2015年2月11日水曜日
怒りの表出
フランスではテロリズムで17人が殺されたことに対して、多くの人がデモに参加したり、風刺雑誌の最新号を買うことなどで、テロリズムに対する怒りを表現した。人命を奪ったテロリズムが、フランス社会が尊重する理念をも脅かしたと解釈し、特に「表現の自由」を擁護する姿勢を示して、テロリズムに対する抵抗を示してみせた。
ヨルダンでは、空爆に参加したパイロットが捕えられて処刑されたことに対し、抗議する集会が催され、人々は怒りと悲しみを露にしたと報じられた。死刑囚との交換でパイロット解放の可能性が取沙汰されていたからか抗議デモも発生、政府批判の声も出たといい、政府はすぐに死刑囚の刑を執行し、空爆も行うなど報復に動いた。
日本人人質の殺害は日本に大きなショックを与え、残虐な行為に対する怒りを人々は共有したのだろうが、抗議する集会やデモが開かれたとの報道はない。ネット上では犠牲者を悼むメッセージが溢れたが、デモなどの行動で意思表示することはなかった。一方、永田町周辺では責任の追及合戦が始まり、国際的な事件が見事に“内輪”の言い合いに転じた。
日本人人質の殺害に対する怒りがデモや集会などで表現されれば、分かりやすい映像で国際的にもアピールできたかもしれない。だが、同情は高まり、残忍な殺害に対する嫌悪が広がったようだが、怒りの表現には抑制的であった。一方では、殺された人を自己責任論を持ち出して批判する連中も出るほどの冷酷さも見せた。
日本でテロリズムに対する怒りが他の国に比べて「穏やか」な印象なのは、今回の人質の死が個別の事案と受け止められているからだろう。日本人を“代表”して人質が殺害されたのでもなく、日本社会の基本的な価値観が脅かされたのでもなく、はるばる出掛けた先で“悪い連中”に捕まった個人の不運だと見なされているかのようだ。
人質の家族などの抑制的な対応がマスコミで大きく伝えられたことも影響し、怒りなど感情的な反応を鎮める作用を及ぼしたのかもしれない。だが、怒りを示すべき時はある。怒りを示すべき時に怒りを示さなければ、弱さの現れと受け止められることもある。さらには、わざと怒ってみせるのも相手を牽制したり、時には存在感を高める有効手段となったりする。
「日本人よ、怒れ」と煽っているのではない。日本人が冷静でいることは、情緒的になりすぎたり、感情的に反応しすぎるよりはマシだろう。だが、冷静でいたから怒りを示さなかったのか、人質の死を他人のことと冷淡だったから怒りを示さなかったのか……その違いは大きい。
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