2015年4月4日土曜日
70年前は1945年
今年は第2次世界大戦の終戦から70年ということで、世界各地で様々な行事が予定されている。テレビや新聞などでも今年は、折に触れて70年前を回顧する特集が相次ぎそうなので、戦争に絡む情報は大量に報じられそうだ。戦争と終戦という大きな出来事に翻弄された1945年はどういう世相だったのか振り返ってみる。
日本国内では、1月にM6.8の三河地震が発生、死者・行方不明は2千人以上。2月に、京浜行き乗車券は軍・公務以外は発売停止となった。3月には全学徒総動員のため国民学校初等科を除く学校授業が停止となり、3月と5月に東京が大空襲を受けた。4月には名古屋城のシャチホコを疎開のため取り外し、京都の美術品を疎開させる一方、本土決戦に向け日本刀づくりに励んだ。
5月には朝刊の駅売り等が全国的に禁止され、6月には墓地以外の仮埋葬が許可され、土葬禁止が解除された。7月には米機攻撃により9隻が沈没して青函航路が壊滅した。8月の敗戦後には、国民動員令による各種制限・禁止が撤廃され、ラジオの天気予報が復活した。9月にはNHKで「実用英語会話の時間」が始まった。
10月にはGHQが東京5紙の事前検閲を開始し、東京の待合・バー等の営業が許可され、第1回宝くじが発売された(1等は10万円と副賞に純綿キャラコ2反)。11月には人口調査で総人口は7199万人だったが、女性が男性より420万人多かった。12月には「狩り込み」が始まり、上野地下道で浮浪者2500人を一斉収容し、GHQが修身・日本歴史・地理の授業禁止と教科書回収を指令した。
終戦前は戦況悪化で食糧事情が逼迫し、横浜でジャガイモ盗人を撲殺した自警団員は正当防衛に準ずると不起訴になったが、東京でジャガイモ2個を盗んだ人には懲役3年の判決。終戦後も食糧事情は厳しく、餓死者が続出する一方、都会では多くの人が買い出しに出た。
終戦後には映画「愛染かつら」が人気を呼び、戦後映画の第1作「そよかぜ」から「リンゴの唄」が流行った。一方でGHQが236本の映画を上映禁止とし焼却命令。出版では「日米会話手帳」が360万部の大ヒットとなった。大相撲秋場所で復員力士は坊主頭で土俵に上がり、プロ野球は11月に東西対抗戦で復活した。
70年前の1945年は今とずいぶん違った時代であったのは確かだが、例えば1945年生まれの人を見ると、エリック・クラプトンが3月生まれ、吉永小百合も3月生まれ、タモリが8月生まれ、ニール・ヤングが11月生まれであり、同時代感は充分にある。1945年と現代の連続性を今年は強く意識しそうだ。
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