2024年8月17日土曜日

残虐行為は続く

 ロシア軍はウクライナの都市を標的にミサイル攻撃を続け、相当数の市民が死傷していて、イスラエル軍は侵攻したガザで無差別攻撃を行い、こちらでも相当数の市民の死傷者が出ていると報じられている。こうした残虐行為に対しては国際的な批判があるが、例えば、イスラエルは破壊した学校や病院がハマスの拠点だったと残虐行為を正当化する(徹底的に破壊するので後からの検証は困難だ)。

 他国に侵攻した軍隊が無軌道に振る舞い、残虐行為を行った例は歴史に数多く記されている。だが、そうした残虐行為は看過されることが多く、責任を問われたことは少ない。戦時国際法(国際人道法)は①民間人や降伏した兵士らを軍事行動の攻撃目標としてはならない、②過度の傷害を与えたり、無用の苦痛を与えるなど非人道的な兵器を使ってはいけないーなどとし、ジュネーブ諸条約に加入している世界196カ国には守る義務があるが、罰則や強制力はない(国家の上に立ち、国家を処罰できる存在は不在)。

 ロシア軍やイスラエル軍が残虐行為の責任を問われないのは、ロシアやイスラエルに強制力を行使できる国がないからだ。ドイツや日本が戦時中の残虐行為の責任を取らされたのは、無条件降伏した敗戦国であり、戦勝国に占領されて、独立を失っていたからだ。戦勝国も戦時中の残虐行為の責任を問われない(米国の2度の原爆投下で広島で約14万人、長崎で約7万人以上の死者が出ているが、非人道的な兵器を使用した責任は不問にされた)。

 戦場では交戦国の軍隊による残虐行為が行われるが、その責任を問われるのは敗戦国だけであり、戦勝国側では独自の判断で残虐行為を行った部隊が責任を問われることはあっても、国家として残虐行為の責任を問われることはない。これが現実の世界規範だとすると、ロシアもイスラエルも敗戦国となる可能性が低いので、両国の軍隊による残虐行為も不問にされるだろう。

 戦争は悲惨なものであり、人々を苦しめるだけだから全否定されるべきものだ。だが、ロシア軍の侵略戦争に巻き込まれたウクライナの人々が戦う戦争を否定できるだろうか。侵略に対する自衛のための戦争は国連憲章で認められており、また、米国などの独立戦争を否定すると現在の国際秩序は崩壊するので、独立戦争も容認されていると理解すべきだろう。

 戦争には容認されるものと容認されないものがあり、容認されない戦争だけが批判されるのが現在の世界だとすると、戦争放棄の憲法を掲げ、全ての戦争を否定的にとらえる日本の世論は世界的には異質なものだろう。日本には侵略に抗して戦った歴史や、独立を求めて戦った歴史が希薄なことが影響し、戦争は全て悪だとの意識が無批判に受容されている。

 交戦中の敵軍に対する攻撃は、どんなに残酷なものであろうと残虐行為とはほとんんど見なされず、同様の行為を相互に行っていたりする。戦争放棄の憲法により日本人は戦争を現実的に考えることをやめ、敗戦体験もあって戦争に対する忌避感だけを強め、戦争や軍や軍事について現実的に向き合って考えることを疎かにした。侵略に対して戦う戦争は正義だとする現在世界で、戦争や軍事に向き合わない日本が外交的に軽視されるのは当然か。

0 件のコメント:

コメントを投稿