2026年4月25日土曜日

自国民の戦死

 2013年10月にハマスはイスラエルを奇襲攻撃し、約1200人を殺害、約250人が人質として連れ去られた。イスラエルはガザに対する容赦ない反撃攻撃を開始し、ガザでの死者数は7万人を超すとされる。圧倒的な軍事力を有するイスラエルはレバノンに対する攻撃も始め、さらに米国とともにイランに対する攻撃も行った。

 中東における軍事的パワーバランスは激変した。今年、イスラエルと米国はイランに対する大規模な攻撃を開始し、多数の死者が出ているだろうが、米兵の死者については詳しく報じられるものの、イラン人の死者についての報道はほぼ皆無で、死者数だけが時折報じられる。イスラエルと米国はイラン各地を戦場に変え、人々が殺されている。

 今回のイランなど戦場における死者はミサイル攻撃や空爆によるものが大半だろうが、イスラエルが封鎖しているガザでは餓死者も出たという。どんな死に方を戦場で人々はしているのだろうか。かつて日本軍に従軍した人々の声を保阪正康氏は記録している(『昭和史の核心』、保阪正康著。適時省略あり)。


「日本は国家総力戦を都合よく解釈して、国家を兵舎とし、国民すべてを兵士と想定しての戦争を続けた。日中戦争やその延長としての太平洋戦争で、どこが戦争の終結点なのか考えもせず、ひたすら国家予算、物資、そして国民の命をつぎ込んだ」

「とんでもない戦略や戦術が横行した。玉砕戦術や特攻作戦に見られるような国民(兵士)の命を無視した戦いを平然と続け、軍事指導者はひたすら、死ねと兵士たちに命令を発し続けた。兵站を無視した日中戦争、太平洋戦争で日本の軍人・軍属、兵士など戦死者は240万人、そのうち7割は餓死だったとの分析もある」

「玉砕、特攻、餓死による戦死者は他国では考えられない。それほど軍事指導者は命を粗末にした。国民の命をもてあそぶなと、次の世代はこの一点で太平洋戦争を検証してみるべきである」(「歴史的見方とは何か」)


「戦死といっても、いろいろなタイプがある。戦闘死、飢餓死、事故死、戦病死などがある。死がいかに悲惨だったかは兵士たちも書き残していて、『戦友の死体にたちまち蛆がわく。蛆は傷口に群がり、やがて全身が蛆だらけになる。骨と皮だった死体が蛆虫で膨れ上がる。ああ自分も明日にはこうなるのかと愕然とする』といった証言は誰もが口にする」

「北方では、手足の凍傷から壊疽になり、切断手術が行われ、麻酔などないから、兵士たちが押さえ込んだり、殴って意識を混濁させたりした。そういう死の形は詳しく語られてはいない」

「戦場で死ぬとは死体が悲惨な姿になることであり、弾丸が当たって一瞬で亡くなる者もいれば、傷を負って戦場に放置されたまま、ゆっくりと死んでいく者もいる。精神的に異常な言動に走る者も出てくる」

「軍事を生半可にかじった者が『日本の兵士は勇敢で優れている』などという巷説を持ち出して讃えることは、大本営の参謀の責任から目をそらさせるためのトリックだ。この戦死者の実像を見つめることが問われている」(「戦死のリアル」)

 他国民の死に米国は冷淡であるが、自国民の死には過敏になる。かつての日本は他国民の死にも自国民の死にも冷淡だった。独裁的な権力だったから国内での批判を封印でき、自国民の大量の死を権力維持のために容認できたが、行き着く先は無条件降伏というボロ負けだった。イスラエルも米国も自国民の死には敏感だが、他国民の膨大な死には無頓着だから、中東で戦線を拡大している。

2026年4月22日水曜日

機密を握る人々

 日本はスパイ天国だと批判する人がいる。その言葉を信じると、日本では各国のスパイが自由に情報収集活動を行っているのだろう。ことあるごとに日本を批判する中国やロシア、北朝鮮・韓国などのスパイが日本の国家機密を狙い、日本を属国化しているとされる米国も、日本を支配下に置いておくために霞が関などにスパイ網を張り巡らしているだろう。

 日本の国家機密が中国やロシア、北朝鮮・韓国、米国などにダダ漏れだとすれば、国際的に日本は軽視され、外部からコントロール可能な国家だと見なされよう。日本が米国の支配を脱して自立し、独自の政策や独自の外交を行うためには、日本国内で活動するスパイを監視・制御し、必要ならば各国のスパイ網を摘発し、自由に各国のスパイが活動できないようにしなければならない。

 ネットや新聞などを頼りに情報収集するスパイは監視・制御できない。だが、国家機密に接することができる日本人から情報を収集しようとする諸外国のスパイなら監視・制御できるかもしれない。そうした日本人に諸外国のスパイは接触し、弱みを握ったり、過度に親密になったりして関係を構築し、情報を提供させるように仕向ける。そうした関係を情報収集の対象者と築くのが各国のスパイの手腕だ。

 機密とは「組織体にとっての大事な秘密事項」だが、国家においては「主に政治上・軍事上・外交上などでの保護すべき重要度が最も高い秘密」であり、外務省は秘密情報を重要度の高いものから順に「機密」「極秘」「秘」の3段階に区分して保護し、防衛省には特別防衛機密として「機密」「極秘」「秘」があり、ほかに「特定秘密」や「省秘」などがある。

 こうした政治上・軍事上・外交上などの国家機密に接し、内容をつぶさに知ることができるのは霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに限られる。スパイ防止法が成立すれば、監視する対象は霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに絞られ、その行動や交友関係などは徹底的に監視されることになるはずだ。日本の国家機密に接し、それを他国に漏洩できるのは霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らだけだ。

 しかし、どのような行為がスパイ活動か、何が処罰の対象か曖昧なスパイ防止法(「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が成立すれば、一般の人々も監視対象になると日本弁護士連合会は警告する。問題点は①「国家秘密」の内容が広範囲・無限定であり、行政当局の恣意的専断を許す、②実行行為及び過失犯など行為類型が広範囲・無限定であり、調査・取材活動、言論・報道活動、日常的会話等のすべてが含まれる、③死刑を含む重罪が課される、④予備・陰謀罪と独立教唆犯の提案は罪刑法定主義と行為責任主義の原則に違反する。

 国家機密の漏洩を防ぐことが目的ならば、監視対象になるのは国家機密に接することができる霞が関などの高級官僚と一部の政治家、自衛官らに絞られる。だが、統制強化を目的とするスパイ防止法ならば、行政は拡大解釈によってマスメディアや一般の人々を対象にするだろう。だが、それは国家機密のダダ漏れを防ぐことには効力が弱く、各国のスパイは自由に情報収集活動を行うことを続ける。

2026年4月18日土曜日

主権と自由選挙

 民主主義は、国の政治など統治のあり方を決める主権が人々に属することで成立する(主権在民、国民主権)。選挙を行い、議会や裁判制度を整えて民主主義国であるかのように装っている国でも、主権を軍部や特定の政党、あるいは個人が専有しているなら、民主主義国ではない。そうした国では人々は主権者ではなく、支配される対象である。

 人々が主権を行使する代表例は自由選挙だ。全ての人が1人1票を持ち、自分の意思のみで投票先を決めて投票する(外部からの干渉・強制は禁止)。自由選挙では、誰に投票したかは秘密とされ、立候補の事前制限がなく、自分の意思で誰でも立候補でき、複数の候補が議席を争う。開票は公開され、開票の正確性や検証可能性は保たれる。

 主権を有する人々による自由選挙の結果、主権者を代表して政治などに関わる代表者が選ばれるのだが、投票の結果が常に必ず、人々の代表者として相応しい人物が選出されるとは限らない。見識ある候補者が選ばれたり、思慮深い候補者が選ばれたり、人々の生活に通じている公明正大な候補者が選ばれたり、私利私欲に執着しない候補者が選ばれたりするなら、自由選挙は社会を良くする最上の仕組みだろう。

 だが、自由選挙により、人格に問題がある候補者が当選したり、腐敗臭が漂う候補者が当選したり、私利私欲に執着する候補者が当選したり、権力志向だけが強い候補者が当選したり、道徳心が希薄な候補者が当選したりするなど、自由選挙が行われているからといって、選出される人物が常に「最上」であるとは限らない。

 さらに、自由選挙では、民主主義に否定的な候補者が当選したり、民主主義に背を向け独裁的な権力を掌握することを狙う候補者が当選したり、全体主義への移行を主張する候補者が当選したり、民主主義以前の過去の国家主義を賛美する候補者が当選したりもする。そうした候補者が多く当選すると、主権を持つ人々が民主主義の否定を選択したことになる。

 民主主義に背を向ける候補者が多く当選すると、主権を人々から政治家や政党に移行させようとする動きが顕在化し、徐々に主権を失ってゆく人々は支配されるだけの存在となり、民主主義は形骸化する。そうなってからは、民主主義を回復させようと主張する人々の行動は、治安維持を名目に監視され、社会秩序を乱すものとして暴力的に鎮圧されたりもする。

 自由選挙が実施されていることは、民主主義を阻害する候補者が選ばれないことを保証しない。愚かで自分勝手で権力欲が人一倍強く、虚栄心や自己顕示欲を制御できず、批判されると感情的に反応するが、自分の言動の影響には無頓着で、権力を振り回して人々が混乱するのを見て満足するような人物が選ばれたりもする。もちろん、そうした人物が生じさせた社会の混乱は、そうした人物に自由選挙で投票して当選させた人々にも責任がある。それは主権者が民主主義の価値を信じられなくなった結果である。

2026年4月15日水曜日

情報を消費する

 訪日外国人が4000万人を超え、経済波及効果が大きいと期待されているが、一方で京都などの人気観光地では過剰な混雑(オーバーツーリズム)が地域住民の生活に影響を与え、時には平穏な生活を阻害したり、負担を生じさせていると報じられる。訪日外国人の殺到が現実となって、その負の側面が可視化された。

 訪日外国人は京都・奈良・浅草・秋葉原など定番の観光地以外にも殺到するようになり、例えば、スラムダンクの聖地とされる江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅付近の踏切や富士河口湖町の富士山コンビニ、五重の塔と富士山を同時に見ることができる新倉山浅間公園などにも押し寄せている。人数が多すぎて過密になったり、車道に出て写真撮影したり、ゴミを捨てたり、民家の敷地内に侵入したり、場所を構わず飲食したりと殺到する訪日外国人の迷惑行為が問題化している。

 ガイドブックなどで旅行先の情報を集め、どこを見て、何を食べるかなど行動予定を立てることは以前から誰でも行っていただろうが、今ではSNSが重要な情報源となった。渋谷のスクランブル交差点を見に訪日外国人が集まるのは、スクランブル交差点を四方八方に渡る日本人の様子をSNSで見て、実際に見てみたいと来日するからだ。SNSで得た情報を、実際に確かめるための訪日であり、日本旅行だ。

 旅行には行動予定を立てないものもあるが、いまでは少数派となったか。目的地も宿も決めず列車に乗ったり、車を走らせたりして、様々な出合いを経験するのが楽しみだという人は多くはないようだ。行動予定を立てなくてもスマホで適時に情報をチェックすることができるようになり、得た情報に従って旅行先で行動する観光客が増えたことは、観光地でスマホをチェックしている訪日外国人の多さで明らかだ。彼らは情報とともに行動している。

 SNSで得た情報によって渋谷スクランブル交差点や鳥居が並ぶ伏見稲荷大社などに訪日外国人が集中するのは、SNSなどの情報に誘導されている現象だ。渋谷スクランブル交差点を四方八方から渡る光景が驚きだという情報を得た人が、日本旅行を思い立ち、さらにSNSで情報を集め、その情報を自分で確かめるべく訪日する。これは情報を消費する活動だ。

 消費とは「人が欲求を満たすために財貨・サービスを使うこと」。SNSなどの情報は対価を伴わないことが大半だから、情報が消費の対象だという実感は乏しいだろうし、訪日旅行を促すなど情報は消費を喚起するだけだと思われているかもしれない。だが、SNSなどの情報はサービスとして提供されているものであり、無償であってもサービスを享受するのは消費行動である。得た情報に欲求を刺激されて行動する人は情報の消費者であり、消費された情報は忘れられる。

 情報の大半は流れ去っていくだけだが、人に何らかの影響を与える情報があり、思考や関心の方向を変化させたり、何らかの行動を誘引する。インターネット網が世界を覆い、あふれる情報の中で人々は生きるようになり、情報を選別し、消費する。フェイクニュースに踊らされるのも情報の消費形態の一つだし、特定の出来事に人々の関心が集中するのは情報が大量消費されている現象だ。

2026年4月11日土曜日

カタカナ表記の氾濫

  カタカナ表記の氾濫を問題視する指摘は以前から多かったが、カタカナ表記は一向に減らず、官庁発のカタカナ施策なども増えている。インターネットで世界が結ばれ、新しい概念や知識の流入が飛躍的に増えたこともあるのだろうが、それらを日本語に翻訳する努力は放棄された様相だ。中には辞書に訳語が掲載されているのにカタカナ表記のまま使っていたりする。

 新しいカタカナ表記の大半は英語由来と見られるが、英単語の意味とのズレがあったり、日本独自の使用法であったりして英語話者を戸惑わせる例は珍しくない。新しい概念や知識を英語のままで理解することができるのは人口の少数であろう。理解したことを日本語で表現する作業が翻訳だが、翻訳する能力が社会的に乏しくなったようだ。

 古代以来、日本は新しい概念や知識などを中国から取り入れてきた。独自の文字を持たなかったため、中国語のまま取り入れ、やがて日本語の音に漢字(中国語)を当てはめた万葉仮名で表記するようになり、さらに平仮名や片仮名を考案した。独自の文字を持ったのだが、中国語を捨てることはせず、漢字(中国語)と平仮名、片仮名の混ぜ書きで文章を書くようになり、それが現在まで続いている。

 英語などから取り入れた単語のカタカナ表記が増えているのは、外来の新しい概念や知識などの日本人の受容形態としては伝統的だ。かつては中国から新しい概念や知識などを中国語のまま漢字として日本語の文章に取り入れ、現在は米国などから新しい概念や知識などをカタカナ表記で日本語の文章の中に取り入れる。大きな違いは、中国語をそのまま漢字として使ったが、英語などはカタカナ表記にしていることだ。

 カタカナ表記には、書き手や話し手の解釈が優先して、言葉の定義が曖昧だったり歪んだりする可能性がある。意味内容や定義が曖昧なカタカナ表記の言葉が混じると、意思疎通に限界が生じる。カタカナ表記よりもアルファベットのままのほうが本来の意味を正確に伝え、誤解が少ないとの指摘がある。新聞や雑誌など印刷物の作成は電子化が進み、文章中にアルファベットを組み込むことは簡単になった。

 日本語の文章表記は電子化のため横書きが多くなったが、新聞や雑誌ではまだ大半が縦書きだ。横書きならアルファベットで単語を文章に組み込むことは簡単だが、縦書きではアルファベットの組み込みは制約される(1文字ずつ縦にばらしたり、英単語の部分だけが横向きになったりする)。新聞や雑誌が横書きに移行したなら、カタカナ表記よりもアルファベットが増えるかもしれないが、新聞や雑誌は自らの「改革」に消極的なので、横書きへの移行がいつになるのか不透明だ。

 カタカナ表記の氾濫の問題は、知らないカタカナ表記を聞かされたり読まされたりした人の多くは、そのままに捨ておくだろうことだ。新しい概念や知識を理解する必要があって学んだ人はカタカナ表記であっても正確に理解するだろうが、一般の人の多くは理解しようとせず、聞き流すか読み流す。カタカナ表記の氾濫は、人々の意思疎通を阻害し、日本語の表現を弱体化する。

2026年4月8日水曜日

不確かな定義

 衆議院HPの第180回国会で審議された議案の中に「刑法の一部を改正する法律案」があり、新たに「第四章の二 国旗損壊の罪」を加え、内容は「第九十四条の二 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」とする。改正する理由として「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である」とするが、国旗損壊罪の創設を目的とした刑法改正案は議論が続いている。

 日本において国旗は「国旗は、日章旗とする」(国旗及び国歌に関する法律)とされ、日章旗の寸法は縦が「横の三分の二」、日章の位置は直径が「縦の五分の三」、中心は「旗の中心」、彩色は地が「白色」、日章は「紅色」と定義されている。国旗の外形の寸法は決められていないので、大小の大きさを問わず、法律による定義に当てはまるものは国旗とみなされる。

 だから、お子様ランチに立っている小さな旗が法律による定義に適っていれば国旗になり、五輪の開会式で入場行進する日本や各国の選手団が振る小旗が法律による定義に適っていれば日章旗だとみなされ、国旗になる。さらには、Tシャツなどの胸や背後にプリントされた日章旗が法律の定義に適っていれば、それも国旗となる。

 もし改正刑法が成立すれば、日本の法律により国旗とされる大小様々の旗を損壊・除去・汚損した人は処罰される。食べ終わって片付けられたお子様ランチの日章旗を捨てた人は刑法に抵触し、五輪の入場行進で使われた小旗の日章旗を捨てるなど処分した人は刑法に抵触し、国旗に該当するプリントが施されたTシャツなどを捨てたり破いたりした人は刑法に抵触したことになる。

 国旗損壊罪の創設を目的とした「刑法の一部を改正する法律案」が国会で成立すれば、法律により国旗とみなされる形象の旗を損壊・除去・汚損した人は処罰される。国旗を尊重し、崇める人がいるのだから、そうした感情を尊重することは大切だろうが、そうした感情を絶対視し、人々に強制するのは、多様な意見の存在を許す「自由で開かれた」社会・国家にはふさわしくない。

 さらに、法律による国旗の定義を少しでも外していれば、法律上は国旗ではなくなるので、いくらでも損壊・除去・汚損できる可能性がある。外形が正方形の日の丸や外形が菱形などの日の丸、外形が不定形の日の丸、日章が大きすぎたり小さすぎたり、位置が偏っている旗は日本の法律では国旗とされないから、損壊・除去・汚損を行っても法律上では処罰の対象にはできないだろう。

 国旗はシンボルであるから多少の変形を伴っても、それと認識できる。一方、国旗の寸法などの定義を厳密化するほどに、抜け道は多くなる。だが、法的な定義を曖昧にすることで、行政は解釈で、いくらでも処罰対象を拡大することを行うだろうし、行政に従う日本の司法によって処罰が実行される。国旗の定義が曖昧な国旗損壊罪が成立すれば、権力は解釈次第でいくらでも厳しい処罰を乱発できる。

2026年4月4日土曜日

多すぎる情報

 米トランプ大統領は4月1日、演説で「対イラン軍事作戦の戦略目標は達成に近づいている」「戦闘で圧倒的な勝利を収め、イランの海軍と空軍を壊滅させた」「今後2~3週間にわたってイランを容赦なく攻撃する」「イランを彼らにふさわしい石器時代に戻す」などと述べた。

 イラン攻撃の終結に向けての言及はなく、失望売りで株価が下げ、原油先物は買い進まれて大幅高となった。この演説は日本でも各国でも注目された。それは、不確かな戦略目的のままで始めたイラン攻撃が長引き、原油相場が上昇して米国内でもガソリン価格が上昇し、米国民の生活にも負担と影響が現れている状況に、「気まぐれ」なトランプ氏が一方的に戦闘終結に向けて示唆するとの観測があったからだ。

 トランプ氏の連日の発言やSNSコメントには首尾一貫性が希薄だが、日本や世界のマスメディアはその都度、大きく報じる。各国に高い関税を一方的に課したり、ベネズエラやイランに対する軍事行動を発動させたりと、トランプ政権は世界的な不安定要素となっているのだから各国のマスメディアがトランプ氏の発言を大きく報じるのは当然でもあるが、日本を含め世界のマスメディアはトランプ氏の発言に振り回されている状況でもある。

 トランプ氏は2期目の大統領就任以来、大量の大統領令を発出し、政治の主導権を維持し続けてきた。これは「Flood Zone」戦略とされ、大統領や政権側から大量の情報を毎日、発信することで野党民主党は対応しきれず、マスメディアも大量の情報に圧倒され、検証や批判が追いつかず、結果として大統領や政権側からの大半の情報に対する批判や検証がなされずに、そのまま流通することを目指すものだ。

 それが現実となった。さらにトランプ氏は曖昧かつブレるSNSコメントを連日発信することで、何を信じていいのか判断がつかない状況をつくり出し、大量の情報とともに、混乱する状況にもしている。発信源が信頼できない情報はフェイクとも見なされるが、米国の大統領が発する情報をフェイクとすることはできず、各国やマスメディアは振り回される。

 「Flood Zone」戦略は、情報の洪水を狙って引き起こすことで野党民主党やマスメディアの批判を稀薄化させる成果を得た。トランプ氏の言動を批判すると、痛烈かつ時には礼儀をわきまえない個人攻撃を招くことから、野党民主党もマスメディアも諸外国も及び腰となり、多くはトランプ氏からの「直撃」を避けて、「あと3年の辛抱だ」と沈黙する。

 トランプ氏の発言やSNSコメントを大きく報じるマスメディアの構造的な欠陥も明らかになった。トランプ氏が発言したという事実を確認して、その発言内容をマスメディアは大きく報じるが、発言内容の真贋にはマスメディアは責任を持たない。トランンプ氏がウソを言ったとしても、それをマスメディアは報じる(発言があったことを確認して)。それはマスメディアという媒体がウソを検証できず、広めることに加担していることを示す。

2026年4月1日水曜日

暴君と近代

 暴君といえば、ネロら多くのローマ皇帝、ロシアのイヴァン4世(雷帝)やピョートル1世、中国の始皇帝や煬帝や則天武后らが有名だ。国家の全権を握る専制君主が独断的に政治に関与し、残虐な恐怖政治を行うと暴君と呼ばれることになる。暴君とは「人民を苦しめる暴虐な君主」だが、「ひとり横暴に振る舞う人」の意でも使われ、家庭や企業・団体などにも暴君がいたりする。

 民主主義など皆無で、国家主権を握る独裁者による政治がフツーだった時代や世界では、それなりの能力が独裁者には必要だっただろう。暴君=暗君では統治が行き詰まったり、反乱や暗殺を招いたり、実務を担当する有能な側近に政治を任せるしかなくなる。暴君にそれなりの能力が備わっていれば、周囲の抵抗勢力を押し切って乱暴に「改革」を断行することもできよう。

 独裁者は歴史上も現代でも多いが、暴君と呼ばれる人物は少なくなった。独裁者は既存の統治システムに君臨するだけだが、絶対的な権力を占有する暴君は、気に入らない人物や敵対する人物らを意のままに殺したり、贅沢な生活を維持するために人々に重税を課してしぼり上げるなど、自己の感情や欲望などのために権力を行使する。国家は自己のためにあると信じて疑わないのが暴君だ。

 近代とは「封建社会から脱皮した資本主義社会・市民社会」とか「キリスト教的価値観が相対化され、絶対王政が打倒されるなど人間中心主義になった時代」などとされる。近代以降に暴君が現れにくくなったのは、国家主権を有するのが人民(人々)とされ、政治権力の正当性は人民に由来するからだ。中国やロシアなどの現代の独裁者も憲法など法の支配を装わなくてはならない。

 現代にも独裁者は世界に多いが、暴君と呼べるのは金正恩氏ぐらいか。父親の代からの側近や親類の高級官僚を処刑するなど、気に入らない人物や邪魔になった人物らを意のままに殺し、それを公開するなど恐怖政治による支配を続けているようだ。北朝鮮は近代国家というより金王朝であり、前・近代にとどまっているのだから、暴君の出現を抑止する仕組みはない。

 プーチン氏や習近平氏も憲法を意のままに改正して長期の独裁を正当化し、批判者に対する暗殺や、腐敗を口実に粛清を続けるなど、過酷な抑圧を行っているのだが、恐怖政治は一部にとどめ、人々の愛国心を煽り、愛国の延長上にプーチン氏や習近平氏の統治があるかのように装う。そう装わなければならないのは、ロシアも中国も近代国家になっているからだ。

 暴君は権力に溺れて、自制が効かなくなった人でもある。暴君は人々の怨嗟の的にもなり、権力を失った時には恐怖政治の責任を問われるなど「安らかな老後」は望み薄だ。法の支配が確立した近代国家では国家権力を議会や司法が分担して担い、行政権力を握った人物の「暴走」は制御される。暴君の出現は困難になり、独裁者のように振る舞う米トランプ大統領も法の支配から逃れることはできない。米国内ではトランプ氏の統治による死者は少ないが、イランでは多数の死傷者が出ている。イランではトランプ氏は暴君と見られているかもしれない。