2026年2月28日土曜日

曲芸とサーカス化

 体を意識して動かす運動をスポーツとすると、最も手軽なスポーツは散歩だろう。散歩は健康にも精神のリフレッシュにもいいと言われ、誰でも手軽に行うことができる運動だ。歩く速さを競ったりはせず、決められた距離を歩かなくてはならないといった制約もないので競技スポーツとは見なされないが、参加するスポーツとしては最もハードルが低い。

 とはいえ、散歩している人の多くはスポーツを行っているとの意識を持っていないかもしれない。歩いて体を動かすことを目的とする散歩もあれば、気ままに歩いて街並みや風景を見ることを楽しむ散歩もあり、犬の運動に付き合う散歩もあり、知人・友人との出会いを楽しむ散歩もあろう。散歩コースなどを走る人もいて、ジョギングを行う人はスポーツとの意識を持っているだろう。

 スポーツの定義は「日常の仕事を離れて楽しむ諸種の運動・球技や登山など」(新明解)とか「余暇活動・競技・体力づくりのために行う身体運動/陸上競技・水泳・各種競技・スキー・スケート・登山などの総称」(大辞林)だが、スポーツ庁は「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」とし、日々の生活から離れる気晴らしや遊び、楽しみ、休養がスポーツの本質だとする。

 世界最大のスポーツの祭典とされる五輪で採用される競技数は増える一方で、1964年の東京大会では19競技163種目だったが、2021年の東京大会では33競技339種目となり、冬季では1972年の札幌大会の6競技35種目が1998年の長野大会では7競技68種目となり、ミラノ・コルティナ大会では8競技116種目と大幅に増えた。スノボやスケボ、サーフィン、クライミング、ブレイキンなど若者らに人気のスポーツや女性選手が参加する競技・種目を増やす一方、長く採用されてきた競技・種目を減らすことには抵抗があり、できない。

 五輪は世界最大のスポーツ興行だと見ると、巨額の放映権料やスポンサー料の収入を獲得し続けるには時代の変化や世代の変遷に対応して、新しい競技・種目を採用することが必要だろう。気になるのは、高く飛び上がって複雑な回転技を見せる種目が増えていることだ。観客は喝采し、視聴率を稼ぐことができるかもしれないが、スポーツと曲芸の境目がぼやけ、競技スポーツが「見せ物としてのスポーツ」に偏りつつある。

 見せ物としてのスポーツが曲芸化するのは、よりスリリングな芸が求められるからで、やがて五輪はサーカス化するだろう。高く飛び上がる回転技が人気となれば陸上競技などにも取り入れられよう。高く飛び上がる回転技を競う競技は採点競技であり、点数を稼ぐために、もっと高度な回転技が求められ、0.1ポイントを争って選手らは限界に挑戦し続ける。飽食の世界に住む人々は、スリリングな回転技を披露する選手に喝采を送り、事故をも見せ物の一部として楽しむようになるのかもしれない。

 誰もが参加できるスポーツである散歩が五輪に採用されることはなく、見せ物としてのスポーツの採用が今後も増えるだろう。誰もが参加できるスポーツは、誰もが体験して楽しめばいいのであるが、観覧する人を多く集める興行の「演目」には地味すぎて訴求力は限られる。だから、高く飛び上がって複雑な回転技を選手が披露する種目が増え、曲芸を楽しむ場へと五輪は変容する。

2026年2月25日水曜日

補完勢力

  国政選挙において、それまでの政治を容認する人々は与党に投票する人が多く、それまでの政治に批判的な人々は変化や改革を求めて野党に投票するだろう。だが、野党が変化や改革の具体的で練り上げた政策を提案をせず、政府・与党に対する批判に終始したり、崇高な理念を掲げるだけだったとしたら、主権者は野党に投票しても何も変わらないと思うだけだ。

 野党は国政選挙では、それまでの政治を変え、もっと人々の生活がよくなることをアピールし、政権交代を主張しなければ野党が存在する意味がない。変化をもたらし、改革してくれそうとの期待をもたせることができない野党はいずれ主権者に見限られる。野党は、それまでの現実を変えようと具体的な政策を主張することで確かな存在感が生まれる。

 野党には政権・与党の政策や政治方針などを批判し、チェックする機能が求められる。日本では自民党の長期政権が続いたこともあって、野党には現実的に政治を動かし、官僚を動かす力量が育たず、野党はもっぱら政権・与党を批判する役割だけを果たしてきた。だが、それは野党に政権を任せても大丈夫かという「頼りなさ」を主権者に感じさせてもきた。

 自民党の長期政権が続く中で、野党の存在価値は自民党の「暴走」を抑えることにしかないと見られれば、選挙で野党に多くの票が集まるはずもない。自民党の長期政権を結果的に野党が支えてきた=野党は自民党の長期政権の補完勢力でしかないことを主権者はとうに見抜いたから、かつての野党第1党の社会党から続く野党勢力は退潮を続け、分裂を続け、退場していく。現状を変える力量がない野党は見放された。

 米国でトランプ氏は変化を主張した。当選後に次々と、それまでの民主党主導で行ってきた政策を覆し、変化を実現させた。その変化の方向は議論の余地が多いもので、熱烈な支持層以外からは違和感を感じさせるものだっただろう。変化を強いた手法は強引で、対話や合意形成を軽視し、異論や批判を切り捨てる姿勢は独善的だが、善し悪しは別としてトランプ氏が米国と世界に変化をもたらしたことは確かだ。

 日本の選挙では、減税や社会保険料の負担軽減など具体的な政策を掲げる弱小政党が増えた。具体的な政策提案を行う野党が増えたことで主権者の選択範囲は広がったとも見えるが、現実には弱小政党の議員数が多少増えたところで、1つの法案さえ独自に成立させることはできず、弱小政党が掲げる政策を実現するためには与党である自民党にすがるしかない。

 自民党にすがる弱小野党は自民党の補完勢力と化す。自民党にすがるしかない弱小政党が多少増えることは、自民党の長期政権の持続を助けるだろう。つまり弱小政党が増えても政権交代は起こらず、自民党の長期政権は続く。そして、「どうせ自民党の長期政権は変わらない」と主権者は、大衆ウケする政策や排外主義、愛国主義などを煽る弱小政党に投票して選挙を面白がる。

2026年2月21日土曜日

天気予報は見ない

 自分や家族の健康状態や仕事関係など身の回りのことから政治・経済の動向、社会情勢、天変地異、国際情勢など、この世界は常に様々な変化の中にあり、将来、何が起きるのかは誰も知らない。1日先のことも数年先のことも未来を知ることは誰にもできないが、過度な不安にとらわれず、明日も平穏な日であると大方の人は思っているに違いない。

 一方で、何か悪いことが起きるのではないかと不安を感じることは誰でも経験しているだろう。体調不良が続いたり、近隣で犯罪が起きたり、地震や集中豪雨があったり、食品や日用品の値上がりが続いたり、近隣諸国で戦火の兆しが現れたり-など、不安を生じさせる何かの兆候は絶え間なく発生する。

 不安を煽るビジネスがある。健康食品などのCM・広告の多くは、体のどこかの不調や不具合を意識させ、商品を売り込む。そんなCMに接してから病気などの不安を感じるようになったり、健康体でいることが必要だと思うようになるのかもしれない。生命保険や損害保険も何らかの不安を煽ることで、商品を売る仕組みだ。「備えあれば憂いなし」だが、将来に対する憂いを持たせて「備えさせる」商売だ。

 SNSなどの普及で、「地震が起きる」「ワクチンは危険だ」など不安を煽る情報が増えた。根拠が示されなかったり、あやふやな根拠が示されたりと、信じるに値する情報なのか定かではなくても、不安だけは植え付けられる。デマだと笑い飛ばすのがいいのだが、精神の余裕が乏しければ笑い飛ばすことはできず、不安の種を植え付けられる。

 根も葉もない多くのデマと違って、特定の方向へ意識を向けさせようとするデマがある。代表がプロパガンダに利用されるデマで、特定の人々や政党や組織や国などへの疑念や不信感を煽り、植え付けようとする。同じような内容のデマを執拗に大量に流すことで、関心を持った人は同じような内容の情報を受容し続けて洗脳される。これは何らかの危機感を抱かせるために有効だ。

 危機感を煽る情報に感応しやすくなった人々は、危機感を新たに煽る情報を素直に受容する。危機感が刺激され続け、何らかの不安につきまとわれる。不安を感じることは不安定な精神状態だが、常に不安を抱くことが常態化すると、危機感を煽る情報を吟味することはなおざりになり、抱いている不安が自分が抱く危機感を正当化するので、不安は増すばかりとなる。

 「テレビの天気予報は見なくなった」と友人。外出するときに天気は気にならないのかと聞くと、スマホで天気を調べる程度だ。「親切なつもりかもしれないが、特に雨関係などの予報は不安を煽り立てているようで鬱陶しい」と友人。各地での集中豪雨を予報できず多大な被害を出したことが続き、警戒を促す方向へ予報体制が変わったようだが、「言葉だけで危機感を煽るのではなく、予報の精度をもっと高めるように努めるべきだ」と友人は、危機感や不安を煽ることが増えた天気予報を批判する。 

2026年2月18日水曜日

反戦平和の終わり

 野党議員が反戦平和を唱えていれば一定の支持が集まるという時代は、とっくに終わっていたことが今回の総選挙で可視化された。反戦平和しか決め台詞がないという政治家や政党が見放されたともいえる。反戦も平和も崇高な要求・理念であり、反戦平和を主張することは正しい行為だろう。だが、ことあるたびに「狼が来るぞ」と警鐘を鳴らすことは、警鐘の価値を低下させる。

 中国が南シナ海や東シナ海での海軍力を強化し、日本の太平洋側にも海軍を展開できる能力を備えるようになり、北朝鮮は日本各地を標的にする各種ミサイルを配備している現実に、反戦平和を唱えるだけでは日本の平和は守ることができない。日本国内で反戦平和をいくら唱えても、日本周辺の軍事的緊張を緩和することはできず、反戦平和を唱えることは中国や北朝鮮の軍事的脅威を無視することで支えられる。

 反戦も平和も第二次大戦の日本の敗北に基づいている発想だ。日本軍が最後にはボロ負けして武装解除され、日本国は無条件降伏して独立を失い、米国などに占領統治され、人々は生き延びることに懸命だった。そうした時代に人々は「戦争はもう嫌だ」「戦争は懲り懲りだ」と思い、反戦平和は戦後の「新しい日本」の通奏低音となり、革新陣営はもちろん保守陣営にとっても否定することができない主張となった。

 だが、日本の戦争を体験した人々は少なくなり、世界では地域戦争は絶え間なく起きていたが、そうした戦争の体験がマスメディアで伝えられても日本の人々にとっては他人事の気配で、戦争の悲惨や銃後の生活の苦しさなどの実感は伝えることが難しくなり、それにつれて反戦平和の主張も実感を伴わず、理念としての反戦平和へと移行した。

 理念としての反戦平和は、全ての戦争に反対する考えだとみなされるが、日本で主張された反戦とは「負け戦は2度とゴメンだ」だ。それは実感を持って語り継がれたが、世代は入れ替わり、全ての戦争に反対することが反戦だと変化し、負け戦は悲惨で惨めだという記憶や体験は、理念としての反戦にまぎれた。日本人の歴史的体験から生まれた反戦平和の主張が変質するとともに、負け戦の悲惨さや惨めさや屈辱などの記憶は希薄になった。

 日本は日清戦争、日露戦争、第一次大戦で戦勝を続け、それを日本人は喜び、提灯行列などで祝うこともあった。反戦平和を求める声は当時小さく、国威発揚の手段として戦争は容認されたが、第二次大戦で日本はボロ負けし、「負け戦は2度とゴメンだ」と反戦平和を求める声が強くなった。やがて日本は経済発展し、理念としての平和は生活保守主義によって共感を持って受け継がれているが、負け戦の記憶・体験に基づく反戦が全ての戦争に対する反戦と置き換えられ、理念として祭り上げられていく。

 マスメディアには好戦的になって大衆を煽り、負け戦になって大失敗した過去があり、日本で惨禍を繰り返さないために反戦平和を主張し続けることは義務だろう。そのために反戦平和を唱える政治家には利用価値があり、そうした政治家を支えてきた。だが、理念ではなく実利をアピールする時代になって、反戦平和という訴えは軽視され、反戦平和を呪文のように言い立てていた政治家は表舞台から徐々に退場していく。今回の総選挙は新たな国威発揚を求める機運が高まりつつあることも示した。

2026年2月14日土曜日

現代の貴族階層

 グローバリズムは、国境を越えたモノ・マネー.ヒトの自由な移動を実現し、世界の構造を変えるとともに各国の政治・経済・社会にも大きな影響を与え、各種の変化を生じさせた。欧米日などから工場が中国などに移転し、各国内では非正規雇用が増大して中産階級が解体され、格差が拡大するとともにマネーは自由に世界を動き回り、富める者はますます富を増やし、既成の政治に対する人々の不満を増大させ、変革の方向を巡って社会の分断を可視化させた。

 欧米などで既成の政治を主導していたリベラルなエリートが実は富裕層であり、理念先行の政治やグローバリズムが人々の利益には必ずしも合致していなかったことが暴かれ、人々の政治不信に拍車をかけた。リベラルなエリートが大衆層を代表できなくなっているとエマニュエル・トッドは近著で次のように説く(「西洋の敗北」。適時省略あり)。

 「思想面と感情面において、エリート主義とポピュリズムという二つの陣営が激突する。エリートは、民衆が外国人嫌いへと流されることを非難する。民衆は、エリートが常軌を逸したグローバリズムに耽っているのではと疑う。民衆とエリートが、ともに機能するために協調できなくなれば、代表制民主主義の概念は意味をなさなくなる。すると、エリートは民衆を代表する意思を持たなくなり、民衆は代表されなくなる」

 「世論調査によれば、西洋民主主義国の大部分において、ジャーナリストと政治家は最も尊敬されていない職業だという。陰謀論が蔓延しているが、これはエリート主義対ポピュリズム、すなわち社会の相互不信によって形成される社会システムに特有の病理なのだ」

 「民主主義の理想は、人々の社会的条件をなるべく近づけるという概念を含んでいた。第二次大戦後、民主主義が絶頂にあった時期には、アメリカを始め多くの国でプロレタリアとブルジョワが、大規模になった中流階級の中に溶け込むことすら想像できたのだ。ところが、私たちが直面してきたのは、格差の拡大である。自由貿易によってもたらされたこの現象は既成の諸階級を粉砕したが、同時に物質的生活条件も悪化させ、労働者階級だけでなく中流階級の雇用へのアクセスまでも悪化させた」

 「今日の民衆の代表者、つまり高等教育を受けた大衆化したエリートたちは、第一次産業および第二次産業に従事する人々を尊敬しなくなり、どの政党に属していようが、根底では、自らが高等教育で身につけた価値観こそ唯一正当なものだと感じている。自分はエリートの一員であり、その価値観こそが自分自身であり、それ以外は何の意味もなさず、虚無でしかない。こんなエリートなら、自分以外の何かを代表することなど絶対にできないであろう」

 民衆の支持を失い、民衆とのつながりが希薄化したエリートとは現代の貴族階層だ。民衆からの支持という正当性を失ったエリートに人々が我慢できなくなれば、ポピュリストが民衆の代表者にふさわしいと見えても仕方がない。人々は自分らの代表を求め、それがトランプ氏になったりもする。トランプ氏も現代の貴族階層に属するが、粗野な振る舞いを隠さず、エリート臭は希薄だ。ポピュリストが選挙で選出されるのは、現状を変えたいという人々の意向の強さと絶望の深さを示している。

2026年2月11日水曜日

ひび割れと金継ぎ

 金継ぎは、割れた陶磁器などをウルシを使って破片を接着して修復する日本独自の技術だ。ひびや割れなどを目立たないように修復するのではなく、修復した割れなどの部分を金粉や銀粉などで装飾し、新たな「味」や「景色」を付与する。元通りの姿に見せるのではなく、ひびや割れなどがあったことを強調するのは独自の発想だ。

 ひびや割れがあったことを分からないように陶磁器などを修復することは可能で、おそらく世界各地で行われているだろう。そうした修復は、ひびや割れがあったことを隠し、やがて、ひびや割れがあったことは忘れられる。ひびや割れの存在は陶磁器などの完全性を損なうので忌むべきものとの意識が強い社会では、ひびや割れを強調する金継ぎの発想は生まれない。

 ひびや割れは陶磁器などにだけ存在するのではなく、人間関係などでも発生する。家族間や友人間などなら時間とともに仲直りすることは珍しくないだろうが、激しい感情や利害などの対立が絡むと相手に対する批判が激化し、簡単には関係を修復できず、時には関係断絶に発展したりもする。ひびや割れはくっきりと見えるようになるのが人間関係か(ひびや割れが見えない人間関係もあり、誰かが我慢している)。

 ひびや割れは国家間ではフツーに存在する。ロシアや中国など権威主義諸国と欧米など民主主義諸国の対立は長らく存在し、歴史的経緯から関係が緊張している諸国もあり、複雑な民族対立が国家間の対立となって現れる例もあり、資源や権益の奪い合いで対立している諸国もある。自国を最優先させるのが国家だから、さまざまな国家間の対立は常態である。

 ひびや割れを新たに発生させることを厭わないのがトランプ大統領の米国だ。関税の一方的な引き上げで世界各国との関係にひびを入れ、グリーンランド領有を主張して欧州諸国との関係にひびを入れ、NATO加盟諸国には米国に頼るだけだったとして防衛費の大幅引き上げを要求し、ひび割れをNATOにも入れた。こうなると欧州諸国は、米国はもはや信頼できるパートナー国ではないと認識を新たにし、ひびや割れの存在は修復されない。

 ひびや割れの存在を隠すことができなくなったNATO加盟諸国は、米国抜きでロシアに対峙することができない現実を前に、自主防衛に動かざるを得ない。だが、欧州諸国だけではウクライナ支援にも限界があり、ロシアの軍事的脅威に欧州諸国だけで立ち向かうことができるようになるには年月を要する。米国が欧州の平和への関与を弱め、NATOのひび割れは誰の目にも見えるようになった。

 米国の次期大統領に民主党候補が当選したとしても、米国とEU諸国やNATOとの関係悪化(ひびや割れ)の痕跡は残る。それは、人々の記憶に残り、歴史にも記録され、なかったことにはできない。ここに金継ぎの発想を持ち込むと、厳しい対立があったことを認め、それを乗り越えて関係国が新たに堅固な協力関係を構築したと強調するしかない。だが、国家間や国際機関におけるひびや割れが作り出す新たな「味」や「景色」とは、互いに信用・信頼せずに構築する国家間関係や国際関係だろう。

2026年2月7日土曜日

水の循環

 けあらし(気嵐or毛嵐)とは、放射冷却で冷え込んだ冬の早朝、大気の温度より海や川などの温度が高い時に、蒸発した水蒸気が冷たい空気に触れて発生する霧(蒸気霧)のことだ。海面や水面が霧に覆われた光景は冬の風物詩とされ、報道では季節ネタとして扱われる。霧は空気中の水蒸気が細かい水滴になって浮かんでいる状態で、日の出とともに気温が上昇すると、やがて見えなくなる。

 気嵐は水面近くで広がるだけだが、太陽熱で海水から蒸発する水は約430兆トン/年、雨や雪として海への降水量は約390兆トン/年と推計され、約40兆トン/年が雨や雪として陸地に戻るという。「日本海では、引き続き広い範囲で海面水温が平年より高い」と気象庁。平年より高い海水温の日本海を冬の強い寒波が南下し、水分を例年より多く含んだため北日本や日本海側の大雪がもたらされたのかもしれない。

 水の惑星と地球が呼ばれるのは、膨大な水が液体の状態で存在しているからだ。太陽に近い水星や金星では水は蒸発してしまい、火星以遠の惑星では水は氷結している。地球が生命に満ちているのは液体の水が利用できるからだとされる。地球上の水の総量は推定14億km3で海水などの塩水が97.5%、淡水が2.5%だが、淡水の大半が南極等の氷や氷河として存在する水や地下水であり、人が利用できる淡水は地球上に存在する水の量の0.008%(内閣官房HP)。

 人間の生活の中で水は液体・固体・水蒸気として利用されている。水は人間の生存には欠かせないものだが、時には集中豪雨や大雪に姿を変えて人間の生活を脅かす。地表全体に満遍なく均等に雨や雪が降るなら、集中豪雨や大雪の被害はなく、むしろ降雨の恩恵が偏ることはないと歓迎されるだろうが、大気の流れは常に変動し、集中豪雨や大雪は局地的に現れる。

 水は温度によって姿を変え、気嵐となったり、雪(氷の結晶)となったり、南極やグリーンランドのように厚い氷床となったりする。水は地表にとどまってはいない。海など地表の水は太陽の熱で蒸発して空高く昇り、雲になって、やがて雨や雪となって地表に降ってきて、陸地に降った水は川を経て海に至るとのサイクルを繰り返す。水循環というそうで、塩分を含む海水は蒸発する時に淡水化される。

 大気に蓄えられる水分量は常に変化しているが、大気が含む水分量には限度がある(飽和水蒸気量=空気1m3に存在できる水蒸気の最大量。湿度100%は飽和水蒸気量に達した状態)。温度が高いほど空気は多くの水蒸気を含むことができるが、温度が下がると含むことができる量が減り、水などとして現れ、上空では雲ができる。大気が含むことができる水分量に限度があるため水循環が機能している。

 人間の生存に欠かすことができない水だが、世界の平均気温は上昇しているとされ、日本では夏の猛暑は珍しくなくなり、おそらく水蒸気として大気に移る水分量が世界で増えている。だが、大気が含むことができる水分量には限界があり、気温上昇により増えた水蒸気は雨や雪になって地表に戻ってくる。世界各地から集中豪雨の被害が報じられ、日本ではこの冬、各地で大雪となった。集中豪雨も大雪も水の循環が示す現象だとすると、気温上昇が続くなら、集中豪雨や大雪は今後も頻発する。

2026年2月4日水曜日

フェイクニュース

  SNSの世界的普及によりフェイクニュースが蔓延しているとされる。問題は、どれがフェイクニュースか、どれが事実を伝えているのか、見分けることが簡単ではないことだ。フェイクニュースには、偽情報(人を混乱させ惑わすために意図的・意識的に作られたウソ、虚偽の情報)と誤情報(勘違いや誤解により拡散された間違った情報)が含まれると政府広報HP。

 SNSに現れる誤情報の発信者は個人が圧倒的に多いだろうが、プロパガンダやデマ拡散などを狙う意図的な情報操作である偽情報の発信者は、何らかの集団や組織などと関連する人たちだろうと想像できる。「プロ」の情報操作人なら、その情報が事実であると信じさせるために高度なスキルを供えているだろう。大企業や公共機関などを装った偽メールに、うっかり騙される人が絶えない状況では、フェイクニュースに操られる人が多いことは当然だろう。

 中国の2025年の実質GDP成長率は前年比5.0%増というのが公式発表。不動産関連の停滞が続き、固定資産投資は減少したが、消費は3.7%増となるなど内需は堅調で、政府目標(5%前後)は達成したとする(名目GDPの増加率は4.0%)。また、消費者物価上昇率は前年比横ばい、全国都市部調査失業率(通年の平均値)は前年から0.1ポイント上昇して5.2%だとする。

 政府目標に合わせたかのような公式発表は中国では珍しくない。過大すぎる不動産投資のバブルが崩壊した中国が5%成長を達成できたのか疑問視する見方もあり、そもそも中国の公式発表自体を疑う見方も以前からある。計画経済と1党独裁が合体した中国では、政府が策定した目標に数字を合わせることが地方政府の責務だと皮肉る見方もある。

 2025年の中国経済は、①輸出が増え、貿易黒字が1兆ドルを超えた、②深刻な不動産不況が続いているが、不動産企業の淘汰などバブルの清算は先送り、③家電や自動車などの買い替えに対する補助金政策で消費喚起、④国内の過剰生産能力の解消は進まず、⑤過剰な生産力・供給力による圧力で値下げ競争が激化(内巻)-などが指摘される。

 中国の公式発表も、どれが事実か、どれが操作された数字なのか、外部からは見分けがつかない。おそらく、事実を表す数字と政治的に「正しい」数字が混在していたり、事実を表す数字とプロパガンダが混在しているのだろう。フェイクニュースを見破るためには発信源を確認することが推奨されるが、1国の公式発表がフェイクニュースまがいだとしたら、そうしたフェイクニュースを見破ることは困難だ。

 中国の若者失業率は20%ほどと公式発表されているが、北京大学の研究チームの調査によると、46%に上るという。実態は外部から見えないが、寝そべり族など就業できない若者が増えているとのニュースも伝えられ、順調に政府目標に沿って5%成長しているとの公式発表を信じていいのか疑心暗鬼がつきまとう。国家が公式発表する情報にもフェイクニュースが紛れているかもしれない情報社会に我々は生きている。