2018年11月14日水曜日

逃散と民主主義

 逃散は古くから日本の農民の抵抗手段だった。重い年貢課役や領主・代官らの横暴に我慢できなくなった集落の農民が一斉に耕作を放棄して他領や山野に逃亡した。抵抗手段としては一揆や強訴などもあったが逃散は、圧迫を加える支配者との直接的な対決より、支配従属関係を断ちきることで抵抗した。

 もちろん、他領や山野での新しい生活がユートピアであるはずはなく、どこに行っても収奪の対象である農民の生活は同じようなものだっただろう。だが、わずかではあっても、より良い生活を求めて行動せざるを得ない過酷な状況下で生活している人々に、現状を変える選択肢は限られる。一揆などで直接対決する態勢が構築できないなら、逃散するしかない。

 過酷な生活を強いられる状況を「変えなければ」という強い欲求が人々を動かす。だが、主権が支配者にあった時代に、収奪の対象である農民にできることは、我慢を続けるか、懇願するか、力づくで要求を通すか、脱出して新たな土地での生活を始めるか。

 主権者である人々の自由投票で選出した議員により議会を形成し、その議会が国家の基本を定めるという民主主義の社会においても、主権者である人々が過酷な生活を強いられる社会はある。主権者である人々が「こんな社会は嫌だ」と意思を示し、主権者である人々が社会を変えることができるのが民主主義社会だとされている。

 では、主権者である人々が社会を変えるためにできることは何か。第一に、言論や街頭行動などで政府の施策に対する反対を表明すること。それでも変わらなければ第二に、投票により政府を交替させること。選挙に対する介入などで自由な投票が損なわれたり、選挙の結果を無視して政府が居座る時などには、力づくで政府を変えることが主権者である人々の最後の手段だ。

 現代の民主主義社会では人々は主権者として、社会が過酷な状況にあるときは、それを是正する責任を負う。しかし、経済的に破綻状態であったり、治安が崩壊して暴力集団が牛耳っている民主主義社会で主権者である人々にできることは限られる。我慢を続けるか、懇願するか、革命を起こすか。

 自国を捨てて他国に移住するのは現代版「逃散」かもしれない。米国への移住を求めて歩き続ける人々は、ホンジュラスの主権者であることに誇りを持てず、絶望に突き動かされてホンジュラスを見限った。自国を見捨てる人々がいかに多いか、世界各地で先進国などへ移動を続けている人々の姿が示している。

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