2016年8月10日水曜日

民主主義の手法で民主主義を否定


 トルコで軍の一部がクーデターに動いたが、失敗に終わり、政権は一気に、軍のみならず検察、警察、公務員、教育界、報道など広い範囲で多くの人を拘束、解任するなど粛正の動きを進めている。今回のクーデター失敗でエルドアン体制の強権支配が数歩前進したことは間違いなく、欧米は対応に苦慮している。

 今回、民主主義を守ることを、クーデターに動いた側も政権側も掲げた。クーデターに動いた側は、憲法による秩序や民主主義を回復させることが行動の目的だとアピールし、政権側はトルコの民主主義に対する攻撃であると主張し、人々に街頭に出て抗議の意思を示すよう呼びかけた。報道では、街頭で人々が兵士らを説得しているらしき映像が流れた。

 クーデターが失敗に終わり、トルコにおける民主主義は「危うい」ままなのか、「守られた」のか、どちらだろうか。選挙で選ばれた政権が維持されたことで、トルコにおける民主主義は守られたように見えるが、クーデター騒ぎや強権による粛清は、民主主義が「傷つけられた」ことを示している。民主主義という“錦の御旗”を奪い合って、今回は政権側が勝っただけか。

 善悪などの価値判断を加えずに民主主義を定義すると、「主権を有する人民による自由投票で選出された人々が議会や政府を形成し、政治を行う」体制を是とする主義で、その議会や政府の交代は人民の自由投票のみにより行われる。だから、軍事力や強権で議会や政府の停止・交代を行うことは民主主義に反するが、議会や政府が強権支配を容認・正当化することも民主主義を損なう。

 自由選挙で選出された議会や政府が強権を容認・正当化するようになるのは実はそう珍しいことではない。代表例は独ナチスで、自由選挙で第1党になって権力を掌握し、徐々に独裁へと歩んだ。民主主義は、民主主義を否定する活動をも許容するという弱点を有する。規範としての民主主義と、方法としての民主主義は一体のものではない。

 今回のトルコでは、民主主義を守ろうと軍の一部が反民主主義的なクーデターに動き、民主主義は守られたとする政権側は反民主主義的な強権支配を加速している。おもしろいネジレ現象が繰り広げられたわけだが、どちらも民主主義を、おそらく権力闘争の口実として持ち出しただけであろうことは想像に難くない。

 規範としての民主主義は尊いものだが、多くの国にとっては移入された概念であり、簡単に実現するものではない。民主主義を政治体制として根付かせて行くためには、それぞれの国で、方法としての民主主義をそれぞれ見つけだし、規範としての民主主義との乖離を狭めるように努力を続けるしかない。その努力とは、例えば、クーデターにも強権支配にも否と主張する人々を増やすための報道・教育を確保することであろう。

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