、千葉の出淵熊次郎が殺人放火など重ね逃走した(鬼熊事件)1926年は、大正15年であるが12月に嘉仁さんが死去、裕仁さんが天皇になり、昭和元年に改元された。東京日日新聞が新元号は「光文」に決定したとスクープしたものの、その後の閣議で元号は「昭和」に変更された。この年、アントニオ・ガウディ(スペイン建築家)やルドルフ・バレンティノ(米俳優)、尾上松之助、クロード・モネ(仏画家)、ライナー・リルケ(独詩人)らが亡くなった。