2016年1月16日土曜日
移民・難民との共生
昨年、メルケル首相が受け入れ歓迎を表明してからドイツへの移民・難民の流入は加速し、前年の5倍以上にもなり110万人を超えたという。難民受け入れに積極的だったスウェーデンは15万人以上を受け入れ、EUはギリシャ、イタリア、ハンガリーに滞在する難民計16万人を他の加盟国が引き受けることを決定した。
内戦や迫害、飢餓などを逃れて脱出し、遠路をたどり着いた人々を受け入れるのは人権擁護の具体的な行為だろうし、人類愛などの理想を現実化する崇高な行為であるかもしれない。かつて戦乱により欧州で大量の人々が難民となった記憶もあってか、メルケル首相の言葉にドイツの人々が、自分らは理想の側に立っているのだと酔ったのも理解できないわけではない。
が、理想は現実に裏切られるというのもよくあることだ。ドイツで受け入れを実際に担当する自治体からは、移民・難民の流入人数が多すぎることに批判が出ていたし、加盟国に難民を割り当てるというEUの決定に反対し、受け入れ拒否を表明している国もある。理念として難民受け入れは崇高な行為だろうが、実際の受け入れは煩瑣で煩雑な支援策の積み重ねとなろうし、長く続けざるを得まい。
さらに、移民・難民は出身国が様々で出身地域も異なる個別の人間の集まりであり、健康状態や適応能力など各自の状況は異なるので支援にも個別対応を要し、十把一絡げと扱うわけにはいかない。集団として扱うなら難民は人類愛の対象にしやすいだろうが、自宅に1人の難民を受け入れることを想像するなら、実際の支援は簡単なことではないと分かる。
欧州に受け入れられた移民・難民が、支援策が手厚い国への更なる移動を求めたり、収容施設や場所の変更、都市部への移転を要求したりなどと個別の声を上げ始めたことが伝えられ始めた。移民・難民が収容施設内に住み、言語を習得して就労し、稼いだ金で独立した生活を送るようになるというのが受け入れ側の理想だろうが、移民・難民の誰もがおとなしく従うわけではないのも現実。
独ケルンで昨年の大晦日の夜、多数の女性が大勢の男に囲まれ性的暴行や窃盗などの被害にあった。容疑者の多くが難民保護申請者とみられ、寛大な受け入れ策に対する批判が沸き起こっているという。100万人以上がドイツにやって来たのだから、ヘンな人間や荒んだ心を持つ人も混じっていようし、先進国に来て自由な雰囲気の中で、つい羽目を外しすぎてしまった人もいるだろうとは、遠く離れた傍観者だから言えることか。
ドイツでは新しい労働力(低賃金の)として移民・難民は期待されているが、彼らが個別の人間としての扱いを要求し始め、欧州人と対等の権利を要求し始めた時に、難民・移民への同情に満ちた歓迎ぶりは変わっていくだろう。社会的弱者としてではなく、対等の人間として認めることができるのか。移民・難民の流入で、欧州は試されている。
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