多くの人は正月に初詣に出かけ、新年の家族の無病息災や平安無事、進学や就職の成功、恋愛の成就などを神様にお願いする。宗教行事というより慣習化した行動だが、信仰心のない人々が年に1回ぐらいはと神様を意識する行動を長年続けているのは興味深い。一方、初詣では願い事をするのではなく、前年の1年間、平穏無事に暮らすことができたことを神様に感謝すべきだとする人もいる。
年に1回、願い事をするのは新年という未来に向けた「その時だけ」の神様との縁だが、神様が過去1年ずっと見守っていてくれたことを初詣で感謝するのは、神様との縁がつながっているとの意識があるからだ。初詣での願い事を大半の人はじきに忘れ、願い事がかなわなかったとしても神様を意識することはないだろう。そして新年になると初詣に出かけ、新たな願い事を神様に頼む。
願い事を神様に伝えて効果がなかった人々も、願い事をしたことなど忘れた人々も、新年を迎えて年中行事の一つとして神様に新たな願い事を伝える。神様に願い事をすることに意味があり、その願い事を神様が聞き届けるかどうかには関心がない様子だ。平穏無事に暮らした1年を神様に感謝する人々のほうが神様の存在を意識している。
数年ごとに行われる国政選挙で多くの人は、候補者や政党が掲げている公約を投票の判断材料にするという。それらの公約が実現するかどうかは定かではなく、政権与党になった候補者や政党の公約であっても、その公約が実現するとは限らない。おそらく、自分が判断材料にした候補者や政党の公約がどうなっていくかを投票した人々の多くは次第に忘れ、国政選挙のたびに候補者や政党の公約を見比べる。
候補者や政党の公約は、選挙後という未来に向けた主権者との約束だが、その実現性は不確かで、投票した人々にできることは実現を期待するだけだ。だが、過去の候補者や政党の行動や実績なら判断材料が豊富にそろっており、選挙後の数年をまかしてもいい候補者や政党であるのかを人々は具体例で評価、判断することができる。
初詣での神様への願い事なら、それが叶うかどうかは神様まかせだろうが、人々の生活に密接に関係する国政を担う政治家や政党に、実現するかどうか分からない公約を頼りに投票することは白紙委任状を渡す行為だ。初詣での願い事が叶わなくても神様を見限らないように、公約を実現させなくても政治家や政党を見限らないなら、それは非政治的な行動だ(神様には責任を問うことはできないが、政治家や政党には責任を問うことができる)。
判断材料は、未来か過去か。投票するときに、実現するかどうか分からない公約という未来を判断材料にするよりも、歴史に刻まれた政権与党の実績という過去を判断材料にすることが現実的で賢明だろう。全ての候補者や政党は選挙の時には「美味しい」公約を並べて飾るものだ。国政選挙とは、それまでの政権与党に対する評価であると位置付けるなら、判断材料は過去だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿