議会などの質疑で、質問者も答弁者も自己の主張を一方的に述べているだけという光景は珍しくない。対立を演出しているようにも見える。相手の主張をはねつけることが自己の主張の正しさを示すとか、相手の主張に理解を示すことは自己の主張を弱めるとでも考えているのか。
質疑で、自己の主張を一方的に述べるだけというのは、自己の主張が絶対的に正しいとの確信があるからとも見えるが、実際は政治的な妥協は、質疑でではなく政党間の交渉でなされてきた慣習に倣っているからだろう。つまり、主張で存在をアピールする場が質疑であるから、一方的に言い立てることが欠かせない。
互いに主張を言い立てることは、活発な議論であるかのように見えたりもするが、実態は立会演説会と変わらない。質疑に期待されるのは本来、課題に対して意見や主張を述べ合い、利害調整を行ったり、より良き解を見いだす場であることだろう。
質疑を本来の場にするためには、質問者も答弁者も自己の主張より、相手を説得することに重点を移すことが必要になる。主張では他者は聴衆でしかないが、説得では他者は自己の言葉を納得させ、理解や同意を得る対象となる。主張の言葉は自己の考えに忠実であればいいが、説得の言葉は相手の思考を刺激し、納得させる必要がある。
説得の場にするためには参加者に、第一に、何が問題なのか具体的な問題意識の共有が必要だ。第二に、その問題に関する事実関係を明らかにし、共有する(どういう問題が、どういう経緯で生じたか)。第三に、望ましい解決の方向を共有する(解決の方向は立場により異なる可能性があるが、最小限でも共有できる事項を見いだす)。
主張と説得では使う言葉が異なるだろう。主張には時には激しい非難の言葉や強く断言する言葉などが用いられるが、そうした言葉は説得には逆効果だろう。主張の言葉は相手に拒絶されても構わないものだろうが、説得の言葉は相手を動かすためのものだ。主張では正義は自分側にあると強調できようが、説得では正義は自分側の独占物ではない。
言葉で相手を動かす説得では、相手の考えや論理などを理解する必要がある。自分側の考えや論理との相違や、どこに接点があるかなどを知らずに相手を説得しようとしても、効果は限られよう。言葉を変えて言うなら、相手の考えや論理などを理解したくなければ、一方的な主張だけをしていればいい。そのほうが簡単で楽でもあるだろう。
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